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小津安二郎「早春」感想 その1

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「早春」(1956)の感想をば。


はじめに個人的な好き嫌いを書いてしまいますと、

大好きです、「早春」


というか、陰気クサい失敗作ペア。

「早春」&「東京暮色」

わたくし、

こやつらを愛してやまないものであります。


なにが好きといって――

まず絵として、「写真」としてワンショットワンショット、

たまらなく美しい、とおもう。

(とくに夜の場面)

キャメラマンの厚田さんの腕が、この頃最高に冴えてきた、

というのもあるかもしれない。


あとは――

両方とも、

「女から逃げる男」「女に殴られる男」のはなし、というのが良い。


女>>男



女の方が男を支配している、という構図が安心できるのかもしれない。

いや、

かもしれない、じゃなくて、好きなんです。

(だからヒッチコックだと断然「裏窓」が好きなのだ。というかヒッチコックは全作品 女>男か??


□□□□□□□□


はじめからみていきます。

が、残念ながら、「早春」のシナリオを持っていないので、

シーンナンバーが打てません。


あと、セリフも聞き取って、書き写す、という作業がめんどくさいので、

セリフ

あんまり書かないとおもいます。


全作品のシナリオが収録されている、

「小津安二郎全集」という本が欲しいのですが、

手に入らないのです。


誰かください。



「早春」とはなにか?
一言でいってしまうと――


「早春」とは純粋ゼンマイ運動である。


ということになります。


つまり、

「東京物語」を純粋に「運動」だけで撮れなかったこと……

神話・おとぎ話・宗教説話、とかを利用して日和ってしまったこと……

等々を反省したうえで……


「いっちょグルグルだけで一本撮ってみるか」

というアヴァンギャルドな決意が「早春」を生みだしたのでしょう。


イジワルな見方をすれば、


本人的にはあんまし満足していない「東京物語」が

世間ではかなりの高評価で、

しかもイギリスあたりで賞をもらったりして……


だから「一、二本売れねえシャシンを撮ったところでかまやしねえ」

という余裕がこういう前衛作品を生みだしたのだ、ともおもえます。


そんなわけで、序盤から

「ゼンマイ」=「がっかり」だらけです。


淡島千景と杉村春子の会話は「ゴミ屋がこない」というもので、


池部良は、奥さんの淡島千景に

「今朝、パンよ」といわれてガッカリしている。


あと、「ヒゲ剃らないの?」といわれて、剃らない、といってます。


ヒゲの手入れに毎朝たっぷり時間をかけていた小津安っさんにとって、

これは許しがたい行為でしょう。


あと――この不気味な通勤風景。

人が一方向にえんえん歩きつづける。歩きまくる。


通勤風景に関して、蓮見重彦御大は……


彼らは一貫して同じ歩調で駅へと急ぐ。そしてプラットフォームに立ってからも、一貫して同じ方向に視線を向けている。そのありさまはいささか不気味でさえある。なるほど、朝の出勤時間とはそういうものかと納得する以前に、なによりまず、不自然さの誇張が見るものを捉えずにはいられない場面だ。

(蓮実重彦著、ちくま学芸文庫「監督小津安二郎」130ページより)


いずれにせよ、雑踏という名の無方向な人の流れほど小津から遠いイメージをかたちづくるものはなく、彼の世界にあっては、この地上に存在する人間たちの数までがあらかじめ決定され、その運動の軌跡も綿密に計測されているかのようだ。

(同書131ページより)


と書かれていらっしゃる。

小津作品、というのは「抑制」「静止」とかでは全然なくて、

じつは「過剰」なのだ、という文脈なのですが


ただ「なぜ」こうなのか?

「なぜ」こんな一方向なのか?


この疑問に対しては答えてはいらっしゃらないので……

ここで、その答えを書いてしまいましょう。


これは「東京」という名の巨大なゼンマイが巻き上がっていく

そのありさまの描写なのです。


「東京」=「ゼンマイ」

というのは、

「東京物語」で原節ちゃんが老夫婦をバス観光に連れ出す、

あのシーンの解説で述べました。


ゼンマイを巻くのですから、

一方向に巻かないとならないわけです。


逆に巻いたりしたらゼンマイがゆるむか、あるいは壊れるか、

そのどっちかです。


つまり……

小津安二郎という偏屈な男にとっては

リアリズムなんぞははっきりいってどうでもよくて

ただ、自分の法則だけが一番重要なのです。


「3」とか「○」とか「ゼンマイ」とかが最重要課題なのです。

まず、運動ありき、なのです。


↓↓高橋貞二がいて、岸恵子がいて、池部良がいて、


右端、田中春雄もいるし、

その横、「雷魚」こと須賀不二夫がいて、

左端でこちらをふりかえっているのは、山本和子。


いい時代ですなーー

どの俳優さんも個性が尖ってる感じ。


というか、この「電車の仲間」のピクニックに

淡島千景が参加しなかった、というのは、


ひょっとして淡島千景のスケジュールが合わなかったとか???

実はそれが真相だったりして???

それはないか……



会社につけば会社についたで、


池部良と同期入社の「三浦」という登場人物が

「よっぽどよくないらしい」

という話がでます。


あくまで「がっかり」=「ゼンマイ」


おなじみ、時計のショット。


秒針がぐるぐるまわりまして……


あたかもその「グルグル」にあわせるかのように、

カメラもオフィスの廊下で「グルグル」動きます。


で、昼休み。

日曜日に江の島へ行こう、というのですが、


岸恵子が、

「いきあたりばったりに行っちゃいましょうよ。どうにかなるわよ」

という。


まー「どうにかなる」

というのは岸恵子&池部良のことを予言しているようで

シナリオの妙がたまらん感じですが、


これもまた、「ゼンマイ」とみたい。

つまり、ですね、


「○」の映画、「麦秋」は、

時間通りにすべて進んでいたわけです。

○時○分の電車に乗る。 ○時に~で待ち合わせ。

それが予定通り進んでいた。


ところが「ゼンマイ」映画、「早春」はそうはいかない。

「いきあたりばったりに行く」しかないわけです。


昼休み後、

昔の上司の笠智衆が来ている。


笠智衆は、なにがあったかわかりませんが、

大津の営業所に飛ばされて、

久しぶりに東京の本社に来た模様です。


↓左右を衝立でさえぎる、すさまじい構図。


笠智衆のセリフも「がっかり」=「ゼンマイ」でして、


「常務が出かけてて仕事にならない」

「まだ帰れない」「当分島流しさ」

という具合。


退勤後、山村聰のやってる喫茶店「ブルーマウンテン」へ行きます。


山村聰は、池部良、笠智衆の会社にいたのですが、

脱サラして喫茶店をやっているようです。


で、看板にはかならず何かを隠す……


グルグルが隠れてます……↓↓



山村聰の奥さん役が三宅邦子。


職住隣接、で、すぐ奥が居間。


パッと見、モダンな喫茶店なのですが、

けっきょくのところ、

喜八もののかあやんの店と、構造的には大差はない。


商業建築の歴史という点でもなかなか興味深いシーンです。



職住近接、というと、

淡島千景の実家、五反田のおでん屋「喜多川」もそう。


なので、おおまかに分類すると、


「ブルーマウンテン」=「男たちの世界」

「喜多川」=「女たちの世界」


という感じか。

ただ、「喜多川」にはお客の菅原通済もいるし、弟の田浦正巳もいるし、

あてにならない分類ですが。


男三人というおきまりのパターン。


「今の世の中そうおもしろいことはないよ」


という「がっかり」=「ゼンマイ」


笠智衆は、

池部良、淡島千景の夫婦の仲人をしてくれたようで、


新婚当時のことを思い出すのか?

「倦怠期」の二人も、なんか気持ちが暖かくなっているようです。


んー

男二人がなにか読んでいる、という構図。

「父ありき」をおもいだします。


今だと、だらしなくテレビとかみてるよなーー



あと、淡島千景が笠智衆に

「お疲れでございましょう?」

という。


美しいセリフですなーー


で、江の島ピクニック。


岸恵子特集、という感じ。

かわいいーー

細いなーー


「晩春」の原節ちゃんみたいに、たえずニコニコしてる。


しっかし、このプロポーション。


とうとうわが国にこんな女優が出てきたか、と

ハリウッド映画に憧れた小津安っさんはけっこう感動したんじゃなかろうか。


服装も野暮ったくなくて、いいですのーー

ちょっと「小津ごのみ」のスタンダードからはずれている気がするが……


岸恵子の好みもはいっているのか??

あるいは「益子ちゃん」(佐田啓二夫人)の好みか??


池部良もガイジンみたいな体つきだな。

ガッチリ、背が高い、おまけに役名が「杉山正二」ですので、


小津安っさん、その人の分身でもあります。

ヘンな帽子も安っさんの帽子に似てる。


で、トラックをひろう二人。


んーというかトラックの可愛らしさに心打たれてしまうのは、

わたくしだけでしょうか??


かわいいデザインだなーー

国産??

アメ車??


で二人がトラックに乗る。

というのは、「晩春」のパロディのような感じ。


「晩春」ではトラックに自転車をのせて、

原節子と宇佐美淳のおデートを撮ったわけです。


場所も茅ヶ崎界隈なので、同じ。


で。二人でeat ですので、これはヤバいわけです。


小津作品における、

「食べる」という行為の深い意味、

当ブログではさんざん述べてまいりました。


しかし、なにを食べているんだ、君たち。

キャラメルだか、飴玉だか??


トラックの荷台、というのがアメリカンです。



一方その頃。

五反田のおでん屋、喜多川。


淡島千景のお母さん役は、浦辺粂子。

小津作品初登場だな。


脇役がとんでもなく豪華……


で、「岸恵子特集」の直後、

「淡島千景特集」がはじまる、という……


母娘の会話から、

このおでん屋で、池部良&淡島千景のカップルは出会ったのだな、

とわかります。


学生が、小料理屋の娘と結ばれるというパターン、

「一人息子」とか、

「青春の夢いまいづこ」とか……


ネコのミーコ登場。

妊娠しているらしい。


その会話の流れから、

池部良夫婦には子供がいたが、病死してしまったらしい、とわかります。


ネコ――


小津作品にはイヌが多いがネコは少ない、

というような文章をどこかで読みましたが、

どうか??


「長屋紳士録」「宗方姉妹」……

多くはないが、少なくもない。


横顔が美しいこと。



のれんの柄が、なんか「お茶漬けの味」の浴衣に似ている。


あと、「三山石」(三岩?)が……

ラストの「三石」を暗示しているようです。


「三山石」……

間にはさまっている「山」は、

岸恵子のことでしょうか??


つづいて、オフィス風景。

岸恵子。


横顔がほんと好きね。


で、昼休み。

また二人でeat してますから、


これはどうにかなってしまうより他ありません。


で、中北千枝子登場。


出版社勤務のOLさん。

淡島千景の女学校時代の同級生。


なんかクロサワとか成瀬とか見てるみたい。

個人的には、「素晴らしき日曜日」がけっこう好きなのですが。


しかし、池部良といい、中北千枝子といい、

東宝勢ばっかり出てくる映画だ。


会話はアイロンの調子が悪い、というもの。


やっぱり「がっかり」=「ゼンマイ」


おもしろいのは……


淡島千景のまん前を、コードが横切っているところ……

小津作品ですので、ミスではない。ありえない。


彼女の心が、池部良から離れつつあるのを示しているのか?


アイロンの電源は、電燈からひっぱってきているようなのですが――


なにこれ↓↓

どういう構造をしているのか??


コンセントがくっついているのか??

わからないことだらけです。



↓この照明の当て方がなんかたまらん感じがします。


「風の中の牝雞」に似てますが、

瞳にキャッチライト、というのは今までありましたかね??


キャメラの厚田さんの工夫だろうな。


食事の支度ができていないので、

ぶんむくれて池部良は「雷魚」の住むアパートへ行きます。


池部良の家の裏手にアパート群があるようです。


大好きな「たらい」「洗濯物」「モダン建築」――


どうも、「雷魚」須賀不二夫の部屋は

みんなのたまり場になっているようです。


池部良が夜が遅い、というのはこの部屋で麻雀をしているから。


おなじみ「蚊取り線香」=「ゼンマイ」


高橋貞二が「カミさんが電気洗濯機を欲しがっている」

といいます。


電気洗濯機も「グルグル」→「ゼンマイ」なのでしょう。



廊下は「東京物語」の原節ちゃんのアパートに似てます。

三輪車まで似てます。


岸恵子登場。


「紅一点」というのは、

なんか戦前小津作品の学生ものを思い出させます。


たいていヒロインは田中絹代なんだな。




はぁーー

いい映画だ。

岸恵子かわいいし。


なぜコイツが過小評価されているであろうか!!


その2につづく。


小津安二郎「早春」感想 その2

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感想 その2


ノンちゃん(高橋貞二)の職場はガソリンスタンドであるらしい。


なんかオサレなショット。


小津安っさん、ブリヂストンが相当お気に入りらしい。


「東京物語」の原節ちゃんの職場にも

ブリヂストンのポスターとタイヤがあった。


まー ○ が撮りたいんでしょうねえ。




池部良、重病の「三浦」をお見舞いに行く予定でしたが、


岸恵子たんから電話がきて、急遽とりやめ。

男同士の友情より女の子をとったわけです。


初期作品から一貫して「男の友情」を描いてきた小津安っさんにとって、

これは許しがたい行為でしょう。


池部良の「杉山正二」というキャラ、

ひょっとして、小津安二郎の考える「一番イヤなヤツ」なのかもしれない??


ただ――「ショウジ」という

「戸田家」以来の男性主人公の

由緒正しい名前を引き継いでいるわけですが。



で。その夜。

岸恵子と池部良のキスシーン。


これが「ゼンマイ」「ぐるぐる」だということは

『「東京物語」のすべて その1』で触れました。



しっかし、


岸恵子のスピード感とキビキビした動き……



いい役者ですなーー



が、いいところで邪魔が入る。


チューするはずみでブザーを押しちゃったというオチ。


初期サイレントの「朗らかに歩め」で、セクハラされた川崎弘子が

ブザーを押して難をのがれる、というのがあったっけ。

あと、ブザーというと、

「戸田家の兄妹」で三宅邦子の若奥様がブーブーやるのがおもしろかった。



で、なるようになっちゃって――

翌朝。


なんですが、なんつーか「淫靡」な雰囲気はなくて、

あくまで「小津調」なのね↓↓


「早春」がいまいちウケなかったのはこういうところもあるのかもしれない……

などと考えたりします……

ようは、

「小津には戦後の風俗は描けない」というような批判ですけど……


60年近く経ってしまった今から見ると

すごーく新鮮な気がする。

まーこれは人それぞれでしょうが。


ようはテレビドラマだのなんだので、

ポルノまがいの猥雑な画面にもう飽きてしまっているわけです、

わたくしなんぞは。



はい。時計の「ゼンマイ」を巻きます。

もちろん自動巻きじゃないわけです。


セリフは

「支度しようか。そろそろ時間だ」


「時間」という小津作品最大のキーワード。



いいですねーー

はずみでヤッちゃった二人が、翌朝なんかよそよそしい雰囲気、

というのがよくでてる……


スチル写真で、

二人が肩を並べているショットとかありますけど、

(DVDのカバーに使われてたりする)


実際の映画は一切イチャイチャしてません。


でも逆にそれがエロくもある。わくわく。

「早春」がつまらん、というヤツはガキだな、ガキ。



また、瞳にキャッチライト↓↓


このテクニック。「早春」以前にあったかな??

今まであんまり注目してませんでした。


そもそもいつ頃からあるんだろ??


邦画でいうと、クロサワの「赤ひげ」

二木てるみちゃんの瞳にライトをあてるというのが印象深いんですが……


まー「ブレードランナー」のオレンジ色の瞳、

なんてやつもありますが……



かっこいい構図↓↓


池部良は靴下をはいています。

お気に入りの「靴下はき」という行為。


あと、「鏡」という文学的な小道具。


なにもかも完璧なショット。



――なのだが、「一泊いくらなのか?」

「宿泊費はやっぱり池部良が払うのか? カネなさそうだが」

等々、余計な心配をしてしまう……


また瞳にライト。↓↓

静止画にすると若干不気味ですが。



表情がくるくる変わる。

あーあ、もう何作か、小津作品に出てほしかった。岸恵子。



一方その頃。蒲田。

「振り子時計」のショット。


浦辺粂子がタバコを吸う姿が妙に粋です。


淡島千景との会話は、競馬だか競輪だかのはなし。


ちなみにウィキペディアで「浦辺粂子」を調べると、

小津安二郎に教わって競輪をはじめて、以来ハマったとかいうことが

書いてあります。

「全日記小津安二郎」には競輪の話がちょこちょこ出てきます。


あーあとそうだ。

「麦秋」のアヤちゃん(もちろん淡島千景)のセリフ。

S60

「――幸福なんて何さ! 単なる楽しい予想じゃないの! 競馬に行く前の晩みたいなもんよ。明日はこれとこれ買って、大穴が出たら何買おうなんてひとりでワクワクしてるようなもんよ」


これも思い出したいところです。



池部良が、帰ってきて、奥さんの淡島千景に言い訳。


病気の三浦のとこに寄って……とか、いってる。


「国からおっかさんきててさ、泣かれちゃってさ」


「泣かれちゃって」が、ううう……


いいなー、うらやましいなー、というところ。


で、


田中春雄がミルクスタンドへ。


会話は、最近、スギ(池部良)と金魚(岸恵子)がアヤシイ……

というもの。


しっかし、日本酒か焼酎しか飲まなそうな

田中春雄がミルクスタンドというのが、いい。


あと……「ミルクスタンド」という響きがいい。

たまに都内とかで見かけますが。


「早春」の杉村春子はチョイ役です。

あんまし目立たない。浦辺粂子の方が目立ってるな。



自分の亭主(宮口精二)が昔、女を囲っていたといって

淡島千景の不安をあおる、という、役。



はい。また瞳が光ります。


光らせるのは片目だけですね。

淡島千景にしろ、岸恵子にしろ。



しかし。

宮口精二、そんな…女囲うほどの甲斐性があるのかしら??


どうも借家住まいっぽいしね?

と観客は思います。


かつお節をガリガリやっているところ。

こういう単純な動き、好きねー、小津安っさん。


で、兵隊の会のシーン。


ここは加東大介も池部良も、

もちろん、監督の小津安っさんも戦場に行って帰ってきた人なので、

妙な凄みがある。


「戦争未亡人」という「東京物語」以来のモチーフが登場。


ですが、この会で語られるのは、

彼らの戦死した仲間の奥さんが、

御徒町の煮豆屋の後妻にいって、元気そうだった、というもの。


「あいつも浮かばれねえな」と一同がっかりします。


「戦争未亡人は再婚するな」といわんばかりの男性中心主義。

男連中の気持ちはわかりますが……


彼女には彼女の生活というものがあるでしょう。

もちろん、

小津安っさんは、この兵隊たちのだらしなさを容赦なく描いて、

彼らの「男性中心主義」を相対化することを忘れません。


フェミニズム的に見ても、当時としては大したものなんじゃなかろうか。




で、

池部良、そのあと、

酔っぱらった加東大介と三井弘次を家に連れてきます。


「勝手についてきた」とかいいますが、アヤシイもんです。


このシーンは、

淡島千景がおそろしいほどキレイです。



酔っ払い二人と淡島千景。


ここもいいな。

なんとなく険悪な雰囲気の夫婦の家庭に、

酔っ払い二人がまぎれこんで……という……





で、重要なやりとりがあります。


「ねえ、明日どうするの?」

「なんだい」

「坊やの命日よ」

「ああ、そうか」


池部良が、息子の命日を忘れていて

淡島千景はそんな彼に完全に愛想をつかす、という……



翌朝、

「どこで会う?」

「だって時間わかんないでしょ」


時間、時間、時間、できっちりなにもかも進んでいた「麦秋」に対し、


「早春」では、もう「時間わかんない」という状態になってしまっている。


高橋貞二も「がっかり」=「ゼンマイ」を経験しています。

奥さんの妊娠です。


「だってないんだもん。もうあってもいいのに」

「そんなはずねえのにな」


一方、浦辺粂子のおでん屋さんでは


菅原通済が小津作品初登場。



淡島千景が

「あんなのが兵隊だから日本敗けたのよ」

と痛烈なことをいって、

男性中心主義をやっつけます。


で、例のミルクスタンドでは男どもが

査問会を開こう、と悪い相談をしています。


アヤシイ仲の スギと金魚をいじめてやろうという算段です。



その3につづく。

小津安二郎「早春」感想 その3

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その3。


ミルクスタンドから「うどんの会」の誘いの電話がきて、

「ああ。いくよ」

と返事をした池部良でしたが……


直後、部長の中村伸郎からお呼びがかかりまして、

三石へ行かないか?

と転勤の話がでます。



その直後、タバコの箱をくるくる回して考え込む↓↓

このショットには池部良ご自身の証言があります。


 岸恵子氏扮する「金魚」との出会いが、ついに岡山の三石へ転勤する原因になり、言い渡された日憤懣やる方ない思いで自分の机に戻り、アレコレ考えあぐねている場面、これは「早春」のラスト近いシーンなのですが、小道具ナントカひねくりまわして芝居するのは下品と低能のやる芝居だと、いつの日かぼそりと言われたのを(トマス注:小津安二郎が言ったのを)思い出しながら目の前に据わるカメラと先生の視線を受けてタバコの空箱を両手の指先でグルッとまわす芝居を始めました。

 空箱を手にするのは先生の指示で、僕の意志ではなかったのです。余程ウマク出来ないので空箱でも持たせて「モタせてやれ」とでも思われたのでしょう。だが日頃の「教訓」とチと違うじゃねェかと胸の中では可成りの抵抗を感じました。だから、肝心の芝居はずっこけて何辺やっても先生の気に入らなかった様です。永い時間をかけて何度もやらされました。ついに険しい顔つきになり「うまくないネ。貸してみろ。考え考えまわしているんだよ。良ベエみたいにクリクリまわしちゃ、折角の空箱が泣くヨ」と自分で空箱をまわし始めました。実に見事なまわし方なので、以来畏敬そのものの先生になってしまいました。決して抵抗はすまいと心から決めたものです。

(蛮友社「小津安二郎 ―人と仕事―」239ページより)


池部良は 他社の俳優ということもあって

小津作品は「早春」一本きりでしたが、

「良ベエ」なんて呼ばれていることからわかるように、

小津安っさんとは頻繁につきあいがあったようです。

(日記にも頻繁に登場します。池部良はもともと監督志望だった、ということも大きいでしょう)

このショットは、トマス・ピンコのような小うるさい野郎がみると

「この映画を支配している回転運動がこのショットにあらわれているのだ!」

ということに当然なるわけですが、


で、小津安二郎その人も当然そう考えていたとおもうのですが、

俳優に指示を出すときはそこらへんのリクツは説明しない、

というのがすごいなーーなどと思った次第。

(池部良くらいのインテリなら理解できた、ともおもえるが)


ついでに書きますと、

俳優さんに指示を出すときに、上記の証言のように

小津安二郎自身が演技をして見せる、ということがあったようですが、

それがものすごくうまい、

超一流の俳優になれただろう、

というのはいろんな役者さんが証言していること。


もとい、

このショットは池部良のベストショットでしょうな。

「早春」の回転運動の中心点がこのショットかもしれない。



「雷魚」の部屋で、「うどんの会」がはじまります。

スギ(池部良)は「行く」といっていたのですが、

転勤話がでたこともあって、重病の三浦のお見舞いに行きます。


ので、きたのは「金魚」(岸恵子)だけ。

けっか、女の子一人を野郎どもが集団でいじめる、というシーンになります。


「スギには奥さんがあるんだぞ」とか

「奥さんの気持ちを考えろ」とかいっていじめます。



ただ、ひねくれ者のトマス・ピンコは

岸恵子たんが 野郎どもと一緒にeatしていることに注目するのであった。


小津安二郎作品の法則によれば――

①一緒に「食べる」のは家族だけ

②家族ではない間柄は一緒に「飲む」

③ただし、男たちの集団は一緒に「食べる」ことがある。

④また、将来結ばれる仲の男女も一緒に「食べる」


こんな法則がある。なのに岸恵子は一緒に食べている。


さて、何なのか?


