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小津安二郎「麦秋」のすべて その7

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その7です。

ようやく『「麦秋」のすべて』最終回……たぶん。


S130


ここは正直言って退屈。

「麦秋」の唯一の弱点だと、前回エラソーに書きましたが、


アヤちゃんのお母さん、のぶ(高橋とよ)が登場して以降は、

なんかアヴァンギャルドしています。


のぶ「ねえアヤちゃん、あれどこだっけ?」

アヤ「なあに?」

のぶ「ホラ、こないだの、あれよ。こんなの、あったじゃないの、黄いろいの。――あたし、たしかにどッかへ置いといたんだけど……」



紀子「何探しにいらしったの?」

アヤ「わかンない。いつもああなのよ。またくるわよ。――ねえ、どういうのかしら、ああいうの。あれじゃ、心配で、あたしなかなかお嫁に行けやしない」


「晩春」の

紀子―アヤ、は、

アヤ(月丘夢路)が母親の分身なんじゃないか、と書きましたとおり、

あきらかにアヤの方がお姉さんキャラでした。

バツイチでしたし。


一方、「麦秋」の

紀子―アヤ、は、

紀子の方がお姉さんみたいな感じです。

アヤはマザコンっぽくて、どこかへ勤めに出ているわけでもないし。

(実家の料亭を手伝って立派に働いているんでしょうが)



で、こんなところに「8」が。


紀子「――でも大へんだと思うわ、これから……。いろいろなことが不自由だろうし、月々の心配だって容易なことじゃないし……。お鍋の底ガリガリこすって、真ッ黒になって働くのよ」

アヤ「それで、専務さんの話どうしたの?」

紀子「断ったの、今朝――」

アヤ「なんてってた? 専務さん……」

紀子「大へん古風なアプレ・ゲールだって笑ってたわ」

アヤ「うまいこと言うわね。――いま来てるのよ、二階に」

紀子「そう」

アヤ「その人も一緒よ、真鍋さん」


ここは「○」だらけです。シナリオ書きの妙技。


「月」がやけにでてくる映画です。「○」

「お鍋」ももちろん「○」


専務さんのいう「大へん古風なアプレ・ゲール」

これはなんか、

勇ちゃんの「大好き」「大好き」「大好き」「キライ」「大キライだよ」

に似ている。進歩的なのか古風なのか、さっぱりわからない。

「+」と「-」を一緒に口にして結果「0」にする。

けっきょく円環運動、ということで「○」


ちなみに佐野周二の専務は万事が万事、こんなセリフばっかりで、

S21 アヤに小切手を渡しながら

佐竹「はい――(と小切手を出して)不渡りでも知らないよ」

などという。

よくいますけどね、そういう人。


で、さいごに「ナベ」こと「真鍋さん」の登場。

「○」


で、また「8」……


深読みしすぎだろうか??

でも湯呑の柄といい、原節ちゃんの「8」のスーツといい……


で、例のトラッキングショットへ――


S131


原節子&淡島千景が、階段をのぼっていくと、



高橋とよがあらわれる。

もちろん、さっきのアヤのセリフ、

「いつもああなのよ。またくるわよ」が、

その通りになったわけです。


円環運動、「○」



S132


「麦秋」のすべて その4、で、


・「麦秋」とは

「映画とは一体なにか?」

という映画である。


などと書きました、その象徴がこの移動撮影でしょうねえ。



なんということもない場面ですけど。

個人的には涙なしにみれないショットです。


「なぜ?」といわれると困りますけど。



レンズの向こう側にいる何者かを暴こうとしている二人。


二人が相対しているのはもちろんレンズ――「○」


そう考えますと、「東京物語」のラスト、

東京への汽車の中で

原節ちゃんがお母さんの時計をみつめるあのシーンに

これは対応するのかもしれない。


時計―「○」

「移動撮影」→「汽車」



んで、

また「○」が「8」つ……


S133



間宮家。

紀子が帰ってくると、家族はかくれんぼをはじめます。


紀子「ただ今――おそくなっちゃって……」

史子「お帰んなさい」

紀子「アヤんとこへ寄って来たの」

史子「そう。ご飯は?」

紀子「少しお茶漬け食べようかしら」


次回作はもちろん「お茶漬けの味」――……



しかし「お茶漬けの味」

シナリオは戦前からあったわけで、


「お茶漬け」は別れの儀式、みたいですな。


しかし小津の法則によれば

「食べる」は「家族」とか「結婚」とかに結びついている。


一人で「食べる」

ってのは……


なんだろうな??




三宅邦子が

「アノ、蠅帳に這入ってます、コロッケ……」

というのだが、


原節ちゃんが選んだのはコロッケ(○)ではなく、

きゅうり(○)だった。


また「○」が「8」……


S135

ごそんじ(?)クレーン撮影。

小津安二郎が「ミゾグチ」しちゃってます。


厚田カメラマンの証言を引用します。


ああ、あのクレーンの方は大変でした。何しろワン・ショット撮るのに三日がかりですよ。下が砂なんでクレーンが揺れないように下にいろいろ敷いて足場を固定させといてからやったんですが、ご機嫌悪かったですよ。

(筑摩書房「小津安二郎物語」158ページより)


どうしても揺れちゃって、で、ご機嫌斜め、ですと。

でも完成品は素晴らしい。




原節子、三宅邦子の会話。

セットじゃなくてロケですと。

再び厚田雄春の証言。


あれは曇りの日の夕方をねらってたんです。それに、ライティングを使ってます。あすこも、砂浜なんで、遠くの電柱から電気をとりました。夕暮ですから、光線がだんだん落ちてくるんですが、あのときはあまりテストをなさらないんで、ありがたいなと思いました。

(同書158ページより)




個人的にはこのシーン。

「砂浜」とか「海岸」とかではない……

なにか抽象的な空間で行われているような、そんな印象を受けます。

なにか……地球の外の惑星のような……


ま、これはあくまで個人的な感想ですが、

小津安二郎作品には、こういう非人間的な冷たい……

ゾッとさせられるところがあるような気がします。


例の視線の噛み合わない会話、とか。



紀子(微笑を浮べて)「ほんとはねお姉さん、あたし、四十にもなってまだ一人でブラブラしているような男の人って、あんまり信用出来ないの。子供ぐらいある人の方がかえって信用出来ると思うのよ」


これも、「真鍋さん」というより、

小津安っさんその人を指しているような気がしてしょうがない。




フィルムアート社「全日記 小津安二郎」

1951年11月17日(土)に


「このところ原節子との結婚の噂しきりなり」


とあります。

(「麦秋」封切りは1951年9月)


でもこの時期、日記上にあらわれる女性の名前は

・「森」「築地森」……戦前からのガールフレンド。

・「益子」……中井益子。この人はガールフレンドではなくて、秘書?みたいな娘?みたいな存在の人。のちに佐田啓二の奥さんになる。中井貴一のお母さん。


――この二人がもっとも多いような感じ。

(いちいち数えたわけではないですが)


「原節子」に関する記述はもっぱら仕事関係で、

むしろあんまし小津作品に縁のなかった

「デコ」――高峰秀子の方が

プライベートでは仲が良かったようです。


ん、でも……でも……

「早春」では岸恵子ちゃんが

「火のないところに煙は立たねぇ」とかなんとかいって

通勤仲間にいじめられるところがあるし……


まー、なんだかわかりません。



S136


丸の内のオフィス。

紀子が佐竹専務にお別れにきています。


黒? 紺? 今まで見たことのないスーツです。

このシーンにしか登場しません。


ブローチも気になるが、一体なんだかわかりません。


そして……例のストラトクルーザー……



S137


記念撮影のシーン。

シナリオに記述がないのですが、


監督・実くんが帽子をかぶったり脱いだりして

「どっちにしようかな」

といいます。


やはり監督……


紀子「写真屋さん、もう一枚お願いしたいの」

 と、両親の方へ、

紀子「お父さまとお母さまだけ……」

康一「ああ、そりゃいい」


というのですが、このショットでゾッとするのは僕だけでしょうか??……


レンズ=「○」


小津作品でこれほど「レンズ」がはっきり写されたことって??

あったか??……



↓↓「戸田家の兄妹」

谷麗光の写真師ですが、


レンズはななめをむいていて、なんだかわからない。


↓↓「長屋紳士録」

写真師は殿山泰司。

(カメラマン役はクセのある『名脇役』が多いな~)


これはまったく写らない。


「一人お茶漬け」で、原節子を家族から引き離し……

そして

「記念撮影」で、菅井一郎&東山千栄子を大和へ送る……


別れの儀式なわけですが、

でも、

笠智衆、三宅邦子、原節子の笑顔の中に……


「なにかあったら、この写真を遺影に」

という魂胆が……

ぜったいにゼロではないとおもいます。


……よね??


そういう目で見ると、三宅邦子の微笑みは若干コワイ。





S139

シナリオを見てみますと

「おわかれのスキヤキの宴である。それももう終って、みんな箸を置いているのに、実だけがまだ食べている。」


で、勇ちゃんの「ウンコ」発言がある。

という流れ。


ここも深読みしてみたいんですが……

以下に書くことは、なんか


「さすがにそれはない!」

といわれそうな気がするんだが……どうか??


えー「ウンコ」発言ですが、

前に

・勇ちゃん=観客 という説で、

「これはもう終わりだな」という観客の心理を先取りしている、

などと書きました。


それはそうなんですけど……

もうひとつ別の説。


・勇ちゃんのウンコ、

と同時に排出されてしまうのは、間宮省二ではないのか?


ということです。


死者に対して失礼だ!

といわれるとなんともいえないんですが――


でもこのシーンの会話をみると……そんな気が、します。


↓↓以下の会話、実&勇、それと史子がいなくなって


間宮周吉(菅井一郎)

間宮志げ(東山千栄子)

間宮康一(笠智衆)

間宮紀子(原節子)


画面上、この4人だけになります。



周吉「この家へ来てからだって、もう足かけ16年になるものねえ……」

志げ「そうですねえ……紀ちゃんが小学校出た年の春でしたからねえ……」

周吉「そうだよ、実よりちょいと大きいくらいだったからねえ」

康一「こんなとこへちょこんと大きなリボンなんかくっつけて、よく雨ふりお月さまなんか歌っていましたよ」

志げ「可愛かったわねえ」


まず、「16年」――

「麦秋」にでてくる数字は「8」の倍数が多いです。

実くんの口にする「32ミリ・ゲージ」

真鍋さんの年齢「40歳」

それから……

また「月」―「○」


ま、それはそれでおいといて……


16年前は「間宮省二」がこの家にいたはずです。

↑上記の4人+「間宮省二」の5人が間宮家のメンバーだったはずです。


まったく語られないからこそ、

逆に「間宮省二」の存在が不気味に浮かび上がってきます。


会話はさらに続き――


周吉「いやア、わかれわかれになるけどまたいつか一緒になるさ。……いつまでもみんなでこうしていられりゃいいんだけど……そうもいかんしねえ……」

康一「お父さんもお母さんも、また時々は大和から出て来て下さいよ」

周吉「ウム……」

紀子「すみません、あたしのために……」


両親が大和へ行くことが明らかになります。

このことはようするに何を意味するかというと……


志げは、息子の省二を待つのをあきらめた、ということです。

はっきりいっちゃうと、

紀子に続いて、志げもまた、省二の「死」を受けれたということ。


はい。

間宮家最大の「○」――間宮省二。


この○は

勇ちゃんのウンコが排出されると同時に

「麦秋」の世界から掻き消えてしまうのです。



ですので……

原節ちゃんが泣く理由は


彼女の結婚とか、

別れ別れになる家族とか、


そんなことが理由ではなく――


S140


兄の死を悼んでいるのだ、とおもいたい。


彼女がわざわざ2階に来て、泣く。

そりゃ、一人になりたかったのでしょうが。


でも間宮家2階、という謎に満ちた空間をおもうと、そうもいかなくなる。


・なぜか紀子の部屋は写されない。

・人々は北側に集まりたがる。

(両親、大和のおじいさま、紀子&アヤ)

・写されない部屋が多い。


等々、謎の空間。

1階に比べて謎が多すぎる。


そう考えると――

「晩春」の曾宮家2階が 曾宮紀子の空間だったように……


◎「麦秋」の間宮家2階は間宮省二の空間なのではないか??


はっきりいっちゃえば、


◎間宮省二の使っていた部屋で紀子は泣いているのではないか??


そう推測したくなる。

ただ、これは何の証拠もないです。

状況証拠だけ、です。


でも考えれば考えるほど分からないのは……

原節ちゃんが泣いているテーブルで……


この部屋のこの場所は冒頭近く

S11では絨緞が敷いてあるだけで空っぽ。↓↓


S57の肩たたきシーンでもやっぱりテーブルなんかない。



それが、終盤に来て、

S118

紀子がとつぜん結婚を決めてしまう、その直後。

家族からお説教されるシーンの直前に


突如、このテーブルは出現します。↓↓


小津のカラー作品で、

「赤いやかん」が移動する、ってのは有名な話ですが。

このテーブルは異次元から突然出現するのです。


まー、S74、アヤちゃんが遊びに来たときに使うテーブルがそうか?

とおもわれますが、

テーブルクロスがかかっていてなんだかよくわかりません。


ま。テーブルの謎はさておき――


↓↓またまたすんばらしいショット。


背景の輝きが、

まるで原節子を包み込んでいるかのような……


これまた職人技。厚田雄春の仕事です。


S141

突如、空間が移動しまして、


「大和の麦秋」



S142

大和のおじいさま、高堂国典がいますので、


ここは間宮家の本家だとわかります。



おなじみ「○」が「8」の家紋は

左隅にございます↓↓





周吉(ふと外を見て、志げに)「おい、ちょいと見てごらん、お嫁さんが行くよ」


菅井一郎&東山千栄子がみつめるのは……



S143



これが見事に……「8」人、という……


S145


ラストの麦畑――は、とうぜん、


S112 ニコライ堂近くのカフェでの

あの会話を思い出させます。

謙吉「ああ、省二君の手紙があるんですよ。徐州戦の時、向うから来た軍事郵便で、中に麦の穂が這入ってたんですよ」

紀子「――?」

謙吉「その時分、僕アちょうど『麦と兵隊』を読んでて……」

紀子「その手紙頂けない?」

謙吉「ああ、上げますよ。上げようと思ってたんだ……」

そしてこのシーンのBGMのコーラスもまた、

ニコライ堂を写したショットのBGMに対応しています。


またまた厚田雄春の証言。


蓮実:ぼくが素晴らしいと思うのは、『麦秋』の最後です。麦畑を手前にとらえて、大和の白い農家が見える。あれは直線でキャメラが動いているんでしょうか。

厚田:あれはねえ、多少斜めの直線の横移動で、麦畑の配列の関係もあって、それをこう横に動いて撮ったんです。だから、左側が小さくなって、右側がだんだん大きく見えてくる。麦畑が斜め、それで終わりの方に行くと農家が出てくる。その立派な屋根のある家がネライだったのでしょう。

蓮実:コーラスが高まって、麦の穂のひとつひとつに焦点が当って静かに麦が流れていく。

厚田:これは大変な手間でした。もう、一日中やってやっとOKが出ました。

(筑摩書房「小津安二郎物語」226ページより)


「麦秋」のすべて、おしまい、です。


小津安二郎「お茶漬けの味」感想 その1

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これといってなんということもないが、

意外とファンが多い作品。

(という気がします??)


――というか小津ファンならみんなこの作品は好きな気がします。

よね?


感想書いていきます。


あ。はじめに書いておきますと、

「晩春」「麦秋」みたいなすさまじい「暗号」は出てきません。


あ。ちょっとは出てくるかな。



□□□□□□□□


①木暮美千代


戦前、検閲でボツになったシナリオ「お茶漬けの味」

そいつを何が何でも作品化したかった、その執念をみるより、


たんに木暮美千代が撮りたかったのだ、と考える方がおもしろい。

(クロサワの「酔いどれ天使」もそんな感じ)


前作「麦秋」のクレーン撮影で

ミゾグチごっこをしてみたらけっこう楽しかったので、

じゃ、こんどの溝さんごっこは木暮美千代。

となったのではあるまいか。(と、勝手なことを……)



んだが、小津―木暮の関係は最悪であったらしい。


ひとの悪口めいたことは一切いわない小津安っさん、ですので、

直接の事情は伝わってきませんが、

カメラマンの厚田さん……


 で、『お茶漬けの味』は女優が木暮美千代、木暮が小津さんに出たのは、後にも先にもこれっきりでしょう。いまだからいえるけど、これは撮影中にいろいろあったんです。スキャンダルめいたことはいいたくありませんけど、小津さんに内緒で所長試写というかたちでラッシュをみてたんです。木暮美千代が、自分がどんなふうに写ってるか、山本(トマス注:プロデューサー)と渋谷組のキャメラ助手とで見てたっていうんです。ぼくは、大変無礼なことだと思いましたね。で、木暮は自分のアップが少ないから不満だっていってるんだってことがあとでぼくの耳に入ったんです。

(筑摩書房「小津安二郎物語」170ページより)


他の監督ならいざ知らず……

俳優の一挙手一投足、まばたきひとつまで指示する小津安二郎相手に

これは、やっちゃいけない……


「反射してください」「反射してますか」の溝口相手では相性がよくて、

数々の名作を作り上げた木暮美千代も、

小津相手ではどうも逆鱗に触れたようです。


ん――……でも、いい。

木暮美千代。


とくにラストのお茶漬け作るあたりの大人な雰囲気は、もう、

木暮美千代以外誰がいるの?

という感じ。


津島恵子もかわいい。

この、

シンプルなセーター姿が一番かわいい気がする。




淡島千景も登場。


でも……この人。

「有閑マダム」みたいな役柄、どうなんでしょう?

似合ってない気が。


個人的に、

「早春」の疲れ切った主婦役が印象に残っているせいか?


「麦秋」の素直なアヤちゃんとのギャップが大きすぎるせいか??



↓↓ウルグアイに行っちゃった佐分利信の机で――

(直後、飛行機のエンジントラブルで帰ってくるのだが)


こんなシーンがあるから、

「麦秋」、間宮家2階の謎のテーブル、

あれは間宮省二の使っていたものなんじゃないか?

とかおもいたくなるのであった。





↑電気スタンドはおなじみ

「戸田家」の戸田昌二郎仕様モデルに似ている。


サイズがデカいか。




②暗号「○」と「6」


「麦秋」につづいて「○」の映画です。

(パチンコ、野球、競輪…ぜんぶ○)


しかし……

「麦秋」のあの運動、躍動感は、ない。



あと……冒頭、なぜか「6」が強調されるのだが……



正直、なんだかわかりません。

というか、


たぶん意味はない、気がします。


えーいつもならシナリオひっぱりだしてきて、

「6」探すんですが、

僕の持っている「小津安二郎作品集Ⅰ~Ⅳ」には

ざんねんながら「お茶漬けの味」入っていませんので、


すみません。




えーダジャレ好きの小津安っさんですから……


木暮美千代にあんまり頭にきたので、

ムカついちゃったので、

もうイヤになってしまったので、

大嫌いなので、


で、



「六つかしい……」


「むつかしい……」なるダジャレだったのか?

とか考えたくなりますが。

あんがい、当ってたりして。


おなじみ(?)カロリー軒と


「甘辛人生教室 パチンコ」


これが「○」が「6」つ。


んだが、特に6人の人物がなにかをするわけでもないし。


なんでしょうね?




「○」は一貫して登場しつづけます。

↓右端、マネキンのおっぱい。



↓真珠のネックレス。○だらけ。



↓この○の照明は……



「麦秋」の銀座のカフェに酷似。

しかしあのときも「おっぱい」=「○」使ってたし。


新鮮味がない。




次、佐竹家。

↓ラジオはなんかおしゃれで、「舶来品」っぽい気がする。

英国製、とか?



ラジオ、もちろん「○」


室内インテリアは、曾宮家、間宮家、の豪華バージョンといったところ。

けど間取りは案外似ています。


もちろん「お茶漬け」の佐竹家には女中さんたちのスペースも付属するわけですが。


えー……平面図は書く気になれません。




パチンコ屋の店主は笠智衆。


パチンコの流行について、

「こんなものが流行っている間は世の中は良くならない」

といいます。


これも、「○」の一種でしょうねー


「麦秋」

勇ちゃんの「大好き」「大嫌い」

専務の、小切手をわたしながら「不渡りでも知らないよ」

を、思い出しましょう。



で、笠智衆の帽子も……



「○」


ああ、もちろん、パチンコ玉は「○」です。




「競輪」も「○」


鶴田浩二が、パチンコの玉が自転車に乗って……みたいな表現をします。


二重に「○」




しかし、「東京画」のヴェンダースは、

なんであんなにパチンコ屋さんが気に入ったのか?


というかもともと「お茶漬けの味」ファンだったのか?




津島恵子がグル―ッと「○」を描きます。


③真の暗号「敗者の物語」そして「うずまき」


えーここからちょいと小難しいことを書きます。

ですが、ここが「お茶漬けの味」の最大のポイントのような気がします。

田中眞澄という人が「小津安二郎周游」という本を書いていて

(以下……気づかれるだろうとおもうのですが、僕の田中眞澄評価は高くないです。むしろ低いです)


で、その中で「お茶漬けの味」の封切りの年1952年が

サンフランシスコ講和条約発効の年であることに注目しています。


 前にも指摘しておいたが、ひとたび書き上げたシナリオに対する小津の執着は非常に強い。『お茶漬けの味』のシナリオも、それが優れた出来栄えであったればこそ、諦め切れなかったものか。彼に怨念という言葉は似つかわしくない気もするが、戦時体制下に映画法の検閲で葬り去られた企画を、戦争・敗戦・占領と連続した非常態の日々をあたため抜いて、その終結の日を待っていたかのように宿望を果たして溜飲を下げたとさえ、傍目には見えるのである。

 十二年の歳月は何としても短いものではない。その執念は、封建時代の仇討選手ならば強いられた美談になるのかもしれない。だが、『お茶漬けの味』の場合には、小津の並外れた愛着、執拗さ、持続のエネルギーに驚くばかりである。そしてその復活、実現が、日本の国家主権の回復、常態への復帰と軌を一にするところに、歴史に於ける彼の運命的な位置、役割があった。それを彼の才能と言い換えてみたい誘惑に、敢えて囚われたくもなるのである。

(岩波現代文庫「小津安二郎周游」下巻146~147ページより)


↑長々引用しましたが……


だいたい当ってる、とおもいます。

あくまでリベンジしたかった小津安二郎。

そして日本独立の1952年にそれをやった小津安二郎。



ただ、田中眞澄という人の悪い癖は、

当時の小津安二郎の周囲のデータを集めるのに熱心なのに……

小津作品そのものをみないという点で――

(「小津安二郎周游」全体がそんな本です)


すこぶる具体的でない。

なので、僕がかわりにやってみますが、


空港のシーン。

手前側が、「麦秋」でおなじみ――

ボーイング377ストラトクルーザー。

B29の旅客機バージョンです。


尾翼に「ストラトクリッパー」と書いてあるので

ボーイング307か? と勘違いする人もいるでしょうが、

この尾翼はどうみても B29。


このストラトクルーザーで、佐分利信はウルグアイに出張に行くわけ。



だが、問題はもうひとつあって……

奥にあるのが……


B17爆撃機。(なぜ羽田にいる??)


「メンフィス・ベル」とかご覧になった方ならおわかりでしょう。

独逸全土を焼き払った爆撃機です。


つまり

日本を焼き払ったB29

独逸を焼き払ったB17


まー敵国の人間とはいえ、

これらの飛行機が

どれだけの民間人を傷つけたことか。


この勝者の象徴を――

はっきりいってネガティブなシンボルを空港のシーンに配置したわけ。


ここまでみないと……

「小津作品」そのものをみないと、

小津安っさんの意図というのは伝わってこない。

それと田中さんへの悪口ついでにかきますと……


1940年のシナリオは本来「彼氏南京へ行く」という題であった。中国と国交が絶たれた戦後に、その題は意味を持たない。……(中略)……小津と野田が考えた行き先は地球の反対側のウルグァイだったが、遠隔の地という以上の必然性を持たず、また「彼氏ウルグァイに行く」では、40年の南京のような一般性がなく、映画の題名にはなりそうにない。やはり次善の案だったはずの「お茶漬けの味」で行くしかなかったのだろう。

(同書145ページより)


でたーーっ!!

「遠隔の地という以上の必然性を持たず」


きた――っ!!


