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福岡堰(つくばみらい市)の桜。と、うちの黒猫。

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どうやら

「福岡堰」というところの桜がすごい、とかいうので行ってみました。

 

小貝川という川につくられた「堰」

 

うちから近い(クルマで30分ばかし)ので

早朝(夜明け前)から はりきって撮影……

 

どうでもいいが……

「つくばみらい市」ってネーミングセンス どうなのかね??

あくまで個人的見解ですが

ぜったい後で後悔するような気が??

 

そういや「都電荒川線」→「東京さくらトラム」もヤバい……

都民じゃないからどうこういわんが……

みんな従来の呼び方を続ける気がする……

 

「みらい」とか「さくら」とか安易すぎるだろう……

 

しょっぱな頑固おやじみたいなことを書きましたが……

 

おなじ場所を定点観測。

 

平日(金曜)だったのですが、

早朝からけっこうたくさんの人がいました。

みんなカメラ&三脚持ち。

 

んーだが、どうなのでしょう??

 

特徴としては

・コンクリートの堤防のない川。

・延々続く桜並木。

以上。

 

というだけのような気が??

 

個人的には「だから??」という感じで――

 

すぐに飽きました。

 

まあ、いい写真が撮れなかったことのいいわけでしょう。

 

わたくしとしては一枚目の

夜明け前の写真がいいかな? とかひそかにおもっているのですが……

 

やはり自分は

建築

とか

女人

とか が、ペアでくっついていないと……

 

桜単体はあんまし興味がないようです。

 

飽きたのでさっさと帰りました。

早朝に出かけ、早朝に帰ってくる。

 

帰ってくると――

クロがお出迎え。

 

故トトやんの定位置(父の車の上)が、

いま、クロの定位置です。

 

なんか「苦み走ったいい男」みたいに写っていますが……

 

ほんとうは「ミーミー」 ボーイソプラノで鳴きわめく甘えん坊です。


東京国立博物館・法隆寺宝物館・春の庭園開放!!

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2018年3月26日(月) トーハクの様子です。

 

例によって例のごとく、

写真をべたべた貼ります。

 

上野恩賜公園は……

↑↑こんな感じで ニンゲンがうじゃうじゃ群がっておったのですが……

 

↓↓トーハクは、……

 

おっそろしく 空いてました。

 

まあ、宴会できないしね。

入館料かかるしね。

あと、普段休館の月曜、ということもあるか。

 

いや、でも、上野で静かに桜見たいなら トーハクでしょ。

 

谷口吉生先生の法隆寺宝物館……

 

――&満開の桜。

 

↓↓

とつぜん 赤外線フィルターなどをつかってみる。

 

Kenko PRO1D R72使用。

 

東京で一番美しい建築……

 

とか、勝手におもっております。

 

この水面がたまらんです。

 

法隆寺宝物館から 表慶館をみる。

この風景もたまらんです。

 

……というか、「ひょうけいかん」

変換すると わたくしのPC

「豹警官」

って出てきます……

 

ヒョウ柄のポリスじゃありません。

「表慶館」!!

 

えーと、片山東熊先生だっけ? 違ってたらすみません。

 

↓↓

レトロに仕上げてみる。

 

そうそう、Kenko PRO ND1000 つかってます。

シャッタースピード:10秒。

 

つくづくこの水面がたまらんわけです。はい。

印象派絵画みたいな絵が撮れます。はい。

 

これも↓↓ 大好きなND1000。

シャッタースピード:10秒。

 

人がいたとおもいますが、消えてます。

 

これは↓↓

 

PLフィルター使って精いっぱい空を青くした例。

三脚初心者なので、いろいろ試しておるわけです。

□□□□□□□□

昼食後。

庭園に移動。

 

しかし……失敗しました。

17時までやってると思い込んでいたのですが……

 

お庭は16時で閉まってしまうのですね。

そういやそうだっけ。

 

その勘違いのおかげで

 

ほとんど写真が撮れず……

 

 

また、赤外線写真やってみましたが……

どうなのでしょうね??

 

水面が真っ黒になってますが……

 

次回。夜のトーハクの写真を紹介しようと思います。

東京国立博物館(トーハク)・夜間開館・法隆寺宝物館しか撮ってない……

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2018年3月30日の

夜のトーハクの写真を べたべた貼っていきます。

 

「トーハク」と書きましたが、谷口吉生先生の法隆寺宝物館の写真ばかりです。

 

撮影データも載せますが、おもに自分向けのメモですので

カメラに興味ない方は無視してください。

 

以下、すべての画像 ISO100です。

 

↑↑

焦点距離:50mm

絞り値:f/8

シャッタースピード:2.5秒

 

桜が散っているのが残念です。撮影日は2018年3月30日で 前回の記事(26日)の4日後……

満開の時に撮りたかったです。

 

しかし夜間開館しているのは 金・土だけ。

なので26日には 夜間の風景が撮れなかったのです。

 

↑↑

焦点距離:16㎜(ですが大幅にトリミングしてます)

絞り値:f/8

シャッタースピード:8秒

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:10秒

 

はじめて夜の法隆寺宝物館のお姿を見たのですが……

「どんなにキレイなことか」

と、期待していたのですが……

 

期待以上の美しさでした。

しっとりしたオレンジ色の照明が なんともまあ 艶やかでした。

 

照明のデザインもやっぱし谷口先生からんでるのだろうか?

からんでるよな。

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:10秒

 

これは左側のヒトが邪魔ですね……

いなくなるのを待つべきでした……

こういうことに撮影時気づかないあたりがダメですね……

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:13秒

 

はい。前回同様

法隆寺宝物館から 表慶館をのぞみます。

 

月夜で空が明るいです。

夜桜がいい感じだと思います。

幻想的な感じ……

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:20秒

 

別アングルから……

こっちの絵の方がいいかな??

主題が明確な感じで……

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:15秒

 

これはお分かりの通り クロスフィルター使ってます。

Kenko PRO1D R-CROSS SCREEN(W) for wide-angle lens 使用。

しかし、うるさい……かな??

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:10秒

 

これもクロスフィルターで遊んでます。

が、左側のカップルがいい感じです。 狙ったわけではなくたまたま。

 

↑↑

焦点距離:20㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:30秒

 

↑↑

焦点距離:20㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:30秒

 

↑↑

焦点距離:16㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:30秒

 

広角ズームでの画像を3枚並べましたが……

どこかで見たような絵のような気も……

(だったら載せるな)

 

標準レンズ(Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50)のほうがやっぱりおもしろい絵が撮れるような気がします。

んー

というか、最近夜景を撮るようになってきて

いよいよカールツァイス信者になりつつあるような気が……

 

もう1本 カールツァイスレンズが欲しいです。広角のやつ 買ってしまいそうです……

 

↑↑

焦点距離:50mm

絞り値:f/8

シャッタースピード:15秒

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:10秒

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:15秒

 

こっちからのアングルもいい。

と気づいたのですが 閉館時間近くなってしまい、あんまり撮れませんでした。

 

ただ、こっち側(北側なんですけど) 喫煙スペースがあるのですよね。

タバコあんまし好きではないので そのあたりがどうも……

 

□□□□□□□□

けっきょくカメラ関係のことばっか書いてますね……

 

でも、夜のトーハク ほんとキレイです。

桜の季節終わっちまいましたが これから、夏なんかもいいかもしれません。

おすすめです。

足の爪切り問題・市川崑「細雪」(1983)

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ようするに……

昔の人にとって

「足の爪切り」は

一大イベント・楽しい娯楽だったのではないか?

という考察をいたします。

 

まあ、結局

吉永小百合&古手川祐子の 

このとんでもなく美しいシーンに落ち着くわけですが……

 

□□□□□□□□

そもそものはじまりは ドナルド・リチー先生の

「小津安二郎の美学 映画のなかの日本」で……

 

家族(そしてその延長の会社員たち)はゲームを好み(『浮草物語』や『浮草』の碁、『風の中の牝雞』や『早春」の麻雀)、なぞなぞを好み(『生まれてはみたけれど』『出来ごころ』)、判じものや洒落を好む。

このほかに、小津作品の家族が好んで行う気晴らしは足の爪切りであり、

この行為は日本人の実生活よりも小津作品ではよけいに出てくるようなので、特記しておこう。

(教養文庫、ドナルド・リチー著、山本喜久男訳「小津安二郎の美学 映画のなかの日本」36ページより)

 

これを読んだことにはじまります。

文脈的にコメディタッチなのですが……

(このちょっと前に「小津作品の娘たちの得意な仕事はタオルを干すことだ」というような文章もある)

 

なるほど外国人らしいおもしろい視点だとおもいました。

ただ……

 

自分の記憶にある 小津作品における「足の爪切り」は……

 

「晩春」(1949) の S55

縁側で、湯上りの周吉が爪を切っている。

紀子が黙って部屋へ這入って来る。

 

周吉「あ、お帰り。どうだったい、叔母さんんとこ?」

紀子(冷たく)「別に……」

 

というのと、

 

「麦秋」のS19

周吉が、勇の爪を切ってやっている。

 

周吉「ホラ、よし。綺麗になっただろう?」

勇「うん」

 

この二つくらいなのですが……

あと、なにかありましたっけね?

 

カラー作品の鴈治郎さんが主役の作品に「足の爪切りシーン」ありそうな気もしますが、

調べるのはめんどうくさいので

どなたか教えてください。

 

□□□□□□□□

以上、ドナルド・リチー先生の

「足の爪切り=気晴らし」

というのは、外国人らしいおもしろい視点だ。

とおもったわけなのですが……

 

中村正常「日曜日のホテルの電話」という戯曲を読みまして……

考えがかわりました。

「足の爪切り=気晴らし」どころではなく、

昔の人にとって

「足の爪切り」は

一大イベント・楽しい娯楽だったのではないか?

と、おもうようになったわけです。

 

で、「日曜日のホテルの電話」を紹介しますが、

1930年の作品。中村正常という人はどうやら中村メイコさんのお父さんらしいです。

 

ペイ吉くんとプイコさんというカップルの電話での会話に

交換嬢がわりこんでくる というコメディなのですが、

「電話交換手」「交換嬢」というのがわからない方は ググってください。

 

ペイ吉くんは英語の先生で 生徒のプイコさんとつきあっているっぽいやばい設定です。

ペイ吉くんがプイコさんの家に電話をかけますと……

 

ペイ吉 おそれ入りますが、どなたか代表者をお一方、電話口までどうぞ。なるたけいま御機嫌がもっともよさそうなのを。

電話の声が変る―― (若い声)センセイ。

ペイ吉 センセイだい。

若い声 いま足の爪きってたのよ。

ペイ吉 近所にまだお母さんいるのか。

若い声 母さまは、いま、私のおしり抓ったわ。足の爪きってるなんて云っちゃいけないって。

ペイ吉 僕もそう思う。

若い声 いま、五人姉妹がみんな揃って、足の爪きってたとこよ。

ペイ吉 どういう工合にきるんだ。

若い声 じゃん拳して敗けたものが勝った人の爪をきってやるのよ。

ペイ吉 それは面白そうだ、もうすんだか。

若い声 まだすまない。

ペイ吉 これから行ったら仲間に入れてくれるか。

若い声 あげても、別にわるかないわ。

ペイ吉 それじゃ、プイコ姉さまの足の爪はもう切っちまったのか。

若い声 どうだったかしら、きいてみましょうか。

ペイ吉 きいて来てくれ。

(平凡社、モダン都市文学Ⅱ「モダンガールの誘惑」77~78ページより)

 

はい。

こんなわけで非常に楽しそうなのです。足の爪切り。

もちろん、どの家庭でもこんなことをやっていた、というわけではないとおもいますが……

 

そこで思い出すのはどうしても「細雪」なわけです。はい。

 

□□□□□□□□

市川崑の「細雪」(1983)を

去年、日本映画専門チャンネルというやつではじめてみまして、まず思ったのは――

 

こんな「足の爪切りシーン」 原作にあったっけ?

ということでした。

 

市川崑バージョンの足の爪切りシーンの メインの見どころは

義妹の雪子(吉永小百合)に 淡い恋心みたいなものを抱いちゃってる貞之助(石坂浩二)が

雪子の足をみてしまって どぎまぎする。

というあたりにあるわけですが、

 

谷崎潤一郎の原作では 貞之助はまったく雪子に興味をもっていないわけです。

まったくというのはいいすぎですが、あくまで「義妹」としてしか扱っていないわけです。

 

だから、これは市川崑のオリジナル。

ひょっとして小津作品へのオマージュ??

とかおもったのですが……

 

「日曜日のホテルの電話」を読んで以来、

「足の爪切り」問題がとても気になり始め……

 

読んでしまいました 高校生以来……

谷崎潤一郎先生 「細雪」

新潮文庫 上・中・下……3巻……

 

さて、原作にあるのか? 足の爪切り……

すると……

なんと原作にもありました!!

 

それにしても、今度ばかりは妙子と二人の姉との間に感情の疎隔が生じはしまいか、殊に雪子との間がどうであろうかと、内々貞之助は案じていたが、或る日、夕方帰宅した彼は、幸子が見えなかったので、捜すつもりで浴室の前の六畳の部屋の襖を開けると、雪子が縁側に立て膝をして、妙子に足の爪を剪って貰っていた。

「幸子は」

 と云うと、

「中姉ちゃん桑山さんまで行かはりました。もう直ぐ帰らはりますやろ」

 と、妙子が云う暇に、雪子はそっと足の甲を裾の中に入れて居ずまいを直した。貞之助は、そこらに散らばっているキラキラ光る爪の屑を、妙子がスカートの膝をつきながら一つ一つ掌の中に拾い集めている有様をちらと見ただけで、又襖を締めたが、その一瞬間の、姉と妹の美しい情景が長く印象に残っていた。

(新潮文庫、谷崎潤一郎「細雪(中)」237ページより)

 

まあ、メインは「姉と妹の美しい情景」なのですが……

 

なので、原作の貞之助兄さんはこんな顔をしない↓↓ だろう……

 

この足の爪切りシーンのあと、

市川崑の映画では 雪子(吉永小百合)が 妙子(古手川祐子)を 奥畑の啓坊の件で責める……

というくだりになるのですが、

 

これは谷崎の原作では爪切りシーンのかなり後、

新潮文庫でいうと下巻の240ページぐらいになります。

 

このくだりに限らず、もう一遍 谷崎「細雪」読み返してみて分かるのは

市川「細雪」は原作を相当に うまく改変してある、ということです。

 

あの長~い「細雪」を 2時間かそこらの映画にしないといけないわけですから……

けっこう頑張ってます。

 

あと 谷崎「細雪」を読み返しておもいましたのは

けっきょく足の爪きりシーンって

足フェチ・谷崎潤一郎がどうしても書きたかったシーンなのだろう という推察で、

もうひとつ 足フェチシーンを紹介しますと、

 

これは幸子の娘・悦子のエピソード。隣人のシュルツ家がドイツに引き返すというシーン……

 

亜米利加を通る時に何かエツコさんに買って送って上げたいから、欲しい物があったら云ってください、と云うことだったので、悦子は母と相談して、靴を送ってくれるように頼んだ。するとペータアは、そんならエツコさんの靴をちょっと貸して下さいと云って、借りて帰ったが、直ぐ又紙と鉛筆と巻尺を持って戻って来、ママに話したら、靴を借りるよりもエツコさんの足の大きさを測って来た方がよいと云われたので、測りに来たと云い、自分で紙をひろげて悦子の足をその上に載せ、ママに云い付けられた通りに型と寸法を取って帰った。

(同書105ページより)

 

ペータア・シュルツ君が 憧れの東洋の美少女エツコさんの足のサイズを測りに来ます。

 

なんとなく読み過ごしてしまいそうなシーンなのですが……

子供同士の ほほえましい情景を思い浮かべる方も多いかとおもうのですが……

 

「瘋癲老人日記」にもこんなのあったよね。

とか思い出すとこれは相当に ド変態シーン ロリコン兼足フェチシーンとみえてくるから不思議。

 

えー 論旨がぐずぐずになりつつありますが……

 

グズグズついでに書いてしまいますと……

 

横溝正史ものでも そうおもいましたが……

市川崑作品って 男女のラブシーンは存在せず、

 

かわりに

女・女のラブシーンばかり、ですね。

 

セリフ無しで ショットだけ抜いてみると、

これってまるっきり 吉永小百合×古手川祐子のラブシーンですよ。ねえ。

 

ええと、なんでしたっけ。

そうそう「足の爪切り」問題。

 

「麦秋」「日曜日のホテルの電話」「細雪」…… とみてくると、

昔の人にとって

「足の爪切り」は

一大イベント・楽しい娯楽だったのではないか?

