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「戸田家の兄妹」(1941)感想 その2

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感想 その2です。


これまでの作品では

「衣」「食」「住」それぞれのテーマで感想を書いていきましたが、

「戸田家の兄妹」ではそれが不可能な理由。


それは その1 で書いたように、

「衣」「食」「住」テーマを

同シーンに複雑かつ効果的に放り込んでいるからで……



⑦鵠沼の別荘


も、もちろん同様です。

というか、このシーンでは「衣」「食」「住」全部放り込みます。

欲張りな小津安っさんです。



母、妹は

長男夫婦の家、長女の家、を渡り歩くんですが、

いろいろうまくいきませんで

(おもしろいシーンが多数ありますが、きりがないので省略します)

けっきょく東京をはなれ、鵠沼の別荘で住むことになります。


↑↓は、長女(吉川満子)のお屋敷での一コマ。

母、妹、が移動するごとに

「九官鳥」「オモト」が移動するというのがさりげなく効いてます。


で、プチ都落ちしまして、鵠沼へ。

麹町(戸田家の本宅)→田園調布(長男)→赤坂(長女)→千駄ヶ谷(次女)はパスして→鵠沼(別荘)。というルートです。


その他、桑野通子、高峰三枝子のランチシーンは銀座。

あと、日比谷公園、上野、とか地名がいろいろ出てくる映画です。

佐分利信が口にする地名も大阪、和歌山、京都、天津、といった具合。

考えてみると、こんなに地名が出てくる映画というのは

これまで作ったことがなかったのではあるまいか??


ここらへん中国大陸の地図と毎日にらめっこしていた

小津安二郎軍曹の体験の反映なのか??

それとも

「トーキー」のせいでしょうかね。

「サイレント」で地名を出すと、なんかごちゃごちゃする。

もとい、

観客が驚くのは

「住むに堪えない」とかいわれていた鵠沼の別荘が

あんがい立派なことです。


「住」テーマの登場。



なんですが、

飯田蝶子(女中きよ)は「衣」テーマを語り始めます。


わたしがお屋敷にご奉公して最初の仕事は節子さま(妹)の産着を縫ったことだ。それが、今ではこんなに大きくなって。

という具合です。


住む場所が変わり、

着る物が変わる。


小津安っさんのやり方は常に唯物論です。


ああ、そうそう、婆さんたちの縫い物シーンの前は

洋服を着た節子さまが洗濯ものを干しているシーンだったっけ。


観客の心理としては

「あ。三枝子たん洋服きてる」(衣)

「洗濯物干してる」(衣)

「なんだここは。鵠沼?」(住)

「案外りっぱ。はぁぁー金持ちってやつは……」(住)

という具合。


三枝子たん登場。

「ねえ、お母さまなんかありません?」


「食」テーマを放り込んできます。

おなかすいちゃったわ。

ほら、時子さんからいただいた懐中しるこがあったじゃない。


労働をすれば腹がへる。

唯物論者小津安二郎。




あーていうか、ごめんなさい。

豊満なバストに目が……


どうしても……

高峰三枝子だもん、ねえ……



「衣」「食」「住」すべてを放り込み

地名を放り込み

そしておっぱい要素も放り込む、という…


小津安二郎―おっぱい、というと、

原節ちゃんの白ブラウス姿を思い出しますが、

戦前からこんなことやっておったわけです。

あの、わたくし大真面目ですが。


――んだが、観客(男性)がおっぱいに見惚れている間に(?)

小津安っさんはものすごい離れ業をやってのけます。




「ねえ、お母さま、あてっこしましょうか。今度時子さんがいらっしゃるとき、着物か、お洋服か」

「さあねえ」

「どっち」

「お洋服かしら」

「ううん、きっと着物よ」



大スタア桑野通子が次のシーン、一体どのようなファッションで登場するか?

観客の欲望を、先回りして語ってしまいます。

これほど大胆な「衣」テーマの提示というのは…

ちょっと想像がつかない。


なんと邪悪なヤツ、オヅヤスジロウ。

「お前らがなにを欲しがっているか。俺には全部お見通しだぜ」

といわんばかりです。


んだが、小津安っさんの異常天才ぶりはこれに止まらない……



母子の会話は、父の一周忌のはなしに移りますが。


「ねえ、お母さま。昌兄さま、いらっしゃらないのかしら、一周忌」

といいながら、

糸をぽんぽん手のひらの上でほうりなげるんですが……


ボイン、ボイン、と糸が上下するんですが……↓↓


安っさん、オメー……




どうみても三枝子たんのバストの運動を模倣してるぅぅぅ!!……

ボインボイン。


んーというか、「淑女と髯」の伊達里子。「出来ごころ」の伏見信子でみたように、

手をゴニョゴニョする運動は、小津作品において「恋」なのですが、

このボインボインはその究極の発展形と申せましょう。


そして、案の定、愛しの昌兄さまのことを語らせるという……

そういや「妹萌え映画だったっけ」と我々は思い出すのであります。


こうなると、どう考えても佐分利信は法事にあらわれるわけで。




⑧一周忌。


佐分利信は遅れてお寺の法事に駆けつけます。


佐分利信は……

・冒頭、記念撮影に遅れ……

・父親の臨終に遅れ……

・一周忌の席に遅れ……


常に「遅れてくる男」として描かれます。

そして妹・高峰三枝子に「はやくはやく」とせっつかれる、という。


どうみても「遅れてくる男―小津安二郎」のパロディです。

・トーキーへの移行が遅れ……

・戦争から帰ってきたが、次回作の撮影に遅れ……

(「お茶漬けの味」が検閲にひっかかったとか色々あったにしろ、けっこうのんびりしてた。戦地帰りだからムリもないが)

・婚期に遅れ……

(けっきょく遅れたまんま死んでしまった)


さらに「安二郎」―「昌二郎」という……

なんでしょうね、このヤリすぎ感は。

ついでにいっておくと「麦秋」、原節ちゃん(紀子)の

戦死した兄の名は「省二」……



↑料亭のお座敷。佐分利信は右端。

おねえさん達のかげになって写りません。



↑ここも斎藤達雄にピントが合って、奥の佐分利信はボヤけてる。


ま。ご覧になってわかりますように、中心は「食」テーマ。




ちょっと家族で話があるから、と料亭のおねえさんたちを下がらせる。

ここではじめて佐分利信が鮮明に画面に登場。


今まで写らなかった男が、ここで場面の中心になります。

なんていうんですか?この服は?

ひとりだけドレスコードからちょっとはずれているあたりも効果的。

「衣」テーマ、とみてよいでしょう。


佐分利信は兄、姉、妹を責めます。


「実は帰ってみて驚いたんたが、お母さんと節子があんなところへやられてるなんて、これだけ立派な兄弟がそろっているんだから、僕はお母さんには何不自由なく暮らしてもらっていると思ってたんだ」

「それは昌さん。いろんな事情があったのよ」

「どんな事情です?」

「そんなこといったって。あんたこっちにいないんですもの」


ふたたび空間論です。「住」です。


そして戦後カットされちゃったらしいのですが、

次女の夫、次女をぶん殴ります。↓↓



↓次女夫婦、退場。


↓長男夫婦退場。



↓長女退場。


この料亭シーンのすさまじさは……


「衣」「食」「住」がすべて目に見える形で提示されている点です。


もちろん「食」が家族と結びついている点はいうまでもありません。


△……

佐分利信はおなじみの三角形を形作ります。

あのパッキングシーンを我々は思い出します。



⑨ラスト


は……、母、妹、そして女中きよが

佐分利信にくっついて天津へ行く決意をする、というのですが、


そんなあらすじはどうでもよろしい。

ここで描かれるのは一種の数学です。幾何学の問題です。


料亭シーンで完成した「妹萌え」三角形が崩れる様が描かれるわけです。

と、いうのは、時子さん、桑野通子のせいです。


桑野通子登場。


↓そして母 妹と座る。


「△」を形作ってしまいます。


おもったのですが、

「一人息子」の日守新一は夜学の教室で

円に内接した三角形の問題を出し、


「父ありき」の笠智衆もやっぱり

円に内接した三角形の問題を出す……



↓「一人息子」(1936)です。


↓こっちが「父ありき」(1942)


○と△の組み合わせになぜか小津安っさんは凝るんです。

さらにいうと「一人息子」ではこの黒板の前のシーンが「赤ちゃん」だったりする。日守新一と坪内美子の赤ちゃん。

○=赤ちゃん??


考えすぎ??

「父ありき」では生徒の「死」が語られますし……

生と死??



まあいいや。

お着物の桑野通子が侵入してきて


「妹萌え」△を破壊し、佐分利信はさて、どうするか?


もちろん、誰もが期待するのは、

世間様の期待、というのは……


「妹萌え」△を終わらせ、

「健全な夫婦」□を作ることです。

母、妹、オレ、嫁、の四角形の形成です。


えー、桑野通子のお手手にご注目。

くりかえしになりますが、手をごにょごにょは「恋」です。



お兄さま、時子さんがいらっしゃったわよ~


と、自分の分身と兄を結び付けたい妹は
兄を呼びに来ますが、


また、安っさんは……

驚天動地のテクニックを……



なんと……


カメラが移動する……


小津映画においてこれほど驚天動地な出来事は…

あんまり……ない……



高峰三枝子たんが兄を探し回るのですが……


そんなことはどうでもよろしい。

カメラが動いているのだから。


カメラが後ずさっているのだから。


カメラは後ずさる。


カメラは逃げる。


そう。そして佐分利信も逃げる。


彼はまだ△の世界に居続けたいのでした。


□の世界にはまだ飛びこめないのでした。


ここで

銀座のカフェのシーンをもう一度思い出してみたいところ。

勤めに出たいという節子を

それとなく時子が止めるという会話。


時子「その元気ある? ずいぶんいることよ、勇気が」

節子「あるのよ。勇気は」

時子「とびこめる?」

節子「ええ」


うーん……

見れば見るほど奥深い作品です。





「戸田家の兄妹」(1941)感想 その3

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しつこく感想その3


今回は 数字の「3」

が、いかに「戸田家の兄妹」をコントロールしているかみていこうとおもいます。


映画と数字。

というとまず思い出すのはヒッチコックだったりする。


THE 39STEPS なるタイトルの作品があり。


「裏窓」のグレース・ケリーが口にするのは……



「21」なる数字。

レストランの名前らしいですが。


「ブレードランナー」のオープニングはおなじみ「4」と「2」


ヌードル屋さんのおっさんが

「2つで充分ですよ!」
と叫びます。


「2」はデッカードが殺すことになるレプリカントの数をあらわし。

デッカード自身とレイチェル……2人のレプリカントもあらわしている。

……のか??


となると、前回見たように

「妹萌え」△

――徹底して三角形の問題を扱っていた「戸田家の兄妹」

数字はもちろん「3」です。


小津安っさんは恥ずかしがっているのか??

単に性格が悪いだけか??

はっきりそうはいいませんが……


冒頭のシーンが高峰三枝子・三宅邦子・坪内美子

の美女「3」人のシーンだというのは紹介しました。


つづいて…戸田家の家長(藤野秀夫)とその孫(葉山正雄)の会話があるのですが……


孫は…


My younger sister is 3 years younger than me.


を「わたしの妹は『3つ』でわたしより若い」と

テストで間違えてしまったと祖父さんに語ります。


これはそもそも英語としてこなれていないな

とか、これは「小津安二郎全日記」に

小津自身が電車内で聞いた会話として出てくるぞ、とか


そういうことはどうでもよく、大事なのは「3」です。


つづいて高峰三枝子たんが愛しの昌兄さま(佐分利信)を呼びに行くシーン。

あの壮絶なお着替えシーンの直前ですが……


戸田家の家紋がちらっと写る。

なんですか?? なんていうの?

六角形が「3」つ重なっているやつ。↓↓


記念撮影して家族でおでかけ。

(あー大事なこと書いてませんでしたが、お母さまの還暦のお祝いなのです)


で、帰ってきますが、お父さまが急に倒れます。


↑倒れる直前のシーン。


藤野秀夫、葛城文子、高峰三枝子の「3」人。


これが父母「2」人になった途端、親父が倒れます。


あたかも「3」が祝福された数字で

「2」が呪われているかのように……


で、三枝子たんが兄弟に電話しますが……

背後には例の六角形「3つ」の家紋。

しかもご丁寧に「3つ」並んで!!……↓↓



「3」のしつこい繰り返しは……


お葬式に遅れてきた佐分利信を

喪服姿の高峰三枝子がむかえる、とんでもなく美しいショットでも繰り返され、


で、お兄さまと「2」人になった途端、

感情をバーストさせる妹。


「2」人になった途端、父が死に、

「2」人になった途端、妹は泣く。


はい。母に挨拶しに行く佐分利信。

あくまで「3」の繰り返し↓↓


急須も「3」つ並んでいないかい???



で、↓この映画ではなんだか珍しい組み合わせなんだけど。

坪内美子・佐分利信・吉川満子。


お葬式ってこういう事あるよね~

普段合わない人が一緒になってさ~


とおもうよりも「3」人ということに注目してほしい。




これ以降も「3」の連続があくまで続くというのは、

感想その1でみました。


佐分利信が笠智衆たちと食事をするシーン。「3」人

天津へ転勤する佐分利信のパッキングシーン。「3」人

(ここでも「2」人になった途端、妹が泣きだす)


そしてあちこちをたらいまわしにされる母・妹・女中きよ

「3」人↓↓


そして「感想その2」でみたように

「妹萌え」△が、

高峰三枝子、桑野通子、葛城文子、の△で置き換わってしまうことで、

佐分利信は弾き飛ばされるというラスト。


これだって、「まだまだ妹萌えしていたい!」という感情から読み解くよりも、

「あくまで3という法則を保持しつづけたい」という

映画の法則からの要請のような気もします。


万有引力同様にパワフルな「3」の法則に佐分利信は弾き飛ばされたのかもしれません。


あ。

あと大事なこと忘れてた。

ヒロインを演じる女優。


高峰三枝子……


「3」枝子、なる名前。


やばいっす、小津安二郎。

というか、この暗号に僕以前に気づいた人はいるのでしょうか??



「父ありき」(1942)感想 その1

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ご存知のように、小津安っさんの作品歴には

妙なジグザグ運動があります。


超絶傑作を撮ったかとおもうと、

なんかつまらない作品が続く。

そのあとまた超絶傑作。

それからつまらない。

のくりかえし。くりかえし。


具体的にいっちゃえば

◎「晩春」

×「宗方姉妹」

◎「麦秋」

×「お茶漬けの味」

◎「東京物語」

×「早春」

という具合。


人間だれだって調子の良し悪しはあるさ、ということなんでしょうけど。

小津信者の僕はそうはみたくない。

この◎→×のリズムさえも、安っさん意識的にやってた、とみたいところ。


「意識的に」

の例としては、

◎「非常線の女」―×「東京の女」

◎「浮草物語」―×「東京の宿」


このペアが非常に分かりやすい。

安っさんはひとつの様式を完成させると必ずそれを壊したがる。


暗黒街物の傑作「非常線の女」

その撮影中にいそぎもので頼まれて、

けっか「非常線」より先にできちゃった「東京の女」ですが、

これはようするに

田中絹代の悪い女と水久保澄子の良い女、この二人を合体させて

岡田嘉子を作る、という様式上の実験です。


あるいは「東京の宿」、

衣がない、食がない、住がない、というルンペンプロレタリアートの話ですが、

これは「浮草物語」で完成した「衣」「食」「住」の様式を

全部「0」にしたらどうなのか? というこれまた実験作です。


シナリオが悪いとか、役者が悪いとか、安っさん自身乗り気でなかった、とか、

ではなく、

「傑作」のあとはかならず「実験」をやりたがるのが

小津安二郎の作品歴からみてとれる「癖」なわけです。


となると、「△」「3」の傑作、高峰三枝子(3枝子)主演「戸田家の兄妹」を

小津安っさんはどう壊していくのか?

というのが「父ありき」のテーマと言ってよいでしょう。


えー……

これがすさまじい。


主役の名前は誰です?

佐野周二。


うん。佐野周「2」


先に結論をいっちゃえば「父ありき」は「2」をめぐる映画なのです……


□□□□□□□□


オープニングは「2」人。


……です。

笠智衆と津田晴彦の親子の朝の光景。


お母さんはいないんだな、と観客はおもいます。「2」です。




そして出発直前の会話……

お父さんは学校の先生っぽいな、と観客はおもうんですが、


父「円の面積は?」

子「半径の二乗に3.14をかける」

父「円すい形の体積は?」

子「半径の二乗に3.14をかけて高さをかける」

父「…(沈黙)…」

子「それを3で割る」

父「よろしい」


はい。

ポイントはここです。


父「…(沈黙)…」

子「それを3で割る」

父「よろしい」


シナリオ上。

わざわざ「円すい」である必要はどこにもない。

「円柱」でもいいでしょうし、

あるいは直角三角形やら台形の面積やらでもよかったはず。

でも「円すい形」でなくてはならなかった。

それは「3で割る」必要があったからです。


通勤・通学する「2」人。↓↓



おそろしい……


「3で割る」んです。

これが「父ありき」全編をつらぬくテーマであることがだんだんわかってきます。


「3」の映画はもう終わりですよ。

「3」の映画は壊しますよ。

という安っさん流の宣言です。


そして「父」「母」「子」ではない、ということでもあります。

「母」はいませんので。


あくまで「2」


続きまして、

学校の風景。やっぱり笠智衆は学校教師だということがわかる。


黒板にあるのは「戸田家」感想その2 で紹介しました、

○と△の問題。

円に内接する「3」角形の問題です。



ここらでわかってくるのは……


この映画は「3」になりたい「2」の物語なんじゃあるまいか?

ということ。

「3」に憧れる「2」


もちろん「父」「母」「子」に憧れる「父」「子」の物語、でもあります。


以下、箱根への修学旅行のシーンですが……


なぜ?

富士山??↓↓


絵葉書みたいなショットを絶対にやらないはずの男が

あまりといえばあまりの「マウント・フジ」を撮ってしまっている、


戦時下の故か??


とかおもうのですが、これも「△」「3」のイメージだと分かれば納得。



はい。また「3」です。↓↓



この修学旅行で、生徒の一人がボートで転覆し、溺死。

笠智衆は責任を取って教師を辞めることになります。



②上田へ


そして笠智衆は息子を連れて故郷の上田へ帰ります。

(いままでは金沢にいたようです)


にしても息子役の津田晴彦君。

子ども時代の小津安っさんに妙に似ている。


↓「食」テーマです。

おいしそうです。


「2」です。食事中の会話ではじめて

「お母さんのお墓」というコトバが出て来て、


お母さんが亡くなっていることを観客は知ります。

それだけにいっそう「3」でなく「2」が切ないです。




↓凄まじい構図。


城跡にのぼって笠智衆は

「お父さんはこの町に住んでみようとおもうんだ」といいますが、


安っさんは

あくまで「2」を強調したいようです。




笠智衆は知り合いの坊さんのお寺にしばらく厄介になります。


坊さんは西村青児。

「生れてはみたけれど」の先生、とか戦前小津作品の常連です。


んー□がたくさんでてくるなー↓↓

□□□………


□……「4」……

一体なんでしょうね?


二人の会話は……

・笠智衆は役場に勤めている。今日は出生届をたくさん受け取った。ずいぶん子供が生まれる。

・息子が「殺生が好きで困る」(釣りのこと)

・和尚さんがいうには「いやあ、子供は殺生が好きなくらいの方がええ」


「4」は生・死に関係があるのかもしれません。


そうそう「殺生」ということでいえば

「戸田家の兄妹」の佐分利信。

親父の臨終に駆けつけられなかった理由は関西に釣りをしに出かけたからで、

お葬式の席で姉の吉川満子に

「いやあね、こんなときに殺生なんて」といわれます。

ま、わき道にそれました。


あ、ついでにいっておくと□はスクリーンの形でもあります。




釣りシーン。


「父ありき」といえば、これ。というシーン。↓↓


「2」……なんですが、

川、水流=「母」とみると、

「3」


これほどの美しさはやはり、

「3」になりつつある「2」が描かれているからか?


深読みではない理由としては、

川、水流イメージが何度も繰り返されること、

としかいいようがないですが。




↑だが、残酷なことに、

笠智衆は息子に、中学では寄宿舎に入らないといけない、といいます。


「2」が「1」に……

「3」で割る、です。


③父子の別れ。

寄宿舎に慣れた息子ですが、

あるとき父が尋ねて来て……

お父さんは東京へ出て勤めようとおもう、といいます。


例によって、大事な場面では衣食住全てを放り込む安っさんです。

「衣」……息子の替えの服を持ってきた。

「食」……画面上おわかりのとおり食事してます。

「住」……父は東京に暮らすことになる。


息子は常に「2」を指向しているのですが、

父は「たまに2になればいいじゃないか」とおもっているようです。


④東京


小津作品おなじみの円運動がありまして、


白髪交じりで年をとった笠智衆が

東京のビル内のオフィスで働いている様が描かれます。


戦後作品の佐分利信、中村伸郎、など重役連は個室を持っていましたが、

「父ありき」の笠智衆は個室を持っていませんので、

それほど出世したわけじゃなさそうです。


あるとき、金沢の教師時代の同僚、平田先生(坂本武)に会いまして、

で、お宅訪問。


坂本武の娘は、水戸光子。

男臭い映画にようやく若い女性が登場。


「3」人、にガキが1人(坂本武の長男)加わりまして、「4」人という場面。


ガキは「ニュースを見にいく」と言ってすぐ出かけますので

また「3」人。


やっぱりこの家庭も「母」がいないようです。


んー……で、ようやく佐野周二。

佐野周「2」の登場ということで、


その2へ。

「父ありき」(1942)感想 その2

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その2です。


さすがに1942年の映画ですんで、

息子・佐野周二はグレたりせず順調に育ちます。

東北の帝大を出て、秋田の工業高校に勤めているとのこと。


で、

⑤父子の再会


温泉旅行に一緒に行ったようです。

釣りといい温泉といい、しきりに「水」イメージがあらわれます。


温泉につかりながら、

「まだお母さんのいた時分…お前はまだ生まれてなかったかな」

などというセリフがありまして……


川、水流=「母」をどうしても考えたくなります。


釣りシーンも温泉シーンも

「2」+死者=「3」です。



…なんですが、親子の語らいの時間に、

「2」と「3」の相克が表面化します。


息子は

・「2」+死者=「3」を指向しますが、

父は

・「1」+「1」=「2」を指向します。


あいかわらず、たまに会えばいいじゃないか?

…です。


とか数字書いてばかりいてなんのことだかわかりませんので、

具体的に佐野周二のセリフを追っていきます。


「僕はもうお父さんとわかれて暮らすのがとてもたまらなくなったんです」

「この際、東京へ出て、お父さんのそばで仕事をみつけたいとおもってるんですが、ねえ、お父さん、どうでしょう」



…なのですが、父はこの考えを否定します。


仕事を途中で投げ棄てることはよくない。うんぬん、かんぬん。



息子は(あんがい)素直に納得します。


「父ありき」=「2」の映画である、という法則を知っているかのようです。



で、旅の終わりの親子の会話。


佐野周二がふところから紙包みを出して、

お父さん、おこづかいをあげましょう。といいます。

笠智衆はよろこんで、

「仏壇におそなえして、お母さんにおみせしよう」

といいます。


「母」の登場。


つづいて佐野周二のセリフ。

「ねえ、お父さん、ゆうべはすみませんでした」

「どうもわがままいいまして」


ふーん……



このパターン……

なんか聞き覚えが……

とおもったあなたは正解です。


「晩春」(1949)の原節ちゃんそっくりです。


原節ちゃんもやっぱり「2」+死者=「3」にこだわります。



「あたし、このままお父さんといたいの」


(う、うつくしすぎる……)



ですが、笠智衆は7年後の「晩春」でも「3」嫌いらしく……

原節子を拒絶します。


それまで「晩春」では話題に上らなかった「母」が登場するのはこの瞬間です。

あとあんまり説得力ない説得も「父ありき」に似てます。




なんですが、(それだからこそ?)

原節ちゃんは佐野周二同様、あっさり納得します。


さすが原節子、小津作品の数学をよくわかっているようです。

「わがままいってすみませんでした」


ついでだから原節子の花嫁姿を見ていきたいような気もしますが……

「父ありき」に戻ります。


⑥徴兵検査


ここらへんの感覚は、現代人にはさっぱりわかりませんが、

男のイニシエーション的なものであったようです。


ま、1942年だしね。

甲種合格。


「お母さんにご報告しなさい」と笠智衆がいいます。

すると

それまでワイシャツ一枚だった佐野周二が、きちんと正装をして

仏壇に向かいます。


「2」+死者=「3」です。




⑦3人の方は?