んー、「ま、どんな法則でも例外はあるのさ」

ということでいいとおもうんですけど、


わたくしは、ここ、岸恵子を「少年」の一種として扱っている、とみてみたい。

ここは「麦秋」のガキどもがサンドイッチを食べているあのシーンみたいに、

男の子たちがうどんを食っているのだ、とみてみたい。


なぜそんなひねくれた見方をするかというと、

このシーンは稚児事件の再現ではあるまいか?

とにらんでいるから、です。


小津安二郎関連本ではよくとりあげられる「稚児事件」――

「小津安二郎 ―人と仕事ー」によれば、


大正9年(17歳)

奇怪なる「稚児事件」なるものが校内に発生し、

それに関連ある者とされ、五年一学期の終り頃、停学処分をうけ、

特ににらまれていたT舎監から寄宿舎も追い出される。

これはかなりのショックで、生涯無実である憤懣を秘めていた。

以降自宅からの汽車通学となる。

が、そのほうが映画見物には便利となり、

ますます熱をあげることになる。

(同書429ページより)


という、なんかよくわからん事件です。

真相は、かわいい下級生(もちろん男の子)に手紙を渡しただけだ、とか……

いやいや、ある女の子との交際を妬まれて、冤罪事件をでっちあげられたのだ……とか、

たしかなことは、小津安っさん、

このT舎監というのを一生恨み続けた、ということです。


もとい、

「稚児事件」と「早春」のうどんの会。

「性的な不品行を理由にいじめられる、怒られる」

という点であまりといえばあまりに似ている……


小津安二郎自身が、この事件に関しては口を閉ざしているので、

あくまで推測になってしまいますが、


この事件で「不良」のレッテルを貼られることがなかったら、

あるいは小津安二郎という男は、

フツーに大学へ行って、フツーに会社勤めして、フツーに家庭を持っていた、

かもしれない??


ここで「不良」になってしまったからこそ、

映画業界、というヤクザな業界へ入ったのかもしれない??


等々考えますと――

「早春」という作品はやっぱり奥が深い、とおもえて仕方がない。


「迷惑よ! とっても迷惑だわ!」

と叫んで、出ていく岸恵子。


捨てゼリフがお上品だ……



いじめには加わらず、傍観していた高橋貞二は、

「おまえたち、ずいぶん意地悪いな」

と批判します。


一方の池部良。

三浦のお見舞いです。


スギは会社員生活に嫌気がさしているのですが、

重病人で寝たきりの三浦は、会社員生活に憧れつづけています。


このあたりの皮肉。


小津作品の登場人物は、

病人(とくに子供)はケロッと回復することが多いし、

死んでしまう場合も、

けっこうポックリ死んじゃうことが多い。

この「三浦」という病人はかなり珍しい例です。


夫の帰りを待つ、淡島千景。

このショットもとんでもなくキレイ。



で、きたっ!!

「ゼンマイ」回し!!


目覚まし時計のゼンマイを苛立たしげに巻きながら、

金魚さん(岸恵子)がうちに来た、といいます。


「会いたそうだったわよ、あんたに」

「泣いたあとみたいな顔してた」


泣いた、というのはもちろん、前回ご紹介した池部良の

「泣かれちゃってさ」というセリフに対応しています。

もちろん、なにがあったか気づいているわけです。


手を洗う池部良。

水まわりの設備というと…


「晩春」のS36洗面所のシーン。

原節子と宇佐美淳の自転車デートのことを

笠智衆が

「自転車、二人で乗っていったのかい?」

などときくのを思い出します。

原節子は「まさかぁ」と否定するわけですが。


ちょっと性的なニュアンスがあるやりとりのときは

かならず水まわりの設備が登場するようです。


んーー、なにげにすさまじいショット。


で、瞳がキラッ……


おなじみキャッチライト。



で、靴下を脱ぐ、という、これまたお気に入りの行為。


池部良は三石への転勤のはなしをします。


淡島千景は転勤話に乗り気です。

「あたし行くわよ」


このあたり、次作の「東京暮色」

北海道への転居をいやがる山田五十鈴と対照的です。



と、かわいい岸恵子の声がしまして、

池部良が玄関へ。


はい。画面のどまんなかに「うずまき」


淡島千景と岸恵子が同一空間にいる唯一のシーン。


なのですが、明らかに淡島千景の方が精神的な優位を感じているようです。





はい。うずまき。




ここは、「晩春」の△を思い出したいところ。

笠智衆、原節子、三宅邦子、の△です。


原節子と三宅邦子は、同一ショット内に一緒に写ることはなかった。

あったとしても、ボンヤリ背中だけが写っているだけ。


「早春」もやっぱり同様で、

↑3枚上のショットは岸恵子の背中がボンヤリ。

↓このショットは淡島千景の背中が半分切れている。



で、大好きな足裏を写す。


淡島千景の証言も紹介しましょう。


「早春」の撮影で忘れられないシーンは、私が一人で帰らない夫の事を考えながら台所の板の間に腰かけ、うちわを使っている姿を真後から撮られた時です。私としては大きなお尻をいささか照れておりましたが、ドッシリと奥さんの重みというものを感じさせるためと云われ、なる程家に根をおろしているという感じで、もっと大きくてもいヽなと思った事。ラスト近くで夫が転勤した先へ追いかけて行き下宿先の二階から外を眺めているカットで、ライトにカーボンをたいた時、私達の先輩は皆これで撮影をしていたと教えて頂いた事等。「早春」は私にとっていろいろな意味で大事な作品です。

(同書239ページより)


世間的な評判はとくに良くはなかった「早春」ですが、

ヒロインの淡島千景にとっては

やっぱり自信作だったのだなーとおもえます。


しかし――お尻が大きい、とか誰もおもいませんって。

女性の心理というのはわからん。


土手、かな?

岸恵子が池部良に抱きつきますが、引き離されます。


「帰れよ」

「帰ったって寝られやしない」

というようなやりとり。


で、とくに何事もなく、

池部良、うちに戻りますが、

このショットがなにげに凄まじい……

というか、なぜ、誰も気づかないような部分に凝るのか……↓↓


引手ですがね……


これがなんと、まー

片目だけ光ってる……


瞳にキャッチライト、をここでもやってる……


なんだこの、凝りようは……


というか、公開から60年間、誰も気づかんだろ……きっと。



えー、で、

淡島千景、「金魚さん」との仲を問い詰めます。


「あたしぼんやりしているようでも、ちゃんとわかってんのよ」


と、シチュエーションが「お茶漬けの味」の真逆。

「お茶漬け」では

「ぼんやりしているようでもわかってる」のは

夫の佐分利信でした。


のらりくらりはぐらかす池部良でしたが、

証拠物件――


紅のついたYシャツを持ちだされては言い訳できません。



で、かっこいいセリフ。

「あたしが邪魔だったら、いつだってどいてあげるわよ」


――はい。

ここもすごい。

フツー「別れる」とかなんとかそういうコトバを使いがちなところですが、


「どいてあげる」という「空間論」に持っていくわけです。

さすが、小津&野田のシナリオは一味ちがいます。





はぁぁぁぁ…………


つくづく名作です。

その4につづく。


次回で終わるかな。

小津安二郎「早春」感想 その4

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で、翌朝

起きてみると奥さんがいない。


振り子時計、ちゃぶ台、明治乳業の箱、一升瓶……



会社にちょっと遅刻。

すると、「おい、三浦死んだぞ」と知らされる。


朝起きて、会社へ行って、で、三浦の話題。

と、オープニングの繰り返しです。


ただし、すべて悪い方悪い方に転がっている。

「ゼンマイ」「うずまき」=「がっかり」です。



転勤、いやなら断れよ、と同僚にいわれる。

「組合」というものがある点、戦前の会社員物とは違います。


(「東京の合唱」とか即座にクビになってたりした)



で、お葬式がありまして



アパートの光景。

淡島千景は、中北千枝子のアパートにいることがわかる。


提灯がうずまき。

あと、「東京物語」、東山千栄子が泊った翌朝のシーンの引用。


ドキッ……

とつぜん、中北千枝子のセクシーショットなどがありまして……

(小津映画で女性の下着姿というのは?? あったっけ?)


「死」(葬式)と「生」の複雑なコンビネーション。


そういや、水久保澄子が戦前、「玄関番とお嬢さん」とかいう映画で

こんな格好でバタバタ暴れまわっていた、とか思い出す。

(YouTubeでチラッとみただけですが)


小津安っさんも水久保澄子のあれ、

思い出していたか??




ストッキングを脱ぐ、という行為。

大好きな(?)靴下関係のショット。



(三石に)行きっこないわよ、と淡島千景はいっている。


逆にいうと、三石へ行ったからこそ、

淡島千景は池部良を見直したのでしょう。



淡島千景は行きっこない、というのですが、

次のシーンが、お得意のパッキングシーン。


あー三石行くのね、と観客に一目で分からせる。


こういうことをサラッとやるのはけっこう難しいものですよ。

一瞬で事態を理解させる、というのは……


フツー、セリフで語らせちゃいますからね~

画像ではなく……


と、金魚(岸恵子)が来たので、ノンちゃん(高橋貞二)は退席。


「金魚」のことがあるので、転勤するのかな?

とうすうす気づいてはいるのですが、

それをいちいちいわないノンちゃん。いい奴。




「あんた転勤するんだって?」


このシーンの岸恵子は両目ともキラキラしています。

ネックレスもひかります。


光の当て方としては、「麦秋」のS91

原節ちゃんが「お兄さん、また子供叱ったの?」


あれに似ている気がする。



「だまって行っちゃうつもりだったの?」


と、「行く」というコトバ。

空間論。



「会って謝りたいとおもってたんだ」


「逃げてんじゃないの。こないだから逃げてんじゃないの」



で、ひっぱたきます。


このモーション。相当本気のビンタ……


で、出ていく岸恵子。


の横で、例の片目キラッ! の引き戸。


芸が細かすぎる……

気づきませんって……誰も気づきませんって……


で、五反田のおでん屋。

池部良、浦辺粂子に

「とにかく、あさっての晩発つことにしました」

と報告。



すると、入れ違いで淡島千景がやってくる。


「おまえ、そこで杉山さんに会わなかったかい?」


もちろん、「麦秋」の杉村春子のセリフ――

「お前、そこで紀子さんに会ったろう?」

の引用。


○の映画、「麦秋」では二人は会いますが、

うずまき映画、「早春」では二人は会いません。



で、例の雷魚の部屋で、スギのお別れの会。

「蛍の光」なんか合唱して……かわいすぎる……可憐だ。


田中春雄がうたってる……須賀不二夫がうたってる……



ん、というか…………

左はじの子……


この眼帯の子がずっと謎だったんですが、↓↓

(一切説明されない……)


ははぁ……もうおわかりですね。

瞳にスポットライト。

片目キラッ!!

あれを示しているわけですね。

(誰も気づかないって!!)


眼帯とは、まー……

「片目キラッ!」映画のしめくくりにふさわしい。

(まだ終わってないですが、岸恵子はこのシーンで最後)



で、岸恵子登場。


みんな驚いとる。驚いとる。


岸恵子も可憐。

「いよいよ行くのね、握手!」


もう、戦前のサイレントみたいな可憐さです。

「友情の鉄拳だ!」みたいな。



たぶん、当時の観客が「ついていけねーよ」とおもったのは

このあたりかしら??


「なに青春してんだよ??」みたいな。


でも、60年後の我々は――



「眼帯の女の子」を強引に、いっさい何の説明もなしに突っ込む、という……



小津安っさんの強引さ、過激さ、意味の分からなさ、に感動するのであった。


んんーー……


どう考えても、小津安二郎、

後年のビデオ装置の登場、

それから「オタク」の登場を予期していたとしかおもえない。


「巻き戻し」「早送り」「一時停止」ボタンがないと

あんたの「暗号」の答えなんか絶対わからんぞ。


んんーー……

眼帯の意味、理解できた人がわたくし以前に誰かいるのか??


ここは「麦秋」のパンとレールに匹敵する

ものすごい暗号の突っ込み方だとおもう。



「早春」はスゴイ。

すごすぎる……

超絶傑作だ……


にしても、このシーンの

岸恵子たん、最高にかわいい……


で、大津。瀬田大橋。


池部良が笠智衆に夫婦喧嘩の原因を語ります。


笠智衆という人は「風の中の牝雞」でも、

佐野周二から夫婦の間の秘密を告白されていました。



で、やってますやってます。


今度は笠智衆がタバコの箱をグルグル。

銘柄もおなじ Peace


二人のかたわらをボートが通り過ぎていきます。


汽車とおなじ、力強い直線運動。



笠智衆いわく

「いろんなことがあって段々本当の夫婦になるんだよ」


「晩春」の曾宮周吉と同じことをいいます。



で、三石で働いてる池部良。


小津作品の空間移動というのはけっこう暴力的です。

「東京物語」冒頭なんかは分かりやすい例で、


尾道のシーン→カット→東京(おばけ煙突)


関西から関東へとつぜんワープします。

かなりぶっきらぼうです。


で、退勤後。どこも寄らずに下宿に帰る池部良。


靴下(また!!)を脱いで、部屋を見回すと……



淡島千景の服が……


二人の再会のセリフがいい。



「こんちは」

「おう」


このシーンの淡島千景。

両目がキラキラです。


前回の記事で、淡島千景の証言……


三石の下宿から汽車をみつめるところで

カーボンライトを使ったというのですが、


両目キラキラのためにカーボンライトを使った、ということなんでしょうな。


カーボンライトって何なのかよくわからんのですが。

グーグルで検索したところ、

エジソンの作った電球(カーボン電球)とかいうもので、


そんなに明るくないものらしいのですが……


とても良いモノらしいな、というのは

このショットをみただけでわかる↓↓



「すまなかった」

「もう、なんにもいわなくっていいの」


「もういわないで!」


両目キラキラの淡島千景がこのセリフ……

もうたまらないっす……



ゼンマイ巻いてる池部良。


「あ、いくわ。汽車」


今度は片目キラッ!!


興味深いのは、ですね。


小津作品には「都落ち」テーマがけっこう多いのですが、

(「東京の合唱」「麦秋」、「父ありき」も、まあ、そんな感じか)


「都落ち」したあとの姿はフツー描かれないわけです。

「麦秋」……秋田へ行った後の間宮紀子の様子は

観客が想像するより他ない。


ところが、「早春」だけに関しては、

「都落ち」したあとに重要なシーンが待っている。



あと、汽車を見送るシーンも小津作品に多いのですが、


池部良、淡島千景が見送るこの汽車には

とくに誰が乗っているわけでもない。


彼らの知合いは乗っていないわけです。


そこんとこもおもしろい。


で、ははぁ……


二人とも手をゴニョゴニョやってる……


「手をゴニョゴニョ」

これは、「恋」のしるしだということは

小津のサイレント時代からの伝統……


淡島千景が夫をチラッと振り返る姿が、もう……


んんー等々考えると、

誰が乗っているわけではない「汽車」は

何の象徴かというのは一目瞭然なわけで……

(あ、あとギンギンに突っ立った煙突ね……)



ラストは一見しんみりしているんですけど、

よくみると、相当にエロい……


はい。うらやましくなったところで、

「早春」の感想、おしまいでございます。

ZEISS MAKRO-PLANAR T*2/50mm ZF.2 感想

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とうとうカールツァイスである。

泣く子も黙るカールツァイス。

ニコン使いのオレちゃんが、

まさかカールツァイス使うようになるとはねぇ…………

こんな日が来るとはねぇ…………


ありがとう、コシナさん。

(カールツァイス作ってる日本のメーカー)


□□□□□□□□


え、さて、

いままでニコン製のレンズしか使ったことのないトマス・ピンコ。


初カールツァイス。やっぱし標準レンズがいいだろう、と

当初は PLANAR T*1.4/50mm

を買おうとおもっていたのだが、


マクロプラナーがどうやらあまりに評判がいいようですので、

奮発してマクロプラナーにいってみました。

プラナー50㎜の約2倍の価格ですが……


はたしてその価値はあるのか?

以下いろいろ撮ってみました。


いや、その前に――


こんなかっこええ箱に入ってます。

「コシナ」の名前はどこにも入っていません。

いいのか、悪いのか?


ニューFM2に装着してみたところ。


重量感。

ザ・金属という(なんじゃそりゃ?)質感。

たまりません。

物騒なはなしですが、

ピストルいじってる感じ。


プラスチックだらけのいんちきカメラ(およびレンズ)とは

この日本生まれ、ドイツお嬢様は、まったく出自が違うようです。


あ。重量感、と書きましたが、

「お、重い……」というのはありませんです。


扱いやすい重さです。

ただ僕はけっこう腕力があるほうなので、アテにはしないでください。



す、すごい……

とおもいましたのは、

レンズに数字ありますでしょ。

あれプリントじゃないの。


数字を彫って、そこに塗料を流しこんでる……

スゲー……安っぽいところがどこにもない……


今まで完全ニコン党だったが、

この完璧な質感をみると……うーむ……


□□□□□□□□


以下、マクロプラナーでいろいろ撮ってみました。

カメラはニコンD800です。

画像はまったくいじってません。撮って出し、です。


虫嫌いの方にはもうしわけない――

シボリアゲハ。


ブータンだのミャンマーの奥地だのにいるそうな。

そこらへんにいるアゲハよりちょっと大きいちょうちょ。



ここまで近寄れる……

24cmまで近寄れる、とか。


あ。ちなみにわたくしマクロレンズ使うのはじめて。


こんなに近づいて撮れるの??

とけっこう驚きました。



ぬいぐるみをちょろっと撮っただけで、

なにやらゲージュツ的な雰囲気。


これはいいです。


ここらへん、専門用語でなんというのか知りませんが、


シャープに写って欲しいところはシャープに、

ボケてほしいところはきれいにボケる。


このバランスが……ボケとシャープさのバランスが

なんとも絶妙な気がする。


部屋の中の小物をちょろっと撮っただけで、

なんかいい雰囲気の絵になってしまうとは……



奮発してよかったーー


ブーツもやけに艶めかしく写る。

Redwing9022




以上、マクロレンズとして使ってみましたが、

ポートレート用としても優秀なようです。


ゆり坊。


やっぱしボケの雰囲気に品がある。

などとおもうトマス・ピンコであった。


ああ、そうそう。

もちろんマニュアルフォーカスです。


しかし個人的にはニューFM2で

さんざんマニュアルフォーカスの鍛錬は積んでいるので、

まったく苦にならない。


AFしか使ったことない人は苦労するかも。



あと、マクロ側(近接撮影)ではけっこうシビアなピント合わせが要求される。


のですが、

ポートレート、風景撮影ではそれほどシビアではないようです。


んーというか、マクロレンズってそういうものですか?

ふつう?




さいごに

赤ん坊、など。


甥っ子です。


生後そろそろ三か月。


やわらかな描写がたまらん。いいレンズ!!


お手手も

ここまで近寄れるのであった。


ただ……

今は動かないからいいけど。


動くようになると、マニュアルフォーカス、キツいかしら……


ゆり坊+赤ちゃん。


結論……


これはスゴイ。カールツァイス。マクロプラナー。


悪いけど、手持ちのニッコール50mm

お役御免……(す、すまん)


今回はずっとウチにこもって撮りまくりましたが、

そのうち外に持ちだして撮ってみたいとおもいます。


風景写真などどう撮れるのか?

案外、風景はダメだったりするのか?

やっぱり良いのか?

楽しみです。

「女医絹代先生」(1937)感想

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野村浩将監督作品 「女医絹代先生」の感想ですが……


ま。わたくしのことですので、

けっきょく小津作品の感想になっていく、とおもいます。


いえ、すみません。

「おもいます」とかじゃなくて、

以下、小津安二郎作品とはなんなのか? という考察です。


□□□□□□□□


そもそも

山内静夫著「松竹大船撮影所覚え書 小津安二郎監督との日々」

という本を読みまして、

(ちなみに 愚書。超愚書。役に立つ情報が何ひとつない。文章もド下手)


↓こんな可愛らしすぎる写真をみてしまったのが運のつきで、


(つくり笑顔とかじゃないのが逆にかわいすぎる……)



で、調べたらDVDが出ている、というので早速買ってしまった次第。


わたくしとしても絹代たん見たさに買っただけなので、

内容はたいして期待してはいなかったのですが、


これが――なんと、けっこうおもしろかった。

愛すべき逸品です。


□□□□□□□□


感想①小津が使わなくなったキャスト達


はい。

初期小津作品にはよく出てたのに

トーキー以降出てこなくなった役者さんが何人か出てきて、

おもしろいです。


↓あ。タイトルの下の「∞」のマークは

小津安っさんデザインの監督協会のマークです。


「土橋式松竹フォーン」


――小津安二郎は1936年、茂原式トーキーで「一人息子」を撮りますが、


1937年の(つまり、「女医絹代先生」と同じ年)

「淑女は何を忘れたか」以降、この土橋式、です。




えーキャスト、キャスト。


戦前の伊集院光、こと

(トマス・ピンコ勝手に命名)


大山健二が登場します。


この人、小津安っさんの学生ものには頻繁に登場していたのだが

とんと出演しなくなったので、

「あるいは……」「太ってるし、な……」

とかおもっていたのですが、


ちゃんとトーキー時代まで生きていた!!(失礼な!!)


