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今野緒雪「マリア様がみてる」感想 その3

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なんか、コバルト文庫について熱弁しております……

今回はレヴィ・ストロースとか引用しちゃいますよ。

 

□□□□□□□□

えー

前回。

〈マクガフィン〉〈対象a〉についてみていきましたので――

 

その3、その4で

◎福沢祐巳ちゃんの曲がったタイ=〈マクガフィン〉=〈対象a〉

この公式を確認していこうと思います。

なので、批評対象は 1巻目の「マリア様がみてる」が中心となります。

 

かっこいい表現で言いますと

「マリア様がみてる」のポストモダニズム的解釈

ということになりそうですが。

 

正確なことを言うと

一昔前の女子中学生みたいに

「マリみて」にはまってしまったトマス・ピンコ(昭和生まれ男子)が、

あまりの暑さにイカれて妄説を吐きだします。

ということになるのかもしれません。

 

①まずは冒頭のシーンの確認。そしてあらすじ。

 

「お待ちなさい」

 とある月曜日。

 銀杏並木の先にある二股の分かれ道で、祐巳は背後から呼び止められた。

 マリア像の目の前であったから、一瞬マリア様に呼び止められたのかと思った。そんな錯覚を与えるほど、凛とした、よく通る声だった。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」8ページより)

 

これが輝かしい冒頭の文章。

月・マリア様・「2」という女性原理をあらわす数――

それに加えて「銀杏」という 雄雌のある木……

とか、天才・今野緒雪先生、いろいろ詰めこんでますが、

ようするに祐巳ちゃんはリリアン女学園のスター 小笠原祥子さまに呼び止められたわけです。

 

 彼女は、手にしていた鞄を祐巳に差し出す。訳もわからず受け取ると、からになった両手を祐巳の首の後ろに回した。

 (きゃー‼)

 何が起こったのか一瞬わからず、祐巳は目を閉じて固く首をすくめた。

「タイが曲がっていてよ」

「えっ?」

 目を開けると、そこには依然として美しいお顔があった。何と彼女は、祐巳のタイを直していたのだ。

「身だしなみは、いつもきちんとね。マリア様が見ていらっしゃるわよ」

 そう言って、その人は祐巳から鞄を取り戻すと、「ごきげんよう」を残して先に校舎に向かって歩いていった。

 (あれは……あのお姿は……)

 後に残された祐巳は、状況がわかってくるに従って徐々に頭に血が上っていった。

 間違いない。

 二年松組、小笠原祥子さま。ちなみに出席番号は七番。通称『紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)』

(同書10~11ページより)

 

問題は、ですね。このシーンを写真部のエース、武嶋蔦子さんに撮られていたということ。

(というか、この人以外に写真部部員というのはいるのか??)

で、蔦子さん、

この写真が欲しかったら(祐巳は憧れの祥子さまとのツーショット写真が欲しい)

祥子さまに この写真を学園祭の写真部のコーナーで展示してよいか 許可をもらってきてくれ、といいます。

それが↑↑の挿絵のシーンになります。

 

で、蔦子&祐巳は 山百合会幹部の集う 薔薇の館へ。

そこで、「感想 その1」で触れました

メカニカルな文体による 祐巳ちゃん&祥子さまの衝突シーン、抱擁シーンとなりまして……

 

「今すぐ決めれば文句はないのでしょう? ですから私、この祐巳にします」

 祥子さまは、祐巳の肩を抱いてどうだとばかりに前面に押し出した。まるで、買ってもらったばかりのおもちゃをひけらかすように。

「あの……」

 問題の「さっきの話」の内容を知らない祐巳には、何のことだかさっぱりわからない。もしや、知らずにものすごいことに巻き込まれてしまったのではないだろうか。

 蔦子さんや志摩子さんに目で助けを求めてみたものの、首を横に振られてしまった。彼女たちだって祐巳と一緒に来たわけだから、この事態を把握しきれるはずもなかった。

「それ、って。もしかしてドアを出る直前に叫いて(わめいて)いた捨て台詞?」

 三人の薔薇さまたちは、探るように祥子さまを見た。

「もちろん」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、祥子さまはそのまま流暢に、その場にいた全員の度肝を抜くような言葉を発した。

 私は、今ここに福沢祐巳を妹(プティ・スール)とすることを宣言いたします、と。

(同書46~47ページより)

 

ですが、祐巳ちゃんは妹になることを拒否。

すると、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)から次のような「ゲーム」の提案がなされる、というわけです。

このあたりは「感想 その2」でみました。

 

・ゲーム

小笠原祥子は学園祭前日までに 福沢祐巳を「妹」にすることができれば シンデレラを演じなくてよい。

小笠原祥子は学園祭前日までに 福沢祐巳を「妹」にすることができなければ シンデレラを演じなくてはならない。

(祥子さまは諸事情あって 学園祭の劇の主演を嫌がっていらっしゃるのです)

というわけです。

 

「一度は断られたあなた。学園祭前日までにロザリオを受け取らせるのは至難の業よ? それができたのなら、その時点でシンデレラを降りていいことにしましょう。その代わり、それまでは主役としてちゃんと練習に参加するのよ」

「なるほど。花寺の生徒会長と手をつなぎたくなければ、一日でも早く祐巳を落としなさい、というわけですわね?」

「その通り。我々は何も手を出さないわ。勝敗はあなたの努力次第。条件的にも悪くはないんじゃないかしら?」

「やりがいがあること」

 祥子さまは勝ち気にほほえんだ。

(同書83~84ページより)

 

しかし、ですね。

小笠原祥子さまは「ゲーム」には敗れます。

(学園祭前日までに 祐巳を「妹」にはできなかった。というか、しなかった)

で、いやがっていた花寺学院の生徒会長

(じつは従兄で、かつ、婚約者。だが、祥子さまは婚約解消したがっている)

と、一緒に学園祭の劇の主役を演じ切ります。

 

しかし、しかぁーし……学園祭の後夜祭にて、

 

「これ、祐巳の首にかけてもいい?」

 それはいつか見た、祥子さまのロザリオだった。

「だって、昨日はくれないって――」

 祐巳が言いかけると、祥子さまは「当たり前でしょう?」と遮った。

「シンデレラを交代してくれようとしているあなたに、ロザリオを受け取ってもらっても嬉しくなんかないわ」

「え、それじゃ……」

「賭けとか同情とか、そんなものはなしよ。これは神聖な儀式なんだから」

(同書247ページより)

 

 二人は互いに手を取り合った。

 リード合奏に合わせて、生徒たちは歌い始めたようだった。やさしい天使の歌声をバックに、ワルツのステップを踏む。

 冷たい空気がおいしくて、肌に気持ちいい。

 月明りの中、いつまでも踊り続けられるような気がした。

 

 祐巳が紅薔薇のつぼみの妹(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン プティ・スール)となった夜。

 

 月と、マリア様だけが二人を見ていた。

(同書249ページより)

 

とまあ、涙涙のエンディングになるわけです。

徹底的に女性原理……月・マリア様 そして数字の「2」で構成されているあたりもポイント。

(祐巳の髪型がツインテールである理由もそこなのか?)

 

②ゲームと儀礼。山百合会の構造の危機。

 

どうも、「マリア様がみてる」の最小公約数は

「ゲーム」と「儀礼(儀式)」であるようなのです。

 

つまり、小笠原祥子さまは 例の山田風太郎風の「ゲーム」には敗れたのですが、

福沢祐巳を妹にする という「儀礼(儀式)」は成功させているわけです。

 

ゲームと儀礼に関して 泣く子も黙るクロード・レヴィ・ストロース先生はこのようなことを書いていらっしゃいます。

ちと長いですが……

ここでいう「ゲーム」は スポーツイベントとかと考えていただいてよいです。

サッカーのW杯とかオリンピックとかプロ野球とか。

「儀礼」は原始部族の儀礼とか

現代社会にも残る宗教的な儀式とかを考えればよいと思います。

 

……ゲームの場合、相称性は先定されている。したがってそれは構造的である。なぜなら、どちら側にとっても規則は同じだという原則から相称性が出ているからである。非相称性は作り出される。意図に発する出来事であれ、運に属する出来事であれ、才能にもとづく出来事であれ、いずれにしても出来事の偶然性から不可避的に生じるものである。儀礼の場合は逆になる。聖と俗、信者と祭儀執行者、死者と生者、イニシエーションを受けた者と受けない者などのあいだに非相称性があらかじめ設定されるか要請され、それから「演技」が出来事を用いて参加者全員を勝者の側に入れてしまう。それらの出来事の性質と配列はまことに構造的な性格をもっている。科学(ここでもまた、思惟的な面において、または実際的な面において)と同じく、ゲームは構造から出来事を作り出す。したがって競技が現在の工業社会において盛んであることは理解できる。それに対して儀礼と神話は器用仕事(ブリコラージュ)(工業社会はこれをもはや「ホビー」もしくは暇つぶしとしてしか許容しない)と同様に、出来事の集合を(心的面、社会・歴史的面、工作面において)分解したり組み立てなおしたりし、また破壊し難い部品としてそれらを使用して、交互に目的となり手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。

(みすず書房、クロード・レヴィ・ストロース「野生の思考」40~41ページより)

 

難しいですが、前回のジジェク/ラカンほどは意味不明ではないとおもいます。

整理すると

・ゲーム

相称的

構造的

構造から出来事へ 相称性から非相称性へ

 

・儀礼

非相称的

非構造的

出来事から構造へ 非相称性から相称性へ

 

ということになろうかとおもいます。

つまり 小笠原祥子さまは 祐巳を妹にするという「儀礼(儀式)」を通じて

ある、崩壊しようとしていた「構造」を回復しようと試みた。

――新たな「構造」を生み出そうとしていた、ということになります。

 

ではその「構造」とは何なのか?

それは「山百合会」(リリアン女学園高等部の生徒会)の「構造」なのです。

 

□□□□□□□□

「山百合会」の構造、ですが……

 

冒頭の「曲がったタイ」のエピソードの次に語られるのは

祐巳と同級生の桂さんの会話。

同じクラスの 「超美人」藤堂志摩子さんが白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の妹……

白薔薇のつぼみ(ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン)になったという話題。

しかも志摩子さんは 祥子さまの申し込みを断って 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の妹になったという。

 

このあたり、エクセルでちゃっちゃと表を作って整理しますと、ね。

もともとは山百合会はこういう「構造」だったんですわ。

(白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が志摩子さんを妹にする前。1巻目冒頭より前)

 

こうみると、リリアン女学園高等部の「山百合会」って結構不安定な構造をしていることが一目瞭然です。

 

状態1

ね? フルメンバーだと9人なので、

33%欠員しているわけです。不安定な「構造」

それが 1年生の志摩子さんが加わって

 

状態2

これが「マリア様がみてる」冒頭の状況、といえるでしょう。

これで22%欠員。まだ「不安定」

一番プライドの高い 2年生小笠原祥子さまに「妹」がいない、という状況。

 

で、これに新たな1年生祐巳ちゃんが加わります。

状態3

 

これが1巻目終了時の状態。

で、この状態が3年生の薔薇さまがたの卒業まで続きます。

(まあ、途中「黄薔薇革命」で一瞬 令-由乃のカップルが崩壊するのですが)

 

えーと、なんの話でしたっけ。

そうそう、

◎祥子さまが祐巳ちゃんの首にロザリオをかけるのは

山百合会の構造崩壊を防ぐための儀礼・儀式である。

ということです。

 

小笠原祥子は福沢祐巳を妹にすることで、山百合会の構造の危機を救ったわけ、です。

(当然、妹がいない、という自らの危機も救う)

 

□□□□□□□□

 

このあたり、「こじつけじゃないの?」とおもわれるといけないので――

二点補足しておきます。

今野緒雪先生はもちろん、作中の登場人物たちも 山百合会の「構造」にはきわめて意識的なのです。

 

一点目。

リリアンの学園祭で 二年桜組はカレー屋さんをするそうで……

で、そのカレーを薔薇の館に差し入れにくる場面があります。

 

「どうぞ」

 桜亭と書かれたピンクのエプロンドレスを着た生徒三人が、ラーメン屋さんの出前で使うみたいな箱からそれぞれ三つずつお皿を取りだしてテーブルに置いた。

「あれ。一つ多い」

 彼女たちは首を傾げた。八人に対してお皿は九つ。

「誰よ。三かける三なんて言ったの」

「あ、そうか白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)のところは二年生がいないんだ」

 コソコソと話しているけれど丸聞こえだった。すでに当たり前のように、祐巳は数に含まれているらしい。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」163~164ページより)

 

はい。9人というフルメンバーだと思ったのですが、じっさいは8人。

というか、正確にいうとまだ祐巳はメンバーではないので 山百合会のメンバーは7人。 というわけのわからん状況を示しています。

「構造」の混乱を描写しております。

 

二点目。

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さまと 藤堂志摩子さんのカップルなんですけど――

もし、ですよ。

志摩子さんが祥子さまとくっついていたら、こうなります。

 

みんな大好き 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がひとりぼっちという状況。

 

だが、じっさいは上にみました――

 

こうなったわけです。

なぜ、志摩子さんは白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の妹になったのか?

 

志摩子さんにしろ聖さまにしろ、いろいろそのあたりの事情を語っているんですけど。

 

祐巳ちゃんと白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の会話……

「志摩子さんは、相手に求めているものが近いからって言ってました」

「うん、そうね。それも一つあるかな。私たちはどこか似ていて、相手との距離の取り方がよくわかるからね。一緒にいて楽なのよ」

(同書141ページより)

 

それから、「いとしき歳月(後編)」で語られる 二人の出会い。

「あ……」

 その時、二人とも初めて認知したのだ。

 髪といわず制服といわず、白い花びらをまとった少女がこちらを不思議そうに見つめているのを。

 しかし、それにしても何ということだろう。

 白い少女は、まるで鏡に映った自分のようではないか。

 風の収まった桜の木々の中で、チラチラと染井吉野の花びらが小雨のように降る中。しばらく、二人は無言で向かい合っていた。

 

 それが、佐藤聖と藤堂志摩子の出会いだった。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる いとしき歳月(後編)」146~147ページより)

 

ようは……白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)と小笠原祥子さま、二人に同時に誘われてしまったとき、

志摩子さんが考えたのは

「距離」そして「鏡」だったのでしょう。

つまり表でいうところの……

 

この赤丸の空隙が欲しかったのです。

祥子さまの妹になってしまうとこの「空隙」がなくなってしまいます。

 

志摩子さんが 祥子さまとの仲について どこかパズルみたいなことをいうのは……

 

「私の時は、何となく予感があったと思うの。祥子さまだって、私を妹と仮定してみたことがあったでしょうから、しっくりはまらないことくらいわかっていたのよ」

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」97ページより)

 

しっくりはまらない――

ようは志摩子さんは 上の表の空欄のどこにはまるのか? どこにははまらないのか?

そのことをいっているようです。

あくまで「構造」をメインに思考しているようなのです。

 

んー長くなったので今回はここまで。

ようは

山百合会の不安定構造=祐巳ちゃんの曲がったタイ=〈対象a〉

ということをいいたいわけですが……

 

つづく。


今野緒雪「マリア様がみてる」感想 その4

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今回こそ、

◎福沢祐巳ちゃんの曲がったタイ=〈マクガフィン〉=〈対象a〉

なる公式を証明(?)していきたいと思います。

 

――というか、こんな意味不明な論考、いったい誰が読むのかね? という感じですが。

 

……ま、そうね。

夏休みに読書感想文を書かなきゃいけない、そこの君。

トマスお兄さんのブログ記事を丸写しにして先生に怒られましょう!!

 

□□□□□□□□

 

ようは、ですね。前回の記事をまとめますと、

「マリア様がみてる」の基本パターンというのは

 

山百合会の「構造」の危機を、儀礼(儀式)によって救う。

これにつきるわけです、はい。

(いつだったか、山田風太郎風の「ゲーム」とかいったのは忘れてください。

「ゲーム」ではなくて、「儀礼・儀式」が正解でした)

 

あたかも クロード・レヴィ・ストロースの分析する未開部族のように

リリアン女学園の可憐な生徒たちは ロザリオ授受の儀式によって自分たちの危機を救うわけです。

2巻目以降、

「黄薔薇革命」も 「いばらの森」も 「ロサ・カニーナ」も 全部基本パターンは一緒です。

 

――しかし、そのことと祐巳の曲がったタイはどう関係があるのか?

 

③黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)の美しいタイ

 

そこで注目したいのが どっちかというと地味めなキャラ。 

黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)・鳥居江利子さま なわけです。

 

黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)というとなによりも……美しいタイ……

 

 

 一テンポ遅れて、呼ばれたその人は図書館の前でゆっくりと振り返った。セミロングの髪を、ヘアバンドでサラサラとまとめたいつものヘアスタイル。セーラーカラーの襟の延長線上にあるタイの結び方は、全校一美しい形と定評がある、彼女こそ黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)その人である。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 黄薔薇革命」53ページより)

 

この「全校一美しい形」のタイ、に引っかかっている読者はあんがい多いんじゃないかという気がする。

だって、 リリアン女学園一の美女といや、小笠原祥子さま。

あと美人というと、藤堂志摩子さん。

黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)も美人なのだろうが、このツートップにはかなわない、でしょう?

 

なぜ、祥子さまのタイは美しい……あるいは志摩子さまのタイは美しい、とならないのか?

なぜ、「全校一美しい形」のタイの持ち主は

「黄薔薇まっしぐら」でだけ目立つ、あの鳥居江利子さま、なのか?

 

この謎は、ですね。

前回出しました、この表に隠れておるんですわ。

 

↓↓これは「マリア様がみてる」1巻目 冒頭の山百合会のメンバー表です。

はい。

黄薔薇ファミリーだけ3人そろっている。

このことは……1巻目の冒頭近く、桂さんのセリフで、

 

「時に、黄薔薇(ロサ・フェティダ)は?」

「黄薔薇は三年二年一年、すべて安泰じゃない」

「そうよね」

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」17ページより)

 

たえず危機にさらされている山百合会の中で、

黄薔薇だけは「安泰」――そう強調されています。

 

つまり、ですね、

・全校一美しいタイ=安定「構造」のシンボル

なんじゃなかろうか、と思えてならんのですよ。はい。

 

となると、ですね。

黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)と主人公の福沢祐巳ちゃん。この二人がなにもかも正反対であるところにも注目したくなるわけです。

 

二人の特徴を書き出してみましょうか。

 

〇黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)

・全校一美しいタイ

・ヘアバンドでまとめたサラサラの髪

・たえずつまらなそうな表情をしている。

・年の離れた兄が3人いる。

・妊娠疑惑。援助交際疑惑が生じる。

(両方とも事実無根であった。

妊娠→親知らずを抜くので入院

援助交際→妹離れできない兄たちとデートをしていた)

 

〇福沢祐巳

・曲がったタイ

・リボンでまとめた癖っ毛

・たえず変化する百面相

・年子の弟が1人いる。

・男の人と女の人のことって、できれば避けて通りたい。

 

とくに「髪の毛」は注目したいところ……

祐巳ちゃんは、ですね、

 

(トマス注:以下、祐巳の心理描写。志摩子さんと自分の比較)

 これなら、祥子さまと白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が取り合いもするよなぁ。だって、一緒に並んで歩きたくなるようなタイプだもん。色白で、やわらかそうな茶色の巻き毛で。

 それに引き替え、同じ天パーでも祐巳のはただの癖っ毛。跳ね放題の剛毛を二つに分けて、どうにかこうにかリボンで押さえているのだ。――片や綿菓子、片やサバンナの野生動物。

(同書35ページより)

 

なんかすごい描写ですけど、

これって、山口昌男先生の「謡曲『蝉丸』と天皇制」なる分析を思い出しちゃったりするのだよなぁ――

「蝉丸」っていう お能の演目に 「逆髪(さかがみ)」という狂気の皇女が登場するらしいのですが……

 

延喜帝の第三子(つまり蝉丸の姉)逆髪は、狂気の果てに辺土遠郷を放浪している。彼女の髪は逆さに突っ立って、撫でても下がることはない。

(岩波現代文庫、山口昌男著「天皇制の文化人類学」55ページより)

 

「逆髪」=中世版の福沢祐巳…… いや、現代版「逆髪」=福沢祐巳

この逆髪、山口先生によれば

「価値の転倒」「さかしまの哲学」といったものを担った人物らしい……

 

こうした「順逆一如論」は、逆髪個人に投影されて「我は皇子なれども庶人に下り、髪は身上より生ひ上つて星霜を載く」という表現により、肉体という小宇宙におけるさかしまの論理と、王権の中のさかしまの論理が宇宙論的なさかしまの論理と重ね合わせられる。

(同書67ページより)

 

福沢祐巳→逆髪=さかしまの論理。

そうです。

・黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)=全校一美しいタイ=安定「構造」のシンボル

・福沢祐巳=曲がったタイ=反「構造」(さかしま)のシンボル

こうみてもよいのではないでしょうか?

