その7です。
ようやく『「麦秋」のすべて』最終回……たぶん。
S130
ここは正直言って退屈。
「麦秋」の唯一の弱点だと、前回エラソーに書きましたが、
アヤちゃんのお母さん、のぶ(高橋とよ)が登場して以降は、
なんかアヴァンギャルドしています。
のぶ「ねえアヤちゃん、あれどこだっけ?」
アヤ「なあに?」
のぶ「ホラ、こないだの、あれよ。こんなの、あったじゃないの、黄いろいの。――あたし、たしかにどッかへ置いといたんだけど……」
紀子「何探しにいらしったの?」
アヤ「わかンない。いつもああなのよ。またくるわよ。――ねえ、どういうのかしら、ああいうの。あれじゃ、心配で、あたしなかなかお嫁に行けやしない」
「晩春」の
紀子―アヤ、は、
アヤ(月丘夢路)が母親の分身なんじゃないか、と書きましたとおり、
あきらかにアヤの方がお姉さんキャラでした。
バツイチでしたし。
一方、「麦秋」の
紀子―アヤ、は、
紀子の方がお姉さんみたいな感じです。
アヤはマザコンっぽくて、どこかへ勤めに出ているわけでもないし。
(実家の料亭を手伝って立派に働いているんでしょうが)
で、こんなところに「8」が。
紀子「――でも大へんだと思うわ、これから……。いろいろなことが不自由だろうし、月々の心配だって容易なことじゃないし……。お鍋の底ガリガリこすって、真ッ黒になって働くのよ」
アヤ「それで、専務さんの話どうしたの?」
紀子「断ったの、今朝――」
アヤ「なんてってた? 専務さん……」
紀子「大へん古風なアプレ・ゲールだって笑ってたわ」
アヤ「うまいこと言うわね。――いま来てるのよ、二階に」
紀子「そう」
アヤ「その人も一緒よ、真鍋さん」
ここは「○」だらけです。シナリオ書きの妙技。
「月」がやけにでてくる映画です。「○」
「お鍋」ももちろん「○」
専務さんのいう「大へん古風なアプレ・ゲール」
これはなんか、
勇ちゃんの「大好き」「大好き」「大好き」「キライ」「大キライだよ」
に似ている。進歩的なのか古風なのか、さっぱりわからない。
「+」と「-」を一緒に口にして結果「0」にする。
けっきょく円環運動、ということで「○」
ちなみに佐野周二の専務は万事が万事、こんなセリフばっかりで、
S21 アヤに小切手を渡しながら
佐竹「はい――(と小切手を出して)不渡りでも知らないよ」
などという。
よくいますけどね、そういう人。
で、さいごに「ナベ」こと「真鍋さん」の登場。
「○」
で、また「8」……
深読みしすぎだろうか??
でも湯呑の柄といい、原節ちゃんの「8」のスーツといい……
で、例のトラッキングショットへ――
S131
原節子&淡島千景が、階段をのぼっていくと、
高橋とよがあらわれる。
もちろん、さっきのアヤのセリフ、
「いつもああなのよ。またくるわよ」が、
その通りになったわけです。
円環運動、「○」
S132
「麦秋」のすべて その4、で、
・「麦秋」とは
「映画とは一体なにか?」
という映画である。
などと書きました、その象徴がこの移動撮影でしょうねえ。
なんということもない場面ですけど。
個人的には涙なしにみれないショットです。
「なぜ?」といわれると困りますけど。
レンズの向こう側にいる何者かを暴こうとしている二人。
二人が相対しているのはもちろんレンズ――「○」
そう考えますと、「東京物語」のラスト、
東京への汽車の中で
原節ちゃんがお母さんの時計をみつめるあのシーンに
これは対応するのかもしれない。
時計―「○」
「移動撮影」→「汽車」
んで、
また「○」が「8」つ……
S133
間宮家。
紀子が帰ってくると、家族はかくれんぼをはじめます。
紀子「ただ今――おそくなっちゃって……」
史子「お帰んなさい」
紀子「アヤんとこへ寄って来たの」
史子「そう。ご飯は?」
紀子「少しお茶漬け食べようかしら」
次回作はもちろん「お茶漬けの味」――……
しかし「お茶漬けの味」
シナリオは戦前からあったわけで、
「お茶漬け」は別れの儀式、みたいですな。
しかし小津の法則によれば
「食べる」は「家族」とか「結婚」とかに結びついている。
一人で「食べる」
ってのは……
なんだろうな??