金沢時代の生徒が、笠智衆と坂本武をまねいて同窓会を開きます。


このシーンの凄みは……

例の「2」と「3」の葛藤を理解しないことにはわかりません。

見逃されがちなのですが、じつにものすごいシーンなのです。


はじめに坂本武が

「みなさん、奥さんをお持ちの方は手をあげて」

といいます。

すると場の全員が手をあげる。

「ひとりものはあなたとわたしだけですな」

と笠智衆と二人笑います。


つづいて坂本武、生徒の家庭の子供の数をきいていく

「1人の方は」……大勢挙手

「2人の方は」……挙手する人が少なくなる。


「3人の方は?」

ここで挙手する人がいなくなります。

「さすがにまだ3人の方はありませんな」

すると……

「先生!」「4人!」という叫び声が起る。


わたくし、最初みたときはこのシーン……

「ははぁ~ん、産めよ、増やせよ、か、やだね~」

「小津安っさんとはいえ、国策からは逃げられなかったか…」

などとため息をついたのですが……


違う。


「3人の方は?」で挙手がいなくなる。

「3」の否定なのです。「3」の破壊なのです。

おそるべし、小津安二郎。


⑧父の死。


佐野周二と水戸光子の縁談が進んでいます。

で、

「今日は帰りに平田先生(坂本武)をお連れするからおまえもなるべくはやく帰ってきなさい」


わくわく顔の佐野周二は口笛なんか吹いてしまいますが、

畳の上に寝転がっていると、


父の体調が突然悪化します。


「2」+死者=「3」だったものが

「2」+お嫁さん=「3」に変ろうとしていた、ちょうどその時です。


ホンモノの「3」に、

「戸田家の兄妹」同様の△に変化しようとしていたその時です。


あたかも「母」=「死者」がこの変化を認めなかったかのように……


父はなくなります。



けっきょく、佐野周二は
嫁(水戸光子)+骨壺と一緒に、

汽車で秋田へ帰ることになります。


「僕は子供のときからいつも親父といっしょに暮らすのを楽しみにしてきたんだ」

「それがとうとう一緒になれず、親父に死なれてしまって」

「でもよかったよ。たった一週間でも一緒に暮らせて。その一週間が今までで一番楽しい時だった」


「2」+死者(母)=「3」


が、


「2」+死者(父)=「3」に……



公開当時、「骨壺を網棚に置くとは何事か!」

というクレームがあったらしいですが……


そういう馬鹿者は、

「父ありき」=「2」+死者の映画だ、なんてこと

わかるわけもないわけで…………


さて、小津安っさんは「父ありき」のあと、

戦時下のシンガポールへ向かいます。



「長屋紳士録」(1947)感想

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小津安っさん、シンガポールからの帰還後第一作。


あらすじ。

かあやん(飯田蝶子)が孤児(青木放屁)をおしつけられる。

はじめは嫌がって、いじわるしたり、捨ててしまおうとしたりするんだが、

そのうち情がうつって、

「おばちゃんちの子になるかい?」

なんてラブラブになる。

のだが、その子の父親があらわれて、おはなしはおしまい。

まあ、どこかで聞いたことあるような話。


戦災孤児がたくさんいた時代の話、なわけだが……


どうしたって「天皇の人間宣言」というのを考えてしまいます。

たぶん誰もが考えることで、

読んだことはないが、

佐藤忠男あたりはゼッタイそんなこと書いてそうな気がする。


いわく

「父からはぐれた子どもは日本国民であり、父は天皇である」

「父は子供を捨てたとまわりから誤解されるが、さいごは子供の下に帰ってくる」

んー……


月並み。


なんかわたくし的にはこういう社会学的解釈というの

すごくいやなんだが、


「戸田家の兄妹」みたいに

『これは「3」「△」の映画である』とかエラそう書くのが好きなのだが……


でも……

どうしても……父=天皇、としか頭に思い浮かばない。


冒頭、河村黎吉がお芝居の声色をやっているすさまじいシーンから入るのだが、

……それで青木放屁と、笠智衆はギョッとするんだが、



「うしろから、だまし打ちにするようなこの身をくだかれような思いがして、よくせきの事とあきらめて……切れると承知してくんな、なあ死ぬより辛いことなんだ」

どうも泉鏡花「婦系図」のワンシーンらしいのだが、

ようは別れ話のシーンらしい。


「別れ」

……それと笠智衆が子供にまとわりつかれてしまったのが「九段」


というから、やっぱり

父=天皇 子=日本国民


としか考えられない。

う~ん、小津映画っぽくないなぁ……


安っさん、もっとかっこいい構造の作品を作ってくれよ。

数式で書けるような、さ。


ま、いいや、衣食住でみていきます。


①衣


衣が重要である点、なんか二十代の作品に似てます。

というか、「退化」??

かもしれませんね、これは??


ようは「敗戦」だの「孤児」だのというのを無視すると、


青木放屁が――ガキが

新しい「帽子」を手に入れる、という映画なのです。


「帽子」……といいますと。



「その夜の妻」の八雲恵美子たん

(かわいい~)


「浮草物語」では親子のかぶりもの交換

(「青春の夢いまいづこ」でもあった)



「東京の宿」 食うものも住むところもないのに買っちゃった帽子。


「戸田家の兄妹」のお葬式シーン。


等々……


小津安っさんの世界の中では

完全に主役級の服飾品であるわけですが、


とつぜん、どうしたわけか、

「帽子映画をつくろう」

などと安っさんは決心してしまったかのようです。


青木放屁は作品中大部分の時間を

↓↓この帽子で過ごすんですが……



「おばちゃんちの子になった」と同時に新しい帽子を買い与えられます。


これがサイズが大きいので、

記念撮影中、飯田蝶子が手で持っていないとずり落ちちゃう……↓↓



で、カシャッとシャッターが切られまして。


↓わたしのミスではありませんで、


上下ひっくり返って写る。



で、画面は暗転。

これまたわたしのミスではないです。


現像のプロセスを忠実にたどっているのか?


暗い画面で、飯田蝶子、吉川満子の会話がくりひろげられます。



で、うちに帰ってきて、

おばちゃんの肩たたき。


ラブラブな二人ですが、この直後にホンモノの父親があらわれます。



飯田蝶子は「記念撮影」=別れ、の法則を知らなかったのでしょう。


「戸田家の兄妹」、記念撮影の直後に父が死に、

「父ありき」、記念撮影の直後に生徒が死ぬ。

もちろん「麦秋」では家族がバラバラになる。


こんなに不勉強だから、

飯田蝶子、吉川満子ペアは小津作品にもう出演できなくなってしまうのだ。


…というのはむろん冗談ですけど。


②食


というと、干し柿を黙って食べて、

で、「食べていない」とウソをついた。


などと青木放屁が飯田蝶子に怒られる冤罪シーンがありますが、

(真犯人はお隣のおっさん、河村黎吉だった)



……これだってどうしても「戦犯」裁判を思い出すんだよな~


無実の罪を着せられて死刑にされる人もいれば、

とんでもない悪人が、のうのうと戦後議員になったりしてますね~

(辻なんとか、とか。あまり深くはいいませんが)


戦地の経験があった小津安っさんにとって、

シンガポールで捕虜の体験もあったわけだし、

戦犯裁判は無視できなかったことでしょう。


んーでも、でも……

繰り返しになりますが、

小津作品に対してこういう社会学的解釈はやりたくない。


でも、それしか思い浮かばないんですもの。この作品。



えー「食」テーマが人と人とを結びつける。

というのは今までの作品同様。


ただ、新鮮味はない。

進化も変化も、ない。


③住


かあやんはニャンコを飼っているらしいが、

この1シーンしか登場しない。


二流三流の作家だと、

人間の孤児より、ニャンコを大事にしている、

とかあくどい表現をしそうですが……


さすがに安っさんそんなことはしません。



伊東忠太先生の築地本願寺が何度も登場する。

かあやんはすぐ近くに住んでいるわけ。


安っさん自身のお葬式はたしかここでやったはず。


焼け跡の東京。

自動車、というのが一台も通らない。


喜八さんが働いているシーンだが↓↓


ところどころ焼け残った(たぶん?)モダン建築がおもしろい。


↓このビル、とか。


安っさん特有の量感(マッス)を感じさせる描写。


しかし、戦前のモダン東京をあれだけ美しく描いた男が……

そう簡単に気持ちを切り替えて焼け跡風景を描けるとは思えない。


このあたり彼の哀しみをみるべきであろうか。

それとも安っさんには感傷などなかったか??


④全体


笠智衆が彼の母語である「九州弁」で喋っているせいか、

生き生きしている。


つーか、笠智衆ののぞきカラクリシーン。

これがこの映画唯一にして最大の見ものかも??

このアクションはついついマネしたくなっちゃう。

飯田蝶子も楽しそう。


……なのだが、

河村黎吉の声色といい、

笠智衆ののぞきカラクリといい、


俳優のアクション頼み、とはやっぱり小津安っさんらしくない。


このシーンだって、それほど深い意味があるとは、おもえない……


他のシーンとの有機的なつながりとか、たぶん、ない。



どうしても例の

父=天皇 子=日本国民

しか思い浮かびません。

以下のエピソードなども……


坂本武の息子がくじで2000円あたった。

河村黎吉は、無欲だからあたったのだ、などという。

飯田蝶子はそれを思い出して、

青木放屁に100円全部くじを買え、という。

(吉川満子に100円もらったのだ)


だが、くじはひとつも当らず、100円が無駄になり、

飯田蝶子は青木放屁を怒る。


勝手に「くじをひけ」と命令しておいて、

当らなかった怒る、という。


このあたりも「王道楽土」やらなにやら

意味不明のイデオロギーで戦争にひっぱりこまれて

で、けっきょく敗戦でなにもかも失った日本国民をみているかのようで……



だが、ま、こんな平凡な構造しかみえてこない、という時点で、


これは平凡な作品なのです。

「風の中の牝雞」(1948)感想

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牝雞(めんどり)です。

タイトルからして深刻ぶっていて

小津安っさんっぽくない。


めんどりで思い出すのは「父ありき」

主人公の寮生活のシーンで、英語の勉強をしていて

「henっていうのは牝雞け?」

なんて会話があった、とか思い出しますが。


あらすじ。

田中絹代と佐野周二の夫婦がいるんですが、

佐野周二は兵隊に行って、

で、どこで捕虜になっているかわかりませんが、

なかなかうちに帰ってこれません。

ただ生存の確認はとれている(?)ようです。


ダンナがいませんので田中絹代の生活はきびしい。

そんな中、息子の浩が病気になり、

入院することに。

お金が必要になった田中絹代は

一晩だけ体を売ってしまう。


そんなことがあってしばらく佐野周二が帰還します。

なごやかな夜を過ごしますが、

田中絹代は体を売ったことを佐野周二に告白してしまいます。

(よしゃいいのに、ウソをいやいいのに)

ま、あとは修羅場です。

有名な階段落ちシーンなどがありますな。


あらすじからして、つっこみどころ満載だというのが

おわかりいただけるかとおもいますが。


ようは「田中絹代ショー」です。これは。


「東京の女」が「岡田嘉子ショー」だったように。


そう考えると、「東京の女」(1933)に

江川宇礼雄のガールフレンド役で絹代たんが出てたことを思い出します。


となると……「ま、まさか。あの映画の絹代たんが、戦後陥った運命を描いた作品なのか!?」

とか妄想したくなります。

となると……

この映画のいろいろと不自然な点も……


・なぜ家財道具一式売り払って金をこしらえずに安易に体を売ったのか?

・なぜ、ああもすんなりとダンナに告白しちゃったのか?


も、「あの時の、江川宇礼雄の自殺のショックで精神を若干病んで……」

とか説明できる気がする。


ごめんなさい。以上妄想でした。


絹代たん、いいな。

アラフォーのはず。ですが。


ん。ただ……

この声聞くと……「え?ミゾグチ??」って感じなんだよな~


ミフネが出てくりゃ「クロサワ」なように、

田中絹代は「溝口健二」なんだよな。


今まで時系列で小津作品みてきまして、

田中絹代を少女時代からさんざんみてきたわけですが、


で、この作品で「あれ?ミゾグチ作品?」と違和感かんじちゃったのは

これがトーキーだからでしょう。

今まで田中絹代のあの「声」をきいてなかったから。


うん。

戦後、田中絹代があんまり使われなくなる理由に

「田中絹代の身体の動きが小津組のリズムになんか合わない」

とかキャメラマンの厚田さんいっているのを読んだことあるが、

それは、この作品みてもそんな感じがするが、

(いまいち、スピード感がない気がする)


それ以上に「ミゾグチ」しちゃってるからだろう。


「オレぁやだよ。溝さんのマネなんかやりたくねえからな」


――と巻き舌でいう安っさんを想像してみる。




「浮草物語」の坪内美子もそうだったが、


安っさん、足の裏、好きね。




ただ、俳優頼み、というのは明らかに「小津調」ではないわけで。


その点、河村黎吉、笠智衆のアクション頼みだった前作に似てる。

明らかに失敗作です。



ま、「田中絹代ショー」なんで、

お金を払って損はしません。


あとあと触れますが、いろいろエロ要素ありますし。

ヨーロッパあたり持っていけば、案外ウケるかもしれんですよ、これは。


↓↓こういうローキーの露出なんか小津作品には珍しい気が。


フランス野郎とかが喜びそうだわな。


毎度のことで。

衣食住みていきます。


①衣


というと、村田知英子が強烈。

(田中絹代の親友、といった役どころ)


田中絹代の小作りに対して、なんか大柄な存在感もおもしろいが、

ファッションもなんか……


ビンボーという役のはずなんだが、なんか派手。

小津らしく、品がある派手。


↓↓このくしゅくしゅっとした白ソックスとか

最近の流行りみたいだわな。


ま。なんにせよ、売春しなきゃ入院費払えないような…

そんな貧乏人にはみえない、と

そのあたりは「小津ごのみ」の中野翠先生のおっしゃるとおり。


ちなみに

中野先生の「風の中の牝雞」批評は女のひとらしい感想でおもしろいです。


②食


食は人と人とを結びつけます。


なので破たんした関係の、田中絹代、佐野周二カップルは

一緒に食事をしません。


そのかわり、といっちゃなんですが、


佐野周二、田中絹代が一晩体を売ったその店で会った女の子と

外で食事をします。


パン? なのかなんかよくわからん食べ物ですが。



③住


建築としては……

例のガスタンクがいよいよ間近で撮影されまして、



たまらんものがあります。


安っさん、もし長生きして

ノーマン・フォスターのハイテク建築(香港上海銀行とか)みたら

けっこう喜んだかも??


1948年、闇市の時代なのに……ハイテク。

SFっぽい安っさんです。


このあたり、やっぱりただならぬ不気味さがあります。

失敗作でも、やるな、とおもわせます。



いつ頃壊されちゃったのでしょう?

この建物は?






戦地から戻った佐野周二は、笠智衆のやっている出版社だか新聞社だかに行って、

復職するんですが、


(このあたりもシナリオがヘンなところで、ダンナもダンナで帰ってきちんと職がある、そういう地位の人なのだから、田中絹代はあんなことをする必要は一切ないはずなのだ……支払待ってもらうくらいできただろうに。あるいは笠智衆にカネ借りる、とか、さ)


なんか異様な建築です。

安っさん大好きな □ □ □


手前の「円すい」はこれまた大好きな通風口。


なんですが……

時系列でみたわたくしには……


どうしても「父ありき」の記憶があって、

ヘンな感じ。↓↓


同年代という設定には急にはついていけぬ。


佐野周二は笠智衆に奥さんの売春の事を告白しますから、

無二の親友といった間柄なんでしょう。


けれど。6年前の作品で

「お父さん、僕はお父さんと離れて暮らすのが…」とかいってたんだぜ。





④全体


修羅場シーンはエッ○です。

エロいです。


それがこの作品のすべて、でしょう。



佐野周二のキャラクターは

がつんと女を殴っちゃうようなタイプではないので、


悩み事を内側に貯めこむタイプですので

(そのあたりも「東京の女」自殺する江川宇礼雄そっくり)


その点も

修羅場シーンがねっとりしてエロい一因でしょう。










んー「非常線の女」(1933)の背中のあいたドレスを思い出します。↓↓


1933年と1948年

たった15年で繁栄のモダン東京が崩壊します。







おお。

お次は「晩春」じゃないですか。


原節子が出現してしまいます。

「晩春」(1949)曾宮家の図面を作ってみた。

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「小津安二郎 人と仕事」

に、「晩春」曾宮家の図面が載っていたので


それを参考にエクセルで図面をザザッと書いてみました。


だが、すこぶる分かりにくいですな~

もっと書きこまないとね。

あと1階だけで今日は疲れ切った。

紀子ちゃん(原節子)の住む2階は、またそのうち。


あと、エクセルの図面をアメーバにのせる方法がよくわからん。

スニッピングツールを使ってのせてみたが、

なんか他にいい方法はあるのかしら??


どなたかご存知でしょうか?







説明しますと、


・お父さん(笠智衆)の部屋は南西の角。左下の角です。(8畳)

・その東隣の部屋が、親子がいつも食事をする部屋。(8畳)

・そのまた東隣の部屋。(4畳)右端の部屋は、玄関を通ってやってきた人がいつも通る部屋。ここから笠智衆の部屋にも行けるし、台所にも行けます。


縁側があるのがいいですね~


・洗面所は北西の角。左上の角。

笠智衆がここから「紀子!タオル!」と怒鳴ります。

たぶんとなりがお風呂なんでしょう。

・台所は北東の角。右上の角。

 冒頭、電気屋さんはこの部屋でメーターを測ります。


・で、例の「階段」は食事をする部屋の北側です。

ここをのぼれば紀ちゃんの部屋です。


一番気になるのはお母さんの仏壇の場所です。

「父ありき」ではきちんと明示されていたのに、

「晩春」ではまったく写されません。話題にものぼりません。

(それだけに不気味なんですが……)


僕としては…というか誰でもそうおもいますが…

台所の西隣あたりが(図面左側)あやしいとおもいます。


ま。もうちょっと書きこんでいきたいとおもいます。

あと2階も作りたい。

小津安二郎「晩春」のすべて その1

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トトやんのすべて、ならぬ、「晩春」のすべて、です。

傲岸不遜なタイトルですが、やってみます。


なぜこの作品がモンスターであるのか、

ちょこっとでも解明できれば、とおもいます。

「その1」は、主要舞台である曾宮家を解剖したいと思います。


↓↓「晩春」の曾宮家の平面図がざざっとですが、できました。

ちょこちょこ小さく目盛を打っていますが

3尺(90cm)ごとに打っています。つまり2目盛が1間と。

しっかし、日本建築はパパッと図面がひけるので楽。


まず、平面図からわかることを箇条書きにしていくと、

(前回の記事とダブる点もありますが)

・お母さんの仏壇がどこにあるかわからない。

・お風呂の場所も明示されない。(おそらく洗面所の脇、ですが。薪で沸かすらしい、当時あたりまえか。)

・電話はないらしい。

・トイレの場所も明示されない。(一切言及されません。北側のどこか、でしょう)


といったところ。


また、作品から一切の情報が得られないものとして……

・曾宮家の外観は一切わからない。(屋根の形、壁の形状、等々)

・階段は一切みえない。(蓮実重彦「監督小津安二郎」参照のこと)


といったところでしょうか。

それから、

・カギはかけないらしい。

というのも面白い点です。

笠智衆、原節子が出かけるときは、高橋とよが留守番をしています。











①②③と番号が打ってあるのは

それぞれどのショットで、人物がどの場所にいるのかを示しています。

以下にショット1~ショット28までみていきますが、

数字は物語順です。

小津安っさんは「回想シーン」などという野暮なモノはぜったい撮りませんので、つまりは時系列順、となります。


まず、図面上の①②③の番号をみて、おもうのは……


「みごとにバラけてる……」

ということで、

どこかの部屋で事件・出来事が集中して起こる、ということはありません。


それと、どうも

・「晩春」=「曾宮家探検ツアー」

のようなところがあって、

観客は、作品の進行につれて、曾宮家をどんどん理解していく、という構図があります。

オープニングは曾宮周吉(笠智衆)の部屋、台所を示し、

それからしばらくして洗面所を示し、

で、アヤちゃん(月丘夢路)がきて、紀子(原節子)の住む2階が明らかになる。

なんというか情報を小出しにして、ジラす作戦が心地よい、というか、

イヤラシイというか……


――ま、いいや、1からみていきます。

しつこいようですが、「ショット1」は図上の①の場所で発生するわけです。


・ショット1



大学教授の笠智衆の仕事場です。南向きにすわっています。

机は南西の角にあるわけです。

隣家との境は竹垣です。


・ショット2


キャメラがガラッと逆を向きまして、

みえてくるのが……誕生仏、ですかね。

注目したいのは「3」つ、モノが並んでいる、ということ。


「3」……

「戸田家の兄妹」「父ありき」の正統な後継者である、ということです。


・ショット3



台所です。

電気屋さんがメーターをはかるので

助手の服部さん(宇佐美淳)が踏み台をもっていきます。


やばいのは電気屋さんのセリフ……

「3キロ超過です。ここへ置いときます」


「3」…安っさん、あんたの暗号、僕、見抜きましたからね。


・ショット4


玄関です。格子戸を開けて原節ちゃんが帰ってきます。


・ショット5



「3」人、なんという美しい構図……


左隅にまた仏像が……


平面図上の⑤は左隅の仏像の位置を示しています。

・ショット6



原節ちゃんの背後に仏像の写真。

仏様だらけの家です。


原節子ご自身も、なんか生きてる観音さまみたいだし……


図面上の⑥は仏像の写真の位置。


・ショット7



友人の小野寺(三島雅夫)が来まして、方角に関する話題。

「東はこっちだよ」

と指差す笠智衆。


とうぜん、笠智衆の部屋から玄関の方角を指さします。


・ショット8



縁側です。

洗濯物をとりこむ原節ちゃん。

エプロンに白ソックス。

右側にタンスがみえます。


図面上の⑧はタンスの位置を示しています。


・ショット9



玄関です。

帰宅した笠智衆を原節ちゃんが出迎えます。

また仏像の写真、椅子、

それと原節子の頭のかげに帽子掛けがあります。


・ショット10



3部屋がよく見通せるショットです。


おわかりかとおもいますが、手前が笠智衆の部屋。

その奥が食事をする部屋。

一番奥が、台所へと抜ける部屋。

台所は左手、玄関は右手、です。


・ショット11


洗面所。

「紀子、タオル」

右側にみえるのは笠智衆の書斎の雑然としたディテールです。

本棚はなく、書物を横に積んでおく流儀のようです。


洗面所から廊下を右手に進むと台所。


・ショット12




ちゃぶ台を囲んでのお食事。

左手にみえるのが食器棚。棚の上にはラジオ。

ラジオを聞くシーンはありませんが。


・ショット13



アヤちゃん登場。

また玄関。


注目したいのは椅子。

椅子、何に使うのかな、とおもっていたのですが、

月丘夢路が春物のコートを置くための道具だったとは……


アヤちゃん、笠智衆になにも断りもなくワサッと置きますから…

(紀子はまだ帰ってきていない)

このショットだけで、観客は

「ああ。仲良しなんだな、よく遊びにくるんだな」

と一発でわかります。

なにげにすさまじいショットです。


・ショット14




月丘夢路とお手手つないで2階へ行く原節ちゃん。


ちゃぶ台のある部屋(ラジオ)、階段、台所の相関関係がわかります。


・ショット15




そしてお二階へ。


鳩時計があります。

今回は曾宮家特集ですので紹介しませんが……

アヤちゃんの豪邸はウェストミンスターの超豪華時計(デカい!)ですので

好対照です。


いろいろな謎がうごめく空間でもあります。

・東大教授の笠智衆の部屋に本棚はないのに、原節子の部屋は本だらけ。

・このイスがなぜラスト近く、1階へおろされるのか?

(そしてこのイスに腰掛けて、例の笠智衆のりんご剥きが行われる)


・ショット16




アヤちゃんが座る場所、図面上の16です。

アクセサリー好きで、着てるものも高そうですが、

イヤミにならないサバサバした性格、という。いい子です。


・ショット17



左手にお人形。右手に本棚。

なんか意味がありそうなショット。

彼女の二面性を描いていそうな……


・ショット18



原節ちゃんが窓ガラスを開けたところ。

窓ガラスの位置が図面の「18」


カメラが隣家側(西側)を狙います。

ここらへんも……アッと驚く仕掛けがあるんですが…

ま、そのうち書きます。


しっかし、小津作品においてこれほどの蔵書家は……??

