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PUIPUIモルカー×東武動物公園 その1

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プイプイモルカーのイベントがやっている、ということで

東武動物公園へ行きました。

 

イバラキ県南からは圏央道で行けるので、かなり近く感じます。

 

はじめに モルカーのイベントですが――

 

本当の本当にモルカー・マニアで モルカーグッズのすべてをコレクションしたい、

とかいう人は満足でしょうが、

 

それほどのガチ・マニアではない人は……パスしてもいいようなイベントかとおもいました。

 

もとい、

まず、コラボフードを食す。

僕はテディちゃんファンなので、テディ。(生チョコアイス+ラズベリーソース)

T子さんはアビー。(バニラアイス+ストロベリーソース)

 

なんか愛想のないオジサンが作ってくれます。

 

↑↑左側「テディ」 右側「アビー」

 

はっきり申し上げておいしくはない。800円は高い。

オッサンも愛想悪いし(しつこい(笑))

あと、ちょうどこの日、木枯らし一号とかが吹き荒れた日でして――

そもそもアイスを食べるような日ではなかった。

 

まあ、カップはとてもかわいいですし、「映え」るための800円ですかね。

見里朝希さん(モルカーの作者ね)とこにもお金が行くんだろうから、いいかな。

お布施ね。

 

↑↓ ポテトちゃん、シロモちゃんと一緒に写真が撮れるよ!

というやつ。

お子様連れなら盛り上がるところ。

 

しかし、精神年齢は子供だが 一応大人なわれわれはあまり盛り上がらなかった。

 

ゲットしたもの。

左は入口で配布されているパンフレット。

中央、グッズ付きコラボ入園券の景品。

右、コラボフードのおまけのコースターです。

 

↓↓えー、これは絵葉書で これで全種です。

遊園地のレインボータウンなるところで キャンディトスというイベントでゲットしたもの。

 

1回 300円で キャンディボールというボールを 穴にうまく入れると 缶バッジがもらえるよ!

というイベントなのだが、

激ムズです。

 

5回やって、全部失敗でした。

で、参加賞がこれ↓↓ というわけ。

 

キャンディトスのお姉さんはやさしくて きちんと五種類ばらばらなのをくれてよかった。

 

あと 「わとと」という店で コラボグッズが売ってましたが、

これは買ってません。

 

以上、モルカーのイベント情報でした。

期間は10月31日まで、なので 記事としての価値はあまりないですが。

 

以下、動物の画像を貼っていきます。

 

これは モルカーグッズ売ってた「わとと」のビルマニシキヘビ……

 

好き嫌いはあるとおもうが、

けっこうかわいいとおもいました。

 

タイミングによっては寝てて動かない場合もあります。

 

カバ。

これは――寝てるところしかみてません。

 

というか、あなた、生きてますか?

 

しかし、お子様連れのお客さんの会話で

「カバさんみれてよかったね」とかいうのを聞いたので、

 

生きてはいるのでしょう。

 

ゾウさん。

 

糞を投げてくることがある、

とか書いてあるので 遠巻きに見物。

 

ミナミシロサイ。

 

近くでみれて良かった。

 

飼育員のお姉さんが来たら、いそいそと柵にまで駆けてくる様子がかわいかった。

なんか撫でられたりしてるし。

 

観客は触れません。

 

目がかわいいやね。

 

 

 

キリン。

 

子どもキリンは 「ナツキ」ちゃんというのだな。

 

プイプイモルカーのイベントが主目的だったのだが、

この……キリンの赤ちゃんも見たかった。

 

ただ、T子さんは 「なんだ、もうこんなにデカいのか」とぶんむくれてしまった。

理不尽な。

 

たしかにもうちょっと幼い頃みたかったともおもうが

 

まだまだかわいいです、ナツキちゃん。

 

これはみていて飽きない。

 

 

 

キリンとセットはシマウマ。

これは公式ですな。

 

えー……「写真」としては

「構図」としては 完璧な一枚かな↓↓

 

こっちを一斉にみる。

 

ダチョウ。

赤ちゃんキリンが予想外にデカいことにぶんむくれたT子さんは

キリンを無視して

なぜだか ダチョウを熱心にみていた。

 

那須どうぶつ王国ではハシビロコウを熱心にみていたし、

デカい鳥が好きらしいです。 

 

フラミンゴ

 

 

 

昼食。

中央レストランなるところのカレー。

 

サイの形のごはん。

 

 

 

正直に書くと――

まあ、悪くはない、というレベルのお味。

 

遊園地内のレストランの方がレベルが高いのかもしれないが、

食べなかったのでわからない。

 

食後、観覧車のりたかったのだが……

 

強風のため、運転休止でした…………

 

アイスもメシも、おいしくない、だの。

キリンの赤ちゃん、デカい、だの。

不平不満を言ったバチでしょうか?

 

その2につづく。


ドゥニ・ヴィルヌーヴ「デューン 砂の惑星」(2021)感想

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シャラメっち、最高!!

 

□□□□□□□□

……というわけで(笑)

ライムスター宇多丸さんがやってる「アフターシックスジャンクション」(TBSラジオ)で

なにかというと話題になっているので

矢も楯もたまらず見に行ってきました。

 

「デューン 砂の惑星」(2021)

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督

ティモシー・シャラメ主演

 

イオンモール土浦内 シネマサンシャイン土浦にて。

アイマックスでみました。

 

宇多丸師匠もいってたが、アイマックス用に作られた作品だから

アイマックスでみたほうが良いとおもいます。

 

以下、ざっと感想を書こうとおもうのですが、

その前に……

 

T子さんと一緒に行ったのですが、

ふだんからこのヒトは小難しいお話は受け付けないタイプなので

「ぜったいに三時間熟睡パターンだな」

とおもっていたのですが、

 

あにはからんや、三時間熱中しまして

上映会場が明るくなるやいなや

「あの子の名前はなんというんだ? え? なんというのだ、あのイケメンは??」

と、わたくしに訊ねてくるという始末でした。

(つまりティモシー・シャラメ主演ということも知らずにみたのである)

 

「アフターシックスジャンクション」の解説で

添野知世という方が

「ティモシー・シャラメが砂漠に長い髪をなびかせているのをみるだけで三時間いける」

とかいうことをいってたが、なるほどである。

(添野さんは パンフレットの解説も書いてる)

 

なにをいいたいかというと、

ふだんSFとか興味ない方も、これはおもしろく見れそうな作品だったですよ、ということです。

 

以下、感想。ざっと箇条書きにて。

 

・地中海系の美青年(シャラメ)+砂漠

この組み合わせってもろに ルドルフ・ヴァレンチノの「シーク」じゃね? とおもった。

つまり、「映画」なるメディアの根源へも目を向けているようにおもったわけです。

・上半身裸のシャラメはもろにカラヴァッジョしてました。

 

・というように、ヴァレンチノ「シーク」 カラヴァッジョというところからはじまって

「スターウォーズ」→整然と並んだ軍隊+宇宙船

ハルコンネン=ジャバザハット

「ブレードランナー」→オーニソプター(はばたき機)で、ジッグラト的な建物に着陸

あと、シャラメって、レイチェル役のショーン・ヤングに似てません??

その他「ブレードランナー」の影響は数知れない気がする。

「地獄の黙示録」→ハルコンネン男爵=マーロン・ブランド

→オーニソプターの編隊飛行(ロバート・デュバルの騎兵隊の出撃シーン)

 

――と、引用が有効に働いていて コアな映画ファンも満足できます。

 

あと、フレメン族の族長を演じているハビエル・バルデムさんの人選も

デヴィッド・リーン「アラビアのロレンス」のアンソニー・クインによせているんじゃないか? とは宇多丸さんがいっていたことです。

 

ついでのついで、原作のフランク・ハーバートは「アラビアのロレンス」からかなり影響を受けているらしい。

 

(↓↓パンフレット900円。かっこいいです。モルカーのテディちゃんが写ってますが意味はないです)

 

・えんえん主人公が「おかあさんといっしょ」というのがすさまじいと思いました。

「デューン 砂の惑星」じゃなくて 「デューン おかあさんといっしょ」じゃね? とすら思いました。

しかし――考えてみると、

ヒッチコックって「おかあさんといっしょ」なんですよね。

一番わかりやすい例は「サイコ」ですが、

「北北西に進路を取れ」では、ケイリー・グラントは前半文字通りの「おかあさんといっしょ」状態ですし、

ケイリー・グラント×エヴァ・マリー・セイント×ジェームズ・メイスン

この三人の関係は 父・母・息子の三角関係のような気がしてしょうがない。

「裏窓」は、強大な美しき母(グレース・ケリー)から逃れられない息子(ジェームズ・スチュアート)の話。

「めまい」も同じテーマなのでしょう。キム・ノヴァクのセーター越しの乳房(ノーブラなんですよね(笑))は、

「おっぱい」=「母」という方程式なのでしょうか??

 

もとい、

「おかあさんといっしょ」の主人公が、数々の危難を乗り越えて、最終的に未来の伴侶(ゼンデイヤ)に出会うというのだから

これはもう、SF版ヒッチコックといってよいとおもいます。

 

あと、

砂漠で母子が保水スーツに着替えるシーンがありますが、

母(レベッカ・ファーガソン)がちらっと息子(シャラメ)の裸の背中をみるショットがたまらんです。

なんという怪しげな母子でしょうか。

もちろん マリア-ナザレのイエス のイメージがあるのでしょうが。

 

・宮崎駿をいたるところで感じたのですが、

リエトの研究室→ナウシカ

コリオリの嵐→ラピュタ

それはT子さんも感じていたので、おそらく日本の観客の大部分が感じるかとおもうのですが……

 

アフターシックスジャンクションの情報によると、そもそも宮崎駿はハーバートの「デューン」にかなり影響を受けている作家のようです。

 

となると、疑問におもうのは、

◎ドゥニ・ヴィルヌーヴは宮崎駿の影響を受けているのか?

という点です。

一体どうなんでしょうねえ?

あまりにイメージが似ているので、おそらく宮崎駿の影響はあるんじゃないか? とおもうのですが。

どちらにしたところで、ハーバートの……原作の「デューン」の影響のすさまじさを感じます。

 

(↓↓「デューン」とはまったく関係なし。映画のあと エルトリートへ行ったもので)

 

・音楽をハンス・ジマーという人がやっているのだが……

パンフレットをみると、「レインマン」の音楽やってる人なのですね。

 

「レインマン」はサントラCD持ってるくらい、あの音楽が好きで

で、「デューン」……音楽がいいな、とおもったら 同じ作曲家だった。

 

「レインマン」だけじゃなく、いろいろな仕事をやってるビッグネームなので

音楽くわしい方からすると 「なにいってんだ?」というはなしかもしれませんが。

 

感想は以上、です。

 

タコライス↓↓

 

ビーフとチキンのファヒータ↓↓

 

T子さんが 「また、シャラメっち見てえ」とかいってるし、

僕もまた見たいのですが、

アイマックス、高いんですよね。

どうしようか、悩み中。

 

原作読んでないので、まずそっちも読みたいし……

 

読み終わったころには、もう、

劇場公開終わってるかもしれません……

ハーバート「デューン砂の惑星」/古川ロッパ昭和日記・戦前篇

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はじめに うちのプリンス・ゆり坊の様子。

お気に入りのぬいぐるみと一緒です。

元気にしております。

 

お次。プリンス・オブ・ハリウッド――ティモシー・シャラメっちです。

わたくし、とにかく「デューン」一色です。

 

映画は どうにも我慢できず 非IMAXでもう一回みました。

(IMAX上映がとっとと終わってしまったのである。日本国。もうすっかり後進国家の仲間入りであろうな)

イーアスつくばのMOVIXというところでみたのですが、

・薄暗いシーンが若干見にくい。(とかいって薄暗いシーンだらけなんだよな、この映画)

・音は全然IMAXにかなわない。

・椅子が悪い。

と、あまりよくない環境でしたが、一度でもIMAX鑑賞できたことを感謝すべきでしょう(?)

