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戦前(1928)の銀座を復元する。その5 銀座一丁目・銀座二丁目(東側)

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アサヒグラフ昭和3年(1928)5月9日號掲載の 銀座通りのパノラマ写真から、

戦前の銀座の街並みを見て行きましょう、という記事ですが……

 

はじめはちと脱線しまして――

前年の年末 昭和2年(1927)12月14日號の表紙。

当時ののんびりした銀座の様子がわかります。

 

おそらく……銀座七丁目・西側の亀屋なのではなかろうか?

(違ってたらすみません)

亀屋は……(当時の表記だと「龜屋」だろう)

 

七丁目角に大きな店、扱うのは洋酒。「マッサン」(NHK朝のドラマ)のモデルとなった鳥居信治郎や竹鶴政孝が国産ウイスキー製造を模索している時代である。店の名は「亀屋」、洋酒の輸入販売という時代の先端をいく店だが、図に記される主人の名は鶴五郎。寿ぎのツルカメ、千年万年の繁栄を願ったのだろう。洋酒だけでなく、缶詰類、乳製品、香辛料がぎっしり陳列されていたという。

(草思社「銀座歴史散歩地図 明治・大正・昭和」50ページより)

とのことです。

店先に積んであるのは洋酒の樽? でしょうか??

 

この竜宮城みたいなイメージがおもしろい、となって

表紙に採用されたのかな?

 

などとおもうのですが、わたくし的に気になるのは……

赤丸で囲んだ浦島太郎が……↓↓

 

妙になよなよしているんですよね↓↓

手足がやけに華奢。

というか、あんた女の子??

だよね。

 

そう考えると、ギョロっとした目の亀と一緒のところは

やけにセクシャルな……はっきりいってエロい絵におもえてきます。

 

あ。

あと気づいたのは釣竿のパーツで、この絵は屋根から支えられているのかな?

頭いいな。釣り糸は電源コードかい?

夜はピカピカ ネオンで光ったりして(笑)

 

もうひとつ。アサヒグラフの表紙です。

今度は昭和3年(1928)の年末。

クリスマス號、というんですが……これも銀座の年末の様子です。

 

シロート目にも、前列三人の女性は合成っぽいな、とわかるんですが、

それでも「東側」の賑わい……人通りの多さはわかります。

 

なんでこんな安っぽい合成なんかやらかしたのかな?

この年代のアサヒグラフ、かなり目を通していますが、

普段はあんまりこういうことはやりません。

写っちゃいけないものでも写りこんでいたのか(笑)

 

舞台は……トマス・ピンコのブログをご覧のアナタはすぐおわかりでしょう。

銀座三丁目・銀座四丁目の東側です。

 

奥に見えるデカいゴージャスなビルヂングは松屋百貨店になります。

 

金太郎オモチャ店の右隣がなんだったかが謎だったのですが、

この写真で一発でわかりました。

「ゑり久」です。

半襟のお店らしいです。

(半襟がイマイチどういうものかわかってないが)

 

69→ゑり久

70→金太郎オモチャ店

となります。

 

また、蛇の絵が描いてありますが、

昭和3年(1928)→辰年

昭和4年(1929)→巳年

となります。来年の干支が描いてあるわけです。

 

□□□□□□□□

もとい、前回からの続きです。

 

写真⑯銀座二丁目

 

番号をふります。

 

88……〇服部時計店

 

言わずと知れたビッグネーム。

写真からはっきり店名が読み取れます。

店の真ん前に駐車している自動車もなんだか偉そうです。

 

写真だとかなり立派な建物にみえますが

草思社の「銀座歴史散歩地図」によれば

「四丁目の服部時計店を建て替えるために大正九年に竣工移転した仮営業所」(44ページ)

ということらしいです。

震災(大正十二年のこと)の影響はなかったのか、焼失してまた建て替えのか?

そのあたりはよくわからない。

 

服部時計店が

尾張町交叉点の例の場所に壮麗な渡辺仁建築を造るにあたって

天ぷら屋の「天金」といろいろゴタゴタがあったらしい、というのは

池田弥三郎先生の「銀座十二章」に詳しいです。

(池田先生は天金の次男坊)

(だが、とくに恨みがましいような筆致ではない)

 

朝日文庫版の「銀座十二章」では、あとがきに服部側の言い分も掲載されてはいますが、

読んだ限りでは、かなりあこぎな手も使って

尾張町交叉点にあの有名な時計塔を建造したような印象があります。

まあ、成功する人、会社ってのはそういうものですね。

 

89……〇石丸商店(毛織物)

90……〇安田松慶商店(仏具)

89 90は写真からは店名が読み取れませんが、

「銀座細見」の記述から確定です。

 

安田松慶商店ですが、調べてみると

銀座七丁目に移転して現役のお店らしいです。

(安田松慶堂 銀座本店)

すみません。存じ上げなかったが銀座のビッグネームらしいです。

 

写真⑰銀座一丁目

 

番号を振ります。

銀座八丁目(出雲町金六町)から順にみてきて、ようやく一丁目にたどり着きました。

 

91……〇旭屋花店

写真から店名が読み取れます。

 

92……〇大新(金ぷら)

金ぷらとは何ぞや?