「晩春」以前で思い出すのは「淑女は何を忘れたか」のドクトルくらいですが。


・ショット19



夜の台所。

ジャムと砂糖を台所で、スプーンを食器棚からもってきて、

で、2階へ持っていきます。


・ショット20


爪を切る笠智衆です。図面上の20。

冒頭、助手の服部さんが座っていたあたりです。


・ショット21




コワイ顔の原節ちゃん。

叔母さん(杉村春子)の家で、大好きなお父さんの再婚話を聞いてしまったので。

セリフは

(つめたく)「別に……」



これ以降、コワイ顔が続く原節ちゃんです。

なんか「ショット17」のお人形と本棚の対照を思い出したいところ。


・ショット22



今度は2階。

狼狽して2階へあがってきた笠智衆に、


(ふりむいてつめたく)「なに?……」


「別に……」

「なに?……」


何年前だっけ?

沢尻エリカとかいう子を思い出してしまいますが……


安っさん&原節ちゃんははるか昔にやってます。


・ショット23




ショット22のあと、例のお能のシーンがありまして、

で、帰宅後、佐竹君とのお見合い話が父親から正式にでてきます。


おもしろいのは笠智衆の部屋に原節ちゃんがきちんと腰をおろす、というのが

これがはじめて、なことです。


ショット8~ショット12で構成されるシーン。

(衣食住すべて放り込んだすさまじいシーンです)

そこで一瞬、笠智衆の机の前に腰を下しますが、

基本、この部屋は「通り過ぎるだけ」の原節ちゃんです。


セリフは

「このままお父さんと一緒にいたいの……」


・ショット24


お父さんが三輪さんと再婚するときいて、

泣く原節ちゃん。

タンスに手をかけています。背後に鳩時計。時間モチーフ。

(3輪さん…しかも女優は三宅邦子という…3の嵐……)


図面上の24はタンスの位置です。


・ショット25




また狼狽して2階へあがってきた笠智衆。

「いいね? 行ってくれるね?」と原節ちゃんにいって、(お見合い)

で、

「ああ、明日も好い天気だ……」


・ショット26


原節ちゃんから、お嫁に行きます、という決意をきいて、

ニコニコしてる杉村春子。


ここではじめて曾宮家の出入口の構造が暴露されます。


杉村春子、ふところをポンとたたいているが、拾ったがま口が入っている。

「がま口」「出入口」……


・ショット27



笠智衆と原節ちゃん、

「いやいや行くんじゃないんだね?」

「そうじゃないわ」


手をごにょごにょする仕草にご注目。

完全に別れ話なのであります……


図面上の27ですので、仲良く食事をしていたその場所です。


・ショット28



で、花嫁姿の原節ちゃん。

鏡の中のあまりに美しい自分に微笑みかけております。


2階の南西の隅。


□□□□□□□□


以上、曾宮家探検ツアー、終了となったわけですが、

まとめ、として、色々書きたいことはあるんですが、

今回はこれだけ書いておこう。


紀子……原節ちゃんはどのような人物として描かれるか、というと。


・冒頭、杉村春子に虫の喰ったズボンを直してくれ、と頼まれる。

・服部さんとのサイクリングシーンで、「あたしがお沢庵切ると、いつだってつながってるんですもの」という。

・いとこのブーちゃん(青木放屁、「長屋紳士録」のガキです)に「ゴムノリ!」

といわれる。

「くッつけちゃうぞ、あっち行けェ、ゴムノリ!」


「くっつく」「つながる」「接着」という要素で描写される人なわけです。


――なのですが……


この曾宮家において、人と人との間の肉体的な接触、というのは

たった一つしかない。

紀ちゃんとアヤちゃん、原節子と月丘夢路がお手手をつないで2階へ行くシーン、たったそれだけです。

ラブラブな父娘ですが、

「ショット23」の説明で書きましたように、

まるでお父さんの部屋に立ち入るのを怖がっているかのように

父との接触は「0」…ゼロなんです。


タオルをわたす、帯をわたす、お茶碗をわたす、

そういうのはありますが、

「戸田家の兄妹」のラブラブな兄妹、

佐分利信と高峰三枝子が、「泣くな」とかいって抱き合っていたのと好対照です。


ただ、曾宮家の外へ出ると、けっこうラブラブな描写があって、

戸田家の妹萌えほどではないですが、

お能を二人でみたり、お能の帰り道ならんで帰ったり、

京都の旅館で二人で並んで寝たり、するわけです。


このあたりの謎……


ま、ゴムノリ、つながった沢庵にはもっと深い意味がある、と

にらんでいるのですが……


ま、次回以降。







小津安二郎「晩春」のすべて その2

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小津安っさんが「晩春」(1949)でやった「革命」


それは――

ヒッチコック「ロープ」(1948)の真逆をやる。


というものです。

「ワン・カット撮影」じゃなくて、

とにかく「カットしまくり撮影」です。


小津安っさんがはたして「ロープ」を知っていたか?

それは知りません(ははは)

ただ、アルフレッド・ヒッチコックなる存在は……

シンガポール時代に日本軍に接収された「レベッカ」をみていますので

意識していたことは確実です。


――なので、

わたくしとしては

・西の横綱ヒッチコック

・東の横綱小津安二郎

と勝手に思いこんでいますので


「ロープ」の対蹠地点=「晩春」

この構図を声を大にして主張したいところです。


ま、以下に「晩春」のカットしまくり撮影をみていこうとおもいます。


シナリオは立風書房「小津安二郎作品集Ⅲ」を参考にしております。


□□□□□□□□


カットしまくり、が一番よく分かるのは

原節ちゃんが白ソックスをはいて登場するシーン

(シナリオ上のS32「夕方 鎌倉 曾宮の家の表」からS37「茶の間」まで)

です。


物語としては原節子の紀子と

宇佐美淳の服部さんの自転車おデートがありまして

で、笠智衆、杉村春子兄妹が、

「紀ちゃんの結婚相手、服部さんなんかどうかしら?」

とかはなしあう。その直後です。


ま、前半で一番もりあがるところです。


そのシーンを小津安っさんは

5分47秒あるところを 28ショットで構成しています。

ようするに28回の

「カット」「カット」「カット」「カット」があるわけです。

えーと割り算すると…

1ショット平均、12.4秒…

12.4秒ごとに「カット」がある、と。


猛烈なスピードです。



↑その28ショットのカメラ位置を示したのが上の図。

推定、です。だいたいこの位置だろう、と。

なんの根拠もなし、勘、でございます。


まー僕も50㎜レンズ好きだしー…

当らずとも遠からずなのではあるまいか…??…

(その位置はヘンだろう、という指摘、大歓迎です)


まーとにかく、「推定」カメラ位置。これがA~Mの13箇所となっております。


われわれ観客は、ですね。

原節ちゃんが夕食の支度をしている時間帯に

笠智衆のお父さんが帰ってきて

で、お着替えして、一緒にご飯食べて、

で、「お前、服部さんどう思う?」

なんて笠智衆がいう……

のをポカーンと見るわけですが…


じっさいのスクリーン上の動きというのは、

カメラ位置がA~Mと縦横無尽に動き回り、

そのカメラの視界の中を 原節子、笠智衆が

ものすごいスピードでバタバタ動き回る。

そんな動画を28ショット、

バンバンバンとぶつ切りにされたものを見る、そういうわけです。


具体的に「ショット1」からみていきましょう。


何度も言い訳しますが、カメラ位置はあくまで「推定」です。


・ショット1(カメラ位置A)



原節ちゃん、エプロン、白ソックスで登場。

縁側にいます。


春のうららの隅田川~

と滝廉太郎の「春」をハミングしています。


洗濯物をとりこむ原節子を
カメラは玄関あたりから狙っています。

セリフはなし。



・ショット2(カメラ位置B)



笠智衆の部屋を横切って、茶の間にすわり、

洗濯物をたたむ。


右下に見えるのはお父さんの机なので、

カメラ位置は図面上のBあたりではあるまいかと、と。


ひきつづきセリフなし。ハミングしてます。


つまり観客を完全に逆の方向(通俗ラブストーリーの方向)

に引っ張っているわけです。

「ああ、原節子は宇佐美淳とのデートのあとですこぶる機嫌がいいのだな」

「このおはなしは原節子と宇佐美淳のラブストーリーらしいな」

と……


・ショット3(カメラ位置C)




お父さん帰ってきます。セリフなし。

シナリオの

「S32=夕方 鎌倉 曾宮の家の表 周吉が帰ってくる」


ただ……


この「カメラ位置C」というのはウソです。

A~Mの中で、Cだけはありえない位置です。

だってセット撮影じゃないですもん。ロケですもん。


ただ、この記事では

「5分47秒のなかでこれだけカメラが動き回っているんですよ」

ということが示したかったので便宜的に図上の「C」の位置にしました。




・ショット4(カメラ位置D)


カメラは階段のあたりから玄関を狙っています。

シナリオの「S33=玄関」

原節ちゃんのスケート選手みたいな華麗な動きを楽しみたいところ。


「ただ今――」

「お帰んなさい。お早かったのね」

「うむ」


・ショット5(カメラ位置E)


シナリオ上の「S34=茶の間」がここから。

東端の部屋からカメラは西を向きます。位置E。


前回の記事。「晩春」のすべて その1で…

原節ちゃんは笠智衆の部屋に座らない、と書きましたが、

(佐竹君とのお見合い話が出る場面で、はじめてきちんと腰をおろす)


このシーンは、ちょこんと膝を立てて座ります。

できるだけ接触を避けているかのような座り方です。


原節ちゃんが

「うち、服部さんいらしったのよ」といって、カット。


俄然もりあがってまいります。

・ショット6(カメラ位置F)


笠智衆のクロースアップ

「いつ?」

・ショット7(カメラ位置G)



原節子のクロースアップ

「お昼ちょいと過ぎ――すぐご飯召上る?」

・ショット8(カメラ位置F)




原節ちゃんの方から「服部さん」の話題が出たので

ニヤけてしまいます。


「ああ」

・ショット9(カメラ位置G)



「散歩に行ったのよ、自転車で」


クロースアップの連続で一気にたたみかけます。

トップギアで爆走してます。

・ショット10(カメラ位置B)


「服部とかい?」

「いい気持だったわ、七里ヶ浜――」

と云い捨てて台所の方へ去る。

周吉、何か心たのしく、上衣とズボンをぬいで、台所の方へ出てゆく。


トップギアの爆走が一休み。

このあたり緩急のつけ方が、もう神業です。


笠智衆、左にみえる唐紙のかげにはいってシャツを脱ぎますので…


一瞬、人物がうつらなくなる。

このあたり、「戸田家の兄妹」

佐分利信、高峰三枝子のお着替えシーンそっくりです。


正統な子孫……いや、発展バージョン、といえるでしょう。

佐分利信は和服→スーツでしたが、

笠智衆はスーツ→和服、です。


・ショット11(カメラ位置H)


シナリオ上の「S35=中廊下」

「服部、なんだって?」

「ううん、別に……」


カメラは玄関あたりから台所を狙います。

そういえば、物語冒頭、

メーターをはかる電気屋さんに、服部さんが踏み台をもっていく、

あのショットはこのHから撮られていました。


観客はなんとなくそのことを記憶しているはず……

ここらへんも計算しています。

おっそろしく丹念に作られています。


・ショット12(カメラ位置I)



シナリオ上の「S36=洗面所」

「紀子、タオル――」

「はい」

「自転車、二人で乗っていったのかい?」

「まさか――借りたのよ、清さんとこのを」


「晩春」全編中

洗面所が写るのは…このS36だけだとおもう。たしか……


・ショット13(カメラ位置H)


再びカメラ位置H

・ショット14(カメラ位置E)


カメラ位置E…ショット5の位置に戻ってきます。

シナリオの「S37=茶の間」がはじまります。

長回しのショット。


このショットはもう……笠智衆、原節ちゃんの

絶妙のダンスをみているかのようで……


どれだけリハーサルを繰り返したことか。

勝手にため息がでてしまいます。


左右二枚の唐紙のかげに

笠智衆が隠れ、原節ちゃんが隠れ、

笠智衆があらわれ、原節ちゃんがあらわれ……


「シャボン、もうないぞ――帯……」

「はい」

「今日はよかったろう、七里ヶ浜」

「ええ――茅ヶ崎の方まで行っちゃったのよ」

「そうかい」

交互に出現する原節ちゃんと笠智衆。

これまた「戸田家」のお着替えシーンの発展バージョン。


観客は「いよいよ服部さんとの結婚話がはじまるぞ~」

と期待が高まる……


もちろん、

「衣」「食」「住」全部1ショットに放り込む。

というのはサイレントの「浮草物語」以来の伝統です。


すげーな、小津安っさん。




――で、お食事がはじまります。


・ショット15(カメラ位置J)


カメラ位置J この位置はなんだか新鮮です。

原節ちゃんの横顔が美しい。

なにかというと女優さんの横顔を狙いたがる安っさん。


シナリオは……

紀子はご飯をつけ、周吉もおつゆをよそう。

紀子(ご飯を渡しながら)「なんだか黒いもの……」

周吉「うむ――」


はい、以降、再びトップギアの爆走。猛スピードです。

・ショット16(カメラ位置K)


笠智衆クロースアップ。

「お前、服部さんどう思う?」


「服部さん」はポイントだとおもう。

いつも「服部」と呼び捨てなのに、

ここだけ「さん」です。

みょうにあらたまってます。

・ショット17(カメラ位置L)

原節ちゃんクロースアップ

「どうって?」

にしてもきれいな手……

・ショット18(カメラ位置K)


「服部だよ」


・ショット19(カメラ位置L)


「いい方じゃないの」

・ショット20(カメラ位置M)


カメラ位置M

これまた新鮮な視点です。

女性の足裏が大好き、という安っさんの癖もみえます。


シナリオ…

周吉(黙々として食事をつづけながら)「ああいうのは、亭主としてどうなんだろう?」

紀子「いいでしょう屹度」

周吉「いいかい」

紀子「やさしいし……」

周吉「そうか……そうだね」

紀子「あたし好きよ、ああいう方」

周吉「ふウん――叔母さんがね、どうだろうっていうんだけど……」



・ショット21(カメラ位置L)


またクロースアップ。
紀子「何が?」


個人的には原節ちゃんのこの「何が?」の言い方が大好き。

呆気にとられた雰囲気がよいです。

「晩春」より前は「美人だけど大根」という評判のあったお人。

小津安っさんはその評判をみごとひっくりかえします。


お茶碗にご注目。「福」ですかね?

お茶碗を持つ角度。箸を持つ角度。

はさんでいるのは叔母さん(杉村春子)からもらった奈良漬けでしょうか?

指先まで完璧。


ぜーんぶきっちりきまってます。

この白ソックスシーン(勝手にそう呼んでます)――


「あのな、モノ作りってのはこうやるんだぞ」

と小津安っさんが見本をみせてくれているかのようです。


丹念に、時間をかけて、すべてを計算し、

そしてあくまでオーソドックスなモノ作り。

・ショット22(カメラ位置K)


「お前をさ、服部に」


・ショット23(カメラ位置J)




シナリオみていきます。

紀子、途端に吹き出しそうになり、茶碗と箸を置いて、笑いを忍ぶ。

周吉「なんだい?」

紀子「お茶……お茶頂戴……」

周吉(お茶をついでやりながら)「どうしたんだ」

紀子「だって、服部さん、奥さんお貰いになるのよ、もうとうからきまってるのよ」

周吉「――そうか……」

紀子「とても可愛い綺麗な方――第一あたしより三ッ年下の……」


第一ってのは「第一高女」って学校らしいです。

で、でました!


マジックナンバー「3」……


・ショット24(カメラ位置K)




「そうか……」

・ショット25(カメラ位置L)


「いずれお父さんにもお話あるわよ、その方よく知ってるのよ、あたし――」

・ショット26(カメラ位置K)


「そうか……」


・ショット27(カメラ位置L)


「お祝い何あげようと思ってるんだけど……」

・ショット28(カメラ位置M)


「そうかい……結婚するのかい、服部……」

「ねえ、何がいい?」

「うーむ……きまってたのかい、お嫁さん……」


はい。以上壮絶な28ショット、5分47秒でございました。

結論、めいたことを書きますと、


小津映画って「のろい」「テンポが遅い」「スピード感がない」「動きがない」

などとけなされるわけですが、

この白ソックスシーンなどみると――


そうか???????

小津って猛スピードじゃんか???


とおもわざるをえない。

たぶん、「のろい」とおもっている人って

画面上に発生している出来事をみていないのではあるまいか?

ニセの「物語」に惑わされているだけなのではあるまいか?


たしかに……

上に見た28ショットだって、「物語」でいえば

「父親が娘に『服部さんどう思う』ときく」

という、ただそれだけのことで

わざわざ5分47秒ひっぱるものではない、フツーは。。

それを考えれば「のろい」


でも、スクリーン上に起る出来事というのは……

28回、カメラの位置がびゅんびゅん変わり。

視界の中では笠智衆と原節ちゃんが猛スピードで動き回り、

会話を交わす。

カットカットカットカット。です。

なかには「ショット14」のようなパントマイムめいたすさまじいショットも含まれる。

これがスピードでなくてなんでしょうか?

動きでなくてなんでしょうか?


ピストルをバンバン撃つとか、カーチェイスとか、

そんなのは実は「映画的な動き」では全然なくて、

真の映画の「動き」ってのは
「晩春」のこの28ショットのことをいうんじゃないでしょうか??


□□□□□□□□


さいごに…「紀子」なる名前。


前回、紀子は「つながる」「接着」に関連させられる、と書きました。

叔母さんに虫の食ったズボンを繕ってくれと頼まれ、

服部さんとのおデートで「つながったお沢庵」の話題がでる。

そしていとこのブーちゃんに「ゴムノリ」といわれる。


これは……

この壮絶な編集術のことをいっているのではないでしょうか??


カットカットカット、短いショットを「つなぐ」「接着する」

この小津による小津のための技法


この方法論のミソになる名前

神聖な名前こそが「ノリコ」=「紀子」なのではないでしょうか?


それを考えると↑にみた白ソックスシーン……

その前後を「つながったお沢庵」なる言葉ではさまれていることは

重大な意味を持つ、とおもいます。


S30

紀子「それじゃお好き、つながったお沢庵――?」

服部「たまにはいいですよ、つながった沢庵も――」

紀子「そう?」(と微笑)


S39

紀子「いやよ」

服部「恨みませんよ」

紀子「でもよしとくわ」

服部(微笑して)「繋がってますね、お沢庵」

紀子(明かるく)「そう、包丁がよく切れないの」


くりかえします。

「ノリコ」=「紀子」

がなぜ小津作品において神聖な名前かというと、

それは「ノリ」だからです。


小津の計算されつくしたショットを接着する「ノリ」だからです。

そして小津作品のすべては

「晩春」にしろ「麦秋」にしろ「東京物語」にしろ、

すべては「つながったお沢庵」なのです。

小津安二郎「晩春」のすべて その3

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小津安二郎監督「晩春」の感想…

というか、解剖(??)


その3です。


今回は 「飲む/食べる」に関して……


□□□□□□□□


今まで小津作品をみてきて、僕が気づかなかったこと。

それは

小津安っさんにとって

・「飲む」

・「食べる」

――とはまったく別物であるらしい。

ということです。


たとえば現存最古の作品「若き日」を「衣」「食」「住」で分析して、

ゲレンデでのむ紅茶はうまそうだ、

などと書いたとおもうんですが……

あれは厳密にいうと「飲む」であって

「食べる」とは違うらしい……


そのことに「晩春」で気づかされました。


「晩春」のオープニングは円覚寺でのお茶会です。


「ははん、伝統回帰か」「ブルジョワだね~」

などとおもいながらわれわれはみちゃうわけですが…


大事なのは「飲む」 drink です。

ここはdrink シーンなのです。




ま、具体的に原節ちゃんなり三宅邦子なりが

お茶を飲むショットはないんで、


drink未満というか

ゼロdrinkといいますか…


ですが。




「晩春」2番目の drink は、


原節ちゃん、

銀座でお父さんの親友 小野寺のおじ様(三島雅夫)にあって

おデート。


で、多喜川なる小料理屋にて……drink


飲みます。


小野寺「じゃ何か貰おうか、先ご飯にするかい?」

紀子「まだいいわ、お酌してあげましょう」


といいますから、あとでご飯を食べたのでしょうが、

スクリーン上には写りません。

飲んだのです。




次のdrink が、めちゃくちゃかっこいい、これ↓↓


小津安っさん、「なんとなく撮りました」は絶対にないらしい。

単なる風景じゃないんです。これ。


DRINKです。




え~

3つ drink を積み重ねまして、いよいよ登場するのが

「食べる」

eat です。


それが前回 「その2」でさんざんみた例の白ソックスシーン。

ま、途中で原節ちゃん、噴き出してお茶を飲みますんで

drink もするんですが、そこはつっこまないでください。


「飲んで」「食べる」と……

大事なのはここが「晩春」唯一の「食べる」シーン。

ラブラブな父娘の食事シーンなわけです。




で、次は服部さん(宇佐美淳)と原節ちゃんのdrink

結婚のお祝いになにがいい? とききます。



↓↓で、アヤちゃん…月丘夢路が遊びに来て drink

お紅茶です。


ここ、シナリオでひとつ僕がひっかかっていた点があって……


紀子「ねえちょいと、パン食べない?」

アヤ「パン、あとあと」

紀子「お腹すいちゃった……」

アヤ「すいてもいいの!」

紀子「じゃ、あたしだけ食べる」(と立つ)

アヤ(慌てて)「あたしも食べるんだ、実は」


別にパンを食べながらおしゃべりをしてもいいだろうに

なぜかパンを「食べる」のをあとまわしにするんです。

引き伸ばすのです。


これはどうみても安っさん drink なる印をここに貼りつけたかったから…

そうみて間違いない。


パンを食べるショットはけっきょくありません。

このあと食べたのでしょうが。



↓で、アヤちゃんの豪邸。


彼女が離婚した理由のひとつとして「どうせ、実家は大金持ちだし」

というのは大きいでしょうね~

ま、いいや、アヤちゃん、ショートケーキを作ったのですが、

原節ちゃん、ぶんむくれて食べません。


アヤ「食べないの?」

紀子「ほしくないの!」

アヤ「お上んなさいよ!」

紀子「食べたくないの!」

アヤ「おいしんだったら!」

紀子「沢山!」


この直前に、能楽堂でお父さん(笠智衆)と三輪さん(三宅邦子)が

目礼しあうのをみてしまって、

ジェラシーのかたまりなわけです。


「食べない」というシーンです。


次↓↓


やっぱりアヤちゃんち。豪邸。

なんのかの、原節ちゃん、お見合いをした後です。

drink してます。




えー、で、さいご。

披露宴の後、多喜川にて。


笠智衆と月丘夢路が drink


このあとアヤちゃんが笠智衆のおでこにチュっとするわけ。



ここらでわかること。

やっぱり小津安っさんの美学において

「飲む」と「食べる」は別物なのです。


紀子は

服部さんとも小野寺のおじさまとも一緒に「食べない」

お手手つないで、あんなに仲良しのアヤちゃんとも一緒に「食べない」


「飲む」のです。


「食べる」のは家族とだけ。本当に好きなお父さんとだけ、です。


だから、DRINK Coca Cola の看板の真の意味は…

「このカップル結ばれませんよ」

しょせん「飲む」だけの仲で

「食べる」仲には発展しませんよ。

そういう意味です。


だから――……

現存最古の「若き日」に戻ると…


ゲレンデで一緒にお茶しても

それは所詮「飲む」だけのはなし。


だから主人公たちはフラれる。




「戸田家の兄妹」

高峰三枝子と桑野通子。

このふたりも紀子とアヤちゃんみたいに

「飲む」だけで一緒に食べません。


安くておいしいものを頼みましょう、という会話はあるけど、

スクリーン上では食べません。

それはちょうど 原節ちゃん、月丘夢路がパンを食べないのと一緒。



「宗方姉妹」の

田中絹代とデコちゃんは一緒に「食べる」


これは彼女たちが友人でなくて、家族だから。姉妹だから。


これも「宗方姉妹」↓↓

デコちゃんと、山村聰が酔っぱらってバーの壁にグラスをぶつけますが、


その壁には drink の文字。

あたかも……


一緒に「食べる」ことの出来る人――

家族がみつからないことにいらだっているかのようです。



↓↓「秋日和」の司葉子、佐田啓二のカップルが

一緒に食事をしますが……


「食べる」

これは二人が結婚する予兆といっていいわけで……



となると、「麦秋」の

ショートケーキ、アンパンは……


とかおもって、

「これは大発見!」

と一瞬興奮したが、

イヤ~な予感がして、蓮実先生の本を見たら

ははは。もう気づいていやがった……


 ここで二本柳が無邪気な執着を示すショート・ケーキが、彼と原節子との結婚を遥かに予告しているのである。もちろん、それは、彼らの愛の心理的な原因なのではない。だが、ここで食べることの主題が、やがてやや唐突に結婚に踏み切ることになるだろう原節子と二本柳寛の関係を説話論的に予言しているのだ。

(蓮実重彦、ちくま学芸文庫「監督小津安二郎」62ページより)



――んー…残念。

というか、いままでの考察。

全部蓮実先生の手のひらの上で踊っている気が……


んだが、「飲む」「食べる」の差は、

僕の発見、ということにしておこう。

たぶん。


□□□□□□□□


さいごに

もひとつ、「晩春」の「飲む」「食べる」に関して。


これは、われながら「よくぞ見抜いた」とかおもってるのだが…

またまた安っさんの暗号です。


それは

◎「佐竹君」=「食う」「食べる」

の等式……

(これテストに出ます!……)

シナリオのS31

笠智衆と杉村春子、兄妹の会話。

杉村春子が最近のお嫁さんは式の間、平気でご馳走を食べる、という。


周吉「今なら食べるよお前だって」

まさ「まさか――でも、なってみなきゃわからないけど……」

周吉「そりゃ食うよ」

まさ「そうかしら」

周吉「そりゃ食うよ」

まさ「そうねえ、でもおサシミまでは食べないわよ」

周吉「イヤ食うよ」

まさ「そうかしら」

周吉「そりゃ食うよ」


ご覧になった方ならおわかりでしょうが…

笠智衆

「食う」「食う」「食う」を連発するんです。ここ。

「クー」「クー」「クー」「クー」

これ、耳に残ります。


えー、で、次いきます。

S76 またまた笠智衆と杉村春子の会話。

ここは原節ちゃんにお見合いの返事をきく(OKかNOか)

という、ま、深刻っちゃ深刻な場面で、

杉村春子が笑わせるという……


紀子のお見合い相手、佐竹君の本名は

佐竹熊太郎(!!)というのだが、

杉村春子はどうやって彼を呼ぼうか悩んでいる。


まさ「あたし、なんて呼んだらいいの? 熊太郎さァん、なんてまるで山賊呼んでるみたいだし、熊さんて云や八さんみたいだし、だからって、熊ちゃんとも呼べないじゃないの?」

周吉「うむ。でも、なんとかいって呼ばなきゃ仕様がないだろう」

まさ「そうなのよ、だからあたし、クーちゃんて云おうと思ってるんだけど……」

周吉「クーちゃん?」


もう大笑いなんですけど……


でも気付いてほしいのは

佐竹君→クーちゃん→クー→食う→「食べる」


……です。

ほらね。




出たよ。トマスの野郎の深読み。

そうお思いの方、思い出していただきたいのは、

佐竹君がゲーリー・クーパーに似ている、という…

一見、なんの意味もなさそうなディテール。


クーパー……

どうです??