三宅邦子が
「アノ、蠅帳に這入ってます、コロッケ……」
というのだが、
原節ちゃんが選んだのはコロッケ(○)ではなく、
きゅうり(○)だった。
また「○」が「8」……
S135
ごそんじ(?)クレーン撮影。
小津安二郎が「ミゾグチ」しちゃってます。
厚田カメラマンの証言を引用します。
ああ、あのクレーンの方は大変でした。何しろワン・ショット撮るのに三日がかりですよ。下が砂なんでクレーンが揺れないように下にいろいろ敷いて足場を固定させといてからやったんですが、ご機嫌悪かったですよ。
(筑摩書房「小津安二郎物語」158ページより)
どうしても揺れちゃって、で、ご機嫌斜め、ですと。
でも完成品は素晴らしい。
原節子、三宅邦子の会話。
セットじゃなくてロケですと。
再び厚田雄春の証言。
あれは曇りの日の夕方をねらってたんです。それに、ライティングを使ってます。あすこも、砂浜なんで、遠くの電柱から電気をとりました。夕暮ですから、光線がだんだん落ちてくるんですが、あのときはあまりテストをなさらないんで、ありがたいなと思いました。
(同書158ページより)
個人的にはこのシーン。
「砂浜」とか「海岸」とかではない……
なにか抽象的な空間で行われているような、そんな印象を受けます。
なにか……地球の外の惑星のような……
ま、これはあくまで個人的な感想ですが、
小津安二郎作品には、こういう非人間的な冷たい……
ゾッとさせられるところがあるような気がします。
例の視線の噛み合わない会話、とか。
紀子(微笑を浮べて)「ほんとはねお姉さん、あたし、四十にもなってまだ一人でブラブラしているような男の人って、あんまり信用出来ないの。子供ぐらいある人の方がかえって信用出来ると思うのよ」
これも、「真鍋さん」というより、
小津安っさんその人を指しているような気がしてしょうがない。
フィルムアート社「全日記 小津安二郎」
1951年11月17日(土)に
「このところ原節子との結婚の噂しきりなり」
とあります。
(「麦秋」封切りは1951年9月)
でもこの時期、日記上にあらわれる女性の名前は
・「森」「築地森」……戦前からのガールフレンド。
・「益子」……中井益子。この人はガールフレンドではなくて、秘書?みたいな娘?みたいな存在の人。のちに佐田啓二の奥さんになる。中井貴一のお母さん。
――この二人がもっとも多いような感じ。
(いちいち数えたわけではないですが)
「原節子」に関する記述はもっぱら仕事関係で、
むしろあんまし小津作品に縁のなかった
「デコ」――高峰秀子の方が
プライベートでは仲が良かったようです。
ん、でも……でも……
「早春」では岸恵子ちゃんが
「火のないところに煙は立たねぇ」とかなんとかいって
通勤仲間にいじめられるところがあるし……
まー、なんだかわかりません。
S136
丸の内のオフィス。
紀子が佐竹専務にお別れにきています。
黒? 紺? 今まで見たことのないスーツです。
このシーンにしか登場しません。
ブローチも気になるが、一体なんだかわかりません。
そして……例のストラトクルーザー……
S137
記念撮影のシーン。
シナリオに記述がないのですが、
監督・実くんが帽子をかぶったり脱いだりして
「どっちにしようかな」
といいます。
やはり監督……
紀子「写真屋さん、もう一枚お願いしたいの」
と、両親の方へ、
紀子「お父さまとお母さまだけ……」
康一「ああ、そりゃいい」
というのですが、このショットでゾッとするのは僕だけでしょうか??……
レンズ=「○」
小津作品でこれほど「レンズ」がはっきり写されたことって??