もう一度繰り返します。

 

シャラメっち、最高‼

と――……(笑)

 

えーあと、

さっそく原作を(ハヤカワ文庫の翻訳ですが)読みました。

ハヤカワ文庫。

シャラメっちの表紙は今のうちだろうから、ティモシー・シャラメ・ファンは はやめにゲットしておくべきでしょう(笑)

 

以下、フランク・ハーバート「デューン 砂の惑星」ざざっと感想。

・とはいえ、ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画の印象とごっちゃになって感想を書くのは難しいな。

・ようするに 後半部分は2023年公開予定の「デューン パート2」の内容なので

ついつい人に話したくなってしまう。……が、うかつにベラベラ喋ると激怒される。

・原作もやはり「おかあさんといっしょ」――母上べったりなので、なんだか笑ってしまった。

でもポール・アトレイデス君、15歳なのよね。

 

・引用してみます。

 

「われわれはあれをこう呼んでいる――ムアッディブと」スティルガーが答えた。

 ジェシカはぎょっとした。それは以前、ポールの口からきいた名前――自分がフレメンに受けいれられて、そう呼ばれるようになるだろうといった名前だったからだ。自分の息子に対して突然の恐怖をおぼえると同時に、ポールの行く末が心配でたまらなくなった。

 ポールはごくりとつばを吞みこんだ。心の中では、何度となく演じてきた場面ながら……にもかかわらず……いろいろと差異が多い。自分はいま、目もくらむ高山の頂にいるように感じる。さまざまなことを経験し、膨大な知識を蓄積していながら、周囲にはなにもなく、深い谷底のみが連なっているような、そんな感じだった。

(ハヤカワ文庫、フランク・ハーバート著、酒井昭伸訳「デューン 砂の惑星・中」247ページより)

 

ここはこの作品のとても特徴的な部分で、

ジェシカ(母)からポール(子)へ 視点がころころと自由自在に変わるところ。

それから ジェシカの「心配」は、どうしても福音書のマリアの描写を感じるところ。

ポールはもちろんナザレのイエスなわけだが、ニーチェのツァラトゥストラも感じるところです。

ドイツ哲学との格闘、というと当然 トマス・ピンチョン師を感じますし、

(完全余計なことだが、ピンチョンはドイツに一度も行ったことがないらしい、と最近知って驚いた……

アフターシックスジャンクション情報なのだが)

重厚に隅から隅まで設計された異世界、というと「指輪物語」のトールキンも感じます。

 

・ピンチョン・トールキン・ハーバートと、コトバで……コトバのみで世界を創造する試み、

これは日本人は誰もやってないことではないのか?

 

以上、原作の感想はこんなところにしておきます。

書こうとおもえば もっと書けるが、

映画のパート2のネタバレになってしまうのも……なあ……

 

ハヤカワ文庫だけではなく、

「デューン」が表紙の映画雑誌も買いました。

 

が、キネマ旬報は失敗でした。デューン情報はほとんどなし。

 

一方(左側に写ってます↓↓)

 

FLIX SPECIAL 『DUNE/デューン 砂の惑星』大特集 は、一冊丸ごとデューン特集というすばらしい本で

(表紙はフォントとかがダサいが)

これはデューンファンは買って損はないとおもいます。

写真も多数です。

インタビューも豊富。

内容ですが、ジェイソン・モモアとオスカー・アイザック この二人が二人とも「三船敏郎」の名前を出しているのがおもしろかったです。

 

あと――ティモシー・シャラメと

ベクトルが正反対な感じですが……

「古川ロッパ昭和日記・戦前篇」というのをちびちび読んでおります。

(あ。でもロッパも華族の坊ちゃんか(笑))

 

けっこう高い本なのだが、(7000円くらいした)

戦前日本好きにはたまらんものがあります。

(ようやく昭和11年2月……2・26事件のあたりまで読んだ)

 

元・活動弁士が トーキー時代になり

コメディの舞台に流れこんだらしく……

徳川夢声・生駒雷遊・大辻司郎・山野一郎などの弁士の名前が頻出します。

 

ロッパの日記、

徳川・生駒は大物らしく、悪口は書いてないが、

大辻・山野に向けては悪口ばかり。どうしょうもない連中に描かれている。

 

大辻は、芸もないのに自分一人で目立とうとする。

山野は、生活態度だらしなく、女優さんにセクハラまがいのことをする。

という風に……

 

少し前に 片岡一郎「活動写真弁史 映画に魂を吹き込む人びと」という本を読んだが、

大辻・山野のこういう行状はまったく書かれてなかった。

やっぱり同業者が同業者のことを書く本というのは あまりあてにならない面もあるのかもしれない。

(片岡さんとサイレント全盛期は、時代はもちろん まったく離れているわけですが)

 

「活動写真弁史」とてもいい本だったが、

やはりある情報を本気で解析したいのなら 複数の情報源にあたってみる必要があるのだな、

とあたりまえのことをおもいました。

 

もちろん古川ロッパの視線がキツイ――プロ意識があまりに高い、という点もあるのだろうが。

 

当ブログ……少し前に

アサヒグラフ昭和4年(1929)10月23日號

蒲田の竜田静枝さんが載っているのを紹介したのですが↓↓

 

この竜田静枝が、ロッパの日記では こてんぱんにやられていて――

サイレント映画のスターが落ちぶれていく様がなんとも哀れです……

竜田静枝だけではなく、

小津映画にも出てた 結城一朗・井上雪子ちゃんまで こてんぱんです……

 

昭和9年

7月21日(土)

本日になって、八月松竹座の興行には、蒲田から城多二郎・井上雪子・竜田静枝他もっとくだらないとこが沢山加入するときき、大くさり。

 

7月25日(水)

蒲田軍てものが既に忘れられた人々ばっかり、スターが竜田静枝のヅーヅーと来てるから何うにもハヤ。で結局、僕の「海・山・東京」には井上雪子だけを使ふこととした。

 

8月15日(水)

初日である。十二時に入る。入りは先づ上の部。「結婚適齢期」は、竜田静枝に結城一朗なんて素人の中へ僕一人だから、全く一人で浚っちまふ感じで、気まりが悪い程だ。

 

こう考えると、あのひどい訛りの笠智衆がよく生き残ったものだとおもいます。

あと、水久保澄子・逢初夢子の名前も登場します。

これもまた 芸能界の悲哀を感じる……

時代は既に 「三人娘」……高杉早苗・高峰三枝子・桑野通子の時代だったのだろう……

小津安っさんも 高杉早苗に惚れ、桑野ミッチーに惚れ、と

問題児の水久保澄子のことはすっかり忘れていたに違いない(??)

 

昭和9年

2月6日(火)

事務所で川口と話す、東宝との問題、東宝で引抜きはしたものの始末に弱っているらしい水久保澄子・逢初夢子の二人を、こっちへ借りようといふ話をすると大乗気。

 

――ただ、そのあとこの二人の名前は出てこないから……

どうなったのかはよくわからない。

 

最後に2・26事件の日の記述を引用しましょうかね。

この頃、ロッパはPCLで映画に出演してます。

 

昭和11年

2月26日(水)

 七時半起き、四谷から砧へ。三島の宿の撮影してると、伏水が大変な事が起ったさうだと言ふ、今朝四時六時の間に、五・一五事件以来の重大な暗殺事件あり、首相蔵相等五六人、軍部の手に殺されたと言ふ、その後流言ヒ語しきり、何処迄本当か分らず、無気味な気持のまま、撮影を続ける。三島の宿五六カット。夕食後プレスコ。その合間合間に、「さらば青春」の案をねり、鉛筆で書きとめちゃあ清書する。此の分なら今晩書き上げる自信ついた。八時きっちり、砧を出る。渋谷からの環状道路にタンク出動物々しい、ラヂオのニュースきいたらやっぱり事件はほんとだった。恐ろしい世の中だ、だが日本人は偉いとこあるなァ。徳山と話し「こんな日は家へ帰って早くねるのが一番でしょ?」徳山曰く「さうだな」僕「こんな時だけが家がいいんじゃないか」徳山曰く「さうだな」「然し此ういふ時いいとこがほんとのいいとこさ。」

 

なんかのどかです(笑)

この頃は渋滞とかなかったんでしょうかねえ。

帰るのが遅れたとかいう記述はとくにないです。

 

そうそう、ロッパの日記

あとは食べ物の描写がこまかいんですが……きりがないので引用はやめておきます。

「アラスカ」というレストランがよく出てくるので気になります。

京都・名古屋にも支店があったようです。

「デューン」サントラ・銀座エスキモーは、やはり「エスキーモ」である。

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「デューン」熱はまだまだ冷めませんで――

サントラを買いました。

Hans Zimmer /DUNE original motion picture soundtrack

 

今日日、CDで買う意味はあまりないのですが、

やはりモノとして持っておきたいので CDで購入。

 

↓↓と、じつに美しいモノで買って正解でした。

毎日 聞いております。

 

6曲目の Leaving Caladan という曲が好きです。

シャラメ――ポール・アトレイデスが、生まれ故郷の惑星カラダンを出発する背景で流れる曲。

 

ハンス・ジマーでいうと、僕は 「レインマン」の Las Vegas なる曲がとても好きでして、

これはトム・クルーズ&ダスティン・ホフマンの兄弟が カジノに乗りこんでいくぞ! という曲で……

 

どちらも「出発」「出撃」みたいな雰囲気が似ているのがおもしろい。

 

↓↓これは 公式の宣伝動画からひっぱってきた画像ですが

ここのあたりに Leaving Caladan が流れます。たしか。

 

ノルウェーのフィヨルドで撮ったらしく……

僕はどうしても

水曜どうでしょうの「フィヨルドの恋人」

を思い出してしまう(笑)

 

そういうと、ティモシー・シャラメとミスターどうでしょう・鈴井貴之は 

「細身」「黒服が似合う」というくくりでは似ています(笑)

 

あと、軍事マニアの方だと 「戦艦」「フィヨルド」とくると

戦艦ティルピッツ

ですかね。 とにかく色々思いだして 大変いいシーンでございました。

 

あと――

ワーナーの宣伝動画なんですが……

 

シャラメっちの着てるシャツがたいへん気になります↓↓

どこの、なんというブランドのモノなんでしょうね?

 

ま、まさか、このクラスの人だと、オーダーなのか?

既製服なんぞではないのか?

 

おわかりの方は教えていただきたい。

ボタンをきっちり上までとめるのがシャラメ流です(笑)

そのくせ襟のボタンはとめないのね。

 

□□□□□□□□

180度 方向転換しまして

銀座エスキモー問題です。

 

というか、

◎銀座エスキモーは、やはり「エスキーモ」である。

ということが分かりましたので以下説明いたします。

(世界中の誰も気になっていないだろうが)

 

まず、ですね。

最近読んでおります 「古川ロッパ昭和日記 戦前篇」にも エスキモーが登場したわけです。

 

以下、エスキモーの出てくるところだけ抜きだします。

(まだ半分くらいしか読んでないので これ以外にも出てくるかもしれないが)

 

1937年

3月12日(金)

 ……僕は一旦別れて、千疋屋でPCLの荻原と阪田英一に逢ふ。そこで又中野と一緒になり、エスキーモでライスカレーを食って、橘のとこへ麻雀しに行く。……

 

6月3日(木)

 ……AKから迎への自動車来り、山へ行く。(トマス注:AKはJOAK、今のNHKである。山は愛宕山のこと)

八時二十五分より「カンカン帽物語」を放送。終ると菊田と銀座へ出て、カンカン帽を求め、エスキモでビュティ―のんで、東京駅へ。……

 

うう。

古川ロッパ、こちらをさらに混乱させるかのように

「エスキーモ」「エスキモ」とばらばらな書き方です。

さらに「ビュティ―」ときた!

