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塔の作家・小津安二郎 その8 「出来ごころ」②

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その2です。

おもてのテーマは「塔」なんですけど――

 

今回の「裏」のテーマは

◎「日本間」で映画を撮るテクニック

ということになりそうです。

 

□□□□□□□□

 

前作「非常線の女」(1933)から 「出来ごころ」(1933)への

過激なシフトチェンジに関して……

 

そこに一九二〇年代的なインターナショナルなモダニズムに対し、反モダニズム・ナショナリズムが勃興し取って代る一九三〇年代的時代相がある。それが「回帰」の主題である。

(岩波現代文庫・田中眞澄著「小津安二郎周游(上)」142ページより)

 

田中何某先生などは、1933年当時のナショナリズム勃興の雰囲気と並べて論じていたりするわけですが――

(なにしろヒトラーが政権を握った年なのでね)

 

この先生の編纂されている

「全日記小津安二郎」

「小津安二郎全発言」

「小津安二郎戦後語録集成」

などには大変お世話になっているし、立派な仕事だとおもうのですが……

 

この人の癖は、

「スクリーン上に起こっていることをなにも見ない・無視する」

というわけのわからん態度でありまして……

(映像メディアというモノを 文字メディアから数段劣ったものだとみているのだとおもう)

 

スクリーン上の出来事を素直にみていけば

そんなナショナリズムがどうこういう結論にはたどり着かないとおもうのであります。

 

じゃ、トマス・ピンコの結論はなんなのか?

「非常線の女」から「出来ごころ」へのシフトチェンジの理由はなんなのか?

と申しますと――

 

・日本間での撮影にようやく自信がもてるようになってきた。

というのが理由なのだろうとおもいます。

 

それはおいおい見ていくこととしまして……

 

□□□□□□□□

S51 店の中

春江、見迎え、

「工場はどうなすったの?」

喜八、にやにやして反り返り、坐る。

四辺を見廻してから、櫛を出し、彼女に

「どうだい、これは?」と差し出す。

そして、彼女の髪にさしてやる。

 

というところですが、ここは

伏見信子(春江)=「塔」

この構図を印象付けたいのではないか?

と思います。

 

「若き日」~「非常線の女」と今までみてきましたが、

こんなに高く、大きく 髪の毛を結いあげた女性キャラって

他にいましたっけ?

 

たぶんいないです。

もちろん小津の場合、失われた作品が多数ありますので

確実なことはいえないんですが、

今まで見てきた 田中絹代の髪型 川崎弘子の髪型

どれを思い出してみてもーー

 

これほどダイナミックに盛り上がっていない(笑)↓↓

伏見信子=「塔」なのです。

 

――しかし、日本髪って難しく……

これはなんていう髪型なんですか?

桃割れ?

くわしい方教えてください。

 

ちなみに……「全日記小津安二郎」

1933年4月26日(水)

絹代さんが丸髷で奇(綺)麗だつた

なる記述がありますが、

 

戦前の日本男子には

日本髪の女性というのは なにかたまらんものがあったようなのです。

 

伏見信子はかわいいですが、

小津作品ではこれ一作きりですね。

ちょっと幸薄そうなところが欠点だったか?

 

まあ、松竹にはこのあと 高杉早苗 桑野通子 高峰三枝子等々……

きらびやかな新人たちがあらわれますので

ムリもなかったか。

 

伏見信子。

お姉さんの伏見直江という人が

大河内伝次郎の相手役として有名な女優さんだったらしいです。

お姉さんがビッグネームで

それに比べてどうしても影が薄い妹…… というような人であった由。

 

しきりに 伏見信子の盛り上がった髪の毛を強調します。

 

伏見信子の背中が……↓↓

長方形画面の対角線に平行……↓↓

 

後年の「東京物語」 東山千栄子の死の場面で

家族一同の背中の角度が見事に揃っている、あれの萌芽でしょうか。

 

ローポジションのカメラ位置とか

このすっきりした構図とか

背景を鯉のぼりで隠しちゃうとか

いろいろと自分なりのテクニックが出そろって来て

で、ようやく日本間で撮れるようになってきた。

(なにしろハリウッド映画からは 日本間の撮り方は一切学べないわけですから)

 

それがこの「出来ごころ」ではなかったか?

 

で、個人的には

「出来ごころ」の日本間撮影の白眉は

S60の 大日方伝と伏見信子のラブシーン(?)のような気がします。

 

ちと本題からはずれますが、

小津作品における「恋愛」というのは

ヒロインが男性の空間に闖入することで成立するような気がする。

男性の方からは動いていないわけです。

 

一番有名なのは「麦秋」(1951)の原節子でしょう。

S113 杉村春子の名ゼリフ 「紀子さん、パン食べない? アンパン」

あの押しかけ女房シーン……

(ただ、ヒッチコックもそのパターンが多くて

「裏窓」のグレース・ケリーも 「めまい」のキム・ノヴァクも

ジェームズ・スチュアートの部屋に闖入してきます)

 

もとい、伏見信子が大日方伝の部屋に闖入してきました。

 

S60 室内

富坊、元気よく出迎える。

春江、恥ずかしそうに洗濯物を抱えたまま

障子のかげに小さくなっている。

胸を、ときめかして……。

次郎、入って来たが、春江を見て、

「あれ⁉」と思わず見廻す。

春江、赤くなって会釈をし、洗濯物を示しつつ、

「あまり汚れてるんで……」

と言う。

 

「汚れている」というのは

フロイト的にいえば

春江の性的欲望を示していて、まあ、完璧なセリフでしょう……

 

個人的には↓↓

背景の三角定規が気になっております。

次郎さん(大日方伝) なぜ三角定規を使うのか?

 

たぶんここは 「凝りに凝った構図を見てくれ」

という小津安っさんのメッセージをみたいところ。

 

まあ、ついでにいえば

・次郎→二郎……安二郎

というのは考えておきたいところ。

 

小津安二郎はよく 小津安「次郎」と間違えて書かれることが多かったようです。

一番ひどいのは松竹の辞令で 「小津安次郎」などと書いてあるのがいくつかあるようです。

 

んー なんかわき道にそれて

本題を忘れてしまっていた。

 

ようはここで

主人公たち、上を見上げる……

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

これが出現するわけです。

ここでは

大日方伝=「塔」ですね。

 

次郎、睨みつけながら、

「いやに親切だなあ」

彼女、笑いかける。

次郎、室内を見廻し、

「あんまり慣れ慣れしくして

貰いたくねえな」

春江、恨めしげに見る。

 

立っていた伏見信子を坐らせて

で、伏見信子は上を見上げる。

そして、大日方伝は立ったまま 伏見信子を見おろす。

この視線の交錯。

 

この視線の交錯を小津は開発したのではなかろうか??

 

以下、引用するのは1932年12月のインタビューらしいのですが、

インタビューしている和田山というのは 岸松雄の変名だそうです。

 

和田山 アメリカ映画などを見ていると、人間も生活も、すべて映画的に出来ているように思えますが――。

小津 確かにそうです。日本人の生活は、凡そ非映画的に出来ていて、例えば、一寸家へ入るにしても、格子を開け、玄関に腰かけ、靴の紐を解く、といったような具合で、どうしても、そこに停滞を来たす。だから、日本の映画は、そうした停滞しがちな生活を、映画的に変えて出すより他に仕方がないのです。もっともっと、日本の実際の生活は、映画的にならなくてはなりません。

(泰流社、田中眞澄編「小津安二郎全発言(1933~1945)」15ページより)

 

日本人の生活を撮りたいが、ハリウッド映画からはなにもテクニックを盗めない。

(もちろん洋間しかないから)

 

といって日本の先行する監督からは

日本間撮影のテクニックなど 学ぶべきものはなにもない。

そのいらだち。

 

すべてを自分で発明し、開発しなければならない。

その試行錯誤がこの発言にあらわれているような気がします。

 

以下、うまく説明できるとはおもえないのですが……

 

大日方伝&伏見信子が 両者同じ姿勢で対話をしたならば

この緊迫感は出せなかったでしょう。

両者、立った姿勢

両者、坐った姿勢

どちらも緊迫感に欠ける。

 

伏見信子は坐らなければならなかった。

そして大日方伝を見上げなければならなかった。

そして大日方伝は坐った伏見信子を見おろさなければならなかった。

 

小津の思考をかってに推理しますと……

 

「洋間」「日本間」の最大の違い。

「日本間」の特徴として――

・床面に坐ることができる。

このことを思いついたのではないでしょうか?

 

そして床面に坐った人物から 立った人物を見上げると……

お得意の「塔を見上げるショット」

これの応用ができるわけです。

 

われわれは「小津以降」なので

彼の苦心はわからないのですが……

 

両者 手をゴニョニョやってます。

小津作品では恋愛感情の表現。

 

ああ、そうそう、

ローポジションなので「天井」が写ってますね↓↓

 

松竹蒲田の城戸所長は、

セットに天井を作らなければならず

余計なコストがかかるので

小津のローポジションを嫌っていたそうです。

 

もちろん城戸は小津の才能は認めていたわけですが。

 

次郎と春江、向かい合う。

次郎、じっと彼女を見る。

春江、目を伏せる。

次郎、考えていたが、

「お前、まさか恩を仇で返す

ようなことはしめえな⁉」

彼女、ハッと見る。

 

「あたし、そんな女じゃないわ!」

「あの人が、親切にして下さるんで

あたし、小父さんのように

思ってるのよ」

そして「あたし……あたし……」

涙ぐんでしまう。

 

小津作品では 壁によく 傘だのほうきだのがぶらさがっていますが、

この……「縦方向の視線の交錯」に

やっぱり関係があるのでしょうか??

 

このシーン

大日方伝は立ちっぱなしで

ベルトのあたりをえんえんゴニョニョやっている。

 

性的な欲望を深読みしてもいいでしょう。

というか、そうみてくれ、というショットです……

 

伏見信子は伏見信子で……

 

立っている

坐る、見上げる

また立つ

坐る、見上げる

 

そして泣き伏す。

 

洋間では こんなショットはなかなか撮れませんな↓↓

 

理論的には撮れるけど、

こういうシチュエーションは考えられない。

日本間では撮れるわけです。

 

……と、

めちゃくちゃ濃かった日本間でのラブシーン(?)が終わりまして、

 

S62 ガスタンクの見える町

 

大日方伝+ガスタンク(塔)+タバコ

 

坂本武+煙突(塔)+煙管

 

どうも反りが

合はねえんでな

 

「反り」というのはなにか幾何学的な用語のチョイスです。

小津作品において 恋愛は空間論であり幾何学であるのでしょう。

 

また「麦秋」(1951)のはなしになりますが

S117

たみ 「ねえお前、紀子さん来てくれるって!

ねえ、うちへ来てくれるってさ!」

 

――と、あくまで 「来る」というはなしになるわけです。

まあ、英語のcome に性的な意味があるといっちゃそれまでですが。

 

ガスタンク+土管……

 

で、ガスタンク単独の 不気味なショット――

 

S63 おとめの店の前

 

ここで

伏見信子=「塔」

この公式が明らかになります。

 

しゃがみこんだ喜八さん(坂本武)

のれんの下から 春江(伏見信子)をのぞきこみます。

 

はい。

毎度おなじみ――

主人公たち、上を見上げる……

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

つまり、「若き日」の若者たちのように

坂本武は手に入らない夢を見るわけです。

 

S65 床屋

 

床屋の主人は谷麗光。

床屋の入口の……なんというの?

塔状の物体。

 

坂本武はおめかししますが、

谷麗光の頭の櫛は、皮肉な結末の暗示でしょうか。

 

まあ、観客はみな、わかっていることですが。

 

次回に続きます。


塔の作家・小津安二郎 その9 「出来ごころ」③

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「出来ごころ」の分析は 今回でおわり。

 

個人的に「浮草物語」が好きなもので

(八雲恵美子&坪内美子がたまらんのだとおもう)

「出来ごころ」はあまりみていなかったのですが――

丹念にみていくと、

なんとまあ、緻密に作りこまれていますねぇ、この作品。

 

□□□□□□□□

 

谷麗光の床屋さんでおめかしした喜八さん(坂本武)ですが、

おとめ(飯田蝶子)から

「あたしとしては 次郎さんに貰ってもらえば 有難いんだけど……」

「永年の誼(よしみ)で、お前さんから 何とか話して貰いたいんだけど、

見込まれたと思って 骨折っておくれよ」

等々いわれ、春江(伏見信子)のことをあきらめます。

 

S69 河岸(昼)

「もったいねえ事いうない!

相手はお前には過ぎものなんだぞ」

「じゃ、とっつぁん貰いなよ」

「当節の女に惚れられるなんて

よくよくの事だぞ!」

 

↑坂本武+塔(電柱)

↓大日方伝+塔(広告塔? 煙突等々)

 

大日方伝はしゃがみこんで 坂本武を見上げます。

「塔」を見上げるショットです。

 

……にしても、すごい帽子です(笑)

 

立ち上る大日方伝。

 

妙な帽子ですが、左の、 これまた奇妙な形の看板と対比させたかったのかな??

きっと電飾ですよね? 夜は光るんですよね??

 

一体なんの看板だかわかりません。

上側「ガソリン」と書いてあるようにもみえるし、

下のほうは「ビール」と書いてあるようにもみえる。

なんですか? こりゃ。

 

二人が正面で睨みあう――小津作品ではあんまりないシチュエーションのような気がする。

 

二人の背後は鉄道の高架線でしょうか?

ほんとは鉄道を走らせたかったのだが、タイミングがあわなかったとか??

 

そういやヴェンダースが「東京画」で すべての小津作品に鉄道が登場するといってたようにおもいますが、

「出来ごころ」どうだったかな?

 

ビール工場のトロッコみたいなのは登場しますが。

 

坂本武の背後に かすかに煙突ーー

 

喜八さんの心理を代弁するかのように しょぼくれた印象の煙突です。

坂本武も大げさな芝居じみた表情はしていませんね。

 

フツーの演出家だと、いかにもな苦悩の表情とか欲しがりそうな場面ですが。

小津はそんな野暮なことはしません。

 

「手前ェは、強情張りだなあ

こうなりゃ俺だって 意地張りだぞ」

「きっと、つがいにして見せるから

そう思え!」

 

佐藤忠男先生は 喜八ものを 「男はつらいよ」のルーツだとどこかで書いておられましたっけ。

喜八さんは寅さんのご先祖です。

 

S70 小料理屋の二階(午後)

 

やけになった喜八が飲んだくれるという場面ですが

↓↓こんな風に端正に撮ってしまうわけですね。小津安っさんは。

 

三味線のお姐さんが妙に色っぽいのですが、

名前がわかりません。

大部屋の女優さんかな??

 

S71 ガスタンクの見える場末の町

お前んちのチャン、

工場へも出ないでかあやんちばかり

行ってるんじゃないか

 

……などとからかわれて いじめられる富坊(突貫小僧)

 

子どもたちの背後に塔(電柱、煙突……)

 

S72 路地

富坊が駈けて行く。

 

……ガスタンクのそばを突貫小僧が駈けていきます。

その突貫小僧が このあと死にかけるわけですから、

やはりこのガスタンクはブラックホールかなにか

表象不可能な存在=〈現実界〉

であるような気がしてなりません。

 

ふたたびガスタンク単体のショット。

S74 喜八の家

 

親子喧嘩のシーン。

小津自身はここがお気に入りだったようで……

 

いい気分で女の処から帰って来た親父が子供を張り飛ばすと、子供は親父を殴り返すんだがね、そのうち親父が急にシュンとなるんだな、それをみると子供の方も親父を打つのをやめて泣き出す……という所があってね、あすこだけはプリントがあればもう一度観てもいいような気がするな。

(フィルムアート社、田中眞澄編「小津安二郎 戦後語録集成」127ページより)

 

などと後年語っているようです。

 

突貫小僧→見下ろす

坂本武→見上げる

という上下方向の視線の交錯。

 

大日方伝&伏見信子のラブシーンもそうでしたが、

日本間のシーンの基本は この上下方向の視線となります。

 

 

「坊や、勘弁しなよ」

富坊、涙に濡れた顔で父を睨む。

喜八、たまらなくなり、

「チャンは此頃どうかしてるんだ」

喜八の頬を涙が流れる。

富坊、その涙を拭いてやる。

 

上下方向の視線が 平らになると、和解です。

親父の涙を手で拭く……ここは泣けますな……

 

 

おつぎ。

S79 ビール工場内

 

喜八、富坊が病気になったと知らされます。

そのくだり。

 

坂本武+塔(電柱)

「俺のガキが病気になるって

法はねえよ」

次郎、気が気でなく、

「でも、けがしねえとも限らねえぜ」

 

二人の背後に塔(煙突)

 

それから富坊(突貫小僧)の入院、

病室のシーンなどありまして……

突貫小僧はめでたく回復しますが、病院代が払えない、という

初期小津のいつものパターンです。

 

S87 喜八の家(夜)

 

春江(伏見信子)が病院代をこしらえるといいます。

 

「きっとこしらえますわ」

「こんな時でもなきゃ、あたしなんかに

御恩返しが出来ゃしませんもの……」

(中略)

喜八、たまらなくなって、春江の両肩を

ギュッとつかむ。唇をふるわせつつ、

次郎の方を向いて 「なあ、おい!」

「可愛いことをいうじゃねえか!」

「こんな小娘が

大の男を助けようって言うんだぜ!」

 

坂本武の背後に時計が……

「時計」は「塔」の代替として登場することがありますが、

このシーンも そんな感じがする。

 

伏見信子の横顔がかわいいですな~↓↓

 

しかし、身寄りのない女の子が

大金をこしらえる、といえば

どうなるかはわかりきったことでして……

 

「何と言い訳しようと、

他人(ひと)は俺達二人で

手前を喰い物にしたとしか

思やしねえや」

「なあ、分るか!」

「女の身空で、

まとまった金を作ろうとすりゃ

どうなるかぐれえのことが、

分らねえのか⁉」

 

「どうなろうと、あたしの事なんか

構わないじゃないの!」

「どうせ、あたしのことなんか……」

 

ここは次郎の部屋でのラブシーン(S60)を、

なんといいますか、

引っくり返しているわけですね。

 

伏見信子→見上げる

大日方伝→見下ろす

――だったものを、

 

伏見信子→見下ろす

大日方伝→見上げる

に、引っくり返しています。

 

二人の背後の時計(塔の代替物)が、効いているとおもいます。

 

ここです、ここです↓↓

 

大日方伝がしゃがみこむことで

S60の視線が ひっくり返るわけです。

 

手をごにょごにょ

 

見上げる大日方伝。

 

抱き合う二人 背後には時計

 

「その金は、俺が心配するよ」

「手前にはてんで俺の気持が

分らねえのか」

春江、次郎の真心を解して、微笑する。

 

S92 床屋

 

床屋の親方にカネを借りる次郎。

 

谷麗光の脇に写っているのは、

「浮草物語」に登場するアレかな?

 

突貫小僧が大事にしているアレ??

 

で、次郎の用意したカネで

めでたく富坊は回復するわけですが、

 

次郎はカネを返すために北海道へ行くという。

喜八が急いで次郎の家に行くと――

 

S94 次郎の家の表

次郎は留守で、夜空に淡く消える花火。

 

「東京の合唱」において

「花火」は「塔」の代替物としてあらわれました。

 

主人公たち、上を見上げる……

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

なにかを喜八は決意したのでしょうか?

というか、このシークエンスが用意されているからこそ、

このあとの喜八の行動をわれわれはすんなりと納得して観ることができるわけです。

 

このあと、坂本武

大日方伝をぶん殴って失神させ、

自分がかわりに北海道へと行くことにします。

 

S96 おとめの店

「俺が行くことにしたよ」

「ガキはよろしく頼んだぜ」

 

おなじみクラブ歯磨。

これも塔でしょう。

 

「酔狂で行くんだ、

ほっといてくんなよ」

喜八、バスケットを持つと、一気に走り去る。

 

皆、後を見送り呆然となっている。

富坊、泣き出してしまう。

ややあっておとめも涙を拭く。

床屋の親方、夜空に消える花火を見る。

 

「酔狂」というコトバが

小津作品の主人公たちの行動規定・規範なのでは?

と思えなくもないところです。

 

「東京の合唱」の岡田時彦(社長に反論して会社をクビになる)

「非常線の女」の田中絹代(逃げずに逮捕される)

そして 戦後 紀子三部作の原節子……

 

 

酔狂で行くんだ、

ほっといてくんなよ

 

小津安二郎自身、

チョイト戦争に行って来ます

と笑顔で戦場に行った酔狂の人でありました。

 

S97 北海道行汽船の船室

「済まねえけど、

俺は先へ帰らして貰うぜ」

と船室を出て行く。

人夫二、三人驚き、後をつけて行く。

喜八、敏活に甲板に着物を脱ぎ、いきなり水中に身をおどらす。

一同「あれよ、あれよ」と騒ぐ。

ほど経って、ぽっくりと水面に浮かび上がる喜八。

 

まあ、見事なまでに「塔」状の樹木が並んでいます。

 

S98 対岸

ポプラが風になびいている。

 

で、終わるんですけど……

 

以下、トマス・ピンコの勝手な感想を書いてしまいますが、

何度見ても「あの世」の光景のような気がしてしょうがないんですよね。

三途の川の光景。

 

実際の喜八さんは北海道で死んで、

魂だけ 愛する息子のもとに戻っていくのではないか?

 

□□□□□□□□

ああ、そうそう、

この映画の最後のセリフ(サイレントなので字幕ですが)は、

 

「よく出来てやがら」

抜手を切って、対岸に泳いで行く。

 

と、「出来」がはいっているんですね。

 

あとは全部チェックしたわけじゃないですけど

 

S32 「本当に、ガラクタな父さんにしちゃ

出来過ぎた子供だよ」

S66 「勉強出来やしないじゃないか」

S87 「こんな時でもなきゃ、あたしなんかに

御恩返しが出来ゃしませんもの……」

 

と、「出来」づくしになっております。

(ほかにもいっぱいあるとおもう)

本当によく「出来」た作品です。

塔の作家・小津安二郎 その10 「母を恋はずや」① すべてはここから始まった。

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詰め込み過ぎのタイトルですが……

 

「母を恋はずや」(1934)は 実はとんでもない傑作――

小津作品史上、いや、

……映画史上に残る傑作ではあるまいか?

という珍説(笑)をこれからくり広げようとしております。

 

□□□□□□□□

小津安二郎が 「塔」というモチーフをいかに描いてきたのか?

ということを中心に小津作品をみてまいりましたが、

この「母を恋はずや」

 

完全な失敗作(←言っちゃってる)

&――――

冒頭と結末のプリントが存在しない……

という理由で これはパスしてさっさと「浮草物語」(1934)をみようかと一瞬考えたのですが――

 

そういや「隣の八重ちゃん」(1934)前夜の逢初夢子たんが出てるんだっけ……

と、逢初夢子めあてで見始めましたところ、

これがまあ、失敗作どころか、とんでもない傑作であることが明らかになったわけです。

 

□□□□□□□□

もったいぶっていても仕方がないし、

数少ないこの記事の読者をさらに減らしてしまうかとおもわれますので

「母を恋はずや」が傑作である理由

を、はじめに書いてしまおうとおもいます。

 

傑作である理由①

「暗号」

 

つねづねわたくしは、小津安っさんは作品中に「暗号」を仕込んでいる、

ということをいっているのですが、

(〇や△ あるいは渦巻を画面中に仕込む。あるいは数字の「3」やら「8」やらをシナリオに仕込む、等々)

 

それをやりはじめたのはこの「母を恋はずや」

からだったのではあるまいか??

 

追々みていきますが、「母を恋はずや」に仕込まれた「暗号」は、

+(十字)ですね↓↓

 

なにかというと「+」が出現する映画なのです。

それと数字の「3」を中心にシナリオを組んでいるような気がする。

 

こういう「暗号」は、「出来ごころ」以前にはやっていなかったようにおもいます。

(たんに私トマスが気づいていないだけか?)

 

すべては1934年 親友・山中貞雄と

横浜の第三キヨホテル――チャブ屋、そして「3」――

で、遊びまわっていた年、

この「母を恋はずや」から始まったのではあるまいか??

 

傑作である理由②

仲が良すぎる家族というテーマ

 

小津は「母を恋はずや」で、生涯追いつづけることになるテーマを発見したのではあるまいか?

あまりに仲が良すぎて、あまりに思いやりが深すぎるがゆえの苦悩――

将来的には、「父ありき」(1942)「晩春」(1949)の 暑苦しすぎるほどの親子関係にまで発展し、

遺作の「秋刀魚の味」(1962)にまで引き継がれるわけですが……

 

前作「出来ごころ」(1933)の喜八さんも 息子と仲が良いわけですが、

あの作品は かあやん(飯田蝶子)やら次郎(大日方伝)やら

共同体全体が仲がいいわけです。

「東京の合唱」(1931)の岡田時彦一家も仲がいいですが、

家庭内の葛藤がメインテーマではない。

失業という大きな問題が立ち塞がっているわけです。

 

すべては「母を恋はずや」から始まったのではあるまいか??

 

「東京物語」(1953)の紀子(原節子)のキャラクター……

血のつながらない義理の家族を ひたすらに愛し抜くという人物のルーツは、

 

血のつながらない母を

ひたすらに愛し抜く 「母を恋はずや」の大日方伝なのではあるまいか??

 

傑作である理由③

階段というモチーフ

 

究極的には 蓮實重彦先生のおっしゃる「不在の階段」に通じるわけですが、

(「監督小津安二郎」の「Ⅳ住むこと」という章を参照のこと)

 

大好きな「階段」というモチーフを、「母を恋はずや」で発見してしまったのではあるまいか?

 

僕はつねづね 「浮草物語」(1934)「浮草」(1959)の

あの奇妙な空間構造が疑問だったのですが、

ようやく答えがわかりました。

 

かあやんの家の基本構造は チャブ屋の構造だったわけです。

 

1階:接客の空間

2階:プライベートな愛の空間

 

この2つの空間を「階段」が繋いでいるわけです。

 

八雲恵美子(エロい)&坪内美子(かわいい)は、

2階の愛の空間を 見上げ、耳を澄ませるわけです。

 

部外者の彼らには不可侵の領域なわけです。

これは見事にチャブ屋の構造にそっくりです。

 

そして「風の中の牝鶏」(1948)で、

田中絹代が階段から落っこちなければならなかったのは

「母を恋はずや」で、小津安二郎が階段というモチーフを発見してしまったせいです。

 

(この画面に写っているのは男性のスタントだというのはどこで読んだんだっけ??↓↓

厚田雄春さんの回想だったかな??)

 

傑作である理由④

誰かが欠けた家族

 

前作「出来ごころ」の喜八一家も 突貫小僧の母親が欠けていたわけですけど、

しかし不在の彼女を巡って 物語は進行するわけではありません。

 

ひたすらに「死者」の肖像があらわれるのは

この「母を恋はずや」からでしょう。

 

だが、まあ、正直

岩田祐吉(死んだお父っつあん)、出すぎだな……というのは誰もがおもうところ。

 

けっきょくのところ、死者の肖像はまったく出さない方が効果が高い、

ということを小津安っさんは

「父ありき」で発見するわけです。

 

そして遺作の「秋刀魚の味」の家族も

「誰かが欠けた家族」なわけですが、

笠智衆の妻、岩下志麻の母親は

なんとなく岸田今日子に似ているらしいがそうでもないかもしれない、

というきわめてあやふやな情報しか与えられないわけです。

 

はい。

以上 4つ……

 

①「暗号」

②仲が良すぎる家族というテーマ

③階段というモチーフ

④誰かが欠けた家族

 

これをですね、小津安っさんは「母を恋はずや」で発見してしまったわけですね。

これはとんでもない傑作といってよいのではあるまいか?

すべては「母を恋はずや」から始まった

そう言いきってよいのではあるまいか??

 

□□□□□□□□

はい。

はじめからみていくことにします。

 

12、「母を恋はずや」(1934)

 

「塔」とは関係ないんですが……

しょっぱな、松竹の画面がなんともファシストっぽい勇ましさです。

鷲🦅……

 

が、政治信条うんぬんではなく、

この当時、こういうのがカッコよかったとみるべきか。

 

「小津安二郎全集・上」によると

シナリオの表紙に 「東京暮色Ⅰ」なるサブタイトルがつけられているとか。

もちろん戦後「東京暮色」なるタイトルの作品を撮るわけですから、

やっぱりこの作品にはなんらかの思い入れがあったとみるべきなのではなかろうか??

 

S25 傍

老小使、貞夫に声をかけて、

「お父さん、今朝は何とも

なかったのかね?」

貞夫、頷く。

老小使さん、

「分からないもんだねえ……」

と言う。

 

校庭のシーンで 主人公兄弟(子供時代)が、

塔(樹木、坂本武)を見上げるショットがあります。

 

話題がわき道にそれてばかりいますが、

「全日記小津安二郎」1934年4月……

 

四月二日(月)

二日 野田よりとく来る

父やゝ快方 愁眉ひらく

一日家にてこんてにていかく

仕ごと 中止

十時二十分 急に父苦しむ かくて

午後十一時十五分 父死す行年六十九

心臓狭心症なる由

臨終まことに苦悶の色あり 涙新たなるものあり

四月三日(火)

赤羽小学校の校庭ロケーションのところ中止 細雨まことに美し

会社より清水 野田 青木 原 根岸 佐々木など来る 通夜

 

父親の死で一旦とりやめになったのが

このシーンだったのではあるまいか?

 

フィクション世界で「父の死」をめぐるシーンを撮ろうとしていたら

実際の「父の死」にめぐりあってしまった小津安二郎でした。

 

作品に戻りまして

S27 梶原家の食堂

 

大きなウェストミンスターの時計で、

上流階級の邸宅を示すというパターン。

後年「晩春」のアヤちゃん(月丘夢路)の家でも用いられました。

 

これがトーキーであれば、ウェストミンスターチャイムを厳かに鳴らしたことでしょう。

 

もちろん「塔」(時計)のショットです。

 

S28 煙草の棚

その横にかけられた父の写真。

 

と、シナリオにはありますが、

横ではなくて 上ですね。

 

遺影。

これも「塔」のショットとみていいのではないか?

 

それを裏付けるかのように 暖炉の上には細長い物体ばかり置いてあります。

写真の下にある箱には パイプがたくさん入っています。

 

遺品のパイプというのは、「秋日和」(1960)に出て来ましたっけ。

 

「遺影」=「塔」

それを裏付けるかのように、

岡崎(奈良真養)は「遺影」を見上げるのです。

 

子どもたち、母親(吉川満子)も遺影を見上げる。

塔のショットといっていいでしょう。

 

S31 父の写真(ロング)

その前へ行って「行って参ります!」をやる。

 

「行って参ります」 このセリフを「東京物語」の香川京子も口にすることになるわけですが。

 

まあ、左巻きの批評家ならば……

この遺影は究極的には天皇の御真影にまでつながり

大日本帝国の家父長制封建主義を、うんぬん、とか書きそうなショットです。

 

まあ、何が言いたいかというと、

「制度」に従って書けばそれでもっともらしい文章が生産できるのだから、

左翼というのは楽な商売だな、ということです。

 

S34 ぬかるみをびしょびしょ歩いて行く兄弟

 

シナリオでは雨の場面ですが、

プリントは雪の場面。

いい具合に雪が降ったので 急遽変更したのかな?

 

にしても、

お屋敷街+雪

二・二六事件みたいな雰囲気です。

 

えーしかし、さすがトマス・ピンコです(笑)

 

「塔」は「塔」でも この電柱。

これは十字(+)であることを発見してしまうわけです。

 

これをお読みの皆さんは 「こじつけだな」と思われるかとおもいますが、

段々おわかりいただけるかとおもいます。

これは「+」なのです。

 

シナリオには書いてないが

S39のあたりのショット↓↓

 

これも「塔」ですが、

「母を恋はずや」の「塔」は

どこか横棒(-)が入るんですよね。

十字(+)に見えるんですよね。必ず。

 

で、

S39 一室

吉川満子と奈良真養の会話ですが、

前作「出来ごころ」同様、

日本間のシーンは、上下方向の視線の交錯です。

 

吉川満子 上を見上げる。

 

奈良真養、見下ろす。

 

見事に視線がかみ合っていない(笑)

 

奈良真養 腰を下ろす。

ここで視線が平らになります。

平らになった途端、

吉川満子は重大発言をするわけです。

 

「実はたった今

貞夫にひどく叱られたとこなんでございます」

「貴方様のお骨折で

予科の時には分らないで

済んだのでございますが……」

「今度、本科になる手続きの事

から、戸籍謄本を見られて

しまいまして……」

 

貞夫(大日方伝)は母親(吉川満子)と

血がつながっていないことを知るわけです。

 

岡崎の小父さん(奈良真養)

すっかり荒れてしまった貞夫(大日方伝)に会いに行きます。

 

S40 貞夫の室

乱れた室内。

貞夫が不貞腐れている。

 

例の日本間の基本。

上下方向の視線の交錯です↓↓

 

やや! 「非常線の女」の白いポットもあるぞ!

などとおもっていると、奈良真養がしゃがみこみまして

視線が平らになります。

 

「こんな事は、最後までかくせる

ものじゃありません」

「どうせ分る事なら何故もっと

早く知らせてくれなかったんです!」

「僕は馬鹿にされた様な気がするんです!」

などという貞夫君の甘ったれたセリフ。

 

貞夫君の部屋は 小津安っさんその人の部屋も反映しているのか?

深川の小津邸の部屋を?

 

個人的に気になってしまうのは 手前の立派そうな火鉢で――

「全日記小津安二郎」1933年12月……

十二月一日(金)

母と三越に火鉢を買いに行く約束だつたけれど

雨やまず憂陶(鬱陶)しく やめて 昼寝をする

 

あるいは1934年2月

二月九日(金)

所長と共に帰る ぶらぶら土橋畔のたくみに行き

火鉢その他買ふ

 

「火鉢」にはとにかくこだわっていたようなのです。

 

小父、キッとなって貞夫に言う。

「多年のお骨折りに対して

それが君の返す言葉か!」

貞夫、チラと岡崎を見たが、くさってごろりと横になる。

そして背を向ける。

 

と、いうブルジョワ坊ちゃんの甘ったれシーンが続きますが、

 

十字(+)を発見してしまうわけですね。背景に。

 

お読みいただいているあなたも

そろそろ納得がいったのではないでしょうか??

 

明らかに意図的に暗号を隠しているわけです。

 

ああ。そうそうお気に入りの通風器(塔)もありますね。

深川の小津邸に由来しているのかしらねえ??

 

まあ、なんのかの小父さんに怒られて

謝る甘ったれ坊ちゃん。

 

通風器がカラカラ廻っております。

 

そして吉川満子のセリフに

「3」が出現する。

 

S41 郊外の道

引越しの荷をつんだトラックが走る。

貞夫が荷物の上に乗っている。

 

……とありますが、プリントでは乗ってはいないようにみえる。

 

 

もとい、傑作「生れてはみたけれど」 冒頭のシーンの再演です。

 

つくづく昔の日本の道はひどかったというのがわかりますが、

 

「塔」のショットですね。

繰り返しますが、「母を恋はずや」の塔は 十字(+)を隠しております。

 

あと、斜めになっていることが多いような気がする。

 

踏切、好きですね。

 

とんでもなく美しいのが 小津安二郎の鉄道のショットの特徴でしょう。

 

鉄道が目の前を走っている 中流階級の家。

「生れてはみたけれど」の見事なパロディで

 

「生れてはみたけれど」の斎藤達雄一家は 階級的に上昇して中流階級の家にたどり着くわけですが、

「母を恋はずや」の吉川満子一家は 没落して中流階級の家にたどり着くわけです。

 

女性に男物の帽子をかぶせるという 毎度のおなじみのやつ。

ただし、吉川満子なので

八雲恵美子(「その夜の妻」)や高峰三枝子(「戸田家の兄妹」)みたいに

かわいいわけではない。

 

これも「塔」のショットとみていいかな?

「出来ごころ」の伏見信子の 日本髪を強調したショットみたいに。

 

S49 ベーカリーの中(学校附近)

 

弟・幸作役はおなじみ三井秀夫。

この人は「非常線の女」に引き続き、兄貴的なキャラクターに対して

どこか同性愛的な感情を抱いている風に演出されています。

 

それがまあ、異性愛に発展するのは 次回の「浮草物語」なわけですが。

 

フロイト的なたわごとを書きましたが、

みなさん、お気づきでしょう。

 

「+」なんですよ。

島津家の家紋みたいですが。

 

念を押すかのように

「十時」という字幕が出て来ます。

 

ようは友達同士で伊豆に遊びに行こうという相談です。

 

S50 窓ごしに見える隅田川

 

という、これまた美しい「塔」のショットですが、

 

「全日記小津安二郎」1934年3月

三月三日(土)

隅田川の日大の艇庫に行つてみる

 

とありますが、

その艇庫からの風景なのか?

そうではないのか?

