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国立科学博物館 その1

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はい。またまたウエノです。


だって楽しいんですもの、上野。


ふ。イバラキ人にとって

「東京=上野」

なのさ。

常磐線が存在するかぎり、この公式は不変なのさ。



ん、だが

国立科学博物館は今まであんまし縁がなかった。


いつか書いたが、父親が国立科学博物館のタダ券をもらってくることがあるので、

それでトーハク見物のついでに行くという、そういう消極的な理由でしかなかったのである。


なんつっても建築的に地味である。

近所にあまりにビッグネームが並びすぎているんである。


・西洋美術館は…コルビュジエ御大。

・トーハクは…本館・渡辺仁。 東洋館・法隆寺宝物館が谷口親子。

・東京文化会館に東京都美術館は…前川國男先生。


対して、科学博物館は…

調べてみると 「設計 文部省」ですって…


なんだよ、それ??

(ウィキペディアによると、「文部省大臣官房建築課の文部技師糟谷謙三」という方が設計された由。糟谷さん、建築史的には無名の方である)


それで、今までバカにしてきたんだが、

しみじみ見てみると…



これがけっこうかっこよかった。

竣工、1931年。


というから、渡辺仁のトーハク本館の6年前にはもう出来ていた、

ということになる。


アールデコ、してます。


高そうな石使ってます。



↑階段の踊り場にて。


このインドっぽいデザインは

伊東忠太先生の影響だったりするのだろうか。


石を彫った細かい装飾とかは…

石工さんの人件費が安かった時代の産物という気がする。


いまやったらメチャクチャ金かかるぜ。


階段の手すりとか

今ならありあわせのパーツを使うんだが、

この頃なら平気でオーダーメイドなんである。

だから妙に色っぽいんである。


館内いたるところにステンドグラス。

もうたまりませんな~


「戦前」「石造り」「ステンドグラス」

トマス・ピンコの萌えポイントをしっかりおさえてます。


ステンドグラスは、小川三知っていう人の作品らしい。

んー…

っていうか調べてみたら、原画は伊東忠太先生ですって。


さっきの踊り場のデザイン、「伊東忠太の影響」じゃなくて

伊東忠太デザインかもしれない。


文部省の糟谷さん、もしや伊東先生の弟子だったりするのか?

ほんとは伊東忠太に依頼しようとしたが、忙しくて、

この糟谷さんに仕事がまわってきた、とか?


色々想像してみる。




とにかく階段がエロすぎて、いろいろ撮ってみる。


↓三階の天井は、もう卒倒せんばかりのエロさなんである。


天井から色つきの光が降りてくる。

降臨してくる。

光臨してくる。


このそっけない二本の柱も良い。

デザイン的にはない方が絶対にいいとおもうけど……

いわゆる「大建築家」「巨匠」はやらないとおもうけど……


だが、あえて設置する素人くささが良い。




写真を撮る側としては


・「黄色く」仕上げるか?

・「青っぽく」仕上げるか?


という大問題が横たわっているような気がする。


どっちがいいですか?

↑黄色か?


↓青か?



またまた比較してみる。


黄色か?

青か?




個人的には「青」だが…

青の清潔感、シャープさがアールデコ建築に似合っている気がするが、


黄色の温かみも捨てがたい。


そうそう、いつものように某女にモデルさんお願いしました。


↓黄色と…



↓青と…


んー難しい。

何を表現したいか、によるのだろうな。


写真撮りまくったので

その2に続きます。


平沼駅ホーム あるいは 小津先生のお墓参り

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鎌倉・横浜方面へ出かけたので、

前から気になっていた

平沼駅ホームを見にいった。

撮ってきた。


横浜住まいの方にこういう話をすると、おそらく

「え? 平沼橋でしょ? 相鉄の」

という反応をされる気がするが、

違うんです。


平沼駅です。京急なんです。



それは…

京急の横浜駅と戸部駅の間にある。


上から四枚。下りの…運転手さんの真後ろから撮りました。


左側に見えてる、空っぽのホーム。

これです。




たしかに、「あそこに妙なモノがある」

ということには前から気づいていた。


横浜住まい当時、図書館近くの日ノ出町駅はよく利用していて、

で、ある日、

信号トラブルかなにかで、電車が停止したことがあった。

場所がちょうどこのあたり。


なんだ、この廃墟は?

とおもったのをおぼえている。


ちと不気味だったな~


その正体がわかったのはごく最近で…


草思社「東京の戦前 昔恋しい散歩地図②」を読んで、わかりました。


平沼

昭和6年12月、京浜電気鉄道(現京浜急行)の横浜・日ノ出町間の開通に伴い設けられた。しかし横浜駅との距離が近すぎることから昭和18年に休止、翌年廃止となる。昭和20年5月29日の横浜大空襲で焼け落ちたが、現在もプラットホームなどは、そのまま残されている。

(草思社「東京の戦前 昔恋しい散歩地図②」99ページより)




なんとまあ、戦争の遺跡だったんだね。

空襲の爪痕のすぐ脇を、現代の通勤・通学客達は通っているわけだね。


□□□□□□□□


今度はのぼりで撮ってみた。


まわりからみると、

僕ちゃん、もろに「撮り鉄」だな~


汽車ぽっぽには興味ゼロなんですけどね~


ほんとは女の子とニャンコ撮るのが大好きなんですけどね~


みえてきたみえてきた。


のぼりの方がわかりやすい。




駅として使われたのは12年間かそこらだったわけだが、

その階段の入口がそのまんま残っているのだね。

(階段自体はどうも焼け落ちてしまっているらしいのだが)







↓↓トリミングしてみた。


柱のデザインとか、タイル貼り貼りとか、

もろに戦前アールデコである。


国立科学博物館とか、山の上ホテルとか、あれ系のセンスね。


うわ~、降りてみたいな。

タイムスリップできそうじゃん。



京急は横浜大空襲の日(5/29)にこの駅跡で慰霊祭を行っている由。


大空襲の時はもう廃駅だったはずだが、犠牲者がおられたのだろうか、

そのあたり僕にはよくわからない。


けれどそういう律義さ、京急は信用できる気がするね。


□□□□□□□□


えー…


ほんとの目的は、小津安二郎先生のお墓参りであった。


北鎌倉、円覚寺。


何度目? 三度目か四度目。…




命日は12月12日なんで……


まったく関係ない。

だが、なぜか毎年、夏に行きたくなってしまうのは……


小津が「夏」の作家だからだろう。

(……ということにしておく)


小津映画はいつでもピカピカに晴れていて、

雨の日は存在しない。(例外もあるけど…)



お花をお供えした。

いつもお酒を持ってこようとおもって、忘れる。


お寺のネコちゃん。

売店のオバサンに「○○ちゃん、そんなとこに寝ないで」

といわれていた。


…………

はるばるイバラキの自宅に帰宅すると、


自分のうちの墓参りに行かないで、と笑われた。


海軍軍人の曾祖父が戦死したのが7月28日だった。


んー…


夏はどうしても死者たちのことばかり考えてしまう。

国立科学博物館 その2

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われながら


こうして自分の装備を客観的にみつめると…↓↓


「え? オレってバカ??………」


と思わざるを得ない。


今日日、写真を撮るのにこんな仰山な機材は

まったく必要ないのである。


三脚立てて汽車ポッポを撮るとか、

赤道儀つけて○○星雲を撮ります、とかいうのならわかりますけど。


ニャンコ撮ったり、建築撮ったり、女の子撮ったり、

そんなことしてるんですもの。


じっさい、

この装備では入場すらお断り、と言うところが多い。

民間の建物だと、まず真っ先に警備員に止められる。

「建築の勉強をしているんですが」

とか言っても無駄。


まあ、そうだよな。


その点、上野のトーハク(東京国立博物館)

それと国立科学博物館は、僕のようなヘンタイにきわめて暖かい施設である。


女の子にポーズしてもらって

フラッシュたきまくっても文句ひとついわれない。


しかも建築は一級品揃いだしね。

(トーハクの平成館だけが例外)


まー雪舟の絵とか

宋の山水画の目の前でやったら、即銃殺されるだろうけど。


さて今回は展示品のご紹介。



↑クジラ。

いかにも集合写真撮ってください。というシチュエーション。


そうそう、

トーハクはそうでもないが、

国立科学博物館、ガキが異様に多い。


あ。失礼。

小、中~高校生の生徒の皆さま。


けれど

今回、撮影してみてわかったんだが、3時半くらいになると

サァーッと、このガキ……いや、お子さん方がいなくなる、ようだ。

たぶん修学旅行だか遠足だかの

帰りの時間がそれくらいなんだろうな。


なので写真を撮るなら、3時半過ぎがベスト。

(誰の参考にもならないか……)


それ以前に、

この装備で写真撮ってるとガキがうようよ寄ってくる。


↑日本館の…何階だかわすれました。

なんとかクビナガリュウ。


国立科学博物館、おおきく、「日本館」と「地球館」に分かれている。

前回、ステンドグラスがかっこいいとか

階段がエロい、とかいって紹介したのは「日本館」の方です。


↑ハチ公。

あのハチです。渋谷のハチです。


日本館で会えます。けっこうデカいな。



↑パンダは「地球館」で会える。

上野動物園すぐそばですが……

まーここなら行列なしで見れますな。


ちなみに「地球館」は建築的にはたいしておもしろくはない。


ゼロ戦21型。


同行の某女は「デカい!」「かっこいい!」

と興奮しておられた。


だが……


「21型は、なんか僕にはよくわからないけど、世間的には一番かっこいいとされている。スタイルが洗練されているというか」

「ふんふん」

「靖国神社のは52型ね。エンジン、火力を増強したバージョンだけど、なんか不恰好だといわれてる」

「ああ。ストライクイーグルみたいなものか」


「ストライクイーグル」(アメリカのジェット戦闘機)

なる単語がさらっと出てくる人相手なので、

あてにはならない。

ゼロ戦。

一般的に女性受けがいいのかどうかはわからない。



しかし…


エロい機体である。

後ろからみた曲線のエロいこと……

日本刀のエロさにも通じる。


アメリカ人などは偉いから、

飛行機にエロなどは追求しなかった。


作りやすく、メンテナンスしやすい不恰好な、

空飛ぶバスみたいなものをたくさん作った。

P38とかP47とか、ね。


戦争に勝つ国というのはそういうものなんである。


恐竜の部屋は、暗いので撮影には注意を要する。

フラッシュをたいても怒られない。



展示的にいうと、

撮っていて一番おもしろい…

かっこよかったのは地球館一階の展示だった。


SFっぽくてかっこいい。

閉館間際、

がらんとしていたので、

写真撮りまくった。


おもしろかったです。



例によって、

リバーサルフィルムでも何枚か撮った。


ただリバーサル……

モデルさんの反応は…


「小さくてよくわからないね」

「現像(プリントアウト)しないとわからない」


というもので、あんましお気に召さなかった模様。


ふーむ、男の趣味であるのかもしれないな。


□□□□□□□□


最後に


動物園近くの売店を撮ってみる。



もう、見事としかいいようがない。

ゆりたんのすべて。その72

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四月以来のニャンコ記事。


いやー平穏無事で、とくに書くこともなかったので。



ゆり、暑さのなか、グダグダしてます。

たまにベランダに飛び込んでくるセミをつかまえて大騒ぎしてます。


えー僕は

ニコンのCapture NX2という現像ソフトを使って最近遊んでます。


↓これはけっこう周囲のウケがよかった。

ゆりのイジワルさみたいのが出ている気がする。



いろいろ…色のトーンをいじってみたり、

色温度、というのをかえてみたり、

やっています。


↑これはまだ写真っぽいんですが、


↓こんな風に絵具と色鉛筆で描いたように仕上げるのが

個人的には理想です。



↓個人的には一番のお気に入り。


えーとなんつったっけ?

高校の美術の授業だったとおもうけど。


大きなたらいかなんかに水をはって

水面に絵具をたらして

その水面の上に紙をはって(?)

なんかサイケな模様を作る、あれなんて言ったっけ?