 

④過剰な祥子さま

んで、

結論から先にいいますと――

祥子さまが 反「構造」の祐巳ちゃんに惹かれたのは

祥子さまご自身もやっぱし 反「構造」の人であったから。

と、まあそういうことになります。

 

とにかく、小笠原祥子さま、というとなにもかもが「過剰」……

安定「構造」からはみ出すはみ出す……

 

(トマス注:蔦子さんのセリフ)

「あの方はね。本来、気高く寛容なお方なの。ただし、ご自分の美意識に反する行為に関してだけは、断じて許されない。生まれながらのお姫さまだからね。あの方の中には、あの方独自の法があるのよ」

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」29ページより)

 

 しかし、今から訪ねる小笠原祥子さまは、そんじょそこらのお嬢さまとは格が違った。百貨店やレジャー施設など幅広く経営する小笠原グループの会長の孫娘で、母の実家は元華族という、家柄も正しいお姫さまなのだ。

(同書32ページより)

 

まあ、ここまではよくあるキャラクターかもしれない。

が、祥子さまが独特なのは、婚約者・柏木さんの存在だろう。

以下、祥子さまのセリフ。

 

「婚約者っていっても、お決まりの『親同士が決めた』よ。まったく、これ以上血を濃くしてどうするつもりかしら」

――(中略)――

「あの人……、優さん、悪い人じゃないのよ。ただ、自分本位で、そのこと本人はまるで自覚がないの。他人の気持ち全然理解できないし、それ以前に考えようとしない。だから誰かを傷つけてもどうして傷ついたかわからないし、自分のせいだなんて思いもしないの。うちの家系の男って、全部そう」

(同書228~229ページより)

 

ポイントは「血を濃くして」「うちの家系の男」

彼女は柏木さんのキャラクターと同時に

「近親相姦」を嫌がっている

のです。

しかし、さすがの祥子さまも高校二年生の女の子なわけです。親の命令は絶対……

彼女は「近親相姦」を運命づけられている。

(別に、いとこ同士の結婚は「近親相姦」だ。と主張したいわけではなく、

祥子さま自身はこの婚約を「近親相姦」だと認識している、というはなしです。

それから柏木さんは同性愛者なので、そういう関係にはならんだろう、というもっともな反論もおありかとおもいますが、

ここでみたいのは 「祥子さま」というキャラクターに「近親相姦」というしるし付けがなされている、という点です)

 

「近親相姦」というと、これ以上の反「構造」はありえません。

こまったときのレヴィ・ストロース先生。

 

 われわれが定義したような親族の基本単位の本源的で還元不可能な性格は、実は世界のどこでも例外なしにまもられている近親相姦の禁止の直接の結果である。近親相姦の禁止とは、人間社会において、男が女を獲得するには、これを別の男から得るよりなく、後者は女を娘なり姉妹なりの形で前者に譲り渡すということである。

(みすず書房、クロード・レヴィ・ストロース著「構造人類学」53ページより)

 

 

同じクラスの蔦子さん、志摩子さんが

祐巳&祥子はいいカップルになるかもしれない、という予感を語るのは――

 

「ウマがあいそうじゃない? あなたと祥子さま」

 もう、蔦子さんの思考回路、さっぱりわからない。

「何を根拠に?」

「根拠? 根拠なんてないわ。こういうものは、勘よ。直感」

 下級生のタイごときに関わるようなお方でない祥子さまが、今朝に限って声をかけて注意したばかりか、自らの手で結び直したというのは快挙である。蔦子さんはそう力説した。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」29~30ページより)

 

後方の扉を開けながら、志摩子さんは言った。

「もしかしたら、祐巳さんは祥子さまと合うかもしれないわね」

(同書98ページより)

 

二人に共通する反「構造」の匂いをかぎとっていたからに違いありません。

 

(さらに、余計なことを書いてしまいますと、

祥子さまはなにかというと 祐巳ちゃんのタイや髪のリボンを直しますが……

上記のように

「曲がったタイ」「リボンでまとめた癖っ毛」

は、反「構造」のシンボル。

 

タイやリボンを直す行為は、姉妹のスキンシップという意味よりもむしろ、

ナルシスティックな行為なのかもしれません。)

 

⑤キーワード「傾ぐ」

 

しかし、「曲がったタイ」だの「癖っ毛」だの 「近親相姦」だのだけで 小説は書けるものではなく、

また、読者もおもしろくもなんとも感じないわけで……

そんなこと天才・今野緒雪先生は 百も承知。

様々な工夫を作中にちりばめてあります。

 

それが重要な場面に なぜか必ず登場するワード 「傾ぐ」(かしぐ)なわけです。

このことは感想その1 その2 でもメカニカルな文体、ということでちらっと紹介しましたが……

 

まずは祐巳ちゃんと祥子さまの激突シーン。

曲がったタイを直された、その次。2回目の接触です。

 

 人が飛び出してきたと思った瞬間、祐巳は身体の前面に軽い衝撃を受けた。次いで視界が傾ぎ天井が回って、その後すぐにお尻に激痛が走った。

(同書39ページより)

 

視界が傾ぎ……「傾ぎ」……この、中学生にはふりがなを振らないと読めないようなワードが

6巻目、祐巳ちゃんと祥子さまの輝かしき初デートの場面で使われるというのは ただ事ではない、わけです。

今野先生にとっては重要ワードに違いない。

 

以下、その2で引用しましたが、ジーンズショップの試着室の場面。

 

「踏んづけているかかとを、一旦上げてください」

「ええ……こう?」

 ぐらり。

「あっ!」

 大きく傾ぐ祥子さまの身体を、祐巳はあわてて支えた。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」99ページより)

 

そうおもって 1巻目「マリア様がみてる」をきちんと読み直しますと、ね。

けっこう出て来るんですわ。「傾ぐ」「傾く」

 

(トマス注:蔦子さんが撮影した 祐巳の曲がったタイを直す祥子の写真をみて)

 祥子さまは写真を手にすると、まず小さく首を傾げ、そのままゆっくりと祐巳の方に顔を向けた。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」65ページより)

 

「ごきげんよう。気をつけてお帰りなさい」

 言いたいことだけ言うと、ニッコリとほほえんで、祥子さまは校舎側に去っていった。

「何か、格好いいね」

 後ろ姿を見送りながら、蔦子さんがつぶやいた。

 祐巳もその時、自分の心がグラリと傾きかけたことが確かにわかった。

(同書87ページより)

 

(トマス注:これも前に引用しましたが、学園祭でカレー屋をひらく二年桜組が、薔薇の館にカレーを差し入れに来た場面)

「あれ。一つ多い」

 彼女たちは首を傾げた。八人に対してお皿は九つ。

「誰よ。三かける三なんて言ったの」

「あ、そうか。白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)のところは二年生がいないんだ」

(同書164ページより)

 

といった具合。どうもね。

「傾ぐ」=心のゆらぎ=「構造」のゆらぎ

という気がしてなりません。

これがたまたまじゃない、というのはですね。

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)との抱擁シーンをみるとよくわかるんですわ。

 

なにかというと祐巳ちゃんを抱きしめる白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)

高校卒業後、大学生になっても抱きしめ続けるのですが……

その記念すべき初・抱擁シーンは――

 

「それはね!」

 そう言ったかと思うと、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は突然祐巳をギュッと抱きしめた。

「祐巳ちゃんの可愛い百面相が見たいからかな」

「ちょっ……、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)‼」

 コーヒーがこぼれそうなんですけれど。

 いや、そんなことより。白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がどういうつもりか知らないが、こんなところを誰かに見られたりしたら、ますます話が複雑にこんがらがって大変なことになるんじゃないか。

 しかし、そういう時に限って、何があれするわけで。

 ティーカップを水平に保ちながら逃れようとジタバタしていると、フッと身体が楽になった。

(同書141~142ページより)

 

イチャイチャしているんですが、

あくまで「水平」なんです。

「傾く」の逆……真逆なんです。

言葉のチョイスが的確すぎます! 今野先生。

 

⑥サファイアの違和感→壊れかけた温室。

 

確認しておきたいのですが、

反「構造」といったところで、祥子さま&祐巳のカップルが

「反逆」とか「破壊」とか「革命」とか そういうハードな反「構造」を志向しているわけではないのです。

(「黄薔薇革命」のヒロイン、島津由乃ちゃんはそうなのかもしれんのですが)

 

彼らが志向している、惹かれているのは

微妙な傾き。

です。

 

祐巳ちゃんの剛毛は、お能の逆髪みたいに完全に突っ立っているわけではない。

リボンでむりやりおさえこんでいるわけです。

祥子さまの「近親相姦」要素にしたって、実際にそれをやっているわけではなくて

親によって強引に取り決められている。さらに柏木さんは同性愛者という事実で弱められている。

そして「祐巳の曲がったタイ」にしたって、

完全にだらしなく曲がっていたわけではないようなので。

あくまで微妙な曲がり具合が なぜか祥子さまの心を打ったように書かれている。

そのあたりは

 

「ただタイが曲がっていたくらいで、祥子さまが直してくれるなら、リリアンの生徒全員がタイをほどいて歩くわよ」

 蔦子さんはズバリと言い切った。

「まさか」

「実際、私はそういう計算ずくの一年生を見たことがあるのだ」

(同書27ページより)

 

計算ずくの一年生を待っていたもの――

それは「冷ややかな一瞥。そして無視」(28ページ) だったそうなのです。

しかし、なぜか 祐巳の曲がったタイを祥子さまはやさしく直した。

 

このあたりの「微妙さ」を見事に描き切っているのが――

今野先生ほんと天才だと思うのですが……

「サファイア」「壊れかけた温室」の組み合わせ、なのです。

 

 マリア様の心は、青空であり、樫の木であり、ウグイスであり、山百合であり、そしてサファイアなのである。それは、幼稚舎に入ってまず最初に覚えさせられる歌にあった。

(しかし、どうしてサファイアなんだ……?)

 子供心に不思議に思い、未だにそれは引きずっている。青空、樫の木、ウグイス、山百合ときて、なぜサファイアなのか、と。

 マリア様のお心を美しいものに喩えているのだろうけれど、宝石という俗物的な物を空や動植物と同列に並べることにどうしても違和感を覚えた。それにサファイアは高価な物だから、青空を見上げるくらい同等に誰もが平等に身を飾ることなどできないと思ったのだ。

(でも、祥子さまクラスのお嬢さまなら、サファイアに違和感なんか感じないんだろうな)

(同書32ページより)

 

「マリア様の心」という作中よく登場する歌に

(今12巻目の「子羊たちの休暇」を読んでるのですが、やはりラスト近く登場する)

違和感を感じる祐巳。 サファイアはおかしいだろう。と。

 

本論考の用語でいえば 祐巳はサファイアの中に

反「構造」・「傾ぐ」・「構造」のゆらぎ……等々を感じ取っているわけです。

そして サファイアに何かを感じるのは 祥子さまも同様であった。

 

婚約者・柏木さんが作中に初登場するその直後の描写――

 

「それにしても、何でサファイアなのかしらね」

「えっ?」

違和感があると思わない?

 祥子さまはニッコリと笑うと、呆然と立ちつくす祐巳を置いてさっさと中に入っていってしまった。

「……祥子さま」

 もう少し待ってくれればいいのに、と思った。せめて、祐巳が答えを返せるくらいの時間。

 でも残念ながら祥子さまは振り返ることもなく、体育館で待つ仲間たちの輪の中に紛れてしまったのだった。

(同書192ページより)

 

この「サファイア」は 例の「壊れかけた温室」と同価値なのではあるまいか?

温室、というと、のちのち 「黄薔薇革命」でも「ウァレンティーヌスの贈り物(前編)」でも大活躍の舞台ですが……

1巻目でも、もちろん、

 

 ただ、側にいるだけ。それだけで、本当にいいのだろうか。そう思った時。

「いて」

 祥子さまがつぶやいた。

「ここにいて」

 そして、祐巳の右肩にそっとやわらかい重みがかかった。祥子さまが額をつけて泣いているのだとわかるまで、少し時間がかかった。

(同書227ページより)

 

祥子&祐巳のカップルの仲が決定的になるわけですけど――

この温室は「壊れかけ」でなければ絶対にいけないのです! 絶対にそうです!!

 

 古くて所々壊れているので、生徒たちもほとんど来ない。それでも取り壊されずにいるのは、毎年必ず数人はいる熱狂的なファンが保存を訴えるためと、敷地に余裕があるので急いで壊す必要に迫られていないからであった。

(同書225~226ページより)

 

ようはこの温室

「文明」と「自然」の境界線上に位置しているわけです。

完全に人間たちの管理下にあるわけではなく、といって、完全に「自然」に帰ってしまったわけでもない。

微妙な中間点にいる。

はい。

これ、サファイアも同じなんですわ。

「宝石という俗物的な物を空や動植物と同列に並べることにどうしても違和感を覚えた」

完全に「自然」というわけではなく、

しかし鉱物の一種ですから、まあ、「自然」のようでもある。

といって完全に「文明」の側に属しているものでもなく……

 

はい。

サファイア=壊れかけた温室=微妙な傾き。

この微妙な反「構造」が 祥子&祐巳を結びつけるのです。

 

⑦ようやく結論。

 

で、ようやくわれわれは ジジェクおじさんのヒッチコック分析に戻ってくるわけです。

 

例の〈マクガフィン〉=〈対象a〉

「北北西に進路を取れ」の ロジャー・O・ソーンヒル

R・O・T

まんなかの O→ゼロ をめぐって物語は展開する。

 

 

〈対象a〉は空間内に存在する実在物ではなく、究極的には、空間そのもののもつある種の歪みに他ならない。

(筑摩書房、スラヴォイ・ジジェク著「汝の症候を楽しめ」85ページより)

 

〈対象a〉は、ポジティブな実体(たとえば宮廷恋愛における貴婦人)に見えるにもかかわらず、欲望の道を狂わせる湾曲のポジティブで物質的な原因などではなく、欲望の空間の歪んだ構造そのものが幻として現実化したものである。

(同書294ページより)

 

祥子&祐巳を結びつけるのも やっぱりなんらかの「実在物」「物質」ではないのです。

「ゼロ」「空間の歪み」なのです。

 

この微妙さを表現するワードが

「傾ぐ」

であり、モチーフとしては

「サファイア」「壊れかけた温室」

なわけです。

 

はい、いいかげん結論を書いてしまいましょう。

 

◎福沢祐巳ちゃんの曲がったタイ=〈マクガフィン〉=〈対象a〉

 

もうおわかりですね。

小笠原祥子&福沢祐巳 なるカップル・姉妹を支えるものは

じつに微妙な「空間」「構造」の歪みなのです。

 

それは実在するものではなくて、

ゼロです。幻です。

でも、、幻でいいのです。

 

12巻目「子羊たちの休暇」にこんなものすごいシーンが存在しますが……

 

「おはよう」

 祥子さまはいつものように手を祐巳の胸もと附近に伸ばしたが、そこにタイがないことにきづいて、襟なしで乱れようもない襟刳りをそっと撫でてほほえんだ。

「おはようございます」

 挨拶がいつもの「ごきげんよう」じゃないのは、学校でないせいだろうか。それとも、今が本当に早い時間だからだろうか。でも、そのちょっとした違和感は嫌いじゃない。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 子羊たちの休暇」66ページより)

 

夏休み。小笠原家の別荘に招待された祐巳、

M駅で祥子さまと待ち合わせをするのですが、夏休みなので当然制服ではありません。

もちろん、「タイ」は存在しない。

 

それにもかかわらず、祥子さまは祐巳ちゃんの胸元に手をのばす。

でもいいのです。

祥子さまは空間の歪みに恋をしているのだから――

ゆりたんのすべて その76 ZEISS DISTAGON T* 2/25

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9月に ちょっと旅行に行きたい ということもあり……

 

あー……

我慢ができず……

きゃー……

 

もう1本 カールツァイスのレンズを買ってしまいまして――……

(コシナ・ツァイスというべきか)

 

Distagon T* 2/25mm ZF.2  

 

ディスタゴンです。はい。広角です。

 

28とか35とかならわかるが……

25㎜って、中途半端な数なんだよ!

というあなた、正解。

 

日本のカメラメーカーにそんな焦点距離のラインナップはないですよね。

一体何なんでしょうね。ツァイス伝統の焦点距離「25㎜」って??

買っておいていうのはなんだが、

やっぱり気持ち悪い数字だ。

(カメラマニアしかわからないでしょうなぁ……)

 

まあ、

詳しいレビューめいたものはそのうち書くかもしれんですが、

 

まずは、

ゆり坊相手に試し打ちですわ。

 

f/2 絞り開放で撮った時の感じ ↑↑ が、

Makro-Planar T*2/50 にそっくりな気がしまして、

やっぱりツァイスだなー と思いました次第。

 

だが、「そっくり」の中身は、というと

・周辺光量落ち

・コントラストが妙……というか、キツイというか……ヘンテコというか……

というものなので、

これは万人受けはしないでしょうなー

 

もちろんオートフォーカス機能なんて 洒落たものついてませんからね。

 

「そっくり」ということでいうと、

・ディスタゴン25㎜→重量600g フィルター径φ67㎜

・マクロプラナー50㎜→重量510g フィルター径φ67㎜

なので、

 

モノとしてもなんか似てます。この二人。

 

↑f/2

 

しかし、明るい場所で撮れば それほど周辺光量落ちもしないようです。当たり前か?

 

↑f/5.6

 

というか、本来 この広角レンズ買った目的は 「建築」「風景」ですので

さっさと外出して いろいろ撮ればよいのですが……

 

「マリみて」を読むのに忙しく、いまのところあまり余裕がありません。

 

□□□□□□□□

以下、マクロプラナー50㎜ の画像をのせます。

 

ゆりですが、

「なかなか夏毛にならない」「夏毛にならない」

とやきもきしていたのですが、

 

ようやく最近になって 盛大に毛が抜けるようになりました。

 

どうも今年の夏の暑さは 動物のリズムからみても狂っているのではないでしょうか?

 

これから

毎年毎年 夏こんな暑さだとしたら……

 

はやめに……5月6月に 毛のカットをしていかないといけません。

 

 

さいごにくろ。

チャオちゅーるばっかり食べてます。

 

 

今野緒雪=小津安二郎 「マリア様がみてる」=小津作品。

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とうとう、とんでもないことを言い出しましたが……

 

気づいてしまったからには仕方がない。

なぜ、わたくしがこれほど「マリみて」に、はまってしまったのか?

 

これはもう 「今野緒雪=小津安二郎」 という公式を提示するよりほかないわけです。

 

□□□□□□□□

以下、証明なのですが……

まずは「少女小説」の歴史における、「マリア様がみてる」の特異性というのをみていきたい。

 

①吉屋信子、氷室冴子、今野緒雪

少女小説の三大巨匠の 物語の組み立て方をみていきたいとおもうのです。

「物語」を動かす原動力、エンジン。そもそもの動力のことです。

 

たとえば……

「桃太郎」の物語でいうと、それは

親孝行というイデオロギー、他国を侵略して財宝を持ち帰る植民地主義イデオロギーであったりします。

(自分を育ててくれたおじいさん・おばあさんに恩返しをする。 得体のしれない鬼は退治してしかるべきである。等々)

 

「白雪姫」だと、それは

めんどうくさい思春期・成長期はすっ飛ばして、はやく大人になりたいローティーンの女の子の願望であったりします。

(目を覚ますと、そこに王子様が→結婚)

 

「物語」というのは表面上に見えている現象のその奥に……

必ず上記のような 原動力を持っているものです。

 

ただ、これからみていきたい三大巨匠は プロの作家ですので

エンジン・動力、はもっと複雑になるのですが……

 

ものすごく単純化して

結論を書いてしまうと――

・吉屋信子→月並み(ステレオタイプ)な物語。

・氷室冴子→イニシエーション。神話。

・今野緒雪→「構造」の空隙・違和感・〈マクガフィン〉=〈対象a〉

ということになります。

ひとりひとりみていきましょうか。

 

a,吉屋信子

吉屋先生は 名作「花物語」をざざっとめくってみればわかるのですが、

・生き別れの美しい母

・被差別部落

・狂気・精神病

・家族の病気・死

・不本意な結婚

・都落ちモチーフ

・親の事業の失敗

といった月並みな物語。がエンジンです。

既視感、といいますか、時代がかった大げさなおはなしといいますか、

 

はっきりいうと、「ベタなドラマのシナリオ」という感じ。

 

ただ、

 そして二人はそれから波止場近くの海港の見渡せる公園に出て行った。

 立ち入るべからずの柵のある芝生の上に、この不逞の少女達は平気で牝鹿のような、しなやかな靴下の脚を投げ出した。そこから見える港には、二三艘の巨船が錨を降ろしている。

「あれフランスのお船ね」

 と陽子が黄いろいマストの上に三色の仏蘭西の旗のひるがえるのを見て指さした。

「お船って、形のいいものねえ」

 陽子が感嘆して見とれた。

 陽子は子供のように船を喜んで眺めた。牧子もそうして船を眺めているうちに、いつかは、ああした船に乗って、島影一つ見えぬ広い広い果てしない大洋の中を進みつつ、水平線に沈む紅き夕陽の光に流離の涙を流しつつ、地球を旅してみたいと思う大きな(夢)の願いが胸のうちに湧き出でた。

 初秋の黄昏近き海空は、おいおいに沙のカーテンをおろしたように影さして、そして船の円い窓々は、ぽっと美しく灯ともった。

(国書刊行会、「吉屋信子少女小説コレクション1 わすれなぐさ」190~191ページより)

 

こんな名文も、こんな世界も……

もはやだれにも書けないわけで、それにプラスして

中原淳一だの松本かつぢだのの美麗な挿絵と共にパッケージされてしまうと……

もはや向かうところ敵なしの風格です。

 

b,氷室冴子

氷室先生は、一言でまとめてしまうと

「イニシエーション」の物語 です。

ひとりの女の子が「大人になる」あるいは「大人になりつつある」 その物語。

 

氷室冴子という人は

吉屋信子リスペクトから出発して

吉屋信子というクラシックをぶっ壊す、

ポストモダンというのか 脱・構築というのか、

そんな感じの人です。

 

 追い出されたというのは冗談にしても、何か複雑な生いたちでもあるんじゃないかな。あの子が家の話をあまりしないのも、そのせいかもしれない。少なくとも、吉屋信子大先生の小説ではたいてい何かあることになってるし。

(集英社コバルト文庫、氷室冴子著「クララ白書Ⅰ」64ページより)

 

「クララ白書」

主人公のしーのが親友のマッキーのことを気遣っている心理描写なのですが……

じっさいは 「吉屋信子大先生の小説」にでてくるような、「何か複雑な生いたち」なんてものはなく、

ものすごくくだらないおはなしだったりします。

「しーの」だの「マッキー」だのというふざけた固有名詞も 吉屋信子作品にはまったく出てきませんしね。(当たり前だ)

 

で、イニシエーションの話ですが――

「クララ白書」のオープニングは

徳心学園中等科の寄宿舎「クララ舎」に入舎することになった

しーの・菊花・マッキーが、入舎の課題をいかに果たすか、というおはなし。

 

 私達は大食堂の鍵をあけて入り込み、なんとか調理室に忍び込み、さらに食糧庫に踏み込まなきゃならないのよ。そして何をするかというと、ドーナツを三年生舎生+舎監シスター分、つまり四十五人分つくりあげ、大皿に盛って大食堂の真ん前の舎監長のテーブルに恭しく置いとくんだって。

 これは近年にない厳しい課題だそうです。去年は北斗大学の学生寮の窓ガラス一枚を頂いてくるだけのことだったとか。四十五人分のドーナツなんて、どうつくればいいのよ。期限は二週間。あと一週間しかないんだよー。もし成功しなかったら、まさか追い出されはしないだろうけど、これからずっと同じ三年生から軽蔑されるわ。そんなのはたまらない。私はやります。やってやる――。

(同書12~13ページより)

 

心底すごいと思うのは、大食堂侵入のシーン。

 

「あの窓ね」

 菊花がごくんと息をのんだ。

「まず、しーのがやんなさいよ。あんたが一番小さいんだから」

 私は頷き、窓に頭を突っ込んだ。しかし蒔子に止められた。足から入らなくては、降りる時大変だというのだ。

 そこで椅子を持ってきたが、低くて使いものにならない。それでは、とテーブルを運んできたが、テーブルと小窓の高さはほぼ同じで、小窓が十センチばかし高いだけだ。

 私は机に上がって腕立て伏せの格好になり、両足をいっぺんに小窓に突っ込んだ。お尻のところがちょっとつかえた程度で思ったよりすんなり入れた。しかし胸が少しもつかえなかったのは少なからぬショックではあった。菊花も蒔子も胸と頭がつかえ、ひいひいと悲鳴をあげていたのだからなおさらだ。

(同書46~47ページより)

しーの達は ドーナツを作るべく大食堂に夜中侵入しなければならない。

そのために小窓から忍び込むわけですが……

これがまあ ミルチア・エリアーデのいう「イニシエーション的胎内復帰」そのまんまなんですわ。

 

 イニシエーション的胎内復帰の第二の型についていえば、おびただしい数の形態と変化型を含んでおり、諸宗教や形而上学や高度に発達した社会の神秘主義にまで、ますます複雑な意義を担わせるようになった分流や展開を生み出した。というのは、この胎内への危険な復帰のイニシエーションの型は、第一に英雄が海の怪物にのみこまれ、やがてその腹を押しやぶって勝ち誇ってあらわれるという神話に見られる。第二には、シャーマンの神話と奇跡的な語り物――シャーマンは恍惚(トランス)の間に巨大な魚や鯨の腹中に入ると想像されている。第三に、「歯の生えた膣(ヴァギナ・デンタタ)」をイニシエーションとして通過する神話とか、地母神の口とか胎内と同一視される危険な洞窟や岩の裂け目へ降下すること――この降下は英雄を他界へ運ぶことである。最後の第四は、絶えずゆれ動く二つのひき臼の間、刻々にかみ合わさろうとする二つの岩の間、糸のように狭くナイフの刃のように鋭い橋、「相反通路」(paradoxical passage)に関係ある神話や象徴のすべてに認められるものである(相反(パラドクシカル)とは、日常経験として不可能を意味する。今引用した通路のイメーヂはのちの神秘主義や形而上学で、超越状態になることを表現するのに使われる)。

(東京大学出版会、ミルチャ・エリアーデ「生と再生」110~111ページより)

 

つまりこれは「神話」なのです。

しーの達三人の英雄は、「歯の生えた膣」をくぐりぬけて 地母神の胎内に侵入し、ドーナツを揚げる、という――

不可能なミッション(イニシエーション)を達成するわけです。

 

以上、氷室冴子先生についてはいろいろ書きたいこともありますが……これまでにしておきます。

ようは氷室作品の土台にあるのは「神話」ということです。

あ。そうそう、

しーのが 学園祭で演じるのが 古事記のサホビメ・サホビコの近親相姦カップルの「神話」であるあたりもやはり、注目したいところ。

 

c,今野緒雪

で、肝心の「マリみて」なのですが……

まあ、さんざん見てきた通りなのですが……

福沢祐巳ちゃんの曲がったタイ=「構造」の空隙=〈マクガフィン〉=〈対象a〉

とかなんとか、いってましたが、

吉屋信子、氷室冴子と比べるとわかりやすいんじゃないでしょうか?