……今まで当ブログをご覧の方ならお気づきでしょう。

ウルグアイという地名、地球の反対側を出してきた、というのが、


「地球」=「○」

という壮大な「○」の提示だということに……


必然性はあるんです。

ものすごくあるんです。

えー実は、

「○」だけじゃないんです。

というのは……



佐分利信が口にするのがただの「ウルグアイ」ではないことに注目。

「ウルグアイ、モンテビデオ」

というのです。


モンテビデオというと――

……


海軍マニア、歴史マニアは

一瞬でおわかりかとおもうのですが……



――1939年12月17日

独逸海軍のポケット戦艦

「アトミラル・グラーフ・シュペー」が自爆、沈没した場所。


田中眞澄さん、

小津安二郎&野田高梧コンビを甘くみてたね……


佐竹茂吉(佐分利信)という敗けた軍隊の元下士官が、

B29という屈辱的な飛行機に乗って、

で、独逸海軍の軍艦が沈む港におもむく。


そんな「敗者の物語」が裏には隠されているんです。


えー「グラーフ・シュペー」に関しては

「戦艦シュペー号の最後」(1956)という映画があります。



だいたいのあらましを書きますと、

1939年12月13日

独逸戦艦「グラーフ・シュペー」と英国の巡洋艦艦隊とのあいだに

「ラプラタ川冲海戦」なるものが起きます。

これで損傷した「グラーフ・シュペー」は、

中立国ウルグアイのモンテビデオに逃げ込む。


ここからドイツとイギリスの外交合戦になりまして、

けっきょくウルグアイ側は

「シュペー」のラングスドルフ艦長に72時間の停泊を許可することになる。

つまりイギリスの外交が勝って、

「3日経ったら出て行け」ということです。


「グラーフ・シュペー」は3日間の間に戦死者の葬儀、艦の修理をすませて

出港。

ですが、港の外に待ち受ける艦隊との戦いを避けて自沈。

(乗組員はあらかじめ避難しています)

ラングスドルフ艦長はその後、自殺します。


↑↓カラー画像4枚、「戦艦シュペー号の最後」より。


ラングスドルフ艦長(ピーター・フィンチ)↓


いわゆる「ナチの軍人」ではなくて

ひとりの苦悩する人間として描かれています。


自沈を選んだことで、乗組員の命を救ったわけです。



まー、そんなに大した映画ではないですけど。


英国軍艦は、第二次大戦当時のモノが登場しますんで、

歴史資料価値は高い、かと。


↓えー、戦艦シュペーが港にいた3日間。

どうやらラジオで世界中に中継されたらしいので、


当然、新聞その他も含めて、

小津安っさんも知っていたはず。読んだり聞いたりしたはず。



とうぜん、独逸人、ヴェンダースは

「モンテビデオ」→「戦艦シュペー」

と、連想するでしょう。


とうぜん、田中なんとかは気づきもしなかった

B17爆撃機に気づくだろうし。


「東京画」であれほど熱心にパチンコを撮った彼には、

小津安っさんのメッセージが伝わっていたはず、です。


敗者同志にしか伝わらない、暗号が。


……………………


えー……


あともうひとつ暗号が。


うずまきです。


ラストの「うずまき」が気になる。




これ、なんですが、ね。


↓↓「雷紋」というやつなんですが、







クラシック建築によくつかわれるモチーフなんですが、

この「うずまき」――


……これが次回作「東京物語」を支配する図形、運動、なわけです。

(頻出する蚊取り線香をおもいだしてください)


もう、完全に小津安っさんの意識は「東京物語」に行っちゃってたのでしょう。


えー、あともう1回、「お茶漬け」の感想を書いて、それから

『「東京物語」のすべて』を書く予定でおります。

暇がありましたら、読んでくださいませ。



小津安二郎「お茶漬けの味」感想 その2

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「お茶漬けの味」(1952)感想つづき。


④小津作品=「キライ!!映画」


そもそもなぜ佐竹妙子(木暮美千代)は

ご飯に味噌汁をかけるのがあれほどキライなのか??


なる謎を考えてみたいのですが、


ふと考えてみると、ですね……


小津作品って「キライ!!」――



……嫌悪の感情が良く出てくる。

というか、嫌悪の感情が作品全体を動かしているような気がする。


サイレントの「淑女と髯」(1931)


女の子たちは主人公の岡田時彦の髯を

「キライ!!」

とみつめるのですが、


髯を剃ったとたん、

「まあステキ」と態度が一変する。

(もちろん岡田時彦なので)


「東京の合唱」(1931)――

そもそも岡田時彦が会社をクビになったのは

社長にたて突いたからで、

「こんな会社、こんな社長、キライ!!」というわけです。


で、失業して、恩師の食堂(カロリー軒)のビラまきの手伝いをすると、

こんどは八雲恵美子の奥さんが


「そんなことするあなた、キライ!!」

と怒り出す、という……


「キライ!!」映画となっています。



とにかく「キライ!!」が作品全体を動かすのです。


これって……

とても珍しい気がする。というかオヅ、だけ??

(他の監督でありますか??)


フツーは、ですね……

映画というのはですね……


●「~が欲しい」(カネ、女、権力、等々)

とか

●「主人公が~という危機的な状況に追い込まれた、さてどうする」

とか

●「主人公の自分探し」

とか、


ま、おとぎ話・神話あるいは大衆文学でよくあるパターンを採用するのが多いんです。

そのパターンで映画全体をひっぱります。

(6/28の当ブログの記事 『「麦秋」のすべて その3』でクロサワに関してそんなことを書きました)


ところが小津安っさん。

この人は

すべて「キライ!!」一本槍で作っている気がする。

(あーー……ホント変てこな野郎だぁぁぁぁぁ……)


(まー逆にいうと、

だから「恋愛モノ」が撮れない。

とうぜんだわなーー、「キライ!!」しか撮れないんだもん)



以下、小津作品における「キライ!!」をひきつづきみていきます。

いちいち全部は書きませんが……

(全作品に当てはまる気がします、ので)


「非常線の女」(1933)


田中絹代が「あの女、キライ!!」

と、ピストル持って水久保澄子を脅しますが、


平気な顔してるのをみて、一変、好きになっちゃって、

チュッ……

(でも、この「好き」ははっきり描写されませんな~そのあとLの世界に突入するわけでもないし)




「戸田家の兄妹」(1941)

高峰三枝子、葛城文子、飯田蝶子の三人はあちこちの家で

「キライ!!」と追い出されます。

ですが、中国から帰国した佐分利信が仕返しに

兄弟たちを「キライ!!」とやっつけます。


シナリオS84にはこんな会話まである。


節子「まあ……ねえ、時子さんなら、お母さんも大好きなんだし、お兄さまには一番いいと思うんだけど」

昌二郎「お母さん、お好きなのか!?」

節子「駄目よ、お母さまのせいになすっちゃ、お兄さまよ……どう……お好き?」

昌二郎「そうでもない」

節子「お嫌い?」

昌二郎「うん……そうでもない……」

節子「じゃ……どっち?」


とまあ、「キライ!!」ははっきりしてるのだが、

「好き」となると途端にぼんやりしてしまう。


「晩春」(1949)は、もう「キライ!!」映画の代表作と言ってよいでしょう。


というか、原節子ほど

エレガントに「キライ!!」を表現できた役者は他にいただろうか??


小野寺の小父さまの結婚を「フケツ!!」といい、

お父さん(笠智衆)の縁談のはなしがでると途端にぶんむくれる。



「晩春」S52

まさ「でも、お父さんはお父さんのこととして、あんたはどうなの?」

紀子「あたしそれじゃいやなの」


お能のシーンでは

三輪さん(三宅邦子)を

こんないやぁーーーな目でみつめる。



S68 アヤちゃんの家でも

「いやなの!」「いやなのよ!」と暴れまくる。


トマス・ピンコは「戸田家の兄妹」「父ありき」「晩春」を……

「△」映画である、とみごと(?)喝破したわけですが……


「△」=「キライ!!」とさえ、思えてきてしまいます。

(たぶん、違う??)


えー

ところが、原節子。

「麦秋」(1951)の間宮紀子となると、

丸の内のOLさんのせいか(??)

ちっとも暴れませんで、


かわりに暴れるのが

例の小津安二郎の分身……


間宮実くん。


パンが「キライ!!」と暴れ、笠智衆にぶん殴られる、という……



「東京暮色」(1957)

S97で、有馬稲子たんは

「お母さん嫌いッ!」といいますが、


彼女は小津作品の本質をしっかりつかんでいたといえるでしょう。


えー……


なんでこんなことを書いているのだ?……


そうそう、木暮美千代は

ご飯に味噌汁をかけるのがあれほどキライなのか??



という話でした。

以下、謎解き。



⑤「食べる」+「飲む」=「お茶漬けの味」(ラーメン)


まず……

「お茶漬けの味」にはもうひとつ、

印象的な飲食シーンがあったことを思い出したいところ。



節子(津島恵子)とノンちゃん(鶴田浩二)のラーメンシーン。


というか、すでに「晩春」のeatとdrinkの分析において


「結婚」と「食べる」の親近性を知ってしまったわれわれは――


↑↑「秋日和」の例もあることですし……


あーこの二人は結ばれるんだな、とおもいます。

ご丁寧にも、二人の会話は「お見合い結婚の是非」


津島恵子はお見合いがイヤで逃げて来たばかりですが、

鶴田浩二は、見合いの相手がひょっとしてすごくいい男かもしれない、

といいます。

そのくせお互いがお互い、気になっていることは

観客には見え見えなんですけど。



ラーメンに関しては、フィルムアート社「小津安二郎を読む」に

こんなことが書いてあって、


ラーメンは、『一人息子』で生活の苦しい息子が田舎から上京した母に食べさせるところに初めて登場する(この場合、屋台で作らせたものを家に持って帰って食べている)。昭和初年のラーメンは高価ではないが、まだ珍しく、東京に来た母にご馳走する食物としてそれほど粗末なものではなかっただろう。この時息子が母に言う「ラーメンはね、汁がうまいんですよ」という台詞は、当時なら地方の観客には新知識だったかもしれない。だが、戦争中のシナリオを映画化したとはいえ1951年の『お茶漬けの味』で鶴田浩二がラーメン屋で津島恵子に言う台詞としてはいささか時代錯誤ではなかったかと思われる。

(フィルムアート社「小津安二郎を読む」270ページより)


そういや「一人息子」にでてきたっけ、とおもいだすのでありました。


シナリオを見てみると

S64

良助「おッ母さん、おつゆがうまいんですよ」

 おつねも、のむ。

良助「ね――ちょっと、うまいもんでしょう」


という感じ。



じゃ、「お茶漬け」はどうか、というと、

シナリオがないので、DVDみながら書きとりますと……


登「どうです。うまいでしょう」

節子「うん、おいしい」

登「ラーメンはね、おつゆがうまいんです」

そして、二人でおつゆをのむ、という具合……


んー……なるほど、繰り返してる。

でも、時代錯誤?


わたくし的には

津島恵子は大磯のお嬢様なので、

ラーメンのような下賤な食べ物は食べたことがないのだろう、と

勝手に解釈しましたが……


ん。でも繰り返しは……なんか、クサい。

何が隠れてるのか??


暗号……



ははは……

もうおわかりですかね~


↓↓「飲む」をやたらと強調したがるという点。


小津作品で

ラーメンときたら、かならずおつゆを飲まなきゃいけない。


なぜ?

といや、

drinkを強調したいから。


ラーメン=「食べる」+「飲む」

という完璧な食べ物だから。


だから「一人息子」の家族はラーメンを食べるし、

「秋日和」のやがて結ばれるカップルはラーメンを食べる。


そして「お茶漬けの味」の津島恵子と鶴田浩二は

ラーメンを食べてしまった以上、これまた結ばれるより他ない、のでしょう。


なので、


味噌汁かけごはん=「食べる」+「飲む」


これまた完璧な食べ物なわけです。


で、もし……

木暮美千代と佐分利信が完璧なカップルだったら、

お互い深く思いあっている夫婦だとしたら、


この食べ物は問題ない。

でも、木暮美千代はそういう存在じゃないわけです。


いちおう「結婚」しているけど、

なんか少女趣味の部屋に住んでいて、遊びまわっていて、

少女時代の延長のような人です。


はっきりいうと、彼女は「結婚」していないのです。

だから「味噌汁かけごはん」という

完璧な食べ物が嫌いなのです。


なので、ラストのお茶漬けシーンが

なぜあれほどまでに感動的か、というと、



一組の疑似夫婦が――


ホンモノの夫婦になる、「結婚」する、そのありさまが丁寧に描かれているからでしょう。


このあたり……

「お茶漬けの味」は戦前の「淑女は何を忘れたか」のリメイクと言っていいとおもうんですけど、

「お茶漬け」の方が、

役者が段違いにいいし、(銀幕の女王栗島すみ子先生には失礼ながら)

食べ物を二人で作る、という小津安二郎らしい即物性が、たまらない。


「パンは?」

と木暮美千代がパンをさしだすと、

佐分利信が首をふる。


またやってます、小津安っさん。


↓電気冷蔵庫が!!


「全日記小津安二郎」のどこかで


アストール(?)の電気冷蔵庫を買う。


とかいう記述をみかけたことがあったのですが、

見つけられませんでした。

でも、確かにみたはず。銀座で買ったはず。


たしかアストールとかいうメーカー名だった……ような??

↓○だらけ……


この……木暮美千代の……


ふだんまったく台所に入らない雰囲気、というのがいいなぁ~

(女中さんまかせなので)


でも、こういう奥さまに限って

いざ料理をやらせると、うまかったりする。

で、めでたく二人は


「食べる」+「飲む」の、

完璧な食べ物を口にします。


なので、前回引用した田中眞澄先生の文章――……


「やはり次善の案だったはずの『お茶漬けの味』で行くしかなかったのだろう」


と、タイトルに関して小馬鹿にしたことを書いていらっしゃいますが、


「ウルグアイ、モンテビデオ」

が、実に深い意味を持っていたように、


「お茶漬け」もやはり、お茶漬けでなくてはならなかった。

わけです。


(学者とか評論家とかいうのが、いかにいい加減な商売かがよくわかります……)


それはもう、

「晩春」で、あれほどまでに

eat と drink の差に意識的であった

小津安二郎&野田高梧コンビですから――↓↓


当然のことです。

AICHI 創立115周年記念時計 70963A

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あららぁ~、またまた

物欲に負けたぁ~、という記事。


最近、

小津映画にひたる日々を送っております、と――


ウエストミンスターチャイムがやけに気になってきた。


キーンコーンカーンコーン、というあのチャイムです。


小津作品においては「お金持ちの家」というと必ず、

どうしたわけか??

ウエストミンスターチャイムが優雅に鳴らされるのです。


「淑女は何を忘れたか」のドクトル(斎藤達雄)の家。

「晩春」のアヤちゃん(月丘夢路)の家。

「お茶漬けの味」の佐竹家(佐分利信、木暮美千代)。


あと、なにかあったかな?

「戸田家の兄妹」でも出てきたけど、

お金持ちのお屋敷しか出てこないのでどのシーンかは忘れました。


どのお屋敷でもチャイムの音が優雅に鳴る。

対して、庶民の家はボンボン時計。


「晩春」の曾宮家、

「麦秋」の間宮家、矢部家はボンボン時計。


ボーンボーンボーンと、大抵夜のシーンで鳴り響きます。


もとい、ウエストミンスター時計。

一番「いいな」とおもうのは、「晩春」のこれ↓↓

だったりする。


アヤちゃんちのホールクロック。



ただ調べてみると、このサイズのホールクロックはたいてい100万越え、である。第一、こんなもん置くスペースがない。


なので、掛け時計、ということになりますが、

ヨドバシの時計コーナーとかのぞいてみたりしましたが、

セイコー、シチズン、等、国内大手メーカーの掛け時計だと、

ウエストミンスターチャイム、鳴るには鳴るんだが、

ぜんぶ電気仕掛け。

時計自体もクオーツ(電池でうごく)


電気仕掛けのチャイム。

だったら学校のチャイムとたいして変わらん。

そんなものに何万もかけるのはバカらしい。


というか、今どき

機械式の掛け時計なんて、売ってるのみたことがない。

全部クオーツ。


くりかえしますが、

僕が欲しいのは機械仕掛けで

ピンポンパンポン鳴るやつ。

ようするに、

小津映画に出てくるやつ。


□□□□□□□□


今日日、そんなもの手に入らんだろう。

骨董屋でもいけば別だろうが。

でも、古いのは性能がどうなのか??

とあきらめていたのですが、


Amazon みてみると、……

あっさりみつかってしまった。新品。

機械式時計で、ウエストミンスターチャイム付き。しかもドイツ製。


お値段は……

RedWingブーツ 2足分。

どうにか手が出る範囲。


ここでトマス・ピンコの

脳内会議がはじまる……


「おまえさ、今度の秋冬、RedWingのアレとアレ欲しがってたよね」

「うん。キツネ色のと赤茶のやつ」

「あれさ~、来年にしない? 今、時計欲しいんだよね~」

「んん~、でも僕」

「この時計さ、限定なんだよね、RedWingなんていつでも買えるじゃん」

「んん~、でも僕」

「おまえさ、もう2足も持ってんじゃん、な、来年にしようよ」


……というわけで、ブーツ2足はあきらめ、

時計を買うことになりました。


ただ、

購入にあたって、ものすごく情報が少なく……

限定115台のもので店舗でみるのは不可能……


ネットで手に入る

唯一の情報がYoutubeに

ウエストミンスターチャイムの鳴る様子を投稿されていた某氏の動画だけ。

(型番は僕のと違い、70411Aだとおもいます)


なので、僕のように情報を欲しがっている方もいるかもしれませんので、

当ブログでこの時計のあらましを紹介しようとおもいます。


□□□□□□□□


Amazon上の正式名称は

「AICHI 創立115周年記念 特別企画木製機械式高級時計 115台限定 シリアルナンバー入りプレート付き クルミ材 黒色塗装 70963A」

というものですが、


実質、ドイツ、ヘルムレ社製、70963A

と考えた方がよさそうです。

70963Aの文字盤にAICHIのロゴをプリントして

箱にシリアルナンバーのプレートをつけたもの。です。


ムーブメントは ヘルムレ社のW0341 だそうです。

(もちろん、クオーツではなく、ゼンマイ式)


箱がやけにシンプル。ドイツしてます。↓↓


社名とか製品名とか一切なーーにもプリントしてなかった。


ガラスに貼ってあるのは

Westminster

Made in Germany

のシール。



付属品。

・ヘルムレ社の保証書

・ドイツ語の説明書

・日本語の説明書(国内の保証書)

・木ネジ


あと……白手袋まであったのには驚いた!!

(右端に写ってます↓↓)


「振り子などを取り扱うときや時刻合わせをするときは、素手で直接触れないでください。さびの発生原因になります」

――ドイツ製品!!


もう、白手袋付属の時点で、このメーカーは大丈夫、と安心してしまった。




↓↓振り子をつけたところ。


フタのあけしめがものすごくきっちりしている。

(フタ→正式名称は全面扉というそうな)

標本箱みたいです。


ひとつ僕がとまどったのが「振り子」でして……


こんなに ゆ~らり ゆ~らり 頼りないものだとはおもわなかった。


というのも、機械式腕時計を普段愛用しているのですが、

腕時計の場合だと、


カチカチカチカチカチカチ……


ものすごい気合がはいった……

いかにも「メカ」という動きをするんですわ。


そのつもりでいたので、

機械式掛け時計……


この ゆ~らり ゆ~らり に――


「あれ、故障???」


とかおもってしまいました。


でも、ゆ~らり ゆ~らり が、今にも止まりそうで止まらない。

ずっと ゆ~らり ゆ~らり しつづける。


あと、

チクタク音はものすごく静かです。

うち、

イバラキの田舎でとても静かな環境ですが、

それでも

耳を澄まさないとチクタク聞えないくらいです。



あと、振り子について もうひとつ。

ご存知の方にとってはあたりまえでしょうが、

先端にくっついたネジをまわして 時刻合わせをするのだそうです。

(めんどくさいので、まだやってない)


説明書によると、

「少しずつ正しい時刻に合わせこんでいくのが、振り子時計調整のコツです」

だそうで、


なにもかも ゆ~らり ゆ~らり しているのだな、とわかりました。


↑文字盤に3つ 穴が開いているのは、ゼンマイを巻き上げる穴。

左から

「報時用」「時刻用」「ウエストミンスターチャイム用」

だそうです。


8日巻きなので、週1で巻けばいい、ということです。


え~、で……↓↓


肝心のウエストミンスターチャイム、がこれ。


金属(真鍮??)の棒が5本渡してあって、

それをゼンマイ仕掛けのハンマーがぶっ叩く。

という仕組み。

(ちなみに説明書の楽譜まで書いてあった……)

これは、ちょいと、感動。

電気仕掛けじゃないからね~


アマゾンの評価で、

音が金属的で深みがない、というようなことが書かれていたが……


んー、そういう感性、個人差あるからな~


僕は一発で気に入りました。

(というか、Youtubeの画像でだいたいどんなもんかは把握してましたが)


15分ごとに

「ジ~~……」

と鳴りまして、


やがて、ピンポンパンポン律儀にハンマーが動いていきます。

ついつい、時計のそばまで寄ってみてしまいます。


かわいい……かわいすぎます……

ドイツ製、ウエストミンスターチャイム……




えー……で、設置場所。

アパート暮らしじゃないんで、遠慮なく穴を開けられます。


↓↓部屋の北側の壁がさびしかったので、

ココ!!


と決めておったのですが、


説明書みたら、

「ドアを開閉するときの振動が伝わらないところに設置して下さい」

とあり……


あきらめました。



で、↓↓


ガッカリされてる方も多かろうとおもうんですが、


けっきょく、こんなゴミゴミした場所に設置。


今、思ったんだが、本をどかして写真撮ればかっこよく撮れたのに……




部屋の東側全面、つくりつけの本棚なのですが、

そこの柱に設置。


とにかく頑丈に設計をお願いしたところなので、

ねじの固定も安心。


ただ……もうちょっと地震対策、したほうがいいかな。


ま、このような時計です。

デザインも性能も気に入っております。



小津安二郎「東京物語」のすべて その1

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はい。


今回の記事から

「東京物語」に秘められた暗号をみていこうとおもいます。


毎度毎度長い記事になります。

よろしければおつきあいくださいませ。


「東京物語」――

最大の暗号はなにかというと、


それは……


・「うずまき」+「振り子」=「回転運動」


ということになろうかと……

言い換えますと、


・「東京物語」=「振り子時計映画」


ということになります。

つまり、ですね。


「えー? 東京物語?

たしか……

蚊取り線香が出てきて、みんなうちわをバタバタやっていた、ような……」

というアナタ、大正解!!


も一度、最初の公式を振り返りましょう。


・「うずまき」+「振り子」=「回転運動」


・「うずまき」(蚊取り線香)

・「振り子」(うちわ)


「ぐるぐる」と、「バタバタ」

がたくさんでてきて……


で。


ラスト。


香川京子たん そして 原節ちゃんが

・「回転運動」(時計)をみつめ、老若男女、涙を流す……という……


イギリスのなんとかいう雑誌が 映画史最高の傑作に選ぶ、という……



スマホ、じゃないからね。

懐中時計、ですからね。↓↓


はい。はやくも結論。

・「東京物語」=「振り子時計映画」


ようするにですね……

われわれは映画界の時計職人、

小津安二郎のつくりあげた振り子時計に感動してしまうわけです。


振り子時計の構成要素はもちろん

ゼンマイ(うずまき) そして 振り子、です。

「ぐるぐる」と「バタバタ」が生み出す回転運動、です。


□□□□□□□□


んー……


ただ。


「東京物語は振り子時計だ、って――

そりゃ、トマスさん、

アンタがさいきん振り子時計買ったからじゃないの?」


といわれると、なんか自分でもそんな気がする。

自分だけの妄想のような気がしてくる。


ただ……

ただ、ですね。


「東京物語」の次回作

「早春」の名高いキスシーンに


ゼンマイと振り子が出てくるのを目にすると――

……やっぱし、妄想じゃない。


これは小津安っさんの仕込んだ「暗号」だ、と確信が生まれてきます。


以下、4枚 「早春」です。


池部良と岸恵子たんの、腰を痛めそうなキスシーン。

ぐるぐる。

「うずまき」です。


現場にて

二人の姿勢を事細かに指示している

小津安っさんの写真が残ってますな。


ヒッチコックの「汚名」になんか似てるけど……

ケイリー・グラントとイングリッド・バーグマン。

映画史上最長のキスシーン。


でもこれは「ぐるぐる」「うずまき」です。


チューしてる二人のそばで

扇風機が首振ってます。

「振り子」


で、


人の気配を感じたらしい岸恵子たんが

ビヨーーーン

と池部良から離れます。


ここはもろにゼンマイ!!


で、何事もなかったかのようなふりをする岸恵子。


□□□□□□□□


はい。

じゃ、いかに「東京物語」が「振り子時計」しているか?

シナリオ順に見てまいりましょう。


S2

尾道の街の光景です。

一見なんということもないんですが……

やや、うずまき↓↓


はじめにいっておきますと……

S1~S6 尾道のシーンというのは


「晩春」と「麦秋」のパロディみたいで、


S3

平山家のシーンなどは

「晩春」のあの美しい「3」を思い出させます。


わざわざ説明するまでもないですが、

左から、香川京子、東山千栄子、笠智衆。

香川京子は笠智衆夫妻の末娘、という設定。


美しい構図。

しかも……安っさんお得意のパッキングシーン。


「戸田家」「父ありき」「晩春」「麦秋」

旅の荷物を準備している時、かならず何かが起こります。


シナリオはまたまたお得意の「時間」テーマが語られ……

やっぱり「東京物語」も「○」の映画なんじゃないか、と一瞬勘違いしそうになります。


周吉「これじゃと大阪六時じゃなあ」

とみ「そうですか。じゃ敬三も恰度ひけたころですなあ」


周吉「ああ、お前、学校が忙しけりゃ、わざわざ来てくれんでもええよ」

京子「いいえ、ええンです。五時間目はどうせ体操ですから」

周吉「そうか」

京子「じゃ駅で……」


尾道ではなにもかもが時間通りに進んでいきます。


国鉄マンの敬三の退勤時間ちょうどに、汽車は大阪駅に着く。

学校教師の京子は五時間目暇なので、ちょうど両親を送ることができる。


「○」です。

「麦秋」の前半がこんなペースだったことを思い出しましょう。


大和のおじいさま(高堂国典)を東京駅に迎えに行くので、

小料理屋「多喜川」で家族が落ち合う。

大和のおじいさまの歌舞伎見物が終ったのを

原節ちゃんが迎えに行く。

時間、時間、時間、で、

すべてが予定通りに進行していました。


S5


香川京子に子供たちが礼儀正しくお辞儀をします。


不人情な「東京」との対比に注目。


学校の先生だから、あたりまえといやあたりまえなんですが。


S6


京子たんが出勤し、高橋とよが登場するあたりから……


実は雲行きがあやしくなってきます。

「○」が壊れて、「うずまき」になってくる……


というか、高橋とよはなんか小津作品において

作品の結節点にかならず登場するような気が、するなーー


「晩春」の高橋とよは、例の能楽堂のシーンの直前に登場。

「麦秋」の高橋とよは、笠智衆に「専務さんの縁談」がとてもいいものだ、とおしゃべりします。


「東京物語」の場合は「空気枕」です。

高橋とよは「空気枕」の直前に登場するのです。



とみ「空気枕、そっちへ這いりやんしたか」

周吉「空気枕、お前に頼んだじゃないか」

とみ「ありやんしぇんよ、こっちにゃ」

周吉「そっちによう、渡したじゃないか」

とみ「そうですか」


この空気枕問答のあとに、高橋とよとのおしゃべりがありまして……

で、


とみ「空気枕、ありやンしぇんよ、こっちにゃ」

周吉「ないこたないわ。よう探してみい――(と云いながら自分の荷物の中に発見して)ああ、あったあった」

とみ「ありやんしたか」

周吉「ああ、あった」


えー先回りしていってしまいますと、

これが「うずまき」です。


ん――

……なんのことかわからない??


