えー、目下 志村貴子先生の「青い花」というマンガを読みふけっております。
今までかかる宜しき漫画家さんを知らずにいたが残念……
7巻だったかに、こんなチラシ(?)が入っていたが――↓↓
青い花×江ノ電フェア……
くぅぅーーっ……
2012年ですって。ほぼほぼ10年前ではないか。
「ユリイカ 2017年11月臨時増刊号」志村貴子特集の号を買ったが、
そこに紹介されている「画業20周年記念・志村貴子原画展」
これも2017年なので とっくの昔に終わっているという……
まあ、普段マンガとか読まないので
こうなるのも必然か。
しかし、この人の絵はうまいね……
そもそものはじまりは――
「マリみて」の今野緒雪先生のインタビューが読みたくて買った
「ユリイカ 2014年12月号」(左側に写っているもの↓↓ 表紙絵、志村貴子!)
今野緒雪先生のインタビューだけ読んで、あと放ったらかしておいたのだが、
最近、読み返してみますと
p211 女子高、演劇部といったモチーフは、『マリア様がみてる』『櫻の園』などを想起させる(実際、志村は『マリア様がみてる』への意識を公言している)。
などと この「青い花」が紹介されており、
これは。と早速 密林で購入しました次第。
以下、
「青い花」×「マリみて」の比較をやってみようと思います。
正直、「だから何なんだ?」という内容になろうか、とは容易に推測できますが、
比較することによって、それぞれの特徴が明らかになることもあるのではないか? とおもっています。
また、以下の画像は 鎌倉文学館の画像
2017年7月撮影です。撮ったまま、ブログに載せていなかったので
いい機会ができました。
鎌倉文学館は、「青い花」の「藤が谷女学院」のモデルになった建築です。
・似ているところ① リリアン×藤が谷のディテール
「青い花」の藤が谷女学院は、
あきらかに「マリみて」のリリアン女学園の影響を受けていそうです。
気づいたところを書き出してみますと――
・シスター(修道女)の存在。
・新聞部があって、スキャンダルを暴きたてる。
・「図書室」ではなく 「図書館」が存在する。
・一貫教育。(リリアンは幼稚舎から大学まで。藤が谷は初等部から短大まで)
・クラス名が花の名前。
・卒業生の胸に花をつける風習。
といったところか。
「青い花」主人公の奥平あーちゃんは 高等部から藤が谷に入るのですが、
けっこう狭き門らしく、「優秀ね」などといわれる。
もちろん「マリみて」の二条乃梨子ちゃんを思い出すわけです。
どうも入学にあたってOGのオバ様の存在(コネ?)が大きいというあたりも似ている。
というか、「マリみて」の影響でしょうかね?
あと、なにかと登場する「ミルクホール」も気になるところ。
「マリみて」のミルクホールは リリアン女学園内に存在する学校の施設ですが、
「青い花」のミルクホールは、喫茶店のようです。
だから藤が谷女学院とは直接関係ないわけですが。
あーちゃん、ふみちゃんはもちろん、
井汲さんや、松岡女子の三人娘 やっさん、ポンちゃん、モギーが何というと入り浸る場所になります。
「ミスター〇〇」の存在も 「青い花」・「マリみて」共通しております。
「青い花」→杉本先輩→「ミスター松岡」
「マリみて」→支倉令さま→「ミスターリリアン」
杉本先輩は松岡女子なんで、藤が谷じゃないんですが。
余談。この杉本恭己(やすこ)というキャラクターは、おもしろいくらいあーちゃんと正反対に造型されていますね。
・杉本恭己
高身長
ボーイッシュな服装
四人姉妹の末っ子
藤が谷から松岡女子に入学。(藤が谷から出て行く)
ふみちゃんとの交際は破局する。
・奥平あきら
低身長
フェミニンな服装
兄がいる。
高等部から藤が谷に入学。(藤が谷へ入っていく)
ふみちゃんと結ばれる。
さらにいうと――イギリスへの修学旅行で、あーちゃんは すっかりフェミニンになってしまった……
美少年から美女になってしまった「杉本先輩」に出会うわけです。
二人が正反対ではなくなってしまったところで 一旦ふみちゃんとの関係が破局する、というのはなんともうまいですね。
イギリス留学した杉本先輩は、
「マリみて」の蟹名静……イタリア留学したロサ・カニーナとも似ていて……
ロサ・カニーナは、これまた祐巳ちゃんと正反対なわけですが……
しかし、きりがないのでこれ以上の分析はやめます。
・似ているところ② 痴漢の話題ではじまる。
「青い花」・「マリみて」
どちらも少女たちが社会的に劣位な存在である、というところから出発します。
「青い花」は あーちゃん・ふみちゃんが痴漢の被害を受けるわけですが、
「マリみて」(無印)の祐巳ちゃんは 祥子さまに「タイが、曲がっていてよ」と直されて
暗い顔をしているところ、「痴漢にあったのか」と勘違いされるので
まあ、ちょっと違いますが。