 

ようするに 小笠原祥子×福沢祐巳のカップルの物語に、ですね。

吉屋信子的な ステレオタイプな物語は入っていないわけです。

親の事業の失敗がどうとか、身内の死、とか、そういうわかりやすいおはなしはないわけです。

 

といって、氷室冴子みたいな……

エリアーデ・ユングみたいな、なんか神話モチーフのおはなしがあるわけでもない。

 

あるのはただ、リリアン女学園の大スター・小笠原祥子さまに「妹」がいないという

「構造」上の不均衡、なわけです。

表の赤丸の部分です↓↓

この空間の歪みが 祐巳ちゃんの曲がったタイによって埋められるというお話しなわけです。

(もちろん これを補完するのが サファイアだったり、ガラスの温室だったりするわけです)

 

2巻目「黄薔薇革命」は

なぜ、不安定があたりまえの山百合会の構造の中で

黄薔薇ファミリーだけが安泰なのか?

ということをめぐるおはなし。

つまり 不安定があたりまえの中 「安定」していること それ自体が不均衡なわけです。

 

3巻目「いばらの森」 4巻目「ロサ・カニーナ」は、

白薔薇姉妹 佐藤聖&藤堂志摩子の間にぽっかりあいた 空隙、空間の歪みをめぐるおはなしです。

 

ついでのついでにいってしまいますと、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)のかつての恋人の名前が

「栞」

という――ページとページの間に挟むもの、なのだから、

どう考えても 今野先生の意図は明らかです。

 

志摩子さんと聖さまの間に (不在・ゼロの)栞さんがはさまっているわけです。

 

□□□□□□□□

②「マリア様がみてる」と小津安二郎作品の共通項

 

で、やっと小津との比較ですわ。

ここまでみてくれば なんとなく 「マリみて」と小津作品の共通項も見えて来たのではなかろうか。

まあ、手始めにみていくと、

 

a,わかりやすい物語・神話はない。(なにも起こらない)

b,すこぶるブルジョア的である。

 

というのは、誰にもわかるところですね。

国家機密をめぐってスパイたちが暴れまわることはないし――

神話の英雄みたいな人物が暴れまわることもない。(例、黒澤の「姿三四郎」「七人の侍」「用心棒」)

親・子供が病死してうんぬんというのもあまりないし――(両者ともあることはある。がメインにはならない)

それから どっちかというと生活に余裕のある社会階層の人たちが描かれる点も似ています。

貧乏人はあまり出てきません。

 

おつぎ。

c,姉妹(スール)が描かれる。

というのは、どうでしょう。

 

考えてみると、小津作品。女の子同士のイチャイチャが多いです。

まずは名高き、「非常線の女」(1933)のキスシーン――

(当ブログは 一体何度このショットを掲載したのだろうか??)

 

田中絹代が 洋装の悪い子で、

水久保澄子が和装の良い子。

そして

「浮草物語」(1934)の 八雲理恵子×坪内美子

「戸田家の兄妹」(1941)の 桑野通子×高峰三枝子

といった姉妹(スール)が描かれまして……

 

戦後の紀子三部作。

 

「晩春」(1949)の 原節子×月丘夢路 のイチャイチャ。

 

「麦秋」(1951)の 原節子×淡島千景 (淡島千景の実家の料亭のシーンでけっこうイチャイチャしますな)

 

……にしても、何でしょう。この完璧、としかいいようのない構図は……

「東京物語」(1953) の 原節子×香川京子

 

香川京子は原節子のことを「お姉さん」と呼びます。

このお上品なイチャイチャの感じは なんとなく 小笠原祥子×福沢祐巳を想像したくなります。

二人の背後の提灯箱には 「マリア様がみてる」における聖なる数字「3」が示されています。

いや、べつに 今野緒雪は「東京物語」を意識している、とかではなく……ただの偶然ですが。

 

 

というように 小津安二郎という人は 姉妹(スール)のイチャイチャばっかり撮っていた人

と見れなくもないわけです。

――にしても、メンツが豪華すぎますけど……

 

d,空間の歪みを巡る。

 

「マリみて」と小津作品の共通項。

文句あっか?? という感じの強力な共通点なのですが……

 

小津もやっぱり「構造」の歪み・空隙をめぐって作品を作るタイプの作家なわけです。

 

まずは紀子三部作――「晩春」をみていきましょうか。

「晩春」は、突き詰めてしまえば……

 

S91 竜安寺 方丈の前庭

小野寺「――しかし、よく紀ちゃんやる気になったね」

周吉「うむ……」(と考えている)

小野寺「あの子ならきっといい奥さんになるよ」

周吉「うむ……持つならやっぱり男の子だね、女の子はつまらんよ――せっかく育てると嫁にやるんだから……」

小野寺「うむ……」

周吉「行かなきゃ行かないで心配だし……いざ行くとなると、やっぱりなんだかつまらないよ……」

小野寺「そりゃ仕方がないさ、われわれだって育ったのを貰ったんだもの」

周吉「そりゃまァそうだ――」

 と笑うが、その笑いにはどこか寂しい影がある。

 ――石庭のたたずまい。

 

シーン91 竜安寺の石庭の場面がすべてを語っているようです。

誰かから「娘」を貰った以上、自分の「娘」は誰かに与えなければならない。

この人類の基本「構造」――

構造主義の御大 クロード・レヴィ・ストロースにいわせると……

(前にもどこかで引用しましたが)

 

 われわれが定義したような親族の基本単位の本源的で還元不可能な性格は、実は世界のどこでも例外なしにまもられている近親相姦の禁止の直接の結果である。近親相姦の禁止とは、人間社会において、男が女を獲得するには、これを別の男から得るよりなく、後者は女を娘なり姉妹なりの形で前者に譲り渡すということである。

(みすず書房、クロード・レヴィ・ストロース著「構造人類学」53ページより)

 

「晩春」は 亡くなった紀子の母というゼロ 空間の歪みをめぐって 「構造」が展開されるわけですが……

 

京都の宿屋で

原節子が虚空に見つめるもの――

 

あの映画史上名高き「壺」のショットが指し示しているものは

母=ゼロ・空間の歪み なのか?

それとも

近親相姦という許されぬ「享楽」(ラカン/ジジェク)なのか??

 

いずれにせよ、小津安二郎の方法論は 今野緒雪のそれと酷似しています。

 

「麦秋」だってそうです。

 

「麦秋」の中心は 間宮家の次男坊 省二です。

南方で行方不明――

ほぼ戦死したのだろう、と皆があきらめている……

 

そういう宙ぶらりんのゼロ・空間の歪み・空隙をめぐって作品は組み立てられています。

 

で、こちらも名高き S75

トーハクの庭の一シーン。

 

飛んでいく風船のショット。

 

スクリーン上をひょこひょこと浮遊する黒い 宙ぶらりんの「染み」

空間の歪み。

この風船はすなわち、間宮家の「構造」の染み、歪み。空隙そのものなわけです。

 

そしてまあ、「映画」そのものの空隙、とさえいえるかもしれません。

 

「東京物語」では この「構造」の歪みがあちこちに仕掛けられている感じです。

 

S6

とみ「空気枕、そっちへ這いりやんしたか」

周吉「空気枕、お前に頼んだじゃないか」

とみ「ありやんしぇんよ、こっちにゃ」

周吉「そっちによう、渡したじゃないか」

 

空気枕という 空気(=ゼロ)なのか 枕(=東山千栄子の死のメタファー)なのかよくわからん物体が

どこかへ行ってしまった。

構造の歪みを巡る 「東京物語」がスタートします。

 

東京でのバスツアー

二人が見つめるものは 皇居という名の「空虚の中心」(ロラン・バルト)です。

 

そして紀子(原節子)の戦死した夫――昌二……

戦死するのは決まって次男……(小津安二郎は当然次男坊)……

 

S70

周吉「ああ、この昌二の写真、どこで撮ったんじゃろう」

紀子「鎌倉です。お友達が撮って下すって……」

とみ「いつごろ?」

紀子「戦争にいく前の年です」

とみ「そう――(そして周吉に)まばいそうな顔をして……」

周吉「ウーム……これも首うまげとるなあ」

 

まばいそうな……は、当然

↑ひとつ手前の 皇居(=空虚の中心)をみつめる東山千栄子の表情と重なります。

 

それから……

「写真」「首を傾ける動作」というのは 「マリみて」に頻出します。

んー

タイプの似た作家というのは 似たモチーフに惹かれるものなのか??

 

そして 熱海。

東山千栄子の立ち眩みのショット。

彼女は 空間の歪みに呑みこまれてしまったのでしょうか??

 

そして 遺作の「秋刀魚の味」まで 小津の方法論は変わらないわけです。

この作品の「構造」の中心は 当然 「お母さん」というゼロ。歪み。

 

そして

「帝国海軍」という

ゼロ……空間の歪み。

 

そして、

旧帝国海軍軍人であった平山周平(笠智衆)が

軍艦マーチのかかるバーで 死んだ妻のおもかげを 岸田今日子演じる女の中に見ます。

 

□□□□□□□□

 

んーどうです?

納得していただけましたでしょうか?……

 

◎今野緒雪=小津安二郎

証明できたのでしょうか??

 

いっそのこと、「マリア様がみてる」実写版、小津安二郎に撮ってもらいましょうか??

今野緒雪「マリア様がみてる 黄薔薇革命」感想

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趣味の「マリみて」研究。

1冊1冊感想を書こう

――などと決心してしまったようです。この人は。

 

1巻目「マリア様がみてる」 (通称「無印」)は、さんざん感想を書きましたので、

今回は、2巻目「黄薔薇革命」です。

 

ま、「なんかやってるな」と無視してくださるのが一番です。

 

①あらすじ、というか山百合会の「構造」の変遷。

……まずは文庫のカバーの解説を丸写しします。

こんなあらすじです。

 

学園祭の夜にロザリオを受け取って、正式に祥子の妹(スール)になった祐巳。

紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)の妹としての日々が新たにスタートするが、思いがけない事件が待ち受けていた。

今年度の「理想の姉妹」(ベスト・スール)賞に選ばれた黄薔薇のつぼみ(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン)の

支倉令とその妹の島津由乃が、突然姉妹関係を解消したのだ!

二人の影響を受けた少女たちが自分のお姉さまにロザリオを返す事件が相次ぎ、学園中が大パニックになるが!?

 

――というのですが、作者は天才・今野緒雪です。

今野緒雪という人は、「月並みな物語」「ベタなドラマ」で作品を組み立てるようなお方ではないのです。

 

たとえば、ですね……

身内の急死、親の事業の失敗、異性もしくは同性に一目惚れしてうんぬん、

あるいは反発しあっていた二人がいつしか惹かれ合うボーイ・ミーツ・ガールもの等等

そういったテレビ・ネットにあふれかえっているステレオタイプとは無縁のお方。

 

じゃ、なにを元に小説を組み立てるのか?

というと、今まで何度も見てきました「構造」なのです。

 

結論を言ってしまえば、

◎「黄薔薇革命」もやっぱし

山百合会の「構造」の危機を「儀式」で救う物語である。

――わけです。

 

じゃ、「構造」の変遷をみていきましょうか。

「黄薔薇革命」冒頭の 山百合会の「構造」は以下の通り。

 

状態①

無印の「マリア様がみてる」にて、桂さんがいっていたとおり

「黄薔薇は三年二年一年、すべて安泰じゃない」

(集英社コバルト文庫、今野緒雪「マリア様がみてる」17ページより)

というわけです。

 

さらに、「黄薔薇革命」のオープニング……

支倉令も島津由乃も、そんなお嬢さま街道を逸れることなくまっすぐ歩み、――今に至る。

(集英社コバルト文庫、今野緒雪「マリア様がみてる 黄薔薇革命」9ページより)

――と、

あたかも 反・「構造」こと、

祐巳ちゃんの曲がったタイ

をバカにするかのように、作者は、令&由乃の「まっすぐ」さを強調するのです。

 

ところが福沢祐巳ちゃんは この安泰ぶりに「違和感」を覚えてしまいます。

 

 何か、不思議だ。

 黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)と令さまが姉妹だなんて。それは祐巳と祥子さまのようなスリリングな関係ではないし、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)と志摩子さんのような自称「似たもの同士」という関係とも違って、どうしてかつかみ所がなかった。

(同書33ページより)

 

祐巳ちゃんの不思議……違和感は

読者の違和感ともパラレルです。

紅薔薇姉妹(祥子&祐巳) そして 白薔薇姉妹(聖&志摩子) 彼らがくっつくまでにはいろいろ紆余曲折あったのに、

なぜ黄薔薇だけが「安泰」で「まっすぐ」なのか??

 

「まっすぐ」なだけに 「つかみ所がない」わけです。

 

あ、でも?

この本のタイトルは「黄薔薇革命」!?

……え、革命??

 

一体何が??……

 

で、状態②

あたかも 祐巳ちゃんやわれわれ読者の願望に沿うように……

 

セーラーカラーの襟の延長線上にあるタイの結び方は、全校一美しい形と定評がある、彼女こそ黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)その人である。

(同書53ページ

 

まっすぐの代表。

黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)、鳥居江利子さまの調子がおかしくなります。

(さいごのさいご、親知らずが虫歯になったことが判明するのですが)

 

状態③

つづいて 詳細は書きませんが、

由乃ちゃんが令さまにロザリオを返す……姉妹(スール)を解消するという事件が起こります。

 

表は、

島津由乃→姉妹を解消し、かつ、病欠で学校に来ない。

鳥居江利子、支倉令→抜け殻状態。亡霊状態。

であることを示します。

 

状態④

で、とうとう黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)・鳥居江利子さまが 学校に来なくなりまして――

(入院。妊娠疑惑が起こる)

 

黄薔薇ファミリーは完全崩壊します。

令さまだけが 抜け殻ですが、かろうじて登校。

 

状態⑤

ですが、さいご。

島津由乃→心臓の手術に成功

支倉令→剣道の試合に勝つ

鳥居江利子→親知らずを抜く(妊娠疑惑は事実無根)

で、三人とも復活。

 

なおかつ、

 でも、由乃さんはまたやってくれた。

 由乃さんは、今度はなんと、令さまをマリア像の前に呼び出して(!)、自ら「妹にしてください」と頭を下げたのだ。

 学年が下のものからお別れするのももちろん異例だが、それ以上に姉妹になることを申し込むなんて絶対ありえないことだった。おまけに、一度こちらから解消した相手に、って。皆、またしても大騒ぎになってしまった。

(同書204ページより)

 

令&由乃の姉妹(スール)も復活で めでたしめでたしという 山百合会の「構造」の変遷でございます。

 

由乃ちゃんは

「ロザリオを返す」という、反・儀式で、「構造」を一度ぶっ壊し、

それと同時に 自分の身体の「構造」もぶっ壊し、(心臓の手術)

さいご

「妹にしてください」という、再・儀式によって 「構造」をさらに強化する。

そういう動きをみせたわけです。

 

□□□□□□□□

②反・物語

 

この本はあたかも、

今野緒雪の「通俗物語批判」

とでもいうような様相を呈しております。

作者自ら、

「あたしゃ「物語」は壊すよ! 「構造」で書くよ!」

とでも宣言しているかのようです。

 

以下、教室における由乃さんと祐巳ちゃんの会話。

 

「由乃さんは、家ではフリルのついたエプロンをつけてクッキー焼いたり、レースのテーブルクロスを編んだりしていそう」

「好きな飲み物はミルクティーで?」

「そうそう。それで白い猫を飼っている」

「うん。そんなイメージ」

 レースやリボンや小花柄。

 スカートだったら、タイトよりもフレア。

 コートはAライン。

 好きな果物はストロベリー。

 色はブルーよりピンク。

 アイスクリームが好き。クッキーが好き。キャンディーが好き。

 英語や現国は得意だけど、数学と科学はちょっと苦手。

 女の子が「女の子らしいもの」と思いこんでいるイメージって、あまり変わらないのかもしれない。少なくとも由乃さんとはその点一致して、大いに盛り上がってしまった。

「でも、はずれ。私、全然そんな女の子じゃないの」

 由乃さんは言った。

「そうなの?」

「そう思われがちなのよね」

(同書61~62ページより)

 

由乃さん、

通俗的な「女の子」という物語を壊します。

まあ、3巻以降お読みの読者は、この子がどんどん暴れ者になっていくのを目にするわけですけど――

 

あと、反・物語、いろいろあるんですけど……

 

「あれはね、由乃さんごっこなの」

 放課後の廊下を歩きながら、蔦子さんは嫌なものの話をするかのように、横を向いて言った。

「由乃さん、ごっこ――」

 あまりにしっくりはまりすぎて、祐巳はその先の言葉をなくした。

(同書111ページより)

 

これは由乃ちゃんが 令さまとの姉妹(スール)関係を解消した、その直後に学園に起こった混乱――

姉妹関係の解消が相次いだ、そのことを

カメラちゃんこと蔦子さんが批判しております。

蔦子さん流の「物語」批判。

 

あとは白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さまは

その存在自体が 「女子高生」という物語を批判しているようです。

 

「悪い、濃いお茶入れてくれる?」

 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は、ドラマでよく見る課長のような口振りで言った。テーブルに広げた紙面から視線を上げずに、ちょっと猫背。これじゃまるで「おやじ」だ。

(同書96ページより)

 

それから、引用はしませんが、

美少女・藤堂志摩子さんは この巻ではひたすらギンナンの実を収集することに熱心で あまり登場しません。

登場人物が「物語」を無視!!

ひたすら自分をやりたいことをやっている「黄薔薇革命」です。

 

□□□□□□□□

③島津由乃=トリックスター

 

3巻以降の島津由乃ちゃんの暴れっぷりを知っている読者にとって、

2巻の由乃ちゃんは「ああ。初回はこんなおとなしかったんだ」という感じですが……

それでもトリックスターの片鱗がそこかしこに見えてきます。

 

トリックスターに関して、いろいろ文献はあるのですが、

スタンダード中のスタンダード 山口昌男先生の 「道化の民俗学」を引用しようと思います。

 

山口先生は ギリシア神話中のトリックスター ヘルメス神について以下のようにまとめています。

 

 このように物語化され擬人化されたヘルメス神話を、神話素とでもいうべきものに還元すれば、次のごとくなろう。

(A) 小にして大、幼にして成熟という相反するものの合一

(B) 盗み、詐術(トリック)による秩序の擾乱

(C) 至るところに姿を現わす迅速性

(D) 新しい組み合わせによる(亀の甲と牛の陽皮から琴を発明)未知のものの創出

(E) 旅行者、伝令、先達として異なる世界のつなぎをすること

(F) 交換という行為によって異質のものの間に伝達(コミュニケーション)を成立させる

(G) 常に動くこと、新しい局面を拓くこと、失敗を怖れぬこと、それを笑いに転化させることなどの行為、態度の結合

(新潮社、山口昌男「道化の民俗学」84~85ページより)

 

 ヘルメスは、闇と月を同時に現わすいわば「白夜」の世界に属する――(中略)――暗闇と光、冥界と此岸の世界、死と生誕、男性であることと女性であること、幼さと成熟、いたずらっぽさと厳粛性、狂気と正気の境にこの意識は根ざしている。そのおのおのどちらでもあり、どちらでもなく、それらの対立の消滅する瞬間、そういったものこの意識は源泉として持っているのである。

(同書100ページより)

 

「黄薔薇革命」における 島津由乃ちゃんの属性を

上の山口昌男先生のA~Gにあてはめると……

(A)小にして大、幼にして成熟→◎

じつは「姉」である令さまよりしっかりしている。

(B)盗み、詐術→◎

姉妹解消は、けっきょくさいご結びつくことを前提としているから、

「詐術」ともいえます。

(C)迅速性→◎

由乃さん、行動が突然すぎます。

(D)新しい組み合わせ→◎

姉妹解消&手術によって、黄薔薇ファミリーの構造が生まれ変わった。

(E)異なる世界のつなぎ→◎

(F)異質のものの間にコミュニケーション→◎

この事件を機に、いままで疎遠だった祐巳と仲良くなった。

(G)失敗を怖れぬこと→◎

心臓の手術を決心する。

 

と、全部当てはまっています。

あと、

「死と生誕」

→とうぜん心臓の手術。

 

「元気そうじゃない」

「元気じゃないわよ。麻酔切れてから傷口が痛くて痛くて、さっきも痛み止めの注射打ってもらってやっと楽になったんだから」

「……痛いんだ?」

「だって皮膚切って、心臓いじってまた閉じたんだもの」

(集英社コバルト文庫、今野緒雪「マリア様がみてる 黄薔薇革命」190ページより)

 

「男性であることと、女性であること」

→由乃の愛読書は池波正太郎であること、その他、けっこう趣味嗜好がけっこう男っぽいこと。

 

由乃ちゃんは、3巻以降と比べると、まだ大人しいのですが

それでもやはり「トリックスター」の片鱗をみせているのです。

 

ただ、

さすがに心臓の手術をする人にだけ 「トリックスター」役を押し付けるのは忍びなかったのか??

この巻ではいろいろな人に 「トリックスター」性を分け与えている。

なんか分業で「トリックスター」をやっている感じがします。

 

わかりやすいのは、令さま。

……令はミスター・リリアンという不思議な賞をも受賞してしまった。

「ミ、ミスター……?」

 予想に違わず、由乃は目を丸くして笑った。

「ときどき、勘違いした下級生が『お兄さま』なんて呼ぶからいけないんだ」

(同書40ページより)

 

 令さまのドアップ。学園祭のダンスパートナーだったから、多少免疫あるけれど、それでもやっぱり迫力ある。髪型のせいかな。制服着てても、やっぱり美少年にしか見えない。

(同書152ページより)

 

と、一種 両性具有的に描かれています。

(令さまがじつは、女の子女の子した存在であることが描かれるのは 3巻目以降になります)

 

主人公祐巳ちゃんもやはり、トリックスターの役割をわりあてられていまして、

以下、いつも鋭い 祥子さまのセリフですが……

 

「それで、何? あなた、令と由乃ちゃんの伝書鳩やっているわけ」

 あきれたようにつぶやいてから、祥子さまは祐巳の髪に結ばれているリボンの形を直した。

「伝書鳩っていっても、毎日じゃありませんし。一方的に由乃さんに令さまの様子を知らせているだけで。そうだ、これから一緒に由乃さんの病院に行ってみます?」

(同書160ページより)

 

と―― 山口昌男先生いうところの、

(E) 旅行者、伝令、先達として異なる世界のつなぎをすること

(F) 交換という行為によって異質のものの間に伝達(コミュニケーション)を成立させる

なる役割を、祐巳ちゃんがはたしていることがわかります。

 

□□□□□□□□

その他、いろいろ書きたいことはきりがないのですが、

今回はこれまでにしておきます。

 

しかし……小学生高学年でも読める内容・少女漫画みたいなカバー&挿絵。

でありながら、

内容は濃いです。高度です。

ほんとすごいです。「マリア様がみてる」……

月を撮る。がうまくいきません。(NIKKOR70-200mm f/2.8)

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ニコンが 「Zマウント」とか言い出しました昨今、

いかがお過ごしでしょうか?