小津世界において、「○」は予定通りに物事が進行する世界、なのです。

ところが、「うずまき」は予定通りに物事が進行しない世界。です。


ここらで前作「お茶漬けの味」をふりかえってみましょう。

「お茶漬け」は「○」の映画、でした。


津島恵子が「ぐるーーー」とまわした指先は、元通りの頂点に戻ります。

それが円運動というものです。



ところが↓↓「うずまき」は

元通りの頂点に戻らない。


指でなぞってみてください。元の点にはぜったいにもどりません。


予定通りにはいかない。


だから……

エンジントラブルで予定外に帰宅した佐分利信の動きは「うずまき」


そして「空気枕」も――

笠智衆は東山千栄子に預けたとおもったのですが、

じつは自分の荷物の中にあった。


これは「うずまき」に他ならない……


ま。「空気枕」問答。

これは、もちろん、笠智衆、東山千栄子夫婦の

とぼけた味わい、それぞれの性格、等々がよく描かれた会話なわけですが、


それ以上にこれは「うずまき」です。


で、このうずまき運動を伏線としまして――


笠智衆、東山千栄子にとっては

「東京」という土地はなにもかも予定通りに物事が進行しない世界、

として出現するわけです。


血のつながった子供は薄情で、

孫は完全に「他者」で、

血のつながらない原節ちゃんだけが親切、という。


ま、このあたりは映画、ご覧になった方ならおわかりでしょう。

戦前の名作「一人息子」同様……

「東京」は予定をかならず裏切る土地なのです。


S7

老夫婦は東京にやってきたのですが、

駅にたたずむ女性はもんぺをはいている。


「麦秋」S130を思い出しましょう。

原節子と淡島千景の会話。


アヤ「秋田ってオバコでしょ」

紀子「うん」

アヤ「モンペ穿くのよ、あんた」

紀子「穿くわよ」


むしろ尾道の京子ちゃんの方がずっとモダン、という皮肉……


S11

三宅邦子登場。

平山幸一(山村聰)の奥さん、文子役。


まっさきに感じるのは……

「キタナイ」


どうしても「晩春」の曾宮家、「麦秋」の間宮家と比べてしまいます。



そして「うずまき」(提灯の紋)

「振り子」(ほうき)


の登場。という……



S16


なにもかも予定外のことが発生する「東京物語」において、

まず最初の悲劇を味わうのは実くん。


実くん役は「麦秋」に続き、村瀬禅くん。


実「お母さん! お母さん!」

文子「何?」

実「何だい! 僕の机廊下に出しちゃって!」

文子「だってお祖父さんお祖母さんいらっしゃるんじゃないの」


もちろん、予定外の出来事ですので、「うずまき」


ただ……

「東京物語」の実くんは、

「麦秋」の実くんほどの重要人物ではない。


笠智衆、東山千栄子にとって、理解不能の「他者」として存在します。


「ああラクチンだ。アラのんきだね」

と歌いながら首を振る、実くん。


振り子運動……↓↓


たぶん……位置的に、彼の頭のうしろには振り子時計があるはずです。


S20

笠智衆、東山千栄子夫妻が、平山家に到着します。


ね。↓↓振り子時計が(小さくてわかりにくいか……)


S26

平山紀子。原節ちゃん登場。


平山家の次男、昌二の未亡人という役。


なにかの本で、「原節子がもったいぶって遅れて登場する」

というようなことが書いてありましたが……


ま、そりゃそうでしょうが……


ここはもちろん「うずまき運動」なわけです。


文子「いらっしゃい」

紀子「おくれちゃって……」

文子「いらしったの? 東京駅――」

紀子「ええ、間に合わなくて……。皆さんお帰りンなったあと」


原節ちゃんも予定外のことが起きて、

時間に間に合わなかったのです。

こんなことは「麦秋」の世界では一度も発生しませんでした……


S26

とにかくキタナイ「東京」なのだが……


原節子のまわりには「晩春」「麦秋」の至福のイメージが

ぷんぷん漂っています。


というか、なんでしょね? この人の存在感は。


とみ「まァ、しばらくでしたの紀さん」

紀子「ご機嫌よろしゅう」

周吉「忙しかったんじゃなかったんか」

紀子「いいえ、なんですか、ゴタゴタしてまして、気が付いたらもう時間が一ぱいで……」


「時間が一ぱい」ということですので

「○」ではなく「うずまき」です。しつこいようですが。


周吉「やっぱり前の会社にお勤めか?」

紀子「はあ」

とみ「あんたも一人で大変じゃのう」

紀子「いいえ……」


「前の会社にお勤め」というのは一見円運動を描いているようですが……

推測するに……


「前の会社」にいた頃は、紀子の独身時代じゃなかろうか?

そのあと、昌二と結婚。

昌二の戦死。

再就職、という物語をかんじます。


とうぜん、これは円運動ではなく、「うずまき」

元の地点には戻れないのです。


――ん――……


というか、たったの四行でこれほどのドラマを描いてしまう、

小津安二郎&野田高梧コンビのすさまじさよ……


「麦秋」もすさまじかったが、「東京物語」もすさまじいです。


で、杉村春子が登場して、またしても「うずまき」


志げ「いつか学芸会の時、椅子こわしちゃったのよ」

とみ「嘘よ、ありゃ椅子がめげとったんじゃン、こわれとった」


過去の出来事ですが、

予想外の出来事、です。


S29


この、なんというんですか?

視力をはかる、モノ。


これ、欠けた「○」……


○の映画じゃありません、というしるしでしょう。


平山医院。眼科じゃないですから。もちろんメガネ屋さんじゃないし。

視力検査の表は存在する必然性がない。です。


わざと置いたのです。小津安っさん。↓↓



あとおそろしいのは、ですね……

実くんが読んでいる英文。


The spring month are March,April and May.

The cold winter is over.

Spring has come.

It is April now.


どうやら春の到来、を描いているようですが……


ん?


春?――spring??

スプリング……


はぁぁぁーーー、こんなところに「スプリング=ばね、ぜんまい」を仕込む!!

もちろん「うずまき」……


というか、小津安っさん、子どものセリフには必ず何かを隠します。

暗号をつめこみます。


「晩春」のブーちゃんのいう、「ゴムノリ」

「麦秋」の実くんの「パンとレール」――


S31

シナリオは


志げ「お母さん、お孝ちゃんどうしてます?」

とみ「ああ、お孝さんのう。あの人も不幸な人でのう。旦那さんに死にわかれて、去年の春じゃだったかのう。子供をつれて倉敷の方へ片付いたんじゃけどなんやらそこもええぐあいにいっとらんらしいんよ」


はい。もう飽きてきた方もいらっしゃるでしょう。

予定外の出来事が。「うずまき」


ついでにいうと、「東京暮色」で原節ちゃんが演じる役名が

「沼田孝子」


このお孝さんも結婚生活がうまくいっていない。


で、画面上は バタバタ と ぐるぐる。

うちわ(振り子)

蚊取り線香(うずまき)




で、ドンデンを返しまして――


志げ「片付いたの?」

紀子「ええ」

志げ「ご苦労さん」


という会話ですが、

「片付いた」というのが、さっきのお孝さんの話題と通じ合っていて、


「倉敷の方へ片付いた」……


さらに原節子の平山紀子が、未亡人であることを考えると、

なんか深い。


S35

で、床につく老夫婦。

息子の家のうらぶれた雰囲気にがっかりしています。


とみ「へえ――ここあ東京のどの辺りでしゃあ」

周吉「端の方よ……」

とみ「そうでしょうなあ。だいぶん自動車で遠いかったですけの……」

周吉「アア……」

とみ「もっと賑やかなとこか思うとった……」


はい。予定外。うずまき。


で、とんでもなく美しいうろこ雲のショットにつなげる……



うろこ雲――以前、「麦秋」のすべて、で

はかなさのイメージと書きました。


空のうろこ雲

脂粉の女の美しさ

どちらも長くは持ちません

ジャン・コクトオ


なのですが、「麦秋」においては

原節ちゃんが結婚を決めたあと、終盤に登場するのに……


「東京物語」では

はじまったばかりで、もう「うろこ雲」なのです。


□□□□□□□□


で、ご覧になった方ならおわかりのように、


このあと、山村聰は急患の面倒をみなきゃいけなくなったり、

熱海旅行が、騒がしい団体客のせいで台無しになったり、


とにかく予想外、がっかりの出来事ばかりが起るわけです。


で、そのがっかりイベントを支えるのが

「うずまき」「振り子」の運動、というわけです。


ただ……


「東京物語」を支えているシステム、運動、は

これだけではなかったりする……


のですが、

その2につづく。

うえの夏まつり パレード その1

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7/18(土)

東京へ行く用事があり、

だったら

小津安二郎御用達のとんかつ屋「蓬莱屋」へ行こう、などとおもい、

(あくまで小津安っさん関連で動いています……)


だったら、うえの夏まつりのパレードをやるらしいからみてみよう。

ということになりました。


で、例によってたくさん写真を撮ったので、載せます。


はじめに注意点、書いておきますと――

パレードは

・上野駅コンコース

・水上音楽堂

・上野中央通り

この3カ所で開催されたらしいんですが、


僕がみたのは上野駅コンコースだけです。

(他のもみたかったですが、暑くて疲れ切った……)


あと、以下の画像、技術的な問題点を書きますと、

絞り、開放近くの方がよかったな、とおもいます。

(だいたい F8前後で撮ってます)

上野駅、背景がたいしておもしろい場所ではないので、

ボカしてしまった方が正解でした。


おまつり、イベント関係を撮ったの、久しぶりだったので、

その点、ミスりました。

レンズは

ニッコール 70-200mm f/2.8G ED VR Ⅱ です。


キャメラは D800 です。

(最近、小津流に「キャメラ」といおう、と決意してしまった)

□□□□□□□□


①福島県観光物産交流協会


伊達政宗、っぽい人が出てきたので、

宮城、仙台、と連想したのですが、


福島の観光アピールのようです。


(↓↓ね? 背景ボカすべきでしょ?)



↓黄色いのは

キビタン という福島のゆるキャラらしいです。


いろいろお忙しいのか、ちょっと汚れていらっしゃいました。


伊達政宗と正室のなんとか姫(忘れた)


とくに歌ったり、踊ったり、はせず、

「政宗さま、お慕い申しております!」みたいな小芝居がありました。


というか、伊達政宗って

福島のあたりも領土にしてたのね。


↓黒づくめの特殊部隊隊員みたいのは

家来の忍者。


この人、前説みたいなことをやった後は、

殿ご夫妻に一切からみませんでした。


3人でからんでコントめいたことでもやりゃいいのに、とか個人的にはおもいました。

ま、これから色々見せ方を練っていくのかもしれません。


②日本舞の会


「東京スカイツリー音頭」とかいうのを踊ってくださいましたが……


ご覧のとおり、きれいなお姉さんばかりだったので、

見るのに夢中で、


どんな歌かはあまり聞いてませんでした。



いいな~、和服美女。


あ。画像では伝わらないとおもいますが、


酷暑です。

上野駅の中央口です。


風通し悪いのなんの。


見物にいらっしゃる方は飲み物持っていかないと病気になります。




というか、お姉さん方、

涼しげに踊っていらっしゃいますが……



内心

「あちぃぃぃ…………」


だとおもいます。

ご苦労様です。



それを考えると、

伊達政宗ご夫妻も、


忍者も、キビタン(の中の人)も、ご苦労様です。



今年は、静岡サンバいけなかったし、

たぶん、来月、浅草サンバも行けなさそうだし、


でも、

正直あんまり期待してなかったうえの夏まつりで

(すみません……)




きれいなお姉さん撮れてよかった。


などとおもいました。


はぁ~、眼福眼福……(荒俣宏先生がよく使うコトバ……)


その2につづく。

うえの夏まつりパレードその2&とんかつ蓬莱屋

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つづきです。


前回の記事も書きましたが、

僕がみたのは上野駅のパフォーマンスだけです。


とにかく上野駅は暑いので、

中央通りのパレードをご覧になりたい方は

上野駅のイベントは無視した方が体力面ではいいかもしれません。


もとい

③日本ラテンアメリカ友好協会


お、サンバのお姉さんがみれるか!?

とおもったのですが、

そうではありませんでした。


スカートぶんぶん振りまわしてますが……


残念ながら

フレンチカンカンみたいなものではないです。

脚線美要素ゼロ。


でも、

ラテンアメリカ独特のリズム感がおもしろかったです。



④富山県民謡越中八尾おわら保存会


おわら風の盆、というのは話にきいてましたが、



なるほどこんな感じのものか~

と感心しました。


う~ん……これは見に行きたくなる……


男性の黒と

女性のピンク色(朱鷺色とでもいうのかね)の対比がいいですね~


こんなゴミゴミした場所でみてもいいのだから、

実物はさぞ素晴らしかろう。


…………

ようは、この駅のイベント。

お客の旅愁を盛り上げて、で、電車にどんどん乗ってもらおう、


と、そういう企画であるから、


……まんまと戦略に乗ってしまっている自分がいました。

(といって、暇もカネもないのですが)


あと、演奏がすばらしかった。


しかし、ほんとゴミゴミした画像ですな~

つくづく背景ボカして撮ればよかったとおもいます。


せっかく大口径のレンズ使ってるんだから……





これはいつか見に行きたいです。





⑤横浜中華学校交友会国術団


ようはチャイナヴァージョンの獅子舞ですな。


あ。むこうの方がオリジナルか。たぶん。


これも生演奏でとてもよかったです。



というか、ふわふわでかわいい。



静止画では伝わりませんが、


しっぽがぴょこぴょこ動くのがかわいかったです。




はい。おきまりの


お客さんの頭を噛む、というやつ。


西洋の女の子の反応……


ビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」思い出したんだが……



映画館でフランケンシュタインみる、あのシーンね。


⑥JR盛岡さんさプロジェクトチーム


これでラスト。

なんかビジネス臭ただようネーミングですが、よかったです。










以上でおわり。

なんのかの、13時~15時、2時間飽きずに見てしまいました。


□□□□□□□□


えーで、ちと用事をすませまして、(ただの買い物)

夕方。


おまちかね(?)

とんかつの蓬莱屋さんです。


御徒町駅近く。松坂屋の裏。


ジャーン……ほんと目立たない建物。


モノクロにしてみる。

小津安っさんっぽいかも??


小津安二郎、ほんとにここのとんかつのファンで、

ロケハンに行っては、ラストここによって夕食。

というパターンが日記を読むとよくでてきます。


こないだの「お茶漬けの味」の感想の記事で、

「全日記小津安二郎」に

冷蔵庫を買った、という記事があったはずだが、みつからない、

などと書きましたが、ありました。


んで、その日も、なんと蓬莱屋に行っている、という……


1953年6月16日(火)

入浴 麦酒のむ 十一時半にて出京 松坂屋→松屋→高島屋→白木屋→三越の屋上を見る 白木屋にて英国アストールの電気冷蔵庫を買ふ

車で松坂屋うらの蓬莱屋にゆく のち上野公園を見る

(フィルムアート社「全日記小津安二郎」394ページより)


1953年なので、「東京物語」のロケハンです。

原節ちゃんが笠智衆、東山千栄子を連れて

「お兄さまのお宅はこっちの方です」

とかいう……あのシーンの構想を練っていたわけだ……


えーもとい、



ヒレカツ定食いただきました。


食べ物撮るの慣れてないな~↓

へんな構図だな~↓

標準レンズで撮るべきだな~↓


広角で撮ったからごはんとか歪んでしまった。


でもおいしさはいくらか伝わっているのでは??



おいしかったです。

ごはんおかわりいってしまいました。


正直、とんかつって、脂っこいのが好きじゃないので

どっちかというと苦手なんだが


ここのは脂っこさを感じませんでした。

(名店に行けばどこでもそうなのかもしれませんが)


あと、とんかつの形が、なんというか、

端正な「小津調」で、よかったです。


あ、値段……


ちと高かったです。おひとり2980円。


んー……どうですか? 相場がわからんのですが。

「蓬莱屋」というブランド料でしょうか?

小津安二郎「東京物語」のすべて その2

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まずは今までの復習です。


その1で、

・「うずまき」+「振り子」=「回転運動」

・「東京物語」=「振り子時計映画」

などとヘンテコな公式を書き、


「ぐるぐる」とか「バタバタ」とか……

いちげんさん完全無視の記事を書いてしまったような気がしますので――


ここで、

「東京物語」(1953)

にいたるまでの小津安っさんの作品歴をざざっと振り返ってみようとおもいます。


はじめにおさえておくべきポイントは……

◎小津作品とは、

「幾何学、数字の純粋な運動で客を魅せる」映画である。

コレです。


くわしいことは『「麦秋」のすべて その3』に書きましたが、

圧倒的な戦場体験を経た小津安二郎は、


映画から

・「物語」を捨て、

(例:あの女or男が欲しい、からはじまる物語。苦境に落とし込まれた主人公が苦境からいかに脱出するか、からはじまる物語。自分探しの物語、等々)


・「社会問題」を捨て、

(例:失業問題、人種問題、貧困問題、テクノロジーがいかに人間らしい生活を歪めるか、等々)


映画本来の「運動」だけで、観客を魅せる、という方法にいたったわけです。


源流は、戦場帰りの小津安二郎軍曹が

はじめてメガホンをとった
「戸田家の兄妹」(1941)、です。


「戸田家」は、戸田家の家紋「三つ持ち合い一重亀甲」

がそうであるように↓↓


「3」「△」のリズムですべてが構成されていました。

画面上の運動は「3」が基調になり、

シナリオにも「3」が頻出します。

(くわしくは『「戸田家の兄妹」感想その3』を参照してください)




「戸田家の兄妹」の中心の△は

・佐分利信

・高峰三枝子

・葛城文子

の「妹萌え△」


さらに――

おそろしいことに、ヒロインを演じるのが

高峰三枝子……高峰「3」枝子、という小津流の凝りっぷり……



この「3」は「父ありき」(1942)で繰り返されます。



笠智衆、佐野周二……そして亡くなったお母さんの「△」




そして小津安っさんの作品歴において

究極の「3」「△」の呈示が――



「晩春」(1949)です。


もちろん、笠智衆、原節子、……そして亡くなったお母さんの「△」
なわけですが、

くわしくは『「晩春」のすべて』をご覧ください。


「小津安二郎」

――というと、

「美人女優が嫁に行くとか、行かないとかいう映画ばかり撮る妙なオヤジ」

という印象をお持ちの方も多いかとおもいますが、


それはまったくその通りですが(!!)


……前述しましたとおり 「物語」→ゼロ 「社会問題」→ゼロ

スクリーン上にあるのは純粋な運動のみ。


というじつにアヴァンギャルドな方法論が


原節子が嫁に行く

有馬稲子が嫁に行く

司葉子が嫁に行く

岩下志麻が嫁に行く


そんな作品群を生みだしたのだといえます。



そして「麦秋」(1951)は、

「○」と「8」の運動でした。

これまた『「麦秋」のすべて』をご覧いただきたいのですが、



書き加えたいことがひとつ。


1936年発足の監督協会について

田中眞澄がこんなことを書いています……


小津安二郎は監督協会の設立、運営に極めて積極的にかかわっていく。五月三日に熱海の錦城館で開かれた総会で、彼は山中、成瀬、内田とともに研究部委員に就任、また彼がデザインした協会マークを、会員の作品のタイトルに使うことが決定した。フィルムのコマを模した横長四角形に8の字を横にして収めたもので、映画が第八芸術と称されたことに由来する。

(岩波現代文庫・田中眞澄「小津安二郎周游」上巻168ページより)


「8」……「第8芸術」……


以前、「麦秋」とは「映画とは一体なにか?」

という映画である。

などと書きましたが、「8」という数字はこのあたりにからんできそうです。


「小津安二郎周游」

「お茶漬けの味」の感想ではさんざんバカにしましたが、

データ収集という意味ではけっこう役に立つ本です。


あ。あと「8」の字を横にというと、↓↓



とうぜんレンズの焦点距離の「∞」記号にもなります。




で、お次、「お茶漬けの味」(1952)


パチンコ、競輪、野球、という「○」

そして羽田→南米モンテビデオという「○」(地球)

これも「○」のリズムで押し切る作品だったわけですが、


佐分利信の乗ったストラトクルーザー(B29の旅客機ヴァージョン)が、

エンジントラブルで羽田に引き返したあたりから

「○」がほころびてきます。


「○」から「うずまき」へ。


戦前の「お茶漬けの味」(原題「彼氏南京へ行く」)と、

戦後の「お茶漬けの味」


この二つのシナリオの差は、読んでいないんでよく分からんのですが、


ともかく1952年の「お茶漬けの味」撮影時には

――「次はうずまきだ!!」という構想は固まっていたようにおもえます。


↑木暮美千代の浴衣の柄が、


「東京物語」の平山紀子(原節子)の浴衣の柄に引き継がれるのを

ご存知の方も多いでしょう。


かたや、女中さん付きの豪邸に住む有閑マダム。

かたや、アパート住まいの戦争未亡人。

ですが。




で、ラストは「うずまき」の呈示、です。


あくまで「○」の映画であるならば、

鶴田浩二と津島恵子のカップルは

なごやかに肩を並べて歩く、みたいなラストでよかったとおもいますが、




そうはいかない。


もうひとつのカップル、佐分利信と木暮美千代が結ばれたか、とおもうと、

東京、モンテビデオ、という地球の両端に離されるように、

「お茶漬けの味」は、「○」から「うずまき」へ、という作品であったわけです。


で、次回作「東京物語」(1953)へ。

という流れです。



おわかりいただけたでしょうか?


「東京物語」が

「ぐるぐる」(蚊取り線香)と「バタバタ」(うちわ)だらけ、というのは

こういう流れから生み出されたわけです。


「東京物語」というと――


「家族制度の崩壊」がなんだ、とか、

「巨匠小津安二郎監督、最高傑作」、とか、

偉そうなことが語られがちなのですが、

小津安っさんのやりたかったことは単純。


ただの「うずまき」映画、というだけのことです。


「晩春」が「△」映画で、「麦秋」が「○」映画だったように、

たんに

「ぐるぐる」映画が撮りたかったのです。


はい、以上、

いままでの復習でございました。

□□□□□□□□


――で、

ここからが今回の本題。

前回、その1は、


「東京物語」を支えているシステム、運動、は

これだけではなかったりする……


などとおもわせぶりな文章で終わりました。

「ぐるぐる」「バタバタ」以外の、

そのもうひとつの「システム」「運動」を今回はみていきたいとおもいます。


結論から先に書いてしまうと、


◎「神話」「おとぎ話」の構造の採用

です。


 

神話の構造、とは??

以下、スターウォーズのネタ本としても知られております、

The Hero with a Thousand Faces

より引用しますと……


 神話英雄はそれまでかれが生活していた小屋や城から抜けだし、冒険に旅立つ境界へと誘惑されるか拉致される。あるいはみずからすすんで旅をはじめる。そこでかれは道中を固めている影の存在に出会う。英雄はこの存在の力を打ち負かすか宥めるかして、生きながら闇の王国へと赴くか(兄弟の争い・竜との格闘・供犠・魔法)、敵に殺されて死の世界へと降りていく(四肢解体、磔刑)。こうして英雄は境界を越えて未知ではあるがしかし奇妙に馴染み深い力の支配する世界を旅するようになる。超越的な力のあるものは容赦なくかれをおびやかし(テスト)、またあるものは魔法による援助をあたえる(救いの手)。神話的円環の最低部にいたると、英雄はもっともきびしい試練をうけ、その対価を克ちとる。勝利は世界の母なる女神と英雄との性的な結合(聖婚)として、父なる創造者による承認(父親との一体化)として、みずから聖なる存在への移行(神格化)として、……

(ジョゼフ・キャンベル著、人文書院「千の顔をもつ英雄」下巻65~66ページより)


以上、ジョゼフ・キャンベル先生が神話の構造をまとめている部分なのですが、おおまかにまとめるとこんな風になるかと、↓↓

(「千の顔」よんでいただくとわかりますが、キャンベル先生、円環状のダイヤグラムにまとめてくれています。でもブログ上で再現するのはムリなので……かわりに……)


①冒険への召喚

②救いの手

③闇の王国へ(境界の越境・兄弟の争い・竜との格闘・四肢解体・磔刑・誘拐・夜の航海・不思議な旅・鯨の胎内)

④試練(テスト)

⑤救いの手

⑥聖婚、父との一体化、神格化、霊薬(エリクシール)の掠盗

⑦逃走

⑧帰還、復活、救出、境界での争い


こんなパターンがあるそうなんですわ。



じゃ、じっさいに「東京物語」が、いかにこのパターンにのっているか、

みていこうとおもいます。


①冒険への召喚


「冒険」というとなんとも大げさですが――


笠智衆、東山千栄子夫婦の、異世界(東京)への出発です。


ですが、異世界(大げさ)の生活は困難で、


S55

庫造「やァ、お仕事ですか」

とみ「ああ、お帰んなしゃあ」

庫造「えらいもの頼まれましたな」

とみ「いえェ……」


娘(杉村春子)に召使のようにこきつかわれる。(大げさ)


S58

志げ「あ、お母さん。そこのあたしの汚い下駄はいてくといいわ」


などと虐待される。(ええ、大げさに書いてますです)


②救いの手


ですが、救いの手があらわれます。

平山紀子……原節ちゃんです。


救い手・原節ちゃんが休みをとって、英雄(大げさ)たちを

異世界(東京)案内に連れ出します。


注意しなきゃいけないのは

もともと、笠智衆たちは

この義理の娘の存在をあんまり気にかけていなかったらしいことです。


S28に

とみ「そう、わざわざ今日来てくれんでも……暫くおるんじゃもん……」


というセリフがありますから、

ちょっとあいさつにでも来てくれればそれでいい、とおもっていたふしがあります。


平山紀子は意外な救い手だったわけです。


あとおもしろいのは、おとぎ話によくでてくる

「3のパターン」が使われていることです。


①長男・幸一(山村聰)→×

②長女・志げ(杉村春子)→×

③二男の嫁・紀子(原節子)→◎


たとえば三匹の子ぶた、とかのパターンです。

三人兄弟の一番下の弟が冒険に成功する、というのもグリムでよくあるパターン。

それと同様のことが「東京物語」で起ります。


(ついでにいうと、「戸田家の兄妹」では、高峰三枝子たちがあっちこっちの家をたらいまわしにされますが、3番目の綾子(坪内美子)の家をスルーすることで、物語要素をわざと消しています)


③闇の王国へ

④試練


試練です。

杉村春子は

寄合があるので、うちから両親を追い出したのですが、

ちょうどのその寄合の日に、両親は帰ってきてしまった。


S93

周吉(微笑して)「――とうとう宿無しんなってしもうた……」

とみも笑って頷く。


英雄たちが宿無しになってしまいます。


S94

周吉「なァおい、広いもんじゃなあ東京」

とみ「そうですなあ。ウッカリこんなとこではぐれでもしたら、一生涯探しても会わりゃしやせんよ」


老夫婦がいる上野は――

「長屋紳士録」においては「孤児」の象徴でもありました。


⑤救い手

⑥聖婚


で、また救い手、原節ちゃんの登場。

で、

東山千栄子&原節子が「聖婚」とは……


ソッチ方面の深い意味はないです。


ま。「ほんとうの家族の獲得」

「ほんとうの娘の獲得」

みたいな意味でとらえてくださいまし。


S103

とみ「思いがけのう昌二の蒲団に寝かしてもろうて……」


と東山千栄子の泣かせるセリフがあります。

つまりここには死者=平山昌二がいるのです。


母+息子夫婦=「3」

という……戦前の名作「一人息子」の再現があります。

⑥聖婚、父との一体化、神格化、霊薬(エリクシール)の掠盗

と書きましたが……


S103

とみ「でもなあ、今はそうでも、だんだん年でもとってくると、やっぱり一人じゃ淋しいけーのう」

紀子「いいんです、あたし年取らないことにきめてますから」

とみ「(感動して涙ぐみ)――ええ人じゃのう……あんたァ……」


冒険者・東山千栄子が異世界において受けた恩恵というのは


「年を取らない」という女神さま(原節子)と……


「晩春」ごっこをする、というものでした。

誰がみたって「晩春」のあのシーンを思い出します。


↑↓画像2枚、「晩春」より。


で、

あの京都の宿の……限りなく妖しいシーンが
「聖婚、父との一体化、神格化」

であったことも、思い出したいところ。


で、「東京物語」にもどりますと、

平山とみ(東山千栄子)

平山昌二(遺影)

平山紀子(原節子)

が、きれいな△になっている、という……


⑦逃走


逃走とはまた大げさですが――

英雄たちが悪者(杉村春子)が住む異世界を離れます。


このショットで↓↓

ほんものの家族が……ほんものの「3」が何なのか、はっきりわかります。


原節子、笠智衆、東山千栄子、です。



⑧帰還、復活、救出、境界での争い


あるいは、もうひとつの ④試練 ということになるかな??