 

次回に続きます。

このペースで書いたら、

全作品、一体いつ終わるのだろうか?

塔の作家・小津安二郎 その11 「母を恋はずや」②

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大傑作(笑) 「母を恋はずや」(1934)の分析 続きです。

はっきりいってしまいますと、相当な小津ファンでも

ほとんど見ることのない失敗作でしょう。

 

で、映画史的には――

イ、「母を恋はずや」なるヘンテコなタイトルに関して

「これって文法的にどうなのよ?」という論争が池田忠雄(シナリオ)と伊丹万作の間にくり広げられたらしい。

ロ、「チャブ屋」という戦前の横浜のセックス産業をうかがい知ることができる。

以上2点しか見所がない、とされているわけですが、

 

いや、実は隠された傑作なんじゃねえの?? とトマス・ピンコが言い張っている、というわけです。

 

S53 窓ごしに見える港

船が出て行く。

 

お話の流れとしては――

貞夫くん(大日方伝)が、チャブ屋に入り浸ってしまった端艇部の仲間を

チャブ屋からムリヤリに引っ張ってこよう、ということです。

 

「塔」のショット、とみていいでしょう↓↓

 

そして、前回の記事をお読みいただいた方ならおわかりでしょう。

「+」なる暗号を隠しているのですよ↓↓

 

はなしは変わりますが、小津安二郎、

腕っぷし強いわ、頭脳明晰だわ、

なんか何でもできるスーパーマンの印象がありますが、

泳ぎが出来なかったらしい。

そのせいなのか(?)

どうも「船」というモノには ヨソヨソしい撮り方しかしなかったような気がします。

 

「戦艦ポチョムキン」とかをわざわざ持ち出さなくても、ですね、

清水宏の「港の日本娘」(1933)の生き生きした船の描写なんかみてしまいますと、

小津の「船」はほんとヨソヨソしいわけです。(清水は泳ぎが得意であった由)

 

実際、「父ありき」(1942)の笠智衆は 悪ガキがボートで遊んで死んでしまった責任をとって

教職を辞めるわけです。

小津作品において 「船」=「死」とすら見えなくもない感じがします。

 

チャブ屋の壁に

ジョーン・クロフォード主演「雨」のポスター

(どんな映画だか知らない)

 

「塔」のショットではないですが、

「母を恋はずや」において ポスターは重要な役割を果たしていますので

画像を載せておきます。

(ただ、個人的には成功しているとはおもえないし、真に映画的な表現だとはおもえない。

実際、後年の小津はポスターを使った表現はあまりやらなくなったようにおもえる)

 

小津作品に登場するポスターに関しては

フィルムアート社「古きものの美しき復権 小津安二郎を読む」

286~289ページが詳しいです。

というか、ポスター関連の情報はほぼすべてここから得ております。

 

まあ、そんな本を参照しないでも このポスターは中学生でも読めますわな↓↓

 

チャブ屋に入り浸ってるのは笠智衆……

前作「出来ごころ」ではラストのちょい役でしたが、

今回はいい役もらってます。

 

S54 チャブ屋の蘭子の室

貞夫、服部に、

「帰ってくれ」

服部、横を向く。

貞夫、むっとして睨む。

 

チャブ屋の女・蘭子役は、「若き日」のヒロインだった松井潤子。

 

ここは洋間ですが、上下方向の視線の交錯があります。

 

「お前、之れでも端艇の選手だと言えるのか!」

と言い、いきなりハリ倒す。

服部、ふっ飛んで、睨んで立つ。

女、呆れて見る。

 

笠智衆が立って、視線が水平になります。

笠智衆のほうがいくぶん背が高いのかな。

 

当時の観客にとっては……

「松竹のスタア・大日方伝」&「笠?なんとかいう坊さんみたいな名前の脇役俳優」

という組み合わせだったのではなかろうか?

 

まさかこの笠なにがしが

昭和を代表する名優になってしまうとは……

大日方伝は、戦前日本映画マニアしか知らない名前になってしまうとは……

 

下手くそでも、華がなくても、

地道に一つのことを続けていれば成果はあらわれる、のでしょうか?

それとも運勢の問題なのか?

 

「頼むから俺と一緒に帰ってくれ」

「お前、俺が癪にさわるんなら

俺を殴ってくれたっていいんだぜ」

 

「端艇部なる同性愛」を選ぶのか?

「チャブ屋なる異性愛」を選ぶのか?

フロイト的にみればそういう構図。

 

で、「殴る」という行為は 小津映画においてきわめて同性愛的な行為であります。

(「青春の夢いまいづこ」「非常線の女」を参照のこと)

 

終始、笠智衆は上を見上げているようにみえる。

おなじみ 「塔」を見上げるショットです。

 

さっきみたように笠智衆のほうが若干背が高いので

大日方伝をみるときは見上げるようにはならないとおもう。

 

なので若干高めの位置を見上げるように 小津が指示しているのか?

それともローポジションで撮るとこうみえるのか?

 

個人的に笠智衆は大好きな俳優さんなのですが、

 

この作品に関しては 演技力とかなんとかではなく、

「背の高さ」で選ばれたのではなかろうか?

とおもってしまうのは――

 

この見事な構図のせいで――

 

松井潤子より頭一つ分 背が高くないと

こういう見事な……見事すぎる構図はどうやってもとれないわけで……

 

まあ、「雪州する」という手もあるけど、小津安っさんはそういう小細工、やるのかな??

 

あと「背の高さ」問題をもうひとつ考えますと――

この頃、斎藤達雄がめっきり登場しなくなっていますよね。

背の高さでいえば 斎藤達雄もこのシーンを演じられるわけですが……

 

いかんせん、おっさんになってしまった。

学生役はキツイ……

それでかつては斎藤達雄が演じていた「背の高い男」を

この頃から笠智衆が演じるようになった。

もうちょっと斎藤達雄が若かったら、あるいは童顔だったら、

この役は斎藤達雄にまわってきていたかも??

 

笠智衆、ほんとうに運がいい男です。

 

蘭子、鋭くよび止める。

「誰に断って、この人 連れてくの?」

貞夫、構わず連れ去る。

 

さいごのさいごまで上下方向の視線の交錯です。

これなんかどこから撮っているのか?↓↓

 

カメラの高さは

松井潤子の腰? 太もものあたりから?

 

ふつう肩の上からなめる、ということをやりそうなものですが、

(そっちのほうが松井潤子の視線に近いわけで、リアルである)

こういうへんな撮り方をしてしまうわけです。この人は。

後年、助監督についた今村昌平がうんざりしたのもわかります。

きわめて不自然です(笑)

 

何度も何度も繰り返しますが

小津安っさんはリアルなどということは考えていません。

あくまで「塔」を見上げるショット、を撮りたいだけなのです。

 

しかし……笠智衆への照明のあて方とか、

うめぇな……↓↓

これはすごいショットです……

 

あと……

このあと大日方伝がミイラ取りがミイラになってしまって

チャブ屋へ入り浸ってしまうわけですから、

こういう↓↓ どこか突き放したようなショットのほうがいいわけですね。

 

大日方伝を真正面からとらえてしまったりしたらいけないわけですね。

 

カネを払わずに笠智衆をチャブ屋から連れ出してしまったので

おカネがいる。

 

S56 梶原の家

「困っている友達が居るんで、お金が少し欲しいんですけど……」

母、「まあ、そう」

と、尚も話し、金額などきく。

すぐ金を出して来て渡す。

 

というのですが、引手が「+」↓↓

 

……これは深読みなのか?

しかし、

 

岸松雄:セットについて小津さんは全部自分で図を引きますか。

小津:引きます。ずっと前から自分でしています。

(泰流社、田中眞澄編「小津安二郎全発言(1933~1945)」58ページより)

 

これは1935年の発言だが、「ずっと前」というから

もちろん1934年の「母を恋はずや」のセットは小津の設計なのだろう。

当然、引手をどういうモノにするか意識しているはず。

 

で、これは前回の記事でも紹介したショット↓↓

たてつづけに「+」が登場します。

 

S57 部屋

貞夫、入り来て「あれ?」と思う。

幸作がしょんぼりしている。

つめかけのリュックサックが投げ出してある。

貞夫、不審そうに、

「お前、伊豆へ行くの やめたのか?」

幸作、くさって首をふり、

「おふくろが、いけないっていうんだよ」

と言う。

貞夫、「どうして⁉」と真顔になって訊く。

幸作、声を落して、

「うちの暮し、俺達が思ってるほど楽じゃないらしんだよ」

 

この重要なシーンに「+」と

すぐ下で紹介しますが 「非常線の女」の白いポットが登場します。

この白い十字架なんですけど――

 

『東京の女』

暗い背景に白い十字架を大きく描いたドイツの受難劇公演のポスター。姉弟の部屋に。

(フィルムアート社「小津安二郎を読む」287ページより)

 

とあるのですが、「東京の女」にはそんなポスターは登場しないので

「母を恋はずや」の間違いかとおもわれます。

また「東京の女」の岡田嘉子は共産党シンパと疑われているキャラクターなので

ドイツの宗教劇というのは ??……です。

 

三井秀夫+白いポット。

そういえば「生れてはみたけれど」のふて腐れたガキどもも

こんな風に父親の斎藤達雄を見上げていましたっけ。

 

この兄弟(大日方伝&三井秀夫)

「生れてはみたけれど」の兄弟のその後

ともみえなくもない。

母親は吉川満子だし。

 

話がまたそれますが――

市川崑の「病院坂の首縊りの家」(1979)をさいきんみましたところ――

 

石坂浩二&草刈正雄が

大けがをした写真館の若主人を見舞いに行くシーンで……

 

例の白いポットをみつけて

あ⁉

となりました。

 

似てますよね??……

というか、同じもの??

 

一瞬チラッと写るだけなんですけど。

まあ、市川崑といえば「細雪」(1983)のラスト近くで

佐久間良子に 「晩春」(1949)の杉村春子のパロディをやらせたりして、

小津へのリスペクトは明らかなんですけど……

 

佐久間良子のこれ↓↓ は必然性があるわけだが、

(岸恵子たちが大阪から東京へ引っ越すというはなしの流れ)

 

「病院坂」の白いポットはよくわからない。

看護婦役はほんらいあれかな?

金田一シリーズ常連の坂口良子にやらせるはずだったのかな?

この女優さん、なんとなく坂口良子に雰囲気が似てるから、そう思うだけなのか??

 

小津を見慣れているので……カメラの位置が高いこと高いこと(笑)↓↓

なんと、畳がみえますよ(笑)

 

もとい、

S59 息子たちの部屋

幸作、くさっている。

貞夫、考えつつ入って来る。

弟の様子を見たが、手の中の金を幸作に分けてやる。

「おい!」と時計を見て、

「まだ間に合うから、出かけたらどうだい?」

 

「東京の女」の岡田嘉子以降おなじみの……

時計(塔の代替物)を見上げるショット↓↓

 

住む家が変わると、時計も変わります。

豪邸に住んでいた時代は 重厚なウェストミンスターチャイムの時計でしたが、

中流の家に落ちぶれた今は 鳩時計。

 

で、「+」を仕込んでおります。

 

「+」の意味を考えているのですが……

「-」は横のつながり、大日方伝&三井秀夫の兄弟 そして端艇部の仲間

「 | 」は縦のつながり、親子関係をあらわす、のか??

 

ふたつ重なって「+」ということなのか?

それとも意味などないのかしら??

 

上下方向の視線の交錯。

 

小津作品のシナリオは

「若き日」からずーっと 「間に合う」「間に合わない」だの

時間に関するセリフが多いですね。

 

母親、吉川満子の登場。

 

このポーズはなんだかルネッサンス絵画の聖母マリアでもみているかのようです。

あくまでポーズのことをいっています。

 

「+」&母 という構図。

 

小津はいろいろ苦労して 「母」なるものを描こうとしているのはわかるのですが、

この作品――

「母を恋はずや」では完全に失敗しているようにおもえます。

 

われわれが小津作品で「母」といえば、

まっさきに思い出すのは

「麦秋」「東京物語」の東山千栄子であったり

「一人息子」の飯田蝶子であったりするわけです。

 

おつぎ。

つくづく時計が出て来る作品です。

 

S62

梶原の家

陽当りのよい軒先に、母が夫の遺品の数々を干している。

老眼鏡をかけて――

礼服、紋付、帽子、外套など。

母、揮発油で古服をふき乍ら、思い出ぶかく遺品を見る。

やがて、貞夫が学校から帰って来る。

「只今!」

 

これはシナリオにはないアクションなんですけど。

 

吉川満子が

おそらく夫の愛用品だった懐中時計のゼンマイの音を聞く。

 

そして見上げる……

 

はい。毎度おなじみの……

 

主人公たち、上を見上げる。

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

です。

「塔」のかわりに夫の遺影ですが。

 

で、大日方伝が帰宅するんですけど、

このあと大げんかしまして

家を出て行く、という流れです。

 

小津作品のキャラクターが「塔」を見上げると、

必ず何かが起きるわけです。

 

当然 この懐中時計のシーンは

「東京物語」(1953) ラストの映画史上屈指の名シーンの直系のご先祖なわけでして。

 

S172 車内

紀子、やがて亡母の形見の時計を耳にあて、

懐しく思いに耽ける。

汽笛が谺(こだま)する。

 

シナリオでは「耳にあて」

となっていますが、実際のプリントの原節子は 「耳にあて」ていません。

 

「東京物語」のこのシーンの成功は

「母を恋はずや」の失敗があったからこそ、なのではなかろうか?

 

遺影など出す必要はない。

時計を耳に当てる必要もない。

ただ、汽笛が鳴ればそれで十分だ。

 

凡百の映像作家はここで 回想シーンなんぞさし挿みたくなるところでしょうねえ。

しかし小津の、なにもかも削ぎ落としていったストイックな文体も

若き日の失敗作があってこそ、というわけです。

塔の作家・小津安二郎 その12「母を恋はずや」③ 萬翠楼福住と小津安二郎。

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「母を恋はずや」「浮草物語」の1934年――

「全日記小津安二郎」をながめていると……

 

六月二十八日(木)

井上金太郎上京

湯本 福住に行く

湯に這つて(トマス注:這入つて) ビールを呑み 明け方近く 就床

まことに涼しい

この日ユニホームをきて野球練習をやる

 

九月六日(木)

朝所長から電話あり 出社

監督 脚本部長 宣伝部長 ニウス部長 庶務部長 箱根湯本福住にて会議

江川宇礼雄退社の件 即決

のち小田原 春日に行く

 

湯本 福住 ってあれですかね?

僕が去年5月泊まった 萬翠楼福住ですかね?

まったく気づかずに聖地巡礼をしておりました(笑)

 

温泉宿で会議とは優雅だな。

会議につかったのは↑↑ この15号室かな??

 

まったくこの記述には気づかずに泊まっていたのはうかつであった。

となると、小津安っさんもまたこの建物を見ていたのかもしれないな……

いや、見たのだろう。見たんです。

 

萬翠楼福住さん、HPに小津安二郎とのつながり 書いといた方がいいですよ。

宿帳とかあればなぁ……みたいねぇ。

松竹蒲田の面々のサインとか最高だなぁ……

 

ちなみに……

まだ 当ブログ去年5月の箱根旅行の記事をみていないあなた。

見ないほうがいいですよ。

「古い旅館の部屋は苦手」「天井がミシミシ鳴って怖い」

とか軟弱な、女の腐ったような(笑)ことばかり書いてありますので……

 

□□□□□□□□

閑話休題。

「母を恋はずや」の分析は今回で最後。

この映画、後半は 「逢初夢子祭り」(笑)ですな~

 

えんえんチャブ屋のシーンばかりですので

チャブ屋とは一体なんなのか? 引用します。

 

チャブ屋とは外国船員相手のバー、ダンスホール、そして私娼を合わせたホテル。英語の chop house(安食堂)がなまったものらしい。マドロスを通じて世界中に「本牧のチャブ屋」の名は通っていた。大正九年(一九二〇)頃には本牧チャブ屋は二十六軒を数えた。

(草思社、アイランズ編著「東京の戦前 昔恋しい散歩地図②」104ページより)

 

実際にそのチャブ屋で遊んでいた人――

30歳当時の小津安二郎の日記をみれば……

 

一月十七日(水)

山中 岸ルパンにあり 至急来られよとの電話あり

井上 筈見来りルビッチを論ず

のち かほるにて鯛茶漬 筈見と別れて四人

浜に向ふ 第三キヨホテルに行く

この日山中日活本社に行き中谷貞頼より百円をもらふ

〈この金みんなのんだらうやないかい〉

 

そんな1934年です。

 

S67 ホール

一隅に貞夫と光子、いる。貞夫、憂鬱に卓子に凭って考え込んで居る。

 

陰鬱に気取っているわがまま坊ちゃん・貞夫。

こういう店にとっては一番いやな客だろうなぁ。

 

いちおう前回の笠智衆のお勘定を持ってきたので、

追い返すわけにもいかないし、といったところか?

 

背後のポスターが「+」です。

槍ですけど「塔」のショットとみていいかな??

 

フィルムアート社「小津安二郎を読む」によれば

フランス映画の「ドン・キホーテ」のポスターだそうです。

 

光子役はデビュー間もない逢初夢子。

 

松竹撮影所は、

デビュー間もない女優さんには

とりあえず娼婦役をやらせてみる という伝統があるのだろうか?

と何度か書きました。

 

↓↓以下、2枚 清水宏「有りがたうさん」(1936)の桑野ミッチー

 

逢初夢子も桑野通子も 「期待の新人」で入所してきて

まずは娼婦役で使われてる。

 

たぶん気だるげに歩いて 気だるげに喋ればどうにかなる役だからなのだろう(??)

現代の女優さんとかはどうなのか?

さっぱりそこらへんの事情は知らない。

 

↑↑うしろ姿は 主人公の上原謙です。

 

しかし、着物の縦じまのシャープな線と 桑野ミッチーの丸っこい輪郭の対比がおもしろいです。

そしてバスの窓という「ワク」……

 

S70 スタンド

「お前さん、親不幸だね」

貞夫、図星を指され「えッ」と光子を見る。

光子、笑って「ほら」と、自分のささくれの指を見せて、

「ささくれの出来る人は 親不孝なんだってね」

 

逢初夢子としたら話のきっかけにそんな話をしたんだろうに、

ナイーブに傷ついて チャブ屋を出て行く大日方伝です。

 

掃除婦役で飯田蝶子。

 

飯田蝶子上を見上げる。

 

逢初夢子下を見おろす。

上下方向の視線の交錯。

 

背後のポスターは フランス映画「にんじん」

「にんじん」はすみません、読んだことも見たこともないのですが、

あれでしょう?

親子の葛藤が描かれてることもあって、ここで使われているわけですよね。

 

――しかし、こういう「文学的」な方法、

小津安二郎がやっちゃいけない気がする。

どこか姑息な気が……

 

あくまで「映画的」に攻めて欲しかった。

 

しかし……

 

この当時の小津は この表現がかっこいいとおもったのか?

わざわざクロースアップ……↓↓

 

で、三井秀夫との兄弟げんかにつなげます。

が、どこからどうみても甘ったれてるとしかおもえないんだよな。

この大日方伝のキャラクターは。

 

前回紹介したシーンとは 視線の方向が逆ですね。

ちょうど「出来ごころ」の大日方伝×伏見信子のカップルと同様のパターンです。

前回見上げていた三井秀夫が 今度は見下ろす。

前回見下ろしていた大日方伝が 今度は見上げる。

 

S72 貞夫の室

「帰って来たんなら、母さんに謝ったらどうだい!」

「何だって母さんを泣かせたんだ」

 

「俺達にはたった一人の母さんなんだぞ」

「よしんば事情がどうあろうと

母さんを泣かせるなんて兄さんは馬鹿だよ」

 

兄をぶん殴る三井秀夫

 

S73 外

「塔」のショットですが、

この作品の塔はことごとく斜めになっているような気がする。

 

 

「兄弟」+「電柱のある郊外の道」

というので 「生れてはみたけれど」の名シーンの再現なわけですけど……

「生れてはみたけれど」は電柱はまっすぐですね↓↓

 

貞夫、嘲る様に、

「せいぜい大事にしてやれよ」

と言うと、其儘サッと身をひるがえして一方へスタスタと歩み去る。

 

などとカッコつけてますが、

ようするにチャブ屋に入り浸るだけのことです。

 

S74 家の中

「あの子は立派な事をしようとしたんだよ」

「兄さんは私の本当の子じゃなかったんだよ」

「そんな事をお前に知らせまいと思えばこそ、

お前の大学の手続もみんな兄さんがしてくれたんだよ」

 

などと泣く吉川満子の背後に「+」

 

のちの「晩春」(1949)「麦秋」(1951)で成功する あまりに思いやり深い家族同士の葛藤というテーマですが、

「母を恋はずや」ではどうも空回りの印象です。

 

S75 校庭の庭の梢

 

まあ、「塔」のショットでしょう。

ただ、今までポプラのような スッと真っ直ぐに立った樹木が多かったのですが、

この作品の木はやはり斜めです↓↓

桜かな??

 

白塗りが目立つ三井秀夫。

 

この「塔」のショットもやっぱり斜め。

 

「+」がたくさん。

 

S76 ベーカリー

S77 一隅の席

 

なんともすっきりしたモダンな構図です。

 

S75から 登場人物の視線が皆、下向きです。

この子の場合は帳簿をつけているんでしょうが↓↓

 

笠智衆が登場。

つまり、大日方伝がチャブ屋に入り浸っていることが

弟の三井秀夫に知られたわけです。

 

このあたりとくにセリフもなく、無駄なアクションもなく、

実にうまく処理されています。

 

S78 光子の部屋

「また今日も暮れちゃうんだなあ」

光子、言う。

「帰りたけりゃ、お帰りよ」

 

という、貞夫君の優雅な生活です。

お勘定はどうするつもりだったのかな??

 

ところで逢初夢子の背後のポスターが気になります。

例の「小津安二郎を読む」によると、

1918年の Come On In (「連隊の花嫁」)なる映画のポスターだというのですが、

これはフランス映画の「連隊の花嫁」(1933)のほうではないのか?

 

どちらもどんな映画だかわからないのですが、

フランス映画の「連隊の花嫁」(1933)は 主演がアニー・オンドラだそうな。

 

アニー・オンドラというと ヒッチコックの「恐喝」(1929)のヒロインで、そっちならみたことがある。

 

ヒッチコック×トリュフォーの「映画術」に

英語が話せないアニー・オンドラを主演に

イギリス映画初のトーキー作品を撮った苦労が語られていますが……

 

そもそもなんでそんな人をヒロインにしたのか?

ブロンドで ヒッチコック好みの美貌で 脱ぎっぷりがいい、というのはわかるのだが。

イギリスにはそんなに美人が少ないのか(笑)

 

「映画術」の記述だとドイツ人女優のようだが、

じつはチェコ人らしい。

(大英帝国の人間にとってはドイツもチェコも同じなのか?)

 

フランス映画の「連隊の花嫁」にでているということは、

あちこちの国の映画に出演しているんだろうが……

今はググってみてもよくわからない過去の人になってしまっている。

ただ長生きはしたらしい。

 

もとい、アニー・オンドラのポスター(?)がある部屋から

「塔」を眺めるというショット……だが、

 

S79 窓の外

気象台の旗が見える。翩翻。

 

本牧のチャブ屋からこんな風に見えるものだろうか。

むろん、そんな「リアリズム」などはどうでもよくて

 

小津に大切なのは「塔」と 「+」という暗号です。

 

毎度毎度おなじみ……

 

主人公たち、上を見上げる。

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

です。

 

で、母の登場。

 

「僕に何か御用ですか」

「僕は母さんなんかに用はありませんよ」

 

「お願いだから母さんと一緒に帰ってお呉れ」

 

などというイマイチぱっとしないコトバの応酬。

たぶん、こういうのがウケるとおもってしまったんだろうなぁ……

 

チャブ屋を舞台になにか描いてみたかったのはわかる。

だがそれに「母モノ」を組み合わせてしまったので

たまらなく痛々しい作品になってしまった……

 

はい。

で、「階段」――

 

以降、小津安二郎が遺作まで描き続けることになる「階段」が登場します。

 

また「塔」――

 

ものすごい顔をして「塔」を見上げる大日方伝。

 

だが、観客のほとんどは感情移入できない……よね?

 

ここでカメラが水平に移動します↓↓

で、NO.3 などと壁にペイントされているところから、

 

これが噂の「第三キヨホテル」か。

などと思い知るわけであります。

 

大日方伝もカメラと一緒に水平移動しまして

下を見おろします。

 

このあたりは「非常線の女」

三井秀夫&水久保澄子が 逃走する岡譲二を見下ろすシーンに似ています。

 

S87 街路(見た眼)

母、少し遅れて幸作、服部、悄然と歩み行く姿が見える。

 

一体どこの町並みでしょうねぇ。

 

S88 光子の室。

「お前さん、大芝居だったね」

 

――というのは観客全員の感想ではないでしょうか?

 

「よっぽど大向うから 声かけようと

思ったんだけど――」

と、容赦なく畳みかけます。

 

で、映画の残りの部分は

逢初夢子劇場、です。

 

これなんか↓↓

モダンな構図で、ちょいと額に入れて部屋に飾りたいようです。

 

 

光子、口をモグモグさせてサンドウィッチを皿にのせて持って入り来る。

貞夫、横になったまま動かない。

光子、見やったが、フト「オヤ」と思い、

 

――ここでぷっつりとフィルムは切れてしまいます。

以降、

 

「お前さん泣いてるね」

そして続けて、

「泣くくらいなら あんな大芝居しなきゃいいじゃないか」

貞夫、無言。背を向けたまま動かない。

光子、それに拘泥せず、窓辺に行き凭れて外を眺める。

 

という風にシナリオは続きまして……

さらに S96で貞夫は帰宅

S98で家族仲直りのシーンがあった模様ですが……

 

さいごのお涙ちょうだいのシーンはいりませんね。

光子――逢初夢子が、サンドウィッチを持ってきた時点ではなしは終わっているわけですから。

 

サンドウィッチは 「3」ドウィッチなのでしょう。

当然のことながら 「2」枚のパンで真ん中の具を挟んだ 「3」の食べもの。

 

それは第三キヨホテルの「3」であり、

三人家族の「3」でもある。

 

大日方伝は帰宅するより他なかったわけです。

那須どうぶつ王国のスナネコの赤ちゃん‼・待ち時間・観覧時間など

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2020年6月16日(火)に

那須どうぶつ王国のスナネコの赤ちゃんに会いに行きましたので

その写真をべたべた貼ります。

 

いや、赤ちゃん、というか

姫さま、ですね。この子は。

なんともいえん気品がありましたですよ。

 

以下、画像は とくに断りのあるもの以外は

ニッコールの 70-200㎜ f/2.8 望遠ズームで撮りました。

 

また、以下の情報はあくまで

6月16日の情報ですので 変更点などあるかもしれません。

だがまあ、待ち時間など、参考にしていただくとよいかとおもいます。

 

□□□□□□□□

イバラキを9時に出まして 常磐道→北関東道→東北道で

那須高原SAまで えんえん高速道路。

 

高速を降りると、他のクルマにほとんど出会わなかったため、

那須どうぶつ王国は そんなに流行っていない施設なのか? とおもったのですが(失礼!)

着いてみると 駐車場はかなりの混雑。

 

すみません。平日なのにかなり流行ってました。

着いたのは正午少し前。

 

スナネコの赤ちゃん様がいらっしゃるのは「アジアの森」というエリアになります。

親のスナネコは「保全の森」というエリアにいますので、

勘違いなさらぬよう。

 

「アジアの森」近くに着いたのは12時10分かそこらかとおもいますが、

すでに長い行列ができていました。

ぱっと見 60~70人かそこらはいたとおもいます。

 

スナネコ赤ちゃんの公開は

13時~15時30分

(↑↑これは、日によって変更があるかもしれません)

 

行列にならぶと 1時間かそこら待つことになる。

なので……

①他の動物をみてから、頃合いをみて行列に並ぶ。

②1時間待ってもいいから 今行列に並ぶ。

この二つの選択肢で迷ったのですが、

 

列の案内をされていた係員の方に聞くと

「行列のあとのほうになってしまうと 寝てしまうことが多いので

動く赤ちゃんを見たいのならば 絶対に今並ぶべきですよ」

といわれたので 行列に並ぶことにしました。

 

これは実際にそのとおりになったので 1時間でも待ってよかったです。

 

行列に並ぶ間↑↓

撮った写真。

 

T子さんと会社の上司の悪口 イヤな同僚の悪口を言い合うと もう特に話すこともなく(笑)

暇です。

が、屋根付きの通路が入口からえんえん延びており、高原の風も吹いていて

暑くなく快適でした。

 

↑この記事で この写真だけディスタゴン25㎜です。

屋根に覆われたのは「ふれあいドッグパーク」というところで

遠めにそこにいるワンちゃんを眺めておりました。

(それくらいしかやることがない)

 

↓えー、この日。

ものすごい迫力のある雲がいくつも浮かんでいて、

案の定、帰りの高速では 激しい雨&雷に襲われました。

上河内SAでしばらく雨宿りしました。

 

あ。そうそう

係員の方が、スナネコの赤ちゃんの様子を

インスタグラムで同時配信しています。

といって アドレスだか何だかの紙を配っていましたが、

よくわからんので紙だけもらって みませんでした。

インスタとかやってるオシャレなあなたなら

それをみて時間がつぶせます。

 

1時なるとようやく行列がのろのろと動き始めました。

 

↓↓これは「アジアの森」付近から

入口方向を撮った写真ですが、

右側にできた行列がおわかりいただけるかとおもいます。

 

平日でこれだから――

週末はどれほどの行列ができるんでしょうか??

 

あと……行列の先頭の人はいつから並んでいるんだろう?

11時半? 11時?

ちとわかりません。

 

スナネコの赤ちゃんの近くにたどりついたのは

ようやく1時半ごろ。

 

えー観覧のシステムですが……

(以下、日によって違うかもしれません)

 

行列の先頭の8人くらいが 赤ちゃんの目の前に案内されて

観覧時間は3分

それだけです。係員の方がストップウォッチで3分をはかっています。

 

えー↓↓

これは次に案内されるのを待っている段階です。

人と人の隙間から

ちょろちょろとスナネコ赤ちゃんが遊びまわっているのがみえます!

 

もう、この段階で

キャー‼

です(笑)

 

ようやく案内されました。

 

↓左側のiPad(だよね?) は、どうぶつ王国の撮影で

これの画像をどうも配信しているようです。

 

右側のスマホはT子さんので

この人は 行列の間はクールを装っていたのですが……

 

赤ちゃんをみるなり

人の群をかき分けて最前列で撮影していました。

 

おいおい、

オレにも撮らせろ、という図。

 

以下、時系列で

スナネコ姫さまの画像を貼っていきます。

 

きっとお気に入りのおもちゃなのでしょう。

 

興味津々で

愚民どもを見つめられる姫さま。

 

はい。

これまたT子さんのほうが いいポジションを獲得しているという図。

 

オサレに正方形にトリミング。

だが、「桟」が邪魔ですね。

 

スナネコ姫さま。

どうしてもうちのゆり坊の赤ちゃん時代と比べてしまったのですが……

 

・頭が大きい

・耳が大きい

・動きがおっとりと上品

 

などとおもいました。

 

頭・耳が大きいというのは 「スナネコ」と「イエネコ」の違いなんでしょう。

おっとり上品は 種類のせいなのか?

それとも女の子だからなのか?

 

すみません。1枚だけ。

うちのゆり坊の写真。やはり生れて45日後くらいの写真です。

 

ヒゲみたいのはニキビです(笑)

生意気きわまりない顔です(笑)

 

どうしても うちのゆりの赤ちゃん時代の

でっぷり肥えた体で ドタバタ走り回る印象が強いので――……

 

まあ、お上品でいらっしゃいます。

 

↓↓これは一番最初に載せた画像。

 

黒のストライプがなんとも品がある。

 

技術的なことを書いてしまいますと……

僕は普段 単焦点・マニュアルフォーカスのレンズばかり使っておりまして

 

で、ズーム・オートフォーカスのハイテクなレンズはたまにしか使わないので

ようやくこのあたりで↓↓

 

このハイテクなレンズに慣れてきた感じがします。

たぶんズーム機能をようやく思いだしたのでしょう↓↓

 

ただ、皆さん

スマホで撮る方が多く、

スマホで撮る場合、赤ちゃんにちかづけてしゃがみこむので

フルサイズ一眼レフ+望遠ズームの僕はたいへん撮りやすかったです。

 

が、

「撮りやすかった」などというのは自己満足で……

 

なにやら物々しい装備で パシャパシャパシャパシャ

ものすごい連写しまくっているヘンな奴に

皆さん遠慮してくださったのかもしれません。

 

3分間で 撮影枚数150枚くらいか(笑)

そのうち いくらかでも人様にお見せできるようなのを載せました。

 

砂漠の姫さまなので

ベッドもそこらへんの駄ネコのやつとは違いますな~

 

しかし、このベッドのチョイス……

センスがいいなぁ……

 

右奥のクリーム色の物体はトイレです。

砂が敷いてあります。

 

ベッドのチョイスがいいなどと書きましたが、

従業員の方、どなたもたいへん親切です。

 

こういう行列ができるようなシチュエーションの案内はたいへんかとおもうのですが、

手馴れた様子で案内されてましたね。

まったく不愉快になるようなことがなかった。

 

この3分間も

とくにせかされるようなことはなかったです。

 

あとは書くこともないので

スナネコ姫さまの画像をひたすら貼りますです。

 

 

 

 

 

 

 

 

――と、

ここで3分間終了。

いやはや至福の3分でしたなぁ…( ^ω^)・・・

 

 

このあと、おとなりのレッサーパンダなどみまして

20分かそこら経って、

また、スナネコ姫の前を通りかかると――

 

係員の方、物々しい装備の僕を覚えていたのだろう……

「もう、寝ちゃいました。タイミングが良かったですね」

といわれました。

 

やっぱり早めに行くべきのようです。

あと、平日午前なら いくぶん空いてるのかもしれません。

 

↑↑姫さまの名前募集してるそうです。

なにも思いつかなかったので書かなかったのですが――

今から考えると何でもいいから書けばよかったな……

塔の作家・小津安二郎 その13 「浮草物語」①  暗号は平行線(=)

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13、「浮草物語」(1934)

 

その10で 失敗作「母を恋はずや」を 「すべてはここから始まった」などと持ち上げましたが――

この↓↓

ドンゴロスをバックにしたタイトルというのも

あるいは「母を恋はずや」から始まったのかもしれませんね。

なにぶんプリントが失われているので確かめようがありません。

 

蛮友社「小津安二郎・人と仕事」は

1934年以降……つまり「母を恋はずや」以降、

浜田辰雄が美術監督をつとめるようになったことを重要視しています。

 

小津映画の美術監督として、この年以来のコンビになった浜田辰雄は、河野鷹思・金須孝・水谷浩らの美校での一年後輩で、温厚な性質で、外から見ると、小津組を「押しつけられた」という印象もあった。個性の強い金須孝らには、小津監督は「やりにくい」相手であった。「やりたいことが、やれない」相手であり、「やっても、つまらない」程、この監督のイメージが強固で不動で、趣味的であった。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」472ページより)

 

あと、この作品のスタッフに関して もう1点書きますと、

キャメラの茂原英朗がこの作品で小津組に復帰しています。

「非常線の女」以来の 小津―茂原コンビとなります。

茂原はどうも 海軍の遠洋航海撮影のためドイツに行っていたらしいです。

あれかな? 海軍兵学校の遠洋航海かな?

 

えーさて、

以下シナリオ順に作品を見てまいりますが……

 

S1 田舎の小駅

深夜の感じ。橘座の男衆が煙草を吸いながら終列車を待っている。

 

という風情のあるシーンからはじまるわけですが……

このショットはどこで撮ったのでしょうか↓↓

セットにしてはなんだか雰囲気がありすぎるのだが……

 

↑時計のショット

↓「塔」のショット

 

前作「母を恋はずや」から 小津安っさんは作品中に「暗号」を仕込み始めた、

と書きました。(ちなみに「母を恋はずや」の暗号は「+」でした)

この作品の暗号を最初に書いてしまいますと――

「平行線」

となります。

 

◎「浮草物語」は平行線(=)の映画である。

それはおいおい確認していきましょう。

 

列車が来て、駅員さんたちがホームへ向かいます。

 

「平行線」が暗号と書きましたが……

この駅員さんのショットのように 人物たちが同じ方向を向く

視線が同一方向

というショットがこの映画、異常に多いです。

 

柱、そしてレールという「=」(平行線)↓↓

 

……「全日記小津安二郎」1934年

十一月十七日(土)

成田の二つこちら 安食の駅に電気を下して ファストシーンをとる

車にて 蒲田から 三時間半

蒲田に帰つて 暁までねて カットにかかる

 

「小津安二郎物語」p196で

厚田雄春キャメラマン(当時は助手)が 木下駅だといっていますが、

「全日記」も「小津安二郎・人と仕事」も 安食駅だと書いてますので、

安食なんでしょう。

 

安食(あじき) 木下(きおろし) どっちも難読ですね。

イバラキ県南の人間にとっては 木下(きおろし)街道という道の名前には馴染みがあります。

木下街道は千葉県北のメインストリートなので

厚田さんはそれでなにか勘違いしたのかもしれない??