これはもちろん エスキモー名物の「新橋ビューティ」のことでしょう。

この人はなんでしょう。情報かく乱をしたいのでしょうか??

 

ここらで 「エスキモー」がどのように表記されてきたのか?

もう一回整理しておく必要がありそうです。

 

・時事新報社家庭部編「東京名物 食べある記」(1929)

→エスキーモ

 

……此の店の呼物では新橋ビューティー(三十五銭)がアイスクリームと果物の使いわけで傑作、エスキモープディング(二十五銭)、甘納豆を使ったみつ豆、銀座の悪趣味を独りで背負って立ったような代物である。(中略)アイスクリームが凡そ銀座街第一のよきクリームたるとともに、ビフテキのうまいこと断然光っている。

(教育評論社「東京名物 食べある記〈復刊〉」25ページより)

 

・今和次郎編纂「新版大東京案内」(1929)

→エスキーモ

 

……果物の総本家ともいふべき銀座千匹屋(ママ)、ウインドーには世界中の珍果がごろごろころがつて味覚を刺戟する。エスキーモは少し先のモナミと共に近年出来て、邦楽座帰りの若い酒をのまない一対の人気を集めてゐる甘いお菓子と甘い珈琲の店。資生堂も同じく珈琲、ソーダ、ランチ、などの店。

(ちくま学芸文庫、今和次郎編纂「新版大東京案内 上」194ページより)

 

・安藤更生著「銀座細見」(1931)

→エスキーモ

 

エスキーモ 僕はここの看板を読んで、はじめてわれわれがエスキモーとばかり呼びなれてきた北極の矮人の名の正しい発音を覚えた。ここは酒も少しはある。コーヒーはここが一番うまいと思う。店の感じはメタリックで冷い。床が坂のようになっている。ここの名物はアイスクリーム、新橋ビューテイなどだ。ここのアイスクリームはきめが細かくって好きだ。

(中公文庫、安藤更生著「銀座細見」112ページより)

 

・「全日記小津安二郎」

→ヱスキモ

 

1933年

11月7日(火)

▲ヱスキモで東洋の母のストリーの相談

 

12月29日(金)

皇太子 継宮明仁親王と御命名

夕方清水から電話でヱスキモで会ふ それから提灯行列を見に宮城前に行つて 松しま 千疋屋によつてかへる

 

・三宅艶子著「ハイカラ食いしんぼう記」(1980)

→エスキモー

 

新橋ビューティーは、ヴァニラとストロベリーとチョコレートと、そして挽き茶との四種のアイスクリームが、縞のように色をグラスの外に見せてはいっている。それだけのことなのだが、一つ一つのアイスクリームがおいしいし、そのとりあわせが微妙で、ほんとうに「こんなおいしいもの生れて初めて」と思ったくらいだった。銀座に来ると、何かと言えば新橋ビューティーのためにエスキモーに寄らないと気が済まない。

(中公文庫、三宅艶子著「ハイカラ食いしんぼう記」154ページより)

 

ここに先ほど紹介した 古川ロッパの

「エスキーモ」「エスキモ」

ばらばらな表記が加わる訳なのですが――

 

わたくし、最近、この世紀の問題(笑)に決着をつける

決定的な証拠をみつけましたので

以下紹介いたします。

 

日本カメラ社・師岡宏次編・著「写真集 銀座残像」

です。(右側の本な↓↓)

 

師岡宏次……

 

この時代を代表する 木村伊兵衛、濱谷浩とかの作品を見ちゃうと……

たまらなく下手くそなんですけど……

資料としてはとても役に立ちそう。

 

もとい、51ページにその写真はあります↓↓

解説は

銀座八丁目西側の歩道、お正月の銀座は賑やかである。(昭和12年)

とあります。

 

真ん中あたり↓↓

 

 

の看板がありますが、すぐ右横にみえるのが

「エスキモー」なのではあるまいか??

 

赤丸で囲んだところ。

トリミングしてみます。

手前の看板に隠れてしまってますが……

「エスキーモ」が正解!

なのではあるまいか↓↓

 

100%確信はできませんが、

「エスキモー」だとこのようにはならないようにおもえる。

 

安藤更生が見上げた看板、というのはコレなのでしょう。きっと。

 

さいごに……

どうやら 古川ロッパ「ロッパの悲食記」とやらいう本に

「エスキーモ」「新橋ビューティ」の記述があるらしいです。

 

読んでみようかとおもいます。

「全日記小津安二郎」×「古川ロッパ昭和日記・戦前篇」比較・感想 その1

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目下、「古川ロッパ昭和日記・戦前篇」を読んでいるのですが、

「全日記小津安二郎」と対照させて読んだところ、けっこうおもしろかったので

 

メモがわりに、この記事を書きます。

 

はじめに書いておきますと――

日記を読む限りでは 小津安二郎と古川ロッパ この二人が会ったことはなさそうです。

(あくまで戦前のはなし)

会ったことがないだけではなく、

「全日記小津安二郎」には古川ロッパの名前が出てこないし、

「古川ロッパ昭和日記」には小津安二郎の名前が出てこない。

お互いに関心ももっていなかったようです。

(繰り返すが、戦前のはなし、戦後は読んでないのでわからない)

 

つまり、まったく接点のなかった二人、なわけですが、

「映画監督」と「俳優」

業種はかなり近かった二人です。

 

まず……

〇1934年(昭和9)2月6日(火)・水久保澄子

小津・ロッパ両者ともに 水久保澄子のことを書いているのがおもしろい。

 

(小津)

二月六日(火)

大森の東月荘にて審議会

車で野田高梧と銀座に出てフレーデルマウスにてビール

いろいろ語る

水久保澄子 退社

(ロッパ)

二月六日(火曜)

 医院へ寄って出る、大分いゝらしい。此の分なら安心。事務所で川口と話す、東宝との問題、東宝で引抜きはしたものゝ始末に弱っているらしい水久保澄子・逢初夢子の二人を、こっちへ借りようといふ話をすると大乗気。

 

フレーデルマウスはドイツ人経営のバーだったとおもいます。

かのスパイ・ゾルゲも入り浸っていた由。

ロッパは「逢初夢子」も 松竹を退社したように書いてますが、

これは誤りでしょう。

(この年、逢初夢子は 小津の「母を恋はずや」だの 島津保次郎の「隣の八重ちゃん」だのに出演している)

 

↑文藝春秋社・「ノーサイド 1995年9月号」

↓「非常線の女」

 

小津は「ミミ」に惚れていたから、いろいろおもうところはあったとおもうけど

「水久保澄子 退社」 と、それだけ。

ロッパは「ビジネスチャンス!」ととらえて、さっそく動いている。

 

〇1934年(昭和9)3月・マーカス・ショー来日

 

マーカス・ショーというアメリカのレヴュー団が来日し、話題になったようです。

久生十蘭の「魔都」を読まれた方は

「ああ、あのカーマス・ショオの元ネタか……」とお分かりいただけることでしょう。

 

(小津)

三月二十日(火)

赤坂の幸楽である審議会をやめて

日劇で

マーカス・ショウ

(ロッパ)

三月十日(土曜)

 今日第一回を休演、川口・東と鏑木とで日本劇場へ、マーカス・ショオを見に行く。人数沢山で賑かではあるが同じようなものゝ繰返しばかりだ。感心するものなし。

 

マーカス・ショーに関しては 海野弘先生がこのように書いておられます。

 

十蘭が「カーマス・ショオ」と書いているのは、一九三四年に日劇で公演して大評判となった「マーカス・ショー」のことである。そして注目すべきなのは、これを招いたのが吉本興業であったことだ。旗一兵『喜劇人回り舞台』(学風書院 一九五八)がくわしく触れているので、読んでみよう。

「昭和九年三月、米国からマーカス・ショーが来日して日本劇場に出演した。これが日本のショーにあたえた影響は量り知れない。多芸を集めたバラエティーの構成、スピーディーな進行、タップ・チームの養成、照明の立体的駆使は、いずれもマーカスが残していった置土産で、殊にこれを招いた吉本興業はこれによって社格を上げ、浅草に花月劇場を新築すると同時に、トップ・モードの『吉本ショー』を出発させた。」

(右文書院・海野弘著「久生十蘭『魔都』『十字街』解読」98-99ページより)

 

……というのですが、

当時、第一線のコメディアンのロッパが「感心するものなし」と評価しているのは興味深いですし、

そもそも久生十蘭描く「カーマス・ショオ」のように

実際の「マーカス・ショー」も ちょっとインチキ臭いシロモノであったようではあります。

 

〇1934年(昭和9)3月21日(水)・嵐

5月・6月・ルゴール液

 

両者、東京の住んでいるので天気の記述が似ているのはあたりまえだが、

(小津)

三月二十一日(水)

彼岸の中日 まことに風がつよい

雨のなかを東京の山手の小学校をみてまわる

夕方貞雄来所 東京に出てひとり 勧進帳を立見する のち門にて薄茶をのむ

富士の里 野菜なべ

山中深川泊 長門の菓子

(ロッパ)

三月二十一日(水曜)

大変な風それに雨だ。ビュービューって音だ。でも祭日のことゝて、早く出かける。浅草も流石にあんまり人が出てゐない。

 

小津は、悪天候の中、ロケハンに行ってます。(「母を恋はずや」の学校のシーン)

親友の山中貞雄が上京、深川の小津邸に泊まってます。

(ロッパはこういう種類の「親友」みたいな人はいない気がする)

一方、ロッパは舞台俳優なので 天気はかなり気になるようで、記述が詳しいです。

当然、客の入りが左右されますので。

 

(小津)

六月一日(金)

床屋に柳井と行く

ルゴール氏液を買ふ

明日の旅の準備をいろいろとする

(ロッパ)

五月九日(水曜)

ひる済むと、ぐったり。熱とってみると七度三分程ある。咽喉からの熱である。ルゴールで治るから心配ない。

 

どういうわけか、近い時期に「ルゴール氏液」「ルゴール」という記述があるのが気になります。

流行ってたのか??

ついでに書きますと、小津安二郎。ルゴール氏液の前々日はあの「ミミ」と会っております。

 

(小津)

五月三十日(水)

会社に行かず 八時筈見と帝劇に会ふ 水久保澄子と会ふ

フレーデルマウスにて一問一答 のちルパン

深夜帰る

 

あいかわらず意味深な感じ。

そして……

 

〇1934年(昭和9)6月5日(火)・東郷元帥国葬

 

↑アサヒグラフ・昭和9年6月6日號

東郷元帥薨去……「薨去」というコトバを使っています。

↓講談社「写真昭和50年史――影山光洋」39ページ

国葬は日比谷公園で行われたそうです。その様子。

 

(小津)

六月五日(火)

朝 帰京する

この日東郷元帥の国葬にて休日

一日家にてぶらぶら昼寝す

母 野田の山下に京土産をもつて行く

(ロッパ)

六月五日(火曜)

 本日東郷さんの葬儀で市内大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい。午前は休み、二時開演、それも一・二をカットして三から始まるんだから、ナニちっともいつもと変りはない。

 

東郷元帥の葬儀……なにやら帝国海軍の「終わりのはじまり」

のような気がします。

そして輝かしき「明治」は、この日に終わったのか?