 

ニコンって、この世で何が起ころうとも

「Fマウントは永遠に不滅です!」

って言い張る会社かとおもいこんでたのですが……

 

――あ、すみません。

世の中の大部分の方には どうでもいい話でしたね。

 

とにかく、一眼レフの時代はもう終わり? なんでしょうかね。やはり。

ーー……

 

□□□□□□□□

 

せっかくいい三脚を買ったのに この暑さではまったく外出する気が起きず――

そんなら、と

月を撮りました。

 

これなら自分の部屋でできるぞ。

 

まず、7月に撮った画像。

 

撮影日: 2018/07/31 0:32

焦点距離:200㎜

絞り値:f/5

シャッタースピード:1/8000秒

ISO:3200

 

200㎜というとずいぶん望遠な感じがしますが――

上の画像は大幅にトリミングしてまして

じっさいの画像はこんなです↓↓

 

 

おつぎ、ISO100

にしたのですが、画像の粗さはあんまし変わりませんな。

 

撮影日:2018/07/31 0:35

焦点距離:200㎜

絞り値:f/2.8

シャッタースピード:1/500秒

ISO:100

 

□□□□□□□□

おわかりかとおもうのですが――

なんかこう 画像にシャープさがない。

 

で、いろいろ問題点を考えたのですが――

 

問題点① 天候・気候

(夏なのでどうしても湿気でモヤモヤしてしまうのであろう)

問題点② レンズ

(望遠鏡じゃないからなー)

問題点③ そもそもピントがあっていない。

 

三脚に問題がある。というのも理論的にはありえますが、

天下のジッツオ・システマティック4型+ハスキー雲台なので それは除外しました。

 

で、解決策なのですが、①②はどうにもならんので

③のピント合わせをどうにかすることを目指しました。

 

ん。

だが、

このピント合わせが大問題でして……

 

ファインダーを覗いてのピント合わせはちいさくて不可能――

なので、ライブビュー(液晶画面)でピント合わせをするのですが……

 

月。あまりに明るすぎてただの白い光の玉にしかみえない……

 

どうしよう。

と考えた末、ND1000フィルターをかませたらどうか?(レンズにつけるサングラスみたいなもの)

となり、これはけっこううまくいった。

 

――うまくいったようにおもったのだが、

 

撮影日:2018/08/27 0:26

焦点距離:200㎜

絞り値:f/4

シャッタースピード:1秒

ISO:100

 

――ごらんのとおり 7月の画像の方がシャープだ。

 

天候はどちらも快晴なので、あんまし条件が変わるようにおもえんのだが……

 

ちなみに、

トリミングしていない元の画像はこんなですがね↓↓

 

 

おつぎ。

 

撮影日:2018/08/27 0:19

焦点距離:200㎜

絞り値:f/5

シャッタースピード:1秒

ISO:100

 

んーどうみても 7月末の方がシャープだ――

なぜだ?

 

とおもい、考え付いたのは

問題点④ シャッタースピード:1秒の間に、月って動くよね??

 

ということであった。

そうおもってみると、7月の画像のシャッタースピードは短い。

 

んーだが、シャッタースピード:1秒になっちゃった理由はND1000をはめこんだせいで、

ND1000をはめないと、月が明るすぎてピント合わせができないからで……

じゃ、ピントあわせた後に NDをはずすか。

でも、なんかそれってカメラ動かすことになりそうだし……

 

あー、もうなんだかわけがわかんないよ。

 

そうそう、あと「絞り」もどうしたらいいのか わからんのですよ。

星の写真なら「開放」でいいとおもうのですが、

月はどうしたらいいのやら??

 

□□□□□□□□

 

けっきょく天体写真の入門書でも買えばいいのでしょうが、

そこまでするほど

「月が撮りたい!!」

というのでもないのだよな。

 

月がきれいな夜に、ちょろっと三脚と望遠ズーム出して撮りたい、というだけのはなしで……

 

まあ、図書館でも行った時にそんな本みてみるかな。

という昨今です。

今野緒雪「マリア様がみてる いばらの森」感想

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趣味の「マリみて」研究。

ほぼ自分向けの読書メモをぐたぐた書きます。

 

3巻目「いばらの森」です。

 

内容は「いばらの森」と「白き花びら」の中編二本立て。

 

あらすじは――例によって カバーに書いてあることを引用しちゃいますと……

 

 期末試験で落ち着かない学園に、驚くべき噂が流れた。

 リリアン女学園をモデルにしたと思われる自伝的小説が出版され、

 しかもその作者が白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)だというのである!

 小説の内容が二人の少女の禁断の恋を描いたものであることも加わって、学園は大騒ぎ。

 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の過去はタブーとなっていて、事情を知っている人もみんな口をつぐんでいた。

 祐巳と由乃は、真相の解明に乗り出したが……!?

 

というのですが、以上が「いばらの森」の内容で、

「白き花びら」は、

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の「私」一人称で語られる「二人の少女の禁断の恋」となります。

 

ようは

1巻目・紅薔薇

2巻目・黄薔薇

3巻目・白薔薇

という展開なわけです。

 

が、今野先生がひねくれているのは、当然予想される 「佐藤聖―藤堂志摩子」のことを扱うのではなく……

「佐藤聖―久保栞」という未知の関係性を扱っているところです。

 

 

①「構造」の空隙を、トリックスター=由乃が暴く。

 

――「いばらの森」の基本構造はこれがすべて。でしょう。

 

作品中に、宮廷社、コスモス文庫の須加星(すが・せい)作「いばらの森」が登場する、

ちょっとメタ・フィクションみたいな要素のある おしゃれな小品ですが、

主役は 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さま、というより、

トリックスター性を開花させた島津由乃ちゃんのようにおもえます。

 

まずはなにより

「構造」の空隙とはなにか?

 

それはもちろん この穴のことなんですわ。

佐藤聖さまと藤堂志摩子ちゃんの間にぽっかりと空いた穴。

薔薇の館のメンバー表に たったひとつだけ空いた穴。↓↓

◎共同体の「構造」の空隙、歪み、を解消するために

一般庶民は

(はっきりいうと『愚民』は)

安易な「物語」を必要とする。

 

今野緒雪の真のメッセージはそこです。

 

このメッセージ。社会科のおはなしに置き換えるとわかりやすいかとおもいます。

ようは ヒットラーやスターリンの戦略のことをいってるんですわ。

 

ヒットラーの戦略はこうです。

「われわれが不幸なのはユダヤ人が存在するからだ」

スターリン・毛沢東・ポル・ポトの戦略はこうです。

(注:カール・マルクスの戦略、ではない)

「われわれが不幸なのは、ブルジョア・富農が存在するからだ」

 

あるいは某半島国家・K国の戦略もわかりやすいですね。

「われわれが不幸なのは、日本人が存在するからだ」

 

――ようするに共同体の安定をはかるために、民衆は

おっそろしく安易な「物語」に飛びついてしまうわけです。

その結果起こる大虐殺……もしくはエンドレスな「賠償金よこせ!!」……

 

たかがコバルト文庫を語るために、ものすんごくスケールのデカい話をしてますが、

でも、正しいのだから仕方がない。

つまり、

 

リリアン女学園の一般生徒は、

薔薇の館の「構造」の空隙を埋めるのは、

コスモス文庫「いばらの森」である。

つまり、

須加星=白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖

である。と信じ込んでしまったわけです。

 

あたかも、ユダヤ人を消してしまえば幸福が訪れると信じ込んでしまったドイツ人のように……

 

んで、そういった硬直しきった思考。

安易な思考を打破するのが、トリックスター=道化である。

ということをおっしゃったのが山口昌男先生であるわけです。

 

そして、われらが今野緒雪大先生は この硬直しきった思考を打破すべく

◎島津由乃=トリックスター

を、大暴れさせて、民衆・リリアン女学園の生徒たちの作った安易な「物語」を破壊する。

 

……はい。それを以下、説明します。

 

前回引用した 山口昌男先生のヘルメス神の神話素というのを

もういっかい書き写しておきますね。

 

 このように物語化され擬人化されたヘルメス神話を、神話素とでもいうべきものに還元すれば、次のごとくなろう。

(A) 小にして大、幼にして成熟という相反するものの合一

(B) 盗み、詐術(トリック)による秩序の擾乱

(C) 至るところに姿を現わす迅速性

(D) 新しい組み合わせによる未知のものの創出

(E) 旅行者、伝令、先達として異なる世界のつなぎをすること

(F) 交換という行為によって異質のものの間に伝達(コミュニケーション)を成立させる

(G) 常に動くこと、新しい局面を拓くこと、失敗を怖れぬこと、それを笑いに転化させることなどの行為、態度の結合

(新潮社、山口昌男著「道化の民俗学」84~85ページより)

 

これがまあ、見事 「いばらの森」で描かれる由乃ちゃんにぴったり当てはまるんですわ……

 

「秘技瞬間湯沸かしの術」

 由乃さんが、流しのたらいにポットのお湯を注ぎ、それを水道水で少しうめてからカップとスプーンとスポンジを中に沈めた。

「この中で洗って、すすぎだけ水道水使うの。どう?」

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる いばらの森」100ページより)

→(D)発明?ですね。新しい組み合わせというやつ。

 

 由乃さんが、「作っていただけます?」って、無邪気にほほえんだ。わざとじゃなくて、こんなふうに笑えるっていうのは、やはりもって生まれた才能なのかもしれない。こんなふうに頼まれて悪い気する人はいないだろう。

(同書107ページより)

→(A)幼にして成熟、そして(F)のコミュニケーションという要素もあるかな。

 

「祐巳さん、脳味噌とけてるよ」

 由乃さんは呆れたようにため息をついて、再びラーメンどんぶりに向かい合った。

(同書111ページより)

→(A)かわいいくせにどぎついです。 あと、脳味噌とけてるという表現は(D)でもあるかな。

 

「れ、令さま!」

「え、何、祐巳ちゃん!?」

 由乃さんったらどっちにも内緒にしていたらしくて、お互い不意打ち食らったように名前呼び合って固まってしまった。

(同書140ページより)

→令さまと祐巳ちゃん二人をだましていました。はい。(B)トリック

 

 由乃さんって、勘がいいから気をつけないと。「どうぞ」ってコタツの布団めくり上げて席を勧めてくれる無邪気な笑顔に、ついつい騙されがちだけど。捕り物とか推理小説とかも愛読している彼女は、女探偵だって思っていたほうがいい。

(同書141ページより)

→これはいろいろな要素が入ってますかな。(A)(B)……それと勘がいい、思考の素早さってことだと(C)

 

「――でね、私電話してみようと思って」

 突然、由乃さんは中断していた会話を再開した。

「電話って、何の話?」

 お茶を出し終わって去りかけた令さまが、小耳に挟んで扉の辺りから舞い戻ってきた。

「コスモス編集部に決まっているじゃない」

 由乃さんは、けろりと言い切った。

(同書147ページより)

→コスモス文庫「いばらの森」の作者を暴くために 出版社に電話してみようといいます。

(A)(C)(E)(F)(G)

 

 しかし、由乃さんは不死身らしい。逆境はむしろ、彼女のエネルギーを増幅させるべく作用するようだ。

「電話じゃ、らち明かないわ。編集部に行きましょ」

「え――――!?」

 どうしてそんなに元気なんだ、由乃さん。つい最近まで心臓悪くておとなしくしていた人と、同一人物だとはとても思えない。さては来るべき日のために、さなぎのようにじっとして力を蓄えていたんだな。

(同書157~158ページより)

→電話だと、らちが明かないから、出版社に乗り込もう……というはなしになります。

これはもう(A)(B)(C)(D)(E)(F)(G)でしょうかね。

 

まだまだありますが、きりがないのでやめます。

あと、ですね……

由乃ちゃん=黒のイメージ

というのも気になるところ……

 

 由乃さんは、黒いハイネックのセーターに膝丈の黄色いタータンチェックのプリーツスカート、それに黒いタイツをはいていた。制服の時も思っていたんだけど、色白だからすごく黒が似合う

(138ページより)

 

山口昌男先生によれば 黒=トリックスターを象徴づける色、ということになりそうです。

 

イタリア喜劇のアルレッキーノの黒い仮面。

ヒンズー神話の「黒き英雄神クリシュナ」等々について述べていますが……

 

 黒色のシンボリズムについて言えば、イギリスの社会人類学者V・W・ターナーは彼の調査したローデシアのンデンブー族の事例にはじまり、アフリカの他の地方、マレイ半島、オーストラリア、北米インディアン、古代インドの宗教表象における黒色の象徴性を、赤・白・黒という、色彩象徴の始原的三元性という最も基本的な分類表象の複合のうちに比較検討した結果、「大胆すぎるかも知れないが」と断りながらも、黒について、次のような普遍的象徴性の存在することを指摘している。

「(A)黒=糞尿または身体の腐蝕→秘儀的な死と見做されるような、一つの状態から他の状態への移行、

(B)黒=雨雲または沃土→同じ生活価値観を営むものの最も広汎な統一」

差し当たって我々の関心に結びつくのは前者であろうが、続けて彼は次のように述べている。

「しばしば死または気絶または眠りまたは暗闇を意味する黒色は、本源的には無意識の状態に入ること、すなわち暗転の体験を表象しているのかも知れない」

(新潮社、山口昌男「道化の民俗学」110~111ページより)

 

とうぜん、島津由乃は 「病院」という名の「冥界」を一度くぐりぬけて来た猛者です。

死または気絶または眠りまたは暗闇を意味する黒色……

 

今野緒雪はきわめて細心の注意を払って

島津由乃=トリックスター

この構図を描いています。

 

これがたとえばノーベル賞作家……

大江健三郎だったりすると、

「オレはこれからトリックスターを書くよ!」

「この登場人物はトリックスターなんだ。そう、わかるよね。山口昌男の書いてたやつ」

「すごいだろ、これぞグロテスクリアリズムなんだ。ね? これが一流の文学なんだ」

と……

作家ご本人がやりたいことがみえみえで興ざめすることが多々あります。

タネがばればれの手品なんぞ見せられたって、おもしろくもなんともないっていうの!

 

んー、僕から言わせると、

島津由乃=トリックスターというのを

さらっと、かつ、かわいく書いてしまう今野緒雪の方がよっぽど「天才」だし、

「マリみて」のほうが何十倍も高級な文学だとおもうのですが……ね?

 

□□□□□□□□

②今野緒雪=ニョロニョロ・フェチ。

「三つ編みシーン」=「麺食堂シーン」

 

えー、次は、ですね。「白き花びら」をみていこうかな。と。

 

でも、お読みになった方は、ですね。

「三つ編みシーン」は「白き花びら」のアレだろうけど――

「麺食堂」のシーンはたしか、「いばらの森」にあったんじゃなかったかしら?

と困惑されるかもしれないのですが、まあ、そこんとこはいいのです。

 

「白き花びら」を語りながら、最後、「麺食堂シーン」につなげますので……

 

…………

「白き花びら」――わたくし、トマス・ピンコとしては

それほど大した話ではないようにおもえるのですが……

といいますか、

 

1巻「無印」→2巻「黄薔薇革命」→3巻の前半「いばらの森」 といずれもケッサク揃いだったので

3巻の後半「白き花びら」で……

 

――んー、これはつまらん。

今野緒雪も駄作を書くことがあるのか……

猿も木から落ちる、弘法も筆の誤り、というやつか……

などとおもっておったのですが、

 

どうも「白き花びら」、これは一般的に人気のある作品であるらしい。

今野先生ご自身のコメント――

 

―― さまざまなキャラクターが登場する『マリア様』。印象に残っているキャラは誰でしょうか。

今野 作者としては、誰もひいきできないです。けれど、読者からの反応が大きかったのは、佐藤聖と栞、それから聖と志摩子。白薔薇のファンは熱いですね!

―― 聖と栞の関係は、どちらかといえば恋愛に近いように思います。

今野 そうですね、恋愛なのかな……。ほかの人たちに比べると、一歩踏み込んでいますよね。ただ「恋愛」と言いきっていいのかどうかはわからないです。

―― 白薔薇は、聖と志摩子、志摩子と乃梨子の関係性が全く違うのが面白いです。

今野 あそこはまず志摩子と乃梨子が先にあって、それから聖ができたので、順番が逆。キャラだけではなく、関係性もどれも違うものにしたいと書いていました。意識していたというよりかは「できたらそうなっちゃった」という面も大きいですが。

―― 気に入っているシーンを教えてください!

今野 『マリア様』には自分のツボが盛り込まれていますが、聖が栞と自分の髪をとって三つ編みにするシーンは気に入っています。髪の毛を編むようなシーンって、女の子同士のほうがぜったいいいですよね!

(青土社、「ユリイカ 2014年12月号 百合文化の現在」37~38ページより)

 

今野先生ご自身、この対談が、

雑誌の「百合文化の現在」のオープニングを飾る目玉企画になる、というのは

あらかじめ知らされているでしょうから、

 

で、一番「百合」要素の濃い、

聖―栞

を、サービスで語ってくれた、というのは大きいように思うのですが……

それでもやっぱりご自身お好きなのでしょう。「白き花びら」

 

で、肝心の三つ編みシーンってのはこんなです。

 

 雨に閉じこめられた古い温室の中で、私は誰にも邪魔されずに栞を感じていた。今この瞬間だけ、栞のすべては私のものだった。

 なぜ、私たちは別々の個体に生まれてしまったのだろう。

 どうして、二人は同化して一つの生命体になれないのだろう。

 私は栞の吐息を感じながら、二人の湿った長い髪を何気なく一筋ずつとって、それを一つの束にした。しかし色も質も違う二種類の髪は、押さえていた手を離すとすぐにはらはらと分かれてしまう。退屈に任せて、縄のようにねじったりもしてみたが、結果はあまり変わらなかった。

 私はなぜだか意地になって、二人の髪を三つ編みにした。栞の髪を二筋、私の髪を一筋とって。そして、やっと私たちの髪は一つになった。

「何してるの」

 寝ぼけ眼で、栞が尋ねた。

「ううん、何でもない。もう少し寝ていてもいいよ。雨がやんだら起してあげる」

「うん」

 私は髪だけでは足りずに、手の指を一本ずつ栞の指の間に滑り込ませた。くすぐったい、と身をよじらせながら栞は笑ったが、私の手を振り払うことはなかった。

 雨よ、やむな。

 私も瞼を閉じた。

 雨よ、やむな。

 闇は、私たちを目に見えるすべての物から閉ざす。確かなものは、栞の鼓動と温度と吐息だけ。

 永遠にこうしていたい。

 私は半ば本気で、このまま時が止まるものだと信じていた。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる いばらの森」236~238ページより)

 

んーうまい。

「白き花びら」つまらん。などとけなしておいて、言うのは何だが、容赦なく、うまい。

イメージ操作が完璧です。

「どうして、二人は同化して一つの生命体になれないのだろう」

は、プラトン「饗宴」の遠いエコーを感じさせます。

それから、

・雨=陰陽和合の象徴。

・古い温室=「文化」と「自然」の間の中間地点にある建物。

・「マリみて」における神聖なる数字「3」

 

当然カトリックにおいても「3」は聖なる数

→三位一体を信じる藤堂志摩子という人物の登場を示唆しているともおもえなくもない。

(「白き花びら」の時代。志摩子さんはまだ中等部の生徒でした)

 

うまいんですけど――なぜ、わたくしがすんなり入っていけないのか。というと、

「これって吉屋信子大先生がやりつくした領域じゃん!?」

「なぜ天才・今野緒雪が 吉屋先生の領土に踏み込む必要があるの!?」

ということなんだろうとおもいます。

 

女の子が女の子を好きになってしまって、うんぬん、というのを

ミッションスクールを舞台に描く、となると、

吉屋信子には誰もかなわん、のです。

 

で、おもうのは、「いばらの森」の輝かしき麺食堂シーンなわけです。

この「麺食堂シーン」こそが、今野緒雪の本来の領土なのではあるまいか??

 

□□□□□□□□

「麺食堂シーン」は、

「マリア様 いばらの森」の106ページから112ページにかけて描かれるのですが、

これは初読の時は、まったく意味がわかりませんでした。

 

これははっきりいって謎のシーンです。

口の悪い人がいうと

「ただラーメンがうまそうに書けているだけの

枚数稼ぎのシーン」

などということになってしまいそうです。

 

ところが、二度三度読んでみると、これがとんでもないシーンであることが判明しました。

 

ま、どんなシーンなのか説明しますと……

①薔薇の館にて、祐巳、由乃は、

コスモス文庫「いばらの森」を 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖にみせる。

(繰り返し説明すると、この「いばらの森」の作者は佐藤聖に違いない、と噂になっているのである)

 

②「いばらの森」を読む間、ひとりにしておいてくれ、ということで

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は、祐巳、由乃の二人に麺食堂の食券を渡す。

(麺食堂は大学生が使う食堂らしい。リリアン女学園というのは幼稚舎から大学まで一貫教育をするすごい学校らしいのだ)

 

③祐巳、由乃の二人は薔薇の館を出る。

 

 祥子さまもけっこう読めないところがある。でも、ストレートだから一度パターンがわかると応用きく部分があるからそう難しくはないのだ。白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の場合は、もっとひねくれてて奥の奥に本質が隠されているような気がする。

(同書106ページより)

 

④二人は麺食堂にたどりつく。

 

「時間のほうは構いませんので」

 由乃さんが「作っていただけます?」って、無邪気にほほえんだ。わざとじゃなくて、こんなふうに笑えるっていうのは、やはりもって生まれた才能なのかもしれない。こんなふうに頼まれて悪い気する人はいないだろう。

「じゃ、もう一度火をつけようか」

 小母さんは食券を専用の箱に放り込むと、「よっこらしょ」と大鍋の方に移動した。

(同書107ページより)

 

⑤二人はラーメンができるのを待つ。

 

「ちょっと時間がかかる、って」

「どれくらいなのかしらね」

 どうせ「一時間帰ってくるな」って白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)に言われているんだから、ちょうどいい時間つぶしになる。――なんて小声で話をしていたら、ものの五分かそこらで、「できたよ」って声がかかってしまった。

(同書108ページより)

 

⑥二人はラーメンを食べはじめる。

 

 揃って取りにいくと、小母さんはハンカチを首から下げて食べたほうがいいってアドバイスしてくれた。どんなにがんばっても、ラーメンの汁って絶対に飛ぶものらしい。

「そうか……。このアイボリーの襟にはねたら大変だもんね」

 赤ちゃんみたいで恥ずかしいけれど、背に腹は代えられないということで、二人は指示通りハンカチを襟に引っかけてから割り箸を割った。ラーメンには、チャーシューとなるとが一枚ずつ、それから刻みネギ、海苔、メンマがのっている。

「いただきまーす」

 まず、スープを一口。

「……おいしい」

「うん」

 しょうゆ味の温かい汁が、胃から身体全体に広がっていくかのようだった。薔薇の館にいる白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)にも、一口分けてあげたい。

(同書109~110ページより)

 

⑦二人はゆっくりとラーメンを食べ続ける。

 

 祐巳は時計を見た。薔薇の館を出てから、約三十分。一時間から三十分を引いて、残りは同じく三十分。

(微妙なところかな)

 このままのペースでラーメンをすべて平らげて帰ったなら、どこかで時間をつぶすこともなく約束の一時間を消化することができるかもしれない。

(でも、そうなるとラーメンがかなり伸びちゃう)

 かといって、制服に汁が飛ぶのは勘弁してほしいし。結局、由乃さんを見習って少量ずつ淡淡と口に運ぶ以外なさそうだ。

 たとえ麺食堂への出入りを解禁されたとしても、中高生がこの場所に大挙して押し寄せる危険性はまったくないって断言できる。制服を汚さずラーメンを食べるという技は、相当に難しく、時間もそれなりにかかるものだから。

(同書111~112ページより)

 

はい。こんなシーンなんですけど……

ラーメン食いたい……とか、

汁が跳ねないようラーメンをちびちび食べるセーラー服の少女二人、かわいすぎる……とか、

いろいろおもうことはあるのですが、

 

ここで、トマス・ピンコの野郎が、

◎「三つ編みシーン」=「麺食堂シーン」

などと言い出したら、どうおもわれるでしょうか?

