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蛇・にょろにょろ問題① 今野緒雪「マリア様がみてる」全39巻・完読マラソン 

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目下、

今野緒雪先生の「マリア様がみてる」全39巻

完読マラソンの最中のわたくし……なのですが、

 

完読のついでに 前々から気になっていたこと――

①今野緒雪はにょろにょろフェチなのではないか?

(長くてにょろにょろしたものに異様な執着がある)

②紅薔薇三姉妹(祥子・祐巳・瞳子)は、ヘビ三姉妹なのではないか?

 

この2点をチェックしていこうとおもいます。

以下、その検証結果を書いていきます。

 

今回は1巻目「マリア様がみてる(無印)」から

9巻目「チェリーブロッサム」まで順に見てまいります。

 

□□□□□□□□

 

1,「マリア様がみてる(無印)」

作中の時間:某年10月

 

(寸評)はい。言わずと知れた大傑作なのですが、

最大の特徴は、ですね、

理屈っぽくてゴツゴツした――はっきりいって「武骨」な文体、だとおもいます。

文章を組み立てる過程およびボキャブラリーが非常に男性的なのですね。

少女小説の王道として

吉屋信子-氷室冴子-今野緒雪

というラインが考えられますが、

先代二人の作り上げたきわめて「女性的」な世界を

極めて「男性的」な感性と文体でぶっ壊したのが今野緒雪、なのだとおもいます。

 

以下、「にょろにょろフェチ」「ヘビ三姉妹」に関係するところ引用しますと、

 

p10

腰まで伸ばしたストレートヘアは、シャンプーのメーカーを教えて欲しいほどつややかで。この長さをキープしていながら、もしや枝毛の一本もないのではないかと思われた。

「持って」

 彼女は、手にしていた鞄を祐巳に差し出す。訳もわからず受け取ると、からになった両手を祐巳の首の後ろに回した。

(きゃー!!)

 何が起こったのか一瞬わからず、祐巳は目を閉じて固く首をすくめた。

「タイが、曲がっていてよ」

(祥子&祐巳のはじめての会話。マリア像の前にて)

 

「長い髪」の祥子さまが 祐巳にからみついて

「タイ」という「にょろにょろ」したものを結ぶ、という――

しょっぱなから「にょろにょろ」攻撃をかましてきます、天才・今野緒雪。

 

p40

真っ直ぐな長い黒髪が、コマーシャルのモデルみたいにサラサラとねじれて揺れて、やがて定位置に戻った。

(祥子さまの描写。薔薇の館にて)

祥子さまはあくまで黒くて長いストレートヘアが強調されます。

 

p44

「福沢諭吉の福沢、しめすへんに右を書いて祐、それに巳年の巳です」

「めでたそうで、いいお名前」

 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が華やかにほほえんだ。

「それで?」

 最後に黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)が、値踏みするように上から下まで祐巳を見た。

「その、福沢祐巳さんが、どうなさって?」

 いつの間にか、祐巳は三色の薔薇さま方に取り囲まれてしまっていた。

 蛇ににらまれた蛙って、こんな状態をいうのだろうか。いくら名前に巳(へび)という字がついていて多少は親しみがあるとはいえ、こんなのは勘弁してほしい。蛇じゃなければ、茨の森か。

(祐巳ちゃんと薔薇さまたちとの初顔合わせの場面。薔薇の館にて)

 

祐巳ちゃんが「わたしはヘビです」と表明するところです(笑)

大部分の方は 「おめえ、何いってんだ?」とおもわれるでしょうが、

そうなのです(断言)

あと、さいごの「茨の森」――これは3巻目のタイトルになりますが、

「にょろにょろ」ですね。

 

p61

「部屋から出て一番はじめに出会った一年生を捕まえて妹(スール)にするなんて、何て短絡的なの。藁しべ長者じゃあるまいし」

(……藁しべ長者)

 祐巳のこめかみに、たらりと汗がつたった。

(すると、私は藁しべだったわけか)

(薔薇さまたちと祥子の会話の中で「藁しべ」なるワードがでてくる。薔薇の館にて)

 

「藁しべ」これも長いものです。

はい。段々おわかりいただけてきたのではないでしょうか?

「長い髪」「タイ」「ヘビ」「茨」「藁しべ」

これは明らかに意識してやっています。

「にょろにょろ」イメージを読者に植え付けようとしているわけです。

 

p103

「☆×■◎※△――――⁉」

 それが何であるかわかる以前に、言葉で表現できない奇声が、祐巳の声帯から飛び出していた。

 なぜって、自分の背後から人の手がぬっと伸びて鍵盤に触れようとしていたのだから。心臓が飛び出しそうになるのも、仕方ないと思う。

「何て声だしているの。まるで私が襲っているみたいじゃない」

(祐巳ちゃんに無音で近寄る祥子さま。音楽室にて)

 

はい。で、無音で襲いかかる祥子さま……

この人もヘビなんじゃあるまいか? とおもわせる一節。

ちなみに無音というと三姉妹の末っ子・瞳子の特徴でもあります。

 

p194-195

「だから、どんな風に変なのよ」

「何だか、竹輪みたい」

「竹輪?」

 蔦子さんの言おうとしていることは、こういうことらしい。祥子さまの魅力は気位の高いお姫さまなところであって、いついかなる時でも芯が残ったアルデンテであるべきなのだ、と。然るに、今の祥子さまは穴の開いた竹輪のごとく、堅い芯が見あたらないのだ。ぼんやりしたり、溜息をついたり、あげくの果てには――。

p196 祥子さまが竹輪や伸びきったパスタになってしまったのは、土曜日、柏木さんに会ってからのことなのだ。

(祐巳ちゃんと蔦子さんの会話。校舎、おそらく廊下にて)

 

ここ↑↑ 決定的だとおもいます。

「竹輪」「パスタ」です。

こんなヘンテコな比喩。フツー使いますか?

あきらかに意図的なんです。

「にょろにょろ」なんです。

そして 祥子さま=伸びきったパスタ=無音で襲いかかる……

とくると、祥子さまもヘビなんです。

「ヘビ」の名を持つ祐巳ちゃんとはこれ以上ないほど相性がいい、というわけ。

 

p228

 祥子さまは棚から下りて、少し離れた水道の側まで歩いていった。そして一つしかない蛇口をひねると、勢いよく落ちてくる水を両手ですくって顔を洗った。

(祥子&祐巳の心が結ばれたあと。古い温室にて)

 

はい。読まれた方はご存知でしょう。

祥子―祐巳のラブシーンの直後です。

 

そこに「蛇口」!

 

「蛇口」……「ヘビ」の口 というのがかなり重要なワードなのですよね。「マリア様がみてる」において。

先回りしていっちゃいますが、34巻目「卒業前小景」p183に

「涙腺の蛇口が壊れてしまった」なる一文があり、

やっぱり 祥子―祐巳の美しいラブシーンとつながるわけです。

 

はい。どうもてもヘビ姉妹なんです。

あとはまあ、「ヘビ」と「水」の親和性も考えたいところか。

 

p244

 今日で、すべてが終わったんだ。

 二週間前、ほどけかかったタイから始まった、夢のような日々が。

(祐巳ちゃんの心理描写。祥子&祐巳が姉妹になる直前の場面。校内グラウンドにて)

 

ラスト直前の一文。

天才が「マリア様がみてる(無印)」の構造を一文でまとめています。

「ほどけかかったタイ」から始まり、ロザリオで終る、と。

つまり「にょろにょろ」に始まり、「にょろにょろ」で終る、わけです。

 

2,「黄薔薇革命」

作中の時間:某年11月。

 

(寸評)

1巻目「無印」と 3巻目「いばらの森」 という大傑作2冊にはさまれて若干地味めな印象。

だが、3巻目以下でトリックスター・由乃を大暴れさせるのにこの前フリは必要なのだろうとおもいます。

p163あたりからはじまる 祐巳が由乃さんのいる病院を訪問するシークエンスがたまらなくうまい、とおもうのですが、

おそらく今野緒雪の目線が「民俗学」(民族学?)してるからでしょう。

 

p22-24

(ああ、でも……もう)

 こんなことなら朝ご飯を食べてくるんだった――。後悔と同時に、ぎょろぎょろぎょ――というカエルの鳴き声みたいな音が、祐巳の身体の中心部からわき上ってきた。それも、信じられないことにたっぷり十秒は鳴り終わらない十六年間の人生における最長記録で、とうとう部屋中がシーンと静まり返っても未練たらしくきゅるきゅると響きわたっていた。

(ああ、もう何もかもおしまいだわ……)

(祐巳ちゃんのお腹が鳴った描写。薔薇の館にて)

 

ここ……なんで「カエル」なのかと長いこと疑問だったのですが、

(ふつう、お腹が鳴る音の比喩で「カエル」を使いますか?)

 

そうか、祐巳ちゃんはヘビだったっけ!

と思いつくと、この疑問は解決しました。

ヘビならばお腹の中にカエルがいても不思議はない。

そうなんです。あらためて 祐巳=ヘビを強調しております。

 

 

p164

「気をつけて行ってらっしゃい」

 祥子さまはいつものように祐巳のタイを直すと、マリア様のようにほほえみ、滑るように自動改札の向こうに消えていった。真っ直ぐの長い髪が背中でさらさらと揺れて、後ろから見てもすごい美人だってオーラがでていた。

(祥子&祐巳。M駅にて)

↑ここから祐巳ちゃんが由乃ちゃんのいる病院を訪問する美しいシークエンスにつなげるのですが、

「タイ」「長い髪」と「にょろにょろ」長いものを描き、

そして「滑るように」というから もう祥子さまはヘビなんです。

 

p183

「祥子さまは、動体視力もいいんですね」

 そう言うと、祥子さまは苦笑していた。

(祐巳ちゃんのセリフ。剣道の試合会場にて)

令さまたち リリアン女学園の剣道部の試合を観戦してるわけですけど、

ここも「動体視力」なんていう言葉を使う必要はないわけです。

ふつーに考えれば。

でも 祥子=ヘビ と考えると……

 

p200

「まさか祐巳ちゃんも、私が妊娠でもしていたって思っていた?」

「えっ⁉ 黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)、妊娠なさっていたんですか⁉」

 驚きすぎて、蛇口から水が弾けた。黄薔薇さまは、あからさまにうんざりした顔をした。

(黄薔薇さま&祐巳ちゃんの会話。薔薇の館にて)

 

はい。例の「蛇口」なる重要なワードです。

「蛇口」=「ヘビ」=「水」=「妊娠」

 

しかし、この場面の蛇口は 「ヘビ」というより

「男根」というフロイト的なイメージか??

鳥居江利子さまはなにかというと「性」に関係のあるキャラクターだったりもします。

(主要キャラの中で 彼女一人だけ 「男性」と交際することになる)

 

3,「いばらの森」

作中の時間:某年12月

 

(寸評)

「いばらの森」→大傑作。

おしゃれでかわいいメタフィクション。そしてトリックスター・由乃完全始動の巻。

「白き花びら」→どうも「百合」的にみて世評は高いらしい。

が、わたくし的には聖-栞のラブシーンは

「にょろにょろ」フェチ・今野緒雪の本領発揮、だとおもってます。

そうそう、「いばらの森」の輝かしき麺食堂シーンも「にょろにょろ」ですね。

とにかく「にょろにょろ」だらけの一冊。

 

p10

 私は、それを静かに、そして永遠に眠らせることにした。

 だからその森は、今でもいばらを堅く張りめぐらせ、外部からの侵入を拒み続けているのだ。

 たぶん、私が死ぬ、その時まで。

(オープニング。須加星作『いばらの森』より)

 

「いばら」なるにょろにょろが再登場です。

あとはまあ いばら姫という 「引き延ばされた思春期」のイメージも考えたいところです。

「マリみて」というおはなしそのものが「引き延ばされた思春期」だったりもします。

 

 

p42-43

「祐巳。白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の本名言ってみて」

 祥子さまは、突然難問ぶつけてきた。

「えっと……。確か、佐藤――、佐藤聖」

「そうよ」

 セーフ。薔薇さまたちの名前言えなかったりしたら、祥子さまに何て叱られるかわかったものじゃない。

(祥子&祐巳。薔薇の館にて)

 

佐藤聖さま……イニシャル「S・S」 「S」だらけ。

なわけですが、

そういや 祥子さま……小笠原祥子も「S」が多いと気づくわけです。このあたりで。

 

さらに先回りしてしまいますと――

祥子さまのお母さまの名前:「清子」(さやこ)

お祖母さまの名前:「彩子」(さいこ)

と、代々「S」をつける伝統があるらしいです。

 

「S」「エス」というと……吉屋信子先生の時代(大正~昭和初期)には

少女同士の、一種同性愛的な関係を指したワード。

そしてもちろんスネークの「S」です。 

さらに、さらに、

「S」というこの字自体も「にょろにょろ」してまして……

「にょろにょろ」フェチの今野緒雪にとってはたまらんのではないでしょうか?

 

 

p108

 揃って取りにくと、小母さんはハンカチを首から下げて食べたほうがいいってアドバイスしてくれた。どんなにがんばっても、ラーメンの汁って絶対に飛ぶものらしい。

「そうか……。このアイボリーの襟にはねたら大変だもんね」

(由乃&祐巳。麺食堂にて)

はい。麵食堂シーンです。

「にょろにょろ」です。

 

p133

 さっきから気になっていたらしく、祥子さまは祐巳の方に身体を向き直ると「曲がっていてよ」と髪のリボンに手をかけた。身なりを正されながら、祐巳もそういうスキンシップがあった方がいいって思えた。

(祥子&祐巳。小笠原家の黒塗りの自動車の後部座席にて)

リボン、という新しい「にょろにょろ」が登場します。

 

p204

 祥子さまは祐巳の頬の辺りにそっと手を伸ばし、髪を縛っていた黒いリボンを解いた。

「あなたが気にするのなら、代わりにこれをいただいていい?」

 祥子さまは自分の黒髪を束ね、祐巳のリボンで縛った。その様子があまりに自然で、美しくて。祐巳の胸に熱いものがこみあげてきた。

「メリー・クリスマス」

 祥子さまは祐巳の手をとって囁いた。

(祥子&祐巳。おそらく校舎内、廊下にて)

また「リボン」

このリボンが34巻目「卒業前小景」に登場して……というわけ。

 

p236-237

 なぜ、私たちは別々の個体に生まれてしまったのだろう。

 どうして、二人は同化して一つの生命体になれないのだろう。

 私は栞の吐息を感じながら、二人の湿った長い髪を何気なく一筋ずつとって、それを一つの束にした。しかし色も質も違う二種類の髪は、押さえていた手を離すとすぐにはらはらと分かれてしまう。退屈に任せて、縄のようにねじったりもしてみたが、結果はあまり変わらなかった。

 私はなぜだか意地になって、二人の髪を三つ編みにした。栞の髪を二筋、私の髪を一筋とって。そしてやっと私たちの髪は一つになった。

(聖&栞。古い温室にて)

S&Sです。

そしてにょろにょろです。

この三つ編みシーンは、先ほどの「麵食堂シーン」と深い関係があるのだろう、と

かつてわたしは「いばらの森」の分析で書いたことがあります。

 

追加で書くとすると――

 

⑦蛇のペニスと性交

ペニスは二本で交尾期に時々、足と間違われる。縄のように雌雄がからみ合う濃厚さ、時間の長さも人の意表をつくものがある。

(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」15ページより)

 

三つ編みシーン――これはヘビの性交を表現しているような気もする……

しめ縄みたいに絡み合ってヘビは交尾するんですよね。

とか、考えると 「栞の髪を二筋、私の髪を一筋」というのが妙に艶めかしい。

そう考えると

佐藤聖・藤堂志摩子・二条乃梨子の白薔薇三姉妹もヘビなのか?

という疑問が生じますが、

ややこしいのでやめにします。

 

4,「ロサ・カニーナ」

作中の時間:某年1月。

(寸評)

「ロサ・カニーナ」→姉妹(スール)制度によって支えられる山百合会ですが、

それって、はっきりいって貴族的・反民主主義的なシステムじゃないですか?

というあたりまえの疑問を素直に書いた作品。ちょっと文化人類学のようなニオイも漂う。

(未開部族の統治システムの分析のような感じがするのよね)

ただ、蟹名静さまのキャラクターがいまいちよくわからない。ものすごく屈折している、というのはよくわかるが。

「長き夜の」→傑作。だとおもいます。

「私」という祐巳ちゃん一人称で珍しく描かれているあたり、これはもう「文学」といっていいでしょう。

文化人類学というか民俗学というか、

「日本のお正月」をこれほど明快に美しく描き切った作品が他にあるんだろうか?

 

p10

「うーっ、寒いっ」

 一年桃組三十五番、福沢祐巳は廊下に出た途端ブルブルブルッと馬が身体を揺らすみたいに身震いした。

 春生まれなので冬が苦手。

(祐巳ちゃんの心理描写。校舎、廊下にて)

 

寒さが苦手、というあたり、

「さてはお前、変温動物か!」とつっこみたくなります。

いよいよヘビです。

 

p104

 カサカサ。

 心が、荒んでいく。

 日照りのアスファルトに迷い出たミミズのように乾燥して干からびて、もともとは何だったのかわからなくなってしまいそうだ。

(祐巳ちゃんの心理描写。薔薇の館にて)

ミミズ、というにょろにょろです。

 

p197

「おめでとうございます。お久しぶりです、清子(さやこ)小母さま」

「まあ、聖さん。お元気でした?」

「はい。おかげさまで」

(聖&小笠原清子(祥子さまのお母さま)。小笠原邸、居間にて)

 

祥子さまのお母さまの名前が「S」からはじまるとわかる場面。

そういや柏木さんも 柏木優で「S」だわな。

 

p230

なかきよの

 とおのねふりの みなめさめ

なみのりふねの

 おとのよきかな

「ははあ、回文ですね」

 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がつぶやいた。

(『なかきよ』の説明。小笠原邸にて)

回文、なんですけど。

これも「にょろにょろ」の一種だ、とみたいわけですよ。はい。

 

5,「ウァレンティーヌスの贈り物(前編)」

作中の時間:某年2月。

 

(寸評)「マリア様がみてる」の基本構造は、

・「儀礼」(姉妹制度)

・「ゲーム」(例:祥子は祐巳を妹にできるか? というようなゲーム)

この二本立てなわけです。

これは1巻目から一貫してそうです。

んで、その「ゲーム」を主体におはなしを組み上げて見たらどうなるのか?

という実験が本作だとおもいます。

つまりバレンタインデーの「お宝探しゲーム」ですね。

今野緒雪の方法論は実はきわめてアヴァンギャルドだったりします。

 

p62

「令」

「はい」

 呼ばれた令さまは、複雑な表情で答える。蛇に睨まれたカエル、ともちょっと違うけど、珍しくおどおどしている感じ。

(黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)&令。薔薇の館にて)

 

祥子-祐巳とは別の文脈で 「蛇」「カエル」が出て来ます。

 

この巻はあまり「にょろにょろ」「蛇」イメージがないようです。

赤・白・黄 三枚のカードをめぐって おはなしがごちゃごちゃ交錯するので

この1巻全体が「にょろにょろ」なのかもしれません。

 

あと、ゲームの最中、

祐巳ちゃん、由乃ちゃんの背後をぞろぞろと尾行する一団がいますが、

あれも「にょろにょろ」イメージかな、ともおもいます。

引用はしませんが。

 

6,「ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」

作中の時間:某年2月。

 

(寸評)この巻は、以下にみる 「ジーンズショップ試着シーン」のためにある!

といってよいでしょう。

トマス・ピンコの個人的な感想を書けば、この「試着シーン」があまりに完璧すぎるために、

以降、7巻目からしばらく 「マリみて」は低迷……というか中だるみみたいな時期に突入するんじゃないか?

という気がします。

あとは「チェリーブロッサム」という鬼っ子の影響もあるのか?

 

p98-100

「ちょっと失礼」

 祐巳は再度断ってから、今度は全身を滑り込ませた。もちろん、靴は脱いでから。

「説明不足でごめんなさい、お姉さま。これは折るんです」

 言いながら祐巳は、祥子さまの足もとにしゃがんだ。

「踏んづけているかかとを、一旦上げてください」

「ええ……こう?」

 ぐらり。

「あっ!」

 大きく傾ぐ祥子さまの身体を、祐巳はあわてて支えた。

「お姉さま、わたしの肩に手を置いてください。それで、かかとを上げるのは片方ずつにしましょう」

「……そうね。わかったわ」

 やがて祐巳の両肩に、重みがかかった。こんな時なのに、こんなことが不思議に嬉しい。今、お姉さまの身体を支えているんだ、っていう実感と、それからお姉さまが信頼して体重を預けてくれていることと。

「じゃ、右足から」

 祐巳の言葉に従って、祥子さまの右かかとがそっと上がる。裾を大ざっぱに折り返してから、左も同じようにする。取りあえずかかとを出してあげないと、バランス崩しても踏ん張れないから。

 いつもスカートの下から見慣れているはずなのに、ストッキングを穿いているだけで祥子さまの足は大人の女性の足に見えた。こういうきれいな足を見ると、「足フェチ」の人の気持ち、わからないでもない。

(祥子&祐巳。K駅駅ビルのジーンズショップ)

 

1巻目の「無印」から一貫して 祥子・祐巳のラブシーンは「重力」が関係しているわけです。

あの激突シーンから。

その「重力」をきちんと描いているという時点ですばらしいのですが、

このシーンがさらにとんでもないのは――

 

 蛇は身体をねじるように這いまわり、顔を床や枝にこすりつけるようにして、まず下アゴ、続いて上アゴ、というような順序で皮をはがし、あとは蠕動運動を行ないながら身体を前に進ませると、皮は裏返しに残ってゆく。女性がストッキングを裏返しにしながら、足を抜いてゆくのと同じである。

(「蛇 日本の蛇信仰」7ページより)

 

これがまあ、ヘビの脱皮でもあるからでしょう。

いよいよ祥子さまはヘビです。

 

 

7,「いとしき歳月(前編)」

作中の時間:某年3月。

 

(寸評)ここから中だるみ期にはいるような気がします。

おはなしの構造をいえば、

前回の「お宝探しゲーム」という壮大な「ゲーム」で

3年生たちの追い出しは済んでしまっているわけです。

「いとしき歳月」は余計。

だらだらとエンディングが長すぎる映画みたいな印象です。

 

ただオープニングの「黄薔薇まっしぐら」はおもしろいです。

 

p48-49

「祐巳ちゃん」

 無邪気に手を振って、黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)が近づいてくる。

「黄薔薇さま、ごきげんよう」

「ごきげんよう。久しぶりね。由乃ちゃんには時々、ちらちら会ったりしてたけれど――」

(えっ⁉)

 髪をかき上げながら、遠くを眺める黄薔薇さまの胸もとを祐巳は見逃さなかった。

(タイが……っ!)

 黄薔薇さまの、学園一美しいと評判のセーラーカラーのタイの形が、今朝に限って乱れている。

(黄薔薇さま&祐巳。校舎、廊下にて)

 

今野緒雪の基本パターンとして

ある「構造」の中の「特異点」への気づき、というのがあります。

その「特異点」からおはなしを展開させていく、というのが基本パターンです。

 

これが↑↑ 典型的なのですが、

さらに「タイ」というにょろにょろが絡んでいるあたり美しいです。

このあたりも含めての構造的な美しさが「黄薔薇まっしぐら」のおもしろさにつながっているのかな?

 

p207

〈アラエッサッサ――〉

 祐巳ちゃんは。

 泥を足で掘りかえして、ドジョウをかごに入れ。

 ドジョウが逃げると、それをぬるぬると捕まえる。

(祐巳ちゃんが安来節を披露する。薔薇の館にて)

 

かくし芸を披露しなければならなくなった祐巳ちゃん――

ヘビの名をもつ彼女がやるとしたら……

そうです。「にょろにょろ」がからむ安来節しか、ない。わけです。

 

8,「いとしき歳月(後編)」

作中の時間:某年3月。

 

(寸評)

中だるみ、ですね。

中だるみ、だからこそキャラクターでどうにか状況を打破しようとするもので、

白薔薇さま・佐藤聖さまがよく出てくるのはそのせいなのでしょう。

 

p33

「お礼参りにマリッジブルー。まあ、卒業前の愛の告白なんかも似たようなものよね」

「似てる、って。どれとどれが」

「全部だって」

 言いながら由乃さん、キュッと蛇口を締めた。

 遺言とマリッジブルーのどこが、って祐巳は心の中で突っ込んだ。いや、だからといって愛の告白だったら納得できるわけでもないのだけれど。

「つまりね。長いこと馴染んでいた場所から別の環境に移るって時にね、人間はやり残したことなんかについていろいろ考えたりするものなのよ」

(由乃&祐巳。薔薇の館にて)

 

「蛇口」がでてきます。蛇口に関しては明確な法則はないようです。

ただ――

由乃ちゃんは「構造」の変化について語っているわけです。

リリアン女学園高等部から 三年生がごっそり抜ける、という「構造」の変化を。

そういう意味で 重要な場面には「蛇口」が登場する、といってもいいかもしれません。

 

p173

 ほら、と私は笑った。蓉子は、こんなにも的確に私の心の内を分析できてしまうのだ。

 私は、出しっぱなしにしていた水道の蛇口を締めに戻って、それでこれ以上この話をしても不快になるだけだから切り上げようと思ったけれど、どうにも怒りが収まらなくて、つかつかと蓉子のもとに戻って言った。

「だとして、それが何だというの」

「何、って」

(白薔薇さま・聖&紅薔薇さま・蓉子。薔薇の館にて)

 

また「蛇口」 これまた重要なシーンです。

聖さまと志摩子さんが姉妹になる前のエピソードで、

志摩子さんが薔薇の館にいるので、聖さまが動揺しているという場面。

 

p181

「あなたも、人間の消えた楽園に住みたい口?」

「は?」

「友達にね、そういう人間がいるんだわ一人」

 廊下の窓から空を見上げる。私はその時、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)を思いだしていた。

(黄薔薇さま&志摩子。校舎、昇降口にて)

 

人間が消えた楽園……というとそこには「ヘビ」がいるのだろうか?

などと深読みしたくなるところ。

だってエデンの園に アダムとイブがいないわけですからね。

となると

聖-志摩子もヘビなのか?

聖-栞がそうだったように。

 

p200

「猫、好きなんですか」

 私は背後からそっと尋ねた。白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)に自分から声を掛けるのはとても勇気がいるのだけれど、話しかけずにいられなかった。

「うん、好き。大抵の動物は好きだけど」

「ヘビとかミミズとかも?」

「そうね」

(白薔薇さま&志摩子。中庭にて)

 

ヘビ・ミミズというにょろにょろコンビが登場します。

ついでにいうと この聖-志摩子の出会いを扱った「片手だけつないで」

猫のゴロンタというのが登場しますが、

猫にしろ、犬にしろ、

今野緒雪はどうも小動物を飼った経験はなさそうな気がする。

どこか描写が冷たいんですよね。

飼ったことがあるなら、こうはならない気がする。

 

9,「チェリーブロッサム」

作中の時間:某年4月・5月。

 

(寸評)

異物ですね。ムリヤリ異物をつっこんだという。

作者自身があとがきでこう書いているのですから――

 

p241

 こんにちは、今野です。

 まあ、受け取る側には賛否両論ありましょうけれど、『マリア様がみてる チェリーブロッサム』をお届けできる運びとなりまして、今はホッと一安心といった心持ちです。

 前半の『銀杏の中の桜』は、私がよく「雑誌の」とあとがき等で書き散らかしていた例の話でして、編集部や私宛ての手紙などに「文庫にならないのか」という問い合わせを数多くいただいた、いわば問題児のような存在の作品でした。

 

つまり、まず 志摩子-乃梨子の物語が存在した、らしいのです。

祥子-祐巳の前に。

その元「マリア様がみてる」のおはなしを ムリヤリ(?) 祥子-祐巳のおはなしに挿入したので

どうしても異物感を感じるのは否めない――となったようです。

ただ……そういった事情を知らない初読時の印象は、

リリアン女学園の奇々怪々な風習の数々を批判的に、冷たく観察する乃梨子というキャラクターの登場に――

「うわ。今野緒雪、すごすぎる。マリみてを全部ぶっこわす気なのか??」

と、興奮したおぼえがあります。

 

p14

 たしか瞳子と名乗った、両耳の上で縦ロールをつくった少女が言った。巷であまり見かけないレトロなヘアスタイルだが、アンティークなデザインの制服のせいか、これが全然違和感を与えない。

p15

 その声に声を上げると、待っていたのは瞳子のキラキラした瞳。

p16

 言葉の真意を量りかねる不思議な表情で笑うと、瞳子は乃梨子のタイの形をそっと直した。

「乱れたタイは、要注意ですから」

「?」

「上級生に注意されたりしては大変」

 ――彼女は世話焼きのようである。

 銀杏並木は蛇行しながら先へ先へと延びていく。二股の分かれ道の真ん中で、少女たちは立ち止まる。

(瞳子&乃梨子。銀杏の並木道にて)

 

この巻の「にょろにょろ」「ヘビ」関係の表現はひたすら瞳子がらみです。

 

縦ロール(らせん)・キラキラした瞳・タイ・蛇行

ヘビ三姉妹の末っ子・瞳子を丁寧に描いてます。

キラキラした瞳に関してですが、

 

 蛇の目は光らないが、蛇の目にはマブタがなく、透明な角質で蔽われ、いつも開き放しで、マバタキをしない。いつもじっとにらまれているかんじがする。その畏敬、おそれから、蛇は目が光るとされてきたのである。

(「蛇 日本の蛇信仰」6ページより)

と、吉野裕子先生は書いていらっしゃいます。

 

p158

 例の縦ロール。瞳子ちゃんのことだ。

 瞳子ちゃんは、「ほどほどに」という祥子さまの言いつけを守っているためか、あれ以来薔薇の館に現れてはいない。だが、思いも寄らない時に思いも寄らない場所から出現したりして、祐巳たちを十分驚かせてくれた。

(祐巳ちゃんの心理描写。場所不明)

いよいよ瞳子=ヘビです。

 

p178

 階段の音はしなかった。それなのに、ビスケット扉の前、いやそれよりずっと踏み込んだ場所に、縦ロールの少女が一人立っていた。

「どどど」

 今回は、祥子さまと令さまが道路工事の擬音を発した。

「どうしてここにいるの」

「どうして、って? 玄関の扉を開けて、階段を上って」

「全然、音しなかったわよ」

「えー、そうですかぁ? お話に夢中になっていたからじゃないですかぁ? あ、でも瞳子、舞台女優だから、音立てずに歩くこともできるんですよー」

(祥子、令&瞳子。薔薇の館にて)

ひたすら無音の瞳子ちゃん。

ただ、あとあと瞳子はこういう喋り方をしなくなって、性格も屈折してきます。

 

p188

「静かにしないと野鳥は逃げます。ただでさえ祐巳さまは、落ち着きなくて目立ちそうなんですもの」

(瞳子&祐巳。一年椿組の教室にて)

これまたヘビ娘らしいセリフでしょう。


蛇・にょろにょろ問題② 今野緒雪「マリア様がみてる」全39巻・完読マラソン 

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趣味の「マリみて」研究。

おそらく、大部分の方には意味不明な記事、

続けます……すみませんね。

 

①今野緒雪はにょろにょろフェチなのではないか?

(長くてにょろにょろしたものに異様な執着がある)

②紅薔薇三姉妹(祥子・祐巳・瞳子)は、ヘビ三姉妹なのではないか?

この二つの疑問を解決しようとしております。

 

10,「レイニーブルー」

作中の時間:某年6月。

 

(寸評)

志摩子さん目線の「ロザリオの滴」

由乃さん目線の「黄薔薇注意報」

祐巳ちゃん目線の「レイニーブルー」がはいった一冊。

 

今まで大きな仕掛けばかり目にしていたのでどうにも物足りない。

「仕掛け」というのは、「無印」における学園祭やら 「いばらの森」における謎の文庫本やら

「ウァレンティーヌス」におけるお宝探しゲームやらのことで

その「仕掛け」をつかって「儀礼」と「ゲーム」が繰り広げられる、というのが「マリみて」の基本パターンだったわけです。

 

祐巳ちゃんが大切にしていた傘がなくなる、(盗られる)という仕掛けはあるにはあるけど……

これだけでは弱い。

ただ、祐巳・由乃・志摩子 同級生三人が三人とも落ち込んで、暗い、というアンニュイな雰囲気はなんともいえん魅力があります。

 

p93-95

「……晴れないと思うな」

 祐巳さんは自分のロッカーを開けて、上履きを出し、簀の子の上に揃えて置いた。

「あら、どうして言い切れるの?」

 もちろん、非科学的な上履き占いだって根拠は何もないんだけれど、こうも堂々と否定されると突如対抗意識が芽生えてくるものだ。

「まさか、テレビの天気予報を観てきたから、なんて、つまらない答えじゃないでしょうね」

 すると、祐巳さんは「違う」と首を振る。そして彼女のトレードマークといっていい、リボンで結んだ二つの髪の束を自ら指で示し、「これがね」と言った。

「髪?」

 由乃は聞き返した。

「髪がどうかしたの?」

 それだけじゃ、何が何だかさっぱりわからない。

 続いて登校してくるクラスメイトたちに場所を譲って、二人は下足室を出た。ありがたいことに、祐巳さんとは同じクラスだ。教室が別だという理由で話を途中で切り上げなければならない、なんてこともない。

「私の髪がいうことを聞かないの」

 廊下を歩きながら、祐巳さんが言った。

「その心は?」

「湿気が多い。つまり、雨がすぐ側まで来ている気がするってこと」

 祐巳さんの根拠は、由乃の上履き天気予報よりずっと説得力があるように思われた。

(由乃&祐巳。校舎内、昇降口にて)

 

祐巳ちゃんの「超能力」が明らかになるところ。

ですが、もうすさまじいとしかいいようがない。

 

つまり 祐巳=ヘビが……ヘビなので水(湿気)を探知する能力がある、ということです。

で、その探知器官が 二つの髪の束(にょろにょろ)……

その探知器官を リボン(にょろにょろ)で結んである、という……

今野緒雪、天才です。

 

p150-151

 カシャ、カシャ。

 シャッター音が心地いい。まるで本当のスターにでもなったみたい。

「ふむ」

 蔦子さんがカメラを下ろし、満足げにうなずいた。

「ご協力感謝。いい写真ができたら、進呈するからね」

 挨拶もそこそこにスキップしながら廊下に出る「カメラちゃん」のカメラからは、ジシャ――――っていうフィルムが巻き戻る音がしていた。

(蔦子、由乃&祐巳。校舎内、廊下にて)

 

フィルムが巻き戻る、というような描写ははじめてのような気がする。

そういわれると 「フィルム」という物体は幅広のリボンのような物体だということに思い当たるのであった。

とうぜんながら「にょろにょろ」です。

今まで書かなかったが蔦子さんの「蔦」も「にょろにょろ」です。

 

11,「パラソルをさして」

作中の時間:某年6月

(寸評)

オープニングの場面がたまらなく美しい。

ずぶ濡れの祐巳、聖さまに救助される→聖さまの同級生・加藤景さんの部屋で身体を乾かす

このシークエンスが。

そしてこのシークエンスの締めくくりで

p36

「時間が逆転したみたいだ」

 聖さまが、立てかけておいたキクラゲ、もとい黒い紳士用傘を一振りして、水滴を払った。

 正真正銘の黄昏時であるのに、二時間ほど前の方がむしろ暗かった。

 不思議な天気。

 聖さまじゃないけれど、確かに時間の感覚がおかしくなる。

 雨に打たれ、黒い車の走り去った車道をぼんやり見つめていたあの時から、二時間。それはたった二時間しか経っていないとも思えるし、もう二時間も経ってしまったとも感じられた。

 あれは本当にあったことなのか。もしや時間が逆回転していて、これから起こることなのではないのだろうか。

 

と、時間の逆転が語られ、

・祥子-祐巳

・彩子(さいこ・祥子さまのお祖母さま)-弓子

という二組のカップルのおはなしが重なり、

祐巳の傘・弓子の傘 と、二つの傘のイメージが重なる、という壮大な「仕掛け」があるんですけど……

どうなんですかね? 成功しているといえるのか?