いうまでもなく、東山千栄子が死んでしまうことです。



で、ここでも救い手として原節ちゃんが登場します。

こうやって↓↓


瀟洒な和室で、原節ちゃんと笠智衆の二人をみると

どうしたって「晩春」の世界に連れ戻されます。


ま、先回りしていっちゃいますと、

笠智衆もまた、「晩春」ごっこをすることで

ほんものの家族、ほんものの娘を獲得するわけです。


「聖婚、父との一体化、神格化」――です。

笠智衆はうちわを手にしていますが、


「バタバタ」振り子運動はしません。

くるくると回転運動するのにご注目(○です)


静止画だと再現できませんが……

あと背後の石仏が……

「父ありき」の

2+1=3

の引用、です。


とうぜん「晩春」ラストのリンゴのイメージ……



セリフもまた「晩春」してます。

くりかえしますが、これは「晩春」ごっこなのです。


原節子と笠智衆の二人が、

4年後に、あの最高傑作を自己パロディしているわけです。


わざわざいうまでもないですけど……

二人の役名はやっぱり

「周吉」と「紀子」です。


「東京物語」S164

周吉「やっぱりこのままじゃいけんよ。なんにも気兼ねはないけ、ええとこがあったら、いつでもお嫁にいっておくれ。もう昌二のこたあ忘れて貰うてええんじゃ。いつまでもあんたにそのままでおられると、却ってこっちが心苦しうなる――困るんじゃ」

紀子「いいえ、そんなことありません」


「晩春」S71

周吉「もう行ってもらわないと、お父さんにしたって困るんだよ」

紀子「だけど、あたしが行っちゃったら、お父さんどうなさるの?」


「結婚」をめぐって紀子&周吉が対立するという構図もおなじ。




で、原節ちゃんのボタンが「3」である、という……


「晩春」の聖なる数字「3」の呈示、です。




S164

周吉「これァお母さんの時計じゃけえどなあ――今じゃこんなもの流行るまいが、お母さんが恰度あんたぐらいの時から持っとったんじゃ。形見に貰うてやっておくれ」


これまた「晩春」同様、

父―母―娘の「△」の呈示です。


「東京物語」S164

周吉「いやァ……お父さん、ほんとにあんたが気兼ねのう先々幸せになってくれることを祈っとるよ――ほんとじゃよ」

紀子、胸迫って顔を蔽う。


血のつながらない紀子に対して

「お父さん」といってるところがポイントだとおもいます。


大げさじゃなく、じつにさりげなく……


二人は本当の親子になったわけです。





で、以下2枚、「晩春」


「晩春」S94

周吉「イヤ――なるんだよ、幸せに……いいね?」

紀子「ええ、きっとなって見せますわ」

周吉「うん――なるよ、きっとなれるよ、お前ならきっとなれる、お父さん安心しているよ、なるんだよ幸せに」


□□□□□□□□


はい。

「東京物語」→「物語」というだけあって、

このように物語要素をとりいれているわけです。


ん……でも


――それって後退じゃない??


せっかく「戸田家の兄妹」以降、

映画を純粋な運動のみで描くという決心をしたのにもかかわらず……


捨てたはずの「物語」を採用してしまった。


んーー……


たぶんですねー

小津安二郎&野田高梧、

「ぐるぐる」と「バタバタ」だけだと映画が作れない、とおもったのかも。


全部が全部「期待はずれ」(うずまき運動)だと、

つまらねー、とおもったのかも。


それで苦しまぎれの「神話」「おとぎ話」の採用。


けっきょく、これは妥協、だとおもいます。

おのれの方法論に対する妥協。

あるいは

『「麦秋」でやりたいことは全部やったからいいや』とおもったか??


その3につづく。


小津安二郎「東京物語」のすべて その3

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その3です。

えー今回はまず。


・「東京物語」のルーツは新約聖書だ!!


というアヤしげな説をとなえてみたい、なー、と。


すみませんね。

伴天連キリシタン嫌いの方は読み飛ばして下すって結構です。


ただ、「東京物語」が妙にガイジン受けがいい理由って

このあたりにあるんじゃないか?

などと考えたわけです。


さっそくはじめます。

まずは福音書の引用。


イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。

ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。

イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

(マルコによる福音書 12章41節~44節)



イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。

この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。

イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。

貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。

はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

(マルコによる福音書 14章3節~9節)


おなじ話はマタイ伝にもルカ伝にもヨハネ伝にもあるんですが、

個人的な好みで素朴なマルコ伝の記述を選びました。


ナザレのイエスとかいう人が主人公の話ですが、

ようするにこの男がいっているのは

「数量でカウントできるものとか、損得でカウントできるものとか、そんなものは実はたいしたものじゃないよ。だいじなのはまごころなんだよ。フィーリングなのさ!!」

ということのようです。


個人的なはなしを書いてしまいますと……

わたくし、キリスト教系の幼稚園にはいったもので……


「東京物語」の原節ちゃん、

平山紀子をみていると、

子どもの頃きかされたこの「やもめの献金」や「ベタニアの香油」のエピソードをおもいだしてしまう。

(幼稚園だと紙芝居でみせてくれるのだ。幼児にとって髪に油をかけるとなにがいいのかわからなかったが……)


奇しくも……

「やもめの献金」では「未亡人」という「東京物語」要素がでてくるし。

「ベタニアの香油」は

「前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」

というあたりイエスの死(処刑)を暗示しているわけで、

これまた、東山千栄子が死ぬことを考えると、なんか似てる。


具体的にみてみましょう。


S67 

紀子のアパートの外景――


古びたアパートである。

もう夕方で、西日があたっている。


というシナリオの記述通り……

ぼろアパート。↓↓


S72


原節ちゃんのうちにはお酒はないので、

おとなりの奥さん(美人ばかり住んでいるへんなアパート……)

に、


お酒、徳利、お猪口を貸してもらう。

あと、

細君「これ持ってく? ピーマンの煮たの。おいしいのよ」

紀子「ありがとう。頂いてくわ」


という会話などあります。


ま、幸一(山村聰)のうちも

志げ(杉村春子)のうちもボロなんですけど。


さらに天丼を出前でとりまして……



紀子「おいしくないでしょうけど、どうぞお母さま――」

とみ「おおけに」

紀子「どうぞ召上って――」

とみ「そう、じゃ頂きます」


という場面。


ついでにいえば原節ちゃんは一緒に食べません。

eatしない。

このあたり、「食べる」はあくまで「血のつながった家族」同士のもの。

というなんか……残酷な小津の法則がみられます。





S73

一方その頃、↓↓



志げ「ねえ兄さん、あたし、考えたんだけど、ちょいと三千円ばかり出してくれない?」

幸一「なんだい」

志げ「ううん、あたしも出すのよ。二千円でいいかな。やっぱし三千円はいるわね」

幸一「どうするんだい」

志げ「ううん、お父さんお母さん、二、三日熱海へやって上げたらどうかと思うのよ」


と兄妹で熱海旅行の算段をしている。


笠智衆、東山千栄子が熱海で団体客に出くわして、さんざんな目にあったことは誰もがご存知。

で、帰ってきての会話。

S93

志げ「混んでませんでした?」

周吉「ウム、少し混んどった」

志げ「ご馳走、どんなもの出ました?」

とみ「おサシミに茶碗むしに……」

志げ「おサシミおいしかったでしょ? あすこ海が近いから……」

とみ「大けな玉子焼も出てのう」



ここらでざざっとまとめてみましょう。


・幸一&志げは、総額6000円というけっこうな出費をしている。

 食事はおサシミ、茶碗蒸し、玉子焼き、であった。

(ついでに……松竹のDVDの副音声によると、この暑い時期にはフツー茶碗蒸しは旅館では出さないらしい。小津&野田コンビの珍しいミス)


・紀子の出費は不明。(ただ、常識的に考えて、幸一&志げからいくらか、出ているのではあるまいか?)

 食事は残り物のお酒、ピーマンの煮もの、天丼、であった。

(ついでのついで……ピーマンの煮ものは、麻素子ちゃん…のちの佐田啓二夫人、中井貴一のお母さんの作ったものらしい)


幸一&志げのほうが、出費の額は大きいのです。

しかも食事も、熱海の方が豪華でした。

ですが、動機が、きわめて打算的、数量的なのです。

「そうよ、この方が安上がりよ。それに温泉にも這入れてさ」

なる杉村春子のセリフがあったりする。

志げとしては講習会だのなんだのがあるので、

ホンネは両親を熱海に追い出したかったわけです。


一方の原節ちゃん、紀子の方は、彼女なりのベストをつくしたことが

われわれにはよくわかる。

賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

この人はできるかぎりのことをした。

というわけです。



もとい。


「東京物語」に戻ります。

S111

東山千栄子&原節子が、

「晩春」ごっこをしたあの夜。

「聖婚」シーンの翌朝↓↓







とみ「あんた、お勤めおくれやせんな? まだええの?」

紀子「ええ、まだ大丈夫です――(と棚の上の紙包みを持って来て)ねえお母さま……」

とみ「なんな」

紀子「アノ、お恥ずかしいんですけど、これ――」

とみ「なに?」

紀子(笑って)「お母さまのお小遣い」

とみ「何をあんた」

紀子「いいえ、ほんとに少ないんですけど……」


東山千栄子はなおも「いけんいけん」とかいうのですが、

原節ちゃんは無理やりにでもお小遣いをあげてしまう。

あくまでベストをつくす平山紀子で……

賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。

この人はできるかぎりのことをした。

なのです。


これはもちろん……1942年の「父ありき」S61


良平「ねえ、お父さん」

堀川「うん?」

良平「お小遣いあげましょうか」


このくだりの再現です。


堀川「いや、ありがとう……これは、持って行って、ご仏壇に上げてお母さんにもお見せしよう」

良平「ええ」

堀川「ありがとう」


それにしても……11年を隔てた「父ありき」「東京物語」ですが


・死者が登場する。(「父ありき」のお母さん、「東京物語」の昌二)

・お小遣いをもらった人物は死ぬ。(「父ありき」の笠智衆、「東京物語」の東山千栄子)


と不気味な符合があります。



符合はまだ続いて……

「父ありき」の良平――佐野周二は、


ふみ子(水戸光子)と結婚するのですが、


これはなんだか死んだ父からの贈り物のようにみえなくもない。

縁談をまとめたのは笠智衆ですので。


映画の……画面上の出来事をおっそろしく単純化しますと、


①佐野周二は笠智衆にお小遣いをあげた。

②笠智衆は死んだ。

③死んだ笠智衆は佐野周二に花嫁をプレゼントした。


と、このような構造になっています。


で、これが「東京物語」にそのままそっくり引き継がれる。


ま、このあたりは前回もご紹介しましたが、


S164

周吉「これァお母さんの時計じゃけどなあ――今じゃこんなもの流行るまいが、お母さんが恰度あんたぐらいの時から持っとったんじゃ。形見に貰うてやっておくれ」

紀子「でも、そんな……」

周吉「ええんじゃよ、貰うといておくれ。(と渡して)あんたに使て貰やあ、お母さんも屹度よろこぶ」

紀子(悲しく顔を伏せて)「……すみません……」



これまた分解しますと――

①原節子は東山千栄子にお小遣いをあげた。

②東山千栄子は死んだ。

③死んだ東山千栄子は原節子に時計をプレゼントした。


と、「父ありき」とまったくおなじ構造をしているわけです。


「時計」が、まー近頃の人が想像するような

電気仕掛けの安物ではないことは明らかでしょう。


あの業つくばりの志げ(杉村春子)ですら遠慮したような高級品なわけです。


打算無しで行った行為が、何倍、何十倍、何百倍?にもなって返ってきたわけです。


どうですかね?

・「東京物語」のルーツは新約聖書だ!!


奇しくも…東山千栄子は「東京物語」についてこんなことを書いています。


 この映画が封切られてから十年あまりのち、昭和三十八年の秋のある日、ソヴィエト・ロシアからヨーロッパのあちらこちらと旅行して来て、ローマのレストランで食事をしておりました折に、五十五、六歳くらいの紳士が通訳の方に言葉をかけて来ました。私を日本の女優ではないか、「東京物語」で記憶しているのだが……ということでした。

 小津先生の作品は、外国人にまで鑑賞されているのだということを、私はたまたま異国にあって知らされ、先生の偉大さを改めて認識するとともに、自分の心もほのぼのと暖かいものにつつまれました。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」225ページより)


平山紀子、平山とみの物語は世界中で鑑賞されたわけです。

つまり、


はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。
というわけです。


……………


んーー


ただ……


さいきんトマス・ピンコ、

源実朝、にはまってまして、

鎌倉幕府三代目の将軍ですが、天才歌人ですが、

その人の歌に

塔をくみ堂をつくるも人の嘆き懺悔にまさる功徳やはある

金槐和歌集・雑・六一六


寺社の塔を組んだりお堂を作ったりすることよりも、人が罪の深さを嘆き、それを懺悔することにまさる功徳があるだろうか。

(笠間書院・三木麻子「源実朝」78ページより)


なんかこういうのをみると、

とくに「キリスト教」「新約聖書」ということもない気がしてきた。

僕がたまたまキリスト教関連の知識があるから、聖書を思い出しただけのことで、


ナザレのイエスだろうがなんだろうが、

「数量でカウントできるものとか、損得でカウントできるものとか、そんなものは実はたいしたものじゃないよ。だいじなのはまごころなんだよ。フィーリングなのさ!!」


こういう考えはたぶん、いろんな宗教、

仏教説話の中にもいくらでも出てくるような気がする。

(ご存知の方、ご教授願いたい)


平山紀子(原節子)の行為はまさしく……

人の嘆き懺悔にまさる功徳やはある

ということですからねぇ……


□□□□□□□□

なんか論旨がグズグズになってきた感がありますが、


では、肝心の小津安っさん自身の「東京物語」評価はどうなのか、

みていきたいとおもいます。

親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ。ぼくの映画の中ではメロドラマの傾向が一番強い作品です。

(フィルムアート社「小津安二郎 戦後語録集成」379ページより)


1960年時点での自己評価。これで、全文です。

はっきりいって、評価は高くない、ようなのです。


ポイントはメロドラマ、でしょう。

安っさんにとって「東京物語」=「メロドラマ」なのです。


では、メロドラマ、とは何なのか??

小津安二郎は日記にこんなことを書いています。


1953年1月4日(日)

暖いいヽ天気だ

ゆつくりおきて年賀状をかく 薪を割る 裏を掃く

誰も来ない静な一日だ 晩 蛤の吸物 鴨なべ 酒二合 陶然となる

早くねる ねながら 夫婦のシナリオをよむ

新聞をみていると人工降雨といふ大見出しの活字がある メロドラマといふルビはどうか

この日午前四時半 秩父宮御死去 御齢五十

(フィルムアート社「全日記小津安二郎」354ページより)


いろいろ書いてあって興味深いですが、

ポイントは「メロドラマ=人口降雨」、これでしょう。


ようはお涙頂戴=メロドラマ、ということらしいのです。


いいかえれば、「東京物語」はお涙頂戴、だ、ということです。


んーーはっきり書いてしまいましょう。


◎まとめ。

「東京物語」は

小津安二郎の最高傑作でもなんでもない。

(「傑作」だとはおもいますけど)


はい。

書いてしまいました。


小津安っさん自身は、純粋な運動だけでシャシンを撮りたかった。

「戸田家の兄妹」「父ありき」「晩春」という△作品。

そしてアヴァンギャルドの極致「麦秋」


これをもう一度やりたかったのですが、

純粋な運動、

うずまき(ぐるぐる)振り子(バタバタ)だけでは作品が作れなかった。


それで、前回その2でみたように神話の構造を導入し、

そして今回その3でみたように 宗教説話の構造を導入した。

というわけ。


「お涙頂戴」の理由はそこらにあります。

そもそも、

こんな教訓めいたお話、はたして今まで小津作品に存在しただろうか?


「親孝行しましょう。そうすればこんないいことがありますよ」

こんな安易なメッセージがあっただろうか。

むしろ……「一人息子」の冒頭に自身、引用したように……


人生の悲劇の第一幕は

親子となったことにはじまっている

――侏儒の言葉――


こんな映画ばっかり作ってきたのだ、この小津安二郎という男は。

一貫して、反・物語 反・教訓 反・宗教説話 でやってきたのだ。


「涙」なんかではなくて

観客をオープニングからポンと突き放すような映画ばっか作ってきたのだ。


それが妥協してしまったわけです。「東京物語」は……

でもそのおかげでわかりやすくなったこともたしかで……


それで、イタリアの紳士がローマのレストランで

東山千栄子にはなしかけるような事態も生まれたわけです。

なんつったって新約聖書じみたおはなしですから、

連中にはこんなにわかりやすいものはないわけです。


だから

「東京物語」=「小津の最高傑作」

というのは、

ただ単にガイジンども(ヨーロッパ人)

の評価をそのままおうむ返しにさえずっているだけだ。


とおもいます。


ただ……


…………


な……

映画の構造とか、なんとかを離れて、

杉村春子の志げ、とか、こういう人物をみると……


たまらんものがあります。


「麦秋」の杉村春子はなんかファンタジーめいた存在感がありましたが、

「東京物語」の杉村春子は、リアルな、われわれの隣人です。



こういうビターなところ、

人生の暗部みたいのをさりげなく描くようになったのは、

「東京物語」以降、なわけで……


はっきり言って――

(ナザレのイエスとかいう人の口癖じゃないですが)


はっきり言って、最高傑作じゃないとおもいますが、

小津安二郎の作品歴の「転回点」であったことは確かだとおもいます。

小津安二郎「東京物語」のすべて その4

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まず――

前回「その3」がちょっと舌たらずだったような気がするので

ちょいと書き足しておきます。


というか、小津安っさん自身の

「ぼくの映画の中ではメロドラマの傾向が一番強い作品です」

というのを引いて、

だから「東京物語」は最高傑作ではない、

というのは……


自分でも

ロジックとしておかしい、とおもいます。

作家の自己評価ほどあてにならないものはないですからね~

(ただ……小津安二郎のような、自分の方法論にたえず厳しい吟味を加えてきた男にこれはあてはまらない、と僕はおもっているんですが、ね。ゆえに僕の前回のロジックもそうはずれではない、とおもっております)


僕がいいたかったことをまとめますと、

①「東京物語」=最高傑作、説。というのは、単にヨーロッパ人(キリスト教圏)の評価に過ぎない。

②「東京物語」の小津の作品群における位置というのは――

富士山のような単独峰ではなくて

「戸田家の兄妹」以降の傑作群――偉大な小津傑作山脈を構成する一つの峰にすぎない。(それだって十分すごいことですが)


ようは、

「東京物語ってすごい作品だけど、あまりに神格化されすぎている」

ということです。

(その代表格が吉田喜重の「小津安二郎の反映画」だとおもいますが……この本についてはそのうちどこかで書こうかとおもいます)


□□□□□□□□


今回から、例によって(?)

シナリオ順に「東京物語」を解剖していきたいとおもいます。

よろしければおつきあいくださいませ。


S1

「尾道 七月初旬の朝」

というのですが、この1ショットはすさまじいです……


この灯籠、なんかDVDの副音声だと「浄土寺」とかいわれてますが、

ネット上では「住吉神社」とか書かれている方もおられて、

なんだかわかりません。


だが、そんなのははっきりいってどうでもよくて、

ポイントはここ……


「砂時計」形のシェイプ。これです。


あるいは、こう言い換えてもよいか。



「コカコーラの瓶」形、と。


これが、まあ。

「東京物語」の原節ちゃん、平山紀子の象徴だということは、


……みなさんもうお気づきでしょうか?



↑「晩春」の曾宮紀子は、お着物姿が多くて、

コカコーラの瓶形ではありません。


あと、もこもこしたセーターとか着ますな。

どっちにしろウエストは強調されません。

↑「麦秋」の間宮紀子も同様。

カーディガンを羽織ったり、エプロンしたり、

あと、

丸の内のOLさんですのでスーツ姿が多かったですな。


……ところが、

「東京物語」の平山紀子は終始「コカコーラ」なのです。

(失礼ながら……同じファッションでも、三宅邦子だと円柱になってしまう……すみません)




↑この名ショットもコカコーラ……



↓香川京子とのショットはコカコーラが2本、といった具合。


原節ちゃんは、京子たんのウエストを整えたりしますので……


あきらかに意識してやってます、小津安二郎。


(というか、平山京子=香川京子という名前の一致。

小津安二郎がシナリオ段階ですでに香川京子を意識していたらしいのは、どうしても2本のコカコーラが撮りたかったからではあるまいか?

この映画の香川京子、もちろん演技もすばらしいですけど、原節ちゃんとの体型の相似というのも注目したい点です。二人ともけっこう背が高いしな)


ですので、「うずまき」「振り子」に注目するのも楽しいですが……


・「東京物語」はコカコーラ映画だ!


という見方もおもしろいです。


先回りして言っちゃうと、

・尾道の平山家の「ひょうたん」

・東京の平山医院の「砂時計型の台」

などがコカコーラしています。


……ね? ひょうたんが。↓↓



ま、もちろん、最大最強のコカコーラは

原節子&香川京子、なわけですが。


というか、「晩春」のコカコーラの看板といい。

「麦秋」のアヤちゃん(淡島千景)の

「タイルの台所に電気冷蔵庫か何か置いちゃって、こうあけるとコカコーラか何か並んじゃって」

というセリフといい。

明らかに暗号を下準備していたあなたが怖い。

小津安二郎……


S2

「山手の町」


「路地の向うの表通りを子供たちが小学校へ通ってゆく」


これが「うずまき」だ、というのは「その1」で触れました。



このショットに関しては今村昌平の証言がおもしろい。

のちの巨匠も当時、助監督です。

「東京物語」の尾道ロケで、土塀の前を小学生が登校する情景を撮った。私は緊張のあまり硬直したように歩くエキストラの子供達に、暑いだろう、暑いんだから、もっとふざけたりダラダラしろと命じてカメラサイドに馳け戻った。テストで動いてみると前よりマシだが、まだダラダラが足りない。とんで行って直そうとすると監督から声が掛かった。「少し行儀が悪すぎるね。今村君。も少しキチンとしようか」

 私はことごとにキチンとする小津さんが分らなかった。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」236ページより)


ダラダラの今村昌平とキチンキチンの小津安二郎というのがおもしろい。

ただ、いじわるな見方をすると……


今村昌平のいってるのは中・高校生レベルの「素朴リアリズム」というやつで

映画そのものとはまったく関係がない。

だったらドキュメンタリーでも撮っているべきだとおもう。

この人のいっていることは「映画論」ではまったく、ない。


作者の小津安っさんの側からいえば、

このショットでは情景描写に加えて

なにより……

「うずまき」という暗号をさりげなく登場させたいわけですから、

小学生たちに余計な動きをさせては邪魔になるわけです。


S3

「平山家」

「部屋では今、主人の周吉(70)と老妻のとみ(67)が旅行の支度の最中で、とみはいそいそとして荷物を詰め、周吉は汽車の時間表を調べている」


というのですが、



はい。ひょうたん。

コカコーラ瓶形です。


しかし……

「東京物語」って画質が悪い。


松竹純正のDVDでみたって、画質が悪い。

戦後間もなくの「長屋紳士録」より悪い。

戦中の「父ありき」よりいくらかまし、といった感じ。


このあたり、キャメラマンの厚田雄春の証言があります。

なんとオリジナルのネガが焼けてしまったらしいのです。


ところが、一番残念に思うのは、あの『東京物語』、現像場の出火で原版ネガが焼けてなくなってしまったんですよ。これにはガックリきました。さいわい、松竹の撮影所に五、六本ほどポジ・プリントがあったんで助かりました。現在のは、だから、それをもとにして起こしたデュープ・ポジなんですよ。しかも現像場ではただ明るく焼付けるので、フラットな荒びている箇所があってとても見えにくいんです。あのころ、もうそろそろカラーをやろうじゃないかという話が持ち上がっていて、小津さんの黒白映画としては最後のものになるかもしれない。だから、ぼくはね、精魂こめてやったわけです。それが、いま出まわっているデュープのプリントだと、まるっきりだめなんです。

(筑摩書房「小津安二郎物語」213ページより)


しかし……

「その1」で触れましたが、


「東京物語」って予定外のことばかりが起る(=うずまき)わけです。


日曜日出かけようと思えば、急患が出て、出かけられない。

熱海に温泉旅行に行けば、うるさい団体客にかちあって、寝られない。

……

大きなことを言えば

「子供は親のおもうようには育たない」

「人は予定外の時に死ぬ」

とか……


だから、このオリジナルネガが焼けちゃった……

というのも、あるいは??