 

片や、聖-栞の美しいラブシーン。

片や、祐巳―由乃 仲良しコンビがラーメンをずるずるすすっているシーン。

でも、おっどろくほど似てるんですわ。この2つは。

 

類似点A:時間要素。

しきりに「時間」がでてくるんですわ。この2シーン。

「三つ編みシーン」→「今この瞬間だけ、栞のすべては私のもの…」 さいご「このまま時が止まるものだと…」

「麺食堂シーン」→時間ばかりです。小母さんは時間がかかる、というし。

由乃さんは「時間のほうは構いませんので」という。

祐巳は祐巳でしきりに「1時間」をどうやって潰すかというのを考えている。

 

類似点B:赤ちゃん。

はい。

「麺食堂シーン」は簡単ですね。「赤ちゃんみたいで恥ずかしいけれど」 ハンカチを首から下げてラーメンを食べます。

「三つ編みシーン」ですが、

「どうして、二人は同化して一つの生命体になれないのだろう」

これは究極的には 「母ー胎児」このイメージにつながりそうです。

この推定がこじつけではない証拠に、ラスト近く……

「闇は、私たちを目に見えるすべての物から閉ざす。確かなものは、栞の鼓動と温度と吐息だけ」

これってどうみても

母=栞、胎児=聖 この構図ですよね。胎児が感じるのはお母さんの「鼓動と温度と吐息だけ」

今野緒雪が

「ほかの人たちに比べると、一歩踏み込んでいますよね。ただ「恋愛」と言いきっていいのかどうかはわからないです」

というのはものすごく正確です。

聖ー栞 は 母ー胎児 しかも…… 「年下の母ー年上の胎児」 というものすごい構図になってます。

(泉鏡花の影響とかあるんだろうか、とか書き出すと止まらんのでやめにしときます)

 

類似点C:「3」と「2」

「三つ編みシーン」はわかりやすいですね。

「2」人で「3」つ編みにするわけです。

「麺食堂シーン」は、祐巳ー由乃の仲良しさん「2」人なのですが、

二人の話題・そして二人の思考は、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖をめぐって展開するわけです。

読者の興味もそこです。

「2」だけど「3」 「3」だけど「2」 なのです。

 

類似点D:長くてニョロニョロ

……のものがでてきます。

というか、わたくし的には 「マリみて」のメインテーマはこれなんじゃないかとおもうのですが……

「三つ編みシーン」→女の子二人の髪の毛

「麺食堂シーン」→ラーメン

 

はい。もう証明できた。といってよいでしょう。

◎「三つ編みシーン」=「麺食堂シーン」

つまり、ですね。

一見、不必要な……削ってもいいかにみえてこのシーン。

じつは……

 

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の場合は、もっとひねくれてて奥の奥に本質が隠されているような気がする。

(同書106ページより)

 

佐藤聖さまの「奥の奥」の秘密につながる重要な伏線だった、というわけです。

 

□□□□□□□□

えー、で これから 

今野緒雪=ニョロニョロ・フェチ

というのを書こうかと思ったのですが、

これは稿を改めて ということにします。

 

ただちょっとだけあらましを書いておくと、

1巻目「無印」において――

 

「なるほど、フクザワユミさん。漢字でどう書くの?」

 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は腕組みをして尋ねた。

「福沢諭吉の福沢、しめすへんに右を書いて祐、それに巳年の巳です

「めでたそうで、いいお名前」

 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が華やかにほほえんだ。

「それで?」

 最後に黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)が、値踏みするように上から下まで祐巳を見た。

「その、福沢祐巳さんが、どうなさって?」

 いつの間にか、祐巳は三色の薔薇さま方に取り囲まれてしまっていた。

 ににらまれた蛙って、こんな状態をいうのだろうか。いくら名前に巳(へび)という字がついていて多少は親しみがあるとはいえ、こんなのは勘弁してほしい。蛇じゃなければ、茨の森か

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」43~44ページより)

 

福沢祐巳=蛇

という構図がでており、さらには

蛇=茨の森(いばらの森‼)

という構図まででているというのはただ事ではない気がします。

 

蛇娘・祐巳ちゃんの周囲を見回すと――

由乃→三つ編み

志摩子→ふわふわの巻き毛

まあ、これは女子高生を描いた作品だからとうぜんかもしれませんが――

 

祥子さまと祐巳を結びつける小道具として

「曲がったタイ」「黒いリボン」が登場するのは もう完全に「ニョロニョロフェチ」といっていいのではなかろうか?

 

将来の重要人物。松平瞳子ちゃんの「縦ロール」というらせん型の髪型は

どうみても「蛇イメージ」としか考えられんのですよ。はい。

 

そして「瞳子(とうこ)」……「瞳」という名前ですが、

吉野裕子先生がその著書「蛇 日本の蛇信仰」において、蛇の目に注目していることなんか考えたくなります。

 

 蛇の目にはマブタがないため、その目は常時、開き放しで、まばたくということがない。この「マバタキ」のないことは蛇の目の特徴で、他の爬虫類にはみられないのである。そこでこの「マバタキ」のない蛇の目に出会うと、人間はじっと蛇から睨みつけられているように思う。その結果、蛇の目は特に「光るもの」として受けとられ、古代日本人の感覚に対して、蛇の目は非常に訴えるものがあったのである。

(法政大学出版局、吉野裕子「蛇 日本の蛇信仰」80ページより)

 

んー 蛇イメージをかたっぱしから拾っていく必要があるかもしれません。

「マリア様がみてる」を本気で読み込んでいくとすると……

続・やくしまるえつこ 「ひとつ半」

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いえ、ものすごく些細なことなのですが、ね――

ジャック・ラカンの言う

「手紙はかならず宛先に届く」 というのはこういうことなのか??

 

□□□□□□□□

2011年9月17日の当ブログの記事……やくしまるえつこ 「ひとつ半」

というのが 最近妙にアクセス数が多く、

ひそかに気味悪がっていたのですが……

 

どんな内容かというと、7年まえのわたくしのブログ、愚にもつかない気取った感じの文章で

ちょっとリンクを貼る気にもならないのですが、

 

ようするに 相対性理論のやくしまるえつこさんが NHKFMの番組を何度かやっていて

そのなかで 「ひとつ半」という

「曲」といえばいいのか、「朗読」といえばいいのか、

とにかくへんなお話を読んでいらっしゃったので それをブログに書き起こしてみたわけです。

 

あ。↑に愚にもつかないうんぬん、と書きましたが、

もちろんトマス・ピンコの文章の事で やくしまるえつこさんのではないです。

 

まあ、ともかく も一度 書き起こしてみますか。やくしまるえつこ「ひとつ半」

 

もうすっかり夜だった。

男がタクシーに乗り込むとそこにはすでに女が乗っていた。

男は怒って、タクシーの運転手に、どういうことだ、とせまった。

あれ。たしかに空車だと表示が出ていたではないか。

運転手は横目で男をみてから、女に、ここで連れを拾っていくから、と、

そして、あなたがそうだから車を止めてくださいと申しつけられた、といった。

 

男はそこではじめて女の顔を見た。

知らない顔だ。

年は十七にも二十五にも見えるが、若い女だった。

明日は休みだ。このかわいいバカのたわむれにつきあってやってもいい。

それに、もしかしたらほんとうに知っている女かもしれない。

すでに車は走り出していた。

 

男はまずきいた。

「お嬢さん、失礼ですが、どこぞでお会いしましたかな」

女は硬い表情のまましばらく黙っていたが、やがて小さな声ではなしだした。

「お前さんが島根にお仕事で来なすった時です。山間にある食堂でお昼をお食べになられたのを覚えておいででしょうか。その時はおうどんをお食べになっておられました。わたくしはそこの雇われ女です」

女は妙な言葉づかいであった。若いくせに似合わない古臭い言葉をつかっており、話の内容以前にひっかかった。

と、そこで男は気がついた。タクシーの運転手はカーラジオからずっと落語を流して聞いていた。小さな音だったが、この若い女はたしかにこのラジオからきこえる言葉を真似してはなしていた。それがわかると、なんだか男は無性におかしくなり、この若いお嬢さんの必死の狂言をどう暴いてやろうかと、胸の中で笑った。

「たしかにぼくは去年出張で島根に行きました。うどんを食べたのも覚えています。だけどそこにあなたのような美しい女性がいたかな。もしいたら覚えているとおもうのだが」

そういうと女はぽつりと、

「ひとつ半です」

といった。

「ひとつ半? 時間ですか」

時間はまだ零時前だった。

「いいえ。あなたの……」

といって、女ははたと口をつぐんだ。何かに気づいたように目と口を開いている。そしてこちらをみていった。

 

「気づいておられないです?」

 

ぼくはなんだか腹立たしくなって、ちょうど家の近くに着いたところだったので、タクシーを降りてしまった。

 

こんなです。

2011年の記事にも書いたのですが、ラジオの音声からの書き起こしなので

文章のスタイル(漢字のつかいかた、句読点の打ち方等)は、僕の趣味です。

 

こんな……ちょっと気味の悪い話で、

それがアクセス数が異常に伸びていてとても気味が悪かったわけなのですが、

さいきん、

その記事にコメントをつけてくださった親切な方がおられ、ようやく理由が分かった次第。

 

理由は、

「ハイスコアガール」とやらいうアニメのエンディングテーマが、やくしまるえつこさんの曲らしいのです。

で、その曲のはいったCDにこの「ひとつ半」が入っているそうです。

で、そのCDをきかれて

「む?」

とおもった方が 「やくしまるえつこ ひとつ半」とググると 真っ先に出てくるのが

愚にもつかぬ、トマス・ピンコの野郎のブログであった、というわけです。

 

んー……

やくしまるえつこさん、ならびに やくしまるえつこファンの方、申し訳なし。

CDそのうち買いますから。

 

□□□□□□□□

はなしはこれだけではなく、

続きまして……

 

「ひとつ半」に 「島根」という地名が出てまいりますが……

おりしも わたくし。

9月末に

サンライズ出雲という寝台特急で 島根に旅行に行こうとおもっていた最中でして……

 

カネと権力で手に入れた「一等寝台」……

――ではなかった

みどりの窓口で律儀に並んでようやくとった「シングルデラックス」の切符を見ながら

わくわくしている昨今でして……

 

お前さんが島根にお仕事で来なすった時です。

に、妙にドキッとしてしまいました。

仕事じゃなくて旅行だけどね。

 

あと、

山間にある食堂でお昼をお食べになられたのを覚えておいででしょうか。

その時はおうどんをお食べになっておられました。

……

旅行で、奥出雲おろち号というの乗り、

で わたくし、出雲そばをたべようと楽しみにしていたので……

うどんとそばは違いますが、

なんか似てておもしろいな、と思いました次第。

 

以上、些細なはなしでした。

旅行、台風が来なければいいのですが……


ANA386便(エアバスA321) 忍者レフの効用(?)

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ようするに……ヒコーキの窓から 「忍者レフ」なる小道具を使用して写真を撮ったよ。

というおはなし。

撮影日 2018年9月29日(土)

 

つい先日旅行に行きまして、米子鬼太郎空港から羽田空港まで ANA386便で帰ってきました。

米子空港12:15発。

 

機体はたぶん エアバスA321  ……だとおもう。

もし違ってたら教えてください。

 

忍者レフ とはこんなものです。↑↑

 

ドーナツ型の黒い……丸い板。

まんなかの穴に、ですね、↓↓

 

こういう風に カメラのレンズをつっこんで使います。

で、

どうなるかというと、

 

ガラス窓越しにものを撮ると、あれですよ。

室内の物が写り込んだりしますでしょ。

あれをふせぐ。というんですな。

 

で、その効用を以下、検証したんですけど……

タイトルに 「効用(?)」と ?マークがくっついているのは、

「忍者レフなし」の場合を試してみるのを忘れたからです‼

 

おかげで効果が分かりづらい記事になりましたが……

 

まあ、もともと「効果を検証する」なんて目的でヒコーキに乗ったわけでもないし。勘弁してください。

 

□□□□□□□□

 

以下、ヒコーキの窓越しの光景が続きます。

年がら年中 ヒコーキ乗ってるエグゼクティブなあなたには ごく普通の光景でしょうが。

トマス・ピンコにとってはヒコーキに乗るなんて一大イベントなわけですよ。

 

あ。使用レンズは Carl Zeiss Distagon T*2/25 ZF.2 です。

絞り値は f/8 です。

ピントはだいたい∞です。

 

あ、あと座席番号は 31Kでした。

 

離陸時の光景です。

けっこうGがかかってる中 がんばってます。

 

弓ヶ浜 だとおもいます。

晴れてればもっときれいだったとおもうんですが。

 

あ。

お気づきになります??

 

ディスタゴン25㎜のフードがですね。ずれまして、ですね。

画面の隅がケラレてます……

 

……ああ、やっちゃいました。

 

言い訳としては、ですね。

失敗の理由① Gのかかる中、カメラ操作を頑張ったから。

失敗の理由② 慣れない忍者レフでの撮影にとまどったから。

ということでしょうか。

 

はい。

以下ケラレてる写真ばかりです。

 

でも、きれいに撮れてる気がする。

忍者レフ。

 

いや、ディスタゴン25㎜もほめておこう。

さすがカールツァイス。

 

たしか 高度7000メートルとか機長さんが言ってた気がする。

 

あと、飛行状況に関しまして、追加で書いておくことは――

台風24号が近づいていて、

で、「揺れる揺れる」とさんざん空港の段階から脅かされていたのですが

(ベルト着用サインが消えない可能性があり、お手洗いにはいけないかもしれないから、

空港でお手洗いは済ませておけ、というアナウンスがあった)

 

飛行機に乗ってからもCAさん、機長さんが、しきりに「揺れるぞ揺れるぞ」と機内アナウンスで脅しました。

 

いざ飛んでみると まあ、それほど揺れなかった、です。

ただ、揺れるからという理由で、

飲み物のサービスはなくて、かわりにアメを配ってました。

 

しかし、ちょっと時間がずれてたら、完全に飛行中止でしたね~

いいタイミングでよかったよかった。

 

えー……

 

以下、ケラレた、雲写真ばかり続きます。

 

どうなんでしょうねえ。

自分は雲見てるだけで 見飽きなかったですが……

 

この↑↑ 渦巻いてるのなんか、たまらんものがありました。

横幅800pxの画像では伝わりにくいですが……

 

空の色も多様で ただの青じゃなくて ただの水色じゃなくて、

んー おもしろい。

 

降下してきました。

 

陸地。

 

――と、トマス・ピンコ、ようやくケラレに気づいたらしい。

 

フードの位置をなおしてケラレは解消されました。

 

羽田空港。

なんかブラタモリでこの場所、取り上げられてたような気がする。

 

――わたくし、

旅行の往路は サンライズ出雲で13時間かけて山陰までいったのですが (本来12時間なのですが、1時間遅れた)

復路はあっという間。1時間ちょい。

 

すごいな。ヒコーキ。

 

着陸。

 

この……

もう……

フラップが開いちゃうあたり、たまらなくエロいっす。

なんなの、このペロッといっちゃうあたり……

もう……

 

――あ、おわかりいただけません??

 

「うん。うん。わかるわかる!」

というあなたのためにトリミング。

 

メカメカしさがたまらんです。はい。

なんかいろいろウネウネしてますね。はい。

 

あ、「フラップ」でいいのかな?? このパーツの名称は。

もし間違ってたらすみません。

 

羽田空港内をウロウロする エアバスA321……

 

と、おもったら、

やや、あんたは‼……↓↓

 

なんか偉い人が使うヒコーキじゃね?

 

と、おもい、ついさきほど、機体に書かれた番号でググると

(正確には 「航空自衛隊 20-1101」でググりました)

 

やっぱりそうだ。

政府専用機ですね。 機体はボーイング747-400 だそうです。

 

はい。到着。荷物をおろします。

この中にきっとトマス・ピンコの Gitzo三脚なんか入っているのだな。

 

□□□□□□□□

えー、

 

さいご。忍者レフの効用をまとめますと――

長所① 室内の映り込みはなくなる。(少なくなる)

長所② 扱いは簡単。

 

と、効果はあったようにおもいます。

また、ケラレ写真ばかり載せましたが、これはディスタゴン25㎜のレンズフードのせいで

忍者レフのせいではないです。

 

あと、欠点も書いておくと……

欠点① マニュアルフォーカスは若干やりづらい。

コシナ・ツァイスのレンズばかり使っているので起こる問題でして、

AFを使う人(フツーの人)には問題なさそうです。

 

欠点② かっこわるい。

これは……どう考えてもかっこよくはなりません。

ドーナツ型の意味不明な道具を振り回してカメラをガシャガシャやってるわけですから、

かっこわるいです。

スタイリッシュに生きていきたいあなたには不向きです。

 

欠点③ CAさんのお姿をみるのを忘れた。

これはヒコーキの撮影に限った問題ですが、

窓の外の光景に熱中しすぎて、CAさんを眺めるのを忘れてしまいました。

 

あ、でもこれは 撮影の合間に拝んでおけばよかったので忍者レフのせいではないですね。

 

□□□□□□□□

 

当ブログ、

これからしばらく 旅行で撮った写真をのせていくと思われます。

 

が、よりによって帰りの飛行機の記事を 一番最初に書くとは……

サンライズ出雲(下り) シングルデラックス その1

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2018年9月26日(水)

サンライズ出雲(下り) A寝台、シングルデラックスの様子です。

天気、雨。

 

使用レンズは Carl Zeiss Distagon T*2/25 ZF.2 が主です。

たまに Carl Zeiss Makro-Planar T*2/50 ZF.2 を使ってます。

 

ま、画像を見ていただいて 広角っぽいのはディスタゴン25㎜です。

標準っぽいのはマクロプラナー50㎜です。はい。(テキトーだな)

 

東京駅 22:00発ですが、

ひょんな事故で遅れてもいやなので はやめに東京駅に到着。

いまはイバラキの牛久駅から東京駅まで直通で行けるので便利になりました。

 

1時間ばかし時間が余っちゃったので

東京駅前でGitzo三脚を広げ、

東京中央郵便局を撮る。

 

雨の夜の東京駅。

いい雰囲気。

 

郵便局。

オリジナル(吉田鉄郎作)は1931年竣工ですが、

今のこれはレプリカですね。

 

――

――って、この写真もケラレてますね。↓↓

(前回のANA386便の記事参照の事)

 

これは、ですね。

NDフィルターを使うついでに 標準レンズ用のフードをくっつけてしまうというミスを犯しました。

 

今回 旅行に備えて ディスタゴン25㎜買ったのですが、

フード関係のミスが続発しました……

 

□□□□□□□□

もとい、サンライズ出雲ですよ。

9番線に入線します。

 

21:30ごろ。サンライズ号入線。

 

雨降る中そそくさと撮ったので

(この撮影位置は屋根がないのさ)

ブレてます。↓↓

 

 

シングルデラックスのある11号車の様子↓↓

廊下、狭いです。

 

人のすれ違いは困難です。

一人がペタッと壁なり窓なりに身を寄せないとすれ違いできません。

 

部屋に到着と同時に検札がありました。

シングルデラックスは、一番最初のようです。

 

室内の様子。

第一印象は「ん、狭い……」でしたが……

 

あとあとB寝台シングルをみて、考えをあらためました。

シングルデラックスにしといてよかったです。

 

「動くビジネスホテル」という表現を ネット上のどこかでみかけたのですが、

たしかにそんな感じ。

 

ただ、お風呂とトイレはついてないですが。

 

机の様子↓↓

 

この机で弁当を食べ、

それから

あとあと「マリみて」を読みました(笑)……

 

空調の吹き出し口↓↓

まークルマのやつと同じようなものです。

 

これが、ですね。

翌朝大活躍することになるのですが、まあ、それはあとで。

 

洗面台↓↓

センサー式です。

 

椅子。ゴミ箱↓↓

 

ベッド↓↓

 

車窓の外はあいにくの雨。

 

 

 

えーいろんなグッズが↓↓

浴衣? スリッパ アメニティセット。

布団。まくら。

 

アメニティセットの中身↓↓

 

撮影したのは帰宅してからですが。

あ。未使用で持ち帰りましたよ。そんな人が多いのでは??

 

シャワーカードのクロースアップ↓↓

JRロゴの入った石鹼箱と一緒に。

 

このカードでシャワー室の利用ができます。

が、すみません。シャワー室の画像はなし。

 

コップのクロースアップ↓↓

金具のクロースアップ。

新幹線とは違いますのでけっこう揺れます。

 

シャッタースピード10秒で 車窓を撮ってみる。

 

お弁当は たいめいけんの「グリルドハンバーグ&えびフライ弁当」

 

東京駅のお弁当屋さん ほとんど売り切れで

これくらいしかなく、他に選択肢がなかったのですが……

 

なので、「まずいのか?」と心配だったのですが、

美味でした。

 

たんに高いから売れ残ってただけでした。

 

あと、ちょっと車内の探検にも行きましたので、

それは次回。

サンライズ出雲(下り) シングルデラックス その2

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えー、続きです。

 

サンライズ号。

乗る前に心配だったことが 2点あるのですが――

①周囲の部屋の物音、喋り声等聞こえたりしないか? うるさくはないか?

②けっこう揺れないか?

 

答えを書くと……

というか、以下、個人的見解ですが、

 

①周囲の部屋の物音、喋り声等聞こえたりしないか? うるさくはないか?

→まったくといっていいほど、まわりの部屋の音、声は聞こえない。

(もちろん、シングルデラックス以外の部屋の事情は知りません)

 

②けっこう揺れないか?

→かなり揺れます。

ただ、その揺れがそのうちに快感になってきます。

 

という感じです。

 

揺れが快感になる、というのはうまく説明できないのですが……

 

ベッドに横になってしばらくは

「うー、揺れる」「とても寝られたもんじゃない」

という感じだったのですが、

そのうち電車の揺れに 体が慣れてくるわけですね。

そうなってくるとしめたもので(?) すぐ寝ちゃいます。

 

振動といい、定期的なガタゴト音といい……どこか胎内にいるかのような、

というと大げさでしょうか??