あれっぽくて面白い気がする。


人間のポートレートでも色々遊んでますが、

それはあんまし反応がよくありません。


まーたしかに自分の写真を色々ヘンな色にいじられたら

嫌だろうな……

セコニック ツインメイトL-208

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セコニックの露出計を買ったのだが、

その感想を、ちと書きます。


あらかじめ書いておきますが、普段露出計を使いこなしている方にとっては

「ぁ? ヤロー、このどシロートが!!」

と怒鳴り散らしたくなるだろう感想であることは確実です。


あ。そうそう、ご存知ない方のために説明しますと、

「露出計」とは、写真撮影の道具です。

被写体に当る光の量を計測して、適正なシャッタースピード、絞りを示してくれるものです。


□□□□□□□□

えーなにから説明すればいいのだろうか。


そもそも…

以下に示すような↓↓

失敗作が僕には多いわけです。


戦前の建物が好き。

で、戦前の建物の中で何が好きかというと、「窓」が好きなわけです。

工業化、規格化されていないところがたまらんわけです。


だが、その前に某女に立ってもらって写真を撮ると、

けっこうな確率で失敗してしまうわけです。

原因は、窓それ自体の明るさと、某女の明るさとのギャップだろう。

(ついでにいうと黒猫を撮ると往々にしてこういう風になる)

人物だけ黒く塗りつぶしたようになってしまう。

ムードがあるといやあるんだが、どうも、気に食わない。


気に食わなくて「ああ。うまくいかない。どうしよう。ムリだ」

とかいっていると、

「ネガティブなこというな!」

とモデルさんに怒られてしまう。


これは困ったことになった。


さて、考えられる対策としては以下の通りであった。


①「スポット測光」を使う。→失敗。

 画面の中央部部分、ほんとうに狭い部分だけを測光してくれるモードなんだが、うまくいかなかった。使いかたが悪いせいなのかもしれんが……


②スピードライトを使う。→失敗。

自然光だけの雰囲気が出せない。なんかむやみやたらと明るくなる。 

あと、モデルさんがフラッシュが嫌いなので却下。


③三脚を使う。→ムリ。

 戦前の建物だと三脚お断り、というか禁止。なのでダメ。


④マニュアル露出、あるいは細かく露出補正を試みる。→時間がかかる。

 自慢じゃないけどね、newFM2いじってますので、

 マニュアル露出は別に当たり前に出来ることなのだが、

 これは①のスポット測光がうまくいかなかったのと同様、

 カメラ内蔵の露出計がなんかこういうシチュエーションにそもそも不向きな気がする。とうぜんちまちま露出補正をかけていけばいいのだが、

 やけに時間がかかる。


えー以上のような試行錯誤を経て、得られた結論。


◎そもそもTTL測光は、こういう輝度差の激しいシチュエーションに適していないのではあるまいか??

(お。アンダーライン。ここ試験にでますよ)



TTLなんぞというとなんか偉く難しい用語のようだが、

Through The Lens ――スルー・ザ・レンズ、

レンズを通して、被写体の明るさを測光すると、ただそれだけのことで。

ま。一眼レフなら必ずと言っていいほど採用しているシステムのことです。


(コンデジはどうしているんだろう? 外光式とかいうのをきいたことがあるが)


だったら、スルー・ザ・レンズじゃなくて

モデルさんに近寄って直接測光…つまり光の量を測ればいいんじゃん?


…ということになって、ようやくたどりついたのが単体露出計というものであった。


気づけばアマゾンで

セコニック ツインメイトL-208

をポチッとしていた。


届いた。

大きさは…ジッポーのライターよりほんのちょっとデカいくらいかな。

リチウムボタン電池で動きます。

プラスチック製。

あとフィリピン製。(なんかタミヤのプラモもフィリピンで作ってるとか聞いたことがあるが)


繰り返し言いますが、光りの量を測るだけの道具です。

一万円チョイするくせに写真は撮れないです。

(購入層が極端に狭いのでこんなに高いのだとおもう)


音も鳴らないし、液晶画面もないし、

ただ矢印と指針が動くだけ。

19世紀の科学の測定装置みたいなシロモノです。



以下、買ってみての感想です。

あ。肝心の窓際での撮影はまだ試みていないです。


・なんのかの時間がかかる。

 撮影の流れとしては、被写体のすぐそばで測光→マニュアルモードにしたカメラの、絞り、シャッタースピードの数値を測光結果にあわせる→撮影。

 一分に一二枚ペースだとおもいます。

・ネコの撮影とかはムリだとおもう。

 動きの速いモノ相手はムリです。一分に一枚ですんで。


・放射能の測定と間違われる。

 野外でこれをやっていると、「あの~一体なにを?」

 と不安顔で通行人に聞かれてしまった。


・女の子受けはよくない。

「キャー本物のモデルさんみたい」とかいう反応を期待したんだが、

「へぇー」というだけであんまりかんばしい反応ではない。

となると、デジタル表示のごっつい露出計を買えばよかったのかも?

とかおもうが、たしか一番安いので3万くらいだったので、ちとムリ。


ま、地道に使っていきます。露出計。


あ。レフ板も買ってしまった。↑

モデルさんに光を当てる板です。1000円ちょっと。

「逆光+レフ板+絞りは開放」はポートレート撮影の基本らしいです。(伝聞情報)

助手とかいないんで、セルフレフ板。

モデルさんに持ってもらうという手もあるなー

ヘスケスTシャツ というかF1よりNASCARのほうがおもしろい。

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ヘスケスレーシングのステッカーだの

Tシャツだのをついつい買ってしまった。


理由:クマさんマークがかわいかったので……



ヘスケス、というのはヘスケス卿とかいうヒトがオーナーの

F1のチームで、たぶん70年代ごろ存在したのだとおもう。


正直よくわかりません。

M・シューマッハ以降のF1しか知りませんもので。

セナ・プロもマンセルも いまいちよくわからなかったりする。


だが、本題はむかしのF1ではなくて

「今年のF1もやっぱりつまらなくなりそうだ」

ということです。


正確にいうと、

「どうせクソメルセデスが勝つんだろ!」

ということです。


「ああ~メルセデス大嫌いっ!」

ということです。


「メルセデスベンツむかつくっ!」

ということです。


「ついでにいうと、本田が出てくるCMもスーパーマリオ風のあのCMも大キライでしたっ! いつだったか一昨年ぐらいにやってたSFアニメっぽい『今日のあたしが終っちゃう!」とかいってたCMはよかったけどねっ!」

ということです。


えーもとい、


うんこメルセデスに関しては僕のお師匠トマス・ピンチョン御大が

実にすばらしいことを書いていらっしゃいます。


ヴァートとブラッドは最近、マリン郡のスパで行われたシンポジウムに参加してきたのだが、そのテーマが「人間関係のプログラミングと牽引における問題の顧客層」というもので、その席で一度ならず指摘されたのが、メルセデスのドライバーのマナーの悪さである。この連中は牽引された車を取り戻しにくるとき、メルセデスを運転するときの伝統に従ってか、シグナルなど一切出さず、いきなりケツを蹴り上げようとするのだ!

(新潮社「ヴァインランド」265ページより――「トマス・ピンチョン全小説」ではなく、旧版のほうです)


メルセデスなんてろくなものではないです。

あーそういや、刑務所から出所したアドルフ・ヒトラーに(ミュンヘン一揆後)

ナチス党員がプレゼントしたのもメルセデスベンツだったっけ。


まあいいや、

なんでヘスケスみたいなかわいいマークのチームは今ないんでしょうか。


というようなわけで、今年はNASCARを楽しくみております。

(日テレG+というCS放送でやってる)


NASCARというのはアメリカのストックカーレースでして、

どうもアメリカ合衆国でモータースポーツというと、

このNASCARが一番の人気であるようです。


どういうものかわからない人が多いとおもいますので

F1との違いを書いていきますと、


・クルマは市販車ベース。(いわゆるフォーミュラカーではない。ただしエンジンは700馬力)

・エンジンメーカーはシボレー、フォード、トヨタ

・エンジン音がめちゃくちゃ派手。

・毎週やってる。

・会場はアメリカ国内だけ(たぶん)

・レース場はオーバルコース(楕円形)

・なので観客はレース場内で起きる出来事をすべて目撃することができる。

・クルマを容赦なくぶつけあう。接触はあたりまえ。

(F1でそれをやるとクルマがすぐに壊れる)

・順位が目まぐるしく変わる。

・イエローフラッグがやたら多い。

・↑に関連するのだが、勝者がさいごのさいごまでわからない。

・大クラッシュが「ビッグワン」とかいってレースの見せ場のひとつになっている。(F1はクラッシュはあんまりない)

・レース後、ドライバー同士の殴り合い、どつきあいもたまにある。

・表彰式、シャンパンは出てこない。コーラとかスポーツ飲料を飲む。

・レーシングクイーンみたいなセクシー系のおねえさんは出てこない。


……等々ありまして、

ひと言で言って「アメリカ~ン」な野蛮なモータースポーツであるわけです。

↑で書きましたが、お色気禁止。アルコール禁止、もアメリカっぽいです。


NASCARの放送をみますと、まず最初にはじまるのが

「牧師さんのお祈り」(正直、さいごのアーメンしかわかりません)

「国歌斉唱」

あと、「空軍機が空を舞う」

で、ドライバーがエンジンをかける。ブロンブロン。

という流れで、これもはなはだアメリカっぽく、

F1というのがいかに官能的なチャラチャラしたスポーツであるか、ということが

逆にわかります。


なんというか、

・F1=サッカー

・NASCAR=アメフト

というようにも思えます。


F1がワールドワイドなのに対し、NASCARはアメリカ国内だけ。


F1がモナコ、シンガポールの市街地コースみたいに

外の世界を積極的にとりこんでいくのに対して

NASCARは荒野のまんなかのオーバルコースで

閉鎖された特別な空間を形作ります。


サッカーがだいたい勝つチームがわかりきっているように

(どうせレアル・マドリーみたいな強豪チームが勝つ)

F1はメルセデスがどうせ勝つにきまっている。


対してアメフトは勝者がわからず、(圧倒的な強豪は存在しない)

NASCARもやっぱり勝者がさいごのさいごまでわからない。


こないだ第5戦フォンタナ、

ブラッド・ケセロウスキーという兄ちゃんが勝ったんだが、

解説のひとも実況のひとも、それから観客も

みんな、ポカン…という感じだった。

解説のひとがたしか「え、何が起こったんですか」

とかいってたとおもう。たしか。

なんか競馬でいう、「鼻の差」とかいう感じの勝利だった。

おもしれえな、NASCAR。



↑さいごにセバスチャン・ベッテル画像なんぞ。


おととし、横浜にて撮影。なつかしいなーー

今や、フェラーリドライバーですよ。


セバスチャンががんばってメルセデスを倒してくれないと、

たぶん、僕、完全にNASCARに乗り換えるとおもう。


サッカーを完全に捨ててアメフト一本槍になってしまったように。


牛久シャトーの桜(けっきょく小津先生の話)

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お花見は近場ですませることにした。


となると牛久シャトーなのである。


レンガ造りの洋館と桜の組み合わせは、

シロートが撮ってもいちおう絵になるから不思議。


…が、かんじんのレンガ造りの洋館は

震災以来こんな感じです↓↓


背景に写っている白デカいミイラみたいのがそうです。

いつ工事が終わるのやら。


でもミイラの近くには、ミイラではない洋館があるので

それでごまかすことにしました。


――以下、小津安二郎のはなし。


そういえば、小津映画に桜、って出てきたっけ?


などとおもった。


出てこない、ような気がした。


ポプラの並木が風にわさわさ揺れている、とかはよくあるんだが、

桜はないなーー……


小津映画って

季節感がない。

5月のようでも6月のようでも7月のようでも8月のようでも9月のようでもある。


いつでもカラッと晴れていて、

寒くも暑くもない。

ムシムシしてない。


その点、

桜は、季節が固定されてしまう。


小津映画に桜は似合わない。



「小津安二郎 全日記」をみてみると、

戦前にはあまり桜に関する記述がない。


推測するに……


1934年4月2日。

ちょうど桜の季節にお父さんが亡くなっている。


桜というと父の死を思い出すのかもしれない。


1935年4月15日

「花ぐもり 荒模様 にわか雨」

1935年4月23日

「いたるところ さくら れうらん」

4月24日

「花どきの旅情まことに愁ひ多し」



酒を飲んでワイワイやるのが好きだった人だが、


「お花見」という記事が見当たらない。


唯一見つけたのは、


1952年4月11日

「朝六時起床 母と清水公園に花見にゆく さくら 満開なり」


野田に住んでいた頃のこと。


そういや 野田のどういうあたりに住んでいたのか?

いつか見に行きたいとおもっていて、

行かないでいる。








1955年4月3日

春雨 さくら 円覚寺満開となる。


…そんな記述もあるが、

この頃は北鎌倉住まい。

帰り道の光景だろう。


野田もそうだが、


満開の円覚寺とかも、みたいみたいとおもっていて

今年もまた見逃してしまった。




















「小津安二郎 人と仕事」感想

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とうとう買ってしまったので報告いたします。


なにが「とうとう」なのか、

たぶん一部の小津マニアにしかわからないでしょうが。


↓こんな本です。

がっちりしたカバーにはいっとります。


蛮友社「小津安二郎 ―人と仕事―」

昭和47年8月25日 発行


蛮友社とは聞きなれない会社だが、

小津先生に助監督としてついていた井上和男さんが

この本の出版のために設立した会社だとか。


井上和男、通称「蛮さん」



デカい本です。↓


ふつうの文庫本と並べてみます。(ハスミ先生の「監督小津安二郎」)


デカいし分厚いです。712ページあります。


画像でどれほど伝わるかわかりませんが、

めちゃくちゃ贅沢な造りです。

当時の定価6000円。


これはネット上の情報なのでどこまで信用できるかどうかわかりませんが、

1000部~2000部しかこの世に存在しないという……



ま。小津安っさん関連文献の筆頭にあげられる本です。

ハスミ先生の「監督小津安二郎」をよんだって、

ドナルド・リチー先生の本をよんだって、

中野翠先生の本をよんだって、


ちとレベルは落ちるが田中真澄の本を読んだって、


かならず紹介・引用される本なのだが、

新刊本では手に入らず、

レア本なのでそこらへんの図書館でみられず、

古書店では、もしあったとしてもベラボーな値段がつけられている、という…


わたくしトマスも、

「読みてー」

「あー一体どんな本だぁーーー」

「きっとものすごいヤツに違いないぃぃーーー」

「うううーーーー読みてぇーーーー」

などと長年おもっていたのですが、


某通販サイトでどうにか手が届く価格帯で販売されているのをみつけ、

早速手に入れました次第。


当ブログをご覧になる方には

僕と同様、


「小津安二郎 人と仕事」……ありゃ一体どういう本なんだろう?