こう思えてきませんか?

 

昭和初年代の 文学作品・映画等で 「足の爪切り」問題を扱ったもの 他に何かありますかね??

四月のスッカン沢・おしらじの滝(那須塩原市・矢板市)

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4度目のスッカン沢・おしらじの滝。

 

――ですが、結論から言ってしまうと、

四月はあんましおもしろくないです。

緑がなく、荒涼としてます。

 

五月に来るべきでした……

あと、

……

去年の十月から たてつづけに4回も来てると……

 

さすがに飽きました。

 

おしらじ様は

(かってに擬人化してる)

あいかわらず美人でしたが……↓↓

 

↑↑

シャッタースピード:15秒。

 

滝は流れてなかったが

エメラルドグリーンに輝いておられました。

 

□□□□□□□□

4月12日。

高原山の山道(県道56号線)は 道の脇にところどころ雪が残っていたりしましたが

車道自体は問題なく、通りやすかったです。

 

スッカン沢の駐車場の脇も↓↓ こんな。

 

 

スッカン沢脇の遊歩道、去年の秋から比べると、

ところどころ落石・倒木が多かったですが、

とくに問題もなく雄飛の滝まで行けました。

 

↑↑スッカン橋付近の様子。

こんな感じで荒涼としてます。

 

平日・早朝ということもありますが、

人っ子ひとりいません。

 

んで、雄飛の滝前で

Gitzo×Husky をおっ立てまして 撮影します。

 

というか、四月、まだまだ新緑にはやいと 重々承知だったのですが――

三脚買っちまったので 我慢できなくて来てしまった というのが真相です。

 

雄飛の滝。あいかわらず豪快でした。

 

シャッタースピード:1/8秒。

 

↑↑

シャッタースピード:10秒。

 

トリミングしてみる。

水流がフワフワ・シュワシュワです。

 

↑↑シャッタースピード:120.1秒。

 

ND1000フィルターで シャッタースピードを2分まで引っ張ってみましたが、

10秒とたいして変わらない……

 

あと、ここらへんで気づいたのですが……

〇三脚を使ったからといって

写真が格段にうまくなるわけではない。

(当たり前)

ということです。

 

・手ぶれのない高画質な画像が撮れる。

・ロングシャッターで色々あそべる。

という長所はありますが……

 

あと、

〇三脚は機動性がすこぶる悪い。

(当たり前だろ!!)

ということにも気づきました。

 

えんえん数時間登山をするわけではないので、

三脚分、2~3キロ荷物が増えたことはとくに負担ではなかったのですが……

撮影する場所を決めて、三脚をセットして というのに時間がかかるし、

倒したりするのが怖いので 動きが緩慢になるし、

とにかく動きがおそろしく鈍くなります。

 

□□□□□□□□

 

雄飛の滝撮り終わったので、

県道へ引き返します。

 

引き返しつつ、スッカン沢をいろいろ撮ってみる。

 

↑↑

シャッタースピード:1秒。

 

↑↑トリミングしてみる。

 

↑↑

シャッタースピード:20秒。

 

↑↑

シャッタースピード:5秒。

 

まったく荒涼としてます。

あと、天気さえよければ……

どんより曇ってました。

 

天気予報晴れだったので 喜び勇んで出かけたのですが、

日が差したのはようやく午後になってから……

 

↑↑トリミングした物。

 

↑↑シャッタースピード:1秒。

 

↑↑シャッタースピード:4秒。

 

↑↑シャッタースピード:2秒。

 

□□□□□□□□

えーお腹がすきましたので 「山の駅たかはら」へ。

去年紅葉シーズンに来たときは カレーや牛丼やいろいろメニューがあったのですが

4月12日時点では メニューがラーメンとそば・うどん だけでした。

僕はラーメンをいただきました。

 

名物(?)のソフトクリームは売っておらず、

あと、ドリンクの自動販売機は動いていませんでした。

本格始動は四月末なのでしょうかね??

 

えー、もとい、

おしらじ様です。着いたのは正午ごろだとおもいます。

 

おしらじの滝ですが、ルートが若干整備されていました。

コンクリートで作った階段みたいのが いくつかありましたが、

あいかわらず、登山靴でないときついでしょう。

 

あと、ところどころ↓↓

 

立入り禁止の看板があって

滝の上部はロープ・看板等で封鎖されていました。

 

こうなるともういよいよ滝の上には行けません、僕は。

 

あ、あと滝の近辺、板で簡易な通路が作ってありました。

ただ、写真を撮るのに邪魔を感じるような……そういう人工物はなかったです。

きっと、そこらへんは配慮されたものとおもわれます。

 

↑↑

シャッタースピード:4秒。

 

なのですが……滝の流れがないし、水面も動きがないので

ロングシャッターの意味なし。

 

↑↑

シャッタースピード:1/10秒。

 

しかし、ようやく晴れはじめまして……日が差しこんでいい感じ。

というか、日光の下のおしらじの滝、始めてみた。

 

――考えてみると

過去おしらじの滝に来たのは 10月11月なので

あんまり太陽の高度が高くない時期でした。

 

↑↑

シャッタースピード:200.2秒

これはND1000 使って超ロングシャッターしてみたのですが……

どうなんですかね?

 

ただ水面がピカピカしてるだけですね。

もっと葉っぱがたくさん浮いてたりしたらおもしろい写真が撮れたかとおもうのですが……

 

人出は……僕が着いた頃 クルマが四台くらい停まっていて

先客は6~7人といったところ。

 

しかし皆さん「流れてませんね~」なんて会話をして

何枚か写真を撮って帰るので

 

しばらく3,40分くらいか、 ピカピカエメラルドグリーンのおしらじ様を独占できました。

 

↑↑

シャッタースピード:1/20秒。

 

で、独占できたのですが……

帰ってきて 写真の整理をすると

あまりに同一アングルの写真ばっかりで……呆然……

 

以前(三脚使ってなかったころは) アングルとかいろいろ工夫して

レンズも……望遠ズームなんぞ使っちゃったり いろいろ工夫したのに

今回は「三脚ありき」で なんか月並みアングルでしか撮ってませんでした……

 

一回、ガチャガチャ三脚をセットしちゃうともう動きたくなくなっちゃうのですよね。

 

あーあ……

 

今回はいろいろ 野外での三脚使用の問題点が見えてきた感じです。

 

おしらじの滝、近辺でこの紫の花をたくさん見ました。

なんという花かは知りません……

牛久シャトー・R72フィルター(赤外線写真)

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近所(牛久シャトー)で撮った赤外線写真を載せます。

 

Kenko PRO1D R72 というフィルター

レンズは いつもの Carl Zeiss Makro-Planar T*2/50 です。

 

ただ、

「赤外線写真とは何なのか?」

「特徴は何?」

――といわれても 自分でもよくわかってません……

 

具体的に例を載せますと……

 

①赤外線フィルターなしの場合↓↓

 

②赤外線フィルターをつけた場合↓↓

違いとして……

一番わかりやすいのは

葉っぱが白く(明るく)表現される。

というところでしょうか。

 

あと、建物や空のコントラストもなんか微妙にヘンな感じですね。

 

以下、R72フィルターの写真を

べたべた載せていきますが、

 

なんか気持ち悪い

なんか気味が悪い

写真が撮れます。

 

それがわたくしとしては快感なのですが……

 

 

 

 

赤外線写真の作例で

空が真っ黒になってるのをよくみるのですが……

 

どうもやり方がよくわかりません。

これ↓↓ などはうまくいった例か?

 

ようは太陽と逆方向の空を写す? と黒くなる、ということか??

 

 

 

しかし、牛久シャトー。

↓↓この写真の 旗用のポールとか……

 

残念な構造物がいろいろあって 写真撮影にはあんまり向きません。

コーンとかがあちこちにあったり、

へんな看板が立ってたり、

いろいろ邪魔。

 

あと、毎回毎回思うのですが……

近くに池でもあればずいぶん違うように思うのですが……

 

水要素は大事ですよ。

 

 

近くの建物。

近くの竹林。

……というか、牛久シャトーの一帯が公園みたいになっております。

 

 

 

 

□□□□□□□□

モノクロばっかりだとあれなので、

さいごだけ カラー。

 

ツツジが見ごろでした。

横浜市電保存館(横浜市電523号車・500型)

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はい。

大昔の路面電車を紹介する ひたすらに地味な記事です。

 

横浜市電保存館 なるところに行ってまいりました。

JR根岸駅から歩いて行って 15~20分くらいだったか?

蒸し暑い中 ちとつらかったので 帰りはバスで根岸駅まで戻りました。

 

受付の方がとても愛想良い いい雰囲気のところです。

僕の持つ、バカでかいカメラを見るなり

「ばんばん写真撮ってくださいね!」

ときた。

 

わたくし、博物館とか行くと、撮影可かどうかきくのがお決まりなのですが、

ここはその必要はありませんでした。

 

□□□□□□□□

言われた通り、ばんばん写真を撮ってしまったので、

 

何回かに分けて記事を書きます。

 

まずは 一番古い車輛 「523号車(500型)」をご紹介。

 

ご覧の通り ヨーロピアンな色使いです。

ポール・デルヴォーの絵に出てきそうな感じです。

新車当時(1928年)の色を再現した、とか。

 

↑↑正面から。

他の車輛だと窓にワイパーがくっついていたのですが、この車輛はないですね。

 

雨の日、困らないのか?

 

保存館の解説板を丸写しします。

 

車種(車号):500型(500~559)

車体構造:半鋼低床式単車

最大寸法㎜(高さ×幅×高さ):9144×2438×3640

定員:75人

集電様式:複。前後ポール(ビューゲル改造)

製造年/廃車年:昭和3年/昭和44年

 

昭和3年(1928年)に大量60両を購入した500型の1台。屋根はスッキリした曲面を採用。車内の大天井もアーチ型とし、内幕板の押縁、木座等は手彫り模様にする等、震災復興の完成期らしい華やかな電車といわれた。戦後、15両を600型に改造、昭和44年(1969年)廃車となった。

 

――とのことです。

 

↑↓ 建物のスロープが写り込んでおります。

 

 

 

↑↑この構図はいいな。

などと自画自賛。

 

「お別れですの」

などといって、手を振る1930年代の女学生を ドアのところに立たせたい感じです。

 

↑↑ビューゲル。

新車当時はポールだったのでしょう。

 

↑↑どの車両も こういう感じのレトロな広告がついていて 良かったです。

 

わたくしとしては1007号車の「キリンジュース」の広告が気に入ったのですが……(のちほどご紹介)

にしても、「キリンビール」 この施設の運営になにか係わりがあるのかな??

 

↑↑「洪福寺前」と「間門(まかど)」をつなぐ 5系統 ということのようです。

 

以下、内部のご紹介。

 

なんともいい雰囲気。

木の床がぎしぎし鳴ります。

 

今にも運転手が戻って来そうな感じです。

 

↓↓椅子

 

一見、背中の部分が痛そうなんですが……

けっこう座り心地よかったです。

 

↓↓ 窓の金具のディテール。

 

マイナスねじ使ってますね!!

なんでもかんでも+ねじの昨今から見ると……それだけで感動してしまう。

 

照明器具の形も特徴的。

というか、なにもかも凝ったデザインである。

 

↓↓「補」と書かれた白い板が謎だったのですが……

帰宅後、保存館で買った「横浜市電が走った街 今昔」を読んでわかった。

 

混雑する区間に「補充車」として運行するときに

系統板にこの「補」をくっつけるらしいのである。

 

↑↓この2枚 広角ズームで撮ったので 天井のカーブが写ってます。

はっきりいや必要のない部分ですが……デザインとしてはいいですねぇ。

なんとも優雅です。

 

さいごに「横浜市電が走った街 今昔」の記述を引用。

 
500形(500~559)60両
これは震災復興のために昭和3年に3つのメーカーで20両ずつ作られた大形の単車で、馬力が強いので乗務員に喜ばれた。雨宮製のは屋根の張りが高く、車体の隅の柱にリベットがないのが特徴であった。空襲前の各車庫への配属は滝頭が522まで、生麦が547まで、麦田はそれ以降であった。戦災で失った15両は復旧し600形になった。昭和23年10月1日に健全車の車号を詰めて501~545になった。市電保存館で余生を送っている523号の旧車号は521号である。戦前の玩具のような横浜独特の塗装は500形が最も似合った。この形式は昭和44年に消滅した。
(JTBキャンブックス、長谷川弘和著「横浜市電が走った街 今昔」162ページより)
 
ということはもともとこの523号は滝頭車庫の所属ということ。
市電保存館は 旧滝頭車庫の脇にあるので ふるさとで余生を送っているということになりますな。
 

以下、市電保存館の記事。何回か続きます。

レトロ好きにはたまらん場所かとおもいます。

横浜市電保存館(横浜市電1007号車・1000型)

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横浜市電保存館 その2

撮りまくった写真を載せていきます。

 

本日は1007号車(1000型)なのですが……

まずやられちまったのは……

電車とまったく関係なく……

 

キリンのレトロ広告で……

 

か、かわええ……

 

黄色い帽子がちょっとアレだが……

ソックスとテニスウェアの色がそろっているのがなんともかわいい。

 

モデルさんは誰なのだろ??

ちとわからないな。

ご存知の方教えていただきたい。

 

どうでもいいが、

ピクニックにガラス瓶のジュース6本……

……重そうだな。

 

↑↑はい。側面はこんな感じ。

 

というか、マクロプラナー50㎜ さすがディストーション(歪み)ほぼゼロ……

定規を当てて書いたみたいなきっちりした構図で撮れます……

さすがカールツァイス……

 

あ。カメラマニア以外には意味不明のこと書きました。すみません。

 

この「クリーム色」&「水色」の組み合わせ。

 

このカラーリング

どっかで見た。

なにかの色だ。

なんだっけ? なんだったっけ? えーと……

えーと……

 

……と保存館の中で

ずっと考えていたのですが……

帰りに市バスに乗って

答えがあっさりわかりました。

 

横浜の市バスのカラーリングが 「クリーム色」&「水色」なんですね。

それで……わたくし、7年横浜にいたもので 見慣れてたってわけ。

 

いや、しかし、市電の色をそのまま受け継いでいるとは……

全然知りませんでした。

 

えーと……

 

ワイパー、ですよね?

↓↓このパーツは……

 

でもどうやって作動するのか、さっぱり想像ができない。

 

昔のワイパー、というと……思い出すのは、

 

ウォルフガング・ペーターゼン監督 「Uボート」のオープニング近く、

当時の(1941年)メルセデスのワイパー作動シーンがあったりしまして……

 

艦長(ユルゲン・プロホノフ)が 窓の上の方をなにかひねると……

 

ものすごいぎこちない感じにワイパーが動きます。

擬音にすると、

 

ギコッ。ズズッ。ギコッ。ズズッ。

という感じです。

 

とつぜんドイツ映画の画像なんか出しましたが、

昔の市電のワイパー事情、ご存知の方、ご教授願いたいところです。

 

んーー……ひょっとして手動だったりして??

