「あんたはズケズケものを言いすぎる」
とか
「言い方がキツい」
とかいうことを、僕はたまに言われる。
各方面から言われる。
子どもの頃からそんな感じだったので
いつの間にかあんまり喋らない人間になった。
僕の家族は(僕をふくめ)テレビをみながら食事をする、という
悪習に染まっているのであるが、
そこでもやはり、僕は言わなくてもいいことをいって嫌われる。
大河ドラマを見れば
「直江兼続?…ああ、上杉景勝のボーイフレンドですね?」
「家光という人は、男にしか興味がなかったから」
「西郷どんと大久保利通のケンカの原因は、村田新八との三角関係」
などということを言い始めるし、
映画を見れば、
「オードリー・ヘップバーン?…あ、『ローマの休日』だけの一発屋ですよ、あんなもの。日本人以外誰もおぼえてません」
「チャップリンはロリコン、クリント・イーストウッドもやっぱり深刻なロリコン、映画界にはホモかロリコンしかいない」
などと本当のことしかいわないので、嫌われて、
とうとう食事の時間は、僕だけ別の時間帯に移されることにあいなった。
先日も、ノーベル賞に関連してやっぱり嫌われた。
山中教授である。
いや、別に山中教授に対して悪い感情を持っているわけじゃ
全然ないのですが。
それでもやはり
「やあやあ、めでたいめでたい」
「山中教授はスマートだから」
「山中教授は二人の娘さんがいて」
「山中教授は本当は東京の大学へ行けたけど、奥さんとつき合っていて、離れたくなかったから阪大へいったのだろう」
「いやそれにしてもめでたいめでたい」
「日本人はやはりすごい」
…などというような会話を耳にするとやはり茶々をいれたくなるものがある。
ので、
「ノーベル賞受賞者は近親に精神病患者のいる確率が高い」
「なんといっても天才と狂人というのは紙一重なのだ」
「一見はなやかにみえる世界かもしれないが、裏側はどうかわからない」
ということをいってやったら、
やはり嫌われた。
偉大な業績を収めた人物が分裂病であることは稀である。もっとも、一九九四年のノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュは例外だ。哲学者ウイトゲンシュタインも分裂病だった可能性があり、ニュートンやカントも人生のある時期において、容易に分裂病と診断をくだすことができたかもしれない。最近のノーベル賞受賞者の一人、専門外でも有名な人物だが、彼も分裂病である。
…(中略)…つまり、芸術、科学、音楽、実業、政治におけるきわめて創造的な業績がしばしば、分裂病の遺伝子の一部をうけついだ人々によって成し遂げられてきたのである。最近の例をみても、ノーベル医学生理学賞受賞者のうち少なくとも三人は分裂病の子供をもっている。
(デイヴィッド・ホロビン著・新潮社「天才と分裂病の進化論」20ページより)
分裂病あるいは分裂病型人格の患者のリストはきわめて長い。有名な名前を少数あげるだけでその内容が推測できるだろう。音楽家ではドニゼッティ、シューマン、ベートーベン、ベルリオーズ、シューベルト、ワグナー。作家ではボードレール、ストリンドベリ、スウィフト、シェリー、ヘルダーリン、コント、ポー、ジョイス、ゴーゴリ、ハイネ、テニソン、カフカ、プルースト、ハクスレイ。哲学者では、カント、ウイトゲンシュタイン、パスカル。科学者、発明家では、アインシュタイン、ニュートン、ファラデイ、コペルニクス、リンネ、アンペール、エジソン、メンデルダーウィン。人類に対してもっとも高度な貢献をしたにもかかわらず分裂病型人格を発現した人々のごく一部である。名前をあげればきりがない。
(同書182-183ページより)
くりかえしいうが、山中教授に悪感情を持っているわけではなんらない。
それから山中教授がそういう家系の出身だとかそんなこと知らないし。
ではようするになにがいいたいのかというと、
村上春樹センセイにはさっさと賞をとっていただきたい、ということです。
でないと、僕の番がくるのが遅れてしまうので。