「いばらの森」ほどうまくはいってないような気がする。

 

p113

「で?」

 雨に洗われた石畳の上に立って、縦ロールの少女が睨むようにこちらを見た。低木の葉っぱには、雨の滴が残っている。

「私に何のご用なのでしょう」

 機嫌が悪いのは、上級生に呼び出しをうけたことが気にくわないのか。それとも、祐巳の顔をみたくなかったからなのか。

 いや、どちらもそうなのだろう。

 正直者の瞳子ちゃんは、教室を出てからずっと、不機嫌な表情を隠そうともしない。

「この間の続きでもなさるおつもりですか?」

 大きな丸い瞳で、真っ直ぐの視線を送ってくる。

(瞳子&祐巳。中庭にて)

祐巳・瞳子

ヘビ娘が二人。という図。

「水」描写があり、ひたすら「目」が強調されます。

 

p130

 しかし足音をたてずに階段の上り下りができるという得意技をもつ瞳子ちゃんも、興奮している場合はダイナミックな音をたてるということが今回判明した。

(祐巳の心理描写。薔薇の館にて)

 

吉野裕子先生によると――

 蛇は怒るとその尾をこまかく震わせる。その時、尾の下に草があれば、震動で草がざわめき、紙があれば同様に紙がサワサワと鳴る。また荒い呼吸使いもする。

(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」13ページより)

……のだそうです。

基本無音だが、興奮すると音をたてるヘビ娘・瞳子……

 

p192

「彩子(さいこ)というのはお祖母さまの名前よ。その方のご旅行というのは、病院までお祖母さまに会いにいらっしゃることだったの」

(祥子&祐巳。都内某所、祥子さまのお祖母さまの屋敷にて)

彩子-清子-祥子 という三つの「S」が語られます。

そして

彩子-弓子

祥子-祐巳

二組のカップルが重なります。

 

p202

 清子小母さまと祥子さまは、鍋焼きうどんを珍しそうに眺め、調理し終わった物をお祖母さまにお供えしてから、ぺろりと食べた。

「こんな楽しいランチは、お正月に祐巳ちゃんたちが来てくれた時以来だわ」

(祥子さまのお祖母さまの屋敷にて)

祥子-祐巳のヘビ姉妹の仲直りの場面ですので、

鍋焼きうどんという「にょろにょろ」がふさわしいです。

 

12,「子羊たちの休暇」

作中の時間:某年7月。

 

(寸評)

祐巳ちゃん、軽井沢(おそらく)の小笠原家の別荘へ行く!

というおはなしで、リリアンの外の世界なもので、おもしろいといやおもしろいのですが、

祐巳ちゃんがお金持ちのお嬢さま連中にいじわるされて、云々、というのは通俗――

あまりにありふれている。

(しかもいじわるされたところで 祥子さまという最強お嬢さまが味方にいるのだから、まあ怖くはないわな)

天才・今野緒雪に書いて欲しいのはこんな世界ではない気がする。

気のせいか、蛇、にょろにょろ要素が少ないのもこの巻の特徴。

 

この巻から ひびき玲音さんの表紙の印象がガラッと変わります。

あと、祥子さまの「祥」の字の中には「羊」がいます。

 

p15

「何より、私は暑いのが苦手なの」

 出ました、お嬢さまの我がまま攻撃。

(祥子&祐巳。薔薇の館にて)

 

変温動物なので暑いのが苦手なのでしょう。

祥子-祐巳はヘビですから、海ではなく山にいくのです。

 

p66

「おはよう」

 祥子さまはいつものように手を祐巳の胸もと付近に伸ばしたが、そこにタイがないことに気づいて、襟なしで乱れようもない襟刳りをそっと撫でてほほえんだ。

「おはようございます」

(祥子&祐巳。M駅改札口にて)

 

あまり本調子ではない巻でも、ところどころすさまじい描写をみせるところが天才の天才たるゆえん。

↑↑この場面のすさまじさは、どう説明すればよいのか?

祥子さま(ヘビ)―タイ(にょろにょろ)というお決まりの組み合わせなんですが、

夏休みで、祐巳ちゃんは制服姿ではないので タイがない、という場面。

 

「あるもの」の不在を描写することで 逆に「あるもの」を強調する、という、なにやら実存主義的な場面です。

 

13,「真夏の一ページ」

作中の時間:某年8月。

(寸評)

 傑作。といっていいとおもいます。

 ここで一段ギアを上げて 次回の「涼風さつさつ」――中期「マリみて」の最高傑作につなげる、という、その前フリでしょう。

 

「略してOK大作戦(仮)」→今野緒雪がふたたび本来の「儀礼」&「ゲーム」に戻って来た!

「おじいさんと一緒」→今野緒雪民俗学、ふたたび!

というところでしょうか。

しかも、その「ゲーム」を祐巳ちゃんが自分で主体的に構築していく、というあたり

今までになかったことです。(今まではまわりの人が提案した「ゲーム」にただ巻き込まれているだけだった)

「マリみて」のターニングポイントといえる一冊でしょう。

 

次回作「涼風さつさつ」で大々的に花寺学院高校の野郎ども(とうぜん男の子)が登場するので、

その準備を 「子羊たちの休暇」「真夏の一ページ」で淡淡とやっているというあたり、

作家というのも大変な仕事だな、とおもわせます。

 

p26-27

 令さまが「どうぞ」って振るので、祐巳は立ち上がって左手は腰に、右手は天上を指さし、シャキーンってポーズをとった。

「名づけて『いきなり男子校の中に投げ込むとショックが大きいから、徐々に慣らしていって男嫌いを克服してもらおう大作戦』!」

「作戦名が、若干長すぎやしませんか」

「……そ、そうね。考え直す余地はありそうね」

(乃梨子&祐巳。K駅近くの喫茶店にて)

長すぎる作戦名、という「にょろにょろ」です。

これはしかし、同時に、ですね、

「男なんか出すな!」「われわれは女の子たちが女の子だけでワチャワチャしているのを見たいんだ!」

という悪しき読者に向けてのメッセージでもあったりするわけですね。

すさまじいですね。

 

あと、上記の……主体的に「ゲーム」を構築する、というのはこのシーンから始まりますので

「シャキーンってポーズ」は大げさではありません。

 

p49

「うわっ」

 素っ頓狂な声をあげたのは、祐麒が先だった。無理もない。この茶室は離れにあるのに、渡り廊下を歩く足音も、人の気配も、戸が開くまでまったく感じられなかったのだ。

「いらっしゃいませ」

 丁寧に下げた頭をゆっくりと持ち上げたその顔を見て、今度は祐巳が「あっ」と声を出した。この、強靭なバネのような縦ロールは――。

「……瞳子ちゃん」

(瞳子&祐巳。柏木邸にて)

 

しつこいようですが、瞳子-無音=ヘビ です。

丁寧に下げた頭をゆっくりと持ち上げたその顔、というあたりも

ヘビ娘の動作だとおもえば興味深いのです。

 

p111

「でも私、何も存じませんから」

 振り切っても振り切っても、蛇のようにしつっこくまとわりついて離れない。

(築山三奈子&乃梨子。マリア像ちかくにて)

 

これは三奈子さま、というメインではないキャラに「蛇」をくっつけた例。

 

14,「涼風さつさつ」

作中の時間:某年9月。

 

(寸評)

大傑作。

「すずかぜ さつさつ」 S・S・S 作者が大好きなS音を重ねまくっていますから、

これはおもしろくならないわけがないです(笑)

 

最大の特徴は 理解不能な「他者」の出現! でしょう。

拙ブログ、何回か前の記事で 「少女革命ウテナ」と「マリみて」を比較して

「ウテナ」は他者を描いているが

「マリみて」には他者は存在しない

と書いたのですが、間違いですね。

この巻の、細川可南子の存在を忘れておりました。

 

リリアン女学園の生徒たちは基本、育ちのいいお嬢さまたちなので

理解不能な他者、なんてものは登場しなかったのですが、彼女だけは怪物、でした。

可南子の言動・行動はとても興味深いので引用しますと――

 

p48

「祐巳さまの一番の魅力は、ご自分がどんなにすてきな女の子であるか、お気づきにならないところですね」

 可南子ちゃんは、真顔で言った。どうやら、先ほどの「冗談」は彼女の中では冗談ではなかったらしい。

「なんて奥ゆかしいんでしょう、祐巳さまは」

 目を輝かせてつぶやく後輩。

(可南子&祐巳。薔薇の館にて)

p145

「そうです。祐巳さまは、いつまでも天使のような存在でいてくださらないと。汚い男なんかには見向きもせずに、ずっとずっと真っ白な少女のまま。マリア様の学園でほほえんでいてください」

 可南子ちゃんは、うっとりと目を細めた。

p146

「私が求めているのは、温室の中で花開く日を待つこのロサ・キネンシスのつぼみなんです。冷たい外気や、害虫に触れることなく、一定の室温、水や栄養の行き届いた、一点の曇りもない完璧な花です。私は祐巳さまを一目見て、祐巳さまこそがリリアン女学園を象徴するにふさわしい無垢な存在であると確信したんです。ただ、ここで美しい花を咲かせてくださればそれでいい。外に目を向けることなんて、一切必要ないんです」

(可南子&祐巳。古い温室にて)

ほめ殺しの怪物――……

 

あと、トマス・ピンコの野郎が思いだしたのは、

アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」(1979)で……

 

アナトーリー・ソロニーツィンの「作家」と

ニコライ・グリニコの「教授」のやりとり。

 

教授:何をお書きに?

 

作家:読者について。

教授:一番面白いテーマだ。

 

作家:書くことに意味などありません。

 

ソロニーツィンの「作家」が 「オレは『読者』について書いている」

というんですね。

「涼風さつさつ」の今野緒雪がまさしくそうで、

「男なんて出すな!」「書くな!」「女の子だけが見たい!」という悪しき読者を

細川可南子という魅力的なキャラクターで戯画化してしまったわけです。

ほんと天才ですね。

 

p128

 蔦子さんの写真。あれは全部偶然だった、という可能性はないのだろうか。

(偶然で十数枚?)

 そんなことがあるだろうか。

 写真の中の祐巳が髪を結ったリボンは、何種類もあった。それは、別の日に写されたという何よりの証拠である。それなのに、祐巳の背後には必ず写っているその影――。

(祐巳の心理描写。蔦子さんとの会話のあと。場所不明)

 

可南子が完全に不気味……

と判明するシーン。

そのシーンにリボンという「にょろにょろ」を登場させます。

 

p152

「私は祐巳の顔も、髪も、声も、指先も、すべて好きだけれど。でも、その外見が好きだからあなたを好きになったわけではないわ。それを動かすあなたの心があるから、それが愛着になっているの」

 祥子さまの手は、祐巳の頬をなで、髪に触れ、手を握り、そして最後に制服のタイの結び目で止まった。

「私の、心」

「ええ。目に見えない部分よ。もし祐巳らしさというものがどこかにあるなら、たぶんそれにくっついているのではなくて?」

「お姉さまは、それを見つけてくださいますか」

(祥子&祐巳。古い温室にて)

 

美しいラブシーン。

祥子さまの手がさいご 「にょろにょろ」で止まるという……

ヘビ娘二人のラブシーンでありました。

 

p183

「では、次の方。何番」

「ラッキーセブンの七番」

「七番。あ、本当、これはラッキー。問題がありました。さて、ではいきます。ずばり原子番号七は何?」

「えっと……、また来ます」

 二番目のチャレンジャーは、自ら出口側の滑り台に身を投じた。理数系より文系の方が得意だったらしい。

 かと思えば、「親鸞上人の書いた大ベストセラー本のタイトルは」とか「調味料のさしすせそとはなんぞや」とか、「古文の鈴木先生の奥さんの名前は」とか、「9×7はいくつ」とか問題は多岐にわたった。

(花寺学院高校の学園祭の描写)

 

これは今野先生の異常なまでの「S」への執着がうかがえるところ。

問題のすべてに「S」がからんできます。

セブン……7……

まだ有馬奈々ちゃんは登場してませんが。

 

p188

 生徒会室を出て階段を下りようとした時、祐巳は手洗い所の蛇口にふと目をとめた。

「あ、冷たくしていった方がいいかな」

 鞄の中にしばらく放置されていた濡れタオルは、少しぬるくなっていたのだ。

 お姉さまには、少しでも気持ちよく使ってもらいたい。それが妹心というものである。そういうわけで引き返し、ビニール袋からタオルを出して、蛇口をひねった。

 水道の水は、思った通り冷たくて気持ちよかった。濯いで軽く絞ったタオルを袋に戻してさて戻ろうというところで、祐巳は背後から声をかけられた。

「おい、福沢」

「え?」

(祐巳ちゃん、弟の祐麒に間違われ拉致される。花寺学院高校にて)

例の「蛇口」

かならず大事な場面に顔を出すような気がする。

さすが「涼風さつさつ」 大傑作だけあって、「にょろにょろ」も「ヘビ」も充実しているんです。はい。

 

p231

『たとえ音のない真っ暗闇の世界にいても、そこに祐巳がいるならすぐにわかるわ』

 ――はい、お姉さま。

『全身をぐるぐる巻きにされてベッドに横たわっていたとしても、間違いなく祐巳を捜し当てることができるわ』

 ――はい、お姉さま。

 祐巳は、あの時に戻ってうなずいた。

 

 これ以上の幸せなんて探せなかった。

(祥子&祐巳。花寺学院高校グラウンドにて)

 

ここね……すごく美しいラブシーンなんですけど、

わたくしの 祥子さま=ヘビ説によりますと――

 

一部のヘビには「ピット器官」とやらいう

赤外線放射を探知する感覚器官がそなわっているらしいんですわ。

つまり ヘビ娘・小笠原祥子が 体のどこやらにある赤外線センサー的な器官によって

妹ヘビ・祐巳ちゃんを探知した(笑)

というそういう場面なのだろうと解釈できるわけです。

……

しかし、今野緒雪の文章をすなおに読んでいくと、この解釈しかないわけです!(断言!)

 

15,「レディ、GO!」

作中の時間:某年9月。

(寸評)

リリアン女学園の9月はなんだかとんでもないことになっていて

・お隣の花寺学院高校の学園祭の手伝い

・体育祭

・2年生のイタリア旅行

と、殺人的なスケジュールなのですが(2年生はとくに大変。さらに山百合会メンバーは地獄)

「真夏の一ページ」→「涼風さつさつ」と、

自分が完全に波に乗っていることを確信した今野緒雪の自信のあらわれなんでしょうか?

 

この巻も、体育祭という「ゲーム」を扱っているわけですから、面白くならないはずがないです。

さらにいえば 祐巳ちゃんが細川可南子に「ゲーム」を持ちかける、という要素もあり――

 

「真夏の一ページ」同様、

祐巳ちゃんが「ゲーム」を自分から発信するという点も興味深いところです。

 

そう考えると――「真夏の一ページ」以降、中期「マリみて」が盛り上がっていくというのは

祐巳ちゃんが主体的に物語を動かし始めたから、といえるかもしれません。

いや、そうなんでしょう。

 

p108

 ピーピッピーピ、ピーピッピピーピ、ピーピッピーピ、ピーピッピピーピ。

 突然、明るい笛の音が響き渡り、登場したのは派手な黄色い衣装に身を包んだ令さまたち。

(中略)

 ピーピッピーピ、ピーピッピピーピ―、ピーピッピーピ、ピーピッピピーピ―。

 カナリア祭りはまだ続いていた。

(令さま率いる黄色チームの応援合戦の描写)

 

やけに長い(笑) ピーピッピピーピ―

「にょろにょろ」です。

 

p150

 姉妹水入らずでつかの間のひとときを過ごし、それからさっきとは逆の順路でグラウンドに戻った。

 午後の部が始まる予定の一時まではまだあと十五分ほどあったけれど、会場は軽快な音楽が流れ、トラックの内側ではフォークダンスの輪ができていた。これは自由参加で、やりたいと思った生徒が自由に仲間に加わっていい。

「お姉さま。私たちも腹ごなしに踊りましょうよ」

「え、でも」

「楽しいですよ、きっと」

 ちょっとだけ尻込みする祥子さまの手を引いて、輪に加わる。

 すると参加せずに遠巻きに眺めていた生徒たちが、どっと押し寄せフォークダンス人口が一気にふくれ上がった。

(昼休みのフォークダンスの描写)

 

このフォークダンスシーンはすさまじいです。

読んでいて、ゾクッときました。

全文引用したいくらいですが、長すぎるのでやめときます。

祐巳ちゃんが

祥子さま・可南子・瞳子・無名の祐巳さまファン・令さま・由乃さん、とフォークダンスを踊る。

あんまりすばらしいので、こまかく分析するとなにかが隠れているかもしれません。

 

とりあえずここで指摘しておきたいのは フォークダンスが「にょろにょろ」である、ということです。

 

p168

「じゃ、私はこれで」

 逸枝さんは、祐巳に場所を譲ってそそくさとその場を去る。蛇口は四つある。二人並んで使っても、二つは余る勘定なのに。

「逸枝さん……?」

(リレー選手の逸枝さんがケガをしているかもしれない、という描写)

 

で、おなじみ蛇口の登場です。

やっぱり重要なシーンに登場しますね。

 

16.,「バラエティギフト」

(作中の時間:さまざま)

(寸評)

短編集です。

「降誕祭の奇跡」が、おもしろいです。

今野緒雪の「時間」に関するこだわりが短編に凝縮されています。

奇妙なタイムトラベルもの、といってよいのか?

 

完読マラソン4周目を実施するときは「時間」に注目して読みたいとおもいます。

今、思い出せるものを書き出すと

「いばらの森」でタイムトラベル云々という表現がでてきた。

「パラソルをさして」で、時間の逆転云々という表現がでてきた。

そんなところか。

 

あと、この「バラエティギフト」のオチは

鳥居江利子さまからの贈り物に

「11月までに妹を作りなさい」という由乃さんへのメッセージが隠されている、というもので――

これまた「時間」ですね。

 

p87

 中等部の制服と高等部の制服とは、一件同じもののように見えるが、胸もと部分が多少異なっている。襟がそのままタイになっている高等部の制服に対して中等部はタイのラインと同じ黒の細いリボンを蝶結びする格好なのだ。

(リリアン女学園の中等部と高等部の制服の相違点)

「ショコラとポートレート」という短編の中の一文。

将来の重要人物、内藤笙子ちゃんが登場します。

 

んで、その短編で リリアンの中等部と高等部の制服の違いが明らかになります。

中等部はリボン 高等部はタイ であるらしいです。

どちらも当然ながら「にょろにょろ」です。

 

 

p148

「何これ、この『白ポンチョ』っていうのは?」

 私は声をあげて、薄っぺらい冊子をバシバシ叩いた。何だか正体のわからないものが目の前にあるのは、毛虫が机の上を這っているくらい気持ちが悪い。

(乃梨子&菫子さん(乃梨子の大叔母)。菫子さんのマンションの部屋にて)

 

毛虫という「にょろにょろ」です。

 

17,「チャオ ソレッラ!」

作中の時間:某年9月。

(寸評)

リリアン女学園二年生一行、イタリア旅行の巻。

天才・今野緒雪が民俗学者の目でイタリアを描くわけだから、これまた楽しくならないはずがない。

民俗学者だけあって、イタリアのトイレ事情とか ホテルのモーニングコールはどうやって頼むのか?とか

へんなディテールがたまらなく楽しい。

 

ただ疑問は――

・タイトルは文法的に正しいのだろうか?  イタリー語はまったくわからないのですが。

・p196によるとイタリア旅行は9月終りらしいのだが、

台風とかあるよね? なんでこの時期に修学旅行行くの?

 

p56-57

「おでこを冷やせば治るのね」

「ええ」

 今度ははっきりと声に出した。

「わかった。じゃ、そうしよう」

 祐巳はそう言って、まずは湯船に注いでいたお湯の蛇口を閉めた。それから、由乃さんの鞄からパジャマを出して、着替えさせ、ちゃんとベッドに寝かせた。

「タオルは、ホテルの一番小さいサイズのでいい?」

「あのね。鞄のポケットに入っているハンドタオルでお願い」

「鞄のポケットね」

 指示された場所を探ると、そこからはヒヨコ柄のタオルが出てきた。

「……これは、かなり年代物だね」

 ずいぶん色あせているし、ほつれた箇所を繕った跡もあちこち。タオルなのに、ずっと大切にしてきたぬいぐるみみたいな趣があった。

「うん。でも魔法のタオルなの。いつも私の熱を下げてくれてきたのよ。私、小さい時これがないと眠れなかったの」

(由乃&祐巳。ローマ市内某ホテルの一室にて)

 

例によって「蛇口」

かならず重要な場面に顔を出す蛇口が、やっぱり重要な場面に登場です。

 

ヒヨコ柄のタオルという 由乃さんの「ライナスの毛布」が出てきます。

TBSラジオ・アフターシックスジャンクションのリスナー向けに書くと 「ミーミーちゃん」ですね。

 

見ようによっては、祐巳-由乃のイチャイチャ場面だともみえます。

そうみると、翌朝の由乃さんが、ケロッとして妙にドライ、というのも意味深です(笑)

あたかも一晩だけのあやまちみたいな感じ(笑)

 

 

p85-86

「新しいの買うの?」

「うん。志摩子さんは乃梨子ちゃんに、聖さまからいただいたのをあげたらしいけれど」

 聖さまもそのお姉さまからいただいた物だっていうから、白薔薇さんちのは何代も続いているロザリオなのである。

「私のは、私のために令ちゃんが買ってくれた物だし」

 だから令さまは、江利子さまからのロザリオをいまだ持っているということになる。

 姉妹(スール)の契りで授受するロザリオは、代々受け継いだ物でも、新たに購入した物でもどちらでも構わないことになっていた。「代々」と限定してしまうと、いろいろ不都合があるからだろう。

「祐巳さんのロザリオは? 祥子さまが蓉子さまから譲られた物かしら?」

「知らない」

 そういえば、聞いたことがない。

(由乃&祐巳。ヴァチカン美術館にて)

 

ロザリオという「にょろにょろ」

そういえば17巻目にしてはじめて ロザリオのルールが明らかになるというだからすごいです。

あと 「知らない」と一言で斬り捨てる祐巳ちゃん……あんたね。

 

p136-137

「何だか、ドキドキしてきたね」

 ジェットコースターに乗る前みたいな、へんな緊張感がある。

 (中略)

 時間になったので、ぞろぞろと斜塔の中に入る。

 中は石造りの階段で、壁もしっかりあるから、外から見て想像していたよりは怖くはない。筒状の建物の内側に螺旋階段がついているような物だから、階段をひたすら上っている分には外の景色が見えないのだ。

 ただし、怖くはないが、歩きにくい。だって、傾いでるのだ。当たり前だけれど。

 しかし、うまくできすぎている人間の脳は、目から入ってきた情報を勝手に加工処理して、真っ直ぐ建っているかのように修正してしまう。だから、頭では傾いでいることはわかっていても、感覚的にはステップに垂直に足を乗せようとしてしまう。でも、本当のところは斜面に足をかけているのだから重力が斜めにかかっているみたいで気持ちが悪いのだ。壁が場所によって、身体にくっついたり離れたりするように感じられるのも慣れない。

(祐巳、由乃、蔦子さんたち、ピサの斜塔にのぼる)

 

ピサの斜塔のシーン――すさまじいです。

ジェットコースター、そして斜塔の中をぞろぞろ、という「にょろにょろ」なんですけど。

 

「傾ぐ」「重力」という、これまた重要ワードが頻出するんですよね。ここ。

(「無印」の祥子さま・祐巳の激突シーンで「傾ぐ」が登場。当然「ウァレンティーヌス」のジーンズショップ試着シーンも思いだしましょう)

 

p151

 祐巳たちはまず、午前中にウフィツィ美術館へ行った。学校側が事前に希望者の人数分予約を入れていてくれたんだけれど、それでも世界中から押し寄せる観光客の数は多く、予約している人の列もそうでない人の列も、どちらも長蛇。美術館の入り口から伸びる行列を見ただけで、諦めて帰ってしまう観光客も多かった。

(ウフィツィ美術館にて)

「長蛇」このワードは、はじめて? かな?

 

18,「プレミアムブック」

(寸評)

これは、ですね。

アニメ版「マリア様がみてる」の設定資料集なのですね。

アニメ版は正直興味があるのですが、

踏みこむとなんかキリがなさそうな気もして――という状況です。

 

さいごに数ページだけ Answer という短編が収録されています。

 

p130

 小笠原祥子は、怪獣に似ている。

 大きい手提げ袋を肩から提げて黙々と歩く姿が、箱庭のような街を壊して歩く、特撮ものの怪獣の姿とどうしてか重なって見えるのだ。

 いつも、何かに怒っている。

 見えない何かと戦っている。

(水野蓉子からみた小笠原祥子の描写)

 

特撮ものの怪獣、というのだから 当然 巨大爬虫類なのだとおもいます。

さすが蓉子さま。

祥子さまの本性は爬虫類(ヘビ)だと見抜いているのでしょう(笑)

 

19,「特別でないただの一日」

作中の時間:某年10月。

 

(寸評)

怒涛の中期「マリみて」――今野先生、乗りに乗りまくっていますから、

おもしろくないわけはないのですが……

例の怪物・細川可南子ちゃんの謎が――

「なぜ彼女はこんなにまでひねくれているのか?」

という謎があっさりと解決されてしまう点はたいへんに不満です。

謎は謎のままで放っておいてよかったのではないか?

しかし、コバルト文庫ではそれは不可能だったのか??

 

とはいえ、1巻目「無印」から作中の時間で丸一年が経過。

で、学園祭が描かれるというタイミングでして

お話の中心は 祐巳-瞳子に移りつつあるわけです。

可南子問題は、さっさとどこかへ放り投げたかったのでしょう。

 

祐巳-瞳子の微妙で、繊細で、しかし心締め付けられる心理戦がたまりません。

その心理戦に、祥子さま、乃梨子が絡んで来るあたりもたまりません。

そして、こんな繊細な心理戦とは無関係の……能天気なトリックスター・由乃さんもたまりません。

 

p40

「私の、ちょっと大きくない?」

「どれ? あ、本当だ」

 平安時代のお姫さまは、ズルズル引きずってはいるが、それにしても並んで着替えていた由乃さんの裾と比べて、ズルズル部分が多い感じ。

(学園祭の劇の衣装合わせ。被服室にて)

学園祭の劇で「とりかえばや物語」を演じることになった祐巳ちゃん。

平安時代の衣装なので 裾をズルズル。

もちろんヘビです。

 

p61

「ハリガネ……って可南子ちゃんのこと?」

「似てるじゃない、ハリガネに。新しい一年生が乃梨子ちゃんと一緒に入って来た時、すぐに思ったわ。あ、この子たちハリガネとバネだ、って」

「……やめなって、そういうの」

 しかし。言葉とは裏腹に、祐巳はつい笑ってしまった。

 ハリガネとバネだって。

(アリス&祐巳。リリアン女学園、薔薇の館へ向かう道にて)

可南子→ハリガネ

瞳子→バネ

だそうです。どちらも「にょろにょろ」です。

つまり、可南子も可南子で ヘビ姉妹になる資格はあったのでしょう。

 

 

p67

「約束なんてしなければよかった」

 可南子ちゃんは、すすいでいた最後のカップの水を切って籠の中に伏せた。

「あ、可南子ちゃん」

 祐巳は泡のついたままの手を洗ってから、水道の蛇口を締めて追いかけた。隣にいた可南子ちゃんは、すでに流しの側から去り、志摩子さんたちの手伝いに回っている。

「約束なんかしなければよかった、か」

(可南子&祐巳。薔薇の館にて)

例の「蛇口」がきっちり登場。

そういわれると 1巻につき登場回数は1回だけなのかな? 「蛇口」

登場しない巻もあるとおもうのですが、

登場した場合、2回も3回も登場したりはしないようなんですよね。

 

こんなどうでもいいことにこだわるのはわたくしだけだとおもうのですが……

でも意図的だとおもうんだよな。

 

p80

 祐巳はその日の稽古中、瞳子ちゃんから目が離せなかった。そして得られた結論は。

 瞳子ちゃんの演技力は素晴らしい、ということだ。

 親戚で、長いつき合いがあるはずの祥子さますら騙せてしまうほどの、完璧な演技をしてのけた。

 松平瞳子は間違いなく才能のある女優であり、そしてとてつもなく嘘つきなのだった。

(祐巳の心理描写。薔薇の館にて)

 

「嘘つき」……は、

例の創世記に登場するヘビさんの特徴でしたね。

 

11巻目の「パラソルをさして」で「正直者」と書かれていたのと矛盾しますがね。

ちなみにこの巻のラストは

p190

 祥子さまは嘘つきだ。

 特別でないただの一日だなんて言いながら、姉妹(スール)になって一年目の今日、決して容易ではない課題を祐巳に与えたのだから。

と締めくくります。

瞳子を嘘つきといい、祥子さまを嘘つき、といっているわけです。

なんとまあ、丁寧に作りこまれた作品です。

何度読んでも飽きないはずです。

 

p101

「みんな知ってるのよ、ユキチが山百合会からもチケットをもらえること。その上、うちの学園祭以降、どういう訳か祐巳ちゃんのファンが鰻登りに増えちゃって」

 アリスが、二人の背後からチョロチョロと出てきた。

(祐巳、祐麒、アリス。リリアン女学園校門の近く)

ウナギって、今まで出てきたかな?

もちろん「にょろにょろ」です。

 

p187-188

「私の言ってる意味、わかるかしら」

 祐巳は、今度は大きくうなずいた。

「目から鱗がはがれて、涙が出てきました」

「ばかね」

 どうしよう、涙が止まらない。

 うれしかったり、悲しかったり、切なかったり、ありがたかったり、大好きだったり、寂しかったり、いろいろな気持ちがミックスされて、何味だかわからない涙が、次から次へとあふれてきた。

 祐巳は、祥子さまにすがりついた。

 お姉さまが泣かせたんだから、遠慮なんかいらない。たとえすべてがお姉さまのせいじゃなくても、構わない。

 祐巳は、祥子さまのただ一人の妹。だから、いいんだ。独り占めしたって。誰に遠慮することがある。

 しばらく抱きしめてくれた後、祥子さまはそっと身体を離して、グジャグジャになった祐巳の顔を真っ直ぐに見た。

「祐巳」

 そして言う。

「あなた、妹を作りなさい」

(祥子&祐巳。マリア像のそばにて)

 

はい。ラストの 祥子―祐巳、ヘビ姉妹のイチャイチャ場面。

 

吉野裕子先生を引用しますと、

 蛇のウロコのにぶい輝きは、滲出してくる脂膏によるもので、これが水をはじき、汚れを付着させない。そして乾燥からも身体を守っている。眼球にも、コンタクトレンズのようにかたい透明の皮をかぶせており、眼も脱皮のときはにはちゃんと脱ぐのである。

(「蛇 日本の蛇信仰」5ページより)

のだそうです。

 

「目から鱗がはがれて、涙が出てきました」という祐巳ちゃん。

彼女の「泣く」という行為は、さては「脱皮」なのでしょうか??