 

どちらにしても信州の山奥ではなく、成田線の駅で撮影したようです。

 

喜八の一座ががやがや降りてきます。

ここも安食駅なのか?

キャスト勢ぞろいで蒲田から出かけたのか?

ちょっとわかりません。

 

「鉄道」に関しては 常に「ホンモノ」を使う小津組。

やっぱりキャスト総出で 千葉の田舎へ出かけたのか?

日記には「大井車庫」「大井の工場」などという記述も見えるが、

これはきっとラスト(S100)の 坂本武&八雲理恵子の車内のシーンだよなあ?

 

あ。

わき道にそれてばかりですが、

八雲姐さん。

「東京の合唱」では八雲恵美子表記だったですが、

「浮草物語」では八雲理恵子表記ですね。

改名した由。

 

のちのはなしですが、 坪内美子も 坪内美詠子に改名しますね。

まあ、この人の芸名の由来は……

ご存知ない方はウィキペディア等ご覧ください。

 

おとき――坪内美子たん、登場。

わたくし、

この子のおっとりした喋り方が好きなので、トーキーでないのが残念。

 

この人、「浮草物語」「一人息子」「戸田家の兄妹」「晩春」「宗方姉妹」と、

意外と小津作品登場回数が多い。

 

最後に子供を背負って下座のとっさんが出て来る。

小屋の男衆、近付きお互いに心安く会釈し合う。

男、ふと、子供の富坊を見て、

「坊主、随分とでかくなったなあ」

とっさん、嬉し相に、子供をゆすり上げて、

「満四年来なかったからな

こいつも九ツになったぜ」

向うの椅子で、おときが包みを結んでいたが、

終って皆に「お待遠う」と言って立つ。

小屋の男衆、おときを見ていて、とっさんに、

「そら豆みてえな子だったけど

いい娘になったなあ」

と感心する。

 

長々引用しましたが、このくだり――

かなり重要なのです。わたくしのみるところ。

 

なにが重要かというと、この作品――

上下方向の視線の交錯が極端に少ない。

のです。

 

視線の交錯はほとんど水平方向です。

なので↓↓

突貫小僧は

かならず谷麗光の背中におぶさっていなければならない

……わけです。

もし、このシーンで突貫小僧が起きていて 地上を歩いていたとしたら

このシークエンスは、

「見下ろす男衆のショット」→「よう、小僧。久しぶりだな(タイトル)」→「見上げる突貫小僧のショット(笑顔)」

などという構成になり、

上下方向の視線の交錯が発生してしまうからです。

 

――などと、わたくし、トマス・ピンコは推理いたしましたよ。

そして 水平方向の視線の交錯は当然、「=」平行線という暗号に関わって来るのだとおもいます。

 

ちなみにわたくしのいう 「上下方向の視線の交錯」

というのは、

 

「人物A見上げる」→カット→「人物B見下ろす」

「人物B見下ろす」→カット→「人物B見上げる」

この運動をいっております。

(「出来ごころ」の大日方伝&伏見信子のラブシーン

あるいは「母を恋はずや」の大日方伝&三井秀夫の兄弟げんかのシーンを参照のこと)

 

同一ショット内で 2人以上の人物が写っていて、

見上げる・見下ろすという運動が起こっている場合は含みません。

たとえば この↓↓坪内美子の見上げるショットのようなことです。

 

まあ、ややこしいのであとで追加で説明します。

 

S4 村祭りの幟

 

電柱・幟が「塔」です。

あと二本の幟が「=」平行線です。

 

S6 ビラ

「市川左半次一座

当る七月七日より

於橘座」

 

このビラと実際の舞台のギャップがすごい……

誇大広告……

戦後の「浮草」ですと このビラもウソじゃないでしょうが……

 

まあ、重要なのはそこじゃなくて

↓↓うどんの看板が、平行線「=」です。

 

S7 床屋の中

 

ここも、先ほどの駅員さんたちのショットのように

「視線が同一方向」

というのを描きたかったのだとおもいます。

 

お客も床屋のおじさんも鏡の方向を向いて

鏡の方向に視線が行くわけです。

 

S8 外

三枚目のマア公が、人力車に乗って町廻りしている。

太鼓をたたき、ビラを撒く。

 

電柱、幟……「塔」のショットです。

右端。

床屋さんの、あれ。

そうか、だから床屋さんが選ばれたのか。

 

床屋さんのおかみさんが「塔」を見上げるというショット。

背後にも「塔」がみえます。

通風用の設備か?

煙突?

 

おかみさんは青山万里子さんという女優さんだが、

後年、小津作品に出まくりの高橋とよさんに、なんというか体格的に似ていらっしゃる。

 

そういや、男性デブキャラの大山健二はいつのまにか小津作品に出演しなくなってますな。

主人公・坂本武となんだかキャラが被るから? でしょうか?

 

谷麗光が準主役の「出来ごころ」「浮草物語」に

(痩せた体型がよく似た)笠智衆がほとんど出てこない、というのも同じ事情かな??

 

「お前んちに、姉さん居るかい?」

子供、首をふる。マア公「じゃ駄目!」

とビラをやらない。

 

繰り返しますが……くどいようですが……

このように↓↓

ワンカット内に複数の人物があらわれ、

会話がおこなわれる場合、

当然、「上下方向の視線の交錯」

というのが起るんですけど――(以下、S13の分析につづく)

 

S11 楽屋

ひたすら「平行」です。

 

S13 楽屋

 

上のマア公のシーンからのつづき……

ですけど、

「突貫小僧のショット」→カット→「谷麗光のショット」→カット

というように構成される会話シーンでは

あくまで 視線は「水平」なのです。

 

つまり、突貫小僧が座り込んでスイカを喰っているというのは

「自然主義的」な描写ではなくて、ですね、

「こうするのがリアル」などというその場でおもいついた描写ではなくて、ですね、

小津安っさんが考え抜いたポーズなわけです。

 

視線を水平にしたいために

突貫小僧は座っている。

のですよ、ここは。

あくまで構図至上主義の結果なのです。

 

「出来ごころ」では、突貫小僧は立って 坐っている親父の顔をぶん殴ったわけですが、

そういう「上下方向の視線の交錯」は この「浮草物語」では封印されているわけです。

 

そういう風にみると、背後の(おそらく小津自身の手になるとおもわれる)

落書き調の人物像も

「視線をみてくれ」というメッセージのようにおもえなくもない。

 

で、当然、谷麗光も立ったりしちゃダメなわけです。

あくまで座り込んでいるわけです。

 

富坊、まだガツガツと西瓜を喰っている。

とっさん、見てとがめる。

「やたらと喰やがって

又、晩に寝小便するなよ」

 

しかし、この作品の谷麗光は妙にかっこいいんだよな。

キザな勘違い野郎とか ダサい金持ちボンボンとかを

やらせられることが多い人ですが、

 

「浮草物語」のとっさんは いつもの役とは違って、

哀愁があって、妙にかっこいい。

 

突貫小僧のネコの貯金箱は――

 

「出来ごころ」の床屋(これまた谷麗光)のシーンのあれか?

とおもったが、

微妙に違うかな??↓↓

 

で、なんだかエロい お灸のシーン。

 

S14 楽屋の奥

喜八、熱くて我慢出来なくなる。

おとき、困る。

おたか、傍からおときに、

「構わないからもっと大きいのを

すえておやりよ」

 

これも人物が同一方向を向く、というショットです。

 

ちょっとややこしいかとおもえますので

ここらへんで今までの論旨をまとめますと――

 

「浮草物語」の特徴

①「平行線」(=)という暗号

②二人の人物の会話のシーンでは、視線が「水平」である。

③複数の人物が「同一方向」を向くショットが異常に多い。

 

ということになります。

②③は当然 「平行線」という暗号、というか「テーマ」に深く関わっているわけです。

 

とにかくこの楽屋のシーン

視線を水平にするために……上下方向にさせないために……

 

人物はとことん坐るか、しゃがむか、という姿で描かれます。

 

この坪内美子たんのショットなんぞ↓↓

お尻の曲線とか(!!)

たまらなくセクシーですが、

 

たんに「新人女優をかわいく撮ってくれ」という

撮影所の希望のまま撮られたショットではないわけです。(とうぜんそれもあるはずですが)

あくまで小津は小津のテーマがあって、

その「平行」というテーマに沿ったショットなわけです。

 

坪内美子は立ってしまってはいけないわけです。

 

しかし、このスイカの位置が完璧すぎる――……

ああでもない、こうでもない、と動かしたのだろうなあ……

 

八雲理恵子も坐ってますよ、当然。

 

「余計な事、言ってねえで

着物出してくれ」

おたか、怪訝に「え?」と見返す。

喜八、言う。

「土地の御贔屓さん方へ

一寸挨拶に行って来るんだ」

 

というあらすじ上は重要なところですが、

以前は「上下方向の視線」で描いていたこのような部分も

あくまで水平です。

 

S15 道

喜八が頭に手拭をのせて暑そうにとことこ歩いて来る。

 

というシーン。

どこで撮ったんですかね?

撮影は1934年9月おわりだとおもうのですが……

上田、丸子などという地名がみえるので まあ、信州のどこかなのでしょう。

 

小津のロケ撮影は スカッと視界が開けることはほとんどなくて

いつも閉塞感……というか、

囲まれた場所を描きますね。

 

幟という「塔」ですね。

 

S19 奥の座敷

かあやん、飯田蝶子の家ですが……

われわれは背後の「平行」(=)に目が行ってしまうわけです。

白く輝く平行線に。

 

二人の会話は当然水平。

 

「俺も近頃、肩がこるんで

毎日、お灸をすえてるんだ」

 

会話の中身も お互い年を取ってしまったという愚痴……

神経痛だの肩こりだの 「水平」といっていいかな。

 

S22 土間

 

喜八(坂本武)とおつね(飯田蝶子)の息子 信吉(三井秀夫)が登場。

 

「何んてったって、来年は検査だもの」

喜八、いよいよ感心する。そして信吉の背中を叩いて、

「甲種だな」

と言う。

 

ここも二人が同一方向を向く、というショット。

 

階段。

平行線(=)でもありますな。

 

「母を恋はずや」以降 重要なモチーフとなる「階段」です。

 

「出来ごころ」のラストの川が

なんだか三途の川……「死」の匂いがぷんぷんしていたように

 

「浮草物語」の喜八もやっぱり

「死」の匂いがぷんぷんします。

 

死んだはずの男、として登場するわけです。彼は。

 

「やくざな河原乞食の親父なら

ない方がましだよ」

 

という今だと完全にアウトなセリフ。

だが、

今の……完全に調子に乗った「芸能人」「タレント」どもをみると

こういう自覚のある「芸人」のほうが 何十倍何百倍も美しいとおもうのだがな。

 

S25 座敷

「今とても、鮠(はや)が出るんだぜ」

「おじさんも行ってみないか」

 

という親子の会話なのですが……

 

視線が「水平」方向の「浮草物語」……

唯一の例外が 三井秀夫でしてーー

 

このシーンと ラストのあたりで

「上下方向の視線の交錯」が起ります。

いずれも三井秀夫がからんでおります。

 

↑坂本武、見上げる。

↓三井秀夫、見下ろす。

 

つまり、二人の微妙な関係を強調するために

「上下方向の視線の交錯」を使っているわけです。

 

S26 河

 

で、誰もが感嘆する、釣りのシーン。

 

これまた 同一方向を向くショット。

 

S27 橘座 舞台

マア公や吉ちゃんが、馬のぬいぐるみで馬の足の研究に余念がない。

 

というのですが、

「同一方向」を向いているし、

「平行」(=)だし、

これまた完璧なチョイスです。

 

さらにいいますと、

 

まあ、撮影助手というと聞こえはいいけど、便利屋みたようなもんで何でもやらされました。たとえば『浮草物語』は旅役者の話ですから、芝居の舞台が出て来ます。で、ぬいぐるみの馬が出てきて、中に人間が入って歩くとこがあるでしょ。あの後脚やってる役者が山田っていう人なんですが、それがどうもうまく行かない。だから「なんだってんだ、馬の脚ぐらい出来なくて。そんなもんじゃない」っていったら、それを聞きつけて、小津さんが「じゃあ、厚田やってみるか」。 しょうがないから、ぼくが後脚になったんです。そしたら、また小津さんがからかうんですよ。座って横腹のところを足で掻いてみせろってんですよ(笑)。そりゃあ、まあ一、二、一、二でやって、やっとうまく行ったんですが……。

(筑摩書房、厚田雄春/蓮實重彦「小津安二郎物語」29ページより)

 

レンズの側にはいないはずの男が

レンズに捉えられているという貴重なショットであるわけです。

 

S28 客席(夜)

お客が相当入っている。(移動)

 

という移動撮影。

 

客が皆 同一方向を向くというショット。

 

S29 舞台

 

舞台の上でも同一方向を向いている。

いい女がいないか、みているんですけど。

 

S32 客席

お客、拍手し、中の一人、

「高嶋屋!」と声を掛ける。

 

笠智衆の登場はこの1シーンだけです。

 

今回はこれまで。

 

塔の作家・小津安二郎 その14 「浮草物語」②

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「浮草物語」の分析、つづけます。

前回書きました この作品の特徴、繰り返しますと――

 

「浮草物語」の特徴

①平行線(=)という暗号

②二人の人物の会話のシーンでは、視線が「水平」である。

③複数の人物が「同一方向」を向くショットが異常に多い。

 

――となります。

 

S35 舞台

喜八、石を拾って富坊に投げる。富坊、受け止める。

喜八「こん畜生、仕様がねえ……」

とキセルで富坊の頭をなぐって叱る。

富坊、立ち上がって泣き出す。

 

というちぐはぐなお芝居。

これも「平行」とみていいのかな??

平行線は噛みあいませんからね。

 

S39 楽屋

おたかとおとき、次の出の化粧している。

おたか、外の雨に聴耳をたてて、

「本降りになったねえ」

おとき「ええ」と顔をしかめて

「旅で雨は、やり切れないわね」

と言う。

 

というのですが――

坪内美子たんの足が撮りたかったのだろうとおもう(笑)

ローポジションならではの足裏ショット。

 

ちなみに

戦後のリメイク「浮草」を ざざっと見直してみたが、

若尾文子たんの足は撮ってなかった(笑)

他社だから遠慮したのか?

 

「小津安二郎・人と仕事」では

真夜中に何度か電話をかけてきたことがあったと

「巨匠」らしからぬ不届きな行為を若尾文子が証言しているから

若尾さんに遠慮したわけではなかろう。

もし撮りたかったのだったら「撮らせて」といってるはず(笑)

もっとも小津安っさんは文子たんの「お尻」が気に入っていた由(笑)

 

「浮草」の 京マチ子&若尾文子のほうが 華やかさは一段上ですが、

「浮草物語」の 八雲理恵子&坪内美子も しっとりとして なんともいい雰囲気です。

 

あ。当然 二人が「同一方向」を向くショットですね。

 

S40 窓外

降りしきる雨。

 

「平行」ですね。

「窓の桟を撮ってるんだから平行にきまってるだろ」

と考える方もおありでしょうが、

「雨」を表現するのに他にいくらでも方法はあるはずなのです。

濡れる屋根瓦を写す方法もあるし、

水たまりの波紋を撮ってもいい。

街を行き交う人々が傘をさして小走りに……というショットもありうるわけです。

 

だが、↓↓

平行(=)という暗号をここに入れたかったから、窓のショットとなったのです。

 

S44 舞台

「どうも皆さん お騒がせして済みません」

とペコペコ頭をさげる。

横で、富坊も客席の方へペコペコ頭を下げている。

 

「平行」であり、「同一方向」を向くショット。

 

突貫小僧が股を掻いてますが

突貫さんに限らず「掻く」という動作が多いな、この作品は。

 

S46 楽屋

「よく降りやがるなあ」

吉ちゃんが腐ってそう言う。そして続けて、

「こりゃ、高崎の二の舞いだぜ」

と言う。

 

すごい構図。

吉ちゃん役 西村青児という俳優さんだが L字……直角になってますな。

西洋間ではできず 日本間ではできる構図。

 

天ぷら食いたい ウナギの白焼き食べたい

タバコがない 金がない という会話で――

 

谷麗光が、

おなじみの「塔」を見上げるショット↓↓

 

とっさん、上方を見て「うん」と思いついた様に頷き立ち上がる。

屋根裏の横桟に、富坊の猫の貯金箱が置いてある。

 

とっさん、そこから金を抜き取る。

一同の方へ「どうだい!」と得意になったが、ハッとし慌てて猫を置き戻し、取り澄ます。

 

子どもの方が 大人よりカネを持っているという

アイロニックなシーンですが――

現実の世界でも 彼ら端役俳優よりも(失礼!)

人気子役の突貫小僧のほうが稼ぎが良かったのではあるまいか??

 

富坊が入って来る。猫を見て、とっさんに、

「ちゃん、俺の金出しただろう!?」

と「返せ」とせまる。

とっさん白を切る。

富坊、許さず、

「さっき、猫、向う向けといたのに

こっち、向いてるじゃないか」

と言う。とっさん、仕方なしに金を返す。

 

突貫小僧の「塔」をみるショット↓↓

 

猫の貯金箱という「塔」の代替物。

前作「母を恋はずや」では 大日方伝がクソ真面目な顔で 気象台の「塔」を見上げていましたが、

「浮草物語」の 「塔を見上げるショット」は、

このシーンのように 「塔の代替物」ばかりです。

 

「塔」自体はたくさん出て来るのですが、

「水平」の視線の物語のせいか?? 純粋な「塔を見上げるショット」は

姿を見せなくなっています。

 

また、これまたマニアックな話題ですが――

このS46にしろ、冒頭のS11~S14にしろ、

楽屋のシーンは

しきりに「ドンデンを返し」て 

このリズムは「晩春」以降のすさまじい 「カット」→「カット」→「カット」の萌芽なのかな? とおもえます。

 

さらにいうと、このセット。

ホンモノ同様に作られている、わけで……

そのあたりもマニア目線からすると 「すごい……」と唸るより他ないわけです。

 

普通 セットといや 家屋の「断面」で天井なんぞはつくらないわけです。

(普通カメラ位置はローポジションではないので天井は写せない、存在する必要はない)

ところが この楽屋のセットは 四方きちんと作ってあって、天井まできちんとあるわけです。

(猫の貯金箱はこの天井を強調するためにあるともおもえる)

 

ものすごいオンボロにみえて、実はものすごく豪華……

というのがこの楽屋の正体なのです……

このあたりも、「小津安二郎恐るべし……」と同時代の映画人を驚嘆させた要素なのでしょう。

 

子どもから金を奪おうとして失敗した負け犬一同。

おたか(八雲姐さん)から 煙草をいただくことに成功します。

が――

 

吉ちゃん、おたかに、

「しかし、親方も、のんき過ぎるぜ」

とごてる様に言う。

「御難、喰ってるのに、自分ばかりは

毎日、飲みに行ってるんだからなあ」

おたかも腐って頷く。一同、不満そう。

と、とっさん、

「そりゃ此の土地へ来たら

仕方がねえよ」

とうっかり言う。一同「え?」と見る。

とっさん「いけねえ」と口をつぐむ。

 

 

んー

S14の しゃがんでお茶を入れるところもそうだったが、

なにかと坪内美子たんのお尻の曲線を撮っているような気がする(笑)↓↓

 

え、さて――

ここまでピチピチの新人さん、坪内美子ばかり目立っていたのですが……

ここからは八雲理恵子劇場。

 

気まずくなって一階へ逃げた谷麗光を

八雲姐さんが追い詰めます。

 

ここは、セリフのない無言劇がしばらく続くので――こわい……

 

シナリオですと、

 

とっさん来て、湯わかしに水を入れる。

冷汗をふく。

ハッとする。

と、おたかが立っている。じっと見て、

「お前さん、今、妙なこと言ったね」

とっさん、困る。

おたか、

「何かわけがあり相じゃないか」

 

注目ポイントは

八雲理恵子をきちんとしゃがませるところでしょうねえ。

 

あと、谷麗光に喉仏だけで芝居をさせているところ↓↓

ですかね。

表情はほんの少しこわばらせているだけですね。

 

前作、前々作ですと、

八雲理恵子を立たせて、上下方向の視線の交錯で処理したかもしれないこのシーン。

 

八雲姐さんはしゃがんでいますから、

「浮草物語」はあくまで「水平」なのでして……

しかし水平の視線のほうが、迫力があるかな、八雲姐さん。

ものすごい美人で、この微笑というのは……こわい……

 

まあ、あっさり谷麗光を買収して情報を聞き出します。

シーンかわりまして……

ここも、飯田蝶子うまいなぁというところ……

 

S47 小料理屋(酉屋)

おつねが、板場で料理を作っている。

ふいと、天井の方を見て笑顔になる。

 

この酉屋の構造は、

チャブ屋の構造から受け継がれたのではあるまいか?

とは前作「母を恋はずや」の分析で書きました。

 

1階:接客空間

2階:愛の空間

これを「階段」が繋ぐという構造です。

 

S48 二階

信吉の部屋。学生らしき室内の様子。

信吉と肌ぬぎの喜八が、とうもろこしを

噛りながら嬉々として将棋に夢中になっている。

 

坂本武&三井秀夫の父子が

イチャイチャしている愛の空間(失礼!) というわけです。

 

背景の「巳」のマークが気になっているんですけど……

はじめは「うずまき」かな?

蚊取り線香もあちこちにでてくるし……

などとおもったのですが、

 

成瀬巳喜男の「巳」なのかな?

ともおもいます。

「全日記小津安二郎」1934年

六月十八日(月)

成瀬巳喜男 松竹をやめてP・C・Lに行くと云ふ

それもよし

 

この「巳」マーク、

なにか親友「巳喜ちゃん」と二人だけで通じるなにかの暗号でもあるのか?

 

なんにせよ、1934年

水久保澄子退社 江川宇礼雄退社 成瀬巳喜男退社――

そして父の死……

と小津にとって別れの年でもありました。

 

さらにいうと、

六月五日(火)

この日東郷元帥の国葬にて休日

 

と、めずらしく世間のことを日記に書かない小津安っさんが

アドミラル・トーゴーの国葬のあったことを記している。

輝かしい「明治」が終わったのか?

もっとも小津安っさんはこの日 昼寝などしてブラブラ過ごしていますが。

 

「巳」の一字だけでいろいろ考え込んでしまうわけであります。

 

1階。谷麗光から情報をききこんだ 八雲姐さん。

妹分の坪内美子を引き連れて 酉屋に乗りこみます。

 

2階の愛の空間を見上げる二人。

「同一方向」を向くショット であり、

「塔」を見上げるショットの変奏曲でもあります。

 

男たちの同性愛の場ですから、女性たちに侵入はできません。

それは見あげることはできても たどりつくことができない「塔」と同じ。

 

んー しかし、

父ー子のシーンを「同性愛だ」などというのですから

トマス・ピンコという野郎もどうしようもないです。

さいきん、「鬼滅の刃」というアニメをようやく見始めたのですが

そこにでてくる主人公兄妹をやはり

「近親相姦カップル」

などといって、まわりを顰蹙させています。

だがまあ、誰がみたって炭治郎―禰󠄀豆子は「近親相姦」でしょうが(笑)

 

巳と蚊取り線香の「渦巻」コンビにも注目↓↓

 

おつね(飯田蝶子)から

この場所を知らないはずの

おたか(八雲理恵子)たちが来ていると知らされて――

ひと悶着があります。

 

S51 店

喜八、稍々うろたえて、

「何しに来やがったんだ?」

おたか「ふん」と笑って酒を飲む。

「何しにとは御挨拶だね」

 

僕の推測する通り この「酉屋」が「チャブ屋」の構造そのままだとすると……

このS51は前作「母を恋はずや」の

チャブ屋の1階で 大日方伝と吉川満子が

お涙ちょうだいの劇を演じる、あれの変奏曲となります。

 

もちろん「浮草物語」のほうが何倍もおもしろいです。

 

前回、

「上下方向の視線の交錯」が起るのは

信吉(三井秀男)をめぐって3パターンだけだと書いたのですが

・三井秀男-坂本武

・三井秀男-飯田蝶子

・三井秀男-坪内美子

 

ここもそうなっているんですけど。

登場人物が3人なので このシーンはカウントしませんでした。

 

まあ、ここをカウントするにせよ、カウントしないにせよ、

どちらにしても この作品「上下方向の視線の交錯」が少ないことは確かです。

 

――何年か前書きましたが、坪内美子のタバコのくわえ方が妙にセクシーです。

こんな場面を見ているので、

このあとのS66

「あたし、そんないい娘じゃないの」

などというセリフが生きてくるわけです。

 

視線が上下方向なのですが、

「下」にいる人のほうが、落ち着いていて 精神的優位に立っているというのは

「出来ごころ」の親子喧嘩のシーン

「母を恋はずや」の兄弟喧嘩のシーンに共通してますな。

 

ああ、もちろんここは二人が「同一方向」を向くショット、ですね。

 

画面の背景に「視線」をあらわす何かを置くというのは 一体何なのか?

このショットの場合↓↓ ダルマさんですが。

 

あと、「並行線」の柄の服・帯が画面中にあらわれますね。

 

喜八、無理におときを帰さす。

おとき、出て行く。

おたか「ふん」と又も盃を手にして、おつねを見て、

「おかみさんも

いい子持ってお楽しみだね」

 

とシナリオだと おたか(八雲理恵子)は座ったまま演技をするような感じですが――

 

じっさいのプリントはゆらっと暖簾をくぐりぬけて 八雲姐さんが

飯田蝶子&三井秀男の親子の目の前に姿をみせるという

なんともたまらんシーンになってます。

 

ここは……この八雲理恵子の迫力はすごい……

あ。もちろん「水平」の視線なわけです。

 

「おかみさんも

いい子を持ってお楽しみだね」

おつね、喜八、ハッとなってうろたえる。

おたか、今度は信吉に笑って、

「おいくつ?」

信吉、まごつく。

おたか、見廻し、

「お父さんは何していらっしゃるの?」

 

社会学的に分析するとなると、

ホンネを語らない日本社会のど真ん中に ホンネを大声で語ってしまったがゆえに

八雲理恵子は追放されるのである、とかなんとかいうことになるのかもしれないですが……

 

スクリーン上のことを素直にみるならば……

 

しましま(平行線)カップル↓↓

 

対――

 

そうではないカップル(親子)  だが、背後には階段(平行)

という二人・対・二人が、「水平」の視線で会話をする、というシーンになります。

 

しましまカップルの方は(坂本武&八雲理恵子)

あたかも磁石の同じ極同士がはじかれ合うように

このあとケンカ別れ。

 

もう一方のカップル(三井秀男&飯田蝶子)は、

あとあと三井秀男が坪内美子と駆け落ちをして別れますから(←親子だって!)

背後の階段(平行)は、そのことを示唆しているのか?

 

ついでに今のうちにいっておくと――

坪内美子はあとあとその「階段」をのぼる特権的な人物となります。

「階段」をのぼることを許されていたのは

三井秀男・坂本武・飯田蝶子この三人だけだったのですが、

S95で 「階段」をのぼった瞬間、

坪内美子はこの家族の一員となるわけです。

 

そうしてみると、背後の「階段」は、

この家族のすべてを知って、背後から見守っているような気さえしてきます↓↓

とうぜん、小津の遺作「秋刀魚の味」ラストの「階段」のことを考えてみてもいいでしょう。

それとも考え過ぎなのか???

 

で、飯田蝶子は三井秀男を連れて奥へ消え、

坂本武と八雲理恵子 二人の対決シーンになります。

 

そして

戦後のリメイク「浮草」の

中村鴈治郎&京マチ子のほうが有名かもしれない、

雨の中の対決シーンへとなだれこんでいきます。

 

ここもまあ、あらかじめいっておくと視線は「水平」なわけです。

あと↓↓

「提灯箱」という 一時期の小津作品によく出て来るモチーフですが、

あれはなんとなく「戸田家の兄妹」以降の登場かと思ってましたが、

 

「浮草物語」が初登場なのかな??↓↓

 

 

 

空舞台のショット。

先ほども書きましたが、「階段」がすべてを見つめているかのようです。

 

S52 納屋の軒下

屋根からしずくが垂れている。

喜八、いきなりおたかの頬をひっぱたく。

「手前なんかの出しゃばる幕かい!」

おたか、頬を押さえ、キッとなる。

喜八、向い側の軒下から肩をそびやかし、

「俺が俺の倅と逢いに行くのに

何がいけねえんだ」

おたか、負けていず、

「お前さん、あたしに

そんな口がきけた義理かい」

 

 

 

「高崎の御難の時の事を

忘れたのかい」

「あの時、どうやら、

やりくりの出来たのは

誰のお蔭だと思うんだい」

 

「あんまり、なめた真似おしでないよ」

 

全集のシナリオでは おたかがとにかく言いまくって

喜八はタジタジの印象ですが、

 

 

 

 

 

「俺の倅と

手前えなんかとは

人種が違ふんだ!」

 

じっさいのプリントではこの強烈な一言を喜八が吐きます。

戦後の「浮草」の中村鴈治郎もこの一言が印象に残ります。

 

「ナチズムの影響である」とかなんとか偉そうなことを

誰かが書いていそうな気もしますが。

 

次回に続きます。

 


塔の作家・小津安二郎 その15 「浮草物語」③

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そもそも……兵頭二十八先生の「日本の高塔」を読んだわたくしが、

小津作品の中の「塔」を集めてみたら

おもしろいのではなかろうか?

などと思いついてはじまったこのシリーズなのですが……

 

ようするに

重要なのは「塔」ではなくて

「視線」である。

という、あたりまえのことに「出来ごころ」の分析あたりから気付いてきました。

 

となると、小津安二郎自身の意識はどうなのだろう?

という問題がでてきます。

たとえば「若き日」における 「塔を見上げる」というシーン(たいてい煙突ですが)

安っさん自身の意識は「塔」(煙突)がメインだったのか?

それとも上を見上げる視線を撮りたいがためのエサが「塔」(煙突)であったのか??

 

その点につきまして、注目したいのは

泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」所収の

「小津安二郎座談会」(45ページより)でありまして――

(「キネマ旬報」昭和10年4月1日号掲載)

 

小津:これも音羽屋の話ですが眼の高さで気持がわかると云うのです。或る男が電話を掛けている。受話器の高さが口の高さとして、目の高さ、視線の高さが、受話器のあたりなら相手は同輩だし、それより低ければ目上の人、更に低く目が外れている場合は、借金の云い訳か何かだという。

 今逆に電話を掛けるアクションをさせるでしょう。もう少し眼を下げてと、眼の位置を指定すれば、これは相手は目上の人だという理解力が俳優に欲しい。だから必ずしも演技に及第点があれとは云わない。だけど、理解力だけは及第点がなければ困る。

(中略)

小津:手と目が逆に動く場合があるでしょう。大勢と話をして、その中に一人の顔馴染みがいた。話をしていてチラリと見てアッという眼のかえり方、これが映画になると困る。うちの俳優の中にも一度で出来た人はいません。

(泰流社、田中眞澄編「小津安二郎全発言(1933~1945)」56~57ページより)

 

あるいは「小津安二郎・人と仕事」所収の吉川満子の発言――

 

吉川=私は「母を恋はずや」で、ワンカットの為に24時間かゝったことあるわ。紅茶をスプーンで一つ二つ、あと半廻わしゝして顔を左の方へ動かせっていうの。これが出来なかったの。「どうして二つ半廻わしてから顔を動かすの」と聞いたら「お前が下手だからだ」というのよ。(笑)顔を動かすのも、顔と目とを同時に動かせ、目が先でも顔が先でも駄目だっていうのよ。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」153ページより)

 

映画とは、畢竟「視線」の芸術――そんなこと、小津は 松竹蒲田に入ったその当時からわかっていたのかもしれません。

が、

1934年、吉川満子の「視線」に24時間もこだわりつづけた小津安二郎。

1935年、音羽屋……六代目尾上菊五郎の「視線」論を語る小津安二郎。

昭和10年前後に 「視線」に妙にこだわっている安っさんの姿があるのもまた事実。

 

□□□□□□□□

「浮草物語」の分析を続けます。

 

S54 楽屋(夜)

おときとおたかが舞台のお化粧をしている。

おたか、ふいと考え込む。

おとき、気にして、

「姉さん……」と、声を掛ける。

おたか、物憂く見返す。

おとき、笑って、

「昼間の痴話喧嘩を

晩まで持ち越すなんて

姉さんにも似合わないじゃないの」

 

地方まわりの旅芸人なんだから

もっとチープで乱雑だろう、などと考えるのが「自然」ですが――

 

「自然主義」からもっとも遠くにいるのが われらが小津安二郎で、

ご覧のようにきっちりしているわけです。

坪内美子は東京の舞台に出て来てもおかしくないような美しさです。

 

当然、ここも視線は「水平」

どちらかを立たせたり 寝させたりするのが「自然」でしょうが、

そんなことはしないのです。

 

場所を移動した坪内美子ですが、立ったまま喋ったりはしません。

しゃがんでセリフをいうのです。

 

あくまで「水平」の視線のためです。

 

「鏡」という 女の二面性を象徴する小道具の前で――

悪いことをそそのかす八雲理恵子です。

 

そうか、だから坪内美子は鏡の前から移動しないといけなかったのか。

悪い子だけど純粋な坪内美子は、鏡の前にいてはいけなかったのでしょう。

 

 

 

「お前さんに頼みがあるんだけどねえ」

おとき「なあに?」と訊ねる。

おたか、

「今日の小料理屋の息子を

ちょいと引っかけてみない?」

おとき、驚く。忽ち笑って、

「いやだわ。あたし、あんな子供なんか」

 

鏡の前にいる悪い八雲姐さん。

画面奥にいる坪内美子。

なんとまあ美しい構図。

視線が真逆というのもいいですねえ。

 

おとき、小道具かなんか持って再び自分の鏡台の前へ戻って来る。

ハッとなって見る。

鏡台に十円紙幣がのっている。

 

なにかと「カネ」が登場するおはなしです。

S26 川に財布を落とす喜八(坂本武)

S46 富坊(突貫小僧)の猫の貯金箱

そしてこの十円札――

これ以降も登場するわけですが。

 

「やってごらんよ」

おとき、紙幣を横へ置き返す。

おたか、すすめる。おとき、

「なぜさ?」

と聞く。

 

また坪内美子の足の裏。今度は足袋をはいていますが。

足袋……

ここで厚田雄春の証言の引用。

 

厚田:ロー・ポジションのことは、また別にお話しなきゃなりませんが、その足の裏ですね、これは足袋ってことなんですよ。これは、何度もテストしてると、裏が自然とよごれちゃう。ですから、女優さんの場合、六文の足袋をはく人がいたら、それより一つ上の文の足袋を用意しといて、テストのときは、その大きい方の足袋を重ねてはかせてやるんです。で、「本番」ってときに、大きい足袋を脱いでやってもらう。

(筑摩書房、厚田雄春・蓮實重彦「小津安二郎物語」151ページより)

 

だが、このカットの足袋は汚れているように見えるから↓↓

この方法を案出する前のことだったのか?

 

また「足袋」にこだわりますが……

ふたたび厚田さんの証言。

 

(トマス注:検閲に関して)

蓮實:小津さんの作品で、撮影中に、こういうところは危いなと思われたことはありましたか。

厚田:ぼく自身は、あまり気がつきませんでしたが、たしか、『浮草物語』で、三井弘次と恋仲になる坪内美子が、足袋をぬぐとこがありまして、そこがいかんといって切られたことがあります。和服の娘が外で裸足になるのは、いろいろ想像させるというんです。

(同書113ページより)

 

「足袋をぬぐとこ」が検閲で切られたというのですが、

おそらくこのショットと対になるはずのところだったのでしょうねえ↓↓

どんだけセクシーなショットであったことか……

 

まあ、ヒッチコックだとストッキングを脱いじゃったりするんですけど。

戦前の日本映画だとこれくらいが限度だったのか??

 

もとい、ざっとおもいだしてみても

「早春」の池辺良とか 「東京物語」の香川京子とか

靴下関係の描写が妙に多い小津安っさんであります。

 

「あたしに出来るかしら?」

おたか、笑って、

「お前さんの可愛い目で睨めば、

大がいの男は

お弁当持って追っかけて来るよ」

と、おだてる。

 

「お弁当持って追っかけて来るよ」はいいですね。

今のシナリオライターでは書けませんなー

 

にゃんまげ、ではなくて

突貫小僧が登場して、このシーンは終り。

 

で、

S56 町はずれの大銀杏の木の下

おときがたった一人待っている。

 

戦後の「浮草」をご覧になった方に説明すると――

若尾文子たんが川口浩にブッチューとキスしちゃう あれの戦前バージョンなわけですが、

なんとまあ可憐ですよ。戦前は。。

 

ああ。これも「塔」のショットと分類してしまっていいのか?