やっぱり「クー」なんです。


結論

◎「佐竹君」=「クーちゃん」=「食う」=「食べる」


えーですので、drink ではなく eat なのです。

そうなると、紀ちゃんは、彼と結婚するより他ないわけです。


いや、これは最高の良縁だったのでしょう。おそらく。




小津安二郎「晩春」のすべて その4

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「晩春」の感想をかいていくと、きりがないです。

泥沼にひきずりこまれるおそれがあるので、

今回「その4」

次回「その5」

と……

シナリオ順、物語順に感想を書いて

「晩春」の感想は終わりにしようとおもいます。


感想の基本は「3」です。

そして円(○)に内接する三角形(△)の問題です。


・「父ありき」より↓↓



俗に…

「晩春」「麦秋」「東京物語」

この3作を…


「紀子3部作」とかいうのですが、なるほど

原節子が「紀子」を演じた、という意味では正しいですが……


僕の

小津の暗号=「3」「△」

という見方からいえば――


正しいトリオは

「戸田家の兄妹」「父ありき」「晩春」

この「3」作品になります。


「戸田家の兄妹」=母・妹・オレの妹萌え△

「父ありき」=父・僕+亡き母が作る悲しき戦時下△


以下に見ていきますが「晩春」もやっぱり△の映画です。


(ちなみに……どうやら、「麦秋」を支配する数字は「8」のような気がする。間宮家の家紋は「8」…「東京物語」も「8」のような気がする……今のところそうおもいます。あとで考えが変わるかもしれんですが)


ま。前置きは以上。


以下、シナリオ順に感想をだらだら書きます。


□□□□□□□□


S4

北鎌倉、円覚寺でのお茶会です。

「客がポツポツ集まってくる。曾宮紀子(27)が来て、すでに来合せている叔母の田口まさ(49)と並んですわる。」


主要人物は

原節子、杉村春子、三宅邦子の「3」人。



紀子=ゴムノリ=ノリ子、という分析で、

前にも書きましたが、

杉村春子が原節ちゃんにズボンを繕ってくれと依頼します。


まさ「ねえ、叔父さんの縞のズボン、ところどころ虫が食っちゃったんだけど、勝義のに直らないかしら?」

紀子「でもブーちゃん、縞のズボン穿いたらおかしかない?」

まさ「なんだっていいのよ、膝から下切っちゃって、どう?」


うーん……

僕的にはこれも暗号とおもいたい。


・縞のズボン=フィルム

・下切っちゃって=カット


と、映画用語に翻訳したいところです。深読みしすぎですか??


原節ちゃん+杉村春子――は、

ぜったいに三輪さん(三宅邦子)と一緒に写らない点もポイント。

おぼえておきましょう。


お茶会シーンおわりまして


S9 

「紀子の父の周吉(東大教授、56)が老眼鏡をかけて原稿を書き、助手の服部昌一(35)が、その清書を手伝って、洋書の人名辞典を引いている。」


周吉「ないかい?」

服部「――(指でたどって)ああありました。フリードリッヒ・リスト、やっぱりZはありませんね。LIST……」

周吉「そうだろう? LISZTのリストは音楽家の方だよ」


という謎めいた会話から始まりますが、

これも深読みしたいところ。


なんつったって、小津安二郎+野田高梧チーム

「晩春」で暗号ちりばめまくりですので……


Zはありませんね。

S/Z……??


S??

Z??


うーん……「Zはありませんね」…か…




あ。


と、おもいついたのは、

ZZZZZZZ……


いびき、です。

「晩春」=いびき、というと、

あの有名な…壺シーン。


京都の宿で、原節ちゃん、笠智衆が仲良く床を並べて寝る……

限りなくヤバイ、あのシーン…


ZZZZZZ……


これって――

「やっぱりZはありませんね」という服部さん、


・「あんたは原節ちゃんとZZZZZZできませんよ」


こういうきわどいジョークではないのか???


深読みしすぎ??

でも重要なオープニングのセリフですよ。これ。

絶対に当ってる、とおもう。



つづいて。

S11

原節子、笠智衆、宇佐美淳、の「3」人。

おまけに誕生仏が「3」です。


つくづく、美しい構図。


ここでもうひとつポイントなのは

「清さん」なる登場人物。


麻雀がやりたくなった笠智衆、

「清さんいないかな?」

と原節子にきくのだが、

原稿を書き終わっていないので「駄目よ」といわれてしまう。


この「清さん」の正体がわかるのは実はさいごのさいご

S102だったりする……


これは、「市民ケーン」の例の……

ROSEBUD

のマネだろうか??


あと「晩春のすべて その1」でご紹介しましたが、

電気屋さんが「3キロ超過です」というのもありました。

冒頭は「3」の嵐で、

やっぱり「晩春」は、「戸田家」「父ありき」の正式な継承者だとわかります。


つづいて

S18

車内

紀子も周吉と並んで腰かけて、本を読んでいる。


美しすぎるショット。

そういや、

「父ありき」の佐野周二も笠智衆のそばでひたすら本を読んでました。



↓↓で、銀座。

「風の中の牝雞」の例のビルが登場。


なんと、銀座にあったとは。

しかも和光のすぐそば。


アントニン・レーモンドの教文館ビルがかつてこんな姿だったのか?

とかおもいますが……


わかりません。

どなたか教えてください。


S21~S25、紀子と小野寺のおじ様のデートがありまして、


S26

夜 鎌倉 曾宮の家

周吉がひとりで外字雑誌を読んでいる。

表戸のあく音――。

紀子が這入って来る。


紀子「ただ今――お客さまよ」

周吉「誰?」

小野寺が這入って来る。

小野寺「やア――」

周吉「よウ!」


なんでもないシーンなんですけど。

原節ちゃんと三島雅夫の登場時間のギャップに注目したい。

原節ちゃんはパンプス(たぶん)なのでさっさと玄関からうちにあがるのですが、

三島雅夫は靴の紐をほどくのに時間がかかっている。


このあたり……小津安っさんの1933年当時の発言を思い出したい。


 日本人の生活は、凡そ非映画的に出来ていて、例えば、一寸家へ入るにしても、格子を開け、玄関に腰かけ、靴の紐を解く、といったような具合で、どうしても、そこに停滞を来たす。だから、日本の映画は、そうした停滞しがちな生活を、映画的に変えて出すより他に仕方がないのです。もっともっと、日本の実際の生活は、映画的にならなくてはなりません。

(「泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」15ページより)


「映画が作りづらいのは日本人の生活様式が悪いんだ」

と、いっていた青年小津安二郎が、


十数年の時を経て、「晩春」では逆に

「停滞」を芸にしている、という……


「停滞」を道具に1ショット撮ってしまっている、という……


S26


小野寺「ここ、海近いのかい」

周吉「歩いて十四、五分かな」

小野寺「割に遠いんだね、こっちかい海」

周吉「イヤこっちだ」


海=母、は誰もが想像するところです。


もうおわかりかとおもうんですが、


「晩春」の「3」は……

・父(笠智衆)

・娘(原節子)

・母(海? 家? それとも∞??)

この△の物語です。


なんですが、小津安っさん、彼は性格が悪いので……

オープニングでは観客をだまして

別の△を提示しております。


それが

・父(笠智衆)

・娘(原節子)

・彼(宇佐美淳)


このニセの△


観客は当然、

原節子と宇佐美淳のラブストーリーを期待しますわな。


この自転車シーン……

なんかトラックの荷台に自転車をのっけて撮ったとか。


おかげで我々は原節ちゃんの胸のボインボインを

拝むことができるわけですが…


想像するとちょっと間抜け。


ま、そのあたりもニセの△っぽいです。



DRINK

は、二人が結ばれないことの象徴だということは

前回触れました。


自転車おデートのあと、

例の白ソックスシーン。S32~S37

原節ちゃんが、笠智衆を出迎えます。

そしてお着替えシーンがあり、

食事シーンへと続きます。


このあたりで観客は

「そういや、紀子のお母さんはどうしたのだろう?」

とおもいはじめ……


シナリオ上まったく言及されることのない母親は……

「どうも亡くなったらしいな」

と結論付けます。


この母を一切消してしまうという手法、

これってヒッチコックの「レベッカ」の影響なんじゃないかと僕はおもってるんですが……どうなのかな?


「市民ケーン」にしろ「レベッカ」にしろ、

シンガポール時代に小津安っさんが見入っていた作品です。


そうそう、

S36

洗面所でまた「清さん」なる人物に言及されます。


周吉「自転車、二人で乗っていったのかい?」

紀子「まさか――借りたのよ、清さんとこのを」


一度さいごまで「晩春」をみてしまえば

「清さん」が誰なのかはあっさりわかるのですが……


初回の観客にはまったく謎の人物です。



この謎の男「清さん」が不気味なのは……

彼が絶えず数字の「4」と結び付けられているからで…


S11においては

麻雀をやりたいために清さんを呼んでくれ、という。

麻雀はとうぜん「4」人でやります。

S36においては

自転車と結び付けられる。

自転車と言えば、海岸でのこのショット……


「4」つの○

この「4」はさっぱりわかりません。

なにか意味が隠れているのか?

いたずらなのか?


えー…

もとい。

白ソックスシーンにおいて

紀子の「だって、服部さん、奥さんお貰いになるのよ」

というセリフをきき、

我々観客は途方に暮れてしまいます。


というのは…それまで

・父(笠智衆)

・娘(原節子)

・彼(宇佐美淳)

このニセの△を信じ込まされてきたからです。


どうも単純なラブストーリーではないらしい???


途方に暮れた我々の目の前に提示されるのが……

あまりといえばあまりにむごすぎるショット……


小津安っさん、僕はあなたの天才ぶりがこわい……


S38

銀座の舗道…これ↓↓

アールデコ調の美しい看板ですが……


作品中の看板類はすべて小津安二郎本人がデザインしていた、とは

有名な話。


ね?○と△がでてきます。


「一人息子」「父ありき」でおなじみ、

円に内接する三角形、ってやつです。


はい、喫茶店内でもやっています。

安っさん、あなた意識してやってますよね??


BALBOA

なんて看板のショットで一度出せばあとは必要ないもん。

店内で繰り返す必要なんてないもん。


わざとやってる。

○と△を出したいから。


一体なんなの?


原節ちゃんと宇佐美淳がバラバラになったところで

アヤちゃん、月丘夢路が登場です。


このあたりでわれわれは

紀子……原節ちゃんがお嫁に行く意思がない、と知り…


どうやらこれは
・父(笠智衆)

・娘(原節子)

・母(海? 家? それとも∞??)

この△の物語なのだな、と理解し始めます。


真の△の登場。

それはそれとして……

紀子とアヤちゃんの会話は暗号がたくさんちりばめてあります。


S47

アヤ「ああ池上さん? 来たわ――ずるいのよ、あの人、椿姫がお子さんおいくたり? って聞いたら、三人でございます、って澄まァしてるの、ほんとは四人いるのよ、一人サバよんでるの」

紀子「もう四人」


この「3」「4」というのは

覚えておいででしょうか??


「父ありき」のS69

笠智衆と坂本武が昔の生徒たちに子供の数を聞くシーンの再演です。


平田「三人の方は?」

誰も手をあげない。

平田「さすがにまだ三人のお方はないなあ」

いきなり一方から声があって、

「先生!」

両先生、その方を見る。

一人の男が手をあげている。

男「四人!」


「3」「4」……


あと、紀子&アヤちゃんの会話では……「クロちゃん」が気になる。




紀子「そうなのよ――あの人来てた? 渡辺さん……」

アヤ「あ、クロちゃん来なかった。あの人今これなんだって、ラージ―ポンポン。七ヶ月……」

紀子「ふウん、あの人いつお嫁にいったの?」

アヤ「まだいかないのよ」

紀子「まあいやだ」


「渡辺さん」がなぜ「クロちゃん」なのか??

「黒田さん」「黒川さん」とかならわかるが??


――この答えは厚田雄春/蓮実重彦の「小津安二郎物語」に書いてありました。


愛称といえば、小津組でいえば岡田時彦がエーパン、吉川満子はほとけ、菩薩までは行かないっていうんです(笑)。飯田蝶子がカバ。…(中略)…三宅さんはクロちゃん。これは、顔の輪郭や目の感じがジョーン・クロフォードにどっか似ているっていうんで、ぼくらがそう呼んでたんです。

(筑摩書房「小津安二郎物語」68ページより)


ようするに紀ちゃんは三宅邦子を「まあいやだ」というのだ。


S50

も、あだ名のはなし。

叔母さんのうちで、いとこのブーちゃんをからかっている

原節ちゃん。


この子、田口勝義、がなぜ「ブーちゃん」なのか??

安っさんの暗号があるのか?????


これはけっこう長いことひっかかっていたのだが、

謎が解けてみると、

ほんっっっっとにバカらしい。


この子、「長屋紳士録」にも出てたこの子、

芸名「青木放屁」というのだ。


だから「ブーちゃん」……


暗号も何もない、です。そのまんま。


で、

S51


まさ「アノ、これ曾宮の娘の紀子です。こちら三輪さん――」

紀子「……」(しとやかにお辞儀する)

秋子「三輪でございます、いつも北鎌倉で……」


三輪さん…「3」輪さんという名前をわれわれははじめて耳にします。


オープニング同様、

原節子&杉村春子は三宅邦子と同じ画面内に写りません。


↓これだって、写ってるといや写ってはいるが…

ぼやけてます。


S52

で、紀子の縁談と周吉の縁談が同時進行で進められます。


佐竹君の年齢が34歳というのは……気になる。

「年も三十四で、あんたとはちょうどいいし、会社でもとても評判のいい人なのよ」

「3」「4」……


まだお嫁には行きたくない、とはぐらかしていた紀子ですが、


まさ「――ねえ紀ちゃん、さっきの三輪さんねえ……」

紀子「――?」

まさ「お父さんにどう?」


という話が出て来て途端に不機嫌になります。


手をゴニョゴニョ……

小津作品の中では

恋する乙女のポーズだと決まっております。


三角関係、

父、あたし、三輪さん、の△が出てまいりました。


S60


笠智衆と原節子はお能を見にいっていて留守。

で、高橋とよと谷崎純の二人が留守番をしている。


「清さん」というのはなんのことはない。

このおっさん↓↓ 谷崎純のことなのだが……


それは最後にならないとわからない。


S62

能楽堂


暗号も何もないですね……ここは……


こんなにも美しく…残酷な…


△というのは……


しかし三宅邦子は

注意深く原節子&笠智衆とおなじ画面から排除されます。


↑にしても完全に被写界深度の外に三宅邦子はいます。


□□□□□□□□


うーん…

書きたいことをとにかく書いちゃったので…


わかりにくいですな。

とにかく「3」 △の映画だということがわかっていただければ…

小津安二郎「晩春」のすべて その5

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その4からつづき。


能楽堂にて、笠智衆と三宅邦子が会釈しあうのをみて

原節子はジェラシーのかたまりになり、


帰り道、「多喜川でご飯を食べよう」というお父さんをふりきって

アヤちゃんの家へいく原節ちゃんでありました。


S67


北川邸、お屋敷です。


ここで心底ホッとするのは……



「洋館」のセットのデザインがいいから。


われわれは

戦前の「淑女は何を忘れたか」「戸田家の兄妹」の

おぞましくケバケバしく毒々しい洋館をけっして忘れはしない……


戦後の焼け野原を経て、ようやく洋館のデザインのなんたるかを学んだ

小津安っさんでありました。


……とかおもったが次回作「宗方姉妹」で

またもおぞましい吐き気をもよおすより他ない「洋館」が出現……

「晩春」の北川邸は「偶然」「たまたま」――であったのかもしれない。


もとい、アヤちゃんちです。


アヤ「ふみイ!(と女中を呼んで、ドア口で女中に)あ、今のお菓子ね、あっちの部屋へ持って来て――」


などと女中さんを呼びつけますので、
原節ちゃんの紀子とは階級が違う人だとわかります。


シナリオに

「ウェストミンスターの時計が綺麗な音で時を打つ……。」とあります。


いいな。この時計もゴテゴテしてなくていい感じです。



アヤちゃんの背後の絵も モダンでいい感じ。

「淑女」「戸田家」の壁にかかっていたおぞましい絵を思い出しましょう。


「晩春」はどこを切り取っても完璧です。


(……にしても、次作「宗形姉妹」…建築にしろ衣装にしろ、どうしてああもおぞましいのか??)



アヤちゃんがショートケーキを「食え」「食え」すすめるのですが、

紀子は食べない、というのは前々回「その3」で紹介しました。


帰宅した原節ちゃん。

「このままお父さんと一緒にいたいの……」

と告白しますが、

笠智衆は突き放します。


紀子「じゃお父さん、小野寺の小父さまみたいに…」

周吉(曖昧に)「うん……」

紀子「奥さんお貰いになるの?」

周吉「うん……」

紀子(愈々鋭く)「お貰いになるのね、奥さん」

周吉「うん」

紀子「じゃ今日の方ね?」

周吉「うん」


で、泣く原節ちゃん。

S73


↑↑原節ちゃんの右側に見えるのは

ステノグラファー……結婚しないで「職業婦人」になるためのスーツでしょうか。

相当本気だったのだとわかります。


しかし。職を具体的に見つける前に、まず「衣」から、というのは

戦前の学生ものの主人公みたいで微笑ましいものがあります。


しかしこのスーツ


S78


ではあっさり消えている。↓↓


相当にお見合い相手の佐竹君がよかったものか…

(34歳…「3」「4」…クーパー…クーちゃん…「食う」ちゃん)

周囲の「嫁に行け」圧力に負けてあきらめたか……


それとも??……


そうそう、話が前後しますが、

S75


アヤちゃんの背後に……「3」……



3個の○がみえるのが気になるところです。


アヤちゃんの人物造形はものすごく深いとおもうのですが……


それは後で触れます。


えー

で、

紀子の結婚が決まり、

父―娘のラブラブ京都旅行です。


S85


ここで、鏡の前でボインボインやっている原節ちゃんのお姿……

(タオルかなにかを手の上でボインボインやってる)


これはどうしても…

「戸田家の兄妹」の高峰三枝子のボインボインを思い出させます。

さらに、

高峰三枝子が愛しの昌兄さまのことを考えていたことを思い出しましょう。


どうも小津作品のヒロインは△が充実してくると…

ボインボインしたがるものらしい??…


高峰三枝子は兄をおもい、

原節ちゃんは父をおもう、わけですが、


あと、原節ちゃんのショットでは「鏡」が出てくる点、進化してます。

「鏡」はもちろん、嫁入りのシーンで登場する小道具です。


S88


清水寺にて

「小父さま、フケツ!!」

とかいわれていた、小野寺の小父さまの奥様は

坪内美子なので


フケツであるわけもなく……


手前、笠智衆、坪内美子の「2」

奥、桂木洋子、三島雅夫、原節子の「3」

という構図↓↓



単純に「5」人並べりゃいいじゃねえか……


というところをあくまで「2」「3」に分解しないと気が済まない

小津安っさんでありました。


それはちょうど…

「戸田家」のラスト、

母(葛城文子)、妹(高峰三枝子)、嫁(桑野通子)の「3」人から

佐分利信が逃げ出したように……


「父ありき」で

父(笠智衆)、息子(佐野周二)、亡くなったお母さん…この「3」人に

嫁(水戸光子)が加わる直前に笠智衆が急死したように……


あくまで△にしないと気が済まないのね…

というか…


このショットが撮りたかったのだ、とよくわかります。

小野寺の小父さまの娘、美佐子さんは、紀子の分身なのです。


東大教授―京大教授、というわかりやすい設定も

「東はどっちだい」「海はどっちだい」とかいう方向論も

全部このショットの下準備のような気がします。

紀子=美佐子


「分身」といえば……

名高き

S90

「既に床が敷かれ、寝巻に着がえた周吉が床の上にあぐらをかいて、膝をなでている。紀子も寝支度を整えて床の上にいる」


というのですが…


僕にはこの↑↑

目を細めてくわえタバコの笠智衆が…

ギョッとするほど小津安二郎その人に似てみえる…のですが…


笠智衆、ふだん目がくりくりしてるんで気づかなかったが、

目を細めると…背も高いし…小津安っさんに似てる??


意識してやってるのだとしたら…??…


さあ…で、問題の…シーン…



紀子「あたし、知らないで、小野寺の小父さまに悪いこと云っちゃって……」

周吉「何を――?」

紀子「……小母さまって、とってもいい方だわ、小父さまともよくお似合いだし……きたならしいなんて、あたし云うンじゃなかった……」

周吉「いいさ、そんなこと……」

紀子「とんでもないこと云っちゃった……」


ここは…えー「近親相姦」だの「エディプスコンプレックス」だの

語られるところですが、

以前は僕もそんなこと書いてたとおもいますが、


今回はあくまで「3」「△」で読み解きますよ。


紀子…原節ちゃんは、自分の分身が△の中で幸せそうなのを見てしまったのです。

フケツだと思っていた京都の△が、とてもよかった。


――……だったら、鎌倉の△だって……


父(笠智衆)、あたし(原節子)、三輪さん(三宅邦子)だって…


とてもよい、かもしれない。

「3」輪さんだし、「3」宅邦子だし…


名高き壺のシーンですが……


偉い学者先生たちがなんのかのおっしゃっているシーンですが……


わたくし、トマス・ピンコがあっさり答えを出しちゃいますよ。




安っさんは○と△しか考えてない、とおもう。

意味なんか知ったことか、とおもってたはず。(?????)


「オレぁ、○と△を撮りたいんだよ。構図はコレ。厚田兄、照明はよろしくな」

といったところ。


そうでないと

なんでこんな形の窓(○)の前に…

なんでこんな形の壺(△+○+△)を置いたのか??