 

まあ、いいや。

0時半ごろ(おそらく)寝着いたのですが、

午前3時半ごろ いったん目が覚めまして、

 

で、iPhoneの地図をみますと、琵琶湖のそばを走っているというのがわかりまして、

だったら京都まで起きていよう、ということになりました。

 

で、ただぼんやりしているのはもったいないので

車窓にカメラをおいて撮ったのが このようなゲージュツ写真であります。

三脚は使ってません。

 

↑↑まあ、たぶん正体は

そこらへんの踏切&飲み屋のネオン だったりするのでしょう。

 

これはマンションでしょうねえ。↑↑

 

↑↑どこかの駅。

 

で、京都までがんばったのですが、

午前4時過ぎの京都は真っ暗でおもしろくもなんともなく、すぐまた寝ました。

 

□□□□□□□□

時間は前後するのですが、

東京駅で検札後 車内の探検に行きましたので、その写真をば。

 

11号車の洗面所です。↓↓

 

……が、「その1」で書きましたように、

シングルデラックスには洗面台がついてますので利用することはありませんでした。

 

出発時はこんなですが、朝 トイレに行った時にみたら、

ひっきりなしに利用する人がいるようでした。

 

おつぎ。

11号車のトイレ↓↓

 

仕組みがよくわからんのですが……

真空バキュームとでもいえばいいのか、

洗浄のスイッチを押すと、

ものすごい音で

「バスッ‼」

とか音がしまして、モノが吸い込まれていく仕組みです。

 

はじめて使うときはけっこうビビります。

 

10号車の自販機↓↓

コーラを買いました。

ご覧のように種類は少ないです。

 

10号車のラウンジ↓↓

 

若いお父さん&息子君 がサンライズを見物してます。

なんともうらやましそうにしておられるので

トマス・ピンコは優越感にひたったりしたのでありました。

 

↓↓たぶん、10号車の廊下部分だとおもいます。

 

↓↓これが B寝台ソロ。

 

シングルデラックス→動くビジネスホテル だとすると、

B寝台ソロ→動くカプセルホテル でしょうか?

 

↓↓ 1998グッドデザイン金賞

 

……って、サンライズ号。20周年ですか!?

 

↓↓

たぶん、ですが、10号車のトイレだとおもいます。

 

東京駅停車中、サンライズの乗客じゃないおっさんが、

ちゃっかりトイレだけ利用して

ホームへまた帰って行ったのを目にしました。

 

そのほか、

B寝台シングルとか ノビノビ座席とか いろいろ見学しようとおもっていたのですが、

たいめいけんのお弁当を食べたら やけに眠くなったので やめにしました。

 

□□□□□□□□

え、さて、

京都駅を過ぎて、また寝て、

で、朝。

 

岡山駅に近づくころ 車内放送で起きました。

というのは 9月26日東京駅発のサンライズ、1時間ばかり遅れてまして、

 

で、岡山駅での乗り換えの案内

「お急ぎの方は新幹線〇〇に……」

「お急ぎの方は特急〇〇に……」

をえんえんやっているので、とても寝られたものじゃない。

 

で、はじめは見る気はなかった 「サンライズ出雲とサンライズ瀬戸の切り離し」

を、みようか、などとおもいはじめたのですが、

気づくと、また寝てまして……

(よく寝る人だ)

 

目覚めると、午前9時半。

「えび」

とかいう見知らぬ駅に停車している↓↓

 

え、海老??

 

今調べたら、

伯備線の江尾駅 ということでした。

 

起きたら、快晴。

昨晩の雨が嘘のような青空。

 

で、ここで問題発生。

 

室温がぐんぐん上がり

暑い……

 

窓のそばで風景を眺めるとか、とてもできたもんじゃない……

 

なんかきれいに撮れてますが↓↓

空調の吹き出し口のそばで、弱弱しい冷風のそばで

「暑い暑い」うなっております。

 

汗を流すため、あと髭を剃るため、

シャワールームへ。

 

米子で降りる支度をしている人の脇を通り過ぎてシャワールームへ行くのはなんか変な感じですが……

 

シャワーから出てくると、こんなたまらん風景↓↓

宍道湖。

 

Gitzoシステマティック三脚&Loweproフリップサイド500AWⅡ(バッグ)

それと車窓風景↓↓

 

これにプラスして、写ってませんが、Domke F-2(バッグ) 持って行っています……

完全装備。

はい、容赦なく重いです……

 

ハスキー雲台&車窓風景↓↓

 

そろそろ出雲市駅です。

 

11時ごろ。

みごとに1時間遅れで 出雲市駅着。

 

 

 

女の子二人のカップルが、

「じゃあね、サンライズ出雲」

「また会おうね」

などとサンライズ号に向って 別れを惜しんでいました。

 

この2日後。

羽田空港で エアバスA321にむかって

似たような感じで別れを惜しむ

若いお母さん&子供

を見たのですが……

 

なんなのでしょうね。

この乗り物……巨大な機械を

一種擬人化する心理というのは??

 

いや、僕にはわからん、とかいってるわけじゃなくて、

僕にも濃厚にあるわけですよ。

 

サンライズ号に別れを告げて、

一畑電車の電鉄出雲市駅へ向かいます。

一畑電車・出雲大社前駅(1930) その1

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旅行のはなし、つづき。

 

たかだか山陰地方に三泊四日で出かけただけのことですが、

基本、うちに引きこもりのわたくしにとってはものすごい大イベント。

 

サンライズ出雲→ばたでん(一畑電車)……

この展開ですと、次は出雲大社、なのですが、

 

すみません。

出雲大社の写真はほとんど撮ってません。

 

その理由を以下に書きますと――

 

旅行の目的が、大まかに3つあったのですが、

①サンライズ出雲のシングルデラックスに乗る!

②奥出雲おろち号に乗る!

③菊竹清訓(きくたけきよのり)先生の作品。

出雲大社・庁の舎(ちょうのや)、島根県立美術館、東光園。

この3つを見る!

 

この最後の菊竹清訓、庁の舎でつまづいてしまったわけです……

はやいはなし、

出雲大社の庁の舎はぶっこわされて、もう、跡形もない状態だったわけです……

(前もって調べておけよ!)

 

ショックでかすぎて、出雲大社はもう、うつろな目をしてうろつきまわるだけでした。

 

…………

 

□□□□□□□□

まあ、時系列に沿って書きますか。

 

サンライズ出雲に別れを告げて、電鉄出雲市駅へ向かいます。

 

どうでもいいことを書きますが、

サンライズ出雲の車内放送、ばたでんの発車時刻とか紹介しないのね。

というか、完全、「一畑電車無視」というか……

 

イバラキだとあれですよ、JR常磐線の車内放送で

関東鉄道(イバラキの私鉄)の発車時刻とか丁寧に紹介してくれるのですが……

 

一体何があった?

JR西日本VSばたでん??

 

もとい、こんな電車です↓↓

 

しかし、これですんなり出雲大社へ行けるわけではなく、

途中 「川跡(かわと)」という駅で乗り替えなきゃいけません。

そのあたりよそ者にはややこしい。

 

車内には

「しまねっこ」というキャラクターが。

 

川跡から乗った電車。

この電車にも しまねっこのぬいぐるみがいたが それは撮っていない。

 

で、出雲大社前駅に到着するのですが、

駅舎は まあ、あとでたっぷりご紹介するとして――

 

問題の出雲大社ですよ。

写真をほとんど撮らなかった出雲大社ですよ。

 

えー↓↓

 

以下、ごちゃごちゃ書いていますが、

要約すると、

 

「前略。トマス・ピンコよ。

遠路はるばるご苦労なことだが、

菊竹清訓先生の庁の舎は壊してしまったので、あしからず」

なる文章が掲示してあります。(ウソ)

 

えーこれは写真ですね↓↓

亡びる前の庁の舎の写真ですね。

遺影ですね↓↓

 

これまた要約すると、

「雨漏りとかひどくてコストがかさむから、

かっこいい建物だったけど壊してしまったのだ。

泣くな、トマス・ピンコよ」

ということが書いてあります。(ウソ)

 

あーあ………

 

で、でも、出雲大社にはもうひとつ菊竹清訓作品がありまして、

出雲大社・神祜殿(1981)

 

もともと庁の舎が宝物殿として建てられたのだが、

雨漏りの問題とかがあったらしく、

で、この神祜殿があたらしく宝物殿になった、という流れのようです。

 

しかし、どこかもっさりしていて

いかにも「菊竹!」って感じの過激さがないような……

 

内部も撮影禁止なので、わたくし的にももりあがらない。

というより庁の舎がもはや存在しないというショックがでかすぎるというのもあるが……

 

日経BP「菊竹清訓巡礼」に従いまして

菊竹作品の年代を整理しますと……

 

・スカイハウス(1958)

・出雲大社・庁の舎(1963)

・館林市庁舎(1963)

・東光園(1964)

・都城市民会館(1966)

 

とか、なんでしょう、菊竹清訓の50年代60年代って

なんかヤバい、うかつに近づいたらケガをしそうな禍々しいエネルギーを感じるのですが……

 

ここに、

・出雲大社・神祜殿(1981)

などと並べてしまうと、

80年代の菊竹先生というと、京都信用金庫の支店の仕事ばっかりやっている

おとなしい時期だったのではないか? などと勝手なことを考える。

 

まあ、このあと

松江に移動にしまして

・島根県立美術館(1998)

に圧倒されまして、

 

90年代の菊竹清訓は心底ヤバい。

どうかしてる……

ということを思い知るのでありますが、それはのちほど。

 

ショックはデカかったですが、

ジャングル大帝御朱印帳に ご朱印いただき、

御守もいただき、

 

これ以外にも↓↓ 家族に頼まれた御守などいろいろいただき、

 

そそくさと出雲大社をあとにするわけですが、

 

あれですな、

写真には撮った人の心情がみごとに再現されますな(笑)

 

……みごとにうつろな感じです。

 

□□□□□□□□

もとい、

出雲大社前駅(1930)ですよ。

 

どこかの神社とは違い、昔の建物を大事にとっておく精神。

 

ウィキペディアをみたりしましたが、

設計は誰がしたのか、わからず。

 

しいて言うと、ゴシック風味のアールデコ建築。といったところか。

 

はっきりいって「大味」だけど、

小さくコンパクトに 破綻なくまとめあげている。

実にいいです。

 

屋根の色がなんともいえません。

渋い、青磁みたいなグリーン。

派手すぎず……でもきちんと存在を主張していて――

 

あんがい高い材料を使っていそうです。

 

入口に誇らしげにはまったプレート。

登録有形文化財 というものだそうです。

 

しかし、

戦前アールデコ建築って

・スクラッチタイル

・モスグリーン色の窓枠

これ、お決まりですね。

 

文句を言ってるわけじゃなく……

 

「これだよ、これ」

という、感じ。

 

ひさしのデザイン↓↓

 

鉄骨の補強は竣工時からあったのか?

あとからの追加かな。やっぱり。

 

隅がピシッっときまってます。

手を抜いたところがないです。

 

よくあるでしょ? 隅っこに手を抜いた建物が。

 

出雲大社前駅。

正直申しまして――

 

出雲大社・庁の舎→島根県立美術館

という 菊竹清訓巡礼の道の通過点と認識していたのですが、

 

まさか、その……ただの通過点がすばらしかった、という……

 

まあ、松江へ行く電車……

13:56発 大社線・各停 松江しんじ湖温泉行き

 

を待つ暇つぶしにいっぱい写真を撮りました、ということもあるんですけど……

 

次回、出雲大社前駅の中をご紹介。

今野緒雪「マリア様がみてる」の元ネタは、吉野裕子「蛇」である。

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久方ぶりの「マリみて」研究です。

旅行の記事は 写真の整理がまったく進まないので 後回しです。

(あまりに撮りすぎた)

 

 

□□□□□□□□

しかし、今回は(も?) 完全な妄想な気がします。

妄説。です。

 

一体、なにを主張するのかといいますと、

◎紅薔薇姉妹――

小笠原祥子・福沢祐巳・松平瞳子は、

ヘビ三姉妹である。

以上です。

 

……

……えー、

……と、うわ!

……痛っ!

……あの。紅薔薇ファンの皆さん、モノを投げないでください……

 

――

――以下、証明いたします。

 

①今野緒雪のニョロニョロフェチ。

「いばらの森」の感想のラストあたりに書いたのですが、

「マリみて」を読んでると、

異様なまでにニョロニョロしたものの描写がおおいことに気づかされます。

 

まあ、そもそも物語の出発点は

「祐巳ちゃんの歪んだタイ」という長いニョロニョロしたものの描写で

その様子を写真に撮っていたのは「蔦子」さん、という

これまた「蔦」というニョロニョロした名前の女の子でありました。

そして小笠原祥子さまは、しきりに祐巳ちゃんのリボンに触りたがります。

 

それから「いばらの森」の感想をくりかえすと……

 

・「いばらの森」→p106~麺食堂シーン。

p236~三つ編みシーン。

前回長々引用したので、麺食堂シーンはまあ、いいでしょう。

聖&栞のラブシーンだけちょっと引用しますか。

 

 私はなぜだか意地になって、二人の髪を三つ編みにした。栞の髪を二筋、私の髪を一筋とって。そして、やっと私たちの髪は一つになった

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる いばらの森」237ページより)

 

次巻の「ロサ・カニーナ」では……

・「ロサ・カニーナ」→p104 ミミズ。

p230 なかきよ。

 

 カサカサ。

 心が、荒んでいく。

 日照りのアスファルトに迷い出たミミズのように乾燥して干からびて、もともとは何だったのかわからなくなってしまいそうだ。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」104ページより)

 

 なかきよの

 とおのねふりの みなめさめ

 なみのりふねの

 おとのよきかな

 

「ははあ、回文ですね」

 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がつぶやいた。

「回文、って?」

(同書230ページより)

 

「ミミズ」は、祐巳ちゃんの心理描写です。

祐巳=ヘビという名を持つ少女が 自分を干からびたミミズだとおもう。

どう考えてもニョロニョロを意識してます。

今野先生レベルの作家が比喩を無意識でザザッと書き散らかすということはありえません。

「なかきよ」は、

まあ、いろいろな意味がこめられていますが、

(回文=ジャック・ラカンのいう〈対象a〉だとおもうし、民俗学的な意味もある)

ここではニョロニョロの一種とみてみたい。

無限に回転し続けるニョロニョロ、と。

 

以下、気づいたものを全部引用するとキリがないので――

めぼしい物だけ挙げますと……

 

「いとしき歳月(前編)」→p206~ 安来節

祐巳ちゃんのかくし芸、安来節、

といえば、どじょう。

どう考えても長くてニョロニョロです。

(コバルトでは「やすき」とふりがなが振ってあるが、

正確には「やすぎ」である。と、ごく最近山陰に旅行に行ったトマス・ピンコは注をいれる)

 

・「パラソルをさして」→p202 鍋焼きうどん

かの名高き「レイニーブルー」で破綻しかけた祐巳&祥子。

カップルの和解のシンボルのように登場するのが

このニョロニョロした食べ物です。

 

・「未来の白地図」→p12 エンドレスしりとり

→この巻は冒頭からニョロニョロしたものだらけですさまじいです。

 

 み、ミルフィーユ。

 ゆ、祐巳。

 み、ミルフィーユ。

 ゆ、祐巳。

 

 (ああ、だめだ)

 また、心の中でつぶやいている。

 小笠原邸からの帰り道、柏木さんの車の中で始めた、エンドレスの一人しりとり。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 未来の白地図」12ページより)

「なかきよ」にちょっと似てますね。無限に回転し続けるコトバ。

回文じゃないですが。

これまた祐巳ちゃんの心理描写なのですが、

これが「編み物」をしながらというのがすさまじい。今野緒雪、間違いなく天才です。

そして、

 

 祐巳は何度目かのため息をついた後、ラーメン化した毛糸を毛糸玉にクルクルと巻き戻して顔を上げた。

(同書14ページより)

こんな 毛糸=ラーメンというニョロニョロだらけの描写の後に

ご存知のように、未来の「妹」松平瞳子登場。というわけです。

 

あと、これははずせないですね。

「卒業前小景」→p186 黒いリボン

 

 二人は空いている手で、お互いの身体を引き寄せた。

 

 黒いリボンが、二人の手首に巻きついて離れない。

 

               触れあった場所から、お姉さまのぬくもりが伝わってくる。

 

    二人の涙が混ざり合って、制服を、床を濡らしていく。

 

 祐巳も、今わかった。

 こうして抱き合って泣くことこそが、二人にとって必要な儀式だったのだ。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 卒業前小景」187ページより)

 

祥子&祐巳のラブシーン。

聖&栞の三つ編みもそうなんですが、

ラブシーン、となると、ニョロニョロを描かないではいられないわけです。今野緒雪という人は。

 

さらに……祐巳=ヘビ、祥子=ヘビ だとしたら……

 

 

②小笠原祥子=ヘビ

はい。

祥子さまファンのあなた、申し訳ありませんね。

でも祥子さまはヘビなんです。

色々な意味で。

 

一番わかりやすいのはこれ。

「クリスクロス」のラスト近く……

 

「祐巳」

 名前が呼ばれた。

「は、はい」

 蛇に睨まれた蛙、ってこんな感じなのだろうか。どうにか返事をすることはできたが、身体が硬直して身動き一つできない。

 祥子さまがゆっくり、祐巳のもとに歩きだした。

(中略)

「祐巳さまっ!」

 そこに現われたのは、予想だにしていなかった人だった。

 ――松平瞳子。

「瞳子ちゃ……」

 瞳子ちゃんは、熊でも一頭倒してきたみたいな荒々しい息づかいで、祐巳を睨むように見据えていた。

 トレードマークの縦ロールが、見る影もなくグチャグチャに絡んでいる。

 目の錯覚だろうか、二月の平均的な寒さの中で、彼女の制服からは湯気が立ち上っているようにさえ見える。

 さっきの祥子さまが蛇なら、今の瞳子ちゃんには「なまはげ」の怖さがあった。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる クリスクロス」149~151ページより)

 

 

ここね。読者の誰もが、瞳子ちゃんの

「私を、祐巳さまの妹にしていただけませんか」

に目が行ってしまうのですが……

 

小笠原祥子=ヘビ

の構図をこんなところに忍ばせてしまう、今野緒雪、おそるべしです。

 

まあ、でも……これだけだと弱いですよね。

お次、登場するのは、祥子&祐巳の初デート。

あの輝かしきジーンズ試着シーンなのですが……

 

「あっ!」

 大きく傾ぐ祥子さまの身体を、祐巳はあわてて支えた。

「お姉さま、私の肩に手を置いてください。それで、かかとを上げるのは片方ずつにしましょう」

「……そうね。わかったわ」

 やがて祐巳の両肩に、重みがかかった。こんな時なのに、こんなことが不思議に嬉しい。今、お姉さまの身体を支えているんだ、っていう実感と、それからお姉さまが信頼して体重を預けてくれていることと。

「じゃ、右足から」

 祐巳の言葉に従って、祥子さまの右かかとがそっと上がる。裾を大ざっぱに折り返してから、左も同じようにする。取りあえずかかとを出してあげないと、バランスを崩しても踏ん張れないから。

 

 いつもスカートの下から見慣れているはずなのに、ストッキングを穿いているだけで祥子さまの足は大人の女性の足に見えた。こういうきれいな足を見ると、「足フェチ」の人の気持ち、わからないでもない。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」99~100ページより)

 

この異様なまでに詳細な描写にひっかかる読者はけっこう多いのではあるまいか?

絶対なにかを隠している?? そう見るのが妥当なところです。

答えを言っちゃうと、これは

ヘビの脱皮

なのです。

 

 蛇は身体をねじるように這いまわり、顔を床や枝にこすりつけるようにして、まず下アゴ、続いて上アゴ、というような順序で皮をはがし、あとは蠕動運動を行ないながら身体を前に進ませると、皮は裏返しに残ってゆく。女性がストッキングを裏返しにしながら、足を抜いてゆくのと同じである。

 しかし事はそれほど簡単ではない。長い身体を這わせながら、上手に抜け出るのには大へんな努力がいる。

(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」7ページより)

 

ヘビは脱皮によって生まれ変わります。

ヘビ娘・小笠原祥子はおなじくヘビ娘・福沢祐巳の援助によって 脱皮を成功させる。

そして、ジーンズ・スニーカーという今までしたことのない新しいファッション(皮)を身に着けるわけです。

生まれ変わるわけです。

もちろん「ストッキング」というのが重要なワードでしょう。

2月なんだから当然ストッキングを穿いているわけですが、そんなディテール描かないでも済んだはず。

でも、脱皮シーンなのでこのワードは必要だったわけです。

あえて「ストッキング」と書いたわけです。

 

えー、どうでしょう。祥子さま=ヘビ。

以上でほぼ確定かと思いますが……

 

最後はきわめつけ、祥子さまが

代々「S」という名前を持つ一族

……の出身であることを見ていきましょうか。

 

祥子さまのお母さまの名前が「清子」(さやこ)であることが判明するのは

もちろん「なかきよ」です。

「ロサ・カニーナ」の197ページが初出だと思う。

 

「おめでとうございます。お久しぶりです、清子小母さま」

「まあ、聖さん。お元気でした?」

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」197ページより)

 

で、祥子さまのお祖母さまは「彩子」(さいこ)

 

「そこにいたのが、お祖母さまのお友達だったの。その方も私も、すぐにわかった。なぜって、私を見て『彩子さん』って呼んだのですもの」

 祥子さまは興奮して、早口になった。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる パラソルさして」191ページより)

 

彩子(Saiko)→清子(Sayako)→祥子(Sachiko)

という具合。

さらに清子という名の初出に佐藤聖(S・S)が関わり、

彩子という名をはじめて口にするのは祥子さま、という「S」だらけの凝りようです。

 

で、この「S」――

もちろん「エス」なわけですけど、

sister(シスター・英語)  soeur(スール・フランス語) sorella(ソレッラ・イタリア語)

の「S」なんですけど……

 

もうおわかりでしょう。

Snake ヘビ…… 🐍 の「S」でもあるわけですよ、当然。

 

③松平瞳子=ヘビ

 

んーだが、瞳子ちゃんは「S」の名を持つ一族ではなく

祐巳ちゃんのようにヘビという名前を持っているわけでもない。

 

でも、松平瞳子はすみからすみまで「ヘビ」しているのです。

まず、彼女の登場シーンをば。

「チェリーブロッサム」……当然、登場するのは乃梨子―瞳子です。

 

「私、入学式の日から乃梨子さんとお近づきになりたいと思っていましたの」

 確か瞳子と名乗った、両耳の上で縦ロールをつくった少女が言った。

(中略)

「入学式の時、乃梨子さん、新入生を代表して挨拶なさったでしょう?」

 その声に顔を上げると、待っていたのは瞳子のキラキラした瞳。まだ、話は終わっていなかったようである。

「挨拶……、それが何か」

 言葉遣いにも慎重になる。この場所がどのようなところなのか完全に把握できるまでは、不用意に目立たないことが賢明だ。

「いえ、ただ。新入生の挨拶をされた方ってだけで、やはり注目してしまいますわ」

 言葉の真意を量りかねる不思議な表情で笑うと、瞳子は乃梨子のタイの形をそっと直した。

乱れたタイは、要注意ですから

「?」

「上級生に注意されたりしては大変」

 ――彼女は世話焼きなようである。

 銀杏並木は蛇行しながら先へ先へと延びていく。二股の分かれ道の真ん中で、少女たちは立ち止まる。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる チェリーブロッサム」14~16ページより)

 

まず、「縦ロール」――あとあと聖さまが「電動ドリルちゃん」などと言い始めるのですが、

それよりも「ヘビのトグロ」とみるのが妥当でしょう。

 

 蛇のトグロの巻き具合から、性質や健康がわかる。身体の上に身体を積み上げるようにして、盛り上がりのあるトグロは筋肉がよく締まっていて元気なしるしである。全身を床にベッタリつけた盛り上がりのないトグロはスタミナを消耗している場合の特徴である。

(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」9ページより)

 

↑↑にみました、「私を、祐巳さまの妹にしてくださいませんか」シーンで

縦ロール……トグロがグチャグチャになっているところに注目。

 

それと……「瞳子のキラキラした瞳」――

いやがうえにも「目」の強調。ヘビです。ヘビなんですよ。

 

 蛇の目は光らないが、蛇の目にはマブタがなく、透明な角質で蔽われ、いつも開き放しで、マバタキをしない。いつもじっとにらまれているかんじがする。その畏敬、おそれから、蛇は目が光るとされてきたのである。

(同書6ページより)

 

瞳子の登場シーン。

こうして彼女の「ヘビ」要素を描きつつ、

「タイ」というお決まりの長くてニョロニョロした物の登場。

そしてさいご、きわめつけのワード。

「銀杏並木は蛇行しながら……」

で、締めくくる今野緒雪、すさまじいです。

 

 

で、きわめつけのヘビ要素は、同じく「チェリーブロッサム」ですが……

 

「と、瞳子ちゃん!」

 四人は一斉に、驚きの声をあげた。

 階段の音はしなかった。それなのに、ビスケット扉の前、いやそれよりずっと踏み込んだ場所に、縦ロールの少女が一人立っていた。

「どどど」

 今回は、祥子さまと令さまが道路工事の擬音を発した。

「どうしてここにいるの」

「どうして、って? 玄関の扉を開けて、階段を上って」

「全然、音しなかったわよ」

「えー、そうですかぁ? お話に夢中になっていたからじゃないですかぁ? あ、でも瞳子、舞台女優だから、音立てずに歩くこともできるんですよー

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる チェリーブロッサム」177~178ページより)

 

はい。もう確定でしょう。

音を立てずに歩けるのは、瞳子=ヘビだから、です。

 

ああ、そうだ、ついでに「松平」の「松」ね。

 

 蒲葵(びろう)のほかに日本本土では藤・竹・梛(なぎ)・黄心樹(おがたま)・松・杉なども神木とされた。それらは蒲葵ほどではないが、種々の観点から蛇に見立てられ、そのために神木となり、神域に植えられたのである。

(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」29ページより)

 

と、松=ヘビの構図もありそうな気がします。

 

□□□□□□□□

以上、いかがでしょうか?