小さな幟? 

 

帯の柄の「+」に注目してしまうトマス・ピンコであった……

 

水平線「=」の「浮草物語」ですが、

坪内美子&三井秀男は結ばれるわけで……

「+」はそういうことなのか??

 

シナリオで「大銀杏」と指定されているのは、

「この木の根元で撮るぞ」と決まったところがあったのか?

たいがいイチョウはあるだろう、という観測のもと書いてしまったのか?

 

たしかに、

この樹皮の感じは、イチョウっぽい……

 

うん。ロングで撮ったこのショットからみても

イチョウ……かな。

 

なにがいいたいのかというと、「樹木」というと

ポプラのような スッと真っ直ぐ立った木が好きな小津が……

なぜイチョウか? ということです。

 

いろいろ愚考しますに――

・坪内美子が三井秀男をだますシーンなので、真っ直ぐに立った木はふさわしくないとおもったから。

・イチョウというと「乳」のあるものがあったりして 女性的なイメージがあるから。

・ロケハンでみつけたこのイチョウがなぜか気に入ってしまったから。

 

あんがい、三番目が正解だったりして??

 

ああ。巨樹ですので「塔」のショットですね。

だが、坪内美子も三井秀男も この「塔」を見上げたりはしません。

 

「昨日は、失礼いたしました」

信吉「いいえ」と、まぶし相におときを見て会釈を返す。

おとき、寄って来て、媚を見せていたが

「あのう……」と決心した様に、

「一寸お話したい事が

あるんですけど……」

 

八雲姐さんのおっしゃるとおりで

坪内美子たんがニコっと微笑めば、誰だってコロッと逝ってしまうわけで……

 

「僕、来られるかどうか

分らないけど……」

と言い、後をも見ずに去り行く。

おとき、微笑して見送る。

 

S57 時計(夜の十時を指している)

 

S58 信吉の部屋

信吉が机の前でじっと考えている。

汗をかく感じで――

時計を見上げては頻りと考え込む。

 

という、「塔」(時計)を見上げるショット。

 

あと、思うのは、三井秀男の頭の形がいいなぁ ということ。

「非常線の女」以降、彼がよく使われているのはそのせいかも?

江川宇礼雄の頭の形にも似てるかな。

 

S59 下の座敷

おつね、針仕事している。

信吉、入って来て、

「おっかさん、一寸

散歩に行って来るよ」

 

飯田蝶子の上を見上げるショット。

 

S61 大銀杏の処

信吉、やって来る。

おときが待っている。

 

ふたたび塔(巨樹)のショット。

 

坪内美子が足袋を脱いだせいで 検閲でカットされたしまった部分というのは――

全集のシナリオをみるかぎり このあたりなのでしょう。

 

S62 草叢

おとき、そっと信吉の手を取る。

そして、

「随分固い手ね」

信吉、引っこめて、

「学校で、毎日、実習してるんです」

と言う。

おとき、草の中に寝そべる。

「むし暑い晩だこと」

「草のにおいが、とてもするわ」

信吉、じっと、おときを見る。

草をかむ。

 

S63 楽屋

 

坪内美子が帰ってきます。

このシーンはなんとも艶めかしい雰囲気。

 

やっぱり……帯の「+」は 意図的だな、とおもうわけですよ↓↓

窓の桟の「=」との対照も、考えたいところ。

 

シナリオですと 八雲姐さんの「どうだったい?」という問いに

坪内美子は無言のままなのですが、

プリントですと 「お茶の子さ!」というようなジェスチャーがあります。

このジェスチャーがなんとも美しいのだよな。

 

S64 河原

 

皆で洗濯してます。ロケシーン。

一瞬「清水宏かよ!」とおもうのですが、

清水だったら 広角でどかーッと川の流れをキラキラと前面に描くわけですが、

 

小津の川は奥の方にちんまりキラキラしているだけですな。

あくまで、さきほどの……八雲恵美子&坪内美子の正反対を向いていたショット、

あれの対になるショットを撮りたかっただけなのでしょう。

 

まったく正反対を向く、坂本武&八雲恵美子です。

 

前のシーンで 「おときが居ねえじゃねえか」などという話題が出まして――

 

S66 人気なき草原

向うに線路が見えて――

木蔭で、おときと学校帰りの信吉とがいい気持でラブシーンしている。

 

背後には塔(電柱)

なんだか 「鬼滅の刃」の背景でもみているかのようです。

あれは大正時代のおはなしですが。

 

両人の後を汽車が走って行く。

おとき、汽車を見送って「ねえ」

と、信吉を見て、

「もうじき、あたし達もお別れねえ」

と言い、ハッと見る男に「ねえ」と続けて、

 

というあたりですが――

 

ここがとんでもないのは……

 

三井秀男&坪内美子の頭が

長方形画面の対角線にぴっちり合っていることで……

 

田舎ですから、そう汽車が何度もやってくるわけではないでしょうし……

一体何回リハーサルをしたのだろうか?

一発でOKだったのだろうか?

何回か撮り直したのだろうか?

 

「小津安二郎物語」191ページに

おそらくこのシーンの撮影風景だろうというスナップがありますが

「中央線韮崎で」とありますね。

 

新人の坪内美子たんですが、

横顔はなんだか絹代ちゃん……田中絹代に似てるかな?

 

「浮草物語」の次回作は、その大スタア・田中絹代主演の「箱入娘」ですが

これはプリントが残っておらず、どんな作品だか わからない。

シナリオをみるかぎりは……「浮草物語」にはとても及ばない失敗作のように感じます。

興行成績も「浮草物語」はまあまあ良かったそうですが、

「箱入娘」はコケたようです。

 

あ。平行線(電線)↓↓ ですね。

背景は南アルプスの山々でしょうか。

 

 

悲壮な表情の坪内美子に比べて

三井秀男の表情は明るい。

 

おとき(坪内美子)は以前にもこんな経験があったのかもしれない。

 

ここもまた電線↓↓

 

電柱という「塔」

ローポジションなので 坪内美子にしろ 三井秀男にしろ

実に堂々と写ってます。

 

どこか西部劇みたいな感じもします。

 

ああ、そうそう

二人の視線は「水平」なわけですよ。

 

「出来ごころ」の 大日方伝&伏見信子のラブシーン

あれを「上下方向の視線の交錯」で撮ったわけですが、

「浮草物語」はあくまで「水平」で攻めるわけです。

 

二人の頭が 塔(電柱)のてっぺんとぴったり揃っている。

これは大変な手間ですよ。

1ショット 1ショット めんどくさいことをやってます。

 

「ね、怒らないでね」

「あたし、あなたをだまそうとしてかかったのよ」

信吉「え?」となって見る。

おとき、切なげに、

「はじめは……でも……」

「でも……」と、項垂れる。

 

フェミニズム批評からすると「男性中心の甘いファンタジー」などと叩かれそうなところですが……

 

シナリオなんてものはどうでもよくて

スクリーン上の出来事は……

三井秀男の足(=)

三井秀男&坪内美子(=)

レール(=)

電柱(=)

電線(=)

……と 平行線(=)だらけの画面の中で、

 

坪内美子の帯の模様が 「+」とまじわっているところです。

この「+」が二人の未来を暗示しているのでしょうか?

 

ところでレールの上を歩くとか、

今はこういうシーンは撮れるのかな??

 

④に続きます。

塔の作家・小津安二郎 その16 「浮草物語」④

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毎回毎回、「浮草物語」もしくは「浮草」をみるたびに

疑問に思うのは――

 

なぜ、あれほど坂本武は激怒するのか?

(なぜ、あれほど中村鴈治郎は激怒するのか?)

ということで……

 

大雨の中の怒鳴り合いの、あのシーンではなく、

 

信吉&おとき(三井秀男&坪内美子)のカップルの姿を

喜八(坂本武)が目撃しちゃいました、

さてどうなる?

というあの場面です。

 

S73 小屋の露地

喜八、ひょいと前方を見て「あれ?」と立ち止る。

 

S74 向うの道

信吉とおときが肩をならべて帰って来る。

(見た目)喜八「うーむ」と唸って目をみはる。

飛び出さんとしたが、そのままかくれて尚も見張る。

 

というんですけど↓↓

別にこの二人 べたべたくっついてイチャイチャというんじゃないんですよね。

1930年代。今より男女のことは口やかましかったんでしょうが。

これで↓↓ どうこういわれてもねえ……

 

ただ……これも暗号の「平行」(=)なのでしょう。

 

S64で おときに関して

「ここんとこ ちょいちょい 見えなくなるんですよ」

というやりとりがあり……

S71で 信吉に関して

「此の四、五日毎晩の様に、出かけるんだよ」

というやりとりがあり……

(シナリオ上の「平行」)

 

そして。この 三井秀男&坪内美子の

画面上の「平行」の出現。ということなのでしょう。

 

で。喜八には答え(=二人はデキている)

が、わかってしまったわけですが。

 

くりかえしますけど、この二人。

そうイチャイチャしてるわけではない。

ただの友達同士ですよ。と言い訳ができるレベルなのです↓↓

 

それは戦後の――四半世紀後の「浮草」(1959)でも事情は同じでして……

 

S94 小屋の近く

駒十郎、来かかって、ふと見て、おや? と目を据える。

向うの角で、加代と清が別れを惜しんでいる。

 

というんですが……

 

あれほど チューチュー キスばっかりしていた

川口浩&若尾文子たんですが……

 

なんとも礼儀正しい。

ぴっちり「平行」(=)なんですな。

 

ちょっと、シャツのゴミかなんかを文子たんがとるというアクションはありますが↓↓

それでも 「あやしい……」というほどではない。

 

にもかかわらず 顔色を変えちゃうのですな。

鴈治郎さん。

 

――にしても、顔の形。真四角ですな。

 

平行線の二人。

恋人同士の間合いではないです。

言い訳しようとおもえば言い訳できる感じ。

 

戦後の「浮草」の暗号も「平行」なのか、どうか?

そこまで細かくはみてないんですけど。

このシーンをみるかぎり、たぶんそうなのかな。

 

こういう器用なお芝居は 坂本武にはムリ……↓↓

 

しかし。ここはどこ?

オープンセットですか? ロケ?

ご存知の方教えてください。

 

たぶん、オープンセットかな??

 

□□□□□□□□

もとい、戦前の「浮草物語」(1934)に戻ります。

 

S79 客席

ガランとして一隅に座布団がつみ重ねてある。

喜八、おときを前へ坐らせ、いきなり横つらを張る。

「やい!」

「手前ぇ、今まで

何処へ行って来やがった!」

おとき、顔をおさえ、反抗的に見返す。

無言である。

 

と、「全集」のシナリオにはあるのですが、

おときを坐らせてしまうと 視線が上下方向になってしまうので

プリントでは ご覧のように立ったままです。

あくまで視線は「水平」↓↓

(もちろん身長差はあるんですけど……

前作・前々作のように、人物Aを立たせて 人物Bを坐らせ

その人物A・人物Bのショットをカットバックすることがない、ということをいっています)

 

坪内美子たんに暴力をふるうなどとは

許しがたい行動ではありますが……

 

坂本武&三井秀男の親子の愛情を 「同性愛」とみるとすると――

嫉妬に狂った元・恋人坂本武が

現・恋人……しかも若くてかわいい坪内美子をぶん殴る、という

すこぶるおもしろいBLシーンにも見えてきます。

 

小津安っさん。

大げさな「お芝居」は要求しません。

殴られても無表情な坪内美子↓↓

 

この会話シーン。

 

たぶん……坂本武のほうが

顔は大きいはず。

 

なので、坪内美子を撮る時は

カメラ位置は被写体に近づけているんでしょうねえ。

 

それで各カットが自然に繋がっていく。

小津作品でよくみられるテクニックですが、この会話シーンはわかりやすい例。

 

もちろん視線が「水平」というのも

カット間が違和感なくつながる重要なポイントでしょう。

 

「おたかが、どうしたんだ?」

おとき、

「あの人を誘惑しろって言ったのよ」

喜八、「え?」と目をむく。せき込む。

と、おとき「でも……」と目をふせ、

「でも、今じゃ、お金でなしに

あたしが信ちゃんに夢中なのよ」

 

恋愛感情→手をゴニョニョさせるといういつものヤツです、はい↓↓

 

喜八(坂本武) おとき(坪内美子)に

「おたかを呼んでこい!」といいつけまして――

 

で、八雲姐さんの登場。

 

おたかが来て、喜八を見ている。

両人、殺気を以て、睨み合う。

 

――とシナリオはすさまじいことを書いてますが……

なるほど 斬り合いがはじまりそうな雰囲気です↓↓

 

「お前さんに似て立派な息子さんだよ

旅芸人を情婦(いろ)に持ってさ」

喜八、追いすがりざま、続けてなぐる。

おたか、なぐられたまま、笑い顔で、

「口惜しいかい」

「え、どうだい!」

「たんと口惜しがるがいいよ」

喜八、相手の落ち着いた様子に押される。

 

坂本武が八雲理恵子をぶん殴ります。

戦前の小津作品は、暴力シーンが多いですが、

ほとんどきまって 暴力をふるった側(ここでは坂本武の喜八)のほうが

精神的に敗北しているというか、

みじめというか……

 

――それだけに「戸田家の兄妹」のラスト近く

佐分利信の「正義の鉄拳」みたいのは どこか違和感がありますな。

 

ここも、いったん倒れた八雲理恵子を

そのまま坐らせておく手もあったとおもいますが、

睨みあう二人のカットバックは、

当然のように 視線が「水平」です。

 

つまり、八雲理恵子を立たせてから睨みあいがはじまります。

 

カメラ位置を変えて

顔の大きさをコントロールする、というのも

先ほどの坪内美子と同じ。

 

――というか、八雲理恵子、ものすごい美人。

手もキレイだし……

 

だが、美人だから女優として成功するわけではないようで……

彼女は 栗島すみ子にも田中絹代にもなれなかったわけです。

 

八雲姐さん、小津作品はこれで最後。

どんな声の人だったのかねえ。この人のトーキー出演作はみてないので知りません。

 

個人的にはこのセリフが一番好きかな。

 

「世の中は廻り持ちなんだよ

骨身にしみて、覚えとくがいいや」

 

「仲直りしておくれよ」

喜八「え?」と見返す。おたか、尚も、

「ねえ」とすがり、

「これで、あたしとお前さんとは

五分五分じゃないか」

 

五分五分というのも この作品のテーマ 「平行」だの「水平」だのと通じ合うものを感じます。

 

S87 客席

深刻な顔でじっと一方を見ている一座の人々。

(ゆるやかに移動)

 

・視線が同一方向

・移動撮影

そして場所が同じ「客席」ということで、

S28とみごとにパラレルになっています。

 

S28は賑やかなシーンだっただけに より悲壮感が漂います。

 

やがて、われわれは 一座の小道具類を売り払っている……

一座は解散するのだ、ということを思い知ります。

 

このあたり 月並みな作者だと 「え? 解散だって……」「親方、本当かい?」

なんていう野暮なセリフを言わせたりしそうですが、

無言のまま きわめてクールに処理しています。

 

そして  「カネ」という、この作品に終始つきまとうテーマがあらわれます。

ここは「若き日」の第七天国……質屋のシーンの再演でもありますな。

 

S88 楽屋

徳利がならんでいる。(移動)

茶碗酒に、するめ、一座の人々が車座になって別れの酒を飲んでいる。

皆、愁然としている。

 

車座になって歌うという……小津作品ではよくあるシーン。

「若き日」「東京の合唱」「浮草物語」……

 

だが、どの作品においても 悲しさをまぎらわすために歌うのだな。

この人たちは。

 

「浮草物語」の谷麗光が、なんだか好きです。

「出来ごころ」の床屋さん役もよかったが、

この映画の「とっさん」が漂わせる哀愁にはかなわない。

 

この人、いったいどういう人なのか?

調べようがないのだよな。

 

手持ちの松竹作品のDVDだと 「女医絹代先生」にこの人、出演してて

絹代ちゃんに片思いする金持ちのボンボン役、

主人公・佐分利信のライバルという、

けっこういい役をもらってるんだが……

 

「浮草物語」の「とっさん」みたいな輝きはない。

 

きちんと「フレーム」にはいっている谷麗光。

フレームなしだと、ちょっとお涙ちょうだいになってしまったかもしれない。

フレームが入ることで、客観的な……被写体を突き放した表現が生れる……のだろう。

 

登場人物が「同一方向」を向くショット↓↓

左端のヒト ぼやけちゃってるよ。

レンズの性能が悪そうだな……フィルムの問題かしら??

 

S90 座敷

両人、入って来る。

おつね、喜八の浮かぬ様子に、

「どうしたのさ?」

喜八「やれやれ」と荷物を投げ出す様において、

「とうとう一座、解散しちゃったよ」

とはき出す様に言って坐り込む。

 

一座にとって解散は悲劇ですが、

おつねにとっては、

喜八が定住してカタギになってくれるかもしれない、という吉報です……

 

いままでさんざん おとき(坪内美子) おたか(八雲恵美子)をぶん殴っていた喜八(坂本武)が、

おつね(飯田蝶子)の前では しんみりとして

まったく頭があがらない、という設定もおもしろいです。

 

・・・・・・・・・

あと思うのは 初期小津作品のシナリオの定番パターンで――

「良い子」

「悪い子」

この二人の女の間で、主人公が迷う、というのがあるわけですけど……

 

「朗らかに歩め」(1931) 「淑女と髭」(1931)では、

主人公は「良い子」を選ぶわけです。

(どちらの作品でも 良い子→川崎弘子 悪い子→伊達里子)

ところが、

「非常線の女」(1933)では

選ばれるのは「良い子」(水久保澄子)ではなく

「悪い子」(田中絹代)の方です。

 

――そして、この「浮草物語」(1934)

坂本武が選ぶのは 「良い子」(飯田蝶子)ではなく、 「悪い子」(八雲理恵子)なわけです。

まあ、二人とも「女の子」という年じゃないですけど。

 

「そのうちにはあの子もきっと

帰って来るよ」

「ねえ、そうすりゃ」

「親子三人で仲よく暮らそうよ」

「ね、そうしようよ」と頻りにすすめる。

 

二人の視線はとうぜん「水平」

 

シナリオの構造をみてみますと――

おもうのは……「三人」……「三」という数字を飯田蝶子は言ってはいけなかったのではないか?

「三」という禁じられたコトバを口にしてしまったから、

喜八は八雲理恵子を選んだのではないか?

 

つまり、

この作品は「平行線」(=)の映画なのです。

数字でいえば 「二」の映画なわけ。

 

「三」は、この作品からは排除されるのではあるまいか?

だからそのあと……

三井秀男&坪内美子が帰宅して、最後の一波乱が起きる。

 

喜八、おときを見ると、カッとなっていきなり

「こ、こん畜生……‼」

「何処へ行ってやがったんだ!」

「手前ぇ、どの面さげて

帰って来やがったんだ!」

と、横ビンタを張る。

 

と、また暴力シーン。

まず息子をぶん殴ればいいのに……

と、おもうが、

こうなるといよいよ 三井秀男&坂本武は「同性愛」だったのだとおもうより他ない。

 

さっきの「三」ではなくて「二」という理論でいいますと、

坂本武・飯田蝶子・三井秀男……この人たちは

坂本武&飯田蝶子(異性愛)

坂本武&三井秀男(同性愛)

この組み合わせでできていたわけで――

 

つまり、「三」人家族にはなりようがなかった三人なのではあるまいか。

あくまで 「二」+「二」でしかなかったのではあるまいか??

となると、坂本武が最後、八雲理恵子とくっつくのは必然だったわけです。

 

お。

なんか飯田蝶子を真正面からとらえたショット↓↓

小津作品でこんなのありましたかね??

 

カメラ位置、ローポジションじゃないよな。これは。

ちなみにキャメラの茂原さんは飯田蝶子のダンナ。

 

なんか、エイゼンシュテイン作品にでもありそうな雰囲気。

ブルジョワ富農の嫌がらせに抗議する貧しい農婦みたいな雰囲気(笑)

そして皆が立ち上がった! みたいな。

 

だが、小津ですのでね。

 

戦後の「浮草」の川口浩は――

「――そうか、やっぱり……そんなことやないかと思うとったんや……」(S115)

と口にするんですけど。

 

戦前の青少年はナイーブだったのか。

三井秀男は素直に驚きます。

 

「学があるだけに

あいつの言うのはもっともだよ」

「ふだん構いもしねえで勝手な時に

これが父親でござい

なんて言ったところで

通用しねえのが当たり前だ」

 

 

おつね、驚いて、

「信吉だって、お腹ん中じゃ

もう折れてるんだよ」

「ねえ、行かなくっても……」

喜八「いいや」と首を振って、

「でも、あいつに肩身のせまい思いを

させたくないからなあ」

 

喜八、「酉屋」」を出て行きます。

 

おもしろいのは、喜八がいなくなってから

「上下方向の視線の交錯」のカットバックが2回立て続けに発生することです。

 

物語の序盤S25 坂本武&三井秀男の会話で

上下方向の視線があって、それ以来、となります。

 

「上下方向の視線の交錯」をさいごのさいごまで

とっておいたということでしょうか?

 

S95 二階

信吉、泣きたいのをこらえて考えていたが、ハッとなって見る。

おときが顔を出して、

「信ちゃん……親方が……」

信吉、彼女をじっと見ていたが、やがて、サッと立ち上がると、部屋を飛び出す。

 

三井秀男、見上げる。

 

坪内美子、見下ろす。(かわいい)

そばに電球。

 

上下方向の視線が交錯します。

 

S96 店先

信吉とおとき、降りて来る。

信吉、方々を探す様子で、

おつねを見ると、

「おじさんは?」

と、訊く。

 

今度は見下ろす三井秀男↓↓

 

見上げる飯田蝶子。

またまた上下方向の視線の交錯です。

 

「お父さんかい?」

と、訊き返す。

信吉「うん」と頷く。

おつね、

「お父さんなら、又旅に出たよ」

 

S98 切符売場

喜八、煙草を吸おうとしたがマッチがない様子。

おたか、ついと立って来て、マッチを貸してやる。

両人、そのまま変な気持ちで並んで坐る。

 

二人。「平行」に並んで、「同一方向」を向きます。

 

「お前さん、何処まで行くの?」

喜八「うん」

「上諏訪までだ」

おたか、侘しく目をふせる。

喜八、

「お前は何処だ?」」

と訊く。

おたか、

「別に何処って当てもないのさ」

と、物憂く言う。

 

仲直りしようとしている男女の会話なんですけど――

「空間論」なんですよね。

Where という空間論。

なんとも心憎い限り。

 

S100 夜汽車の中

眠りこけている人々。

喜八とおたか、並んで坐り、駅弁を肴に酒を飲み始める。

 

「平行線」(=)だった二人が チョンと交錯します↓↓

 

戦後の「東京暮色」の夜汽車の雰囲気もたまらなかったが、

「浮草物語」のこのシーンもたまりませんな。

 

ゴーゴーと遠ざかり行く汽車。

暗い中を――  (F・O)

――完――

 

大好きな「鉄道」&「塔」で締めくくります。

塔の作家・小津安二郎 その17 森栄さん「考える人・小津安二郎特集」「東京の宿」

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さて。つめこみすぎのタイトルですが――

ようするに、ですね。

 

1935年(昭和10年)の小津安二郎は

森栄さんと出会ってしまったために

つまらん作品しか撮っていない。

 

ということを書きたいわけです。

 

□□□□□□□□

森栄さん。といえば

小津安っさんが結婚したかもしれない唯一の女性。なわけですが――

彼女に関して わたくし

長年 思い違い……

というかヘンな思い込み をしておりまして――

 

「小津安二郎・人と仕事」 146ページ掲載の

この写真↓↓

小津・池忠さんと一緒に写っている

このふくよかな女性が かの栄さんなのだろう、

と思っておったのです。

 

まず

「池田忠雄達と」

という解説がすこぶるアヤシイ。

 

「達と」――……

なぜ口ごもるような解説なのか?

何か隠していないか?

 

日記によると、小津安っさん。

池忠さんとよく 栄さんのいる小田原・清風に行っているんである。

(話がそれるが、小津という人はあまり一人では行動しないタイプのヒトだったようだ)

 

そして、この写真のすぐあと、147ページから 柳井隆雄さんの文章がはじまるのですが、

話題はその栄さんのこと……

 

「父ありき」の仕事を、池田忠雄と三人で一緒にしていた頃の話であるが、尤も「父ありき」の最初の稿が完成した直後に安二郎の応召があったので、応召から帰って更に稿を改めつつあった頃であったか、多分前の時であったと思うが、夏の暑い日、私たち三人は箱根の湯本温泉、清光園に遊びに行ったことがあった。三人と云ったが実は四人で、当時安二郎には小田原芸者の愛人があり、その時彼はその愛人を伴っていたのである。(この愛人と安二郎のことは、当時小田原に住んでいた作家の川崎長太郎氏が小説に書いて発表したりして話題を呼んだこともあるので知っている人も多いと思う)

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」148ページより)

 

つまり――……編者としては、

栄さんはまだ存命で、小津安っさんとは別の男性と結婚している、

で、堂々と写真の解説に名前を書くわけにはいかない、

が、「小津安二郎・人と仕事」に森栄さんの写真を掲載しないわけにもいかんじゃないか……

という事情が、

「池田忠雄達と」

にこめられているのだ。

絶対にそうだ……

とおもっていたのですが、

 

今回、1935年の 「全日記小津安二郎」などみたりしているうちに

「小津安二郎・人と仕事」のあのヒトは 本当に森栄さんなのだろうか?

とふつふつ疑問がわいてきまして――

そういやインターネットなる

文明の利器があったんだっけ……

と思いまして、「小津安二郎 森栄」と検索をかけますと――

 

なんと、

季刊誌「考える人」 2007年冬号

に、かの森栄さんの写真が掲載されている、というじゃありませんか。

で、さっそく、これまた文明の利器で この雑誌を購入。

 

さっそく読みます。

ん、だが、

たしかに小津安二郎特集だが……

 

鮭茶漬けの写真など↓↓ おいしそうですが……

(に、しても鮭、多過ぎじゃね?)

特集記事の中には 栄さんらしき写真はない……

 

ガセネタか??……とおもいはじめたのですが……

 

あったあった。

ほぼ巻末。小さな写真ですが――

 

森栄さん ものすごい美人でやんの……

 

もちろん(?) 「小津安二郎・人と仕事」の、あのふくよかなヒトとは違いました。

(しかし……となると、あのかわいいぽっちゃりさんはどなた? 池忠さんの関係者? だったら何故書かない?)

 

ホンモノの森栄さんは、なんといいますか、

 

川崎弘子と桑野通子を足して 二で割ったみたいな……

(↑↓「新女性問答」(1939)より)

 

なんとまあ、「小津好み」な美人でした。

 

こんな人と恋愛していたのでは まあ、1935年の小津作品が不作だというのも

ムリはないわけです。

 

□□□□□□□□

その1935年。

三十代の小津安二郎くん。

傑作「浮草物語」(1934)のつぎは

大スタア・田中絹代ちゃん主演の 「箱入娘」(1935)なる作品を撮ったらしいのですが、

これはプリントが残ってません。

 

シナリオを見る限りではつまらなそうですが、

シナリオだけではなにも判断ができないのが小津安二郎ですから、

作品の良しあしはわかりません。

ただ お客はあまり入らなかったらしいです。

小津本人の評価も低い。

 

で、今回は、

14、「東京の宿」(1935)

 

「小津安二郎・人と仕事」では

「東京の宿」がつまらない理由が3つあげられているわけですが……

つまらない理由① 「東京よいとこ」(「一人息子」)の製作延期。

つまらない理由② 六代目の「鏡獅子」の撮影と同時進行だった。

つまらない理由③ 森栄さんとの出会い。

 

皆さん、もうご存知でしょうが(笑)

③の理由が一番大きいわけです。

小田原「清風」の芸者・千丸の存在――……

撮影現場にいるより、さっさと小田原に行きたくてしかたなかったわけです。

(日記によると栄さんが東京に来るパターンもあったりするわけだが……このヤロー(笑))

 

□□□□□□□□

はなしがコロコロ変わるのですが……

というか、本題なんですけど。

作品の分析、しますけど。

 

「東京の宿」(1935)

「塔の作家・小津安二郎」の面目躍如!

とでもいうように 「塔」が頻出します。

 

いじわるな見方をすると、

気合の入っていた「浮草物語」(1934)は、

意図的に大好きな「塔」のショットを封印し、

若い二人のラブシーン(三井秀男&坪内美子)に、

効果的に「塔」をちりばめる、というクレバーな攻め方だったのに対し、

 

あまりやる気のない「東京の宿」は、

とりあえず 好きな「塔」を撮っておけ、

というやっつけ感が漂っている、という感じ。か。

 

やっつけ、とはいえ、(←あくまで勝手な意見(笑))

やはり「塔」を撮らせたら 小津安っさんは第一人者だということは――

 

松竹の先輩

島津保次郎あたりと比べると明らかでして――

以下2枚 「隣の八重ちゃん」(1934)冒頭近くですが、

 

島津親父の「塔」は あくまで人物の引き立て役でしかないわけです。

逢初夢子&大日方伝のカップルが

東京郊外の新興住宅地に住んでいるよ。という説明でもある。

 

ちなみに二人で仲良く銭湯に行く、という場面です。

 

島津はダメで、小津は素晴らしいということではなくて、

両者の攻め方の違いを言っております。

 

じっさいに作品の良し悪しで言ったら、

島津の「隣の八重ちゃん」のほうが点が高いでしょう。

 

島津作品。

おそらくカメラの高さは 成人男性の目線の高さかな。

透視図的にみるとすると、

消失点の高さは大日方伝の頭のあたりに来そうですね。

 

これが小津になると 様相がまったく変わって来まして……

「東京の宿」S19ですが、

 

「塔」が美しすぎるんですよね。

送電塔の列の美しいこと。

ガスタンクの不気味さ。

 

そして空舞台ショット。

人物がいなくなったとしても それはそれで成立してしまう美しさ……↓↓

 

上の「隣の八重ちゃん」は、逢初夢子たちがいなくなったら、なんの意味もないわけです。

が、小津の「塔」のショットは 坂本武がいなくなったあとも成立する。

「工業都市・東京」のスナップ。

 

あ。カメラ位置はもちろんローポジションですね。

だから、↑1枚目の画像。 人物たちの大きさは「塔」の大きさと同じ大きさに撮られているわけです。

もちろんスクリーン上での大きさのことをいっています。

 

この……小津の異常さ。

「塔」という被写体への執着を頭にいれていただいて 以下ご覧いただければとおもいます。

 

□□□□□□□□

ようやく時系列でみていきます。「東京の宿」――

 

しょっぱな「選挙粛正」ってすごいですね。

今の日本でもやってみてはいかがか?

 

1935年はこんな。

1934年のワシのマークはあからさまにファシストっぽかったが、

これもまた↓↓

男性的で……どっちかというと女性的イメージの強い「松竹」ブランドとは違和感を感じる。

時代の空気なのかなぁ。

 

土橋式松竹フォーンとやらいう「サウンド版」

音楽付きのサイレントみたいなシロモノです。

 

セリフはあいかわらず字幕です。

 

S1 道

下町の工場地帯の道。

失業職工の喜八、その長男善公、次男正公の三人がとぼとぼとやって来る。

 

ものすごいローポジションです。

アリの目線(笑)

画面の半分以上地面、という……

 

つまらない理由をさっき書きましたが、

スクリーン上での「つまらない理由」を書きますと――

「暗号」がないんですよね。

 

「母を恋はずや」(1934)→「+」

「浮草物語」(1934)→「=」

と、1934年から 作品全体を支配する図形・テーマを決めて撮るようになったわけです。

 

それがどうも見当たらない。

これは手を抜いてるとしかおもえない。

 

あるいはトマス・ピンコが気づいていないだけなのか?

いや――ないんですよ。この作品には。

 

毎回毎回 サイレント時代の小津は

なにかしらの新しいテクニックを発明していたようにおもうのですが――

「東京の宿」は それがぱったり終わってしまっていますね。

新機軸がみられない。

 

おそらく小津サイレントの最高峰は「浮草物語」で、

それ以降は「トーキーをどう作るか?」が彼の主要問題になっていて、

 

「東京の宿」は既存の もうおなじみのテクニックで作っているようにおもえる。

ただ、まあ……ロケ撮影が多いというのは、新機軸といえば新機軸かもしれないが……

 

あと、かっこいいんだよね。工業都市・トーキョーが↓↓

なんかアンジェイ・ワイダでもみているかのような感じがする。

ピストルを持ったチブルスキーでも出て来そうな感じ。

 

ただ、慣れないロケ撮影のせいか??

白とびしちゃってる感じ。

露出オーバーなショットが多い気がする。

ただ、小津自身はローキーはあんまり好みじゃなかったようなので

これが彼の適正露出なのか??

まあ、このあたりはカメラの茂原さんの責任になるのかな。

 

S4 工場の門

喜八、やって来る。新聞の切抜き(或は紙片)を見てから門番の処へ近付く。

門番、新聞か雑誌を読んでいる。

喜八、ペコペコして門番に「済んませんが……」

「使って貰えませんかね?」

 

というのだが、

門番にペコペコしたって仕方ないだろう。人事担当じゃないんだから……

あと「水曜どうでしょう」の藤やん似の門番は↓↓

口利き料が欲しいということなのかね? ここは。

 

もとい、

このカットバックは

トマス・ピンコの野郎がいう「上下方向の視線の交錯」なわけですが。

 

「出来ごころ」(1933)における上下方向の視線の交錯というのは、

日本間において、

二人のうちどちらかを 律儀に立たせたり、あるいは坐らせたりして

実にうまく 二人の視線の高低差を出していたのですが――

それがわれわれ観客を感動させたわけなのですが――

 

ここはそういう緊張感は皆無。

ただ上下方向なだけ。

 

S5 道

子供達、待っている。

喜八、戻って来る。

 

などというのですが、

クレーンかっこいいなぁ、と背景しか目に入らない。

いや。たぶんクレーンが撮りたかったんだよ。小津安っさんは。

 

この頃。親父さんが亡くなったせいで経済状況は苦しかったというのだが、

しかし衣食住に不自由するような身分でもなし、

ようはお小遣いが前より少なくなったというだけのことのようです。

そもそも「全日記小津安二郎」をみてみれば

仕事(会議やロケハン)も含まれるとはいえ あちこちの温泉地にいって

チャブ屋にも行ったりして

 

川崎弘子と桑野ミッチーを足して二で割った(←トマスの主観です)

ものすごい美人とも恋愛して……と、

 

まったく、保守ブルジョワでしかないこのヤローは、

社会主義とか、ルンペンプロレタリアートの生活なんぞに興味をもってはいないのです(断言)。

「塔」が撮りたいんですよ。

ゴゴゴゴゴとか動くクレーンが。

あと、あとででてきますが、汽車とか電車とかね。

あと、まだソ連に駆け落ちする前の岡田嘉子の横顔とか撮っていれば満足なんですよ。

 

ようするになにをトマス・ピンコの野郎は憤っているかといいますとね、

だったら、だったら、

工業都市・トーキョーを背景に

子供達のおはなしでも撮ったらおもしろかったんじゃないですかね?

とおもったりするわけです。「生れてはみたけれど」プロレタリアートバージョンをね。

突貫小僧だっているわけだし。

 

それを、まあ、「あの喜八でいいんじゃね?」と

安易に「喜八もの」にしちゃったために なんか甘ったるいシナリオになっちゃったんではあるまいか??

 

あと、

あくまで個人的な感想なのですが……

突貫小僧の弟役の子 末松孝行君というらしいですが、

 

この子が目鼻立ちがぱっちりしているせいで

ゲシュタポがワルシャワゲットーを撮影したフィルムなんぞを思いだしちゃうんですよね。

ディスカバリーチャンネルかなにかで見た

飢えて痩せ細って餓死してしまう ユダヤ人の子供たちを

なんか思い出しちゃうんですよね……

 

もっと和風の子を使ってくれればよかったのに……

 

もちろん1935年、ナチスの蛮行はまったく明らかになっておりません。

ヒトラー=偉人 の頃です。

 

ただ小津らしい「異常さ」は……

 

この親子三人以外、まったく「人間」がでてこない工業地帯。

 

もちろん「小学生の一団のショット」「労働者の一団のショット」等ありますけど。

基本。スクリーン上にあらわれるのは無人の工業地帯という不気味さ。

 

そして「犬」

 

S10 原っぱ

野良犬が行く。

善公、犬の方へ走って行き「こいこい!」と捕えようとする。そして犬を追って行く。

喜八、ぐったりしている正公を背負って、善公のあとを追う。

電柱に狂犬病予防デーの貼り紙。

 

突貫小僧が犬をみて 「犬!」というのならはなしはわかる。

だが「四十銭!」というすさまじさ。

 

この頃の「狂犬病予防デー」に関して

やはりインターネットなる文明の利器で調べて見たのだが

よくわからない。

しかし、当時の貧乏国家日本の役人が、野犬にワクチンをうったりするわけもなく、

おそらく撲殺してしまうのではあるまいか?