 

市電保存館の解説をそのまま書き写します。

 

あ。

解説板を写真に撮ったのですが、1か所。

ちょうど照明が反射して文字が見えない場所がありまして……

そこだけ「〇」とごまかしてあります。↓↓

 

1007号車(1000型)

車種(車号):1000型(1000~1019)

車体構造:半鋼低床式ボギー車

最大寸法㎜:(長さ×幅×高さ)13400×2438×3733

定員:120人

集電様式:単、前後ポール(ビューゲル改造)

製造年/廃車年:昭和3年/昭和44年

 

初のボギー車。昭和3年(1928年)震災復興事業により20両購入した1000型の1台。屋根は曲面アーチを採用し、中部に入口専用扉を設けた。昭和9年(1934年)、入口の幅をつめて出入り口に改造し、昭和〇年より中部車掌を配置した。昭和26年(1951年)に再び入口専用とし、自動ドアに改造した。昭和44年(1969年)全廃となった。

 

――ということです。

とにかくドアの改造ばっかりやってますな。

 

あと、

「うーん! どうしても1000型で中部車掌を配置し始めた年代を知りたい!!!」

という方は市電保存館へ行って解説を読んでください。

すみませんね。

 

8系統+6系統 ということ? なのでしょう。

わからないことばかりです。

 

ようやく内部のご紹介。

500型に比べると 「うわ」というほど広いです。

 

「広い」というか「長い」のが正確か。

 

床がうねっているの、おわかりでしょうか。

 

古い市電にお詳しい方には当たり前のことなのかもしれんですが……

 

台車が設置されている部分――ボギー車なので前後2か所―――

が、なんか盛り上がってるんですよね。

 

今だったらちょっと許せないレベル。

 

昔は省線の電車もこんなだったのだろうか??

 

とにかく電車知識がないもので疑問ばっかり増えてきます。

 

照明器具はそれほど凝った形ではない。

単純なお饅頭型。

 

というか、500形が凝りすぎだったのか。

 

年代物の木材の色がたまりません。

 

↓↓制御器 というものらしいです。

右に回すと電車が加速する、とか。

 

背後のパーツはマイナスねじでとめてある。

 

↓↓いい感じのデザイン。

 

マイナスねじ天国の中に……

左側。禍々しき+ねじが混じってますね。

最近付け替えたんでしょう。きっと。

どうせならマイナスでやってほしかった。

 

↓↓これまたマイナスねじ天国。

 

この装置は

どうもブレーキシリンダの空気圧を示しているようです。

 

なんでも圧力が高い状態でブレーキをかけると 急ブレーキになってしまうんだとか。

適切な圧力に保つ必要があるらしいです。

 

……が。にわか仕込みの知識なので、あやしげです。

 

↓↓ここは……

 

ディテールの処理が甘いですね……

右側 歪んじゃってます。

 

当時のメイドインジャパン製品の質があらわれているのか?

それとも経年変化なのか??

 

ここもマイナスねじの嵐。

ドアを開閉する凝ったシステム。↓↓

 

「乗り降りを早くしろ」と書いてあります……↓↓

いい時代ですな。

 

床のうねりをアップで撮りました。

 

椅子の隅 こんなになってます。

凝ってます。

 

が。500形も似た感じだったので、

なにかフォーマットみたいなものがあったのかな。

 

最後にまた、「横浜市電が走った街 今昔」の引用。

 

1000形(1000~1019)20両

前述の500形と好一対の横浜に相応しい大形ボギー車だった。車体の縁の絞りと前後扉の脇の壁が落ち着いた雰囲気を出していた。馬力が弱いので登り坂は苦手だったが、大きな車体がゆっくり揺れるローリングは好きだった。中央扉は時代の要請に応じて1枚扉・2枚扉を繰り返した。中央扉の車掌はポールの操作を必要としないので、戦前はいつも女性車掌がここに乗務した。昭和23年10月1日に1000号を1020号にした。戦災車の4両は復旧した。昭和21年に1018号が生麦車庫で出荷して焼失したが復旧した。昭和45年に姿を消している。

(JTBキャンブックス、長谷川弘和著「横浜市電が走った街 今昔」163ページより)

 

やっぱりドアの改造について触れておられます。

あと、「ポールの操作を必要としないので、戦前はいつも女性車掌がここに……」

というのですが、

 

戦前の「ポール」という集電システムは 電線からはずれやすかったり、

カーブの時にいちいち操作が必要だったらしいのです。

戦後「ビューゲル」という集電システムになって、そういった七面倒くさい操作が必要なくなったようなのです。

 

市電保存館の記事。まだまだ続きます。


横浜市電保存館(横浜市電1104号車・1100型)

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こんばんは。

たまには流行りの話題から。

 

日大アメフト問題に関しまして

いろいろな人がいろいろなことを言っちゃってますが……

 

「んー、この人たちの一体何割が アメリカンフットボールの試合最初から最後まで見たことあるのだろ??」

(1割いないとおもう。1パーセントもいないかも)

「そもそもQB QB いってるけど あんたら ペイトン・マニングもトム・ブレイディも アーロン・ロジャースもご存じないよね?」

(いずれも神レベルのクォーターバック様たち)

 

――とかおもうのですが、

「ニュースキャスター・アナウンサーでなにやら言う資格があるのは有馬隼人先生くらいなのでは?」

とか思うのですが……

 

……

――何が言いたいのかと申しますと、

わたくしの電車記事。

 

「うわー、この人なにも知らないね」

「うわー、こんなとこ撮ってる、あちゃー……」

「うわー、そんなとこ注目してるよ、おいおい……」

とか、思われてるんだろうな、という気がすごくします。

 

まあ、そんな、電車知識ゼロの人間の書く、電車記事です。

1104号車です。

 

例によって 保存館の解説、書き写します。

 

1104号車(1100型)

車種(車号):1100型(1100~1104)

車体構造:半鋼低床式ボギー車

最大寸法㎜(長さ×幅×高さ)11400×2400×4200

定員:95人

集電様式:複、前後ポール(ビューゲル改造)

製造年/廃車年:昭和3年/昭和44年

 

昭和11年(1936年)に新式中型ボギー車として5両購入した1100型の1台。バンパー面から流線型となっている車輛は当局唯一のもの。当初ロマンスシート(対面席)を片面にそれぞれ3脚を設け、その他をロングシートとし、鋼製振止式の吊革を採用する等、モダンな車両は「ロマンスカー」とも呼ばれた。昭和42年(1967年)ワンマン車に改造され、47年(1972年)の市電全廃まで活躍した。

 

対面座席がある、というだけで

きゃーロマンスだわ!!

とか、おもった戦前の人かわゆし。

 

市電保存館の記事で毎度引用させてもらってます 「横浜市電が走った街 今昔」でも

なんのことわりもなく 「ロマンスカー」と書いてあるので

戦前の横浜の人にとって「ロマンスカー」といや、この1100型だったのでしょう。

 

ミラーといい、「ワンマンカー」の表示といい、ウインカーみたいなもの、といい、

見た目が、なんか今のバスに近づいてきましたな。

全部戦後の改造なのかしらね??

 

しかし、中をのぞくと 「木目」があらわれるというのはいいやね。

 

このフォントも好きです↓↓

中身です。

 

↓↓窓の外にちら見えしておる 時計は

なんでも横浜駅にあった大時計とか。

 

鋼製振止式の吊革

――と、解説にあったが、一体なんのことであろうか?

 

ちなみに「吊革」というと、ですな。

最近

吉屋信子原作 小沢真理「花物語」 というマンガで――

↓↓こんな吊革を目にしてしまいまして――……

 

「合歓の花」というおはなし。

順子というヒロインが 電車でよく会う「お姉さま」にあこがれを抱くのですが

 

そのお姉さまの左手の薬指に指輪が! という絶望のシーンなのですが……

 

昔の吊革ってこんなだったのかね?

いつまでこんな形だったのかね?

 

いや、なんかわからないことだらけですわ。

 

まあ、脱線ついでに「合歓の花」

吉屋信子先生の原作を引用しちまいますと――

 

 病む床にある順子が、和子と幾代に何を物語しか? あわれ、忘れえぬ花とのみ告げて止みしその合歓の花の匂い優しきローマンス!

 ――順子の家はもと府下の代々木にあった。今の高輪の家に移る前、永いこと幼い頃から住みなれていたのだった。つい去年の春咲きまで――されば言うまでもない順子がそこから学校へ朝な朝な省線で通ったのは。

 毎日同じ朝の時刻を争って乗る人達の混む停車場では、いつとはなく同じ頃いっしょに集う人々の姿を見覚えるほどだった。順子はその中に心にかけて見覚えるひとを持ったので……あった。

 順子の胸にかくも深く印象づけられし俤は?――かにかくにその美しさ優しさ、そのひとの瞳のあまりに臈たけて忘れがたいものを。

(河出文庫、吉屋信子著「花物語・下」108~109ページより)

 

この美文の嵐の中で

注目したいのは、ですね。

主人公順子の「合歓の花の匂い優しきローマンス」の舞台が、

代々木駅から乗る「省線」であったこと、です。

 

けっして「電車」つまり 市電が舞台ではない、ということです。

 

吉屋信子作品に登場する「電車」って

きまって殺人的に混んでいて、

女子供はとても乗れたもんじゃない、そういう乗物だったりします。

(例「屋根裏の二処女」)

 

だから、

ローマンス、が生れるのはモダンで高架の上を走る「省線」でなくてはならなかったわけです。

 

うむ。

となると、上のほうでトマス・ピンコの野郎が……

 

対面座席がある、というだけで

きゃーロマンスだわ!!

とか、おもった戦前の人かわゆし。

 

などと書きましたが、

このあたりの戦前の人たちの心境を分析すると……

 

「市電」→「殺風景で、ロマンスとはほど遠い乗物」→「にもかかわらず、オサレな対面座席が」

→きゃーロマンスだわ!!

 

と、こういうことだったのか、ともおもえます。

ものすごく勝手な推測ですが。

いやしかし……

 

アメフトの話題から 戦前少女小説……

この人、ふり幅大きすぎ……

 

もとい、

↓窓のアップ。

こういう窓、昔常磐線でみたことがあります。

 

謎なのはこれ↓↓

 

天井についてたんですが、

ベンチレーター??

 

 

↓↓ この写真の注目点は ボタンの形状と

マクロプラナーのボケ味の美しさ……ははは。

点光源の描写も美しいのさ……

 

 

 

 

メカらしいメカ。

今の機械はなにもかものっぺりしちゃってますね……

 

 

 

このつり銭器とやら、使ってみたい。

 

.

 

さいごにまた「今昔」の引用。

 

1100形(1100~1104)5両

昭和11年に作られた横浜では初の中形ボギー車で、クロスシートとサイドシートの併用ロマンスカーであった。当初の配属は滝頭車庫と生麦車庫は各2両、麦田車庫は1両であった。今までボギー車の配属が無かった麦田車庫には初の配属になった。戦時中は市電の座席が半減されたが、この形式はクロスシートが撤去された。空襲で1100号が阪東橋で焼失し、昭和23年に復旧し1105号になった。昭和28年には1103号が1300形に使用のD14形の台車を付けて5年間走った。全車ワンマンカーに改造され、全廃時まで3両が走った。

(JTBキャンブックス、長谷川弘和著「横浜市電が走った街 今昔」163ページより)

塀がかっこよすぎ。吉屋信子記念館(吉田五十八)

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「あのさ、とにかく塀がかっこいいんだって!」

「へぇぇ……(遠い目をする)」

 

――という感じなのですが、ほんとうにかっこよかったのだから仕方がない。

 

正式名称は 「鎌倉市吉屋信子記念館」ということになりそうです。

(いただいたパンフレットにそう書いてあった)

建築学的にいうと、「吉田五十八作 吉屋信子邸」ということになりましょうか。

 

わたくしが建築を見に行くときって

当然 つくった建築家に興味があって行くわけなのですが、

今回は珍しく 施主(吉屋信子)のほうに興味があって行った。

 

前回の記事で ちょいと引用したが、最近 吉屋信子作品を読んでおるもので……

 

だが、まあ、建築家・吉田五十八に興味がまったくない、といえば そうでもない。

ビッグネームなので 当然名前は知ってました。

 

ただ、今までずっと

「よしだ・いそはち」

だとおもいこんでました……

「よしだ・いそや」

なのね。

その程度の認識。

 

あと、どうしても 吉田五十八=数寄屋建築 というのがあるので

食わず嫌いというか、なんというか、とっつきにくい感じ。

 

ご存知の方も多かろうが、

和風建築ってさ、難しいのさ。

この木材は何で……

この部位にはこの木材を使いますが、この木材はアウト……

とか、なんつーか、現場で学ばないとどうにもならん種類の知識が必要とされる分野でして……

読書じゃどうにもなりませんわな。

 

建築史的にみますと……

(大学でこれをやっておったもので……すみません)

 

吉田五十八→1894年生まれ。

となると、

同世代の 村野藤吾→1891年生まれ。に目がいってしまうな。

この世代のナンバーワンは村野でしょうか、やっぱし。

藤森照信先生に言わせると「村野藤吾=周回遅れのトップランナー」だそうだが。

 

前川國男先生は 1905年生まれなので 吉田・村野の1世代あとになるのか。そうか。

で、そのあとの世代にモンスター丹下健三がくる、と。

 

もとい、塀ですよ。

かっこよすぎでしょう。

こんな強烈な塀、はじめてみました。

 

どういう形式の塀なんでしょうね……

――さっぱりわからん。

 

なんすか、このピンク色の壁……

――さっぱりわからん。

 

あと、この只者ではない感ばっちりな木材は……

――やっぱりわからん。

 

さすが、鎌倉。

「愛犬のフン」うんぬんの表示も どことなくオサレである。

 

なんすかね、この抽象芸術みてるみたいな

このまったく見飽きない塀は……

 

吉田五十八おそるべし……

 

「愛犬のフン」うんぬんの表示が……

 

やけにいっぱいある。

 

「ぬぬ。さては近所に

ワンちゃんのウンコをまきちらす不届きものがおるかっ!」

とかおもったのですが、

このあと、昼食に天ざるを食べながら いただいたパンフレットをみて、理由がわかりました。

 

「吉屋信子記念館が国の有形文化財に登録されました。

平成二十九年六月二十八日に文化財保護法第五十七条第一項の規定により

文化財登録原簿に登録されました。

登録されたのは、主屋と門及び塀です。」

「今後も適切な維持管理を行い、文化財として保存・活用し、後世に伝えていきます。」

 

登録されたのは、主屋と門及び塀です。

塀も文化財なので こうして予防線を張っているわけですね。 犬のウンコから……

 

木目のアップ。

ディテールの処理もばっちりだな。

 

この板っきれ1枚でたぶん、とんでもない値段しますよ。たぶん。

吉屋邸の塀&門だけの値段で そこらへんの庶民の家数軒は建てられるんじゃ??

とか素人の勝手な計算ですが、

当ってるような気がします。

専門家に聞きたいところです。

 

塀にばかり見惚れていても仕方ないので……

敷地内に潜入します。

 

毎日公開してるわけじゃないそうなので、公開日はホームページでご確認ねがいます。

 

ん――

しかし、ゴツゴツの門柱もこれ、絶対とんでもない値段だぞ。うんうん。。。

 

よりによってこんな凝った木材を使っちゃって……

 

「いちばん金がかかるのは数寄屋建築だ」

って、誰から教えてもらったんだっけ?

西洋建築なんか目じゃないそうですよ。

 

キモノ、もそうだし……

じつは一番贅沢なのは日本文化なのか……

 

敷石だって凝ってます。

なかなかおうちがみえてきません。

 

「手をお清めあそばせ」

ということなのか?

 

打ち水でもするときに使う、とか?

 

はい、こんなです。

 

シンプル・イズ・ザ・ベスト。

レス・イズ・モア。

 

ミース・ファン・デル・ローエが気に入りそうです。

 

右手に植わっているのは柏の木だそうです。

 

背後の裏山と一緒に。

はい。一等地です。めちゃくちゃ広いっす。

 

土地代+吉田五十八の数寄屋建築……えー、何億? 何十億? 計算できませんです。

 

ただ……なんとなく思いますのは……

塀に比べて、あまりにお屋敷自体が地味……

 

うむ。

あえて主張してしまおう、

吉屋信子記念館(吉屋信子邸)の主役は、塀なのだ、と。

極端な話、

お屋敷=ゼロ なのだ、と。

 

吉屋信子自身 吉田五十八に依頼したのは

「奈良の尼寺のように」

ってことだったらしいですが……

 

それだけで お屋敷の地味さが説明できるだろうか?