 

〇1934年(昭和9)5月・6月・「にんじん」(フランス映画)

 

フランス映画の「にんじん」がどうやら流行ったようです。

(小津)

五月二十九日(火)

久々に会社に行く

夜邦楽座にドンキホーテの試写

のち内田岐三雄 牛原虚彦 筈見恒夫と銀たこにのみ にんじんについて語る

(ロッパ)

六月十一日(月曜)

 早く出て、大勝館へ「にんじん」を見に行く。評判だけあって中々いゝ。「誰も可愛がっちゃ呉れない!」と言ってにんじんが馬に鞭つところは、思はずワイワイ涙が出た、みっともないほど嗚咽といふ感じに泣けた。

 

小津はいいとか悪いとか感想を書いていないのですが、

「母を恋はずや」に「にんじん」のポスターを使ってますから……↓↓

 

なにかしらの感銘は受けたのでしょう。

わたくしは未見です。見ないとな。

 

〇1934年(昭和9)6月・東劇・六代目

6月23日(土)快晴

 

「六代目」というと、とうぜん六代目尾上菊五郎のことです。

(小津)

六月二十一日(木)

出社 所長に会ふ

池忠 東上と東劇に行く 楽屋に六代目を訪ねて

菊五郎芸談を聞く

鏡獅子 暗闇の丑松 紐を見る

のち富士の里にて 鮭茶漬

(ロッパ)

六月十日(日曜)

 日曜だから早い。今夜は八時前に終るから、東劇へ六代目を見に行くことにし、渡辺と二人で円タクで東劇へかけつける。菊五郎の日本俳優学校第一回公演で、六代目は「鏡獅子」と長谷川伸の「暗闇の丑松」だけに出てゐる。丁度「鏡獅子」が終って、「丑松」があいたところ。脚本を読んでみないと六代目の演出について詳しいことは分らぬが、兎に角、写実以上の写実演出、やっぱり唸らせる。にくい。こんな芝居を見るのは、参考になるより、やっぱり楽しみだ。

 

ロッパの記述は丁寧で、いったいどういう舞台なのかがよくわかります。

小津の日記はメモ以上のものではなく、はっきりいって「読み物」としてはおもしろくはないです。(断言)

「菊五郎芸談」の中身はわからないですが、

この頃の小津の発言に 「こないだ六代目に聞いたんだけど……」みたいな話は出てきます。

つづいて……

 

(小津)

六月二十三日(土)

梅雨どきには珍らしいいいお天気の日で宏 忠 荒と野田のきのへねに出かける

工場を見てから清水公園でめしを食ふ

成田山にまわつて 九時頃帰宅する 兄 房州行

いいお天気の一日の日がへりの旅はみちみちそれ相当な風景のなかに陽がかげろひ

風物詩的な旅愁をのこして ちと 侘しい

(ロッパ)

六月二十三日(土曜)

 今暁五時にねた、十一時起き。座へ出る。暑くてたまらん。今日も入ってゐる、随分今度のは当った。浅草まつりといふ催しが東日主催で行はれつゝある、そのためか女子供多く、ギャーギャー泣いたりして困る。

 

同じ日ですが 小津→「いいお天気」 ロッパ→「暑くてたまらん」と 対照的で笑えます。

やはり肥満体のロッパは暑さに弱いのか。

小津が暑さに不感症なのか?

小津の記述は、小津にしては珍しく きちんと感情を書いていますが……

水久保澄子のことでも考えているんでしょうか?

きのへね醤油、は、妹の嫁ぎ先です。

 

〇1934年(昭和9)6月・「隣りの八重ちやん」

 

島津保次郎監督・逢初夢子主演の「隣りの八重ちゃん」が上映されてます。

(小津)

六月三十日(土)

邦楽座にて めをと大学 八重ちやんを見る

(ロッパ)

六月二十九日(金曜)

帝国館へ入り、島津保次郎のトーキー「隣の八重ちゃん」を見る。中々いゝ。ストーリーらしきストーリーもなく、うまく纏めてゐる。トーキーの境地に入ってゐる。

 

逢初夢子主演。

で、逢初夢子とてもいいのですが……

(というか、今回はなにかというと逢初夢子の話題がでますな(笑))

脇役の高杉早苗が あまりに可愛らしすぎ……↓↓

熱演した逢初夢子にとっては皮肉なことですが

ここから高杉早苗時代が始まってしまいます。

 

なにやら長くなりそうなので

その2につづく……

「全日記小津安二郎」×「古川ロッパ昭和日記・戦前篇」比較・感想 その2

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つづき、です。

 

前回、さいごのあたり

「高杉早苗時代」ということを書いたが、補足しておきます。

まあ、わかりやすく書くと

今の猿之助さんやら 香川照之さんやらのお祖母さんにあたる方です。

 

まず、アサヒグラフ昭和11年1月8日號。

「スタアの食慾」という特集。

蒲田結髪部で 焼き芋を食べている高杉早苗↓↓

 

同年 昭和11年9月30日號には↓↓

「高杉早苗時代?」……とあります。

 

「ラヂオはナショナル」という広告も気になるが……

 

高杉早苗時代?

全く以て當時の高杉早苗の人氣の程はスサマじいものがある。流石の田中絹代が「男性對女性」でシヤツポを抜いた以上、

(トマス注:脱いだ、の誤り?)

最早や「時代の娘」をスクリーンの上に再生し得る女優は高杉早苗をおいてはほとんど絶無となつて了つた!

左の寫眞は或ひは澄まし、或ひは哄笑し、或ひは悶える最近の彼女

 

手持ちの本だと、

日本放送出版協会「懐かしの復刻版 プログラム映画史 大正から戦中まで」

これは 昭和13年 銀座劇場という映画館が出していたプログラム所収の広告↓↓

「クラブ美身クリーム」

 

やっぱり時代を代表するスタアだったのだろうなあ、とおもえる。

松竹の女優さんだと 桑野通子と双璧だったようですが、

桑野ミッチーだと なんとも知れない「影」があって

(アサヒグラフのいう)「時代の娘」とは なんだかちょっと違うのかもしれない。

高峰三枝子だと なんだか色っぽすぎるようだし。

 

□□□□□□□□

本題に戻ります。小津の日記とロッパの日記の比較です。

 

〇1934年(昭和9)8月・9月・「或る夜の出来事」

 

(小津)

八月三十一日(金)

帝劇で フランク・キャプラのIt happened one night をみる 面白し

(ロッパ)

九月四日(火曜)

大勝館へ、評判がいゝので、コロンビアの「或夜の出来事」It happened one night を見る、長きこと二時間近し、とてもよきものなり。シナリオもいゝが、フランク・キャプラってリアリストの監督に参った。音を実によく選んでゐる。此ういふもの見ると、リアルな映画やってみたくなる。

 

クローデット・コルベール×クラーク・ゲーブル

これは褒めない訳にはいかんでしょう。

 

小津の日記、映画をみても 感想は書かない。

書く場合は「凡作」とかなんとか けなす場合がほとんどです。

なので「面白し」とは 最上級の褒めことばです。

 

ロッパは、映画批評から出発した人なので、

さすがに批評が丁寧です。

 

〇1934年(昭和9)10月3日(水)小津・ロッパ、ニアミスしそうになる。

 

えー、個人的には 両者の日記を比較して一番興奮したところです(笑)

小津とロッパが同じ時間・同じ場所に存在していたかもしれないのに(!)

すれ違いました……

 

(小津)

十月三日(水)

若草物語の試写行かず

山中一人みて つばめにて雨の中をかへる

電話あり

(ロッパ)

十月三日(水曜)

八時半起きで、帝劇へ試写を見に行く、昨夜のんでるので、評判のカザリン・ヘプバーンの「若草物語」Little Women の半分頃まで見てたらねむくて辛くなり、出ちまった。

 

山中貞雄とロッパは同じ時間・同じ場所にいた、といっていいのかな?

一日に何回か上映してるかもしれんが??

わかりませんけど。

 

小津はこの日見逃した「若草物語」を後日見ています。

キャサリン・ヘップバーンはあまり好きではなかったようだが。

(グレタ・ガルボも嫌いだったようだ)

 

(小津)

十月十日(水)

飯田 吉川 松井と帝劇に若草物語をみる

 

さて、

この、いにしえの松竹映画ファンならよくご存知の 飯田蝶子・吉川満子ペアが ロッパの日記にも登場します。

 

〇1934年(昭和9)12月6日(木)・ロッパ、飯田蝶子、吉川満子に会う。

 

(ロッパ)

十二月六日(木曜)

ハネて入浴し、銀座のジュンコバーで飯田蝶子・吉川満子等に逢ふ。

 

ジュンコバーは 松井潤子のやってた店、なのかな?

だとすると、小津の日記の十月十日のメンバーがそのまんま ロッパの日記に登場することになります。

それにしても……

会いそうで会わないです。小津&ロッパ。

 

□□□□□□□□

えー、えんえん1934年(昭和9)をみてきましたが、

ここで一気に 1937年(昭和12)に時代が飛びます。

 

というのは……

「全日記小津安二郎」→1936年(昭和11年)が存在しない。

「古川ロッパ昭和日記」→1935年(昭和10年)が存在しない。

という理由で この2年間、照らし合わせることができないからです。

 

〇1937年(昭和12)3月・結婚の話題。

 

両者ともに同時期に「結婚」に関する話題がでてきます。

 

(小津)

三月二十一日(日)

終日うち 都の小林氏 独身に関しての記事とりにくる

夕方茂原宅に行く

三月二十二日(月)

終日うち

飯田氏来り母は世田ヶ谷に灸をすえに行く

日記を読み返してみると今年になつて 心たのしい面白かつた日が一日もない 未だ三十五だと云ふのに何と云ふことだ 先が案じられる

(ロッパ)

三月十日(水曜)

十時起き。十二時すぎに家を出てPCLへ。家から電話で、報知の記者が来り、道子をつかまへて結婚の話をしろと言ひ、写真を撮って行った由、道子は知らぬ存ぜぬで通したとのこと。やがてこっちへも来るだらう、色々言葉を考へてゐると、市川為雄といふ記者が来た。「事実です。が、今日は此処では何も話せない、明日十二時半に家へ来て下さい」と言ふ。此ういふ機会にパッと発表しちまった方がよからう、明日発表する考へ。

三月十一日(木曜)

(トマス注:徹夜で映画撮影ののち)十一時近く帰宅す。少し休むと十二時半、約束の報知記者来る、アッサリ事実を話し、道子と並んだ写真を撮られ、帰る。夕刊に出るらしい。

 

なんとも対照的な二人です。

小津は「独身に関しての記事」に登場し、なんだか憂鬱です。

いや、独身だから憂鬱だ、などといってるんじゃないですが(笑)

この年、

2月に「淑女は何を忘れたか」を完成させています。

「桑野(通子)」の名前が日記によく出てきます。

そのくせ、例の小田原芸者の「栄さん」としばしば会っている小津安っさんです。

けっか「面白かった日が一日もない」などと書くのだからひどい。

一方

ロッパは既婚者です。

前年の1936年結婚してます……

(ロッパ)

11月30日(月曜)

本日仕事は一切休んだ。

記念すべき日、結婚。

なんで素直に発表しなかったのかは、謎です。

(日記を読む限り、よくわからない)

 

さて、小津が取材を受けたのは……

泰流社「小津安二郎全発言(1933~1945)」86-87ページ所収の↓↓

都新聞・昭和十二年三月二十九日夕刊

「小津安二郎は 何を忘れたか 僕は年をとったらしい」なる記事でしょう。

たいして面白くもないので 内容は紹介しません。

 

〇1937年(昭和12年)3月26日(金)・またまた小津、ロッパ、ニアミスしそうになる。

 

またまた会いそうで会わない、この二人。

(小津)

三月二十六日(金)

朝 池忠来る 銀座に出る

不二アイス のち 出社

池田義信と荒正 池忠と相州に行く 泊

(ロッパ)

三月二十六日(金曜)

(トマス注:PCLの映画撮影の後)

不二アイスで軽い食事をなし、釜足やリキーと仕事話で夜を更かす。

 

同じ日に「不二アイス」に行っていますが、会ってはいないようです。

この「不二アイス」

安藤更生の「銀座細見」・ツヤコお嬢さま(三宅艶子)の「ハイカラ食いしんぼう記」

そして「東京名物食べある記」では 「富士アイス」と表記されています。

これは「富士アイス」が正しいのではあるまいか?