とか考えてしまいます。


んーー……

まだ「S3」ですが、

キリがいい感じなのでこれでおしまいにしときます。


その5につづく。

先は長そうです。

小津安二郎「東京物語」のすべて その5

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その5、です。

シナリオ順に「東京物語」を解剖しております。


今まで、

・「東京物語」は、ぐるぐるとバタバタだ!

・「東京物語」は、神話・おとぎ話・宗教説話だ!

・「東京物語」は、コカコーラの瓶だ!


といろいろいってきましたが、

・「東京物語」は

小津安二郎 Greatest Hits だ!


という見方もできる気がする……

なんというか「小津安二郎傑作選」のような。


前回「その4」の最後、厚田雄春キャメラマンの証言――

「小津さんのモノクロ最後の作品になるかもしれないからがんばったのにオリジナルネガ燃えちゃった……」

というのを引用しましたが、


あるいは小津安っさん自身も

「これでモノクロ最後」みたいな意識があったのかもしれません。

(じっさいは、ご存知のように「早春」「東京暮色」とモノクロ作品が2作品つづきます。で「彼岸花」からカラー作品へ)


もとい、


S3

京子「お母さん、魔法壜にお茶ゃ入れときましたから」

とみ「あそう。ありがとう」


なんて会話の背景は……


↓「麦秋」の間宮家の引用(?)といっていいでしょう。


それから

S4

「玄関」「京子、出かけていく」


ここでははっきり写されませんが――


物語最終盤 S163でははっきり写ります。


家紋入りの提灯箱↓↓


もちろん、「戸田家の兄妹」「麦秋」の引用。

ただ、「東京物語」の平山家には電話は装備されていないようです。



んー……といいますか、わたくし。

今まで「この家紋はいったい何なんだ???」


とずっと謎におもっておったのですが、

それが「東京物語」の副音声解説であっさり解決しました。


「提灯箱」というものなのですね。

中に提灯が入っている。


あ~知らないことだらけだ。恥ずかしーー


だからこのショットは、

前時代の遺物「提灯箱」と……


最新の機械「電話」の組み合わせだったというわけ。



んで、
S6


の空気枕談義も――


「うずまき」(予定外のことが起こる)


であると同時に、毎度おなじみ「パッキングシーン」なわけです。


つまり、「戸田家の兄妹」「父ありき」「晩春」「麦秋」「お茶漬けの味」

の引用。


さすが、小津安二郎グレイテストヒッツ。

で、美しい尾道から



S7

「東京」「町工場などの見える江東風景――」



われわれは一瞬で

「出来ごころ」「一人息子」等々の薄汚いトーキョーへ。


あくまで小津安二郎グレイテストヒッツ。


千住のお化け煙突というものらしいです。↓↓



S9

「平山医院の診察室」

「見たところあまり豊かそうにも思われない」


はい。これです。これ。


で、ファーストショットに続いての

コカコーラの瓶。砂時計形が出現。


三宅邦子は失礼ながら……コカコーラの瓶じゃありません。




S15

「診察室」


当時の助監督今村昌平の証言。


山村聰さんが耳鼻科の医者の設定なんですが、僕の実家も耳鼻科医だったので、医療機器の並べ方がおかしいのに気づいた。それを言ったら、「君が直してくれ」ということになり、並べかえました。

(講談社、松竹編「小津安二郎新発見」176ページより)


だそうです。


ただ……

看板は耳鼻科じゃなくて……


「内科小児科」ですな。

テキトーなこといってます。今村昌平。


正確には「君んちお医者なんだから、君がやってくれ」

みたいな感じだったか??


S26

「玄関」

「紀子(28 戦死した次男昌二の未亡人)が靴をぬいでいる」


文子「いらしったの? 東京駅――」

紀子「ええ、間に合わなくて……。皆さんお帰りンなったあと」


原節ちゃん、コカコーラ瓶の登場です。


「コカコーラ瓶、コカコーラ瓶というが、おまえ、若い女優さんがこんな格好したら誰だってコカコーラ瓶になるだろ」

というあなた。


あなたはこの頃の日本の女優さんのプロポーションをご存知ない。


田中絹代はどうだったろう?

高峰秀子は?

どっちもこうはならなかったでしょう。


次作「早春」の岸恵子ならOKでしょうが、

戦争未亡人という役ができたかどうか??(ムリ)


あるいは、桑野通子ならコカコーラ瓶になれたでしょうが……

彼女はもう故人でした。


とにかく、原節子じゃなきゃムリ、なのです。



S28

紀子「いいえ、なんですか、ゴタゴタしておりまして、気が付いたらもう時間が一ぱいで……」


という彼女の胸元にはマジックナンバー「3」


というか、平山紀子には終始「3」がつきまといます。


紀子(とみが帯をたたむのを見て)「お母さま、致しましょう」

というのは……

「一人息子」S60

杉子(坪内美子)の「あたし致しましょう」

の引用。


たぶん、「東京物語」執筆中の

小津&野田コンビのかたわらには

「一人息子」のシナリオがあったんじゃなかろうか、と推測されます。




あと……


この作品では絶えず

「節ちゃんを細く撮ろう、細く撮ろう」

という意識がうかがえます。


あくまで「平山紀子=コカコーラ瓶」なのです。

たとえば背中からのショット↓↓


細いんです。

(ま。もちろん今日日のモデル・女優さんからすればアレでしょうが)



「晩春」の曾宮紀子↓↓


「麦秋」の間宮紀子↓↓

これは……けっこうドシン! と写ってます……

(小さな子供と一緒のせいか??)



「東京物語」の頃の原節子が

以前に比べて痩せたのかもしれないですけど――??


どうも、構図とか、角度とかで、工夫してるんだとおもいます。


はい。

こうやって、東山千栄子、杉村春子と並べて、

コカコーラ瓶を強調する、と。↓↓


しかも話題が……


志げ「アラお母さん、また少し大きくなったんじゃないかしら」

という具合。



S29

「実が勉強している」


このシーンで spring (ぜんまい)というキーワードが出てくることは

「その1」でご紹介しました。


しかし、「戸田家の兄妹」「父ありき」……と、

男の子はきまって英語を勉強します。


引用。

S30

紀子「お姉さま、これ蠅帳へ入れときます」

文子「どうも……」


このあたりはどうしても「麦秋」の世界に連れ戻されます。

たとえば……

「麦秋」S133

紀子「お姉さん、いいの。あたしします」

史子「アノ、蠅帳に這入ってます、コロッケ……」

という具合。


引用です。


このあたりまでいろいろと予定外のことばかりが起る(=うずまき)

というのは「その1」でご紹介しました。


「空気枕」にはじまり、

実くんの机が廊下に出されてしまったこと。

紀子(原節子)が東京駅に着くのが遅れたこと。

お孝さん(謎の人物)の結婚がうまくいっていないこと。等々。


で、

S35


とみ「へえ――ここあ東京のどの辺りでしゃあ」

周吉「端の方よ……」

とみ「そうでしょうなあ。だいぶん自動車で遠いかったですけの……」


と、笠智衆と東山千栄子の老夫婦ががっかりしていることがそれとなく明かされます。


というか「がっかり」とか「意外だった」とかいうコトバを使わずに

「遠い」――

という空間論に持っていくあたりがやはり小津安っさんのうまさだなぁ~……




もちろんこれは「一人息子」のおつね(飯田蝶子)と同じ「がっかり」です。

そこそこ成功しているとおもっていた息子が

場末の……しかもうるさい工場のとなりに住んでいる。

しかも、知らぬ間に結婚して、で、赤ちゃんまでいる、と。


引用です。小津安二郎Greatest Hits


で、うろこ雲。

これまた「麦秋」のS128で

周吉(菅井一郎)が見上げるうろこ雲の引用。


S39

杉村春子がやっている「うらら美容院」です。


ひとつ気になるのは、

平山家は「先生」と呼ばれる職業の人がけっこう多いことです。


・平山幸一→医師

・平山志げ→美容師

・平山京子→教師


という具合。

でも考えてみると――

これまた、

「一人息子」の大久保先生(笠智衆)からの伝統のような気がする。


大久保先生は東京へも一度勉強しにいったのだが、

けっきょくとんかつ屋さんになっている。

「宗方姉妹」の山村聰は無職なのに「先生」と呼ばれているし……

小津作品はすこぶる頼りない「先生」の映画なのだ。


もちろん、小津安二郎その人も「先生」呼ばわりされていたわけですけど……


小津作品の「先生」はきまってうだつがあがらない人たちで……

小津作品内での成功者は、

「先生」呼ばわりされていない人の方が多い。

(のちのち佐分利信、中村伸郎あたりが演じる会社重役は「先生」ではない。二人からちょっと小馬鹿にされる北竜二は大学教授、つまり「先生」……)


そうそう。
中村伸郎が小津作品に初登場。

もう、絵に描いたような頼りない「髪結いの亭主」キャラ。


庫造「そしたら金車亭へでも案内するかな」

志げ「いいことよ、余計な心配しなくたって」

庫造「うまいね、この豆――」

志げ「今日どうするんだい、お父さんお母さん」

庫造「およしなさいよ、そんなに豆ばっかり」


杉村春子が否定するのが

「金車亭」「豆」と……○ばっかりというのは、

どうなんでしょう?

深読みのしすぎなのか??


それとも暗号なのか??

暗号ですよね。


S40

文子「今日はお利口にしてなきゃだめよ。お祖父ちゃまお祖母ちゃまご一緒だから――いいわね、わかった?」

勇「わかった」


――と、

トマス・ピンコは背後で山村聰が靴下をはいているところに注目してしまうのであった。

考えてみると、終盤のS133 尾道のシーンで

香川京子たんが靴下をはくし……


思い出すのは「お茶漬けの味」で佐分利信が靴下をはくところ。

あと「晩春」は――

S78「紀子答えず、椅子のところへ行って腰かけ、靴下をぬぐ」

「紀子、それにも答えず、ぬいだ靴下を持ってまた立ってゆく」


と、妙に靴下、ストッキングにはこだわる小津安っさん。




S42

個人的に……


三宅邦子の

「勇、お子様ランチがとても好きなの」


このセリフが好きなのだが……


そういや「麦秋」の

S25「やわらかいおいしいご飯……」

といい、この人の名台詞(?)は、食べ物関係が多いな。



S43

患者さんが来る直前――


勇ちゃんは円運動を描こうとしますが……(○)


ぐるり、と完全な円は描けません↓↓


中村伸郎が「金車亭」「豆」を否定されるように

「東京物語」では「○」は否定されてしまうわけです。


で、患者(の父親)の登場。

で、山村聰は出かけなくてはならなくなり、

で、お出かけは中止になる。


これまた「一人息子」の引用。

というか、「東京物語」は「一人息子」の翻案のようなところがあります。


「一人息子」の場合――

近所に住む富坊(突貫小僧)が馬に蹴られて大ケガをし、

で、良助(日守新一)たちのお出かけが中止になります。


で、「一人息子」の場合、この大ケガが……


おつね「ううん、それどこか――(つくづく嬉しそうに)かあやんはなあ、お前のような倅をもって、今日はふんとに鼻が高かっただよ」


とおつねが息子を見直す機会になるのですが、

「東京物語」は一切プラスには働きません。




S44

幸一「ひょっとすると、すぐ帰れないかも知れないんですが……」

周吉「ああええよ」

幸一「じゃ、ちょいと行って来ます。じゃお母さん――」

とみ「ご苦労さん」


このあたり、「麦秋」の康一(笠智衆)も日曜出勤しなければならなかったことを思い出したい。


志げ「ご苦労ねえ、日曜なのに……」

康一「いやア――。帰りに何か買ってきましょうか、おじいさんのご馳走……」

志げ「でも、固いもんだと召し上がれないから……」

康一「そうですね。――じゃ行ってきます」

志げ「ご苦労さま」


S48

ぶんむくれて枕を放り投げる実くん。


もちろん「麦秋」のパン投げ事件のパロディ。


パンには深い意味がありましたが……

(撮影方法のパン、そしてのちのち登場するアンパン)


枕には??……


ただ、熱海の旅館のシーンといい、

原節子&東山千栄子の「晩春」ごっこといい、

寝入りばなを叩き起こされてしまう、杉村春子夫婦のシーンといい、

東山千栄子の危篤のシーンといい……


「枕」の登場回数は多いですね、「東京物語」――


枕??

――うーん、なんかの暗号なのか??


わかりません。





で、実くん、回転。


回転は小津安っさんにとって「○」ではなく、「うずまき」であるようです。


実くん。

机を廊下に移動させられてしまうし、

日曜日にお出かけできないし……


予定外のことばかりが起きます。


で、東山千栄子主役のとんでもなく美しいシーンが続きます。


この「美」は――

彼女が死んでしまう、とわかっているからこそなんでしょうか?



S50
「向うの空地」

「勇が、何かをして遊んでいるのを、とみが傍にしゃがんで見守っている」


S51

とみ「勇ちゃん、あんた、大きうなったら何になるん?」

勇、答えず、遊んでいる。

とみ「あんたもお父さんみたいにお医者さんか? ――あんたがのうお医者さんになるこらあ、お祖母ちゃんおるかのう……」


えー……ここはすなおに東山千栄子の名演を楽しみたいところですが……

これも引用。


「一人息子」S86

おつねが赤ン坊のお守りをしている。

子守唄まじりにあやしながら、

おつね「坊や、でかくなったらなにになるだ。坊やも東京で暮らすんかね」

そしてまた、あやす。



一方、笠智衆……


S52

「周吉、ひとり退屈そうにボンヤリしている」


というのですが、これはどうみてもラストシーンの前触れ……


S174「海」「遠く島々通いのポンポン蒸気が行く」

S175「縁先」「それをボンヤリ眺めている周吉――」

S176「海」「ポンポン蒸気の音が夢のように遠くなってゆく。瀬戸内海の七月の午後である」


これもまた「引用」といっていいのか??


「伏線」などという安易な用語は使いたくないところです。


ともかく

ありとあらゆる小津作品の「引用」がちりばめられ――

数々の「引用」同士が共鳴しあい、あるいは反発しあい、

ある時は「うずまき」をつくり、ある時は「振り子」運動をし、

ある時は「神話」を作り、

ある時は「宗教説話」を作る。


そんな万華鏡のきらめきが

ある時は「コカコーラ瓶」のように見え、

また、ある時は聖なる数字「3」を形作る。


そんな「東京物語」――

小津安二郎 Greatest Hits というわけです。


うーむ……

この感想書くまで、

小津の最高傑作はやっぱり麦秋だろう、とかおもっておったんですが……


やっぱりスゲエ、「東京物語」……


その6につづく。

小津安二郎「東京物語」のすべて その6

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「東京物語」を解剖しております。

その6です。


その5でみたエピソードのあと、

笠智衆、東山千栄子の老夫婦は、長男幸一の家から、長女志げの家に移動したようですが、

移動そのものは描かれません。


志げ(杉村春子)の家は美容院です。


S53

うらら美容院は「うずまき」だらけで、みていて発見があっておもしろい。

ビジュアル的にもそうですし、セリフもうずまき(予定外)だらけ。


扇風機が見事に「うずまき」

こういうのを一生懸命みつけたんでしょうねぇ。

あるいは当たり前にあったのか??



S54

志げ「そう、じゃ、そうしてやってよ。東京へ来て、まだ何処へも行ってないんだもん」

庫造「そうだよ、一日二階に居ちゃ気の毒だよ」


――という杉村春子と中村伸郎のがっかりな会話。

予想外(うずまき)


S55

唐草模様が「うずまき」

会話も……


庫造「やァ、お仕事ですか」

とみ「ああ、お帰んなしゃあ」

庫造「えらいもの頼まれましたな」


べつに――東山千栄子の「とみ」は、

何もすることがないから仕事をしているだけのことで、(おそらく)

別に杉村春子に「労働を強いられている」とかいうわけではない。


……ではないんですけど、

この場に平山紀子(原節子)なり「一人息子」の坪内美子なりがいたら

「お母さま、あたくしが致しましょう」

ということに当然なるはず。


がっかりエピソードなわけです。


S58

周吉、とみ、庫造は銭湯へ行きます。

東山千栄子の背中にむかって、杉村春子が――


志げ「あ、お母さん。そこのあたしの汚い下駄はいてくといいわ」


容赦ない名ゼリフ……


志げのセリフは 冒頭S21の

「ちょいと変なもの持ってきちゃったのよ。うちの近所のお煎餅なの。わりとおいしいのよ」

の「変なもの」といい……


あ、こういうオバさんいるな。とおもわせる。

小津&野田コンビの真骨頂ですな~



両親が出ていくと、志げは平山紀子に電話するのでありました。


「あのね。お願いがあるんだけど。明日どおあんた、ひまないかしら?」


ここは何気に、

小津安っさんという人の意地の悪さというか……

残酷さというか……

なんといいますか、おそろしさが垣間見れる気がする。



この場面、われわれは電話の相手を想像しながら画面をみつめる。

電話の相手はもちろん――

絶世の美女、原節子。


とうぜんわれわれは画面が切り替わって

原節子の登場を期待する。

米山商事とかいう会社で働く美人OLの姿を想像する。


……んだが、


なかなか切り替わらないんだよね、このシーン。

延々杉村春子がしゃべってる。

で、杉村春子がうちわを回転させるのだが、↑↓

うちわの美女がくるくると出現したり、消えたりする。


あきらかに小津安二郎、

観客を挑発している――としかおもえません。

「お前らがみたいのはコレだろ?」

「コレがみたいんだろ?」


でもみせない。杉村春子が長回しのショットでえんえん喋る。

「麦秋」のアンパンシーンみたいに。



S59

で、杉村春子の長いおしゃべりが終って、

ようやく電話のむこうの原節子、登場。


しっかし……

「米山商事」(紀子の勤め先)

「平山昌二」(紀子の戦死した夫)


この「音」の類似もなんか性格が悪い感じがする……

ぜったいに遊んでるよ、小津&野田。




「麦秋」の間宮紀子の勤め先……丸の内のオフィスビルとは、

まるで別世界のゴミゴミした中小企業。という感じ。


紀子「まことに勝手ですけど……」

上役(仕事をつづけながら)「なんだい」

紀子「明日一日おひま頂けないでしょうか」

上役「いいよ」

紀子「すみません」


それに、間宮紀子は上役(佐野周二)相手にこんなにオドオドしてませんでした。もっと颯爽としてましたね。



けっこういろんなものをつっこみます、小津安二郎。

左、ブリヂストンのタイヤのポスター(○の回転なので→うずまき)

まんなか、マネキン(「一人息子」の人体模型にどこか似てる)

右、繊維の見本??(うずまき)


右のねじりん棒みたいなものの正体、どなたか教えてください。

繊維の見本じゃないのかな?


で、


S60

遊覧バスです。

原節ちゃんがわざわざ休みを取って

笠智衆&東山千栄子の老夫婦を東京案内に連れ出します。


S61

「――千代田城と呼ばれておりました皇居は、今から約五百年ほど前に、太田道灌が築城致しましたもので、美しい松の緑をお濠に映した風雅と静寂な姿は、大東京の雑踏の中にありながら、洵に床しい限りでございます」」


というのですが……

ここはあるいは、「東京物語」最大のポイントかもしれない(?)

最大のうずまき、の登場。


ずばり、

・「東京」=うずまき

です。

ちょうど、「お茶漬けの味」の羽田→モンテビデオが

地球という「○」の提示だったように……



キーワードは「皇居」です。


んーというか、建築とか都市論とかをかじった人間なら誰もが思い出すでしょう。ロラン・バルトの「皇居=空虚の中心」という公式を……


以下、引用、長いです……


わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、《いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防禦されていて、文字通り誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市の全体がめぐっている。毎日毎日、鉄砲玉のように急速で精力的ですばやい運転で、タクシーはこの円環を迂回している。この円の低い頂点、不可視性の可視的な形、これは神聖なる《無》をかくしている。現代の最も強大な二大都市の一つであるこの首都は、城壁と濠水と屋根と樹木との不透明な環のまわりに造られているのだが、しかしその中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである。

(ちくま学芸文庫、ロラン・バルト「表徴の帝国」54ページより)


1963年に亡くなった小津安っさんが、1970年刊行のこの本を読んだ機会はとうぜんないわけですが――

みごとにロラン・バルトしちゃってるあたりすさまじい。


んーというか、ロラン・バルトの考えていたことは

あらまし1953年のこの映画の要約でしかない、という気がする。


一番おそろしいのは……


その「皇居=空虚の中心」を、いつもの固定キャメラで撮っていないこと。

バスからの視線として提示していることでしょう。

いつもはやらない「移動」で撮影している……


これはあきらかに

・東京=空虚の中心を回る、うずまき

この構図に小津安二郎が気付いていた、ということです。


逆にいうと、この映画は

「京都物語」「大阪物語」「名古屋物語」あるいは…

「香港物語」「パリ物語」「モスクワ物語」「ニューヨーク物語」

というように、

他の都市ではゼッタイに置き換えられない、ということです。


「空虚の中心」のまわりをぐるぐる回るトーキョーでなくては

この「うずまき映画」は成立しなかった、というわけです。




このバスはホンモノだそうです。電車もバスもホンモノを使う小津映画。

いつもの(?)厚田雄春キャメラマンの証言です……


――『東京物語』の観光バスは本物ですか。あの運動感も実にみごとなものですが。

厚田:ええ、あれは、あらかじめスタッフではとバスに乗って、場所をロケ・ハンしといたんです。二度、乗ったと思いますよ。さすがに、二度目はいいかげんうんざりして、浅草あたりで降りちまいましたが(笑)。そうしといてから、あのバスを借りてロケしたんです。だから、銀座通りのどのへんをねらうかってのを、あらかじめきめとくわけですね。

(筑摩書房「小津安二郎物語」190ページより)


バスが揺れるたびにお客さんがぐらぐら揺れる。

この頃のクルマのサスペンションって相当弱かったのでしょう??


S65

「デパートの屋上」


紀子「お兄さまのお宅はこっちの方です」

周吉「そうか」

とみ「志げのとこは?」

紀子「お姉さまのお家は、さァ、この辺でしょうか」

とみ「あんたんとこは?」

紀子「あたくしのとこは(と反対の方を振返って)こちらですわ、この見当になりますかしら」



原節ちゃんの住んでるアパートが、

山村聰、杉村春子の家の反対側というのは、即物的でおもしろい。


小津安っさんというのは、「抽象」はもてあそばない。

かならず「具体」に持っていく。

このあたり、なかなかできそうで出来ないことです。


で、空間的に180度移動して、

で、セリフも考え抜かれています。さりげないですが。


紀子「とっても汚いとこですけど、およろしかったらお帰りに寄って頂いて……」


と「キタナイ」が登場する。


とうぜん観客は、S58の――


志げ「あ、お母さん。そこのあたしの汚い下駄はいてくといいわ」

を、覚えているわけです。


はい。

で、とうぜん、原節子=コカ・コーラ瓶、と。


笠智衆の帽子もいいな!!



で、三人は原節ちゃんのアパートへ。


S68

細君「ああ、早いのね、今日――」

紀子「ミコちゃんおねんね?」


ここらへん、「麦秋」の引用。

S113 アンパン発言の少し前に……


紀子「みッちゃんおねんね?」

たみ「ええ」

というやりとりがあります。


アパートの廊下の三輪車も


聖なる数字「3」の提示であると同時に、「麦秋」の引用。



「麦秋」の矢部家をとらえたショット↓↓


みっちゃんもミコちゃんも三輪車に関係があるようです。


今回はこれでおしまいにしときます。


その7につづく。

根岸競馬場跡 その1

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横浜の根岸競馬場跡へ行きました。


正確にいうと、

「根岸森林公園にのこっている、根岸競馬場一等馬見所跡」

ということになるのでしょうか。


しっかし――

トマス・ピンコの野郎、去年の夏みにいったのは、

空襲で焼けてしまった平沼駅の廃墟、であったし……

(2014年8月1日の記事参照。やはり横浜)


廃墟撮影。


これぞ、

ナウなエグゼクティブのサマーバケーションと申すべきか……


もとい、電車で行くなら、

最寄駅は山手駅、となります。

そして、根岸森林公園を目指す。


――んですが、


地図上でみると、500メートルくらいしかないんで、

徒歩10分かそこらかな、などと計算するんですが、


そこは横浜。

山あり、谷あり、壮絶な階段あり。です。

(7年住んでたのでわかる。大学通うのも、友達のうちにいくのも、スーパーに買い物もひたすら山登りであった……)


「地図上500メートル」が大冒険、です。


まず、ハイヒールをはいた女性などは遭難確実。


つーか、おデートで行きたいのなら(行くか???)