あったか??……
↓↓「戸田家の兄妹」
谷麗光の写真師ですが、
レンズはななめをむいていて、なんだかわからない。
↓↓「長屋紳士録」
写真師は殿山泰司。
(カメラマン役はクセのある『名脇役』が多いな~)
これはまったく写らない。
「一人お茶漬け」で、原節子を家族から引き離し……
そして
「記念撮影」で、菅井一郎&東山千栄子を大和へ送る……
別れの儀式なわけですが、
でも、
笠智衆、三宅邦子、原節子の笑顔の中に……
「なにかあったら、この写真を遺影に」
という魂胆が……
ぜったいにゼロではないとおもいます。
……よね??
そういう目で見ると、三宅邦子の微笑みは若干コワイ。
S139
シナリオを見てみますと
「おわかれのスキヤキの宴である。それももう終って、みんな箸を置いているのに、実だけがまだ食べている。」
で、勇ちゃんの「ウンコ」発言がある。
という流れ。
ここも深読みしてみたいんですが……
以下に書くことは、なんか
「さすがにそれはない!」
といわれそうな気がするんだが……どうか??
えー「ウンコ」発言ですが、
前に
・勇ちゃん=観客 という説で、
「これはもう終わりだな」という観客の心理を先取りしている、
などと書きました。
それはそうなんですけど……
もうひとつ別の説。
・勇ちゃんのウンコ、
と同時に排出されてしまうのは、間宮省二ではないのか?
ということです。
死者に対して失礼だ!
といわれるとなんともいえないんですが――
でもこのシーンの会話をみると……そんな気が、します。
↓↓以下の会話、実&勇、それと史子がいなくなって
間宮周吉(菅井一郎)
間宮志げ(東山千栄子)
間宮康一(笠智衆)
間宮紀子(原節子)
画面上、この4人だけになります。
周吉「この家へ来てからだって、もう足かけ16年になるものねえ……」
志げ「そうですねえ……紀ちゃんが小学校出た年の春でしたからねえ……」
周吉「そうだよ、実よりちょいと大きいくらいだったからねえ」
康一「こんなとこへちょこんと大きなリボンなんかくっつけて、よく雨ふりお月さまなんか歌っていましたよ」
志げ「可愛かったわねえ」
まず、「16年」――
「麦秋」にでてくる数字は「8」の倍数が多いです。
実くんの口にする「32ミリ・ゲージ」
真鍋さんの年齢「40歳」
それから……
また「月」―「○」
ま、それはそれでおいといて……
16年前は「間宮省二」がこの家にいたはずです。
↑上記の4人+「間宮省二」の5人が間宮家のメンバーだったはずです。
まったく語られないからこそ、
逆に「間宮省二」の存在が不気味に浮かび上がってきます。
会話はさらに続き――
周吉「いやア、わかれわかれになるけどまたいつか一緒になるさ。……いつまでもみんなでこうしていられりゃいいんだけど……そうもいかんしねえ……」
康一「お父さんもお母さんも、また時々は大和から出て来て下さいよ」
周吉「ウム……」
紀子「すみません、あたしのために……」
両親が大和へ行くことが明らかになります。
このことはようするに何を意味するかというと……
志げは、息子の省二を待つのをあきらめた、ということです。
はっきりいっちゃうと、
紀子に続いて、志げもまた、省二の「死」を受けれたということ。
はい。
間宮家最大の「○」――間宮省二。
この○は
勇ちゃんのウンコが排出されると同時に
「麦秋」の世界から掻き消えてしまうのです。
ですので……
原節ちゃんが泣く理由は
彼女の結婚とか、
別れ別れになる家族とか、
そんなことが理由ではなく――
S140
兄の死を悼んでいるのだ、とおもいたい。
彼女がわざわざ2階に来て、泣く。
そりゃ、一人になりたかったのでしょうが。
でも間宮家2階、という謎に満ちた空間をおもうと、そうもいかなくなる。
・なぜか紀子の部屋は写されない。
・人々は北側に集まりたがる。
(両親、大和のおじいさま、紀子&アヤ)
・写されない部屋が多い。
等々、謎の空間。
1階に比べて謎が多すぎる。
そう考えると――
「晩春」の曾宮家2階が 曾宮紀子の空間だったように……
◎「麦秋」の間宮家2階は間宮省二の空間なのではないか??