たぶん……煙草の銘柄で「不二」というのがあったので

表記を勘違いしたのかもしれない。

 

 富士アイスクリーム

 中央銀座と、教文館の二階と両方にある。両方ともいい。教文館の方はちょっと落着かない嫌いはあるが。アイスクリームもいいし、料理もうまい。中央銀座の方はちょっと寄って喰べるのに実にはいりいい。ここのベーコン料理など僕は大好きだ。

(中公文庫、安藤更生著「銀座細見」114ページより)

 

 銀座の富士アイス(ほんとうは富士アイスクリームという名前だった)は、四丁目の角から数寄屋橋の方に向って少し歩いたところにあった。近藤書店の手前かさきか、今になるとはっきり言えないが、洋書のイエナのあたりであった。

(中公文庫、三宅艶子著「ハイカラ食いしんぼう記」195ページより)

 

安藤更生は 教文館に支店があったと書いています。

ツヤコお嬢さまはかなり入り浸っていたようで アメリカ風の店であったこと、支配人もアメリカ風だったこと、等々、

こと細かく描いていらっしゃいます。

引用はしませんが、辛口の「東京名物食べある記」もこの店は褒めています。

 

さて、この「富士アイス」……

影山光洋先生の写真集をみていますと――

 

こんな写真がでてきまして↓↓

左側の

戦前百合‼

うう……たまらん……

などと、吉屋信子先生の世界から抜け出してきたような二人に見とれておりますと……

(右側のミニスカート・ホットパンツのお姉さんはどうでもいいのだ)

 

若い女性のスタイルは水兵服かワンピース・スーツ 必ず帽子をかぶっていた

ショート・スカートからロング・スカートに再び戻ったころである

(昭和6年7月)

(講談社、影山光洋著「写真昭和50年史」149ページより)

 

百合カップルの二人がみつめているのは

FUJI ICECREAM

RESTAURANT

と、あるではないですか!

 

どうも、こういうオサレなお店であったようです。富士アイスクリーム。

 

えー、これでようやくラストです。

〇1937年(昭和12)5月21日(金)・神風號

 

今、現在 「カミカゼ」というと、世界共通語で「自爆攻撃」のことになっておりますが、

戦前「カミカゼ」というと、この「神風號」のことでした。

(小津)

五月二十一日(金)

夕方池忠来り雨上りの町を銀座まであるく

神風機 東京着

(ロッパ)

五月二十一日(金曜)

日劇へ行くと、折柄の雨なのに朝日新聞社の前に一杯の人だかり、神風が欧亜飛行完成して帰って来るといふので熱狂してゐる。

 

写真は、まず 影山光洋先生。

国産機の「神風号」で東京・ロンドン間を94時間余で飛び 当時の世界新記録を樹て

無事羽田に帰ってきた喜びの飯沼飛行士(左)と塚越機関士

(同書55ページより)

 

つづいてアサヒグラフ 1937年5月12日號↓↓

歴史的なその瞬間

ロンドン到着の『神風』

 

ロンドン到着は4月の出来事であったようです。

 

「神風」って単発機なんですね。

当時のメイドインジャパンのクオリティを考えると、なんだかすごい。

双発機だと記録が出せないからか?

エンジンはアメリカ製だったりしたのか?

 

飯沼飛行士は なかなか美男子でもあったので

一躍大スターになったようです。

 

比較は以上です。

小津安二郎はこのあと中国大陸に出征しますので

1937年の日記は 8月6日(金)で途切れます。

(9月10日応召、9月27日上海上陸)

 

1938年 1939年の日記が残っていますが、これは戦場での日記です。

 

ロッパの日記も 1937年7月あたりから 〇〇出征という記述が目立ち始めます。

「非常時」「戦時」という言葉も目立ち始めます。

小津安二郎作品の服装調査 その1「若き日」(1929)

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最近、

学陽書房、今和次郎・吉田謙吉編著「考現学採集(モデルノロヂオ)」

の復刻版を読んでまして――(高かったが、この復刻クオリティをみれば納得……)

考現学っぽいことをやりたくなってしまって、

(↓↓1931年銀座街廣告細見)

やり始めたのが、これです。

本来の「考現学」の意味通りならば、街に出て調査すべきですが、

引きこもって 小津作品を相手にするあたりが

ディレッタントというか、小者というか(笑)……

 

はじめに、この調査について 述べておきますと――

●ファッション、ファッションセンスに関する記事ではありません。

センスがいいとか、悪いとか、そういうことではなく、

「〇〇のシーンで田中絹代は和服を着ている」とか

「〇〇の作品で田中絹代は何回着替えている」とか

単純に統計をとっていくだけのことです。

この服はかっこいいとかダサいとか、書くことがあるかもしれないが、

それはこの記事の主旨ではありません。

 

それから

●これによって作品と同時代の服装を判断しようというわけではありません。

あくまで「小津の作品世界内」の調査です。

まあ、それによって同時代の服装を想像するなんらかの材料にはなるかとはおもいますが。

 

また……

●そもそも書き手(トマス)にファッションに関する知識はあまりないです。

とくに和装。着物はさっぱりわからないので、たまに変なことを書くかもしれないです。

女ものの洋服もよくわかりません。

 

ですので……

●記述の誤り等発見された場合は、遠慮なくご指摘ください。

 

えー、とりあえずやってみます。

現存最古の小津作品 「若き日」です。表を作成してみました。

これは作品内で登場人物が何回服装を変えているのかを示しております。

「S〇〇」は、シーンナンバーで

これは新書館の「小津安二郎全集」に従っております。

 

 

表について 説明しますと……

一番上、結城一朗はS6に登場して 和服を着ている、ということを示しています。

結城一朗はそのあと、その服装のままで登場。

S34になって(引っ越しのシーン) 和服に帽子をかぶる、ということを示しています。

 

以下、画像と一緒にみていきましょう。

あ。はじめにおおまかなストーリーを説明しますと、

結城一朗&斎藤達雄の学生コンビが

美人(とされている)松井潤子を争うラブコメディです。

 

・結城一朗

S6

下宿にいます。普段着は和服。

畳敷きに座布団を敷いて坐る、というスタイルですので

椅子生活ではありません。

 

その他、壁のペナント(アメリカの大学らしい)とか

机の上のスタンドとか、いろいろ興味深いディテールがあります。

S34

引っ越しのシーンです。

外出する時は律儀に帽子をかぶります。

和服と洋風の中折れ帽の組み合わせというのが今見るとかっこいいです。

 

アサヒグラフ等みますと、当時はあたりまえの組み合わせだったらしいとわかりますが。

 

S44

学生服&学帽。

これも帽子をきちんとかぶってます。

 

S48

学校から帰って来て、和服に着替える、というカット。

着替えるにしても、学帽はさいごまで残すという、妙なこだわり。

さいごに学帽をぬいで、着替えは完了します。

(斎藤達雄も同じことをする。つまり小津の指示なんでしょう)

 

帽子というアイテムへの妙なこだわり――

これが小津独特のフェティッシュ(?)なのか?

それとも世間一般、帽子を大切にしていたのか?

よくわかりません。

(参考になるかわからないが、次作「朗らかに歩め」で悪役の坂本武もやはり、帽子を大事にしている)

 

S53

学生服&学帽。

ここでのポイントは教科書をバンドで束ねて持ち歩く、ということです。

(左:結城一朗 右:斎藤達雄)

 

S59

下宿。

普段着はあくまで和服です。

 

S68

質屋に行って スキー旅行の資金を調達しようというくだり。

つまり、外出するので、また帽子をかぶっています。

 

右手に持っているのは鞄ではなく、蓄音器。(当時、ポータブルとかいったとおもう)

 

S72

スキーへ行く電車の中。

セーター ベレー帽 スカーフ

これは現代日本にまぎれこんでいても違和感ないスタイルかとおもいます。

「R」のひっくり返った刺繍がかわいい。

 

S74

で、電車の中の格好のまま……(上になにか羽織ったりはしない)

スキー板を装着 リュックサックを背負って

で、パイプです。

 

パイプ。

結城一朗、斎藤達雄、両者とも、です。

そういや、後年「秋日和」(1960)でパイプの話題が出ますね。

(原節子の亡くなった旦那の遺品)

流行ったのかねえ??

 

S79

宿屋での一カット。

あくまでくつろぐときは和服。

 

これは……蒲田のセットなのか?

それともキャメラの茂原さんの実家の旅館なのか?

 

S86

スキーのシーン。

再び洋服。

というか、寒くないのか? 二人とも。

 

あ。サングラスとか。ごつくてブサイクな手袋とか。

女の子はセーラーかよ、とか

いろいろ見所があります。

ストックは竹? のようにもみえるが。

 

S88

また宿屋。

和服。

 

S90

また、スキーの服。

後半はこの繰り返し。

 

S??

ここは、「小津安二郎全集」所収のシナリオとプリントが一致しないので

シーンナンバー不明。

だが、まあ 宿屋なのでまた和服。

やっぱしセットかな?

 

S??

またシナリオにない場面。

実際に妙高高原でのロケ撮影です。

つくづく昔の人は偉かった、としかいいようがない。

厚手のセーター着てるにしても……寒いよね??

 

あと……「古川ロッパ昭和日記」をみると 昭和初期、曇りの日は光量が足らないので撮影しないというのがわかるが……

(フィルムの感度と レンズの明るさ、ともに低レベルだったのだろう)

この吹雪でよく撮れたものだ。

雪があると明るいのか。

 

S102

で、ラスト。

下宿に戻って来て和服。

ですが、なんだか今まで登場しなかった服です。

寝巻かな?

 

今まで「白」系の服を着なかった人たちが ラストのラストで「白」を着る、というあたり、

なんだか気分が明るくなる感じです。

ストーリーとしては 二人ともフラれるんですけどね。

 

 

おつぎ。

・斎藤達雄

キャラクターとしては……画像をみていただければ想像つくとおもいますが、

結城一朗の「陽」「ポジ」に対して

斎藤達雄、「陰」「ネガ」という感じです。

 

S21

街角で松井潤子に出会い、そのままおデートというシーン。

学生服に、コート、帽子。

ただし、帽子は学帽ではなく中折れ帽。

学校帰りではなく休日のお出かけ、ということなのか?

 

S39

やはり普段着は和服。

 

カーテンの柄とか ランプシェードのビラビラとか

なんか気味が悪い。

が、このビラビラはアサヒグラフの写真でも目にしたことがある。

よくあったものか?

 

S42

制服+コート+学帽

 

だが、まあ、現代のわれわれは

笠智衆が小津の現存最古の作品にあたりまえのように姿をみせることに感動するのである(笑)

(斎藤達雄のほうが若干背が高いのだな)

 

「小津安二郎物語」で 厚田雄春さんは

大部屋時代の笠智衆はレフ板を持ってくれたりなんだり いろいろ裏方を助けてくれたと証言しています。

 

S48

下宿。和服。

 

火鉢、それから机の上の二宮金次郎像が気になるところ。

(画像ではわかりにくいが 机の上にのってる物体がそうです)

こんな像が売ってたのか(笑)

誰が買うのか。

 

S53

はい。学校。制服、学帽。

肩にコート。

鞄も教科書も持ち歩きません。

手に持っているのはたしかカンニングペーパーだとおもった。

 

結城一朗は上述の通り、教科書をバンドで持ち歩きましたが。

 

S62

これは下宿に帰った斎藤達雄のお着替えシーンなんですが、

小津安っさんは、この頃から「着替え」には妙なこだわりがあったことがわかります。

 

あと、この当時の靴下のめんどくさい……

なんかガーターベルト的な構造がよくわかります。

これはちょっと「考現学的な視線」だとおもいます。

 

これが、まあ後年 「東京物語」(1953)

香川京子がソックスをはく、意味不明な(だが、妙な色気のある)ショットにつながるのだろうとおもわれます。

 

S72

んーでました!