 

この背後の火葬場の煙突みたいな不気味な煙突はそのことを示唆しているのではないか?

 

野良犬を発見→野良犬を捕まえる。

野良犬はカネになる(40銭)→夕食が食べられる。

 

というこのシークエンスはすさまじいです。

 

 

 

 

また犬を捕まえる。

 

こんな工場建築は↓↓ 今でもありそうな感じ。

 

だが、兵隊さんの帽子を買ってしまう。

 

工場の門番の帽子→突貫小僧が買ってしまう兵隊さんの帽子→笠智衆の警官の帽子

と、帽子をめぐるおはなしのようでもある……

ツバ付きの帽子は権威・国家権力を象徴している、のでしょうか?

それは喜八とは真逆の存在です。

 

 

 

「犬はめしぢやねえか!」

 

以下、愛犬家の方は読まないでいただきたいですが……

 

兵隊丁「赤犬は美味いってな」

黒川上等兵「おんなじこったい、赤だって、白だって、ブチだって」

兵隊丁「これ、この間お前食った猫とどうだい?」

黒川上等兵「そりゃ、お前話にならないよ」

兵隊丁「猫の方が美味いか?」

黒川上等兵「そりゃ、犬の方が美味いさ」

(「ビルマ作戦 遥かなり父母の国」S80)

 

坂本「おい、長県にゃ随分とチャン・チュウあったよなァ。犬おっ殺してお前、スキヤキでよく呑んだじゃねえか」

平山「うん、うまかったよなァ。おれ、帰ってから、あんなうめえもの未だに食ったことねえよ」

(「早春」S86)

 

と戦中、戦後書かれたシナリオでは

本当に犬を食べるというシチュエーションが描かれるわけです。

 

 

 

と、ここで岡田嘉子たち 母子が通りかかる。

 

主人公たち、上を見上げる。

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

なわけです。

 

喜八はいなくなった「妻」を

子供達はいなくなった「母」をおもう――

 

↓この塔のショットは、

 

「隣の八重ちゃん」との比較で分析しました。

 

S21 木賃宿

おたかと君子が力なく入って来る。

そして、一方へ坐る。

喜八、一寸の間見ていたが、何の興味もなく、考え込んでしまう。

 

どうも 男性の空間と女性の空間がそれとなく分かれているようですね。

この木賃宿。

 

えんえん無人の工業地帯なので

いいかげん飽きてきます。

 

ここもまあ 「犬はめし」というのにつづいて

強烈なシークエンスでしょうかね?

エア宴会?

 

S22 例の原っぱ

 

これは「勧進帳」のパロディなんでしょうけど。

当時の批評を読んでみても 誰も何もいわないところをみると、

当時の客にとっては当たり前すぎるほどに当たり前だったのでしょうか??

 

ふとみると――

 

例の母子がいて、

岡田嘉子は見てはいけない物をみてしまったかのように 目をそらします。

 

「食べ物」という幻想が消えたところで

「女」という幻想があらわれる、ということなのか?

 

まあ、岡田嘉子という人は 共産主義の楽園という「幻想」を夢見て

日本を棄ててしまうわけですが。

 

ものすごい「塔」にしか目がいかない……

アグリーというのかなんというのか、

こんな送電塔はみたことがないです。

 

母子の背後も「塔」

 

線路も走っているな。

 

「同一方向」を向くショット。

そして背景には「塔」

――と、小津安二郎でしかない画面です。

 

着物姿の女性をしゃがませて

横顔を撮る。

後年、原節子とか司葉子とかにやらせるやつです。

 

「東京の宿」というタイトルですが、

主要キャラクターは「宿なし」というのですから、残酷です。

 

ここでついでに 冒頭紹介した「考える人」の引用をしますと――

安っさんの弟・信三さんの奥さん 小津ハマさんのインタビューですが……

例の森栄さんのことをこう語っています。

 

 兄にとっては、戦前戦後を通じてのおつき合いで一再ならず結婚に踏切ろうと考えた女性の存在がありました。

 北鎌倉の家をみつけて、買取りの手続一切までを撮影中で暇のなかった兄に代って引き受けて下さったのもその方でした。母も当然その方をお迎えするものと心待ちにしていたのですが、とうとう実現せずに終わりました。

 私がかねがねお噂を聞き及んでいたその方に初めてお目にかかったのは、兄の法事の席でした。さりげなく近付いて来られて、幼い娘に、「伯父様、おやさしかったのね。大人には意地悪だったけど」と微笑まれた美しい方でした。

(新潮社「考える人」2007年冬号、51ページより)

 

「大人には意地悪だったけど」

――作品のあちこちに垣間見える 残酷さ・不気味さ……

それがプライベートで発揮されることもあったのでしょう。

 

いちいち書き写したりしませんが、さきほど引用した 「小津安二郎・人と仕事」の柳井隆雄の文章も、

小津の「意地悪」な面を伝えています。

 

背中の角度が揃っているというやつ↓↓

「東京物語」ほどぴっちり揃ってはないけど。

 

このあたりもやっつけ仕事だったのか??

 

横を見ながら立ち上がる岡田嘉子。

なんだかかわいらしいですが――

 

女優さんからするとけっこうめんどうな演技ではないのかな??

 

主人公たち、上を見上げる。

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

はい。ここらへんも「出来ごころ」と同じなので、

進歩がないな~とおもってしまうわけです。

坂本武は、伏見信子なる「塔」を見上げていたわけですから。

 

 

 

すみません。正直 飽きてきました。

同じような画面ばかりで――

 

相変わらずクレーンしか見所がない↓↓

 

↓↓ここは きかんしゃトーマスみたいなかわいい汽車が走ったりします。

左端にちょっとみえますが。

 

↓↓これはなんだろう。オープンセット??

 

山中貞雄にこんな場面がありそうです。

大河内伝次郎あたりが出て来そうです。

 

雨に降られる 宿なしの三人。

しかし小津作品において

視線を上に向けたとき、なにかは起きるわけで……

 

理髪店の、この……ネジネジの棒好きね。

 

飯田蝶子登場。

背後の字は、どうみても小津安っさんの字だな。

 

カットバックですけど。

 

「浮草物語」の、あの楽屋のカットバック――複雑きわまりない精密機械みたいなものを見せられたあとだと……

ひどく単純な印象しかない……

小津がこの程度かよ……となってしまう。

 

「浮草物語」のあのシーンを撮れ、といわれたら誰だって尻込みしてしまうけど

この程度のカットバックならシロートでも撮れそうだ。

 

で、飯田蝶子に 仕事を世話してもらって、という展開。

 

椅子に腰かけたまま寝ている子供達……が、

 

洗濯物のショットをはさんで、

 

きちんと布団の上で寝ている、という……

このシークエンスは見事。

見事だが、「浮草物語」の観客はまったく満足できませんよ。あなた。

 

はい。トマスの野郎はいいかげん この作品に飽きてしまっていますし、

このあとは特に「塔」らしい「塔」もでてきませんので

一気にラストシーンをみていきたいとおもいます。

 

S72 道

何がなしに、重荷を降ろした人の足どりで、喜八が行く。

タンクの見えるしらじら明けの工場地帯の道である。

 

小津には珍しいローキーの画面。

これをやりたかったから 昼間の画面は多少露出オーバー気味だったのか?

 

それから主人公が 被写界深度の外に出ちゃってるというのも

珍しいかな↓↓

とにかく、ですね。

次回ようやくトーキーを撮ることになる小津安二郎です。

塔の作家・小津安二郎 その18 「一人息子」① 暗号は〇

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15、「一人息子」(1936)

現存小津作品15作品目。

トーキー第一作です。

1936年。二・二六事件の年ですね。

 

前回紹介した「東京の宿」(1935)と同時進行で

六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」(1935)を撮っていて、

これはプリントが残ってますが

ただ舞台を撮影しましたというだけのことで

「小津作品」とはいえなさそうです。

 

「東京の宿」の次回作は 「大学よいとこ」(1936)

これはプリントが残ってません。

ヒロインが高杉早苗たんなので とても残念です。

ただ、評価は高くない作品です。

シナリオざざっと読んでみましたが、ドタバタしてなんだか締まりがない印象。

 

で、ようやく トーキー第一作 「一人息子」の登場。

封切りは 1936年9月15日だったそうです。

 

「大船映画」とまず出てきますが↓↓

蒲田撮影所で撮ってます。

 

この年、1936年1月15日に 松竹は撮影所を 蒲田から大船に移転させているのですが、

実力ナンバーワンの小津だけが、居残りで蒲田で撮影しているという、ヘンな感じ。

このあたりの事情。「小津安二郎・人と仕事」を引用しますと――

 

 前年春、飯田蝶子の発病で撮影中断となっていた「東京よいとこ」を、茂原式トーキーが完成したので、茂原氏との約束・会社の要求に従ってトーキー用に書き直し、第一回トーキー作品とした。

 大船は土橋式トーキー・システムなので、蒲田撮影所で製作した。

 カマタ最後の松竹作品となる。

 防音設備など不完全なので昼間は撮れず、毎夜5カットぐらいずつ撮って行ったが、楽しかったと言う。

 骨の髄からのサイレント的なものが抜けなくて、こりゃァ立ち遅れたかナと、内心まごつきもしたと言う。

(蛮友社、「小津安二郎・人と仕事」496ページより)

 

そうか。蒲田撮影所最後の松竹作品を撮ったのは小津安二郎だったか……

 

∞……無限大みたいなマーク↓↓は、

日本映画監督協会のマーク。デザインは小津安っさん。

映画は第8芸術とかいわれているらしく、

その「8」をひっくり返したものらしい。

 

↑そういわれると、上の茂原式システムのマークも

なんとなく小津っぽいですよね?(詳細不明)

 

キャメラが 「茂原英朗」でも「厚田雄春」でもないのは ちょっと戸惑う↓↓

杉本正次郎――

このあたりの事情、厚田さんの証言。

 

『一人息子』は茂原さんが録音にまわりますから撮影には杉本正次郎さんって人がつきました。気心の知れた茂原さんと違って、俺は俺で撮りたいように撮るというタイプのキャメラマンで、うわべはまあうまく行ってましたが、助手としてみると、どうもしっくり行ってませんでした。茂原さんにしても、ぼくにしても、小津さんの気持をくんで望んでおられる構図に持ってくようにしてたんですが、まあ、初めての人じゃ、それも無理だったんでしょう。

(筑摩書房、厚田雄春/蓮實重彦「小津安二郎物語」91ページより)

 

というのですが、

厚田雄春の証言だということは考慮すべきところでしょう。

厚田さん、あるいは自分で撮りたかったのかも??

 

ただ……ただ……どこをどう、と説明できないのだが、

なんとなく「一人息子」の画面の調子が 他の小津作品とちょっと違っているところもあるようにも感じる。

 

「野々宮」なる苗字が気になります↓↓

「一人息子」以降、〇〇宮という苗字の登場人物が妙に多くなる気がするので……

 

わかりやすいところだと

「晩春」の原節ちゃんは 「曾宮紀子」

「麦秋」の原節ちゃんは 「間宮紀子」

という具合。(当然笠智衆も「曾宮」だったり「間宮」だったりする)

 

あとは……

「淑女は何を忘れたか」→斎藤達雄、栗島すみ子夫妻の苗字が「小宮」

「戸田家の兄妹」→近衛敏明、坪内美子夫妻の苗字が「雨宮」

「風の中の牝鶏」→佐野周二、田中絹代夫妻の苗字が「雨宮」

「お茶漬けの味」→淡島千景の役名が「雨宮アヤ」

 

不思議なことに「東京物語」以降は〇〇宮が出てこなくなる気がするが、

たんにわたくしが気づかないだけかもしれない。

 

で、いよいよ……

S1 「信州」の山村風景

山村の家並み。ぼんぼん時計が九つ、遠くで鳴っている。

 

今までサイレント作品ばかり見ていたので

「小津作品に音が……音が……」

と感動してしまったのですが

(↑↑お前は明治生まれか‼)

 

「一人息子」の試写の晩、頬に疲労をかくし切れない小津安二郎を囲んで徹夜で語り明した。見てゐるうちから、いやファースト・シーン、ボンボン時計が時を違へて鈍く鳴り、しづかな往来を通る行商の女たちの姿を見たときから、ぼくの眼がしらは熱くなつてゐたのだ。

(岩波現代文庫、田中眞澄著「小津安二郎周游(上)」186~187ページより)

 

これは田中眞澄が紹介する 岸松雄の文章なんですけど……

孫引きってやつですけど。

同時代の小津ファンもまた、思いは同じだったか! などと思ったりしました。

 

――あと、ボンボン時計。といいますと、

「東京の女」の岡田嘉子が時計を見上げるショットから、

「塔」の代替物として「時計」を使う、ということをやりはじめるわけですが、

 

「一人息子」の一番最初のカットというのは、

観客がランプ(←これも小津作品ではおなじみのモチーフ)を見上げつつ、

「不在の時計」……つまり不在の「塔」を見上げる。

というとんでもないショットから始まるわけです。

 

これはすごい。

とうとう、塔の作家・小津安二郎は、

「不在の塔」 「塔」=「0」というところまでやり切ってしまったわけです。

岸松雄でも トマス・ピンコでもなく

小津ファンであれば、ここは泣いていただきたいところです(笑)

 

大興奮のわれわれが見せられるのはしかし――……

風情はあるけど、なんだかいびつなショット。

なんとなくバランスが悪い気がする。

 

「ランプ」+「車輪」って、おなじみのモチーフなのだが、

ちょっと盛り込み過ぎのような……

 

とか思って見ていると……

「‼」

行商の女の人が通ると、とたんに画面が引き締まるんですよね……↓↓

 

なんか、冒頭から気合入りまくり。

あのダラダラした「東京の宿」が嘘のようです。

 

あ。傘というのもお気に入りのモチーフだわな。

 

S3 古めかしい製糸場

繭の鍋が煮えて――。

糸車がカタカタと廻っている。

働くおつね、その他数名の女工達の姿が見える。

 

クロサワ映画の登場人物は絶えず働いてるのだが、

小津作品の登場人物はたいてい何もしてない。

ドナルド・リチー先生だったかがそんな指摘をしてましたが(たしか)

 

飯田蝶子が珍しく働いてます。

 

先にいっておきますと どうもこの作品の暗号は

「〇」

のようにおもえます。

正確にいうと、「回転運動」なのかな?

 

戦後の「麦秋」も「〇」を中心に画面が組み立てられていたのですが、

「麦秋」の「〇」が 「円満」とか「輪廻」とかどちらかというとポジティブなイメージなのに対して、

「一人息子」の「〇」は 一生終らない労働、というようなネガティブなイメージを感じます。

 

冒頭から 車輪→製糸工場の機械 と「〇」イメージを観客に植え付けています。

 

S4 木のある風景

製糸場の煙突越しに、雪を頂いた連山が望まれる。

 

……というのですが、シナリオとプリントはちょっと違うな↓↓

ただ、すんなりと立ったポプラは いかにも「小津好み」ですねー

 

ポプラの木、国旗→「塔」

日の丸→「〇」

と、「塔」とこの作品の「暗号」を仕込んでいます。

 

筑摩書房「小津安二郎物語」 245ページに 「一人息子」撮影スタッフ一同の写真が載ってますが、

その写真にも同じようなポプラの木が背景に写ってます。

信州上田で、と説明がありますので このショットも上田で撮られたのでしょうか??

 

山に詳しい方なら↓↓ すぐわかるかな?

 

S7 良助の家

大久保先生が来る。

おつね「まあ、よくきなしたね、まあまあどうぞおしきなして――」

と、先生を招じる。

先生「いやいやどうぞおかまいなく――」

と、上り框に腰を下ろす。

おつね、座蒲団をすすめて、

おつね「いつも、良助がご厄介様になりやして――」

先生「いやどういたしまして――」

 

というくだり。笠智衆の大久保先生が登場します。

おもわずハッとしてしまったのですが、

笠智衆。声がすごく通るんですね。

戦前映画のDVD 現代の技術でリマスターしてるんでしょうが、

音は悪い。ノイズだらけ。

その中で 笠智衆の声、なにいってるかよくわかるんです。

「いや~」

という、あの のんびりと人の良い調子は 「東京物語」の笠智衆とまったく同じ。

 

おもったのは、ですね。

以前、山本夏彦先生が笠智衆の発音、イントネーションをくそみそにけなしていた文章を読んだんですけど。

つまり……古い東京人にとって

笠智衆のコトバというのはほんとうに耐えがたいほどひどいようなのです。

でも、やはり明治生まれの東京人・小津安二郎は

小津作品のアイコンとして笠智衆を使い続けた。

なぜか?

 

それは、笠智衆の声がよく通ったから――なのではないか?

どんなオンボロの映画館で上映したとしても 笠智衆のセリフは誰にでも聞き取れたのではあるまいか?

じっさい、トーキー第一作の「大久保先生」役で 笠智衆は評価を上げて、

トーキー四作目の「父ありき」(1942)で とうとう主役にのぼりつめるわけです。

 

まあ、以上、あくまで推測でしかないんですけど。

それに「声」以外にもいろいろ理由はあったでしょうしね。

長身でスッとした、ポプラの木みたいなプロポーションとかね。

 

先生「今日学校で聞いたらお宅でも中学校へやらして下さるそうで――僕も非常に嬉しいと思いましてね」

おつね「え?」と、良助を見る。

良助、モジモジして座を外す。

 

ここはカットバックするときの視線に注目したいところ。

 

飯田蝶子見上げる。

葉山正雄君(良助)見下ろす。

この視線の高さは覚えておいていただきたい。

 

S11 階上

良助、ふて腐れて動かない。

おつねの声「良助!」

良助、已むなくオズオズしながら階段を下りる。

 

「階段」――これまた 「母を恋はずや」「浮草物語」以降、お気に入りのモチーフ。

 

おつねの前にやってくる。

おつね、いきなりピシャリと良助の横面をなぐる。

 

……と、戦前小津ではあたりまえの暴力シーン。

 

おつね「何だって嘘いうだ? 何だって嘘つくだ?」

良助、唾をのむ。

おつね、つづけて、

おつね「中学校なんか行ける身かい⁉ 馬鹿!」

良助、唇をかんで、ジッと恨めしそうにおつねを見ている。

 

というシナリオ上はもりあがるところなんですけど――

ふたたび

カットバック時の視線の高さという重要問題に注目していただきたい。

 

葉山正雄君(良助)見上げる。

飯田蝶子、見下ろす。

さっきと逆です。

 

あと、良助の背後に「階段」

おつねの背後に「車輪(のようなもの?)」

というモチーフをいれていることも注目したいところ。

 

飯田蝶子が労働をして 息子に出世の「階段」を上らせようとする、

というこれからの展開をそれとなく暗示しているのでしょう。

 

S12 製糸場

 

おつね達の会話で 大久保先生(笠智衆)が信州を去って東京へ行くことを観客は知らされます。

また「〇」 終わらない回転運動のイメージ。

 

んで、シナリオ上は 大久保先生と生徒たちの別れのシーン(S13)があるのですが、

現存プリントでは存在しません。

小津お得意の「汽車」が登場するようなのでぜひ見たいところなんですが……

 

このシーンだけでなく、シナリオ上あるべきシーン、カットが多々失われているようで……

 

 この映画の現存プリントは、一九三六年のオリジナルそのままではない。敗戦直後の新作不足の時期に番組の穴埋めで再公開されたときにカットされたものである。占領軍の軍国主義・封建思想一掃の方針に抵触しそうな個所を、制作会社の松竹がネガごと切ってしまったものらしい。そのとき小津はシンガポールの抑留所にいたから、彼の意志とはかかわりがない。その後の小津のトーキー作品三本にも同様な措置がとられた。

(同書190ページより)

 

また田中眞澄「小津安二郎周游」からの引用ですが……

日本人の一番悪い部分を見せられますねぇ……

ネガごと処分しちゃったというのは立派な破壊行為。

「空気」とか「お上の意向」とかを勝手にくみ取って 暴力行為を働く、という……

んでも、武漢肺炎の今も似たようなことが……

 

なので……

S14 良助の家(夜)

神棚から吊された柿の実に突き刺してある日の丸の旗。大久保先生バンザイと、書いてある。

 

ここはちと唐突な印象。

失われたS13において 生徒たち一同、この旗をもって大久保先生を見送ったようです。

自己検閲する必要性を感じませんが……

兵隊さんの出征を思い出させたから?? でしょうか??

 

あ↓↓

日の丸が「〇」

そして 柿の実だかひょうたん(??)だかが「〇」です。

ひょうたんというと、「東京物語」冒頭 尾道の家でもひょうたんがぶらさがっていたりします。

 

ランプはしつこいくらい登場しますね。

小津自身がランプのコレクターだったというのは有名な話。

たぶん私物じゃないのかな??

 

柱に足をのせて寝転ぶ。

「浮草物語」にもこんな1カットがありました。あれは楽屋のシーン。

 

またランプです。

 

まえにちょっと書きました、

この作品のカメラワークに対する違和感ですが……

たぶん右端の前ボケしちゃってる物体とかなのだろうとおもいます↓↓

 

「小津安二郎・人と仕事」収録の座談会において

厚田雄春が「ミドポジ」なるものを説明しているのだが――

(ミドポジ――碧川道夫が発明したとかなんとか読んだ記憶がある……)

 

厚田=小道具の置き方がありますね。例えば何かミドポジに持ってきますね。

佐藤忠男=ミドポジというのは?

厚田=画面の隅のことです。そこへ何か置いて、ちょっとナメるんですね、ビール瓶だとか。それで構図をまとめるんです。

 ところが、そのビール瓶が近い時はレンズの関係ででっかく写ります。それではぼくの方も困るので、ぼくは小瓶を持って来るんです。初めのうちは気に入らなかったようですが、そのうちに「これはいい」ということになって、ミドポジにはミドポジ用の小道具を用意しとくようになった訳です。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」316ページより)

 

厚田雄春のビール瓶、あるいは宮川一夫のラムネ瓶(「浮草」)のように

構図に貢献していないんですよね↓↓

このミドポジ物体は。

 

小津作品特有の無気味なほど端正な構図というのは、まったく感じられない。

有名な「赤いヤカン」のように ショット間の整合性よりも

一ショット内の構図を重視するのが小津安二郎なわけですから……

 

このショットはかなりの違和感を感じます。

厚田雄春はこのあたり内心忸怩たるものがあったのかもしれない。

 

もとい、

 

おつねは、両足を柱にもたせかけて寝転んでいる良助に、しみじみと声をかける。

おつね「お前やっぱし中学校へ行くだよ」

 

しつこいようですが、またカットバックの視線の高さをみていきたい。

これで 葉山正雄君(良助)と飯田蝶子のカットバックは3回目です。

 

良助を坐らせる。

 

これはつまり 視線の高さを「水平」にするため。

 

物語の根幹にかかわる重要なシーンですので、

3パターンのカットバックを駆使して

丁寧に組み上げています。

 

「視線の高さ」を整理しますと、

1、葉山正雄君(良助)→見下ろす 飯田蝶子→見上げる

2、葉山正雄君(良助)→見上げる 飯田蝶子→見下ろす

3、視線の高さ→水平

という具合です。

 

おつね「わんだれも中学へ行くだ――その上の学校だって行くだ。(涙ぐんで)そんでウンと勉強するだ。な、そんで偉くなるだ――わんだれさえ偉くなったら、死んだとうやんだって、きっと喜んでくれるだし、わんだれの勉強のためだったら、かあやんはどねえになったって構やしねえだ――なあ、家のこんなんか考えんでウンとウンと勉強するだ。なあ、中学校へ行くだ」

 

そしてこの 視線の高さ「水平」のカットバックが

例の視線の噛み合わないカットバック――

定石無視の技法で撮られているという……

(「非常線の女」の 岡譲二×水久保澄子の会話シーンがわかりやすい例)

 

この噛み合わない視線に関しては

「小津安二郎戦後語録集成」37ページから 「映画の文法」という1947年の発言に詳しいです。

以下、全文引用すると長いので 細切れになりますが――

 

 映画の演出の常識としてこういうことが言われている。それは仮りに今ここに二人の男女が相対して会話をしている場面を撮影する場合、交互に二人をうつす時男と女との視線をつなぐ線をカメラがまたいではいけないといわれている。

(中略)

 所が私は、これを、最初に左を見ている男をみせ、次に又、左をみている女を見せるという撮り方もするのだが、みている観客も(勿論私も含んで)充分二人の人物が相対しているのだということが自然にうなずけるのである。

(中略)

 唯ここで間違っては困るのは、映画の文法は飽くまで常識であって、それを踏襲する方が無難であるので、常識を好んで破る必要もない。私がこのような違法を敢えてやってみた最初の出発は、日本間に於ける人物と背景との関連に於て、その場の感情と雰囲気を自由に表現するためには、この常識に従っているとどうにもあがきがとれなかったことから始まったのであった。

(フィルムアート社、田中眞澄編「小津安二郎戦後語録集成」37~38ページより)

 

――のだそうですが、このあたりは好みがわかれるところでしょう。

アンチ小津は、「気持ち悪い」というでしょうし、

小津ファンは、「この隠し味がたまらない」というところです。

 

そしてこの感動的な 視線の高さ「水平」カットバックで終らせないのが小津でしょう。

 

涙涙で終らせるのが、まあ普通でしょうが……

 

母子二人を引き離して このシーンを終わらせるのですな↓↓

 

この冷たく突き放した視線。

まあさっきの視線の噛み合わないカットバックも「冷たい」わけです。

お涙ちょうだいで撮ることも可能なわけです――

というかそうやって撮るのが普通なんですけど、

小津はあくまで冷酷に淡々と突き進むわけです。

 

二人抱き合って涙、などというカットはありえないわけです。

 

「一九三五年 信州――」

というタイトルが出まして……

 

S15 機械化された新工場

製糸機械が整然と廻っている。

働く女工達。

 

「〇」です。

 

つぎ。「一九三六年 東京――」とタイトルがでまして

 

S17 上野駅

列車が轟然と辷りこんでくる。

 

上野駅ですか。なんだかかっこいいな。

「世界の車窓から」とかみていると ヨーロッパの駅はかっこいいななどとおもいますが。

昔の日本の駅はこんなだったか。

 

C51蒸気機関車が「〇」

 

戦前の日本にあこがれている人間にとって、

この駅→東京のビル街のシークエンスはたまらんものがあります。

 

S18 流れる風景(フェンダァ越し)

タクシーの窓外を東京の風景が流れる。

 

ヘッドライトの「〇」

ビルは「塔」ですね。

 

S19 タクシーの車内

上京したおつねと肩を並べて良助が乗っている。

良助「隅田川、隅田川――永代橋ですよ、向うに見えるのが清洲橋――」

おつね「そうだか、でっかい橋だなあ」

 

S21 車内

良助、懐し気にしみじみとした情愛で、

良助「本当によく出掛けて来ましたね」

 

良助役は日守新一。

もともとは大日方伝が予定されていたようなのですが、

大日方は 1935年3月21日松竹を脱退しています。

同じ日に三井秀男も脱退。

小津安っさん、お気に入りの俳優が立て続けに松竹からいなくなっています。

 

日守新一は 現存最古小津作品の「若き日」に 松井潤子のお見合い相手として登場しましたけど……

あと何か出てきたっけ?

清水宏作品にはよく出て来る印象があります。

 

笠智衆によるとすごく人柄がいい人らしい。

でも小津作品には あまり出てこない人だな。

これ一作だけという印象。

 

S22 砂町あたりの空地(原っぱ)

 

田舎の親が上京して来る→子供の家は東京の端っこ。

というパターンは、のちの「東京物語」の展開と一緒。

笠智衆と東山千栄子の会話……

「ここあ東京のどの辺りでしゃあ」

「端の方よ……」(S35)

を思い出させます。

 

といいますか、

「一人息子」……「東京物語」のルーツといってもいいでしょう。

セリフやシチュエーション、ところどころ「東京物語」を感じさせます。

親が子供にがっかりする、という展開がそもそも同じ。

 

建築好きには このアグリーな建物が気になる所でしょう↓↓

水道か? 河川関係の建物でしょうか??

ロシア構成主義みたいな匂いも感じるのだが……

メカニカルな印象の建築……

 

良助「ねえおッ母さん、驚いちゃいけませんよ」

おつね、不審そうに足を止める。

おつね「何が――? 何がさ――?」

良助「いやー、実は女房貰っちゃったんですよ。(軽く笑い紛らわして)とにかく家へ行きましょう」

と、歩き出す。

おつね、接ぎ穂なく不安な感じでつづく。

 

ど真ん中に煙突(塔)を持ってきます、小津安二郎。

電柱だらけの冴えない住宅地。

「東京の合唱」「生れてはみたけれど」等々の作品の舞台です。

 

んだが、その女房が坪内美子なんだから いいじゃないか(笑)

うらやましいぞ、この、この。

 

トーキーなので この人の穏やかな……なんともいえん声が聞けますよ、あなた。

 

S25 居間

おつね「おはじめて――倅が色々とご厄介様になりやして――」

と、杉子の顔を見ながらお辞儀をする。

杉子「よくいらっしゃいました」

 

注目点は↓↓

おなじみの小道具 ボンボン時計 傘 火鉢といったところか。

 

この作品ではなにかと左隅の ジョーン・クロフォードのポスターが登場します↓↓

ジョーン・クロフォードというと、「母を恋はずや」のチャブ屋のシーンでも

「雨」のポスターが登場しました。

 

のちのことになりますが……小津組の常連となる 三宅邦子。

彼女のぱっちりした目がジョーン・クロフォードに似ているというので

「クロちゃん」なるあだ名で呼ばれるようになったそうです。

 

S26 赤ン坊が寝かせてある(次の間)

おつね、意外そうに見つめる。

良助「去年の春、生まれちゃったんですよ――色々考えたんだけど、お父っつぁんの名を一字貰って義一とつけたんですよ」

おつね、無言で赤ン坊をみつめる。何の表情もない。

 

というところ。背後の Germany に目が行ってしまいますね。

「母を恋はずや」 大日方伝の家にあったポスターがやはり ドイツの祝祭劇だかなんだかのポスターでした。

ただ……

小津自身にドイツへのあこがれとかがあったとは、どうも??

ファッションは英国流だったし、ハリウッド映画のファンだったし……

 

S27 居間

杉子「晩の支度どうする?」

良助「お前、金あるか」

杉子「少うし――」

 

これまた「東京物語」を思い出させるところ。

山村聰と杉村春子の会話(S25)

志げ「晩のご馳走、お肉でいいわね。スキヤキ」

幸一「ああ、いいだろう」

 

もちろん、「東京物語」の子供たちが冷たいのに対して

「一人息子」の日守新一&坪内美子は、精一杯の親孝行をしようとします。

 

障子・襖で「ワク」を作ります。

あとミドポジのビンでましたね↓↓

でも瓶、デカすぎない??

このあたりが「一人息子」のカメラワークへの違和感の正体なんでしょう。

助手の厚田さんが

「おいおい、小瓶を置けよ、このシロートが!」

とか内心思いながら仕事をしている様子を 勝手に想像するとおもしろいです。

 

S31 台所

杉子、帰って来る。

良助、見迎える。

杉子「頼んで来たわ」

良助「足りたか?」

杉子「ええ」

 

ジョーン・クロフォードがとにかく目立ってます↑↑

あと、木製の踏台↑↑ これも小津作品によく出て来ますな。

 

「晩春」 電気会社の人が

「踏台貸して下さい」というところがあります(S9)

 

お札も多いな……ウサギみたいなおもちゃも気になるところ。

 

今回はこれで終わり。

分析、長くなりそうです。

塔の作家・小津安二郎 その19 「一人息子」②

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小津安二郎 トーキー第一作

「一人息子」の分析、2回目です。

 

S32 夜学の教室

黒板に幾何の説明が書いてある(たとえばシムソンの定理)。やがて一生徒が質問を発する。

良助はこれに明快に答える。

生徒は鉛筆を走らせる。

良助はぼんやり一隅に立つ。フト、思い当った感じで教室を出て行く。

 

シナリオの指定通り、シムソンの定理の証明です↓↓

 

小津安っさん、

この「〇」と「△」の組み合わせには妙にこだわっていて、

 

「父ありき」S6に登場するのも……

これはシムソンの定理ではないが↓↓

やっぱり「〇」と「△」

 

「一人息子」に戻りまして――

教師の日守新一に質問する、この子……

なんか見覚えが……↓↓

 

た、たぶん……

「生れてはみたけれど」の いじめっ子・亀吉君では??

 

飯島善太郎君。

一番大柄の、長靴の子ね↓↓

 

脱線ついでに 「飯島善太郎」でググってみると

清水宏の「按摩と女」に出ている、という……

 

みてみると――

徳大寺伸と高峰三枝子様が 無言で追いかけっこをする、

日本映画史上最も美しいかもしれんシーンで……

 

(以下、2枚 清水宏「按摩と女」 小津と清水のカメラの高さの違いなどみるとおもしろい。

小津は人間中心なのだが、

清水はあくまで「自然」や「街」があって、その中に人間がいるというアプローチの仕方なのだろう)

 

高峰三枝子様……↓↓

 

ちらっと登場する、

左端の↓↓ この按摩さんがそうかな。

 

「按摩・亀吉」という役名で 飯島善太郎君 きちんとクレジットされているんだけど、

あんまし目立ってはいない感じ。

 

あ。亀吉という名前は「生れてはみたけれど」と同じですね。

本名が亀吉だったりするのか?? 「生れてはみたけれど」由来なのか?

このあと俳優としては活躍されていなさそうですが、どうされたのかな?

年齢的にこの後 徴兵されたりしそうな気もするけれども……その点が、ちと不安。

(ついでに書くと、「有りがたうさん」にも、飯島善太郎君登場してます)

 

あ。そうそう。真ん中は日守新一ですね。(やっぱり按摩さんの役)

やっぱり日守新一というと、小津作品より 清水作品の印象が強いな。

 

えー わき道にそれました。

 

もとい、

S34 学校事務室

良助、入って来て、同僚Aに、

良助「すまないけど十円貸してくれないか」

A 「十円――十円もって行かれると困るな――」

 

背景に暗号の「〇」を隠しています↓↓

しかも十円だの五円だの 「円」という話題です(笑)

 

おつぎ。暗号「〇」が続きます。

 

S40 居間

良助「行ってみましょ。先生きっと驚くだろうなあ――どうです、もっと、あ、これアンコが違うんですよ」

と、アンパンをすすめる。

おつね「ほう――」

 

大久保先生(笠智衆)の家へ行ってみようというはなしをしています。

カメラのレンズはひたすら坪内美子の様子をとらえているのだが

(シナリオによると 箱枕に枕紙を結びつけている、らしいです。いにしえの枕カバーか)

音声は 日守新一&飯田蝶子の会話、というトーキーならではのことをやっています。

 

ただ、ごく初期をのぞいてこういうことはやらなくなった印象があります。

 

↑↓画面左端 踏台の「〇」

あとジョーン・クロフォードが相変わらず目立ってます。

 

それから目ざといあなたならば、「アンパン」なる聖なる食べ物に注目するでしょう。

暗号「〇」であり、

「麦秋」の杉村春子の名ゼリフ 「紀子さん、パン食べない? アンパン」

のあのアンパンです。

 

S42 ガスタンクの見える情景

貧相な家々の並ぶ遠景に、大きなガスタンクが二つ並んでいる。

 

というのですが、「東京の宿」にもでてきましたね↓↓ こういうの。

もちろん 暗号「〇」

 

毎度おなじみガスタンク。

 

こんなに好きだった被写体にもかかわらず

「晩春」以降はまったく見向きもしなくなりますが……

(この男、こういう薄情さがある)

たしかに原節子&ガスタンクというのは見たくないけど。

 

ドカンドカンドカン……土管の大群が「〇」ですね。

 

最近 今和次郎先生の「新版大東京案内」を チラッと読み返しましたところ、

ガスタンクの写真がでてきたので

ついでに紹介します。

(今回はわき道が多い)

 

写真の解説↓↓

 

砂町に新設された東京ガスの大タンク。将来の空中戦を予想し投下爆弾に対する安全装置が施されてゐる。

他のタンクもすべてかく改造される筈である。

(ちくま学芸文庫、今和次郎編纂「新版大東京案内・下」359ページより)

 

というのですが……

設計者の「予想」は、第一次世界大戦レベルの爆撃なんじゃなかろうか?

第二次世界大戦レベルに耐えられたのか? 疑わしい気もする……

 

S43 トンカツやの店先

おつね、良助、連れ立ってくる。

良助「ねえ、此処なんですよ」

と、店に入る。

 

三輪車が3つの「〇」です。

 

「三輪車」は小津安っさんお気に入りのモチーフでして……

おそらく「3」という数字も好きだし

「〇」も好きだし、

というところなのでしょう――

 

たとえば、

「東京物語」S67 紀子のアパートの廊下↓↓

 

あと、「麦秋」 二本柳寛の家が写るシーンで三輪車が出てきたような気がするんだが、

見つからなかった。気のせいかな?