役どころとしては、

絹代ちゃんが佐分利信と結ばれるんですけど、


その佐分利信の親友役。

んー、というか、トーキーになっても「学生役」なのね……


坂本武は絹代ちゃんのお父さん役。


ま。説明するまでもないですが、

一連の喜八ものの主役。

でも、トーキー時代では完全脇役になってしまって、

戦後は二作品のみ出演、という。


ちなみにこのシーンは↓↓


坂本武は漢方医なのですが、患者の病気の正体がわからず。

で、けっきょく娘の絹代ちゃんに教えてもらう、というあたり。


谷麗光が大活躍、というのもたまらなくうれしい。

「出来ごころ」の床屋さんといい、

「浮草物語」のとっつあんといい、


雰囲気ある役者だな~とおもっていたのだが、

トーキーでは「戸田家」の写真師、「父ありき」の教師役、

とちょい役でしか出てこない。


あ。

役どころは女医の絹代ちゃんに憧れる金持ちのボンボン。


でも絹代ちゃんが佐分利信が好きだ、と気付くと

あっさり身を引くいい奴。


で、肝心の田中絹代。


この人もやっぱし、「小津が使わなくなったキャスト」のひとりでしょう。


もちろんトーキーでは、

「風の中の牝雞」「宗方姉妹」「彼岸花」に登場します、が。


サイレント時代は

小津のヒロイン=田中絹代

といってもいいくらい、出演してたからなーー


んー、というか、お医者さんに……

このサテン地みたいなてらてらした生地の服というのは??……



えーここらであらすじをざざっと説明しますと……


絹代ちゃんと佐分利信は二人とも医者の家の出身で、

で、両家は代々いがみあっている、と。


だけど、絹代ちゃんと佐分利信は

やっぱりいがみあっているようで、

でも、おたがい惹かれあっていて、

という、ロミオとジュリエットパターンのおはなし。


ま、これだけ書けばあとは誰でも想像できますな。



で、わたくしが見初めました(?)

クルマのシーン。


クルマはダットサン、ですね。


絹代ちゃんは開業医としてバリバリ稼いでいて、

で自家用車も持っているのですが、


佐分利信は大学病院勤務かなにかで、うだつがあがらない。


ここらへんの対照もおもしろいところです。





両家のいがみあいのせいで、

お互いに好意を持っているのですが、うまく伝えられず、

素直にもなれず。


で、絹代ちゃんも佐分利信も恋煩いに苦しむ。

で、気分転換にスキーに出かける。

で、まことに都合よく、ゲレンデで出会う、という展開なわけですが。


田中絹代の親友役、東山光子。


小津の「若き日」の感想でも書いたが、

この頃のスキーウェアかっこよすぎる。


大山健二の格好もオサレだぞ、おい。

なんかこのままバイクにでも乗れそうな感じ。


絹代たんのスキーウェアもかっこいいのであった。


独逸の戦車兵の制服のルーツは

スキーウェアであった、


というのもいつだったか当ブログで書きました。


胸のポケットがなんとなくミリタリーっぽい。



ま、タイトルでもお分かりの通り、


大スタア田中絹代ありき、な映画ですので、

衣装がくるくる変わります。


んー、というか、

もし、もしですよ。

自分の家族の容態が急変して、


で駆けつけてきた女医さんがこんなヒラヒラした格好だったら↓↓


……僕ならぶん殴りたくなりますけど、ね……



感想②小津が使わないテクニックの数々。


小津安っさんが使わないテクニックがたくさん出てくるなー

とおもいました。


ちなみに野村浩将ですが、

大ヒット作「愛染かつら」の監督。

1905年生まれ、1924年松竹入社。ですから、

1903年生まれ、1923年松竹入社の小津安二郎のちと後輩。


脚色の池田忠雄は、もちろん小津安っさんの親友。


日記を見ると、「池忠」の名前は頻繁すぎるほど出てくるし、

「浩将」の名前もちょこちょこ出てきます。

二人セットでの登場もある。


1935年3月5日(火)

夕方 池田忠雄 野村浩将 斎藤良輔と日本橋つるやにいたり お狩場やきを喰ふ


1935年3月21日(木)

清水 野田 浩将 池忠 荒田 良輔と小田原清風に行く


とかいった具合。


というように野村浩将は小津安二郎の周辺にいた人ですが、

あるいは「だからこそ」なのか?


小津っぽいことはまったくやっていません。


んー、というか、小津のやらないテクニックをひたすら詰めこんでいる気が……


□□□□□□□□


「女医絹代先生」

まずしょっぱな あからさまなタイアップ。

この映画、ダットサンのCMなのですな。


絹代ちゃんの乗るダットサンがしきりに写ります。

で、とうぜん、日産からスポンサー収入がはいります、と。


小津安っさん

戦後作品では「月桂冠」とか「サッポロ」「キリン」等々

広告塔 ポスターが良く写りますが、


厚田雄春さんによると、タイアップではなかった、とのこと。



冒頭は移動撮影です。


桜並木の下、学生服姿の絹代ちゃん。

背中をカメラが追います。


オープニングショットが移動とか、小津作品では存在しない気がする。

たぶん、ないよな。


あと、こういう「桜並木」みたいな

わかりやすい季節描写も、あんまりない。


絹代ちゃんのお着替えシーンはパン。


小津安二郎が大嫌いな「パン」



カメラが右を向くので、→→→


絹代ちゃんがブラウスを脱ぐところはみえない、という……


建物のわかりやすい全景を写す、というのも

小津安二郎はやらない。


「戸田家の兄妹」の戸田家は断片しか写らないし、

「晩春」の曾宮家、「麦秋」の間宮家は

外観がまったく写らない。


↓これは絹代ちゃんの家、漢方山岡医院。

わかりやすすぎる全景。


「俯瞰ショット」でもある。




佐分利信が勤務する病院。

めちゃくちゃかっこいいモダン建築。


んーー堀口捨己先生あたりか??……


はい、全景。



雪国の宿。これまた全景。


高田屋って 茂原英雄の実家じゃなかったっけ?

「若き日」を撮った??



えーまたまた小津安っさんのやらないこと。


佐分利信の死んでしまった父親なのですが……


死者の肖像がはっきり出てくる、というのは小津作品にないこと。


「戸田家の兄妹」「東京暮色」でははっきり出てきますが、

どっちの作品もわれわれは

生前の藤野秀夫、有馬稲子の姿をみているわけです。



で、俯瞰ショット。

これまた小津作品ではめったにお目にかからない。


佐分利信と母親の吉川満子の会話。


カメラは二人を見下ろしています。




これは……なんか凝った構図。好きです。


これも見下ろしています。俯瞰。


望遠レンズで見下ろしたのではあるまいか?

この遠近感のなさは。




これも俯瞰気味……そもそも、


小津作品の「寝姿」ショットが異常なのです。


寝姿を撮るときは必然的に「俯瞰」にならざるを得ないのですが、

それをどうにか回避しようとする。

意地でも回避しようとする。


その努力の結晶が――

「晩春」の原節子であり、

「東京物語」の原節子、であるわけです。


つまり、床面ぎりぎりの視点で、寝ている原節子をとらえる。


これも真横から。

なんかよく考えると異常なショット。


いままでまったく考えなかったが、

どうやって撮ったのか?


セットの床を取っ払って撮るのか????


「女医絹代先生」に戻ります。


力仕事を「うんうん」うなってがんばる、というシーン。


小津作品にはないなーー


小津作品の女性たちは 手ぬぐいを干す、とか、

ケーキを切る、とか、


せいぜいアイロンをかける、とか。


男どもも書類仕事をするくらいです。



で、ダットサンのタイヤは

通りかかった佐分利信が交換してくれたのですが……



夜、絹代ちゃんは昼間の佐分利信を回想して

うっとりしています。


はい。

小津作品には回想シーンは存在しません。


↓「自動車」「かばん」「歯を食いしばってがんばる男」

なんとなくフロイトっぽい感じがします。



それと、わかりやすい部屋のディテール。

これも小津作品にはない気がする。


なにがいいたいかというと、

↓↓このショット。


棚にたくさんのぬいぐるみ。

ようするに田中絹代は小児科メインでやっていきたかったのですが、

じっさいに病院に押しよせたのは

絹代ちゃんの美貌目当ての男性患者だったわけです。


ぬいぐるみは、

そこらへんの皮肉を問わず語りに語っている小物、部屋のディテールなわけ。


こういうの、小津作品にはない、気がします。

「晩春」の曾宮家の仏像、仏像の写真。

「麦秋」の間宮家のカナリア。

「東京物語」の平山家のひょうたん。等々……


どれも謎めいたディテールです。


あと……


こういう↓↓

肩をなめるショット、というのも小津安っさんはほとんどやらない。


記憶にあるのは――

「晩春」の原節子と三宅邦子が会うショット

「早春」の淡島千景と岸恵子が会うショット


どっちも三角関係をあらわすショットで、

なんでもない会話の場合はぜったいに使わない。


なので……

あの視線の噛み合わない異様な会話が生まれてくる、と。




えー、で、銀ブラシーン。


モダンガール二人。市電。ウィンドウショッピング……

と、まあ、戦前の帝都東京に憧れている

トマス・ピンコみたいなやつには、まあたまらんショットですが、


考えてみると小津安二郎。

こういう、雑誌の一ページみたいなわかりやすいショットは撮らないな。




まとめ。


小津安二郎と当時の売れっ子監督野村浩将

彼らのテクニックの違いをみまして――


マーシャル・マクルーハンの「熱いメディア」と「冷たいメディア」

の比較を思い出してしまったので、まず引用します。


熱いメディアとは単一の感覚を「高精細度」で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。電話が冷たいメディア、すなわち「低精細度」のメディアの一つであるのは、与えられる情報量が少なく、聞き手がたくさん補わなければならないからだ。一方、熱いメディアは受容者によって補充ないし補完されるところがあまりない。したがって、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い。だからこそ、当然のことであるが、ラジオはたとえば電話のような冷たいメディアと違った効果を利用者に与える。

(マーシャル・マクルーハン著 みすず書房「メディア論」23ページより)


勘違いしないでいただきたいのは「熱い」「冷たい」

どっちが優れている、というわけではないことです。

たんに……

「熱いメディア」→情報量が多く、利用者の参与性が低い。

「冷たいメディア」→情報量が少なく、利用者は情報をおぎなわないといけない。


……この区別を野村浩将と小津安二郎にあてはめると、


野村浩将

・移動、パン、俯瞰撮影→情報量が多い。

・建物の全景→情報量が多い。

・はっきりとした肖像写真→情報量が多い。

・回想シーン→情報量が多い。

・部屋のディテール→情報量が多い。


小津安二郎

・固定キャメラ→情報量が少ない。

・建物の断片→情報量が少ない。

・死者の肖像は不明、もしくは不分明→情報量が少ない。

・回想シーン無し→情報量が少ない。

・意味不明の部屋のディテール→情報量が少ない。


――ということになり、

野村浩将→「熱い」

小津安二郎→「冷たい」

となります。


言い換えると、


「熱い」「女医絹代先生」は、

いろいろな撮影方法を見ることが出来、

いろいろな表情のスタア絹代ちゃんの表情が見られる。

逆にいうと、

有り余るほどの情報がわれわれに与えられるため、

われわれ観客は想像力を働かせる余地がない。


「冷たい」小津作品は、

固定キャメラ一本槍で、

意味不明なショット、意味不明なディテールが多い。

逆にいうと、

情報量が少ないため、われわれ観客は創造力を働かせて、

情報を補完することができる。

観客が作品に参加することが出来る。



という感じ、です。


どうもこの問題は語り始めると、きりがないような気がするので、

さいごにひとつだけ指摘しておきますと……


小津のローポジションの固定キャメラ、ですが、

これに関しては

「子供の視点」だとか「畳の線が邪魔だった」とか

「床の配線を消すため」だとか

いろいろな指摘がなされていて、


で、どれも「正解」だとはおもうのですが、

「熱いメディア」「冷たいメディア」の視点からみれるのではないか?


つまり、

俯瞰、という上から見下ろすショットは

小津にとっては「熱すぎた」のではないでしょうか?

もちろん「移動」も「パン」も同様に「熱すぎる」


徹底的に冷たさを追求した結果が、ローポジション固定キャメラだったのではないか?

けっか、われわれは

謎めいた、情報量の少ない冷たい画像に「参加」できる。


小津作品の奇妙なほどのリアリティはそこらへんに由来しているのではないか???


えーけっきょく、小津作品の感想になってしまいましたが、

おもしろかったです。「女医絹代先生」

戦前日本映画、いろいろ見てみたいところです。

小津安二郎「東京暮色」のすべて その1

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今回より――


「早春」につづく おめめキラキラ映画

「東京暮色」を見てまいります。


主演はネコちゃん、こと有馬稲子。


ですけど、ほんとのヒロインは原節子、でしょうな。

「東京暮色」=原節子の映画です。


「早春」=淡島千景の映画、だったように。


その深い意味はおいおい書いていきます。


今回「その1」は、

「東京暮色」を支配する2つのシステムについて書いていきます。


それは……

①「2」という数字

②反「晩春」


ということになります。

まずは、


①「2」という数字


からみていきます。


「戸田家」「父ありき」「晩春」を「3」「△」のシステムで作り、

「麦秋」を「○」

「東京物語」「早春」を「うずまき」

で作った小津安二郎。


今回は数字の「2」です。

「2」で映画を撮ってみた、わけです。



↑S3 小料理屋「小松」での笠智衆。


楊枝入れ?(なんですか?) が「2」


S16 うなぎ屋さんでの杉村春子。やはり「2」


何度かあらわれる高架のショットも……

なんか謎めいていますが、「2」をあらわしている、とみたい。


漢数字の「二」……



で、有馬稲子のコートのボタンの数も「2」


「東京暮色」

この作品がなぜこうも陰気くさく、かつ動きがないか?


――それはこの「2」に由来しています。


白川静先生の「字通」をみてみますと……


「二」

訓義 ①ふたつ、数字の二。②ふたたび。③二倍にする、わかつ。④ならぶ、たぐう。⑤うたがう、そむく。⑥地の数、陰の数。


はっきりいってよい意味はない。

小津安っさんの時代に「字通」はなかったですけど、

これらの意味があることは良く知っていたはず。


そもそも季節が「冬」に設定されていることも「2」に由来しているとおもわれます。

つまり「陰」がもっとも盛んな季節として「冬」が選ばれたわけです。




そしてシナリオの内容も――

⑤うたがう、そむく。

というわけで、

(笠智衆の妻の)山田五十鈴の不倫。

(有馬稲子の恋人の)田浦正巳の裏切り。

等々が描かれるわけですし……


画面上の動きが少ないのも「2」のせいだとおもえてきます。

「3」「4」ならば、三角形、四角形と図形が描けますが、


点が2個では図形は描けません。

2角形というものはないわけです。


「陰」「静止」「死」「裏切り」の映画が出現するわけです。



この不気味な「2」個の目玉が

有馬稲子の「死」をあらわしている、というのも、深いです。



山田五十鈴の都落ちのシーン。

ホームには「2」だらけです。



「12」――


「ジュウニ」ではなく 「イチ・ニ」と読みたいところです、ここは。



あとですねー……

喜久子(山田五十鈴)のキャラクター設定なんですが、


S65 で杉村春子のセリフ


重子「山崎さんね、アムールに抑留されてる間に亡くなったんですって、その事喜久子さん、どこだっけ、腰越じゃない、ブラゴエ……そう、ブラゴエチェンスクよ、そこで風の便りに聞いて、それからナホトカへ連れて来られたんですって」


この、不倫相手と一緒にソ連で抑留、というエピソードはどうしたって

岡田嘉子を思い出させますし……


(ついでにいうと、おめめキラキラのルーツは、「東京の女」の岡田嘉子のこのショット↓↓のような気がする。サイレント時代にはフィルム、照明機材の問題もあって、こういう風にしか撮れなかったのではあるまいか)



スキャンダラスな生き方というと、もう一人、

水久保澄子たんも思い出したいところ。


岡田嘉子の場合はどうかわかりませんが、

水久保澄子の場合、あきらかに若き日の小津安っさんと

「何事か」があった相手なわけです。


1933年9月20日水曜日、兵営の寝台で……


昨夜 さむざむとした藁ぶとんの寝台で夢をみた

服部の大時計の見える銀座の二階で 僕がビールをのんで

グリーンのアフタヌンの下であの子はすんなりと脚を重ねてゐた夢だ


この「あの子」=水久保澄子 というのは……

いつだったか、当ブログで書きました。

(グーグルで「水久保澄子」と検索すると、どうしたわけだか上位の方にその記事が登場いたします)


その……水久保澄子は、満州で行方不明になっています。

没年不詳。

おそらく1945年。



「東京暮色」とは直接関係ないですけど……


「女医絹代先生」の野村浩将が、

水久保澄子主演で「玄関番とお嬢さん」という映画を撮っているのだが、


下着姿のエロ~い水久保澄子が

「バカ! バカ!」という……そのセリフ回しが……↓↓



「麦秋」の勇ちゃんが、大和のおじいさまに

「バカ! バカ!」という……


あの言い方にあまりに似ていて、最近ゾッとしました……


えー……


なにがいいたいかというと、小津安っさん、

水久保澄子への感情をずっと持ち続けていたっぽい、ということ。


数字の「2」は 岡田嘉子&水久保澄子である、ということ。


あと……「玄関番とお嬢さん」

僕はYouTubeからダウンロードした3分ちょっとしかみたことがないので、

完全版がみたい、ということ。

DVD出してほしいな……


えーまとまりがつかなくなったところで、

つづきまして、


②反「晩春」


これをみていきたい。


ファーストショットのこれなんですけど……↓↓



僕は 反「晩春」 アンチ「晩春」のシンボルとみたい。


ちなみに「晩春」のファーストショットはこれ↓↓


自然あふれる北鎌倉。

そして小津安二郎が終の棲家として選んだ北鎌倉。


で、トマス・ピンコは「晩春」というと、

原節子が白ソックスをはいて出てきたあの凄まじい

カットカットカットのシーンを思い出すのですが、↓↓


沼田孝子(原節子)の登場シーンは

明らかにあの白ソックスシーンのパロディです。

「晩春」(1949)の曾宮紀子と、

「東京暮色」(1957)の沼田孝子。

二人のファッションの相似にも目を向けていただきたい。



お着替えシーンで一瞬部屋が無人になる。

(無人に見える)

というのも一緒。


さらにいえば、小津にめずらしい長回しのショットというのも酷似。



きっとリハーサルしながら、

笠智衆と原節子、「『晩春』と同じですね」とか話してたかもしれない。



ただ、おもしろいのは、


S6

周吉「ウン。足袋なかったかな」

孝子(一寸探して)「どこかしら」

周吉「ないかい、じゃ富沢さん洗ってくれたんだな。そこの一番下の抽斗しにないかな」


沼田孝子は父親の足袋がどこにあるか知らないわけです。

曾宮紀子ならありえない話。

反「晩春」なわけです。


もちろん、「孝子はたまたま実家に帰っているらしい」と

観客に知らせるためのセリフなのですけどね。


あとですね……

反「晩春」ということでは、


なんか非常に残酷、というか

性格の悪い暗号をしこんでいまして、


S54 警察署のシーンなのですが、

有馬稲子が深夜喫茶で待ちぼうけを食わされて泣いていると、

宮口精二の刑事にみつかって、というあたり。


まず自転車が登場。


んーー自転車??


そしてこの男。


警官「いい年して、女の腰巻なんか盗んで何にするんだお前、おかみさんあんのか」

中老人「いいえ」


ようするに……下着ドロ、なわけですけど……


ん?

この人???



この本筋とまったく関係のないシークエンス。

反「晩春」としか説明ができない。


そう読み解くより他ない。

自転車といや、これしかなんですから。


「晩春」の自転車おデートのシーン。


この自転車は誰に借りたんでしたっけ??

というと、

「晩春」S36

紀子「まさか――借りたのよ、清さんとこのを」


という、詳しくは「『晩春』のすべて」で解説しましたが、

この謎の人物「清さん」の正体がわかるのは

「晩春」の最後のさいご。


この谷崎純、が清さん。


えー、で、

「東京暮色」に戻りますが、


「取調べを受ける中老の男 谷崎純」


谷崎純!!


「晩春」の謎の人物「清さん」

曾宮一家がお世話になっている清さん、


その役を演じた谷崎純が、下着ドロ役を演じる、という……


小津安二郎という男は、ここまで凝るんです。


□□□□□□□□

さいごに追加。


そうそう。

数字の「2」で書き忘れました。


小津安二郎→小津安「2」郎 ですね。

もちろん。


高橋貞二→高橋貞「2」もいるし、

須賀不二夫→須賀不「2」夫も出演している。


「東京暮色」には出演はしていませんが、息子同然にかわいがった

佐田啓二→佐田啓「2」も小津のお気に入りの役者でした……


はたして「東京暮色」は小津安「2」郎の自画像なのか?

次回以降みていきたいとおもいます。


その2につづく。

10/21 デロリアンをみた。というかマクロプラナーの話。

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えー

はじめに書いておきますと、バック・トゥ・ザ・フューチャーのはなしではありません。

けっきょく、Zeiss MAKRO-PLANAR T*2/50mm ZF.2 (以下マクロプラナー)

のはなしです。


□□□□□□□□


今日 あ、もう昨日か……

10/21 上野駅の中央口を出たところで――

こんなものに出くわしてしまい……



デロリアン!!


おもわず写真を撮ってしまった。

マクロプラナー、マニュアルフォーカスなんですけど。


瞬時にピントが合う。これは良い。

絞りはF8


手ブレ、失礼↓↓

むろん、手ブレ防止機能みたいのはついてません。


だって――

だって――


デロリアン、動くんですもの……



えーわたくし、


「クルマ」としてのデロリアンには大いに興味がありますが、


「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にはとくに興味がない。

3作、みましたけど、


あのね……小津作品好きが「アレ」好きになるとおもいます??


なので、2015/10/21が何の日なのか?