・似ているところ③ 演劇のテーマと物語のテーマが絡み合う。
「演劇」――というと、
「青い花」「マリみて」云々ではなく、どうも女子校舞台の少女漫画の定番であるようなんですが――
「青い花」→「嵐が丘」
杉本先輩の失恋・ふみちゃんとの偽りの(?)恋愛・イギリスへの旅立ち
「マリみて」→「シンデレラ」
祐巳ちゃんのシンデレラストーリー
まあ。両作品ともこれ以外にいくつも演劇シーンがあるのですが、
きりがないので一作品だけにします。
「青い花」の「鹿鳴館」というのは読んだことないので読んでみたいですね。
「嵐が丘」はかなり前に読んだが、まったく内容を忘れてます。
ケイト・ブッシュの歌の印象が強いかな。
・似ているところ④ 「父」の不在。兄・弟・いとこの存在。
両作品とも「父」の存在が希薄です。
「青い花」→あーちゃん、ふみちゃんともに目立っているのは「母」
「父」は登場するが、とくにエピソードらしいエピソードはない。
「マリみて」→祐巳ちゃん、祥子さまともに目立っているのは「母」
(しかもリリアン時代、なんらかのつながりがあったことが示唆される)
「父」は登場し、職業もはっきりしているが、「母」に比べると存在感は希薄。
そのかわり――年齢の近い 兄・弟 いとこの存在が大きいです。
「青い花」→あーちゃん、兄との近親相姦すれすれの関係。
「マリみて」→祐巳ちゃん、弟・祐麒くんとの双子的な関係。
祥子さま、いとこの柏木優との近親相姦(?)的な関係。
・似ているところ⑤ 大げさなわかりやすい文学的な苦悩は存在しない。
両作品とも文学作品によく出て来るような「苦悩」は登場しません。
経済的な問題(貧困・失業)
病気・死・老い
宗教・イデオロギーの問題
人生の実存的な問題(わたしは誰と一緒に生き、何をすべきなのか? どこから来てどこへ行くのか?)
というような苦悩で――
おそらく先ほど挙げた「父の不在」というのと関わってくるのだとおもいます。
まあ、例外は存在しまして
「青い花」→井汲京子 母の精神的病に悩む
「マリみて」→鳥居江利子 虫歯に悩む・山辺さんとの恋愛に悩む
なんだかこの二人は似ています。
女の子だらけの世界の中で
二人とも異性と恋愛して、妙に色っぽいという描写をされるあたりも似ています。
・似ているところ⑥ 「性」=「食べ物」
これは、わたくしの好みの問題かもしれないですが……
・「青い花」6巻 164-165ページ
酔っぱらったふみちゃんがあーちゃんのほっぺたに生クリームをなすりつけ、
それを舐める、というたまらんシーン。
(「やだも~~」「ふみちゃんの好きは あたしのほっぺたに クリームつけて なめること⁉」 「ちがうよぉ」「ちがうでしょ?」)
・「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」 220-221ページ
(祥子さまは男嫌いだったんじゃなかったの? 柏木さんを嫌っていたんじゃなかったの? それなのに、柏木さんのお箸でつままれたお寿司を、どうして口に入れられるわけ?)
この二つの名シーンはどうしても比べたくなっちゃうんですよね。
「生」の食べ物と「性」とのつながり(生クリーム・お寿司)
クリスマス(「青い花」)、正月(「マリみて」)という境界上の時間
酔っぱらったふみちゃんというのは、ドイツ映画の「制服の処女」の遠いエコーも感じさせますが。
えー、以上、似ているところを6点あげました。
以下、ちがうところをみていきます。
・ちがうところ① 特定の地域が描かれる「青い花」・描かれない「マリみて」
「青い花」→江ノ電沿線が舞台であることが、明確に描かれる。
あーちゃん、ふみちゃんは横須賀線沿線に住んでいるようだ。(北鎌倉か? うらやまし)
また、旅行先も、箱根湯本駅等、舞台が明確に描かれる。
「マリみて」→舞台は徹底的に隠蔽される。抽象的とさえおもえる。
リリアンだけではなく、旅行先も隠蔽されており、
たとえば、小笠原家の別荘は軽井沢にあるらしいが、軽井沢らしい風物の描写は極度に少ない。
聖地巡礼が可能な「青い花」 聖地巡礼が一切できない「マリみて」といえそうです。
ただし、「マリみて」 イタリア旅行に関してだけは聖地巡礼できそうです。
まあ、コトバの本当の意味の「聖地巡礼」になりますけど。
・ちがうところ② 共同体にはあまり興味がない「青い花」・少女たちの共同体を描く「マリみて」
「青い花」→生徒会はまったく描写されない。
学校のイベントは描かれるが、主人公たちがイベントを主体的に作り上げることはない。
「マリみて」→生徒会(山百合会)が物語の中心。
主人公たちが、学校のイベントに企画段階から主体的に関わり、運営していく。
この相違点は、「マリア様がみてる」という作品の特異さ、に由来するのかな? とおもいます。
「マリみて」はようするに何なのか?