バズリクソンズM43023・ダルチザンSD-101色落ちサンプル(3年後)

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暑くなってきたので、もうあまりはかないジーンズの洗濯をしました。

まあまあいい感じに色落ちしてきたようにおもいますので

写真を撮ってみました。

 

・バズリクソンズM43023

・ステュディオ・ダルチザンSD-101

どちらも わざわざ書く必要ないかとおもいますが、

古き良きリーバイズ501のレプリカです。日本製です。

どちらもワンウォッシュのものを購入しました。

 

タイトルに「3年後」と書きましたが、

ジーンズOKというような職場ではないので

休日は一日中はいてますが、平日は自宅にいる数時間だけはく、という状態。

夏期はまったくはきません。

洗濯は年1回だけ。なのでこれで洗濯3回目です。(両方とも)

ダルチザンのジーンズ用洗剤を使って 洗濯機で洗います。

 

□□□□□□□□

まず M43023

とてもはきやすいジーンズです。

自分のがっちりめの体型には合っているので もう1本欲しいなとおもいます。

 

 

バズリクソンズのジーンズは もう1本

M43019という大戦モデルのレプリカも持っているのですが、

あまりの太さに恐れをなして

あまりはいていないのですよね。

 

もったいないのですが、

太い……

 

おしりの方からみました。

尻ポケットになにかを入れる習慣はないので

ポケットの色落ちはすなおです。

 

 

いわゆる ハチの巣↓↓

 

よく壮絶な――くっきりしたやつをみますが、

あれはリジッドからはきこまないと出せないのですかね。

 

革パッチ。

鹿革らしいです。

とてもきれいな状態なんですが……しかし↓↓

たまにブーツや革ジャンの手入れのついでに

クリームを塗ったりしているので

なにも手入れしない人だと3年後どうなっているか、わかりません。

 

フラッシャーをきちんと保存してあるので

一緒に撮る。

横須賀のGreenさんで買った。

そういうことまで覚えているもんですね。

 

おつぎ。ダルチザンSD-101

こっちはバズリクソンズに比べると 若干タイトめのデザイン。

とはいえ、ご覧の通りドスンとしたストレートジーンズですが。

 

ダルチザンはなかなか色落ちしませんね。

しかし、いい生地なんだろうなあ。

 

去年 那須塩原のパンツショップ・アベニューさんで

T子さんに ダルチザンのデニムジャケットを買ってあげたが

(その時も書いたが 乳房がデカすぎて(笑)レディースがはいらないので

男物の「38」サイズを買った)

 

――「高くてもったいないから」とかいってほとんど着ていらっしゃらない。

ガンガン着込んで 色落ちとかさせて欲しいのだが、

こういう色落ちの美学は どうやっても伝わらないらしい。

 

えーと、何が書きたいかというと……

そのデニムジャケットもそうだったが、

ダルチザンのデニム生地はほんとに美しいですね。

 

バズリクソンズだってきれいなのだが、

ダルチザンの深い青はすごい……

 

ハチの巣も バズリクソンズの比べてはっきりしている。

生地の厚さと関係があるのかな。

 

革パッチは豚革らしいです。

これもクリームとか塗ってるのだが

けっこうヨレヨレになってきた。

 

いいなあ。SD-101

自分の体型だと若干キツイのですが(笑)

 

フラッシャーと一緒に。

これは つくばのザ・ウォーリアーズさんで買った。

 

革パッチ。

接写。

だがダルチザンの豚さんが……うすぼんやりしてる……

 

なので、

やっぱり ザ・ウォーリアーズさんで買った

ダルチザンのデニム・ハットの豚さんを撮る↓↓

 

これは……汗っかきなので

なんか汚すのがもったいなくて あまり使ってない。

なんだ。他人のこと言えないじゃないか。

 

えのすいだぬ!・コツメカワウソ(新江ノ島水族館)・ユーラシアカワウソ(那須どうぶつ王国)

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可愛い噓のカワウソと 新江ノ島水族館のコラボ企画

「えのすいだぬ!」

を、見に江ノ島へ行きました。

 

新江ノ島水族館 JAF割引が使えました。

 

えのすいだぬ! 目当てで行ったのですが、

んー……特に大したものではなかった。

 

ぬんぬんカフェとかで売れ残ったグッズを売っている印象……

 

熱心なマニアのあなたにはたまらん企画かもしれませんが。

 

ようするに……

コツメカワウソちゃんの展示場の脇に 可愛い噓のカワウソグッズ販売スペースを作りました。

というだけのことで、

とくに何と言うこともなかった気がするだぬ。

 

で、

コツメカワウソの写真をひたすら撮るだぬ。

 

かわいいです。

あ。可愛い噓のカワウソの「ぬんちゃん」は たしかコツメカワウソという設定のはず。だぬ。

 

2時半~3時ごろ行ったのですが、

狭い展示場の中を猛スピードで駆け回っている印象です。

 

時間によっては寝ている場合もあるようです。

 

耳がかわいいだぬ。

口を開けている写真がありますが、基本閉じていて無表情な生き物だぬ。

 

人間どもに愛想ふりまいたりはしません。

 

マニアックなことを書きますが、

ニッコールの70-200㎜ F2.8ズームで撮ってます。

 

ふだん、わたくしは コシナ・ツァイスのレンズで マニュアルフォーカスで撮っているのもので

猛スピードで動き回るモノを オートフォーカスで撮る、というのが久しぶりなもので

露出の設定をまちがえました。

 

絞り優先で撮っちゃった。だぬ。

 

500分の1 以上のシャッタースピード優先で撮るべきだろうとおもいます。

125分の1 だとぶれてしまうようです。

とにかく忙し気に動き回っていました。

 

とにかく

同じルートをぐるぐる回っています。

 

あとあとご紹介しますが、

去年 那須どうぶつ王国の オッタークリークのユーラシアカワウソをみていたので

あれに比べるとなんだか狭くてかわいそうな気がしましたが、

 

見る側にとっては見やすいかな、ともおもっただぬ。

 

毛皮が水をはじいているのがよくわかるだぬ。

 

またマニアックなシャッタースピードのことを書きますが

↑100分の1秒

↓60分の1秒

 

で、下の画像はブレちゃってますから、

やっぱり250分の1 か500分の1 あたりが安心・無難なんじゃなかろうかとおもいます。

 

で、これから16時から10分間イルカのショーをみまして

で、また帰ってくると カワウソのエサやりがちょうど終わったところ。

 

イルカのショーの裏で エサやりやってるのかな??

 

右に写っているのは飼育員のお兄さん。

 

ハーネスなんかつけられて 神妙にしているだぬ。

ちかくにプラスチックのケースがありましたので(犬・ネコとかをいれるようなケース)

展示スペースからおうちに帰るところなんでしょうか?

 

えー……

今回一番期待外れだったのはトイレ……

 

というか、わたくしが悪いんですけど……

なにかのネット情報を鵜吞みにしてしまいまして……

 

「えのすいは水槽の脇に男子トイレがあるんだぞ!」

と信じこんでしまい、

 

ものすごい期待してたんですけど――↓↓

 

ただの写真でした。

実際の水槽じゃなくて ただの写真……

 

↑↑でもこの画像みたってわからないよな。

ほんとに水槽の脇でオシッコできるように見えるだぬ。

 

□□□□□□□□

えー で、ついでに

去年の6月 那須どうぶつ王国で撮った ユーラシアカワウソの画像も載せます。だぬ。

 

那須どうぶつ王国の記事 書きましたが、

スナネコの赤ちゃんがメインで カワウソのことはなんにも書いてなかっただぬ。

 

えのすいのコツメカワウソとは違い、

ゆうゆうと毛づくろいしていました。

 

猫みたいだぬ。

 

上記のとおり オッタ―クリークといって かなり広い展示スペースです。

 

ユーラシアカワウソ コツメカワウソより体が大きくて

かぎ爪があって

鼻の上部がW字形をしている……

というのが違いのようです。

 

いろいろ個体差もあるんでしょうが、

精悍、というか やんちゃな顔つきですね。

 

 

 

 

えのすいのカワウソくんは 観客無視でしたが、

那須のカワウソくんはお客が気になるみたいだぬ。

 

1年前のことなので記憶が薄れていますが、

この時は

泳ぐ様子は見れなかったんだとおもいます。だぬ。

蛇・にょろにょろ問題③ 今野緒雪「マリア様がみてる」全39巻・完読マラソン 

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趣味の「マリみて」研究。

①今野緒雪はにょろにょろフェチなのではないか?

(長くてにょろにょろしたものに異様な執着がある)

②紅薔薇三姉妹(祥子・祐巳・瞳子)は、ヘビ三姉妹なのではないか?

この二つの疑問を解決しようとしております。

 

はじめに――

すみませんが、前回とりあげた 11巻目「パラソルをさして」を、もう一回とりあげます。

この巻のオープニングを褒めましたが、

褒め足りないことがわかりました。

まず。

吉野裕子先生の「蛇 日本の蛇信仰」を読みなおしておりましたところ――

・みそぎ=身殺ぎ(みそぎ)=蛇の脱皮のもどき

という構図が出てまいりまして……

 

『古事記』上巻に伊邪那岐命が阿波岐原でみそぎされるに際して身につけられたもの、杖・帯・ふくろ・衣・褌・冠などを次々に投げ捨てる描写がある。何故こうまで詳細に記す必要があるのだろう。それは身につけたものを身から外しとってゆくことが、「身殺ぎ(みそぎ)」つまり「みそぎ」だったことを示してるのではなかろうか。

(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」227ページより)

 古代日本人の清浄観は、蛇における脱皮新生にあり、「身殺ぎ」こそ、生まれ清まる証しであった。前述のように脱皮はその生物一代の間における出産、出産は世代を単位とする脱皮、と私は考えるが、古代日本人はこの二つの現象を本質的には同質のものとして捉えていたと考える。そこで生命更新の呪術として、疑似母胎としての仮屋をつくっての出産の擬き、或いは水辺で身につけているものを脱ぎ、これを水平に捨てることなどが脱皮の擬き(もどき)として考えられ、それが新生への有効手段とされていたのではなかろうか。

(同書、229ページより)

 

どうゆうことかといいますと、

「パラソルをさして」のオープニング近く、

聖さまの同級生の部屋での 祐巳ちゃんの入浴シーン……

 

 ここは風呂場であるわけだし、全身シャワーを浴びているわけだから、一応祐巳は今何も身につけていない。生れたままの姿、フルヌード、すっぽんぽん。いろいろな言い方はあるけれど、つまりは全裸なわけである。押し込められた脱衣所で、濡れて重くなった制服は比較的大胆に脱ぐことはできたのだが、下着姿で少し困ったのだった。

(コバルト文庫、今野緒雪著「マリア様がみてる パラソルをさして」23ページより)

 

やけに「はだか」を強調するな??

まさか、サービス?? と疑問に思ってはいたのですが、

なんとここ。

みそぎ=「身殺ぎ」=脱皮

ヘビ娘・祐巳の脱皮シーン

だったわけです!(断言)

ぜったいにそうだ!(笑)

とくに深い理由もなしに

天才・今野緒雪が「全裸」を強調するはずはない!

 

そう仮定してみると、

p27 少しの間、この温かくて甘い空間に浸っていたい。

というのは、なにやら母胎イメージを思わせますし、

p36 「時間が逆転したみたいだ」

という聖さまのセリフは 生まれ変わりを表現しているようにおもえます。

そして、その翌日のシーン、

p45 「祐巳さん、今朝はやけにパリッとしているじゃない」

という真美さんのセリフ。やっぱり「脱皮」としかおもえません(笑)

すごすぎる、今野緒雪。。。

 

「レイニーブルー」で、祥子さまとの関係が壊れる→「パラソルをさして」で、「みそぎ」(脱皮・生まれ変わり)

この流れがあるからこそ、

「パラソルをさして」のオープニングはたまらなく美しいのではないでしょうか?

 

ついでに書きますと、17巻目「チャオ・ソレッラ」にも祐巳ちゃんの入浴シーンはありますが、

ご存知の通り、由乃さんが具合が悪い、というのがメインの話題なので

裸になってどうこうという描写はありません。

 

□□□□□□□□

20,「イン・ライブラリー」

作中の時間:さまざま。

(寸評)

「チョコレートコート」が素晴らしい。

この短編以降、

短編――主要キャラクター(山百合会メンバー)が登場しない短編、においては

・姉妹(スール)制度なるシステムの矛盾点および問題点

を、今野緒雪は追求していくことになる、のだと思われます。

(けっきょく「システム」から、今野緒雪の発想ははじまるわけです。自分の生みだした「システム」を、ありとあらゆるケースにあてはめてみて、なにか問題点をあぶり出すかのようです)

 

換言すると、

祐巳・祥子物語→姉妹制度のポジ

「チョコレートコート」以降の短編→姉妹制度のネガ

が、描かれるのではないかと思います。

 

姉妹制度のネガ、というのを具体的に言うと、

祐巳・祥子みたいな幸せな姉妹ばかりではないだろう、とか。

姉妹とは別の、女の子同士の美しい関係というのもあり得るだろう、とか。

同級生同士だって姉妹みたいな関係になりうるのでは、とか。

というスール制度から生じる問題点を扱っております。

 

……また、

「チョコレートコート」の電車の中の出会い、とか、

「桜組伝説」の明治? 大正?あたりの設定の物語、とか、

吉屋信子先生リスペクト? みたいな作品があるのも「イン・ライブラリー」の特徴です。

また、少女小説の元祖とされる「若草物語」を扱った短編(瞳子が主人公)もあります。

 

p150

 去年は、葉に毛虫がわく季節になるとご自分のお屋敷からお抱えの植木職人を連れてきて、その桜の木のみならず周囲の木にも殺虫剤を散布させたそうです。化学薬品は嫌いだから天然の材料で薬を作ってくれと、桜自身が言ったとか言わないとか。クラスメイトたちが、面白おかしく噂しておりました。

(「桜組伝説」より)

 

毛虫という「にょろにょろ」です。

というか、桜=毛虫 という連想は「マリみて」によく出てきますな。

 

p150-151

 当時羽振りのよかった霞さんのお父さまは、日本中から名医と呼ばれるお医者さまを集めて霞さんを診せたそうです。けれど、誰一人として原因はおろか病名すら言い当てられる医師はおりませんでした。

 次々と医師が娘を見限っていくと、霞さんのお父さまは今度は占い師や祈祷師などをお呼び寄せになりました。

 こちらの方々は医師たちと違い、すぐにこれが原因だろうと断言し、祓うための儀式などを執りおこなったそうです。けれど、その効果はまったく現れませんでした。ですから、理屈では霞さんは、蛇、狐、猫などに取り憑かれたまま眠り続けていることになります。

(「桜組伝説」より)

 

蛇・狐・猫……どれも「マリみて」によく登場する動物。

「蛇」「狐」というと、トマス・ピンコがよく引用する吉野裕子先生の著書のタイトルでもあります。

 

あと、「マリみて」には、不思議なことに(?)犬はあまり出てこない気がする。

個人的な感想なのだろうが、

少女たちのホモソーシャルな関係を描く「マリみて」は、

少年たちのホモソーシャルな関係を描く「南総里見八犬伝」の遠い子孫のように感じているので

「犬」が出てこないのは不思議といや不思議。

(八犬伝には 犬も猫も狐・狸もよく出てくる。蛇はどうだったかな??)

 

ホモソーシャルなのかホモセクシュアルなのか、一瞬戸惑う部分があるあたりも

八犬伝に似ている、とおもっているのですがね。

まあ、両者に厳密な区別はないのでしょうね。

 

p184-185

「ごめんなさい。確か、どこかでお会いしたわよね。えっと……ホリベさん?」

「祝部(ほうりべ)です。祝部みき」

「ホウリベ? あの、祝、って書く? おめでたそうで良いお名前だこと。ご先祖は神主か何かなさっていた?」

「はい。大昔だそうですけれど」

 苗字の音を聞いて、漢字を言い当てられたのが初めてなら、先祖の職業を推理されたのも初めて。お金持ちできれいだけじゃなく、さーこさまは博識でもあるようだ。

「じゃあ、みきは御神酒のみきかしら?」

「平仮名です。でも、御神酒からとったらしいです」

「素敵」

(清子(祥子さまのお母さま)&みき(祐巳ちゃんのお母さん)、「図書館の本」より)

 

祐巳ちゃんがどうもシャーマンの家系の末裔らしい、とわかる一瞬。

そして

みき―祐巳 と 「み」(巳)音が受け継がれていることがわかります。

 

p204

 図書館の中。

 祥子さまは一つ伸びをしてから、辺りを見回した。そして。

「あら、いったいどうしたの?」

 祐巳の後ろにずらりと並んだ知った顔の数々を見つけると、小さく笑うのだった。

「まるで『大きなかぶ』みたいだわ」

 と。

(祥子&祐巳。リリアン女学園・図書館にて)

 

ずらりと並んだ・大きなかぶ という「にょろにょろ」です。

 

あと思うのですが、リリアンは「図書室」じゃないんですかね。

さすがお嬢さま学校で 校舎とは別に独立した「図書館」があるのかね?

大きな大学みたいに。

なにかそれに関して記述ありましたっけ??

 

21,「妹オーディション」

作中の時間:某年11月。

(寸評)

いろいろと「だまし」の一冊。

いい意味でいろいろと読者を裏切ってくれます。

あまりといえばあまりに、反則的にかわいすぎる表紙をみて

祐巳&由乃ちゃんがメイドさんになって何かするのか、ワクワク。

と思いきや、全然そんなお話ではない。

「スール・オーディション」も行われない。

 

「だまし」の一冊ですから、トリックスター由乃さんメインのおはなしではあるわけですが、

(有馬菜々ちゃん登場)

しかし、「特別でないただの一日」で開始された祐巳-瞳子をめぐるヒリヒリするような心理戦がさらに盛り上がってきます。

当然この心理戦が、大傑作「未来の白地図」へと繋がっていくわけです。

 

p110

「そういえば、階下(した)に蔦子さんいた? 今のうちに、スコーンの写真を撮ってもらいたいんだけれど」

 真美さんが尋ねると、由乃さんはパンと一つ手を叩いた。

「ああ、そうだ。蔦子さんよ、蔦子さん。蔦子さんさ、今し方茶話会の撮影は遠慮するって言いにきたけれど、もちろん聞いてないわよね」

(真美&由乃。薔薇の館にて)

蔦子さんよ、蔦子さん。蔦子さんさ、という「にょろにょろ」

あと、このあと笙子ちゃんと蔦子さんの出会いがあるという伏線でもありますな。

 

p118

 どっちにしても、一年生と二年生に分かれてフォークダンスを踊るわけではないので、数が揃わなくても構わないわけだが。

(乃梨子の心理描写。薔薇の館にて)

とうぜん、レディ、GO!のあの輝かしきフォークダンスシーンを思い出すわけです。われわれは。

とうぜん「にょろにょろ」

 

p197-198

「リリアンの制服は目立つので、トレーナーを被って応援していたんですけれど。失敗しました。いつの間にかリボンがほどけていたのに、気づきませんでした」

 ほら、と、トレーナーをめくって見せる菜々。その時、由乃の目に映ったものは――。

「あ、あなた」

 自分の着ている制服とほとんど同じだが、決定的に違う胸もと。

「中等部の生徒だったのっ!?」

 由乃は指をさして叫んだ。セーラーカラーのラインからつながる黒くて細いリボンは、中等部の印だった。

「はい。三年生です」

「ああ」

(菜々&由乃。市民体育館にて)

「構造」上の特異点――つまり、リボンか、タイか、という違い――を描くという今野緒雪の得意技。

この描写がさらにすさまじいのは、

この「特異点」が将来的に山百合会における「特異点」になる、ということです。

わかりやすくいいますと、

この先 順調に 由乃と菜々が姉妹になったとしても、

黄薔薇姉妹は 島津由乃(三年生)-有馬菜々(一年生)と、

二年生が空白になってしまう、ということです。

(どうしても山百合会をフルメンバーの9人にはしたくないらしい)

とにかくすさまじいです。

 

p203

「じゃあ、田中有馬菜々って名前なの?」

「田中が苗字で、有馬菜々が名前? そりゃすごいね」

 由乃さんは鼻で笑った。

「お祖父さんの苗字が有馬で、そのお祖父さんの養女になったから田中じゃないんだって。でも、三世代同居しているから、養女といっても名前だけの話で、生活は田中姉妹と何も変わらないのよ。違いといったら、お祖父さんのたっての希望でリリアンに入ったくらいなもので」

(由乃&祐巳。二年松組の教室にて)

田中有馬菜々という長い名前……「にょろにょろ」

さらに複雑な系図、というのも今野先生好きね。

 

p211

 あるいは。

 応募者 「特技は、鼻からおうどんをいただくことです」

 審査員 「……みせてもらおうじゃないの」

(あとがき、より)

極めつけは「あとがき」にまでにょろにょろを登場させること。

そういえば この「妹オーディション」 「蛇」は出てこなかった気がする。

やっぱり由乃さんメインのおはなしだからか?

 

22,「薔薇のミルフィーユ」

作中の時間:某年12月。

(寸評)

「黄薔薇パニック」「白薔薇の物思い」「紅薔薇のため息」……

というのだから 「レイニーブルー」パート2 といっていいとおもいます。

あんなに陰気臭くなくて、どれも明るいのですが。

 

19巻目「特別でないただの一日」以降の展開は――

祐巳-瞳子が、あまりにピリピリ・ヒリヒリするような内容のため

間・間に 甘いクッションを挟んでいるかのようです。

例をあげますと

「鬼滅の刃」の 「血まみれの激戦」→「休憩・訓練」→「死者続出」→「休憩・訓練」……

緩→急→緩→急 の展開みたいなものです。

だが、まあ、プロの作家として当然のお作法なのでしょう。これは。

 

佐藤聖さまが「君は不感症か」 などという名場面があったりします。

 

p22

「ヨシノさま……ですね。あの、染井吉野の吉野ですか?」

 本当にまったくと言っていいほど私のことを知らないんだ、この子。――と、由乃はちょっぴり感動した。

 自意識過剰と言われようと、由乃が高等部の中で結構有名人の部類に入ることは間違いない。

 でも、この子は知らない。脳天がしびれた。

「自由の由に、若乃花の乃」

(中略)

「ああ、乃木大将の乃……」

 若乃花ではピンとこなかった菜々は、あまり相撲には詳しくないらしい。しかし、乃木大将ときたか。渋い中学生だ。

(菜々&由乃。リリアン女学園中等部昇降口にて)

「吉野」なんてファーストネームは、日本国にあまりいそうにないから、

ここは「蛇」「狐」の著者である「吉野裕子先生」の「吉野」という暗号なのではないか? と深読みしたいところ。

 

あと、

……というか、こっちのほうが重要ですが、

・なぜ主要キャラクターのうち二人が「乃」という字が名前に入っているのか?

という問題があります。

ようするに 島津由乃-二条乃梨子 という両極端な二人です。

 

おそらく二条乃梨子が先にあって、そのあと島津由乃が生れたのでしょうが、

これはどうみても 「乃」というにょろにょろした文字が好きだから。

としか考えられません!!

 

p46

「そういうことですね。諦めますか?」

「まさか」

「じゃ、できるところまでやりましょう」

「おうよ」

 菜々に引きずられる形で、続行。負けず嫌いの由乃は、「できないの?」とか「無理でしょう」なんて言葉で挑発されたら最後、ノンストップのジェットコースターと化してしまう。

(菜々&由乃。都内某ホテルにて)

ジェットコースターというにょろにょろです。

というか、ジェットコースターがよくでてくる一冊です。

 

p105

「リコー」

 リビングのソファで菫子さんが叫んでいる。

「電話ー出てー。爪やってるから出られないのー」

 蛇口を締めると、確かに呼び出し音が聞こえてきた。

「はいはい」

 菫子さんたら。マニキュアを塗っている最中でなくても、このところ乃梨子が側にいれば電話に出ない。大家さん対店子の力関係が、こういうところに現れる。

(菫子さん&乃梨子。菫子さんのマンションの部屋)

 

毎度おなじみの「蛇口」です。

……が、「蛇口」なのに重要な場面じゃないや。

いつも重要な場面に顔を出すはずなのに、へんなの??

 

とおもったのですが、よくよく考えてみると、

この本が出版されたのは2005年なので 高校生は携帯電話を持っていても不思議はないわけです。

乃梨子ちゃんは親元から離れているわけですから、とくに。

 

なので、これは「今、失われつつある光景」を

民族学者・今野緒雪が描写していると考えると……

たまらなく重要な場面におもえてくるわけです。

 

ちなみにこの一冊。

p48 携帯電話は持っていない。

と、由乃&菜々の描写があり、

p177 「僕の携帯貸してもいいけれど?」

という柏木さんのセリフがあり、携帯電話に関する言及が多いです。

 

p124

 ということは。

「期末試験が終わったら、遊園地へ行きましょう、ということですか」

 祐巳は、恐る恐る確認した。すると、お姉さまはあきれ顔をしている。

「最初から、そう言っているじゃないの」

「はっ」

 これは、ぬか喜びでも何でもなく、素直に喜んでいいことのようだ。

「ただし、ジェットコースターには乗らなくってよ」

(祥子&祐巳。薔薇の館にて)

ジェットコースターというにょろにょろ。

というか、蛇お嬢様・祥子さまには どういうわけか

「祐巳をジェットコースターに乗せたい」という異様な強迫観念があり、

それがなぜか? は一切説明されません。

 

まあ、正解は「祥子-祐巳は、ヘビだから」

というものになるわけですが。

 

p136

 乗り換えの駅に着くまで結構ある。祥子さまが何かゲームをしながら行こうと提案したので、「あたまとり」をしながら電車に揺られることにした。

 あたまとり、とは、しりとりの逆で、前の人が言った単語の頭の文字をおしりにつけた単語を言う、というものである。つまり、例を挙げると、「ラッコ」→「ゴリラ」→「リンゴ」→「くり」という風に進む。

 では、スタート。先行は祐巳。

(祥子&祐巳。遊園地に向かう電車の中にて)

p151

「私、別にジェットコースターになんて――」

 言ってない。一言も。いや、確かに連想ゲームならば「遊園地」ときたら「ジェットコースター」と答えるくらい、祐巳の中で二つのイメージは直結してはいるけれど。今日はお姉さまと一緒だから、最初からジェットコースターは抜きで考えていた。だから、「乗りたい」なんて物欲しそうな目でそれを眺めることさえなかったはずなのだ。

「私が見たいのよ、祐巳が乗る姿。いいでしょう?」

(祥子&祐巳。遊園地にて)

かわいすぎるおデート。スマホなんかまだ存在しません。

あたまとり・しりとり→にょろにょろ。

ジェットコースター→にょろにょろ。

当然ラストの 祐巳→ミルフィーユ→祐巳→ミルフィーユ につながります。

 

p183

「祐巳。家に電話しておいた。それから、祥子さんが部屋に来て欲しいって言っているらしいけど……どうしたの?」

「ううん、別に」

 祐巳は立ち上がって、セーターの下に着ていたブラウスの前ボタンの胸の辺りを、セーターごとギュッと握った。

「祐巳?」

「何でもない。祥子さまの部屋に行ってくるね」

(祐麒&祐巳。小笠原邸にて)

これは――とくに説明されない……それゆえに非常に深い部分だと思います。

ここはわたくしが説明するのも野暮ですが

祐巳が握るのは不在の「タイ」→にょろにょろ→ヘビ同士である祥子さまとの絆

というような感じになるのでしょうが、

それ以上の、説明しきれない「なにか」が潜んでいます。

こういう説明不能だが、魅力的なディテールがこの一冊の魅力だといえます。

 

p195

 窓の外の、外灯やらコンビニエンスストアの灯りなんかを目に映しながら、ぼんやり頭の中で単語を並べる。

 

 ミルフィーユ。

 ゆ、祐巳。

 み、ミルフィーユ。

 ゆ、祐巳。

 

 一人でやるしりとりは、壊れたレコード盤のように同じところを何度も繰り返すだけ。

 それが積み重なって層になって、いつしかため息でできた巨大なミルフィーユが出来上がってしまうのではないかと思われた。

(祐巳の心理描写。柏木さんの車の後部座席)

 

ここはものすごく深くて……トマス・ピンコレベルでは説明不能です。

たぶん「マリみて」世界の中心点はここにあるのだとおもいます。

 

たぶん……ジャック・ラカンのいう〈対象a〉というのが、この無限しりとりの正体なんじゃないかという気がします。

 

〈対象a〉は空間内に存在する実在物ではなく、究極的には、空間そのもののもつある種の歪みに他ならない。このゆがみのせいで、われわれは対象に到達しようとするとかならず曲がらなくてはならないのだ。

(筑摩書房、スラヴォイ・ジジェク著、鈴木晶訳「汝の症候を楽しめ」85ページより)

まあ、偉そうに引用していますが、

正直言うと ジャック・ラカンなんてよくわかっていません(笑)

ただ、聖さまの「君は不感症か」 は こうみてみると非常に深いセリフのような気がしてきました。

とにかく「マリみて」は奥が深いです。

 

23,「未来の白地図」

作中の時間:某年12月。

(寸評)

大・大・大傑作。

先ほど 祐巳→ミルフィーユ→祐巳→ミルフィーユは 「マリみて」世界の中心だ、などと書きましたが、

まさしく、この「未来の白地図」の冒頭が 前作「薔薇のミルフィーユ」のラストシーンをうけて、

p12

み、ミルフィーユ。

ゆ、祐巳。

み、ミルフィーユ。

ゆ、祐巳。

な、わけです。これはすごい一冊。

 

山百合会の「構造」という視点からいうと、

・由乃-菜々→菜々が山百合会の面々にはじめて紹介される。

・祐巳-瞳子→祐巳の瞳子への「私の妹にならない?」という問いかけは断られる。

この2本のプロットが中心となるわけですが、

クリスマスパーティの出席者10人が10人

それぞれいろいろなことを考え、行動する――

多人数それぞれの人物の思い・行動が破綻なく語られる超絶テクニックが見ものです。

 

ポイントとしては、「微妙なバランスで崩れるもの」が頻出するあたりでしょうか。

「ジェンガ」「ツイスターゲーム」というゲームはわかりやすい。

主要人物以外のキャラクターも「微妙なバランス」に悩んでいて、

瞳子の家出問題をできるだけ大ごとにしないように悩む柏木さん、

そしてp39

「このご飯は……玄米ですか」

「玄米と麦と白米をブレンドして炊いたの。カレーの時だけね」

 お母さんは、ブレンドの割合は毎回変えているんだけど未だ「これぞ」という比率が決まらないのだ、ということをしゃべった。

祐巳ちゃんのお母さんまで「微妙なバランス」に悩んでいる、というあたりがすさまじいです。

とうぜん、由乃さんが菜々ちゃんをつれてくるための算段も、そうです。

 

個人的に――

今野緒雪「未来の白地図」の完成度に比肩し得るのは 小津安二郎「麦秋」なんじゃなかろうかとおもいます。

ジャンルはまったく違いますが、「基本構造」はそっくりです。

「麦秋」の紀子(原節子)が結婚を決めるのは突然だし、

「未来の白地図」で祐巳が瞳子に「妹にならない?」というのも突然なのだが、

突然の決定的なセリフに至る過程が、控えめだが実に丁寧、繊細に形作られていて……

その「突然」が「必然」に思えてくるわけです。

 

p12-13

 み、ミルフィーユ。

 ゆ、祐巳。

 み、ミルフィーユ。

 ゆ、祐巳。

 

(ああ、だめだ)

 また、心の中でつぶやいている。

 小笠原邸からの帰り道、柏木さんの車の中で始めた、エンドレスの一人しりとり。

 しりとり自体は、無意味なことさえ除けば、これといって問題はない。問題なのは、それを行っている時の祐巳の精神状態なのである。

 気がつくと、頭の中でいろいろな、どちらかというとあまり楽しくないことを考えている。

 それを追い出すために、無意識のうちにエンドレス一人しりとりがスタートする。

 そうすると、ついついそのリズムに乱されて、持っている編み棒が暴走して、毛糸が一目滑り落ちたことに気づかず次の段まで編み続けてしまう、なんていう失敗に陥るわけだ。これで何回目だろう。

 だめ、なのは、目下そのこと。

 せめてもの救いは、ここ自室には自分以外の人間がいないことだろう。要所要所にため息を挟みながら、編んではほどき、編んではほどき、をやっている図を誰かが見たら、何のパフォーマンスかと思うだろう。

「ふう」

 祐巳は編み目から編み棒を抜いて、一段分の目をほどいた。できたてのインスタントラーメンのようにうねった毛糸が、膝から下、足もとへと落ちていく。

(祐巳の心理描写。福沢家、祐巳ちゃんの自室にて)

 

上記(寸評)で 「微妙なバランスで崩れるもの」が頻出する、と書きましたが、

まず最初に登場するのが、祐巳ちゃんの編み物です。

とうぜん「にょろにょろ」です。

 

ラーメンは、当然、あの輝かしき麺食堂シーンにでてきましたっけ。

 

p91

 テーブルよし、お湯よし、カップよし、ケーキ現在進行形。さてそうなると、

「今年、七夕飾りどうする?」

 祐巳と由乃さんは顔を見合わせた。

「ねえ?」

p94

 祐巳は段ボール箱の蓋を開いて、中から厚紙の王冠とかイカリングのような鎖とかを出し始めた。

 しかし、まさかこれを大事に保存していたとは。それを覚えていて、いつの間にか探し出しておいたとは。

 恐るべし、祥子さま。そして、そんなことをさせちゃう蓉子さま。

(クリスマスパーティの準備の描写。薔薇の館にて)

 

お嬢さまたちのクリスマスパーティの準備の描写がかわいすぎる件。

飾りつけは「にょろにょろ」しております。

 

p122

「島津由乃。シマは日本列島の島、ヅは甘栗で有名な天津の津、ヨシは自由の由、ノは乃木大将の乃。染井吉野のヨシノではありません」

(由乃さんの自己紹介。薔薇の館にて)

はい。

何度でもやります。「乃」そして「吉野」

 

p129

「それじゃ、乃梨子ちゃんと由乃ちゃんで決勝戦ね」

 ジェンガーが片づけられ、模造紙で即席に作られたツイスターゲームが広げられる。真のゲーム王には、麵食堂の食券四枚が贈呈される。

(クリスマスパーティの描写。薔薇の館にて)

 この短い一節に 今野緒雪のすべてが放り込まれているような気がしてしまう。

・「ゲーム」

・「ツイスト」→よりあわせる→聖&栞の三つ編みシーン。

・「にょろにょろ」→「乃」の字、麺食堂。

 

この一冊。由乃-乃梨子の今までなかった絡みが多いんですよね。

あまりに正反対すぎて接触がなかった「乃」コンビがやけにからみ合います。

 

p170

 ゴージャスなレースで縁取りされているのは、去年と変らない。けれどイニシャルのSの部分には、上からピンクの糸でYの文字が刺繍してある。Sを消すようにではなく、どちらも見えるようにうまく重ねて。まるで、何かのロゴマークみたいに見えた。

(祥子&祐巳。祥子さまのクリスマスプレゼントの描写。薔薇の館の扉の前にて)

刺繍という「にょろにょろ」ですが、

「S」はスネークの「S」

そして「Y」の字は 3つの直線の集合体とみれば興味深いです。

 

24,「くもりガラスの向こう側」

作中の時間:某年1月。

 

(寸評)

ハードな心理戦の後のお正月休みの一巻。

「長き夜の」パート2といってよいでしょう。

 

わたくしとしましては――

「マリア様がみてる」はヨーロッパ近代小説の系譜にあるのではなく、

江戸文学の系譜上に位置しているということがわかったのが この一冊、ということになります。

 

それまでは、文章の視点がコロコロと変ることに非常に違和感を感じていたのですが、

(祐巳中心の視点が、急に 由乃視点・乃梨子視点になったりする)

そのことが「マリみて」の欠点のようにおもっていたのですが、

そんな固定された視点、などというものはヨーロッパ文学のドグマにすぎないわけで、

「マリみて」は江戸文学の子孫なのだ、と考えて見れば、まったく問題はないわけです。

ころころと視点が変わるという点は。

 

で、なんで急に 江戸文学の子孫なのだ、などと気づいてしまったか、というと、

この本の表紙の 祥子さまの描写で↑↑

(ご存知ない方のために書くと 左側に立っている着物姿のお姉さんです)

これは見事に――

p69

「おめでとう」

 祥子さまは、水色の飛び石柄の小紋を着ていた。葡萄茶(えびちゃ)の羽織は去年と同じ物だ。長い髪は、緩い三つ編みにして簪でアップしていた。

この祥子さまの様子を「絵」で説明しているわけで……

これはまさしく 馬琴の「南総里見八犬伝」

挿絵もまた、表現の一手段であった江戸文学そのものなわけです。

 

p42

「油揚げ……」

「だって、ここはお稲荷さんだから」

「本当だ」

 よくよく見れば、左右に二匹でお社を守っているのはキツネだった。

「ねえ、祐麒。今度、この場所までの地図を描いて」

「えっ。今歩いてきたのに、わかんなかった?」

「だって暗いし」

「家から十分もないぜ」

(祐麒&祐巳。福沢家近くのお稲荷さんにて)