 

塀がすべて。

お屋敷=ゼロ。

 

で、思うのはですね……

吉屋信子の少女小説もやっぱり中身がゼロ

ということです。

 

「つまらない」ということをいっているんじゃありません。

「レトリックがすべて」

で 

「内容はゼロ」

ということをいっているわけです。

美文がすべて、なんです。

 

お読みになったことがない方に説明しますと、ですね。

吉屋先生の少女小説ってのは、ですね。

とんでもなく美しく少女たちが

とんでもなく美しい心情ととんでもなく美しいコトバで

とんでもなく美しい友情&愛情をはぐくんでいく物語なのですわ。

 

で、そこに見事に「男性」は排除されている。

正確にいうと「性的能力のある男性」は排除されている。

吉屋ワールドに生息を許されているのは しょぼくれたおじいさんもしくは幼い男の子のみ、なので……

 

そこになにか社会的な葛藤、生物学的な葛藤はゼロ、なんですわ。

 

つまり存在しえない世界を とんでもない美文でつづっていく、

それが吉屋信子の世界なわけです。

 

となると、ですよ。

「塀がすべての吉屋信子邸」

「レトリックがすべての吉屋信子作品」

この二つは等号(=)で結ばれるのではあるまいか??

 

これが、はたして吉屋信子の意図するところだったのか?

吉田五十八の意図なのか?

それとも施主の無意識の志向が どうしても自邸に反映してしまったものか??

そこらへんはなんともわかりません。

 

んー、じつは吉屋信子記念館、日本建築史上に燦然とかがやく

とんでもない傑作なのではなかろーか??

吉屋信子記念館の中身&柴崎牛乳本店など(鎌倉)

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えー前回の続き。

 

吉屋信子記念館。内部の撮影も可。なのですが、

「へぇぇーー」

と塀に見惚れてしまったので

あんまし内部の写真は撮っていない……

 

いや、前回のトマス・ピンコ説に従いますと――

塀がすべて。

お屋敷=ゼロ。

なのですから、内部なんてどうでもいいのです!!(断言)

 

じっさい。内部には「うわぁぁぁ」と圧倒される空間というのはなかった。

(塀が「うわぁぁぁ」なので……)

吉屋先生が快適に執筆できる空間。というのを追求したのではあるまいか。

 

↑↑まず。入口のブザー……

マイナスねじ萌えの方にはたまらん物件。

 

押し心地も良さそうです。

押そうかどうかまよって、やめた。

 

↑↑

玄関。

ドアをみていただくとわかるかとおもうが 至って質素。あまり大きくないし。

あえていってしまうが……庶民のうちの玄関レベル。

 

「鎌倉の流行作家先生の豪邸」

といった風な なにか威圧感はゼロ。

 

ほんとにこういうのみると、吉屋信子という人はいい人だったんだろうな

という感じがします。

 

玄関って施主の性格でますよね。

 

↑↑でも、みせるところはみせる。

玄関の窓なんですけどね。

 

質素なドア。小さな玄関でホッとさせておいて。

でも、ふと見ると こういうなにげないところ……

目につかないところがゴージャスという……

いい木材使ってますよ。

 

応接間。

天井が特徴的なのですが、撮っておらず。

 

時計は6時で止まってました。

 

ビルトインの棚に吉屋先生の著書が……

中原淳一先生の美少女の画が並びますが……

 

あ!

下から三段目。一番右にある本は

小沢真理さんの「花物語」(マンガです・原作:吉屋信子)

 

マンガから吉屋信子作品に進むというパターンもあるのか。

どっちにしろ、懐が広い感じがしますな。

 

書斎なのですが、

まあかっこええこと。

 

藤棚がみえるようになってます。

吉屋作品見ると なんか「この人 机にはこだわりありそうだな」

とおもうのですが、

(紫檀だかなんだかの机を使うお嬢さまというのが出てくるような)

ご自身が行き着いたのがこれなのでしょう。

 

ただ、自分はあまり目が良くないので (乱視)

北向きの机とかムリだわ…… とかおもいました。

暗くないのかね?

 

えー以上で吉屋信子記念館おわり。

内部は全部標準レンズの画像。(マクロプラナー50㎜)

広角ズームでもいろいろ撮っておけばよかったとおもいますが、なにしろ塀にやられてしまったもので……

 

□□□□□□□□

以下、

吉屋信子記念館の近所の写真を載せていきます。

 

柴崎牛乳本店。

去年、鎌倉文学館行った時にもみたのですが――

 

いいっすね。これは。

中はいれるのかな? 平日ならやってるのかいな?

 

スクラッチタイル&アールデコ風の窓。

(あ。あくまで「風」です。理由はあとで述べる)

 

電話 一八番 がたまらん……

こういうのを大事にとっておく精神。

 

さっき アールデコ「風」と書いたが……

 

なんか正統派アールデコではない気がするのは、

この「S」字部分で……

 

正統派のアールデコならばあくまで「直線」でがんばってデザインするところだとおもう。

あるいはフランク・ロイド・ライトなんかよくやるように

「円」を使うか。

こういうS字カーブは 邪道な気がする。

 

たぶん作者にいわせれば 「柴崎」の「S」なんだ。といいそうな気がするが。

 

あと、ヘンテコなのは ↑↑ 

ファサードの……入口を縁取る 卵形の模様……

 

クラシック建築の

卵鏃飾り

というやつなのだが、

(鏃:ゾク……やじりのことらしい)

 

アールデコに卵鏃ってありなのかしら??

曲線大好きなアールヌーヴォーなら ありそうなのだが……

ちとわからん。 そんな特異な例でもなかったりして。

 

なんにせよ、いろいろとシロートくさいな、とおもって ネットで調べてみると

どうも近所の大工さんの作品らしい。

 

いや、「シロート」といっても

「アカデミックな教育を受けた人のデザインではないな」

という意味で……

 

建築としては完成されてます。

卵鏃飾りにしろ なんにしろ、仕上げがきれいですね。

 

 

鎌倉の大工さんが 横浜の馬車道・関内方面に出かけて

銀行の建物なんかみて(クラシック建築) で、軒下の

卵鏃飾り

に萌えてしまった……

というストーリーが思い浮かびますが……

 

ツバメちゃんにお気づきか……

 

「乳」

の字の上にツバメが……

 

巣立ちの季節なので、

今から巣を作ろうと時期ではないとおもいますが……

 

となると、自分のもといた巣に 子供のツバメが??

あるいはたまたま??

 

よりによって

「乳」

の字というのがいいね。とおもったのだが、

「柴崎牛乳本店」

となると、一番平らなのが「乳」の字なのね。(ほかの字は出っ張りがある)

ツバメさんお利口だわ。

 

近所でみかけたもの。

 

木の電柱 久しぶりにみた。

 

なんか電線がよってたかって 電柱をいぢめているようにみえる。

 

マトリョーシカ屋さん。

 

写真を撮ってると

店員さん(きれいなお姉さん)に目が合って ニコっとかされたので

 

そのまま入ればよかったのに 入らず。

今になってどんな店か気になって仕方がない。

 

吉屋信子記念館のすぐそばにありました。

 

由比ヶ浜駅すぐそば。

藤本小児科医院。

ぜったいにいい病院なんだろうな。

 

満員の江ノ電に乗って鎌倉駅に戻りました。

山川彌千枝「薔薇は生きてる」感想

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以下、

創英社「薔薇は生きてる」のとりとめもない感想です。

 

十六歳で結核で亡くなった 山川彌千枝(やまかわ・やちえ)さんの遺稿集。

戦前のベストセラーであるらしい。

 

川端康成の少女小説「乙女の港」に――

 

「そうよ、薔薇は生きてるわ。」

 と、洋子が頭の上の花を見上げたので、三千子はクスッと笑うと、いきなり本を洋子の鼻の先きに突きつけて、

「ううん、これよ。」

「これ? あら。(薔薇は生きている)って本の名前なの?」

「お姉さまに上げようと思って、折角赤屋敷のポオチへ置いといたのに、拾って下さらないんですもの。」

(実業之日本社文庫、川端康成著「乙女の港」88ページより)

 

などと、ヒロイン三千子ちゃんと、「お姉さま」洋子さんのイチャイチャシーンに この本が登場しますので

(川端は「薔薇は生きている」とタイトルを間違っているが)

どうも 1930年代お嬢様の「おしゃれアイテム」として 存在したのではなかろうか?

 

16歳で病死した

作者の山川彌千枝さんはまったくそんなことを考えているはずはないのですが……

 

そもそも……わたくし、

1930年代松竹映画のヒロインたち

水久保澄子、逢初夢子、高杉早苗、桑野通子、などなどの面々が、

いったいどのような青春時代を送ったものか 知りたく、

 

で、吉屋信子先生の少女小説 という魔の領域に沈み込んでしまいまして……

 

病膏肓に入る というやつで

実業之日本社「『少女の友』創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション」

とかいう 「少女の友」の復刻版みたいのに手を出してしまいまして――

 

で、↓↓

こんな広告を目にしてしまいまして……

 

「十六歳で亡くなつた天才少女の 薔薇は生きてる」

「誰もが読んでゐます 皆さんお読みになりました?」

あと吉屋先生の推薦文までついてるし……

 

んー、まさか、手に入らないよな?

とアマゾンで調べてみると、

2008年刊行のこの本がありやがるのさ。

 

古本で、ちょっと高かったが、買っちまったさ。

とても良かったさ。

 

えー 以下、感想を箇条書きに書いていきます。

まとまった感想は書けそうにないので……

 

・やっぱり短歌が白眉でしょう。

お母さん(山川柳子)が歌人だったということも大きいでしょう。

 

美しいばらさわって見る、つやつやとつめたかった。ばらは生きてる

 

目をつぶっていろいろなことを思い出す嬉しいかなしい通って来た道

 

落ちるよにすばやく鳥の大空を斜めに飛んでゆくすばらしさ

 

あたまがいたい。まゆがよってくるようだあつくてじんじんいっている世界

 

ベッドを窓ぎわに寄せて空を見た、私は空の大きいのを忘れていた

 

ほそいしんの鉛筆で書くきもちよさ細いきれいな線が出てくる

 

・十代の彌千枝ちゃんよりも お母さんの柳子さんと年齢が近いせいか……

「このお母さんすごいな」とつくづく感心してしまう。

 

春ちゃんが、母様、馬みたいに子供生むってゲラゲラ笑って喜んでるのよ。何しろ九人とは大変ね。

(創英社、山川彌千枝著「薔薇は生きてる」244ページより)

 

などと彌千枝ちゃんが姉にむけて手紙で書いているのだが、(「春ちゃん」もお姉さん)

このお母さん

彌千枝ちゃんを含めて3人の子供を病気で若いうちに亡くしているようだ。

それにひとり、社会主義運動にかかわった、とかで刑務所に入った子もいたりする。

 

けっこうお金持ちらしいのだが(それは彌千枝ちゃんの文章のはしばしに匂っているので)

経済的な苦労はなかったにしても ものすごい苦労をされている。

スーパーお母さんである。

 

・今だと抗生物質で治る病気なので、なんとも痛ましい気持ちになってしまう。

あと、

 

十二月二十八日

今夜はとても良い気持、今まで母さまとお話をしていたの。毎晩母さまに、お休みを言って別れるのがいやでならない。もっともっと長くいて、冬の夜中話をしていたいよう。でもそんな事したら、一ぺんで母様風邪ひいちゃうわ。この室は開けっぱなしで寒いんですもの。

(同書、197ページより)

 

十二月二十八日……真冬でも窓を開けっぱなしという とんでもない治療法なのである。

どれだけ根拠があったかわからんですが、

これはこれで理にかなっているのかもしれんですが、

なんとも痛ましい。

 

・1930年代 戦前のブルジョア家庭の豊かな生活がよくみえます。

あーこのころは 連合艦隊はまだ海の上に浮かんでいたのだな~とかおもいます。

 

三月十二日

今日、東京に来た。うれしいわ。お座敷でねるの。金びょうぶなんかたてておかしくってわらわせるわ。

(同書149ページより)

金屏風!!

笑わせるわ、って反応もいい。

 

三月二十七日

今日晩、飛行機が電気をつけてとんできれいだった。まるで星がとんでくようにきれい。

(同書150ページより)

たぶん新鮮な光景だったのでしょう。

 

二月十七日

ああなんか食べたいな。こんがりときつね色にやけたパンにバタ塗ったの、赤いジャム、レモンティ。

鏡を見ながら、歌をうたったり、喋ったりする。随分おかしい。「あーあ」なんておどろいた顔をしたり、玄関のお取り次ぎの顔したり。

(同書162~163ページより)

うーん、上流階級の匂いがします。

 

二月二十三日

お部屋に今とても奇麗なバラがある。真赤なバラと、クリームのバラ、開いて、開いて、開らこうとしてる。

(同書165ページより)

 

八月五日

オリンピック、日本優勝、三段飛びに南部。この頃私の日記ったらまるで、新聞のよう。でもオリンピックがいいと皆も晴れやかよ。オリンピックが悪いと、なんだい、しようがないなんてとても怒ってるわ。

私この頃具合が悪いのよ。胸の奥で、息をするたびに、ゴトゴト言う。そして口きくと息苦しい。でも、ちょっと胸の病いなんて詩的ね、胸を病む少女なんてステキだわ。ステキだけど、本当の事言うと、ステキどころじゃありゃしない。悲しい苦しい事だわ。けれど、幸福はどこにだって、そうあるもんじゃないわ。

(同書185ページより)

ラジオの話題 多いです。

クラシックを聴いたり、歌舞伎を聴いたり……

そしてロサンゼルスオリンピック。

 

・佐々木文枝さんへの手紙……当時の女学生のリアルな会話が垣間見れます。

佐々木文枝さんは彌千枝ちゃんの親友で のちのち俳優の千秋実の奥さんになった人らしい。

 

この子はよく彌千枝ちゃんの病室に遊びに来る、とんでもなくよい子です。

伝染性の……不治の病の患者の元に、です。

 

 皆、学校じゃどうしてて? 私会ってみたいわ。それから小田さんにゴム消し返したいわ。

 もう少し疲れて来た。私あんたにもっと長い手紙書きたいと思うんだけど、熱が出るとこわいから止めるわ。どうぞ悪しからず。

(同書222ページより)

 

 あんたは毎日何してるの? 相変らず元気なんじゃなくて? 実際あんたは病気なんてものに縁がなくて羨しいわ。

 私なんて切っても切れぬ縁があると見えて、なかなかうるさいのよ。病気なんてものはいやなもんさ。だからあんたは病気にならないように気をつけるべしだわ。

(同書225ページより)

 

 私が貸した本、どれか読んで? あんたが読んで悪口を書いて来るのを楽しみにしてるわよ。

 あら、ラジオが始まった。もう、これ書くのいやになっちゃった。汗がこんなに出てもうやめるわ。

 また来て、下界の話をして頂だいね、井尻さんに、何とぞ何とぞよろしく。

(同書232ページより)

「下界の話」ってのがいい。

何度かこのワードが出てきます。

 

 今度お正月遊びに来ない? あんたに大分会わないから会いたいわ。それにクリスマスに色んなもの貰ったからあんたに見せたいし、それからあんたにけちな物が買ってあるからあげたいし、もしお正月に来られなかったら一月中にきっといらっしゃい。

(同書235~236ページより)

けちな物って……

 

えー以上。

「感想」じゃなくて、 ほぼ「引用」に終わりましたね。

まあ、わたくしのどうでもいい感想などよりそっちの方が何倍もよいでしょう。

 

さいご スーパーお母さん、山川柳子さんの日記。

彌千枝ちゃんがなくなった日の日記の引用。

 

三月三十一日

 ああ、や子、や子、

 朝五時に容態が変ったと言って起される。やつれた顔で「もういやっ」という。それでも注射で落ちつくと人形を見、ゼリーを二つ食べる。注射で苦しみを止め止め、十二時頃から楽な眠りに入る。その前矢熊さん来る。とにかく逢わせる。「矢熊さんよ」というと大きな目を開けてぐると見廻し、矢熊さんの顔を見て「また、なおったら来て頂戴」とゼイゼイ言いながらいう。それからは氷とお茶を少し飲んだきり。

 二時五十分安らかに永眠す。松島先生、黒川先生に心臓の鼓動を聞かれながら、幸世をのぞく外は来られるだけの人々あつまり懇ろにお棺にいれる。

 生れて初めて化粧したる顔、花嫁の如し。

(同書270~271ページより)

矢熊さんはどういう人なんだかわからない。看護婦さんか??