さっぱり知らなかった。

帰ってきてようやくわかった次第。

パート2の「未来」は今日なのね~


僕がみたデロリアンの所有者も、たぶん……

それがわかっていて、東京中、

自分の愛車を見せびらかしていたのではあるまいか? たぶん……


□□□□□□□□

デロリアンのはなしだけじゃ、なんなので、

マクロプラナーの感想をば。


デロリアンを撮ったあと、銀座7丁目の坂茂先生設計のスウォッチのビルへ。

正式名称はニコラス・ハイエク・センターとかなんとか。


そこから東京駅まで歩いて、いろいろ撮りました。

建物ばっかしですが。


↑↓坂先生のビル。



電通銀座ビル↓


戦前好きにはたまらんです。はい。

ずっと残しておいてください。


あと、中身みせてほしいです。はい。




↓建築途中のビル。




マクロプラナー50ミリ。ですが、


だいたいわかってきたのは、「けっこう極端な性格してる」

ということです。


色・明るさ・ともにコントラストが妙に強いです。

ものすごく極端な描写をします。↑の2枚なんかみるとはっきりしますが。


なのでハマった時は すばらしいのですが、

失敗すると目も当てられない感じです。


たとえが正確なのかどうかわからんですが、

なんか「スポーツカーみたいなレンズ」です。

アクセルを乱暴に踏めばスピンしちゃうし、

クラッチ操作を間違えると、トランスミッション壊しちゃう……

みたいな……



なので、

マクロプラナー50ミリを使うには、


・マニュアルフォーカスができること

に加えて、

・マニュアル露出ができること


これは最低限必要な気が……


じゃないと、「なんだ、このクソレンズ!!」などと

このスポーツカーレンズにキレてしまうことになります。


ま。オートマ限定でスポーツカー乗るんじゃねえよ、ということです。


えー以下2枚。エルメスのビル。


わたくし、

何年か前、はじめて見た時は「なに気取ってんだ、このビル」とおもったのですが、


何か月か前、妹の結婚式があったので、

「じゃ、いっちょ、エルメスのネクタイでも」

などと行ってみたところ、


店員さん、

「うちは礼装用のがあまりなくて」といいつつ、

いろいろ出してくれて、


で、「妹の結婚式なんですが」と僕がいいますと、


「でしたら、白か、銀がいいです。うちにはないです」

と正直にいったりして、

すごく親切で、押しつけがましくなく、

でも、

ま。けっきょく買わなかったことがあったのですが、


なにがいいたいかというと、

そういう好印象を受けたので、

今では「かっこいいビル」という評価になっています。



↓2枚、東京駅。


SFっぽくて好き。

八重洲口はほとんど使わないので、はじめてこんなところ見た。




さいごにゆり坊。


色・明るさが極端、と書きましたが、


こういう近接撮影だと、焦点の合う範囲もものすごく極端です。


なのでハマるとものすごくいいし、

失敗するとボケボケになります。

当たり前のこと書いてますけど。



とにかく楽しいレンズです。

ただし「うちはシロート相手に商売しないよ!」

というイジワルなところもあり……


正直、失敗もけっこうしています……

あ。

ごめんなさい、失敗だらけです……


紅葉シーズンまでに鍛えないと……


小津安二郎「東京暮色」のすべて その2

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前回、その1で、

「東京暮色」を支配する二つのシステム――


・「2」という数字

・反「晩春」



をみました。

今回からシナリオ順に「東京暮色」を解剖していきたいとおもいます。


まずタイトルから……


BGMとして流れるのは、かの有名な(?)「サセレシア」

斎藤高順作曲。


劇中でも

有馬稲子が山田五十鈴に「お母さん嫌いッ!」と叫ぶあたりで流れます。

(S97)


特に小津安二郎が自分の好きな「サ・セ・パリ」と「バレンシア」の両曲を組み合わせたような調子の作曲をと、特別注文して作った曲

(ビクター名盤コレクション「小津安二郎の世界」の解説より)


とのこと。

後期小津のシンボル、みたいな曲です。



S1

「暮色の東京 池袋あたり。ビルの上に暮れのこる冬空――。」

とあります。


前回書いたように、このあたりは反「晩春」のシンボルと、

僕はみているのですが、

(ちなみに「晩春」のS1は「晩春の昼さがり―― 空も澄んで明かるく、葉桜の影もようやく濃い」といった感じ。どっちも電車がからんでいるショット)


陰鬱な冬の映画、ということで

「東京の女」の後継者、という意味もあるような気がします。


山田五十鈴の人物設定は

ソ連に亡命した岡田嘉子の影響があるんじゃないか、

とは前回書きました。


2ショット目はこれ↓↓


大好きな電車・汽車のショット。


「東京画」で、ヴェンダースは

「電車・汽車が登場しない小津作品は存在しない」

と断言してましたが、そうでしょうかね?


「淑女と髯」に、電車出てきたかな?

あと……揚げ足取りみたいですが、

処女作の「懺悔の刃」は時代劇だったそうですから、

きっと出てこなかったでしょう。


↓「大弓場」というのは、なんか山中貞雄の「丹下左膳」を思い出します。



S3

小料理屋「小松」


「早春」に引き続き、浦辺粂子、田中春男の登場。

しっかし、すさまじい構図のショットです。(バランスが悪い↓↓)


スクーターが停めてあるのがチラッとみえますが、

革ジャンの田中春男はこれに乗ってきたのか?


というか、小津映画で革ジャンをみるとは!!

わかっているのに毎回驚くポイントです。



革ジャンもそうなんですけど――


なんかすごく個人的な感想になっちまいますが、

「東京暮色」

何回みても、「ものすごく精密に作りこんだ小津のコピー作品」

そんな印象がつきまといます。


なんといいますか、

ポーランド、ロシアあたりの、熱狂的な小津マニアの映画監督が、

松竹のスタッフ・キャストを使って作った小津のコピー作品、みたいな??


単に寒々しい画面だから、そうおもうのか??

でもこの違和感は一体なんなのか??

自分でもよくわかりません。


↓↓そうそう、前回ご紹介した「2」


田中春男が笠智衆のマネをしたがるのですが――


「おばはん、おれにもおくれエな」

「おばはん、おれにもおくれエな、牡蠣……おれは酢がええわ」


これも「2」というテーマにからんできそうです。


笠智衆と浦辺粂子の会話に「2」人の女の子が登場してくる

・明美ちゃん(浦辺粂子の娘か?)

・お宅のお嬢様(有馬稲子)


それから

お常「ねえ旦那、こないだの晩、もう十二時ちょっと廻った時分だったかしら、沼田先生いらっしゃいましたよ」

周吉「そう、一人でかい?」

お常「いいえ……学生さん二人おつれンなって」


「2人」――



客(徳利を出して)「旦那、ひとつ行きまひょか」

周吉「やァ、どうもこら……」


drinkします。


「晩春」の曾宮周吉は

原節子とeat

月丘夢路とdrink

と美女に囲まれてうらやましいかぎりでしたが、


「東京暮色」の杉山周吉は

田中春男とdrink

杉村春子とeat

信欣三(沼田)とdrink

とおっさんおばさんばかりでまったくうらやましくない……


やはり反「晩春」か??


S4

「雑司ヶ谷の小路」


S5

「杉山家 玄関」

「玄関の表」


なにげなく見過ごしてしまいますが、じつは異常なショット。


玄関を「表」からとらえるのって、すごく珍しい。


↓「晩春」


↓「麦秋」


↓「東京物語」


と、全部内側から撮られています。

「早春」も内側から、でした。


「東京暮色」だけが外側から玄関を撮っている。


そして内側からの視線が、障子で遮られている、という徹底ぶり↓↓

僕が先ほど書きました「違和感」というのはこのあたりのことなのか?


さらに……


↓↓両側、赤丸で囲んだところに

笠智衆がぼんやり映り込む、という凝りようです。



うちに帰ると原節子が。


周吉「ただいま」

孝子「お帰んなさい」

周吉「アア、来てたのかい」

孝子「ええ、お寒かったでしょう」

周吉「ウム」


役名は「孝子」


われわれは「紀子」ではない原節ちゃんに

はじめてお目にかかるわけです。


構図・セリフともに「晩春」のS33に似ていますが、

向きは逆です。


このあたりも反「晩春」


孝子「お父さん、ご飯は」

周吉「食って来た」



で、お着替えシーン。

沼田孝子は父親の足袋の場所がわからない、というのは

前回触れました。



で、大好きな「靴下を脱ぐ」ショット。


外の世界(勤め先)では「靴下」で、

ウチでは「足袋」あるいは「裸足」ということのようです。


あと、外の世界では「帽子」をかぶりますな。

帽子をかぶらなくなった現代からみると、

なんかよくわからない感覚です。


なんかかっこいいけど、マネはできないなーー

絶対なくしそうな気がする……



そしてこれまた大好きな横顔のショット。


たいへん失礼ながら……

原節ちゃん、アゴの下あたり、ふくよかになってきたな、などと……



有馬稲子がちょろっと登場。


孝子「明ちゃんお茶飲まない」

明子「いらない」


「いらない」という時、ネコちゃんはきちんと襖の陰から顔を出します。

このあたり、小津映画、という感じ。


別に有馬稲子の姿はみえずに有馬稲子の声だけすればそれでいいのです。

それがトーキーというもの。


ですが、

あくまでサイレントのテクニックに忠実な小津安っさん、

セリフがあるときはかならず話者が画面に写ります。

どんな時も、です。



周吉「どうしたんだい、一体」

孝子「いいの、すこし放っといて」

周吉「然し」

孝子「いいのよ、そんな人なのよ」


どうも原節ちゃんの結婚生活は破綻している模様です。


「2」という数字がここにもあらわれてきます。

原節子の結婚生活は破綻している。

笠智衆の結婚生活もやはり破綻している。

(この段階ではまだわかりませんが)



S8

笠智衆の勤め先の銀行です。


例によって、建物の全体像、

あるいはわかりやすいファサードは出てきません。




S11

監査室。


ちょい役の女の子がかわいい、というのも

小津作品あるある、でしょうかね。


「秋日和」の岩下志麻が有名ですが。


杉村春子、登場。

杉山周吉の妹、重子です。


周吉「小林さん、ちょいと出かけるがね、二時頃迄に帰ってくるから、電話でもあったら聞いといて下さい」

女給仕「はい」

重子(その女給仕に)「ちょいと、二階のトイレ、何処」


「2」ばっかりでてくる。


そういえば、「女給仕」もこの子を含めて二人います。



S13

「うなぎ屋の看板」


あとあとわかるのだが、

停まっている車は、杉村春子のクルマらしい。


自家用車なのか、経営する会社の車なのかわからんが、

とにかく車をもっている登場人物が出てくるというのは……

「淑女は何を忘れたか」の坂本武以来ではあるまいか?

桑野ミッチーもクルマの運転が出来るという話をするし。

(「戸田家」の登場人物は持ってそうだが、画面には出てこない)


逆にいうと、ようやく経済状況が

戦前並みに回復してきた、ということなんでしょうな。

休憩時間にうなぎ食べてるし。

「もはや戦後ではない」という経済白書、

あれは1956年のことだそうで。


「東京暮色」は1957年作品。


ここはものすごい構図のショットの連続。


S16

重子「ねえ兄さん、お父さんの十三回忌どうします?」

周吉「ウム、どうするかな」

重子「わざわざいく事ないわね。あたしからお寺に何か送っときましょうか」

周吉「アア、そうしてもらおうか」

重子「じゃ送っとくわ。千円もやっときゃいいわね」

周吉「ああ、沢山だろう」


「東京物語」の山村聰、杉村春子の会話を思い出します。



明ちゃん――有馬稲子が杉村春子にお金を貸してくれ、といってきたこと。


それから……


重子「だからねえ兄さん、あの子も早くどッかしッかりしたとこへ片付けた方がいいわよ」


お得意の「娘の縁談」が登場。


しっかし……

「娘の縁談」が登場するんですが、

けっきょく結婚することなく自殺、という結末なわけですから……


その点でも珍しい。

というか、結婚しないのはこの作品だけ? だよね。

つくづくヘンな作品です。


その3につづく。

小津安二郎「東京暮色」のすべて その3

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その3です。

まず、有馬稲子について。


「東京暮色」のヒロインはもともと岸恵子が予定されていて、

シナリオも 岸恵子が「杉山明子」を演じることを念頭において書かれているわけです。


ところが――


岸が東宝の『雪国』の撮影がおくれているために身体が空かず、これ以上遅れては小津監督に迷惑をかけるばかりで申し訳ないという岸の申し出で、岸と同じ「にんじん・くらぶ」の有馬が友情出演することになったわけだ。

(フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」270ページより)


という事情があったそうです。


はっきりいって、

岸恵子だったら、「東京暮色」……


いま我々がみているものの……2倍は良くなっている気がする。


有馬稲子ファンのわたくしが言うのだから間違いはない!


ネコちゃんのブロマイドを部屋に飾ってしまっている……

トマス・ピンコの野郎が断言するのだから間違いない!


岸恵子の方が断然よかった。



「東京暮色」

有馬稲子のどこか……もさーーーっとした演技をみるたびに


岸恵子のテキパキした運動能力の高さ。

垢抜けたスピード感、等々を思い出すのは僕だけではないでしょう。


「2」という数字、が、この作品を支配している、と書きましたが、


goodではあるがexcellentではない有馬稲子をみるたびに、

「早春」のexcellentな岸恵子を思い出さざるを得ない、という――


岸恵子だったら、どれだけ素晴らしかったことか……

と、溜息をつくという――


これも「2」ですねー……

ま。シナリオ書きの段階では予定していなかった「2」なのですが……





んー……公開当時「東京暮色」が被った不評も、

このあたりが主因かもしれませんが……


もとい、


S19

明子(有馬稲子)は、恋人の憲二(田浦正巳)を探しています。


憲二……憲「2」のアパート、相生荘……


なのですが、

このショット↑


↓「淑女は何を忘れたか」の佐野周二の下宿のショットに似ている。


ん、なぜだろう??


ま、「東京暮色」はロケで、(小津作品に合成はない)

「淑女」はたぶんセット、ですけど。




S21

「早春」同様、須賀不二夫の部屋が

みんなのたまり場になっている。


シナリオによると「相生荘の二階」となっていますが、

さすが「2」の映画(?)


二階、が妙に多い気がします。

杉山家の二階、原節ちゃんとネコちゃんの会話のシーン。

あと、寿荘は建物の二階にあるようです。

事故(自殺?)のあと 有馬稲子が運び込まれた病室は二階にあるようですし。


富田「なんでえ、サシか」

松下「よし! 一丁いこう!」

 その間に明子は登のそばに坐る。

明子「ねえノンちゃん、どこ行ったか心あたりない?」

登「誰、憲坊か」


「サシ」というと……

「出来ごころ」S87 次郎(大日方伝)の

「俺はちょっとの間 こいつとサシになりてえんだ」

を思い出しますが、


そういえば、「出来ごころ」

積極的な春江(伏見信子)が次郎の部屋にずかずか入ってくるシーンがあったっけ。

女が男の「空間」に入って来ることで、

さいご二人は結ばれる、という内容でした。


その伝でいくと……


田浦正巳の部屋(空間)に入れない有馬稲子は絶望的なわけです。

二人は結ばれるはずがないわけです。


そうそう、片目キラッ! ですな↑↑



S23

前回の記事で、笠智衆は、沼田とdrinkする、とか書きましたが、

すみません、間違いました……


「飲む」のはひたすら沼田の方で、

笠智衆はタバコを吸ってるだけです。


つまり、一緒に「飲む」にも値しないヤツ、ということなんでしょう。


沼田「僕の方もね、翻訳でもやってりゃラクなんですが、こいつが誰も彼も材料あさってましてね……(と、脇の本を取って)これなんか四、五日前に丸善へ来たばっかりなんですがね、今日学校へ行ってみたら、もうやってる奴がいるんですよ。かないませんや、フフン」


沼田。モデルになるような人がいたのかもしれませんが……



このあたり、映画界をとりまく批評を批判している、

そんな気がします。


「表面」「モチーフ」だけが新しい似非映画を称賛して、

で、「古臭い」小津作品はけなす、


そういう新し物好きのジャーナリズム批判。




で……


なんと、小津映画に雪が降る……


S31


帰宅した笠智衆と原節子の会話。


周吉「けど、あの男も変わったねえ、昔はあんなじゃなかったよ、もっと明るい男だった。今もお父さん電車ン中で考えてたんだが、なんだかお前にすまない様な気がしてね」

孝子「何が、そんな事ないわ」

周吉「いやァ、こんなんだったら、佐藤なんかの方がよかったかも知れないよ」

孝子(見返して)「……」



はい。

反「晩春」 アンチ「晩春」です。


沼田孝子は、結婚がうまくいかなかった曾宮紀子なのです。


んー……というか、原節子、割ぽう着きてる。


時系列でみてきていますが

割ぽう着姿の原節子をみるのはこの作品がはじめて。



ネコちゃんも帰宅。


笠智衆、

有馬稲子が杉村春子に五千円借りにいった件を問い詰めます。


周吉「何に要る金なんだ」

明子「お友達が困ってたからよ」

周吉「それにしてもお父さんに云やいいじゃないか」

明子「だって、不意なんですもの」


作品を通して

周吉(笠智衆)―明子(有馬稲子)は、

話が通じません。

真実を語りあわない。


有馬稲子は一貫してウソをいい、あるいは沈黙します。


コミュニケーションがなりたつのはさいごのさいご

死の瞬間だけ、です。


こういう――空虚な人間関係、というのは

小津作品で今まで描かれたことは……ない、ですよね?


有馬稲子は終始ふくれっ面か泣き顔です。


↑↑ブロマイドみたいな笑顔は一切みせない。


んー、岸恵子ならこの役、どうこなしただろうか??


↓↓そうそう、ボタンの数 「2」




S32

周吉、上衣を脱ぎながら、浴室に入り、ネクタイを外し浴室の戸を閉める。


ん―― 風呂が……画面上に……


「晩春」「麦秋」と写りそうで写らなかった浴室内部が……


しかし、この質感描写、リアルさがたまらんです、このショット。

雪降る夜の、あったかいお風呂の描写。

ほんとうにあったかそうです。


冷え切った映画で唯一あたたかいショットかもしれない??



S33


この高架のショットはシナリオによれば

五反田、という設定です。


「その1」でみましたようにここは「二」をあらわしています。



で、

S35

麻雀屋「寿荘」にて、山田五十鈴登場、なんですが――


ここは実にすさまじいです。

凝りに凝った「引用」

地球上で一体何人が気付くのか? という……

わかりにくい「引用」をやっています。


というかビデオ装置が存在しない時代に、

なんでこんな凝りに凝った「引用」が可能だったのか??


小津安二郎という男は自分の作品の全ショット、

頭の中に入っていたのか??


えーもとい、


↓注目していただきたいのは、

やかん&ストーブ、です。







左から、

有馬稲子、高橋貞二、菅原通済。

ここは「引用」には関係ありません。↓↓


↓次、注目!!


蛇口、流しに注目してください。



と、山田五十鈴が登場。


今まで小津作品と縁がなかった大女優が、

おもむろに登場します。


以上の流れなんですがね……


じつは

「東京の女」そのまんま、なんです。


①あやしげな「バア」で働く岡田嘉子。


②蛇口、流し。



③ストーブ&やかん……


奥にぼやけているのは、江川宇礼雄。



んんんん……

一体なんなんだ?????

この、凝りようは……


とにかく、「寿荘」には「東京の女」が詰まっているわけです。

しかも、

岡田嘉子=山田五十鈴(両者、性的な不品行)

江川宇礼雄=有馬稲子(両者、自殺する)

という共通点が……


つまり、山田五十鈴はあまりにさらっと登場するような感じがしますが、

じつは凝りに凝った登場シーンなんですね、これは。


はい。で、母子の対面です。


母親の方は、有馬稲子が娘だと知っていますが、

娘の方は、山田五十鈴が母親だと知りません。


このあたり、「浮草物語」にも似ています。


山田五十鈴、いいな。


ただ、後年の雁治郎さんもそうだが、

こういう個性の強い名優、というのは、

小津作品らしさを崩してしまう気がする。


ただ「東京暮色」の場合、いい意味で崩してくれている気がします。

「相島喜久子」役が他の女優だとしたら、

「東京暮色」は完全に見るに堪えないシロモノになるかもしれません。



喜久子「お姉さんいらしったわね」

明子「ええ」

喜久子「お子さんは?」

明子「女の子一人」

喜久子「そうですか、おいくつ」

明子「二つ」

喜久子「そう、じゃお可愛いわね、お兄さんもお元気」

明子「死にました」

喜久子「まあどうして」

明子「山で、谷川岳で」


ネコちゃんが、「二つ」とこの作品を支配する数字を口にします。


さらに「死にました」というセリフ。


これはのちのちS114

原節子が山田五十鈴に向って、

「明ちゃん死にました」

というのに対応します。


シナリオもよく出来ているし、

「東京の女」の引用もすさまじいし、


山田五十鈴の登場シーンはこの作品のキモでしょう。


壁の絵の少女の横顔と

有馬稲子の横顔。


山田五十鈴は真正面をみていて……


モダンアートみたいな構成がたまらんです。


このシーン、

有馬稲子も山田五十鈴も目がキラキラしています。






S38

じっと思いに沈んでいる喜久子――


息子の死を初めて知ったわけです。


S40


で、有馬稲子帰宅。

例によって、玄関が外からとらえられます。



その4につづく。





小津安二郎「東京暮色」のすべて その4

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有馬稲子は五反田の麻雀屋で山田五十鈴に会い、

そして雑司ケ谷の自宅に帰宅します。


S41

明子「只今」

孝子「お帰りあんた、ご飯は?」

明子「食べて来た」


小津作品においては

「食べる」という行為→家族(もしくは将来結ばれる男女)限定。

という法則があります。


その点でいうと、笠智衆にしろ、有馬稲子にしろ、

外食してしまう杉山家は崩壊しているわけです。



S43


そして姉妹は二階へ。

有馬稲子はえんえんブラッシングをします。

あまりに長いブラッシングシーン。

安っさん特有の「過剰な」シーン。


ネコちゃん自身、このシーンがとてもイヤだった……

というのは、瑞希さんのコメントで初めて知りました。


しかし、小津安二郎という男、笠智衆にむかって


「笠さん。僕は、君の演技より映画の構図のほうが大事なんだよ」

(笠智衆著、朝日文庫「小津安二郎先生の思い出」80ページより)


と言いきってしまう男です。

このシーンも有馬稲子の演技など二の次で

「構図」「システム」「暗号」の方が大事だったのだと、僕はみております。


で、そういう目でみてみますと。


ほら。さっそく……「ストーブ」

「東京の女」の小道具です。


カメラの向き、かわりまして、

あくまでストーブ。


あと、ステキなタンス。

なかなか高そうな。


しかしタンスひとつで、

杉山家の暮らしぶりがなんとなくわかるというのはいかにも小津作品。


ちょいとうらぶれた人たちばかり出てくる

「東京物語」「早春」にはこんなタンスでてきませんな。



会話の中身も「東京の女」を思い出させます。


孝子「あんた、帰りがよくおそくなるっていうじゃないの……どうしてそんなおそくなるの?」

明子「むずかしいのよ、速記……だから時々お友達ンとこへ寄って練習すンのよ。お父さんにもそう云ってあンのに」


帰りが遅い。

ウソの理由。


どちらも「東京の女」の岡田嘉子そっくり。

ま。有馬稲子は犯罪行為をしているわけじゃないのですが。


で、「やかん」


「やかん」は小津作品によく出てきますが、

お茶の間じゃなく、姉妹の寝室に出てくるというのはアヤシイ……

これまた「東京の女」のイメージと僕はみたい。


というか、そもそも、ですね……

このブラッシングシーン、

ネコちゃんの過剰なほどのブラッシングに目がいってしまうのですが、


だいじなのは、

「鏡」だとおもいます。


「鏡」&「女」 この組み合わせです。


そうそう、念には念を入れて

↑↑タンスに「鏡」をはめこんでいる小津安っさんです。

「鏡をみてくれ!」そういっているようにおもえる。


あきらかに大事なのは「鏡」なのです。



「鏡」&「女」


となると、しつこいようですが、やっぱし「東京の女」なわけで。


短い作品(47分)なのに、岡田嘉子が3回も鏡をみる、というのは

どうしたわけか?