これは説明できない。

別の形の窓だって良かったはずだし。

別の形の壺だって良かったはず。


でも「○」と「△」…

例の円に内接する三角形をやりたいのだから


こうするより他なかったのだ。

△の窓に

でっかい○の壺とかだとカッコ悪いし、な。



意味なんてない、とおもいます。

BALBOA と同じです。

その証拠は


次の

S91

が、竜安寺の石庭であることです。


えーですから、


S93


紀子「あたし……」

周吉「うむ?」

紀子「このままお父さんといたいの……」

周吉「……?」

紀子「どこへも行きたくないの。こうしてお父さんと一緒にいるだけでいいの、それだけであたし愉しいの。お嫁に行ったって、これ以上の愉しさはないと思うの――このままでいいの……」

周吉「だけど、お前、そんなこといったって……」


こんな展開になっちゃったのは、

父(笠智衆)、あたし(原節子)、三輪さん(三宅邦子)の△の提示のせい。

あの○△の壺のせいです。


「お父さん、この△はいかが?」


笠智衆がそれに対抗するには「お母さん」を持ちだしてくるより他ない。

ヒッチコック「レベッカ」のように消されていた「お母さん」が

ここで唐突に登場します。


周吉「お前のお母さんだって初めから幸せじゃなかったんだ。長い間にいろんなことがあった。台所の隅っこで泣いているのを、お父さん幾度も見たことがある。でもお母さんよく辛抱してくれたんだよ――お互いに信頼するんだ。お互いに愛情を持つんだ。お前が今までお父さんに持ってくれたような温い心を、今度は佐竹君に持つんだよ――いいね?」


原節ちゃんがここで納得するのは

「お母さん」なるマジックワードのせいですが……


それはもちろん…


○「お父さんは三輪さんと結婚しない」


――これが確実になったせいでもあります。

なぜって??


笠智衆は、

父(笠智衆)、あたし(原節子)、三輪さん(三宅邦子)…

この△を否定したのですから、


これは三輪さんと結婚しない、といってるようなものです。

お父さんのウソを紀子は見破ったのです。



S95


唐突に婚礼の日。


↓↓二階にあった椅子が一階に降ろされています。






まさ「……綺麗なお嫁さんになって……亡くなったお母さんに一目見せてあげたかった……」


ここで笠智衆がやけにドギマギしてしまうのがおもしろい。


「やっぱり、お父さん―あたし―お母さんの△がいい!」


とか原節ちゃんが言いかねないから、でしょうか??


「タバコ」という小道具は京都の、あの夜を思い出させます。

「鏡」はあのボインボインの場面にありました。



ここらで……われわれは背景の△に気づいてしまうわけで…


いや……↑二枚上の画像に、もう出てますが……



はい。


○△が……

焦点合ってませんが…


これは「清さん」のうちのような気がする。

高橋とよ、谷崎純夫妻の家。


ま、どうでもいいけど。



シナリオ

「紀子、頷いて立つ。周吉、手を添えて、いたわりながら、並んで出てゆく。

まさ、見送り、改めて室内を一廻り見廻って、二人のあとから出てゆく」


――……


この杉村春子の動きを、小津安っさん絶賛したらしいですが、


この杉村春子の動き……


これは公開から66年後…ま、2015年の今、ですが、


○と△隠していないかな??


と見廻るトマス・ピンコを予想しているようで…若干こわくなります…


で、部屋を見廻ると…


案の定(!!)…


○と△がみつかる、という……

今度はピントあってる。


原節子がいなくなってからはじめて提示する、という…


このイヤらしさ……


おしゃれなカフェ、BALBOA ○と△

京都の宿の壺がおりなす ○と△


……それがなんと曾宮家の二階にあったとは……

小津安二郎……

彼は一体何者だったのか??……


なんでこんな…66年も解かれない謎を隠しておいたのか??

(ま、僕がはじめて暗号を解いた、として?? ですけど)


で、結婚式終わりまして、


S100


小料理屋「多喜川」ですが…


笠智衆と月丘夢路のおデートですが…


観客としては主要キャラ二人なので、

なんとなく流れで見ちゃいますが…


よく考えるとヘンです。

結婚式は紀子の第一高女時代の同級生がきたはず。

アヤちゃんはなぜ同級生の集まりにいかないのか?

なぜ笠智衆と一緒にいるのか?


笠智衆も笠智衆で…ま、独り者だからいいにしても…

娘の結婚式のあと、娘の同級生と飲んでる、という……


いえ、別に

「このシーンはおかしい!」といってるわけじゃなく、…


これはアヤシイぞ。といってるんです。

なにか隠してる!!



それで思い出すのは、

原節ちゃん、月丘夢路が二階でおしゃべりしてると、

笠智衆が紅茶とパンを持ってくる、あのショット。


笠智衆、アヤちゃんにやけに接触したがるのです。


アヤちゃんもアヤちゃんで…


アヤ「あたし五杯までだいじょうぶなの。いつか六杯のんだら引っくり返っちゃった」


という「5」「6」は…

周吉の「お父さんはもう五十六だ」

このセリフを思い出させる。


そこでアヤちゃんの人物設定をみていきたいのですが、


アヤちゃんの特徴は――……


↑↑このキスシーンといい、


↑ラージポンポン(妊娠)のクロちゃんの話題を語るショットのように、


父(笠智衆)、娘(原節子)に肉体的接触をはかる人物なのです。


まるで母親かなにかのように……


あと、思い出したいのは↑S75

彼女の背後に浮かび上がる「3」つの○のイメージ。


「3」

ん、ひょっとして…アヤちゃんって…

「お母さん」となにか関係が??……


これが深読みでないことは

キスシーンの後のセリフ…


アヤ「いいわよ、寂しくないわよ。寂しかったら、あたし時々行ってあげるわよ。ほんとよ」

周吉「ああ、ほんとに遊びに来ておくれね、アヤちゃん」

アヤ「ええ行くわ――ああいい気持――」


ポイントは二つ。

・「行く」という動詞ですが、これは「晩春」において結婚に関する言葉として使用されてきたわけです。


S71

周吉「もう行ってもらわないと、お父さんにしたって困るんだよ」

紀子「だけど、あたしが行っちゃったら、お父さんどうなさるの?」


S78

まさ「ねえ、どう? 行ってくれる? ――ねえ、どうなの」

紀子(気乗りもなく)「ええ……」

まさ(目を輝かして)「行ってくれるの?」


という具合。

「ええ行くわ」は限りなくヤバイセリフです。



もうひとつは「ああいい気持」なるセリフ…

これは小津作品の伝統として、死すべき人が口にするセリフ…


「戸田家の兄妹」S9

父「ああそうか……ああいい気持だ……酔ったよ……母さんお冷や一ぱいくれんか」


「父ありき」S80

堀川「――うん……いい気持だ……睡いよ、とても睡い……」

良平「お父さん!」


もちろん、アヤちゃんは今から死ぬ人とはとても思えませんから……


「お母さん」と結び付けようとしている、そうとしかおもえない。


それを考えると、

・周吉(笠智衆)には小野寺の小父さま(三島雅夫)

・紀子(原節子)には美佐子(桂木洋子)

という分身がいたことを思い出したくなる。


アヤちゃん=お母さん


これを考えると、あるいは紀子のお母さんは

お金持ちの家から、あまりお金のない学者の家に嫁いできた人なのかも?

とか考えたくなる。


「お前のお母さんだって初めから幸せじゃなかったんだ。長い間にいろんなことがあった。台所の隅っこで泣いているのを、お父さん幾度も見たことがある。でもお母さんよく辛抱してくれたんだよ」


周吉は、人間的に奥さんをいじめたりするような人ではなさそうだから、

金銭面で苦労したのかもしれない??


ま……なんにせよ、それは映画の外の出来事です。


S102


帰宅した笠智衆が高橋とよに

「清さんによろしくね」

といいます。


前回書きましたが、

ここではじめて「清さん」がS61に出てきた謎の男だとわかります。


お着替えシーン。

ここがとんでもなく寂しいのは、

輝かしき白ソックスシーンを思い出すから。


このショット、

カメラ位置はまったく同じですね。

「晩春」のすべて その2

平面図上のカメラ位置Eです。

あ。


リンゴが「3」個……


この並び方が……

「父ありき」そのまんま……


ヤバイ…ヤバすぎる……


「2」+「1」

原節ちゃんが行ってしまいましたので、


お父さん+お母さん=2 です。


うーん……


というか、アヤちゃん=お母さん、が正しいとすると


お父さん+アヤちゃん=2

なので……


流行りの(?) 年の差婚……

うらやましいぞっ! この、このっ!!…だけど…



そんなイヤラシイことはお父さん考えてなさそうです。


お母さん=海

も見張ってますし……


以上、「晩春」のすべて

おしまいです。


一応。

「宗方姉妹」(1950)のここが大嫌いだ!

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「晩春」すきすき、だぁーーーーーい好き!!!!


という記事をいくつも書いてしまった反動なのだろうか。


「晩春」の次の

「宗方姉妹」は大嫌いなので、

その大嫌いポイントを7つ書いていきたいと思います。



・ここが嫌い①

「つながったお沢庵」がない!


カットカットカット

あのぶつ切りのショットをぶっきらぼうにつなげていく

「つながったお沢庵」がありません。


しょっぱな、京都の笠智衆の家のシーンですが、



比較的長めのショットを

たんたんとつないでいくだけです。


「晩春」ではカメラがセット内のあちこちを移動しましたが、

(撮影位置のはなし。カメラ自体はむろん固定です)

「宗方」では、同じ位置から動こうとしない。


途中デコちゃん…高峰秀子がお茶をくみにいくのですが、


「晩春」では電気屋さんに踏み台を渡す宇佐美淳を

律儀に追っかけていったカメラが……


「宗方」では一切追っかけようとしません。

デコちゃんが台所にいるというショットは皆無。


も…

もどかしい……


こうなると…高峰秀子、上原謙、笠智衆……と

大物揃いなのに

なんかダラーーーッとしてる。

小津っぽくない。


うーん……手抜き???


それとも……


巨匠小津、とはいえ、

はじめて松竹を離れて、他社(東宝)で撮った作品。


遠慮しちゃったのでしょうか??


カメラマンはいつもの厚田さんじゃなく

小原譲治という人。

あまりよく知りません。

溝口の「雪夫人」とか撮ってるらしい。

どんな映画だったっけ?

久我美子の入浴シーンとかあったような気が。


ま、この人のせいではないでしょうが。



注目したいのは……

背後の家紋……みたいなやつ。


○が…たぶん9個。



これが次作「麦秋」

間宮家の○が8つ。に、酷似していて……


もう安っさんの心は「麦秋」に――

原節ちゃん主演作に完全にイッちゃってたのではなかろうか、


などとおもわせます。


(↓↓以下二枚の画像、「麦秋」です)




ちなみに「8」および「○」は「麦秋」を支配する数字・図形なのですが……


「宗方」 しょっぱなに提示される「9」はなんの意味もありません。


このあたりもダラけた映画です。





・ここが嫌い②

宏さんの家が気持ち悪い!



「晩春」のアヤちゃんちが美しかったので、

誰か洋館に関する優秀なブレーンでもついたのか??

それとも建築学科出の大道具さんでも入ったか??


などと想像したのですが、


また安っさんがやらかしてます。

趣味悪ぅ~…………


神戸のボンボン、宏さん(上原謙)の家。


このゴテゴテ趣味はなんなのだ??


うーーーー……

吐き気がする……


デコちゃんが「ああすてき」「いいわねえ」などといい、

上原謙が「そうだろう」といわんばかりにニコニコ微笑んでおります。


バッッッッカじゃなかろうか。


コイツ……

いや、失礼、上原謙はフランス留学経験あり、という設定なのだが、


これはロシアの野蛮人あたりの趣味である。

フランス留学、とかいって、実はモスクワでスパイ活動でもやっていたんじゃなかろうか……


ちなみに…教養をひけらかさせていただきますと、

ロシア人がかっこいい、最先端の建築を作ったのは

ロシア革命直後のわずか十年ちょっと…

「ロシア構成主義」の時代、それだけです。

(タトリン、リシツキー、メルニコフ、レオニドフ等々)

その微かな輝きも……

独裁者スターリンのゴテゴテ主義に掻き消されます。


大学で教えてもらったが……

帝政時代だってひどいもので、

エルミタージュとか……

ほとんどニセモノ大理石だそうな……

模造よ、模造。


その点、奈良時代あたりから現在まで、

建築先進国家であり続けた日本とは

レベルが違う……


すなおに和風建築のセットを作れ、安っさん。


あああーーー気持ち悪い映画だ。

(いつのまにか、ロシアの悪口になっているが)




・ここが嫌い③

デコちゃんの衣装が気持ち悪い!


ファッション知識は

わたくし

はっきりいってありませんが……


とくに女性の服はわかりませんが……




このポケットはあり……なんですか?


見ていて気持ち悪いんですが……


こんなへんなもの剥ぎとって

ブローチつける、とか。

花でも挿しとく、とか。


他にやりようはなかったんでしょうか?




なんでもかんでも服にポケットをつける、というのは

アメリカ人がやりはじめたことだ、


というのはなにかで読んだことがある。


でもそれって……


ピストルをつっこんだり、銃弾をいれておいたり、


そのための野蛮な習慣だという……


ま、ポケット以外にも

なんかもっさりした服だなー、とおもいますが。


・ここが嫌い④

坪内美子が一瞬でいなくなる!


「風の中の牝雞」「晩春」に登場した謎の建築……


「宗方」にも登場。


あ。やっぱし、アントニン・レーモンド先生の教文館ビルだった。


ま、いやーーーーな作品ですが、

そのことがわかっただけでも良しとしよう。




田中絹代のやってるバーは、銀座にあるという設定。


で、共同経営者みたいな役で坪内美子が登場するのだが……


僕は「浮草物語」から、

この人のおっとりした雰囲気・たたずまいにはやられっぱなしで……


とくにトーキーになってからは喋り方も好きなので……


楽しみにしてたんだが…


なんと、一瞬でいなくなる、という。


「晩春」でも同様だったが、

それはそれで理由があるからで……


もうちょっと見たかったなー、美子たん……




えー、看板も手抜き。

「晩春」のBALBOA そのまんま……



△だらけなんですが……


こんなの中学生でも思いつくわ!!

だってだって

田中絹代―上原謙―山村聰

この三角関係の映画なんですもの……


小津安っさんがやるべき仕事ではない……


あーあ……

この看板はテンションだださがり……



・ここが嫌い⑤

山村聰が気持ち悪い!



山村聰がムカつく……


いや、失礼、山村聰が演じる、三村というヤツがムカつく。

(ええ、ええ、そうです。「3」村なんです)


ネコ好きという設定もムカつく。


↑飲食店にニャンコ連れてくるなーーーーー

わたくし、ネコ好きだからこそ、これはムカつく。

ニャンコぜったいイヤがってる。


いやーー、この甘えきったインテリ、という設定。

太宰治あたりの影響もあるのかしら?


とかおもうが、わたくし、太宰治も大・大・大嫌いなのであった。

イナカモンがブンガクやるな!! という感じ。


うん、うん……

わかりますよ、ムカつくキャラクターが必要不可欠な映画。

いやぁーーーーな悪役あっての映画。


そういうのありますよ。

ヒッチコックとかの得意分野。


でも小津安っさんがそれをやっちゃいけない。

明らかに得意分野じゃないんだもの。


うん。

ただ山村聰がうまい。というのはよくわかります。



・ここが嫌い⑥

クロサワ組のキャストが気持ち悪い!



気持ち悪い、っつーか……


藤原釜足、千石規子、このコンビ見ちゃうと、


どうしてもクロサワ・ワールドに誘われる……


ミフネ・シムラタカシが今にも顔を出しそうな……


でも小津安っさんがクロサワやっちゃいけないよ。


ま。おもしろいけどね……



ん。でもこうやってみると千石規子。

けっこうかわいいなーー


声はヘンテコだけど。



・ここが嫌い⑦

高杉早苗の家が気持ち悪い!



はい。高杉早苗は芦屋あたりの奥様なんでしょうか。


和風モダン、で、一瞬かっこいい、

んですが……


ま、元ネタは当ブログで2月~3月にご紹介した

前川國男邸あたりか、とおもうんですが、


いいね、いいね~

「宗方姉妹」…唯一の見せ場かも……


などとおもって油断していると……


でたよ、気持ち悪いポイント!!!!




このドアはなんなんだぁーーーーーー!!!!!!


へんなとこに壁作るなぁぁぁーーーーーー!!!!!


ヤロー……壁をできるだけ消そう、ってのがモダンなの!!!!!


構造上・機能上どうしても必要、ってとこだけ使うの!!!!


で、その壁はできるだけプレーンに仕上げるの!!!!


前川邸をみて! この官能的な白を!!!!


あーー気持ち悪いドア。


このドアひとつで、芦屋のお屋敷が

安普請の工場の事務所レベルに落ち込みます。


お着物きた奥様ではなくて、

こりゃ、作業着きたおっさんがくわえタバコでくぐるドア、です。


あーあ、小津安二郎ともあろうものが……


どういうわけか……

このお屋敷で、デコちゃんのセクシーショットがあるんですが↓↓


あまりに醜いものをみせてしまった、そのお返しでしょうか???


というわけで…

本当に嫌いな作品です。

小津安二郎「麦秋」間宮家の平面図をこしらえる。

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毎度おなじみ(?)


……まずはセットの平面図作成です。


「麦秋」(1951)の間宮家。北鎌倉にあるという設定。


「晩春」(1949)と違って、

参考文献がないので、

映像をみながら、エクセルでこしらえました。


はじめに曾宮家との違いをみていきたいとおもいます。

というか、1階はめちゃくちゃよく似ています。


・曾宮家1階。





・曾宮家2階



・間宮家1階






・間宮家2階




間宮家1階は……

曾宮家1階がみごとに180度ひっくり返った形です。


曾宮家では東側にあった「玄関」「台所」「階段」

――これが間宮家では西側に。


曾宮家では西側にあった「洗面所」

――これが間宮家では東側に。


それにプラスして間宮家には子供部屋が付属します。

(玄関わき・平面図上の左下の部屋です)


あと、曾宮家では明示されなかった

「風呂」「トイレ」の位置がはっきりと示されます。

それに、

「電話」という文明の利器も間宮家には装備されています。

ただ……

間宮家2階は、なんだかよくわからない点が多々あります。

謎だらけです。


曾宮家2階は、紀子(原節子)が占有していたのでわかりやすかったのですが、

間宮家2階は、

周吉(菅井一郎)&志げ(東山千栄子)の老夫婦と紀子が共有しており、

さらに……

あとあと触れていきますが、

謎の空間使用の仕方をしているので、

とにかくよくわからない空間です。


□□□□□□□□


今回は、「麦秋」以前の作品が――(「戸田家の兄妹」「晩春」「宗方姉妹」)

どのように間宮家のデザインに影響しているのか??


みていこうとおもいます。


まず……


①電話&家紋


です。


↓↓「戸田家の兄妹」(1941)



↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の①)


戸田家のバカデカさがよくわかります……

スケール感が庶民の倍、です……

いいな……

あとセットなのにきっちり「天井」まで作っているあたり

1941年なのにおっそろしく贅沢してます。

(ローポジションだから「天井」写ってしまうわけで、普通はありえない)


不気味なのは……

なぜか…「家紋」と「電話」を一緒にしたがるという謎の癖……

安っさんの妙なこだわりです。というか病気ね。


戸田家の家紋は六角形が「3」つ。

間宮家の家紋は●が「8」つ。

ちなみに「戸田家」の「3」は戸田家を支配する数字。

「麦秋」の「8」もまた……間宮家を支配しています。

ここらへんもこわい。


間宮家のメンバーの数は

・周吉(菅井一郎)

・志げ(東山千栄子)

・康一(笠智衆)

・史子(三宅邦子)

・紀子(原節子)

・実(村瀬禅)

・勇(城沢勇)


この7人+生きているのかどうかわからない省二=「8」人、です。

たぶん……中央の一番デカい●が省二……


そうとしかおもえません。

安っさんあいかわらずヤバイです。

(S75 老夫婦が博物館でみた風船……●をおもいだしましょう……)




②電気スタンド


↓「戸田家の兄妹」(1941)


↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の②)



んー…

なんか似てます。

「戸田家」は丸みがあって「麦秋」はとがってますが、

「傘」形というのは同じ。


謎なのは……平面図上の②をみていただければわかりますが、

これが北側の隅にあること。


絵描きなら北向きのアトリエで仕事をするのはわかりますが

植物学者の書斎が北向きというのがいまいちわからない。


カナリアをたくさん飼ってますから…

それで北側がいいのかな??


ただそれで納得しかけると――……

新たな謎が……


原節ちゃんの部屋は2階南側にあるらしいのですが

淡島千景のアヤちゃんが遊びに来たとき……

(なんという豪華キャストか…………)

↓↓



なぜかこの②の位置でおもてなしする。

(「晩春」の紀子―アヤ同様、「食べる」はなく「飲む」だけです)


この日は日曜日で、両親はトーハク(上野)に行ってますので留守。

だからといって両親の部屋で??

なぜ、南向きの自分の部屋でやらない??


アヤちゃんが北側の窓から外を見て

「いいわねえ、綺麗な空!」(S72)

といいますから、

この家は北側の方が眺めがいいのだろう…


そう一瞬考えたのですが、

ご覧のように北側は家が建っていて見晴らしがよさそうではない。


――というか、紀子の部屋は「麦秋」でははっきり示されません。

両親の部屋から垣間見えるだけ、です。

とにかく間宮家の2階は謎だらけです。


③やかん


↓↓「晩春」(1949)


↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の③)


同じやかん……ですよね。


しかも「晩春」「麦秋」ともに「食べる」シーン。


食べるシーンにやかんはあたりまえだろ??


という感じもしますが……

小津安二郎作品における「食べる」の重要性を考えると……


なんでしょうねぇ??


④紀子の椅子


↓↓「晩春」(1949)


↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の④)


誰もが気付くとおもいますが……

あの椅子がまたでてきます。


椅子と言えば……


⑤康一の椅子


↓↓「宗方姉妹」(1950)




↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の⑤)



山村聰が使っていた椅子が、間宮家にあります。


キャラクター的に

「宗方」の山村聰と、「麦秋」の笠智衆はあんまり似ていませんが……

二人とも

自分より弱いものをぶん殴る、という点は似ています。


ま、「麦秋」の実くんはぶん殴られて仕方ない感じだし、

(食パンを乱暴に扱った)

笠智衆の殴り方もなんか「スカッ……」って感じなので、

「宗方」の田中絹代と違って

痛々しくないですが。


あと…「麦秋」のこの椅子は、大和のおじいさま(高堂国典)も腰かけるし、

電車遊びのシーンで、近所のガキが座ったりもします。

色んな人が使用します。


注意したい点は…


・「晩春」の笠智衆は56歳の東大教授で……紀子の父。

家の西南の隅に座っていた。


・「麦秋」の笠智衆は38歳の医者で……紀子の兄。

家の東南の隅に座ります。(しつこいようですが、平面図上の⑤)


これまた180度ひっくり返ることになります。


□□□□□□□□


どの程度お伝えできたかわかりませんが、

「麦秋」の間宮家、


これは小津安二郎のそれまでの作品の流れを受けつつ、

かつ、「晩春」の曾宮家を180度ひっくり返す、


そんな構造になっています。


この「180度ひっくり返す」はもちろん、平面図上のはなしだけでなく

シナリオの全体にわたって展開されているわけで……


なんだかすさまじいことをやっています。


ま、次回から『「麦秋」のすべて』

と――

また偉そうなタイトルつけて感想をちびちび書いていきたいとおもいます。


小津安二郎「麦秋」のすべて その1

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「麦秋」に関してはいろいろ書きたいことがあって

どれから書いていこうかわけがわからなくなっていますが……


まずは

・実くん=小津安二郎


この奇妙な等式を主張していきたい。


間宮康一(笠智衆)史子(三宅邦子)夫婦の長男、

実くん(村瀬禅)――


実くん――彼は「麦秋」の影の主人公のような気がします。


□□□□□□□□


ただこの奇説を主張するためにはまず準備として、

誰でもお気づきかとおもいますが……


・「麦秋」には移動撮影が多い。


このことはきちんと確認しておく必要があります。

ひとつひとつ数え上げていくと……

(S~ は、シナリオ上のシーンナンバーです。シナリオは立風書房「小津安二郎作品集Ⅳ」を参照します)


①S38 歌舞伎座の客席

②S43 築地の料亭「田むら」の廊下(アヤちゃんの家です)

③シナリオには記載がないのですが、②のあと無人の歌舞伎座が出てきます。

④S47 病院の窓外(笠智衆の勤務する病院)

⑤S50 病院の廊下(高橋とよが出てきたあと)

⑥S93 間宮家の部屋(笠智衆が実くんを殴ったあと)

⑦S94 夕暮れ時の海岸(子供たちがプチ家出する)

⑧S94 ⑦のつづきのショット

⑨S132 「田むら」の廊下(原節ちゃんと淡島千景が「真鍋さん」をみにいく)

⑩S133 間宮家の廊下

⑪S135 海岸(名高いクレーン撮影です)

⑫S135 海岸(原節子と三宅邦子が砂浜を歩く)

⑬S145 麦畑(ラストです)


全部で13。数え漏れがあるかもしれませんが……

あ。あとS15「驀進する電車の側面」で、

横須賀線の車窓から撮った映像がありますが、

これは除外しました。

□□□□□□□□


えーこれで準備が整ったので、


・実=小津安二郎


この奇妙な等式を証明(?)していきたい……な……と。

おもいます。


ので、シナリオ順に実くんの行動を追いかけていきます。


S3

間宮家の二階、です。


実「おじいちゃん、ご飯――」

周吉「ああ、お早よう」

実「おいでよ、早く」


「麦秋」で最初のセリフを発するのは実くんです。


「麦秋」のオープニングは

S1で渚で遊んでいるワンちゃん

S2はカナリア

と動物が写って、

で、S3 実くん登場、という流れ。




S5

間宮家の茶の間です。


セリフは「イサムーッ!」

と弟を呼びます。



S32

子供部屋

叔母の紀子…原節ちゃんを呼びつけます。

指をパチンと鳴らしたりします。


シナリオは…

「叔母ちゃん――」と、実の声。

紀子(見て)「なアに?」

 実が子供部屋から顔を出して手招きしている。

紀子「何よ?」

 と行く。


ここらでわかってくるのは……

実のセリフは「命令」が妙に多いことです。

おじいちゃんに来い、といい、

弟の勇を呼びつけ、

叔母の紀子を呼びつけ…という具合。



つづいて

S33

原節ちゃんとの会話。


紀子「なに?」

実「大和のおじいちゃんツンボかい?」

紀子「ツンボじゃないわよ」

実「だって、さっき聞こえなかったよ」

紀子「聞えるわよ」


この難聴の人を指すコトバ、今だと「差別語」ってやつなのかな?