幸世は、刑務所に入っているお兄さん。

 

さいごの 「生れて初めて化粧したる顔、花嫁の如し」

は、川端康成が「禽獣」とかいう小説に引用しているらしいです。

 

アントニン・レーモンド作、星薬科大学本館(1924) その1

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雨の中。星薬科大学のオープンキャンパスに行きました。

 

荒俣宏先生の「大東亜科學綺譚」という本で――

この学校を作った星一(はじめ)が紹介されていて……

 

で、この人の作った「星商業高校」というモダアンな学校の写真も多数掲載されており……

それを見て以来、ずっとこの建築は見てみたかったのですが、

 

「星商業高校、今は星薬科大学というのか……」

「大学、というと、なんかコネでもないと見学できないかしら??」

とか思いこんでいたのですが、

 

調べると、オープンキャンパスなるものがあるとわかり……

なんなく見ることができました。

 

外観はこんな感じ。

正面には星一先生の胸像が。

 

荒俣先生のご本引用しますね。

 

東急池上線の戸越銀座駅を降りて数分歩くと、大正11年に星一が設立した〈貧乏で親孝行な青年〉のための〈星商業高校〉に出会う。現在は、〈星薬科大学〉と改められたが、巨大なドーム式のみごとな講堂を備える大正期コンクリート建築の偉容は、当時のまま残されている。設計はアメリカ人建築家のアントニン・レイモンドによるもの。正面には蝶ネクタイをした星一の胸像が見える。

(ちくま文庫、荒俣宏著「大東亜科學綺譚」107ページより)

 

というのだが……

だ、誰だぁ!

星先生の胸元に5円玉を突っ込んだのは!!

 

やっと長年あこがれた建築に会ったわけですが……

実物をみたわけですが……

 

外観は、まあこんなものか。という感じ。

 

「まあ、こんなものか」の理由としては……

 

僕の建築の好みとして

「中身」と「ガワ」はなんらかの関係性を持つべきだ。

というのがありまして――

 

その好みにどうも引っかかってこない。のですな。

 

この建築の見せ場は

①ドーム天井の大ホール

②スロープのみで構成された階段室

この2つだとおもうのですが……

 

①は ↑↑ この遠くからの写真でおわかりいただけるように、

ドーム天井がある、というのはわかるわけですが……

(ただ、近づくとわかりづらい。その点不満)

 

②は、なんか全然アピールしていないとおもう。

僕の勝手な提案だが、

1階~3階ぶっとおしの縦長の窓にした方がよかったんじゃなかろうか?

ねえ、レーモンド先生?

 

構造的にどうなのか? とか

そもそも大正時代にそのサイズの窓が作れたのか? とか を完全に無視した提案ですが……

 

あと、このアールデコ文様レリーフも……

帝国ホテルのエントランス部分の 異星人が作ったような超絶レリーフをみてしまうと

ちと弱い気がする……

(レーモンド先生は ライト先生の帝国ホテルの工事監督をやったあと そのまま日本に居ついちゃった人)

 

んーはやいはなしが お師匠のライトのあの「狂気」(凶器?)を見てしまったあとでは

このファサードは大人しすぎるような気がしました。

 

――まあ、そんなことを思いながら、建物内部に潜入です。

 

↓↓こんな感じ。 白&黒は自由学園とおなじですな。

「学校建築はすべからく白&黒にすべし」とかいうライト教の教えでもあるのだろうか?

 

星薬科大学のホームページによると 13:00から キャンパスツアーとかいうものをやる。

と書いてあったので、 それに合わせていったのですが、

 

入口あたりにおられた職員らしき方に その旨きいてみると――

ちょっと困ったような顔をされて……

 

「あの、入学希望の高校生のためのガイダンスがありまして」

 

――などといわれてしまい大変困った。

あの、サラリイマン生活十年ちょっとなのですが……とか思いつつ、

 

「建物を見せていただきたいのですが」

ときくと、

「あ。それでしたらご自由にどうぞ」

ということでした。

撮影もご自由に、とのことでした。

 

――高校生向けコースを勧められた件ですが、

このあと、お手洗いに行った際、ふと鏡に映った自分を見ると……

スヌーピーTシャツ&雨に濡れた髪の毛

の自分は 我ながらやけに幼く見えました……

 

なるほど。スヌーピーTシャツのせいであったか……

 

もとい、講堂です。

これはすごいです。

 

東京の片隅に……

まさか、こんなものが隠れているとは……

 

天井は星……☆のイメージだそうです。

 

荒俣宏「大東亜科學綺譚」には……

星一の息子、星新一の写真が載っているのですが……↓↓

(そうそう、星一、あの星新一のお父さんです)

 

この写真の背景の謎の空間は一体何なんだ? とずっと疑問だったのですが、

星薬科大学のホールだったのですね。

 

ついでだから引用しておきましょう。

 

今をときめく作家星新一氏は、本章の主人公星一の長男として生まれた。この年齢の離れた二人は、近代の家庭にありがちな父子の確執を知らず、まるで夢のような昔話と冒険を語る祖父と、想像力に火をつけられて聞き入る孫のような、ある種の交感を続ける関係であったという。たとえば星氏の本名〈親一〉は、氏の父がモットーとした〈親切第一〉の標語を直接に受け継いだものである。氏の作品の中には、父の評伝『人民は弱し 官吏は強し』がある。

(同書98ページより)

 

んー 〈親切第一〉……

 

となると、この建物の

地味ぃぃぃな外見は……

 

けっこうゴージャスな「中身」を反映していない「ガワ」は……

 

あるいは星一の好みであったのかもしれんですな。

 

あ。そうそう うろうろと写真を撮っているうちに

大学の職員の方(おそらく)

によるガイドが始まったのでついていったのですが、

 

その方の説明によると 星一の母校 コロンビア大学のホールを模したものであるらしいです。

 

ただ……

私のような建築好きは おそらく……

 

フランク・ロイド・ライトの映画劇場案を思い出すのではあるまいか??

 

彰国社、谷川正巳編著「図面で見るF.L.ライト 日本での全業績」p74 ですが↓↓

 

ライトのスタッフだったレーモンドはおそらくこの案を知っていた? のではあるまいか??

 

なんとなく似てます。

いや、別に

「おまえ、マネしただろ!」といいたいのではなく、

 

レーモンドの頭の片隅には どこかこの案のイメージは残っていたのではあるまいか?

 

えー 以下、ディテールです。

ステージの下の部分。

 

おそらく金属パーツ。素朴なデザインがいい感じ。

 

ステンドグラス。

望遠ズームを持ってくればよかった。

 

まさか、建築撮るのに必要になるとはおもえず、

あと、重いし、家に置いてきてしまった。

 

なんとも愛らしい感じですが――

 

職員の方によるとオリジナルではないそうです。

オリジナルは戦時中の灯火管制のときに 黒く塗りつぶしてしまって

その塗料が落ちなくなってしまったとかで ダメになり、

 

であらためて作ったものだそうで、

「本学で栽培されている薬草をモチーフにしております」

とのこと。

あと、ドアも気に入りました。

 

レバーを上げるか下げるかすると、開く? のだろうとおもわれます。

どっちにしろ、こういう方式は始めてみました。

 

もちろん

大好きなマイナスねじ!!

 

あと、このパーツ↓↓

 

トラックのうしろにくっついているのはよくみるのですが……

(ドアを固定するパーツ)

 

建築物でははじめてみたような気がする。

昔はこれがふつうだったのか??

 

お次は照明。

ですが、

明治村の帝国ホテル(のレプリカ)

を見ちゃうと、

 

……あの「光の柱」と比べると、

なんか物足りない。

 

なんというか 素朴 というか 古拙 というか、

いい雰囲気ではありますが。

 

むろん 最新式のLED電球がはまっております。

 

えー大講堂は以上。

次回、スロープだらけの階段室をご紹介。

アントニン・レーモンド作、星薬科大学本館(1924) その2

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その2です。

星薬科大学本館、

階段室の写真を載せます。

 

正確に書くと、「階段のない階段室」ということになるか?

 

んーすさまじいです。これは。

スロープ天国……スロープの嵐……

 

前回同様 荒俣先生の著書を引用。

 

星薬科大学のホール内部は、階段を持たないランプ方式(スロープ)の昇降路が延び、その両側に目を驚かすほど壮大な4枚の壁画が描かれている。これは古代日本の薬草採取をテーマにした雅やかな連作で、同校の象徴的なデコレーションになっている。製薬という営みの古さと重要さを物語り、東京の西洋館巡りを志す路上観察者には必見の物件といえる。

(ちくま文庫、荒俣宏著「大東亜科學綺譚」109ページより)

 

荒俣先生は「必見」とかおっしゃってるが……

自分は「建築」を見に行くので……

正直、壁画とか知らんわ……

 

などと訪問前 ちらっと「大東亜科學綺譚」読んで、おもったのですが――

 

壁画、ぜったい必要ですね。

 

壁画があるからこそ、空間に深みが生じていますな~

 

逆に壁画がなかったら、とか想像すると、

このスロープ天国は不気味だったかもしれない……などとおもいます。

 

どこを撮ってもけっこう絵になるのですが……

 

3階の天井はどうなのかね?

ただガラスが なんとなくはまっているだけ。↑↓

 

なんか工夫がない気がして……

ここもやっぱしステンドグラスでしょ??

ねえ、レーモンド先生。

 

そんな派手なやつじゃなくていいからさ~

 

画像だと なんだかそう見えませんが、

じっさい行くと、ちょっとがっかりしますよ。これは。

 

あとですね……

写真じゃわかりづらい点、書いておきますと……

 

スロープの角度 きつくね??

 

まあ、もともとの「星商業高校」にしろ、今の「星薬科大学」にしろ、

若者が利用する施設なんで、

スロープきつくても まあ問題はない……のでしょうが……

 

今回訪問して 驚いたのはまずそこでした。

スロープ けっこうきついのよ。

 

たぶん。

ここ、みんな広角レンズで撮るのだろうとおもう。

(わたくしもそう)

標準だとちょっと絵にならない、ので。

で、その……広角で若干引き延ばされた画像をみているから、

スロープのきつさはわからんのだとおもう。

 

しかし……

いろいろけなしましたが……

 

ディテールのきっちりしたおさまりは見ていて気持ちがいいです。

柱の上の部分も手を抜きません。

 

階段の手すりの部分。

これもみていて気持ちがいいです。

 

 

 

 

 

 

えー とくに書くこともなくなりましたので……

わたくしの手持ちの本で

レーモンド先生に触れているのを 引用しておきます。

 

レーモンドは1888年、チェコのボヘミア地方に生まれた。若くして米国に渡り、フランク・ロイド・ライトの事務所に入る。帝国ホテルのプロジェクトのために来日し、完成を待たずして独立。日本に残り、建築家として活動するようになった。第二次世界大戦の時には米国へいったん帰るが、終戦後に再び来日。リーダーズ・ダイジェスト東京支社(1951年)など、日本のモダニズム建築を主導する作品を手がけていた。

(日経BP社、磯達雄、宮沢洋共著「昭和モダン建築巡礼 東日本編」65ページより)

 

この本ではアントニン・レーモンドの作品としては

高崎の群馬音楽センター(1961)と 新潟県新発田市の新発田カトリック教会(1965)がとりあげられております。

どちらもおもしろそうだ。

 

 

 

お次。

今じゃすっかり「建築家」になってしまった

藤森照信先生の「日本の近代建築」

 

下巻の後半部分の主役は……

若き日の丹下健三、中堅村野藤吾、そしてこのアントニン・レーモンド先生だったりする。

 

 歴史主義が全盛を極め、対抗する表現派がようやく盛り上がったのと同じ時期に現われたレーモンド邸は、それまで誰も見たことのない、おそらく世界でも、姿をしていた。四角な箱がいくつも喰い合わさり、そこに長方形のパネルが垂直・水平に差し込まれただけの構成もはじめてなら、鉄筋コンクリートの壁が石もタイルも張られず、白くも塗られず、ざらざらとした地肌をむき出しにするのも驚きだった。

(中略)

 日本のモダンデザインはレーモンド邸によって世界の先端に届いたのである。

 この記念すべき作品をもたらしてくれたのは、建て主でもある建築家のアントニン・レーモンドで、彼は一八八八年チェコに生れ、キュビズムの本拠のプラハで建築を学び、後、渡米してライトの事務所に入り、大正八年、帝国ホテルの建設のために来日した。しかし、ライトのマンネリズムにあきたらず、けんか別れして独立し、当初はライト式を手がけていたが、急速にヨーロッパの新傾向に反応し、自邸のレーモンド邸を皮切りに、日本のモダニズムのリーダーの一人となり、前川国男、吉村順三を育て、日米戦争の一時期を除き日本に本拠を置いて生涯の設計活動を展開している。

(岩波新書、藤森照信著「日本の近代建築(下)―大正・昭和篇―」206~210ページより)

 

と、藤森先生大絶賛のレーモンド自邸は この星薬科大学と同時期の作品。

 

ですが、こちらは自分の家とは違って好き勝手できなかったせいか、

ばりばりのライト流ですね。

 

あと、藤森先生の本だと気になる記述は……

太平洋戦争中のレーモンドに関するきな臭い記述。

 

レーモンドは、日本での経験を買われ、米軍の日本都市空襲計画に参画し、アリゾナ砂漠に東京の下町を再現し、焼夷弾の有効性を試している。

(同書253ページより)

 

このことは、大学の職員の方の 建物ガイドでも触れられていて、

大学の方ははっきりと

「スパイ」

といっていたが……

んーそれはちとニュアンスが違うような……

 

きっと、いろんな事情があったんだとおもうよ。

 

……こうした仕事を残し、昭和一二年、レーモンドは日本を去りアメリカに向い、昭和二〇年の敗戦まで帰ってこない。昭和一二年に日本を離れた直接のきっかけはインドで仕事が生じたからだが、本当の理由は、前年、日独防共協定が結ばれ、日本がナチスと手を組んだからと思われる。レーモンドがチェコに残した五人の兄弟はすべてナチスのユダヤ人撲滅作戦によって生命を絶たれている。

(同書231~232ページより)

 

もとい、レーモンドはそういう計画にからんでいたから

自作の 星薬科大学は空襲の標的にならないですんだ。

 

……というおはなしをされていたのだが、

職員の方は それに続けて

「でも当時の爆撃の精度ってそれほど高いものともおもえないので 残ったのは偶然なのでしょう」

などといっておられました。

 

んー 僕は、

「お言葉ですが、ノルデン爆撃照準器というものがあってだな」

とアメリカ軍の精密爆撃のすさまじさを反論しようとしたのですが、やめにしました。

 

ええと、何の話だっけ。

そんなアントニン・レーモンド先生でございました。

高崎の群馬音楽センター みたくなりました。

The I Ching or Book of Changes(Wilhelm/Baynes)

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だいぶ前に わたくしが、曲亭馬琴先生の「南総里見八犬伝」を易・五行で読み解く、とかいうヘンテコな記事を

連投していたのを御記憶の方は 誰もおられないとおもうのですが――

 

易の勉強は引き続きやっているわけです。

といって……

主に本田濟(わたる)先生の

「易」(朝日選書)

「易経講座」(斯文会)

これをゴリゴリと読んでいる、というだけのことなんですけど……

 

で、Amazon で易関係の本をたまに探ったりするもので

Amazon様がどういうわけか、

 

イーチン・タロットというあやしげなものをしきりにお勧めしてきやがりまして……

(イーチン、I Ching →易経のことです)

 

絵柄がキレイだったのでついつい買ってしまいました。

 

キレイなお尻……

じゃなかったキレイなおねえさんの絵がたくさんあって大変よろしいものです。

 

しかも、これが結構よくできてる。

「ム。できる……」

「こいつは易のことをよくわかってるな」というのがわかるわけです。

 

で、一体 紅毛碧眼の連中はどのように「易経」を理解していやがるのか?

そもそも 野蛮な紅毛碧眼にこんな高級な書物が理解できるのであろうか?