 

今回は脱線が多いですな。

もとい、

「とんかつ」の旗がひるがえっております。

 

この「とんかつ」は何度か登場しますが、

いつもひっくり返っています。

裏側から撮られています。

このあたり大久保先生(笠智衆)の人物像と深く関わってくるわけですな。

 

S46 台所

先生、手を洗いながら、

先生「しかしお母さん、よくいらっしゃいましたなあ、ずいぶん暫くでした。いつお出掛けになりました?」

 

出征する兵士のように華々しく信州から東京へ出て行った大久保先生が――

(↑松竹の自己検閲でカットされたシーンだが)

割烹着を着て、トンカツを揚げているという……

まあ、残酷極まりないシーンですが、

笠智衆はすこぶる明るく、なんの屈託もないわけで――

 

そういわれると、「一人息子」から数年後 清水宏「簪」では 傷痍軍人を演じた笠智衆。

清水もやっぱり 傷痍軍人のリハビリを残酷に見つめるんだが、

笠智衆はあくまで明るい。

「東京物語」の平山周吉老人へのレールは、この頃からもう敷かれていたわけですな。

 

S49 附近の情景

寒々としている。

 

またガスタンク(塔)

 

この大久保先生は山中貞雄もお気に入りだったのか??

「全日記小津安二郎」には……

 

1937年1月3日(日)

山中貞雄より来信

これからの人間 矢張東京に出ないと駄目だと一人息子の先生の気持です

PCLでとんかつ作るかも知れませんが兎に角江戸へでたくてたまりません 云々

(フィルムアート社、田中眞澄編纂「全日記小津安二郎」200ページより)

とあります。

 

S50 トンカツやの旗

翻っている。

 

裏返しの「とんかつ」

電柱(塔)

 

シナリオの構造としては 「母を恋はずや」の S79 S85にとても似ております。

S79 窓の外

気象台の旗が見える。翩翻。

S85 窓の外

気象台の旗、翩翻。

 

どちらとも 家出をした大日方伝が

チャブ屋の女(逢初夢子)の部屋の窓から気象台の旗を見る。というシーン。

「翻る」「翩翻」という 一般的には勇ましいイメージを、

両方とも失意のシーンに使っております。

 

S52 座敷

先生「そうそう(と立ち上り)この間話した夜泣きのおまじないだがね――」

と、箪笥の上から御札を取って良助に見せる。

良助(覗きこみ)「ほう、これですか」

先生(うなずいて)「これをね、逆さまに貼るんですな」

と、逆様にして見せる。

 

また、まったく屈託のない笑顔の笠智衆。

 

こうして……

「裏側(とんかつの旗)」「逆さま(鬼のお札)」のイメージを

大久保先生(負け組)に貼り付けていく小津安二郎です。

 

ついでに書いておきますと、このシーン、

良助「運動場のポプラん所に、上海事変の忠魂碑が建ったそうですよ」

このセリフが、松竹の自己検閲でカットされています。

 

S53 トンカツやの旗

へんぽんと翻る。

 

またでました。「翩翻」「翻る」

そしてあくまで裏側から「とんかつ」を撮ります。

 

で、「逆さま」イメージにつなげます。

じつに丁寧な仕事です。

 

S54 良助の家

襖に『鬼の念仏』が逆さに貼ってある。

赤ン坊が寝ている傍で杉子が針仕事している。

おつねも良助も留守らしい。

 

坪内美子たん。

好きな横顔ショット。

 

また、右端、へんな前ボケしちゃってる物体が気になる↓↓

前回触れましたが、

このあたりがこの作品のカメラワークの特徴――、というか欠点。

 

おそらく火鉢なのでしょう。

前のショットの関連からこの場所になくちゃいけない、という「理屈」なのでしょうが、

本来の小津であれば そんな「理屈」なんぞは無視して

火鉢はどけたはずです。

 

「理屈」なんぞよりも 一ショットの美を追求するところです。

ただトーキー第一作で そこまで目が回らなかったか??

 

またまたジョーン・クロフォード。

 

S56 客席

良助とおつねが見ている。良助が説明する。

良助「これがトーキーっていうんですよ」

おつね、少し眠そうである。

 

親子は映画館におります。

まずおもうのは、右側に座っている女の子のおでこの形がすごくいいな、ということ↓↓

とにかく女の子の横顔を撮りたがるという「癖」はここでも姿を見せております。

あとは後年の岩下志麻じゃないけど、チラッと姿をみせるだけの役に

やけにかわいい女の子を使ったりするという「癖」があるな。

 

あとは――「全日記小津安二郎」

1933年1月17日(火)

とく母と邦楽座に行く ブロンド・ビーナスと極楽特急

母 始めから終りまでねむりたる由

孫がいなくてとても安心してゐねむりが出来たとのこと

(同書30ページより)

 

飯田蝶子の居眠りは 小津安っさんのお母さんのエピソードであったようです。

「ブロンド・ビーナス」「極楽特急」というのは

どんな映画なのか? 気になりますが。

 

二人がみているのは

ウイリー・ホルスト「未完成交響楽」という映画だそうです。

シューベルトのおはなしなんですかね?

 

S57 スクリーン

(麦畑のラヴシーン)

 

というんですが――

 

どうしても「麦秋」のラストを思い出します。

 

「麦秋」の麦畑にはいろいろな意味があるんでしょうが

(田中眞澄は……正直好きな批評家ではないが、徐州戦の麦畑……鎮魂の意味だろうと、

珍しく鋭いことをいっている)

 

「一人息子」の引用 (引用の引用??)でもあるわけですな。

 

S60 良助の家(夜)

良助「なあ、明日からどうしようかなあ――借りた金もあらかた使っちゃったし、月給日までにまだ間があるしなあ」

杉子(暗くうなずく)「そうねえ――」

二人、黙然。

 

ここで、「カネがない」「逆さま(の鬼)」……

と、良助=負け組 というイメージ操作が完成します。

余計なセリフとか余計なエピソードとかなく、

じつにスマートに観客にイメージを植え付けていきます。

ほんとうに丁寧に作りこまれた作品です。

 

おカネがないのに

徹底的に親孝行をしようとする。

 

おカネがあるけど、

両親を熱海に追い出しちゃう「東京物語」の子供達とは真逆です。

 

戦前の悪しき封建制イデオロギーなんじゃあるまいか?

といういじわるな見方もあるでしょうけど。

 

に、してもかわいい坪内美子たん。

こんな奥さんがいるんだから、勝ち組だよ、良助君。

 

おつね(快さそうに)

「今日はお蔭であっちこっち見せて貰いやした。浅草へ行って、上野へ行って、九段へおめいりして――」

 

良助「おッ母さん、支那ソバ食べたことありますか。ちょっと変っていいもんですよ」

 

これは戦後の「お茶漬けの味」 S86

鶴田浩二と津島恵子のラーメン屋のシーンに受け継がれるわけでしょう。

 

杉子「あたし致しましょう」

と、おつねの肩をもむ。

おつね(ニコニコと)「浅草の観音さん、でっけえなあ――」

 

ここは、

・坪内美子のセリフが、「東京物語」S28 原節子の「お母さま、致しましょう」というセリフに……

・嫁が義母の肩たたきをするというシチュエーションが、「東京物語」S103……

 

原節子×東山千栄子の、

この美しいシーンに引き継がれるわけです。

 

で、全員でeat

一緒に「食べる」という行為、小津作品においては

家族、もしくは将来結ばれるカップルの象徴的行為です。

 

つまり、この瞬間、坪内美子は飯田蝶子の「家族」となったわけです。

 

S65 洲崎の埋立地

遥かに東京市の塵芥焼却場が見える。

雑草が風に靡いている。

 

↑この煙突(塔)は……

 

↓「東京物語」S7に受け継がれるのでしょう。

迫力が全然違いますが。

 

「塔」……そして

二人の人物が真逆の方向を向いて坐る。

小津の小津による小津でしかない構図(笑)

 

良助「よく雲雀が鳴いてますねえ」

と、おつねを見ずにいう。

おつね、不安な心で、しかし空を見る。

 

サイレント時代の主人公たちは よく「塔」(煙突、時計台、などなど)を見上げていたのですが、

とうとう、彼らはなにもない空をみつめるに至ります。

 

というか、トーキーになって初めて空を見つめるわけです。

そう。雲雀が鳴く声がしているわけです、このシーンは↓↓

 

逆に言うと、サイレントでは 小津は主人公たちに空を見上げさせなかった、

ということです。

「音」があってはじめて、彼らは空を見上げることを許されたわけです。

その理由は何なのか?

 

その謎の解明のカギは

これまたとんでもなく美しい「麦秋」のS75 トーハクの庭のシーンに隠されているのかもしれません。

 

(「紀子三部作」は、どこを切り取ってもとんでもなく美しいので

こんな形容詞は無駄なんですけど……)

 

黒いシミのようなゴム風船――

これはどうも紀子の死んだ兄・省二と関係があるような気がする。

……などということはどうでもよく、

 

小津は「雲雀の声」「ゴム風船」といった「何か」がない空を……なにもない空を……

「無」を恐怖しているのではないか?

だから、彼はセットの舞台から 実に注意深く「空」を追い出すのではないか??

 

小津の意志とは無関係だったといいますが、

彼の墓石に刻まれた文字 「無」――と合わせて考えたくなるところです。

 

S69 四本の煙突

煙が風に靡いている。

 

小津の「塔」へのこだわり。

高くそびえ立つもの。あるいは風の中に翻る物へのこだわり。

これはどうも「無」への恐怖と関係があるのかもしれない……

 

しかし――

この当時はこんな小さな施設で 「東京市」のゴミの処理は間に合っていたんですかねえ??

このサイズでは今だと、地方都市クラスでもパンクしそうな気がしますけど。

 

もとい、

S71 夜学の教室

窓際で良助が悲しげに立って、窓から外を見ている。

 

S73 良助の家

 

逆さまの鬼……大久保先生、敗北者、脱落者、負け組のイメージです。

 

「大久保先生」という役名は

小津自身の師匠 「大久保忠素」に由来しているんでしょう。

 

 

 

S74 教室

良助、沈んだ顔で、涙ぐましく窓外の夜景をみつめている。

 

S75 窓外

神田裏通りの夜景。

「クラブ白粉」のネオン。

 

「非常線の女」「出来ごころ」に登場したのは 「クラブ歯磨」でした。

これも広義の「塔」でしょう。

 

おや。窓の近くには通風器ですねえ。

これは遺作「秋刀魚の味」までずっと一貫して登場しますね。

 

以上の陰気臭いシークエンスが

「東京物語」ラスト近くの 陽光あふれるシーンに受け継がれるのでしょう。

・夜→昼

・男性教師(日守新一)→女性教師(香川京子)

・東京→地方(尾道)

と、まったくベクトルが真逆なわけですが。

 

「一人息子」の分析、まだ続きます。

うーん、次回1回で終るかな……

スヌーピーと不思議な絵(新宿)・可愛い嘘のカワウソカフェ(池袋)

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7カ月……

たぶん7カ月ぶりのトーキョーでした。

 

久しぶりのトーキョーは 田舎モンの目には

コロナ前と、そう変わらない人出に見えましたが……さて?? どうなのか?

 

まず、新宿の 東京ミステリーサーカスなるところで開催中の

「スヌーピーと不思議な絵」というイベントへ。

 

しかし……ネタバレみたいなことは書けないし、

画像も載せられないので、

どう書いていいのやら。

 

・「謎解き体験型ゲーム・イベント」というもので 主にパズル・暗号を解いていくゲームでした。

かなり難しいものだったとおもいます。

たしかホームページでは、1時間~1時間半かかるということでしたが、

僕たちは2時間近くかかりました(笑)

 

LINEでヒントが見られるのですが、できるかぎりヒント無しで解こうとすると

かなり時間がかかるようにおもえます。

 

……などと書くと ヒント無しで答えが解けたような感じですが、

ほぼヒントに頼りっぱなしでした(笑)

 

謎解きは――

スヌーピーに関する「知識」は問われないのですが、

主要キャラクターの名前とルックスは一致させておいたほうがいいとおもいます。

この子はサリーで、

この子はルーシーで、

とわかってないと苦しそうです。

 

というか、こんなイベントに参加する人は 皆わかってるな。

謎解きキットというもの↓↓

かわいいクリアファイルがもらえる。

 

ワンフロアまるまるスヌーピー!

というのを勝手に期待したのですが、

そういうものでもなかったです。

 

建物の隅っこにスヌーピーコーナーがある感じ。

 

スヌーピーグッズがいろいろありましたが、

このあとのカワウソカフェで散財する可能性が高いので

なにも買わなかったです。

(あとで後悔)

 

東京ミステリーサーカスのとなりは工事中。

……というか、個人的に新宿は縁がないので

これはどこのどういう場所なのだかさっぱりわからない。

 

歌舞伎町のどこか、というのはわかるけど。

 

魚眼でも撮ってみる。

 

謎解きで頭を使って やけにお腹が空いたので

一路、池袋へ。

 

写真は新宿のどこかですけど↓↓

 

「可愛い嘘のカワウソカフェ」

 

正式名称は

「可愛い嘘のカワウソカフェ~お庭でぬんぬん♪~@池袋パルコ」

となるようです。

 

池袋パルコの7F

9/27までやってるそうです。

 

↓↓ランチョンマットもらえます。

A3サイズです。

来店したヒト全員 本来の目的では使っていない様子で

即お持ち帰りのようでした。

 

店内の様子。

というか、壁↓↓

 

えー お世辞にも高級感はないです。

臨時に間借りしている雰囲気。(じっさいそうだがね)

 

以下、メニューの味にもケチをつけたりするとおもいますが、

可愛い嘘のカワウソファンには――

ぬんちゃんファンにはたまらん場所であることは間違いないです。

 

まず

「ガーデンサラダカレーなの」

(解説をしておくと、ぬんちゃんというカワウソの口調がこういう調子なのである)

 

¥1490

これは意外と(笑) 美味しかった。

キーマとバターチキンの2色カレー。

カモちゃんはポテトです。

ぬんちゃん(カワウソ)の耳は食べられます。

 

「ぬんバーガー」

です。

¥1590

ぬんちゃんの顔がなんか大変なことになってるが(笑)

奥のオニオンリングはほとんどT子さんに食べられてしまった。

 

「お茶もってくるの! メロンソーダ」

¥890

 

「コップのシールははがさないでください」とウェイトレスさんにいわれた。

ちなみにウェイトレスさんの格好は デニム地のシャツなんかを着て(たしか)

アメカジ風の制服だったとおもいます。

 

これもおいしかった。メロンメロンしてて

890円とるだけのことはありました。

 

お茶もってくるの! とありますが、お茶のような色というだけのことで

あくまでメロンソーダです。

 

バーガー&メロンソーダ&コースター

 

ドリンクを頼むとコースターがもらえる。

コースター、みんな使わずに持ち帰るとおもうけど。

別アングルからの「ぬんバーガー」

 

味は……んー 正直に書くと、いまいち。

 

だがまあ、「映える」ための食べ物だからな。

 

「冷製ぬポリタン」

 

¥1390

これは、ですね。

暑かったころだったらたまらなかったかもしれないのですが、

ちょうど9月中旬、「涼しくなってきたねぇ」なんて会話をしている頃だったもので、

「冷製」でないのが欲しかったです。

 

だったら頼むな。というはなしですね。

 

「アフタぬ~んティセット」

¥1990

 

アフタヌーンティーセットというと、山のホテルのラウンジでいただいたのが

とてもおいしかった記憶があるのですが、

今調べたら 価格帯がまったく違いますね……倍どころじゃないですね。

 

正直、おいしくはないです。

 

あ。お皿がとなりのグッズショップで売ってました。

 

店内の様子。

お一人様向けの席ですな。

 

ぬいぐるみ汚さないかどうか 気が気でないような――

 

おとなりのグッズショップ。

かなり充実してました。

 

――散財しました……

 

これはカフェの入口↓↓

 

レジに

作者のLommyさんの直筆イラストが飾ってあった。

 

ほ、欲しい……

 

えーとですね。

「スタンプラリー」なるものをやってまして

・パルコの可愛い嘘のカワウソカフェ

・サンシャインシティのキディランド

この2か所のスタンプを集めると コースターがもらえるというやつ。

(コースターは カフェでドリンクを頼むともらえるものと同じもの。ただし柄はランダムで8種類。選べない)

 

それをやったらですね。

田舎モンカップルは 池袋駅周辺のあまりの人の多さに

(―――イバラキの1年分の人出だべよ――)

――疲れきりまして

 

また、気付いたらカフェの座席についている、という……

あ。メニューはこんなでした↓↓

 

もちろんもらえません。

 

「ホイップふたりぶんなの! ソーダゼリードリンク」

¥890

 

んーこれはよくわからん味でした。

だが「映える」ことは間違いないでしょう。

 

「カフェラテでぬっくり」

¥790

 

これもひたすら「映える」やつです。はい。

味は――うちのデロンギのマシンで作ったやつのほうがおいしいです(笑)

 

ただし、こっちはひたすらにかわいいです。

 

↓↓途中経過(笑)

 

二人ともスリムになってます。

 

さいご……

無残なや……

 

この、カワウソくん部分ですが、

なんていうのか無味無臭のノリみたいなゲル状物体で 飲むと、ちょっとむせました。

 

えー……

戦利品……

というか、散財したモノです。

 

真ん中は いただいたランチョンマットを

ヨドバシドットコムで700円で買った白い額の中に入れたもの、で。

白い額はセンスが良かったと自画自賛しております。

 

ぬんちゃんぬいぐるみは もったいなくてビニールから出せないというやつです。

うちのゆりに狙われないか、心配です。

 

マグカップ。

それとコースター。

 

左のシールは グッズショップで買い物したらくれました。

 

以上。

考えてみたら電車に乗ったのも 7カ月ぶりでした(笑)

田舎モンはそれで生活できてしまうのですよ。

 

トーキョーは以前と変わりない繁栄ぶりのようで安心したのですが

行き帰りの電車(常磐線)は やっぱり人が少ないなーと思いました。

塔の作家・小津安二郎 その20「一人息子」③ 「一人息子」は「東京物語」のルーツである。

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「一人息子」3回目。

まず、前回みた 肩たたき・支那ソバシーンなんですけど――

S60 ↓↓

 

これが「東京物語」の原節子&東山千栄子のシーンに繋がっていくわけかぁ……

ということばかりに注目してしまって、

端正な構図に目が行きませんでした。

 

人物をきっちりと 画面の対角線上にのせております↑↓

 

几帳面な画面作り――

これをわざとらしい、と見るべきなのか?

このわざとらしさが快感なのよ、と感動に打ち震えるべきなのか?

 

ま、小津嫌いの方は、「だから小津は気味が悪い」というところでしょう。

小津ファンはこの「狂気」がたまらんのですが……

 

はい。

で、以下、前回からの続き。

段々険悪なムードになってきます。

「子は親の思うようには育たない」というシナリオの主筋も

やっぱり「東京物語」に引き継がれるわけです。

 

S79 居間

おつね、来て火鉢の傍に坐る。フーッと溜息をつく。

ジッと見つめつつ埋火をかき集める。

ややあって「おッ母さん」と、良助の声。

 

飯田蝶子のすぐ横に 「負け組」の象徴であるところの「鬼の念仏」

野暮ったい説明などはせず、スマートにおつねの心中を表現します。

 

良助「どうしたんです? (柱時計を見上げ中腰になり)

もうずいぶん、遅いんですよ、おやすみなさいよ」

おつね、動かない。

良助、ジッとおつねを見つめる。

おつね、顔をそむける。

 

↓↓暗くて見えづらいが 左側、

ジョーン・クロフォードのポスターが貼ってあります。

 

「ジョーン・クロフォード」は 「鬼の念仏」と対になっていて

・ジョーン・クロフォード→夢・希望の象徴

・鬼の念仏→失意の象徴

……なのではあるまいか?? などと深読みしたくなるところです。

 

大事な場面の直前で時計を見上げる、というのは、

「東京の女」の岡田嘉子がやっていました。

トマス・ピンコのいう(笑) 「塔を見上げるショット」の変奏曲ですな。

 

親子喧嘩がはじまります。

 

S81 居間

おつね「女の手一つでおめえを東京の学校へやろうなんて、ていげいのことじゃなかったんだし、それをお前がそんな気でいてくれたんじゃ――」

と、涙ぐむ。

 

右の薄暗がりにいるのは

起されてしまった坪内美子たん。

 

良助(自嘲的に)「いやそりゃおッ母さんから見れば、不甲斐ない倅だとお思いでしょうけど――大久保先生だってあの時分はずいぶん大きい望みを持ってましたよ。その先生が東京じゃトンカツを揚げてるうじゃありませんか――あんな大きな青雲の志が五銭のトンカツを揚げてるなんて――ねえ、おッ母さん、人の多い東京じゃ仕様がありませんよ」

 

ここもやっぱり「東京物語」――

笠智衆、東野英治郎、十朱久雄のじいさん三人が飲んだくれるシーン――

S101 

沼田「いやァ、親の思うほど子供はやってくれましぇんなァ。第一、覇気がない。大鵬の志というものを知らん。それでわしゃァ、こないだも倅に言うた。そしたら倅の奴、東京は人が多ゆうて上がつかえとるなどと言やがる」

 

この東野さんのセリフに引き継がれるわけです。

 

にしても

「あんな大きな青雲の志が五銭のトンカツを揚げて」

というのは名ゼリフです(笑)

 

「一人息子」S81が 「東京物語」S101 桜むつ子のおでん屋のシーンへ変奏される。

 

1936年の「一人息子」では 親子の直接対決が描かれるのに対し、

1953年の「東京物語」では 親は親同士集って子供への愚痴を言い合うだけです。

 

しかし戦後まもなくの「東京物語」

笠智衆は息子を一人 十朱久雄は息子を二人 戦争で亡くしているという設定もあったりして

事情はかなり複雑化してたりもします。

 

おつね(強く遮り)「思うようにいかずか! そのしょうねが、いけねえだに」

良助、無言でおつねを見ている。

 

おなじみの視線の噛み合わないカットバック――

この気味の悪さがたまらん……

 

おつね「けんど、すんなことはどうだってええだ。お前せえしっかりしててくれりゃ、かあやんは家だって畑だって、すんなものはなんにもえりゃしねえだ。かあやんは、お前ぎりが頼りなんだし、すんだのに、すんだのに――すんな気でいてくれたんじゃ――」

涙が声を阻む。

 

このあたりから坪内美子がむせび泣く声が入ってきます。

トーキーならではの表現をやってみたかったのでしょう。

 

S82 次の間

杉子、たまらず咽ぶ。袂で顔を抑える。

 

ただ……唐紙を隔てて向う側にいる人物が 主人公たちの会話を聞いていてどうこう、という展開。

なにか歌舞伎だのなんだの お芝居の古臭い表現のようにも思えるな。

なんにせよ、こういうシーンは 小津は使わなくなったように思えます。

(……だよな??)

 

S85 襖に貼られた『鬼の念仏』

やがてほのぼのと夜が明ける。

工場の音が聞こえ始める。

 

深読みかもしれないが……

「〇」をあちこちに忍び込ませているように感じる。

 

次のカットも――

 

「〇」――

背後の大きな〇の正体はなんだかわからんのですが。

 

S86 附近の原っぱ

糸の染物が竿一杯に干してある。

おつねが赤ン坊のお守りをしている。

 

ここにも「〇」

 

おつね「坊や、でかくなったらなにになるだ。坊やも東京で暮らすんかね」

 

ここは、当然――

「東京物語」S51

「勇ちゃん、あんた、大きうなったら何になるん?」

「あんたもお父さんみたいにお医者さんか?

――あんたがのうお医者さんになるこらあ、お祖母ちゃんおるかのう……」

 

この名シーンに引き継がれます。

セリフは似てますが、

飯田蝶子のいうニュアンスと(蛙の子は蛙、なのか??)

東山千栄子のセリフのニュアンス(おのれの死への予感)

若干違っているというのが見事です。

 

赤ちゃんの頭が見事に真ん丸です。

「〇」

 

おつぎ。

坪内美子が着物を売って二十円という大金をこしらえます。

蓮實重彦先生が 小津映画では着るものは金に化けるということをどこかで書いていたようにおもう。

まあ、「東京の合唱」で八雲恵美子も着物を売ります。(夫の岡田時彦が勝手に売っちゃったのだが)

 

もとい、

S87 良助の家

良助、金をとり、感謝の目で杉子を見上げ、

良助「お前も行けよ」

 

杉子「私――?」

良助「なりなんかどうだっていいじゃないか、留守は前のおかみさんに頼んどけばいいよ、な、一緒に行けよ」

杉子(うなずいて)「ええ――」

と、明るくいう。

 

日本間での視線のやり取り。

坪内美子を立たせたり坐らせたりして

日守新一の視線の高さをいろいろコントロールしています。

 

おそらくこの「視線の動き」がないと 画面はひどく退屈になるのではないか?

とおもわれます。

あと、「出来ごころ」の分析のときに書きましたが

(大日方伝×伏見信子のラブシーン)

洋間ではできなくて日本間ではできる(日本映画ではできる)

テクニックとして この視線の動きを発明したのではないか?

などともおもえます。

 

で、突貫さんの登場。

初期小津において、この子の出演する率というのはものすごく高いな。

笠智衆に次いで第二位くらいにはつけているのではあるまいか?

斎藤達雄といい勝負だろう。

 

S88 おたかの家

富坊、鉛筆を削って芯を尖らせている。

〽月が鏡であったなら――と唄い出すと、

 

突貫小僧の頭が「〇」

さらに月が「〇」

 

なかなかの美声。次回作「淑女は何を忘れたか」でも歌うシーンがあるので

小津安っさん、突貫小僧の歌声が気に入っていたのでしょうか。

 

S90 原っぱ

馬がつないである。

富坊、急に元気になり、

富坊「おいッ、皆こいよ」

と、先に立って走る。

 

煙突……「塔」のショットです。

 

S91 馬のところ

富坊、得意に馬の腹など撫ぜて、

富坊「いいかい見てろよ」

と、巧みに馬の腹をくぐりぬける。

 

と、なにやらおっかないことを始めるのですが、

 

厚田:前にもお話した通り、小津さんはじめ、みんなは歩兵だったんですが、ぼくだけ特科隊というところで馬の世話をさせられてたんです。当時、野戦重砲というと、馬で大砲を引っぱってた。そんなお話すると、喜ばれましてね。ぼくが呼ばれて「馬という奴は、後脚はうしろには蹴るけど、絶対に前には蹴らない。だから前脚と後脚との間をくぐっても大丈夫なんです」と説明すると、「そいつは面白い。ひとつ、それをギャグとして使ってみるか」。

 結局、初年兵のナンセンス喜劇の方は撮らなかったんですが、その話が『一人息子』に使われてますよ。

(筑摩書房、厚田雄春/蓮實重彦「小津安二郎物語」126~127ページより)

 

厚田雄春さんによれば くぐっても大丈夫なんだそうです。

 

が、大けがしてしまったということは、

不注意で馬の尾っぽ側に行ってしまったということか?

そのあたりは描かれないのですが――

 

S93 原っぱ

人だかりがしている。

良助とおたかが、駆け込んでゆき、

おたか「富ちゃん!」

良助「富ちゃん!」

と交互に名を呼ぶ。

 

良助「こりゃすぐ医者に行きましょう」

と、富坊を抱えて人ごみを押しわけズンズン歩き出す。おたか寄り添ってゆく。

 

S94 馬、ノンビリ草を食っている

 

「塔」のショットです。

こんなローポジションで馬を撮るというのも珍しいな。

 

S96 手術室

手術が行われている。

良助が立ち会っている。

 

――というのだが、なんというかキッチュな画面。

何度見ても笑ってしまうショットである……↓↓

 

吉川満子に 先ほどの二十円を渡す日守新一。

考えて見ると、小津作品には「病院」よく出て来ますな。

一番強烈なのは 「東京暮色」 有馬ネコちゃんが堕胎するところかな。

 

たぶん病院建築とか 学校建築とか オフィス建築とか

すらっとしたモダンデザインが好きなのだろう、という気がする。

 

天井がきっちりあるから↓↓ これはロケなのかな?? ちょっとわからないですが。

この1シーンのために こんなセット作らないような気がする。

 

S97 病院の廊下

良助「人手が要ったら、遠慮なく言って下さいよ。杉子を来させますから」

おたか(感極まって)「すみません」

と涙ぐむ。涙は頬を伝う。そしておつねに頭を下げて泣きながら、

おたか「お母さん、ありがとうございます。いろいろご親切にしていただきまして――」

 

しかし、そんな感動シーンも子供には関係なく――

 

君子(おたかの袖を引っ張って)「お母ちゃんマリ買ってね」

おたか、また、新しい涙が頬を伝う。

 

「マリ」……そしてこの子の頭が見事に真ん丸です。

暗号「〇」

 

兄貴の突貫小僧といい(月)

この子といい(マリ)

つくづく「〇」に関係がある兄妹です。

 

まあ、ある意味、突貫小僧の大けがのおかげで

飯田蝶子は息子の日守新一を見直すわけですので――

「〇」→円満 ということなのかもしれないです。

 

そういえば日守新一が吉川満子の渡したのは 二十円――

二重円……

「◎」なのですよね……

 

兄も妹も「〇」の 「◎」兄妹――

その母親に 二十円(◎)を渡したわけです。

 

出かけようとおもったが

おカネをあげちゃったので 出かけられなくなった良助の一家です。

 

S99 良助の家

おつね「な、貧乏してるとなあ、ああいう時のありがた味がふんとに嬉しくなるもんだ。(そして感慨深く)おらもうんと貧乏しただからなあ」

 

おつね、自分にいいきかせるように、

おつね「ことによるとお前もお大尽になれなかったんがよかったかも知れねえだ」

良助、頭をたれたまま動かない。

 

と、親子の和解シーンに「ジョーン・クロフォード」は登場しますので、

やっぱり「鬼の念仏」(敗北者)と対の存在という説は正解かも??

 

おつね「お前ふんとに今日はええことしてくれただし。これが何よりの田舎(ざいご)へのお土産だし」

良助、無言でいる。

杉子、涙ぐむ。

工場の音だけがかまびすしい。

 

Germany のポスターは突貫小僧の「馬」のシーンと対になっている、というわけかな?

 

三者三様。

お互いに視線をかわすことなく、このシーンは終りまして、

で、次のシーンで おつね(飯田蝶子)は田舎へ帰ったことを観客は知らされます。

 

なんともビターな味……

 

このシーンの最後に登場する↓↓

毛布だかシーツだかの模様……

渦巻……(正確には雷紋というらしいが)

 

これが――

「東京物語」S105

酔っぱらった笠智衆が東野英治郎を引き連れて

ウララ美容院に帰って来るシーンに登場するのだからおもしろい↓↓

 

「雷紋」はどうも「豊穣」のイメージがあるらしいが、

小津作品においては、渦巻・雷紋はどうもいい意味では登場しないようにおもえます。

じっさい、

ご覧なった方はご存知の通り、

「東京物語」の杉村春子・中村伸郎夫婦はあまりいい描かれ方はしていないわけです。

 

どうも――トマスの勝手な推測では

「〇」(円満・完全)がくずれると 「渦巻」になるような気がします。

あくまで小津作品の中のイメージです。

 

どなたもお気づきでしょうが、杉村春子の浴衣の柄も「渦巻」です↓↓

 

「一人息子」に戻りまして――

 

S100 附近の原っぱ

薄暮の道を良助と、杉子は赤ン坊を背に、考え深く帰ってゆく。

 

「塔」だらけのショットです。

めずらしい移動撮影ですね。

 

おたかと、脚に繃帯をして松葉杖をついた富坊が二人の後姿に気付き、

富坊「おじちゃん」

と呼ぶ。

 

S101 良助の家

良助、杉子、帰ってくる。

杉子、赤ン坊を下ろす。

良助、赤ン坊を抱き取る。

杉子、フト柱時計を見て、

杉子「お母さん、もうどの辺までいらしったかしら」

良助「さあ――」

 

ミルクの吸い口をくわえる、というのは、

「東京の合唱」で岡田時彦がやってたような気がする↓↓

 

杉子「おかあさん満足してお帰りになったかしら」

二人、見合う。

良助(呟くように)「多分満足してはお帰りになるまいよ。――本当いうと俺はまだおッ母さんに東京へ来て貰いたくはなかったんだよ」

 

このあたりは「東京物語」S118 三宅邦子と山村聰の会話に引き継がれます。

 

文子「満足なすったかしら」

幸一「そりゃ満足してるよ、方々見物もしたし、熱海へも行ったし……」

文子「そうねえ」

幸一「当分東京の話で持切りだろう」

 

しかし――「満足してるはず」と思いこんでる「東京物語」の方が苦味がキツイ……

 

S103 母の手紙

「これで 孫に何かかって下さい 母」

それに金が二十円添えてある。

良助、こみ上げてくる。

 

良助「おい、俺、もう一遍勉強するぞ」

杉子、たまらない感じでうなずく。

 

というのだが、この坪内美子たんはなんともかわいい。

 

良助「中等教員の検定でもとって見よう」

更に涙ぐんで強く、

良助「なあ、で、お母さんにもう一遍出て来て貰うんだ」

 

ここもかわいい↓↓

このシーンは坪内美子劇場ですな。

 

――というか、ラストというのはどうしてもダレてくるもので、

だからこそ、

きれいな女優さんで場をもたせるというところがあるのか??

 

「一人息子」に比べればどうしようもない愚作だが、

「母を恋はずや」のラスト近くがやはり 逢初夢子劇場だったことなどを思い出したいところです。

 

そういわれると「東京物語」のラストは 原節子劇場、なわけです。

 

杉子「あんたはいいお母さんをお持ちになって仕合せですわ」

たまらず、泣く。

良助、無言。

じっと、赤ン坊を見る。

 

はい。最後の最後もかわいいです↓↓

 

東京のシーンの最後は――……

 

「〇」で締めくくります。

左翼系の批評家はどうも ラストの無機質な扉のショットに感動するらしいのだが――

(連中にとって戦前の日本は無条件に「悪の帝国」でなくてはならないので、ね)

 

だが、ねえ、

東京のシーンのラストは「〇」なんですよ。

赤ちゃんの頭なんですよね。

 

はい。

確かに、ラストは信州なんですよ。

 

S104 製糸工場

糸車が廻っている。

モウモウたる湯気の中で、忙しく働く若い女工達。

 

↓↓うーん……

こうしてみると、糸車は「〇」じゃなくて「渦巻」なのかな??

①だったか②だったかで 糸車=「〇」と書いたかもしれんですが、

間違いかな??

 

S106 工場の裏手

おつね、重い足取りで、バケツを下げて歩いて来る。バケツを置くと、腰を叩きながら倉庫の白壁際の陽だまりに行き、空の木箱に腰を下ろす。フッとため息をつき、遠い山並みを眺める。

 

というのだが、

手ぬぐいの模様……唐草模様は「渦巻」とみたくなるところ。

 

連山も、遥か東京の空も、しかし、工場の塀に閉ざされて、僅かにしか見えないのだ。

おつね、次第に沈んでゆく。

 

閂が掛った裏門の扉は、頑なにおつねの希み(のぞみ)を遮っているかの様だ。

――完――

 

――というのだが、どうなのかね?

田中眞澄あたりはこのラスト、大絶賛なのだが。

まったく美しくないし……「塔」も「〇」も「渦巻」もでてこない……

どうしたものか??

 

□□□□□□□□

さいごに――

「小津安二郎・人と仕事」所収の座談会で

主演の飯田蝶子が おもしろい出来事を語っていますので紹介します。

ちなみに

「三宅」→三宅邦子

「高杉さん」→高杉早苗

「厚田」→厚田雄春

です。

 

飯田:話は変わるけど、「一人息子」のとき私が「息子もなァ東京へ行って偉くなって……」といって廊下を拭き掃除してる芝居があってさ、徹夜で、悲しいところで涙ポロポロ「息子のところへ行きてえなァ。金ためて息子のとこへ行くだ」とやってると誰かが号外を持って飛び込んで来て「阿部定がつかまった」といってるのよ。「あら、どこで?」って私が芝居をやめちゃって、怒られたね、「お定とこっちは関係ない」って。(笑)

三宅:高杉さんはわからないでしょう?

飯田:「お定と何か関係があるのか」って。(笑)それから、もう上手くいかない。

厚田:蒲田はサイレントのステージだから午前二時二十分の新聞電車が通ってから夜中だけ仕事してた。借りて来ていた赤ン坊に歯が生えて坪内美子(美詠子)さんが抱いていて重くなったっていうんだ、四カ月経ってるんだからね。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」157ページより)

 

「一人息子」の撮影がちょうど、阿部定事件の頃であったことがわかります。

また厚田さんの証言から 「新聞電車」なるものがあったこともわかります。

(いつごろまであったのかねえ? 電車ファンには常識の存在なのかな??)