そうおもわれる方もひとりかふたり、いらっしゃるかもしれませんので

ここに紹介しておきます。


↑巻頭一枚目の写真はこれ。


写真の数がはんぱないです。

小津関連本にけっこう目を通しているつもりですが、

はじめてみた写真が山ほどありました。


カメラマン(カメラ番)の厚田雄春さんが集めたもののようです。




↑711ページ、最後の写真がこれ。


「じゃ、またな」

とでもいっているかのようです。


中身はめちゃくちゃ充実しております。


シナリオあり、座談会あり、年譜あり…

松竹の上司、同僚たち、俳優さん達の寄せた文章…

(原節子さんはなかった。残念)


↓こんな映画の舞台の平面図なんてはじめて見た。



本全体の印象としては


1972年…小津先生が亡くなってまだ9年ということで、


まだまだ周辺のひとには哀悼の気持ちが深い、ということ。

(涙なしには読めない文章がたくさんある。

とくに中井麻素子さんの「天国の先生」とか…あ、中井貴一のお母さんです)


あと、クロサワ、ミゾグチに比べ

わが小津先生はまだ世間的な評価が低すぎる!

という義憤の調子もあったりする。


1972年というとそんな時代だったのだ。


個人的な感想を申しますと、

今村昌平、若尾文子、田中絹代の文章がおもしろかった。


今村昌平は小津映画をけちょんけちょんにけなしていて笑える。


手許にシナリオもないので思い出し思い出しになるが「お茶漬」は脚本を一読してみると、有閑夫人や有閑令嬢の背筋の寒くなるようなセリフが多く、ただオッチョコチョイでバカみたいな青年が、豪放で反骨的な人物だという風に書かれていて、感心しなかった。

(蛮友社「小津安二郎 人と仕事」235ページより)


こういう人が小津組で働いていたのだから、

おもしろくならないはずはなく、

これ以外にも

もう抱腹絶倒の文章でした。

全部引用したいくらいです。


文子たんは文章までエロい。エロエロです。


「若尾クン、君のいちばんいいトコ教えようか」

 志摩半島の先端、ようやく明るさをましてきた大王埼の灯台を眺めながら、その顔色もツヤをましてきた小津監督の言葉に、私は目を輝かしました。

「それはね、オ・シ・リ」

 何というムザンな一言でしょう。

(同書277ページより)


たまらんです。文子たん。

こんど「浮草」みるときは文子様のおしりに注目しましょう。


田中絹代先生の文章はオープニングがすさまじい。


小津映画の俳優としては、私は落第生なのでございます。

(同書299ページより)


↑これはよく引用されるが…

よりによってここから文章書き始めるか??

すげーよ、絹代たん。


そこから紹介されるエピソードもすごい。


「東京の女」撮影中のおはなし。

当時の松竹の筆頭監督、野村芳亭と

若手の小津安っさんの台本読みのスケジュールが重なってしまった。

運悪く、絹代たんは野村先生の作品にも出演が決まっていた。

さてどうするのか??


その両方の本読みが同じ日で、私は芳亭組の方へつれて行かれて出て居りました。当時の芳亭先生の権威というものは大したもので、重役さんもずらり並んだ本読みでした。そこへ、突然小津先生が入って来られて「絹代ちゃん、行こう!」と仰有いました。一瞬シーンと一同息をのんで成行きをみつめました。併し私は立って、小津先生について部屋を出ました。皆さんは唖然と見送るだけでした。小津組の部屋に坐ると、先生はごきげんで「そろそろ始めようか」と台本を開きました。後に芳亭先生が、「あいつは今に大物になる」と小津先生を評されたそうですが、さすがに大物は大物を見抜く眼力をお持ちのものと感心いたしました。

(同書300ページより)


くぅぅーーー、かっこよすぎるだろ、小津安二郎。

大物監督の本読みに、新人監督がずかずか入っていって

「絹代ちゃん、行こう!」

それでくっついていった絹代たんも絹代たんだ。


まー芳亭先生とやらもすごい。(どんなやつだか名前しか知らない)

当時の蒲田の、ある意味自由な空気も感じられます。


写真で一番驚いたのはコレ↑↑


トーハクじゃないっすか!!


ユリノキの根元あたりじゃないっすか!!


草むしりしてるよ…「麦秋」だろうね。


腕時計が気になる。パテック・フィリップじゃないでしょうね?

スイス最強ブランドで草むしりじゃないでしょうね?


↑あと、これははじめて見た。

高杉早苗という女優さんは、小津作品の主演作が今全部存在しない。

それで数枚のスチル写真でしか僕は知らなくて……


そのどれもがブスに写っていたんで、

「なんでこんなブサイクに安っさんホレたんだろう?」

と疑問におもっていたんだが……


あらまーすごい美人。

ホレるわけだわ。


いままでブサイクだとおもっていた高杉早苗。



「小津安二郎 人と仕事」

オマケもたくさん付いてきます。


安っさんの描いた絵。


古本屋だったり通販サイトだったりでこの本をみると、

「画稿付き」

という意味不明のことが書いてあるのだが、


その画稿がこのオマケのことです。


↑中野翠先生の本の、あの絵もある。


保存状態がいいせいか、もともとの印刷に気合がはいっているのか?

色鮮やかです。




「小津安二郎と戦争」の表紙のあの絵もあります。


まー以上、そんな本です。

さすが小津安っさん関連本の筆頭にあげられるだけはあります。


内容・掲載画像・製本……

とにかく豪華な本です。

1972年、贅沢なことが出来る時代だったのでしょう。


茨城県近代美術館「笑う美術」展 感想 その1

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水戸へ行きまして、

美術館はしご。



まずは茨城県近代美術館から。



器(建築)からすると、近所に圧倒的傑作の水戸芸術館があるので、

その時点で不利。



ここはムダに大きく、がらんとしてます。

建築的にはみるところがないです。



だが、いつ行ってもおもうんだが、

スタッフさんはこっちのほうが雰囲気がいい気がする。

水戸芸術館、ちとお高くとまった冷たい気が……



まあいいや。個人的な印象です。



「笑う美術」展 2015/02/212015/04/19 開催。



全体的な印象だが、(また「印象」……はい。印象批評というヤツです)



・笑っている人、微笑ましい状況を描いた美術

・おもわず笑ってしまうような美術、おもしろい美術。



この二つどっちを扱いたかったのか、けっきょくわからなかった。

ごちゃまぜになっている気がした。



ルノワールのマドモワゼル・フランソワとかいう絵があって、

なんで「笑う美術」なのか?

と一瞬考え込んだが、

ようするに微笑を浮かべた西洋美人の絵。というだけのことであった。



あと、イバラキの作家が多かった。

小川芋銭は牛久の人。(カワウソの絵がかわいかった)

だが、靉嘔さんがイバラキの人だとは知らなかった。

(グラデーションの絵を描くヒト。なんか虹色の絵……)



どうでもいいが、「靉嘔(あいおう)」の字を入力するのに五分くらいかかった。



「この作品は撮影してよいぞよ」

という表示がある場所があったので、撮ってみた。



↑↓笹井史恵さん というひとの「さかな」



壁にはりついています。



「撮る」より 触ってみたい感じがしました。

なんかチョコでできていそうでいい色あいです。

漆で塗ってあるんだそうな。いい仕事です。

わけがわからん感じがいいです。



山口晃作品が四作品あった。どれも撮影可、だった。



↓「百貨店圖(日本橋)」 「圖」の字を出すのも苦労する……







なんか理由がよくわかりませんが…


アメーバがすさまじく使いづらい。

自分のPCのせいなのか? アメーバ側に問題があるのか?


どちらにせよ、もっと記事を書きたいのだが、

40000字以上なので保存できない、とか意味不明なことをいっているので

「その1」と「その2」に分けます。

「笑う美術」展 感想 その2 それから水戸芸術館

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「笑う美術」展 感想つづき。


↓山口先生の「厩圖2004」



会田誠先生はうじゃうじゃと女の子の群像を描きますが、


山口先生は男ですな。

むさくるしいヤローどもをよく書きますなー


「厩」という舞台も意識的に選んでいるのでしょう。

戦国~江戸時代初期の洛中洛外図に「厩」よく登場しますが、


清潔に整えられた場所で、男たちの社交場であったそうです。

いちゃついているお侍なんかがよく描かれます…


…が、




山口先生の作品にはそっち系の空気は希薄です。

深読みすれば読めなくはないけれど…


山口先生、男描こうが、女描こうが、色気ないからなぁ~

その点、なにを書いても「セック○」になってしまう会田先生と正反対です。


↑あ、お茶くみロボットはかわいいです。

思わず微笑んでしまいます。


2004年 アイボとかってその頃でしたっけ??


次↓


「絵はこんなに役に立つ」…


好きです。


絵は盾にして戦うことが出来る、とか

ウエイトレスさんがトレーに使うことが出来る、とか

バラバラに解体すると飯盒炊飯につかえる、とか……


ええと、こういうクレバーな作品をみると

東日本大震災のときに 文学者どもが醜く立ち回ったのを思い出します。

「ブンガクになにができるか??」

とか 例のノーベル賞作家とか

高名な作家先生が憂えていたのを思い出します。


山口先生はその手の愚行とは無縁です。

なんつったって、

「絵はこんなに役に立つ」のですから……


けっこう楽しんで外へ出ると、

雨が小降りになっていたので、

千波湖畔の桜を撮影。



お。

↓左端に▽▲▽▲▽とかなっているのは

水戸芸術館の塔じゃありませんか。




また、雨が降り出したので…


水戸芸術館へ移動。


「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」

2015年2月21日~5月17日開催。


を見にいきました。



……んですが、


まずは磯崎新先生の傑作を堪能する。



いいないいな。


隅から隅まで気合が入っている建築というのは、

気持ちがいいものだ。



階段のかっこいいこと。



塔。


塔の内部はいつだったか(忘れた)

当ブログでご紹介した。


今回は画像をいじって遊んでみる。


↓色鉛筆風。芝生が虹色だよ。



↓CG風Ⅰ


悪の組織の基地みたい。



↓CG風Ⅱ


個人的には色鉛筆風に仕上げるのが好きだ。


どうでもいいがイバラキ弁で

「色鉛筆」を発音すると、

「エロえんぴつ」になるよ。

皆さん、いつか試してみましょう。



内部でも遊んでみる。


オルガンがあるのだな。

いつか聴いてみたいな。




↓CG風Ⅰ。CG風Ⅱ。さいごに色鉛筆風。


CG風Ⅱが、SFアニメっぽくていいな。


巨匠の作品は色々遊べるので好きです。


ま、次回、山口晃展を紹介いたします。










RED WING 9022 二か月後。

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なんでもかんでも値上げの世の中で、

レッドウィングもまた五月だか六月だかで一斉値上げとからしく…


で、「値上げになるんだったら」

とかいって、難病「ブーツ欲しい欲しい病」にまた罹患。


今度はカジュアル寄りのアイリッシュセッターとかいうのが欲しい。

欲しくなると、あれも欲しい、これも欲しい。

いっそ二足いっぺん大人買い、とか考えてしまいます。


で、ついつい靴屋さんのホームページとか、

RED WINGのホームページとかぼんやり見ちゃう。

時間を浪費する。

これはいかん、ということで

こまごまと

レッドウィンググッズを買ってごまかすことにした。


ごまかし続ければそのうち夏が来るだろう。

夏がくりゃ、ブーツなんて考えただけで気持ち悪くなる、はず。


……で、

買ったのは、


「95189」シューホーン

「97106」ブラシ

↓↓


靴べらはよいものです。

スチール製、真鍮めっき。見た目も良いし。使い勝手も良い。

頑丈です。

小さいので持ち歩くこともできる。

文句なし。

失敗したのはブラシ。


「あのー、デカすぎるんですけど」

「まな板かよ、オメー……」



なるほど、各方面で褒められているようなので、

良いものなのでしょうが、

たぶん

身長190センチ、足のサイズ35センチとかいう毛唐が使うにはこのサイズでしょうが、

ウホウホとかいってガシガシブラッシングするにはこのサイズでしょうが、


華奢で優雅なアジア人にはムリ。


↓コロンブスのブラシとの比較。(ジャーマンブラシ#2)


1.5倍くらいデカい、レッドウィングブラシ。


あ。Neutralとか Red Mahoganyとか書いてあるのは

あたくしが貼りつけたシールです。


レッドウィングのブラシの難点をもうひとつあげると、

ガシガシブラッシングする際に、木の柄(?)の部分で

革を傷つけそうなのがコワイです。


ただ↑に書いたように

あなたが身長190とかで馬鹿でかいブーツを履いている毛むくじゃらの野蛮人だったら、

このブラシは、買い、でしょう。


あとブラシをけなしたついでに……

レッドウィングの「97110」ブーツクリーム(無色)ですが、

これもやっぱり

M.モゥブレィの方がいい感じです。

いい匂いがするし、のびが良いし、なにより値段が安いです。


あとは……


シューツリーも買ってしまった。


コロニルのやつ。

アマゾンでなんか評価が高かったので買ったところ……


なるほど。良かった。

ベックマンブーツ、サイズ7D履いているんですが、

コロニルシューツリー メンズのSでぴったりでした。


最後に9022

購入から二か月弱経過。



いい感じにしわがついてきたようにおもいます。


上述のようにコロニルのシューツリー入れて、

雨の日は履かず、

履いたら数日休ませ、

頻繁にメンテナンス、


と、過保護に育っています。


購入直後は気づかなかったんですが、


左と右でなんか革質が微妙に違います。


右がサメ肌で、左がもっちもっちツヤツヤな感じ。


なんか触った感触が左右で違う。↓↓



ここらへんも天然ものの魅力というヤツなんでしょうなー


ま、今度秋冬きたら、もう一足買うだろうな、とおもってます。

あーあ。





山口晃展 前に下がる下を仰ぐ 感想

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そういえば山口晃展の感想を書いていなかったので書きます。


山口先生の展覧会、何度行ってるんだろ?