とおもいまして――

 

今回読んでみたのがこれ↓↓

The I Ching or Book of Changes

リヒャルト・ヴィルヘルムのドイツ語訳からの重訳であるらしい。です。

 

結論から先に書いてしまいますと……

さすがに英語圏の「易経」のスタンダードらしく、

まったくもって良くできてました。

 

正直バカにしてた「イーチン・タロット」がとても良くできていて、

これまた若干バカにしていた「I Ching」がこれまた良くできている、という……

 

あ。正直申し上げると……

まだザザッと読んだだけなんですけど……

 

以下、とりとめもない感想をば。

 

・易のシステムは英語の方がわかりやすい。

 

易って仕組みがちょっとややこしいので

そこを理解するのに時間がかかるのですが――

 

英語で考えた方がすんなり頭に入ってくるような気がします。

 

八卦

☰☷☳☴☵☲☶☱

これを The eight trigrams といい、

trigram を上下に重ねたものが

hexagram (→卦・か)という具合。

 

乾のhexagram はこのように6本の「爻」(こう)で構成されるわけですが、

爻は英訳だと line ですわ。

乾のヘキサグラムの第1ライン 第2ラインという具合。

乾の卦の第一爻、第二爻というよりわかりやすい。

 

そもそも……

「卦」だの「爻」だの 易でしか使わないような漢字が登場するのがよろしくない。

「trigram」「hexagram」「line」 こっちのほうがすんなり頭に入ってくるような気がします。

 

そのほか、

Unbroken line →陽爻・剛爻

Broken line →陰爻・柔爻

 

The great man →大人

The inferior man →小人

The superior man →君子

 

という具合なのだが、易を御存じない方にはまったく意味不明なのでこれくらいにしておく。

 

・英語にするとダサくなる場合もある。

トリグラム、ヘクサグラム、ライン、がかっこええ、といったのですが……

 

「革」の卦の上六。

君子豹変す。(君子は豹のごとく変ず)

↓↓

Six at the top means:

The superior man changes like panther.

 

君子豹変す。だとかっこいいのですが、

「パンサー」とかいわれると、思い浮かぶのはヒョウ柄のけばい服を着たおばちゃんだったりする……

まあ、ネイティブの人がどうおもうのか きいてみたいような気がしますが。

 

あとは「中孚」(ちゅうふ)の卦辞。

中孚は、豚魚にして吉なり。

↓↓

THE JUDGMENT

INNER TRUTH. Pigs and fishes.

Good fortune.

 

豚魚にして吉、なんていうと禅問答みたいな風格があるのですが、

Pigs and fishes だとなんでしょうね。

東南アジアの屋台で売ってる料理みたいです。

 

ただ、「中孚」→インナー・トゥルース というのはかっこいいですね。

「孚」なんて漢字わけわからんもんね。

 

・気にいっている部分を書きぬいてみる。

 

わたくしの気に入ったところを書きぬいてみます。

 

個人的に……「易」で一番かっこいいのは

「睽」(けい)の上九だとおもうのですが……

 

Nine at the top means:

Isolated through opposition,

One sees one's companion as a pig covered with dirt,

As a wagon full of devils.

First one draws a bow against him,

Then one lays the bow aside.

He is not a robber; He will woo at the right time.

As one goes, rain falls; then good fortune comes.

 

仲間外れで独りである。

見れば豚が背中に泥を背負っている。

車一杯に幽霊が載っているのを見る。

そこで幽霊を見た者は慌てて、最初弓に弦を張る。

後にはその弦を外す。

相手は仇や敵ではなかった。実は自分と婚姻すべき相手であった。

さらに前進して雨になれば吉であろう。

(斯文会・本田濟著「易経講座 下一」264ページより)

 

これ、キーツの詩の一節です、とか シェリーの詩の一節です、

という雰囲気。(かってにうっとりしてるだけだが)

まあ、もともと易経がかっこいいのだな。

 

あと、……

「易経」の最後の二つの卦というのは、

「既済」「未済」なんですが、

ようするに

「完成」「未完成」ってことなんですよ。

 

つまり「易経」って 「未完成」をさいごに終わる というものすごい書物なんですけど……

そのあたりのことを……

 

NOTE. The hexagram AFTER COMPLETION represents a gradual transition from a time of ascent past a peak of culture to a time of standstill. The hexagram BEFORE COMPLETION represents a transition from chaos to order. This hexagram comes at the end of the Book of Changes. It points to the fact that every end contains a new beginnig, Thus it gives hope to men. The Book of Changes is a book of the future.

 

(トマス訳) 注:既済(完成のあと)という卦が示しているのは、文明のピークを過ぎた、上昇の時から停滞の時へのゆるやかな変化である。未済(完成の前)という卦が示しているのは、混沌から秩序への変化である。この卦は「易経」の最後を飾っている。つまり、すべての「おわり」はあたらしい「はじまり」を含むことを意味している。このことはわれわれに希望を与えてくれる。「易経」は「変化の書」であるとともに「未来の書」でもあるのだ。

 

とかっこよく説明してます。

 

□□□□□□□□

ああ、そうそう、

易経だらけのSF……

「高い城の男」のフィリップ・K・ディックが参考にしたのはこの本だそうです。

 

この小説では、作者の謝辞にもあるとおり、ヴィルヘルムのドイツ訳をさらにべインズが英訳したテキストが使用されている。小説のなかのある人物のバイネスという偽名が、この英訳者の名とおなじ綴りのBaynesなのはなにか意味がありそうだ。

(ハヤカワ文庫、フィリップ・K・ディック著、朝倉久志訳「高い城の男」398~399ページより)


黒船亭の冷製ポタージュスープ・上野で撮った写真を強引に解説する。

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わたくし、実は――

ちょっとした病気を患ってまして……

 

病名は

「何か月かに一度 黒船亭のハヤシライスを食さないと死んでしまう病」というやつで……

つい先日も、この病気が再発したと思いたまえ。

 

で、いつもは、単品のハヤシライスを頼んで、ライスをおかわりするのですが、

 

今回。ボーナス直後で太っ腹なトマス・ピンコの野郎が、

生意気にも「ハヤシライスセット」を頼んだところ……

しょっぱなから出てきたのがこれ↓↓

 

「な、なんじゃこりゃー!!」

とおもっておもわず写真を撮ってしまったのですが……

 

日頃外食が多い方にとっては、こういうのフツーなのでしょうか??

冷製スープってこんな??

トーキョーの人は毎日こんなオサレなスープをすすっているのかい??

 

はじめはウェイターさんが間違えて 他の人のデザートを持ってきたのかとおもったのだが、

デザートではなく、

「冷製ポタージュスープ」とかなんとかおっしゃっている。

 

どう食していいものか、わからないので 聞いたところ。

スープの部分をある程度食べてから あと野菜をすくって食べる、というようなことらしい。

 

スープの部分をある程度食べる、というのは、

上の部分は天目茶碗みたいな形してるわけよ。

スープがたくさん入っている状態でテーブルの上に置いてしまうと、

コロンとこけて、スープがテーブルの上にぶちまけられてしまうわけよ。

 

んーなんだかすごいものを食べてしまった。

あ。下の野菜部分ですが、

ただの水にレタス、パセリ、ミニトマトなどが浮いている構造です。味はとくになかったです。

いや、おいしい野菜でしたけど……

 

□□□□□□□□

あとは上野で撮った駄写真を載せます。

全部 コシナ・ツァイスの Makro-Planar T*2/50 というレンズを使いました。

 

カメラを御存じない方には意味不明なこと書きますが、

最近 絞り開放 もしくは開放近くで撮るブームが 僕の中で発生しておりまして

↑の冷製スープも f/2.5 です。

 

 

解説。

斜めの構図を採用することで 第二次大戦後の藤田の不安感を表現しました。

さらに 絞り開放(f/2)で雲を写し込むことで藤田にしか出せないあの「白」を背景に取り込みました。

このように街中の何気ない光景も 撮影者の意図によって芸術的表現にまで高めることができます。

 

……

→あ。すみません。ウソです。

藤田嗣治展やるんだー、とメモ代わりに撮っただけです。

絞り開放も先述のとおり、最近は開放にしっぱなしなだけです。

 

前川國男先生の東京文化会館を撮りました。

 

 

またまた解説。

背景の国立西洋美術館が実はこの作品の中心です。

前川國男(東京文化会館)とル・コルビュジエ(国立西洋美術館)の師弟二人による建築空間を

絞り開放(f/2)によってやわらかく表現しました。

f/8あたりの硬質な表現では 50~60年代のモダン建築の持つレトロな雰囲気を表現しきれません。

 

……

…えー、と。

→また大ウソ。

単に絞り開放ブームがきているだけです。

帰宅後、画像の整理をしているときに、「お。国立西洋美術館が」

というあたりまえのことに気づきました。

撮ってるときに気づけよ。

 

 

 

なんかパンフレットがいっぱいありました。

 

これも絞り開放なんですが……周辺光量落ちがすさまじいですね、このレンズは。

あ。カメラに興味ない方、スルーしてください。

 

で、上野に行くと、この人はトーハクに行きます。

で、

トーハクに行くと、谷口吉生先生の法隆寺宝物館にまず行きますな。

 

ちょっとレトロ調な色合いに現像してますが……

ツァイスレンズの周辺光量落ちと、なんだか相性がいいような気がするもので……

 

ああ。ただのノスタルジーともいいますが。

 

 

あくまで解説。

背景に写る古風な日本建築と、ハイパーモダンな谷口建築。

そして水面の波紋。

この二つが時の流れを象徴しています。

そして「柱」と水面を渡る「通路」

この二つが空間を象徴しています。

撮影者は細心の注意によって、一枚の写真に世界全体を写し込むことも可能なのです。

 

 

……ああ、はいはい。

あんた、「あ、暑い」とかいって しゃがみこんだついでに撮っただけでしょ!

 

でも、なんとなくわかったのですが、「絞り開放」にすると、

なんかアートっぽく撮れるんですよね~

アーチスト気取りの写真が撮れるんですよね~

 

あと、平常展もちゃんとみました。

 

鍋島焼 好きです。はい。

 

うちわ、とかはじめてみた。

ガイジンさんが食いついてた。

 

というか、トーハク……上野……

日本人率低すぎだろう……

 

高円宮コレクション 根付。

いいですね。毎度見入ってしまいます。

 

肉球まで……

 

解説(これで最後)

手前側に古風なデザインのライト。奥にかすかに人物を写し込むことで

この建築の静謐および大きさを表現しました。

ツァイスレンズの周辺光量落ちが、

1930年代建築のもつ時の重み、さらにはかつて存在した大日本帝国という亡霊を

見事に写し取っています。

 

……

…んー、なんかこのムリヤリ強引解説。

カメラマン気取り解説。おもしろくなってきたぞ。。。。

 

ちなみに背景の人物には 帰宅後PCの画面ではじめて気づきました。

ただなんとなく照明器具を撮ってみただけ。

公共交通機関(水郡線)で 袋田の滝へ行くという無謀な試み。

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7月後半というのに、

袋田の滝はまだ凍ってました……

 

さ、寒っ……

ブルブル……

 

猛暑? なにそれ???……

 

――あ。ウソです。

シャッタースピード15秒で撮った画像を 青っぽくいぢっただけです。

 

あと、めちゃくちゃ暑かったです。

 

□□□□□□□□

もとい、わたくし、

 

①さいきん、CSで「みんなの鉄道」という番組を見始めて にわか鉄道ファンになってしまった。

②車検で数日間 愛車が工場行き。

(慣れない代車で高速に乗る勇気がない)

という事情から、水郡線をつかって袋田の滝に行ってみることになりました。

 

どなたかの参考になるかもしれないので この無謀な試みを記録しておこうと思います。

まあ、「クルマで行くのがベスト」という無難な結論になるわけですが。

 

行ったのは平日。

トマスの最寄り駅はJR牛久駅というところになります。

 

6:01

牛久駅。「常磐線 各停勝田行き」に乗ります。

ちなみにこの電車は上野駅5:10発の電車です。

 

こんな風景です。

えんえん田んぼです。

6:58

水戸駅着

 

水戸駅で水郡線に乗り換えます。

こんなカラフルな子が1番線ホームに待っております。

 

JR東日本キハE130系気動車 というものらしいです。

 

7:28

水郡線 各停郡山行き 発車。

 

これを逃すと、次は2時間後の 9:22水戸駅発 になってしまいます。

 

気動車に乗ったのは 約2年前、瀧原宮へ行くために

紀勢本線に乗った、あれ以来だとおもう。

あれ、また乗りたいな……

などとにわか鉄道ファンになった今おもう。

 

車窓風景はこんな。

 

どうも水郡線。「奥久慈清流ライン」という愛称(?) を推しているっぽいのですが、

なかなかかっこよくていいんじゃないですかね?

たしかに「水郡」なんて イバラキ・福島以外の人には意味がよくわからん名前だわな。

 

8:44

袋田駅着。

 

無人駅……だったですが、

きっぷ売り場という窓口があったので土日は人がいるのかもしれないです。

 

え。さて、

ここで「公共交通機関」にあくまでこだわるとすると――

バスに乗って 袋田の滝へ行くべきなのですが……

 

約2時間後、

10:35までバスはありません。

なのでここはタクシーを呼ぶしかない。

 

駅の目の前に タクシー乗務員控え所とかいう小さな小屋がありまして、すぐタクシーはつかまります。

不在の場合でも ここに電話してくれ、という番号が書いてあって、

じきに来てくれます。

 

タクシー料金は1000円ジャストでした。

ちなみにバス料金は210円です。

 

タクシーが着く場所がこんな↑↑

 

袋田駅から5~10分というところか。

「冬来るときはあれですか。チェーンとか必要ですか?」

「スタッドレスで十分ですよ。よっぽどのわき道でない限り、普通の車で走れますよ」

なんてことを話してるうちにすぐに着いてしまう。

 

袋田駅~袋田の滝。

もちろん歩いて行けない距離ではないですが――

この酷暑の中 たぶん死にそうでしたので

「徒歩」という選択肢ははじめからなかったです。

 

あ、ついでに書きますが、

渓流の風景とか……山小屋っぽい駅舎とか……

なんか清涼な高原をイメージされている方もいらっしゃるかとおもうのですが……

 

めちゃくちゃ暑いっす。

高原なんかじゃないです。

 

まあ、そんなわけで

10:10ごろ

袋田の滝入口着

ということになります。

 

ちなみに……グーグルのルート検索によれば

常磐道をつかってクルマでいくと、茨城県牛久市からは2時間弱で行けるようなので――

鉄道だと倍の時間がかかる、ということになります。

 

えー、以下、

袋田の滝の様子をひたすら貼っていきます。

 

入場料が必要です。

皆さん愛想がいいです。

 

というか、タクシーの運転手さんも、昼間食べた蕎麦屋さんもみんな愛想がよかった。

 

――イバラキ人って一般的に愛想よくない県民だとおもっておったが。

 

吊橋方面からみる、

「第1観瀑台」↑↑

 

どうでもいいが 「観瀑」って 入力できないな。

「かんばく」って入れると「艦爆」って変換されますな。

 

えーと……

水量が少なかったです。

 

もっと豪快なのを期待してたんですが……

 

上の2枚↑↑

てっぺんの「第2観瀑台」からの眺めなんですが……

(エレベーターであがります。のでだいぶ高い所にあるらしい)

 

んー今の季節は 「第1観瀑台」がいいような気がします。

たぶん紅葉の季節とかだとたまらんのだろうとおもいます。

 

以下、「第1観瀑台」からの眺めをべたべた貼ります。

 

なんか緑色してるが……

那須塩原の 小太郎ヶ淵と同じ種類の岩だったりするのか……

 

調べてもよくわからず。

 

 

7月の平日だと……

お客さんはあんまし来ないようです。

 

11時ごろからぽつぽつ来ていたようですが。

 

まあ、僕の様に 三脚おっぴろげて写真を撮るには 非常にありがたい。

 

↑↑

焦点距離:24㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:10秒

ND1000使用。

といいますか、以下ロングシャッターの画像は皆、ND1000使ってます。

 

↑↑

焦点距離:35㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:10秒

 

↑↑

焦点距離:31㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:10秒

 

↑↑

焦点距離:19㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:5秒

 

この観瀑台の武骨なデザイン好きです。

 

事前に いくつか他の方のブログを見たりしたのですが……

それだと、

 

「うわあ、水滴がかかってカメラが濡れちゃうよぉ」

とか書かかれていたりしたのですが……

 

まったく、そんなこともなく。

それゆえ、ひたすら暑い。……

いや、若干涼しいが……

やっぱし、暑い。

 

んー水量が多い時に来たかったなあ……

 

↑↑

焦点距離:16㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:10秒

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:20秒

 

けっきょくマクロプラナー50㎜で トンネル越しに滝を狙う、というのが気に入りました。

 

建築趣味&滝 というのがいいのでしょう。トマス・ピンコ的には。

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:15秒

 

1枚目の青い画像の…… 青くいじっていないバージョンがこれです。

 

↑↑

焦点距離:50㎜

絞り値:f/2

シャッタースピード:1秒

 

f/8以外の絞りでやってみましょう。ということなのですが、

それほど効果は出ていない、か??