車で行くのが無難。


もし電車なら、

横浜、桜木町、関内どこかで降りて、タクシーをひろって、

「根岸森林公園」と告げる。


で、公園内も壮絶な起伏ですので、スニーカーを履いていく。と。

いう感じ。


↑↓えーこんな感じのところ。


とくに写真写りがいい場所を選んだわけじゃなく、全体的にこんな、です。

なんか信州の高原にでもいるみたいです。



えー、で、スマホの地図をちらちらのぞきながら歩いて行くと、

途中アメリカ海軍の施設などをはさみまして……

(これまた横浜なので、あちこちにある)


――……


で、でたっ!!


なんか異様な建築がっ!!




しかも、でたっ!!


「撮影禁止区域」!!


はりきって馬鹿デカキャメラ&馬鹿デカレンズ、

イバラキから持ってきたのに……



と、一瞬目の前が暗くなったのだが、


「個人でお楽しみいただく写真・動画の撮影はご自由におこなっていただけます」

とのこと。


安心しました。


↓建築の全景です。


印象を正直いいますね。


「不気味」「こわい」「ゾッとする」……


「夜みたくない」

「夜は近づきたくない」


「昼間でも、なんかこわい」……

「あくまでコワイ」……


↓水彩画風にしてごまかしてみる。


ヨーロッパのお城のようでもあるな。


(以下、いろいろイジった画像が頻出します。ご容赦願いたい)



以下、いろいろ2回にわたって

わたくしの感想を書いていきますが――


まずは、教科書的な記述をご紹介いたします。


旧根岸競馬場一等馬見所

関東大震災で競馬場のスタンドも被災した。震災復興では横浜に設計事務所を開くJ・H・モーガンに設計を依頼し、一、二等馬見所を新築した。現在、廃墟のように残っているのが、昭和5年竣工の一等馬見所。貴賓室やラウンジを備えた鉄筋コンクリート・鉄骨造・地上7階建て、建物高さ28.77m、延べ面積約7700㎡、天蓋ひさしが張り出した観覧席4500を擁する大スタンドだった。

(草思社、アイランズ編著「東京の戦前 昔恋しい散歩地図2」102ページより)


根岸競馬場

「横浜居留地覚書」に基づき根岸競馬場が開設され第1回競馬が開催されたのは慶応2年(1866)。明治38年には、現在の天皇賞にあたるThe Emperor's Cupが行われた。スタンドからは東京湾と三浦半島が一望できた。しかし、このことが災いする。横須賀軍港の動きが探知できることを理由に海軍に買収され、昭和18年6月閉場した。

(同書103ページより)


えーざっとまとめますと、

設計はモーガンとかいう人(僕が知らないのだから無名の人、ということに)

竣工昭和5年。


で、戦中、帝国海軍のものになった。と。

だから正味、競馬場として存在したのはたったの十数年、ということに。


で、ここに書いていないことをつけ加えますと、

戦後、アメリカ軍の施設になり(海軍かしら、ね?)

で、いつかは知りませんが、返還されて、

今、横浜市が管理している……らしい。


「管理」というか、

なんかほったらかしてる、というか。



建物の半分 植物だ。


なんか宮崎駿先生の「ラピュタ」みたいな……





なぜ、「横浜市民」だったころに見にいかなかったか、というと。


――「知らなかったから」です。





大学の建築学科に入って、

で、建築史の先生に、関内あたりの建築とか

いろいろ教えていただいたのですが……


個人的にも建築史関係の本はいろいろ読んだのですが……


これはまったくひっかかってこなかった。

言及されることが一切なかった。




ふーん……


地上7階建て。


今日日、7階建てのマンションなんて、どんな田舎町にだってありそうだが……


この古さで、しかも廃墟で、7階建てというのは、


――ものすごくでっかく感じる。




「その1」おわりにしときます。


なんか「印象」に終始してしまいました。

「その2」は知的に攻めていこうとおもいます。


その過程で、「なぜ大学ではこの建築を教えないか?」

「横浜市はなぜこの建築をほったらかしているのか?」


という謎が明らかになる!!


……かもしれません。


その2につづく。

根岸競馬場跡 その2

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旧根岸競馬場・一等馬見所跡

その2、です。


「その1」は――

「でかい」「なんかコワイ」「不気味」

「ラピュタみたい」


と、オメーは女子高生か! という内容でしたので、

今回は本来の(??)

トマス・ピンコレベルの記事を書こうと努力してみます。


――というか、あのですね、

「大学ではなぜこの建築に言及されないのか?」

「横浜市はなぜこの建築をほったらかしているのか?」


なる疑問を呈しておきましたが、

さっさと答えを書きますね。

ちょっとキツイこと書きますよ。


それは……

「根岸競馬場はクソ建築だ!」

から、です。


ついでにいうと……

「根岸競馬場はラブホ建築だ!」

ともいえます。


あ、すみません。

勘違いなさらぬよう……


根岸競馬場跡は、おすすめです。

一見の価値がある「廃墟」だとおもいます。

見にいってよかった。楽しかった、とおもいます。

ひょっとして壊されるかもしれませんので

……(そこらへんの情報一切知りませんけど)

はやめに見といたほうがいいとおもいます。



でもそれは……馬鹿でかい「廃墟」としての価値で……


建築としての価値はゼロ、だとおもいます。


以下、なぜこの建築がクソか、みていきますが……


その前に、



横浜市。

↑↓このような掲示板(?)を建物の前に設置しております。


ただわからんのは??

「モーガン広場」??


この広場のことを設計者にちなんで

「モーガン広場」と呼んでいるのだろうか?

いまいちわからない。


ま、いいや、

今からモーガン君を徹底的にいじめますんで――



えー、モーガン君のダメなところ……

箇条書きにしますね。


まず。

①シンメトリーが気持ち悪い!

左右対称が気持ち悪いです。

建築に限らず、どんなものでも、ゲージュツ作品というのは

左右対称にはしないものです。


建築はとくにそう。

左右対称は嫌います。


人間の顔だって、よくきくはなし、

左右微妙に違っているそうです。

左右対称だったら、キモチワルイ、というのは、

CGでこしらえた人間の顔の気持ち悪さを考えればすぐわかります。



え? でも左右対称の建築ってけっこうあるじゃない?

パルテノンとか……奈良・京都のお寺、神社とか……


とお思いの方、するどい。


でもそれって、宗教関係の施設なんですよねーー


荘厳な雰囲気を出したいときは「左右対称OK!」


でもこれって競馬場じゃない?

エンターテインメントの施設じゃないの??


なぜシンメトリーにした? モーガン君……

ちょっとは工夫しろよ……



つづいて、


②「内部」と「外部」の関連がないので気持ち悪い!


これも気持ち悪い。

現状、ですね。この「廃墟」は、窓をトタン板みたいのでふさがれています。

だから、内側がみえないのは仕方ないんですけど……


外壁、柱等々のデザイン、

ちょっとは「内部」と「外部」、関連を持たせてほしい。


具体的にいえばですね……

前回引用した「東京の戦前 昔恋しい散歩地図2」の文章によると

貴賓室・ラウンジ 等々あったといいますが、


そういう華やかな場所は、外側もちょっと華やかな装飾を加えるとか

なにか工夫が欲しかった。


君の建築、華がないし、メッセージもないんだよね~


ようするに、モーガン君のつくったこれ。

「城塞」「要塞」なんですよね。

内部でなにが起っているか? なにも想像が広がらない。

無機質な壁。


建築はエンターテインメントだ、ということがわからないのだろうか。


えー、続き。



③エントランスなし、が気持ち悪い!


エントランスがどこだったのかがさっぱりわからん。

↓たぶん、一階部分の、なんか錆びついた□のところなんだろうが……


モーガン君!!!

「ウェルカム感がゼロなんだよ!! オメーの建築は!!」


もうちょっときちんとエントランスを作れ!

だから怖いの!!


「ようこそ、いらっしゃいませ」

建築がそう囁いているような、すてきな入口を作れ!!

競馬場だろ!

みんなで楽しむ場所なんだろ!!

この入口、倉庫かよ!

このど阿呆!!

なんだこの□は! オメー、バカか!!

手抜き仕事やりやがって!!


あーなんか段々ムカついてきた。

なんでこんなダメなやつに、こんな大きな仕事をまかせたのか……


モーガン君、要塞しか作れないぞ。しかもデザインセンスゼロ……




ついでに書いておきますと、

昭和5年。といいいますと、

日本人建築家は西洋のレベルにようやく追いついてきた頃。


というか、カネと資材が不足していただけで、

頭のレベル……図面レベルでは、世界のトップに並ぼうとしていた、

といって過言ではないかもしれない。


僕だったら、

東京中央電信局(1927)で有名な山口守先生あたりおすすめしたい。

あと、

何か月か前、水戸の気象台を紹介しましたが、

堀口捨己先生だって、いい仕事をしそうだ。

トーハク作った、渡辺仁先生もいるし……

あ、遅れてきたモダニスト、村野藤吾先生もいる……


ともかく、モーガン君なんかおよびもつかない

大巨匠がこの時代、日本にたくさん揃ってた、ということです。



あ。終わってませんよ。モーガン君。

帰らないでね。座ってなさい。

まだ減点ポイントがたくさんあるの……

あのね。



④窓が気持ち悪い!


この○窓のことね↓↓


これですけど……



なんか、ツタで覆われるとかわいいんですけど……


○窓ね……たしかにここは捨てがたい魅力を感じる。

というか、モーガン君、

君のデザインの唯一の工夫よね。

なんか努力の跡がみれる、唯一のポイント。


だったらさーーー


もっと全体のデザインにこの○を生かそうよ。

あと、植物モチーフを全体にちりばめましょうよ。


○窓単体だから、だめなの。



僕ならこうする。

さっきエントランスをきちんと作れっていったよね。


だから、エントランスにこの○窓のデザインを利用しましょうよ。

たとえば――

半円形のエントランス作って、で周縁をおんなじ植物モチーフで囲ませましょうよ。

ね? それだけでどれだけこの建築が愛らしくなることか……




⑤L字パーツが気持ち悪い!


んーこのパーツを見て 「う。気持ちわるっ!」

と思われる方、どれくらいいらっしゃるかわかりませんが――


これは気持ち悪いです。↓↓


「L字形」というか「椅子形」というか

へんなパーツ……


こんな醜い建築ディテールみたことないです。

軽やかさのかけらもない!!
鈍重!!


気持わる!!


はっきりいって何の機能もないし、装飾機能もない。


こここそ、さっきの○窓の周囲を覆っていた

「植物モチーフ」でぐるっと覆うべきです。


昭和5年でしょ?

人件費安かったはずだから、

職人さんに「ちょいとこんな風に……」といえば

すぐやってくれたはず――コストもかからず。


けっきょくモーガン君がだめだめだから

こんな気持ち悪い「L字」の行列ができちゃった……


はい。

ここらで冒頭に申し上げたこと、もうおわかりでしょう。


「根岸競馬場はラブホ建築だ!」


・エントランスがどこかよくわからない。

・内部と外部の関連がない。

・(往々にして)外装が気持ち悪い。


これはもう、ラブホテル、なのです。

これは、ラブホの廃墟、なのです。


なので、

アカデミックな建築教育が根岸競馬場をガン無視する理由も明らかです。


これは「正統派」建築ではないのです。

そしてモーガン君も、三流建築家なのです。


横浜市が、なんか、この廃墟をもてあましちゃってる感じもよくわかります。


あと、「モーガン広場」と書きながら、

モーガン君その人をたたえる写真だのパネルだの

モーガン君の業績だの……

そういうのが皆無な理由もよくわかります。


モーガン君が、無能なエンジニアだということ、

横浜市はよくわかっているのでしょう。


ただ……ただ……ですね、

モーガン君をクソミソにけなしてまいりましたが……


こういうことも考えられる。


前回、ご紹介した文章

「スタンドからは東京湾と三浦半島が一望できた。しかし、このことが災いする。横須賀軍港の動きが探知できることを理由に海軍に買収され、昭和18年6月閉場した」

というのですが――


・根岸競馬場はもともとスパイ目的で建てられた?


としたら、どうなんです??

当時の競馬がどのように経営されていたのか?

JRAみたいな組織があったのか?

そこらへんわかりませんが……


なんで、これほどマヌケな建築が、なんの反対もなく、

作られてしまったか……


当時の競馬に海外資本がからんでいたとしたらどうなのか??


もともとアメリカかイギリスあたりの手が伸びていたのだとしたら、

すんなり理屈は通る。


モーガン君、無能でもなんでもなく、

もともと「スパイ目的の城塞」を作ったのかもしれない。

横須賀軍港監視のための施設であったのかもしれない。



となると、モーガン君みたいな三流エンジニアに

どうしてこんな大きな仕事が与えられたか、という謎も解ける。

(既述のように、日本人の一流建築家に頼むことだってできた)


んー……


横浜市が、この廃墟をほったらかしている本当の理由は

そこらへんにあるかもしれない……


へへ、なんか長編エンターテインメントでも書けそうだわな。

小津安二郎「東京物語」のすべて その7

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その7です。

平山紀子の亡くなった夫――

平山昌二の遺影がでてくるショットからみていきます。


……が、

すみません。

のっけから個人的なことを書きますと――

「戦争未亡人」なる存在に僕は子供のころからよく接しておりまして、


曾祖母のことです。


ひい祖母さんの場合、戦死した夫は職業軍人で

仏壇に飾られた写真は、

バリバリ戦闘モードの飛行服姿でしたし……

(海軍の飛行機乗りだった)


ま、その他いろいろ違いはあるのですが、

平山紀子という「戦争未亡人」が登場する、

しかも、部屋に遺影が飾られている、というシチュエーションには


どうしてもひい祖母さんと重なってみてしまうところがある。


なので――


ドナルド・リチー、佐藤忠男、蓮見重彦といった諸先生方が

小津映画における「死者」の存在を

完全に無視しているのをみると……


なにかと小津映画における

「死者」の存在を強調したがるトマス・ピンコ……


「あれ、オレの見方がおかしいのか?」 と、おもってしまう。


ひい祖母さんの家に行くたびに、

まずは会ったこともない曾祖父(仏壇)にあいさつをした。

そういう育ち方がおかしいのか……?? とおもってしまう。


んー……だが、ですね、

戦地から帰ってまもなくの(1939年)

小津安っさん自身のことばを読んでみると、

「やっぱりオレは正しい」とおもわざるをえない。


(トマス注、田坂具隆の「五人の斥候兵」に関して。田坂にむかって発言)

 部隊長の部屋の隣にも戦死者の骨を安置する部屋を作ってほしかった。戦場では大抵部隊長の部屋の隣に安置してあって、隊長は勿論、伝令の兵でも出入する時は先ず、その英霊に向って敬礼している。これが戦地の礼儀なんだ。

(泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」107ページより)


小津安二郎自身、幾人もの戦友が、

そして親友の山中貞雄が戦死していったことを考えると、

コカコーラ瓶形の原節子の姿は

なにやら「戦死者の骨を安置する部屋」

で祈りをささげる巫女のような印象さえ受ける――


のですが、「東京物語」のストーリーに戻りましょう。


S70

笠智衆&東山千栄子の老夫婦が

原節ちゃんのアパートにやってきました。


原節子がおとなりさんからお酒をもらって

自分の部屋へ帰ってくると――


老夫婦は戦死した息子(昌二)の写真をみている。


周吉「ああ、この昌二の写真、どこで撮ったんじゃろう」

紀子「鎌倉です。お友達が撮って下すって……」

とみ「いつごろ?」

紀子「戦争にいく前の年です」

「鎌倉」―「紀子」といや、

もちろん、「晩春」「麦秋」を思い出すわれわれ。


平山紀子は28歳という設定なので、十代で結婚したのだろう。おそらく。

逆にいうと……

曾宮紀子、間宮紀子、みたいに結婚が遅かったとしたら、

(曾宮紀子は27歳、間宮紀子は28歳という設定)


こんな悲劇には遭遇しなかったかもしれないわけです。

そういう運命の皮肉。


S73

とみ「ほんとうに今日はお蔭さんで……」

紀子「いいえ……お父さまお母さま、却ってお疲れになったでしょう」

周吉「いやァ、思いがけのうあっちこっちィ見せてもらうて……」


「思いがけのう」――いままで、

「うずまき」=「がっかり」みたいな書き方をしてきましたが、

いい意味での「うずまき」もあります。


以前、「その2」で書いたように、

平山紀子は意外なところからあらわれた救いの手、だったわけです。



とみ「ほんまにのう、わたしら離れとったせいか、まだどっかに昌二がおるような気がするんよ。それで時々お父さんにおこられるんじゃあけーど……」

周吉「いやァ、もうとうに死んどるよ。八年にもなるんじゃもの」


もちろん「麦秋」S64のやりとりの引用。

周吉「これ(志げ)は省二がまだどっかで生きてると思ってるようですがね……」

たみ「ご無理もございませんわ、ほんとにねえ奥さま……」


さらに「八年」――の「8」は「麦秋」を支配する数字でした。



あと、平山紀子ですが――

曾宮紀子と間宮紀子との大きな違いは……


彼女の過去に関するデータがほとんど示されない、ということです。


彼女が語る過去、というのは

S70の「鎌倉」に関するはなし、と、

S73の「会社の帰りなんかに何処かで飲んで、おそくなって電車がなくなると、よくここへお友達つれて来たりして……」


というなんかどこにでもありそうなはなし。


ちょうど「晩春」の「お母さん」に関する情報がゼロ、のように。


あるいは「麦秋」の謙吉君(二本柳寛)の

亡くなった奥さんの情報がばっさり消されているように。


平山紀子は「過去をもたない女」なのです。


小津安っさんの残酷。というか、容赦ない、というか、

なんか空恐ろしい面がちょっとみえるような……


小津作品、って嫌いな人はものすごくキライですけど――

なんかわかる気がする。

ちょこちょここの人の作品は、クレバスみたいなおそろしい深淵が口を開けている所があって……

「ヒューマニズム」からこれほど離れた作品というのも他にない、気がします。


僕なんぞは、

だからこそ

曾宮紀子の母親に関して、謙吉君の前妻に関して……

そして平山紀子の生い立ちや平山昌二との出会いやら、いろいろ想像できるからいいな、と単純におもうのですが。


でもなにか気持ち悪さ、居心地の悪さはどこかに残る。



とうぜん、そんな平山紀子にだって両親、実家もあれば、

過去もあるはず。

(戦争をはさんでいますから、実の親が、今生きているかは別として)


しかし、「東京物語」という、うずまき構造は

なにか……

平山紀子の「実家」「過去」というものの存在を許さないような、

そんな容赦ない構造をしているような気がする――


それはちょうど、「東京」という都市が「空虚の中心」(皇居)

を持っているように――


(ロラン・バルトのことばをくりかえせば)

平山紀子の過去、というのもまた、

「神聖なる《無》」「空虚な中心点」でなければならないわけです。

なので……


・東京=うずまき

であると同時に

・平山紀子=うずまき


であるのかもしれません。


まー、原節ちゃんが1959年の「日本誕生」で、皇室のご先祖、天照大神を演じることとか考えると、これまたおもしろいんですけど――

(「日本誕生」みたことなんですけどねー)



はい、で、とうぜん「3」が登場↑


以前どこかで書きましたが、


原節子が、笠智衆&東山千栄子と一緒にeatしないというのも、また、

小津安二郎の残酷なところ。


S74

幸一「おそいねえ」

志げ「もう帰ってくるわよ――お父さんお母さんいつまで東京にいるのかしら」

幸一「ウーム……なんとも云ってないのかい?」

志げ「ウン、別に……」


山村聰、杉村春子の兄妹は、

両親がこんなに東京に長居するとはおもっていなかったようです。

予定外の出来事……「うずまき」


で、二人はお金を出しあって、両親を熱海へとおくりだします。

じっさい、杉村春子の志げは、

講習会があるので両親を家から追い出したかったわけですが。


S75

「熱海の街」「街を囲む山――」「海岸の防波堤――」


はい。奇抜な柄の浴衣は――


「お茶漬けの味」の奥様方の引用。


S76

「海に近い宿屋の一室(二階)」


熱海シーンのはじまりは、

小津による、小津でしかありえないような構図。↓↓


とみ「思いがけのう温泉へもはいらしてもらって……」

周吉「ああ……思わん散財をかけた……」


と、予定外の出来事……「うずまき」


周吉「静かな海じゃのう」

とみ「へえ」


――と昼間は平穏なんですが……


夜は途端に騒がしく、下品になります。

S78

ここは……

さっそく「振り子時計」登場。でっかいの。


女中さんの浴衣の柄が「うずまき」!!


S79

脇役の女中さんの動きを キャメラが丹念に追います。


なぜか――といや、



「うずまき」だから。


で、セリフも

「おい、ソバきたぞ」――ソバも「うずまき」


(シナリオは「おい、来たぞ寿司」となっていますので、うずまきっぽい食品のソバに急遽変えたのでしょう)


S82

とみ「ひどう賑やかですのう」

周吉「ウーム」

とみ「もう何時ころでしょうかのう」

周吉「ウーム……」


がっかりエピソード……「うずまき」


S84

「勢いこんで歌いまくる艶歌師の一団――」


アコーディオン奏者の女性が、当時の小津安っさんのガールフレンド。


ここは松竹のDVD、ブルーレイの副音声解説のやりとりがけっこうおもしろい。

(はは。ブルーレイ買いました……)


当時助監督の斎藤武一、撮影助手の川又昂は

「あ、村上さん」

と思わず口走るのだが……


司会の白井佳夫の「え、どなたですか?」

という質問になんか口ごもってしまう……


このあたりのビミョーな空気は、事情を知らないとわからない。

ご存知なかった方は、も一度聞いてみて。おもしろいです。


S85

「周吉、我慢していたが、いよいよ寝苦しくなって「ウーム」と起き返り、溜息をする」

「とみも起き返って、ガッカリしたように溜息をする」


「がっかり」=うずまき。


もちろんここは

「戸田家の兄妹」S68の引用。


高峰三枝子と葛城文子の母子は、

三宅邦子のピアノの練習がうるさくて、夜眠れない。


S88

「防波堤」

「宿の浴衣を着た周吉をとみが朝風に吹かれながら休んでいる」


――とがっかりだらけの夜が終ると、


こんなとんでもなく美しいショットにつなげる。


なんなんだ、こりゃ……


よく知られた風光明媚な場所、壮大な風景が出てくるわけではなく、

美男美女が出てくるわけでもない。


ただ、ジジイババアが熱海の海岸にたたずんでいるだけなのだが――


泣きたくなるほど美しい。というか、泣いちゃいますね、わたくし。



しかし、小津安二郎という男。

あたかも

愚かな観客どもに美しすぎるショットをみせてしまったことを恥じるかのように……


「俗」なシーンをはさむ。


S89
女中A「ねえ、ゆうべの新婚どお? ガラ悪かったねえ」

女中B「あれほんと新婚かしら。あんなのないよ。今朝なんか旦那さんとうに起きてンのに、いつまでも床ン中でタバコ吸っててさ」


この下品な女中さん二人は――


「風の中の牝雞」の下品な看護婦コンビの引用。


S47(田中絹代をみながら)

B「あの人いくつかしら」

A「二十八よ」

B「地味ね」

A「割と綺麗ね」

B「うん」

A「男好きのする顔よ」


と、セックスをほのめかす会話をしたり、(性病のはなしもでてくる)

掃除をしたり、流行歌を口ずさんでみたり……


で、「俗」なシーンからまた、とんでもなく美しいシーンへとつなげる。


もちろん「老い」「死」を単独では語らず、

「セックス」と結び付けてさらっと表現する、という高等戦術なわけですが。


S90

このシーンで東山千栄子が ふらっと立ち眩みするのが、

彼女の死の伏線となります。


周吉「どうした?」

とみ「なんやら、ふらッとして、イイエ、もうええんです」

周吉「よう寝られなんだからじゃろう――行こう」



このシーンに関して、

東山千栄子の証言。


東山千栄子は高所恐怖症で、防波堤を歩くシーンが怖くて仕方なかった、とのこと。(というか、彼女くらいの年齢のおばあさんなら誰だって怖いだろう……)


 すると先生は私のそういう症状をお知りになって、海側の方に丸太で足場を組み、二間ぐらいの距離のところに板を何枚も並べて、波打ち際が直接見えないように、また万一落ちても大丈夫なように用意して下さったのでした。もちろん私は、ご親切にそんなにまでお心づかい下さったことについては心からありがたく感謝いたしましたが、こわいことはやっぱりこわかった……というのが、偽らざる告白です。

 なお余談になりますが、笠さんと私とがその防波堤の上に並んで腰をおろし、海を見ながら語り合う場面がありましたが、キャメラの方に向けた私のお尻がとても大きかったといって、あとで映画を見たお友達に大笑いされたものでした。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」225ページより)


でも、そんな東山千栄子の努力も……

小津組の裏方さんの努力も……


すべてはこのショットのため、でしょう。↓↓


二人は道路を歩いていてはダメなのです。


防波堤の上を歩かなきゃならないのです。

小津流の「美」のために。


わたくしなんぞは、このあたりのシーン……


タルコフスキー「僕の村は戦場だった」(1962)

のラストを思い出してしまうんですが――


正確にいうと

オヅ+ミゾグチ、かしら……


タルコフスキーなんかは

大学の教材で日本映画を見た世代になるのかもしれない。




その8につづく。


NASCAR の情報に飢える。

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NASCARが楽しくてしょうがない。

なのだが、情報が少なくて困る。


F1なんかだと、本屋さんへ行けば雑誌があり、

関連サイトもいくつかある。


NASCAR だと情報を得るには現地のサイトを見るより他ない。

英語は読めますよ、英語は。

ネットに使われているレベルの英語は。


でも問題は 「日テレG+」のNASCAR放送が一週遅れなこと。

だから現地サイトをみてしまうと、

来週放送のレースの結果がわかってしまう。


一度これをやってしまって

(たしかデイル・アーンハート・ジュニアがタラデガ勝ったとき)

涙をのんだことがある。


結果がわかっているレースを見るほどつまらないものはない。


わたくし、

NFL(アメフト)も「日テレG+」でみるのだが、

NFLの場合、オードリーのやってる「NFL倶楽部」とかいうのがあったりして、

情報はまあまあ充実している。

NASCARもそういかないものか。


……いかないだろうな。


たぶん、1:24のミニカーとか買っちゃったのは、

情報不足のせいだ!!