上野の森で 会田誠とセットでやった展覧会が最初で、

次、板橋だかどこかでやったのをみて、

おととし 館林のやつをみて、


で、今年 水戸芸術館。


好きなのだ。


好きなんだが、なんかこう、

よく説明できないモヤモヤが山口先生にはあります。


それが今回 「撮影可」だった、

「忘れじの電柱 イン 水戸」なるもので

なんとなく解消したような気がするので 

そのことを書きます。


この記事の画像は、その「忘れじの電柱」ばかりです。



↓電線は 壁の向こうに消えていくのだった。



山口先生に関するモヤモヤというのは、


この人が描く女の人があんまり魅力的ではない、というのがある。


ヌードなど何点かみたことがあるが、

まったく色気がない。

なんというか石の彫刻を描いたような…

「肉」の感覚がない。


その点、会田誠のプルプルしたエロさと好対照なのだ。

なんというか触ったら ぽよん とイキそうな…

アレがない。


以下、乱暴なことを言ってしまいますが、



「けっきょく」

「絵描きの価値って、女が描けるかどうかでしょ?」

「おヌード描いてなんぼ、でしょ?」




というわけで、山口晃はたいした絵描きではない、


とおもいつつ、なんか見に来てしまう。


で、やっぱり女の子の絵はないのだ。


で、今回。水戸の展覧会。


あげくのはてにこれだ。


電柱、ときたよ。


なにやってんだい?



なんだ、これはっ!


ただの電柱じゃねえか!


心底呆れたね!


ヘタレ絵描きめ!


おまけに「四谷階段」みたいのもおまけについてるじゃねえか!


「四谷階段」というのは

最近亡くなられたが、赤瀬川原平先生の発見された

トマソン物件第一号(たしか)


意味の全くない、構造物。




なんだ、これは!

おい、山口晃!

おめー……


かっこいいじゃねえか!


……


うん。かっこいい。




ようは、山口晃の魅力って、


戦車がカッコイイとか、戦闘機がカッコイイとか、軍艦がカッコイイとか、

腕時計趣味とか、カメラ趣味とか、ガン趣味とか、


そっちなんだなー

というのがようやくわかりました。


なんで、僕の定義(いわく、絵描きとは女を描く職業である)

からすると、山口晃は絵描きではない。


工業デザイナーとか、建築家とか、ソッチ方面の人なんじゃないのか?


じつは。


で、目にとまったのはこの穴↓


「四谷階段」に開けられた穴↓↓




ひ…ひょっとしてコルビュジエ意識してない???


え、コルブ御大、だよね???


この穴の開け方……


モダニズム建築、だよね???




たぶん…機能的な意味はなんにもないとおもう。

なんでデザイン的な意図だと…おもう。


それがどうみてもコルビュジエしてるのよねーーー



…えーと、それを「水戸芸術館」にもってくるってことは…


…えー


ポストモダン建築の総帥、磯崎新大先生に


あなた、


…ケンカ売ってる??


ひょっとして。


「七人の侍」の旗みたいのつけちゃって、さ。



会田誠先生には

「わだばバルチュスになる」なる

漁船の上にすっぽんぽんのロリータが横たわるめちゃくちゃな絵があるが、



今回の展覧会。






山口晃は「わだば建築家になる!」


そういいたいのだと、僕はみましたよ。


いえ、たぶん、そうなのです。

そうに違いありません。


以下、例によって(?)


画像をいじって遊びました。








「浮草物語」(1934) 感想

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「出来ごころ」(1933)のあと、安っさんは

「母を恋はずや」(1934)を撮っていますが、

感想は省略します。

はじめと最後が失われている作品なので、

なんか「映画をみた」という感じがしない。


で、「浮草物語」、旅芸人の一座のおはなし。


おなじみドンゴロスのタイトルバックはこの作品から↓↓




感想、例によって衣食住でみていきます。


①衣


↓谷麗光が妙に目立っていて、かっこいいです。

(そういや笠智衆はでてなかった)


この人、「出来ごころ」の床屋さん役も目立ってました。

「浮草物語」では突貫小僧の父親役。一座の古株の役者です。


男性ファッションという点では、

三井秀男が「うわ。ブーツ履いてる」「エンジニアブーツ?」……


とか「ブーツ欲しい欲しい病」のトマス・ピンコは反応してしまったのですが、



画像が粗いのでそうみえただけのはなしで、

じつはゲートル……この画面の直後、ゲートルをほどくシーンがあります。


女性陣は坪内美子…(あとで三井秀男と結ばれます)


この人のなんかおっとりした雰囲気が好き。


一座の若手ヒロインが座長坂本武にお灸をすえているんですが……


なんかエロい……


日本人だと「お灸」だとわかるが、

異国の人がみたら、なんだとおもうんだろ??

SMチックで…エロい…

「彼女のキモノのひょうたん柄は男根を象徴おり、うんぬん」

とか分析するヤツいそうだわな。



↓これもなんかエロい。

お茶を汲むのに、わざわざこんな姿勢をとる必要はない。

おキモノの女性というとしゃがませたくなるんでしょうか、

小津安っさん。


有名なのは戦後の「小早川家の秋」

原節子&司葉子でしょうが、(あれもなんかエロいね~)

そのルーツかしら??


左下にご注目。

スイカの置き場所とかも気合入れて決めたんだろうな……

ばっちりきまってます。


とにかく坪内美子たんがエロいのですが……

(↓裸足のエロさにご注目)


八雲理恵子姐さんがエロ過ぎて……

もう安っさんに感謝するより他ない。


このお方、単純に「戦闘力」からいったら小津映画ヒロイン最強でしょう。

「その夜の妻」ではピストル装備

「東京の合唱」では完全にダンナを支配下におく鬼嫁。


あ。「その夜の妻」「東京の合唱」の頃は「八雲恵美子」と名のってらした。

名前を変えたのはなぜでしょうか。


この↓↓


口角を、ちょっと下品に「ニッ」とやるのが、

「浮草物語」の八雲理恵子です。


やっぱしコワイ役なのね……



「その夜の妻」「東京の合唱」では、ま、カタギの奥さん役ですんで、

こんな「ニッ」はやりませんでした。


②食


小津の法則。

やっぱし「食」=「家庭」ですんで、

谷麗光、突貫小僧の父子関係を描くのに

安っさんは「食」を使うわけです。


ムダな字幕・セリフを使わず、

オヤジのそばでガキがすいかを喰ってる、というただそれだけで

父子の関係を完璧に描き切ります。



座長の坂本武とかあやん、飯田蝶子の関係も「食」で描く。


二流、三流は回想シーンだのぐじぐじした字幕だので

二人の関係を描くでしょうが…

小津は数秒ですべてを描きます。



っていうか、あらすじ書いてませんでしたね。


喜八さん(坂本武)が率いる旅芸人一座が山奥の村に汽車でやってきます。

じつはこの村には

喜八さんが息子(三井秀男)までもうけた女性、おつね(飯田蝶子)が住んでいる。

なので、公演のあいまあいまに坂本武は

飯田蝶子・三井秀男親子の家に遊びに行っている。

が、あることから、現在の喜八の女房おたか(八雲理恵子)に

おつねの存在を知られてしまいます。

おたかは妹分のおとき(坪内美子)を連れておつねの家に来て、

まーちょっとした修羅場になります。

それから、ですね、

カッときた八雲理恵子は坪内美子をたきつけて三井秀男を誘惑させようとする。ウブな三井秀男はまんまとひっかかりますが、美子たんは美子たんで逆に純粋な三井秀男にひかれていくようになります。


終盤、天候不順に加えて、劇場の雨漏りがあり、

不入りで一座は解散に追い込まれます。

くわえて、三井秀男&坪内美子の駆け落ち騒動などあり……


という具合。ちょっと語り過ぎたようです。


ラスト。

一座を解散した坂本武は飯田蝶子の家に落ち着く決心をするんですが…

まーいろいろありまして…


八雲理恵子とくっつきます。

ふたりを結びつけるのはやっぱし「食」なわけです。↓↓


③住


かあやん(飯田蝶子)の存在がバレて

八雲理恵子が坪内美子をひきつれて

かあやんの家にやってくる。

この修羅場シークエンスは、「衣」「食」「住」モチーフがすべて放り込んであって

ものすごい充実しています。

「住」という点でいうと

・二階、という親密な空間(戦後の紀子ものを思い出しましょう)

・男女の空間移動=恋愛感情

(「若き日」以来の伝統、「出来ごころ」で、大日方伝の部屋にやってくる伏見信子を思い出しましょう)

・雨漏りする空間と雨漏りしない空間の対比。


これだけですごいんですが↓↓

修羅場シークエンスの冒頭を飾る

二階で父子が将棋を指しているシーン。


「食」…二人でとうもろこしを食べてる。むろん家族。愛情モチーフ。

「衣」…衣装交換というモチーフ。親父が学生帽を、息子がてぬぐいをかぶる。


等々放り込んであって目が回りそうです。

安っさん、テクニックのすべてを放り込みます。



くわえて、字幕までもが完璧。


「をぢさん これで詰みだよ」

(そうそう。三井秀男は坂本武が実の父だとは知らない)


むろん、将棋のことをいってるんですが、

この直後、今の女房のおたかに詰まれてしまうわけです。

「アンタ、なんなのこの女?」

「この子はアンタのなに?」

と追いつめられてしまうわけです。



以下、修羅場……


八雲理恵子姐さんの…

結っていない髪が、ちと妖怪じみている。


美子たんのくわえタバコもポイント。





戦後の「浮草」(1959)では

中村雁治郎、京マチ子が演じるシーンです。



四半世紀後の作品。

「浮草」の……巨匠・宮川一夫撮影の豪華絢爛シーンに比べりゃ、

そりゃしょぼいですよ……


フィルムの質だって悪いし…


でも見劣りしないのは計算されつくしているからです。


④全体


やっと「全体」か…

こんな長ったらしい記事、誰が読んでくれるんでしょうか??


ひとことでいって

「完璧な作品」です。


ブンガクでいうと、

久生十蘭とか石川淳とか、あの感じ。

オシャレで、ムダひとつなくて、スピード感あって、

それでいて満腹しちゃう、という。


でも、なぜなのか?


――……


前回「出来ごころ」=「死者の世界」

と、見事に(?)喝破した(?)トマス・ピンコがまず考えたのは


「浮草物語」=「動物の世界」

という構図。


なんか動物要素多いんですよねーー


↑坪内美子が三井秀男を誘惑するシーン……


この、なんだろう?

昔話のキツネが女に化けて、というのを思い出させるのはなぜなのか?

この子がキツネ顔のせいなのか?