①弟が学校へ行ったあと。


②あやしげなバアで。


前回ご紹介したように、このショットのあと、

蛇口、流し→ストーブ、やかん、江川宇礼雄、

というシークエンスとなります。


③男との逢引のあと、アパートで。


こうみてくると、なにかこう、

彼女の「二面性」をあらわす実に効果的な小道具という感じがします。


女を変身させる魔法の道具、といったような。


さてさて、
「鏡」&「女」といや、

「風の中の牝雞」も忘れちゃならんわけで……


そして、「早春」の岸恵子にうけつがれる、と。


というか、「東京暮色」のヒロインは、

もともと岸恵子が演じるはずだったことを考えると……


小津安っさん、

恵子ちゃんに2作品連続で ブラッシングシーンを演じさせる気でいたわけだ。



ま、「鏡」&「女」に戻りますと、


「東京の女」の岡田嘉子

「風の中の牝雞」の田中絹代

「早春」の岸恵子


こう並べると――浮かび上がってくるのは、


「娼婦タイプの女」

という感じがしてきます。


ま。「早春」の金魚(岸恵子)は、堅気のOLさんですけど、

年上の男をたぶらかしてばっかりのようですので。



そうそう、「娼婦タイプ」というと

「淑女と髯」の伊達里子ですが、


彼女の場合、手のひらサイズの「鏡」ですが、やっぱし

「鏡」&「女」の構図が↓↓


というか、小津作品群の「鏡」&「女」のルーツはこの作品か??
「鏡」&「女」=「娼婦タイプの女」




◎「鏡」&「女」=「娼婦タイプの女」

と結論がでましたが……


そう考えると、「晩春」にも

「鏡」&「女」がでてくるのは――正直、こまります。


清純そのものの曾宮紀子は「娼婦タイプの女」とはもっとも遠い存在ですので。


ただ、曾宮紀子は「鏡をみない」「髪をとかさない」「手ぬぐいをボインボインするだけ」

というところで見逃してもらいましょうか……


あとは、

このシーンのちょっとあと、

「このままお父さんといたいの」

「どこへも行きたくないの。こうしてお父さんと一緒にいるだけでいいの」

などといって父親を「誘惑」しますんで……


ま、いいや。「東京暮色」に戻りましょう。


とにかく「鏡」という小道具は小津安っさんにとって

「女の娼婦性」(?)みたいなものを導き出す小道具のようです。


そういう意味でいうと、有馬稲子がブラッシングシーンを嫌がったというのは、

実はするどい気がする。


つまり、ですね。

小津安二郎にとっては「小津ワールド」「小津宇宙」あるいは「小津銀河」とでもいうべきものが重要なのであって、


リアリズムなんてものはどうでもよかったし、

(だからあまりにブラッシングが長すぎる)

スターなんてものも正直どうでもよかった。

(有馬稲子だろうがなんだろうが、人形遣い・小津安二郎の人形にすぎない)


いいかえると、

「鏡」―「娼婦」という……

「小津宇宙」内の星座(システム)が重要なんであって、

原節子だろうが、田中絹代だろうが、岸恵子だろうが、

そしてもちろん有馬稲子だろうが、

そんなものは所詮ひとつの星にすぎないわけです。


小津宇宙内の星のならび、構成こそが小津安二郎の最大の関心なのです。


有馬稲子にとっては、このブラッシングシーン……

「俳優は家畜だ」(byアルフレッド・ヒッチコック)

そのまんまの残酷なシーンであったわけです。

んーー、文章が下手なせいで、

ちとわかりずらいかとおもいますが、

とにかく「東京暮色」のブラッシングシーンはすごい、ということです。

(正確にはミラー・シーンとでもいうべきか?)



シナリオに戻りましょう。

(というか、話が戦前のサイレントにとんだり、「晩春」にとんだり、すみません)


「お母さん」という重要なワードが登場します。


原節子と有馬稲子、

麻雀屋「寿荘」のおばさん(山田五十鈴)のことを話題にします。


明子「……あたしねえお姉さん、なんとなしにお母さんじゃないかって気がしたのよ」

孝子「どうして?」

明子「ううん、ただなんとなく……」

孝子「お母さんじゃないわよ。どっかの人よ。そんなわけないもの」

明子「そうねえ……あたしが三つだったんだもの……」

孝子「そうよ」

明子、また髪をとかす。


という具合。

ここは……なんというのかものすんごく複雑なイメージ操作をしています。

小津安二郎。


というかうまく説明できる自信がありません。


上記、たった6行の姉妹の会話なんですが、

以下のことを観客は感じとります。


①杉山家の複雑な家庭事情。

(これは誰でも感じ取ります)


②「お母さん」という神聖なコトバの登場。

(これは「晩春」をみた観客がかんじるところです。「晩春」では、ラスト近くまで隠蔽されていた「お母さん」がずいぶんあっさり登場します。しかも母=山田五十鈴らしい。反「晩春」です)


③「鏡」&「女」=「娼婦タイプの女」=「お母さん」(山田五十鈴)

(これは戦前からの小津ファンが感じとるところです)


④「鏡」&「女」=「娼婦タイプの女」=「お母さん」=「杉山明子」(有馬稲子)

いいかえると、

相島喜久子(山田五十鈴)=杉山明子(有馬稲子)=数字の「2」
(つまり、母と娘が分身同士だということです。これは相当の小津オタクが感じとるところ)


とにかく……

山田五十鈴登場→ブラッシングシーン

この流れはすさまじいです。

小津安っさん、おのれの持っている力のすべてを

ここに叩きこんでいる感じがします。

やはり、小津安二郎最後のモノクロ作品。ものすごい傑作です。


で。ブラッシングシーンは

↓↓この、襖の引き戸の「2」で終わり……


S44

眼鏡屋さんの看板の「2」へつなげます。


で、もちろん、この場所が、有馬稲子の事故(自殺)の現場となるわけです。


もう、おそろしいとしか言いようがありません。

一体、なんという才能なのか?? 



S45

「珍々軒」の登場。


珍々軒なんですが、松竹蒲田撮影所の近くに、

じっさいに珍々軒なる「支那ソバ屋」が存在したそうです。

しかも成瀬巳喜男が年がら年じゅう入り浸っていた、というのがおもしろい。


ちなみに小津安っさん、内田吐夢が入り浸っていたのは「クララ」という

オシャレな名前の食堂(おもにライスカレーを出していたそうです)

だそうな。


(井上和男編・著、フィルムアート社「陽のあたる家」147ページあたり参照)



S46

珍々軒の主人は、藤原釜足。

この人、「宗方姉妹」にもでてたっけ。


セリフは……

ま、お気づきの方も多いかとおもいますが、


細君「あんた、練炭おこってるよ」

 と引込む。

義平「あいよ……おい、下の口しめといてくれ……(そして呟く)しめといて下さいよ」


「下の口しめといてくれ」

これは、妊娠してしまった杉山明子(有馬稲子)のことを考えると……


どぎついです。


S49

銀座のバア「ガーベラ」


で、とうとう杉山明子(有馬稲子)は

恋人の木村憲二(田浦正巳)に会います。


田浦正巳、前回の「早春」に引き続いての登場。

彼に関しては厚田キャメラマンのおもしろい証言がありまして……

次作の「彼岸花」のラスト近くの列車ボーイのはなしなんですけど。


厚田 ああ、須賀不二夫がやった役ね、あの白い列車ボーイの服、本当はわたしが着ることになったかも知れないんですよ。テストもやって写真も残ってます。

――えっ、厚田さんが列車ボーイさんですか、それは見たかったなあ。

厚田 初めは、田浦正巳がやるはずだったんです。田浦は『東京暮色』にも出てますしね。ところが、あいつ、ちょい役じゃいやだとごねやがって、小津先生が、「じゃあ、厚田、やるか」っていうことになったんです。

(厚田雄春/蓮実重彦、筑摩書房「小津安二郎物語」194ページより)


けっきょく出なかったわけですけど、

小津安っさん、三作品連続で使う気でいたわけです。


というか、どうも安っさん、この系統の混血っぽいルックスの俳優、

けっこう好きな気がする。

戦前のお気に入り、江川宇礼雄はまさしく日本-独逸の混血だったし。


んーというか、ルックス的に、

江川宇礼雄(「東京の女」)=田浦正巳(「東京暮色」)

この構図があるような気がする。


「2」です。


以下、個人的な妄想、なんですが、


小津安二郎という人は、

・「東京の女」「非常線の女」ですこぶるアヤシゲな姉弟を描き……

(岡田嘉子&江川宇礼雄、水久保澄子&三井秀男)

・「戸田家の兄妹」ですこぶるアヤシゲな兄妹を描き……

(高峰三枝子&佐分利信)

・「晩春」ですこぶるアヤシゲな父娘を描き……

(原節子&笠智衆)


そういう人です。

で、そういう目で「東京暮色」をみると、

有馬稲子&田浦正巳は「姉弟」なんじゃあるまいか?

などとおもえてくるから不思議。


いえ、別に……

実際に血のつながりがあるとかなんとかじゃなく……


うまくいえないんですが、

「東京の女」の岡田嘉子&江川宇礼雄が

結ばれてしまったら、こんな悲劇が待っていました。

そんな感じがしてしまう。


なにか、このカップルに「禁断」の香りがしてしまうのはどうしてなのだろう?


憲二「でも、ほんとに僕の子かなあ」

明子、顔色が変る。

明子(睨みつけて)「あんたの子でなきゃ誰の子よ、ねえ、誰の子だと思ってんの、そんな事迄、あんた疑ってんの」

憲二「疑ってやしないけどさ」

明子「じゃ、どうすりゃいいのよ、どうする積りなのよ、あたし、一体どうしたらいいのよ」


観客はここで、杉山明子(有馬稲子)が妊娠していることを知ります。



いままでの流れをおさらいすると……


・山田五十鈴登場(「東京の女」の岡田嘉子イメージをはりつける)

・有馬稲子のブラッシングシーン(「鏡」&「女」=「娼婦タイプの女」)

・有馬稲子の妊娠が明らかになる。


こういう流れで

有馬稲子(娘)=山田五十鈴(母)

のイメージを醸成しているわけです。

(もちろんそれだけではなく気の遠くなるように多様なイメージの集合体なわけですが、イメージの中心はその「2」人です)


まさしく、考えに考え抜かれた配置です。


その5につづく。

小津安二郎「東京暮色」のすべて その5

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ようやく出会ったカップル、

杉山明子(有馬稲子)と木村憲二(田浦正巳)との会話。


憲二「困ったなあ……(腕時計見ながら)……もう時間なんだけどなあ、じゃァね、僕、六時半迄に大塚先生んとこへ行かなきゃなんないんで、君、エトアールへ行って待っててよ、ねえ」


と行って、田浦正巳は逃げてしまいます。


S53

で、深夜喫茶「エトアール」


あやしげなマスクの男が登場。


照明が「2」……↓↓

――おまえ、深読みしすぎだろ、というところですが、



こうまで繰り返されると、やっぱり「暗号」としかおもえません↓↓

マスクの男は宮口精二。


本人談によると、初登場の「麦秋」のころは緊張しまくりだったようですが、

「早春」に引き続いての登場。


もう小津組常連のせいか、ゆったりとして迫力があります。



とつぜんマスクの男が目の前に座ったので驚くネコちゃん。


和田「大分おそいですね」

 明子、疑い深く見て顔をそらす。

和田「何してんの、こんなとこで」

明子「…………」

和田「何考えてんの、何か心配事でもあるの」


マスクの意味は――


目の強調でしょう。


そして……「2」の強調でもある。


つまり↓↓ コレの繰り返しです。


明子「あんた、誰よ」

  和田、黙って内ポケットから警察手帳を出して見せる、明子、息を呑んでみつめる。

和田「時々この辺で見かけるね」


マスクの宮口精二は刑事でした。


身分を偽って登場する刑事、というと

戦前のサイレント「その夜の妻」の山本冬郷を思い出します。


「その夜の妻」の刑事はタクシードライバーに変装していて……

で、「東京暮色」の刑事は深夜喫茶に出没する。

この深夜喫茶というのは当時最新の風俗であったようです。


ようするに最先端の場所に犯罪がおこる。

となると、警察官もそこにいる。

という構図でしょう。



小津安っさん、

「東京暮色」撮影中にも 深夜の新宿の喫茶街をロケハンしていたようです。


店内の壁の至るところにみだらな落書もご随意という、それが売物の一軒の喫茶店におさまった小津監督は

「だいたい想像通りで、わかったね。こんなところで恋を語る気持にはぼくらには到底なれないが、いまの若い人たちにはこれでなくてはいけないんだろうね。殺伐としていて、味けなくて、調和的でなくって、どだいつまらんよ。しかしこういう場所で恋が語れる若さはもう一度欲しい気がするね」

(田中眞澄編、フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」274ページより)


銀座の、服部時計店の時計がみえるオサレなカフェーで

緑のドレスのモダンガール

水久保澄子とおデートしていた安っさんにとって、

戦後風俗は品がないことおびただしいことでしょう。


あと、

「若さが欲しい」――


これ、本音でしょう。

でないと、「東京暮色」に戦前サイレントの引用が妙に多いのが、

説明がつかない気がする。

(ま。「東京の女」の引用ばかりですが。あ。言わずもがなですが、「東京の女」撮影の29歳の頃、1933年の「日記」には水久保澄子の記述がやけに多い)


で、なぜ「若さが欲しい」となるか、というと、

一番大きいのは

◎溝口健二の死


だとおもいます。

ミゾグチの死は1956年8月24日。

「東京暮色」のシナリオ執筆は同年9月から。


同世代のトップランナー、

才能を認め合い、仲もよかった溝さんが逝った。

となると当然、自分自身の「死」「老い」も意識せざるをえないでしょう。


山田五十鈴の起用、というのも、

初期溝口作品のアイコン(偶像)の起用、と考えるとおもしろい。


んん~、あとですね、

この作品の中心システム――「2」なんですが……


お分かりかと思いますが、溝口健「2」なんですな……


日本映画界の中心にいた、「2」人

溝口健「2」

小津安「2」郎

そのうちの1人が欠けてしまった。


ひょっとして、ひょっとして、

「東京暮色」の暗さの原因は、溝口の「死」に由来するのか??


もとい、


S54

警察署内。


この「自転車」→「谷崎純」(下着ドロ)

のシークエンスは、反「晩春」である。


と「その1」で解説いたしました。




とそこへ曾宮紀子、じゃなくて、沼田孝子登場。


原節ちゃんのマスクはもちろん、「2」、「目」の強調です。



で、「信号を守ろう」なる皮肉なポスターが……


和田「いや別に犯罪に関係がある訳じゃないんですが、近頃の若い者は、えてしてつまらん事から間違いを起し易いもんですからね、お宅でも充分注意して頂かんと」

孝子「はァ」


原節ちゃんの背後にボンヤリと谷崎純。


「晩春」の亡霊がそこに……


で姉妹は帰宅します。

すると、父、笠智衆は寝ないで二人を待っている。

しかも、有馬稲子が補導されていたのも知っている様子。


S57


父・笠智衆はメガネをかけている。

メガネ姿の笠智衆って……ありましたっけ?

あったような気もするが……

はじめて見たような気もする。

ま、いいや、

とにかく「2」の強調。


んーーあと……

以下、書きますことは、どれだけ説得力があるかどうか、

わからんのですが、


こうまで「目」を強調するってのは――



すごくユダヤ-キリスト教っぽいセンスのような気がしてならんのです。はい。

いつも優しい笠智衆の父親が、「東京暮色」に限って、

冷たく、厳しい。


この「恐ろしい父」&「目」という組み合わせ。

どうもユダヤ-キリスト教のニオイがぷんぷんします。


深読みのしすぎなのか?


はい。「ブレードランナー」の謎めいたオープニングですがね↓↓


「ブレードランナー」を

ヤーウェ(唯一神)によるアダムとエバの創造の物語の焼き直し、

と見るのも可能、だということは言うまでもありません。

アダム→ハリソン・フォード

エバ→ショーン・ヤング


そしてアダムとエバの創造を物語る「創世記」のオープニングが

「視覚」イメージに満ち溢れていること……


神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

(「創世記」一章三-四節)


読まれた方ならご存知の通り、以下「神は見て、良しとされた」の繰り返し。

ようするに神は一個の「目」「視覚」として機能しているわけです。

これが、


「恐ろしい父」&「目」という組み合わせのルーツです。


意識的にか、無意識的にか

わかりませんが……

「目」というイメージをリドリー・スコット版の「創世記」のオープニングに使ったというのは、こういうわけです。


んで、やっぱり「恐ろしい父」&「目」の映画、

「東京暮色」のシナリオをみますが、



周吉「お前どこ行ったんだ」

孝子「……」

周吉「お前が出掛けると間もなく、電話があった、沼田からと思ったら警察からだった、何故云わなかったんだ」

孝子「……」

周吉「なぜ隠してたんだ」

孝子「……」

周吉「明子、どうして警察なんかへ呼ばれたんだ」

明子「……」

周吉「お坐り」

 明子、上目づかいに周吉を見てその場に坐る。

孝子「ねえ、お父さん、もうおそいですから明日にして」

周吉「明子、どうしたんだ……どうしてそんな所へ呼ばれたんだ……何をしたんだ、おい、なぜ黙ってるんだ、一体、なんで呼ばれたんだ」

明子「……」


この「逃げ隠れする子供たち」&「尋問する父」という組み合わせも……


彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」

(「創世記」第三章八-九節)


創世記の香りがする。


以上、こじつけめいていますが、

「恐ろしい父」&「目」

「逃げ隠れする子供たち」&「尋問する父」

こういうイメージってなんかユダヤ-キリスト教のニオイがぷんぷんする。


あれ――しませんか?……


少なくとも、「東京暮色」の異常さだけは感じとっていただけたのではあるまいか、と。


はい。あくまで「2」↓↓


そして

「父ありき」「晩春」「東京物語」……

「理想の父」を演じ続けてきた笠智衆の口から……


周吉「云えないのか、そんな奴は、お父さんの子じゃないぞ」


というセリフまで飛び出します。


あきらかに杉山周吉は小津作品一般の父親像とは異質な人物なのです。


S58


明子「あたし余計な子ねえ……」

孝子(じっと見て)「……どうしてそんなこと云うの?」

明子「……お母さんがあんなんだったんだもの……」

  孝子、ハッとしたように見る。

明子「……あたし、生れて来ない方がよかった……」

  孝子、じっと見つめている。



ユダヤ-キリスト教につづいて……

なんか実存主義哲学みたいなテーマが出てくる……


一体どうしたんだ!? 小津安っさん!!


というところで その6につづく。


小津安二郎は「ブレードランナー」の夢を見るか?

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えー気取ったタイトルですが、

前回のちょっとした補足。


「東京暮色」のすべて その5 で、

「ブレードランナー」を出したのは……


「目」といや、「ブレードランナー」!!


――という

単純な思い付きだったのですが……


よく考えれば「この二作品、けっこう似ているぞ」


などと思いまして。


まず「父」、エルドン・タイレル(ジョー・ターケル)


はい。メガネ。

「目」の強調です。


ヴォイト=カンプ・テストは

もちろん「目」が強調される。


チュウの工房では「目」をつくっている。



で、レイチェル(ショーン・ヤング)の目はオレンジ色にひかり……



デッカード(ハリソン・フォード)の目もオレンジ色に光る。



はい。

ロイ・バティ(ルトガー・ハウアー)のイタズラ。


というように、

「ブレードランナー」=「目」なんですけど、


「東京暮色」同様、

数字の「2」の映画でもあるんだな、これが。


「ふたつで充分ですよ!」


そしてレプリカント達は

「母親」がいない。


もちろん、デッカード&レイチェルのカップルも母親がいないわけです。


はい。

「東京暮色」してます。




子が父を裏切る、というはなし、

というのも似ている。


↓↓ 前回 書いたように、「創世記」のような感じがしますが、


福音書の「放蕩息子」のエピソードのようでもあります。



ん、でも、ヘビ、が出てくるんだから、

やっぱり「ブレードランナー」というのは

リドリー・スコット版の「創世記」なのだ。


ちなみにこのヘビは、ゾーラ役のジョアナ・キャシディのペットだそうな。




んで、「東京暮色」にもヘビ……というか、

「創世記」のヘビめいた奴が出てくる。

須賀不二夫演じる、バーテンの富田。


「東京暮色」S85

「その青年のアパートに一人の悪漢がいましてねえ、その青年をおだてて、ともあれ、この二人をですねえ、実になんと申しましょうか、テもなくくっつけてしまったんですねえ」


で、

「ブレードランナー」に戻りますと、


そうそう、ブラッシングシーン、みたいのがあったっけ。

ショーン・ヤングがめちゃくちゃきれいなんだな。ここは。


ショーン・ヤングはピアノの前に座っていますんで、


「女」&「鏡」ではありませんが……



うん、そうみると、

小津作品歴代ヒロインの中で最も無表情な

「東京暮色」の有馬稲子。


彼女もレプリカントじみていますな。

このブラッシングシーンのぎこちなさ、機械的な動き。





それから、それから……


・とにかく暗い。

・カルト的作品である。


というのも似ている。


等々考えますと、

リドリー・スコットは「東京暮色」を見ていたのか?

という疑問が浮かび上がってくる。


いや、正しくはこう問うべきなのでしょう。


――小津安二郎は「ブレードランナー」の夢を見るか? と。

小津安二郎「東京暮色」のすべて その6

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その6 


まさか

「東京暮色」でこれだけの分量が書けるとはおもいませんでした。

もっとはやく終わるかとおもってたのに。

途中で「ブレードランナー」に寄り道したりもするし……


一体いつまで続くのか?


S62

 国産の自動車が停車し、竹内重子がおり運転手に、

重子「一寸、これ」

 と襟巻を渡し入ってゆく。


といいますから……



「クルマ」&「襟巻」


「淑女は何を忘れたか」の飯田蝶子を思い出します。

(↓↓以下、2枚「淑女」)


しかし、戦前のアメ車の方が立派だし、エレガント。

戦後の国産車の薄っぺらなことよ。


車種は……クラウン??

なんだかわかりません。


しかし飯田蝶子の「襟巻」はやりすぎ。


ぬいぐるみかよっ!!