ロガーノのクルマ買ってしまった!!



(↓Joey Logano #22 Pennzoil Platinum 2015 Fusion 1:24 LIONEL社製 箱はこんな感じです)





今年の3/30の記事に

F1とNASCARの違いを書きました。

それを繰り返しますと――



・クルマは市販車ベース。(いわゆるフォーミュラカーではない。ただしエンジンは700馬力)

・エンジンメーカーはシボレー、フォード、トヨタ

・エンジン音がめちゃくちゃ派手。

・ほぼ毎週やってる。

・会場はアメリカ国内だけ(たぶん)

・レース場はオーバルコース(楕円形)

・なので観客はレース場内で起きる出来事をすべて目撃することができる。

・クルマを容赦なくぶつけあう。接触はあたりまえ。

(F1でそれをやるとクルマがすぐに壊れる)

・順位が目まぐるしく変わる。

・イエローフラッグがやたら多い。

・↑に関連するのだが、勝者がさいごのさいごまでわからない。

・大クラッシュが「ビッグワン」とかいってレースの見せ場のひとつになっている。(F1はクラッシュはあんまりない)

・レース後、ドライバー同士の殴り合い、どつきあいもたまにある。

・表彰式、シャンパンは出てこない。コーラとかスポーツ飲料を飲む。

・レーシングクイーンみたいなセクシー系のおねえさんは出てこない。


今、

これに書き加えることは――


・たまにロードコースもある。あと三角形のコースもある。

・ドライバーが各人 個性豊か。


というのがありますかね。


あと細かいことで言うと、

スポンサーはチームにつくのではなく、

ドライバーそれぞれにつくようです。


なので今、ミニカーを紹介している、ジョーイ・ロガーノだと、

シェルだのペンゾイルだのコカコーラだのがスポンサーについている。

(優勝インタビューの時はこれ見よがしにコカコーラを飲む)


ジョーイ・ロガーノはペンスキーというチームにいるんですが、

チーム・ペンスキー自体にシェルのスポンサーがついているのではない。

(よね??)


ペンスキーは2台体制で

ブラッド・ケセロウスキー

ジョーイ・ロガーノ

の二人の若いドライバーなのですが、


ケセロウスキーは、ビールのMiller Lite がスポンサーなので、

おなじチームなのにクルマの色が全然ちがう。


ここらへん見始まった時に戸惑った点です。


F1の場合、フェラーリにしろ、マクラーレンにしろ、

どのチームも、

同じチームのクルマはほぼ同色のカラーリングです。


あ。あと、冠スポンサーがレースごとにかわるという現象もあって、

スーパースター、デイル・アーンハート・ジュニアの場合。

普段はNationwide なのだが、(保険会社?)


マウンテンデュー(炭酸飲料)だったり、

あと、マイクロソフトの Windows10 がでかでか車体に描かれてたりもした。


クルマのカラーリングがころころ変わります。

F1ではありえない話。



(↓トミカと 大きさの比較)


(↓トラックバーを調節する……なんていうんだ? レンチを挿しこむ口まで再現されています)


(↓凝ってます)



どうも……

F1というのは、FIAと巨大自動車会社のエゴの産物のような気がします。


なので、現状、メルセデスとルイス・ハミルトンが図抜けている、

というすこぶるおもしろくない状況を、

どうあっても変えようとはしません。

「観客視点」というのが皆無、だからです。


その点、NASCARは、すがすがしいほどに

「観客視点」です。


たしかにシボレー(GM)、フォード、トヨタがからんでいますけど、

エンジンは、鋳鉄のブロックかなにかでつくったOHVエンジン、という、

時代錯誤もいいところのエンジンで――


だから、さいきんトヨタ、NASCARで調子いいんですけど、

「NASCARで培ったテクノロジーを市販車の開発に活かし……」

なんてことは

ぜったいにトヨタはいわない。

なぜなら NASCAR以外では何の役にも立たないエンジンだからです。

市販車にはまったく応用ができないローテクエンジン。


F1ではポール・トゥ・ウィンが多いですが、

だいたい予選の結果が本戦に反映されますが――


NASCARは予選はけっこうどうでもいい感じ。

予選用の「一発勝負」のセッティング

本戦用の「長丁場用」のセッティング

これがまったく違うクルマのようで……


ま、とにかく誰が勝つかがまったくわからない。

レギュレーションも、

とにかく「観客視点」でどんどん変えていくようです。

(NFLもこの点、この姿勢は同じ)

F1は今年の勝者は

ハミルトン、ロズベルグ、ベッテル、たしかこの3人だけだとおもいますが、


NASCARは、えーと何人だろう??

JJ、デイル・ジュニア、ロガーノ、ケセロウスキー、ハーヴィック、カート・ブッシュ、カイル・ブッシュ、エドワーズ、ハムリン、ケンゼス……


たぶんこの10人だとおもう。

勝者はばらけるのです。


一番人気のドライバーは

デイル・アーンハート・ジュニアという人で、


この人の存在は 米国のクルマ番組の Fast & Loud で知ったのですが、

とにかくスーパースターのようです。


デイル・ジュニアの人気について、解説の人は……

・人柄が謙虚なこと。

・容貌も武骨で気取っていないこと。

・レース場でも謙虚なこと。そのくせ、度胸があること。

・他人の攻撃をしないこと。


等々、いってますが、

それはなるほど、そうなんですけど――

(タラデガだっけ? 久しぶりに勝って、このデイル・ジュニアはポロッと涙をこぼしてみたり、インタビューはなんかしどろもどろだったし……とにかくめちゃくちゃいい奴!! なのである)


なんかこの人をみるたびに山口昌男理論を

思い出してしまうのはどうしたわけか。

とくに彼の好きな「悲運の王子」というパターン――


悲運の皇子は、日本の王権・天皇制がその政治・祭式構造の張力を支えるための、宇宙論的に不可欠といってよい構成部分であった。

(山口昌男著、岩波現代文庫「天皇制の文化人類学」95ページより)


たしかにトロツキーは父レーニンの傍らにあって革命の貴公子の風貌充分という聖痕を帯びていた。あらゆる意味で群を抜いた知性と才能の煌めき、風貌と挙動のダイナミックな演劇性、西欧的教養、ユダヤ起源、孤立、軍事指導者、世俗性からの隔離、永久革命の理論等々……のすべての点において彼は時代から屹立していた。それに加えて政治的かけひきにおける「聖なる白痴」ともまごう無垢な無能さも、彼のおそらくは聖痕の一部であった。

(山口昌男著、中央公論社「歴史・祝祭・神話」179ページより)




デイル・ジュニアの父、デイル・シニアは、

やっぱりNASCARドライバーで、


山口昌男風にいえば、NASCARの「王」だった。

デイル・ジュニアは生まれた瞬間に「王子」だったわけ。


それが「悲劇の王子」に昇格するのは、

2001年、デイトナでのデイル・シニア――つまり「王」の事故死の瞬間。


なんかくわしいことはわかりませんが、

デイル・ジュニア、王子を勝たせようとして、なんか死んでしまったらしい。

(ちなみに、デイトナ、という場所はアメリカのレーサーにとって聖地のような場所である。F1におけるシルバーストーン、モンツァあるいはスパのような)


そんな「悲劇の王子」が、

絵に描いたような「正義の味方」キャラで――


それに加えて、マスコミ関係に対する対応が……

なんかシャイで不慣れな感じがするあたり……


山口昌男のいう「聖なる白痴」の感じがする。


ただここまで完璧に「悲運な王子」していると――

アーンハート王朝の二代目の王、

デイル・アーンハート・ジュニアなる男。


この人もまた、親父同様、事故死してしまうんじゃないか、などと、

時速200マイルでこの人がコーナーに突っ込んでいくたびに

なんかヒヤヒヤしてしまう……



んー……

しかし、NFLにしろ、NASCARにしろ、


僕が好きなアメリカ産のスポーツは、まったく日本では流行りませんなー……


一度見に行きてぇなーー

小津安二郎「東京物語」のすべて その8

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「東京物語」 ブルーレイ 買いました!!


アマゾンの評価とかみると、賛否両論で

「この程度のリマスターでこの値段 ぼったくり」

というような評価もあったりして悩んだのですが……


信頼できるお人のおすすめがあり、

(瑞希さん。ありがとうございます!!)

買いました。


いや、よかった、よかった。

これは買い、ですねー


↑初回限定の「シナリオ写真集」とかいうのが入ってました。


個人的にはそんなにたいしたものではない、とおもいますが、

いままで

「東京物語」のシナリオを読むには、

「小津安二郎作品集」なり

田中眞澄の「小津安二郎「東京物語」ほか」なりを

買わないといけなかったわけですから、


それがタダでついてくるのなら、お得かもしれません。


肝心の画質ですが……


1ショット目の「灯籠」は、ま。そんなものか、と思ってみてたのですが、


2ショット目で

「うわ!!」と感動しました。


↓このショットですが、

ビンがビンらしく

木の板が板らしく

白壁が白壁らしく

写っていたのに感動してしまった――……


このショットに限らず、

モノの質感、

テクスチャーがはっきり表現されていて感動しました。


あと、音質も、ノイズが減っていて、よかった。

以下、どのショットもどのショットも美しく、

音も聞き取りやすく、感動しっぱなし。

今までいったい何をみてきたのか??


「東京物語」に関しては

もうDVDはみれませんねーー



(えー↑↓ ブルーレイではなく、DVDの画像です。念のため)


平山医院の この 「砂時計形」「コカコーラ瓶」も

ブルーレイではすごくはっきり写っていて、↓↓


やっぱり

・コカコーラ瓶=平山紀子(原節子)

は、間違っていなかった、とかおもいました。



じゃ、なぜ、否定的な意見があるのか?

というと、なるほど。否定したがる頑固オヤジの意見もわかる気がする。


正直、ブルーレイが100点満点で何点かというと――

わたくしの評価は80点くらいかと思います。

少なくとも100点ではない。


毎ショット毎ショット、どこか硬質な印象を受けました。

ツァイスレンズのまろやかな やわらかな表現とはほど遠い気がします。

(「東京物語」の使用機材の正確な資料が手許にないのですが、「小津安二郎物語」p85「レンズはツァイスのものが好きだったんですが」 と厚田雄春がいってるので、ツァイスということにしときます……どこかに資料があるのだろうか?)


でもでも……

デジタル修復技術に、アナログの繊細な表現を求めるのは酷……

ない物ねだり。

そんな職人技。

「小津安二郎監修」あるいは「厚田雄春監修」でもないとムリでしょう。


お二人がいない今、

松竹とイマジカはいい仕事をしたとおもいます。


個人的には40年代の「父ありき」「戸田家の兄妹」を

こんな風にリマスターしてほしいのですが……


商売にならないだろうなーー

ムリだろうなーー


□□□□□□□□

もとい、その8です。


熱海でさんざんな目にあった

笠智衆&東山千栄子が、うらら美容院に帰ってくるところから。


S92

志げ「とてもネープラインがお綺麗ですもの。レフト・サイドをグッと詰めて、ライト・サイドにふんわりウェーブでアクセントつけて……」



副音声解説でもいってたけど、

小津安っさん、わけのわからんテクニカルタームがけっこうお好き。


このあと、東山千栄子が危篤になってから

S139「アーデルラッスして、ブルートドルックは下ったんですが…」

とか、

他の作品だと――たとえば、

「淑女は何を忘れたか」S5 斎藤達雄の……

「ゲルトネル氏菌は一八八八年、フランケンハウゼンに於ける中毒騒ぎの際、ゲルトネル氏によって発見されたが……」

なんてのがあったりする。


ちなみに小津組の撮影現場は

わけのわからない「軍隊用語」「鉄道用語」が飛び交っていた由。



志げ「もっとゆっくりしてらっしゃりゃいいのに……どうなすったの?」

両親が早く帰ってきちゃった。

がっかり→うずまき。


志げ「ちょいとキヨちゃん、あんた、ここピンカールして――」


ピンカールというのがよくわからんのですが、

カールでしょ? とうぜん、うずまき。


とあいかわらず「うずまき」だらけ。


うらら美容院の壁に映画のポスター、


これも好きね、小津安っさん。

ちなみにタイトルは

「シミ抜き人生」と「キンピラ先生とお嬢さん」


――いくらなんでもそんな映画、うそだろ?

とおもってたら、ホントの映画らしい。どちらも1953年の松竹映画、とのこと。


S93


志げ「ウウン、ゆっくりしてらっしゃりゃいいのよ。今晩はちょいと七時から家で寄合いがあるけど……いえね、講習会なのよ」


ここは、

「戸田家の兄妹」の引用。

三宅邦子が高峰三枝子と葛城文子を追い出すあたり……

S99

和子「だから節ちゃん、お母さまとどこかへ行っててほしいのよ……家にいて頂くとごたごたして却ってお母さまに御迷惑だったりなんだしするから……そう遅くはならないでしょうけど、七時か八時頃まで……どう?」


「七時」というコトバが共通してるのが、マニアごのみで良い。

とにかく数字には何かありますな~


小津安っさん、将来の小津オタクの出現を予測していたか??


――つづいて、


周吉(微笑して)「――とうとう宿無しんなってしもうた……」

とみも笑って頷く。


このセリフの凄みはなんでしょうね?


しかし……考えてみると、小津安っさん。


現存最古の作品「若き日」からして、

ころころと住む場所を変える男の話であった。わけです。


トマス・ピンコ風にいうと「空間論」というやつです。はい。


初期学生ものの主人公が住む下宿は、仮の宿。

サラリーマンものを撮り始めても、

「東京の合唱」はさいご、栃木への転居が語られ、

「生まれてはみたけれど」は逆に引越しからはじまる。


喜八ものの喜八さんは、放浪者のおもかげがあり、

「東京の宿」となると、文字通りの「宿無し」


「戸田家の兄妹」「父ありき」はころころ居場所が変わる人たちで――


「晩春」「麦秋」は、「原節ちゃんがいかに実家を離れるか?」

というこれまた「空間論」とみてよい。


「――とうとう宿無しんなってしもうた……」

このセリフはなんだか、小津安二郎の「空間論」の集大成のようなおもかげがあります。

 

余計なことを書きくわえれば、

「東京暮色」の有馬稲子は、東京中をうろうろ歩き回り、さいご、自殺。

という、これまた「宿無し」のはなし、だったりするし……

そうなるとアジア中を放浪する彼女の母親の山田五十鈴も「宿無し」

タイトルに「東京」がつく映画はどうも「宿無し」と関係があるのでは??


(そういや、小津安二郎の定住の地は、東京ではなく鎌倉であったなー)


S94

「上野公園の一隅」「そこのベンチに周吉ととみが腰をおろして、ボソボソ南京豆か何かを噛っている」


ここは「麦秋」のS75

「東京 国立博物館の庭」「周吉と志げがそこの芝生に腰をおろし、膝にサンドイッチを開いて、休んでいる」

の引用。


ちょうど真逆を向いていますが、

・上野

・二人でなにかを「食べる」

・紀子(原節子)のことが話題の中心


というのが共通しています。



で――「宿無し」になってしまった

笠智衆は知り合いの服部さん(十朱久雄)の家をたずねます。

S96


よね「尾道もだいぶ変わりましたでしょうなァ」

周吉「いやァ、ええあんばいにあそこは戦災を逃れましてなァ、アノ、お宅がおられた西御所の辺も昔のままでさあ」


変化なし、昔のまま、といいますので、

「尾道」というパラダイスは「うずまき」ではなく「○」なのです。



服部「アア、花時がすむと、うまい鯛が安うなって……東京へ来てからは鯛もサッパリ食えましぇんわ」


「鯛」――これは……



「戸田家の兄妹」S31

昌二郎「そうか。いや済みません。急に行きたくなっちゃって、鯛釣りに行って来た」

千鶴「困った人ね、なにも殺生しなくたっていいじゃないの、こんな時に……」



「麦秋」S30

茂吉「ウーム……嫁にゆこじゃなし婿取ろうじゃなし、鯛の浜焼食おじゃなし……ハハハハハ」


「戸田家」では葬式に結びつき、

「麦秋」では結婚に結びつく。

そしてこのシーンでは、ふるさとのイメージを醸し出す、という。



――なんか疲れ切ったので、今回はここで終わりにしときます。

中途半端ですが。

小津安二郎「東京物語」のすべて その9

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その9です。

平山周吉(笠智衆)が昔の同僚・服部さん(十朱久雄)の家を訪問しています。


「服部さん」なる人物ですが――

「晩春」では 笠智衆の原稿の清書をし、

「東京物語」では 代書屋を営んでいる、という具合。

演じる俳優は違いますが、

どちらも「書く」ことに関係しています。

なんでしょうね??


S96

服部「法科の学生ですがナ。法律のことはなんも知らんですなァ」

周吉(微笑して)「そうですか」

服部「パチンコやマージャンやいうて国の親御さんもなかなか大へんでさあ」


おなじみパチンコの登場。

前作「お茶漬けの味」のノンちゃん(鶴田浩二)を思い出します。


戦前のサイレント時代は「学生視点」で映画を作っていた小津安っさん。

この頃は――

すっかり部屋を貸す側の視点に立っています。



S97

なんとなくアメ横っぽい感じ。


お気に入りのとんかつ蓬莱屋の近くかも??


提灯――こういう周囲のスケール感を無視した巨大な物体、好きね。

おなじみ、ガスタンク、とか。

後期作品によくでてくる巨大な広告塔とか。


小津安っさん、自身も「巨大」な人だったせいか??

兵隊時代は、服(軍服です)がなくてこまったらしい。



S98

東野英治郎の沼田さんが合流。

沼田さんとの出会いは、周吉にとって「思いがけない」ことなので……

「うずまき」


で、

男3人で飲む、という「戸田家の兄妹」以来おなじみのパターン。

しかも、「戸田家」で、昌二郎(佐分利信)の父親の「死」が語られたように、


服部「うちなんかせめてどっちぞ生きとってくれたらとよう婆さんとも話すんじゃが……」

沼田「二人ともたあ痛かったなァ――(周吉に)あんたンとこは一人か」

周吉「うむ、次男をなあ」

服部「いやァ、もう戦争はこりごりじゃ」


戦争で息子が何人死んだか、という話が中心。


でも……まず最初の会話は、


服部「ホラ、どういうたかな、色の白いポチャッとした妓――」

沼田「梅ちゃんか」

服部「ありゃァ、あんた好きじゃったんじゃろ」


ぽっちゃり系の梅ちゃんなる人気者のはなし。

「生」(性?)と「死」のコンビネーション。



後年の「秋日和」S9は、

この「生」(性?)と「死」のコンビネーションの後継者といえます。


田口「やっぱりナニかね、あんな綺麗な女房持つと、男も早死にするもんかね」

間宮「イヤァ、三輪の奴、果報取りすぎたんだよ。ここんとこまた違った色気が出て来たじゃないか」


「未亡人の原節子がたまらねぇ」というはなしと、3人の男+ぽっちゃりした高橋とよ の組み合わせ……





S101

おでん屋さんの女将、桜むつ子登場。


中村伸郎、東野英治郎、で、桜むつ子、と――

「東京物語」から後期小津は始まるのだなあ、とおもます。


若いお姉ちゃんのいる店よりも、桜むつ子のいる店にいきたがる、

そんな世代の登場??

んー「彼岸花」では、若い高橋貞二が 桜むつ子の店に入り浸ってましたが……


会話の中身は――……


服部「はあァ、似とる似とる」

沼田「誰に?」

服部「梅ちゃんやろ?」

沼田「ちがうちがう、梅ちゃんはもっとよゥ肥えとった。うちの家内じゃ」

周吉「ホウ、そう云や似とるなァ」



われわれは当然「秋刀魚の味」を思い出すわけです。

笠智衆が岸田今日子をみて、亡くなった奥さんを思い出すあたり。


S39

平山「バアなんだがね、その女が若いころのお母さんによく似てるんだよ」

幸一「顔がですか」

平山「ウム、体つきもな。――そりゃアよく見りゃ大分ちがうよ。けど、下向いたりすると、この辺(と頬のあたりを撫でて)チョイと似てるんだ……」



沼田「いやァ、親の思うほど子供はやってくれましぇんなァ。第一、覇気がない。大鵬の志というものを知らん。それでわしゃァ、こないだも倅に云うた。そしたら倅の奴、東京は人が多ゆうて上がつかえとるなどと云やがる――あんた、どう思う。意気地のない話じゃろうが敢闘精神いうもんがなんにもない。わしゃァ、そんなつもりで育てたんじゃない……」


このあたりの長いセリフは、「一人息子」の飯田蝶子のセリフに重なります。


S81

良助「ねえ、おッ母さん、人の多い東京じゃ仕様がありませんよ」

おつね「そらあ先生は先生で――」

良助「いや誰だっておんなじですよ、仕様がありませんよ。これが東京なんですよ!」

おつね「お前そう東京東京っていうけんど東京で出世している人だってうんといるじゃねえしか」

良助「そりゃ中にはいますよ」

おつね「いるじゃねえしか。お前だって出世してえばっかしに、東京へ出て来たんじゃねえしか」

良助「そりゃそうですよ。でもそう思うようにいかないのが――」

おつね「思うようにいかずか! そのしょうねが、いけねえだに」


この短い会話の中に「東京」なる地名が、6回も語られる、という……


「東京」はつくづく、挫折の土地なのです。



桜むつ子が、

「ちょいと! もう十二時よ!」といい、


S102

「紀子のアパートの廊下」

「どこかの部屋で時計が十二時を打っている」


ボンボン時計がちゃんと12回鳴ります。


このことがなにを示しているか、というと、

「小津映画には『回想』がいっさいない」

ということ。


時間はぜったいに逆もどりしません。

全作品を通じて。これはちょいとすごいことだとおもいます。


S103

ここは――以前、触れましたが、


原節子と東山千栄子が「晩春」ごっこをする、というシーン。

えーと、なんだっけ?

だいぶ前の記事なので、忘れちゃった。

たしか「聖婚」とか書いたような。

このあたり、厚田雄春の証言。

 でも、小津さんて方は人見知りするんです。あんな大きな図体してても大変な恥ずかしがり屋だ。ですから、初めての女優さんに撮影前に会うときに、一応挨拶しますね。すると、小津さん、眼を伏せて頬のところがちょっと赤くなりますね。

 あの、『東京物語』で節ちゃんが東山千栄子さんの肩を揉むところがあるでしょう。あん時に、揉むってことは、本当なら、こういうふうにやるんだってことで、節ちゃんに説明するけど遠慮している。そこで、ぼくはね、「節ちゃんにももと、触ってやったらいいじゃないですか」っていったわけです。そしたら赤くなって、「馬鹿なこと出来ますか」。「でもいいですよ。小津さん二枚目ですよ」って(笑)。

(筑摩書房「小津安二郎物語」160ページより)


原節ちゃんの浴衣が、

「お茶漬けの味」の木暮美千代の浴衣と同じ。

引用。


セリフは――


紀子「いいえ――でもほんとによく来て頂いて……もう来て頂けないかと思ってましたわ」


とみ「思いがけのう昌二の蒲団に寝かしてもろうて……」


と、「予定外」=「うずまき」


↑「東京物語」


↓「晩春」


このあたりも引用。


S105

うらら美容院です。

ふいに起こされる、杉村春子と中村伸郎。



これが「うずまき」だらけ、という。



さらに「麦秋」の引用でもある、という……


↓「麦秋」S120 紀子が結婚を決めた直後です。


S107

酔っぱらって寝ちゃった笠智衆をどうするか?

というはなしですが……


庫造「キヨちゃん下へ来て貰って、二階に寝て貰おうか」

志げ「あんなに酔っぱらってて、二階なんか行けるもんですか」


と「空間論」に持っていくあたり、やはり小津安二郎。


で、翌朝。


S111


「お小遣いをあげる」というシーン。


もちろん「父ありき」の引用。


「東京物語」のすべて その3 をご覧くださいまし。



台本も……完璧だな。

ここはヘタクソが書くと、ただセンチメンタルに流れるだけだとおもうのだが。


紀子「またどうぞお母さま、東京へいらしったら……」

とみ「へえ……でも、もう来られるかどうか……ひまもないじゃろうけど、あんたも一度尾道へも来てよ」

紀子「伺いたいですわ、もう少し近ければ」

とみ「そうなあ、何しろ遠いけいのう……」


あくまで「空間論」ですべてを語ってしまう、この凄み。

分かる人には分かる、この超絶技巧。


もちろん、とみの危篤→葬儀という流れで、

紀子が尾道に行く、ここらへんの運命の皮肉もこもっていますし……


なによりすごいのは――

東山千栄子が、息子の遺影を目の前に、


手を合わせたり、お経をとなえたりなんだり、という、宗教的な動作をしないこと。


ただぼんやりたたずむ、という、これまた小津安っさんの凄み。


あるい、もう、このショットの時点で、

とみは死んだ息子と同じ世界に行っちゃってるのかもしれない??

深読みか??



あと、静止画ではなんも伝わりませんが……↓↓


ガチャガチャと、原節ちゃんがアパートのカギをかける。


小津作品でカギをかける、という動作――

「東京物語」以前にあっただろうか??


ありましたっけ?? 


S112

「夜 東京駅 十番ホーム下の待合所」

「遠距離列車に乗る客が行列を作って改札を待っている。中に周吉ととみ、それを見送りに来た、幸一、志げ、紀子が一団になっている」


――ベンチに座ってる。

とずっと思ってたのですが、今年7月の――海の日だっけ??


NHKの「ブラタモリ」の東京駅特集で、

「貸し椅子屋さん」とかいう稼業が昔あったと紹介されていて、


もしや??

とおもいました。


で、それから副音声解説をきいてみると、案の定、

「貸し椅子屋」がいた。とか話してる。

このシーン、

原節ちゃん達はお金を払って椅子を借りているわけです。


今なら、「ベンチを設置せい!!」

と即刻JRにクレームを入れるところですが……


おおらかな時代だったのか?