 

この巻あたりから「キツネ」が登場するような気がするんですよね。

「にょろにょろ」「ヘビ」と関係ありませんが、

気になるので書き写しておきます。

 

「キツネ」なるコトバは、

あとあと由乃さんと一緒に登場することが多くなるような気がしますが――

キツネ→トリックスター→由乃

と、トマス・ピンコがそう思いこんでいるだけなのかもしれません。

 

p92

「駒の代わりに自分自身で動くの」

 小母さまは手にしていた模造紙を、みんなの前に広げた。そこには昔子供向け雑誌の新年号には必ず付録でついていたような双六のマスが描かれていた。「ふりだし」から「あがり」まで、マスをつなげたくねくねした道でつながっている。ただし、マスの中には「一回休み」とか「サイコロで2が出たらニマス進む」とかいう文章は一切書いていない。代わりに書いてあるのは「カバの間」とか「クラゲの間」とかいう意味不明の言葉だった。

(清子小母さま発案の双六の解説)

 

祥子さまの母上・清子小母さまが、

自分の家(大邸宅)を使って双六をしようといいだすシーン。

 

30巻目「フレーム オブ マインド」所収の「ドッペルかいだん」

漫研の涼子さまというキャラクターが肝試しをしようと言い出しますが、

今野緒雪にとって「お姉さま」とは「ゲーム」を発案する人物のことをいうのかもしれません。

そう考えてみれば、すでに1巻目「無印」からそうだったわけですし、

(祥子さまが、祐巳ちゃんを妹に出来るかどうか? というゲームを強制させられる)

27巻目「大きな扉 小さな鍵」

感情が異様に高まってしまった瞳子に対して 祐巳が「その場で百数えなさい」といいますが、

あの時点ですでに ロザリオうんぬんは関係なく、祐巳は瞳子の「お姉さま」なのだ、と言っていいのかもしれません。

 

p100

「祐巳。服を脱ぎなさい」

「ええっ!?」

「どう考えても、これはここにある着物を着なさいという指令だわ。ほら」

 祐巳の驚きを無視して、籠の一番下から着付け指南の実用書を見つけて掲げる祥子さま。

「令たちでも困らないようにフォローしてある」

「で、でもっ」

「時間がないのよ。早くお脱ぎなさい」

 早くも妹のセーターの裾に指をかける祥子さまではあったが、祐巳は必死で抵抗した。

(祥子&祐巳。小笠原邸にて)

「ウァレンティーヌスの贈り物」の ジーンズショップ試着シーンの輝かしいパロディなのでしょう。

祐巳ちゃんが着るのは着物、そして舞台は大邸宅の一室。

ジーンズショップのシーンと正反対のシチュエーションです。

 

また、ヘビ娘・祐巳ちゃんが服を脱ぐ――というと、「脱皮」なのかな? ともおもえます。

(ジーンズショップの祥子さまがもろに「脱皮」だったように)

このシーンの直後に起こる出来事……融小父さま(祥子さまのお父さま)に清子小母さまと間違われる件

を考えるとなにやら意味深です。

 

p121-122

 抹茶が畳の目に入り込んでは大変です。大急ぎで掃除機を取ってきて、吸い取りました。

 ちょうどスイッチを切った時でしたね、祐巳ちゃんの悲鳴を聞いたのは。それで取るものも取りあえず二階へ駆けつけたのですが、その時思わず掃除機の柄を――あ、チューブとかパイプとか言うんでしょうか、つまり吸い込み口につなげて使うプラスティックの細長い筒を、力任せに引き抜いてもってきてしまった、と。

(令さまの証言。小笠原邸にて)

チューブ・パイプ・細長い筒……「にょろにょろ」です。

フロイト的な解釈も可能でしょう。

 

p123

「信じます」

 祐巳は言った。すると。

「祐巳!」

「祐巳さん!」

「祐巳ちゃん!」

「祐巳さま!」

 今まで融小父さまに集中していた視線が、一瞬にして祐巳へと移動した。

「祐巳。父を庇ってくれているの?」

(中略)

「庇う、とかじゃなくて」

 祐巳は告げた。このままじゃグチャグチャに絡まった糸みたいに収拾がつかないから、ほぐせるところはほぐそうと思ったまでだ。

(小笠原邸にて) 

融小父様にチカン疑惑が! というシーン。

巳……巳……巳……ときて「グチャグチャに絡まった糸」

どこからどうみても「にょろにょろ」フェチの今野緒雪です。

 

p153

 なかきよの

   とおのねふりの みなめさめ

 なみのりふねの

   おとのよきかな

 

「いいですか。このように、上から読んでも下から読んでも同じ文になっていなければいけません」

 ちょっとだけ先に知った者として祐巳は、ちょっとだけ先輩風を吹かせてみた。

「なるほど。トマトの長いバージョンか」

「しんぶんし」

「こいけけいこ、さん」

「あ、いたいた。同学年に一人」

 どこかで聞いたような会話の流れ。考えることは皆、一緒のようである。

(小笠原邸にて)

はい。これもコトバの「にょろにょろ」

 

25,「仮面のアクトレス」

作中の時間:某年1月

 

(寸評)

23巻目「未来の白地図」を 大・大・大傑作などと書きましたが、

それは多人数の女の子たちがそれぞれワチャワチャ動き回るシチュエーションを

破綻なく描き切っているからで……

と、なると、生徒会役員選挙を描いた 静的で比較的地味なこの1冊は傑作ではないのか?

というと、そういうわけでもないでしょう。

複数のプロットが絡み合うわけでもないし、

けっきょく何が起こるわけでもないし(選挙はあるが、けっきょくいつもの信任投票)

祐巳と瞳子の関係になにか進展があるわけでもない。

 

ムリヤリ解釈をすると――

姉妹(スール)制度を根本に据えた山百合会(貴族主義)

と――――、

生徒会役員選挙(民主主義)

との対決がおもしろいのだろう、という気がしますが、

それだけでは説明しきれない魅力がこの1冊にはあるようです。

 

タイトルのとおり、「面」「仮面」がひとつのテーマになっているせいか?

いつもより「にょろにょろ」「ヘビ」要素は少ないようにおもえます。

 

p74

「ごきげんよう、瞳子ちゃん」

 祐巳は、それだけ言うのがやっとだった。それだけ言えば、十分がんばったと評価していい。

「私たち薔薇の館に行くから、またね」

 志摩子さんが、そう言ってその場を離れてくれたので、内心助かった。腕を絡めていた志摩子さんが支えていてくれたからどうにか切り抜けられたけれど、あと一分とかあの場にいたらしゃがみ込んでいたかもしれない。それくらい、足ががくがくと震えていた。

 祐巳は、瞳子ちゃんに負けていた。何も悪いことはしてないと思いつつ、完全に立場は弱かった。

(瞳子、志摩子&祐巳。校舎内、廊下にて)

 

志摩子さんに絡みつくヘビ娘・祐巳。という描写です。

そういや、志摩子-乃梨子の、白薔薇姉妹が妙にめだっていますね、「仮面のアクトレス」は。

 

p134

  水場に着いたので、バケツの水を排水溝に向けてそろそろと流す。

「うん。そんなことだけれど、由乃さんには、かなり気になるところなんじゃない」

 銀色の蛇口が、ピカピカに光っていた。ここの掃除を担当した生徒は、丁寧な仕事をする。

(蔦子&祐巳。掃除の描写)

 

毎度おなじみ「蛇口」

今回も重要なシーンに顔を見せます。

(水・掃除・蛇口、そして丁寧な仕事……今野先生の好きなものを全部ぶっこんでる感じ)

重要という意味は――この蛇口の直後に、

p136

「私だって、あの子のことはわからない。だって、大体いつでも仮面を被っているでしょ」

「仮面……」

「感じる時ない?」

「ある」

 すごく、ある。

――という、蔦子&祐巳のすごく大事な会話がはじまるからです。

 

26,「イラストコレクション」

 

タイトルの通り、

ひびき玲音さんのイラストコレクションです。

 

「ヘビ」も「にょろにょろ」も発見できませんでした。

どうでもいいが チャイナ服の祐巳ちゃんはかわいすぎる↓↓

 

27,「大きな扉 小さな鍵」

作中の時間:某年1月おわり~2月。

(寸評) 

あとがきで今野先生ご自身が触れているが、祐巳ちゃん視点がまったくない珍しい一冊。

後半の「ハートの鍵穴」は、今まであまりなかった瞳子視点があらわれます。

短編では瞳子視点はあったけど、それ以外……メインの祥子―祐巳物語でははじめてではないか?

どこかにあったっけ?

つまり、今まで「われらが祐巳ちゃん」にひどいことばかりしていた瞳子の内面をはじめてうかがい知ることになるわけです。

 

んーだが、祐巳-瞳子の心理戦、ひっぱりすぎのような気もするなぁ……

瞳子ちゃんの心理描写をしたのは正解だったのだろうか? よくわからない。

謎の生物のままにしておいてほしかった気もする。

せっかくバレンタイン企画の準備という話題があるんだから、それをいかして何かできなかったか?

という気もする。

んだが、次回「クリスクロス」のあの「なまはげシーン」の準備なのでしょう、これは。

 

p58-59

 この古狸たちめ、と由乃は心の中でつぶやく。三年生の二人は、このところとみに先代たちに似てきて困る。

「あら由乃ちゃん、どうしたの? 真美さんに椅子を勧めて差し上げて」

 お姫さまみたいなお面を被った『古狸その一』が、すました顔で言った。

「まあ、そうでしたわ。どうぞ、真美さん、こちらの席に」

 そっちがその気なら、こっちは狐にでも何でもなってやる。

(祥子&由乃。薔薇の館にて)

 

由乃=キツネが明確にでてきた!

その気になってみると、ひびき玲音さんの描く由乃さんは、

キツネが化けた美少女のようにもみえなくもない↓↓

 

p73

「お手もとの資料をご覧下さい」

 言われて、由乃も冷めた紅茶のカップと資料の場所を交換した。まずは『バレンタインイベント企画書』と書かれた表紙をペラリとめくる。左上をステープラーで留められたA4コピー用紙の、二ページ目の最初に書かれた文字はと言うと。

(由乃さん視点。バレンタインイベントの会議。薔薇の館にて)

ここね。

ステープラーって、いわゆる「ホッチキス」のことです。

確かに「ホッチキス」は会社名ですので

(ミリオタなら皆知っているが機関銃とかも作っていたフランスのメーカーである)

ステープラーというのが正しい。

が、「ホッチキス」でないと通じないよね。

「ちょっと、そこのステープラーとって!」っていいます? 言いませんよ。

 

で、なぜ 「ステープラー」と書いたかというと、

これは今野緒雪の「S」好きのせいだろうとおもうわけです、はい。

 

p113

 一度、家族のバランスを壊したのは自分。それを表面的につなぎ止めるためだけの、セロファンでできたテープのような嘘はつきたくない。

 繕ったところで、もう二度と壊れる前の形には戻らないのだ。壊したことが無駄になるだけの修復なら、いらない。

(瞳子の心理描写。松平家にて)

ここも文房具関係のヘンなディテール。

セロファンテープっていえばいい。

そこを「セロファンでできたテープ」

 

ここはつまり「S」と 「テープ」(にょろにょろ)

この二つを放り込みたかったんだとおもいます。きっと。

それを語るのが、ヘビ三姉妹の末っ子・瞳子ですし。

 

p129

 祐巳さまは悪くない。瞳子は、護身のために持っている凶器を過剰に振り回して、自分を斬りつけ、血を流しているのだ。そして時には、相手のことも傷つけてきた。

「きっと、私に問題があるのでしょう」

(瞳子の心理描写。演劇部の部室にて)

 瞳子はなんとなく毒ヘビなんじゃないか? という気がする。

 

p143

 お店の人にお手洗いの場所を聞いて、手だけ洗った。気づかなかったけれど、手にびっしょりと汗をかいていた。

 冷たい水が気持ちいい。

(瞳子の心理描写。ファーストフード店にて)

お得意の「水」描写です。

「マリみて」の少女たちはなにかというと水分摂取をしています。

(飲み物の描写は異常に多い。たとえば、このシーンの直後、瞳子と柏木さんはコーラを飲みます)

そして要所要所で「水」の描写があります。

(この記事で最初に触れました「パラソルをさして」のみそぎシーン)

ヘビと水の親和性も当然考えたいところです。

 

p148-149

 会話がなくなったことで、瞳子の思考は内へ内へと向かっていった。話が途切れる前にお兄さまが発した「祐巳ちゃん」という言葉が、頭の中でリフレインされる。

 祐巳ちゃんのことにしたって、

 祐巳ちゃんのことにしたって、

 祐巳ちゃんのことにしたって――。

 耐えきれなくなって、瞳子は口を開いた。

「じゃああの時、ロザリオを受け取っていればよかったとでも言うの? そんなこと、できるわけがない」

(柏木優&瞳子。柏木さんの車の中にて)

祐巳祐巳祐巳

巳……巳……巳……

そしてわれわれは 祐巳-ミルフィーユ-祐巳-ミルフィーユも思いだします。

 

「ヘビ」「にょろにょろ」イメージを読者に植え付けて

最後、どかんと 「ロザリオ」というワード!

今野緒雪でしか書けない天才的な文章です。

すさまじいです。

 

p156

 これは何だろう。

 しばしちり取りの中を眺めて、やっとそれらカラフルの正体がわかった。

(ああ)

 休み時間にクラスメイトたちが編んでいる、毛糸の繊維だ。

 とはいえ、ただ編んでいるだけでこんなに綿埃になるものなのか。いや、あり得ないことではない。何度も編んだりほどいたりを繰り返している人もいれば、毛羽だったモヘア糸を使っている人もいる。バレンタインデーを約二週間後に控え、クラスの三分の一くらいが休み時間のたびに編み物をしていれば、これくらいの量になるのだろう。

(瞳子の心理描写。一年椿組の教室にて)

「毛糸」という「にょろにょろ」

しかし、まあ、すごいディテールです。女子校あるある、だったりするんでしょうか?

そしてこの「にょろにょろ」から、

→p155

 学校生活というものは、行事と行事をつなぎ合わせてできているようなものだ。

と、もうひとつの「にょろにょろ」につなげます。

 

旧近藤邸(遠藤新・1925)その1 神奈川県藤沢市

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んー わたくしは戸惑っております。

現場では正直、たいして感銘を受けなかったのですが――

 

やけに写真写りがいいな、この建物。

という感じ。

自分で撮った写真を見ると、なんだかかっこよくみえてくるから不思議。

 

逆のパターンはよくあるのですがね。

現場での感動が、写真ではまったく伝わらない。

伝えきれない。というのが。

 

もとい、江ノ電の石上駅というところから歩いて行きました。

帰りは藤沢駅まで歩きました。

どちらにしたところで、まあまあ歩きます。

 

↑↑

こんなシステムになっています。

近くの市民会館のお役人に声を掛けると鍵を開けてくれる。という仕組み。

見学し終わったら、また「終わりました」と声を掛ける。

 

例によって(?)わたくし、カメラ等重装備ですので、それをみながら

お役人「商業目的で使用するのではなければ 写真撮影大丈夫です」

ということでした。

 

まず玄関まわりのご紹介。

遠藤新先生というとやはりライトのお弟子さんだから、

ライト建築と比較すると――

 

・やっぱりドアは薄っぺらい。(自由学園・帝国ホテルも「え?」というくらい薄っぺらい)

・フランク・ロイド・ライト建築のエントランスの、あの迫力はない。

 

というところか。

建築家の技量というのは、空間上の特異点(エントランス・階段等)のデザインに最もあらわれる。

……と、おもってますので、

 

遠藤新。やっぱりそれほどの技量の持ち主ではないのではあるまいか?

 

アールデコ様式のドアですが、

アールデコの幾何学模様って「リズム感」がないと何の意味もない↓↓

 

ここらへんもお師匠のライトの技量とは雲泥の差を感じてしまう。

ライトはなにをデザインさせても、音楽を感じてしまう。

現に、ライトデザインのアールデコ模様を使った ノリタケの食器だの コップだの 本のしおりだの

いろいろ商品が出ていたりするわけです。

 

遠藤さんは、ただお師匠のマネごとだな。野暮。ボサッとしている。

 

玄関ホール。

 

ライトの場合、建物に一歩足を踏み入れると

「わー」とライト・ワールドに囲まれますが、

あの体験はない。

 

池袋の自由学園。

あれ、かなり遠藤新の手がはいっているんじゃないか? などということですが、

旧近藤邸のこの技量をみると……

 

自由学園はやっぱし、基本はフランク・ロイド・ライトのデザインなんだろうと確信してしまう。

あの流麗な空間デザインは、ここにはありません。

 

ドアノブ。

マイナスねじではないので、またトマス・ピンコの評価を下げてしまった(笑)

 

1980年に移築するときに付け替えたのかな?

 

玄関ホールの様子。

こじんまりしている。

お金持ちの近藤さんが 海岸沿いに建てた別荘ということですが、

このこじんまり感は施主の性格の良さが出ているようにおもう。

 

近藤さんは「オラオラ」と人を威圧するような人ではなかったんだろう。

それは玄関だけでなく、建物のあちこちに感じる。

 

パンフレットの経歴をみると

明治27年同志社大学を卒業後、北海道の牢獄教戒師、……うんぬん、

とありますから クリスチャンですかね。この人。

 

竣工時の写真とか図面とか

遠藤新の紹介、とか

 

展示物は非常に充実しております。

 

これは――写真を撮ったのですが↓↓

無料でいただけるパンフレットに同じ記載がありました。

 

ので、トマスのように撮影する必要はないです。

 

玄関ホールから 居間兼食堂

ダイニングルームに入ってきます。

 

ここがこの建築の一番美しい所でしょう。

 

ライトだと、天井に凝ってみたり、視界がぱぁーっと開けたり、

おもしろいことをやるのですが、この建築ではそれはないです。

 

この建築 少し前まで 「すかいはーと」とやらいう喫茶店みたいなものだったらしいのですが、

(公営の? でしょうね??)

 

お客さんはここで食事したのかな。

ご存知の方、教えていただきたい。

 

暖炉。

大谷石ですね。毎度おなじみ。

 

 

 

 

 

 

ベストショットかな↓↓

これで向う側に海なんか見えたら最高でしょうねえ。

 

この記事。しょっぱなから この建築をディスってますが、

移築されてしまっている、という点は大きいでしょうねえ。

 

あと、遠藤新先生。

建物の内側よりも外側

エクステリアのほうがうまい気がします。

(外観はその2でとりあげる予定です)

 

赤い革のソファですが……もともとこういうものだったのかな?

竣工時から?

よくわかりません。

 

趣味がいいのだか、悪いのだかよくわからないが、

ボロボロだったのは確かです。

 

かわいらしい模型。

 

ダイニングの棚。

 

ローポジションから撮ってみる。

 

同行のT子さんは

このソファの上でずっとグダグダして

ハンディ扇風機の風を浴びていた。

 

ので、どいてもらって撮ったのがこの写真。

 

二階に行ってみましょう。

階段はまったく凝っていません。

デザインする意志を感じません。

 

階段の作り方をお師匠から学ばなかったのか? 遠藤新。

 

フランク・ロイド・ライトとの関連で 建築史の本などには「遠藤新」という名前は目立つところに登場するんですが、

建築家としての技量は やっぱり二流なんじゃないか、とおもう。

「階段」それ自体をエンターテインメントにしてしまう村野藤吾あたりとは雲泥の差です。

 

しょせん「ライト信者」にすぎないのではないか?

 

…………………

と、けなしてしまいましたが、

性格の良さ、素直さ。まっすぐさ。

は、すごく感じるんだよな。

 

この建物が愛されるのもそのあたりが理由か。

 

施主の近藤さんもきっといい人だったんだろう、とは玄関のところで書いた。

 

二階。

えー……冷房がないので、

ムッと暑いです。

 

二階はとくにムシムシだったのですが、

一階も暑かったです。

 

冷房の設備はありましたが、稼働はしていませんでした。

そりゃ、そうだ。

いつ来るかわからん見学者のために

無駄な電力を使う訳にもいかないでしょう。

 

というわけで この建物の見学に行くのなら、春・秋 気候のいい季節がおすすめです。

 

二階。

こうやって写真をみると 二階はなかなか良い空間のようにおもえますが、

前述のように あまりの蒸し暑さに

ただ写真を撮っただけ。というところです。

 

二階の謎の空間↓↓

 

小さい子供とか、ネコとかが喜びそうです(笑)

 

ここはもう一回行ったら、

一体何なのか? 確かめたいところ。

謎のディテールです。

 

コーナー

美しいといや美しいですが、

大味なアールデコが足を引っ張ってる感じがする。

 

お師匠のデザインの模様だったら、さぞかし美しかったことでしょう。

 

階段を上から見下ろす。

 

トマス・ピンコがけなす理由がよくおわかりでしょう。

ただ「階段がある」というだけで、

デザインする気がまったくない。

 

というわけで、その1 終り。

 

いろいろ不平不満を書いていますが、

・空調が稼動しておらず、蒸し暑かった。

・お腹がすいていた。

 

というこちらの問題も大きいかとおもいます。

旧・近藤邸のファンの方にはご容赦いただきたいとおもいます。

 

このあと、「クア・アイナ片瀬江ノ島店」という 前から気になっていたハンバーガー屋さんに行く予定だったのですよね。

T子さんなどは 完全に意識がそっちにいってましたね。

旧近藤邸(遠藤新・1925)その2 &クア・アイナ片瀬江ノ島店

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その2です。

前回いろいろと遠藤新先生をディスりましたが――

 

①洋風建築の中に日本間が自然におさまっている。

②美しい外観。

この2点は、褒めるべき点でしょう。(上から目線だな、こいつ)

 

ただ①の、日本間の処理というのは、

ジョサイア・コンダー……コンドル先生の時代から

皆が試行錯誤して苦労していたことなので

(コンドル先生はけっきょく成功していない)

そつのない日本間の処理、というのが遠藤先生の独創なのか、よくわからない。

②の外観だが、

まるっきりフランク・ロイド・ライトなので、

これまた遠藤先生の独創かというと、なんだかわからない。

 

でも、ライト信者の遠藤新、としては お師匠のデザインの布教ができればいいので

オリジナリティなんてどうでもよかったのかもしれない。

 

もとい、

洗面所のあたり↓↓

 

右側。ひっこんでいるところが階段です。

天井のへんな斜めの線で階段があることがわかりますね。

 

この部屋は 図面だか資料だかがあった部屋だとおもう。

平面図上「脱衣室」とされているところか?

 

洗面所から奥の和室をみる。

 

これは台所。

 

ご覧のようにエアコンがありますが、稼働しておらず

蒸し暑い。

 

台所のとなりのお手伝いさんの部屋。

昔風にいうと「女中部屋」か。

 

けっこう快適そうです。

 

さっき台所からみえた和室のコーナー。

二階の和室のコーナーの処理もなかなかよかったが、

 

ここも凝っていて素敵です。

(大味なアールデコ……とはおもうが)

 

窓の向こうは消防署です。

 

和室から台所方面をみる。

 

思ったんだが、

近藤邸の和室がこなれているのは、

「アールデコ」と「和室」の相性の良さもあるかもしれない。

 

最近のハウスメーカーの作る住宅が

なんとなくライト風なのも、それが原因なのかもしれない。

 

玄関ホール脇から さっきの和室をみたところ。

 

ダイニングの奥にみえた和室です↓↓

床の間がありますので、ここが一番ヒエラルキーの高い部屋なのか?

 

自由学園でもおなじみ ひし形の窓。

どこの部屋だっけ??

 

撮った順番から判断するに、

床の間のある和室かな。

 

これは遠藤新独特のディテールでしょう。

ライト由来ではない。たしか。

 

で、外観にうつります↓↓

 

個人的には外観のほうがエキサイティングだとおもう。

複雑で、リズム感があって。

 

玄関回りです↓↓

 

水平方向の強調というのは

有名な ヤハラ・ボートハウス(計画案)とか

ミッドウェイ・ガーデンズとか

 

ライトの図面集から勉強したんでしょうか?

 

美しい庭。

 

このあたりはなんとなく自由学園にも似てる↓↓

 

こんなしっくい塗りの柱ありましたよね?

 

藤の季節はきれいでしょうねぇ。

 

池。

ですが、水がはられていない。

 

ちょうど日光がいい感じにさしこんできました。

 

 

 

 

池の水があれば なおのことよかったんですが。

 

外観はさっきも書いたがリズムがすばらしい。

 

木材としっくい壁のバランス。

質感、色の組み合わせ。

落ち着いていい雰囲気です。

 

玄関の上側……柵で囲まれている部分。

バルコニーとなっていたようですが、出られなかったのが残念です↓↓

 

しかし、なんでこういう複雑な壁にしたんだろう??

 

理由がよくわからない。

海岸沿いだと、こういう方式の壁のほうがいいのか?

ただのデザイン上の理由か? コスト面での選択なのか??

 

↑↓ 複雑な壁の構造。

 

ものすごく手間がかかるような気がしますが、大正時代ならば人件費は安くすんだのでしょう。

現代だとこんな壁は作れないんじゃないか?

 

以上、旧近藤邸終わります。

 

お役人に「見学終わりました。ありがとうございました」と告げて

汗をかきかき 藤沢駅へ向かいます。

 

□□□□□□□□

で、前からなんだか気になっていた

クア・アイナ片瀬江ノ島店へ。

 

前回の江の島では なんかチャラチャラしてティーン向けの海鮮丼屋さんにうんざりしたので

真逆方向に行ってみました。

 

これは大正解でした。

また行きたいな。

というか江ノ島以外にもあちこちお店があるみたいだが。

 

これはわたくしの頼んだ コルビージャックバーガーとかいうものだとおもう。

ランチのセットで ポテトとドリンクが付いてきた。

 

それだけでお腹いっぱいでした。

 

これはT子さんのアボカドバーガー。

これでもか、と アボカド。

こういう細いポテトははじめてみた。

 

バルコニー席からの景色。

風が若干強いかな。

 

 

 

ハワイを強調してますが……

 

ハワイに1店舗

日本に30店舗って――

 

日本の会社よね。

 

いや、でもおいしかったです。

他のメニューも気になる。

新江ノ島水族館のイルカのショー。バンドウイルカのミレニー

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えのすい。

コツメカワウソをみたあと

16時から イルカのショーを見まして

いろいろ写真を撮ったので はりつけます。

 

タイトルに書きましたが、

バンドウイルカのミレニーちゃんという子がメインの日でした。

 

飼育員のお兄さんの話から判断するに、

日によって、主役の子が変るようです。

 

これは↓↓

ミレニーのお母さんの ルイ だとおもう。

たしか。

 

ミレニーは2000年生まれなので ミレニアムから 「ミレニー」と名づけた、といっていた。

ということは 20歳だか21歳だかで

ルイはもっと年上。

 

イルカって長生きするのだな。

 

尻尾を撫でてやると たいそう喜ぶ、というようなことを

説明していたように記憶します。

 

 

 

 

急に跳んだミレニーちゃん。

 

トリミングしたわけではなく、急にシャッターを切ったのでこんな風になった。

 

けっこう容赦なく バシャバシャ客席に水が飛びます。

 

最前列から4列くらいだったかな(?)

水が飛びます、とか説明書きがあったが、その通りでした。

 

ひたすら

1000分の1秒のシャッタースピード優先です。

 

去年、大洗水族館のイルカのショーを 250分の1で撮って なんだかイマイチだったので

今回は 1000分の1

 

今までイルカショーをみてきた記憶によりますと、

八景島シーパラダイス

大洗水族館 とも、

イルカちゃんの背景は人工物になってしまうのですが、

 

えのすいは ガラス越しではない空がみえるので

その点素晴らしいとおもいました。

 

会場は一番小さいですが。

 

 

 

なんか 横須賀でみる潜水艦みたい。

やっぱりイルカの身体とか参考にしてるのかな??

 

お姉さんとミレニー。

 

 

 

そうそう。

今回この記事を書くに当たりまして――

……

以下、ちと不愉快かもしれん話題ですが、すみません。

 

……

あれ、「ミレニー」で正しかったっけ?

と自分の記憶を確かめるために

「えのすい イルカ」とか検索かけたのですが、

 

その過程で――

 

2018年 セーリングW杯というのが江ノ島であったらしく、

その開会式で イルカのショーをみせたところ

異国の連中が大ブーイングだったという記事がでてきた。

 

ようするに 知能の高いイルカを虐待している、ということらしいんだな。

その大本はきっと 半・捕鯨イデオロギーなんだろうな。

 

んーー

このことに関しては いろいろな考えをお持ちの方がいるだろうが、

 

トマス・ピンコの個人的な意見をまず書くと、

欧米の連中の クジラ・イルカへの思いこみはちと常軌を逸している、

という気がする。

 

あと日本人への差別意識も絡んでいるような気がしてならないのだよな。

 

つまらん話題をひっぱって申し訳ないですが、

・「知能が高い」というがそれって人間基準の「知能」よね? どう計るの??

その妥当性をどう証明するの?

・逆に言うと 知能が高い人間は偉くて 知能が低い人間はダメってこと? ナチズムよね、それ??

・ちと話がずれるけど 競馬とかで バンバンお馬さんが「処分」されちゃってるみたいだけど、そっちは反対しないの?

馬術競技とかもさ?? そっちのほうがよっぽどヤバくね?

 

あと、他にもいろいろ反論は思い浮かぶがキリがない。

反・捕鯨イデオロギーって ツッコミどころ満載な気がする。

 

日本人は「欧米」になんか「進歩的」なこと言われると

すぐおろおろするから、

そういう態度も良くないような気がする。

 

さっき書いた セーリングW杯とかも 「謝罪」とかしちゃったらしいのだが――

どうなのかね……

連中は植民地支配のこととか、原住民大虐殺のこととか 一切「謝罪」なんかしないよ。

連中は クジラ・イルカじゃなくて人間殺しまくり文化だからね。言っておくけど。

 

そのあたりのことは トマス・ピンチョン大先生――トマス・ピンコではない(笑)――の小説なんか読むと、よくわかるから、

お読みになった方がよいとおもう。

 

ま、陰気臭い話はやめましょう。

 

ミレニー、かわいい。

 

ごろんと……

 

 

 

しかし、「欧米」に弱いわが国のことです。

イルカのショーが見られるのは今のうちかもしれませんぞ。

 

たった10分だけだったのですが、

内容は濃かったようにおもいました。

 

こじんまりした会場というのがよかったかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です。

なんか変な内容になってしまった(笑)


蛇・にょろにょろ問題④ 今野緒雪「マリア様がみてる」全39巻・完読マラソン 

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はい。がんばって完走いたしました。

夏休みの読書感想文とかで、「マリみて」を選ぶ勇者は――さて、いるのかな(笑)

 

①今野緒雪はにょろにょろフェチなのではないか?

(長くてにょろにょろしたものに異様な執着がある)

②紅薔薇三姉妹(祥子・祐巳・瞳子)は、ヘビ三姉妹なのではないか?

この2点を中心に 「マリア様がみてる」を解読しようとしております。

 

28,「クリスクロス」

作中の時間:某年2月

 

(寸評)

「マリア様がみてる」はこの作品で終わり、だとおもってます。

瞳子の、あの発言で。

 

ミハイル・バフチン「ドストエフスキーの詩学」で、何か所か

「最後の言葉」

というのがでてきて、

このロシア人のオッサンは一体何のことをいってるんだろう? とおもったのですが、

あれって、瞳子のあの発言のことを言ってるんじゃないか、などと今はおもうのです。

本来はユダヤ・キリスト教の文脈で解釈すべきものなのだろうとはおもうが、

バフチンおじさんに「マリみて」を読ませたら、案外うなずいてくれるのではなかろうか?

 

「天空の城ラピュタ」の「バルス!」ではないが、

あの言葉で「マリみて」世界は崩壊し、以降、なんだか松平瞳子というキャラクターは生気をなくしてしまうような気がしてしまう。

もちろん 由乃-菜々がまだ姉妹になっていないわけですが……

彼らの間に何かごたごたは起きそうにないわけですし……

 

タイトル「クリスクロス」――

音が、KSKSですね。佐藤聖に対する加東景のように。

「祥子さま」―「柏木さん」もそうだな。

傑作「涼風さつさつ」もそうです。

 

「お宝探し大会」という「ゲーム」が描かれるわけですが、

・ゲームのルールが進化する。

・ゲームに読者を参加させる(まあ、推理小説がやっていることではあるが)

というあたり、さすが、今野緒雪です。

「ウァレンティーヌス」を細かくアップデートさせて、読者に提供するわけです。

実に丁寧な仕事です。

 

p46

「弱い部分を突きつけられるのが、何なの? それは確かにきついけれど、耐えられないことではない。そんなことより、祐巳と一緒にいられなくなる方が辛いわ。私はね、今の自分に嫌な部分があるのなら、祐巳という鏡に映りながら、その部分を好ましく変えていけばいいと思うようになったのよ。真っ直ぐな若木がうらやましいのなら、もたれながらでもいい、巻きついてでもいい、一緒に太陽を目指して枝を伸ばそう、って決めたのよ」

(瞳子&祥子。祥子さまのセリフ。校舎内廊下にて)

 

「鏡」モチーフは「マリみて」によく登場するのですが、

吉野裕子先生によると 「鏡」は「蛇」と深い関係があるようなのです。

 

 鏡は蛇の目との相似から、蛇目(カカメ)とよばれ、転訛して「カガミ」となったが、時代が移るにつれてこの「カガミ」は鏡を意味すると同時に、「蛇」そのものの意味ともなった。蛇の目は呪力に満ち、蛇そのものを象徴するに足るものとして古代人によって捉えられていたからである。

(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」100ページより)

「祐巳という鏡」

「巻きついて」

……ヘビ三姉妹の長女・祥子さまが 三女・瞳子をお説教するのにこれ以上のセリフはない、わけです。

 

(「マリみて」と「鏡」ですが――

……聖-志摩子の白薔薇姉妹のエピソードにでてくる「鏡」は なんとなく新約聖書の「鏡」……タルソスのパウロのいう「鏡」のイメージなのかもしれない、という気もする。ただ今野先生、あんましキリスト教には詳しくないような気もして……わかりません)

 

p96

(ああ、それにしても)

 カードを探しにいける状態でありながらそれが適わず、ただタイムリミットが来るのを待つのみという、蛇の生殺し状態はあとニ十分以上も続くのか。

(令さまの心理描写。校内、銀杏の並木道にて)

 

「クリスクロス」……さすがに気合がはいっているからでしょうか?