あるいは、

突貫小僧は舞台上で犬になります。


そして突貫小僧がだいじにしているネコの貯金箱。

ペットのようにかわいがっています。


「浮草物語」=「動物の世界」


…これで「浮草物語」の、なんかファンタジーっぽさも説明できる。

とかおもったんですが、


ラスト近く、八雲理恵子姐さんが坂本武にこう、啖呵を切ります。


「世の中は廻り持ちなんだよ。骨身にしみて覚えとくがいヽや」


ふーん…

さすが、姐さん……


…な、なるほど。ここ大事。テストに出ます。


わたくし、

思い出しましたのは以下の一節。


蓮実重彦先生はこんなことをいっておりますです。

(映画の本じゃなくて、石川淳を批評してるんですが)


世界とは、異性であり、金銭であり、言語にほかならぬからである。そしていうまでもなく、女と金と言葉とは、交換され循環する限りにおいて最も具体的な相貌を帯びるものなのだ。

(河出文庫「文学批判序説 小説論=批評論」82ページより)


んー「浮草物語」=「動物の世界」は間違いですねー


「浮草物語」=「人間の世界」ですね。


・「異性」……喜八―おたか、おつねの関係。おとき―信吉の関係。

・「金銭」……突貫小僧の貯金箱。おたかがおときに金を渡す。解散した一座の小道具が金に化ける。

・「言葉」……おつねが信吉に「この人はお前のお父さんなんだよ」と真実を伝える。(スターウォーズのダースベイダーではないが、これほど重いコトバはこの世に存在しない……)


ラスト。

「東京の合唱」の岡田時彦―八雲恵美子同様。

二人は同じ方向をむいてうなだれます。


とにかく完璧です。

以上、感想はようやく終わりです。

「東京の宿」(1935) 感想

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小津安二郎君。


お元気ですか。僕は元気です。

君の最新作を見たので感想を書くね。


「東京の宿」――

これは一言でいってしまうと、



◎「きわめて雄弁な安倍政権批判の映画」


ということになるとおもう。そうだろう?



過去の作品に漂う趣味の良さから、僕は君を上流の出の人ではないか?

と勝手に推測していたんだけど、

そんなセレブな坊ちゃんでも、安倍政権の推し進める諸政策

小泉純一郎以来自民党の推進する、アメリカ型資本主義のうさんくささに

異議申し立てをしたかったらしいね。

偉いよ。


それにしても、小津君
君はこの作品で、不況の昭和十年代を見事に描ききったようにおもう。

固定したキャメラは初期北野武の影響なのかな?

低いキャメラ位置は山中貞雄だろうか。

でも山中のキャメラは仰角ぎみだけど、小津君のは水平に近いようだ。

その他、ヒッチコックの影響かな、というシーンもあったけど、

それはあとで書くね。


そうそう、「その夜の妻」で八雲君が男ものの帽子をかぶるシーン、

あれはゴダールの「勝手にしやがれ」のパクリだといって蓮実重彦先生が怒ってらしたよ。

小津君、あとで謝っておいた方がいいよ。


もとい、

君はまだ31歳だというけれど、よく勉強して

昭和十年代をきわめてリアルに再現した。

ただ、僕は前作の「浮草物語」の方がずっといい作品だとおもうな。


まー以下感想を書くね。

わけあって、


④全体


から、書くね。

あとで「衣」「食」「住」をみていくね。


というかあらすじをざっと書いておこう。


喜八(坂本武)は宿無しの失業者。

息子の善公(突貫小僧)、正公(末松孝行)をつれて

職を求めて東京をさまよっている。

なかなか職が見つからない中、

木賃宿で、やはり同様に職を探している母子に出会い、交流をもつ。

おたか(岡田嘉子)、君子(小嶋和子)の母娘。


ある日、喜八親子が雨宿りをしていると偶然、

古い知り合いのおつね(飯田蝶子)に出会う。

おつねの世話で喜八はどうにか職にありつき、

浮浪者の生活から脱出する。

ある夜、

お金の出来た喜八が飲み屋で酒をのんでいると
そこに来た女中がおたかだった。

喜八はおたかを責める。

「俺はお前さんだけは地道に世の中を渡る女だと思ってたんだよ」

泣くおたかは、

「君子が病気になったんです」

と告白する。喜八は事情を知り、おたかに謝る。

喜八は金の工面は自分がする、といって君子を入院させる。

だが…借金のあてのない喜八は犯罪に手を染め、

入院費を工面し、さいご自首する。

子どもたちの世話をおつねに託して……


という具合。


君、「子どもの入院」ってパターン好きだよね。



↑まず、驚いたのはこの子。次男坊の末松孝行くん。

よくもまーこんなガリガリの子を見つけてきたね。

ナチのプロパガンダ映像にこういうユダヤ人の子がでてくるね。

ワルシャワゲットーの映像とか、さ。


安倍政権批判の良い武器だね。

貧富の差が拡大するとこうなるぞ、という。


安倍=ヒトラーか、

ちょっとあざといけどね。


小津君は、あれかしら? しゃがむ女性にムラムラしちゃうのかね?

しかも人物を横に配置して同じ方向をみつめさせるね。


岡田嘉子君はいい女優だと思う。

横顔が美しいね。


ただ僕はこの子は将来なにか国際的な大スキャンダルを起こすような、

そんな予感がするよ。

ほら、君がいぜん片思いしてた水久保澄子君もそうだったじゃないか。


↑小津君はたまにこういうとてもつもない非現実的なシーンを撮るね。


一体なんなんだい?

背景にあるのは「象の檻」かい?

日米軍事同盟の強化を揶揄しているのだろうか?


それともジャック・ラカンの「現実界」みたいのを表現したかったのだろうか?

たんにキリコ風の絵が撮りたかったのかしら?


飲み屋のシーンを見ていこうか。

坂本武が岡田嘉子を罵倒する。


このあたりは上野千鶴子とかフェミニストの先生方に怒られそうな気がするよ。


・男が、飲み屋に来ていることは当然のことだが、

・女が飲み屋で働くことは許されない。


フェミニズムの本は読んでいるかい?

こういうのはダブルスタンダードとかいって批判されるよ。

それとも昭和十年代を再現したくて

わざと男性中心主義を偽装したのだろうか?


いやいや、

つまりこれも

「弱いものいじめ」の安倍政権批判かもしれないね。


↓喜八が犯罪者に堕ちていくさまは……


どこか「めまい」のジミー・スチュアートに似てる気がしたよ。

となると、キム・ノヴァク=岡田嘉子、か??


えーと小津君。

以下、

批判的なこと書くね。覚悟してね。

僕はこの作品があまり好きではない。


「昭和十年代ルンペンプロレタリアートを描く」

という基本コンセプトから誰でもが思いつくのは

ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」なんだけど、

つまりラテン的なカラッとしたリアリズムなんだけど、


君がやったのはヒッチコックみたいに詩情あふれる表現だった。

でも、それなら

前作の、あのロマンチックな

「浮草物語」には勝てない。勝てるはずがない。


安倍政権批判という君の気高い目標は買う。

でもね、

正義の味方ほど退屈なものはないよ。


なるほど以上はイデオロギー批判だ。


じゃ、技術的に見て、どうして「東京の宿」はダメなのか?

以下具体的にみていくことにするね。


結論を先に言ってしまうと、

小津君、君は僕の「衣」「食」「住」批評をあまりに意識しすぎたんだよ。


トマス・ピンコの裏をかこうとおもって、

小津君、君は失敗作を撮ってしまったのだとおもう。


①衣


衣、というと冒頭に出てくる帽子でしょう。


突貫小僧、末松孝行(例のガリガリの子)は

木賃宿でみかけた軍人の(?)帽子にあこがれます。


「明日 犬つかまへて 買っちやはうか?」


当時、野犬狩りだかなんだかで、犬を警察に連れていくとお金をもらえたらしい。

小津君、どこでそんなことを知ったのだろうか?

ホントのことなの?君の創作??


「犬はめしだよ」


整理してみましょう。


×「犬」=「カネ」=「衣」(帽子)

もしくは

○「犬」=「カネ」=「食」(めし)


ということです。


なるほど、浮浪者親子ですから、帽子なんかよりめしが優先です。


ところが…


首尾よく犬をつかまえた突貫小僧は……


帽子を買ってしまいます。

「食」ではなく「衣」を選ぶのです。

「×」です。


通常の構図(「食」は「衣」に優先する)

をひっくりかえして、「食」「衣」といった一般的な見方を無効化してしまうのです。

これは明らかに小津君、

トマス・ピンコの批評をからかっているね。


②食


君がどれほどトマス・ピンコを意識しているか??

それが「食」でいよいよ明らかになってくるとおもう。


喜八さん親子のエア食事のシーン。

エアめしです。

エア酒です。


喰うものがない、むろん金がない、

親子はとうとう空気を喰うより他なくなる。


あきらかに「食」=「家族」とかいっている

トマス・ピンコをからかっているね。


正直、君は天才だとおもう。

「食」=「ゼロ」

おそるべし、小津安二郎君。


なんか歌舞伎の「勧進帳」を意識しているのかな?

それとも

アナログ好きの君は

巨匠黒澤明の「虎の尾を踏む男たち」が好きかもしれないね。


↑この作品では

終始しかめっ面の坂本武が、唯一笑顔をみせる…

そんなエア食事。


③住


さて、

「食」を捨て、「衣」(帽子)を選んだ喜八親子。

彼等は空気(空虚)を喰うより他なくなる。


そんな彼らが「衣」を捨てるシーンがあります。↓↓


突貫小僧が親父から預けられた荷物(衣類でしょう)を

めんどくさがって弟に押しつける。

弟は、重いので荷物を道に棄てる。

どちらもめんどうがって荷物を放っておいたところ、


(盗まれたのか??)

いつのまにか荷物はなくなっている。


「衣」を捨てた喜八親子。

最後に残ったカネを「食」に使います。


「宿泊代」(住)を捨て、「めし」(食)をとるわけです。


が、その直後……


大雨。

「宿泊代」(住)をケチったことを大いに悔やみます。


これでわかった。

僕はこの作品の構造すべてを見抜いたよ。


喜八親子は「衣」「食」「住」をめぐる問題。

そのすべてで間違えるのです。

悪い解答、「×」、零点の答えしかしないわけです。


×衣

×食

×住


換言するならば、小津安二郎君、

君はトマス・ピンコの「衣」「食」「住」批評に対し、

あえて、白紙解答をつきつけるわけです。


とんでもなく悪いやつだね。君。


えー……

もとい、


すべての問題に×をつけられた喜八親子ですが、

雨宿り先の床屋で、旧知のおつねさんに出会います。


…で、あらすじに書きました通り、

喜八さんの生活は上向き……


エア、ではない、

「衣」「食」「住」のすべてを貧しいながら手に入れるのですが……


岡田嘉子のためにそのすべてを捨ててしまいます。


×××


また零点の解答が提出されます。


小津君、

わかっただろうか?

君は僕の「衣」「食」「住」批評をどうやって崩そうか??

それを意識しすぎて、作品を「○」「×」の論理ゲームにしてしまったのだよ。

数学の教科書にしてしまったんだよ。

だからこの作品はおもしろくないんだ。


でもムリはないとおもう。

「浮草物語」みたいな傑作を撮ってしまったんだもの。

こういう実験作も必要だとおもうよ。


がんばってくれたまえ、小津安二郎君。


□□□□□□□□


………


えーだいじょぶです。

ぼくは元気です。


また、長くなりましたが、

いよいよ読んで下さる方なんかいないでしょうが……

リーバイス501 リベットのクレームの件

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なんかビジネス文書みたいなタイトルですが

たいしたことではないです。


あと、わたくし、ジーンズマニアとかではないです。

ビンテージものとか、そういう話題ではないです。


えー…本題。


リーバイス501は、二三年前まで

親父のおさがりをはいておったのですが、

おしりに穴があいちゃって…↓↓


それ以来はいてなかった。

お股のあたりね↓↓


あと、最近はカメラ用品など色々つっこんでおけるので

ポケットのたくさんある

カーゴパンツばかりはいていて、

いよいよジーンズには遠ざかっていたのだが、


Red Wingとかにはまりだして、

やっぱりジーンズではあるまいか?

とおもいはじめた。


で、買いましたよ、501。

豪勢に2本も買ってしまった。

ジーンズけっこう高いわな。


そりゃ、やっぱり新しいものはいいっす。

おさがりじゃなくて自分で買ったものだしね。

それでうきうきしてたんだけど。


おさがり501と新品501比べてみて

いろいろと気になり始めた。


ボタンの形とか微妙に違うのね。


あと新品、ボタンつけたり はずしたり 固い。

トイレのたびに苦闘する。

あたりまえのことか。



一番おおきな違いは パッチで、


おさがり501は紙製で

新品501は革製である由。


「革」のほうがなんかゴージャスそうだが、

なんか平板で趣に欠ける。


あと、おさがり501

Made in USA

の文字が輝かしいじゃないですか。


「米国製」ですと…


新品は

「メキシコ製」と「ベトナム製」だった。


べつに…いいんですよ。

おんなじリーバイ・ストラウス社製なんだから…


でもなあ、なんか、時代の流れを感じました。


あと、よくみてみると……


ベトナム製のリベットが……


な、


なんだ、この汚さは!!!!!


な、なんかカスが???


くっついてる??