スエードジャケット(おそらく)

これが個人的にはとても気に入っております。

 

左胸の「キリン」の刺繍がかわいいとおもうわけですよ。

 

キリンのイメージが斎藤達雄にも合っている。

 

S74

キリンのスエードジャケットはこれだけではない。

裏側にものすごいものを隠し持っていた、というショット……

 

SMACK FRONT ONLY

「背中をひっぱたかないで」ということかな。

かっこいいな……

これは欲しいな……

 

誰か復刻してみないか? 東洋エンタープライズさんあたり。

中折れ帽との組み合わせもかっこよし。

 

S75

えーえんえん このスエードジャケットについて見てまいりましたが、

このショットで、ジッパー付きだということが明らかになります。

1929年、アメリカ製タロンジッパーでしょうか?

 

しかし、このナイトキャップみたいな帽子は一体なんなのだ?

さっきの中折れ帽はどこへいったのか。

背景の高田屋は茂原さんの実家か??

 

S79

はい。結城一朗と同じパターン。

スキー服→和服→スキー服→和服……

 

メガネのデカい人。大山健二さんは

後年「女医絹代先生」(1937)にも登場して、やっぱりスキーに行く。

 

S86

ゲレンデにて。

例のスエードジャケット。パイプ

 

手前は松井潤子ですが……

こういう「肩をなめるショット」というのは 後年小津はあまりやらなくなるような気がする。

 

S88

宿屋。和服。半纏。

 

S??

はい。吹雪の中。

寒くはないんですか?

 

S102

で、最後白い和服で仲良く終わります。

 

まあ、うがった見方をすれば、

同性愛が異性愛に勝つ物語

である、ともいえます。

 

しかし、そういう物語にありがちな「女性嫌悪」みたいな見方は

小津作品にはないんだよな……

というのを以下見ていきます。

 

・松井潤子

 

正直な気持ちを申し上げると、

わたくしと同じ気持ちの人も多数いるかとおもうので申し上げると――

ヒロイン:田中絹代 ならば

この作品は数倍魅力的になったかとおもうのですが……

でも

松井潤子はスキーができたらしいんですよね。

ということは、

「絹代たんが使えなかったから 仕方なく松井潤子」ではなく

「松井潤子でスキーものを撮るぞ」という作品なのかもしれない。

もとい、

 

S17

初登場シーン。

和服です。

羽織はボタンの模様ですかね?

黒っぽい色のバッグ。

それから腕時計が気になります。

それなりの階級のお嬢さんである、ということの記号なのかな?

 

S21

斎藤達雄のところでも紹介したカット。

同じ着物かな? とおもうのですが、

ショールを巻いてますね。

あと、バッグもなんか明るい色なんだよな。

なので初登場シーンからしばらく後の出来事らしいです。

(とくに説明もなく、ぶっきらぼうにつないでいるからわからない)

(編集に関しては、もうこの頃から 小津は小津していたのだ(笑))

 

S28

引っ越しのシーン。

風呂敷包み、傘。

 

S76

 

黒っぽい……ボーイッシュなスキー服がかわいい松井潤子。

というか、

ミリタリーっぽいんですよね。

 

ゲレンデで

ガラッとヒロインの雰囲気が変わるというのが、この作品のミソか。

小津作品では二人の女性スターを起用するということをよくやりますが

(次作「朗らかに歩め」は 川崎弘子&伊達里子。

他の例は……きりがないが「晩春」原節子&月丘夢路

遺作の「秋刀魚の味」では岩下志麻&岡田茉莉子)

 

――この作品では 松井潤子が疑似・一人二役みたいな感じがします。

 

S86

 

結城一朗のところでもみた画像。

セーラー服、ベレー帽。

これは現代のゲレンデでやってもかわいいのではあるまいか。

ただ……どんな布地で作れば寒くないのだろうか?

 

S??

シナリオとプリントが違う部分。

 

もとい、

宿屋に将来の伴侶である日守新一に会いに来たというシーン。

また着物。羽織の柄がボタンではありません。

 

けっきょくストーリーとしては、

松井潤子が 結城一朗&斎藤達雄をさんざんもてあそんだあげく、

地元の有力者の息子(っぽい?)日守新一と結ばれる。

というものなので――

 

松井潤子を嫌な風に描くこともあり得たとおもうのですが、

そこをしないというのが現代的です。

松井潤子は終始ニコニコしているし

(個人的には、ディズニーの「白雪姫」……

王子様に出会った瞬間、今までさんざん世話になった小人たちと

笑顔で「バイバイ!」と別れる、というあれを思い出すのですが)

 

結城一朗&斎藤達雄、彼等もなにか、ネガティブな 女性嫌悪的なセリフを吐くでもないです。

 

S??

最後、吹雪の中。スキー服。

S76の服と同じか。

ただサングラスをしてますね。

ゴーグルがわりのものなんでしょう。

□□□□□□□□

これで、「若き日」の服装調査は終了なのですが、

当時の

なんかミリタリーっぽいスキー服

について、補足しておきたい。

 

まず

野村浩将「女医絹代先生」(1937)の絹代ちゃんの画像を紹介しておきます。

「若き日」(1929)から8年後なので

垢抜けて……いろいろなディテールがフェミニンな印象です。

ジッパーについたモフモフの球体とか

雪の結晶柄の手袋、とか。

 

だが、胸のごついポケットとか、略帽みたいな帽子とか……

やっぱり基本はミリタリーなのだという雰囲気。

 

あくまで推測だが、

スキー文化というものが、軍隊からやってきたという……

そのルーツを物語っているのか??

 

おつぎ。

 

大日本絵画、マイケル・H・プルット、ロバート・J・エドワーズ共著

「パンツァー・ユニフォーム」

WWⅡ独逸機甲部隊の軍装を紹介した本ですが

(注:基本トマスは独逸嫌いだが、連中の軍装はなぜかかっこいいと思っている)

 

26ページ

冬期休暇中の第4戦車連隊員。まだ開戦以前の頃である。(中略)制服の形は、そのモデルであったといわれる当時のスキーウェアに酷似している。

 

まあ、ようするに 独逸の戦車兵の制服は スキーウェアをモデルに作ったらしいんですな。

 

↑↑真ん中の笑顔の女の子の格好が

「若き日」の松井潤子の格好になんだか似ているような気がする、というただそれだけのことです。

小津安二郎作品の服装調査 その2「朗らかに歩め」(1930)

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現存2作品目。服装調査。

一体なんのためにこんなことをはじめたのか?

 

……といわれると、何とも答えようがないですが、

小津安二郎作品の、服飾品への並々ならぬ関心、というのは

誰の目にも明らかでしょう。

 

服飾中心視点でみてみれば

「若き日」→結城一朗が手編みの靴下を手に入れ、捨てるおはなし。

という見方が可能でしょうし、

「晩春」→原節子が花嫁衣装に着替え、どこかへ去ってゆくおはなし。

とみることも可能でしょう。

 

今回の「朗らかに歩め」は、そうなると、

「高田稔が上等のスーツを脱ぎ捨て、労働服に着替えるおはなし」

ということになりそうです。

ついでにいうと、前作の「結婚学入門」(1929・プリント現存せず)のラストシーンは、

斎藤達雄&栗島すみ子のカップルが、汽車の窓から「手袋」を投げ捨てる、

というシーンであったらしいです。

 

もとい、表にまとめてみました。

 

 

 

 

表からわかることは……

・男性キャラクターは洋服を着る。(和服は着ない)

・川崎弘子は和服を着る。(洋服は着ない)

・伊達里子は洋服を着る。(和服は着ない)

ということで……

「若き日」とはかなり様相が異なっております。

 

以下、キャラクターごとに服装をみていきます。

・高田稔

S4

んー、きまってます。

背景の船からしてきまってます。気恥ずかしいほどにきまってます。

ダブルのチェスターフィールドコートでしょうか。

 

ご存知ない方のために ざっとあらすじを書いておくと、

ヤクザの高田稔が、純情な美女・川崎弘子に出会ったことで心を入れ替え、

カタギに生まれ変わる、という実に都合のいい内容です。

シナリオの出来としては「若き日」のほうがはるかに上だとおもいます。

 

「若き日」のシナリオは、伏見晁

「朗らかに歩め」のシナリオは、池忠、こと、池田忠雄です。

 

S21

普段着もやはり洋服、というところです。

「若き日」の学生たちの普段着が和服だったことと好対照です。

 

住んでいるところも

「若き日」(結城一朗&斎藤達雄)→畳敷きの下宿。

「朗らかに歩め」(高田稔&吉谷久雄)→アパアトメント、洋室。

と、対照的。

 

しかし、昭和五年。彼等みたいな純洋風の生活をしていた人たちが、はたしてどれだけ存在していたのか?

 

そうそう、左手の入墨というのもポイントか。

 

S27

ゴルフ場のシーン。

港町といい、ゴルフ場といい、きまってます。

まあ、どっちのシーンも スリだったり美人局だったりと 犯罪のシーンなんですがね。

 

この頃のゴルフウェアがわかります。

上半身は普通のスーツ……背広なんですが、

下半身はニッカーボッカー、ハイソックス。(ゲートルじゃないよな?)

 

当時の世界のファッションリーダー、ウィンザー公だと、

フェア・アイル・セーターにニッカーボッカーという組み合わせだったようです。

 

S56

川崎弘子との鎌倉おデートのシーン。

水玉のショールに蝶ネクタイという、ヤクザが精いっぱい可愛らしくした印象。

こうやってあらためて見るまで、このシーンが蝶ネクタイだとは気づかなかった……

 

川崎弘子と二人のショット。

背景は鎌倉の大仏さん。

大仏の目の前でクルマを駐車してます。

 

S72

ヤクザから足を洗う、と、弟分の吉谷久雄に語るシーン。

背景はボクシング関係の新聞記事、だとおもう。

小津も一時期ボクシングにはまっていたようです。

 

ワイシャツの上からセーター。襟の出し方が特徴的です。

 

S94

一失業者となった高田稔。

なにを着ているのか、よくわからないが、

明らかに冒頭のパリッとしたチェスターフィールドコートではないですね。

薄手のレインコートか?

どちらにせよ、前半の明るい印象に対してくすんだ色を選んでます。

 

場所は……「非常線の女」にも登場する横浜・山手。

 

S110

吉谷久雄のおかげで ビルの窓拭きの仕事をゲットした高田稔。

おそらく当時の新風俗。ある意味「尖端的」な仕事だったのだろう。

 

この帽子は、なんというんだろう。

中折れ帽からワークキャップへ。

セーターを着ているのかな。

首にはスカーフだが、オシャレというより、実用の印象。

 

「ボクシング」「自家用車でのドライブ」といったブルジョワな「尖端」から

プロレタリアートの「尖端」へ。といったところか。

 

S139

ラストシーンです。

いろいろあって刑務所にしばらく食らいこみまして、帰ってきた、というシーン。

 

ノーネクタイで地味なスーツです。

 

おつぎ。

ヒロインの川崎弘子をみていきます。

上の表のように、登場人物の中では一番服装の変化の回数は多いです。

 

前回も書いたが、和装の知識はゼロなので、トンチンカンなことを書くかもしれないですが。

 

・川崎弘子

S15

川崎弘子は、昭和初期の言葉でいうと「オフィス・ガアル」です。

(社会進出してきた女性を「~ガール」「~ガアル」と呼んだ)

事務職の女性は、当時はお着物で働いたようです。

 

なので、吉谷久雄(高田稔の弟分)は、川崎弘子を いいとこのお嬢さんなんだろうと勘違いします。

(実際は 会社の社長に頼まれて指輪を取りに行った)

 

白いショール、革のバッグ、

そして羽織なんですが……

これって「若き日」の最後の方で松井潤子が着ていたのと同じ柄でしょうか?↓↓

 

オフィスに帰ってショールをとったところ↓↓

場面としては スケベ・セクハラ・パワハラ社長の坂本武が、

こんな指輪くらいいくらでも買ってあげるから 愛人にならないか、とせまるところです。

 

同僚の伊達里子と。

伊達里子はバリバリ洋装なんですが……さて、こんな人いたんでしょうかね?