「蛇」が三か所も登場します。↑↓

 

p149

「祐巳」

 名前が呼ばれた。

「は、はい」

 蛇に睨まれた蛙、ってこんな感じなのだろうか。どうにか返事をすることはできたが、身体が硬直して身動き一つできない。

 祥子さまがゆっくり、祐巳のもとに歩きだした。

 硬直が解けて、今度は震えがやって来た。

 ガタガタという手足の震えと、心臓の激しい鼓動、心臓に押し出されて全身を駈けめぐる血液。もう、身体がどうにかなってしまいそうだ。

(祥子&祐巳。薔薇の館にて)

 

この巻。えんえん祐巳ちゃんは動かないんですけど、

わたくし的には ヘビ娘・祐巳がトグロをまいているんじゃないか? とみております。

ちなみにトグロは――

 

 トグロを巻く姿勢は、蛇にとっては特に努力のいる動作であるらしい。一番楽な姿勢と考えがちだが、そしてそういう場合が多いが、トグロを巻いたまま死ぬ蛇がいないところをみると、われわれが寝るときのような楽な姿勢とはまるで意味がちがう。

 トグロは蛇にとって身を守る一番安全な姿であり、敵に対して、どのようにでも対応出来る姿勢なのである。

(同書、9-10ページより)

だそうです。ヘビもがんばっているらしいです。

 

p151

「祐巳さまっ!」

 そこに現れたのは、予想だにしていなかった人だった。

 ――松平瞳子。

「瞳子ちゃ……」

 瞳子ちゃんは、熊でも一頭倒してきたみたいな荒々しい息づかいで、祐巳を睨むように見据えていた。

 トレードマークの縦ロールが、見る影もなくグチャグチャに絡んでいる。

 目の錯覚だろうか、二月の平均的な寒さの中で、彼女の制服からは湯気が立ち上っているようにさえ見える。

 さっきの祥子さまが蛇なら、今の瞳子ちゃんには「なまはげ」の怖さがあった。

(瞳子&祐巳。薔薇の館にて)

 

「蛇」の登場、三か所目。

この瞬間に、祥子-祐巳-瞳子 のヘビ三姉妹が完成されるわけですから、

――、完璧です。

明らかに意識してますよね、今野先生。

 

p178

「うーん、だめかー」

 ランチでメリーさんでゴロンタの、リリアン女学園在住メスのトラ猫に見立てられたシャーペンは、それからしばらく諦めきれずに校内を縦横無尽に駆けめぐっていたが、やがて芯がポキリと折れたのをきっかけに、ピタリと動きを止めた。

(由乃さん。薔薇の館にて)

 

 トリックスター・由乃さんがとんでもないことを考えるシーン。

 たぶんシャーペンで書いた線は「にょろにょろ」しているはずです。

 

 

29,「あなたを探しに」

作中の時間:某年2月。

(寸評)

「クリスクロス」で「マリみて」は終わった!――などと偉そうに書いた手前、

「あなたを探しに」を褒めるわけにはいかないのですが……

 

p152

 でも、リベンジってのはいいアイディアかもしれない。リベンジという単語が攻撃的でいい印象ではないのなら、上書きでもいい。しょっぱい思い出の場所を、愉快な場所に塗り替える。それはとてもいい。賛成、って思わず手を上げたくなった。

(由乃の心理描写。田沼ちさととのデート)

 このシーンは、なにやら「マリみて」の基本構造を美しく描いていて、感動するより他ないわけです。

 

つまり、

◎「マリア様がみてる」=「壊れたものの回復」

なのです。(テストに出ますよ!)

 

「あなたを探しに」の、祐巳-瞳子の小旅行がいい例です。

回復のために、健気な少女たちが編み出すのが トマス・ピンコのいう「儀礼」「ゲーム」なわけです。

ついでにいうと、祥子さまはなにかというと「リベンジ」したがりますね(笑)

 

p11

 二人の間に、何か誤解が生じているはずだった。だからしばらくは距離を置いて、急激に上った血が瞳子ちゃんの頭から引くのを待ってから、絡んだ糸をほどくように、その誤解をといていこうと思っていた。多少、時間はかかるかもしれない。腰を据える覚悟もした。

(祐巳の心理描写。薔薇の館にて)

「糸」という「にょろにょろ」

というか、「糸」の比喩は頻出しますね。

 

p51

 翌日。

 前日に緊張して椅子に座りっぱなしだったのが原因と思われる、軽い腰痛と筋肉痛を抱えて登校すれば、祭りの後に薔薇の館で「兵どもが夢の跡」なんて一人黄昏れていたのが嘘のように、リリアン女学園高等部は結構な騒ぎであった。

(祐巳の心理描写。二年松組の教室にて)

 

祐巳ちゃんの座りっぱなし作戦はやはり「トグロ」だったのではないか?

などと疑わせる一文です。

 

p83

「あ、じゃないわよ。あなた、ずいぶんご無沙汰じゃない。イベント終わったんだから、そろそろ剣道部に出てきなさいよ」

「……そうね」

「せっかくお隣に道場があるのに、どうせ帰宅したって竹刀握ったりしていないんでしょ」

「……まあ」

 藪蛇だった。選挙とかイベントとかにかこつけて、結構部活をサボっていたのだ。どうせ令ちゃんは来てないし。寒いしで。

(田沼ちさと&由乃。二年菊組の教室にて)

 

藪蛇……「ヘビ」が出てきましたのでね、書き写しました。

田沼ちさと&由乃、なんですが、

↓↓ キツネも登場します。

 

p162

「あれま。本当に、純粋デートなんだわ」

 取り残された二人は、狐に摘まれたような顔をして見送った。

 キツネの柵は、残念ながら逆の方向だったけれど。

(田沼ちさと&由乃。動物園にて)

 

「キツネ」は由乃さんの文脈で登場するパターンが多いような気がする。

いまいち確信が持てないですが、

狐=トリックスター=由乃の構図です。

 

p192-193

 事故現場に行ってからこっち、おとなしくなっちゃったと思ったら、いきなり「大嫌い」パンチ。その上、祐巳のドロドロを肯定する。普通は「そんなことありません」くらい言って、フォローするものではないのか。しかし、萎れた花より、棘むき出しで咲いている花の方が瞳子ちゃんらしいと、座った左側にぬくもりを感じながら祐巳は思った。

「ドロドロした部分がない人なんて、人間らしくありませんもの」

 瞳子ちゃんは小さく笑って、「だから」と言った。

「私はきっと祐巳さまのようになりたかったんです。なりたかったのになれない。それでうらやましくて、悔しくて、反抗して。もう側にいない方がいいとさえ思ったのに。祐巳さまってば、私が必死でこしらえた垣根を、どんどん壊してやって来るし」

「人を怪獣みたいに言わないでくれる?」

「本当のことですもん」

 瞳子ちゃんは、しらっと言った。私は怪獣に押しつぶされまいと必死で逃げまどう市民でした、と。

(瞳子&祐巳。電車内にて)

 

祐巳さま=怪獣――、と瞳子が語るわけだが、

とうぜん思いだしたいのは、「プレミアムブック」所収の短編で

祥子さま=怪獣

なる構図が出てきた点です。

 

そして怪獣というと 巨大爬虫類なわけです。当然。

 

30,「フレーム オブ マインド」

作中の時間:さまざま

 

(寸評)

表紙に大きく蔦子さん、そして タケシマツタコと書かれたフィルムをめぐるおはなし

フィルム=にょろにょろ

な、わけですが――

 

わたくしとしましては、「温室の妖精」!

何度読んでもすごい、傑作短編だとおもいます。

・名前・コトバがテーマ

・リリアンとはまったく別のシステムで動く世界。

これは、リリアンのシステムが強固にできているがゆえに構築できる世界なのでしょう。

そういや「マイ・ネスト」もそうです。

 

繰り返しますが 「マリア様がみてる」は実質、「クリスクロス」で終ってしまったわけです。

瞳子の、あの発言で。

そして。

「フレーム オブ マインド」「リトル ホラーズ」

所収のすさまじい短編群を目にすると――

今野緒雪の興味はもはや「祐巳ちゃん物語」にはなく、

「お釈迦様」およびリリアン女学園舞台の短編に向っているのではないか? という感じがしてしまう。

 

p57

 いわゆる「黄薔薇革命」と呼ばれる、妹から姉に姉妹解消を宣言するという前代未聞のその事件は、少なからず生徒たちに衝撃を与え、一時は由乃さんの真似をしてロザリオを姉に返すパフォーマンスが流行った。

 私も、その時期に栄江さまとお別れした。

「どうして」

 私の首から外されたロザリオを見て、栄江さまはキツネに摘まれたような顔をした。

(「三つ葉のクローバー」より)

 

キツネですよ。「マリみて」はキツネ&ヘビでできているのですよ。

そして 黄薔薇=由乃=キツネ なのでしょう。

気になる方は吉野裕子先生の「狐」を読んでみてください。

 

p107

 その時、江利子は見たのだ。彼女の指先から伸びる、黄色く光る一本の糸を。

(「黄色い糸」より。鳥居江利子さまが支倉令さまをはじめて目にしたときの描写)

p122

「単刀直入に聞くわ。私の妹にならない?」

「は?」

 突然の申し出に、「支倉」はキツネに摘まれたような顔をしてみせた。そのことも、江利子を十分満足させた。

(「黄色い糸」より。鳥居江利子&支倉令)

p127

「そうね……、手始めに教えてもらおうかしらね」

 お姉さまになったばかりの、江利子が言った。

「あなたの下のお名前を」

「えっ」

 「支倉」改め妹は一瞬絶句し、それから笑いながら宙に右手の人差し指を走らせた。

「令」

 そう書いた彼女の人差し指から、光る黄色い糸が伸びている。江利子は自分の指を前にかざして、そっとその糸を巻き取った。

 たぶん、窓から差し込む夕日の、悪戯だったのだろうけれど。

(「黄色い糸」より。鳥居江利子&支倉令)

 

また、黄薔薇=キツネです。

あ。というか、鳥居江利子様……鳥居……お稲荷さん……キツネか……

 

糸=にょろにょろなんですけど、

そういえば 「ステップ」にも「糸」がでてきますね。

なんでそうなのか? というと……

いや、ネタバレになるのでやめておきます。

 

p225

 ぼんやりしていてミルクホールの場所を間違える生徒がいるだろうか。もしかして、これはキツネかタヌキに化かされているのではないか――。

(「ドッペルかいだん」より)

p228

 アリコが、顔を寄せ合う二人に向けてカメラを構える。水奏は、言われるままにポーズをとった。もう、アリコが狐狸の妖怪だって構わない。出来上がった写真をネタに一本作品を描いてやろうという、半ばやけくその境地だった。

(「ドッペルかいだん」より)

p230

「ははは」

 涼子さまは、水奏の肩を抱いて笑った。

「で、そのいちご牛乳はどうしたの?」

「キツネにもらったんです」

(「ドッペルかいだん」より)

やけにキツネが登場する巻です。

このあたりをみても ヘビ娘・祐巳ちゃんのおはなしは終わってしまったんだな、と確認できます。

 

「温室の妖精」が一番好きなのですが、「ドッペルかいだん」もいいですね。

民族学者・今野緒雪の本領発揮、な短編だとおもいます。

 

31,「薔薇の花かんむり」

作中の時間:某年2月~3月(p109に三月初めという記述あり)

 

(寸評)

ロザリオの授受は序盤であっさり終わってしまって、

あとは「三年生を送る会」のおはなし。

 

ひたすら少女たちの日常を描きます。

白・紅・黄 どこも平和。

おもしろいといやおもしろいが――

「クリスクロス」→「フレーム オブ マインド」の傑作短編群 と読み進めてくると、

なにか物足りないものがあるのは事実。

 

やっぱりどこかの姉妹が揉めてないとおもしろくないなあ(笑)

まあ、次の巻、大いに揉めますが。

 

p21

「あら、そうなの? 祥子さまは早めに来ていそうなタイプに見えるけれど」

「用事がなければこんな早くは来ない」

 低血圧だから朝は弱い。冬場は特に、身体も頭もエンジンがかかるまで時間がかかるのだ。

(祐巳とクラスメイトの会話。祥子さまの描写である。二年松組教室にて)

やはり祥子さまは爬虫類なのである(笑)

 

p42-43

「ですから」

 祐巳は言った。

「お姉さまの前で、儀式を行ってもいいでしょうか」

「え……」

 祥子さまは目を見開いた。赤い唇に添えた白い指が、微かに震える。

 たぶん祥子さまは、ここまでの道すがら祐巳が話すであろう内容をいろいろ想像してみたはずだ。だが、儀式のことまでは予測していなかったようだった。

 まるで突然大きな風が吹いて、穏やかだった水面に波が立ったみたいに動揺していた。

「お姉さま」

 祐巳は意向を尋ねた。

「いいの?」

 祥子さまは祐巳を見た後、瞳子ちゃんに視線を移した。瞳子ちゃんは「はい」と神妙にうなずく。

「二人の希望です。瞳子ちゃんも私も、お姉さまの前で、って」

(祥子、祐巳&瞳子。マリア像の前にて)

 

この会話の直前に

p42

「二人は姉妹になったのね」

 あまりに静かで、すみきった湖の鏡のような水面を思わせた。

「いいえ」

 祐巳は首を横に振った。

というのがあって、

 

重要なシーンに織り込まれた「水」イメージがなんとも美しいです。

紅薔薇姉妹=ヘビ姉妹=水 という別の意味もあるとおもいます。

黄薔薇だと 水面イメージは似合わないし

(「ハロー グッバイ」の由乃-菜々のようにコメディタッチになる)

白薔薇姉妹だと「花びら」とか「鏡」とかいう耽美的な小道具が登場するわけです。

 

p47

「瞳子、と呼び捨てにしてください」

「えっ」

 とっさの申し出にすぐさま対応できず、祐巳は前方よりの攻撃から身を守るみたいに身構えた。

(瞳子&祐巳。ロザリオの授受の直後)

瞳子=毒ヘビと、あらためて思うのであった。

 

p53

 令さまは明るく笑って、祐巳の肩をつかむと後ろから押した。

「しゅっぱーつ」

 汽車ぽっぽのつもりらしい。かなりのハイテンションだ。

p54

「去年のことがありますからね」

 ふっふっふ、と二人は汽車の前後で意味ありげに笑った。

p55

 突然、令さまは足を止めた。連結していた手前、機関車役の祐巳も引っ張られるように停車した。

「元気になったのはいいんだけれど。もう少ししっかりしてもらわないと」

 背後から、妙にしんみりした声が聞こえてきた。

「えっ」

「祐巳ちゃん。由乃のこと頼むね」

 不意打ちだった。

 こんな突然「遺言」を言われるなんて、心の準備もしていなかった。

(令&祐巳。三年生教室付近の廊下にて)

 

汽車、というにょろにょろです。

あと……令さまと祐巳ちゃんは 「無印」の頃から意外とイチャイチャしてますね(笑)

 

p70

 そう言うからには、志摩子さんのデートもレポートには書けないエピソードがあったということだろうか。えっと、何ていったか。志摩子さんとデートした相手の名前。カエルをアミで捕まえるみたいな感じの――。

(祐巳の心理描写。薔薇の館にて)

またでた、「カエル」

ヘビ娘・祐巳ちゃんの心理描写ですので、カエルの意味は深い。

 

p89

「できているなら、なぜ出さない」

 今度は背中を丸めて低い声を出した。まるで威嚇している猫だ。余計な仕事が増えたり、仕事が予定通りに進まなかったりするのが我慢ならないらしい。

(由乃さんの描写。薔薇の館にて)

由乃さんは動物っぽい描写が多い。

由乃さんは、どこだっけ、キャンキャン鳴く小型犬にもたとえられていたとおもう。

どこでしたっけ??

 

p109

 木曜日の放課後。

 

 リリアン女学園構内に一陣の風が吹く。

 三月初めであれば、まだ多少の冷気は含んでいる。しかし、強くも激しくもない風だ。

 花信風(かしんふう)、春嵐、東風(こち)、春一番。春吹く風の名前はいろいろあるけれど、吹いてくる方角も確定できなければ、その名で呼んでやることもできない。

 そんな風をまといながら、祐巳は足を進めた。その時、むしろ祐巳が風であったかもしれない。上履きのまま、下校する生徒を一人二人と追い抜いていく。目指す体育館は、もうすぐそこにある。

(祐巳、祥子さまとの待ち合わせのシーン)

ここ。ちょっとコメディタッチなんですけど――深い意味が隠れている、とおもいましたよ。

というか、わたくしの「マリみて」記事は 全部「深読み」なんですけど。。。

 

 諏訪明神に関して、「蛇を着る思想」はこのほかにもみられる。

 先にも述べた通り諏訪大祝(おうはふり)は諏訪明神の現人神とされ、諏訪神社の最高神官であるが、その神衣の紋様は梶の葉である。梶の葉は諏訪神社の神紋でもあるが、梶を解字すれば、木と尾である。蛇は頭と尾とで成り立っているようなもので、他の生物とこの点で非常に異なっており、蛇の蛇たる所以は正にその尾にある。陰陽五行思想において蛇はまた木気であって、その木と尾の取合わせである「梶」の字は蛇の象徴であろう。

 蛇はまた「風」と同気の四緑木気である。それ故に蛇神の支配する信濃は古来、風の名所とされ「風の祝(はふり)」がおかれていた。風はなにも信濃に格別つよく吹くわけでもないのに何故か、とこの点は謎とされて来ているが、私は以上のように解するのである。

(同書155-156ページより)

 

陰陽五行思想によると、「ヘビ」=「風」という構図があるそうなのです。

ヘビ姉妹……祥子&祐巳の決闘に「風」はふさわしいといえるでしょう。

 

p121

「ありがとう。でも、ジェットコースターには乗らないわよ」

「あれ、リベンジは?」

「ジェットコースターは最初から除外だもの」

 どうやら、それだけは譲らないようである。

(祥子&祐巳。体育館裏にて)

どうしてもジェットコースターにこだわる祥子さま。

やはり ヘビ三姉妹の長女としては にょろにょろしたものが気になるのでしょう。

 

p122

 祥子さまが、顔だけ祐巳に向けて言った。

「『burn one's bridges』」

「は?」

 諳んじられたそれは、格言とかことわざであろうか。しかしその英文を初めて耳にした祐巳には、すぐに意味を解することができなかった。

「今、橋を焼いたのよ」

 そう言い置いて、祥子さまは角を曲がった。

 

 家に帰って英和辞典を引いてみた。

 ――背後にある橋を燃やせ。

 つまり、『背水の陣を敷く』という意味だった。

(祥子&祐巳)

橋という「にょろにょろ」

「火」イメージでもあるが、「水」イメージでもある。

 

p174-175

 セットは、舞台左に立つ一メートルくらいの高さのポールのみ。

 典(つかさ)さんが瞳子の手の平に、自分の手を押し当ててしきりに動かす。

「『ウォーターよ、ヘレン。これはウォーター。W、A、T、E、R』」

 ヘレン、ウォーター、といえば、

(『奇跡の人』だ)

(三年生を送る会にて、瞳子が演劇部の部長と『奇跡の人』を演じる)

引き続きの「水」イメージ。

 

32、「キラキラまわる」

作中の時間:某年3月。

 

(寸評)

どこかの姉妹が揉めてないとつまらん! という私のリクエストにこたえて(笑)

由乃さんが大暴れ、という回。

なので黄薔薇メインの巻のようにおもえますが、

実質――

蔦子-笙子が、主役のような気がする。

武嶋蔦子さん、というと、今まで――

わいわい騒いでいる女の子たちから一歩引いて、

カメラ片手にリリアン女学園の状況を冷ややかに観察するというキャラだったわけであるが、

そしてその観察結果を、主に祐巳ちゃん(および読者)に伝えるという機能を担った

ある意味最重要キャラクターだったわけであるが、

 

その蔦子さんからカメラを取り上げる、そして笙子ちゃんとデートさせるという

今まで色気なしにがんばってくれたキャラクターにご褒美という感じがします。

 

p19

 そして、一晩なんてあっという間に過ぎて、今日の日を迎えた。

 天気予報で確認するまでもなく、東の窓からはサンサンと明るい日が差している。昨日の朝の段階では、「日曜日は曇りのち晴れ」って言っていたのに、すでに晴れちゃっている。まさに、SUNSUNである。

(祐巳の心理描写。遊園地へ遊びに行く日の朝)

ちょっと古臭い……80年代みたいな文体なのですが、

今野先生の「S」へのこだわりがうかがえるわけです。

 

p41

 挙げ句の果てに、高速道路で渋滞に巻き込まれ、完全に二人の機嫌が悪くなった。

(遊園地への道中。柏木さん&祥子)

p42

「あれ?」

 渋滞に巻き込まれて大幅に遅刻したというのに、チケット売り場の手前で、見覚えのある人を見つけた。

「祐巳さん……」

 長い三つ編みを両肩にたらしたその人は、力なく笑った。

(由乃&祐巳。遊園地のチケット売り場にて)

 

自動車というと「渋滞」なのです。今野先生にとっては。

なぜなら 「渋滞」=「にょろにょろ」だからです。

そしてその にょろにょろイメージを由乃さんの三つ編みにつなげるという……

 

p47

「あー、汽車が走っている!」

 正面ゲートをくぐって間もなく、由乃さんが指をさして叫んだ。

(一同、まずは汽車に乗る、というシーンのはじまり)

 汽車は前巻にも出てましたね。

 

p110-111

「そうだわ、祐巳。まだジェットコースターに乗っていなかったわね」

「まさか、お姉さま」

 自動車免許同様、密かにジェットコースターも乗る練習をしていた、とか。

(祥子&祐巳。遊園地のレストランにて)

はい。ジェットコースターです。

「レイニーブルー」で「祥子さまはジェットコースターに乗る訓練をしているのではないか?」と

感想をおくってきた読者さんがいたそうな。

 

p170

「お菓子?」

 キツネに摘まれたような顔をして、こちらを見つめ返す祥子さま。

「食べて消えちゃう物がいいです」

(祥子&祐巳。遊園地の売店にて)

キツネです。

「蛇」はこの巻でてこなかったな。

でも、ジェットコースターという巨大「にょろにょろ」が出てきたからいいのか。

 

33,「マーガレットにリボン」

作中の時間:さまざま。

 

(寸評)

この巻はどこを褒めていいのか、よくわからない。

申し訳ないが、ほぼほぼ退屈。

唯一、

元・黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)……鳥居江利子主役の「ライバルがいいの」がおもしろいか。

 

p53

「大人がいる時しか火をつけたらいけない、って」

「じゃあ、お父さんに聞いてみて。江利子さんが蝋燭に火をつけていいかって」

 私の言葉に、亜紀ちゃんはうなずいて台所へと駆けていった。私は自分では大人だと思っているけれど、亜紀ちゃんの目から見たら大人か子供か判断に迷うのかもしれない。

「火をつけてもいいって言った」

(「ライバルがいいの」より)

 

と、今野先生にはめずらしい「火」イメージがあらわれます。

今野緒雪はあくまで「水」の作家で、

たとえば「パラソルをさして」において びしょ濡れになった祐巳ちゃんを癒すのは

あくまでお風呂……あたたかい「水」なわけです。

そんな作家の描く「火」……

 

鳥居江利子さまが妊娠疑惑をかけられたり、援助交際疑惑をかけられたり、

「性的」イメージをになっていることを考えると――

 

今野緒雪にとって「火」は「性」と関連があるのかもしれない。

「マリみて」の「水」「火」イメージを一度追いかけてみるのもおもしろそうです。

「性」が徹底的に排除されているからこそ、「火」はあまり登場しないのかもしれない。

 

あ。「マーガレットにリボン」

タイトルに、「リボン」というにょろにょろイメージがありますな。

 

p96-97

 志摩子さんは作業に邪魔なのか、ポケットからゴムを取りだして、髪をまとめると後頭部で一本に縛った。

「志摩子さん、三つ編みしてもいい?」

 祐巳はお伺いをたてた。フワフワクルクルの茶色い髪の毛を、ちょっと触りたくなったのだ。

「ミシンかけている時はいじらないでね」

 ということは、アイロンをかけている今ならOKという意味。断ったところで隙を見つけてやられそうだから、渋々承諾したのかもしれないけれど。

 自分のではない髪の毛にやはり興味があるらしく、途中で由乃さんも加わった。

 お人形さんごっこしているみたいで、軽い興奮を覚えた。

 ゴムで縛った部分から始まって、毛先に向かって三つ編みをしていく。志摩子さんの髪の毛はウエーブがかかっているので、実際は見た目よりも長い。そんなわけで、長さに余裕があったから編み上がった毛先を根元に返してリボンで結んでみた。つまり、リボンの下で三つ編みの輪っかが出来上がる形だ。

(由乃、志摩子&祐巳。薔薇の館にて)

 

聖-栞の……あの有名なシーンといい、

髪の毛を使わせると、今野緒雪、唯一無二ですね……

 

もちろん「にょろにょろ」イメージです。

 

p138

三月 △日 (土曜日)

 

今日、妹の瞳子と一緒にお稲荷さんに行きました。

(ユミちゃん絵日記・未来編②より)

「ヘビ」姉妹がお「キツネ」様をお参りに行く、という構図。

 

34,「卒業前小景」

作中の時間:某年3月。

 

(寸評)

黒いリボンをめぐるおはなし。

というと、なんだかヒッチコック映画の〈マクガフィン〉みたいでかっこいいが、

「クリスクロス」の頃のあの生気はない。

 

この巻、やけに挿絵が少ないんですよね、なぜなのかな?

↓↓p63のこれと、 p107 抱き合う志摩子さんと乃梨子ちゃん、2枚だけ。

 

リボンに関する記述が多いので

代表的なものだけ書きぬいてみます。

 

p95-96

「あら、これは――」

 乃梨子がずらした段ボール箱の脇からそれを引っ張り出した志摩子さんが、紅薔薇姉妹、つまり祐巳さまと瞳子を見た。

 それは、黒いリボンだった。

 ラッピング用のリボンにしては短いし、丈夫そうだから、たぶん髪を束ねるリボンだ。

 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)も黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)も、リボンを常用していない。由乃さまはお下げの先につけることもあるけれど、リボンはつけない。――ということで、薔薇の館の住人で該当者は紅薔薇姉妹ということになるのだ。二人とも色こそ違うけれど、見つかった物とよく似た形のリボンで左右に髪を一つずつ結わいていた。

「お姉さまのですか」

 瞳子が、祐巳さまに尋ねた。ならば、瞳子には見覚えのないリボンだったのだろう。

 志摩子さんから回ってきたリボンを、祐巳さまはじっと見つめた。そして、

「……私のだ」

 かなりためてからつぶやいた。

「何なの、その間は」

 由乃さまが突っ込みを入れる。

「いや、まさかこんな所で再会するとは思わなかったから、ちょっとびっくりして」

(薔薇の館の一階にて)

p142

 どうして、これが、ここに。どうして、これが、ここに。どうして、これがここに。

 頭の中で、そんな言葉がグルグル、グルグル攪拌された。

 光沢のあるベルベットもどきの黒いリボンは、祐巳のお気に入りで、以前はここぞという時によく髪の毛に結んでいた物だ。

(祐巳の心理描写。薔薇の館の一階にて)

懐かしの、祐巳-ミルフィーユ-祐巳-ミルフィーユ……みたいです。

 

p183

「祐巳?」

「あの日と同じ場所なのに」

 本当に、二人はずいぶんと遠くまで来てしまった。

 ほら、言わんこっちゃない。涙腺の蛇口が壊れてしまった。でも、それが何のために流れた涙なのかはよくわからない。

(祥子&祐巳。薔薇の館にて)

久しぶりに「蛇口」……「ヘビ」が登場しまして、

美しい、美しすぎる 祥子-祐巳のラブシーンにつなげます↓↓

 

p186-187

「お、お姉さま……」

 思わぬ事に狼狽えて、祐巳の手の平は祥子さまの手の甲から滑り落ちた。けれど、何がどうなったのか、落下した右手がリボンを巻き込み、お姉さまの左手とまるで手錠のようにつながってしまった。

「祐巳に会いたい。会いに来てもらいたいわけが、わかったのよ」

 右手はリボンを放して自由になっているのに、祥子さまは涙を拭わなかった。

「私は、明日の卒業式では泣かないわ」

 泣きながら、お姉さまが言う。

「はい」

 祐巳はうなずいた。左手は空いていたけれど、やはりそれを目もとや頬に持っていこうとは思わなかった。

 この左手は、自分の涙を拭くためにあるのではない。

 大切な人を、しっかりと抱きしめるために存在しているのだ。

「だから、明日泣かない分、今日は祐巳の前で思う存分泣きたいと思ったのだわ、きっと」

 二人は空いている手で、お互いの身体を引き寄せた。

 

 黒いリボンが、二人の手首に巻きついて離れない。

 

             触れあった場所から、お姉さまのぬくもりが伝わってくる。

 

  二人の涙が混ざり合って、制服を、床を濡らしていく。

 

 祐巳も、今わかった。

 こうして抱き合って泣くことこそが、二人にとって必要な儀式だったのだ。

(祥子&祐巳。薔薇の館にて)

 

35,「ハロー グッバイ」

作中の時間:某年3月、4月。

 

(寸評)

「クリスクロス」で実質終わってしまった「マリみて」が

ダラダラと長いエピローグを経てようやく終わる、という感じ。

しかし 最後の最後 204ページ

今まで目にすることのなかった

「―了―」

を目にして われわれは思わず泣いてしまうわけです。

 

登場人物(動物も)総出演という感じ。 出せる人(動物)はとにかく登場させるという。青田先生とか。ミータン(猫)とか。

 

p41-42

「黒板にチョークで描いた絵なのに、まるで水墨画みたいなんだって。あと、模造紙で作った龍」

「龍?」

 祐巳が首を傾げると、機嫌の直った由乃さんがつぶやいた。

「昇り龍でしょ」

 又聞きだから詳しくはわからないけれど、どうやら黒板に鯉が滝上りしている絵が描いてあって、黒板の上の壁に龍(のオブジェ?)が飾ってあるらしい。鯉が龍になるという目出度い図案で、卒業生の門出を祝したということか。さすがは美術部の部長。話のタネに、できたら後で覗いてみたいものだ。

(卒業式の日の三年生の教室の飾りつけの描写)

この巻 「蛇」というワードが出てこないのですが、

なんと「龍」……ドラゴンが登場するんですよね……

んーすごすぎる。とだけ言っておきましょう。

 

p51

 祥子さまは、祐巳の右手首に何か黒くて長い物を引っ掛けた。

「続けて」

「……は、はい」

 安全ピンを元に戻して花の位置を整えている間に、黒く長いものはふわっと手首に巻きつけられる。

 それは、黒いリボンだった。

 一昨年のクリスマス・イブに、祥子さまが祐巳に所望したクリスマスプレゼント。

 昨日、薔薇の館の一階で見つけて、「お姉さまに返さなきゃ」って祐巳を走らせたあのリボン。

 抱き合って泣いた時、二人の手首をしっかりとつないでいたあのリボン。

 そのリボンが、今ここにある。

「預かっていて」

 祥子さまが言った。

「式が終わるまでの間」

 これはお守りだ、って祐巳にはわかった。もともとは祐巳が身につけていて今は祥子さまの所有物となったリボンを、祐巳が預かるという意味。

(祥子&祐巳。三年松組の教室にて)

また登場、黒いリボン。

でも……他になにかなかったのかな??