クロースアップ↓↓


ね? なんかくっついてる。


ちなみにアウトレット品とかじゃないです。


あと、一マン数千円です……




一緒に買った、メキシコ製には「カス」ついてないのに、

むろん米国製はきれいなのに……


「キャー、トマスくんったら、ジーンズのリベットがキタナイ」

「不潔!!」

「幻滅ぅぅーーっ」

「きっと安物つかまされたのよぉー」

「ダサすぐるぅぅー」


などという女人たちの声がきこえて この世がいやになってしまった……


あークレームいれたいな~

あーあ、二三日はいちゃって、返品できないよな~

買う時によくみておけばよかったな~

店員のおねえさんかわいかったから、

一見チャラそうにみえて、実はマジメなタイプで、ようするにかわいかったから、

あーあ……

ついついよくみないで、あーあー……




……んだが、

後々、


リーバイス501について通販サイトなどいろいろみてみると、

この「キタナイリベット」「カス付きリベット」


どうやらリーバイスのこだわりのディテールであることが判明した。


正式名称はよくわからないのだが、

「打ち放しリベット」とか「リベット打ち放し」とか

いうものらしい。

コンクリート打ち放し、みたいだな。


「ダサい」じゃなく「かっこいいポイント」らしいのだ……

わかりにくいこと、するなーー


ふーむ、クレーム入れたりしないでよかった。

クレームいれてたら、逆に恥かいてた……


…にしても正直、きたない。


ま、いいか、シャツの裾に隠れてみえないし。


しかし新品買って、逆におさがり501の良さもみえてきたようです。


穴なおしてもらって、また履こうかな、などとおもっております。


「一人息子」(1936) 感想

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ひたすら暗ーい「東京の宿」(1935)を撮った安っさん。


次の作品は「鏡獅子」(1935)

六代目尾上菊五郎の舞踊を撮ったドキュメンタリー

そして安っさん最初のトーキー作品。

なんですが、海外に向けて公開された作品らしく、

国内公開はなし。

当時の対談などみても、

「みたいなー」

「小津くん、あれはみせてくれないのかね」

とか、いわれていたりする。

BOX第四集にしっかりはいっていますが

批評する能力がないのでパス。


つぎの作品が「大学よいとこ」(1936)

これは現存せず。


で、ようやく…

実質的な初トーキー作品。「一人息子」の登場。


親友の茂原英雄の「茂原式トーキー」の完成を待っていたので

小津安っさんはなかなかトーキーに移行せず、

サイレントを撮り続けていた、というのは有名なはなし。


にしても…

「茂原くんのじゃなきゃイヤだ」

とゴネるわ、

いざ撮ってみた初トーキーがこんなに暗ーい話だわ、

(松竹はすでに土橋式トーキーというのを使っていたのだ)


小津安っさん、厄介なお人です。


ちなみに最初に聞こえてくる音は…

・柱時計のチクタクなる音

・柱時計のボーンボーンとなる音

・工場の機械の音↓↓


という具合。



終始「時間」というテーマにとりつかれていた安っさんであります。


①衣


あらすじ…


おつね(飯田蝶子)は製糸工場で働き、

一人息子の良助(日守新一)の教育費をどうにか捻出し育て上げる。

良助は東京の大学を出、市役所に勤め始める。


おつねは、息子に会いに信州から東京にやってくる。

良助はおつねを歓迎し、いろいろともてなすが、


市役所を辞めて、夜学の教師になっていること、

母に黙って結婚し、もう息子もいること、

等々、判明しておつねをがっかりさせる。


――という感じ。

苦労して育てた息子が、なんかうだつがあがらず…

しかも、将来に希望も持たず、なんとなく生きている、

そんな様子にどんどんおつねが幻滅していく、という流れです。



↑画面上で初登場の日守新一は、三つ揃いのスーツで

いかにも若き成功者、という感じ。

これがだんだんメッキがはがれてきます。


そうそう、飯田蝶子は、「茂原式」の茂原英雄の奥さんです。


↑夜学のシーン。

男の子の制服というのは、80年間、なーんにも変わっていないのだな。


あ。この子見覚えが……

とおもったら、「生まれてはみたけれど」の亀吉くんだ!

ずいぶん大きくなった。



「衣」という点で強烈なのは 笠智衆。

笠智衆は、日守新一の信州時代の恩師。


東京へ出て勉強する…というので

たいそう出世しているのか、とおもいきや、


場末のとんかつ屋さんをやってる。

それをかっぽう着姿で一瞬で呈示する安っさんです。


笠智衆のとんかつ屋は、例のガスタンクのそばにあるらしい。


しっかし…驚いたのは、

笠智衆の声質の良さ。


声がいいんだ。この人。


この「一人息子」…いろいろリマスター技術でいじっているんだろうけど。

音はガサガサしてて非常に聞き取りづらい。

その中でひとり、笠智衆の声だけ、スコーンと明瞭に響いてくる。


はっきりいって

飯田蝶子でも日守新一でもない。これは笠智衆主演作品です。


笠智衆が、

トーキーになって急に輝きはじめた理由…


それまで脇役ひとすじだった不器用な男が、小津映画の主役にまで

のぼりつめる理由。


それはいろいろあるんだろうけど。

声の良さ、ってのはデカい気がします。



山本夏彦先生が、笠智衆のことを

「なんで、あんな東京コトバをまともにはなせないような奴を…」

とくそみそにけなした文章を読んだことがあるけど、


それはそれで(わたくし夏彦先生ファンですので)おもしろいけど、

でも…

この声はいいよ…


笠智衆の声きいただけで、

我々は小津映画の世界に突き落とされる、わけで……


日守新一の奥さんは坪内美子。

この人も声がかわいい。


「~ですの」


――の「の」がなんか丸く曲線を描いている感じ。

わかります?

わからない??



ひたすら横顔を撮ります。

小津安二郎。


②食

みんなでラーメンを食べます。


おいしそうです。


みんな、丼、手で持ってるが…熱くないのだろうか…









③住


「喜八もの」を撮り始めて以来、

遠ざかっていたモダン東京がふたたび登場します。



日本人の住居のめちゃくちゃぶりが

まーよく描けてます。


火の用心のお札

夜泣きのお札


にまじって、唐紙に貼ってあるのは……



↓ジョーン・クロフォード?? かな??


雑誌の切り抜きでしょうかね?



④全体


ものごとのはじまりはなんでも偉大ですが、

小津安二郎の初トーキーというのもやっぱり偉大です。


「生れてはみたけれど」「浮草物語」

あるいは戦後の紀子ものをみて感じる…

「ああ、完璧」「パーフェクト」「うぷ。もう満腹です」

という感想はないですが、

ディテールはやっぱり小津安二郎です。


ひねくれきっていて、残酷で、冷酷で、キッチュな

小津安っさんです。


親子で映画館に行くシーン…


「おっかさん、これはトーキーっていうんですよ」



↓↓「未完成交響楽」という映画らしい…


これが…どんな映画だか知らんが…


たぶん立派な映画なんだろうけど、

とつぜん抜粋されると……


うるっさい。


「サイレント」への郷愁が無言のうちに語られます。




息子に幻滅したおつねでしたが…

物語の最後。


近所に住む富坊(突貫小僧)が馬に蹴られて大けがをする。

治療代としてなんのためらいもなく大金をさしだす日守新一をみて

息子を見直します。


しかし↓↓

わざわざこんなすさまじい絵を撮る必要はありません。




むろんトーキーですんで、

突貫小僧が、意外にかわいい声をしているとわかる…


突貫小僧の治療を見守る日守新一。


↓これも「オイオイ、いくらなんでも……」という画面です。


やばすぎです、小津安っさん。



最後の最後も「サイレント映画への郷愁」が語られます。


お母さんの飯田蝶子は信州に帰ります。

日守新一は、「おっかさんは僕に満足していないだろうな」

なんて憂鬱そうに坪内美子に語りますが…


部屋の隅に、おっかさんの手紙を見つけます。

手紙は紙幣と一緒に包まれています。


「これで まごに なにかかってやってください 母」



大事なメッセージはやっぱり「字幕」で語る小津安っさんでした。


「淑女は何を忘れたか」(1937) 感想

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小津安っさん トーキー二作目。


あらすじは……

めんどくさいのでほんとに概略だけ書きますと…


栗島すみ子、斎藤達雄のセックスレス中年カップルが

大阪から遊びに来た姪の節子(桑野通子)に

いろいろ引っ掻き回されて

けっか、お互いのいいところをみつけて

また仲良くなる、というような感じ。


しっかし…33歳の監督が撮るような話かね??

つくづくヘンなヤツ、オヅヤスジロウ。

今と昔の三十代は違うんでしょうが。


以下、例によって衣食住で感想書いていきます。


①衣


「松竹」的にいうと、

つまり製作会社的にいうと、


「大スタア栗島すみ子先生の引退作品!!」

という感じなのでしょう。


今でいうと「吉永小百合主演」みたいな感じか。

にしても……


栗島すみ子ってなにがいいの?????


「日本の恋人」

「日本映画界最初のスーパースター」

らしいのだが。


わからない。

おまけに声がキンキンしていてかわいくない。

この人の主戦場はトーキーじゃなくてサイレントだった、というのは差し引いても……



ただ、おもうのは……

1920年代の「美人」の基準は、歌舞伎の「女形」だったんじゃないのか?

ってことです。


今みたいに、家にいたって、街を歩いたって

いたるところにかわいい女の子がニコニコ微笑んでいる広告媒体に囲まれる…そういう時代ではなかったろうから。


美女というと誰もが歌舞伎の女形を思い浮かべる、んじゃなかったろうか。

(推測)


……にしても、栗島すみ子のかわりに

八雲恵美子とかだったら、とか僕はおもいますよ。

エロくてエロくてしょうがない作品になったとおもいますよ。


さて、


衣、という点では

前作で信州のビンボーお母さんを演じた飯田蝶子が

趣味の悪いブルジョワ奥様を演じていておもしろい。


↓↓桑野通子はかわいい。

この人は声もかわいい。喋り方もかわいい。


「関西弁のかわいい女の子」

というキャラクターは戦後の「彼岸花」の山本富士子にうけつがれるわけです。


ついでにいうと、

「彼岸花」には桑野通子の娘、桑野みゆきが登場するのもおもしろい。

(病んでる、ともいうが)




にしても……


剣を持たせるか? 剣を!


八雲恵美子、田中絹代にピストルを持たせた小津安っさんは

桑野通子に剣を持たせます。

病んでます小津安二郎。



この頃(1937年)は日記が残っていて、

で、安っさん、桑野通子にメロメロだったことがよくわかる。


撮影中は

「大阪の姪の病みおる白き梅」

などと書き、

撮影がおわっても

「久々に桑野に会ふ」

「桑野より中元来る」

という具合。

私は、先生は、桑野通子さんと結婚なさるのかと思ってた。やっぱり芸術のために結婚なさらなかったんですか?

(蛮友社「小津安二郎 人と仕事」158ページより)


というのは高杉早苗。

なんかそういう噂でもあったのかもしれない。


男性ファッションは…


斎藤達雄、大根のくせにおめえはかっこいいな。

英国貴族が、日本の学生の下宿に闖入して来たようです。




佐野周二。


医学部の教授、斎藤達雄の助手、という役です。


この人もかっこよくて、声もいいし、うまい。

(斎藤達雄がいかに大根か、よくわかる……)


戦争がなければ、もっと小津作品に出てた人だろうな。

(小津安二郎と同時期、中国大陸に出征)


ヘンな髪してるが、小津安っさん自身、こんな髪型をしてた。

お父さんと一緒にちょうどこんな髪でうつってる写真があります。




②食


食、は、

斎藤達雄が佐野周二の下宿で、一緒に朝食をとるシーンがあるんですが、


「雨」という異常事態の発生にビビってしまうのは

僕が小津オタクだからでしょうねえ。


いつだって「いいお天気」の小津映画で

雨が降っている。


「淑女は何を忘れたか」


登場人物は同性と一緒の方が落ち着いていられるようです。


一方、


斎藤達雄―栗島すみ子

斎藤達雄―桑野通子

佐野周二―桑野通子


異性と一緒の時はどこかそわそわしています。

もちろん、意図的なんでしょう。


③住


「洋間」にくらべて……


いかに日本建築の空間というのが官能的であるか、よくわかります。


さいごのさいごのシーン。

セックスレスカップルの 斎藤達雄、栗島すみ子

彼等が、なんかいい感じになるんですが……


それを、まーーー

魔法としかいいようのない、

エローい方法で提示します。


このすさまじさ。

分かる人にしか分からんだろうが……













う~ん、このねっとりした「黒」のエロさ……


④全体


いろんな見方が可能な作品だと思います。

「小津が出征前に撮った最後の作品」

という見方もおもしろいです。


あの暗~い「人情紙風船」を撮って戦争に行った山中貞雄が

病死してしまい、

このおバカな「淑女」を撮って戦争に行った小津安っさんが

大ケガすることもなく、また日本に帰ってくる。


おすすめしたいのは(?)

ジョジョ風に…

荒木飛呂彦風にみるやりかたで(?)