ここは

・実=小津安二郎

この等式が証明されたあかつきには……


小津安っさんその人のサイレント映画へのこだわり。

「音のない」映画へのこだわり。

等々を見たい会話なのですが……


まだ証明できていませんでしたね。


S34


大和のおじいさま(高堂国典)にむかって

勇ちゃんが「バカ!」「バカ!」といいますが……


聞えない。



…と、縁側には実がいて……


「もっとデッカイ声で言えよ」


すべてを操っていたのは実くんだとわかる。

また「命令」


というか演技指導のようにみえる。


S35


大仏のシーンですが、



ここでも命令。

「勇、またおじいちゃんにキャラメル食わしてみろよ」


S57

間宮家の二階。


実くん、おばあちゃん(東山千栄子)の肩たたきです。


「……二、三、四、五、六、七、八、九、百!――叩いたよ、二百、二十円……」


おこづかいを要求する。

命令。要求。

実くんの基本パターンですが、


ここ。

ワンショットワンショット、フィルムのコマ数をカウントしながら

撮影していた小津安っさんその人をみたいところ……


ヴェンダース「東京画」にでてきた特注のストップウォッチ使って、

ショットの秒数とコマ数をカウントしてた。


ん――

トマス・ピンコの野郎、こじつけやってんな。


とかお思いの方、証明にもうちょっとおつきあいくださいませ。



自分がつかれた実くん、こんどは勇ちゃんに「命令」して

おばあちゃんの肩たたきをやらせる。


実「ねえおばアちゃん、二十円貰うだろう、三百円になっちゃうんだよ」

志げ「そう。――そんなにお金ためてどうするの?」

実「レール買うんだよ、汽車の」


キーワードでてきました。


「レール」……


S69

「茶の間から座敷にかけてレールを敷き、本をトンネルにしたりして、子供たちが六、七人、汽車を走らせている」


実くんがあくまでシキります。

鉄道模型のコントロールをするのはもちろん実。

「おい、食おう」「レール踏むなよ」

あくまで命令の実くん。



えー前回。

「麦秋」のマジックナンバーは「8」だと申しました。↓↓






その……「8」をじっさいに口にするのは実くんだったりします。


実(史子に)「ねえお母さん、レール買ってよ!」

史子「あるじゃないの、こんなに」

実「これ、みんなンだい。僕の八本しきゃないんだもん。買ってよ! ねえ」


レールが8本しかない。

「8」……


原節ちゃんに対し、


「だまってろ!」という実くん。


暴君です。



S71


シナリオにはないのですが、

淡島千景&原節子の美女二人に


「あっち行けよ!」という実くん。


命令。命令。



S81


謙吉(二本柳寛)がショートケーキを食べる、あのシーン。


ここで寝ぼけて登場の実くん。


大人たちはショートケーキをとっさに隠します。

実くんはあくまで暴君的存在なのです。



はい。

で……以下。


ようやく

・実=小津安二郎

この等式がはっきりわかります。


がまんしておつきあいくださいませ。

S83


笠智衆が細長い包みを持って帰ってきたので

大喜びの実くん。


S84


実「おい、勇! レールだぞ。レール買ってきたぞお父さん! しめしめ、凄いなア、凄い凄い!」


ところが包みをあけると、レールでなくてパンがでてくる。


実「なアんだ、チェッ!」

勇「パンだねえ……」

実(かんしゃくを起こして)「やかましいやい!」


ここでわからないのは……

「パン」と「レール」の取り違えです。


1951年ですから……

プラスチック製ということはなさそうな気がする。

レールは金属製か、木製か。


いずれにせよ、パンよりずっと重いとおもわれる。

だったら実くん……

持った瞬間に重さでわかりそうなものだが??……


あと触れば硬いんじゃない、レールは??

パンがそんなに硬いのか??


この、ちょっとこじつけめいた取り違え……


「パン」&「レール」――


小津安っさん、何か隠してるね?


「暗号」だね???


S88

実くん、父親に抗議します。

まー話の流れを説明しますと、

このシーンの直前、

康一(笠智衆)、妻(三宅邦子)と母(東山千栄子)を呼んで、

妹の紀子(原節子)の縁談の相手が

年齢が40歳ということを説明します。


すると、「そんなお年の方なの?」とかいわれて

女性陣は不満顔。

康一は途端に不機嫌になる。


そういう流れです。父親はただでさえ不機嫌なのですが、

十二歳の子どもにはそこらへんがわかりません。


実「嘘つき!」

 康一、にらみつける。

実「嘘つき! なんだい、レールじゃないじゃないか! なんだい、こんなもん!」

 とパンを蹴飛ばす。


実「なんだい! なんだい!」

康一「何をするかッ! 食べる物を足で蹴る奴があるかッ!」

と殴る。実、あばれて、

実「なんだい! なんだい!」


格闘です。

レールじゃなかったのががっかり、というのはわかるのですが、


実くんはとにかく「パン」が嫌いなのです。


「レール」は大好きで、

「パン」は大嫌い、なのです。


…………ん??


……


「レール」と「パン」



……



「パン」ってひょっとして……


??



……食べ物のパンじゃない??


あ!!

撮影方法の「パン」のこと??


そうです。

なぜ、実くんがこれほど「パン」が嫌いかというと、

「パン撮影」が嫌いなのです。


カメラを水平にグルッと振る、

あの「パン撮影」のことです。


これをやると構図が完全に崩れますので、

小津安っさんはパンは嫌ってました。


小津安二郎が「パン」撮影が嫌いだから、実くんも「パン」が嫌いなのです。


でもレールは好き。

「レール」=「移動撮影」です。

「麦秋」の①~⑬の移動撮影を思い出しましょう。


綿密に準備すれば、構図は崩れません。



ここはすさまじいっす。


「『麦秋』は『レール』だ!」

「移動撮影の映画だ!」

「なんてったって13ショットもあるんだぜ」

「『パン』なんかぜったいにやるもんか!!!」


そう主張する 実=小津安二郎


に対し、

小津安二郎に一番忠実であった俳優、笠智衆が殴りかかります……


なんなんだ? この「暗号」の仕込み方は???




S94


で、ここはえんえん移動撮影です。

レール、敷かれてたでしょうねぇ……


夕暮れ時の海岸



実(海に向って)「バカヤローッ! ……バカヤローッ!」


周囲に理解されない小津安二郎……

失礼、実くんが叫んでいます。



で、こんなところに「8」を仕込む、という。


たぶん戦時中に金属の柵をとっぱらっちゃった、ということなのでしょうが…


「8」個の●なんです。ええ。



実くん、最後の登場は……


S139


おわかれのスキヤキの宴である。それももう終って、みんな箸を置いているのに、実だけがまだ食べている。

実(ようやく食べ終わって)「ご馳走さまァ!」

 と箸を放り出す。



と、最後まで態度がデカい。

だが、ま、おわかりいただけたでしょうか???


・実=小津安二郎

ですので、

いばっていて、OKです。


□□□□□□□□


なわけですので……

「麦秋」公開後に、


「子供が乱暴だ」

とかいって非難されたことはさぞかし心外だったに違いない。

だっていばっていて当然なんだもん。


なので


中に出てくる子供が乱暴だという。乱暴でも世代がちがうんだし、あの子も大きくなればそれなりに変って行く筈なんだ。


こんなコメントを小津安っさん残しているわけですが、

本音をいえば

「批評家ども、おめえら、何をみてやがるんだ?」

というところだったでしょう。


ま、「パン」と「レール」

こんなわかりづらい「暗号」を仕込んどくほうが悪いんですが……



小津安二郎「麦秋」のすべて その2

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前回は

・実くん=小津安二郎

なる等式をみごとに証明(?)したわけですが……


今回と次回、とで、


・勇ちゃん=観客


なる等式を証明していきたいとおもいます。


――と、

おもうのですが、

はじめからいっておきますと、

これはなんというか……人様に説明するのが難しい。


・実=小津安二郎

だと「レール」&「パン」というわかりやすいコトバがあったので

説明しやすかったのですが、


・勇ちゃん=観客

は、なんというか、コトバではない、映画のリズムに関わってくる問題なので……


ま、いいや、

やっていきます。

とにかく、

間宮家の次男、間宮勇は、画面を見つめているわれわれ観客なのです。(断言)


□□□□□□□□


見ていきたいのは「麦秋」のオープニング。

S3「間宮家の二階」からS14まで

ここは勇ちゃんが中心になりますので、

(家族のほぼ全員がグズな勇ちゃんを気にかけている)

「勇ちゃんシーン」と名付けることにしましょう。


「晩春」は当ブログの

『「晩春」のすべて その2』

例の白ソックスシーンから

カット、カット、カット、のカットしまくり映像で

エンジン全開トップギアに叩きこんでいったのですが――


「麦秋」はオープニングの勇ちゃんシーンからエンジン全開です。

カットカットカットの「つながったお沢庵」が堪能できます。


「晩春」の白ソックスシーン(S32~S37)

が、5分47秒を、28ショットで構成していたのに対し、


「麦秋」の勇ちゃんシーンは

5分12秒を25ショットで構成します。

1ショット平均12.48秒。


「晩春」の白ソックスシーンが1ショット平均12.39秒でしたので

非常に似通った数値です。

ここらへん、意識的であったのか、小津安っさん。


ヴィム・ヴェンダース「東京画」より……↓↓


小津安二郎愛用の特注ストップウォッチ。

手はカメラマンの厚田雄春さん。

外周の赤い数字がコマ数をあらわす、とか。

なんかこういうのをみると意識的であった、としかおもえない。



えー例によって平面図に

カメラ位置を書きこみました。


あくまで推定、です。







白ソックスシーンのカメラ位置はA~Mの13箇所に対し、

今回みていく

勇ちゃんシーンのカメラ位置はA~Pの16箇所です。


「晩春」では中盤、月丘夢路のアヤちゃんが登場するまで

2階はあきらかにならなかったのですが、

「麦秋」ではオープニングから2階が登場します。


以下、ショット1からみていきましょう。


□□□□□□□□


・ショット1(カメラ位置A)

シナリオのS3

カナリアの鳥かごがたくさんあります。


鳥かごに関しては……

厚田雄春が小津安っさんの深川の実家を語っている証言――


小津さんの部屋は二階なんですが、長い廊下があって、庭の方にまわると、お父様が飼っておられた十姉妹やカナリアが幾つかの籠に入って並んでいて、鑑賞会に出すような見事なランチュウもいましたね。

(筑摩書房「小津安二郎物語」18ページより)


カナリアの鳥かごというのは

小津安二郎自身の懐かしい風景であったようです。

深川の小津家は、たぶん、

間宮家より数倍デカい豪邸だったでしょうが。


ちなみに左隅に見える部屋↓↓は、



作品中で一度も人物が立ち入らない謎の部屋です。

どうも東山千栄子がお化粧したりする鏡台かとおもわれますが……

(鏡、ですよね。ちなみに紀子の部屋は南側です。平面図のCのあたり)


謎です。

(淡島千景のアヤちゃんが遊びに来るシーンでも垣間見える)


・ショット2(カメラ位置B)


菅井一郎がカナリアのエサを作っています。


・ショット3(カメラ位置C)


前回ご紹介したショット。

実くんがおじいちゃんを呼びに来ます。


左手に階段があります。

実くんの背中側が紀ちゃんの部屋。


・ショット4(カメラ位置D)


シナリオのS4

カメラが一階におりてきます。

廊下から台所をまっすぐ狙う 「これぞ小津映画」というショット。



・ショット5(カメラ位置E)


シナリオのS5

廊下から茶の間を狙います。

うしろでネクタイを締めているのは笠智衆。


例によってヒロイン……原節ちゃんの横顔を狙う小津安っさんです。


原節ちゃん、実くん、

二人で勇ちゃんを呼びます。


・ショット6(カメラ位置F)


廊下から子供部屋を狙います。

勇ちゃんの登場。


・ショット7(カメラ位置G)


「ショット5」のドンデンを返したわけです。


紀子「勇ちゃん、お顔洗った?」

勇「洗ったよ」(と茶碗を出す)

紀子「駄目々々! ゆうべの卵、まだお口のまわりについてる」

勇、恨めしそうに立ってゆく。


・ショット8(カメラ位置D)


ふたたび台所を狙うカメラ位置。

シナリオのS6



・ショット9(カメラ位置H)


「晩春」ではたった1回しか登場しなかった洗面所ですが、

「麦秋」は数回登場機会があります。

シナリオのS7


・ショット10(カメラ位置I)


構図は、カメラ位置Eに良く似ていますが、

ちょっと下がった場所から撮っているようです。


「晩春」ではこういう事をやらなかったような気がする。


シナリオのS8

勇、戻って来る。

紀子「もう洗って来たの?」


・ショット11(カメラ位置J)


勇ちゃんのアップ。

勇「洗ったよ、嘘だと思ったらタオル濡れてるよ」


・ショット12(カメラ位置K)


原節子のアップ。


「ホントかなあ」といいますが、どういうわけかシナリオには記載がない。


・ショット13(カメラ位置I)


周吉(菅井一郎)が一階におりてきます。

画面内の人物は5人。

「晩春」の白ソックスシーンがたった2人だったのに対し、

とにかく多人数がぞろぞろ動き回る「麦秋」です。

・ショット14(カメラ位置L)


周吉「早いんだね、今朝は」


・ショット15(カメラ位置M)

康一「ええ、ちょっと気になる患者があるもんですから」


ようやく笠智衆が喋る。

彼の職業が医師だとわかります。


ちなみに……

このシーンでもそうですが、

「麦秋」全体を通して笠智衆は子供に接触しようとしない。


S57で、勇ちゃんをシッシッと追い払い、

S88で、実くんを殴る。


たぶん、それくらいのものです。

これは小津安っさんの作品歴からみると異常事態で……


「青春の夢いまいづこ」「出来ごころ」「浮草物語」「父ありき」と……

ものすごくべたべたした

父―息子を見せられてきただけに、

アレッという感じもします。

とくに「父ありき」は恋人同士か???

というくらいのベタベタであっただけに。


というか、この「間宮康一」は

笠智衆の演じるキャラとしては例外的に

どこか利己的で自分中心な人物に描かれています。


といって彼には彼なりの思いやりもあるのですが……


ま、暴君実くんはいかにもこの男の血を受け継いでいる感じがしますなーー


・ショット16(カメラ位置I)

このショットは長い。


笠智衆が支度をおわって、で、行ってまいりますと父親にいって玄関へ。


紀子「お兄さん、いそがないとあと七分よ」

といいますので↓↓


原節ちゃんの目線の先には時計があるらしい。

けっきょく写ることはありませんが。


・ショット17(カメラ位置F)


シナリオのS9


笠智衆が出かけます。


「勇ちゃんシーン」家族全員が勇ちゃんにかまうのですが、

(声をかけたり、頭をなでたり)

笠智衆だけは勇ちゃん無視でいなくなります。


・ショット18(カメラ位置I)


5人。
康一(笠智衆)、実くん、がいなくなり、

かわりに三宅邦子、東山千栄子が加わります。


なんか5人以上にはしない、みたいな規則でもあるのか?

ここも長いショット。カメラ位置Iは長いショットばかり。


……とかいって他の監督からすればバカに短いですが。


個人的なことを書きますと、

タルコフスキー「鏡」を最近みまして、


あまりに長いショット……1分2分は当たり前に続く……

に「これは人間業かっ!」と驚愕したりしました……

あと、カメラが動く動く!!しかも滑らか……


あれに比べちゃうと、小津安っさんのトラッキングショットは

どシロート……


ついでのついでに書きますと、

タルコフスキー「鏡」

坊主頭のガキが二人出て来て画面中をちょろちょろ動き回る、

という点では「麦秋」にちょいと似ているような。


タルコフスキー、もしや「麦秋」ファンか??

小津の存在は100パー確実に知っていただろうが。


以下4枚。タルコフスキー「鏡」↓↓


子どもがドアを開けようとするが開かない。

あきらめて行ってしまうと……


どうした拍子か、ドアが開いて

(犬が押したのか)


お母さんがあらわれる。(マルガリータ・テレホワ……綺麗)

意外なところから意外な人が出現……


ワンショットでやってますが、

なんかロシア家屋で「小津」やってみました、

という印象を受けるのだが……

(そういやカメラ位置もローポジ……)


じゃがいもの皮むき=リンゴの皮むき……

まさか??……



たぶん僕が小津中毒なせいでしょうねーー??……



もとい、

・ショット19(カメラ位置D)


例の「不在の階段」を原節ちゃんがのぼっていきます。


・ショット20(カメラ位置N)


一番奥、南向きの部屋が原節ちゃんの部屋らしいです。

(作品中、けっきょく明らかにされない)


ただ、こうしてみると、二部屋を独占している気がする。

読書はこの部屋でするっぽい。


シナリオS11では

「紀子、来ると、化粧を直し、出勤の支度をして、書類鞄に岩波文庫などを入れて出てゆく」


このショット、原節ちゃんの背中側はたぶん物干し。


・ショット21(カメラ位置D)


そうそうカメラ位置Dからはラジオが見えますな。(右上)

曾宮家のラジオより新しいタイプのようにみえます。

(次作「お茶漬けの味」の佐竹家になると、女中さんのいる金持ちのせいか、やけにモダンで高そうなラジオなんである)


・ショット22(カメラ位置O)


ショット7の「カメラ位置G」より

やや後ろにさがった位置、だとおもわれます。


紀子「行ってまいります」

史子「行ってらっしゃい」


50年代のOLさんは白手袋をするのである。かっこいい……


・ショット23(カメラ位置F)


三宅邦子がお父さまの原稿を原節ちゃんに渡します。


このショット23で……


「主役」の勇ちゃん、子供部屋に戻って行きます。


原節ちゃんが実くんにはやくしなさい、といい、

三宅邦子が原稿を原節ちゃんにわたし、

三宅邦子が実くんにはやくしなさい、といい、

勇ちゃんが子供部屋に戻ってくる。


と、ひじょうに忙しいショットです。


・ショット24(カメラ位置O)


実くんが「行ってまいりまアす」と叫びます。


・ショット25(カメラ位置P)


「行ってまいりまアす!」

とまた実くんが叫び、戸が閉まります。


こういう位置から引き戸を狙う、というのは

「晩春」ではまったくなかったので、新鮮。

で、
閉まったかとおもうと

轟音が鳴り響き……

S15「驀進する電車の側面」

「戸塚、保土ヶ谷の間あたり」――。


というように、ですね、

オープニングからがんがん飛ばしているわけです、はい。


大人数のキャストを動かしまくり、

カメラ位置も動かしまくり、

カットしまくり、

小津節全開、なわけです。


はい。

ただ……


・勇ちゃん=観客


は、全く証明できていない気が。


はい、今回は証明の準備、ということで。

次回、がんばりたいとおもいます。


小津安二郎「麦秋」のすべて その3

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前回、

・勇ちゃん=観客

なる謎の等式を示しただけで

証明せずに終わりました。


今回は証明していきたいとおもいます。


……が、はじめに申し上げておきますと、

しょっぱな、ちょっと退屈な話が展開するとおもいます。


□□□□□□□□


「映画の骨格をどうやって作るか?」

というのは、作家にとってものすごく大きな問題です。


これは
「観客の注意をいかに引き止めるか?」

という問題かもしれません。


その点、めちゃくちゃ上手いな~

とおもわせるのは黒澤明で……


処女作の「姿三四郎」から、

もう黒澤はクロサワしていました。



どういうことか? というと、

「映画の骨格に 神話・おとぎ話の構造を使用する」

というやり方のことです。


「姿三四郎」を例にとると――

・三四郎が柔術の強いお師匠さんを探す→父親捜し

・三四郎が師匠に「死ね!」といわれて池にとびこみ、

蓮の花の咲く光景に感動する→真理・宝物の発見

・檜垣源之助との決闘→自分の分身との対決


という具合に、「姿三四郎」は

誰でも知っている神話、おとぎ話の構造に乗っているので

どの時代のどの国の人がみてもおもしろい作品に仕上がっています。


戦後の「野良犬」はどこか

ダンテの「神曲」めいた趣があります。

闇市=地獄

志村喬の先輩刑事=ウェルギリウス



「用心棒」「椿三十郎」は

放浪する神の物語、です。


放浪する神が、危機に瀕した共同体を立て直し、そして去っていく。


まー、ミフネの場合、悪いやつを皆殺しにするんですが……



……そして、クロサワ信者のジョージ・ルーカスが

ハリウッドで作ったのが


「スター・ウォーズ」

なる、SF神話であったわけです。


これまた背骨は「父親捜し」の神話であるわけです。

父親殺し、でもあるか。



一方、小津安っさんは……

「映画の骨格をどうやって作るか?」


この問題をどう処理していたか?


初期サイレント作品は非常にはっきりしています。


「ホワイトカラーの直面する社会問題をリアリスティックに描く」


――これ一本槍です。


「東京の合唱」にしろ

「生まれてはみたけれど」にしろ

同じこと。


この姿勢が評論家に支持されたわけですが、

雇用主の松竹としては


「インテリの受けはいいが、売れない監督」

というのが正直な評価だったわけです。


「でも、インテリ向きの看板になるから飼っておくか。小津君いい奴だし」

というのがホンネだったでしょう。




では「喜八物」への転換はどうしたことだったのか?


それが1933年という……ドイツでナチス政権が誕生した年だったことは

けっこう大きな意味があったとおもえます。


小津安っさんにとって

「ホワイトカラーの直面する社会問題をリアリスティックに描く」

この方向の限界がみえてしまったのでしょう。


1933年に「社会問題」を扱うとすると……

必然的にファシズムの方向にむかうか、

逆方向のコミュニズムの方向にむかうか、


そのどちらかの選択肢しかなかった。

しかし、伝統あるブルジョワ家庭の出身でモダンボーイの彼には

右に進もうが、左に進もうが、

どちらにしろ「野暮なことはやりたくねえや」

といったところ。


バカらしく思えたのに違いありません。



「喜八物」はクロサワほど露骨ではありませんが、

神話・おとぎ話が土台にあります。


「出来ごころ」「浮草物語」


ずばり「物語」とタイトルにあるように、

ストーリーのしっかりした作品群となっています。


しかし小津安二郎はクロサワの方角には向かわず

「東京の宿」「一人息子」

で、再び社会問題を描き、そして一下士官として、戦場へ向かうわけです。


で……

小津安二郎が、


「映画の骨格に 神話・おとぎ話の構造を使用する」

「ホワイトカラーの直面する社会問題をリアリスティックに描く」


この方法にかわる、第三の方法を思いついたのは

戦場でのこと、だったような気が僕にはします。


戦場での圧倒的な体験が、彼を変えてしまった。

「社会問題」だの「神話」だの

いままでやっていたことすべてがバカらしくおもえてしまった。


以下、戦場から帰ってきて直後の小津安っさんの発言をみていきたいのですが、


小津の奴帰ったら何か変ったものを作るだろうと思うかもしれないが、現地で少しは苦労して来たから多少は変るだろうが、大体暗いものは止めることにした。同じ暗さの中にも明るさを求め、悲壮の根本のも明るさを是非盛込みたいと思う。現地では肯定の精神の下に立ったリアリズムのみで、実際あるものはあるがままに見て来た。これからはこれを映画的に再検討する。

(泰流社「小津安二郎全発言1933~1945」103ページより)


例えば、何というのか、自嘲だけれども、日本の写真は巧ますぎると思ったな。もっとぶっきらぼうな、何となく雲をつかむような、棒杭を抱いているような感じの写真があってもいいのじゃないか。総体に……

(同書121ページより)


だが最近では小手先きだとか技巧なんかから離れて、映画の本質的なものに近付こうとする気持がある。だが未だ小手先きや技巧を捨て切れず、これがちょいちょい顔を出す。その顔を出している所が一番いけないと思うんだ。

(同書127ページより)


「小手先き」のテクニックはやめたい。

「映画の本質」に近付きたい。


で、突如出現したのが「戸田家の兄妹」以下の作品群であったわけですが……


たぶん、僕が「小津の暗号」とかいって騒いでいた、

「3」「△」……


――これがキモだとおもいます。


「戸田家の兄妹」

これは……

これと言って目立った、「社会問題」は出てこない。

そして、神話・おとぎ話も出てこない。

これがおとぎ話だとしたら、

佐分利信はさいご桑野通子と結婚すべきでしょう。

あるいは高峰三枝子と近親相姦すべき……

(神話なら、フツーですもの……)

ところが逃げている。


小津安っさんが、「戸田家の兄妹」で発明した方法論。

それは……


――「幾何学、数字の純粋な運動で客を魅せる」


これだったのでしょう。

作品の冒頭からひたすら「3」「△」をみせつけるやり方。


それが無意識の運動となって、

観客をひきつける。


「戸田家」以降、小津作品がスター総出演作品になってきたのも

ここら辺が理由です。


「神話・おとぎ話」がない、

「社会問題」がない、

……あるのは純粋な運動のみ。


というのでは、さすがにお客が集まるかどうか??