 

p199

 こんな風に。

 この学園では人と人とが鎖のようにつながっていくのだ。

 お姉さまが、祐巳を見た。祐巳もお姉さまを見ている。

 何も言わないでいい。

 大丈夫、自分たちはつながっている。

(マリア像の前にて)

鎖、という「にょろにょろ」です。

 

p202

 言いながら祥子さまは、祐巳の襟に触れた。その指はセーラーカラーのラインをなぞり、タイに到達するとそこで離れた。

「お姉さま?」

「やめましょう。あなたはもう、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)なんですものね」

 タイを直すほうも直されるほうも、小さく笑った。日常の一部と化していた習慣を改めるのは、なかなかに難しい。

(祥子&祐巳。校門付近)

正直申し上げますと、ここでわたくしは泣きました……

祥子さまと祐巳のタイの歴史を書きますと

①「無印」→祥子さまが祐巳の乱れたタイを直すことで、二人は出会う。

p10

「タイが、曲がっていてよ」

「えっ?」

②「子羊たちの休暇」→祥子さま祐巳の空白のタイを撫でる。

p66

 祥子さまはいつものように手を祐巳の胸もと付近に伸ばしたが、そこにタイがないことに気づいて、襟なしで乱れようもない襟刳りをそっと撫でてほほえんだ。

③「ハロー グッバイ」→祥子さまタイを撫でることをやめる。

 

というように三段階の、じつに美しい構造がみえてくるわけです。

月並みな物語ではなく、美しい「構造」で、今野緒雪は読者を泣かせるのです。

 

36,「リトル ホラーズ」

 

(寸評)

「ハロー グッバイ」で ダラダラだらだらと続いていた「祐巳・祥子物語」がようやく終わり……

さて、次はなんですか? とおもったら、

「フレーム オブ マインド」に引き続き、大・大・大傑作短編集がやってきました。

 

・「チナミさんとわたし」→頭がおかしい。どうかしてる。

・「ハンカチ拾い」→どうかしてる。どうかしてる。

・「胡蝶の夢」→やっぱりどうかしてる、今野緒雪。

 

「ワンペア」もおもしろいといやおもしろいのですが、

女性教師をたぶらかす美少女、というのがどうしても村上春樹の「ノルウェイの森」を思い出させるんですよね、

あと双子というのも 春樹っぽい。

ちなみにトマス・ピンコは村上春樹が大嫌いだったりします。

いや、それは別にして、誰かほかの作家を思い出させるモチーフ・イメージは使ってほしくないな、ということです。

今野緒雪はそんなレベルの作家ではないのですから。

出版社の担当はそのあたり指摘してあげるべきでしょう。

 

p107

「時間になっても三年菊組教室にはお姉さまの姿が現れなかった時には、私狐に摘まれたような気分になりましたもの。お姉さま以外は三年生も二年生も新入部員も、みんな出席していたんですよ。今日の会合は、それくらい大切な集まりだった、っていうじゃないですか。先輩方に『由乃さんは?』って聞かれて、私のほうがどうしたのか聞きたかったくらいです」

(菜々のセリフ。薔薇の館にて)

p108

「菜々。ねえ、菜々ちゃん? さっき見たでしょ? お姉さまはね、薔薇の館を水から守るために水道管を握りしめていたの。だから行きたくても剣道部の集まりには行けなかった、そういうことでしょう?」

 今まで一度も聞いたことがないほど、それは甘ったるい猫なで声が、身動きできない菜々の身体にぺちゃぺちゃまとわりついてくる。

(由乃さんの描写。薔薇の館にて)

p208

「あら、まだ狐に摘まれたみたいな顔をしている」

「じゃ、これでどう? じゃじゃじゃーん」

(薔薇の館にて)

 

「キツネ」そして 島津由乃=猫 という構図がでてきます。

もう「ヘビ」はでてきません。

 

37,「私の巣(マイネスト)」

 

(寸評)

環さまがとにかく魅力的。

p20

「でも、モモッチはずーっとそのぬか床を大事にして、お嫁入り道具にしたがいいやね」

p118

「でも、その前におにぎり握ってくれない?」

と、こんなセリフを吐くキャラクターは新鮮です。

のちほど説明しますが

「筒井環」という名前は実に完璧な「名前」でもあったりします。

 

ただ正直、環さま一人でひっぱるのはきついので、

百(もも)ちゃんのお母さん・香也(かや)さんを魅力的に造型できれば良かったようにおもうのですが、

どうも……いまひとつな印象です。

 

だが、ぬか漬けの壺を探すエピソードで すんなりと大家族および大きな家を紹介するあたり、

なにか小津映画でもみているように鮮やかです。

 

p16

「あ、目が覚めたのね」

 衝立の陰から現れたのは、見知らぬ生徒だ。

「彼女、保健委員の筒井環さん」

 よろしく、とほほえむその顔は、パッとした美人。豊かで真っ黒な巻き毛が、背中で揺れていた。

(筒井環の登場シーン。リリアン女学園保健室にて)

 

環……たまき、という名前はいそうでいなかった。

・ロザリオを連想させる。

・「にょろにょろ」である。

(そして、吉屋信子「屋根裏の二處女」のヒロインの名前でもあったりも、する)

そして「筒」「井」

・筒……「にょろにょろ」である。

・井……「水」イメージである。。

――、と、完璧な字面なんですね。この子は。

 

さらに「音」をみますと――

TSUTSUI TAMAKI

T音の連続も心地よく

これはもう今野緒雪にとって、

OGASAWARA  SACHIKO

レベルの完璧な名前なのだといえましょう。(勝手に断言)

 

38,「ステップ」

 

(寸評)

ははん、

今野緒雪=女の子同士のイチャイチャだけの作家

――ではない、と証明すべく立ち上がったわけか。

などとおもうわけですが、

 

読み進めて……179ページ目に

あ⁉……

ま、まさか……

と読者はとんでもない勘違いに気付くという、

しかもその舞台は「お化け屋敷」という……

そしてわれわれはいかに自分たちが「マリみて」世界を愛しているか、思い知るのです。

 

これはさすがにネタバレは書けないな。

今までさんざんネタバレを書いてきてしまったわたくしでも。

 

p28-29

 日曜日。

 セロファンテープを使い切ってストックもなかったので、私は自宅最寄り駅から二駅分電車に乗って、この近辺では結構栄えた街に出た。地元にだって文房具店はあるんだけれど、ついでに本屋に行って買い忘れた雑誌を買ったり、先日テレビで紹介していた某ブランドのワンピースを、買わないけれど見ていきたいと思ったからだった。

 休みの日の昼過ぎは、どこもかしこも賑やかだった。

 買ったばかりのセロファンテープを手提げ鞄にしまいながら駅ビルの文房具店を出たところで、私はとんでもない光景を目撃した。

 いる。

 誰が、って。律さんが。

 私と律さんは見えない糸でつながっているから、制服なんて着ていなくても、二十メートル離れていても、見間違うことなどない。

(佳月の心理描写)

「糸」です。「糸」でなくてはいけない理由は……書けません。

 

39,「フェアウェル ブーケ」

 

(寸評)

妊婦さんの鹿取先生が、薔薇の館でハーブティーをガブガブ飲んでいるのだが……

妊婦ってカフェインNGじゃないのか??

 

まあ、そこらへんをまったく意識しないで「どうぞ」なんてニコニコ微笑んでいる祐巳ちゃんは

最後の最後まで祐巳ちゃんなのです(笑)

 

p12

それは、写生会の時に使っていたような画板に画用紙を貼り付けただけの看板だった。

「『ストレッチ愛好会』……?」

 一行目の一際大きな文字を読み終わったところで、私は肩を後ろからポンと叩かれた。

「ようこそ」

「ひゃっ!」

 ガチッ、ゴックン。

 驚きすぎて、舐めていた飴を思わず奥歯で噛んで飲み込んでしまった。舐めはじめだったから結構大きくて、喉を通過する時、目玉がぐりんと飛び出しそうになった。

(「飴とストレッチ」より)

 

「ストレッチ」……にょろにょろした長い「筋肉」を伸ばす運動です。

そして「S」で始まるコトバだったりもする……

 

p184

「そんなに早くプリントってできるの?」

 終業式のホームルームが終わるのは昼過ぎだ。それまでに色紙を完成させなければ先生に渡せない。朝写真を撮って、終業式にも出なきゃいけなくて、それで間に合うのか蔦子さん。

「気に入らないけど、デジタルカメラを使うわけ。そうしたらすぐよ」

 ふむふむ。

「蔦子さんも写るってことは、タイマーで撮るわけ?」

「それだと落ち着かないから、笙子ちゃんに来てもらうんだって」

(「フェアウェル ブーケ Ⅶ」より)

 

今からおもうと、自分でもわからないのだが、

フィルムカメラを長く使っていた人間からすると

「デジタルカメラ」というものには 蔦子さん同様「気に入らないけど」という意識しかなかったものです。

もとい、

武嶋蔦子さんがデジタルカメラを使うようになりまして、「マリア様がみてる」全39巻は幕を閉じるのであります。

んー、美しい、美しすぎる……

錫蘭食堂コジコジ・とびだせ!ならせ!PUIPUIモルカー

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ゆり、元気にしております。

エアコンの風にあたって寝ております。

 

□□□□□□□□

水戸のコジコジさんという さくらももこチックな名前のお店に行きました。

スリランカ料理屋さん。

 

クルマでいくとすると 水戸北スマートICというのを降りて 国道123号線をちょっと進むだけです。

電車で行くとなると、水戸駅からバス、だとおもいますが、それはかなり不便そうです。

 

茨城大学のすぐ側。

いかにも大学のそばらしく、付近はアパートがたくさん並んでいます。

 

駐車場はこんなでした↓↓

4台停められたかな。

 

この瞬間、たまたま空いているだけで

到着した当初は4台埋まってました。

平日(木曜日)でそんなかんじでした。

 

赤いクルマは、トマス・ピンコの愛車のカバ子號です。

MT車の癖が抜けないトマスに

(あるはずもない)クラッチ部分をたまにグイと蹴飛ばされるかわいそうな子である。

 

お店の外観。

お店は2階。

 

1階部分もクルマが停められるのだとおもうが、わからんのでお店の方に確認してください。

 

営業時間はこのご時世で変わっているので

この表示の通りではないです。

今は昼だけの営業だとおもいます。

 

手書きのメニュー

しょっぱな↓↓

「量が多かったり辛かったり口にあわなかったりした料理は残してください」ときた!

 

しかし、わたくし完食。

食わず嫌いの多いT子さんもそれほど残さず食べました。

 

(諸情報から判断するに)日本人夫婦がやっているお店で

味はおそらく日本人向けに調整してあるのだろう――

 

とか、いう以前に、食べログ等々で かなりの高評価なお店。

カレーマニア憧れの店、である由。

 

メニュー続き。

広角レンズ(ディスタゴン25㎜)で撮ったもので ピント合ってない部分ありすみません。

 

きれいな奥様(おそらく)が説明してくれるので

トマスが説明することもないのだが、メインは↓↓

①スリランカプレート

②ベジプレート

このどちらかを選ぶという感じ。

 

われわれはスリランカプレートのデザートドリンクセットを頼みました。

 

あ、そうそう ↑の写真に 本来は手で食べるのだ、とか書いてあるが

スプーンとフォークが用意されております。

 

飲み物↓↓

 

正直、なにがなんだかわからない。

だが、後述のとおり、マサラチャイにはまってしまうのであった。

 

店内の様子。

今はランチのみの営業で

1時間ごと 3部制でやっているとのことでしたが、

ひっきりなしにお客がくる印象。

 

空の駐車場の写真とか 空の客席の写真とか載せているので↓↓

説得力がないですが――

イバラキの、水戸の、交通の便のあまりよくない……耳慣れない「スリランカ料理」屋さんのくせに(失礼!)

かなりお客さんが来ているようでした。

 

きました!

スリランカプレート!

 

真ん中にのっかっているのは なんとか(すまぬ)のおせんべいといっていた。

ナンではないです。

ぱりぱりしておいしいものでした。

おせんべいの下がタイ米のライス。

 

手前、金属の器にはいっているのがチキンカレー。

その右側、鮭のカレー。

そのまた右側、レンズ豆のカレーだとおもわれる。

 

その他、よくわかりません。(ちゃんと説明してくれたのだが)

うっすらした記憶で書きますと、

空芯菜のなんとか、というのは奥のやつかな?

カシューナッツは 右奥

ナスのなんとかは左側のやつかな。

 

えー、はっきりもう申し上げて――おいしいです。

味はどれがどう、と説明できないのですが……

どれも見たことがない物体……なのですが、おいしかったです。

これは、癖になる。

また食べたくなりますな。

 

以下、おもったこと。

・ぱさぱさのご飯だが やけにおいしく感じた。

・辛い、とにかく辛いのだが いやな……よくスナック菓子にあるような安手の辛さではなかった。

うまく言えないが上品な辛さ。

その証拠、といっていいのか、辛い物を食べるとお腹を壊すことがあるのだが、

全然そんなことはなかった。

あと舌があとになってヒリヒリすることもなかった。なんでだろ。

・辛いので ドリンクは食事と一緒に持って来てもらえばよかった。

後述するが ラッシーはかなり甘いです。

・水は テーブルに用意してくれていますが、あまり冷えてなかったので

そこは残念。氷が欲しい。

 

えー、スリランカプレート単体では足りず、

ライスおかわり(これは無料)

追加で 海老のカレーを頼んだ。

 

ちなみにカレーの具は日によってかわるようです。

ネットでみた記事では タコのカレーなんてものがあったりするらしいです。

 

今回は チキン・鮭・海老 を食べまして、

どれもおいしかったのですが、やっぱり チキンが一番いいかな。とおもいました。

 

これはマンゴーラッシー。

ひたすら甘かったです。

 

ひたすら甘いのですが、カレーと一緒だとこれくらいがちょうどいいのかも。

食後に頼んでしまって失敗でした。

 

デザートのワタラッパンなるもの。

豆腐みたいな外見ですが、

「ココナッツミルクと椰子砂糖で作ったスリランカ定番のプディング」とメニューに書いてありました。

 

個人的には、まあ、まずくはないけど……という感じ。

 

わたくしとしては コジコジで一番これが記憶に残ったかな↓↓

 

マサラチャイ、とかいうもの。

スパイスの入ったミルクティーですかね。

金属の器が熱くてもてないので、厚手のウェットティッシュがおまけについてきました。

それを巻いて飲みました。

 

味が、ね……なんのスパイスなんだろ。

しょうがみたいな、へんてこな……

また飲みにいきたいんですよね。これは。

「うまい!」ってものじゃないのですが、妙に記憶に残ってしまっております。

 

あ↓↓ すてきなお皿だ、とおもって 裏かえしたところノリタケでした。

 

んー、コジコジ。

ここはまた行きたいです。

マサラチャイ。また飲みたい。もう一種類のキリテとかいうチャイも気になる……

 

あ。自分は酒は飲まないのでわからんのですが、スリランカのビールとかなんとか 変わったものもあるようです。

 

あと帰り際に気付いたのですが、

チョウチョ(コムラサキ?)を店内の一角で飼っていて、これはなんだろうとみていたところ、

「飛べないでいたので保護したんです」などと奥様。

 

「あの人は天国に行くよ」などと帰り道でT子さん、のたまう。

 

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おつぎ。

せっかく水戸へ来たので 近代美術館。

いわさきちひろ展。

 

ビッグネームなので けっこうお客さんが入っていた。

 

まあ、なんとなく知っている、という程度の人間なもので はじめて知ることも多かった。

・いわさきちひろと満州の関わりは初めて知った。

・左利きなのね。

・うすうす左巻きの人だろう、とはおもっていたのだが、共産党員なのね。バリバリの。

 

いわさきちひろと直接関係ないですが――

会場に、戦前の絵本がいくつか飾られていたりしたのだが、

そのクオリティの高さに驚きました。

絵の質だけでなく、印刷技術、気合の入った製本。

 

水戸からひたちなか市へ移動。

TOHOシネマズひたちなかで 劇場版PUI PUI モルカーをみます。

 

正式名称 「とびだせ! ならせ! PUI PUI モルカー」

……で、

 

なるほど 3Dなので とびだしたんですが、

「ならせ!」のほうは プイプイ鳴くボールはもうなくなってしまったそうで――

残念ながら 鳴らせませんでした……

 

あと、残念だったのは ポスター、大きいのがなく、カメラを持ってきた意味がなかったです。

↓↓こんな……A3ぐらい?? のしかなかった。

 

ワイルドスピードだと どかんと壁一面にあるんですがね。

 

あの人――ロック様はでないのか?

 

夜、18:40からの回ということもあるのか、お客さん少なく ちと残念。

多いのもやだけど……われわれ含めて 5~6組だったかな。

 

しかし、小さなテレビの画面では気づかないことが 大画面でいろいろ気づけてよかった。

というか、映画館のスクリーンでの上映にも耐えうるって、

どれだけクオリティ高い仕事してるんだ?? とおもいました。

 

買ったグッズです↓↓

 

テディちゃんが好きなので テディのシールを買った。

 

あと、フィルムしおりセット。

 

プログラムの中身↓↓

絵コンテ集、みたいになってます。

 

モルカー放映前から 関わっている ライムスター宇多丸師匠の文章もさいごにあります。

 

ああ、そうそう。

宇多丸さんの「アフターシックスジャンクション」で紹介されてたメールによると、

プイプイ鳴くボールが配られた会場では

音楽に合わせてみんなでプイプイ鳴らしたりして たいそう楽しかったそうです……

 

僕もプイプイ鳴らしたかった……

「マイナス・ゼロ」・銀座三越の噴水・銀座エスキモー・シロモの免許証

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以下、めちゃくちゃな内容の記事ですが――

 

まずは――

小林彰太郎「昭和の日本 自動車見聞録」という本をながめていて

広瀬正「マイナス・ゼロ」の意味不明だったディテールがようやく理解できた。

というはなし。

 

美しい、美しすぎる夜景ショットですが↓↓

 

撮影者、影山光洋先生。

(というか、こんな ザ・写真家という名前の人 他にいないな)

朝日新聞本社ビル屋上から撮った銀座の夜景。

1932年(昭和7)7月。

 

シャッタースピード2~3秒でしょうかねえ?

時刻は何時頃なのか?

まだ街は明るいので6時、7時なんでしょうか? 

 

左側もちろん服部時計店(和光)の時計塔がありまして

右奥でピカピカ輝くのは松坂屋なのでしょう。

 

細部まで鮮明に写ってます。独逸製のレンズでしょうか?

 

話があちこちにとびますが

朝日新聞本社ビルは アサヒグラフ1927年(昭和2)4月20日号に

これ見よがしに載っております↓↓

まあ、戦前の気骨ある時代の「朝日」だから許してやろう。

 

ここから影山光洋は撮ったわけです。

影山先生は朝日の社員でした。

 

広瀬正「マイナス・ゼロ」のはなしに戻ります。

「マイナス・ゼロ」はタイムスリップもので、1963年の世界の青年が 1932年(昭和7)の世界を訪れます。

 

 工事場のような音がしたので、俊夫はおどろいて見上げた。音は、目の前の和光……服部時計店のビルからだった。つまり、服部時計店は目下工事中なのである。未完成のビルが多い。新宿から銀座へ来る間に市電の窓から見えた警視庁のとなりのビル――あとで内務省とわかった――や日本劇場なども工事中だった。昭和七年はオリンピックの年だが、開催地は海の向こうのロサンゼルスだから、べつにそれに間に合わすためとも思えない。やはり青嵐市長お声がかりの「伸び行く東京」を実践しているのだろう。

 服部時計店の向かい側の三越の建物も真新しい。屋上に鳥かごのような骨組が見えるので、俊夫は展望台でも建築中なのかと思ったが、あとでこれは噴水型のイルミネーションとわかった。

 五丁目の角はエビスビヤホール。こちら側の三愛の場所にあるキリンビヤホールと相対峙している。

(集英社文庫、広瀬正著「マイナス・ゼロ」187-188ページより)

 

 俊夫が、銀座四丁目の角でタクシーを降りたとき、服部時計店の大時計がちょうど鳴り出した。

 服部の新館は、六月に開店していた。その、真新しい、八時を指した時計が、夜空に浮かび上がっている。

 時計の音は、教会の鐘の音に似ていた。元の世界によくあるような、電気的に増幅された音でなく、澄んだ美しい音色だった。

 (中略)

 三越の屋上に、噴水型のイルミネーションが、五色の光を撒いている。

(同書265ページより)

 

この「鳥かご」「噴水」がさっぱり意味がわからなかったのですが――

 

ようやくわかりました。

ははん。なるほどこういうものですか。

おそらく上から流れ落ちるようなイメージで 電球が点滅していたのでしょう↓↓

 

そして向かい側の光まばゆい建物が エビスビヤホールおよびキリンビヤホールなのでしょう。

エビスビヤホールは、1931年(昭和6)8月オープンらしく、

それ以前は 名高い「カフェー・ライオン」でした。

 

今和次郎「新版大東京案内」(1928)

安藤更生「銀座細見」(1931)

の記述だと、三越の真向かいは「カフエ・ライオン」となっていますので、

「マイナス・ゼロ」の記述は 一瞬「間違いかな??」「ライオンじゃね??」と戸惑うのですが、

さすが広瀬正の記述は正解のようです。

 

1932年にはここは 「ライオンヱビスビヤホール」だったわけです。

 

三越の屋上のイルミネーションは……

わたくしの手持ちの資料ですと 博文館「大東京寫眞案内」(1933)にも登場するんですが、

 

昼の写真なのでなにがなんだかわからない↓↓

ただの鳥かご。

 

影山先生の夜景写真ではじめて

「マイナス・ゼロ」の意味不明な記述がわかったという次第です。

 

個人的には

銀座-服部の時計 というと連想するのは、「全日記小津安二郎」

1933年(昭和8)

6月6日(火)

 服部の大時計が八時を打つた

 竹葉のよしの戸から銀座の夜の町が美しい

 九時がなつて one hour with you だ

9月20日(水)

 昨夜 さむざむとした藁ぶとんの寝台で夢をみた

 服部の大時計の見える銀座の二階で

 僕がビールをのんで グリーンのアフタヌンの下であの子はすんなりと脚を重ねてゐた夢だ

 

 竹葉というからウナギでしょうか。

 どうも小津安っさん含めて 男性三人 女性二人で食事をしているようです。

 女性二人は 逢初夢子↓↓

 

そして水久保澄子。

 

青年・小津安二郎は 水久保澄子たんしか見てなかったかとおもわれますが―――↓↓

 

なぜ水久保澄子はグリーンのアフタヌーンドレス姿なんでしょう?

撮影の衣装なのかな?

(小津の作品の衣装ではない。「非常線の女」の撮影はもう終わってますし、そもそも洋装するシーンはない)

 

見つめ合う(?)二人の頭上では 三越の噴水型のイルミネーションが輝いていたはずですが、

残念ながら その描写は小津の日記にはありません。

 

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はなしがあちこち飛びます。

「エスキモー問題」です。

 

またまた「全日記小津安二郎」

1933年(昭和8)

11月7日(火)

▲ヱスキモで東洋の母のストリーの相談

12月29日(金)

皇太子 継宮 明仁親王と御命名

夕方清水から電話でヱスキモで会ふ

 

と、小津の日記にたびたび登場し、

そして、ツヤコお嬢さま、こと 三宅艶子「ハイカラ食いしんぼう記」にも登場する銀座の「エスキモー」です。

 

そんな「エスキモー」が最近買いました

教育評論社、「東京名物 食べある記 〈復刻〉」にも出てきましたので報告いたします。

 

1929年(昭和4)の本の復刻版らしいのですが、

エスキモーの描写は――なんと散々です……

 

 夏向きの名のエスキーモへ飛込む、入口はロンドン辺のドラッグストアを想い浮べさせる構えだ、夜は比較的感じの宜い(よい)店なのだが、昼間入って見て案外なのに驚いた。全体の感じが薄暗い、それが落付いた気分を出させるなら格別そうでないんだから、取柄が無い、サーヴィスもすっかり客に慣れ過ぎて、投げている調子がある、新らしい店がどんどん出来て来て、客の新陳代謝の激しい銀座だ、サボっていると追い越されて了いますよ(しまいますよ)、註文品二度三度と聞き直されて漸く通じる。

 久「此の店は皿や其他の器物が不潔でね、ホラ見給え、この皿の廻りの脂の附き方、食欲が何処かへ飛んでって了った、ハムサラダ(六十銭)はハムは上等だがサラダは味の変り易いマイヨネーズソースを使っているので、この温気(うんき)に戴きかねる」

(教育評論社、「東京名物 食べある記 〈復刻〉」5-6ページより)

 

店が暗い、サービスがなってない、皿がきたねえ、夏にマヨネーズとか信じられねえ、ともうクレームの嵐です。

新聞記事でこれをやっちゃうんですから、立派なクレーマーでしょう。

1929年というと 同時期にツヤコお嬢さま(←勝手にトマスがそう呼んでいるだけである)も

エスキモーに入り浸っていたはずだが、そんなことは一言もおっしゃっていない。

 

時期が少しはずれるが 1933年の小津も そんな店をわざわざ利用するだろうか?

小津安二郎にしろ、清水宏にしろ、かなりのうるさ型だとおもうけど……

 

たぶん……ワイロというか、マージンというか、それ次第だったんじゃないか?

とすら疑ってしまうトマス・ピンコであった。

 

そうそう。店名はやはり判然としません。

 

・三宅艶子(ツヤコお嬢さま)「ハイカラ食いしんぼう記」→エスキモー

・「全日記小津安二郎」→ヱスキモ

・今和次郎「新版大東京案内」・安藤更生「銀座細見」→エスキーモ

と、見事にバラけております。

 

ただ……今和次郎・安藤更生と どちらもインテリの学者先生が「エスキーモ」と言っているのは気になる。

別にツヤコお嬢さまや小津安っさんが信用ならない、ということではなくて

アカデミックな訓練を受けている今・安藤両者の方がこういうデータでは信頼できるのではないか?

ということをおもったわけです。

そして、上記のクレーマー野郎も「エスキーモ」といっているんだよな。

「エスキーモ」が正しいんじゃないのかな??

 

えー

これだけだと記事の内容が寂しいので

1920年代1930年代つながりで――

 

復刻版アサヒグラフの気になる写真を載せてみる。

 

1927年(昭和2)6月8日号↓↓

断髪……バブドヘアーに和装。

 

この姐さんは今の銀座を歩かせてもカッコイイ。

 

1929(昭和4)8月7日号

流行語となる「大学は出たけれど」

 

小津安二郎氏監督のモダン・コメデイ。

 

1929年(昭和4)6月19日号

「夏の流行 海水着」

モデルは松竹蒲田の女優さんらしい。

気になったのは傘……パラソルで……

 

清水宏「港の日本娘」(1933)↓↓

及川道子&逢初夢子が ヘンテコな傘をさしているんだが、

アサヒグラフの復刻版をみるかぎり あちこちにこういうパラソルをさした女性がでてくるので

そう突飛なものでもなかったようなのである。

 

ちなみに二人は横浜のチャブ屋の娘、という設定。

今風にいうと風俗嬢です。

 

で、ツェッペリン。

1929年(昭和4)8月28日号。

 

海軍軍人の未亡人だったひい祖母ちゃんが

ツェッペリンが霞ケ浦にきたときのことを話してくれたっけ。

 

ひい祖父さんは霞ケ浦の航空隊にいたから特等席でみれたのかもしれない(?)

 

 

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ついでのついで……

余計な付け足し。

 

PUIPUIモルカーのブルーレイのおまけ。

ポテトの「ぬいぐるみマルチスタンド」です。

T子さんにとりあげられる前に写真を撮っておく。

 

おしりがかわいい。

 

 

 

スマホをさしたところ。

 

上からみたところ。

 

引っくり返したところ。

 

タワーレコードの通販で買ったのだが、

シロモの免許証がついてきた!

 

交付……7月28日

さっきちらっと書いた 海軍の飛行機乗りのひい祖父さんが鹿屋で戦死した日なので

妙な縁を感じる。

――と、ムリヤリ ツェッペリンと話をつなげようとする。

 

んーだが、

1920年代1930年代にこだわるわたくしは……

海軍パイロットの曾祖父に会いたくて この時代を調べているんだろうか??

など、ともおもう。

 

はじめ何の意味だかわからなかったのだが↓↓

やっとわかって爆笑した(笑)

 

シロモ 2/9にゾンビになって

3/9に元の姿に戻ったのか!

 

以上、めちゃくちゃな内容でした。

夏川静江/竜田静枝(戦前の女優さん)・ドルニエDoX(飛行艇)

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前回に続き、めちゃくちゃな内容。

前回に続き、1920~30年代のおはなし。

 

さいきん、妙に「夏川静江」さんの名前を目にするな、とおもったわけです。

まず、小林彰太郎「昭和の日本 自動車見聞録」(前回に続き、登場) 114ページ。

 

15型ロードスター(ダットサン)と夏川静江嬢。年代はわかりません。

30年代というのは確実ですが。

 

夏川さんの愛車です。とかいうことではなく、広告のモデル、ということだとおもう。

この文章の感じだと。

 

つづいて、これまた前回紹介した 教育評論社「東京名物食べある記〈復刊〉」66ページ。

今も残っている名店・根岸「笹の雪」の紹介で、

……桃割れの、久夫曰く「夏川静江に似ているね」の小女

という女性が登場する。

 

久夫というのが挿絵担当で、その「夏川静江嬢」の絵がこちら↓↓

 

それから、日本放送出版協会「懐かしの復刻版 プログラム映画史 大正から戦中まで」なる本にも……

まあ、これは映画の本ですから 当然といや当然ですが、夏川静江さんは登場します。

 

133ページ、アンニュイな表情がなんともセクシーな夏川静江嬢です↓↓

 

「人形の家」

どんな映画かまったくわからんのですが、ジャッキー阿部監督 岡田時彦主演というのだから一流なのでしょう。

あと浦辺粂子さんの名前も見逃せないところ。

 

ちなみにこれは 神田日活館という映画館の出していたパンフレット「神田週報第四十四號」昭和2年9月15日発行。

というから 1927年か。

 

今なら映画の本編の前に、うんざりするほど予告編が流れますが、

当時は印刷メディアで予告をしていた、ということなのでしょう。

 

つづいて、260ページ

熊本世界館「世界館週報」昭和10年3月26日発行。というから1935年です。

 

左上大きく横顔が夏川静江さん。

引き続き第一線で活躍されていることがわかります。

 

これまたどんな映画かわからんのですが、小唄勝太郎さんというのは当時かなりのビッグネームだったはず。

あと、一番下に写ってる 伏見信子さんは 小津の「出来ごころ」のヒロインでした。(松竹から移籍したのだとおもう)

「音楽映画」というから、時代はもうトーキーだったわけですなぁ。

つまり、夏川静江さんはサイレントからトーキーの変化もなんなく乗り切った、ということでしょう。

 

まだまだあります。夏川静江。

「富士週報第百九十二号」 これは浅草の富士館という映画館がだしていたパンフレットらしい。

年代がよくわかりません。昭和5、6年 1930、31年というところか。

 

モデルさんの名前がクレジットされていないので確実じゃないんですが、

この方は↓↓ 夏川静江さんではあるまいか??

 

ちなみに目薬の広告? なんだとおもう。

世界的美眼薬スマイル云々……と書いてあります。

どういう効果があるんでしょうね???

 

以上、夏川静江尽くしだったわけですが――

なんとなく推測できるのは……

①相当に有名な女優さんだった。

②「美人」の代名詞的な人でもあった。

というところでしょうか。

 

この流れで、ですね……

朝日新聞社編「アサヒグラフに見る昭和の世相1」180ページ。

昭和4年10月23日号をみますと――↓↓

 

モガ三味

ジヤズ模様のスウエーター、人絹(?)の靴下の膝をくづして、お三味線を稽古遊ばすは、これなん蒲田のスター静枝さん!

撥さばきの、なんとギターめいてゐることよ、

 

――というので、ははん、またまた夏川静江か。

なるほど、ちょいと「イキ」ですな。

などとおもったわけですが……

 

よくよく上の文章を読み返しますと

「蒲田」「静枝」……??

 

夏川静江って、松竹の人なのか?

松竹の女優さんならば、なぜ今まで認識しなかったのだろうか?

(小津・清水作品になんらかの形でかかわっていてもおかしくないが、

ついぞ夏川静江の名はみたおぼえがない)

そして「シズエ」の字が、微妙に違う……

そういうわれると、顔も……なんか違くないか??……

 

この三味線の女性が、はたして「夏川静江」なのか、どうか?

確かめるために――

 

教養文庫、猪俣勝人・田山力哉「日本映画俳優全史・女優編」にあたってみましたところ……

二人のシズエがいたことがわかりました。

 

まずは 夏川静江。31ページに登場↓↓

 

日本映画最初の純情女優がこの人だ。岡田嘉子が妖艶なら、この人は清純、もっとも女優らしくない女優だった。

明治四十二年三月九日東京芝区生れ、……

 

もう一人は 竜田静枝↓↓

ちなみにこの本は、「第一部」「第二部」の二部構成になっていて、

第一部はスター中のスター、ビッグネームだけが選ばれていて、

第二部は、その選にもれた感のある人がまとまっている。

 

夏川静江は、文句なし「第一部」の女優さんで

(並びでいうと、岡田嘉子→夏川静江→伏見直江→水谷八重子……という感じ。ビッグネームしかいない)

竜田静枝は「第二部」の女優さん。

だから、大スターにはなりそこねた人、という扱いなのだろう。

そして 夏川静江→日活 竜田静枝→松竹 ということもわかる。

 

「竜田静枝」の項目。

引用しますと――(249ページ)

 

彼女のやや媚びをたたえた明眸、心持ちそり気味の上唇、白い肌、それは当時の男性ファン憧れの性的魅力だった。彼女の全盛時代はそうしてつづいた。ことに島津門下の新鋭監督・豊田四郎の「彩られる唇」「都会を泳ぐ女」での彼女は新しい時代の魅力をスクリーン一杯に漂わせて、まさにアメリカのイット女優クララ・ボウに匹敵したといえる。しかも一歩もその魅力にひけをとらなかったといってもいいだろう。

 

ということで、和製クララ・ボウみたいな存在だったのだろうな、ということがわかる。

 

「蒲田」で「静枝」――というから、

あの「アサヒグラフ」の三味線の女性は、この竜田静枝さんで決まり、でしょう。

今の目から見ると、なんということもないポーズですが、

昭和初めの目からみると、膝小僧出して三味線なんて……

という、ちょいとセクシーな写真だったのかもしれない。

 

竜田静枝。松竹の女優さんなら、小津とのかかわりはどうだったのか?

で、ざっとみましたところ、小津作品にも出演していました。

 

「結婚学入門」(1930)→竹林峰子役、高田稔の妻という役どころらしい。

「お嬢さん」(1930)→不良マダム役。

と、どちらもプリントが失われた作品で、これではトマス・ピンコが知らなかったのも無理はないです(笑)

 

あと清水宏作品にも出てたようで

フィルムアート社「映画読本 清水宏」118ページに 「混線二タ夫婦」なる作品が紹介されております。

 

どうも、この竜田静枝は 山形出身で訛りがあって

トーキー時代には活躍できなかった模様です。

 

というか、動く夏川静江は見てみたいものです。なにかで見れるのかな?

最後に、佐藤忠男御大の 夏川静江評を引用しておきます。

 

 夏川静江は、岡田嘉子と対蹠的に純情可憐型で売り出された。ただし、それまでの純情可憐タイプの女優が、可愛らしいだけで自己主張の弱い感じが多かったのに、彼女には近代的で知的な雰囲気があって、モダーンなメロドラマに活用された。

(岩波書店、佐藤忠男著「増補版 日本映画史Ⅰ」261-262ページより)

 

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後半、がらっと話題が変わりまして、飛行艇DoX君のはなし。

アサヒグラフの復刻版をみてまして、どうしても気になってしまいまして――

 

「アサヒグラフに見る昭和の世相1」p163

昭和4年8月21日号ですが……↓↓

 

百人乗の旅客水上機

ドイツ人の理想とした世界一の大飛行機、百人乗り旅客水上機ヅクス號は、ボーデン湖畔のドルニエ工場で二年間秘密裡に建造中の處、七月九日はじめて公開された。総頓数五一頓。長さ四一米、高さ一〇米、両翼の幅四一米、三層建で五二五馬力のエンヂン十二個を備へ、一時間二五〇キロの速力といふ怖ろしい怪物である

 

正直、ドイツにはあまり好感をもっていないわたくしですが……

ドイツ人が考える、または実行する奇想天外なことは心底すごいとおもいます。

 

このDoX君もまた、バカバカしいというか、なんというか――これは好きです。

 

このエンジン12個の化物DoX君が、ですね。

「アサヒグラフに見る昭和の世相2」p57に再登場いたします。

昭和6年9月30日号。

 

紐育のドツクス

大西洋横断に成功したドルニエ・飛行艇ドツクス號は八月廿七日紐育へそのさつそうたる姿を現した。この独逸文化の最高水準に対して、紐育の摩天楼達は之又アメリカ文化の代表顔をして出迎へて居る

 

「ヅクス號」といっていたのが 「ドツクス號」になってますが

DoXの ドイツ語読み、英語読みの違いなんでしょうかね?