斎藤達雄が、桑野通子に

「あんなの一発ひっぱたいてやればいい」

とそそのかされて、

栗島すみ子をひっぱたくシーン……


これの正解は

正しい解釈方法は…


◎桑野通子が スタンド「斎藤達雄」を使って

むかつく栗島すみ子をぶんなぐる


というストーリーなのです。




↓ ドッギャ―――ン! スタンド「斎藤達雄」登場。



↓松竹の大ボス。栗島すみ子


ゴゴゴゴゴゴゴ………



↓かわいい桑野通子と、おばさん栗島すみ子の対決。


ドドドドドドド…………



↓スタンド「斎藤達雄」の右腕が炸裂!


ズガッ!!!




↓敗北する栗島すみ子。


ガ、ガクッ……


小津安っさん。

1937年1月~2月 「淑女は何を忘れたか」を撮りまして


それから金がないカネがない、とボヤキながらゴルフ三昧の日々。

(カネあるじゃねえか…)

あれこれ飲んだり食べたり遊んでいるうちに


9月9日、召集令状がきます。

水戸の建築(泉町会館・水戸地方気象台) 

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水戸芸術館、山口晃展、

会期がそろそろ終わってしまうので

も一度見に行くことにしました。


ついでに…水戸ってあんまり行く機会がないので、

水戸芸術館周辺の気になる建築を巡ってみることにしました。


あ。ところどころヘンテコな色に加工した画像がはさまりますが、

わたくしの趣味ですので、お気になさらぬよう。




・泉町会館

設計者不詳。いつできたものかもよくわからん。

昭和初期のモノらしいのだが、

さっきネットで調べてみたら、


「昭和30年に戦災復興のシンボルとして再建された泉町会館…」

うんぬん書かれていて…


ようは

オリジナルは昭和初期に竣工したのだが、

空襲かなにかで焼けてしまって、

その後、昭和30年に復活した、というものだそうな。



水戸のメインストリート 国道50号沿いにあります。


水戸芸術館から、歩いて、さあ…5分か10分そこらだったような。



じつによくないことで…


わたくしのように

アカデミックな建築教育を受けた人間というのは、

「建築家○○先生の作品」

というのをむやみやたらにありがたがる傾向にあって…


なので、こういう「作者不詳」の作品なんか、

視界にはいってこないわけで…


なので、この建築の存在。

先月の水戸訪問ではじめて知った。

たまたま知った。


帰り道、クルマの窓から一瞬とおりすぎる

なにやら不気味な建物……


昭和モダンの怪物。


入口のタイルにご注目。

ツルツルのタイル。


ざらざらのスクラッチタイルとかだと、「アールデコ」してますね~

ということになるわけですが、


この外観のツルツル感、とか開口(窓)を大きくとるやりかたとかみると、


「モダン!」

「アールデコ、そんなの古いっす」

という時代の産物であることがわかります。


しかし…東京ならわかりますが、

イバラキでこんな ザ・モダンの建築が存在するとはねーー



船、とか機関車、とかのイメージ。


じっさいみていると、

ウゴゴゴゴ…

とかいって動きそうな気がします。

軽やか。


抽象画みたいな小気味よさがあります。

リズム感、といいますか。



あ。角の窓が気になるぅーー

曲面ですよね??


カネかかるぞ。窓枠も作るのめんどくさいぞ。


ただ、小うるさいことを言うと、

側面のおもしろさに対して、

入口はデザインが弱い。


コンクリートブロック、タイル、レンガ…

なんかつぎはぎ細工みたいで、

やっつけ仕事な気がする。


んー…ドアの下の部分の

ぬべーっとしたかったるさ。


もともと階段だったのを

ぬべーっと塗り固めてしまったのかもしれない。


ただ、書きながらおもったのは

震災でダメージをうけて、

仕方なく

このかったるい状態に修復したのかもしれない。


よくわかりません。

だったらごめんね。泉町会館くん。


ちょうど店じまいの時だったので(ふだん野菜とか売ってるらしい)

中には入れなかった。

今度は中をみせてね。




つづいて…


・水戸地方気象台。

竣工1935年。


設計は…ビッグネーム中のビッグネーム


堀口捨己(ほりぐちすてみ)



堀口先生というと、

僕のような不勉強な人間でも


大島測候所(1938) という名作を知ってゐるわけで、


↑は、デルファイ研究所「建築の20世紀 終わりから始まりへ」

34ページを撮りました。


でも大島測候所がない今、

あの名作の雰囲気を味わうためには

水戸へ行くしかないわけで。



これも水戸芸術館から歩いてすぐ。5分? 10分?


うぉぉーーー


あった。あるんだね~


事前に、あんまり情報を入れないで行ったもので。

驚きました。


往年の大スターに町中で急に出くわしたかのような…


あ。生きてるんだ、みたいな。

実在の人物だったんだ、みたいな。


バリバリのモダンです。

堀口先生というと、デ・スティル的なでこぼこした時代もあるんですが、

これはシンプルな四角。

バウハウスっぽい、かしら?


堀口先生のあとの世代、

たとえば こないだ自邸を紹介した前川國男先生とか

丹下健三とかだと、


ル・コルビュジエにかぶれるんですが…

コルビュジエ臭はない。


そうそう。↑↑

これ。

このきっちり感が欲しかったの。あたし。


泉町会館になかったのはこの几帳面さです。


さすがビッグネーム。巨匠。スキがない。


凝りに凝ったディテール。

ドアノブも金ぴかに光ってます。


いいなー

階段のデザインもいいなー





うう。こっちの階段も凝ってる。

いいねーーーかわいいーー

ミースのファンズワース邸みたいなーー

ってあれは超高級大理石ですけどーーー

コンクリートでもかっこいいよーーー


あと、この開口もステキ。

なんかメカっぽくて良いな。



えー色々もりあがってしまいましたが…


あとで調べてみると

申し込めば内部も見せてくれることがわかった。

見学させてくれるんですって。

いつかお願いしましょう。


あと、ですね。

震災でやっぱりダメージを受けたらしい。

それをきっちり修復した際に、もともとの色、この薄緑色に戻したのだそうな。

(それまでは白だったそうな)


というか、堀口先生の傑作。

壊さないでいてくれて感謝、です。




えーホメてばかりいるのもなんなので、欠点も指摘しておく。


ウェルカムな雰囲気の建築ではない。

正直、ミリタリー臭を感じた。

威圧感。


たぶん――大島測候所なんてもろにそうだが、

昭和初期における気象情報って

軍事情報、軍事機密に類するものであったに違いない。


「天気晴朗なれども波高し」

戦にゃ天気が重要なのだ。

その時代の産物。という気がする。


あ。

勘違いされる方がいると困るので書き添えますと…


今現在の水戸気象台さんが無愛想、だとかそういう意味では全くないです。


もともと昭和初期における堀口捨己の設計がもっていた意味を

僕はいっております。


んーしかし、中身をみたいな。

見学したいな。


建築成分、満腹して、

水戸芸術館へ


磯崎新は

水戸気象台の存在は絶対に知っていたはずだから…


この▲▽▲▽の塔は

あの堀口捨己の「軍」っぽい塔を意識してたんだろうか??


深読みでしょうか?



しかし、すごい街ですよ、水戸。


もろにSFじゃないっすか。

国立劇場 文楽五月公演 感想

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国立劇場の文楽五月公演 みました。


第二部の

「祇園祭礼信仰記」(ぎおんさいれいしんこうき)

「桂川連理柵」(かつらがわれんりのしがらみ)


をみました。

ので、感想なんぞ。


ちなみに文楽みにいったのは二回目です。

前回見たのは

「曽根崎心中」


さて「感想」とかいって、

文楽知識なし。

古典文学の知識なし。

邦楽の知識もなし。


そんなヤツの書く感想です。


最近、この公演にそなえて

三浦しをん先生の「あやつられ文楽鑑賞」を読んだ。

以上。


数年前にみた「曽根崎心中」…感動したが、

とくに音楽面で感動したが、

といって熱中するほど、でもなかったのね。

そんなヤツが書く、「感想」


――んだが、結論を先に書いてしまうと。

とても良かった。

これはハマってしまうかもしれない……



まとまった「感想文」を書く自信がないので、箇条書きにしてみる。


○お人形がめちゃくちゃかわいかった。


前回「曽根崎心中」では、1等席だったのだが、限りなく2等に近い、

後ろのほうの席だったので、舞台上の出来事があんましみえなかった。

ので、その怨念がありまして

今回は一番前の席を確保した。(極端な性格)

結果、お人形がみえすぎるほどよくみえました。


文楽の人形の美、ってのは写真ではどうも伝わらないような気がします。

といって映像でも、どうなのか?

舞台で見るしかないんじゃあるまいか?


僕の感じだと

お人形自身がひとりでに動いて、

その動く人形に…人形遣いの人たちがそっと手を触れている、という感じ。


「がんばって動かしてます」感がまったくないのだから

そんなの文楽ファンにはあたりまえのことなのだろうが、

すさまじかったです。


○音楽はやっぱりすごかった。


グレイトフルデッドのジェリー・ガルシアが

「音楽はリズムでもメロディでもなくてけっきょくグルーブなんだ」

とかいっていたのを思い出して、

引用しようとしたが、今、本がみつからなかった。

でもたしかそんな感じのことをいってました。


えー

わたくしが、なにがいいたいかというと、

文楽もグル―ヴィだ、ということのようです。


音楽に関してはなにか書くとボロが出そうなのでやめておきますが、

「桂川」

「曽根崎心中」もそうだったけど


二人が心中しますよ、

死んじゃいますよ、

というシーンで

ぞろぞろと三味線さん、大夫さんが大勢出て来て

ジャンジャカジャンジャカ

大音量でたたみかける、というやり方は

エロすぎです。

秘境……じゃなかった卑怯です。




○「祇園祭礼信仰記」は山田風太郎である。


風太郎してて楽しかったです。

風太郎のポイントは

摩訶不思議(かつエロな)マジックアイテム

それと

清純な美少女の貞操がいかにまもられるか

であるわけですが、


「祇園」はもろにそれでしたので風太郎作品からの盗作をうたがったのですが、

パンフレットには1757年初演と書いてありました。

さすがに山田風太郎は生まれてないな……たぶん。

えー…あらすじ。

松永大膳といういかにも悪そうな名前の悪いおっさんが出て来て

雪姫、という美女の貞操を狙います。


さらに松永という悪い奴は、雪姫のお父さん雪村を殺して

倶利伽羅丸という宝刀をうばったという二重に悪いやつです。

(お父さんが雪村でおじいさんが雪舟、というあたり日本美術に関心ある方はおもわずプププ…な設定です)


倶利伽羅丸は、滝に刀身を写すと、

竜の姿が浮かび上がるというマジックアイテムだったりします。

まー山田風太郎が書くとすると…

「豊満な裸婦に竜がからみつく姿」とかだったりするんでしょうが。

さらにその竜をみた女性は皆エロエロな気分になってしまったり…

あー

文楽ではそれないです。ないです。

でも色々と風太郎っぽかったのです。


その他いろいろ書きたいことがありますが、

「武士は魂、人相の差別善悪によるべきか」

「すべて碁は勝たんと打たんより、負けまじと打つが碁経の掟」

とかかっこいいセリフにしびれました。


あと雪姫が松永から刀を奪って

「敵もこなたに極まつた、サア尋常に勝負しや」

というところなんぞしびれました。


風太郎が書くとすると、そのあと雪姫は素っ裸にひんむかれ、

貞操を奪われそうになるのですが、

文楽ではさすがにおとなしく、

雪姫は桜の木にしばりつけられるのでした。


そして桜の花びらでネズミを描いて

そのネズミが本物のネズミになりまして

姫をしばる縄をかみ切るのでありました。


ネズミ、かわいかったーー

あとなにげに竜もかわいかったーー


○「お半ちゃぁぁーーん!」と叫びたくなった。


休憩三十分はさんで 「桂川」ですが、

「お半、長右衛門」といえば、

あー年の差カップルの心中だな、とわかるわけですが、


前半が風太郎してて、僕的にはもりあがったので

なんか地味だな、と

ほんのちょっとがっかりしました。


さらにいうと「祇園祭礼信仰記」は金閣寺を舞台にして

・最初雪姫が閉じこめられていた空間にさいご松永が閉じこめられる。

・此下東吉なるヒーローが金閣寺の最上階にのぼり

 慶寿院なる偉いババアを救出する。

という上下左右、建築空間的にも興味深い点が多々あり、


その点でも建築的にハデではない

グジグジしたホームドラマの「桂川」は

がっかりしたのですが、


このがっかりは全部、お半ちゃんの登場シーンでひっくりかえりました。




お半ちゃんは、14歳のロリータで

アラフォーの長右衛門と心中しちゃう、

ま、過激な性格の持主なのですが、


おはなしの後半になるまで、えんえん登場しないのです。


「お半が~」「お半に~」「お半は~」

と会話に登場するのですが、本人はまったく登場しない。


その初登場シーン……


商家のお嬢様なんですが、

自分の家ののれんを一瞬だけくぐって外へ出る…

2秒?3秒? それとも5秒くらいか??