 

タイプライター、オシャレなペンダントライト。

 

S36

えー、ここははっきりいって言語道断、というか、

小津作品屈指の

クソみたいなシーンです。

 

ゴルフ帰りの高田稔が、川崎弘子の妹の松園延子ちゃんを轢いてしまう。

で、

高田稔は「やべ!」と逃げようとしたのだが、

川崎弘子が駈けつけてきたのをみて 態度をコロッと変えて

「失礼ですが、お宅までお送りさせて下さい」などという図々しい態度に出る。

で、川崎弘子・松園延子姉妹は ニコニコとクルマの後部座席に乗っている、というところです。

 

服装は、オープニングの宝石店のものとはちょっと違うようにみえます。

ショールはもっと大きなもの。

着物の柄もちょっと違う??

 

妹は洋装ですね。

ゴルフクラブという男根状の物体にも注目したいところ。

遺作「秋刀魚の味」にも ゴルフクラブは登場しますな。

 

これは、まあ、参考までに。

アサヒグラフ 1932年1月13日號

「一かけの襟巻 年を考へて」

という マフラー・ショール姿をまとめた記事です。

さっき クソみたいなシーンと書きましたが……

 

・川崎弘子はなぜ、自分の妹を轢いた 知りもしない男のクルマに

のこのこと乗りこんでしまったのか??

 

という問題があるんですが……

どうもこの「88」というナンバーが 大きな理由なんじゃないか??↓↓

という気がします。

 

詳しくは

二玄社・小林彰太郎責任編集「昭和の東京 カーウォッチング」

という本にあたっていただきたいですが、

どうも 「1」~「100」までの若いナンバー(東京市自動車番号標)は

交通巡査も手出しができない 特権階級のクルマの象徴だったらしいのです。

(ナンバーは持ち主に所属していたらしい。クルマを買い替えても引き継げる。また、ナンバーの売買もあった由)

(神奈川であればナンバーに「神」 埼玉であれば「埼」の字がナンバーにつくらしいので、

この「88」は東京市のナンバーだろうとおもう)

 

つまり……

川崎弘子は「88」を見た途端に

「高田稔=上流階級のお坊ちゃん」

と認識し、これは悪いことにならないだろうと判断した……

――のではなかろうか、とおもうわけです。

 

まあ、この推測もムリがあるような気がするが。

(車種がおわかりの方はご教授ねがいます↓↓)

(とくに縁起のいい?「88」は所有者がころころ変わっていたようである)

(よくわからないが 何年か前まで NASCAR随一のスター デイル・アーンハート・ジュニアもやっぱり 「88」という

カーナンバーだった。西洋人も好きな番号なのか??)

 

もとい……

納得できないことが多々ありますが、

何日か後、

川崎弘子&高田稔のおデートです。

(妹の松園延子ちゃんもいますが)

 

S56

S36とはまた別の着物のようにみえます。

が正直言うとよくわかりません。

 

仕事の時の着物とははっきり別のものです。

帯が気合入ってるな、という 実にボンヤリした印象しか書けないですが。

 

S69

また労働シーン。

今度はお着物の上にスモックです。

 

――……これはスモックですよね??

(それすら、なんだかよくわからない)

 

S87

えー、伊達里子が暗躍しまして……

某ホテルにおびき寄せられた川崎弘子。

その、ホテルの部屋で セクハラ社長坂本武にせまられる、というシーン。

 

これは冒頭と同じ格好だとおもいます。

 

S100

自宅でのシーン。

坂本武のセクハラ・パワハラ社長の会社をクビになった川崎弘子だが、

再就職が決まって笑顔。

羽織の柄がまた違うもの。

 

妹の松園延子ちゃんは外では洋装だが

うちでは和装です。

「少女の友」をかかえています。

この子はのちに大日方伝の奥さんになったそうな。

 

S104

再就職→初出社、というシーン。

さっきのS100の羽織の上にショール。

いぶかしげな視線の先には 窓拭きをしている高田稔がいるのですが、

距離があるのではっきりとわからない、というところ。

 

背景のアールデコ装飾の建物もおもしろい。

 

S111

再就職した会社の屋上……という設定ですが、

背景はどうみても朝日新聞本社。

 

となると、有楽町のなにかのビルなのでしょう。

というか、特定できそうな気もするが、今はその気力がないです。

 

S138

ラストシーン。

出所する高田稔を迎えます。

可愛らしいチェック模様のスモックというか 割烹着というかを着ています。

 

高田稔の伴侶となり、家庭を築くのでありました――という安易なイメージ。

どうも、この作品は底が浅い、というか、

月並み、というか。

出来が悪いですね。

いろいろかっこいいディテールはあるんですが。

キャラクターそれぞれも深みに欠けます。

俳優陣がどうこうというのではなくて、もともとのシナリオがまずいのです。

 

つぎ。

・吉谷久雄

S5

スリをして、群衆に囲まれる吉谷久雄。

われわれ観客は、まだ 高田稔が何者で 吉谷久雄が何者なのか? わかっておりません。

彼等が仲間同士である、という情報も まだ与えられていない状態で、このシーン。

 

サイズが合っていないダブルのジャケットが 胡散臭いイメージを醸し出しております。

 

右隣のハンサムな男の子は水兵さんなのか? と一瞬おもったが

髪が長いから船員さんかな?

外国の水兵さん??

 

S21

タートルネックのセーターに、不思議な柄のベレー帽? でしょうか。

かなり可愛らしい格好です。

こういう……「コロコロまん丸くて、セーターを着て」というキャラクターは

のちに小津作品に たくさん登場する悪ガキどもに受け継がれます。

 

S65

運転のときの格好。

スーツの上になにかコートを羽織ってます。レインコート?

ちゃんとネクタイをしてます。

悪者三人という設定ですが、クルマの中でもきちんと帽子をかぶってますね、この頃の人は。

 

左端の……エルヴィス・プレスリーみたいな人は

毛利輝夫。

翌年1931年、自殺します。

詳しくはウィキペディアをご覧下さい。

 

S72

室内でも靴をはいて、ベッドに寝ころぶ、という……

完全西洋風の生活。

 

当時の小津の発言をみますと――

ハリウッド映画の模倣から日本映画というのは始まっていますから

(まあ、どの国もそうだろうが)

やはり洋間での撮影の方が楽だったようです。

 

日本間での日本的な作法をどうやって撮るのか?

というのは、試行錯誤で決めていかなくてはならず、逆に大変だった由。

 

こうやって↓↓

男性のズボンのお尻をなめて撮るというのは、後年もやってますね。

カメラ位置はもっと低いが。

「出来ごころ」の大日方伝とか

「浮草」の川口浩とかが印象に残ります。

 

高田稔がヤクザから足を洗う、というところですが……

初期小津は、同性愛的な表現が目立ちます。

 

というか、まあ、小津作品は 「男-女」よりも

「男-男」「女-女」のほうが親密に描かれますね。

それは初期から晩年まで一貫してます。

 

構図は完璧な対角線で――

模範的なキスシーン。

 

もちろん、キスはしませんが(笑)

 

頭に巻いてるのはバンダナかなにか?

手拭?

 

このシーンはゴルフクラブだのピストルだの

フロイト的なシンボルにあふれております。

 

S94

一旦別れた 高田稔&吉谷久雄のコンビが再び出会うシーン。

高田稔はしょぼくれた格好なのに 吉谷久雄がパリッとしているという……

オープニングの見事な引っくり返しです。

 

こういうところを無駄な説明もなく、スマートに描写するあたり さすがです。

S65の帽子とはまた違うものでしょう。

ネクタイの柄も違うような……

 

S110

高田稔がビルの窓拭きになって、で

「兄貴、評判いいぞ」

とかいう場面。

 

このつなぎ(?)がかっこいいんですよね。

デニム地かなにか、ざらっとした布地。

いかにも自動車の整備してます、って恰好。

 

場所は……川崎弘子が佇んでいた有楽町のビルだろうか??

 

S139

ラストシーン。

刑務所から出所しました。

S94と同じスーツかな??

 

さいご。

四人目 

・伊達里子

S20

伊達里子は一貫して洋装です。

・良い女(川崎弘子)→和装

・悪い女(伊達里子)→洋装

という、あまりに単純な構図なわけです。

 

えー、これは↓↓

なんというのでしょう。ファッション関係の語彙が少ないのでなんとも描写が……

ボブヘアー+洋装+タイプライター

と、モダンガアルの公式のような描写です。

 

昭和初期の文献など読みますと……

ボブはボブでも

「イイトン・クロップ」とかなんとかかんとか

いろいろな種類があったようで、

伊達里子のこれ↓↓ もなにか名称があるのでしょうが、私にはわかりません。

 

S24

すんごいモフモフの

ムートンコート。

 

個人的には 「ブレードランナー」のショーン・ヤングを思い出すんですが↓↓

「ブレードランナー」はフィルムノワールをかなり意識しているらしいですから、

伊達里子のモフモフもフィルムノワール由来なのかな??

ちとわかりません。

 

S27

ゴルフウェアなんですが……

もみあげ(?)……すごい髪の毛のほうに目がいってしまう(笑)

 

ちょうど同時代のアサヒグラフ 1930年1月26日號

「流行の混線」なる特集で……

奴すがた

などと批判されている髪型で……↓↓

 

あるいは、この頃流行ったのかもわかりません。

 

S65

これは吉谷久雄のところでも紹介したショット。

ヒョウ柄のムートンコート……

なんですが、

 

おとなりのハンチングの毛利輝夫がばっちりきまっているのに対して、

どうももっさりしてますね。

伊達里子がどうこういうのではなく、

1930年の段階では 女性の洋装姿というのはまだ未熟な印象です。

 

女性の洋装がこなれてくるのは 1930年代後半

例の高杉早苗・桑野通子・高峰三枝子の三人の時代になってから、でしょうか。

 

S69

これも……説明不可能。なんか「魔女」みたいな。

伊達里子の「千恵子」なるキャラクターは 「ただの悪い女」というだけでおもしろくもなんともないです。

伊達里子が魅力的なのはやっぱり「淑女と髭」でしょう。

 

S74

S65と同じヒョウ柄です。

ヒョウ柄というのは大昔からあったのだな。

モノクロなのでわかりませんが、ベージュ色のコートなのかな。

 

S112

くわえタバコでビリヤードをやる、といういかにも不良なシーン。

S24とおなじムートンコート。

 

伊達里子というと、こんな悪い役ばかりやってますが、

じっさいは文化学院出の良家のお嬢さまだったようです。

(当時の女優さんというと、元カフェの女給だの 元ダンスホールのダンサーだのがごろごろいた)

 

しかし、構図は凝りに凝ってるな。

こんなセットを作る予算もなさそうだし、ロケだとおもうのだが……

一体どこなんでしょうか??