というところでしょう。


われわれ観客は、

華麗なスター達……

高峰三枝子、桑野通子、原節子、月丘夢路が踊る舞踏を……

純粋な幾何学的な運動を……


小津安っさん自身のコトバで言えば、

「もっとぶっきらぼうな、何となく雲をつかむような」
作品を目にするわけです。



なので「晩春」でわたくしが「ニセの△」と呼んだ

・原節子

・笠智衆

・宇佐美淳


ですが、「ニセ」ではなかったのもしれない。

観客を「3」「△」の運動に乗せるための準備体操であったのかもしれない。


□□□□□□□□


はい。でようやく「麦秋」のおはなし。


「麦秋」はおわかりかとおもうんですが……


もちろん「社会問題」→皆無。

「神話・おとぎ話」→皆無。

です。


というか、これは「ストーリー」などといえるのか????

誰が憎み合うわけでもなく、恋愛が始まるでもなく。

大切な何かを失うわけでもなく、

大切な何かを発見するでもなく……


なーーーーーーーーーーんにも起こらない。


「おはなし」としてはものすごくダラ――――ットしています。


「麦秋」冒頭は……

・家族の朝の朝食の風景(前回ご紹介した勇ちゃんシーン)

・横須賀線の中で新聞を交換するオッサン達(笠智衆・宮口精二)

・北鎌倉駅でつまらない会話をする男女(原節子・二本柳寛)

・足の爪切りをするじいさんと孫


これは、

おはなし、ですらない。

ただ「メモ」「スケッチ」の羅列みたいです。

いっさい何の「物語」も膨らんできません。


ところがおもしろいやつにはおもしろい。

というか、「晩春」につづいて、キネマ旬報ベストテン1位。


おもしろいのは「運動」なのです。

「もっとぶっきらぼうな、何となく雲をつかむような」

われわれは

「○」そして「8」の運動に身をゆだねるわけです。




そこで用意されたのが勇ちゃんだとおもわれます。


「晩春」の服部さん(宇佐美淳)みたいなものです。

観客を運動にのせるための道具、です。


・勇ちゃん=観客


われわれ観客は、勇ちゃんになってスクリーンにもぐりこみます。

すると間宮家の全員があたたかく(?)むかえてくれる。


「グズねえ」「さっさとなさい」

といわれますが、

相手が原節子、三宅邦子なので

なんだかうれしい。


しかも、グズなのはあたりまえです。

われわれ観客はまだ、この家族の構成、

そして間宮家の構造がみえていないのですから。



紀子「勇ちゃん、お顔洗った?」

勇「洗ったよ」(と茶碗を出す)

紀子「駄目々々! ゆうべの卵、まだお口のまわりについてる」


と…「○」の提示があります。

しかも二重の「○」です。

卵。

お口のまわり。



↓↓「勇ちゃん、さっさとしなさい」


勇ちゃん=観客は、

「あ。ここが台所か」と発見します。


記憶力がいい人ならば「晩春」とほとんど同じだ。とおもいます。




勇ちゃん、顔を洗いません。


タオルを濡らして、おわり。


この無意味な行程……


「○」……


というか

勇ちゃん=観客としては

間宮家の構造がみたいだけ、ですので。

別に顔なんか洗いたくない。



このショット(前回の記事のショット9)

「○」だらけなのは見逃せない。


左端には安っさんの大好きな時計が。



で、ふたたび茶の間に戻ってくる。



紀子「もう洗って来たの?」

勇「洗ったよ、嘘だと思ったらタオル濡れてるよ」

紀子「そう。ホントかなあ?」



↓えー、念のため、勇ちゃんの無意味な円環運動を示しました。


一周し終わったあたりで、

間宮家の家族構成、家の構造なんかが

なんとなくわかってきます。




以降「○」のくりかえし。


↓前回の記事の「ショット18」で、


東山千栄子がこれ見よがしにナベの蓋をみせつけるあたり……


「○」


おまけに紀子の縁談の相手は真鍋さん……

あだ名は「ナベ」……「○」



勇ちゃんシーンがおわっても円環運動はつづく……


笠智衆、宮口精二が無言で新聞を交換する。↓↓


これなども、ま、二人の仲の良さがわかると同時に……


観客を「○」の運動に乗せているわけです。




そして爪切りシーン。


勇ちゃんはおじいちゃんに

「大好き」「大好き」「大好き」

といい、


「嫌いだよ」「大嫌いだよ」という。


あくまで「○」です。


つづいて丸の内のオフィス。


佐竹「……このごろ、コーヒー、どこがうまいんだい」

紀子「さアー……ルナなんかどうなんでしょう、西銀座の……狭い店ですけど……」


ルナ→月→○……



「麦秋」オープニングはこんな感じです。

くりかえしますと。


・神話・おとぎ話が一切ない。

・社会問題が一切ない。

・ただ「○」の運動だけがある。


この世界に観客を引き込むために

・勇ちゃん=観客

という装置を作ったわけです。


そうして「グズねえ」「さっさとしなさい」

と尻をひっぱたきながら「○」の運動に観客をひっぱりこむ。


つづいて、横須賀線の○、爪切りの○、オフィスの○……


ここで入り込んでしまえばあとはもう、映画の運動に身を任せるだけ、です。


身を任せてしまえば……


『実「うんと長くするんだよ、なア勇」

勇「うん」』


『実「勇……こい」

と勇を呼んで出てゆく。勇、ついてゆく。』


というように

・実=小津安二郎

――の完全な言いなりです。


そして……

S139 勇ちゃんのウンコ発言も……


勇が不意に立って、トコトコ出てゆく、

史子「勇ちゃん、どこ行くの?」

勇「ウンコ――」

これもずいぶん食べたらしい。みんなが明るく笑う。


これも……

勇ちゃん=観客


観客の「もう終わりだな」という感情を先取りしているといえます。
トイレを我慢しているお客もけっこういることでしょう。


□□□□□□□□


んー……

どうですかね??


・勇ちゃん=観客


ようは、後期小津に入っていけない、

なにを見ていいかわからない人たちというのは……


「ストーリー」もしくは「社会問題」


このどちらかを映画の中に見たい人たちなのだとおもいます。

ところが後期小津(「戸田家」以降の小津作品)には

純粋なリズム、運動、しかない。

(「風の中の牝雞」「東京暮色」といった失敗作にはあります。だからこそ、失敗したわけです)


「麦秋」は中でもとりわけ

「ストーリー」「社会問題」が欠如したとりとめもない内容です。

くりかえしますが……

「もっとぶっきらぼうな、何となく雲をつかむような」
なわけです。


誰が苦悩しているわけでもなく……

誰が英雄的な行動に出るわけでもない……


だからこそ小津安二郎に選ばれたのが

・勇ちゃん=観客

なる装置だったのだとおもいます。

小津安二郎「麦秋」のすべて その4

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えー…… その1~その3で、

みごと(?)


・間宮実=小津安二郎

・間宮勇=観客


なる等式を証明しました――『「麦秋」のすべて』


わっはっは。

ざまーみろ、小津安っさん。暗号なんか隠してもムダだからね。


えー……

……その4からは、シナリオ順に「麦秋」を解剖していこうとおもいます。


と、ここで、わたくし、3年前にも

当ブログで「麦秋」の感想を書いていたことを思い出しました。

(2012年3月3日 テーマ「小津安二郎」でまとまってますので、興味ある方どうぞ)

その時の結論は――


・「麦秋」とは

「かくれんぼとは一体なにか?」

という映画である。


というもので……

なかなか鋭いことを書いていたなー とおもいます。


たしかに

・S61(襖が開いて笠智衆が姿をみせる)

S81(実からショートケーキを隠す)

・S133(紀子が帰宅すると、家族が三宅邦子だけ残していなくなる)

等々かくれんぼは多い。


だが、これは「麦秋」の「円運動」……

勇ちゃんが道具……触媒になって巻き起こしてくれる「円運動」を、

見誤っていたのではないかとおもいます。


それに

・間宮実=小津安二郎

・間宮勇=観客

この等式を考えると、ちと浅い結論のような気がする。


今の結論はこうです。


・「麦秋」とは

「映画とは一体なにか?」

という映画である。


――です。

ヒッチコック「裏窓」がやはり

「映画とは一体なんであるのか?」

であったのと同様です。


巨匠、ってやつは一度はこういうことをやりたがるものらしいですな。


実&勇……

「小津安二郎」その人がいて、

「観客」もいる。


そして↑↑

S132 原節子と淡島千景が真鍋さんをのぞこうとするショット。


これはヒロインたちがレンズの向こう側に隠れている

「何者か」――を、

暴きだそうとしている。

そして

カメラはひたすら逃げようとしている。

そんな……あまりといえばあまりな違法行為なのです。

映画の世界に、これ以上の「暴力」というのは……ありません。


これ以上ないほど美しい笑顔を見せながら

原節子&淡島千景は

日本映画史上最悪の暴力行為を行っているわけです。


□□□□□□□□


ま、ともかく最初から解剖していきます。


繰り返しますが、「麦秋」は「○」の映画です。

円運動。


そして数字の「8」が支配する映画です。

以下、何度も何度も「○」と「8」を指摘していくとおもいます。


けっ、しつけーな……

とおもうほど繰り返すとおもいます。

覚悟してくださいませ。



S5

間宮家の茶の間。

例の勇ちゃんシーンです。


紀子=原節ちゃんの登場。

おもしろいのは……「晩春」の登場シーンと真逆なことです。


この冴えない登場シーンをみよ……↓↓



対する

「晩春」S4↓↓ ジャジャーン!


「日本の美」!!



円覚寺でのお茶会で、エレガントに登場した

東大教授のお嬢様、曾宮紀子でしたが、


間宮紀子は、ごはんを食べながらフガフガセリフをいいます。

もう最悪です。

「ありがとう」

「勇ちゃん」

ごはん食べながら、です。


ようするに

間宮紀子は、アンチ「曾宮紀子」として出現するわけです。

・職業婦人であり、

・両親が健在で、

・結婚相手は自分で決める。


あと、お着物は着ない、とかもアンチ「曾宮紀子」してます。

ファザコンじゃないし。


あと、足裏をみせない、というのもアンチ曾宮紀子です。

なぜか? スカートでワサッと隠したりして、間宮紀子は足裏を隠します。

(S113 杉村春子が「アンパン」と口走るあの名シーンとか、そうです)


なんなんでしょうね?


S6

原節ちゃんにいわれて

いやいや顔を洗いに行く勇ちゃんが

台所の前の廊下を通りかかる。



んー……

「○」……


ただ、


「晩春」の「△」とちがって、


「○」は意図的なのか? たまたまなのか?

ひじょうにわかりにくい。


極端なことを言うと、人間の瞳は「○」だし

ワイシャツ、ブラウスのボタンも「○」なのです。


実&勇の坊主頭は「○」だし

そうおもいはじめると……

三宅邦子も東山千栄子もなんだか丸まっこい体型の人たちだし……



S7


↑ただこれは意図的だとおもう。

安っさん大好きな「時計」もあるし。


勇ちゃんの「0」(ゼロ)行動もあるし。

(顔は洗わず、タオルを濡らすだけ)



S10


そして東山千栄子が鍋の蓋をみせつける、というのも前回触れました。「○」


あとテーブルのまわりを家族が囲む……「○」



S17

北鎌倉駅にて。

原節ちゃん&二本柳寛


ご覧になった方ならわかるでしょうが、

将来結びつく、という設定の二人とは

とてもおもえぬ淡々とした描写。




注意していただきたいのは……


謙吉「アア、そうなんです。僕アゆうべ帰ったら11時だった。」


このセリフ。

「麦秋」前半は「時間」に関するセリフ。行動がメチャクチャ多いということ。


・S8

紀子「お兄さん、いそがないとあと7分よ」

・S12

紀子「じゃお姉さん、5時半――」


そして実&勇は。家族に「はやくしろ」とせっつかれる。


以降も時間時間時間、です。



S21


原節ちゃんの勤務先。

丸の内のオフィス……


○の内……



アヤちゃん、淡島千景登場。

「晩春」の月丘夢路もそうだったけど、

アヤ役は宝塚出身女優が勤めます。


そしてオフィスの壁には――

2012年の記事でも触れましたが……


IT'S HERE STRATOCRUISER


ボーイング377ストラトクルーザーのポスター……


これね、B29爆撃機の翼を使って作った旅客機なんです。



つい数年前、日本全土を焼き払った爆撃機が、

あこがれの旅客機になっている、という。


これも一種の「○」ですかね??

奇妙な円環運動、ということで。


次作「お茶漬けの味」、佐分利信がウルグアイ出張に使うのは

たぶん、このストラトクルーザーです。


原節ちゃんの上司役は佐野周二……


佐竹宗太郎、というのだが、

「晩春」で曾宮紀子が結婚するのは、クーちゃん、こと

佐竹熊太郎、でした。


会話に……ルナ→月→○、が登場するというのは触れました。


あと時間に関する話題もあります……

というか、ここはすごい……シナリオ書きの熟練の技……


紀子「どちらへ?」

佐竹「ホテル――。ロバートさんから電話があったら、2時までに伺うって……」

紀子「はい」

アヤ「専務さん、あたしもそこまで乗せてって」

佐竹「違うよ、方向が」

アヤ「いいの、ホテルから廻ってもらう」


「2時」「廻ってもらう」

時間と回転運動の合わせ技です。


モノ作りってのはここまで突き詰めないとダメなのです。



S23

多喜川……


小料理屋の名前は「多喜川」に決まっています。


ただ、「晩春」の多喜川より大きな店のようです。


まさか、改装したのか?




S25

多喜川の店内。


おなじみの視線がかみあわない会話。



これに関しては、いろいろ批判されていて、

それに対して、小津安二郎自身、色々反論しているわけですけど……


前回見たように、

小津安っさんの「戸田家の兄妹」以降の作品というのは、


・神話、おとぎ話

・社会問題


といった観客にわかりやすい要素を捨てたところにあるわけです。

映画本来のリズムとかテンポとか運動とかで勝負しよう、という作品。


はっきりいっちゃえば観客にサービスしない作品、なわけです。


じつはサービス満点なんだけど、

それが「△」とか「○」とか非常にわかりにくい作品。



この視線のかみあわなさは……

この孤高の作品スタイルに、ぴったりあってる、気がする。


しかし、

「あのなー、社会問題扱ってたサイレント時代から視線かみあってねぇじゃねーか!!」

といわれると身もふたもないのですが……


このシーンの主役は、三宅邦子ですかね~

いい女優さんだな~


家庭の主婦がひさしぶりの外食ではしゃいでいる感がすごい。


笠智衆にしろ、原節子にしろ、勤めに出てますから

外食はふつーのことなわけですけど。

三宅邦子はそうじゃない。


あと……

三宅邦子、小津作品三作品目ですけど。

「戸田家」では高峰三枝子たちをいじめる兄嫁

「晩春」は原節ちゃんに睨まれる三輪さん


と、憎まれる役ばっかでしたので、いい人役ははじめて。


えーあいかわらず、時間時間時間です。

原節ちゃんが時計をみて、笠智衆も時計をみます。

この食事のあと、東京駅へ、大和のおじいさまを迎えにいくのです。


紀子(時計をみて)「お兄さん、銀座歩くんだったら、、もうそろそろご飯にしないと……」

康一「そうか(と自分も時計を見て)……9時45分だったね。まだ大丈夫だね」


あ。そうそう原節ちゃん、また足裏なし、です。




S30

左から

菅井一郎、高堂国典、原節子。




大和のおじいさま……


茂吉(聞こえたのかどうか)「ウーム……嫁にゆこじゃなし婿取ろじゃなし、鯛の浜焼き食おじゃなし……ハハハハハ」


などといいます。

やっぱり小津作品の中では

「結婚」と「食う」行為が結びついている……


あと「鯛」というと……

「東京物語」S96 笠智衆と服部さん(十朱久雄)との会話で……


服部「アア、花時がすむと、うまい鯛が安うなって……東京へ来てからは鯛もサッパリ食えましぇんわ」


というのがあり、どこか楽園(尾道)のイメージと結びついています。


あと「服部さん」という名前も気になるが……(もちろん「晩春」)

きりがないのでやめておこう。



S35


長谷の大仏。

「朗らかに歩め」「父ありき」……


あとなんかありましたっけ??



「○」です。


白ソックスにサンダル、というスタイルの原節ちゃん。




それから

大和のおじいさまの歌舞伎見物のシーンがあって、


S40


その中継をラジオできいている美女二人。

こういう歌舞伎の中継とかってふつうにあったことなのだろうか??


あったんでしょうねぇ。

「東京物語」では中村伸郎がきいてたりする。


アヤちゃんの実家は

築地の料亭「田むら」という設定。



同級生の高子というのが、旦那とケンカして逃げて来ている。

このあたりもシナリオの妙技にうっとりしてしまいます。


アヤ「円満すぎたのよ、ねえ」

高子「何が?」

アヤ「あんたンとこ」

高子「円満なもんか!」


高子「しゃくにさわったから毎日ニンジンばっかり食べさせてやった……」

紀子「犬、ニンジンきらい?」

高子「犬じゃないわよ、うちによ」


円満→円→○


あと、「結婚」と「食べる」……



あと、ですねー……

このセットはなんか……


くさい。とおもっていたのですが……


なにか隠してる……



「○」が8個。


深読みしすぎなのだろうか……


ただこの直後、専務からの縁談が登場することを考えると……



アヤ「なアに?」

紀子「――(時計を見て)まだ大丈夫ね」


と、またまた時計、時間が出て来て……

専務のいる二階へ。


S42


「ナベ」こと「真鍋さん」との縁談がもちだされます。




というか、この「S」マークが気になるんですが……


えー、またまた時計、時間。


紀子(笑いながら時計を見て)「あたし……」

佐竹「なんだい?」

紀子「ちょいと人を迎えに行かなきゃなりませんから……」


と、ここで真鍋さんの写真がチラッと……


個人的にはこの写真……

小津安二郎その人の写真であって欲しいとおもっているのですが。

ゴルフ好きだしね。

それくらいのイタズラはやりかねないよ。


小津安二郎、原節子と結婚か??

なんて騒がれていたのはこの頃でしょう。


まったくなぁーーんにもなかったのが真相のようですが。






S46

台所。なんとも美しいショット


紀子「ねえお姉さん、今日専務からお嫁にいかないかって言われちゃったの」

史子「そう。大和のおじいさまにもあンのよ、そんなお話」

紀子「あ、そう。急に売れっ子だな、凄いな」


という名台詞がありますが、


注目したいのはボーンボーンと時計の鐘がなること。

夜の11時です。


時間、時計。


で、その翌日。

S48

康一、笠智衆の勤める病院ですが……


ちょうど二本柳寛(顕微鏡をのぞいている)の真上に時計。


じつにおそろしいのは……




あんなに時計、時間ばっかりだった「麦秋」前半。


このショットをさいごに時計、時間に言及されなくなること。

映像にもあらわれません。


その最後の最後のショット、

奇しくも、紀子の将来のお婿さんが写っているという……


「奇しくも」じゃなく、計算されつくしています……


S55


で、アヤちゃんのお母さん(高橋とよ)から専務の縁談をきかされた笠智衆。

三宅邦子にきかせるのですが……


ここで勇ちゃんが円運動をしながら登場するというのは、

(○です)


「勇ちゃん=観客」説を裏付けているような気がします。


観客が、「お、やっぱし紀子の縁談か」

と身を乗り出すところだからです。


ようするに「麦秋」の全体の構造は……

・前半、勇ちゃんの引き起こした円運動(○)でひっぱり

(時計、時間の話題が異様に多いのもそのためです)

・後半、おなじみ紀子の縁談でひっぱる。


というもの。


ですので、勇ちゃんがシッシッと追い払われてしまうのは……




「もう、お前の円運動はおわりだよ。あっち行け」

といっているのかもしれません。


そしてかわりにあらわれるのが兄、実くんの「レール」だったりするのは

興味深いです。






S58

ただし○は登場しつづけまして……


康一「紀子に縁談があるんですがね」

周吉「ああ、そうかい」

康一「なかなかよさそうなんですよ」

周吉「そう。そりゃいいね。――もうやらないといけないよ」


と見事に空虚な会話。

なにが「そりゃいいね」だかさっぱりわからない。


いえ……批判しているんじゃなく、

幸せな家庭の会話、ってこんなもんです。

「○」です。




S60



銀座の喫茶店。

同級生チャア子の結婚式の帰り。



天井に○……

あと壁画のおっぱいが○……


おもしろい、というか、皮肉なのは……


既婚者二人はおっぱいの真下にいて、


独身の二人はレンガに囲まれている。という点……



えー……

ちょいと長くなりそうなので、ここらへんで終わります。


その5につづく。

小津安二郎「麦秋」のすべて その5

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その5 です。

このペースで書いていったら、一体いつ終わるのであろうか??


ともかく


S60

銀座の喫茶店シーンのつづきです。


ここは会話も「○」だらけです。


新婚旅行は雨に降られちゃったので

旅館で旦那とコマを回しっこしていたという……


高子「コマ?」

マリ「うん。あるじゃない。ホラ、国旗かなんか描いてある……あれ廻しっこしてたのよ」

アヤ(横から)「あ、そう」


コマ、廻しっこ→「○」

あと「マリ」なる役名も「○」っぽい……


ま、ここはなんとなく性的なほのめかしも感じられますが……

(だから? アヤが機嫌が悪くなる)


にしても……

原節子&淡島千景



淡島千景は独身を通して亡くなったし……

原節ちゃんは、まだご存命なんでしょうか??

独身ですよね。


小津映画って、たまにこういう予言めいたところがあってコワイ。

戦前は岡田嘉子に関して、こんな予言めいたことやってたし……


えーこのシーンはおっぱい攻撃がしつこい。
鹿だか牛だかの動物のおっぱい。


でも……考えてみると……


女性が4人集まれば、おっぱいは……


「○」……「8」……


……ですよね??



深読み?――


ですか??……




おつぎ、

S61

原節ちゃんがショートケーキをおみやげに持ち帰ります。


ショートケーキ=もちろん「○」


「結婚」=「食べる」を考えるならば

「○」の形のショートケーキは、ま、完璧な食材といえます。



安っさん大好きな「足裏」がようやく登場。


というか大事なシーンまでとっておいたのか??