はっきりいっちゃえば、
◎間宮省二の使っていた部屋で紀子は泣いているのではないか??
そう推測したくなる。
ただ、これは何の証拠もないです。
状況証拠だけ、です。
でも考えれば考えるほど分からないのは……
原節ちゃんが泣いているテーブルで……
この部屋のこの場所は冒頭近く
S11では絨緞が敷いてあるだけで空っぽ。↓↓
S57の肩たたきシーンでもやっぱりテーブルなんかない。
それが、終盤に来て、
S118
紀子がとつぜん結婚を決めてしまう、その直後。
家族からお説教されるシーンの直前に
突如、このテーブルは出現します。↓↓
小津のカラー作品で、
「赤いやかん」が移動する、ってのは有名な話ですが。
このテーブルは異次元から突然出現するのです。
まー、S74、アヤちゃんが遊びに来たときに使うテーブルがそうか?
とおもわれますが、
テーブルクロスがかかっていてなんだかよくわかりません。
ま。テーブルの謎はさておき――
↓↓またまたすんばらしいショット。
背景の輝きが、
まるで原節子を包み込んでいるかのような……
これまた職人技。厚田雄春の仕事です。
S141
突如、空間が移動しまして、
「大和の麦秋」
S142
大和のおじいさま、高堂国典がいますので、
ここは間宮家の本家だとわかります。
おなじみ「○」が「8」の家紋は
左隅にございます↓↓
周吉(ふと外を見て、志げに)「おい、ちょいと見てごらん、お嫁さんが行くよ」
菅井一郎&東山千栄子がみつめるのは……
S143
これが見事に……「8」人、という……
S145
ラストの麦畑――は、とうぜん、
S112 ニコライ堂近くのカフェでの
あの会話を思い出させます。
謙吉「ああ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向うから来た軍事郵便で、中に麦の穂が這入ってたんですよ」
紀子「――?」
謙吉「その時分、僕アちょうど『麦と兵隊』を読んでて……」
紀子「その手紙頂けない?」
謙吉「ああ、上げますよ。上げようと思ってたんだ……」
そしてこのシーンのBGMのコーラスもまた、
ニコライ堂を写したショットのBGMに対応しています。
またまた厚田雄春の証言。
蓮実:ぼくが素晴らしいと思うのは、『麦秋』の最後です。麦畑を手前にとらえて、大和の白い農家が見える。あれは直線でキャメラが動いているんでしょうか。
厚田:あれはねえ、多少斜めの直線の横移動で、麦畑の配列の関係もあって、それをこう横に動いて撮ったんです。だから、左側が小さくなって、右側がだんだん大きく見えてくる。麦畑が斜め、それで終わりの方に行くと農家が出てくる。その立派な屋根のある家がネライだったのでしょう。
蓮実:コーラスが高まって、麦の穂のひとつひとつに焦点が当って静かに麦が流れていく。
厚田:これは大変な手間でした。もう、一日中やってやっとOKが出ました。
(筑摩書房「小津安二郎物語」226ページより)
「麦秋」のすべて、おしまい、です。