なんといいますか??――


東山千栄子が死の予感を語ります。


とみ「みんな忙しいのに、ほんまにお世話になって……でも、みんなにも会えたし、これでもう、もしものことがあっても、わざわざ来て貰わあでも……ええけ……」


はい。何度も言いますが、「空間論」にもっていく小津安っさん。


「来る」……「来てもらわなくてもいい」というところにもっていく。


これはもちろん「お迎えが来る」というような表現にもつながる……


えー……何が言いたいのかといいますと、

・「晩春」は「行く」映画である。

・「東京物語」は「来る」映画である。


なんかそんな気がします。

えー、以下、理由をいろいろ書いていきたいのですが、

字数制限なのか、なんなのか?

記事が保存できにくくなっているので、次回続きを書きます。


その10につづく。

小津安二郎「東京物語」のすべて その10

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その10です。

一体いつ終わるのか??


トマス・ピンコの野郎。

しきりに……

「空間論」「空間論」といいますが、

ちょいとわかりずらいかとおもいますので、

具体的にみてみようとおもいます。


そこで前回の最後に書きました――

・「晩春」は「行く」映画である。

・「東京物語」は「来る」映画である。

これを解説します。


まず、「晩春」のシナリオ……

これね。

妙に「行く」が多いんです。ちょいと目についたものだと、


S21

小野寺「ああ、やってるんだね春陽会――行ってみないか」

紀子「あたし、ミシンの針買いたいんだけど……」

小野寺「どこだい、行こう行こう」

S47

アヤ「いつ行くのよ、あんた」

紀子「行かないわよ」

アヤ「行っちゃいなさいよ早く」

紀子「いやよ」

アヤ「行っちゃえ行っちゃえ」

S71

周吉「もう行ってもらわないと、お父さんにしたって困るんだよ」

紀子「だけど、あたしが行っちゃったら、お父さんどうなさるの?」

周吉「お父さんはいいさ」

紀子「いいって」

周吉「どうにかなるさ」

紀子「それじゃあたし行けないわ」


はい。ここだけじゃないんです。代表的なものだけ抜き出してみました。

「行く」だらけ、です。

これは当然、原節ちゃんがお嫁に「行く」映画だからです。


なので、

「話者がA地点からB地点へ移動する」

という「空間論」を物語る動詞――「行く」が多用されるわけです。



一方「東京物語」……


S28

とみ「そう、わざわざ今日来てくれんでも……暫くおるんじゃもん……」

S35

周吉「ウーム……、とうとう来たのう……」

とみ「へえ――ここあ東京のどの辺りでしゃあ」

S39

志げ「いいわよ、どっちみち、うちへも来るわよ」

庫造「そしたら金車亭へでも案内するかな」

以上、前半はこんな感じ。

(敬語のいらっしゃる、というのも多い)

あとは……前回ご紹介した中盤あたりも……


S101

沼田「東京へ来りゃ、ええ息子さんや、娘さんがおるし……」

周吉「そりゃァ、あんたんとこでもそうじゃ」


S103

紀子「いいえ――でもほんとによく来て頂いて……もう来て頂けないかと思ってましたわ」


S106

志げ「変な人つれて来ちゃったの」

庫造「だれだい」


S111

とみ「へえ……でも、もう来られるかどうか……ひまもないじゃろうけど、あんたも一度尾道へも来てよ」

紀子「伺いたいですわ、もう少し近ければ」


「来る」「来る」「来る」……

これはもちろん、

「東京物語」が笠智衆&東山千栄子の老夫婦が東京へやって来た、

という映画だからです。


なので、

「話者の場に、ある人物が移動してくる」

という「空間論」を物語る動詞――「来る」が多用されるわけです。


さらに……

言わずもがななことを書けば……


・「行く」は性的絶頂を表現する動詞。

(そういう目でみると、「晩春」アヤちゃんの「行っちゃえ行っちゃえ」はそうとうにヤバイし、ラスト近く、笠智衆にキスをして「ええ行く、きっと行くわ」はこれまたヤバイ)

・「来る」は死を表現する動詞。(お迎えが来る)


さらにさらに……

小津&野田コンビは知っていたでしょうが、


・英語の go は「死ぬ」の意味。

・英語の come は「性的絶頂」の意味。


で、「行く」と「来る」――「死」と「生」(性?)は

交換可能なもの、けっきょく同一なものかもしれない?

という視点がなんか含まれていそうです。


□□□□□□□□


S112


前回ご紹介したところからみていきます。

東山千栄子が――

「これでもう、もしものことがあっても、わざわざ来て貰わあでも……ええけ……」

と「来る」=「死」の予感を語るシーン。




山村聰が

「これだと名古屋か岐阜あたりで夜が明けますかねえ」

といいます。


ここ。「淑女は何を忘れたか」の節子(桑野通子)の

S48

節子「うち明日のいま時分もう大阪や」

とか、

S49

時子「ねえ、節ちゃん、もうどの辺まで行ったでしょう」

小宮「さあ沼津あたりかな、いま頃はもう寝台でよく寝てるだろう」


を思い出したいところ。


引用、ですけど、

若くして亡くなった桑野通子のイメージとか、

空襲で破壊された戦前日本のイメージとか、「帝都」東京のイメージとか、

いろいろなものがシナリオの数行の中につめこまれていそうです。


桑野通子がみていた「東京」は、「東京物語」の「東京」とは

まるで別物のはずです。


S115

「大阪城の見える駅」という設定。

平山家の三男、大坂志郎登場。


この平山敬三役。

もともとは佐田啓二を考えていたらしい。

それもあってか??

大坂志郎は現場でかなりしごかれたようです。


 大坂志郎、玄関から上る。

「君は肩から歩くが、足が開き過ぎるぞ」小津の声がかかる。

大坂「そうか、間に合わなんだか、そうやと思うたんや」

小津「セリフが駄目だ」

 大阪のアクセントがどうしても関西弁にならない。

「少し溜息まじりで」注意されて、「そうか、間に合わなんだか、そうやと思うたんや」

 大阪、上気気味になって益々一本調子、小津、何回も辛抱強くやり直しをさせる。

(フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」195ページより)


そういう目で見ると、大坂志郎、

毎ショット毎ショット、表情がものすごく固い気がする。



先輩「おお、お父ッさんおッ母さん来たんやて?」

敬三「ええ、えらいこってすわ。寄る筈やなかったやけど、汽車ン中でおふくろ、なんや具合悪うなってしもて……」


S116

「敬三の下宿」


とみ「――でも、思いがけのう大阪へもおりて、敬三にも会えたし、わずか十日ほどの間に子供らみんなに会えて……」


またまた登場、「思いがけず」=「うずまき」


背後の野球のユニフォームは敬三のものなんでしょう。


田中眞澄が……何の本だったか、

戦後まもなくの映画雑誌には

野球のユニフォーム姿の小津安二郎の写真がよく出てくる、

と書いてました。


小津安っさんその人も野球好き。


周吉「ウム――よう昔から、子供より孫の方が可愛いいうけど、お前、どうじゃった?」

とみ「お父さんは?」

周吉「やっぱり子供の方がええのう」


まーことさら可愛くなく描いてましたので、ムリもない。


これは「東京暮色」S23に受け継がれます。


沼田「よくねえ、昔から孫の方が可愛いなんて云いますけど、そんなもんですかねえ、お父さん、どうです? 僕ァそんなもんじゃないと思うんだけどな」



周吉「なかなか親の思うようにはいかないもんじゃ……慾云や切りゃにゃが、まァええ方じゃよ」

とみ「ええ方ですとも、よっぽどええ方でさあ。わたしらは幸せでさあ」


もちろん「麦秋」のラスト S144の引用。

周吉「ウーム……みんな、はなればなれになっちゃったけど……しかしまァ、あたしたちはいい方だよ……」

志げ「……いろんなことがあって……長い間……」

周吉「ウム……慾を言やア切りがないが……」



S118

平山医院です。


文子「満足なすったかしら」

幸一「そりゃ満足してるよ、方々見物もしたし、熱海へも行ったし……」

文子「そうねえ」

幸一「当分東京の話で持切りだろう」


これは「一人息子」の引用といいますか、

なんといいますか……


S101

杉子「おかあさん満足してお帰りになったかしら」

 二人、見合う。

良助(呟くように)「多分満足してはお帰りになるまいよ。――本当いうと俺はまだおッ母さんに東京へ来て貰いたくはなかったんだよ」


たいして孝行していない「東京物語」の夫婦が満足しきっていて、

一方、

けっこうがんばった「一人息子」の若い夫婦がなんだかがっかりしている。


S119

廊下の電話のベルが鳴りまして、

ひさしぶりに「砂時計形」「コカコーラ瓶形」の登場。


S120

志げ「尾道からよ、京子からなんだけど。おかしいのよ、お母さん危篤だっていうのよ。え? ええ、そうなの」


末娘が親の死を兄弟に伝える、というパターン。

「戸田家の兄妹」を思い出させます。


「戸田家」は、高峰三枝子が父の死を伝え、

「東京物語」は、香川京子が母の死を伝える。


S125


ついさっき「ハハキトク」の電報を受け取った山村聰が、

何事もなかったかのように

犬(おそらく)とじゃれあうショット。


ロングなので、なんだかよくわかりませんが。

(犬とか写らない)



次作「早春」で

高橋貞二がこれをやります。


「早春」はじっさいにワンちゃんが写る。


高橋貞二の場合、ふいに奥さんから妊娠の話をきいて、

その流れです。




S126

米山商事です。


三宅邦子から、原節ちゃんに電話が。


ぼんやりと歩く原節ちゃん。


↓↓んー、モダニズム絵画みたいな構図。


わたくし、こういうの好きです。

バルテュスあたりにこういう不思議な構図がありそうで……


胸元はもちろん聖なる数字「3」――



S129

平山医院。幸一と志げが話しあっています。


志げ「ちょいと兄さん――」

幸一「なんだい」

志げ「喪服どうなさる? 持ってく?」

幸一「ウーム……持ってった方がいいかもわからんな」

志げ「そうね、持ってきましょうよ。持ってって役に立たなきゃ、こんな結構なことないんだもん」


このあたり、「戸田家の兄妹」S18の吉川満子――


千鶴「ねえ、帰って来られないか分からないけど、もしかすると電話かけて、喪服持って来て貰うかも分らないわ――そんなことがあっちゃ大変だけど……」


を思い出させます。引用。


「持ってって役に立たなきゃ、こんな結構なことないんだもん」

ドナルド・リチー先生が、なんて気の利いたセリフか!

と驚嘆してましたが、


日本人のおばさんはこういう言い方、しますねー

もちろん、それをすくいあげて、シナリオに利用できた、

というのは小津&野田コンビの力量。



で、

杉村春子がいったん帰りかけて、また戻り、

でもけっきょく何もせず、帰ります。↓↓


小津安っさん、「晩春」のこれ↓↓ が、


よっぽど気に入ったようです。



S132

尾道の平山家です。

「昏々と眠っているとみの枕元で、周吉と京子が見守っている」


登場人物が「3」人

背後の石仏が「1」+「2」

という……


東山千栄子が危篤だということを考えると……深い……


香川京子はこれ一作きりですねー

小津安二郎、香川京子について、いわく……


人中に出られる時にね。実に大変洗いたての感じがして、大変まァ、ぼくは見染めたわけなんだ

(フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」185ページより)



腕時計をみる、という仕草。

「麦秋」を思い出します。


S133

「京子の部屋」「京子、来て、前掛をとり、ちょっと身づくろいして出てゆく」


京子たんが白ソックスをはくところを丹念に撮る……

はっきりいって必要のない病的なシーン。

なんかエロいし……


覗き見めいた、異常さが、

端正な「小津調」の中におさめられると

ごく普通のものとしてみられてしまう。


けど、異常だ。靴下に妙にこだわるんだよなーー



S135

「路地」「京子、出かけてゆく」


オープニングのS5と同じ構図……




その11につづく。

次回でようやく「東京物語」おわりか??



小津安二郎「東京物語」のすべて その11

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その11です。


S136

「周吉、とみの寝顔を見守っている。軽い嘆息が洩れる」

「とみが微かに動く」


今村昌平の証言があります。


撮影中に母が死んで、葬儀のために何日か休んで出てきた時が、ちょうどダビングでした。東山さんが息をひきとるシーンがありまして、私は何回も見ているので嫌になり、小用に立ったんです。母が東山さんと同じ脳溢血で死んだということもあるし。すると、小津さんが追いかけるように部屋を出てきて、「今村くん、脳溢血で死ぬのはあんなもんかい?」と言うんですね。映画作家って相当なもんだぜ、と思いましたよ。

(松竹編、講談社「小津安二郎新発見」176ページより)


はい。

異常です。小津安二郎。


S139

医者「アーデルラッスして、ブルートドルックは下ったんですが、どうもコーマが取れませんので……」

幸一「ああそうですか(と懐中電灯で瞳孔を調べてレアクチオンが弱いですね」


お得意のテクニカルターム。


クロサワなんかだと、

「酔いどれ天使」とか「赤ひげ」とか

医者という職業が妙に神聖視されたりしますが、

(あと、TVドラマとかでよくあるパターンですな)


小津作品における医者は

ただの技術系の職業というだけのことです。


小津作品には英雄も聖者も登場しません。



しっかし……

東山千栄子の枕元に

原節子、杉村春子、山村聰、笠智衆……


とんでもない豪華キャスト。


S140

幸一「ねえお父さん、お母さんどうも具合が悪いんですがね……」

周吉「そうか」

志げ「悪いってどうなの?」

幸一「イヤ、よくないんだよ」


と深刻な場面に「いかにも小津調」の会話。


幸一「では……」

 と立って座敷へ戻ってゆく。


山村聰は、笠智衆に対して、

「息子」というより「医者」としてふるまっている。

それが、この「では……」

にこもっていておもしろい。


冷たい、というかドライ、というか……



S141


このテーブルが……↓↓

妙に気になる。



これって「麦秋」のラスト近くになって突然登場した……

コイツではないのか??↓↓


くわしくは『「麦秋」のすべて』をご覧いただきたいですが……


これは、死者・間宮省二と関係があるのでは??

と確か書いたとおもいます。


そのテーブルがよりによって、東山千栄子の死の場面に登場する、という……


S144

「夜明け」「ほのぼのと尾道の夜があける――東の空が明るく輝いて、間もなく陽の昇る時刻である」


有名な船着き場のショットがありまして――



また、例の灯籠が出てくる、と。

コカコーラ瓶形。



S145

「とみの顔に白布がかけてある」

「志げ、幸一、紀子、京子が、いずれも悲しげに項垂れている」

「時々、思い出したように京子が涙を拭いている」


「3」本の平行な直線。


そして……うずまき(蚊取り線香)は、

燃え尽きると「○」になるのだな、などとおもいます。


これって、深い、

かも。



志げ「紀子さん、あんた喪服持って来た?」

紀子「いいえ、アノウ……」

志げ「そう、持ってくりゃよかったのにね。京子、あんた、あるの?」

京子「ううん、ない」


二人の泣きはらした顔が撮りたかったのだろう。

失礼ながら……


かわいい。




S146

大坂志郎が遅れてやってきます。


敬三「どうや?」

 京子、胸が迫り、黙って顔を伏せる。

敬三「そうか……間に合わなんだか……そうやと思うたんや……」



もちろん「戸田家の兄妹」S27の引用。


昌二郎「おい、泣くんじゃない、泣くなよ」

 と、自分も悲しいのをこらえ、妹の泪をふいてやる。

昌二郎「よしよし、もう、よしよし、しかし、随分急だったんだな」


と、こっちの兄妹はラブラブな感じでしたが。




さっきの幸一の、

他人行儀な「では……」といい、

この敬三の態度といい、


平山家はメンバーが皆、けっこうドライなようです。

肉体的な接触があるのは――といって手を握るぐらいですが――

・とみ(東山千栄子)と紀子(原節子)

・京子(香川京子)と紀子(原節子)

この2パターンしかない。

しかも、紀子は義理の間柄です。


秋日和S85 岡田茉莉子のセリフに――

「そう思わないのアヤだけよ。ウエットよ。最低よ」

というのがありますが、


小津作品において、

ウエットは最低、なのでしょうか?



S147


敬三(幸一に)「生憎くと松坂の方に出張しとりましてな。おくれましてどうもすんません。(志げに)電報貰うた時おらんのや、姉ちゃん」

伊勢松坂、は小津一族のルーツの土地。

そして、小津安二郎が学生時代過ごした土地でもあります。



敬三「ほんまにえらいことやったなァ、いつやったんや」

志げ「――今朝、三時十五分……」

敬三「そうか……八時四十分の鹿児島行やったら間に合うたんやなァ……」


と、電車の時刻の問題になります。

感傷に流されない高度テクニック。

「空間論」の一種、とわたくしはみたいところ。


もちろん、小津安っさんその人も

キャメラの厚田さんも鉄道マニアだったそうですが。




大坂志郎が首を曲げますので、並行直線が4本に。


ここらへん……紀子のアパートで戦死した昌二の写真をみながら……

S70

周吉「ウーム……これも首うまげとるなあ」

とみ「あの子の癖でしたなあ」


というのを思い出します。

兄弟なので癖も似ている、という……


S149

紀子「お父さま――」

周吉「ああ……」

紀子「敬三さんいらっしゃいました」

周吉「アア、そうか……ああ、綺麗な夜明けじゃった」

紀子「……」

周吉「――今日も暑うなるぞ……」


最小限のコトバしか使いません。


尾道ロケです。

早朝の誰もいない境内を想像しますが――

じつは尾道の人総出で、この二人の演技をみつめている、という写真が残ってます。

夏の夜明けなんで、めちゃくちゃ朝早いのですが……

みんな原節子がみたい!! (その気持ちわかる)


つまり……

群衆に囲まれて、この二人は演技してます。

いかにも静かな朝、という演技。

映画ってとことん「うそ」ですなーー


S150

「お寺の境内」


擬宝珠がコカコーラ瓶形。




S151

お葬式のシーンですが……


柱が気になる。



死者・平山昌二

がここにいるのでしょう。



この……なにかモノリス状のモノを画面にさしこむというのは、

「戸田家の兄妹」の頃からやっている↓↓


「秋日和」になると、こんなで↓↓


この迫力……「物自体」(カント)というか……

「現実界」(ラカン)というか……


なにか不気味でしかない……です……


まー僕は、小津安っさんその人の

「無」

一文字のお墓を思い出したりもします。


立方体のお墓です。



S157

「海岸通りの古い料理屋の二階」

提灯の紋(石持ち時抜き結び雁金 とかいうもののようです)


――が、うずまき。
お母さんの思い出話をします。



が、住吉祭といい、大三島といい、


もうひとりの死者、平山昌二の話題は出ません。

そして原節ちゃんもたったひとこと、「ええ」しかセリフがない。


志げ「紀子さんまだいいんでしょ。もう少しお父さんのとこにいてあげてよ」

紀子「ええ」


んー……というか、

この豪華キャスト。凝りに凝ったセット……

経営陣はたまったもんじゃない気がする……


でも、ま、ブルーレイとかいって21世紀まで

ばっちり松竹にお金を稼がせているわけだから、な。




笠智衆が席を立つと……


志げ「――でも、なんだわねえ。そう云っちゃ悪いけど、どっちかと云えば、お父さん先の方がよかったわねえ」

幸一「ウーム」

志げ「これで京子でもお嫁に行ったら、お父さん一人じゃ厄介よ」


「予定外」=「うずまき」でもあるし、

「死」と「生」……「来る」と「行く」のコンビネーションでもあるし、


平山家の親子関係も描いているし、

もちろん、杉村春子の志げの性格もよく出ているし……


なんともため息をつくよりほかない感じ……

ほんとにこのシナリオはすさまじい。


志げ「ねえ、京子、お母さんの夏帯あったわね、ネヅミのさ、露芝の……」

京子「ええ」

志げ「あれあたし、形見にほしいの、いい? 兄さん――」

幸一「ああ、いいだろう」

志げ「それからね、こまかい絣の上布、あれまだある?」

京子「あります」


個人的に好きなのは、

香川京子がごはんをよそう仕草――


↓↓これ。


「戸田家の兄妹」の高峰三枝子もやってた。

引用。

というか、お着物きてこういう作業をすれば、こうなりますわな。






でも、

どっちも「親の死」がからんでいる映画で、

高峰三枝子も、香川京子も、「こきつかわれている末娘」という設定ですので、

やっぱり引用だな。



そうそう、このシーン。

シナリオに「海の反射が襖と天井にキラキラして――」

とありますとおり、終始キラキラしています。


キャメラの厚田雄春の証言。


あの光の反映を撮るには、横長の大きな箱を置いてそこに水を張る。そしてその底にもう小道具で使わなくなった鏡を割って沈めとくんです。水をどのぐらい入れるかってのにも微妙なコツがあるんですが、そこに照明をあてて、うまく水をいごかすんです。

(筑摩書房「小津安二郎物語」235ページより)


S160

「平山家 庭の隅の畑」


おとなりのお寺の塔が、コカコーラ瓶形。



S162


で、二本のコカコーラ瓶形の登場。

原節子&香川京子。


京子「お姉さん、どうしても今日お帰りンなるん?」

紀子「ええ、もう帰らないと」


京子「ううん、お母さんが亡くなるとすぐお形見ほしいなんて、あたしお母さんの気持考えたら、とても悲しうなったわ。他人同士でももっと温いわ。親子ってそんなもんじゃないと思う」






――という、平山京子の理想論は、

「戸田家の兄妹」の戸田昌二郎の理想論の引用。


S83

昌二郎「たとえば食うや食わずの人間だって親と子の仲はもっと暖い筈のものなんだ。どれもこれもみんな、一つ腹から産れながら、そのお母さんの面倒もみられないなんて……それも永い間じゃないんだ。たった一年、経つか経たないかだ。こんなことで何がお父さんの一周忌だ! こんなことで何で仏様がお喜びになるものか! あんまり虫がよすぎやしませんか!」


こうみていくと「東京物語」――


前半は「一人息子」の引用が多く、

後半は「戸田家」の引用が多い、そんな気がします。


しかし、紀子はこの戸田昌二郎理論を否定します。


紀子「だけどねえ、京子さん、あたしもあなたぐらいの時には、そう思ってたのよ。でも子供って、大きくなると、だんだん親から離れていくもんじゃないかしら。お姉さまぐらいになると、もうお父さまやお母さまとは別の、お姉さまだけの生活ってものがあるのよ。お姉さまだって決して悪気であんなことなすったんじゃないと思うの。誰だってみんな自分の生活が一番大事になってくるのよ」


京子「いやァねえ、世の中って……」

紀子「そう、いやなことばっかり……」


という香川京子たんの白ブラウスは……



「麦秋」の原節ちゃんのブラウスと同じもののようにみえます。↓↓


「東京物語」の香川京子が「母の死」をおもい、

「麦秋」の原節子が「兄の死」をおもっていることを考えると……


小津安二郎という人のおそろしさがみえてきます。


んーーそんなことフツーの客は気づきませんからね!!


京子「じゃお姉さん、お大事に」

紀子「ええ、ありがとう。あなたもね」

京子「うん」

紀子「きっといらっしゃいね、夏休み」

京子「うん、じゃ、さよなら」

紀子「さよなら」

京子「行ってまいります」


背後の提灯箱の家紋は――「3」


「戸田家」以来の神聖なる数字「3」

そして

「紀子3部作」の「3」

そう考えると、この別れのシーン……


「紀子」という神聖な名前を

次は香川京子に継がせようとしていたのか?

とか深読みしたくもなる。


ま、じっさいは香川京子は、小津作品とは縁がなく、

「紀子」の名を継いだのは司葉子なのですが。

あと、「紀子3部作」なんてこと、小津安っさんが意識していたかどうかわからないし……


でも「コカコーラ瓶形」といい、

おなじ白ブラウスといい、意識的にやってるとしか思えない……


個人的にも

ミゾグチ作品の香川京子より、クロサワ作品の香川京子より、

断トツに「東京物語」の香川京子が輝いている気がするんだが。



一作ぐらいみたかったなー、香川京子主演作品。



S164

まあこのシーンは、

「その2」で「晩春ごっこ」とか書きました。

「その3」では「宗教説話」とか書きました。


それ以上書くことはとくにないのですが、




「時計」というアイテムが小津安二郎にとっていかに大きかったか、

というのはちょろっと書いておきます。


小学館「いま、小津安二郎」という本に

安っさん愛用のJ・W・ベンソンの懐中時計が出てきます。

あと大映の永田さんから贈られたパテック・フィリップの腕時計。

「全日記小津安二郎」には、ナルダンの腕時計が欲しい、とかいう記述がでてくるし。

「小津安二郎 ―人と仕事―」には

今日出海の「懐中時計の話」というのが載っています。

酔っぱらって例のベンソンをなくしたようなのですが……

どうも今日出海がとったと疑っていたようです。


「おい、今ちゃん、もう時計の話は俺しないよ。あきらめた。そんなことはもう座興にするのもよすよ」

「それはよかった。ありがとう」

「ただあれは非常に大事にしていたもんだから、君も大事に使ってくれよ」

こういうように小津君は恬淡な男じゃない。あれは死ぬまで私を疑っていたに違いない。

(蛮友社「小津安二郎 ―人と仕事―」417ページより)


ベンソンだ、パテックだ、ナルダンだ……


このあたり、ロレックスとかオメガとかが

最高級品だとおもっている人にはまったく理解できないとおもうんですけど。

多分、小津安っさんあたりの明治の男にいわせれば――

「あんなもん、きみ、スイスの新興メーカーですよ」

ということになるとおもいます。

(生意気ながら、トマス・ピンコの野郎もそう思ってます……)



S168




S169


窓から外をみる、というと、

「東京の合唱」の八雲恵美子を思い出しますし、


汽車を見送る、というと、

「青春の夢いまいづこ」


「秋日和」……



で、

S173

高橋とよが登場しまして……

さいごの「うずまき」


オープニングでは、東山千栄子がいましたが、

今は、いない。


ご丁寧に、蚊取り線香まで登場。「うずまき」



で、バタバタとうちわを……


「振り子運動」――







ははぁ……

ようやく終わりました。「東京物語」のすべて。




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