なんつったって……


おなじみ恋する乙女のポーズ……


手をゴニョゴニョ……


それにボインボインが登場します。




史子「行っちゃいなさいよ。――どうなの? 専務さんのお話――」

紀子(いたずらっぽく)「いいんだって……とってもいいんだって専務さんがおっしゃンのよ」


というのですが、

このはしゃぎっぷりは

「真鍋さん」ではなくて


謙吉さん

矢部謙吉(二本柳寛)のことを考えていますね~

どうみても。



これは、S25 多喜川のお座敷で


紀子「いけないんじゃない、いかないの。いこうと思ったら、いつだっていけます」

康一「うそつけ」

史子「でもお医者さんだけはおよしなさいね」

紀子「勿論よ」


この対話に対応しています。

うそつき紀子です。


なにもかも矢部謙吉にむけて綿密な準備がほどこされているわけです。


あーーーー……すさまじいシナリオだ……

ため息しかでません……



メンバーもあの多喜川と同じだしね。

笠智衆、原節子、三宅邦子。


……にしても笠智衆が襖を音もなく開ける、このショット……




これぞ、映画本来の運動、といったものでしょう。

サイレントでさんざん訓練を積んできた人間にだけが出せる

名シーンといったところか。


S64


で、その翌日、謙吉君のお母さん、たみ(杉村春子)が間宮家をご訪問。


ここで

「省二」なる人物――が、はじめて姿をみせます。


たみ「お宅の省二さんも」

周吉(ふと寂しく)「いやア……あれはもう帰って来ませんわ……」

たみ「でも、このごろになってまたポツポツ南方から……」

周吉「いやア……もう諦めてますよ」

志げ(お茶を出す)「どうぞ」

たみ「はあ……」

周吉「これ(志げ)は省二がまだどっかで生きてると思ってるようですがね……」



終戦後六年。

いまだ行方不明の間宮省二。


ここで観客ははじめて

間宮家の構成人数が「8」だと知ります。


お母さん、東山千栄子の視線の先は……

鯉のぼり。


S65


矢車→「○」&回転運動

鯉の目→「○」


S67


笠智衆が友人の宮口精二と碁を打っています。


碁→もちろん「○」

○だらけのゲームです。

いっぽうそのころ、間宮家では……

S69


ガキども……

頭が○だらけ……


でも

・実=小津安二郎

ということを考えると、


このシーン

映画の撮影現場のパロディのような気がしてきます。

セットの中を縦横にコード類が走り回り、

男たちが「気をつけろ」だのなんだの叫びあっている。


「しょせん、オレのやってることなんてガキの遊びだよ」

そういう安っさん自身の自嘲もこめられているのか??


原節ちゃんが差し入れに来る……

というのも含めて。

ぜんぶ撮影現場のパロディ……




S70







↑注目したいのはココ。


間宮家の引き戸は、開くとベルが鳴るのですが……

(曾宮家同様。というか、歌舞伎の花道みたいです)


原節ちゃんが異様に驚く。

今日は、友人一同が集まる約束をしているのにも関わらず……


この異様な驚きっぷり。


僕は間宮省二のことを考えたい。


――「まさか、省兄さん??」

という驚きである、と。


ちなみに、

紀子が引き戸が開く音で異様に驚くショットは

あともう一つあります。


登場したのはアヤちゃん。

紬のおキモノ。

小津安っさんは結城紬マニアであった由。





南部圭之介と淡島千景の対談「バラ・お色気・芸人のことなど」(「近代映画」昭和二十六年十二月号)の中の『麦秋』に触れた話題で〈ところで貴方のあの彼女ねえ、節ちゃんの家に遊びにゆくでしょ、あの時の着物なあに?/結城です。/あそうか、小津安二郎てのは結城マニアだからね。〉というやりとりがある。

(フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」435ページより)


S71

『「晩春」のすべて』で、


小津作品の中で「食べる」と「飲む」はまったく違う意味がある。

と書きました。


・一緒に「食べる」のは家族、もしくは将来結ばれる相手と、だけ。

・それ以外の人とは「飲む」だけ。


ただ、小津安っさん、「男の友情」は信じていたみたいで、

「麦秋」の男の子たちは一緒に食べます。eatしてます。


そう考えると、

「淑女は何を忘れたか」

→師弟関係の斎藤達雄と佐野周二が一緒にご飯を食べる。

「戸田家の兄妹」

→佐分利信、笠智衆たち友人と一緒にご飯を食べる。


というシーンがありました。

どっちも家族ではないですね。

でも

安っさんによれば「家族」同様であるらしいです。




S73

間宮家の家紋

「○」が「8」つ、が出てくるのはここ。



S74


で、drinkシーン。

小津安っさん「女の友情」というのは信じていなかったか??


紀子「……いやアねえ……。(気を変えて)ねえ、あとで海行ってみない?」

アヤ「うん、行こうか」

紀子「ね、食べない」

アヤ「うん、食べよう」


といいますが、「食べる」ところは写りません。




S75


ですが、菅井一郎と東山千栄子は夫婦ですので

一緒に「食べる」


上野のトーハクです。

東京国立博物館。


おなじみ(?)ユリノキがみえます。


博物館の本館、この頃は窓があったんだな、とわかります。

今はふさがれています。


東山千栄子の無邪気な笑顔がいいですな~


風船=「○」ですが……


さっきの間宮家の家紋、「○」が「8」つを思い出したいところ。


なんで、東山千栄子のお母さんがこんなに喜んでいるかというと……


この「○」は省二だから、です。



で、

S78


ふたたび間宮家の電話。

康一(笠智衆)が気になる患者がいるので帰れない、といいます。


ここで再び「○」が「8」つ。


杉村春子が登場したS64からここまで

「麦秋」は間宮省二なる……

大きな「○」を中心に動いています。







S79

またまたショートケーキの登場。「○」

ショートケーキがいかに完璧な食材か、というのはS61の解説で触れました。


んーなんですが、

わたくし的には……


原節ちゃんの……お胸の……

セーター越しの……


あれが……




お胸の「○」が気になってしかたないぃぃぃぃ……


ああん、真面目にやってますよ。マジメに。


だって、ね。銀座のカフェの壁画の例もあるわけですし。


おっぱい=「○」ですよ。


そしておっぱいは「結婚」に結びついていましたっけ。




「こんばんは」

紀子「どなた?」

「矢部です」


また引き戸が開いて、ベルが鳴り、

原節ちゃんが異様に驚く。というパターン。


淡島千景が結城紬を着て登場するあそこと同じです。

「ま、まさか、省兄さん??」


でもやってきたのは矢部さん。

二本柳寛。


S80





間宮家最大の「○」――間宮省二をめぐる動き。

ちょっと整理しましょう。


S64―間宮省二の存在が観客に判明する。

S65―鯉のぼりの「○」

S70―引き戸の開く音に異様に驚く紀子

S73―間宮家の家紋 「○」が「8」つ

S75―空飛ぶ風船 「○」

S78―ふたたび家紋 「○」が「8」つ

S79―ふたたび異様に驚く紀子

S80―矢部謙吉、間宮家を訪問


「○」はS75で空飛ぶ風船になって飛んでいってしまいますが、

S80で矢部謙吉に姿を変えて戻ってくる。


そう考えていいでしょう。


そして間宮家の茶の間のテーブルには

立派なショートケーキ 「○」が乗っかっています。

その6につづく。




小津安二郎「麦秋」のすべて その6

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その6です。

たぶん次回 その7でようやくラストまで行けそうだ。

「麦秋」1本でここまで文章が書ける、というのは、

これは才能かもしれない……



えー……

S79

原節子の胸ポチショットがありまして

……「○」



S81



矢部謙吉……二本柳寛がめでたくショートケーキ

……「○」にありつきます。

しかし、

暴君、実くんが出現しますので、

みんなでショートケーキを隠します。


このシーンの撮影風景が、

フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」

100ページあたりに紹介されていて……


実くん(村瀬禅)も苦労したんだな、とわかります。



「ダメだよ、芝居をしちゃ。よろめいて柱にさわるんじゃないんだ。自分の家だから、どこにどんな柱があるかよく知っているんだよ。いつもそこにあるものを何気なくさわりながら歩いてゆく……そういう感じで演るんだ」

 これはいい演出であった。それによって、少年が寝ぼけ眼をこすりながら廊下を歩いてゆくという感じだけでなしに「その家で育って生活している子供」の姿が鮮明に表現されたのである。小津さんの製作態度がこのちょっとしたカットでハッキリわかったような気持ち……。

(「小津安二郎戦後語録集成」100~101ページより)


村瀬禅くん、この時の努力が報われたか、

「東京物語」でも平山実役で登場します。


まー、監督、間宮実とちがって、「ただイヤなガキ」という役ですが……



S83

はい。「麦秋」のすべて その1 でご紹介しました……

「パン」と「レール」の取り違えのシーン……


しかし、小津作品を振り返ってみると

「落第はしたけれど」

→影絵で「パン」という文字を作る。(笠智衆がはじめて役がついた作品)

「一人息子」

→日守新一が飯田蝶子にアンパンを買ってくる。


食べ物の方の「パン」はけっこう大事な場面に登場しますね。

撮影方法の「パン」は、嫌いなんですけど。





S85


ムカついている実くんは放っておいて、

専務の縁談のはなしでもりあがります。


康一「坂口の話だと、善通寺でも指折りの名家で(史子に)そこの次男なんだそうだ」

史子「そう」

康一(再び志げに)「紳士録にも出てるんですが、なかなか遣り手な、しっかりした人らしいんですよ」

志げ「あ、そう。結構なお話ね。――お年は?」

康一「明治43年だから……いくつになるかな……42ですか」

志げ「42……?」

康一「満だと40ですかね」


で、女性陣からは「年が離れすぎている」と不満が出ます。

ついでにいっておくと、小津安っさん、

明治36年生まれの次男坊。

むろん名家「小津家」の出身ですなー



女性陣の渋る顔に

機嫌を悪くする笠智衆。




S86

とうとうキレまして……

洗面所に。


手ぬぐいを肩に叩きつける……この仕草……



なんか見覚えが……??

とおもったら。


「生れてはみたけれど」だった。

なつかしい。


不鮮明な画像ですが。

3枚、「生まれてはみたけれど」


上着を脱いで、肩に叩きつけます。


しかし、この笠智衆の手ぬぐいショットの直後、


「生まれてはみたけれど」のガキども同様

怒り狂う実くんが登場するわけですから……


計算されつくしています。

おそろしいほどに。


S91

紀子「お兄さん駄目よ、自分の感情だけでおこるから……。可哀そうよ」



というんですが……

原節ちゃんのスーツ……


「○」が「8」……

深読みしすぎですか??


右そでにもボタンがあるんでしょうが

写ってませんので「8」




原節ちゃんバスト。


んー……

夕方っぽい照明がたまらんです。


西側を背にしてますので、後光が射したようになって。



S102


子どもたちがなかなか帰ってこないので、

原節ちゃん、矢部家へ……


紀子「あ、小母さん、うちの子供たちお邪魔してません?」


といいますが、


手をゴニョゴニョさせながら男性の家を訪問するというのは……


「淑女と髯」の伊達里子

「出来ごころ」の伏見信子

に、似ています。

どちらも押しかけ女房タイプのキャラです。


じっさいに間宮紀子はそういうキャラなんですが。

つづいての杉村春子のセリフ――



たみ「もうこんなに暗いんだからね、八幡前から長谷の方の通り、ズーッと探してごらんよ。ひょいとしたら駅の近所か、待合室なんかよく見てごらん。裏駅の方もね」


八幡……8幡

意図的なのか、たまたまなのか、もうわかりません。

でも「8」のスーツがあるからなーー……

S103


笠智衆は宮口精二の家に逃げています。


康一「――どうもだんだんおれに似てくるよ……悪いとこばかり似てくる……困ったもんだ……」


というのは、気に入らないことがあると、プイと逃げる性格のことです。


ドナルド・リチー先生がそんなこと書いてましたが、

小津映画のキャラクターは概して

自己抑制の出来る人たちなのです。

感情をコントロールできる人たち。


康一も爆発はしますが、自己分析はきちんとできるのです。





S106

笠智衆から秋田行きのはなしを持ちかけられて、

二本柳寛が帰宅します。


で、矢部家の様子が写されますが……

いろいろ興味深い点が。



まず家の外観が写される、というのが珍しい。


「淑女は何を忘れたか」のドクトルの家とか

「戸田家の兄妹」の戸田家とか

立派なお屋敷は外観が写りますが――


「晩春」の曾宮家、「麦秋」間宮家、

庶民の家は、外観がさっぱりわからない。写らない。




あと、小津映画にめずらしく……ちらかっている。


これは意図的に「○」をばらまいたと見ていいでしょう。


あ。三輪車は「東京物語」の平山紀子(もちろん原節ちゃん)のアパートに登場します。

S108

で、二本柳寛が母親の杉村春子に

秋田行きの決意を語ります。


が、矢部家は内部の様子も珍しい。


というのも「神棚」が写ってる。


「父ありき」の不在の仏壇を思い出しましょう。

佐野周二が仏壇に向かって手を合わせるショットはありますが、

仏壇そのものは写されません。




「一人息子」の冒頭近くに……

↓↓こんなショットがありますが……


神棚そのものは、画面のそとに切れて、みえません。



小津作品の住居内で

「お札」が貼ってあるのはよく目にしますが、


「神棚」がずばり登場するのは珍しい。他にあったかな??


とにかく矢部家はとても変わった家なのです。

S110

丸の内のオフィス。

淡島千景と佐野周二の会話。

紀子……原節ちゃんの噂ばなしです。


佐竹「だれかに惚れたことないのかい?」

アヤ「さア、ないでしょ、あの人。――学校時分ヘップバーンが好きで、ブロマイドこんなに集めてたけど……」


もちろん戦前? 戦中? のはなしですから、

オードリーではなく キャサリン・ヘップバーン。


ヘップバーンに関しては――

昭和14年にこんなことをいっています。小津安二郎。


内田岐三雄 外国の俳優では誰が好きだ?

小津 男ではチャールス・ロートン、ゲーリー・クーパー、ライオネル・バリモア。

(中略)

小津 序に嫌いなものも云わして貰おう――グレタ・ガルボにカザリン・ヘップバーン。

(泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」138ページより)


「晩春」に登場(?)のクーパーは好きな俳優だが、

ヘップバーンは嫌いらしいのである。


たぶん器用に「芝居」しちゃうような人は好きじゃないんだろう。


S112

ニコライ堂そばの喫茶店。


不在の「○」……間宮省二をめぐるシーンです。


謙吉「――昔、学生時分、よく省二君と来たんですよ、ここへ」

紀子「そう」

謙吉「ンで、いつもここにすわったんですよ」

紀子「そう」

謙吉「やっぱりあの額がかかってた……」


小津安っさんお得意の「空間」論、です。

「戸田家の兄妹」の料亭シーンを思い出したい。

佐分利信が父親の死を受け入れる、あのシーン。


このシーンで間宮紀子は

間宮省二を消して……(死を受け入れ)

かわりに矢部謙吉を加えるのだ……


そう見たいところです。

なにしろ「○」は「8」つと決まっていますので。


そうそう原節ちゃんが着ているのは、例の「8」のスーツです。



謙吉「早いもんだなア……」

紀子「そうねえ――よく喧嘩もしたけど、あたし省兄さんとても好きだった……」


謙吉「ああ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向うから来た軍事郵便で、中に麦の穂が這入ってたんですよ」

紀子「――?」

謙吉「その時分、僕アちょうど『麦と兵隊』を読んでて……」

紀子「その手紙頂けない?」

謙吉「ああ、上げますよ。上げようと思ってたんだ……」

タイトルでもある「麦」がでてきます。

もちろん、「麦秋」――ラストシーンは麦畑、です。


「徐州戦」はもちろん

安っさんの親友であった山中貞雄を思い出させます。

以下、戦場から帰ってきてすぐの小津安二郎の談話……


 戦地にいて映画のことは、考えなかった。少しも考えつかないのだ。それほど、兵隊になりきっていたのだと思う。

 徐州会戦に参戦して後、病に侵され、不幸中支に戦病死された東宝の山中貞雄君と、昨年中支戦線で、偶然、逢って話し合った時、山中が、戦場でも映画のことを忘れずに、いろいろメモを書いておいたり、帰還したら、エノケンの「孫悟空」映画を撮ろうとか、……(中略)……相変らず映画に対して熱意を持って話すのに驚かされた。

(泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」113ページより)


もっとも間宮省二の場合、

中国からスマトラに派遣されて、そこで行方不明になったらしいのですが。


S113

矢部家です。

紀子が唐突に結婚を決めるシーン……


ここはもう杉村春子の名演にうっとりするところですが……

セリフも色々おもしろい。


たみ「ええ……うちが鉄道にいたもんだから、宇都宮までは行ったことがあるんですけど……」

旦那さんは国鉄勤務だったらしい。

「レール」が出てきます。

あと……深読み、かもしれんですが。


たみ「いいえね、へへへ、虫のいいお話なんだけど、あんたのような方に、謙吉のお嫁さんになって頂けたらどんなにいいだろうなんて、そんなこと考えたりしてね」

紀子「そう」


この「虫」……

謙吉、二本柳寛がツツガムシの研究をしていることを思い出させる。(S108)


謙吉「それに、秋田へ行きゃアツツガムシもいるし、リケッチヤの研究も出来るんだ」


あと気になるのは……

シナリオで、

「将校用の行李などが出してあって、たみが謙吉の靴下を繕っている。」


この将校用の行李、というのがこれか??↓↓

「矢部」と名札がついている。


そういわれると――個人的な話になりますが、

わたくし、子供時分に

ひい祖母さんにこんな行李をみせてもらったような記憶がある。


もっとも、うちのひい祖父様は海軍士官でしたが……

(「将校」というのは陸軍です。海軍は「士官」)


えー、なにがいいたいのか、というと、

謙吉君も戦争に行っている、ということです。

彼の場合、軍医さんでしょうか。



あ、あと杉村春子のセリフでもうひとつ大事なものを忘れてた。


たみ「よかった。よかった。あたしもうすっかり安心しちゃった。――紀子さん、パン食べない? アンパン」


「アンパン」とはまた……完璧な食材ですね……

小津映画の、細部のそのまた細部までのこだわり……

これはもう……アンパンじゃなきゃいけない。


・「食」=「結婚」の主題

・「○」の食べ物

・「パン」と「レール」


あらゆるテーマを「アンパン」の中につっこんでいます。


S115

えー……結婚する二人が、ただの知合い同士の会話をするシーン。


というか、原節子と二本柳寛が一緒に写る、さいご。

つくづく、凄まじい映画。



シナリオがまた、すさまじく……


紀子「お帰んなさい」

謙吉「ああ、昨日はどうも……」

紀子「明日、何時、上野――?」

謙吉「8時45分の青森行ですよ」

紀子「そう。――じゃ、おやすみ……」

謙吉「やア、おやすみなさい」


これで全部、ですが……


「麦秋」前半しきりに言及されていた「時間」がここでようやく復活します。

「8時45分」……


S48 「時計」と二本柳寛が一緒に写るショット、

これを最後に「時間」「時計」をいったん消して、

で、

このS115で、「8時45分」とじつに久しぶりに「時間」が登場する。

しかも口にするのは二本柳寛。

なにもかも計算しています。


(厳密にいうと、S77、笠智衆の病院の場面で時計が登場しますが、被写界深度の外にあって、焦点があっていません)


S117


たみ「ねえお前、紀子さん来てくれるって! ねえ、うちへ来てくれるってさ!」


全然うれしくなさそうな二本柳寛ですが、


手をゴニョゴニョやっています。

「出来ごころ」の大日方伝そっくりです。

伏見信子を目の前に、

しかめっ面で、手はゴニョゴニョ……


謙吉君、このシーンがさいご。もうスクリーン上には登場しません。

ふつーさ、

原節ちゃんが、秋田へ行く謙吉君へ手を振る、とか撮るよね?

撮りたいよね??


でも、やらない小津安二郎。

S119


康一「紀子が矢部と結婚するって言うんです」

周吉「謙吉君と?」

康一「ええ、いま矢部の小母さんと会って決めて来たって言うんです」


矢部謙吉との結婚を

家族中から反対される紀子。

なんつったって子持ちのやもめ男。お金持ちじゃないし。


↓↓ハァー―……

ため息がでるほど美しいショット。


照明がまたたまらん。


われわれは「わーキレイ」と何となく見てしまいますが……

カメラの厚田さんはいろいろ苦労があったようで……

以下、セット撮影の照明の苦労を語っていらっしゃるところ。



ところが原さんは白いブラウス着ていますね。ご承知のように、小津さんはいろいろ紋様があるものより、単純に白いブラウスのようなものがお好きだ。その白いやつが大変むつかしいんですよ。そっちに合わせたんじゃあ画調がこわれちゃいますから、顔本位でいくわけですが、それには照明を変えなきゃならないんです。

(筑摩書房「小津安二郎物語」214ページより)


↑はブラウスじゃなくてセーターですが、どっちにしろ白系。

カメラやってる方ならおわかりでしょうが、

露出を顔にあわせるか、服に合わせるか、難しい。

それでも今はデジタル処理で、撮影後にいろいろいじれるわけですが……


んーー当時は一発勝負なわけで、

この時代のカメラマンって神さまなんじゃないかとおもいます。


あ。厚田雄春、「麦秋」で

ブルーリボン賞撮影賞受賞してるらしいですが、

当然でしょう。


シナリオとしては

志げ「……だって、そんな大事なお話、あんた、よく考えたの?」

康一「矢部には子供もあるんだぞ」

紀子(頷いて)「…………」


東山千栄子の志げが、反対する所がポイントだとおもいます。


志げ「……だけどあんた、先イ行って後悔しないかい……?」

紀子「しないと思います」

康一「きっとしないな? あとで、しまったと思うようなことないんだな?」

紀子「ありません」


でもここは原節ちゃんのバストショットに酔いましょう。


小津安二郎の完璧な構図。

厚田雄春の職人の技。

そして31歳の原節子。


いじわるな見方をしますと――

「お嫁に行くお嬢さん」役、としてはぎりぎりの最後の年齢なんでしょう。

じっさい「東京物語」以降、未亡人役ばっかりです。


S120

で、東山千栄子がまだブツブツ言っていますが、


志げ「――のんきな子……ひとりで決めちゃって……」

周吉「ウム……」


ここは謙吉君との結婚ではなく、

間宮省二問題を考えたいところ。


おそらく……ですが、家族の中で

間宮省二の生存を信じていたのは

間宮志げ(東山千栄子) 間宮紀子(原節子)

この二人だけだったのです。


東山千栄子はラジオのたずね人を熱心に聞き、

原節子は家の引き戸が開くたびに「省兄さん?」と驚く、


その原節子が、兄の「分身」のような存在の謙吉君と結婚する――

この選択は、間宮省二の死を受け入れたのと同じ。

(ニコライ堂そばのカフェのシーンが効いてきます。麦の穂)


だから東山千栄子は

「ひとりで決めちゃって」と怒っているのです。

同志がいなくなってしまって、寂しいのです。

S124
オフィスの応接室。


紀子「でも、謙吉さん、なんと思ってらっしゃるか……」

たみ「だれ? 謙吉?」

紀子(頷く)「…………」

たみ「もう大へん! あの子だってゆうべよく寝てやしませんよ。夜中にまた一緒にご飯たべちゃったの」


つくづく「結婚」と「食べる」を結び付けたがる安っさんです。



S126


布団に綿を入れています。東山千栄子があいかわらず愚痴……


志げ「いいのかねえ、あんなふうにひとりで決めちゃって……」

史子「そうですねえ……」


布団に綿、というと、「戸田家の兄妹」S45

葛城文子と高峰三枝子が布団に綿を入れていたのを思い出させます。


んーだが、個人的には

三宅邦子のおしりがまんまるなのが気になる……

「○」……

S128


菅井一郎が、踏切でぼんやりしています。


「踏切」もまた小津作品の主要キャラでしょう。


「生まれてはみたけれど」「東京暮色」……


うろこ雲――……


は、小津安っさんの中で

「うつろいやすいもの」「時間の経過」を象徴していたようです。


彼の初期作品「美人哀愁」のオープニングには


「空のうろこ雲/脂粉の女の美しさ/どちらも長くは持ちません/ジャン・コクトオ」


こんなタイトルが出たそうな。

(シナリオしか残っていない)



S130

アヤちゃんちです。

築地の料亭「田むら」


正直、このシーンは長すぎて退屈な気がする。

「麦秋」唯一の弱点。


しかし、このシーンがないと、例の――

後退するカメラを原節子&淡島千景が追いかけるショット。

カメラの向こう側にひそむ何者かを暴こうとするショットが撮れませんから、

必要なんでしょうが、


でもそんな下準備、小津安二郎らしくない。


ちょっと会話は削って欲しい気がする。


紀子「とも言えないんだけど……なんてったらいいのかな……洋裁なんかしてて、ハサミどこかへ置いちゃって、方々探して、なくて、目の前にあるじゃないの」

アヤ「うん、うちのお母さんなんかしょっちゅうよ。眼鏡かけて、眼鏡探してンの」

紀子「つまりあれね」

アヤ「何が?」

紀子「あんまり近すぎて、あの人に気がつかなかったのよ」


ようするに謙吉君との結婚があまりに唐突過ぎて

客が文句を言うかもしれん、とヒヨったような気がする。ここは。

それでいながら、

「ハサミ」「眼鏡」とみごとに「○」なのはさすが。


でも、間宮紀子に

こんな理屈っぽいセリフは言わせたくないな~……

個人的には好きじゃない。


そして原節子&淡島千景の追いかけっこ。

「○」「円運動」


天井の照明も「○」


その7につづく。


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