 

↑↑この構図でロングシャッターやってみたかったのですが、

そうなると通路のど真ん中で三脚をおっぴろげることになるので

あきらめました。

 

帰り。

ここでお蕎麦いただきました。

滝から一番近いお店。

 

まわりはお休みの店が多かったです

 

平日はこんな風です。

土日は賑わうのではないか??

 

周辺、滝以外の見ものはないようです。

渓流をのぞいてみたら 錦鯉が泳いでるんですもの……

 

興ざめですわ……

 

クルマだったら

月待の滝とかついでに見に行くのですが……

 

水郡線利用ではそれは不可能……

 

さっさと帰途につきます。

 

□□□□□□□□

帰宅すると――

 

モップのお化け……

 

じゃなくて ゆりがグダグダしていました。

今野緒雪「マリア様がみてる」感想・その1

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「マリみて」ですよ。「マリみて」

今頃はまっておりますですよ。

 

まあ、興味がある方はお読みください。(誰もおらんか)

 

いや、でもこれはすごい。

コバルト文庫、バカにすると痛い目を見そうですぞ。

 

結論から言ってしまうと、ですね。

◎「マリア様がみてる」はものすごく

おっさんくさい構造をしている。

ということになりそうです。

 

□□□□□□□□

 

少し前に 吉屋信子記念館の記事とか書いてた頃に

吉屋信子の戦前少女小説にはまっておったのですが。

ふと

「では、現代の少女小説はどんなものなのであらうか?」

などとおもい、色々調べたところ、

 

少女小説界のビッグネームというのは

◎吉屋信子→氷室冴子→今野緒雪

このように、どうやら推移していったらしいのである。

(ものすごい大雑把)

 

で、マジメなトマス・ピンコさん、

「ま、まさか、吉屋先生よりおもしろいなどということはあるまい……」

と疑いつつも

 

氷室冴子「クララ白書」&「アグネス白書」

今野緒雪「マリア様がみてる」

これらを律儀にアマゾンさまで購入……(すべてコバルト文庫)

 

律儀に読んでいったところ――

 

これがものすごくおもしろいじゃありませんか。

 

まあ、順番的に氷室先生の本の感想を先に書くべきかもしれんですが、

目下読んでゐるのが 「マリみて」ですので 「マリみて」の感想を書きます。

 

ちなみに5巻目の「ウァレンティーヌスの贈り物(前編)」を読了した段階での感想であります。

(30何巻かあるらしいのだ……大菩薩峠並みである)

 

□□□□□□□□

感想①メカニカルな文体

 

「マリみて」とは――

名家の令嬢が集う私立リリアン女学園高等部を舞台とし、上級生と下級生がロザリオの授受によって姉妹関係を結ぶスール制度をめぐって、少女たちが織り成す愛と友情の物語。

(東京堂出版「少女小説事典」292ページより)

 

ようするにこんな話だという知識があったので

抒情的な詩的な ひたすら美しい文体で攻めるのかな~ などと漠然とおもっていたのですが、

これが真逆で びっくりしました。

おっそろしくメカニカルな文体なのです。

ま、はっきりいや

男っぽい文体・理系文体

なんですわ。今野先生。

 

わかりやすいのは、ヒロインの福沢祐巳ちゃんが

部屋から突然飛び出してきた 憧れの小笠原祥子さまとぶつかるシーン。

 

「あっ!」

「うわっ!」

 人が飛び出してきたと思った瞬間、祐巳は身体の前面に軽い衝撃を受けた。次いで視界が傾ぎ天井が回って、その後すぐにお尻に激痛が走った。

 その人物は、ドアが盾になった志摩子さんでも、最後尾に控えた蔦子さんでもなく、二番手の祐巳の身体を狙ったように直撃したのだ。

 だから、先の「あっ!」が飛び出してきた人の、後の「うわっ!」というのが祐巳の声だった。

(集英社・コバルト文庫「マリア様がみてる」39ページより)

 

んーなんか交通事故の描写みたいなんですよ。これ。

その直後 祥子さまに祐巳が抱きしめられるシーンも 今野先生の理系文体の特徴が良く出ています。

 

「よかった」

 安堵したのか、祥子さまは祐巳をキュッと抱きしめた。胸に、さっきと同じ圧迫感。ああ、そうか。それは祥子さまの胸の膨らみだったらしい。制服の構造上、体型の個人差は表に出にくいが、お胸はかなり豊かなほうらしい。……なんて考えている場合じゃない。畏れ多くも、今、祥子さまに抱擁されているのだ。

(同書42ページ)

 

おわかりでしょうか?

圧迫感、制服の構造上、体型の個人差、等々といったやけに男っぽい語彙……

理系文体なんですよね。

 

2巻目の「黄薔薇革命」も 「人体=機械」という 理系っぽい男っぽい視線がみえます。

虫歯になやんでいる黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)の心理描写。↓↓

 

 しかし、人間というのは身体の一部に気がかりを抱えているだけで、こうも使い物にならなくなるものか――。

 所詮、人体なんてねじ一つが壊れて動かなくなる機械のようなものかもしれない。いつもは比較的性能のいい彼女は、絶望的なため息をついた。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 黄薔薇革命」136~137ページより)

 

おつぎ。この本のメインイベント 心臓の手術を終えた由乃ちゃんと お姉さま令さま との病院でのイチャイチャシーン。

 

「それにしても、元気ね。本当に手術したの?」

「したよ。痕、見せてあげようか」

「……いいの?」

「令ちゃんには見てもらいたい」

 由乃は、パジャマのボタンを全部外して、前を開いた。下着はつけていなくて、その代わりに大きなガーゼが胸を覆っていた。包帯はしていない。

「いろんなものが身体のあちこちに刺さっている時だったら、嫌だったけれど」

 そう言いながら、紙テープをはがす。何重にも重ねられたガーゼをそのままそっとめくると、右胸の下辺りに十センチくらいの傷痕が現れた。

 横に一筋。糸ではなくて、針金みたいな部品で何カ所かをつないであった。由乃の白い身体についた一本の線は、何だか勲章のようで美しかった。

(同書194ページより)

 

ようは、サイボーグなのである。

いや、SFじゃないんですけど。

「マリみて」はサイボーグ少女の物語である、などとポストモダン批評風にみることも可能な書物なのです。はい。

 

ついでにいうと 由乃ちゃんは、「病弱な美少女」という設定ですが、

愛読書は池波正太郎だったりします。(病室に積んである)

とうぜん「マリみて」読者の方だったら

心の中にセクハラ親父が住んでいる 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さまのことを思い出すことでしょう。

 

うむ。

◎「マリア様がみてる」はものすごく

おっさんくさい構造をしている。

冒頭に書きましたこれ、思い出していただくとありがたい。

 

なんだか 文字数制限がどうたらこうたらいうので

その2につづきます。

 

今野緒雪「マリア様がみてる」感想・その2

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えー、「マリみて」の感想、つづきます。

ポイントは、ですね。

◎「マリア様がみてる」はものすごく

おっさんくさい構造をしている。

これにつきるのですよ、はい。

 

↓↓こんな表紙をしていながら、じつは男くさいですよー というのをみていきます。

感想②「マリみて」は山田風太郎である。

 

おそらく、大部分の方にとっては意味不明かとおもうのですが、

山田風太郎の愛読者でなおかつ「マリみて」愛読者 という わたくしのようなヘンタイ人間がいたら

誰もが納得するだろうと思われます。

 

山田風太郎作品ってのはですね。

・ようするにゲーム

なのですわ。殺人遊戯とでもいいましょうか。

 

古代ローマの闘技場ってありましたね。

(リドリー・スコット/ラッセル・クロウの「グラディエーター」参照のこと)

あれにまあ似てるっちゃ似てます。

 

戦国時代末期~江戸時代初期を舞台に、あるゲームを設定し

その中で忍者だのお侍だの あるいは柳生十兵衛だの宮本武蔵なんぞが暴れまわるんですわ。

で、たいていみんな死んじゃうんですけどね。(十兵衛は生き残るな)

 

あと、風太郎の基本パターンとして、聖母というか聖女というか、

・清純無垢なヒロインを設定する

というのもあります。

たいてい「ゲーム」のルールに ヒロインの貞操がかかっていたりするのですが、

まあ、説明が面倒くさいので ご存知ない方はなにか風太郎作品お読みください。

 

で、

「マリみて」もゲーム小説なんですわ。はっきりいうと。

僕はまだ5冊しか読んでないんですけど…… 5冊全部 風太郎風ゲーム小説とみましたよ。

つまり。

・ようするにゲーム

・清純無垢なヒロインを設定する

「マリみて」のプロットの基本要素は 山田風太郎作品の2大要素と一致する、というわけです。

以下、具体的に見ていきましょう。

 

①「マリア様がみてる」

・ゲーム

小笠原祥子は学園祭前日までに 福沢祐巳を「妹」にすることができれば シンデレラを演じなくてよい。

小笠原祥子は学園祭前日までに 福沢祐巳を「妹」にすることができなければ シンデレラを演じなくてはならない。

(祥子さまは諸事情あって 学園祭の劇の主演を嫌がっていらっしゃるのです)

・清純無垢なヒロイン

小笠原祥子さま

 

1巻目の基本構造は以上。

具体的な個所を引用しますと……

「一度は断られたあなた。学園祭前日までにロザリオを受け取らせるのは至難の業よ? それができたのなら、その時点でシンデレラを降りていいことにしましょう。その代わり、それまでは主役としてちゃんと練習に参加するのよ」

「なるほど。花寺の生徒会長と手をつなぎたくなければ、一日でも早く祐巳を落としなさい、というわけですわね?」

「その通り。我々は何も手を出さないわ。勝敗はあなたの努力次第。条件的にも悪くはないんじゃないかしら?」

「やりがいがあること」

 祥子さまは勝ち気にほほえんだ。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」83~84ページより)

 

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)と祥子さまの会話で この本の「ゲーム」のルールを確認しているわけです。

このような単純明快な「ゲーム」の設定があるので、「マリみて」はおもしろいわけです。

 

2巻目以降もみていきますが……どれもこれも見事なまでに山田風太郎しています。

②「黄薔薇革命」

・ゲーム

一度破綻してしまった 黄薔薇のつぼみ(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン)の姉妹は

ふたたび姉妹に戻れるのか?

・清純無垢なヒロイン

島津由乃ちゃん

 

という感じ。

支倉令&島津由乃のカップルの行方というのがメインの「ゲーム」ですが、

これに

黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)は虫歯を治療するのか?

支倉令は剣道の試合に勝つことができるのか?

島津由乃の心臓の手術は無事に成功するのか?

といった各人のゲームがからみつくというプロットです。

心臓の手術を「ゲーム」というのは失礼ですが……

前回見た サイボーグっぽい由乃ちゃんの描写などみるとそう考えていいとおもいます。

 

えー以下、ざっとみますと、

③「いばらの森」

・ゲーム

少女小説「いばらの森」の作者は白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さま なのであろうか?

・清純無垢なヒロイン

佐藤聖さま

 

④「ロサ・カニーナ」

・ゲーム

薔薇のつぼみたち、小笠原祥子・支倉令・藤堂志摩子は生徒会役員選挙に当選するのか?

それとも、三人のうち誰かを押しのけて ロサ・カニーナこと蟹名静さまが当選するのか?

・清純無垢なヒロイン

蟹名静さま

 

⑤「ウァレンティーヌスの贈り物(前編)」

・ゲーム

2月14日。小笠原祥子が隠したカードを見つけ出して、

福沢祐巳は祥子さまとデートすることができるのか?

・清純無垢なヒロイン

小笠原祥子さま

 

――と、みごとに風太郎しているわけです。

山田風太郎が少女小説を書くと、「マリア様がみてる」になる。

とそう断言してもよさそうです。

 

□□□□□□□□

 

感想③「マリみて」は文化人類学である。

 

んー、なんか人類学とか民俗学みたいなんですよね。「マリみて」

つまり姉妹(スール)制度とはなにか、という分析的な視線ですな。

1巻目をみてみましょう。

 

 そもそもリリアン女学園高等部に存在する姉妹(スール)というシステムは、生徒の自主性を尊重する学校側の姿勢によって生まれたといえる。義務教育中は教師及びシスターの管理下におかれていた学園生活が、生徒自らの手に委ねられ、自分たちの力で秩序ある生活を送らなければならなくなった時、姉が妹を導くごとく先輩が後輩を指導するという方法が採用された。以来それを徹底することにより、特別厳しい校則がなくとも、リリアンの清く正しい学園生活は代々受け継がれてきたのだ。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」16ページより)

 

制度・システムがあれば 禁忌・タブーがあります。

このあたりも人類学してます。

 

 高等部に入学して約半年。祐巳の中で薔薇の館は、シスターの居住区と同率一位とも思える禁忌の空間であった。

(同書36ページより)

 

つづいて2巻目。祐巳ちゃんの心理描写。

 何だか、とんでもないことになってきた。令さまと由乃さんの一件だけだって、どうしようって感じの話なのに。蔦子さんのいうように別の生徒たちに伝染していったとしたら、どんどん姉妹がいなくなって、リリアン独自の規律みたいなものさえ崩壊してしまうかもしれない。

(どうしたらいいんだろう……)

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 黄薔薇革命」120ページより)

 

↑↑これは、ですね。

支倉令&島津由乃という姉妹がいるのですが、

由乃ちゃんという「妹」のほうが 「姉」にロザリオを返してしまった……

姉妹関係を解消してしまった、その結果の文章。

祐巳ちゃんは姉妹システムの崩壊をおそれています。

あくまで作者の視点は 「システム」の描写にあるらしいのです。

 

個人個人の心理描写なんぞよりも システム描写が優先されるわけです。

 

今野先生のシステム好き。これは姉妹(スール)制度だけに止まりません。

おなじく2巻目。祐巳ちゃんが 入院している由乃ちゃんのお見舞いに行きますが……

 

 乗り場とバスのおでこに書いてある行き先を確認して乗ったバスは、発車時間にはギュウギュウ詰めになった。病院は閑静な住宅地の真ん中にあって、ちょうど通勤通学時間に重なってしまったようだ。

 病院前の停留所まで来るころには、ずいぶんとバスはすいてきて、ちゃんと下車することができた。

 木曜は夜間診療のない日です、って書いてあるボードを見ながら正面玄関から入る。

 外来が終了しているから、会計や薬局のカーテンが閉まっていて、待合室にも人気がなかった。そのせいか、何だか妙に消毒薬の匂いが鼻につく。夜の病院って、こんなにひんやりした雰囲気なんだ、ってちょっと背中が寒くなった。

(同書164~165ページより)

 

この部分 人によっては「削った方がいい」

というところだとおもいます。

祐巳ちゃんが病院に到着しました、というところから書いても別にいいわけ。

バスがどうこうとか 正直いらない。

のですが、今野先生はそうもいかなかったのでしょう。

今野緒雪は

90年代日本の交通機関(システム)の描写がしたかった。

そうとしかおもえません。

この部分以外にも、4巻目「ロサ・カニーナ」所収「長き夜の」で

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の軽自動車に祐巳が乗せてもらうところ。

6巻目「ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」で

祐巳と祥子さまの初デートのところ 妙にJR線K駅の描写がこまかいところ。等々、

今野先生のシステム描写はちょっと病的に細かいです。

 

ここでいう「病的なシステム描写」というのは

前回の感想で見た

メカニカルな文体・男っぽい文体・理系文体

と重なってくるわけでして……

 

同6巻目 祐巳ちゃんと祥子さま デートでジーンズをお買い上げになるのですが

(注:超お嬢様の祥子さまは 労働着であるジーンズなど今までにお召しになったことがないのである)

ドタバタの試着シーン……これは完全ビョーキです……

(注:ビョーキ、トマス・ピンコ最大の褒めことば)

 

以下、涙なしには読めません……

 

「説明不足でごめんなさい、お姉さま。これは折るんです」

 言いながら祐巳は、祥子さまの足もとにしゃがんだ。

「踏んづけているかかとを、一旦上げてください」

「ええ……こう?」

 ぐらり。

「あっ!」

 大きく傾ぐ祥子さまの身体を、祐巳はあわてて支えた。

「お姉さま、私の肩に手を置いてください。それで、かかとを上げるのは片方ずつにしましょう」

「……そうね。わかったわ」

 やがて祐巳の両肩に、重みがかかった。こんな時なのに、こんなことが不思議に嬉しい。今、お姉さまの身体を支えているんだ、っていう実感と、それからお姉さまが信頼して体重を預けてくれていることと。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」99ページより)

 

ここのすさまじさ、おわかりいただけるかな~??