小笠原祥子=ヘビ

福沢祐巳=ヘビ

松平瞳子=ヘビ

 

◎紅薔薇三姉妹はヘビ三姉妹である。

そう結論づけてよいのではあるまいか??

 

あとですねー、今はやりませんが

「キツネにつままれた」

今野先生好きですよねー

で、「狐」というと やはり吉野裕子先生なわけで……

 

どうみても今野緒雪は吉野裕子の愛読者のような気がしてならんのですよ、はい。

 

あと……これでさいごにしますが……

 

「薔薇のミルフィーユ」

由乃―奈々ですが、

 

「失礼しました、島津さま」

「できたら、由乃っていう下の名前で呼んで」

「ヨシノさま……ですね。あの、染井吉野の吉野ですか?」

 本当にまったくと言っていいほど私のことを知らないんだ、この子。――と、由乃はちょっぴり感動した。

 自意識過剰と言われようと、由乃が高等部の中で結構有名人の部類に入ることは間違いない。

 でも、この子は知らない。脳天がしびれた。

「自由の由に、若乃花の乃」

(中略)

「ああ、乃木大将の乃……」

 若乃花ではピンとこなかった奈々は、あまり相撲には詳しくないらしい。しかし、乃木大将ときたか。渋い中学生だ。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ」21~22ページより)

 

由乃=吉野

これがなぜくり返されるのか??

 

「島津由乃。シマは日本列島の島、ヅは甘栗で有名な天津の津、ヨシは自由の由、ノは乃木大将の乃。染井吉野のヨシノではありません」

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 未来の白地図」122ページより)

 

リリアン女学園のトリックスター、

「マリア様がみてる」のもう一人のヒロイン、島津由乃ちゃんの「ヨシノ」は……

 

ひょっとして吉野裕子の「ヨシノ」なのではあるまいか???

 

一畑電車・出雲大社前駅(1930)その2 および デハニ50形52号車

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ばたでん・出雲大社前駅の中身です。

 

「駅」というのに――

しかも1930年の歴史ある建物というのに――

出雲大社の近くなのに――

 

平日、昼間。

誰ぇぇーーも来ません。

 

まあ、おかげで遠慮なく写真撮影にはげむことができました。

 

ステンドグラス。

 

へたに模様とか描こうとしていないのがいい。

なんか神話のモチーフとか書きたくなるじゃない? ふつうは。

 

電車が来るまでだいぶ待ったのですが、

まったく飽きなかった。

 

アールデコ調のレリーフ&スクラッチタイル

そしてステンドグラス。

 

この出雲大社前駅が巨大化すれば あれですよ。

上野の国立科学博物館になるわけですね。

「駅舎」の建築って

あまりいいものがない、とか思いこんでいましたが……

 

ありましたね、いいものが。

 

ゴテゴテしたディズニーランド建築みたいな東京駅より、

こっちのほうが何十倍か美しいな。

 

 

あと、

ものすごく個人的なはなしになりますが、

 

新しく買ったカメラのレンズが

(ツァイス・ディスタゴン25㎜)

建物内部の撮影にも使いやすい画角ということがわかったのは収穫でした。

 

「25㎜」という――

日本メーカーのレンズにはないヘンテコな焦点距離が若干不安だったのですが、

これは正解でした。

 

あ。最後3枚はどうみても マクロプラナー50㎜ですが。

 

 

 

えーなんか古い電車が展示してありました。

無料で見れます。

 

切符とか入場券とか買う必要はなし。

 

駅舎はべた褒めですが、

こっちはなんだかよくわからなかった。

 

というのは、

 

最近……

といっても5月か、

横浜市電保存館で きれいな市電を見てしまったからで、

 

 

大変申し訳ないが……

んーあちこちデザインがダサい気がして……

 

市電保存館のあの興奮はなかったです。

なぜなんだろう??

 

まず、木材の塗料がすごくくたびれている、というのはあるな↓↓

色褪せちゃって、なんかかわいそうな感じ。

 

市電保存館の市電、もちろん古かったけど

ピッカピカだったよな。

 

あと、やっぱり、あれか?

元横浜市民としては 市電の走っていた場所がなんとなく想像できるのだが、

ばたでんに関しては全くわからない、というのもあるか??

 

あと、ディテールの処理があっちこっち テキトーな気がするんだよな。

 

↓↓こういう網棚のパーツとかが、さ。

美を感じませんな。

 

といって、横浜市電のはどうだったか、おぼえていないのだが。

 

ま、無料で見せてもらって文句を言うのはおかしいですね。

でも、もうちょいきれいに塗りなおしてはいかがだろうか??

 

とかいいつつ、

写真撮りまくっているのは、

なにかの資料に将来使えるかもしれない、などとおもっているからで……

 

運転席。

解説能力ゼロです。

 

マスコンとかいうのでしたっけ?

↓↓

↓↓右から

「前照灯」

「弱メ界磁」

……

ときて、「カラオケ」というのがウケた……

 

スイッチ押すとどうなるのだろ?

天井からミラーボールが出てきたりして(笑)……

 

……

 

 

出雲大社前駅は以上。

 

で、13時56分発 大社線・各停 松江しんじ湖温泉行きに乗りまして、

次の目的地、島根県立美術館へ向かいます。

菊竹清訓・島根県立美術館(1998)

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2018年9月27日(木)

のことです。

 

13:56 出雲大社前駅発 一畑電車・大社線 各停 松江しんじ湖温泉行きに乗りまして――

 

ANA386便の記事で書きました、

例の「忍者レフ」という ダサい小道具を用いまして――↓↓

 

車窓越しに宍道湖を狙います。

 

……とかいって、車内の照明が写り込んでいますが……↓↓

どうもレフ板を窓と平行にしないと効果がないようです。

 

出雲大社のほうはそんなことなかったのですが、

宍道湖付近は サッと一雨あったようです。

 

道路がうっすら濡れてました。

 

デジタル処理で電線を消し、(ちょっと残ってる)

斜めになってた構図をまっすぐに直し……↓↓

 

普段はそんなことやらんのですが……

そういうチマチマしたデジタル処理をしたくなるほど(??)

たまらん景色だった、ということですよ。はい。

 

ばたでん・大社線たまらんですね。

ま、JRは湖の反対側を走っているんですが。

どっちにしろ宍道湖のそばを走っているのですが。

 

大社線のほうが景色がいいかな?? ま、好みによりますね。

 

あと、違いを書くと、

JRは気動車(ディーゼル車)ばっかりです。

ばたでんはもちろん「電車」です。

 

14:57 松江しんじ湖温泉駅着なので

1時間ばかし電車に乗っていることになりますが、

まったく飽きなかった。

 

駅からはバスで美術館に向います。

15:05 ぐるっと松江レイクライン という市営バスが ほぼ定刻通りやって来まして

15:20ごろ 美術館のエントランス着。

 

エントランスにバス停があります。

 

島根県立美術館。

 

で、では……

入ります。

 

エントランスから、もう宍道湖方面の至福の光景が見えていて……

誰も立ち止まりませんね。

 

一気に宍道湖に向い合ったファサードに駆け寄る感じ……

 

はい。

こんなです。

 

なんですか、ここは?

天国?……ですか??

 

おもわずモノクロにしてしまいました。

 

……

 

ちょうどいい時間帯に来た。

もちろん至高のトワイライトタイムまで居座るつもり。

 

ズドーン という円柱は

出雲大社の柱の引用? とか考えたりするわけですが……

 

写真でみるほどは目立ちません。

実際に現場にいると。

 

えー……

以下、大学の建築学科を出ただけの シロートが偉そうなこと語りますが……

 

 

◎島根県立美術館=巨大な鏡

これが答えなんじゃないでしょうか??

 

「出雲大社」的な

バカでかい、目立つ モニュメントばかり建ててきた建築家が、

(東光園・アクアポリス・江戸東京博物館……)

 

70歳を迎えて 反モニュメントを……

ゼロ建築(鏡)を建ててしまった。

 

鏡の中に、お得意の「モニュメント」(柱、もちろん男根)を閉じこめた。封じ込めた。

 

いや、

宍道湖畔という最高の場所を与えられて――

こうするより他なかったのか??

 

70歳を迎えた日本建築界の巨匠の むしろ余裕をみるべきなのか??……

 

んー……以上、

トマス・ピンコお得意の屁理屈を書き並べましたが……

 

日経BP「菊竹清訓巡礼」 176ページに

この建築の曲線に関して……

 

完成時の取材で菊竹に

「あの形はどこから?」

と、問うと

「刻々と変化する『なぎさ』です」

と答えた。

 

形あるものではなく、変化するものをモチーフにするとは、

さすが菊竹。

 

と、宮沢洋さんが書いているが。

 

ふふーん、

「なぎさ」

ですか……

 

 

 

まあ、いい。

あたしゃ、お腹が減ったのです。

 

サンライズ出雲で朝、

「洋食やの牛肉弁当」(たいめいけん)を食べたきりなにも食べていない。

 

美術館のレストラン。

リストランテ・ヴェッキオロッソ というところで遅めのランチ。

 

んん、また書きますね。

ここは天国ですか??

 

えー食べ物の写真とか、わたしのブログで期待しないでください。

でも、この眺望です。

 

もう決まりでしょう、あなた。

松江へ行ったら、迷わず島根県立美術館。

そしてリストランテ……ええと、ヴ……ヴェッキオロッソでランチ。

 

お城とか後回しでいいです。(むろんトマス・ピンコは松江城、無視)

 

む。白い「I型鋼」……

 

すると、あれか。

ミース・ファン・デル・ローエの傑作 ファンズワース邸の引用か??

 

とか、食事中も屁理屈は止まらない。

 

でも建築好きは誰も、思い浮かべます。

白いI型鋼といや、ミース……

 

 

でも翌日宿泊しました、皆生温泉・東光園のロビーでわからなくなりました。

 

もちろん東光園といや、初期・菊竹清訓の傑作なんですが……

(以下2枚、東光園のロビーです)

 

白いI型鋼だらけなんですよね……

 

わかりません。

島根県立美術館の白いI型鋼は、

自分の若き日の傑作を引用したのか?

 

 

 

 

 

宍道湖を写す「鏡」の中に、

若き日の傑作の思い出を閉じこめたのか??

 

――とか考えるとおもしろい。

 

あ。

そうそう、屋根はチタン製ですって。

ははーん……

 

チタンというと旧ソ連の原子力潜水艦を……

はっきりいうと 「レッドオクトーバーを追え」を思い出すんですがね。

 

夕焼けまでだいぶ時間があるので、

周辺を歩き回ります。

 

庭にうさぎさんが。

なんかおしゃれ。

 

トリミング。

 

 

走っておられます。

 

で、あとあとミュージアムショップで↓↓

こんなもの買ったのですが……

 

「幸せになれるという美術館の 幸運 うさぎ」

 

誰かご婦人にでもあげようとおもって買ったのですが、

買ったはいいが、あげる相手がおらず、けっきょく自分の部屋に飾っておるのですが……

 

 

宍道湖に向って走っているうさぎの

湖岸から2番目に触ると幸福になると

言われています。

 

おいおい……

 

そういう大事なことはさ、

美術館にいるうちに教えてくれませんか。

 

みごと、

帰宅してからこの文言に気づいたトマス・ピンコでありました。

 

そういや、写真にちらっと写ってるチビちゃんが↑↑

しきりにうさぎに触っていたような記憶があるんですよね……

 

あーあ、絶対もう一度行かんといけませんな。

 

……

……あ、島根県立美術館の記事、続きます。


島根県立美術館(菊竹清訓)、宍道湖の夕景、松江市の夜景。

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ひきつづき、

2018年9月27日(木)の宍道湖畔の様子。

 

島根県立美術館で日没を待ちます。

日没時間は17:58

 

――とあらかじめ調べてある。

 

16:20頃の様子↓↓

んーなんか雲が多いな……

今日はきれいな夕焼けは望めないかな……

 

これもほぼ同時刻。↓↓

 

雲が多い、とかいって

とんでもなくキレイですがね。

 

湖畔でみつけた小さなプレート↓↓

ものすごく控えめな大きさだった。

なにか参考になる物をとなりに置いてとるべきだったかな。

 

しまね景観賞??

いや、どうみても

「日本景観賞」

で、いいんじゃないっすか?

 

でも、この控えめさがこの街のいいところか。

イバラキ人ならドカーンと石碑を建てそうな気がしますぞ。

 

湖畔探索も飽きたので

また美術館内へ。

 

前回の記事の写真、無人でしたが、

人が増えています↓↓

 

日没に近づくに従って、どんどん人がやってくる妙なところなのです。

 

館内の様子。

 

テラスにいた カバ。

 

奥にゴリラもいるな。

 

なんか菊竹作品にしては まったく威圧感のない 島根県立美術館ですが、

目立たない部分のメカっぽさは やっぱり菊竹清訓です。

 

ミュージアムショップ↓↓

 

ここで前回紹介したウサギさんを購入。

その他 なかなかオシャレな雑貨類があったので、

家族・知り合いにお土産も買った。

 

17:25ごろ。

湖畔で日没を待ちます。

 

まー結論からいうと、

やっぱし雲が多くて それほどきれいな夕景は撮れなかったのですが……

 

↓↓そろそろ三脚を使い始めたような気がする。

 

せっかく重たいGitzoシステマティック三脚を持ってきたので……

使わんとな。

 

おんなじ構図ですみませんね↓↓

17:36 日没直前。

 

焦点距離:25㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:1/50秒

ISO:100

 

OLさん? がいきなり湖畔にやって来て 黄昏始めたので――……

 

なんかいい雰囲気でしたので

すみませんが後ろ姿をパチリ。

 

でも、

よそ者には「え??」 とおもうくらい

けっこうな数の人が湖畔にやって来て

黄昏てました。

 

これは……ゲージュツ家気取りですが……↓↓

灯り始めた街の明かりがよい雰囲気です。

 

18:04 日没直後ですね。

焦点距離:25㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:2秒

ISO:100

 

ここで望遠ズーム(70-200㎜)に付け替えまして、

街の中心部へレンズを向けます。

橋は松江大橋。

 

18:12

焦点距離:70㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:1秒

ISO:100

 

望遠ズームのまま

さっきの場所に戻る。

 

焦点距離:102㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:1秒

ISO:100

 

またディスタゴン25㎜に付け替えて……

あまりに美しい松江の夜景を前に

バタバタしてます……

 

ほんのり空に青みが残って、

一番いい時間帯です。

 

んー もっと空を大きくとるべきだったな。

構図が完全に失敗しているような気が……

 

焦点距離:25㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:2秒

ISO:100

 

上の画像をトリミングしたもの↓↓

 

んーだからはじめから 50㎜で撮ればよかったのだ。

 

はい。

で、撮影している隣は とんでもなく美しい建築物が……

 

もうおわかりかとおもいますが、

島根県立美術館、午後遅くに来るべきです。

もちろん事前に日没の時刻を調べてね。

 

下4枚、撮影データ同じです。

ディスタゴン25㎜、このレンズにもうホレてしまいました。

 

焦点距離:25㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:2秒

ISO:100

 

 

 

 

上の画像をトリミングしたもの↓↓

 

美術館のレストラン&松江市の夜景です。

 

また望遠ズームに付け替えます。

時刻はもう18:40で 魅惑のトワイライトタイムはすでに終わってます。

 

焦点距離:70㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:20秒

ISO:100

 

上の画像をトリミングしたもの↓↓

まんなかにライトアップされた松江城が見えます。

 

焦点距離:70㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:20秒

ISO:100

 

上の写真とデータは同じなんですけど、

信号のタイミングがずれると まったく色合いが変って面白いです。

 

上は青信号

下のは赤信号

 

また25㎜に付け替え、

 

焦点距離:25㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:30秒

ISO:100

 

んーシャッタースピード10秒くらいでよかったか??

 

さいごは50㎜

 

焦点距離:50㎜

絞り値:f/8

シャッタースピード:30秒

ISO:100

 

上の画像をトリミングしたもの↓↓

やっぱし露出がオーバーぎみかな??

 

なんかトリコロールカラーみたいになってるのがおもしろいな。

 

――と、いいかげん疲れましたので 夜景撮影終了。

旅行会社が手配してくれた宿へ急ぎます。

奥出雲おろちループ・三井野原大橋(奥出雲おろち号より)その1

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2018年9月28日(金)のこと――

出雲大社→島根県立美術館をめぐった翌日は 奥出雲おろち号に乗りました。

 

「奥出雲おろち号」乗車記 みたいなものを 時系列にしたがって書こうとおもったのですが、

なにぶんにわか鉄道ファンで、

カメラ>鉄道

……な自分にとって、

「三段式スイッチバック」がどうこう、とかいうよりも

 

ハイライトはやっぱし 奥出雲おろちループ&三井野原大橋 になりますので、

 

土木系の記事だけ独立させようということになりました。

(乗車記は乗車記であとで書こうとおもうのですが)

 

……といって、

土木系に関して 書く能力はないので

ただ 撮った写真を貼るだけになるとおもいます。

 

そうそう、吹きっさらしのトロッコ列車ですので

例の「忍者レフ」は使いません。

 

□□□□□□□□

名物の

「三段式スイッチバック」の直後、それはあらわれた……

 

はい。ただの橋なんですけどね。

 

奥出雲おろちループ

「日本最大級の二重ループ」だそうです。

 

「級」というのはなんなのかね?

最大!

と言いきれない理由はなんですかね?

 

↓↓上の写真をトリミングしたもの↓↓

 

クルマでも走っていればスケール感がわかるのだが……

あいにく平日昼間 誰もいない。

 

しばらく進むと 鮮やかな赤の三井野原大橋があらわれます。

 

じつはわたくし

旅行の直前に 「みんなの鉄道」の奥出雲おろち号の回を

3回ばかし見まして、熱心に予習したのですが――

 

なぜ、橋を真っ赤に塗るのさ?

 

と疑問に思っていたのですが……

 

いや、現実に見ると

 

赤しかない……

完璧なチョイス……

 

と唸らされます。

 

テレビの画面では赤い色が陳腐に見えたのですが……

いい色でした。

 

ブログ上の小さな画像でどの程度再現できるのか、わかりませんが。

 

橋の右手の建物は

道の駅・奥出雲ループ だとおもいます。

 

上の画像をトリミングしたもの↓↓

 

1台走ってるクルマがいるな。

平日はとにかく人がいないようです。

 

いつの間にか おろちループを見おろす位置に来ています。

 

ははん、こういう構造か。

 

ぐるぐるぐる……

 

上の画像をトリミングしたもの↓↓

 

んー そうとうデカいというのはわかるんですが……

例によってクルマが走っていないので、

比較対象がないな……

 

以前、

横須賀の軍港めぐりの船で

空母ロナルド・レーガンをみたときのことを思い出します。

 

あまりにデカいものは スケール感がなくて

「デカい!」

という実感があまり浮かばないようです。

 

 

 

ふたたび 三井野原大橋。

 

木次線、徐々に傾斜を登っていっているのがよくわかります。

 

これがベストショットかな。

 

 

道の駅の左ななめ上 白い看板みたいのが4つ並んでいますが……

「観」「光」「牧」「場」と書いてあります。

 

牛さん、馬さんいるのかな?

 

いやしかし のどかなところだ。

 

おろち号

三井野原駅に停車。

お客さんがごそっと降りていきます。

 

すっかり閑散とした車内……

三井野原駅は ウィキペディアによりますと、

「JR西日本の駅の中で最も標高の高い(727m)駅」なのだそうです。

 

以上で「その1」終り。

「その2」で復路の光景をご紹介

……ってけっきょく同じ光景なのですが……

今野緒雪「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」感想

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趣味のマリみて研究。

 

あの――前回、

紅薔薇姉妹=ヘビ三姉妹

という仮説をたてたのですが、

決定的な証拠(?)をみつけてしまいました。

 

それは、作者のプロフィール――

今野緒雪

1965年6月2日、東京生まれ。

……

1965年って 巳年……ヘビ年なんですよね……

もう決定的じゃないでしょうか??

 

□□□□□□□□

まあ、いいや、

4巻目の「ロサ・カニーナ」です。

 

「ロサ・カニーナ」と「長き夜の」の2本立て。

カバーに書いてあるあらすじをみますと……

 

 年が明けて三学期が始まったリリアン女学園では三年生の欠席が目立ち、祐巳たち下級生は大好きな先輩の卒業が近づいていることを実感していた。そんな中、来年度の生徒会役員選挙が行われることになる。祐巳はつぼみ(ブゥトン)の三人がそれぞれの薔薇を引き継ぐのだと思っていたが、二年生で「ロサ・カニーナ」と呼ばれる生徒も立候補することを知って…!?