もとい。

つくづく若いころの作品の引用が多い、「東京暮色」です。


S63

はい。杉村春子でもやっぱし

玄関を外から撮ります。


ヘンな作品、「東京暮色」


S65

重子おばさん(杉村春子)は、明ちゃん(有馬稲子)の

縁談の話をしに来たんですが――


すみっこの「壺」に注目してしまう、トマス・ピンコであった。


これって……


かの有名な「晩春」の壺の……



上の「△」がない形ですねーー……


はい。反「晩春」

というか、これほど強烈な反「晩春」のシンボル、というのも他にない。


そして、現実。杉村春子の持って来た縁談は成立しないわけです。

お見合いすらしないうちに、有馬稲子は死んでしまうわけです。


杉村春子、写真を「2」枚持ってきます。


あと、

「立教出て、お店の手伝いしてて時たまうちへも来るんだけど、いい男よ(と鼻の両側を手で示し)この辺錦之介に似てて」

といいますので……


有馬稲子と中村錦之介が結婚するのは1961年らしいので

「ん? なにかほのめかし?」

とか思いますが、


シナリオ段階では 明子役は岸恵子だったはずですから……


んーよくわかりません。深い意味はないのかな。



でも、ここのメインは、明子の縁談、ではなく、

重子おばさんが「喜久子さん」に会った、というエピソードです。


重子「おとついね、あたしね、大丸行ってね、エスカレーターで二階行ったのよ。ひょいと見たら、とても似てんのよ、後姿が。おかしいなと思ったらやっぱりそうだった」

周吉「誰だい」

重子「喜久子さんよ」

孝子(ハッとして)「お母さん」


「2」階。


さらにいうと……これは「偶然」のエピソードです。


「2」→「偶数」

考えすぎか??



笠智衆は以降、まったく喋りません。



原節子は両目キラキラ、です。


S67

例の「二」の高架です。


この「二」……

「東京暮色」の登場人物たち皆が「平行線」をたどる、

ということを示しているような気がします。


↑のS65ですが、

杉村春子は「縁談」に夢中で、笠智衆がいまだに傷ついていることに無頓着ですし、

笠智衆は黙りこくって、誰にも心中をさらけだしません。

原節子は原節子で、「麻雀屋のおばさん」=「お母さん」ということを考えているはず。

このシーンに限らず、皆が皆、「平行線」なのです。



で、このシーン。

大大大女優同士の激突シーンですが……


ここも「平行線」


孝子(落ち着いた声で)「お母さんですか」

 喜久子、ハッと顔を上げる。

孝子「孝子です」

喜久子(息を呑んで)「まあ、孝ちゃん」


「お母さんですか」


――こんなすごいセリフ、よく書けたもんだ、とおもいます。


あと、原節子のかっこいいこと。


孝子役も、喜久子役も、完璧なキャスティング。

まー小津作品に向かってそういうこというのは野暮ですが……



山田五十鈴、片目キラッ。


あと、両手でゴニョゴニョやってますね。

娘に対してこみあげてくる「愛情」


だったら捨てるな、という話ですが。



喜久子「さあ、こっちい、いらっしゃいよ、ねえ」

孝子「いいんです」


このあたりの、あんまし罪悪感のなさそうな喜久子の様子……

「どうも悪人ではないのらしい」と観客はおもいます。


この難役を、なんなくやってしまっている(ようにみえる)

山田五十鈴……


すげーー


孝子「明ちゃんにお母さんだって事、仰有って頂きたくないんです」


喜久子「どうして、なぜいけないの」

孝子「お父さんが可哀そうです。そうお思いになりません」


S70

原節子が去り、相島(中村伸郎)が帰ってきます。


相島「誰だい、今帰ってった人」

喜久子「お帰り」

相島「綺麗な人じゃないか、誰だい」



で、おなじみ都落ちテーマが出てきます。

中村伸郎は室蘭に会社勤めの口があるようなのですが、

山田五十鈴は乗り気ではありません。


相島「お前、行きたくないのか、おれ一人じゃいやだよ、この寒いのに室蘭くんだりで一人じゃ寝られないよ、ねえ、行っとくれよ、一緒によう」


これも「2」の一種とみたいところ。


S73

産婦人科「笠原医院」


どうも、みたかんじ、

女医一人、看護婦一人でまわしているようです。



三好栄子が強烈。



笠原「どういうことになったの?」

明子「あの……やっぱり……」

笠原「ア、そう。その方がいいわよ。あんた、身体、弱そうだから」


前々回の記事「その5」で、

ユダヤ-キリスト教っぽい、ということを書きましたが、

「堕胎」なるテーマもまた、

なんかユダヤ-キリスト教っぽいんだよな~


日本だと、こんなことテーマになりませんからね~

キリシタン時代の宣教師も驚いていましたが。

はい。ボタンは毎度毎度「2」



笠原「あなた、お店どこ? 新宿? 渋谷? うちへもね、あなた方みたいな人ちょいちょい見えるんですよ。たまには立派なお宅のお嬢さんもコッソリ見えたりするけど、ちゃんとした理由がなきゃ、一さいお断り……」


これまた「二」……「平行線」です。

観客は明子(有馬稲子)がそういう人物ではない、と知っているのですが、

まわりはそうは見てくれません。


三好栄子の場合、

歯がキラッ!!


S77

有馬稲子、帰宅します。



 明子、廊下で遊んでいる道子を見つめる。


 道子が明子の方へヨチヨチ歩いてくる。

明子(堪らなくなって)「嫌」

 と顔を蔽う。


――というんですが、



個人的にはここ好きじゃないです。


小津安っさんらしくない。

もっとサラッとした描写で攻めてほしい気がします。


S78


で、毎度おなじみ、長回しのお着替えショット。



例によって無人になり↓↓


寝巻スタイルのネコちゃん登場。

もう、この格好だけで上流の香りがします。


このシーンの照明は「冬の午後ってこんな感じだなー」と、

いつみても妙に感動します。


明子「いいのよお姉さん……大したことないの。心配しないで……」

孝子「でも……」

明子「少しじっとしてりゃ癒るわよ」

 と洋服を脱ぎ、ネグリージェを纏って床の上に来て坐り、ストッキングをとり寝る。


お得意の靴下関係の描写。


孝子「いつものようにセカセカして、そんなに早くなんの用かと思ったら、あんたの縁談なの、男の人の写真二枚持って」


「2」枚。


明子(遮るように)「あたし、お嫁になんかいきたくない」

孝子「どうして?」

明子(呟くように)「行けやしない」


つづいて――


孝子「あんたまだ若いんだし、これからだもの、まだまだどんな幸せがくるかわからないわ。あたしなんか見てそんな気ンなっちゃいけないわ」


といいますが、もちろん……



「東京物語」の東山千栄子のセリフの引用です。


S103

とみ「でも、あんたまだ若いんじゃし……」

紀子(笑って)「もう若かありませんわ……」


んーー……


というか、この不気味なキューピーちゃんは……


明子の堕ろした赤ちゃんの……


……んーーー


…………


そうそう、こういうことやってほしいんです、小津安っさんには。




明子「少し静かに寝かしといて――」

孝子「そう、眠い? じゃ少し寝た方がいいわ。寒くないわね? 用があったら呼んで――(と立って)じゃ、電気つけないどくわね」

 と階下へおりてゆく。

 明子、次第に涙が溢れ、嗚咽して――




んーー布団の柄が「うずまき」だ。


なんか久しぶりにみた。


その7につづく。



小津安二郎「東京暮色」のすべて その7

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まずはじめにお詫び。

笠智衆&メガネ 記憶にない、とか書いてしまいましたが……


なにをいってんだか。


↑「晩春」


↑「東京物語」


笠智衆といや、メガネじゃないか……


なので「東京暮色」――


『こういう「冷酷な雰囲気のメガネ」ははじめて見ました。』


そう書けばよかったのに。

というか、自分の過去の記事みればすぐわかりますよね、

笠智衆&メガネ、たくさんあるってこと。


まったく、

ちょっとの手間を惜しむとこういうミスをやらかします。



もとい、


S84

おなじみパチンコの登場。


そして笠智衆と山村聰の会話は「クラス会」

いかにも小津映画。



関口「二、三日前ね、君ンとこの明ちゃんがうちへ来てね。金貸してくれッていうんだそうだ――明ちゃんから聞いたかい?」

周吉「ウム、イヤ……」


明ちゃん(有馬稲子)の堕胎の費用の出所がわかります。



S85

麻雀屋「寿荘」


相島「おとといの晩二時迄ですよ、珍しくついてましてね」

富田「そら珍しいや、そんな事もあんのかな」


二時……「2」時。


有馬稲子登場。あいかわらず憲ちゃん(田浦正巳)を追っかけているようですが――


相島「あ、いらっしゃい、あんたの姉さん、綺麗な人だねえ」

明子(意外な顔で)「姉さんて、あたしの」

相島「ああ」

明子「どうして小父さん、姉さん知ってんの」

相島「こないだ見えたんでね」


というやりとりで、

麻雀屋の小母さん(山田五十鈴)=「お母さん」

というのが判明します。

スマートなやり方ですが……

じつによくできたシナリオですが……


さて、小津作品らしさ、という点ではどうか?


このあたり、ですが。

小津作品特有の「運動」が、「物語」に負けている気がする。

「運動」で引っ張っていくはずの小津作品が、このシーン以降、

「物語」で推進されていく……


「親子の葛藤」「おのれの出生の秘密」「両親の秘密」「自殺」等々……

なんか「ブンガク」寄りになってるんですよね。

この作品をめぐっては、

小津安二郎と野田高梧の間でゴタゴタがあったようですが、

あるいはこの 「映像」VS「ブンガク」の相克がそうさせたのか???


まーしかし、横顔がぴったり揃っていたりするのは、

さすが。




登「おい、帰んのか」

明子「さよなら」


登(高橋貞二)が

有馬稲子と田浦正巳をくっつけたのは

バーテンの富田(須賀不二夫)だということを暴露します。


それから……

「英語で云う所のラージポンポンとでも云うんでしょうか、今回ポンポンが大きくなって来たんじゃないでしょうかねえ」

と妊娠も暴露します。


ラージポンポン、といえば、

「晩春」S47

アヤ「あ、クロちゃん来なかった。あの人今これなんだって、ラージーポンポン。七ヶ月……」



S87

有馬稲子帰宅。


↑外からのショット。

↓内からのショット。


いつもふさがっていた内側からの玄関。

それがはじめて明らかになる。


それが、母(山田五十鈴)の失踪の謎が明らかになる直前、

というのは深い気がします。



明子(冷たく)「聞きたい事があんの、お姉さん、二階へ来てよ」

孝子「なァに、改まって」


二階=「2」


もちろん、話題は「お母さん」のこと。


明子「お姉さん、なんだって五反田の麻雀屋へいらしったの?」


「いらしった」はいいな。上流の香り……


明子「――そう……やっぱりあの人がお母さんだったのね? なぜお姉さん早く云ってくれなかったの? なぜ違うなんて云ったの?」


孝子「まさかお母さんが東京へ帰って来てるとは思わなかったのよ。帰って来たって東京へは来ないと思ったのよ」




明子「ねえお姉さん、誤魔化さないで本当のこと云って頂戴。お母さんどうしてお父さんとわかれたの? ねえ、どうしてなの?」


このシーン、ネコちゃんのセーター越しのおっぱいにどうしても目が……

ブラッシングシーンもセーター着てましたが、

これほどおっぱいは強調されていなかった。


堕胎したあとにおっぱいを強調するとは、なんたる皮肉。

しかも話題は姉妹を捨てた「お母さん」……




孝子「お父さんの留守中、山崎って云う下役の人が、よくうちィ来て、いろいろ世話をしてくれたのよ。……」

明子「じゃお母さん、その人と……」




孝子「お父さんが京城から帰ってらしって間もなく、あたしたち、動物園へつれてってもらったことがあんの。好いお天気の日でね。あんた、とても喜んじゃって、ヨチヨチヨチヨチあっちィ行ったりこっちィ行ったりして、夕方帰る時になったら、電車ン中で寝ちゃって、お父さんにおんぶして来たのよ。そしたら、うちの表戸がしまってて、それっきりお母さんいなくなっちゃったの」


「動物園」といや、「長屋紳士録」

なぜなのか?? 「動物園」は「別れ」のシンボルであるらしい。


それから重要なのは「うちの表戸がしまってて」

「東京暮色」でやけに外から撮った玄関のショットが多いのは

そのせいか??


というかそれ以外に理由はないような気がします。

あと、さっき紹介した有馬稲子の帰宅のショットの念入りさ↑↑


「うちの表戸がしまってて」……

どうも「不在の母」の象徴であるらしい。


ん、あと、引手が気になるな。


「4」がバラバラに……


これって杉山家のメンバーがバラバラなことに対応していないか??

深読みなのか??



明子「あたしお父さんの子じゃないんじゃない?」

孝子「何云うの、あんた――どうしてそんなこと云うの」

明子「きっとそう――あたしお母さんだけに似てるんだもの。何ひとつお父さんと似てるとこ、ないんだもの、お母さんのきたない血だけがあたしの身体に流れてるんだもの」

孝子「そんなことない!」


このシーンの、原節ちゃん、有馬ネコちゃん……


この目の光らせ方は――


瞳孔ピカピカは……

アンタたち、レプリカントだね……


小津安っさん、あんた「ブレードランナー」のマネしてるね??


いや、失礼。

やっぱり、リドリー・スコットは「東京暮色」みてたのかな??


世代的に小津映画を学校の教材として見ていても不思議はないからな……


うーん、気になるな~



S89

お父さん、笠智衆が帰ってきたので、

おのれの出生の秘密……「わたしはあなたの子ですか?」

という重要なコトバを発しようとしますが……


明子「お父さん」

周吉(振り返って)「なんだい」

明子「ねえ、お父さん、あたし一体」

孝子「明ちゃん」

 明子、真正面から周吉と向き合う。

周吉「なんだい?」

 明子、云えなくなり逃げる様に二階へ駈け戻ってゆく。


有馬稲子はなにも言えず逃げてしまいますから……

笠智衆は I am your Father. といえないわけです。


ま。このあたりも……コトバは発せられなかったわけですけど。

ユダヤ-キリスト教っぽい。


日本というのはけっきょく「母」の国ですからね~

一番偉いのはアマテラスとかおっしゃる「女神」なわけですし。



で。


S91

玄関。

明子、おりてきて、靴を突っかける様にして飛び出してゆく。


これ以降、(生きては)明ちゃんは、この家に帰ってこないわけです。


なので、

S114 孝子「お母さんのせいです」

と、明子の死の原因をすべて母に押しつけてしまう孝子の理屈も……

ま、わからなくはないです。



S82

寿荘です。


菅原通済が……新聞を読みながら

「売春禁止法実施、成程ねえ」

などとひとりごと。


しかし、政界の黒幕めいたことをしていたらしいこの人、

じっさいに「売春禁止法」に関わっていたらしいですな。

あと、

「東京暮色」の「2」は 溝口健二の「2」だ。 

と、どこかで書きましたが、


そのミゾグチの遺作「赤線地帯」はやっぱし

売春禁止法がらみの作品でした。


たった一言でこれだけいろんなことを考えさせる小津作品……


あーあと「メガネ」かけてる。背後の「蛇口」も気になるし……


S94

喜久子「なァに、なんですの」

明子「あたし、小母さんと二人っきりでお話したいの」


母―娘の対決、第2ラウンド、といった感じです。

(第1は、原節子対山田五十鈴、です)




S97


で、近所のおでん屋さんへ。


喜久子「どうぞ……きたないとこだけど……」


「東京物語」の紀子が

自分のアパートを「きたないとこ」と表現してたのを思い出します。




のっけからすごい。

凄まじいシナリオ。


明子「小母さん、あたし一体誰の子なんです?」

喜久子(思わず息を呑んで)「誰の子って――」

明子「小母さん、あたしのお母さんね」


「小母さん、あたし一体誰の子なんです?」

「小母さん、あたしのお母さんね」


どっちもすごい。

ただ、有馬稲子は「父」が誰なのか? ということにしか興味がない。



原節ちゃんに

「明ちゃんにお母さんだって事、仰有って頂きたくないんです」

と釘を刺されているので(S67)


なんのかの誤魔化す山田五十鈴ですが、

原節子自身が教えたらしいとわかったので、告白をはじめます。


ここらへん有馬稲子の表情が、なんともいえず、いい。


自身、複雑な家庭環境で育ったらしい人なので

(実母ではない女性に育てられた)

「地」で演技できたのでしょうか。


喜久子「――お父さんの子でなきゃ誰の子だと思ってンの? あんた、そんなことまであたしを疑うの? そんなにお母さんが信じられないの?」


といいますが、当然

S51 明子(睨みつけて)「あんたの子でなきゃ誰の子よ、ねえ、誰の子だと思ってんの、そんな事迄あんた疑ってんの」

という……自身のセリフと重なります。


喜久子(山田五十鈴)=明子(有馬稲子)

母=娘……



さらにいえば、

「堕胎」という形で自分の子を捨ててしまった、その行為まで、

母のしたことと重なってくるわけです。


うーん……背景の引手が「十字架」めいているうえに……

お祈りしてるみたいな 両手……


こんな宗教画みたいなショット、はじめてみたような。


つくづくユダヤ-キリスト教っぽいのですよ、「東京暮色」は。



で。

喜久子「明ちゃん!」

明子「お母さん嫌いッ!」




シナリオは

「喜久子、追うにも追えず、その場に崩折れて、じっと考えこむ」

というのですが、


じっさいのショットは山田五十鈴の

抑制されたしっとりした演技です。





その8につづく。

次回で終わるでしょう「東京暮色」



小津安二郎「東京暮色」のすべて その8

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「東京暮色」のすべて、今回で最終回、の予定です。


S98

西銀座「ガーベラ」


富田(声を低くして)「おい、いつまでクヨクヨしてンだい。もう諦めなよ。あんな奴――もっとガッチリしたンでもめッけろよ。沢山いるじゃねえか、あんな奴のどこがいいんだい、えー」


という、須賀不二夫のセリフ。

「戸田家の兄妹」S42

昌二郎「あんな奴よりもっといい男は沢山いるんだ。俺がさがしてやるよ……まあ、少し色は黒いけど、がっちりしてて親切で、頼もしくって、見たとこあんまりきれいじゃないけど、俺の様なのどうだい?」

というのを思い出します。


佐分利信のセリフは妹への純粋な思いやりからいってるわけですが、

須賀不二夫のは下心がありそうですなー


なにか過去の作品の「引用」にしても

「東京暮色」の場合、ネガにしてひっくり返している印象があります。



明子(顔を上げる、涙が浮んでいる)「もういいの――帰るわ」


「ガーベラ」つづく「珍々軒」……


自殺(事故死?)直前のネコちゃんは、

どこか、お人形じみた雰囲気があります。


どこか非物質的な雰囲気……

照明が違うのか? メイクが違うのか?

それとも、僕の主観の問題なのか?



S100

はい。

で例のメガネ屋さんの看板。


あ。「華麗なるギャツビー」 DVD買ったんですが、

まだ見てません。すみません。(レッドフォード主演のやつ)

一緒に買った清水宏のBOXがあまりに凄まじいもので――


清水宏ブームが当分続きそうなので、みるのはだいぶ先になりそうです。


んー……

しかしシーンナンバー100……「一〇〇」に

メガネ屋の看板というのは……


「○○」……


これも意図的だとすると、コワイ……


S101

明子「お酒頂戴――」

義平「へい。――冷えて来ましたねえ。これで降りゃ雪だね」



義平「ああ、木村さんアパート代るんだってね? いいとこあッたかね? 昨夜もうちィ来て、明日ァ蒲田の方探すんだなんて云ってたッけが、どうでした、ありましたか」


「転居」という初期小津作品によくあった「空間論」

そして「蒲田」という地名……



S103

すると……


田浦正巳登場。


憲二「僕、ずいぶん君探してたんだぜ。ちッとも会えないんだもの……」


んーー……

なんというか、登(高橋貞二)によると、

「さる短期大学に、憎い程純情無垢な男女の学生がありましてねえ」

というのですが、


このあたりの憲二くん(田浦正巳)の落ち着いたふるまい方というのは、

なんか百戦錬磨の女たらしの雰囲気があります。


となると……

憲二にとって明子というのは

ワン・オブ・ゼムのひとりに過ぎなかった可能性もあり……

深夜喫茶での待ち合わせをすっぽかされた時も、

女と会っていたんじゃないか?

などという感じもします。


んだが、ま、そこは画面上には出てこない事です。



つくづく綺麗なネコちゃん。

やっぱり照明かな。コントラストがポイントか?


憲二「誰にも相談出来ないことだしさ。君が心配してると思うと、僕、夜も寝られなくなってさ。ほんとよ、痩せたでしょう?」


小道具は革の手袋。



といや、「朗らかに歩め」の高田稔。


あんまし「悪人」が登場しない小津作品において、

「朗らかに歩め」前半の高田稔。

それと「東京暮色」の田浦正巳。


革手袋をしている二人が共通して「悪人」というのはおもしろい。


明子、いきなり憲二の頬に平手打ちを喰わせる。

憲二「何すンのさ! 乱暴すンのはおよしよ!」




母(山田五十鈴)=娘(有馬稲子)とすると、


山崎(母の駆け落ちの相手)=憲二(田浦正巳)ということになるのか?

有馬稲子が殴った相手は山崎かもしれない??


ま。深読みですが。


有馬稲子が出て言った直後、電車のけたたましい警笛が鳴ります。


義平「あれッ、なんかあったのかな、ちょいと行って見て来ますからね!」


――じっと、考えこんでいる憲二……。


以降、画面上に田浦正巳は登場しません。



S104

踏切の方に人だかりが見える。


と、シナリオにはあります。

そういや、「珍々軒」の看板は「うずまき」に囲まれてますなー



↓ちょっと違うが。



で、
事故(自殺?)についてつべこべ説明はせずに、

病院のシーンになります。


S107


義平「なァ、薄情なもんだよ。付いても来ねえんだから……」


というのは、憲二(田浦正巳)のこと。


えー、あと。

この看護婦さんは妙に色っぽい気がします……


こういう場面だからそう感じるのか?

こういう場面だからこういう色っぽい役者さんを出演させたのか?