まず、「姉妹」の愛をですね、ニュートン力学的に、例のメカニカルな文体で処理しちゃってるわけです。はい。

「傾ぐ」ってワードがポイントですね。

これは前回の感想で引用した 祐巳ちゃんと祥子さまの衝突の場面でも出てきました。

つまり、あの衝突のシーンと対になってる場面なわけですね、これは。

さらに、ですね。

ここは90年代の女の子の買い物とはどのようなものであったのか?

という文化人類学的視線でもあるわけです。

 

まー「こんなの当たり前」とおもわれる方も多いかと思いますが……

今から50年後の読者を想像するとおもしろい。

「ははーん、20世紀末の女の子はこうやって買い物をしていたのか」

などという絶好の資料になるのではないでしょうか??

 

□□□□□□□□

えー、以上 感想でした。

ポイントは……

①メカニカルな文体

②「マリみて」は山田風太郎である。

③「マリみて」は文化人類学である。

 

で、結論は、

◎「マリア様がみてる」はものすごく

おっさんくさい構造をしている。

というわけです。

祐巳の曲がったタイ・マクガフィン(ヒッチコック)・〈対象a〉(ラカン)

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えー インテリ気取りの謎めいたタイトルですが――

 

けっきょく「マリみて」なんですわ(笑)……

 

いや、今回の記事はヒッチコックなのですが……(なにいってんだ)

 

◎福沢祐巳の曲がったタイ=マクガフィン=〈対象a〉

 

「マリア様がみてる」は日本文学史上に残る傑作であること。

今野緒雪先生もまた 大文豪であることを証明すべく――(本気です)

 

↑↑この高尚なる(笑)公式を証明したいので、

〈マクガフィン〉

〈対象a〉

に関して まず説明したいとおもいます。

 

……

……ん。

説明?

……いや、ジャック・ラカンは何冊か読んだのですが……

さっぱりわからず。

 

なので、スラヴォイ・ジジェクの説の「紹介」だな。

はい。「紹介」です。

 

□□□□□□□□

まず。ヒッチコック作品を語るうえで欠かせぬ用語……

・〈マクガフィン〉

ですが、

 

ヒッチコック×トリュフォーの「映画術」では このように説明されております。

 

ヒッチコック:そう、たしかに〈マクガフィン〉はひとつの〈手〉だ。仕掛けだ。しかし、これにはおもしろい由来がある。きみも知ってのとおり、ラディヤード・キプリングという小説家はインドやアフガニスタンの国境で現地人とたたかうイギリスの軍人の話ばかり書いていた。この種の冒険小説では、いつもきまってスパイが砦の地図を盗むことが話のポイントになる。この砦の地図を盗むことを〈マクガフィン〉と言ったんだよ。

つまり、冒険小説や活劇の用語で、密書とか重要書類を盗みだすことを言うんだ。

それ以上の意味はない。

だから、ヘンに理屈っぽいやつが〈マクガフィン〉の内容や真相を解明しようとしたところで、なにもありはしないんだよ。

――(中略)――

 ところで、この〈マクガフィン〉という言葉そのものの由来は何なのか。たぶんスコットランド人の名前から来ているんじゃないかと思う。こんなコントがあるんだよ。

ふたりの男が汽車のなかでこんな対話をかわした。

「棚のうえの荷物はなんだね」

とひとりがきくと、もうひとりが答えるには、

「ああ、あれか。あれはマクガフィンさ」

「マクガフィンだって? そりゃ、なんだね」

「高地地方(ハイランド)でライオンをつかまえる道具だよ」

「ライオンだって? 高地地方にはライオンなんかいないぞ」

すると、相手は、

「そうか、それじゃ、あれはマクガフィンじゃないな!」

と言ったというんだよ。

――(中略)――

トリュフォー:じつにおもしろいですね。ケッサクなアイデアですね……。まさにそれこそヒッチコック映画の妙味と言えます。

ヒッチコック:しかし、そんなわたしのやりかたに慣れてないシナリオライターと仕事をするときには、きまって、〈マクガフィン〉のことでもめるんだよ。相手は〈マクガフィン〉とは何かということにどうしても執着する。

なんでもないんだ、とわたしは言うんだよ。

 

たとえば、『三十九夜』だ。スパイたちの真の目的は何か。小指のない男の正体は? それに、映画の最初のほうで殺される若い女は何を求めていたのか。他人のアパートで背中を刺されて殺されるほどの重要な秘密をにぎっていたとしたら、それはいったい何なのか。

そんなことはどうでもいいんだよ。

わたしたちは映画をつくるんだからね。

プロットのための口実

が、大きくリアルになりすぎると、シナリオとしてはおもしろくても、映画としてはややこしくてわかりにくくなってしまう。

――(中略)――

トリュフォー:ヒッチコック映画の基本原理としての〈マクガフィン〉は、シリアスな意味がある必要はないどころか、

むしろデタラメでなんの意味もないほうがいい

ということですね――『バルカン超特急』のあのなんでもない小唄のメロディーみたいに。

ヒッチコック:そのとおりだ。『三十九夜』の〈マクガフィン〉というのは、要するに航空機のエンジンの製造に関する公式なわけだが、これはきちんと書式に記されたものではなく、

事実上存在しない。

(晶文社、ヒッチコック/トリュフォー「定本 映画術」125~126ページより)

 

以上、長々しく引用しましたが――

ようは映画のプロットを構成する出発点 それを〈マクガフィン〉といっているのですが、

それはなんでもいいし、逆に無意味ででたらめな方がいい。

というのです。

『三十九夜』(1935)の航空機エンジンの機密情報は、

それが戦車の情報だとしても爆弾の情報でも軍艦の情報でも 秘密基地の情報でも

国家元首のスキャンダル写真でもなんでもいいわけです。

 

たとえば次に画像を載せます

ケイリー・グラント/イングリッド・バーグマンの

『汚名』(1946)だと――

 

〈マクガフィン〉=ウラニウムの瓶 というわけです。

これまたヒッチコックに言わせると、たまたまウランだっただけで

ダイヤモンドだってなんだってよかった、ということになります。

 

(↑↑このショット……イングリッド・バーグマンのお胸をスクリーンにグラスの影が映ってますね。つくづくヘンタイですね、ヒッチコック)

 

またまた「定本 映画術」引用しますと――

ヒッチコックの案に納得しないプロデューサー相手の会話を回想しているのですが……

 

「ストーリーの土台ではなく、マクガフィンにするだけですよ」とわたしは言って、

マクガフィンというのは単にサスペンスのきっかけであり手口であって、すべてを単純にドラマチックにするための一種の口実であり仕掛けなんだから、全然気にする必要はないんだと説明してやったんだよ。

それでも納得してくれないから、

「ウラニウムがいやなら、ダイヤモンドにしましょう」とまで言ってやったんだよ。

(同書160ページより)

 

えー、以上、<マクガフィン>とは何か?

だいたいおわかりかとおもうので、

 

以下、スラヴォイ・ジジェクというおっさんの

<マクガフィン>=ジャック・ラカンの〈対象a〉

というはなしにうつります。

 

「ヒッチコック×ジジェク」という小難しい本の中で、ジジェク先生は

ヒッチコック映画の「対象」の三つの型を

①マクガフィン

②〈現実界〉の残滓・排泄物

③不可能な享楽の無言の具現化

とかわけのわからん分類をしているのですが――

 

ここは①マクガフィンだけみていきましょう。

 

(1)したがって最初はまずマクガフィンそのもの。

それは「まったく何でもないもの」であり、「空っぽの場所」であり、純粋な言い訳である。

その唯一の役割は物語を先に進めることである。『三十九夜』における戦闘機のエンジンの製法、『海外特派員』における海軍条約の秘密の条項、『バルカン超特急』における暗号のメロディ、『汚名』におけるウラニウムの瓶、等々。

これらは純粋な見かけである。

それ自体はまったく意味がなく、構造的必要性から、それ自体はまったく登場しない。

その重要性は純粋に自己反省的であり、他人にとって、つまり物語の主要登場人物にとってはきわめて重要だという事実の中にしか、その重要性はない。

(河出書房新社、スラヴォイ・ジジェク編「ヒッチコック×ジジェク」14~15ページより)

 

まあ、ヒッチコックによる解説を、かっこよく言いかえただけ、という感じですが――

 

さらに、ジジェク先生によると、

この〈マクガフィン〉ってやつは ジャック・ラカンがいう〈対象a〉なんだよ。というのです。

 

・マクガフィンは明らかに〈対象a〉、すなわち象徴的秩序の中心にある間隙であり、解釈という象徴的運動を起動する〈現実界〉の欠如・空無であり、説明・解釈されるべき〈謎〉の純粋な見せかけである。

(同書17~18ページより)

 

これだけだと〈対象a〉がさっぱりわからんので、

ジジェクおじさんの別の本を引用。

 

(わたくし、ジャック・ラカンの翻訳本を何冊か持っているので それを引用すればいいのですが

ご存知の方はご存知ですが、 ジャック・ラカン 本当の本当に意味不明なので それは不可能)

 

えんえん意味不明なことを書いているので ざっと読み流してください。

字を大きくしたところだけが重要なところですのでそこだけ読んでいただければよろし。

 

「快感原則」が躓く限界は快感原則の内部にあるのだ。この異物、すなわち「内的限界」に対するラカンの数学素はもちろん〈対象a〉である。〈対象a〉は「快感原則」の閉回路を中断し、その均衡のとれた運動を狂わせる。

――(中略)――

したがって踏み出すべき最後の一歩は、この内在的障害物をそのポジティブな次元において捉えることである。たしかに〈対象a〉は快感の円が閉じるのを妨げ、縮小不能な不快感を導入するが、心的装置はこの不快感そのものの中に、

つまり到達しえないもの、つねに失われているものの周りを永久に回り続けることに、倒錯的快感をおぼえる。

いうまでもなくこの「苦痛の中の快感」に対してラカンが与えた名前は享楽(jouissance)であり、どうしても対象に到達できないこの循環運動――この運動の真の目的は目標へといたる道程と合致する――が、フロイトのいう欲動である。

欲動の空間はこのように逆説的で曲がった空間なのである。〈対象a〉は空間内に存在する実在物ではなく、究極的には、空間そのもののもつある種の歪みに他ならない。

このゆがみのせいで、われわれはまっすぐに対象に到達しようとするとかならず曲がらなくてはならないのだ。ラカンが宮廷恋愛の逆説にあれほど魅了されたのは、この歪みのためである。貴婦人は欲望の空間を歪める逆説的な対象であり、自分へと至る道として、無限の迂回と試練を差し出す。より厳密にいえば、貴婦人それ自身は何者でもなく、

欲望の空間の歪みを体現している純粋な見かけにしかすぎない。

(筑摩書房、スラヴォイ・ジジェク著「汝の症候を楽しめ」84~85ページより)

 

まあ、わけのわからんことは一旦ほっときまして……

 

ヒッチコックに戻りまして――

「北北西に進路を取れ」(1959)ですがね――

 

ケイリー・グラントが演じる ロジャー・O・ソーンヒル という主人公は

アメリカ政府の防諜機関がでっちあげた不在の人物「ジョージ・カプラン」に間違われることで 物語が動くのですが……

 

食堂車での エヴァ・マリー・セイント との会話。

 

 

「真ん中のOは何なの?」

「ゼロさ」

 

まあ、おしゃれな会話の一種としてあるわけですけど、

はからずも

「ゼロの男(ソーンヒル)」が「ゼロの男(カプラン)」になる、というあたりを見事に表現しているわけです。

 

このゼロをめぐって アメリカ政府の機関(エヴァ・マリー・セイントはその一員)

敵国のスパイ(ジェームズ・メイスンたち) が物語をくり広げる。

 

ジジェク先生の小難しい用語でいうと、彼らは……

つまり到達しえないもの、つねに失われているものの周りを永久に回り続けることに、倒錯的快感をおぼえる。

これは観客たちも同様なのでしょう。

 

カプラン=〈対象a〉=

空間そのもののもつある種の歪み

 

というわけです。

 

空っぽの空間の歪みのまわりを

ケイリー・グラント エヴァ・マリー・セイント ジェームズ・メイスンはぐるぐる回り続けるわけです。

 

この O の話の直後――

 

エヴァ・マリー・セイントが自分のコンパートメントの番号を ケイリー・グラントに教えるところ

なんかエロエロな会話がありますが……

 

ヒッチコックファンにとって神聖なる 「39」が登場するあたり 芸が細かい。

(The 39 Steps 『三十九夜』) 

 

39+0+1

 

で、いろいろあってラスト、ラシュモア山のシーンで

『三十九夜』 のマデリン・キャロルの あのストッキングの脚の引用があり――

(エヴァ・マリー・セイントの脚を撮りたいがためにこのシーンがあるという気さえする)

 

ケイリー・グラントがもっているのは

機密情報のマイクロフィルムがはいった像……

 

もうおわかりですね。

例の〈マクガフィン〉=〈対象a〉です。

 

「0」の男が 空っぽの空間の歪みを持って

歪みまくった空間(ラシュモア山))を歩き回っている、という構図です。

 

「汝の症候を楽しめ」で、 ジジェク先生が 〈対象a〉をアインシュタインの理論にからめて解説しているんですが

理系の方にはこっちのほうがわかりやすいかもしれない。

 

相対性理論が達成した決定的な一歩については、誰もが知っている。すなわち、物が空間を「曲げる」「歪ませる」という理論から、われわれが「物」と呼んでいるものは空間の湾曲にしかすぎないという理論への一歩である。これと同じように考えれば、

〈対象a〉は純粋な形式である

というラカンの主張も理解することができよう。

〈対象a〉は、ポジティブな実体(たとえば宮廷恋愛における貴婦人)に見えるにもかかわらず、欲望の道を狂わせる湾曲のポジティブで物質的な原因などではなく、欲望の空間の歪んだ構造そのものが幻として現実化したものである。

そして、精神分析の認める唯一の「実体」(「物質」)は享楽であるから、享楽とは究極的に、快/不快の空間の純粋に形式的湾曲に他ならないといえる。この湾曲のせいで、われわれは不快そのものによって快感を得るのである。

(同書294ページより)

 

補足しておくと――

「重力」というものを ニュートンは「万有引力」…… 万物は引きつけあう。引力を持っている。 というのですが、

 

アインシュタインによると 「重力」=「空間の歪み」になるのです。

 

となると このポロポロと悪い連中が落っこちていくラシュモア山。

そしてケイリー・グラント&エヴァ・マリー・セイントのカップルも吸い込まれそうになるラシュモア山。

まるで巨大なブラックホール=空間の歪みに見えて来るから不思議です。

 

□□□□□□□□

以上。

ヒッチコックの〈マクガフィン〉=ラカンの〈対象a〉

というあたり、スラヴォイ・ジジェク先生の著書の受け売りを えんえん書き写しました。

 

次回。これを神聖なる「マリア様がみてる」に応用し、

福沢祐巳ちゃんの曲がったタイ=〈マクガフィン〉=〈対象a〉

であり、

小笠原祥子さまは 〈対象a〉=空っぽの空間の歪みに恋してしまったのだ、

というあたり見ていきたいと思います。

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