 

もとい、ツェッペリン=飛行船は今でも有名ですが、

この頃は「飛行艇」の時代でもあったのだな、ということを認識いたしました。

 

当時……

・飛行場が未整備だった。(客船のように港に着陸する方が効率がよかった)

・エンジン出力および信頼性が低かった。(いざというときは着水すればよい)

ということで 飛行艇が選ばれたようです。

 

DoX君&摩天楼。

この写真はいいなあ。部屋に飾りたいくらいですなあ。

 

手持ちの本だと

クレオ社、白井成樹「飛行機 大空の冒険者たち」という

画集のような図鑑のような本にもドルニエDoXは載ってました↓↓

 

ネット情報ですと、飛行中、えんえんエンジンの面倒をみていなければならない、とかいうとんでもない状況らしく、

↑の紐育の写真なんか、いかにも

「成功しました!」という感じですが、

 

七か月間、修理のためにニューヨークにいた、ということで、

まあ、はっきりいうと使い物にならなかったようです。

 

いいなあ、DoX君。

ドイツ人が無様に失敗するのっていいな。

 

このめちゃくちゃ感。

なんかワーグナーとかニーチェとかの系譜上にありますな↓↓

(ものすごいボンヤリした印象(笑))

 

そのあと、このDoX君をいろいろ調べたのですが――

 

・プラモはアマゾンで買える。でも高い。しかも昔のキットで組みづらいらしい。

・シュライバー社のペーパークラフトモデルがあるらしい。

・新千歳空港・ちとせ大空の夢アミュージアム、なるところにDoX君の精密模型が展示されているらしい。

 

などがわかりました。

シュライバー社のペーパークラフトはそのうち欲しいです。

あと新千歳空港、というと 「水曜どうでしょう」の旅の出発点としてしか意識してなかったのですが、

そんなおもしろそうな施設があるとは知らなんだ。

DoX君に会いに行ってみたいものです。

菊池寛「貞操問答」・キャメルとチェリー・「木村伊兵衛写真全集昭和時代」

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戦前のアサヒグラフがあまりにおもしろいので、

戦前から活躍している写真家の写真集を、

これからちびちび集めてみるか、などとおもいまして――

(ほんとうは一気に大人買いしたいのだが、なにぶん一冊一冊高いのでムリ)

 

まずは「木村伊兵衛写真全集昭和時代 第一巻[大正十四年~昭和二十年]」

を買ってみた。

これはすんばらしい写真集ではあったが、

自分のメインの興味(昭和初めの都市生活の様相)からすると、ハズレだった。

 

それは、まあ、考えてみれば当たり前で

いわゆる「いい写真」を撮るためには いろいろと削ったり切り離したりしなければならない要素があるわけで、

しかし、

自分なんぞが一番興味があるのは、そういった一流写真家が削ってしまう部分だったりするわけです。

 

しかししかし――

1935~1936年あたりの撮影だろうという「煙草屋」↓↓

 

これは完璧な「写真」「作品」であると同時に、トマス・ピンコの興味も満たしてくれる

すさまじい作品だとおもいました。

 

まず「写真」「作品」として……

・寅さんのタコ社長みたいな店のオヤジと、ハイパーモダンなマダム(昭和10年ですぞ!)の対比が美しい。

・マダムの軽く体をひねった姿勢。動きがある姿勢(右足の動き・角度)。それからお顔がほとんどみえないあたりもいい。

・マダムのスマートな身体と積み上げられた煙草の箱の山。この画面内の垂直方向の運動がすばらしい。

・モダンな店内と、タコ社長オヤジの店主、この和洋の対比もまたすばらしい。

いろいろ褒めても褒め足りないわけですが――

 

トマス・ピンコの興味としては、「舶来煙草」というものの持っていたステータス性が

たった一枚の写真ですんなり理解できた、というのが大きいかな とおもいます。

 

木村伊兵衛「煙草屋」は クレヴィスという会社の「昭和の記憶 写真家が捉えた東京」という本にも収録されているのですが、

その本の解説によりますと

 

アブダラは英国製、キャメルはアメリカ製。舶来煙草は「少数の金持でなければ、殆ど喫むことができないほど高価である」と作家の徳田秋声が昭和7年に記している。

とのことでした。

 

□□□□□□□□

以上をふまえまして、菊池寛「貞操問答」の感想を。

 

「キャメル」と「チェリー」

舶来煙草と国産煙草をめぐっておもしろい描写がありますので

以下紹介いたします。

 

もともと新聞小説だったそうです。

連載期間 昭和9年7月22日~昭和10年2月4日 というから、あの「煙草屋」と同時代です。

 

南條家……という家庭がメインのはなし。

かつて 中流の上、くらいの生活をしていた家が

父親の死とともに稼ぎ手がいなくなり没落しつつあります。

主役はこの家の三姉妹で……

 

・南條圭子……女子大生。演劇バカ。女優志望で演劇公演で浪費。インテリだが世間知らず。

・南條新子(しんこ)……生活力の無い南條家のメンバーの中でただ一人しっかり者。生真面目のくせにやけにモテる。

・南條美和子……「ベビーエロ」などと形容されている色気たっぷりの末っ子。服、化粧品等を浪費。性格は素直。

 

メインキャラの新子ちゃんが、

家族の生活を支えるために、前川家というお金持ちの家庭教師に行く、というのが前半のおはなし。

 

前川家の主人、準之助氏、そして前川家の子供達はすばらしい人たちだが、

前川家の奥様が高飛車で 性格がひねくれきっているので なにかというとトラブルが起きる。

かてて加えて 身内が……

姉の圭子が、新子がせっかく稼いだ金を 演劇の公演に必要だ、とかいって持って行ってしまう。

妹の美和子は、新子の彼氏、美沢さんを誘惑する。

――という、とんでもない内容で、これはおもしろくならないはずはない。

じっさい、新聞連載時はかなり人気だったそうです。

 

この小説に――木村伊兵衛「煙草屋」で写されていた「キャメル」が登場します。

 

 青年はシガレット・ケースを開けると、夫人に勧めた。

「何?」

「キャメル……」

「ごめんなさい。私、これしか吸えないの。」と、いって夫人は、自分の赤革のケースから、スリー・キャッスルの細巻を出して、青年がライターをつけてくれるのを待った。

「私、三、四日のうちに、伊香保へ行ってみたいんだけれど、貴君も行ってみない。」

(文春文庫、菊池寛著「貞操問答」92ページより)

 

 試合(トーナメント)が了る(おわる)と、小太郎がアイスクリームを食べたいというので、三人はプレッツに寄った。そこで、新子はクリームを買った。

 卓子(テーブル)に、子爵は新子とさし向いに坐ると、キャメルに火をつけながら、

「貴女がさっき愛人(アミイ)とおっしゃったのは、愛人か許婚のつもりで、おっしゃったのですか……そんな深い意味じゃないんでしょう。それなら、いろいろありますよ」

(同書120-121ページより)

 

キャメルを吸うのは木賀子爵、という 例の性格悪い前川夫人の若いボーイフレンド。

(それほど深い仲でもないようだが)

最初のシーンは、夫人との乗馬デートで、

つぎは 新子ちゃん、前川家の男の子、小太郎君、木賀子爵が軽井沢の町を歩いてテニスの試合をみたりしているところ。

どちらにしても、「軽井沢」「上流階級の生活」といったものを背景に、「キャメル」は登場します。

 

これと対照的に登場するのが国産煙草の「チェリー」でして……

 

「駄々っ子だねえ。じゃ、小母さんの帰るまで、飲まず食わずにいるさ。」と、いって美沢が美和子と、さし向いに坐ってチェリイをつけると、美和子はすぐ羞しそうに、唇の傍に手をあてたり、下眼づかいをしたり、いたいたしいほど、処女めいた表情をする。彼は、このお嬢さんを、いかに扱うべきか考えずには、おられなかった。

「靴下がとても、汗ばんで気持がわるいの。ちょっと、取っていてもいいかしら。」

「いいさ。」

 美和子は、立ち上ると、それでもしおらしく、後を向きながら、スルスルと靴下を取ったが、かの女は彼の眼を、さっぱり恥ずかしがっていなかった。

(同書144-145ページより)

 

末っ子の美和子ちゃんが、ストッキングを脱いじゃって姉さんの彼氏を誘惑するシーン。

木賀子爵の「キャメル」に対し、美沢さんは「チェリイ」なわけです。

つまり構図として――

 

キャメル―チェリー

お金持ち―貧乏

軽井沢(避暑地)―東京(暑い)

新子(清純)―美和子(ビッチ)

 

という対照をもちいて 菊池寛はそれぞれのシーンを組み上げているわけです。

 

ちなみに――「別冊anan モボ・モガの時代 東京1920年代」には

当時の煙草のパッケージが紹介されております。

 

モボが好んで吸った煙草はエアーシップやチェリーなどのイギリス巻きであったと思われる。スイート・アンド・マイルドのイギリス巻きで、当時いちばん庶民的なものといえば、ゴールデン・バットだ。パッケージにもスイート・アンド・マイルドが売り文句になっている。しかし、モボは、やや気どってエアーシップだ、チェリーだ、なのだ。

「別冊anan モボ・モガの時代 東京1920年代」84ページより)

だそうです。

 

また――平凡社の「モダン都市文学」の脚注ですが、

エアシップ

山の上を飛行機と飛行船が飛ぶ油絵調の美しいラベルで、大正十年には十本の箱入りが発売された。昭和五年の価格は十本入り十二銭。ちなみに、ゴールデンバット七銭、チェリー十銭。ナイルは四十五銭である。

(平凡社、「モダン都市文学Ⅰ モダン東京案内」82-83ページより)

とありまして、じっさいの価格がわかります。

 

さて、洋モクの「キャメル」「スリー・キャッスル」はいくらくらいしたんでしょうね??

 

その他、「貞操問答」の気になるディテールとしましては……

 

帝劇を出たときは、ちょっとの間、夕霽(ゆうばれ)にあがりそうに見えた空も、また雨は銀色の足繫く降り出して、準之助氏のラサールという、素晴らしく長い車台の車に送られて、四谷の家近く、だがなるべく近所の人の目にふれない所で、おろしてもらった時は、六時というのに冬の日の暮れのように暗く、運転手が開いた蛇の目に、点滴の音が、さかんであった。

(文春文庫、菊池寛著「貞操問答」257ページより)

 

準之助氏の愛車が「ラサール」だというのは、控えめな彼の性格に合っているとおもいました。

小林彰太郎「昭和の日本 自動車見聞録」p106によりますと――

 

ラサールはいわばキャディラックの弟分に当たる高級車。

“キャディラックを持っている”と威張っていうのと、“ラサールです”とでは、月とスッポンほども違うらしいのである。

とのことです。

 

また、当時。美和子ちゃんのようなおしゃれなフラッパーが

銀座でハンドバッグを買うとしたら 「サエグサ」へ行くのだ、というあたりもわかったりします。

 

□□□□□□□□

さいごに、

・「貞操問答」文句なしにおもしろいですが、人物描写は薄っぺらいです。

最近はまってました「マリみて」の あの繊細かつ深みのある描写にはとても及びません。

文学作品としては「マリみて」のほうがはるかに上。

 

・タバコですが……

自分は今まで吸ったも、吸おうとおもったこともなく、

タバコにはまったく興味はないです。

ただ戦前は猫も杓子も吸っていたようなので、当時の文芸作品にはなにかというとタバコの描写があり

戦前のタバコ事情には非常に興味があります。

またパッケージ……とくにエアーシップのパッケージの美しさには魅かれます。

五色沼(毘沙門沼)・桧原湖観光船(あづま丸)

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阪急交通社さんが、

「え? 裏磐梯のこのホテルがこのお値段??」

という宿泊プランを売り出していたので、ついつい行ってしまったわけです。

 

このご時世に旅行などけしからん! などという向きもあるかもしれませんが、

責めるのなら、阪急交通社さんを責めていただきたいものです。

 

□□□□□□□□

――などと予防線をはらないといけないのも イヤになりますが、

9月はじめに 福島へ旅行へ行きました。

 

6時前に、イバラキ県南を出発。

常磐自動車道、磐越自動車道を 進みまして 9時少し前に五色沼に到着しました。

(1回 中郷SAで休憩)

 

たどり着いた五色沼は やけに閑散としていました。

われわれ以外出会った観光客は 5,6人ほどか?

 

前回……3,4年前に 紅葉を見に行ったときは

観光バスが次から次へと駐車場に押しよせて

外国人の団体がわんさか五色沼へ押し寄せていたのですが――

 

あの光景は一体なんだったのでしょうか?

 

9月初めという――夏休みでも 紅葉シーズンでもない

中途半端な時期ということを差し引いても……

 

武漢肺炎パンデミック、恐るべし。

 

鯉のメンツは 3,4年前と変りない印象。

鯉は長生きするのかな。

 

 

 

T子さんに ハートの鯉を撮れと命令されたので

ひたすらシャッターチャンスを待ち続ける。

 

と、

 

撮れました。

(とくに難易度は高くない)

 

毘沙門沼。こうして写真でみるとキレイですが、

実際、それほどキレイではなかった……

うすぼんやりした緑色だった。

 

前回はもっと澄んだエメラルドグリーンだったような。

やっぱり早朝とかが美しいのか?

いろいろ時間帯とか 季節によるんでしょうねえ。

 

↑↓ シグマの15㎜魚眼レンズ。

 

 

 

↑↓ コシナ・ツァイスの ディスタゴン25㎜

やはりカールツァイスはすばらしい。

 

五色沼ソフトなるものをいただく。

塩風味というのが どういうものかわからないまま注文したが

うっすら塩風味のバニラで なかなかおいしかった。

 

しかし、売店もかわいそうなほど閑散としている。

 

桧原湖へ移動。

桧原湖第一駐車場という公共の駐車場ですが

(無料)

 

ここも閑散としてます。

 

駐車場そばのゴールドハウス目黒というところで……

 

天ざるをいただく。

 

10時頃かな。

大きな食堂に

お客はわれわれ二人だけ。

 

でも店員さんはとても愛想がよい。

お味、悪くない。

 

ゴールドハウス目黒の外観。

とくになんということもないですが。

 

桧原湖。

この日、晴れていたのは 9時頃一瞬だけで、

あとは曇りときどき雨。

 

観光船のくる桟橋。

 

桧原湖観光船に乗ります。

11時15分発、だったかな。

 

お客はわれわれ二人と……

出発間際に乗りこんできた 老人夫婦二組。

合計六人でした……

 

完璧赤字でしょう。燃料代も払えないのでは。

休日はちゃんと人が来るのかな。

 

 

 

船内の様子。

と、世界的に有名なワンちゃん。

 

1階の様子。

 

デッキの様子。

 

 

 

 

↓↓これは2階のデッキかな?

 

2階の様子です。

 

運転席? というのか 操縦席? というのか

 

1階 船首部分。

 

世界的に有名なワンちゃんと トマス・ピンコのバカでかいバッグ。

 

湖をみつめる

世界的に有名なワンちゃん。

 

 

 

 

出航します。

 

真ん中に磐梯山。

 

 

 

 

上の写真をトリミングしたもの↓↓

 

晴れていれば雄大な磐梯山がみえたはず。

山体崩壊ってやつですかね。ブラタモリでやってた。

 

どんよりした曇りで

まわりはなんだか モノクロの水墨画の世界のようです――

 

――が、

箱根の蘆ノ湖みたいに わかりやすい目印があちこちにあるわけではないので……

(箱根神社 山のホテル 九頭龍神社 箱根園等々)

 

イマイチ盛り上がりに欠ける。

 

しかし、

晴れた日はどういう光景だか、確かめてみたいものです。

 

 

 

観光船のコースが終わる頃 雨が激しくなってきましたので

チェックインできるかどうかわからないけど さっさとホテルに行こう、ということになりました。

裏磐梯グランデコ東急ホテル  スタンダードツイン302号室

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桧原湖・五色沼から 山道を登りましてホテルに到着。

(クルマで15分~20分くらいだったとおもう)

 

前回書きましたように 阪急交通社の格安プランだったので

一体どんな部屋なのか?

一体どんなお食事なのか?

若干の不安があったのですが、

さすが一流ホテルで 部屋もお食事も価格以上のものがありました。

 

ただ……チェックイン後、部屋へのご案内がなかったのは コロナの影響なのか?

格安の影響なのか? それはわからない。

荷物の運搬もなし、だったです。

あれはちと寂しいな。

 

□□□□□□□□

もとい、

12時半ごろ到着で そのままチェックインできたのはたいへんありがたかったです。

 

赤べこのお皿と桃のゼリーがお出迎え。

この赤べこの皿、翌日に磐梯山SAで見かけて 買おうかどうか迷ったのですが、

お箸・箸置きとかのセットでの販売だったので けっきょく買わず――

 

今になって少し後悔。お皿だけで売っていれば 即座に購入だったのですが。

 

ベッドの様子。

 

寝心地は普通。

たぶん、シモンズだのマニフレックスだの、ではないのだろうとおもわれる。

――などと上から目線。

 

温泉の効能か?

やけに寝汗をかいたのはよくおぼえてます。

 

テレビ。

 

ソファ。

 

……の上のぬいぐるみは私物。

精神年齢の低さがうかがえます。

 

右から世界的に有名なワンちゃん。プイプイモルカーのポテト。可愛い嘘のカワウソのぬんちゃん。

 

落ち付いた色合い、

そして広い部屋。

このホテルでは一番ランクの低い部屋だと思うのですが。

 

ソファの横(スヌーピーの右側) 空気清浄機です。

窓の外ですが、森が広がっていて あまり視界はひらけていません。

4階のランクの高い部屋だと眺めがいいのかな? ちとわかりません。

 

とても静かです。

 

トイレ。

 

洗面台。

 

トイレおよびお風呂。

 

大浴場へいったのでお風呂は使わず。

 

お腹がすいたので ラウンジで軽食をいただくことにする。

 

エレベーターホールの様子です。

 

エレベーターホールからの眺めだとおもう。

この切妻屋根の感じはいかにも「ポストモダン」という感じがする。

 

いろいろ降雪のことを考えたりしているのだろうともおもうけど。

 

ラウンジにて。

あらかじめホテルのHPで この「季節のフルーツパフェ」をみかけて 目をつけていたのであった。

 

ラウンジの様子。

ラウンジはなかなか美しかった。

いかにも高原のリゾートホテルという雰囲気。

 

 

 

サンドウィッチ。

 

カフェラテ。

 

お目当ての季節のフルーツパフェ。

 

……以上、お味は。

おいしかったが、万平ホテルとか箱根の山のホテルとかのお味……

「また来たい!」とおもわせるほどではなかった。

 

えー食べた後、生意気にプールなんぞに行きました。

 

窓の外に屋外のプールがみえますが、あれは8月いっぱいかな? やってませんでした。

――というか、こう涼しくては行く気がないですが。

 

プール、独り占め。

……というか、二人占めというか。

誰もこない。

 

なのでスマホで撮影させていただいた。

 

 

 

1時間弱 ばちゃばちゃ遊びまして――

それから1時間半くらい昼寝。

 

と、優雅に(笑)過ごし……

 

夕食。

ラウンジの写真なんですが↓↓

 

食事の会場は 「クレール」という洋食レストランでした。

 

赤べこがお出迎え。

メニューカードには「和洋折衷」と書いてあります。

 

・洋食先付

鴨胸肉のロースト

カリフラワーのムース

生ハムフロマージュ

 

鴨肉の下にオレンジが敷いてあった記憶がある。

黒いのはバルサミコソース。

 

・和食先付(お造り)

 

マグロ、イカ、サーモンだったかな

 

・碗代り

茶碗蒸し

・煮物

豆腐万頭 鶏そぼろ餡

 

・強肴

麓山高原豚のソテー

シャリアピンソース

 

おいしい豚肉でした。

 

・食事

御飯

香の物

止碗

 

・甘味

きなこのプリン、だったとおもう。

はじめて食べたお味。

紅白みたいにグレープフルーツがならんでいるのも可愛らしい。

 

さいご コーヒー

ウェッジウッド風のノリタケの器が美しいです。

背景……カールツァイスレンズのボケ味も(笑)

 

以上、格安だったくせに 豪華なお食事で満足でした。

 

ロビーの片隅にて。

赤べこちゃんもマスクです。

いやな時代ですけど。こういうユーモアはいいですな。

 

この赤べこちゃんのそばに

いまの天皇陛下御夫妻が 皇太子時代にこのホテルに来られた写真が飾られてました。

黒いクラウンのタクシーだかハイヤーだかでご到着、というシーンだったとおもう。たしか。

スイートルームに泊まられたのでしょうなあ。

 

ラウンジの写真ばかり撮ってる。

気に入ったみたいです。

 

お風呂も プール同様空いてました。

 

誰もいないから またスマホで撮影。

脱衣室の様子。

 

 

「デコ平温泉」という名前がいいね。

 

こんなでした。

女湯は T子さん以外に数人いたそうです。

 

いいお湯。

露天風呂。

夜9時ごろかな……えんえんひとりの男湯です。

贅沢。

 

去年9月の那須の山楽さんの男湯も

やっぱり一人っきりだったな。

へんな時代ですな。

 

お風呂でまして……

T子さん 牛乳・コーヒー牛乳 お買い上げ。

 

わたくしは牛乳はお腹壊すのでのまない。

 

自販機コーナーがこんな充実しているのははじめて見たかも。

 

というか、スキーリゾートのホテルなもので

プールといい、充実の自販機コーナーといい、

なんだかアスリート志向を感じる。

 

そうそう売店の一角には 一流アウトドアブランド・モンベルのコーナーもありましたっけ。

 

よく寝まして――

朝食はバイキング形式。

 

毎回毎回おもうことだが、旅先の朝食はよく食べる。

普段はほとんど食べないのに。

 

あと、アップルジュースがやけにおいしいな。

 

レストランから外を見る。

 

一泊二日の旅行。

二日目の朝は雨……

 

レストランの様子。

ずいぶんガランとしてますが、

 

われわれが起きるのが遅かったので……

ほぼ最後のお客かな。ラスト一組いたけど。

 

他のお客さん、

……それでも見かけたのはニ十組もいなかったような気がするな。

あくまで印象ですが。

観光業、かなりキツイですな……

 

またGoToやらないかな。

とか書くと自粛警察に怒られるかね。

 

部屋に帰りまして バルコニーへ。

全室 バルコニーがあるみたい。

 

まあ、口悪い人に言わせれば バルコニーじゃなくてベランダね

ということになるでしょうが。

 

ランクの高い部屋だともっと大きいのかな?

 

んー

桧原湖観光船もそうだったが、天気がねぇ……

 

10時半ごろか、チェックアウトしました。

とてもいいホテルでした。

 

プールで泳いだのは久しぶりなので プールが一番印象に残っております。


大内宿(大内宿街並み展示館・石原屋・ねぎそば)

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大内宿――結論を申し上げますと、とてもよかったです。

 

正直、あまり期待はしてなかったのですが……

るるぶとかネット情報とかでみるかぎり

「観光地観光地してる感じでやだな」という印象だったのですが、

たしかにそういう面も大いにありますが、

それを越えた魅力がありました。

 

□□□□□□□□

もとい、10時半ごろかな。

裏磐梯グランデコ東急ホテルを出発。

 

山道を降りる途中 小野川湖の様子。

 

朝はばっちり雨が降っていたのですが、

だんだん空が明るくなってきました。

 

大内宿への道中。

磐梯山SAあたりでは晴れてきまして……

 

 

 

大内宿に到着したころは 立派に晴れておりました。

駐車場付近の様子↓↓

 

ザ・ど田舎、です。

 

大内宿に関して 最初クレームを書きますと――

というか唯一のクレームなんですが、

 

地図の表示がまったくないんですね。

どこかにあったのかもしれないですが、わかりやすい場所にはなかったようにおもいます。

三澤屋がここにあって……街並み展示館がここにあって……トイレはここで……

という地図が、ですね。

 

掲示板のような形の地図も

冊子のような地図も

大内宿に入ったらなにもない。

 

で、

帰り際に、ですね。

駐車場の奥の トイレとか観光案内所とかをのぞいてみたら 冊子の地図がありました。

大内宿観光協会という事務所ですね。

 

でもその事務所、駐車場から大内宿に向かう途中にあるんじゃなくて

駐車場のはずれにあるんですよね。

わざわざ立ち寄る場所じゃないんですよね。

 

もとい、

これから行かれる方は

まずは観光協会事務所へ行って 地図をもらって、

それから大内宿を散策されたほうがよろしいかとおもいます。

 

以下、撮った写真をべたべた貼っていきます。

 

まず三澤屋さん。

ねぎ蕎麦の名店……らしいが通りかかっただけ。

駐車場から大内宿にはいるとまず出くわします。

場所がいいのだな。きっと。

 

混んでました。

前日。がらんとした五色沼および檜原湖をみただけに……

一人っきりの温泉をみただけに……

 

混みっぷりに驚きました。

武漢肺炎がなければ 行列できてたのかな?

 

手前から

こめ屋さん 山本屋さん

 

右側に水路が流れているのがわかるかとおもいます。

 

火の見櫓。

別になんということもないが……

ここ独自のなにがあるわけでもないが、撮ってしまった。

 

えー

大内宿街並み展示館です。

 

裏手にトイレがあります。

公衆トイレ的なものは ここと、あとさっき書いた観光協会のトイレの二か所かな。

 

もちろん、食べ物屋さんでなにか食べれば

そのお店にトイレは用意されているでしょう。

 

本陣……殿様が泊まるような家ですので

立派。

 

裏手、トイレの付近にあったポスト。

 

現役ではない、よね。

 

えー展示館の二階から

大内宿の街並みを撮る。

 

 

 

展示館内部。

 

 

 

展示館から街並みをみる。

殿様視点ですな。

 

会津の殿様のお部屋。

 

展示品。

 

トイレ。

 

雪隠、というと。

なんか忍者でも潜んでいそうな(笑)

 

お風呂。

 

湯殿という響きが良いではないか。

なんか、由美かおるでもでてきそうな(笑)

いや、でてきてほしい(笑)

 

とくにお茶のサービスがあったりするわけではない。

 

なんか飲み食いできるといいのだがな。

囲炉裏があるんだから。

とか勝手な事かいてます。

 

神棚が立派でおどろきました。

 

左側のスペースで↓↓

茅葺屋根の作り方、とかも展示されていました。

 

展示館を出ます。

 

 

 

ちょっと歩きまして

石原屋さんでお食事。

 

ここ。お店の入口は裏側のモダン建築のほうです。

 

こんな風に 茅葺屋根+現代の建物 という組み合わせはあちこちに見られました。

 

もちろんねぎ蕎麦を注文。

まず ねぎとたくあんが出てきます。

 

メニュー……

ですが、すんません。

半分ボケてますな。

 

石原屋さん 内部の様子。

空いてますが、はずれた時間に行ったもので。

 

すこし前。

お昼時に通りかかった時はけっこう混んでました。

行列ができるほどではなかったが。

 

ねぎ蕎麦登場。

 

えーはっきりいいますと、

名物に旨い物なし、という感じ。

 

東京のそばの名店へ行かれた方からすると、

そばそのものは

とくにおいしくは感じないのではないか。

まずくもなかったけれど。

 

「大内宿という特殊なシチュエーション」+「ねぎというガジェット」

これが、なんか魔法の効果を生みだすのであろう。

 

あ。なにもご存知ない方のために書くと

ねぎをお箸のかわりにして そばを食べ、

食べつつ ねぎをかじるんですな。薬味として。

 

石原屋さんの様子。

脇の水路の水音がほんとうに心地よいです。

 

ねぎそばだけでは足りないので

ごはんものが何か欲しいような感じがしたのだが、

ごはんものはメニューになかったような気がする。たしか。

 

これも石原屋さん。

 

今までの写真からご想像の通り、

大内宿。山に囲まれた盆地なのですな。

 

モダン建築。

T子さんいわく 「ねぎ蕎麦御殿」(笑)

 

いや、でもシンプルで茅葺屋根とうまく調和してます。

 

 

 

大内宿の記事、次回も続きます。

大内宿(叶屋)・大川ダム・会津バーガー(ラッキースマイル)

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福島旅行の記事、今回で最後です。

大内宿、つづきです。

 

叶屋さん、というおみやげ屋さんの看板ネコちゃん。

お客さんたちにちやほやされていたが

特に反応はせず、しかし逃げもせず、というスタイル。

 

これも 叶屋さん、たしか↓↓

 

叶屋。

こんな感じのお店。繁盛してました、が、

インバウンド客がいた頃は何倍もすごかったのではなかろうか。

 

縮緬生地で作った小さなお手玉(ぬいぐるみみたいなもの)

がたくさん店先に並んでいて

T子さんは 白蛇とそれを飾るちいさな座蒲団を買った。

そうすると、お手玉を入れるちいさなかごをサービスでくれた。

(写真ないですが)

たしか十二支……干支の動物がいたのだと思う。

あと定番の赤べこ。

 

漬物類も売っていて、試食させてもらったが

すみませんが、そちらは買わなかった。

 

店員さんがとても愛想がよかったです。

愛想がいい、というか、口がうまい、というか。

 

 

 

高台から撮った写真↓↓

 

モノクロにしてみる。

 

これは見晴台ってとこから撮ったかな?

 

子安観音のお堂、だとおもうが

違ってたらすみません。

 

見晴台へ行くのに

こんな急な階段をみんな上っていくのだが……

 

脇に緩やかな迂回路があります。

われわれは楽な方を選んだ。

 

水路。

とにかく水路の存在は大きいように思いました。

 

日本人にはイマイチ理解できないことだが、

水は貴重品。

かなり贅沢なことしてます。

 

真ん中に「コーヒー&サンドイッチ」とありますが……↓↓

思ったのはこっちのフォントのほうが大内宿に似合ってませんか? ということで。

 

ねぎ蕎麦の石原屋さんにしろ

おみやげの叶屋さんにしろ

具体名は知らないのだが……あの江戸っぽいフォントで屋号を書くのは

なんかダサいな、と思いました次第。

「日光江戸村」とか あんなノリのフォントね。

 

別に――「江戸」がダサいというわけじゃなくて、ですね。

 

たぶん大内宿をみて われわれが感動するのは

シンプルで「白」主体のモダン性のように思えますので、

字体もモダンなほうが映えるんじゃないかな??

すっきりしたゴシック体のほうがいいんじゃないかな??

 

――などと生意気におもいました。

 

一の鳥居、というもの↓↓

 

この鳥居の奥に高倉神社という神社があったらしいが、

それを知ったのは 帰り間際、地図をゲットしたあとのことだったので

行ってません。

 

柄にもなく お花を撮ってみる。

マクロプラナー50㎜

背景は水路。

 

大内宿は ディスタゴン25㎜より 標準レンズ50㎜のほうがしっくりくる場所のように思えました。

 

 

 

コスモスを撮ってみる。

 

三澤屋さんにまた戻って来た。

また来る機会があれば三澤屋さん行ってみたいです。

 

大内宿のまわりの風景。

こんな田んぼの真ん中に昔ながらの宿場町が広がっている、という構造。

 

あと、蕎麦の花……白い花はたぶんそうだったのではないかな??……

が、キレイだったのですが、そっちは撮ってなかった。失敗。

 

大内宿から会津若松市へ戻ります。

 

大内宿へ来る途中みかけた 大川ダムに寄ってみる。

 

正直、見どころみたいなものはないですが……

 

ものすごく静か。

 

静まり返った巨大な構造物、というのは、

「夜の学校」みたいなもので

 

なんとも不気味です。

 

いや、たぶん働いている方たちがいらっしゃるのだとおもうが。

ダムの裏側↓↓

あれ……表側かも?

表裏わかりません。

 

会津若松から大内宿へ行く道は

茨城人の目から見ると、

「桜川方面から筑波山へ行く道に似てるな」という印象だったのですが――

 

こんなダムとかみると、まったく筑波山レベルのスケールではないことがよくわかります。

山また山、です。

 

山奥からにぎやかな会津若松に戻りまして、

白木屋漆器店。

建物内、ちと拝見させてもらったが、

若干むし暑く、かび臭く、

暑いのが苦手なわれわれはさっさと退散してしまった。

 

漆器に興味ある方には天国のような場所だとおもわれる。

 

白木屋さんそばのクランクで撮った かわいいシャッター。

 

旧城下町特有のクランクとかもそうなのだが……

会津若松の雰囲気は 子供の頃かすかにみた記憶がある……

繁栄していたころの土浦に似ている気がしました。

 

土浦は、まあ、いろいろありまして今や見る影もないんですが。

あんな風俗店だらけの町と

比べられると会津若松の方で迷惑でしょうが、

どちらも旧城下町で 雰囲気は似てました。

 

夕食は 会津バーガー・ラッキースマイルさん。

アメリカーンなグッズがたくさん。

 

BGMもアメリカーン……正直、ちとうるさいかな、ともおもったが。

 

左。山ぶどうのジュース(たしか)

右。ジンジャーエール

 

フレンチフライポテト

フライドオニオン

 

ハンバーガーのぬいぐるみ

 

T子さんの会津美人バーガーです。

 

漆器のお盆にご注目ください。

ちゃんと店名がはいっている。

 

美人バーガー アップ

 

わたくしの背あぶり山バーガー

メキシカンなサルサソースの香りが。

 

スープとラスクはおまけでつけてくれたと思う。

ありがとうございます。

 

とにかくデカかったです。

これ一個でお腹いっぱい。

お店オリジナルというバンズはとてもおいしい。

ただちょっと味付けはしょっぱいかな。

福島の人の味覚はこういうものなのかな?

個人的には クアアイナのハンバーガーのほうが好み。

 

しょっぱいのは自分だけかとおもったが T子さんのもしょっぱかったらしい。

テイクアウトしたホットドッグも あとで食べたがしょっぱかった。

東北の味覚なのだろうとおもう。

 

しかし、ご覧の通り↓↓

あらゆるところまで 独特の世界観を貫くという姿勢はすばらしいです。

一見の価値はあるとおもいます。

ラッキースマイルさん。

 

 

 

 

雨に濡れた 美しい会津若松をあとにしまして

イバラキに帰ります。

 

えんえん高速道路、ですが、

北関東道はT子さんが運転代ってくれました。

 

ので、スマホでこんなものを撮る。

笠間あたりかな。

 

前のルナ號はマニュアル車だったのでこんなことはできなかった。

AT車のカバ子號にしてよかったとおもいました次第。

 

福島旅行の記事、おわります。

市川春代たんがかわいすぎる「鴛鴦歌合戦」(1939・マキノ正博)①

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市川春代。

通称:ハル坊。

 

お、おのれ……戦前日本映画――

まだこんな逸材を隠し持っていたとは……

と、

いうのが正直な気持ちです。

なんと卑怯なヤツらなんでしょうか。

この隠蔽体質には、正直憤りをおさえることができません!(笑)

 

□□□□□□□□

例によって(?)アサヒグラフなわけです。

昭和8年(1933)1月1日號は スターのお正月特集で華やかです。

 

その中で、ひときわ目立っているのが↓↓

 

日活の市川春代さん

 お正月封切を、特急で仕上げてほつとした春坊です。

 支那のデートリツヒだなんて皆にひやかされた彼女――

「いゝわよウ!」

 と大きな目をクリクリと廻轉させて、その問題のデートリツヒ好みのオーヴアーの襟をたてゝ彼女は撮影所を出て行きます。

 

と、いうことで、たぶんなにかの映画でマレーネ・ディートリッヒがこんなコートを着てたんでしょう。(上海特急?)