周吉(笠智衆)と孝子(原節子)登場。



義平さん(藤原釜足)、二人の身なりの良さに気づいた事でしょう。


「ん。これはそれ相応の謝礼が?……」

という彼の心境がなんかうまくでているシナリオです。


周吉「イヤ、どうもいろいろ御親切に……」

義平「ナーニ――。じゃ、あッしゃァこれで……」

周吉「そうですか、おいそがしいところ夜分おそくまで……」

義平「イエ、ナーニ……」

孝子「お父さん、お名前を……」

周吉「ああ……」



義平「あ、あッしゃァすぐそこのチャンソバ屋でね、下村ヨシヒラっていうんですがね、みんながギヘイギヘイって云いますが、ほんとはヨシヒラってンでさァ」


「ヨシヒラ」「ギヘイ」

名前が「2」つ……


S108

義平「いま二階でね、うちのこと聞かれたんだがね、つい珍々軒っていうのを忘れたからね、よく教えといてくれよ、珍々軒――。頼むよ」


「2」階……


にんまり笑う藤原釜足。(すごい笑顔)


笠智衆親子にとっては人生の一大事件なのですが、


義平さんにとっては「謝礼」というニコニコするような事件。

そして、看護婦さんにとってはいつも通りの仕事、なわけです。


「東京の女」ラストの記者たち。

「これはネタになりそうにないな」なんてことをいう連中を思い出します。


S109


周吉「死にやせん、大丈夫、死にやせん」

孝子「明ちゃん、しっかりして」

明子「ウーお姉さん、アー、あたし死にたくない」


小津映画の登場人物は大抵

「ああ、気持ちだ」

とかいって朗らかに死んでいくのですが……


死にたくない、死にたくない、といって死んでいく杉山明子は

あきらかに特異な存在です。


S110

大好きな時計のショット。




アクビをする色っぽい看護婦さん。


アクビ、うたたね、というと、

「その夜の妻」


そういや、

「その夜の妻」 八雲恵美子&岡戸時彦の夫婦の娘の名前は

「みち子」……


「東京暮色」 原節子の娘の名前は「道子」……


ただ……「ミチコ」というと、

小津ファンがまず思い出すのは「桑野通子」だったりする。

次作「彼岸花」で、桑野ミッチーの遺児、桑野みゆきが登場するのも考えたいところ。


まー「ミチコ」なるネーミングだけで色々考えさせられる。

美智子皇后陛下の「ミッチーブーム」は、「東京暮色」のちょっとあと。



S114

麻雀屋「寿荘」


しかし、今頃気づくのもなんだけど……

失踪しちゃった母がやっている麻雀屋の名前が「寿」荘、というのも

小津安っさん一流のアイロニーか?

野田さんのアイデアかもわからんが。


はい。母娘対決の第3ラウンド。


孝子(冷たく)「お母さん」

喜久子「まァ、いらっしゃい」

孝子「明ちゃん、死にました」

喜久子(ハッとする)「まァ、いつ、なんで、なんで死んだの、明ちゃん」

孝子「お母さんのせいです」

 孝子、身を翻して帰ってゆく。



「明ちゃん、死にました」

「お母さんのせいです」


はい。毎度毎度すごい対決です。


例の「紀子三部作」で、徹底的に思いやりに満ちた「紀子」を演じた原節子が、


――「東京暮色」においては、

極端に短いセリフで、

母親(しかも山田五十鈴!!)をイジメぬく、という……


毎度毎度、自分の作った世界をぶっ壊して、また再構成、

という過程を積み重ねていく、小津安二郎……


はたから見れば「巨匠」、「松竹の天皇」なわけですから――

そんなことする必要はない、と思うのですけど……

やるんだね、この人は。

進化し続けるね。


だからトップランナーで居つづけることができたのでしょう。


「紀子三部作」のラインで適当な仕事をし続けていれば、

まあ、ほどほどのヒットは保証されている。

でもそれは絶対にやらない。できない。

「早春」「東京暮色」、この「失敗作」の流れというのは、

――「晩春」「麦秋」「東京物語」という、傑作中の傑作。

どっからどうみても完璧、な作品群を

どうぶっ壊していくか??

その視点から見ていくと、感動するより他ない、気がします。


「ものづくり」をやっている人間にとっては、

この凄まじい自己超克の物語……

小津安二郎自身のものすごい葛藤……

それをひしひしと感じるより他ない。


まー本人はけっこう気楽にやってたのかもしれないですが……



S116

喜久子(山田五十鈴)

「あたし、もう東京いやンなっちゃった」

と北海道行きを決意します。


相島「ナーニ、寒いったって知れたもんだよ。どこ行ったってお前、二人づれならあったかいやね。うん、そうか、行ってくれるかい……そいつは有難てえなあ……」


二人づれ……「2」人……


S118

そしてとうとう、山田五十鈴が杉山家の玄関へ……


S88 原節子のセリフ

「そしたら、うちの表戸がしまってて、それっきり、お母さんいなくなっちゃったの」

これに対応します。


というか、えんえん玄関を外から撮っていたのは、

このS118のショットを撮りたかった……その下準備なのでしょう。


S119



母娘対決 第4ラウンド。


喜久子「さっきは、どうも電話で……」

孝子「……」

喜久子「あたし、今晩、九時半の汽車で北海道へ発つの、これ(花)明ちゃんにお供えしたいと思って」

孝子「……」

喜久子「いけないかしら」

孝子「……」


目がキラッ。


ひたすら無表情な原節子。



身体の姿勢も変化なし。


喜久子「もうこれで会えないかも判らないけど、いつ迄も元気でね」

孝子「……」

喜久子「じゃ、帰るわ、じゃ、さよなら」

孝子「……」




S121

それ迄じっと動かなかった孝子が一時に堰を切った様に泣き入る。


S124

で、上野駅のシーン。

ここはたまらなくいいですね~


使っている車両は本物。




電車の車体を「鏡」みたいに使う、というのは

小津安っさん、よくやるテクニック。


山田五十鈴は原節子が見送りにくるのを待っていますが、

――来ません。


……通俗ストーリーですと、

「お母さん!」「孝ちゃん!」

とかいって抱き合って泣くのですが……



はい。いつもの厚田さんの証言。


厚田:やっぱり本物の客車使ってますから、椅子も固定してるし、山田五十鈴と中村伸郎がお酒飲むのもいい感じが出てますね。山田さんが前かがみになりますが、あれがセットで椅子が浮いていると演技がやりにくくてああはいかないんです。それに何てったってニスが塗ってありますから何となくいい光もあるし、奥行もあるし、棚なんていうのは本当にセットのつくったあれとは全然違いますからね。御覧になると分かりますけど、やはり艶はないし、何となくセットセットして違いますね。

蓮実:でも、本物の客車を使うと、とくにロー・アングルの場合はたいへんじゃないですか。

厚田:いや、ちゃんと手前のシートを外しちゃいますから。上のシートを取っちゃいます。あれ、割合に厚いものですよ。でも馴れてますからね(笑)。で、シートを外してキャメラを置く。

(厚田雄春/蓮実重彦、筑摩書房「小津安二郎物語」184ページより)


なるほどシートを外して、キャメラを置く、と。



S130


「1」「2」……


S131

孝子が椅子に座りじっと考えこんでいる。


S132

孝子「あたし帰ろうと思うんです」

周吉「何処へ」

孝子「この子に明ちゃんみたいな思いをさせたくないと思うんです」


原節ちゃんの微笑み……美しい……

大人な感じです。



周吉「そうか、じゃ帰るか」

孝子「ええ今度こそ一生懸命お父さんにご心配かけない様にやってみます」

周吉「そうかい」


「じゃ帰るか」――


「東京物語」S164

周吉「そう、帰るか。長いこと済まなんだなあ」

紀子「いいえ、お役にたちませんで」

を思い出します。



孝子(微かに笑って)「あたしにも我儘なところがあったんです」

周吉(微笑して)「そりゃ誰にだってあるさ、やァ、まァやってごらん、やって出来ないこたァあるまい」

孝子「ええ、やってみます。でもお父さん、あたしがあっちィ行ったら、後どうなさるの」


ここはどうしても「晩春」を思い出すところ。

S93

紀子「ええ……ほんとに我儘いって……」

周吉「イヤ、わかってくれてよかったよ。お父さんもお前にそんな気持でお嫁に行って貰いたくなかったんだ。まア行ってごらん。お前ならきっと幸せになれるよ。むずかしいもんじゃないさ……」





S133

周吉が来て、電燈をひねり、床の間の仏前に坐る。

周吉、お経を口ずさむ。



妙に……ポップ、というか、

かっこいい遺影。



笠智衆、お寺の息子ですので、

お経はお手のもの。


小津安っさんの日記にも「笠にお経をあげてもらう」とかいう記事がみえます。


というか、自分で不器用不器用といってるくせに、

笠智衆、器用ですよね。 「長屋紳士録」ののぞきカラクリ、とか。




というように、「東京暮色」おわります。


これで「彼岸花」以降、小津作品はカラーですので、

笠智衆、白黒時代の「死」を悼んでいるのかもしれない??


あ。先回りしていっちゃいますと。

「彼岸花」の裏テーマ、「暗号」というのは……

BLACK&WHITE

だったりします……


なんとひねくれた奴……

小津安二郎……




島津保次郎「隣の八重ちゃん」(1934)感想 その1

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最近、清水宏のBOXを買って以来、

30年代日本映画にハマってしまっていて……


「ハマった」と偉そうにいえるほど本数見ていないんですが。

あと、戦前日本映画、

DVDでみれる本数は限られてくるんですが。


んーとにかく、

小津作品の感想はあとまわしになりそうです。

しばらく30年代日本映画に浸ろうとおもいます。



で、「隣の八重ちやん」です。

監督は、もうひとりのヤスジロー


――島津保次郎。


原作・脚色・監督:島津保次郎、というのだから、

シナリオは自分で書いてしまったわけだ。


えージャケット。

↓右の女の子、逢初夢子。左、高杉早苗。



感想、ひとことでいうと

「八重ちゃん萌え~」


これは良いです。皆さん買いましょう。

買って買って、

松竹に30年代映画DVDをどんどんリリースさせましょう。

んーもっと島津作品がみたい。


以下、マニアックな感想。


感想①逢初夢子


八重ちゃん……服部八重子役が逢初夢子なんですが……


逢初夢子、って

ヴァンプ専門の脇役女優さんなのか。

と勝手に僕は思いこんでいて……


↓2枚、清水宏「港の日本娘」(1933)ですが、



及川道子と一緒に、

ダンサーみたいな売春婦みたいな生活をしてる悪い女を演じてました。


で、最後お巡りさんに捕まる、という役。




↓2枚 小津安二郎「非常線の女」(1933)


妙に現代的な容貌の……

これまた悪そうな女が出てくる、それが逢初夢子。


んーこうやって切りとってみても、

小津映画のショットというのは、なんか、こう……

妙な品格があるなーー


そんな悪い女ばかりの逢初夢子が、

純情可憐な八重ちゃんを演じる、という……


どうなることか、と勝手に不安がっていたのだが。

まったく心配はありませんでした。


はい。以下、画像は「隣の八重ちゃん」



んーというか、松竹ってところ。


新人女優をまず、ヴァンプ役で使ってみる、という

妙なシステムがあるのじゃなかろうか??


たとえば桑野通子。

デビュー作はどんなだか知らないのですが、

清水宏「有りがたうさん」(1936)などみると、

デビュー後すぐ、流れ者の酌婦なんかを演じていたことがわかる。


純情な役柄……たとえば「新女性問答」(1939)は、

そのあとになるわけです。


今の常識からすると逆のような気がするが……

でも……

「純情→ヴァンプ」というのは違和感があるし、どこかみじめですが、

「ヴァンプ→純情」というのは、


「ああ、あの子は不良不良だとおもっていたけど、案外純粋な子だった」

とか、いうのはよくあるパターンだし。

あんまし違和感はないのではなかろうか?????



んーとにかく逢初夢子がかわいゆすぎる。

この「八重ちゃん」で大スターになったというのは納得。


↑右は大日方伝。

八重ちゃんが憧れる隣りのお兄さん、恵太郎役。


前年、小津安っさんの「出来ごころ」(1933)に出てました。

そして同年「母を恋わずや」(1934)にも出演。


しかしこうしてオールトーキーの「隣の八重ちゃん」見ちゃうと……

同時期にサイレントを撮り続けた安っさんがホント古臭くみえます。


俳優さん達もそうおもったのではあるまいか??


ま、1934年のキネマ旬報ベストテン1位は

その古臭い「浮草物語」となるわけですが……


書物からの引用をば。

逢初夢子。かの水久保澄子と同期のようです。


逢初夢子

水久保澄子が裏町のなんでもない美少女なら、こちらの方はいくらか仔細ありげに見えた。当時の言葉でいえば、モダン・ガールのはしりであったといってもいい。事実、受け入れた蒲田撮影所の待遇でも、水久保よりこの人の方が上だった。(中略)
水久保とともに成瀬巳喜男の「蝕める春」で若鮎のように登場したが、ついで一本立ちとなったのは水久保の方が一歩早く、名匠島津保次郎の「嵐の中の処女」でキビキビとした貧乏会社員の小娘を好演、いっぺんに人気者となった。逢初夢子もつづいて同監督の「隣の八重ちゃん」に主演、サラリーマンの娘、八重ちゃんを演じ、これまた前作に劣らぬ名作となった。人によってかならずしも評価は一致しないが、前作のさりげない庶民の哀愁に対して、後者には、もすこし色濃い人生ドラマがこめられていた。

(猪俣勝人・田山力哉、現代教養文庫「日本映画俳優全史・女優編」268ページより)

 

感想②小津安二郎と島津保次郎 


直接、「隣の八重ちゃん」の感想じゃないんですが……

やはりヤスジローといや、小津安二郎との関係が気になる訳でして……


しかし、結論からいってしまうと、


――同じ松竹・蒲田撮影所にいたわけですが、

あんましこの二人のヤスジローは接触がなかった、ようです。


・島津保次郎:明治30年(1897)生まれ

・小津安二郎:明治36年(1903)生まれ


なので島津オヤジのほうが

小津安っさんの6年年長。

ついでにいや、島津ヤスジローはチビで、小津ヤスジローは大男。


小津安二郎のお師匠は大久保忠素というひと。

助監督時代は大久保組にいた。


「全日記 小津安二郎」をみても、「大久保忠素先生」「大久保さん」の名はちょこちょこ出てくるが、(仲の良い師匠と弟子である)

「島津」の名は皆無に近い。


1933年6月1日(水)

「島津組と野球をやる 引分」

という記述がある。見つかったのはそれだけ。

一緒に飲んだり、ということはなかったようだ。


別に……

書物・インターネットからの情報によれば、

先輩・島津保次郎はイジワルではなかったような感じがするので、

(「競馬気狂い」だった、という情報はあるけど……)

嫌っていた、とかいうわけじゃなく、

単に縁がなかった、というだけのことだろう。


おもしろいのは

1934年6月30日(土)

「邦楽座にて めをと大学 八重ちやんを見る」


――DVDのジャケットによると、1934年6月28日公開らしいので、

公開直後の「隣の八重ちゃん」を見ているわけです。

ただ、感想はない。


小津安二郎の日記。つまらない映画の場合は「凡作」「まことに面白からず」と断言。

おもしろい時は……

「帝劇で フランク・キャプラのIt happened one nightをみる 面白し」

などと一言で感想を書くので……


小津安っさんにとっては「八重ちやん」は

良くもなく悪くもない、

フツーの出来だったのだろうか??


ああ、そうそう。

逢初夢子に関する記述も少しだけあります。


1933年2月18日(土)

「絹代 逢初と大木に非常線の女のドレス注文に行く」


1933年6月6日(火)

「高山 加賀と銀座に出て水久保 逢初と竹葉でめしを喰ふ」


まー

田中絹代&逢初夢子……

水久保澄子&逢初夢子……


ははははは……笑っちゃうより他ない豪華な顔ぶれ。


感想③暗号「2」


えー、で、以下、「隣の八重ちゃん」を

あらすじ順にみていこうとおもいます。


「八重ちゃん」の暗号は「2」です。

「2」をテーマにシナリオは構成されているようです。


上記のように、小津安っさんのお師匠は大久保忠素なのですが、

師匠筋ではない島津保次郎が

なんと「暗号」でシナリオを書いている、ということです。


んーこれはどういうことなのか??

小津は実は島津作品から「暗号」を学んだのか??


んー……

ま、いいや。

まずは移動撮影からはじまります。


カメラは右に向かって「ゴトゴト」と動きます。(小津安っさんなら怒り狂いそうです)


はじめに紹介されるのは服部家↓↓

八重ちゃんのうちです。


覚えておいていただきたいのは、この特徴的な門です。


背景の鉄塔も興味深い。1930年代からあったのね。


お次。

新井家の兄弟が登場。

兄・恵太郎(大日方伝)

弟・精二(磯野秋雄)


空き地でキャッチボールをしております。

むろん「2」


で、恵太郎の新井家が紹介される。

△屋根が特徴的です。


つまり、キャッチボールの「2」

服部家―新井家の「2」

を移動撮影で示しているわけです。


はい。で「2」軒の家を、ロングで捉えます。

気になるセリフをひろってみますと……


精二「兄さん、グロッキーだよ、もう」


恵太郎「もう三つ四つ 正確に放ってみろよ」


「2」ときて、三つ四つというのですから、やります。島津ヤスジロー。


「移動撮影」とか「建物の全景」(広角レンズ)とか

小津安っさんには我慢ならないでしょうが、

「暗号」を使うのは上手い……


……というか、小津は島津に「暗号」を学んだのか?

とかおもえてくる……


えーで、よくあるように、

服部家の窓ガラスを割ります。


で、八重ちゃん、登場。

「あぶないわねえ」とかいって。


しかし、この月並みパターン。

元祖は「隣の八重ちゃん」なのだろうか?

そんな気がする。


ということは、この当時は「月並み」ではなく「斬新」だったのだ。(??)

そうおもいたい。


「2」が「3」に……


シナリオはこのパターンが多いです。

よくあるのは、

八重ちゃんが恵太郎とお話をしていると、

間に精二(無邪気・なにも考えていない)が割りこんでくる、というもの。



八重ちゃん「この夏はどうしても甲子園行けると豪儀なんだけども」


と精二が甲子園を目指していることがわかります。


「野球」「甲子園」というのも

最新の話題でしょう。


弟・精二がガラス屋さんを呼びに行きます。


八重ちゃんのお母さん(飯田蝶子)は

おとなりの兄弟にガラスを割られるのに慣れっこになっています。


「勘定はあんたんとこ取りにやる?」

「モチのロン」


で、二人は仲良く銭湯へ。


「じゃ、一緒に行きましょうよ」

うーん……


いいなーー


はい。で、さっきいったよくあるパターン。

何も考えていない精二が割りこんできます。


「鉄塔」「電柱」

道路が舗装されていないことを除けば、

現代とそう変わりません。


新井家の夫婦の会話。

お母さんは「戸田家の兄妹」にも出てた葛城文子。


新井家も服部家もサラリーマン家庭です。


会話は「専務のご出産」に関して。

「ご妾宅とご本宅で競争じゃ……」という具合。


「2」です。


鳥かごの中の小鳥が「2」


ガラスの修理が終わって飯田蝶子。


「明日もいいお天気だ」「富士山がよくみえること」


――……んーーー


「富士山」うんぬんは、小津作品にはなさそうが……


「いいお天気」というのは……


なんだなんだ? 小津安二郎はひそかに島津ヤスジローファンであったのか??



えー、で、あくる日。

恵太郎(大日方伝)、大学生なんですが、

午後の講義がつまらない、とかいって早く帰ってくる。


が、お母さんが外出中で家が閉まっている。


ので、服部家(八重ちゃんち)にのこのこやってきて、

「小母さん、おなかすいちゃった」とかいっている。


飯田蝶子も、この子がかわいくて仕方ない様で、

ごはんの支度をしてくれる。


↓人の目線あたりからの俯瞰ショット、(ローポジではない)


ですが、んーなんとなく小津っぽくもある……

(襖の開き具合、とか)


大日方伝が「お茶漬け」を食べている所に

八重ちゃんがお友達を連れて帰宅。

「2」人の女の子。


お友達役は高杉早苗……


か、かわゆい……


「宗方姉妹」の、あのおばさんが……

こんなに可憐であったとは……


で、お茶をひっくり返したり、漬物をひっくり返したり、

というコメディ。


八重ちゃん(逢初夢子)のおてんばっぽさと、

悦子ちゃん(高杉早苗)の大人しい雰囲気との組み合わせも

コメディを盛り上げます。


自室にて。

どんどん服を脱いでいく八重ちゃん。


会話は

「たんなるお友達?(恵太郎のこと)」

「キャハハハハハ!」

という具合。


八重ちゃんの笑いは特徴的で、

文章ではとても表現できません。


トーキー初期の……なにか、こう、

表現の幅が広がったことへの歓びが感じられます。


ガラスの割れる音。食器が触れ合ってたてる音。

八重ちゃんはしきりに歌うし……


そしてキャハハハハと笑う。


えーどんどん脱ぎますよ。


で会話も

「あら あんたの胸素敵ね。おっぱいの形とてもいいわ」

とかいいますので……

(「かげ台詞」という、これまたトーキーならではの技法。小津安二郎は絶対にやらない……)


恵太郎(大日方伝)は気になってしかたない。


お着替え終わった八重ちゃんが、

お片付け。


そうそう、さっきいった食器の触れ合う音というのはここ。

ガチャガチャ……


八重ちゃんが、モジモジしている悦子ちゃんを

恵太郎さんに紹介します。


美少女高杉早苗を目の前に、

大日方伝はデレデレしていますが、


八重ちゃんに靴下の穴を発見されてしまいます。


んーーー

靴下→「2」


以降、靴下はこの映画の中で繰り返しでてくる小道具なんですけど。


んーーー

小津安っさんの「靴下」へのこだわりも考えたくなる。

あと、靴下の穴、というと、

「淑女と髯」だよね~


なんだか八重ちゃんは靴下の穴を直す機械をもっている、とのこと。

「あたしんち直す機械があんのよ」

「あたしこれやんの大好きさ」


(靴下を持って)「きたないわ」「おーーーくさい!!」


ということでけっきょく洗濯してから穴をふさいでくれることに。


というのですが、

「引手」に注目してしまうトマス・ピンコであった。


↑恵太郎、八重ちゃん、悦子ちゃん、の3人の時。

引手は「3」であったのだが……


↓八重ちゃん、悦子ちゃんの2人になった途端、

「2」に……


なんだ?なんだ?……


で、じゃれ合う「2」人。


かわゆすぎる、30年代美少女たち。



えー、とまあ、「隣の八重ちゃん」

前半はこんな感じ。


んー……


島津ヤスジローと小津ヤスジロー……


二人は実は師弟であったのか??

それとも??