とおもうわけですが、「銀座歴史散歩地図」によりますと、

 

越後屋から京橋の方へ少しもどると、天ぷらの「大新」。明治末期から大正期にかけて、天ぷらが流行した。当時、銀座の天ぷら屋はどこも繁盛していた。木挽町の歌舞伎座前「天國」、四丁目服部時計店裏に「天金」。芝口(新橋)に「橋善」、一丁目に「大新」。黒板塀の大新は、金ぷらが有名で、名前の由来はごま油の代わりに椿油で揚げるとか、衣に卵黄を入れた「黄味ぷら」がなまったとか、諸説あったらしい。

(同書44ページより)

 

とのことです。

「天金」に関しては、服部時計店のところでちょいと言及しました。

味に関しては・・・

 

 一丁目の大新は、天國が今の場所へ出るまでは、表通り唯一の天麩羅屋だった。表通りに面した日本風小座敷などちょっと風格がないでもないが、まあ天麩羅として大した特色があるとは思えない。普通の家である。

(中公文庫、安藤更生著「銀座細見」192ページより)

 

というんですが、安藤先生は辛口なのでね。

ちなみにこの写真の当時は(1928年)、天國は表通りにはまだありません。

銀座八丁目の角地には

「その1」でみたように「銀座オクション」なるあやしげな店があります。

 

93……〇伊藤書画道具店

「銀座細見」の記述から決定です。

 

94……〇吾妻屋洋品店

写真から「AZUM」と読み取れます。

AZUMAYA と書いてあるんでしょう。

 

95……〇陶雅堂陶器店

五角形型の変わったファサードがお茶目。

 

96……〇アスター(支那料理アスター)

 

アスターはあの「銀座アスター」。老舗ですな。

ネットで調べると

「昭和元年(1926年)創業の中国料理店」

と決まり文句のように書いてあるのですが……

昭和元年ってのはご存知の通り 7日間しかないわけで……

(1926年12月25日~12月31日)

 

その年末のあわただしい中創業したのか?

大正15年の誤りなのか?

ちょっとよくわからない。

公式HPに質問のメールでも送ってみるか。

 

97……〇伊勢伊時計店

服部時計店同様、偉そうな自動車が駐車しています。

95,96,97と「銀座細見」の記述から決定です。

 

写真⑱銀座一丁目

 

番号をふります。

非常にごちゃごちゃしてます。

今までみた中では随一の混み具合です。

 

98……〇金田眼鏡店

99……〇益川絵葉書店

100……〇佐々木商店(つやふきん)・ポンピアン(たばこ)

 

98.99,100 「銀座細見」の記述から決定。

というか、つやふきんの佐々木商店は現存ですな。場所はまったく変わってない、のかな?

 

 つやぶきんの佐々木商店は、ポンピアンの名で知られている。煙草屋をも兼ねている。パイプはこの店が一番品が揃っているように思う。僕が常用しているメンションのパイプもここで買ったのだ。奥は玉突と喫茶店になっている。

(中公文庫、安藤更生著「銀座細見」219ページより)

 

101……〇ユニオンビール

写真からはっきり店名が読み取れます。

 

ユニオンビールというと思い出すのは 小津の「出来ごころ」(出來ごころ)

坂本武&大日方伝のプロレタリアートコンビの勤務先です。

川口のユニオンビール工場でロケしたみたいですが。

 

 

102……〇日本蓄音器支店

写真から「ニツポノホン」……ニッポノホンと読み取れますので決定。

ニッポノホン・ワシ印レコードというのが、日本蓄音器のレコードのブランド名。

「銀座歴史散歩地図」によると、銀座一丁目は蓄音器激戦区であった模様です。

 

 一丁目の東側には日本蓄音器(鷲印)があったが、反対側に「日東蓄音器(ツバメ印)」が営業している。鷲とツバメが向かい合う――大正から昭和元年頃まで、外国資本であるこれら二つのレコード会社がしのぎを削っていた。

(草思社「銀座歴史散歩地図」62ページより)

 

「日畜」銀座支店の店内の様子↓↓

アサヒグラフ1928年1月25日號の裏表紙の広告で、なんとなく雰囲気はわかります。

 

↓↓試聴室は 壁にベートーヴェンの肖像画、和装の女店員さんが目の前にいて――

という、なんかうらやましいような、でも緊張しそうなシチュエーションである。

 

んだが、当時の蓄音器店の雰囲気が一番わかりやすいのは

小津の「非常線の女」(1933)でしょう。

 

これはビクター系列という設定のようだが。

ロケ?