くぐって、またうちに入ってしまう。


一瞬拍手が起こるんですが、すぐにおさまる。


まーあの可憐さ。

一瞬出て、一瞬で引っ込む。

「型」なんでしょうけど。

「お半ちゃぁぁーーん!」と叫びたくなってしまいましたよ。わたくし。


あの一瞬がすべてでした。

いや、他にもいろいろおもしろかったんですけど……


長右衛門の人物設定がちと弱いような気がする……

個性、みたいのがない。

あんがい、女性から見るといい男かもしれんなーー

こういう脳みそ空っぽなイケメンってのは。。。


ま、ダンナにするにはどうかとおもうが、

心中相手にはいいわな。


□□□□□□□□


えー、ハマりそうな予感です。

舞台上にいるのが、生身の人間ではなく

「人形」である点、


脚本、物語の構造、

舞台の構造、

がよく見える気がする。いろいろ勉強になる気がする。


いや、なにより楽しいのですが。

「戸田家の兄妹」(1941)感想 その1

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「戸田家の兄妹」の感想を書きます。

長くなりそうなので その1 その2 の2回に分けて書きます。


戦場から帰ってきた小津安二郎軍曹が撮った最初の作品。


当時のインタビューやら対談やらをみると小津安っさんの次回作に対する

周囲の期待というのは……

「本当にリアルな戦争映画」

「兵士の目から見ても納得のいく戦争映画」

であったようで、本人もなんかその方向を考えていた、…


…ようでもある。

なんつっても日本で一番才能のある映画監督が

日中戦争の最前線をくぐりぬけてきたわけである、

とうぜん大日本帝国の誰もが、それを期待するわけでして……


――なのですが、実際にできたのはこれ。

え?戦争映画…


…じゃないの??


「戸田家の兄妹」

戦争のかけらも気配さえも出てこない「豪華キャストのホームドラマ」

小津安二郎の真骨頂はここから始まります。


紀子三部作から遺作の「秋刀魚の味」まで

戦後作品はほとんどすべて「戸田家の兄妹」の変奏曲だ、といえます。


ただ違うのは、「戸田家」がとんでもなく大きなお屋敷だ、という点ですか……


□□□□□□□□


「衣」「食」「住」で感想を書くのは不可能なので、

やめにしておきます。

不可能な理由はおいおい書いていきます。


①すなおに最初からみていきます。

オープニングから不気味なのが小津安っさんです。

もうっ、ふつうにやればいいのにっ!

↓↓不気味な木を背景にいれるっ!!


左から 坪内美子(戸田家の次女綾子)

三宅邦子(戸田家の長男進一郎の嫁)

高峰三枝子(戸田家の三女節子)


②戸田家の庭では家族の記念撮影がはじまろうとしていますが、

二男の昌二郎(佐分利信)がぐずぐすして来ません。


兄貴を呼びに来る、三枝子たん。↓↓

ここらへんではっきりいってしまいますが、



「戸田家の兄妹」

これは小津安っさんによる「妹萌え映画」です。


佐分利信―高峰三枝子の近親相姦映画です。


笠智衆―原節子の近親相姦映画「晩春」の祖先にあたるわけです。

ま、あれは「親子」ですが。


佐分利信。若いな。

傘型の電気スタンドにご注目。名脇役です。


お兄さま

記念撮影なんだからお洋服じゃないとダメ、といわれてしまいます。

おなじみ「衣」テーマの登場です。


以下、お着替えシーンは涙が出るほどの完成度。

くわえて完全な「妹萌え」です。


妹「ネクタイどれ」

兄「どれでもいい」

妹「はやくなさい。はやくはやく」


妹は兄の男根(ネクタイ)を完全に支配しています。

「落第はしたけれど」の田中絹代たんを思い出しましょう。

小津映画おなじみ「すべてを知り、すべてを支配する女」です。


兄「今日はバカにきれいだね」

妹「はやくなさい」

兄「ほめてるんだぜ」



っていうか、このシーンの完成度は……


マルクス兄弟のスピード感を思い出すんですが……


「衣」テーマと「住」テーマを複雑に放り込みつつ、

兄妹の(あやしげな)関係も描き切り…

てきぱきした運動(舞踏?)が心地よく…

構図はすべてにおいて完璧、という……



二人とも…消えた…


な、なにやってんの??

も、もしかして??


え?――


あ。でてきた。ホッ……

佐分利信、洋服だ。


で、クルッとな。

今まで家の中から外を見ていたキャメラが

外から内側を狙います。↓↓


まるで手品の種明かしのように……


「はい。なにもありませんでした」

といわんばかりのショットですが、

そんなことわざわざいうから、なおのことアヤシイ兄妹です。



で、小津映画おなじみの記念撮影。

戸田家はレンガ造りの洋館+和様建築というお屋敷です。


ついでにいえば写真屋さんは谷麗光だったりする。



③記念撮影の日の夜。


「ああ。いい気持だ」

――という小津映画においてはきわめて不吉な言葉を発した父が


戸田家の家長が

案の定、死んでしまいます。急死。

で、お葬式なんですが……


帽子……「衣」だけですべてを語ってしまう、という。

このスピード感。


そして…兄妹はお屋敷の隅っこであいかわらずイチャイチャ……


失礼。

泣くなよ、とかいってなぐさめています。

お着物の女性に男物の帽子をかぶせる……


もちろん「その夜の妻」の八雲恵美子の再来です。


④ 料亭にて、佐分利信が大陸への出発を語ります。


学生時代同級生だったオッサンが、料亭で語り合う……

戦後の小津作品ではおなじみの場面。

中村伸郎とか北竜二とかがでてくるアレ。


そう考えると、佐分利信、笠智衆は戦前から同じことばっかやってるわけだ。


このシーンがすさまじいのは…

画面上にみえているのは「食」テーマなのですが、


語られている内容が徹底して「住」テーマであること。

「住」……つまり「空間」に関する話題しか語られません。


しょっぱな友人が佐分利信に声をかけるのは

「おまえいなかったんだってな」


…つまり死にゆく父親と同じ「空間」内にいなかった、

というセリフ。


それから佐分利信のセリフをひろっていっても

「いつかこのうちで親父とメシを喰ったことがあるんだ」

「親父がここで俺がそこに座って、時候も今時分で」

徹底して空間論。


そして天津への転勤を決めた、という決意も……

「俺にはもううちがないんだ」

という一言。

徹底して「住」―「空間」です。


そう考えると、友人たち三人が佐分利信の父親を回想する……


・神宮の始球式でヘマをした。
・弓道が得意だった。

・佐分利信が父親の望遠鏡を無断で売り払ってこづかいにした。

・佐分利信が父親の時計を無断で売り払ってこづかいにした。


というのも「空間」「時間」に関するテーマと見てよいようです。

お前、それはちょっとこじつけなんじゃない?

と思われる方もおられるでしょうが……


二流三流の脚本書きならばここでちょっと泣かせるエピソードとか

道徳的なエピソードとか、あるいは逆に笑わせるエピソードとかを

挿入するのではないでしょうか??


でも小津はそれをやらなかった。

「ボール」「弓」「望遠鏡」「時計」

……このチョイスは明らかに意識的なのです。



おそるべし小津安二郎。

上記のお着替えシーンにおいて「衣」と「住」のコンビネーション。

料亭シーンにおいて「食」と「住」の合わせ技。


んだが、わたくしとしてはもう一歩ひねくれた見方も提案してみたい。


◎兄・佐分利信は妹・高峰三枝子から逃げるために天津へ転勤するのではあるまいか?


父親が死んで、で「俺にはもううちがないんだ」

というわけで転勤をする。

というのは表面的な理由で……


父親が死んで、でなんの遠慮もなく「俺は妹萌えし放題になってしまう」

だから、転勤をする、のではないでしょうか?


そう考えると男たちの会話の中に出てくるのが徹底して「父」であって

「母」「妹」は排除されていたことにはなんか深い意味がありそうです。


はい。で、

⑤兄妹の別れ、です。


大陸行きが決まった

佐分利信の荷物をお母様と妹とでパッキングします。


しっかし高峰三枝子たんですが、

なんで小津作品これ一作品きりなのかしら?


動きもセリフもてきぱきしてて、たたずまいも上品で。

なんか小津ごのみな感じがしますが。

声もさすがに綺麗だし……


ただ水久保澄子、高杉早苗、そして原節子……

小津安っさんがホレちゃうのは

お目目ぱっちりなヒトだったりするわな……

あのバタ臭い顔の人たちから比べると、

純和風な顔だちです。



えー、パッキングシーンというと、

「東京物語」のオープニングを我々はどうしても思い出してしまうわけですが。


ここも「衣」テーマだけではなく

「住」テーマ……つまり空間論を語る、佐分利信です。


「いくら遠いったって飛行機にのればすぐ帰ってこられるんだし、なまじ京都あたりからガタガタ汽車で帰ってくるよりよっぽどはやいくらいなもんですよ」


まー…中国大陸で戦病死した京都人・山中貞雄のことを

どうしても思い出してしまいますが……


うーん…にしても……


↓これは……完全なる妹萌えシーン。


L字になっているトランクにご注目。

このL字で兄妹と母親は切断されています。

L字の右側で兄妹はみつめあっていまして……


おまけに…背景の障子のせいですが…

高峰三枝子が後光に包まれているようにみえる……


やばすぎます。小津安二郎。


で、妹の縁談が父親の死の影響でダメになった、というのですが……


このうしろ姿は明らかにそんなこと考えてません。

お兄さまのことしか考えてません。


兄も兄で……「俺みたいなやつ」をみつけてやる。

といいます。


妹は兄が逃げていくホントの理由がわかっているのかもしれません。

兄貴は自分のホントの理由に気づいていないっぽいですが……


はい。海外への転勤は正解だと思います。
やばすぎますもの。あなたたち。



⑥桑野通子登場。


母、妹、は、

長男一家の家に(斎藤達雄、三宅邦子)厄介になるんですが、


三宅邦子に「今日、お友達がくるんでアンタたち邪魔」

といわれて家を追い出されてしまいます。


あ。戦前の田園調布のセレブですので、

そう、はっきりとはいいませんが。

とにかく追い出されます。


それで母は長女(吉川満子)の家に

妹、高峰三枝子は銀座でお友達とランチ、というわけです。


んー、なんですけど。

小津安っさんのおそろしさ、ってのは、

リアリズムを徹底的に小馬鹿にしているところでしょうか。


一体なんなのだ?↑↑

この抽象画みたいな構図は??


「ここは銀座でございます」

なんてことは一切やらないのだ。


なんか、こう……

兄を喪った妹の心の空虚が伝わってくるような……


さっきみたL字の安定感から

この丸太ん棒が突き刺さる不安定な構図へ……


にしてもすさまじい天井だな。


料亭での男たちの会話とちょうど好対照な場面です。

「食」テーマと「住」テーマのコンビネーションというのも同じ。


桑野通子が語るのは

「ねえ、お兄さまのおうちでうまくいっているの?」

「お母さまご不自由していらっしゃるんじゃなくて?」


高峰三枝子の転居に関する話題です。


……んだがこのシーンの不気味さはなんだろう?


大スタア桑野通子登場!!

というのが一切ないんだよな。


繰り返しになるが抽象画じみているのだ。

背景が無色で、人影もまばら。ほぼ無人。

花の二三本生けておけばいいのに……それをやらない。


高峰三枝子は……

兄弟とはいえ、ひとの家で暮らすのは不自由が多いから、

「あたくしがはたらいてあなたのように お母さまと二人、別に暮らしてみたらとおもって」

という決意を語ります。


んだが、桑野通子はそれをおだやかにとめます。


わたしは父親の代から「人に使われている身分」だが

あなたは「使う方の側」よ。


「ねえ、なんか食べない?」

「安くておいしいもの」

「そう、それよ。そしてたくさんあるもの。それが大事よ」


……と、一見友達同士のなんでもない会話のようですが、


この喫茶店シーンはやっぱし不気味です。


この不気味さがなにに由来しているかというと…

たぶん…

時子(桑野通子)は、節子(高峰三枝子)の分身なのです。

節子の影、が時子。


あまりになんといいますか絵にかいたような…

それこそ吉屋信子の少女小説のヒロインみたいな…

対照的な二人。


「ブルジョア」―「プロレタリアート」
「和装」―「洋装」

「生徒」―「師匠」

この構図。


で、なんでこんな分身が登場したかというと、

それは妹は兄と結婚できないから、です。

高峰三枝子は佐分利信と結婚できない。


なので、桑野通子、なる自分と真逆の分身を生みだして

兄、佐分利信と結婚させる。めでたしめでたし。


□□□□□□□□

はいはい。

全部深読みなんでしょう。

深読みしすぎなんでしょう。

なにもかも無意味でしょう。

あるのは光と影の戯れ、だけでしょう。


でも「兄―妹」の物語でも持ってきて安心するより他ないわけです。

小津安二郎作品の不気味さには。


その2に続く。

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