これをトマス流に書きますと……
「少女たちの、少女たちによる、少女だけの共同体を――少女たちがどのように作り出し、運営していくか?」
このテーマを 今野緒雪が民俗学者的な冷たい文体で描写しきった物語……
ということになりますので……
まあ、異様な作品だとおもいます。
とうぜん姉妹(スール)制度というのも、このテーマのために存在するので……
「青い花」には、この種のシステムは一切登場しませんね。
また……トリックスターの存在、というのも合わせて考えたいところです。
つまり
「青い花」→トリックスター的人物は登場しない。(強いて言うと 杉本先輩(越境) 奥平忍(あーちゃんの兄・近親相姦願望)か?)
「マリみて」→トリックスターが何人か登場する。島津由乃。佐藤聖。
「青い花」にはとくに共同体、というのは描かれないので
共同体をかく乱する存在は必要ないわけです。
一方、「マリみて」は 絶えず共同体をひっかきまわす 佐藤聖・由乃さんのような存在が必要とされるわけです。
・ちがうところ③ セックスを描く「青い花」・セックスは存在しない「マリみて」
「青い花」→4巻 156-158ページ
「あーちゃんの好きと 私の好きはちがうの」「私 むかし 千津ちゃんとときどきセックスした」
「私の好きは 好きな人と そういうことをする 好きなの」
8巻 138-139ページ
「あたし 子供でごめんね」「エッチなことも したのにね」「脳と身体が 全然追いついてないかんじ……」
「マリみて」→祐巳ちゃんと祥子さまの最高の愛情表現は
ひしと抱き合って、さめざめと泣くこと……である。キスさえ、しない。
「少女たちの共同体」を描く「マリみて」において――「セックス」は邪魔者なのでしょう。
佐藤聖という魅力的なキャラクターが 山百合会において「異端」であるのは、つまり……
彼女が 彼女の表現で言うところの「不純同性交遊」((笑)に大いに興味があるから、なのでしょう。
・ちがうところ④ 回想シーンがやけに多い「青い花」・回想にはあまり興味がない「マリみて」
「青い花」→ふみちゃんの回想シーンがやけに多い。
「マリみて」→回想シーンは……ほとんどない。
これは――個人的におもわず 「はっ」となった点なのですが、
「マリみて」の祐巳ちゃんの過去はほとんど明らかになっていません。
われわれが知っている福沢祐巳は 高校一年の秋から 二年生の三月まで なわけです。
よく知っているような気になっていましたが、たった1年数カ月なわけです。
これはなんだか 今野緒雪という人のすさまじさが出てるな、とおもいました。
普通、回想して云々、という安易なことをやりたくなるんですが、今野緒雪はやらないんですね。
やっぱし、天才ですね。
・ちがうところ⑤ 藤が谷・松岡、対照的な二校が描かれる「青い花」・リリアン女学園だけが描かれる「マリみて」
「青い花」→松岡女子高等学校の生徒(ふみちゃん・やっさん・ポンちゃん・モギー)の目からみた藤が谷女学院が描かれる。
「マリみて」→他校の女の子から見たリリアン女学園は描かれない。
「青い花」に関しては、あーちゃん視点 ふみちゃん視点が パッパッと対照される構成なので、
まあ、これは必然か。
「マリみて」に関して、二条乃梨子ちゃんという「よそもの」がみたリリアンという描写あるけど……他校の女子というのはない。
「マリみて」が……さっき書いた「祐巳ちゃんの過去」もそうだが、
いろいろなことを「書かない」ことで成り立っているのだ、ということがよくわかる相違点かとおもいます。
んー そんなところですかねぇ。
(↑↑ たぶん鎌倉文学館から江ノ電の駅に向かう途中撮ってしまったのだとおもいます。
コロナ以前は異国のお姉さんとか 当たりまえに見かけましたが)
(これも同日 横浜で撮ったんでしょう)
さいごに――
「青い花」 完璧な……完璧すぎるほどの作品だとおもうのですが、
杉本四姉妹、というのが好きになれない。
作者はたぶん好きなんだろうな、とおもうのですが。
ただ、わたくし 個人的に 親戚にブルジョワ美人四姉妹がいて、
非常にイヤな連中なので、
どうも杉本四姉妹も好きになれない……の、かもしれない。
んー、どうですか? 「青い花」愛読者のみなさん。
杉本四姉妹、あれは一体なんなんですかね?