 大騒ぎのお正月を描いた番外編も同時収録。

 

――蟹名静さまが登場。生徒会役員選挙に立候補します。

 

まず、「ロサ・カニーナ」からみてまいります。

感想①構造の危機→儀礼による回復

「マリみて」の基本パターンはたいていいつも同じです。

 

 ゲームは離接的である。それは対戦する個人競技者ないしチームの間に差別を作り出す。ゲームが始まるときには、両方ともまったく平等であったのに、終了するときには勝者と敗者にわかれる。これと対称的に儀礼は連接的である。なぜならそれは、もともと離れていた二つの集団のあいだに結合、ないしはいずれにしても何らかの有機的関係を設定するからである。

(中略)

 ……儀礼と神話は器用仕事(ブリコラージュ)(工業社会はこれをもはや「ホビー」もしくは暇つぶしとしてしか許容しない)と同様に、出来事の集合を(心的面、社会・歴史的面、工作面において)分解したり組み立てなおしたりし、また破壊し難い部品としてそれらを使用して、交互に目的となり手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。

(みすず書房、クロード・レヴィ・ストロース著「野生の思考」40~41ページより)

 

クロード・レヴィ・ストロースの分析する未開部族のように、

部族内に構造的な危機が生じると、それを「儀礼」によって回復しようとするのです。

 

まあ、つまり、「姉妹」(スール)の契りの儀礼によって秩序を回復するわけです。

(マリア像の前でそれをする、というのが いかにも「儀礼」なわけです)

 

「ロサ・カニーナ」で描かれる「危機」というのは、

将来的にやって来るであろう 三人の薔薇さまの卒業で――

 

「少し寂しいわね」

 祥子さまが目を伏せてつぶやいた。

(……あ、そうか)

 年が明ければ、どうしたって「卒業」の二文字を意識せずにはいられない。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」18ページより)

 

構造が↑↑こんな不安定になってしまうことです。

そのために「生徒会役員選挙」という「儀礼」が用意されているわけなんですが、

そこにロサ・カニーナこと 蟹名静さまが立候補することになった、というのがものすごく事態をややこしくさせています。

 

つまり、立候補するのが現「つぼみ」(ブゥトン)だけだとすると、

小笠原祥子、支倉令、藤堂志摩子、この三人だけだと 信任投票になるだけのことで――

それは「儀礼」となるのですが、

 

この「儀礼」に 蟹名静が加わることによって、

「勝者」と「敗者」という区別が生じてしまうわけです。

これはレヴィ・ストロースの分類によれば「ゲーム」になってしまうわけです。

 

志摩子さんが延々立候補をするのを悩んでしまったのは、

「儀礼」はいいのですけれど、「ゲーム」はわたし嫌ですの。

「勝者」と「敗者」を作るのはわたし嫌ですの。

というのが本音だったような気もします。

 

感想②「蟹名静」なる名前

 

「久保栞」だの「田沼ちさと」だの なんか脇役の名前をこしらえるのが天才的にうまい今野先生ですが……

蟹名静はすさまじいですね。

 

蟹名。

まあ、どなたでもわかるように――

この構造上の空隙にはいりこもう――

はっきりいうと 佐藤聖さまと藤堂志摩子ちゃんの間を切っちゃおうというから

「蟹」 ✂……

なわけです。

 

ただ、蟹名静が薔薇の館に乗り込んできて

祐巳ちゃんと志摩子さんの前で語るプランというのはイマイチよくわかりません。

 

最終的にこうしたいというのはわかるのですが↓↓

その途中の過程は……

 

つまり、

蟹名静嬢が当選した場合、

三薔薇さまが卒業するまでの数か月はどうなるのか? 何度か読んでみたのですが、

よくわかりません。

 

「もちろん、だからといってあなたを薔薇の館から追い出すような真似はしないわ。幸い、私には妹がいない。現在の白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が卒業なさった後、私はあなたを妹として迎えるつもりよ」

(同書98ページより)

静さまはいっているのですが、

 

フルメンバーになるのか?

(考えてみると、乃梨子、瞳子の代が薔薇さまになっても

奈々は二年生である以上、薔薇の館はフルメンバーにはならないのであった。

どう考えても今野先生、意識的にそうしているのである)

数カ月間、志摩子さんのポジションは空白になるのか?

このあたりの曖昧さは 別に今野先生の文章の欠陥、というわけではなくて……

リリアン女学園の貴族主義、エリート主義的な制度があらわれている、とみていいのではないか?

 

たぶん、リリアン女学園は

その他大勢の庶民の通う学校のように「民主主義的」には動いていないのです。

 

身もふたもないことを書いてしまいますと――

◎「ロサ・カニーナ」

→民主主義が、

リリアンの姉妹(スール)制度なるエリート主義に敗北するおはなし。

といってしまっていいとおもいます。

 

 

あと……「蟹名静」なる名前に関しまして。

イニシャルの

K・S (Kanina Shizuka)
がとても気になる。

 

今野先生の「S」への執着

というのは前回見ましたが、

「K」もやっぱり異常な執着をみせていまして

 

・Kは今野のKである。

・なにかと登場する「K駅」という存在。(吉祥寺??)

・ウァレンティーヌスの贈り物(後編)のあとがき。

 

最後に、クイズ。

福沢祐巳にあって鵜沢美冬に足りない物は何でしょう。

 

答え。身長と髪の毛の長さ、それとアルファベットのKです。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」247ページより)

 

・佐藤聖と加東景。

 

「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。加東よ。加東景」

「……かとう、けい」

 うわっ。誰かさんの名前とそっくり。――と、口に出さずに思った時。

「あっ!」

 その、誰かさんが叫んだ。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる パラソルをさして」29~30ページより)

 

その他まだ「K」はあったかどうかわからんですが、

とにかく、ですね。

もう一人の重要なK・Sのことを思い出すわけですよ。

 

柏木優(K・S)

を。

どうも、魅力的な「悪役」(けっきょくいいやつ)に

K・Sという名前をつけたいようなのです。

 

 

さて、おつぎ。

「ロサ・カニーナ」に関して、聖―静のキスシーンとかいろいろあるわけですが、

書くときりがないので……

 

感想③なかきよ

 

なかきよ、こと 「長き夜の」ですが――

これもやっぱり 「構造の危機→儀礼による回復」です。

 

「なかきよ」がすごく興味深いのは

 

「山梨、行こうと思うんだけど」

 事の始まりは、両親のその一言だった。

「やまなし?」

 私と弟の祐麒は、彼らの子供として当然聞き返す。「いつ?」「何で?」――って。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」138ページより)

 

なんと、祐巳ちゃんの「私」一人称で語られるおはなし、ということで……

で、この、今野緒雪にしては特異な文体がキーでして……

 

はっきりいっちゃうと、

福沢祐巳の性的な危機(構造)を「なかきよ」という儀礼で回復する。

というストーリーであるからこそ、「私」一人称が選ばれたのだと思います。

 

「性的な危機」というとなんか大げさですが、

ようは

「思春期の女の子が男の子とどうやってつき合っていくのか?」

というそれだけのことなんですけどね。

 

はじめに描かれる

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さまとのデートは

限りなく男に近い女性とのデート

なのでしょう。はっきりいうと。

 

 ちょっとだけ毛先を揃えたのかな、いつもより顔つきがシャープ。キャメルのロングコートから覗く足もとは焦げ茶色のブーツ。練乳みたいなやわらかい白の襟巻きを無造作に巻いて、何か大人の女性、というよりむしろ外国の紳士、って感じで格好いい。

(同書162ページより)

 

このデートの描写 そこここで

かすかに「セック〇」を示唆するような文章があるのが興味深いです。

むろん「マリみて」流のソフトな描写ですが。

 

「しっかし祐巳ちゃんのバッグ、パンパンだね。その中に、もしかしてパジャマとか替えパンツとか入っているのかなー」

(同書163~164ページより)

 

 せっかく見直しているっていうのに、美人の巫女さんに色目つかわないで欲しいんですけど。

(同書172ページより)

 

 引っ越しはともかく、十六歳の女子高生に「結婚」だの「子宝」だのっていうのは、あまり関係ない気がするんですけど。

(同書174ページより)

 

もちろん、聖ー祐巳のイチャイチャシーンが多数あるわけですが。

 

で、疑似男性・聖さまのクルマで連れられて行った先は

憧れのお姉さまの住むお屋敷だったわけですが、

 

そこにホンモノの異性が、男が、

二人待ち構えているわけです。

 

福沢祐麒(弟)

柏木優(祥子さまの従兄)

ただこの二人が……

 

――私の弟の肩に手を掛けて。

(同書194ページより)

 

と、同性愛を示唆するようなかたちで登場するので

「異性」

であることを弱められている、というわけです。

なおかつ「近親相姦の禁忌」というのもあって、

「ものすごく薄味の異性」

といってよいでしょう。

 

小笠原邸でもやっぱり 「マリみて」流の

お行儀のよいセッ〇スほのめかしがありまして……

 

「今日ね、小笠原家の男ども、外に囲っている女のところへ行っているのよ」

(同書207ページより)

 

(祥子さまは男嫌いだったんじゃなかったの? 柏木さんを嫌っていたんじゃなかったの? それなのに、柏木さんのお箸でつままれたお寿司を、どうして口に入れられるわけ?)

(同書220ページより)

(うーん、このお寿司のシーンとか天才としかいいようがないよな。こんなふうに「性」を描くか? フツー……

「生」の食べ物というあたりも効いているよな……スゲースゲー)

 

で、決定的な「構造」の危機――

いいかえると、「貞操の危機」は――

弟の祐麒君の侵入シーンなわけです。

大げさかもしれませんが、

大げさなんですが、そうなんです。

 

 で、祐麒がふすまを開けて和室になだれ込んできたのは、さあどこに誰が寝ようかなんて決めようとしている時だった。私たちは「何事!?」って身構えて、祥子さまなんかあわててネグリジェの上からガウンを羽織った。

(同書222ページより)

 

考えてみると、

一番危険な異性は祐麒くんなわけです。

そのことを同性愛者の柏木さんが主張します。

 

「隣の部屋とはいえ、襖一枚。健康な少年であるユキチがだよ、祐巳ちゃんはともかく、さっちゃんや君を襲ったらどうするんだ。そうならないためのお目付役だよ」

 あんたの方が危ないよ、って思ったけど、柏木さんは女に興味ないんだっけ。

(同書227ページより)

 

で、この直後……つまり

最大の危機の直後、祥子さまのお母さま 清子小母さまが登場。

そして「なかきよ」なる儀礼ですべてまるくおさまるという流れです。

 

まるくおさまる、というのは、

 

(それにしても、夢みたい)

 茶色く染まった部屋の中、手を伸ばせばすぐ届きそうなくらい近くに祥子さまの寝顔が見える。この姿を、この瞬間に感じていられるのは私だけだった。

 従兄でも婚約者でも、男である柏木さんには許されない。

 私は、祥子さまの妹になることができる女に生まれて、そして祥子さまと同じ時代にリリアンの生徒となれて本当によかったと思う。マリア様に、心から感謝するのだった。

(同書243~244ページより)

 

この文章がめちゃくちゃうまいのは――

ほんと今野先生、すさまじいのは

「茶色」で……

 

これは祐巳ちゃんの用語で

部屋を完全に真っ暗にするのではなく 電球一つだけにすることをいっているのですが……

 

茶色→

異性愛ではなく

といって同性愛でもない、

祥子さまとの姉妹関係

と、うまくパラレルになっています。

 

ほんと今野緒雪はディテールがすさまじいです。

 

 

あとまあ、

◎「長き夜の」

→民俗学者・今野緒雪の本領発揮!

だとおもっているのですが、

 

「日本のお正月」をここまで精細に描いた文学作品は他にない、とおもうのですが、

きりがなくなるのでやめます。

奥出雲おろち号(木次線トロッコ列車)その1

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今回の旅行、

いろいろ目標を立てたわけですが――

 

今のところ、

①サンライズ出雲のシングルデラックスに乗る→◎ (注:チケットが確保できた時点でほぼ成功間違いなし)

②菊竹清訓の出雲大社・庁の舎をみる→× (注:庁の舎が壊されていたことを知らなかった)

③菊竹清訓の島根県立美術館をみる→◎ (注:重たい三脚をこのために担いできた)

 

と二勝一敗と勝ちが先行。

次なる目標は……

 

④奥出雲おろち号で美人鉄子さんに出会い、恋に落ちる。 

というものなのですが――……

さて、成功するのか否か?

 

□□□□□□□□

2018年9月28日(金)のこと……

 

7:58 松江駅発 山陰本線に乗ります。

こんなオレンジの気動車。

 

中身はこんな。

出会うはずの美人鉄子さんは乗っていらっしゃらないようです。

 

あれか。出雲市方面から来るのだろうか。

それとも前乗りして木次駅から乗車されるのかな??

 

車窓からはこんな――

 

印象派かよ!

 

というくらいの絶景。

宍道湖、いいな。

 

例の忍者レフを使用しての撮影。

 

夕方もいいが、

朝もきれいです。

 

こんな絶景に囲まれて育ったら、

ぜったいいい人に育つ気がするな。

 

美人鉄子さんはこのあたりの出身だろうか。

もしそうだとしたら超絶美人だな。

 

で、8:22 宍道駅着。

 

ここで重大なことに気づきます。

 

出雲の國・斐伊川サミットというところのやっている

「奥出雲おろち号」のHPをみて、

 

「この列車に乗ってくださいね~」という推奨の山陰本線に乗ってきたのだが……

HPご推奨なのだが……

 

なんと次の列車の出発時刻が9:10……

 

今8:22ですので

あと50分近く時間をつぶさないといけない……

 

うわ。すごい時刻表↓↓

 

木次線――「きすきせん」です。

「きつぎ」ではない。

 

今回、奥出雲おろち号の切符、わたくしの地元のイバラキは、JR牛久駅で購入したのですが、

みどりの窓口のお兄さん

「木次」

読めませんでしたね。

「なんて読むんですか?」ときたね。

(たぶんマルスに打ち込むので読み方を聞いたのだ)

 

まあ、僕も知りませんでしたけどね。

 

関東の人には縁遠い地名です。はい。

 

なーーんにもない宍道駅で、

(そういわれると「宍道」もフツー読めんな)

 

50分どうやって潰そうかと途方に暮れたのですが……

 

みてるといろんな気動車、電車がやってきて、

なんのかの飽きません。

 

ずっと待っていればサンライズ出雲にも会えるわけですが、

そうなると、奥出雲おろち号には乗れない……

美人鉄子さんにも会えない……

 

気動車ばっかりかとおもったら。

そうですか。特急やくもは電車ですか。

 

スーパーまつかぜも来た。

「みんなの鉄道」でみたやつだ!

と、ひとり興奮する。

 

側面に描かれているのは 梨の花ですって。

 

振り子式気動車、っていわれても、

よく仕組みがわからんが、

 

あ。

そうだ、美人鉄子さん、まつかぜと共に登場するかも?

 

――と期待しましたが、それらしい人はいませんでした。

 

もとい、

木次線に乗車。

すいぶんはやくから入線してます。

 

というか、ローカル線の始発駅ってこんな感じか。

 

キハ120形気動車。

見た目なんてことない感じですが、

これでグングン山登りするわけだから、パワフルな奴なのでしょう。

 

上2枚↑↑ 25㎜

下のは 50㎜で撮影。

 

50㎜のほうが精悍に写ってますな。

 

中身↓↓

 

ワンマンの気動車ってなんかゴチャゴチャしてるな。

 

宍道駅 9:10発 木次線。

これで 木次駅まで向かいます。

木次駅で 奥出雲おろち号が待っている、というわけです。

 

車窓風景。

んー月並みな 月並みすぎるコトバだが……

「日本の原風景」って感じですなー

 

上の写真をトリミングしたもの↓↓

 

なんですか、この子はツルですか?

 

なんだよ、飛んでる鳥も優雅な感じ。

うちの近所だとサギだよ。ツルなんていないよ。

 

うーむ、

ツルはきっと瑞祥ってやつに違いない。

 

奥出雲おろち号で美人鉄子さんに出会い、うんぬんかんぬん。

――は、

わたくし、

旅行前あちこちで吹聴してまわった以上、

もはやのっぴきならない状況なのである。

 

これは実現しないことにはどうにもならんのである。

 

しかし、あのツルの出現ですっかり安心しました。

 

9:43 木次駅着。

 

到着した木次駅もやはり

トマス・ピンコの明るい未来を讃える瑞祥に満ちていた。

 

ハートマーク!

……

なんか虫がとまっているのが気になるが……

 

そしてなんともめでたそうな石碑……

(若者にアピールしようという涙ぐましい努力よ……

というか、どういう設定なんだ? ヤマタノオロチ?)

 

で、

じゃーん!

 

奥出雲おろち号はすでに入線しておられます。

ん、というか、このポジションからいったんスイッチバックして入線してきたんだっけ。たしか。

もう3週間前の事で すっかり忘れてます。

 

DE10形ディーゼル機関車。

 

んー

かっこいい。

この靑もいいね。

 

……って、

 

あれ。

乗客は……

 

美人鉄子さんは!?

 

……

……

なんか、気のせいか、お年を召した女性が多いような気が……

 

まあいい。

途中の駅から乗車されるのであろう。

 

気を落ち着けて車内販売のプリンをいただきます。

 

奥出雲おろち号のパンフレット(車内でもらった)によりますと、

 

カスタードプリン

地元の新鮮な牛乳と平地飼有精卵をたっぷり使用しています。国産のビートグラニュー糖を使い、上質で風味豊かなプリンです。

1個250円

 

おいしかったです。

 

10:07 奥出雲おろち号 木次駅を出発します。

 

車窓風景。

むきだしのトロッコ列車ですので

もちろん忍者レフは使っていません。

 

↓↓高名な 下久野トンネルの様子。

 

2241mの直線のトンネル。

 

んーだが、うまく撮れんな。

 

えんえんまっすぐのトンネルがある、というのは

「みんなの鉄道」で予習していたが……

 

じっさい通ってみるとなんかこわい感じもしました。

 

窓のそばにいるのはガイドのおじさん。

 

これはどこだっけ?

幼稚園の子たち。

「みんなの鉄道」でも同じ光景を見たので、この子らの毎日の日課なのでしょう。

 

というか、この子たちに限らず、

お店の人たち、農家の方たち、撮り鉄の人たち(けっこうな数いる)

が皆手を振ってくれるので なにか人気者になった気分が味わえます。

 

――いやしかし、

美人鉄子さんはどの駅から乗車するのか?

 

牛久駅で切符を買った段階だと、

もうあらかた席は埋まっていた。

にもかかわらず、実際に乗車したおろち号は けっこう空席が目立ちます。

 

ということは途中駅からの乗車がけっこう多いということでしょう。

 

さて、どの駅なのか??

期待が高まります。

 

鉄子:「トマスさん、今夜のお宿はどちら?」

トマス:「僕は、皆生温泉に宿を」

鉄子:「あれ、ひょっとして菊竹先生の?……」

トマス:「東光園!?」

鉄子:「きゃ。偶然ですのね。わたくしも今夜東光園ですのよ」

きゃー、わー、きゃー……

 

…きゃー……

 

いつのまにやら

車内が満席状態になっていた。

 

えー……高名な

三段式スイッチバックなのですが、ね。

 

列車が行ったり来たり ジグザグ運動をして

出雲坂根駅~三井野原駅の急こう配を登っていくんですが……

 

えーと、それよりも、

お気づきか??

 

切符がほぼ売り切れだった理由がわかった。

 

幼稚園のガキどもの遠足に

トマス・ピンコは巻き込まれてしまったのであった……

 

くそー……

おまえらのせいで、おまえらのせいで、

美人鉄子さんは切符を買えなかったんだ。

 

きっとそうに違いない。

 

ガキども……

失礼、お子さんたち、

ほんと うるさかったです。

トンネルで真っ暗になるでしょ。

そうすると、悲鳴上げるの。

とんでもない音なの。

……

こっちが泣きたくなるよ。まったく。

オレの鉄子さんを返せっ!

 

スイッチバックで

ついさっき通ってきた線路が 眼下に見えます。

 

で、

前回ご紹介しました 三井野原大橋が遠くに見えて来る、という寸法です。

 

長くなりましたので その1おわり。

 

あきらめるな! トマス・ピンコ!

奥出雲おろち号はまだまだ停車駅があるぞ!!

……

……その2に続く。

朝靄の五色沼(毘沙門池)・紅葉・ハートの鯉  

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2018年10月22日の五色沼の様子。

 

9月の旅行の記事がまったく書き終わらないのですが――

紅葉、というと生ものですので、

こっちを早めに処理することにしました。

 

毘沙門沼のそばの紅葉はこんなでした。↓↓

6・7割の紅葉という感じか。

 

朝 3:30ごろ家を出まして

そこから常磐道→磐越道経由で……

五色沼に着いたのは 6:45くらいか。

 

茨城県南から出発しても

めちゃくちゃ遠いですねー

 

スッカン沢・おしらじの滝のほうが近いな。

 

遠くてたいへんでしたが、

靄がかかっていて

雰囲気がたいへん良かったです。

 

以下、鯉と遊んでいる写真ばかりです。

 

PLフィルターとか使うべきシチュエーションですが、

 

実は、4月におしらじの滝行った時

PLフィルター落っことして割りまして……

 

持ってません。

NDは3種類持ってるんですが。

 

しかし――ですね。

 

五色沼って人気の観光地なんですね(笑)

 

え? そんなこと知らなかったの?

という感じですが……

 

こんな……

観光バスが十数台バンバン来て

観光客を何百人単位で降ろしていくような――

 

そんな場所とは知らなんだ。

 

「ブラタモリ」で見た感じではそうではなかった。

あ。そうか紅葉シーズンじゃなかったからだ。

 

えー

この写真を撮っているのは 朝7時前後で、

この頃は、まだ毘沙門沼の周囲も人が少なく――たいへん快適だったのですが、

 

段々……

靄が晴れるとともに人が増え始め――

 

やがてゾッとするような人出になりました。

うじゃうじゃと――異国の方も多数。

 

あー驚いた。

 

ともかく、

この頃のトマス・ピンコはそんな事態になるとは知りもせず、

のんきに写真を撮っています。

 

ん。

というか、この大量のボートを見た段階で

観光地だと気づけよ、というはなしですが。

 

とにかく、

わたしのように 「写真を撮りたい」目的の人間が行くような場所ではなかったですね。ここは。

 

また鯉と遊んでます。

 

やや。

やけに人懐っこいこの子は――

 

♡!

ハートマークの鯉だ。

 

いや、

「五色沼 紅葉」とか

事前にネットで調べたりもしたので、

 

ハートの鯉がいる、というのはどこかで読んだ記憶があるのですが、

こうも簡単に 目にすることができるとは。

 

ハートのボートと

ハートの鯉のツーショットを狙った。

 

が、隅っこにぼんやり写ってるだけ。

 

たぶん、

みんなにちやほやされているから 人懐っこいのであろう。

 

鯉に別れを告げ、

ちょいと歩くことに。

 

全部毘沙門沼です。

んー

こうして写真を並べてみるといい感じですが……

 

また来ますか? というと、

 

んー、ないな。申し訳ないけど。

 

繰り返しになりますが、

のんびり写真を撮りたい人には不向き。

 

いや、カメラマンは多数いましたよ。

多数。

わたしも含めて……

 

(以下、写真やってる人にしかわからんこと書きますが)

んー

でも、このなんか、

機材自慢大会

みたいなシチュエーションになるが、ものすごくイヤで……

 

ああ。嫌だ。

 

大会に巻き込まれるのはいやなので

背中に背負った Gitzo×Husky はけっきょく使わずじまいという……

 

あれですね。

去年行ったスッカン沢・おしらじの滝がよかったのは

 

・自分にとって適度な難易度。

・まだ「観光地」にはなっていない。

 

これが良かったのですね。

 

急にまたスッカン沢行きたくなったのですが……

んーどうかな?

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