 

まあ、こういうだらけた姿勢が積み重なって 飯田蝶子は小津組常連からはずされてしまったのかもしれません。


那須温泉・山楽 西館展望和洋室411号室

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9月の中旬

武漢ウイルス蔓延下…… 久しぶりの旅行となりました。

が、

台風が来るぞ、来るぞ、という中の旅行。

 

おもえば

去年の軽井沢・万平ホテルもそうだった。

一昨年の東光園もそうだった。

つくづく運がないです。

(今回はけっきょく大したことにはならずにすんだが)

 

またまた身分不相応な立派なお宿でしたが、

GoToトラベルとかなんとかで けっこう安くなりました。

(こういうお宿に泊まる人間がいうのもアレだが、

この制度 本当に困っているところにおカネがいくとは思えんなあ。

けっきょく大手しか潤わないのでは??)

 

もとい――お部屋からの眺めはこんな……

いいことはいいけど……

んー 重苦しい雲のせいか、お庭の樹木のせいか、

那須の風景がすかーっと眼前に広がる、という感じではない。

(4階が一番高い階なので これより眺望がいい部屋というのはないとおもう)

 

ただ、

紅葉の時期はたぶんたまらんでしょうなあ。

 

窓際に籐椅子という公式。

 

失礼ながら、テレビは小さい。

事前の予約の確認の時に、Blu-rayのプレイヤーをお願いしていたので

もうセット済みです。

 

(完全に余計な情報だが、水曜どうでしょうの「対決列島」を録画したものをみた。

いままで通って来た東北自動車道を どうでしょう一行も通っていたのでヘンな感じがした。)

 

すみません。

部屋の全景、という画像はないです。

とにかく広い部屋でした。

四人家族でも狭く感じなさそうです。

 

二人でいったわれわれは この面積を完全に持て余しました。

 

↓↓左手にちらっと寝室がみえます。

右手はみえませんが 大きな窓があるわけです。

 

ウェルカムドリンク? というやつですかね。

 

ああ。そうそう。

お部屋の御案内はなかったです。

部屋に落ち着いた頃を見計らって この↓↓ お抹茶が届く。

荷物が届く。

という段取りでした。

 

寝室。

 

ベッドの評価。僕は可でも不可でもなく、という感じ。

T子さんは 「ベッドはよくない」という評価。

 

よく寝たんですけどね。

万平ホテルのマニフレックス ニューグランドのスイートのシモンズ(おそらく)

よりは良くないです。

なんか生意気いっちゃってますが、高い部屋なので ちと残念な点か。

 

画面右手 金庫 クローゼットなどがあります。

 

入口方向から部屋をみる↓↓

籐椅子の前にある白い物体は空気清浄機。

 

冷蔵庫がみえますな。

冷蔵庫の中身は無料でどうぞ。

というもので あとでご紹介します。

 

洗面所。

左手にお風呂がちらっと見えますな。

 

逆方向からみた洗面所。

右手 トイレのドアです。

 

お風呂。

けっきょく使わなかったですが、眺めがよさそうです。

 

若干狭いかな。

ただ使ったわけではないのでわからんです。

 

冷蔵庫の中身です。

いかにも「旅館」という感じのラインナップ。

ですが、無料はありがたい。

瓶というのも今どき懐かしい。

 

鍵、です。オートロックではなかったです。確か。

 

山楽綴り という冊子。

宿の歴史が書いてあります。

中身は与謝野晶子・鉄幹夫妻が泊まったとか、

そうそう昭和天皇が泊まられたというのが最大のトピックか。

 

廊下から部屋のドアをみる。

 

「五葉」という愛称(?)がついているらしい。

 

チェックインの際は お部屋は「411号室」といわれました。

 

廊下なんぞ撮ってみる――が、

滞在中、この階では

一組の老夫婦と会っただけで

 

誰かほかに泊まっていたのかな?

 

なんというのか、エレベーターホール的な場所の画像。

 

こうしてみると↓↓

われわれの泊まった411号室が一番大きいことがわかる。

ぬわはははは……

 

……

このワインレッドの背景色はいいですね。

 

ここもエレベーターホール

まあ、どこもかしこもゆったり広めに作ってありました。

 

建築的にとんがった

東光園(菊竹清訓)

箱根プリンスホテル(村野藤吾)

とかを見てしまっているせいで

 

山楽さん。

建築的には、とくになんだという点はないとおもう。

ただラウンジはよくできていた、とおもいますですよ。

 

完全に余談だが――

一泊二日の那須旅行、さいごに 那須塩原の

「パンツショップアベニュー」という

アメカジ好きなら知っている名店へ行ったのですが、

 

アベニューの奥さんに 昨日は山楽へ泊まったなどというと、

「あそこはお琴の音楽がかかってたでしょ」

などと栃木訛りでいわれた。

 

「んーどうだったかな??」と BGMの記憶のなかった僕は答えたのですが……

 

今こうしてラウンジの写真を見ると

お琴の音が聞こえる(笑)

 

ほんとうにそんなBGMだったか?

パンツショップアベニューの奥さんのせいか?

 

後者のような気がするんだけど。

音楽、かかってたか??

 

あ。お飲み物ご自由に のスペース↓↓

 

手作り感あふれる 「山楽の四季」なるポップ

 

さっきも同じこと書いたが、

紅葉の時期はすごいだろうなあ。

 

 

 

えー 一気に時間がとびまして

夕食。とてもおいしかったです。

 

1階 山翠亭 松風の間なるところです。

 

いただいたのは

「稲穂実る頃の御献立 瑞鳳」

 

瑞鳳なんていうと 帝国海軍の航空母艦にでもありそうですが(笑)

(あったっけ?)

 

・前菜(右から)

子持ち鮎有馬煮

巻海老黄身酢

烏賊菊花寿し

毬栗真丈

衣かつぎ

黄味酒盗和え

 

どれもおいしかったが、鮎がとくにおいしかった。

イガイガの形したやつは どこかで食べたような気がするのだが

おもいだせない。

山のホテルだったか、アルテリーベだったか。

アルテリーベのような気がする。

 

・刺身

五種盛り合わせ――とありますが、

カンパチ 本マグロ タコ ウニ スズキ

だそうです。

 

・吸物

清汁仕立て 萩真丈 松茸 柚子

 

お吸い物の中の物体は ソラマメ 小豆 白身魚だそうです。

 

・焼物

カマス塩焼き

丸十オレンジ煮

酢取り茗荷

 

カマス、おいしかった……

となりのスダチをかけるわけですな。

 

丸十ってサツマイモのことらしい。

島津の家紋からきてるのか??

甘くておいしかった。

 

で、肉が来ましたぜ 肉が!

 

・煮物

合鴨 茄子 蕪 木の葉南瓜 絹さや 木の芽

・台の物

和牛ロース石焼き

野菜等

 

 

 

 

 

焼いてるところ――

 

お肉、口の中でとろけました。

那須はとにかくお肉がおいしかったです。

(誰でも御存じでしょうが)

翌日のランチのステーキもたまらなかったですが、

それはあとで書くと思います。

 

あとネギは「白美人」というものらしく、

これもまた甘くておいしかった。

 

・食事

秋鮭御飯 イクラ

・止碗

赤出し味噌汁

 

味噌汁の中には湯葉がはいってました。

お漬物↓↓ ピンクのはらっきょう。

 

御飯のアップ。

イクラとの組み合わせがとてもおいしい。

 

・水菓子

シャインマスカット

かぼちゃのプリン

あと、梨だったかな。

 

以上。夕食おいしかった。

 

お食事処の壁には 東郷青児の絵なんか飾ってありました↓↓

 

各自ぬいぐるみを持ってくる

精神年齢が低めのカップル(笑)

 

スヌーピーと

こないだ池袋パルコで買ったぬんちゃん。

 

ジッツオの三脚を 部屋の中でガシャガシャおっ立てまして

夜景を撮ったですが――

 

まったくうまくいきません。

 

ホテルニューグランドとか 山のホテルとかだと

けっこうおもしろいのが撮れたのですが。

 

夜。旅館の入口。

 

夜のラウンジの様子。

 

絨毯の柄、うるさすぎないか?

なんか文句ばかり書いてますが。

 

 

 

よく寝まして朝。

 

一泊二日の旅行。ずーっとどんより曇り

たまに小雨。

二日目は台風の影響で風が強かったです。

 

朝食。

これもまたおいしかった。

場所は夕食と同じ場所でした。

 

↓↓僕は洋食をチョイス。(夕食のおわりに和・洋どちらにするか聞かれました)

 

サラダの上にある 緑色のものは

ふきのとうのドレッシング。

 

↓↓T子さんの選んだ和食。

食べ終わりまして――

中庭に面した 明月院風の丸窓↓↓

 

エレベーターホールからの眺め

 

魚眼で411号室を撮りましてチェックアウト。

 

フロントの脇の中庭。

風響 と、名前がついてるらしい。

 

□□□□□□□□

えー最後の最後 温泉のご紹介。

(まずそこだろ! とおっしゃる方多数か(笑))

 

部屋に関しては テレビが小さい ベッドがいまいち

など偉そうな文句を書いたわけですが――

 

温泉は最高でした。

あと、たまたまだとおもうが

1日目、チェックイン後 16時ごろ

2日目、朝食後 9時ごろ

入浴したんですけど――

 

どちらも温泉一人占めでした。

コロナでいいことがあるとしたら、まあ、こんなことでしょうかね(笑)

 

以下3枚 スマホでの撮影です。

あ。2日目の朝の様子です。

 

内風呂↓↓

 

露天風呂。

最近行ってないが

スッカン沢とか おしらじの滝とか

あのブルーですね。

 

源泉100%かけ流しだそうです。

中性低張性高温泉――ってなんのことだかわからないが

ぬるぬるしたり ピリピリしたりはしなかったので 「中性」ってことなのでしょう。

 

箱根の温泉に比べると

温度は低めに感じました。

 

うー、よかったなあ。

しかし、山楽の温泉一人占めなんて

今後ないかもしれないですね。

和牛ステーキ桜那須高原店・パンツショップアベニュー(那須塩原)など ニコニコ亭(牛久)も

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前回に続き

那須旅行の記事です。

撮りました写真をべたべた貼ります。

 

まずは南ヶ丘牧場へ。

ここに限らず――「平日」+「台風が近づいてます」という状況なのに

那須はけっこう混んでました。

 

普段から那須は混んでいるのか?

コロナ落ち着いてきたイメージがそうさせるのか?

とにかく6月に那須どうぶつ王国に行った時よりもあきらかに人出が多い印象でした。

 

牧場売店のとなりのパン屋さん。

おなじみのソフトクリーム 買ってすぐ形が崩れたので写真なし。

おいしいパン(ホットドッグみたいなもの)もいただいたが、

撮る間もなく食べちゃったので写真なし。

 

来る途中、

高速の大谷パーキングでもホットドッグ的なものを食べたのだが

南ヶ丘牧場のほうが圧倒的においしかった。

お肉の質が違う感じ。

ソフトクリームがおいしかったことは言うまでもない。

 

えーと、これはチョウザメが泳いでた池。かな。

小雨が降ってたので 写真はあまりありません。

 

わたくし、

小学二年の時に 家族旅行で那須へきて

で、南ヶ丘牧場は来た記憶がしっかりあります。

 

しっかりある、というのは――

両親は息子を馬に乗せようと――乗馬体験をさせようともくろんでいたのですが

息子、つまりわたくしのほうは むやみやたら大きな動物……

つまり、馬をものすごくこわがりまして

 

けっきょくロバにしてもらったことを覚えています。

しかし、そのロバにしたってこわかったようなおぼえがある。

 

今見ると、どっちもかわいいですね。

あと、雨の中。

小さな女の子が平気で馬に乗っているのを目撃しました。

往時の……小二のトマス・ピンコ少年よりたぶん小さい女の子が、笑顔で乗馬しておられました(笑)

 

南ヶ丘牧場は、

ブラタモリの那須でも紹介されていて

 

その時出ていた会長さんのご両親なのかな↓↓

満州から引き揚げてこられて 大変苦労された、と、

番組では紹介されていた。

 

タモさんが触っていた石、というか、岩↓↓

こんな岩がごろごろしていた不毛の地を開発して牧場にしたそうです。

 

シュトーレンをお土産に買いまして、

で、前回紹介した 山楽さんにチェックインしました。

 

シュトーレン そんなに高くなかったのにおいしかったです。

 

□□□□□□□□

旅行二日目。

山楽さんチェックアウトし、

まず 那須温泉神社へ。

 

「ゆぜんじんじゃ」と読みます。

 

けっこう登ります。

ちょっとした登山。

 

飛鳥時代からの歴史があるということです。

あとは那須与一(余一)との関わりも書いてあります。

 

本殿。

 

 

 

えーと あれです。

殺生石の方角を撮りました。

 

硫黄臭いです。箱根の大涌谷を思い出しました。

 

殺生石。

一瞬、行くか? とおもいましたが、

……雨が降ったりやんだりだし……

このあと色々予定があるし……

などと話しあってやめました。

(正直言うと体力の自信がない(笑))

 

神社から見下ろしまして終わりにしました。

 

上の画像をトリミングしてみる↓↓

これが殺生石かな?

 

「鬼滅の刃」で炭治郎君が斬った岩がアレだ、とT子さんに教えました。

(大ウソ)

 

今度来ることがあったら 殺生石まで歩いてみたいです。

(けっこう歩きそうです。ちょっとしたハイキングになりそうです)

 

仔犬付きの狛犬。

 

南ヶ丘牧場

山楽

と、仲良く(?)並んでました。

 

この鳥居は――

 

那須与一奉献と書いてありましたな。

一一九二(いい国)作ろう鎌倉幕府――より、前ですな。

 

ものすごい階段――

 

殺生石もそうですが、

全部見て回るには体力が必要そうです。

我々にはムリでした。

 

いただいた御朱印。

武漢肺炎パンデミックで一番イヤなのはこれかな。

御朱印帳に書いていただけなくなってしまったこと。

書置きの御朱印です。

 

いただいたお守り。

那須与一の屋島の戦の名シーンですね。

 

ご朱印帳も……買わなかったのですが、那須与一が描かれていてカッコよかったです。

 

□□□□□□□□

えー、で、

お昼は 和牛ステーキ桜・那須高原店さんへ。

 

大谷石造りで、入口から中がまったく見えない――

レストランとしてこれは正解なのか? どうなのか?

 

入りづらい印象ですな~

 

結果、

すてきなお店だったし、

店員さんたち愛想良かったし、

なによりステーキ最高! また来たい!!

という感想なわけだが、

 

こういう入口はどうなのかな?

とおもってしまう。

夜のお店じゃないんだしねぇ……

 

店内はパァーッと明るい。

 

このアールデコ調の内装で、

建築好きの方はおわかりだろうが、

たぶんフランク・ロイド・ライトのカリフォルニアの邸宅群を意識してるんだろうな、という建物。

(映画好き向けに説明すると「ブレードランナー」のデッカード(ハリソン・フォード)のアパートの元ネタです)

 

だから入りづらいファサードも、まあ ハリウッドあたりのライト作品に似てるといや似てる。

でもライト作品だって 小さいながらも窓はきちんとあるよな。

 

いや、しかしライト好きは このお店は行った方がいいかもしれないです。

 

洒落たグラスにウーロン茶。

あと、コンソメスープ。

 

店内の様子。

入口は閉鎖的だが、客席は開放的にできている。

このギャップを狙ったのかな。

食べ物屋さんに行ったのに、建築にばかり気をとられているトマス・ピンコであった。

 

あと、奥のストーブも気になりますね。

冬季は火が入るのかね、やっぱり。

 

えーと、なんていうんですか?

西洋箸置きみたいな(笑) もの↓↓

 

ダックスフントの形ですこぶるかわいらしい。

 

サラダ。

 

で、ジャジャーン!

奮発して 黒毛和牛ヒレ肉いってみました!

 

これは――すばらしかったです……

 

前夜の山楽のお肉は口の中でとろけたのですが、

これはしっかりと弾力があるのだが、

あるのだが、数口噛みしめると やはり口の中でとけていく感じ――

きちんと量感がある。

「食べた!」と実感できる。

 

うーむ、今まで食べてきたステーキはなんだったのだろう。

 

奥にちらっとガーリックライスが写っております。

 

今回の那須旅行――

天気は悪かったですが、

山楽の温泉一人占めといい、

黒毛和牛ヒレといい、

 

贅沢の極みでした。

いいなぁ、那須。

 

となりの座席の様子。

 

 

デザートです。

あと撮らなかったですが、コーヒーか紅茶がつく、というのが

ランチメニューです。

 

ディナーのコースはお魚料理がついたりなんだりするらしい。

もちろん高い。

が、いつか食べてみたいなぁ。

 

店内に飾ってあった岩塩。

ピンク色できれいです。

 

那須旅行しめくくりは

那須塩原のパンツショップアベニュー。

 

外見は田舎の洋服屋さんですが、

中身はすさまじいです。

 

すさまじいですが、店主ご夫婦 気取らない いい感じの人たちです。

栃木訛りです。

 

二、三年前、スッカン沢行ったついでに

バズリクソンズのウールのコートを買ったので

二回目の訪問です。

 

その時のコートもそうですが、

東京の店なんかだと とっくに売り切れてたりする商品が

まだ在庫残ってたりします。

 

散財したもの。

シュガーケーンのジーンズ→トマス用

ミスターフリーダムのシャツ→T子さん用

ステュディオ・ダルチザンのデニムジャケット→T子さん用

 

T子さんのデニムジャケットは

リーバイスのもこもこしたものをはじめ狙っていたのですが、

試着したら 乳房が大きすぎておさまらなかったため

ダルチザンの男ものをお買い上げになりました。

 

ダルチザンのジャケットも ミスターフリーダムのシャツもかっこいいし

もちろん日本製だったりするので

いつか貸していただけるとありがたい。

 

あ、わたくしのシュガーケーンはアメリカ製です。

 

えんえん高速道路で帰りまして

夕食は いつものニコニコ亭(牛久)でした。

 

棒棒鶏。

 

酢豚

 

春巻き。

 

シュウマイ。

 

五目ラーメン。

 

エビチリ。

食後、バニラアイス。

とまあ、

こうして書いてみると散財しまくってるな、という印象。

久しぶりの旅行だったもので、多めにみていただきたいものです。

「劇場版・鬼滅の刃・無限列車編」=清水宏作品=鬼(モンスター)としての「女」

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んー……

今もっともホットなコンテンツと

まったく注目されない戦前日本映画をムリヤリ並べて語ろうとしております。

 

キーワードは

鬼(モンスター)としての「女」

です。

 

□□□□□□□□

10月19日 「鬼滅の刃・無限列車編」を見に行きました。

 

土浦のイオンの映画館へ行ったのですが、

公開4日目で はやくも

展示物(?)の下の部分が壊れちゃってる↓↓

 

野蛮ですね~、イバラキ。 ついでにいうと、交通マナーも最低なんですよ。

(なぜ魅力度最下位ではないのか? 県民のわたくしも納得がいかない(笑))

 

パンフレットは売り切れてありません、というものすごい状態でした。

(そんな映画あるのか?)

かわりといってはなんだが こんな無料特典が入場の時にもらえました↓↓

 

煉獄さんが主役のマンガとか 物語のあらすじとか いろいろおもしろかったです。

 

大きさはジャンプコミックスとまったく同じ。

カバーの体裁も同じですね。

8巻と並べてみますが↓↓

 

感想をざざっと ネタバレにならぬ程度。

ちなみにわたくし コミックスは22巻まで読んでおり、アニメも全話みました。

だから「おはなし」の内容はすべてわかったうえで映画をみております。

 

・えんえん泣いていた。T子さんと二人 「泣き過ぎると頭痛がするのはなぜ?」と話しあった。

・IMAXとやらいうものでみたので 善逸くんの「イィヤァアアーッ!」がよく聞こえた。

・無限列車のおはなしのあと、吉原遊廓のはなしがはじまるので――

無限列車→テレビアニメで製作

吉原遊廓→映画で製作

というのがお子様向けにいいのではないか? などと思っていたのですが、

「機関車」といえば これほど「映画」的な題材・舞台はないわけですし、

お話の内容もストレートでわかりやすいので

無限列車を映画で作ったのは正解だったな、などとおもいました。

・煉獄さんはなんだか (いい意味で)戦前の青年将校のようだな。などとおもいました。

彼にとってただ一人の「異性」は、「母上」だったとおもうのですが、

このあたりもまさしく青年将校してるな、とおもいました。

 

□□□□□□□□

ここから本題にはいります。

 

清水宏作品の主人公たちは

炭治郎・禰豆子(たんじろう・ねずこ)スタイル

――が、どうやらお気に入りらしいのです。

(禰豆子ちゃんの「ね」は どうもしめす偏が正しいようだが、変換できないです。どうしてくれる)

 

「炭治郎・禰豆子スタイル」というのはあれです。

細かい説明はしませんが、

「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎くんが 木箱に入った妹・禰豆子ちゃんを背負うという

基本パターンをいっております。

 

ヒーローがヒロインを背負うという形のことをいっております。

 

一番有名で、かつ、わかりやすいのは――

「有りがたうさん」(1936)で、

上原謙(加山雄三のお父さん) が、桑野通子を背負うという形が

標準ポジションとなっているわけです。

 

上原謙はバス運転手で 桑野ミッチーはお客なので

この炭治郎・禰豆子スタイルから動くことはないわけです。

 

サイレント時代の「港の日本娘」(1933)も

清水宏は 炭治郎・禰豆子スタイルに固執しているように見受けられます。

 

江川宇礼雄&及川道子

江川宇礼雄がハーレーダビッドソンを運転してますので

及川道子は 禰豆子ちゃんのように背負われる形になります。

 

江川宇礼雄&沢蘭子

これまた見事に 炭治郎・禰豆子スタイルなわけです。

 

「按摩と女」(1938)

 

徳大寺伸&高峰三枝子様

これまた 炭治郎・禰豆子スタイルが安定しているようなのです。

 

一体なぜなのか?

 

□□□□□□□□

はじめに 「鬼滅の刃」の炭治郎・禰豆子スタイルのはなしをしましょう。

あれは 鬼(モンスター)になってしまった禰豆子ちゃんは日光に当たると死んでしまう。

なので 木箱に入れて背中に背負う という形で

竈門炭治郎は行動しているわけです。

 

…………

――と、説明されているわけです。

 

が、はっきり真相をいうと、

炭治郎(兄)は禰豆子(妹)との近親相姦を恐怖しているから

あの格好なわけです。

そんなことは 作者・吾峠呼世晴先生は一言もいってないですが、

わたくし、トマス・ピンコがいうからには そうなんです(笑)

 

兄が妹を背負う、という形だと 近親相姦しようがないのであのスタイルなのです。

 

さらにいうとしょっぱなの家族皆殺し・血まみれシーンは

はっきりいうと 禰豆子ちゃんの初潮を表現しているわけです。

炭治郎は家族皆殺しに動揺した、というよりも

禰豆子ちゃんとセック〇できる可能性に恐怖した。

というのが正しいです。

 

なにかというと禰豆子ちゃんが血を流すのはそういうわけです。

(当然 劇場版でもそうです。ついでにいうと 禰豆子ちゃんの「血が燃える」というのは意味深です)

あと、禰豆子はとにかく眠る人(鬼?)ですが、

グリム童話のヒロインたちもよく眠ります。

グリムのヒロインたちがそろって思春期の少女たちであることも考慮にいれてよいでしょう。

 

換言しますと、ですね。

「鬼滅の刃」=炭治郎(兄)がいかに禰豆子(妹)との近親相姦を回避するか?

というおはなしだと言ってもいいです。

 

だから 禰豆子が鬼(モンスター)になったことは

炭治郎にとってすこぶる好都合であった、ともいえます。

モンスターとはセック〇できないからです。

ただ「食べられてしまう」という危険性はありますけど……

 

以下、余談ですが――

(↑上記の「食べる」という動詞はもちろんセック〇のメタファーです。けっきょく近親相姦の危険からは逃れられないようです)

(鬼になった禰豆子ちゃんの精神年齢が子供レベルになったというのも 近親相姦回避に関連があるでしょう)

(禰豆子ちゃんがくわえている竹……富岡さんがくわえさせた竹は はっきりいうと「貞操帯」です)

(「鬼滅の刃」の作品構造全体が近親相姦的にできていることも注目していいでしょう。

つまり「双子」イメージがなにかというと登場することです。ざっと思いだすだけでも……

時透無一郎兄弟

継国縁壱兄弟

産屋敷耀哉ー鬼舞辻無惨

胡蝶カナエー胡蝶しのぶ(姉妹だが双子めいてみえませんか)

――といったところでしょうか。数え上げていくとキリがないです)

 

□□□□□□□□

えー ここまで読んでくださった方はおられるのだろうか(?)

「鬼滅の刃」と清水宏作品 両方に関心を持っているなんて方、

わたくし以外、この世の中に存在するのかね??

 

もとい、「鬼滅の刃」の構造を踏まえたうえで

清水宏作品の分析をざざっと行いたいとおもいます。

 

まず「港の日本娘」(1933)

江川宇礼雄&井上雪子ですが↓↓

 

鬼(モンスター)ではない女の子とは 主人公はきちんと向き合うことができるわけです。

鬼ではない女なので

江川宇礼雄は井上雪子と結婚することになるわけです。

結婚できるわけです。

 

ところがモンスター女 つまり鬼の禰豆子ちゃんのように危険極まりない女相手だと――

炭治郎・禰豆子スタイルで接するより他ない。

 

だが危険な女、

モンスターのような女に惹かれてしまうというのも、また男。

――なわけでして。

 

ヒーローがヒロインとほとんど目を合わせない。

というのも清水宏作品の興味深い特徴のひとつです。

 

以下、江川宇礼雄&及川道子の再会のシーンなんですが――

 

小津のカットバックどころじゃなく

まったく目が合ってません。

 

完全に江川宇礼雄は モンスター……鬼である及川道子を恐れているわけです。

 

んー↓↓

暖炉というのもセック〇のメタファーだな……

 

及川道子の背後の男根状の物体にも注目したい(↑↑)

 

こんなモンスターには敵うはずがないので

江川宇礼雄は完全に防御を固めるわけです。

怖がって目を合わせないわけです。

 

井上雪子との会話シーンと比較すると まったくアプローチが異なるわけです。

 

おつぎ。

「有りがたうさん」(1936)

これはもう解説のしようのないほど 炭治郎・禰豆子スタイルなわけです。

 

まったく目を合わせようとしない、というのも同じです。

上原謙&桑野ミッチー 二人に会話はありますが、

二人はほとんど目を合わせないわけです。

 

上原謙は運転手なんだから当然、とおもわれる方もおられるでしょうが、

それは論理が転倒しています。

 

・一番近くにいるが、一番遠い。

・会話をするが、まったく目を合わせない。

このようなヒーロー&ヒロインーー

炭治郎・禰豆子スタイルの作品を作りたかったから

バス車内を舞台にしたロードムービーが作られたわけです。

 

あと、今まで 男性(炭治郎)目線でばかり 物事を語ってきましたが、

 

女性(禰豆子)側からは 男性の一挙手一投足がみえる。

確認できるというのも このスタイルの特徴でしょう。

(「鬼滅の刃」に戻りますと、炭治郎がピンチに陥ると 木箱の中にいる禰豆子ちゃんが助けるというシーンがよくある。

あたかも禰豆子は炭治郎のすべてを把握しているようです)

 

桑野ミッチーは 上原謙のすべてをみつめています。

ちょうど 「港の日本娘」の及川道子が 江川宇礼雄のすべてをみつめていたように。

 

「有りがたうさん」は全部確認してみたんですけど、

上原謙&桑野通子のカットバックというのはまったくありませんでした。

 

かわりに存在するのは

名高い朝鮮人の女の子との会話シーンでして

(久原良子という女優さんらしいです)

 

彼女は鬼(モンスター)ではないので

きちんと目を合わせて会話できる安全な存在なのでしょう。

 

(というか、背景のぐるぐるボケがすごいな。小津はこんなレンズ使わない……ような……)

 

「有りがたうさん」は カットバックが2シーンあるのですが(たぶんそうです)

そのうちの1つがここ、というからには(もう1つは 河村黎吉がでてくるところです)

やはり重要なシーンなわけです。

 

この朝鮮人の女の子のシーンについて云々する人は多いだろうけど、

カットバックで処理されているということに注目はされているのかね??

 

えー

おつぎ。「按摩と女」(1938)

 

徳大寺伸&高峰三枝子様が

しょっぱな な、な……なんと、

逆・炭治郎・禰豆子スタイルをやってくれまして↓↓

 

トマス・ピンコ理論を破綻させてくれるのですが――

まったくどうしてくれる!

真逆じゃねえかよ!

となるのですが。

 

映画の最後にきまして 徳大寺伸はなんにもわかっていかった ということが明らかになるわけです。

禰豆子ちゃん、及川道子、桑野通子

彼女たちが主人公のすべてをわかっていたのとは対照的です。

 

んで、

そのあとはひたすら

徳大寺伸(前) 高峰三枝子様(うしろ)

という 炭治郎・禰豆子スタイルが基本となります。

 

高峰三枝子様は

(まあ、「犬神家の一族」でもそうですが)

得体のしれない鬼(モンスター)です。

 

……にしても、

 

きれいだな……

どこで撮ったのか。

 

セットなのかロケなのか?↓↓

 

……で、

ここに来まして

 

「簪」(1941)の

笠智衆&田中絹代は一体なんなのか?

という謎が生じるわけです。

 

今までの 炭治郎・禰豆子スタイルをまったく引っくり返してしまったわけです。

ちょっとこれは説明がつきません。

ただひとつ注目したいのは

田中絹代が日本映画最大のスタアであること。

それから清水宏の元・配偶者であること。ですかね。

 

□□□□□□□□

えー、はいはい。終りにします。

いいかげん終りにします。

 

以上の――

最近気になっている 清水宏作品の諸特徴……

・炭治郎・禰豆子スタイル(ヒーローが前、ヒロインが後で密着という構図)。

・ヒーローとヒロインがまったく目を合わせようとしない問題。

・ヒロインがそろって 鬼(モンスター)であること。

 

を、一般的にはどのように解釈しているのであるか?

調べようとしまして

唯一の(?) 清水宏関連本

 

フィルムアート社 「映画読本 清水宏」

というのを買って 読んでみたのですが――

 

そんなことは誰も注目していませんでした。

例の田中眞澄先生……

スクリーン上のことをなにひとつ見ない先生が絡んでいる時点で

たぶんそうだろうとはおもっていたのですが……

 

いやしかし、

桑野ミッチーかわゆすぎる……

 

なんてかわいいんだ……

 

(「恋愛修学旅行」とかいうふざけたタイトルの作品のスチールらしい↓↓)

 

こちらは「東京の英雄」

三井秀男&桑野ミッチーなんて 小津作品じゃ見れないから新鮮。

 

というか、桑野通子って清水宏作品のヒロインなんだな、とあらためて確認しました。

(その点、桑野ミッチー版「お茶漬けの味」が実現していれば、な、とおもうのです。

日本の官僚というのは戦前から一貫してクソですね)

 

論考はイマイチでしたが、

桑野ミッチーの写真がたくさん載ってたのはよかったです。

塔の作家・小津安二郎 その21「淑女は何を忘れたか」① 対角線の嵐!

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16.「淑女は何を忘れたか」(1937)

 

現存小津作品16作品目。

トーキー第2作。

んで、小津安っさんが戦争に行く前、最後の作品ということになります。

 

はじめにざざっと感想を書いてしまいますと――

・栗島すみ子はミスキャスト

→ミスキャストも何も、「銀幕の女王」栗島すみ子の引退記念作みたいな作品なので

この人がいないことには作品は成立しないわけなのですが、

今の目からみると このオバサンの何が魅力だったのか? よくわからない。

ただ、この役……セクシーなブルジョワマダムの役を 当時誰か演じられましたか?

といや、見当たらないのも事実。

 

・暗号 〇なのか? +なのか?

→小津安っさんは作品中に「暗号」を仕込む。というわたくしトマス・ピンコの理論なんですけど――

この作品はよくわかりません。「〇」のようでもあり 「+」のようでもあります。

 

・対角線の嵐!

→上記の 暗号「+」ともかかわりあってくるとおもうのですが、

画面の対角線をつかった構図が頻出します。

対角線を二本引っ張ると「+」ができあがります。

 

・「塔」はあまり出てこない。

→あからさまに「塔」を撮るのを小津安っさんはやめてしまったらしいです。

かわりに桑野ミッチーが持つフェンシングの剣とか

斎藤達雄が持つ新聞とか

「塔」状の物体(男根状?)が出て来ます。

 

・中西文吾との交流

→この頃、中西文吾というお金持ちのモダンボーイと交流がありまして

どうも この作品のブルジョワ臭は彼に影響されているところがあるのではないか?

(小津本人は 深川から高輪に引っ越したことが「山の手」を描いた原因だと、戦後語っている)

 

□□□□□□□□

もとい、はじめから見ていきます。

 

土橋式……前作「一人息子」は 親友・茂原英雄の開発した「茂原式」トーキーだったのですが……

茂原式は一作きりで終ったようです。

 

本作より小津作品のキャメラは 厚田雄春が担当。

以降、(他社での作品をのぞいて)全作品 小津作品の撮影監督は厚田さん。

 

「小津安二郎物語」によると――

 さっきもお話したように、『淑女』のときは途中でキャメラの茂原さんが予備役の召集で三週間穴があくというので、「じゃあ、厚田ケー、やってくれよ」ってことになったんです。そう、ぼくは最後の三分の一ぐらいやったでしょうか。

(筑摩書房、厚田雄春/蓮實重彦「小津安二郎物語」96ページより)

 

という厚田自身の証言なんですが……

「小津安二郎・人と仕事」では、

昭和12年

1・27 茂原英雄の母堂逝去。

1・28 早朝、茂原の帰郷を上野に送る。

厚田雄春が代りに撮影。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」499ページより)

 

と、茂原さんのお母さんの死去が原因のように書かれていて、事情はよくわかりません。

 

とにかく、はっきりしているのは、キャメラマン交代の影響――画面の違和感はまったく感じられないということ。

茂原・厚田コンビというのは大したものです。

あとは……構図は小津が決めていた、というのが大きいか。

 

衣装は三越が関わっているらしく、

S3 吉川満子と飯田蝶子の会話で「三越」というワードが出てきます。

タイアップなのかな?

 

また暗号「〇」とかかわりがあるような気もするのだが、深読みだろうか?

 

S1 流れる風景

走る車のフェンダー越しに東京山の手、麹町辺りの屋敷町の景色が流れる。

 

固定カメラでヘッドライトとフェンダーを捉えて

で走らせるというおなじみのやつ。

構図が崩れるので 移動撮影をいやがった小津安っさんですが、

こうすれば構図は崩れないわけです。

 

ヘッドライトが暗号「〇」

あと背景に塔(電柱)です。

 

背景はボケてますが、なんとなくお屋敷町なんだろうというのはわかる。

ただ個人的には タイムトリップ的な体験をしたかったりもするので(1930年代の帝都をみてみたい)

そういう意味では小津のこのやり方は不満。

というか、小津作品は全般的にタイムトリップ感は薄いです。

あくまで「小津の構図」で風景を切り取ってしまいますので

社会学・歴史学的な興味で小津作品をみるとがっかりすることが多い。

(というか、そもそもセット撮影が多く、ロケ撮影が少ない)

 

以上、当ブログでは小津安二郎作品をほめることばかり書きますので

欠点もきちんと書いておきます。

 

S2 小宮家前

小学生藤雄が小宮ドクトルの邸の門前で遊んでいる。

そこへ一台の自動車が停る。

杉山のマダム千代子、銀狐の襟巻をして颯爽と降りる。

 

というのだが――

 

このマフラーはやりすぎじゃないんですか?

当時はこういうもんだったのかねぇ。

 

あと、このシークエンスで思い出すのは、

「全日記小津安二郎」1933年

1月10日(火)

湯ヶ原投宿

▲二階から玄関につく湯治の客を見る 女あり

狐のえり巻きをなす 池忠曰く

チェ! 狸が狐しよつてゐやがら

 

本作の脚本は伏見晃で 「池忠」こと、池田忠雄ではないのですが。

 

千代子「アラ藤雄ちゃん、こんにちは」

藤雄、お辞儀をする。

千代子「おかあさん来てらっしゃる?」

 

――と、前作 信州の貧しい親子を演じていた

飯田蝶子&葉山正雄コンビが

打って変わって山の手のブルジョワ階級を演じてます。

 

前の記事で 清水宏作品を分析しながら――

(鬼滅の刃の映画と清水宏作品を比較するというヒドイ記事です)

 

背景のぐるぐるボケがひどい。

小津作品だとこんなじゃないな、などと書いたのですが、

まったくの間違いで(笑)

 

↑↓この頃のレンズはこうだったようです。

小津はロケ撮影があんまりないので目立たないだけか。

 

暗号「〇」

深読みかな??