その2につづきます。

島津保次郎「隣の八重ちゃん」(1934)感想 その2

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小津ヤスジローと島津ヤスジロー……

二人の関係がいまいちわかりません。


小津安っさんが蒲田撮影所に入った頃、

6歳年上の島津保次郎はすでに「巨匠」で――

……で、どうも

大げさな「物語」ではなく、

小市民の生活を淡々と描くという「蒲田調」を確立させたのが

島津保次郎であったらしい。

(といっても、八重ちゃん一本しか見てないので何ともいえない)


なので、小津自身「自分の師匠は大久保忠素だ」

とおもっていたにせよ、

(「一人息子」で笠智衆が演じたのは「大久保先生」だったことに注目)


蒲田調=島津保次郎なのですから、

影響を受けるのはあたりまえ。

と言いきっていいとおもいます。


あ、あと。ざざっと「小津安二郎戦後語録集成」をみまして、

島津保次郎に言及している所をみつけましたので引用します。

1952年の証言です。


 もう一つぼくのクセを白状しておくと、ぼくはロケーションが好きでない。セットでも行けると思う芝居はセットへ持ちこむ。ロケーションは天気にも左右されやすいし、スターに群衆の前で注文はつけにくいから、気をつかうし、思い切った事ができない。その結果、ロケーションもセット向きに撮ってしまう。反対なのはなくなった島津(保次郎)さんだった。この人は、セットもロケーションみたいに撮った。中を行くのは清水(宏)で、彼は彼らしくロケーションはロケーションらしく、セットはセット向きに軽く監督してのけている。

(フィルムアート社、田中眞澄編「小津安二郎戦後語録集成」163~164ページより)


セットとロケの差に関して、

・小津パターン

・島津パターン

・清水パターン

この3パターンがある。といっています。


こういう証言をみると、それなりに尊敬し、注目していたのではないか?

とおもえます。


えー「隣の八重ちゃん」にもどります……


前回紹介したショットのセリフ――


悦子ちゃん「ちょっとフレデリック・マーチに似てるわね」

八重ちゃん「今度よく見比べてやろう」


と、フレデリック・マーチ=恵太郎なる

「2」が。


悦子ちゃん「あんた好きなんでしょう、あの人」

八重ちゃん「失礼しちゃうわ、悦子さん」

で、じゃれあう二人。



で、その夜。

新井家にて。

八重ちゃんが靴下の穴を直す機械をみせびらかして(?)いる。


ほんとうは恵太郎(大日方伝)のところへ行きたいのだが、

遠慮している、というところです。


葛城文子が「なるほどねえ」なんていいますが。


わたくしには仕組みがわかりません。

これはどういうシロモノなんでしょう?


あ。小津映画にはこういう種類のクロースアップ↓

ありそうで、ない。

モノのアップ……ちょっと記憶にない。


一方の恵太郎。勉強中。

東大の「独法」だそうです。


ので、ドイツ語で歌をうたっている。


一方の服部家(八重ちゃんち)では

オジサン二人が呑んで騒いでいる。

会社への愚痴愚痴愚痴。


八重ちゃんのお父さん役は岩田祐吉という人。↓↓

よく知らんが、

どうやらサイレント初期の大スターであったらしい。

かの栗島すみ子先生との共演が多かったらしい二枚目。

ま。今となっては完全に忘れられているのだから、

「スター」というのははかないね~


オッサン二人が大声でがなりたてる、

このシークエンスなんですけど……


僕の個人的な感想ですが。


恵太郎のドイツ語の歌→大声のがなり声。


これってアドルフ・ヒトラーの演説のパロディのような気がしてならない。

なんか似てるんだよな~

オッサン達のがなり声とヒトラーの演説。


1934年。ナチスが政権とった翌年。

どうでしょう?

こればっかりは見て頂いて判断してもらうより他ない。


ただ、1934年当時、一般日本人にとってヒトラーというのは、

たぶん「偉大な人物」だったろうから……

風刺する理由はあんまりないような気もする……


パロディというのは深読みなんだろうか??


と、そこへ。

八重ちゃんのお姉さん、京子(岡田嘉子)が帰ってくる。



「2」です。↓↓


というより、

今までサイレントでしか「岡田嘉子」みたことなかったので、


喋っている岡田嘉子がみれて感動している自分がいる。


うむ。やっぱし美人な岡田嘉子。


「お父さん、あたしもう金田へは帰りません」


嫁ぎ先から出てきてしまったらしい。



一方その頃。新井家。


と、「八重ちゃん」は全編、服部家と新井家を行ったり来たりする。

「2」……「振り子運動」……


八重ちゃんが直した靴下をもって恵太郎の部屋へ。


「八重子、履かせてくれ!」

「……」

「――と、こういうのさ」

「バカにしてるわ! 知らないわよ!」


などとイチャイチャ。


こういう若い男女の軽妙な会話、島津オヤジうまいな~


と、そこへ例によって精二くんが邪魔に。


「八重ちゃん、あやしいぞ」「だって兄さんの部屋ばっかり入りたがってるんだもの」

と、この子は精神年齢10歳くらいに描かれています。


スポーツと食べ物にしか興味がない。


逆にいうと、「恋愛」という感情がないので、

恵太郎―八重ちゃん、と三角関係を作る危険性がない、ということです。


逢初夢子のアップ。


小津のアップ、バストショットは正直、不気味なところがありますが。

(観客を真正面から見据えたりする)

島津オヤジはそんなことはしない。


俯瞰ぎみ、あと斜めから、ということで無害な視線をつくり出します。


八重ちゃんは

フレデリック・マーチ=恵太郎(大日方伝)

という「2」を確認します。


「なるほどよく似てるわ」


葛城文子が

お姉さんが帰ってきた、と八重ちゃんに伝えます。


傘、という小道具が気になっている自分がいる。

小津も傘好きだよな~



で、どんより沈んでいる八重ちゃんち。


たたずむ岡田嘉子。

頭を抱える飯田蝶子。

ムスッとしている岩田祐吉。


で、引手が「3」


うん。ここまで繰り返されるということは、意図的だな。

小津安っさんは「引手の暗号」に関しては

島津オヤジから学んだのだ。たぶん。



僕は、この「3」……

岡田嘉子が登場してから出現した「3」……

深いとおもいます。


結論をいっちゃうと、

・八重ちゃん(逢初夢子)

・京子(岡田嘉子)

・恵太郎(大日方伝)

この三角関係を示している「3」です。

(さきほどいったように精二君は三角関係をつくらない)


ここで、

オープニングのトラッキングショットを思い出しましょう。
ガタゴトガタゴト、とひどく揺れる……


溝口健二なら卒倒しそうな移動撮影、ですが、


この門↓↓


だまし絵なんじゃないでしょうか??


人の横顔が隠れてませんか??


見つめ合うカップルが「2」組いる、という図……


そうみえませんか?


で、「2」を示し……


△……「3」を示す。という。


つまりオープニングのショットは

「隣の八重ちゃん」の全体の構造の縮図となっているわけ、です。


はい。

で、岡田嘉子登場の翌日。


オープニング同様。恵太郎―精二のキャッチボールからはじめる、という……


はい、で、キャッチボールの横では、

岡田嘉子、飯田蝶子がグジグジとケンカをしています。


岡田嘉子のダンナは、

女中さんに手をつけるわ、

結婚詐欺まがいのことをして警察の御厄介になるわ、

とんでもない野郎のようです。


今だと、それは慰謝料もらって当然の話ですが、

この頃の女は泣き寝入りをしないとならないようです。


はい。「2」


飯田蝶子、精二君に、

「またガラスこわしちゃ困るよ!」

とガミガミ。


オープニングと対照的。機嫌が悪い。


飯田蝶子の行き先はおとなりです。



「あらあら、下駄も片ちんばだ」


「2」……


ですが、これから示される

岡田嘉子―大日方伝、

このペアが結ばれないことを暗示しているようでもあります。


「まったく世の中真っ暗よ」

「そんなに悲観することないと思うな、僕は」


今、ちょうど読んでいる、

佐藤忠男の「増補版 日本映画史Ⅰ」では、

「八重ちゃん」の岡田嘉子の演技が否定的に描かれていて……

それは全くその通りだとおもうんですけど……


この作品では、既成の大スターであった舞台出身の岡田嘉子がひとりだけ、ややお芝居くさい演技で浮いて見える以外、大日方伝、逢初夢子、高杉早苗など、なかにはまだ殆んど素人に近い新人を含む、しかし今日的なモダーンなフィーリングを持つ若い俳優たちが、日頃スタジオでたわむれている感じをそのまま撮ったのではないかと思われるようなのびのびしたふるまいを見せる。

(佐藤忠男著、岩波書店「増補版 日本映画史Ⅰ」373ページより)


佐藤先生、よほど岡田嘉子の演技が気に食わないらしく、

この後のところでも「ちょっと過剰な媚態で」とか書いてる。


んー、でも、岡田嘉子のオーバーな表現、

どうもコメディ要素のような気がするんですよね~


テレビのバラエティ番組のコントに

名の知られた女優さんが登場して、

で、妙にシリアスな演技をして、笑いをとる、という、アレ。


あと、映画全体の構造からすると、

岡田嘉子は

「2」に映画にむりやり入り込んでくる「3」なわけです。

異物なのです。


異物として出現して、異物として去っていく人物なわけです。


ここで、岡田嘉子のかわりに

田中絹代なり、川崎弘子なりが、

しっとりした演技で

「まったく世の中真っ暗よ」

といったとする。

そうすると、ほんとうに真っ暗な映画になってしまい、

コメディとして成立しなくなるわけです。


んー佐藤忠男先生がそんなこと、わからないわけはないとおもうけど。


んー「東京の女」を思い出すな……


で、やけにエロい顔の岡田嘉子をみて

「うわ、やべっ」とおもったか、


目をそらした大日方伝の視線の先は、


靴下。

「2」

で、昨夜の八重ちゃんとの会話を回想する恵太郎でした。


ここで観客は、

・けっきょく恵太郎は八重ちゃんが好き。
・そして恵太郎は下心ではなく、ただ親切だから京子を慰めているだけだ。

というのがわかるのですが、


しんみり話しこむ二人を目撃した八重ちゃんには、

そんなことわかりませんで、


嫉妬のかたまりになります。


ん。誰かに似てる似てるとおもったのだが↓↓


中江有里さんだ。

似てません??


一瞬ぶんむくれた八重ちゃんですが、

恵太郎がそばにくればニコニコ。


「恵太郎さん、映画でも見にいかないこと?」


ですが、

「よお、みんなで行こうよ」


京子、精二もさそって行こうということになる。


「姉さんをなぐさめる意味でもいいことだよ」



はい。で映画館へ。


そういや、「東京の女」

絹代ちゃんと江川宇礼雄の映画おデートあったな。


岡田嘉子の泣き顔のアップといい、映画館といい、

島津オヤジは「東京の女」意識してたのかもしれないなー


「隣の八重ちゃん」=アンチ「東京の女」

なのかもしれぬ。


はい。なんかイチャイチャしてますので、


八重ちゃん、心穏やかでない。



映画館からタクシーで移動。


夜の街、いまだと簡単に撮れるけど。


絶望的に暗いレンズと、感度の低いフィルムで、

まーよくやったものです。

なんか特別な工夫とかあったのか?


当然鮮明には写りませんけど。

雰囲気はいい。


すごくいい。


で、「八重」なんてまぎれこませます。


で、料亭へ。


「いくら食べても大丈夫」


「姉さんのおごりだから、安心して食べましょうよ」


フフフフフ……


いいないいな。こういうの大好き。


↓↓フレームの中に、八重ちゃんと恵太郎のカップルをおさめて……


で、京子(岡田嘉子)は

精二君の左にちょこっとしかみえない。


この1ショットで「隣の八重ちゃん」のすべてをみせてしまっているわけで……


すげーな、島津保次郎。


もっといろいろ見たいんだよな~

見れないんだよな~


その3につづく。

水戸芸術館のライトアップ

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水戸芸術館のライトアップがかっこよかったので、

画像をのせてみます。



「3・11以後の建築」

なるものをみにいったのですが、


けっかとしては展覧会ではなく、


磯崎新作「水戸芸術館」


の、ライトアップに感動した、というところです。



展覧会自体は、東日本大震災の復興に

建築家がどう関わったのか? これからどう関わっていくのか?


というもので、大事なことだとはおもうのですが、

僕にはあんまり興味がもてなかった。


興味がもてなかった理由というのは、

これは最近のトレンドなんでしょうが――


「無名性」とか

「みんなで民主的にモノを作る」


みたいなのがかっこいいとされているみたいで……


「建築家」というのが独裁的にモノを作っていく、

というのは古い、というようで……


そういうのが、僕のような古臭い人間にはちょっとついていけませぬ。



究極的には、原広司先生の分析した

「集落」

みたいなモノを指向しているのでしょう。


地元の人たちが知恵を出し合って

で、地元の材料

地元の工法でモノを作る、というやつ。


あと、被災地に建築家がおもむいていって

で、「ああしろ」「こうしろ」といばっているよりも


「みんな仲良く」という

民主的なやり方の方がいいのでしょう。

それはわかるんですが、


それはわかるんですけど。

僕にはおもしろくなかったです。


唯一おもしろかったのは

坂茂先生のニュージーランドの紙の教会でしたな。


いかにも「坂茂」ブランド、という感じで。



んー……


なにがいいたいかというと、




建築に限らず、

映画なんかでもそうですが、


ちょっと頭のおかしな、独裁的な人間が

「ああしろ」「こうしろ」

と我儘放題にまわりに迷惑をかけて作ったもののほうが、

僕にはおもしろいです。


民主的にすりゃなにもかもいいのか、というと大いに疑問を感じます。




で、磯崎新ですよ。




「建築のモニュメント性を否定しよう」

みたいなことを言い出したのは、

そもそもイソザキのような気がするのですが、


これがモニュメントじゃないのかね?



いや、何にせよ好きです。

水戸芸術館。


いろいろな面で狂っていて。



せっかくでかけたのに

午後から雨が降ってきちゃって、


「あーあ」とかおもったのですが、


でも結果よかったです。

雨&夜の水戸芸術館。




ライトアップも、

派手じゃなくて、品があって、

なかなかかっこいいのではないでしょうか。


年末年始は毎年やっているそうです。


ということは年ごとに雰囲気が違うのかしら?


はじめてみたのでわかりません。













島津保次郎「隣の八重ちゃん」(1934)感想 その3

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感想その3

更新間隔があいてしまったので、

いまいちリズムがつかめませんが……


まず、

前回 最後に紹介したこのすさまじいショットから↓↓

島津ヤスジロー、この1ショットに

「隣の八重ちゃん」のすべてを凝縮させています。


作品を支配する数字「2」の提示。

・八重ちゃん(逢初夢子)&恵太郎(大日方伝)

・京子(岡田嘉子)&精二(磯野秋雄)


この2ペアの提示です。

八重ちゃん達カップルはわかるんですが、

京子&精二はいまいちわからない。

二人は結ばれそうにない、ですからね~


――とおもったのですが、この2人。

「遠くへ行ってしまう人」

という意味では共通点がある。


京子の家出・失踪。

精二は甲子園出場。


精二が甲子園出場を決めると同時に

京子失踪事件が起こる、というのは

ある意味、このショットで予言されちゃっているわけ。


ま。岡田嘉子はほんとに遠くへ(ソ連へ)行っちゃう人ですけど……


んー、すさまじい。島津ヤスジロー……

1930年代松竹には凄腕がゾロゾロいたってことなんでしょう。


そういう世界で小津ヤスジローは育ったわけです。



あと「フレーム」についてはおもしろい証言が

「小津安二郎戦後語録集成」に収録されています。

田中眞澄が書いているんですが


吉村公三郎が折に触れて書いている有名な話だが、<東宝へ行くときまったある日、島津オヤジさんは私に「永い間君にも苦労をかけたから監督の奥許しの秘訣をおしえてやろう。監督部屋へ来給え」と云う。ついて行くと部屋へ入って島津監督は急にまじめな顔になって、唯一こと小さい声で云った。「君、映画はワクだよ」>

(田中眞澄編、フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」450ページより)


◎「君、映画はワクだよ」(島津保次郎)


ついでに同書の小津安っさんの証言も引用しておこう。

これが実によく似ている。


映画にはワクがありますね。ワンカットの構図はそのフレームの中にきまってくるんですが、映画は動くもんなんだからフレームは意識しないほうがいい、カメラを自由に使ってやったほうがいいという人と、せっかくあのフレームがあるんだから、あのフレームを活かしたほうがいいという考えの人と、両方ありますね。僕なんかは後者のほうだけど……。フレームは意識しなくていいといったって、やはり、目で見るものだから多少構図になっていないと困ると思うんです。実際また映画のフレームの縦と横との割合は実によくできているんですよ。

(同書215ページより)


つまり、

◎「映画にはワクがある」(小津安二郎)


……うむ、いよいよ、

島津ヤスジローは小津ヤスジローのお師匠だった、

とおもわざるをえない。


で……

引き続きお食事シーン。


↓こんなショット……


結ばれる(であろう)二人を並べてとらえるショットもありまして。



一方その頃、飯田蝶子(八重ちゃんのお母さん)


すさまじい構図。当時、斬新だったのでは?


さきほどの「映画はワクだよ」発言を考えますと――

畳がみごとに「フレーム」になっている、という……


うめえなあ……



はい。で、さんざんお酒をのんで、よっぱらった岡田嘉子さん。

タクシーでの酔態。


そうねー、酒飲みの女性とのおデートは

まあ、こうなりますわなー


というところなんですが、

「フレーム」に目がいってしまうわけです。


クルマのリアウィンドウが「フレーム」


八重ちゃん「ごめんなさい。姉さん、ずいぶん酔ってるんですもの」

恵太郎「僕はかまわないんだから、楽にしていらっしゃい」


京子「でも好きになられると困るもの」

「恵太郎さん、もっとしっかり腰かけてなきゃ頼りないじゃないの」



今の目から見ると、大日方伝の学生服姿はどうか? という感じですが、


当時からすると「エリート!!」という格好だったのでしょうねえ。


ハリウッド映画における、海軍士官の白い制服みたいな??

(リチャード・ギア、トム・クルーズ等々)


なので、将来のエリートを姉妹で争っている、という構図になります。

下世話な目でみると。




で翌日。


八重ちゃん、お花を持って、新井家を訪問。(かわいい!)

もちろんお目当ては恵太郎なのですが、


「お留守ね」

「ええ、なんだか散歩にいくって出てったのよ」



京子のあからさまなアプローチに比べて、

八重ちゃんの純粋さが強調されておるわけですが、

(なんつったって一輪の花!)


そこがたまらんわけですが、


「額縁」「格子戸」「照明のスイッチ」等々

「フレーム」だらけです。


八重ちゃんのモダンな柄のセーターもそれを強調するかのよう。



一方その頃。


土手にて。


かっこいいショット。


ん、戦後小津組が使っていた撮影機材ならもっときれいに背景がボケますが、

それはいわないことにしましょう。


30年代松竹作品。

容赦なく素晴らしいんですが、


やっぱり、撮影機材は相当にチープだな……

という点は多々あります。


↓↓明らかにロケ撮影なんですが、


セットみたいに撮れてる気がする。

機材の問題でしょう。


「背景、大道具さんの描いた絵ですか?」

みたいな。


小津安っさんがセット一本槍というのも、

このあたりが原因かもしれません。

「外へ出たってうまく撮れねえんじゃ仕方あんめえ」

というところか。


それだけにシンガポール時代にみた、

グレッグ・トーランド(カメラマン)のパンフォーカスなんか、

感動したことでしょうねえ。



でもこの鉄橋はかわいいな。

どこだろう?


鉄橋も「フレーム」ですわな。


そうそう、二人の会話に

汽車の音を重ねる、というトーキーならではの取り組みをしています。


「こっちへ来て」「はなしが遠いわ」


「恵ちゃん。あたしを愛してくれない?」

「恵ちゃん。あたしの苦しさを救ってくれない?」

「あたしさみしいのよ」



大日方伝ははっきり答えません。


「僕は帰る」


で翌日。


精二の野球の試合の観戦。

どうも甲子園出場がかかっているらしい。




試合に勝ちました。


でタクシーで帰宅しますと、


新井家の△がお出迎え。


クルマのタイヤは○だな。



葛城文子を囲んで、「お母さん、勝ったよ」とわいわいいいますが、


お母さんは深刻な顔をしてます。

原因は……



「八重ちゃん。お姉さんが家出したのよ」


「八重子。母さんはどうしたらいいのかわからない」


で、例の引手やってます。



「大丈夫だよ。きっと帰ってくるよ」


で、恵太郎が加わると、引手が「3」


お姉さんを探しに行く八重ちゃん。


注目したいのはこの門。


しきりに強調されます。


この門が「向かい合ったカップル」を示している。

つまり、

八重子―恵太郎

京子―恵太郎

この2組を象徴している、と前回書きました。↓↓

それが↓↓



片方なくなったわけです。

つまり、「京子―恵太郎」はなくなったわけ。


ついでにいえば、飯田蝶子の下駄が「片ちんばだ」

というのはこれを予告していたわけで……


うーん、うめえ。



で、家出とお父さんの栄転が重なるなんて、

とかいうセリフがありまして、


パッキングシーン。


小津作品におけるパッキングシーンほどの重要度はない、です。



服部家のお引越し。


というか、京子の事件の後ろめたさから逃げる、という気もするが。



で、

「恵太郎さん、精二さんもいろいろありがとう」


と八重ちゃんがずいぶんあっさりいなくなるので

観客は驚きます。


そうそう、フレーム↓↓



が、


兄弟、おなじみのキャッチボールをしてますと……



八重ちゃん、なにごともなかったかのように

徒歩で帰宅。


??……


ん?……ん?……


引越しは??



「停車場でお母さんに泣かれて困っちゃったわ」


空っぽの家をみて、

姉さんの失踪を思い出すのか、


憂鬱そうな八重ちゃんであります。




このシーン。

しきりに雲のショットがあらわれる。


それとティンパニかなにかだとおもうが、

雷が遠くで鳴っている、

というシチュエーション。



ラストは素晴らしいです。


「情緒」「雰囲気」でおはなしを組み立てているのではなく、


「幾何学」「数学」でおはなしを組んでいる感じがする。

モダン感覚とでもいいましょうか。


このあたりも「映画はワクだよ」ということなのか。


「八重ちゃん、きみの本箱と机。ちゃんとうちに運んであるよ」


「女学校を出るまで、八重ちゃんもうちの人になるんだね」



「ええ。今日からもう、隣りの八重ちゃんじゃないわ。アハハ!」


逢初夢子すばらしすぎる。

こういうタイプのヒロイン、ほんと新しかったはず。


今みてもいいもんな。



で、ゴロゴロ ゴロゴロ……

雷が……


このちょいと不穏なラスト。

佐藤忠男先生がスケベ親父っぽい解釈をしてて笑わせてくれます。


もう隣の八重ちゃんではないわけだと、恵太郎と精二と八重子がまるで子どものように喜んでいる背景に、見事な入道雲があり、間近に迫った成熟と情熱を暗示しているかのようである。

(佐藤忠男著、岩波書店「日本映画史Ⅰ増補版」374ページより)


どうかね??


僕はさっき書いたように、

「幾何学」的な楽しみをみるべきところだとおもいますので――


なんかフロイトっぽい解釈は??

どうなんでしょう??


ここでこの「ゴロゴロ」がなく、

ただ喜んでいる、というだけだと、


「京子の失踪」「家族が別れ別れに暮らす」

という人生のダークサイドが

なかったことになってしまうわけで。



なので、数学的帰結として、この入道雲はあるんだとおもいます。


ま、どっちにしても謎めいていて、すてきです。このラスト。

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