もとい、

ドミニク・アングルの絵画から抜け出てきたような卵形の美しい輪郭。

この、モダンな風貌に トマス・ピンコはすっかりやられてしまったわけであります。

(しかし、この帽子はどういう構造なのだろうか? ファッションに詳しい方に教えていただきたい)

 

ついでにどんな紙面かと 紹介しておきますと

こんなです↓↓

 

蒲田の岡田嘉子さん。

この5年後のお正月は(1938年)

スターリン体制のソ連に亡命して 生きるか死ぬか散々な目にあわれるわけですが……

この頃はお幸せそうです。

立派なワンちゃんですな。

 

それと、何回か前 当ブログでとりあげました、

日活の夏川静江さん。

 

スキー道具と一緒に写ってます。

実際にスキーが好きなのか? 演出なのか?

 

ハル坊にしろ、夏川静江にしろ、日活の女優さんは モフモフのコートが好きらしいです。

稼いでますアピールかな(笑)

 

もとい、アサヒグラフの市川春代嬢の写真を目の前に

何度かため息をついたあと、

どうしても 動くハル坊を見たくなってしまったわたくしは

 

マキノ正博監督・片岡千恵蔵主演

「鴛鴦歌合戦」(おしどりうたがっせん)(1939)のDVDを手に入れ鑑賞したわけです。

(あとはどんな作品でハル坊を鑑賞できるのだろうか? そのあたりもわからない)

 

結果、これはとんでもない大傑作でありました。

……というか、時代劇ミュージカルというとんでもない作品でした。

 

作品を最初からみていきましょう。

「マキノ正博監督作品」

マキノ作品ははじめて見ます。

 

爆笑問題の田中裕二さんが若い頃 マキノ塾?とかいうものに通っていたらしく、

ラジオとか聞いてると、たまに「マキノ先生が」「マキノ先生のところで」というはなしになったりします。

 

わたくしとしての認識はその程度。

あと佐藤忠男先生の本で 名前を目にしたな、という程度。

 

もちろんビッグネームだというのは認識しております。

 

主演 片岡千恵蔵 なんですが、

どうもウィキペディア情報によると、この頃なにか病気をしていた、とかで

主演のわりには登場回数は少ない。

 

あと千恵蔵が歌うシーンもありますが、どうやら本人の声ではなく 吹き替えである由。

 

撮影が宮ちゃん、こと宮川一夫先生!

 

以下、この作品の構図のすばらしさを褒めていくのですが、

これはマキノ先生ではなく宮川一夫先生の仕事だろう――と、勝手ながら断定させていただきます。

 

「それは違う!」という方がおられたら 教えていただきたいとおもいます。

 

おもしろいのは真ん中の志村喬ですかね。

志村喬が歌って踊る……

 

しかも、歌が超うめえ。

ホントにうまいんです。

 

で、その志村喬の娘役が市川春代 ハル坊です。

ヒロインです。

 

彼女の恋敵が 深水藤子。

この人は 山中貞雄の「丹下左膳余話 百万両の壺」――矢場のお姉さんを演じてた人。

で、ウィキペディアによると どうも将来山中貞雄と結婚しようとしていた、とか……

 

で、テイチクレコードの歌手二人。どちらもビッグネーム。

 

・ディック・ミネ→戦前の芸能界の話を読むと かならずどこかでこの人にぶち当たるような気がする。

あと、立川談志がなにかで 「芸能界三大巨〇」(笑)(調べてください)というので

この人をあげていた。

江川宇礼雄、ディック・ミネ、あと誰だか忘れました。

 

・服部富子→作曲家の服部良一先生の妹さんらしい。あと宝塚出身ですって。

 

オープニングは服部富子ちゃんの歌。

彼女はブルジョワのお嬢さまの役。

さすが宝塚、という安定感。

この人もかわいい。

 

続きましてディック・ミネの歌。

「ぼぉーくは わかーい 殿さま~」と殿様役。

 

服部富子をみかけて

「すごいシャン(美人)だ」

「あの子にまいっちゃった」

と追いかけていきます。

 

音楽面に関してはすみません。

素養がないのでまったく解説できないんですが、

すごくキャッチ―でわかりやすい曲ばかりです。

 

あと「シャン」「まいっちゃった」もそうですが、「ロマンチック」とかなんとか歌う場面もあり、

時代劇らしいコトバづかいはまったくしません。

 

で、

志村喬-ハル坊の親子登場。

 

ここは宮川一夫先生らしさがうかがえる気がする。

 

傘張り浪人の親子、という設定なので

たくさんの傘をパンしまして、

 

で、親子を写す、という。

はっきりいってコストはかからないが効果的。美しいです。

右。われらがハル坊。

 

構図もバッチリ決まってるんだよな。

 

ウィキペディア情報だとひたすら早撮りだったみたいなんですが、

画面をみる限り 手抜き感はまったくないです。

 

移動撮影とかパンとか かなり乱暴な感じもしないではないですが。

弱点はそれくらいかな。

 

笠智衆もそうだが……

志村喬もやっぱり戦前からおっさんを演じていたわけだな。

 

そういえば笠智衆も 「長屋紳士録」ではミュージカル俳優みたいなところを見せますな。

昔の俳優さんは芸があったんだな。

 

構図もばっちりなんです。

計算されつくしている。宮ちゃんおそるべし。

 

ハル坊のバストショットだが……

この人が目立ち始めるのは……後半ですね。

このあたり、女優王国の松竹の作品作りとはなにか異質なものを感じる。

松竹ならば、まずヒロインのアップを撮るわけですが、

この作品はあくまで「千恵蔵の作品」なのでしょう。

千恵蔵よりハル坊が目立ってはいけないのでしょう。

 

 

 

志村喬の超うまい歌唱。

このあたりは実物にあたってみていただきたいです。

 

彼が持っているのは 麦こがしの壺で、

このアイテムがあとで効いてきます。

 

ハル坊立あがる。

 

ここも完璧な構図なんですよ。

宮川一夫先生!

 

市川春代。ハル坊さんの歌。

この子の歌は ヘタウマな印象。

 

宝塚の、大作曲家の妹の――服部富子嬢の端正な歌を聞いたあとでは

なんか調子がはずれた感じに聞こえるが、

度胸がよく、スカーンと歌っていて気持ちいい。

 

歌にしろ、演技にしろ、

ハル坊は性格の良さがどうしてもにじみでる感じがします。

 

ハル坊の歌にのって 片岡千恵蔵先生登場。

背景からみるに、京都の撮影所ですかね。

 

千恵蔵もやっぱり浪人で

木刀削りをしているという設定。

 

「あたしが稼いでも お父さんが骨董に使ってしまう」と嘆くハル坊。

志村喬は骨董気ちがい(←この表現、今はアウトか?)という設定。

 

構図が完璧なんだよね。

ハル坊のグチに対して

「人間誰しも道楽があるもんだぜ」と答える千恵蔵。

 

それに対して

チェッ……

というハル坊の口調がなんともかわいいんだな。これは。

 

このショットとか↓↓

 

このショットとかは↓↓

 

西部劇の一シーンのような雰囲気があります。

ライフルを持ったカウボーイを仰角で撮るとこんな感じになるような気がする。

違うかな??

 

なんにしてもおそろしく端正です。

ただ「なんとなく撮りました」という作品ではありません。

 

「撮影:宮川一夫」という刻印があちこちにあります。

 

水玉の日傘を持った 服部富子ちゃんが

「せんせーい!」とかいって 千恵蔵に駆け寄ってくる。

ここらへんの……千恵蔵がやけにモテるという設定は なにも説明がないので面喰います。

なぜ木刀削りの浪人がモテるのか??

 

2つの理由を考えたのですが――

①当時の観客には「千恵蔵=モテる」というのはいちいち説明する必要がなかった。

②シナリオ段階では「千恵蔵=モテる」という設定を納得させるための一シーンがあったのだが、

千恵蔵の病気のため、そのシーンの撮影が不可能になった。

 

どっちなんでしょうね?

 

服部富子の安定の歌唱シーン。

 

構図も完璧なのさ。

 

服部富子が気に入った傘があったのだが、

市川春代は千恵蔵にモーションをかけるブルジョワ娘が気にくわないので

「売らない」というケンカがはじまる。

この歌がいいんだよな。

 

な な な なんです。

その傘を

あなたは売らぬといいはるの?

 

「な な な なんです」がかわいいし、

「いいはる」の「はる」が

ハル坊と 傘張りにかかっていて素晴らしいんだよな。

 

当記事では構図のすばらしさをひたすらほめてますが、

たぶん音楽にくわしい人がみたら

音楽面でもすごいんじゃなかろうか? 「鴛鴦歌合戦」

 

モテてモテてしょうがない片岡千恵蔵。

第三の女が登場。

 

深水藤子です。

 

こっちは双方の両親が決めた 許婚だった、とかいう設定。

 

 

 

それを盗み聞きする志村喬なんですが……

 

貧乏長屋という雰囲気はないんだよな。

なんか住み心地よさそう。

 

はい。姿勢が完璧。対角線。

 

千恵蔵が「弱っちゃいましたよ」とかいってやってきます。

 

千恵蔵&ハル坊は両想いなのだが、

素直になれない、という設定です。

志村喬はそれに気づいていて、ハル坊をからかいます。

 

志村喬-市川春代の 父-娘は、

家父長制的な雰囲気はまるでなく、

仲の良い 兄-妹 のような感じがします。

ここらへんもまた この作品の素晴らしいところでしょうか。

 

 

 

ぶんむくれるハル坊。

 

構図はぴっちし決まっている、という……

 

 

 

 

 

 

 

千恵蔵はまったく自分には興味がない、ということに気づいてしまう深水藤子。

美人……

 

おもしろいのは、ヒロインのハル坊より先に

深水藤子の魅力的な寄りのショットがどーんと登場してしまうという……

さっきも書いたが 松竹作品ではありえないことが この作品では起ってしまうという点です。

 

先回りして書きますと

「ハル坊、かわいい!」というショットは後半に登場するんですよね……

 

あいかわらず盗み聞きをする志村喬。

七人の侍とは真逆の役です。

 

婚姻の日取りはどうしようとか、話がすすんでしまっているのだが……

 

雨が降り始めまして

大急ぎで 乾かしている傘をとりこむ ハル坊&千恵蔵。

共同作業が二人を結びつける。

 

雨は一瞬でやんでしまうのですが、

 

仲直りする二人。

 

仰角のショット。これもハリウッド作品みたいだな。

 

②につづきます。

市川春代たんがかわいすぎる「鴛鴦歌合戦」(1939・マキノ正博)②

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その2です。

市川春代たん、

および初期・宮川一夫の丁寧な作品作りを愛でております。

 

 

前回書いたが、女優王国の松竹の作品作りからみると

この作品の作り方はかなり異質。

田中絹代主演の作品であれば、オープニング近くに

「絹代たん、かわええ…‥」というカットは必ず用意されているし、

それは桑野ミッチーであろうと、高峰三枝子さまであろうと、同様。

自分とこのスターの魅力を、最大限いかした作品作りをしてきます。

 

しかし、この「鴛鴦歌合戦」――

ヒロインのハル坊は前半あまり目立たず、

後半に目立ってきます。

これが日活のやり方なのか?

マキノのやり方なのか?

早撮りゆえ、はからずそうなってしまったのか?

片岡千恵蔵さえ、目立っていればそれでいいのか?

 

もとい、

片岡千恵蔵の部屋に ライバルの服部富子が押しかけてきたので

ぶんむくれたハル坊――市川春代

 

いったん自分の部屋に帰るが

麦こがしの壺を忘れたことに気づいて 回収、というシーン。

 

服部富子は千恵蔵に「先生、あなたいい声ね」「わたしこれでも本職よ」などといっています。

 

早撮り、早撮りというが、

ここなんかはリハーサル何回かやらないと、対角線にはならないはずです。

 

明暗の対照が美しく、

やはり宮ちゃん、というショット。

セリフは 服部富子が「わたしは歌手よ」ということをいってるわけで、

ホントふざけてるだけなんですけどね。

 

で、しばらくして

服部富子が置き忘れていった水玉の日傘、

そのかたわらに千恵蔵。

そこにハル坊が訪ねてくる、というシーン。

 

ハル坊「あら、禮三(れいざ)さん……」

片岡千恵蔵の役名は浅井禮三郎という。

 

このあたりもリハなしでは撮れないよねぇ。

この木刀の角度は。

 

千恵蔵「お春さん、妬いてるね」

 

ハル坊の表情が、なんともいえない。

二人の立ち位置・姿勢 完璧。

 

で、こっからがおもしろいのさ。

千恵蔵&ハル坊のカットバックなんですが、

ここがいかにも早撮りという感じなのだが……

 

納期が早く設定されてはいるのだが、できるだけ最善の仕事をしたい、という

宮ちゃんの丁寧な仕事っぷりが なんというか涙ぐましいというか、

日活ではこれがあたりまえなのか?

 

ハル坊をからかうように見つめる千恵蔵。

 

で。

ようやくでました。

「ハル坊、きたぁぁぁ……」

というショット。

作品がはじまって、もう36分経ってますが、ね。

 

この傘をはさんでのカットバックというのがうまいとおもう。

 

小津安二郎の、真正面から対面した人物のカットバックみたいに

七面倒なことにはならずに 早撮りできるし、

しかし画面の構図は単純にならない。

 

――うまく説明できるかどうかわかりませんが……

たとえば火鉢をはさんで 二人が真正面に対峙して それをカットバックで処理するとすると、

撮影の手間は 二倍・三倍かかるくせに

完成プリントはもっと単調になってしまったような気がする。

 

「真ん中に傘を置いて会話するカップル」という設定ゆえに、

早撮りできるし、画面は美しいし、

という一石二鳥の結果になった――そんな気がする。

 

いや、さっさと撮りたいから、こういう設定になった、というのが正解なんだろうが。

 

にしても、ハル坊がかわいい。

動くハル坊をもっとみたい……

 

ハル坊「水玉が好きなのは浮気の性よ」

 

――え? そうなんすか??

 

ハル坊「禮三さん、お富さんが好きになったの?」

 

千恵蔵「そうかもしれないな」

 

ハル坊「まあ……」

 

「浮気者!」

 

……にしても、こんな艶やかな衣装で 完璧にセットされた髪の毛で

「貧乏長屋の住人でございます」というのは説得力がまったくない(笑)

あと、

父親の志村喬が稼いだ金を全部骨董につぎこんでしまうので

ろくろくコメの飯を食べていない、という設定だが、

この、お肌ツルツルの美貌で そんなことをいわれても――ねえ(笑)

 

この痴話げんかのあと、

ブルジョワ娘の服部富子が 使用人一行をひきつれて

片岡千恵蔵を誕生会だかなんだかにムリヤリ拉致するシーンがあります。

 

その、ドタバタ騒ぎを

壁一枚はさんで向こう側で聞くハル坊。

 

なんともキレイです。

 

えー 細かいことは説明しませんが、

志村喬の傘張り浪人と ディック・ミネの殿様が

骨董屋さんで意気投合しまして、

で、殿様が貧乏長屋にやってくる、というめちゃくちゃなシーン。

 

で、ディック・ミネは 志村喬が見せびらかすインチキ骨董品よりも

ハル坊が気に入ってしまう という経緯。

 

はい。完璧な構図です。

 

小津ほどではないが、カメラ位置は低めですな。

 

で、殿様がハル坊に惚れてしまって

面倒ごとに。

 

側仕えせぬか? というが要するにお妾さんにしたい、と。

 

ハル坊「お父さん、大丈夫? あんなこといって……」

 

志村喬、そのお妾のはなしを断りますが、

かわりに50両という大金を払わないといけなくなります。

(めんどくさいので説明は省く)

 

探幽の絵を売れば50両は手に入る。とおもっているんですが、

観客は、そうはならないことはわかっている。

 

もとい、

志村喬の超うまい歌がはじまります。

 

山とおもえば山でなし

川とおもえば川でなし

夢を描いた探幽の そこが非凡な芸術じゃ

 

で。

ふたたび「モノ」をはさんだカットバックがはじまる、と。

 

これまた早撮り可能なカットバック。

早撮りのためのカットバック。

 

なのだが、美しい。

宮ちゃん、手抜きはしてません。

というか、これだけ抜いてみると なにやらアヴァンギャルド映画でもみているかのような印象。

 

あとフロイト的な解釈もここは可能でしょう。

 

・傘(千恵蔵&ハル坊のカットバック)→男根

・探幽の絵(志村喬&ハル坊のカットバック)→女陰

 

傘が男根というのはわかりやすいし、

将来結ばれるであろうカップルの間にあるのは、やっぱり男根でしょう。

 

探幽の絵が「おま〇こ」である、というのは

われわれの目からは隠されていて、

「山のようで山でない」「川のようで川でない」形状である、というのだから、

これはもう、「女陰」でしかないわけです。

 

さらにいうと、

・探幽の絵=母(志村喬の亡妻・ハル坊の母)

なのでしょうねえ。

 

ちなみに

シナリオ上は ハル坊の母に関する言及は一切ありません。

 

とにかく――早撮りっぽいところはあちこちにありますが、

この2つのカットバックを取り上げてみても

すさまじい作品だということはわかります。「鴛鴦歌合戦」

 

その大事な絵を手放さないといけない、という場面。

 

ハル坊「お父さん、かわいそうねえ」

 

志村喬「うん……」

 

このやりとりから、やはり、

探幽の絵=女陰=亡妻 というのは明らかでしょう。

 

ハル坊「お酒、買ってきましょうか」

 

こう、クルッと表情が変わるあたり、

いい女優さんです。

かわいいなあ、ハル坊は。

 

しかし、だ。

探幽の絵にしろ、他の骨董(ガラクタ)にしろ、

みな、イミテーションで、

全部売り払っても 8両2分にしかならない、というシーン。

 

コメディなんですが、

画面はひたすら美しい。

 

女陰だの「おま〇こ」だの言ってましたので

ハル坊の左側に映った物体まで↓↓

そんなふうにみえてくるから不思議。

 

でも、意図的なのかもしれない。

 

ハル坊「お妾なんて、死んでもイヤーよ!」

 

こんな……豪華そうなかんざしをして

おカネがない、というのはもう笑ってしまうより他ないですが。

 

そうこうしているうちに

ディック・ミネの殿様は 家来たちに力づくでハル坊をさらってこい、などと命令したりしまして、

 

さあ、どうなることやら、という場面。

志村喬はあいかわらず美声でうたっております。

 

ひたすら美しいハル坊。

そして 宮川一夫先生の仕事。

 

1939年当時の日本映画の実力、でしょうか。

 

日本映画の絶頂期、というと1950年代なのでしょうが、

土台は戦前からあったわけです。

というか、戦前からすごかったわけです。

 

ハル坊が「どうすんのよぉ!」などといっても

ひたすら「もっともじゃ」としか答えない志村喬。

 

けっきょく夜逃げをしようということなるんですが、

 

そこに殿様、および家来どもが襲いかかります。

もちろん千恵蔵が黙ってはいない。

 

さすがの格闘シーン。

 

アクションシーンも充実してます。

 

千恵蔵があっさり殿様一行をやっつけまして

のち……

 

おなじみの(?)麦こがしの壺が 一万両の壺だということがわかります。

骨董屋「日本一の名器じゃい」

志村喬「ちがうちがう」

 

などというやりとりがありますが……

「名器」というのがやはり「女陰」を思わせるというのは余計か。

つまり、志村喬の骨董気ちがいは、亡妻への思いが絡んでいたようですね。

傷心をいやすための行為だったのでしょうねえ。

 

ハル坊が「わたしたち大金持ちよ!」と大喜びで千恵蔵のもとに駆け寄ると――

意に反しまして……

 

千恵蔵「わしは金持ちは嫌いだ!」

 

とすかっと言い放ちます。

 

ここは大事な……大事すぎる場面なので

構図も完璧です。

まあ、ほとんど、どのカットも完璧なんですが。

 

ハル坊「禮三さん!」

 

陽光の下でもかわいいハル坊。

 

ハル坊「うん。わかったわ」

 

またクルッと表情を変えるハル坊。

くぅー、たまらんっ!

 

このあと、ハル坊は 父親の手から一万両の壺を受け取りますと、

あっさりそれを地面に叩きつけて壊します。

 

んで、

とってつけたような(笑)エンディング。

 

みんなで傘をクルクル回したりしてますが、

 

ハル坊とか服部富子嬢とかがクルクルやるのはかわいらしいのですが、

 

男性陣は

やらされてる感が強い(笑)

(とくに千恵蔵)

というのが、とにかくウケます。

 

もう、とにかく大傑作ですよ、これは。

 

志村貴子「青い花」と「マリア様がみてる」の比較・考察 (鎌倉文学館の写真)

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えー、目下 志村貴子先生の「青い花」というマンガを読みふけっております。

今までかかる宜しき漫画家さんを知らずにいたが残念……

 

7巻だったかに、こんなチラシ(?)が入っていたが――↓↓

青い花×江ノ電フェア……

 

くぅぅーーっ……

2012年ですって。ほぼほぼ10年前ではないか。

 

「ユリイカ 2017年11月臨時増刊号」志村貴子特集の号を買ったが、

そこに紹介されている「画業20周年記念・志村貴子原画展」

これも2017年なので とっくの昔に終わっているという……

 

まあ、普段マンガとか読まないので

こうなるのも必然か。

 

しかし、この人の絵はうまいね……

 

そもそものはじまりは――

「マリみて」の今野緒雪先生のインタビューが読みたくて買った

「ユリイカ 2014年12月号」(左側に写っているもの↓↓ 表紙絵、志村貴子!)

 

今野緒雪先生のインタビューだけ読んで、あと放ったらかしておいたのだが、

最近、読み返してみますと

p211 女子高、演劇部といったモチーフは、『マリア様がみてる』『櫻の園』などを想起させる(実際、志村は『マリア様がみてる』への意識を公言している)。

などと この「青い花」が紹介されており、

これは。と早速 密林で購入しました次第。

 

以下、

「青い花」×「マリみて」の比較をやってみようと思います。

正直、「だから何なんだ?」という内容になろうか、とは容易に推測できますが、

比較することによって、それぞれの特徴が明らかになることもあるのではないか? とおもっています。

 

また、以下の画像は 鎌倉文学館の画像

2017年7月撮影です。撮ったまま、ブログに載せていなかったので

いい機会ができました。

鎌倉文学館は、「青い花」の「藤が谷女学院」のモデルになった建築です。

 

・似ているところ① リリアン×藤が谷のディテール

 

「青い花」の藤が谷女学院は、

あきらかに「マリみて」のリリアン女学園の影響を受けていそうです。

気づいたところを書き出してみますと――

 

・シスター(修道女)の存在。

・新聞部があって、スキャンダルを暴きたてる。

・「図書室」ではなく 「図書館」が存在する。

・一貫教育。(リリアンは幼稚舎から大学まで。藤が谷は初等部から短大まで)

・クラス名が花の名前。

・卒業生の胸に花をつける風習。

 

といったところか。

「青い花」主人公の奥平あーちゃんは 高等部から藤が谷に入るのですが、

けっこう狭き門らしく、「優秀ね」などといわれる。

もちろん「マリみて」の二条乃梨子ちゃんを思い出すわけです。

 

どうも入学にあたってOGのオバ様の存在(コネ?)が大きいというあたりも似ている。

というか、「マリみて」の影響でしょうかね?

 

あと、なにかと登場する「ミルクホール」も気になるところ。

「マリみて」のミルクホールは リリアン女学園内に存在する学校の施設ですが、

「青い花」のミルクホールは、喫茶店のようです。

だから藤が谷女学院とは直接関係ないわけですが。

 

あーちゃん、ふみちゃんはもちろん、

井汲さんや、松岡女子の三人娘 やっさん、ポンちゃん、モギーが何というと入り浸る場所になります。

 

「ミスター〇〇」の存在も 「青い花」・「マリみて」共通しております。

 

「青い花」→杉本先輩→「ミスター松岡」

「マリみて」→支倉令さま→「ミスターリリアン」

 

杉本先輩は松岡女子なんで、藤が谷じゃないんですが。

 

余談。この杉本恭己(やすこ)というキャラクターは、おもしろいくらいあーちゃんと正反対に造型されていますね。

・杉本恭己

高身長

ボーイッシュな服装

四人姉妹の末っ子

藤が谷から松岡女子に入学。(藤が谷から出て行く)

ふみちゃんとの交際は破局する。

 

・奥平あきら

低身長

フェミニンな服装

兄がいる。

高等部から藤が谷に入学。(藤が谷へ入っていく)

ふみちゃんと結ばれる。

 

さらにいうと――イギリスへの修学旅行で、あーちゃんは すっかりフェミニンになってしまった……

美少年から美女になってしまった「杉本先輩」に出会うわけです。

二人が正反対ではなくなってしまったところで 一旦ふみちゃんとの関係が破局する、というのはなんともうまいですね。

 

イギリス留学した杉本先輩は、

「マリみて」の蟹名静……イタリア留学したロサ・カニーナとも似ていて……

ロサ・カニーナは、これまた祐巳ちゃんと正反対なわけですが……

しかし、きりがないのでこれ以上の分析はやめます。

 

・似ているところ② 痴漢の話題ではじまる。

 

「青い花」・「マリみて」

どちらも少女たちが社会的に劣位な存在である、というところから出発します。

 

「青い花」は あーちゃん・ふみちゃんが痴漢の被害を受けるわけですが、

「マリみて」(無印)の祐巳ちゃんは 祥子さまに「タイが、曲がっていてよ」と直されて

暗い顔をしているところ、「痴漢にあったのか」と勘違いされるので

まあ、ちょっと違いますが。

 

・似ているところ③ 演劇のテーマと物語のテーマが絡み合う。

 

「演劇」――というと、

「青い花」「マリみて」云々ではなく、どうも女子校舞台の少女漫画の定番であるようなんですが――

 

「青い花」→「嵐が丘」

杉本先輩の失恋・ふみちゃんとの偽りの(?)恋愛・イギリスへの旅立ち

 

「マリみて」→「シンデレラ」

祐巳ちゃんのシンデレラストーリー

 

まあ。両作品ともこれ以外にいくつも演劇シーンがあるのですが、

きりがないので一作品だけにします。

 

「青い花」の「鹿鳴館」というのは読んだことないので読んでみたいですね。

「嵐が丘」はかなり前に読んだが、まったく内容を忘れてます。

ケイト・ブッシュの歌の印象が強いかな。

 

・似ているところ④ 「父」の不在。兄・弟・いとこの存在。

 

両作品とも「父」の存在が希薄です。

「青い花」→あーちゃん、ふみちゃんともに目立っているのは「母」

「父」は登場するが、とくにエピソードらしいエピソードはない。

「マリみて」→祐巳ちゃん、祥子さまともに目立っているのは「母」

(しかもリリアン時代、なんらかのつながりがあったことが示唆される)

「父」は登場し、職業もはっきりしているが、「母」に比べると存在感は希薄。

 

そのかわり――年齢の近い 兄・弟 いとこの存在が大きいです。

 

「青い花」→あーちゃん、兄との近親相姦すれすれの関係。

「マリみて」→祐巳ちゃん、弟・祐麒くんとの双子的な関係。

祥子さま、いとこの柏木優との近親相姦(?)的な関係。

 

・似ているところ⑤ 大げさなわかりやすい文学的な苦悩は存在しない。

 

両作品とも文学作品によく出て来るような「苦悩」は登場しません。

経済的な問題(貧困・失業)

病気・死・老い

宗教・イデオロギーの問題

人生の実存的な問題(わたしは誰と一緒に生き、何をすべきなのか? どこから来てどこへ行くのか?)

というような苦悩で――

おそらく先ほど挙げた「父の不在」というのと関わってくるのだとおもいます。

 

まあ、例外は存在しまして

「青い花」→井汲京子 母の精神的病に悩む

「マリみて」→鳥居江利子 虫歯に悩む・山辺さんとの恋愛に悩む

なんだかこの二人は似ています。

女の子だらけの世界の中で

二人とも異性と恋愛して、妙に色っぽいという描写をされるあたりも似ています。

 

・似ているところ⑥ 「性」=「食べ物」

 

これは、わたくしの好みの問題かもしれないですが……

・「青い花」6巻 164-165ページ

酔っぱらったふみちゃんがあーちゃんのほっぺたに生クリームをなすりつけ、

それを舐める、というたまらんシーン。

(「やだも~~」「ふみちゃんの好きは あたしのほっぺたに クリームつけて なめること⁉」 「ちがうよぉ」「ちがうでしょ?」)

・「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」 220-221ページ

(祥子さまは男嫌いだったんじゃなかったの? 柏木さんを嫌っていたんじゃなかったの? それなのに、柏木さんのお箸でつままれたお寿司を、どうして口に入れられるわけ?)

 

この二つの名シーンはどうしても比べたくなっちゃうんですよね。

「生」の食べ物と「性」とのつながり(生クリーム・お寿司)

クリスマス(「青い花」)、正月(「マリみて」)という境界上の時間

 

酔っぱらったふみちゃんというのは、ドイツ映画の「制服の処女」の遠いエコーも感じさせますが。

 

えー、以上、似ているところを6点あげました。

 

以下、ちがうところをみていきます。

 

・ちがうところ① 特定の地域が描かれる「青い花」・描かれない「マリみて」

 

「青い花」→江ノ電沿線が舞台であることが、明確に描かれる。

あーちゃん、ふみちゃんは横須賀線沿線に住んでいるようだ。(北鎌倉か? うらやまし)

また、旅行先も、箱根湯本駅等、舞台が明確に描かれる。

「マリみて」→舞台は徹底的に隠蔽される。抽象的とさえおもえる。

リリアンだけではなく、旅行先も隠蔽されており、

たとえば、小笠原家の別荘は軽井沢にあるらしいが、軽井沢らしい風物の描写は極度に少ない。

 

聖地巡礼が可能な「青い花」 聖地巡礼が一切できない「マリみて」といえそうです。

ただし、「マリみて」 イタリア旅行に関してだけは聖地巡礼できそうです。

まあ、コトバの本当の意味の「聖地巡礼」になりますけど。

 

・ちがうところ② 共同体にはあまり興味がない「青い花」・少女たちの共同体を描く「マリみて」

 

「青い花」→生徒会はまったく描写されない。

学校のイベントは描かれるが、主人公たちがイベントを主体的に作り上げることはない。

「マリみて」→生徒会(山百合会)が物語の中心。

主人公たちが、学校のイベントに企画段階から主体的に関わり、運営していく。

 

この相違点は、「マリア様がみてる」という作品の特異さ、に由来するのかな? とおもいます。

「マリみて」はようするに何なのか?

これをトマス流に書きますと……

「少女たちの、少女たちによる、少女だけの共同体を――少女たちがどのように作り出し、運営していくか?」

このテーマを 今野緒雪が民俗学者的な冷たい文体で描写しきった物語……

ということになりますので……

まあ、異様な作品だとおもいます。

 

とうぜん姉妹(スール)制度というのも、このテーマのために存在するので……

「青い花」には、この種のシステムは一切登場しませんね。

 

また……トリックスターの存在、というのも合わせて考えたいところです。

つまり

「青い花」→トリックスター的人物は登場しない。(強いて言うと 杉本先輩(越境) 奥平忍(あーちゃんの兄・近親相姦願望)か?)

「マリみて」→トリックスターが何人か登場する。島津由乃。佐藤聖。

 

「青い花」にはとくに共同体、というのは描かれないので

共同体をかく乱する存在は必要ないわけです。

一方、「マリみて」は 絶えず共同体をひっかきまわす 佐藤聖・由乃さんのような存在が必要とされるわけです。

 

・ちがうところ③ セックスを描く「青い花」・セックスは存在しない「マリみて」

 

「青い花」→4巻 156-158ページ

「あーちゃんの好きと 私の好きはちがうの」「私 むかし 千津ちゃんとときどきセックスした」

「私の好きは 好きな人と そういうことをする 好きなの」

8巻 138-139ページ

「あたし 子供でごめんね」「エッチなことも したのにね」「脳と身体が 全然追いついてないかんじ……」

 

「マリみて」→祐巳ちゃんと祥子さまの最高の愛情表現は

ひしと抱き合って、さめざめと泣くこと……である。キスさえ、しない。

 

「少女たちの共同体」を描く「マリみて」において――「セックス」は邪魔者なのでしょう。

佐藤聖という魅力的なキャラクターが 山百合会において「異端」であるのは、つまり……

彼女が 彼女の表現で言うところの「不純同性交遊」((笑)に大いに興味があるから、なのでしょう。

 

・ちがうところ④ 回想シーンがやけに多い「青い花」・回想にはあまり興味がない「マリみて」

 

「青い花」→ふみちゃんの回想シーンがやけに多い。

「マリみて」→回想シーンは……ほとんどない。

 

これは――個人的におもわず 「はっ」となった点なのですが、

「マリみて」の祐巳ちゃんの過去はほとんど明らかになっていません。

われわれが知っている福沢祐巳は 高校一年の秋から 二年生の三月まで なわけです。

よく知っているような気になっていましたが、たった1年数カ月なわけです。

これはなんだか 今野緒雪という人のすさまじさが出てるな、とおもいました。

普通、回想して云々、という安易なことをやりたくなるんですが、今野緒雪はやらないんですね。

やっぱし、天才ですね。

 

・ちがうところ⑤ 藤が谷・松岡、対照的な二校が描かれる「青い花」・リリアン女学園だけが描かれる「マリみて」

 

「青い花」→松岡女子高等学校の生徒(ふみちゃん・やっさん・ポンちゃん・モギー)の目からみた藤が谷女学院が描かれる。

「マリみて」→他校の女の子から見たリリアン女学園は描かれない。

 

「青い花」に関しては、あーちゃん視点 ふみちゃん視点が パッパッと対照される構成なので、

まあ、これは必然か。

「マリみて」に関して、二条乃梨子ちゃんという「よそもの」がみたリリアンという描写あるけど……他校の女子というのはない。

 

「マリみて」が……さっき書いた「祐巳ちゃんの過去」もそうだが、

いろいろなことを「書かない」ことで成り立っているのだ、ということがよくわかる相違点かとおもいます。

 

んー そんなところですかねぇ。

 

(↑↑ たぶん鎌倉文学館から江ノ電の駅に向かう途中撮ってしまったのだとおもいます。

コロナ以前は異国のお姉さんとか 当たりまえに見かけましたが)

 

 

(これも同日 横浜で撮ったんでしょう)

 

さいごに――

「青い花」 完璧な……完璧すぎるほどの作品だとおもうのですが、

杉本四姉妹、というのが好きになれない。

作者はたぶん好きなんだろうな、とおもうのですが。

 

ただ、わたくし 個人的に 親戚にブルジョワ美人四姉妹がいて、

非常にイヤな連中なので、

どうも杉本四姉妹も好きになれない……の、かもしれない。

 

んー、どうですか? 「青い花」愛読者のみなさん。

杉本四姉妹、あれは一体なんなんですかね?

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