 

S3 小宮家 小宮夫人時子の部屋

時子「あんた、今日いやに綺麗ね」

千代子「そう?」

光子「今日はとても素敵よ」

時子「ほんとに綺麗よ……今日は」

 

などという小津的などうでもいい会話です。

海外の批評家が「禅問答のようだ」とか食いつきそうですが、

意味はまったくありませんな(笑)

 

えー、

右のオバサンが 「銀幕の女王」栗島すみ子先生なんですけど……↓↓

同時代のお客はどういう感想だったのだろうか?

 

今の目から見ると 他のメインキャスト……

桑野通子、斎藤達雄、佐野周二と比べると あきらかに「前時代の遺物」……

古くさい気がしてしょうがないんですが……

 

この小宮時子役。

たぶん戦後のグラマー女優 京マチ子とか 若尾文子とかじゃないと演じられない役のようにおもえるんですよね。

 

……もちろん1937年の松竹の俳優陣。

今、現在の学芸会レベルの日本の芸能界に比べると(失礼!)

かなり高レベルだったようにおもえますが。

10代20代のかわいい女の子はいても

30代40代のセクシーで、でも気品があって、という女優さんは存在しなかったわけです。

 

あー、あと

サイレント時代の女優さんで仕方ないのかもしれないが、

栗島すみ子、キンキンした声で……声もまったくかわいくないんですよね……

はっきりいって酷い。

 

逆に、桑野ミッチーのかわいく甘ったるい声が目立つというのもあるが……

 

あ。背景の掛け軸は 次回作「戸田家の兄妹」(1941) 鵠沼の別荘に登場しますね。

 

千代子「よしてよ、今日は今日はって……」

 

背景の「+」が気になってしまうのは、

「母を恋はずや」(1934)の例があるからです。

あと、このあとしつこいくらい この背景が出現するからです。

 

セットの設計は小津がやっていたようですので、(監督は普通はやらない)

どう考えても意図的です。

 

時子「その羽織、いいわね」

千代子「そう? 鶉縮緬、ちょいと洒落てるだろう」

光子「何処、三越?」

 

というのですが、

このショットで↓↓

あ……

そこまでやるか……

すげえ……

と思うのは、映画関係者か相当のマニアだけでしょう。

 

くるっとドンデンを返します。

と、そこにもセットが作りこまれていて 凝った小道具が並べられているわけです。

 

会話は正直言ってくだらないのですが、

1ショット1ショット 計算されつくして撮られているわけです。

カメラの向き セットの設計 俳優陣の姿勢

 

すべて完璧。

だが、栗島すみ子がキンキン声で まったくセクシーではないという大きな欠点が

すべてをぶち壊している……

 

で、今度は栗島すみ子&暗号「+」

まあ、栗島すみ子の悪口はもうやめておこう。

 

ひとつ気になるのはセットの小道具。

戦後の絶頂期の作品群に比べると なんかごちゃごちゃしている気がする。

 

たが、計算されつくしたカットバック

凝りに凝ったセット・小道具

計算されつくした演出

(俳優たちの姿勢、立ち位置等すべて撮影前に設計されているということです。

助監督たちをセットに立たせて事前にデザインするらしいです)

 

小津作品の基本は もうすでに出現しております。

 

そして――このシーン最後のカットとなりますが……

 

千代子「ね、ドクトルうち?」

時子「ううん、大学」

千代子「あ、今日は水曜日だったわね」

 

これが、まあ……ルネッサンス絵画かなにかのように

ばっちり構図がきまっているわけです。

ハァ……

ため息しかない……

 

対角線を書きましたが、

栗島すみ子の足と卓の接点

飯田蝶子の頭

が、それぞれ対角線に乗るように設計されているんだとおもいます。たぶん。

 

で、斎藤達雄が久しぶりに登場。

下手くそな役者ですが、この役はこの人しかいないでしょうなぁ。

(若い二人、桑野通子&佐野周二のほうがどうみても上手い)

 

S4 大学の研究室

小宮「あ、こっちへ継いでくれたまえ……

あ、もしもし、今見てる、ちょっと待って。

うん、駄目だね、あん? あん? うん諦めるんだね……、

君には子供はできんよ」

 

というまったく酷いセリフ。

 

斎藤達雄の頭を 対角線にのっけてます。

 

S5 医科の教室

 

戦前の伊集院光 大山健二が登場。

松竹の名脇役なんですけど。

この人はえんえん学生役をやってますな。

(手持ちのDVDだと 野村浩将監督「女医絹代先生」(1937)でも 大山さん医学生役なんです)

 

居眠りしてます。

 

これも対角線だな。

 

S6 小宮家の一室 洋間

開け放しになっている婦人用の旅行鞄、

脱ぎ捨てられたオーバーなど。

 

BGMは弦楽器で甘い旋律を奏でます。

で、若い女性の持ち物を写す、

そして桑野ミッチー登場。というシークエンス。

 

戦後、「早春」のラスト辺り

淡島千景が登場するところと構造は同じです。

「早春」の音楽はどうだったか記憶にないですが。

 

S7 小宮家の一室 洋間二階

節子(笑って)

「ほんなことおまっかいな、うちうまいもんでっせ。

京阪国道をピュッと六十キロぐらいで走んねん、

とてもええ気持よ。

叔父さん一ぺん乗せたげまひょうか」

 

桑野ミッチー登場。

この作品で謎なのは、「節子」(桑野通子)は

「小宮」(斎藤達雄) 「時子」(栗島すみ子)

どっちと血縁なんだろうか?

よくわからない。

この作品内では斎藤達雄と一緒に行動することが多く、

それを誰も不自然にはおもわないので

「小宮」と血縁の姪なのだろう、とおもう。

 

関西弁の美女が東京に出現。というと「彼岸花」の山本富士子と同じパターンです。

あるいは小津安っさん自身の体験がルーツなのか?

とおもうのは、小津家が本拠地が伊勢松阪である、ということ。

関西弁のきれいなお姉さんが東京にやってくる、というのは実体験だったのかもしれない。

 

あと、関西弁の美女にこだわりますが……

1920年代の銀座を語った文章なんですけど……

 大阪の資本がどっと東京に流れこんできたといえば、震災後に急増したカフェーも大阪資本が多かった。「銀座は今や大阪カフェ、大阪娘、大阪エロの洪水である。大阪カフェの特色はまず第一にエロだ。」(『銀座細見』)。震災後、松坂屋、松屋、三越などが銀座に進出し、また大阪カフェーがのりこんできて、銀座は大きく変わった。

(中公文庫、海野弘著「モダン都市東京 日本の一九二〇年代」124ページより)

 

と、海野弘先生の本によれば カフェーの女給さんは大阪娘が多かったようなのです。

そのあたりもシナリオ作りに影響があったかもしれない。

 

時子「自動車? よしてよ、東京じゃ……。

怪我するんなら大阪でして頂戴」

 

「モダンな二人」対「前時代の遺物」 という感じ。

もしシナリオのテーマがそうだったら 時子役は栗島すみ子で正解なのですが……

そういうわけでもないから、困るわけです。

 

んーしかし、ここも完璧な構図。

対角線上に三人の頭を乗せています。

そして このことはセットの設計段階から計算されていた、ということです。

 

ただ……鎧、武士の甲冑はなんなんですかね?

 

桑野ミッチーが立ち上がって

栗島のオバサンが座っても……

 

やっぱり対角線の構図は変わらない。

斎藤達雄のパイプの角度とかも細かく指示されているのではあるまいか?

 

S8 田園調布の未亡人光子の家 その子藤雄の勉強室

岡田「地球表面の海の面積は、陸の面積の約三倍にて……陸の面積の四分の三は北半球にあり……」

 

佐野周二登場。というか、S4、S7でもう登場してたんですけど。

関口宏のお父さんですよね。

佐野周二が考え込んでしまったので

葉山正雄くんが地球儀を持ってきます。

 

というか、この子は毎日こんな部屋で勉強してるのか……

すごい設定。

 

暗号「〇」です。

 

で、毎度おなじみ 突貫小僧さんの登場。

最近読んだ フィルムアート社「映画読本 清水宏」に

「突貫小僧」こと青木富夫さんのインタビューがのってて、

そこで突貫小僧も太平洋戦争に出征していたことを知りました……

 

ニューギニア、パラオに行ったなどと答えていらっしゃいます。

山本七平先生によると 軍隊内は娑婆のヒエラルキーがそのまま持ち越されることが多いようなので

人気者の「突貫小僧」は戦場でも案外可愛がられたのではあるまいか? などと勝手に想像します。

 

が、なんにせよ。これからは呼び捨てにできないな。

「突貫小僧さん」だな、と思いました(笑)

 

富夫「これね、地球の面積を一とするんだよ、すると陸は四分の一だろう」

藤雄「うん」

 

佐野周二が出来なかった問題をスラスラと解く突貫さん。

岡田さん(佐野周二)の弁護をしておくと、

方程式を使ってはダメだという条件があるわけです。

 

ここもたぶん 対角線で構図を決めてます。

というか、ドアのデザインは悪夢みたいですが、

暗号「+」なのかな??

 

もちろん 突貫さん 葉山くん 地球儀が「〇」です。

あ。シャンデリア(?)といっていいいのか、照明器具の電球もそうですね。

 

S9 未亡人光子の部屋 日本趣味

 

桑野ミッチーが光子(吉川満子)に会いに来ますが――

吉川満子をミドポジに置いて 桑野通子の足しか写さないというすさまじい構図。

ローポジションでないと撮れないですな。こんな絵。

 

この部屋。栗島すみ子の部屋よりはるかに趣味がいいですな。

桑野ミッチーの服装もきまってるし。

鳥かごというのもよく出て来るモチーフです。

 

S10 藤雄の部屋

藤雄達、地球儀を廻して遊んでいる。

 

前作に続きまして

突貫小僧さんの美声が披露されます。

「尖らかっちゃダメよ」「尖らかっちゃダメよ」

という歌詞の内容も 暗号「〇」と合わせて考えると興味深いです。

 

桑野ミッチーもやってきて

この遊びに参加する。

この地球儀エピソード以降、暗号「〇」はでてこなくなるような気がするんだが、

桑野ミッチーの輪郭が「〇」というのと関係があるのか?

 

にしても すごいデザインのワンピースだな↓↓

 

S11 郊外の道 田園調布(移動)

 

移動撮影で二人の足だけを撮ります。

 

節子「頼りない先生」

岡田「いや、真面目な話、そうですよ」

節子「頼りない先生」

 

これもトラッキングショット↓↓

というか、背景のモダン建築が気になりますな……

なんだかかっこいいぞ。

 

これまたローポジションならではの構図。

ほとんど地面しか写してないです。

 

あ。久しぶりに塔(電柱)です。

ほんと塔があまりでてきません。

S12 小宮の書斎

ウェストミンスターの掛時計がボーン、ボーンと鳴る。

床に木靴が置いてある。

小宮ドクトル、机に向って読書している。

 

シナリオと違って掛時計ではないですな。

しかし、豪邸でウェストミンスターチャイムが鳴る、という小津映画でよくあるパターン。

 

このシーン

白いセーターの桑野ミッチーはやけにかわいいです。

あと意味もなくフェンシングの剣が登場するあたりも なんだかすばらしい。

(シナリオには剣は登場しない。現場で思いついちゃったのか??)

 

節子「叔父さん、この頃ゴルフは?」

小宮「うん、やってるよ。土曜日にはたいがい出かけることになってるんだがね」

 

ゴルフの話題。

「全日記小津安二郎」1937年をみると

小津安っさん自身 ゴルフにハマっていたようです。

ゴルフの話題 桑野ミッチーの病気 あと冒頭触れましたが 中西文吾の名前がよく出て来ます。

このお金持ちのボンボン 中西さんは撮影現場にも遊びに来ていたようです。

またゴルフも一緒に出かけています。

 

えー、で、すさまじいのがこれ↓↓

 

いままで 「対角線」「対角線」って それはこじつけだろう?

などと思われていたあなたも

これは納得せざるをえないはずです。

 

これをみながら思ったのですが、

当初は桑野ミッチー ゴルフクラブを持つ計画だったのかもしれない。

しかし、重いせいか うまく対角線が出なかったので

急遽 フェンシングの剣になったのかもしれない。

 

「肩が痛いわ」「これ重いわ」

とかいうことで 急遽撮影所を捜し廻って 剣をみつけたのかもしれない(??)

 

しかし、対角線を保ちながら さらっと芝居をする桑野ミッチーはすごい。

 

おなじみ 視線がまったく噛み合わないカットバック。

 

S13 本郷あたりの学生下宿 大盛館

日の丸の旗が立っている。

 

「大盛館」は、これ、小津安っさん自身の筆跡ですな。たぶん。

こんなことまでやられたんじゃ、スタッフはたまりませんな。

 

旗がひるがえる、という好きなモチーフ。

旗竿=「塔」でもあるんでしょう。たぶん。

 

佐野周二が勉強しているところに

ドクトル小宮(斎藤達雄)がやってくる、というシーン。

 

これがまあ、やはり対角線です。

 

斎藤達雄はゴルフ……に行くはずだが、今日はサボりたい。

例のオバサン三人組は歌舞伎。

というブルジョワ臭がプンプン漂うシークエンス。

 

S17 歌舞伎座の内部 開演中

 

淡島千景似の美女は芸者さんですかね??

ここも まったくのちょい役で美女を使うというよくあるやつ。

 

たぶん対角線で構図を決めてるのではあるまいか?

 

S18 同廊下

千代子「いい男ねえ。誰れだい?」

光子「上原よ」

千代子「上原?」

光子「上原知らないの?」

千代子「うん」

光子「もぐりね……大船の上原よ」

千代子「……そう?」

 

歌舞伎座の廊下で

スタア・上原謙が登場しまして

今回の記事はこれで終わりにしておきます。

 

上原謙はチラッと無言で登場して、そのあとまったく物語にはからんできません。

 

フェンシングの剣といい、上原謙といい、

それから 桑野ミッチーは一体誰のどういう親戚なのか? という問題といい、

謎がいろいろある作品ではあります。

塔の作家・小津安二郎 その22「淑女は何を忘れたか」② 中西文吾との交流

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はじめに……

撮影監督が 茂原英雄から厚田雄春に代った経緯に関しまして――

「全日記小津安二郎」をみると これまた別のことが書いてあってなんだかわからなくなります。

 

茂原英雄関係の記述をひろっていくと――

1937年

1月27日(火)

小宮階下 セット

午后八時過ぎより高輪より電話あり

茂原氏母堂死去されし由 早じまい

 

1月28日(水)

早朝 茂原帰里 上野に送る

セット 厚田本日からクランク

 

2月4日(木)

本日より茂原氏来社

 

2月13日(土)

茂原氏 ゐけいれんにて欠

未亡人の洋館 調子出ず

とりてのちやゝ長きうらみあり

 

2月14日(日)

茂原氏 本日も欠

つゞきセット上げる

さつそうとはまいらず

 

という感じで、「胃痙攣」で欠勤ということが書いてあったりする。

 

前回の記事で書いたことを繰り返しますと

「小津安二郎物語」

→「茂原さんが予備役の召集で三週間穴があくというので」「僕は最後の三分の一くらいやった」(厚田雄春の証言)

というのですが……

 

「淑女は何を忘れたか」の撮影は 「全日記小津安二郎」によると

1937年1月13日(水)にはじまり 2月23日(火)に終わっています。

で、1月28日(水)に厚田雄春は茂原英雄にかわって 「キャメラ番」に就任している。

 

2月4日(木)茂原さんが戻ってきた日以降、厚田さんはまた助手に戻ったのだろうか?

そこらへんがよくわからない。

また厚田さんの証言の「予備役召集」が 小津の日記に全く記されていないのもよくわからない。

もっとも、小津安っさんにすべてを記録する義務があるわけでもないが(笑)

 

小津の日記の「茂原氏」というちょっと突き放したような表現も引っかかる。

「茂原氏」??

……

とにかくこの交代劇は謎ばかりです。

 

以下、トマス・ピンコの勝手な推測なんですが――

ウィキペディアによりますと 茂原英雄が開発したトーキーの「茂原システム」

この方式を採用したトーキー作品は

松竹では小津の「一人息子」だけだったようなのですが、

(この頃の松竹のトーキーは「土橋式」というもの。「淑女は何を忘れたか」もそうです)

どうやら新興キネマでは「茂原システム」でトーキーを作っていたようなのです。

 

つまり、この時期の茂原さんは キャメラマンは廃業し、

トーキー技術一本で稼いでいこうか、という人生の転機だったようなのです。

(いざとなれば奥さんの飯田蝶子の稼ぎもあるし……)

 

このあたりの茂原さんの事情(松竹からの離脱)が、

小津、厚田両者の証言のもやもやに反映しているのではあるまいか?

 

□□□□□□□□

S19 酒場セルヴァンテス

小宮「どうしてここにいることがわかったんだい?」

節子「第六感や……、そやけど叔父さん、ええとこあるわ」

小宮「………」

節子「あないに追い出すみたいにされて、ゴルフに行きやはったら、叔父さんもうおしまいよ」

 

西銀座の酒場に 節子……桑野ミッチー登場です。

ついでにいうと、この頃の小津は 「節子」なる名前がお気に入りのようで――

「戸田家の兄妹」(1941)の高峰三枝子は「戸田節子」役を演じます。

 

戦後は「宗方姉妹」(1950)の田中絹代が「宗方節子」

「お茶漬けの味」(1952)の津島恵子が「山内節子」

と……あと誰か「節子」はいましたっけ?

 

ヒロインの名前。

「節子」の次は ご存知「紀子」の登場で、

もちろん 原「節子」が「紀子」を演じることになるわけです。

んーそういや四方田犬彦がこんなこと書いてたような気がするな。たしか……

 

このショットで注目したいのは、ですね――

モダンな、パイプを使った椅子、です。

以下、藤森照信先生の文章ですが、

 

 土浦さんの回想によると、モダンなアパートはヨーロッパ水準で作ることができたが、問題はインテリアで、パイプ家具用のパイプで良いものが無く、水道管用のパイプにクロームメッキして使ったが、しばらくすると、曲ったまま元にもどらなくなってダメになったという。

 東京に誕生したモボとモガの小宇宙も、昭和十年代の戦雲の中でこのパイプのような運命をたどることになる。

(平凡社、モダン都市文学Ⅰ「モダン東京案内」月報より)

 

モダニズム建築家・土浦亀城の証言を紹介されているのですけど――

けっきょく

冶金技術の未熟

という大日本帝国工業界の最大の弱点が姿を見せます。

 

戦中の日本の工業力について、

いまだにやれゼロ戦がすごい やれ戦艦大和が、云々いう人がいますが、

パイプ家具ひとつ作れなかった冶金技術です。

エンジンは一世代前のアメリカ製エンジンのB級品コピー(液冷1000馬力エンジンが作れない)

マシンガン、大砲類の劣悪な性能は言わずもがな……

バトルシップ・ヤマトの17インチ砲は大迫力なんでしょうけど、はてさて命中したのやら……

(納得いかない方は 兵頭二十八先生の諸作品を読むべき)

 

えーと、なんでしたっけ。

1937年の作品に

目ざとくパイプを使った椅子を登場させた小津安っさんは、やはり最先端を走っていたというべきでしょう。

このあとにみるS47 銀座明菓のシーン

「全日記小津安二郎」によると 実際にロケで撮っているようなので

銀座明菓では こんなモダンな家具を実際に使っていた、ということなのでしょうかね??

 

小宮「おい、(と制し)節ちゃん、こんなの飲んじゃ駄目だよ」

節子「平気や。(と小宮のを飲んでマダムの方へコップを見せ)頂戴!」

小宮「節ちゃん!」

 

このショットも対角線で構図を決めております。

 

「オジサマ」と「若い娘」が酒場で一緒になる、というパターン、

「晩春」(1949)で受け継がれることになります。

 

S20 料亭の一室

いささか酩酊して、小宮と節子がお酌の踊りを見ている。

 

人物の背景に「顔」を配置するという、「浮草物語」(1934)以降やり始めたやつ↓↓

前作「一人息子」(1936)では、ジョーン・クロフォードでした。

(最近、ようやくジョーン・クロフォード主演の「雨」をみました。すごくよかったです)

 

料亭での桑野ミッチー→うんざりしている斎藤達雄というシークエンス。

こんなの1カットで撮ってしまえばいいのに。(二人をいっぺんに撮ってしまえばいい)

それぞれきっちり構図をきめて撮ります。

 

さきほど大日本帝国の工業製品をバカにしましたが、

それを使う人たちは ほんとに努力していたわけです。

劣悪な機材という点では小津もやはり同じ。(機材は一昔前の輸入品でしょうけど)

劣悪な機材で最大限の仕事をしようとしています。

 

はい。毎度毎度の対角線。

この人は足が長いのでこういう姿勢も様になります。

 

今度はカメラ位置をずらして 似たような構図を撮る↓↓

めんどくさいことをやってます。

カメラをやったことない方にはわからないかもしれんですが、

これはかなりめんどくさいんです。

そのめんどくさい作業に役者さんたちもつき合わないといけない。

 

カメラの位置を変えた理由は……よくわからない。というか、意味不明。

しかし、小津安っさん的にはなにか意味があるのだろう。

強いて言うと、↓下のショットの方が客観性が増しているか。

 

「小津安二郎・人と仕事」で

巨匠・木下恵介が「非常線の女」撮影現場のあまりの面倒くささに辞めたくなったと

涙交じりの文章を書いているが……

その苦労がなんとなくわかるショットです。

 

間もなく踊りは終る。

節子「ご苦労はん。(とねぎらい、盃を小宮にさし)叔父さんどう?」

床柱に凭れた小宮。

小宮「もういいよ」

節子「あかんなア」

 

桑野ミッチーの腕の角度が対角線。

女将「先生いらっしゃいませ」

小宮「やア……」

女将(愛想よく)「今晩はまたお綺麗なお嬢さまと御一緒で……」

 

節子「いやや、うち頭いたい」

小宮、心配になって節子に寄り、脈を取り、額に手をやる。

節子、その手を振払って、

節子「そんなに、商売気ださんかてええ」

 

桑野ミッチーの頭を、きれいに対角線上にのせています。

 

以上の料亭のシーンといい、

「淑女は何を忘れたか」全体に漂うブルジョワ臭――

これが中西文吾との交流の結果なんだろう、とは前回ちょろっと書きました。

 

この頃、中西文吾との交友がある。荒田正男の紹介であった。新宿に仏蘭西屋という舶来ゼイタク服飾品店を出しているハイカラな地主の息子で、スポーツマンでプレイボーイでインテリで、小津の遊び友達になる資格があった。後の銀座の田屋の店主である。

ゴルフ・赤坂・十二社などの遊びに誘われた。

この時代は、軍国化と平行して、都会的な自由主義とブルジョア趣味が、消えんとする蝋燭の火のようにパッと燃えさかった時期でもあった。逃避するように小津は、そちら側を体験する。

(蛮友社「小津安二郎・人と仕事」501ページより)

 

赤坂、十二社って何の説明もないですが、芸者さんですよね。

 

さて、

お金持ちのプレイボーイ、というと、先ほど引用させてもらった

藤森照信先生の文章にも

お金持ちのプレイボーイが登場してきて妙な感じがするんです。はい。

野々宮アパートというモダン建築の話を

設計者の土浦亀城が語っているのですが……

(ついでに書くと 野々宮アパート、藤森先生べた褒め。写真もいくつか載っているがかっこいいです……)

 

「野々宮アパートって名前だけど、建てたのは野々宮さんじゃなくて、野島さんていうんだよ。野島康三。御存じありませんか。あの頃のモダンボーイの代表選手でネ。たいへんな財産家の息子だったものだから、当時ヨーロッパから入ってきた新しい芸術や文化や風俗に傾倒しまして、写真をやったんだ。今では写真なんて誰でもやるが、当時はカメラもフィルムも薬剤も全て輸入の時代だったから、ライカを買って自分で写真をとるっていうのは最高のオシャレだった。その野島さんが私の友だちだったから、設計を頼まれた。十階に“野々宮写真館”という名の野島さんのスタジオを作ったのはそのせいです。二階は野島さんの家で、三階以上をアパートで貸した。“野々宮写真館”という名前から現在の町の写真屋さんの店を想像する人もあるようだが、それはちがって、彼の個人スタジオです」

(平凡社、モダン都市文学Ⅰ「モダン東京案内」月報より)

 

えー気になるのは

「ライカ」

「野々宮」

このワードです。

 

「ライカ」といや、小津なわけです。

どうも1933年あたりから凝りはじめたらしい。

で、戦場にまで高価なライカを持っていったわけです。

そして「野々宮」……なんか聞き覚えあるなー……とおもったら

なんと‼

「一人息子」(1936)の主人公たちの姓が「野々宮」なんです。

 

こうなったら、小津安っさんと

東京に存在した、もう一人の「お金持ちのプレイボーイ」野島康三との交友を想像してみたくなりますが……

どうなんでしょうねぇ??

 

とにかく中西文吾、野島康三といった……

なんだか久生十蘭の小説に出て来るようなお金持ちのお坊ちゃんたちが

1930年代のつかの間のモダン文化を牽引していたようなのです。

 

もとい、酔っぱらった節子……桑野ミッチーが、帰宅します。

 

S22 玄関に続く部屋

節子、少し危い足どりで這入って来る。

節子「只今」

 

なんだか構造がいまいちわからないのですが、

(「晩春」「麦秋」の舞台の家だとだいたい構造が想像できるのだが)

 

小宮家……もとい、小宮邸は

日本家屋と洋館の融合した構造なのでしょう。

 

S25 岡田の下宿 朝

雨が降っている。壁には小宮の服がかけてある。小宮は岡田の褞袍(どてら)を着て、向い合って共に朝飯を食べている。味噌汁、目刺、沢庵。

小宮「ああ……ね君、こりゃ本降りかね」

 

小津映画に雨が降っているという「異常事態」なのですが、

なんだか「日曜の朝」&「雨」という雰囲気がよく出ていて 個人的にはとても好きなシーンです。

 

「淑女は何を忘れたか」

はっきりいって「失敗作」で なんだかちぐはぐなところが多い気がするのですが、

ところどころ美しいシーンがあるからやめられません。

何度も見てしまいます。

このS25の雨の日曜日 それからS9 夕暮れの日本間で 吉川満子と桑野通子がおしゃべりするシーン

あと、S48 銀座明菓のシーンも美しいですね。

以上、個人的な好みなんですが。

 

こんな格好でも 斎藤達雄はなんだかかっこいいぞ。

 

佐野周二もかっこいいですね。

 

この爽やかな青年が 戦争に行って帰ってくると、

原節ちゃんのなんかイヤらしい上司になってしまうわけか(「麦秋」)。

あ。その前に「風の中の牝鶏」があったか。

 

例によって例のごとく、

二人とも見事に視線がかみ合っていないのですが――

 

そんなことはどうでもよくて

小津安っさんに重要なことは

・対角線上に人物の頭を乗せて

・対角線と平行に腕を乗せる

このことだったのだと思います。

 

「時計」というお気に入りのモチーフも登場してます↓↓

あんがい、「出来ごころ」で使ったやつかもしれない??

 

S26 節子の部屋

節子はパジャマの上へガウンを着て、寝台に寝ころんで、雑誌を読んでいる。

額に頭痛膏が貼ってある。

ノックの音。節子、起きる。女中がアイロンをかけた洗濯物を持って這入って来て、

それをおいて行こうとする。

 

・鳥かごというお気に入りのモチーフ

・画面内に「顔」を配置するといういつものやつ

・対角線

・ガウンを着て、海外のファッション雑誌をみているという優雅な生活

 

フロイトかぶれのあなたは、椅子の背もたれの男根状の物体も気になるところでしょう。

 

節子「文や」

お文、振り返る。

節子「叔母さん、うち?」

 

マレーネ・ディートリッヒですかね↓↓

 

S39 道

足早に、肩を並べて節子と小宮が歩いて行く。

節子(小宮に)「危いとこやった……盗塁成功や、ダブルスチールや」

 

若い女性がスポーツの話をするというのも 1930年代的な現象なのでしょう。

個人的にはベースボールというのは一体なにがおもしろいのかさっぱりわからないのですが。

日本人はこの頃からどういうわけか好きですよね。

 

お。

久しぶりの「塔」(電柱)です。

斎藤達雄&桑野ミッチーがすらっと「塔」のようにスタイルがいい、ということは言うまでもない。

 

冬の光景。

「非常線の女」 田中絹代&水久保澄子のキスシーンを思い出させます。

 

S40 酒場セルヴァンテス

このシーンは実は興味深くて、ですね。

小津にきわめてめずらしく 1シーン1ショットで撮られているんですね。

 

1分10秒かそこら続く (小津にしては)とても長いショットです。

他の作品でも、こんなのは……あるかな??

ちょっとわかりません。どなたかに教えていただきたい。

 

長回しのショットだからこそ、なのか、

対角線を使った端正な構図は崩しません。

 

下手くそな斎藤達雄にできるだけ演技をさせない演出なので

(ほとんど動かない)

「はあ、実はかっこいいオッサンなのだな」

とわかります。

 

節子「叔父さん、また芸者見にいこうか? 金やったらうちあるわ」

と胸を叩く。

節子「行こ」

沈みっぱなしの小宮。

節子「叔父様、オジサン、ドクトル、おっさん、オトコ!(呆れて)よう言わんわ」

と莨をくわえる。

 

S41 小宮の家 茶の間

コタツで小宮と節子の帰りを待っている時子。

 

なるほど、若い頃の美しさは想像できます。

栗島すみ子。

 

ただそれは「少女」としての美しさで

「中年女性」としての美しさではないような気がしてしまうのだが、

さあ、トマス・ピンコの勝手な判断なのでしょうか。

男性側の勝手な(暴力的・ポルノ的な)視線なのでしょうか。

 

ハッキリ言えるのは このキンキン声は トーキーには不向きだったろう、ということです。

 

えー、で、

戦前の小津作品にはよく出て来る暴力シーン。

ぶん殴ってすべてを解決しようという安易なやつです。

 

S43 次の間

時子(小宮に)「大体あなたがいけません。あなたがいけないから、節子は増長するんですよ」

小宮、無言でいきなり時子を殴る。

小宮「増長してるのはお前じゃないか!」

時子「…………」

 

しかし、端正な暴力シーンです(笑)

 

殴られた直後の栗島すみ子先生ですが、

 

対角線をひっぱってみると このような感じ↓↓

 

実に注意深く作られているということがよくわかります。

 

はい。視線がまったく噛み合わないカットバックです。

わざわざ赤線を引っ張りませんが、

桑野ミッチーの帽子の角度……対角線上じゃないかな↓↓

 

ぶん殴ったあと、

「ああやっとかな、あかへんのや、うちもう胸スウッとしたわ……。胸すかし飲んだみたいや、今晩よう寝られるわ」

などといっていた節子だったのですが……

 

S44 時子の部屋

節子「こんなこと言うてえらい生意気やけど、叔父さんやかてゴルフへ行きとない日もあるわ。あの日叔父さん、岡田さんとこい泊まりやはったのよ」

時子、意外の感に打たれる。

節子「うち一緒やったの……。女のくせにお酒なんぞ飲んでえらい心配かけてしもて……堪忍してね」

 

と、ずいぶんちゃっかりしてる、というか

政治力があるというか……

 

「彼岸花」(1958)の山本富士子

「秋日和」(1960)の岡田茉莉子

こんがらがった事態を 強引な政治力でうまく調整してしまう彼女らのルーツがここにあります。

 

しつこいですが、対角線。

あと背後の男根状の物体も気になります。

瓶ですけど。

男根状の物体が続きます。

まあ、おはなしの方向がそういう風になってますので……

(今の感覚でははなはだ分かりにくいのだが――……

栗島すみ子が、自分をぶん殴った斎藤達雄を 「男らしいわ」と惚れ直す、という展開なのです。

説明しないとわかりませんな。こんなの)

 

S45 小宮の部屋の前

階段を昇ってくる小宮。

新聞を指に立て、バランスを取りながら部屋に這入る。

 

新聞=「塔」=男根状の物体 です。

 

S46 小宮の部屋 書斎

 

暖炉、というのもセクシャルなイメージですね。

 

節子「なによ、その顔」

小宮、その声に一方を見ると、節子が来て、既に椅子に腰かけている。

小宮の顔から微笑が消える。

 

このショットが↓↓

厚田さんのキャメラマンとしての初仕事だと、

「小津安二郎物語」に書いてありました。

 

ということは、1937年1月28日水曜日に撮られたわけですね。

 

背景の椅子↓↓

「晩春」にこんなのが出て来ましたよね。たしか。

ハートマークもなにかを暗示しているわけかな。

 

対角線。

 

S47 喫茶店

西銀座あたりの小粋な店、喫茶の一方、婦人服地、化粧品、装身具なども売っている。

例の三人、時子と千代子と光子、お茶を飲んでの雑談――

 

と、なんだか素敵な……

しかし洋服屋なんだかカフェなんだかめちゃくちゃな店です。

こういうのがあったのだろうか?

 

時子、ふと立って一方の装身具部に行き、ネクタイを取って、

時子「ね……これどう? うちのに」

光子「そんなの派手よ」

時子「よしてよ、まだ若いのよ」

 

塔=ネクタイ=男根状の物体 です。

 

例の中西文吾ですが、

さきほど引用した「小津安二郎・人と仕事」の文章だと、

「後の銀座の田屋の店主である」

というから、このシーンに協力したりしたのだろうか??

 

で、これも銀座のシーン。

今は完全に失われた 1930年代モダン・トーキョーの面影。

すべては失われてしまったわけですが、

小津がこのシーンをきちんとロケで撮っていてくれたことに感謝するほかないわけです。

 

S48 喫茶店

銀座明菓の屋上あたり、買物の包みを横に置いて、節子と岡田はお茶をのんでいる。

 

「全日記小津安二郎」1937年

2月15日(月)

銀座明菓にてクランク

帰つて下宿

桑野具合悪き由 封切日の近ければ案ず

*大阪の姪の病みおる白き梅

 

と、撮影日も、このあと桑野ミッチーが病欠したこともわかります。

後年の岸恵子の「具合が悪い」とは違って 本当に病気なのでしょう。この人は。

 

一緒に drinkしているだけで

eatするわけではないので

この先二人が結ばれるのか? それはわかりません。

 

モダンなパイプ家具。

だが、劣悪な性能だったらしいとは上に書きました。

 

あと、冬だというのに窓が開いてるんですけど……

撮影現場で照明等暑いからなのか?

もともとこうなのか??

あるいは空気感染する疫病が流行っていたのか(笑)

 

節子「うまいこと言うてからに……それ逆手とちがいまっか?」

両人、笑う。

 

またタバコです。

病弱な人にこんな演技させて。

 

節子、座を立ち、一方に行き、銀座を見おろして、

節子「うち明日のいま時分もう大阪や……」

 

たまらなく美しいショット。

 

「麦秋」S136

原節子が上司の佐野周二に お別れの挨拶に来るシーン。

佐竹「おい、よく見とけよ」

紀子「――?」

佐竹「東京もなかなかいいぞ」

 

佐野周二が窓際から街を見下ろすシーンは、戦前のこのシーンの余韻を感じてしまいます。

 

 

S49 小宮の家 時子の部屋

その日の夜、時子は外出着の羽織をたたんでいる。小宮は火鉢の前で莨を吸っている。

なごやかな情景。

 

対角線。

 

 

 

時子「ねえ、節ちゃん、もうどの辺まで行ったでしょう」

小宮(ちょっと置時計を見て)「さあ沼津あたりかな、いま頃はもう寝台でよく寝てるだろう」

 

と、小津お得意の「空間論」

感情をセンチメンタルに語るのではなく、「どこ」という即物的な話題に持っていきます。

 

あ。斎藤達雄&暗号「+」です。

 

 

 

時子「ね……珈琲でも入れましょうか……」

 

小宮「うむ……でも今から飲んで寝られるかな!」

 

時子(甘く)「寝られるわよ」

 

栗島すみ子+男根状の物体+端正な構図。

 

スケベそうな笑みを浮かべる斎藤達雄+男根状の物体

 

1937年

3月3日 「淑女は何を忘れたか」封切。

 

以降の小津安っさんの行状ですが、

「全日記小津安二郎」をみますと、

・ゴルフに熱中。

・次回作のシナリオの相談といって箱根へ。

・となると森栄さんのいる小田原「清風」は近い。

・ひたすらゴルフ。

と遊んでばかりいます(笑)

 

が、

9月10日 応召。後備役伍長。東京竹橋の近衛歩兵第二聯隊に入隊。

9月24日 大阪浪花港を北日本汽船北昭丸で出帆。写真機ライカを持参する。

 

と、ライカと一緒に中国大陸に出征します。

このあたりもなんか遊んでいる雰囲気です。

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