セット?

店員さんはもちろん水久保澄子。

 

本題から外れますが……わたくし

最近、蓄音器についてネットで調べまして……

 

それではじめて

「あれは電気を使っていない」

ということを知りました。つい最近。

 

電気的に音を増幅させているのだろう、と勝手におもってましたが、

そういう理屈ではないのですね。

 

そういやスピルバーグの「プライベート・ライアン」でも蓄音器出てきたな。

たしか、エディット・ピアフを流していた。

あれはどうみても電源があるような場所ではなかったな、そういえば。

 

もとい、

アサヒグラフの広告といい、「非常線の女」といい、

キレイな女店員が待ってますよ、というイメージで売っていたのだろう。おそらく。

 

103……〇越後つづれ織物店(つづれ屋)

104……〇石井時計店

105……△田辺ラジオ

 

105だけ、よくわかりません。

RADIO  ラヂオという文字が読み取れますので、

「田辺ラジオ(ラヂオ?)」でほぼ確定、だとおもいます。

 

106……〇カフエ・バッカス

キリンビールの大きな看板があって、

軒先に小さく「バッカス」の文字が見えますので確定。

 

 バッカス

 この店実に銀座エロの元祖である。ここにはもとエビスというカフエがあって、タイガアで後に有名になった陽子や、今三会堂の東洋軒にいるお千代なんぞがいた家だが、陽子たちが一斉に退店してしまったら間もなく潰れてしまった。その跡へ出来たのがバッカスである。

 断然細長いカフエだ。細長いのではこことファーストと二軒だが、この方が長い。方々で馘になったような女給ばかり集めて、エロを売りもので囃し(はやし)立てたら、たちまち営業停止一週間を喰ってしまった。そうしたらすぐに表へ営業停止につき休店します。休みが明けたら更始一新活躍しますという大きな掲示を出した。初版販売禁止。再販危く禁止を免るなどとよく本屋のやる手を利用したのだ。これには警察も明いた口が閉らなかったという。

 今は方々にエロ看板の家がたくさん出来たから、バッカスもちょっとも目立たなくなってしまった。

(中公文庫、安藤更生著「銀座細見」107-108ページより)

 

ということで、間口はずいぶん狭いが奥には長いのだ、とわかります。

「カフエ」という場所も、現代人の感覚だといまいちよくわからんのですが、

今でいうキャバクラみたいなものか? と解釈してます。

ただ「女給」さんは着物姿が多かったようです。

 

ただ……トマスはキャバクラなるものに行ったことがないので、

この記述は信用してはいけません。

 

107……〇銀座堂時計店

店名がはっきり読み取れます。

 

 

写真⑲銀座一丁目

いよいよ最後の写真となります。

 

左端は――京橋の親柱で現存しています。

なんでも 大正11年(1922)、関東大震災前に建造されたものだそうです。

 

番号をふります。

 

108……×不明

大きな建物で、よくわかりません。

ただ、「銀座細見」から推測するに、

「日本火災保険株式会社」「常盤火災海上保険」「常盤貯蓄銀行」

この三つの店舗というか会社? が入っていたようにおもえます。

 

同系列の企業でしょうかね?

 

109……〇桜田機械製造所直営京橋金物屋

 

110……〇東京美術館

111……〇玉木額縁店

112……〇池田園

 

この近辺に関して「銀座細見」を引用します。

 角は池田茶店。ここの看板は震災の時に焼け残ったので、それをそのまま用いている。端のところが焦げていて、当時の惨状を語り顔である。

 その隣は玉木額縁店。ここでむかし岸田劉生たちが第一回の草土社の展覧会を開いた。入場無料で開いたにもかかわらず一人の入場者もなかった。神原泰たちの未来派展覧会もここで開いたことがあると記憶している。伊藤大好堂は震災後出来た銀座通り唯一の骨董屋である。

(同書219ページより)

 

現在、銀座一丁目に「池田園ビル」があるみたいですが、

このお茶屋さんの子孫がオーナーでしょうかね。

 

さいごまでやれるかどうか?

あまり自分を信用していませんでしたが、

無事一丁目の角までたどり着きました。


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