 

えー、以上です。

服装調査。やってみるとかなり大変です。

誰に頼まれたわけでもないのに、「表」など作り始めるし(笑)――

 

さて、いつまで続くのか。


小津安二郎作品の服装調査 その3「落第はしたけれど」(1930)

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三作品目。初期の傑作。

見れば見るほどすごい作品。

小津作品の原点は「落第はしたけれど」にあり!

と言い切ってしまってよいでしょう。

 

服装調査の前にすさまじい点を簡単にまとめておくと――

①すべてを知り、すべてを支配する女

田中絹代たんが、斎藤達雄のネクタイ(=男根)を完全に支配しております。

さらには「あたしは、何もかも 皆知っているんです」

などというセリフを吐きます。

 

「全知全能」――これが以降、小津作品のヒロインの特徴となります。

代表的なところをみていくと、

「戸田家の兄妹」(1941)S6

高峰三枝子様は、兄の佐分利信に「早くなさい」と命令し、

「ネクタイはどこ?」と聞き、これからのスケジュールを兄に説明します。

 

遺作「秋刀魚の味」(1962)S12

岩下志麻ちゃんも父親・笠智衆にひたすら命令です。

「片付けろ」「遅くなるなら電話をかけろ」

そして家庭内のすべての情報を笠智衆に伝達します。

 

②大きくなったら

 

斎藤達雄が突貫小僧パイセンに……

坊や

大きくなったら

何になるんだい?

 

これは当然

「一人息子」(1936)S86

飯田蝶子の「坊や、でかくなったらなにになるだ」

に受け継がれますし、

「東京物語」(1953)S51

東山千栄子の「勇ちゃん、あんた、大きうなったら何になるん?」

というセリフに受け継がれ、

われわれを号泣させるわけです。

 

③階段

斎藤達雄と田中絹代が座り込む階段……

 

この階段から、「風の中の牝鶏」(1948)S86

田中絹代は佐野周二に突き落とされ……

 

その階段は「晩春」(1949)において

蓮實重彦先生のいう「不在の階段」に進化して――

 

遺作「秋刀魚の味」(1962)のラストで再び姿をあらわします。

もとい。

服装調査です。

 

服飾品中心目線でまとめると 「落第はしたけれど」は――

・斎藤達雄が着たかったスーツを着れなかったはなし

あるいは

・斎藤達雄が田中絹代にスーツを着せてもらうはなし

ということになりそうです。

 

 

 

表からわかることは

・学生ものは「学生服」→「和服」(普段着)→「学生服」……と衣装がころころ変わる。

・ヒロインはあくまで和服。

というところでしょうか。

あとあと見ていきますが、田中絹代S37の「盛装」は――

それまで地味な割烹着姿だっただけに、

「スタア・田中絹代、降臨!」

というような、かなり強烈な印象です。

(1930年当時は、まだ大スターというような存在ではなかったとおもうが)

 

・斎藤達雄

S2

学生服。腕には腕時計。

「時計」はテスト中であることを示してもいます。

 

個人的な感想だが……

斎藤達雄の顔は ちょっと怖めなので↓↓

「若き日」みたいにメガネをかけたほうがいいような気がする。

ちょっと狂気じみた印象なんだよな。

 

S3

教室の外では学帽をかぶります。

律儀です。

が、バラバラのズボンが 彼らが不良であることを示しています。

 

右端。斎藤達雄のとなりにいるのは 横尾泥海男。

「古川ロッパ昭和日記」にたまに出てきたな。

S4

若き日同様、下宿では和服。

ワイシャツにカンニングのメモをひたすら書いている。

 

S15

寝る時の格好。

 

S16

ふたたび登校。

学帽+学生服。

カンニングのためのシャツを

下宿のおかみさんが気を利かせてクリーニングに出してしまったため、

この表情。

 

S17

ふたたび学生服。腕時計。

テスト中です。

 

S23

卒業テストの合格発表をみる斎藤達雄。

学帽が強調されます。

 

S28

ここは下宿にいますので 和服(普段着)なんですが――

足の爪切り、という……

小津の好きなアクションがありますので、細かくみていきます。

 

机の上の和鋏。

タバコは革のシガレットケースに入れる、というディテールも興味深い。

 

無事、卒業できなかったことに絶望している斎藤達雄。

和鋏を首にあてて 自殺の真似事をします。

が、思い直して 足の爪を切り始める。

 

電気スタンドの形状など面白いが……

こういうモダンな形のスタンドはあまり出てこない気がするな。

 

S30

階下では、同級生たちが卒業祝いの食事をしている、という気まずいシチュエーション。

斎藤達雄は (卒業するとおもって)売り払った教科書を買い戻しに行く、といって

風呂敷をとりだす。

 

この風呂敷、という道具。

現代人はすっかり縁遠くなってしまっているので、興味深い。

 

S37

このS37は、「落第はしたけれど」のキモ……中心となるシーンなのですが、

 

その前提として

S34で……

及第生……

大学を卒業できた同級生たちを

うらやましげに見つめる斎藤達雄のショットがありまして――

(右端↑↑ 鳥打帽は笠智衆。笠智衆自身、はじめて役名がついた役がもらえた、といっている作品です)

 

で、S37

本来着るはずだったスーツを見つめる斎藤達雄です。

 

ここらへん、凡百の監督・脚本家ならば

セリフだの心理描写だので説明してしまうところでしょう。

 

脚本は、「若き日」でも組んだ 伏見晃。

「若き日」同様、小道具……服飾品の使い方がうまく、丁寧です。

前作の池田忠雄……池忠みたいな雑なシナリオではないです(笑)

(言わずもがなだが、池忠は「出来ごころ」あたりからいい仕事をするようになる)

 

・カンニングのワイシャツ。

・卒業して着るはずだったスーツ。

・田中絹代の編んでくれたネクタイ。

そういった小道具を使って、実に丁寧におはなしを編んでいきます。

 

腐っている斎藤達雄のもとに

盛装した絹代ちゃんがやってきます。

「お約束のネクタイ やっと出来たわ」

 

にこにこ。

Charming Sinners なる映画のポスターは シナリオでも指定されている。

ということは深い意味があるんだろうが、

よくわからない。

いやがる斎藤達雄にむりやりスーツを着せてしまう絹代ちゃん。

ネクタイ(=男根)をがっちり握っている。

「僕はこのネクタイを貰う資格はないんだ」

「僕は、背広なんか着られる身分じゃないんだ」

セリフもうまい。

あくまで服飾品中心で攻めます。

 

つまり、「実は、不合格だったんだ」「落第したんだ」とかいうセリフは使わないわけです。

勉強になりますね(笑)

 

対角線を使った、端麗な構図。

で、冒頭紹介しました、

全知全能のヒロイン。

S39

で。春休み明け。

ふたたび学校が始まります。

斎藤達雄の顔は明るい。

及第生は、まさしく「大学は出たけれど」で、職がみつからない。

一方、落第生は親の仕送りがあって裕福、というオチ。

 

これは↓↓

「応援団のユニフォーム」とシナリオでは書かれているんですが、

一体どういうモノなのか??

 

スウェットのようにもみえるが、1930年、日本帝国にスウェットみたいなものはあったんですか。

アメリカ合衆国ならありそうだが。

それとも、これはセーターか??

 

笠智衆が 斎藤達雄に学生服を着せてやっている。

無職の連中が、カネのある斎藤達雄をチヤホヤしているというシーン。

 

S43

学生服&学帽。

とにかく無帽ということはありえないことなのかな??

 

S57

で、どの本だったかで、蓮實重彦先生が褒めていた 美しいラストシーン。

応援団のユニフォームです。

左は横尾泥海男。

 

はい。ヒロインをみていきます。

といって、あまり変化はないのですが。

「朗らかに歩め」でカネを使い過ぎた反動か(笑)

 

・田中絹代

S5

絹代ちゃんは喫茶店の娘、という設定。

割烹着です。

 

S10

オカモチをもって 下宿にサンドウィッチを配達。

となりのガキは 突貫小僧パイセン。

 

オカモチの中身。

シナリオによるとコーヒーらしい。

 

疑似・母親、のような描写です。

 

S27

喫茶店での絹代ちゃん。

 

喫茶店のディテールが興味深い。

壁のポスター 「ビクターレコード 若き力の歌」

あと、なんというの? 新聞のラック。

 

あと学帽の対比もおもしろいところ。

不良っぽく崩した斎藤達雄の帽子と

月田一郎のきちんとした学帽。

 

絹代ちゃんは腕時計をしている。

「若き日」の松井潤子も腕時計をしていた。

 

深読みすると……雇われた女の子ではなく、

この店の娘ということを示しているのか?

 

S37

で、例のやつ。

何もかも知っているというところ。

 

S43

さいご。

街頭にて。

このシーンは ロケらしく ワンちゃんやら通行人やらがウロウロしていて

後年の小津作品にはありえないショットで興味深いです。

蒲田……撮影所付近で撮ったのかな?

 

以上です。

 

次回は……初期作品に飽きてきたので

一気に時間を飛ばして 「晩春」あたり見てみようかとおもうのですが、

どうなるかはわかりません。

小津安二郎作品の服装調査 その22a「晩春」(1949)原節子

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現存22作品目。

「晩春」(1949)を調査いたします。

(欠損シーンのある「母を恋はずや」、ドキュメンタリー作品の「鏡獅子」もカウントしています)

 

 

タイトルに「その22a」と書きましたが、

今回は原節子の服装だけをとりあげます。

他のキャストの調査は 次回「その22b」で実施する予定です。

 

 

はじめに服装中心の視点で「晩春」をまとめてしまいますと――

・曾宮紀子(原節子)は

和服で登場し、和服姿(花嫁衣装)で消えていく。

・前半のお気に入りのワンピースは「父の結婚」の話題のあとに消えてしまい

能楽堂のシーン(S62)以降、ツーピースを着ることになる。

 

といったところでしょうか。

能楽堂のシーンが重要な転換点であることはわかっていたが、

そのシーンで、原節子が……

われわれがはじめて見る衣装を着て われわれの目の前に現れる、

ということはまったく気づいていませんでした。

 

まー、その他、新しい発見がいろいろとありました。

掘れば掘るほど、すさまじい作品です。

 

以下、具体的にみていきます。

現在、バッキバキにクリアな修復版が存在するので……

(2015年の「デジタル修復版」というやつ)

そちらをご覧の方も多かろうとおもいますが、

使用する画像はDVDのものです。

(それにしたって「デジタルリマスター修復版」と銘打ってあるのだが)

 

・原節子

S4

北鎌倉、円覚寺にて。お茶会。

小津作品初登場の原節子が……

ジャーン! と和服で登場。

(というか、原節ちゃん松竹の女優さんじゃないし。そういや杉村春子だって初登場じゃないか!)

 

お着物……ですが、

上の表をみていただくとおわかりいただけるように、

和服を着るのは最初と最後、それとS90(浴衣を着て寝るシーン・有名な壺のショットのところ)だけです。

 

初期小津のヒロインたち(川崎弘子、田中絹代たち)が、

ひたすら和服を着ていたのと対照的。

「お茶会」やら「結婚式」やら 和服であることを要求されるイベントでしか

和服は着なくなっている、ということでしょうか。

 

あと気になるのは……

杉村春子との間に交わされる会話がやはり服装関係ということ。

「でも、ブーちゃん、縞のズボン穿いたらおかしかない?」

 

↓↓これはS11

お茶会から帰宅したところ。

笠智衆と宇佐美淳との会話のシーン。

宇佐美に向って

「いいじゃないのぉ……」

と、妙に色っぽく言うところです。

 

全集のシナリオですと、

「セーターに着替えた紀子が出て来る」などという記述がありますが、

プリントはずっとお着物のままです。

 

またこのシーンでも服装関係のセリフが。

「お父さんのカラーも買って来たいし」

 

S14

横須賀線のシーン。

このシーン以降、われわれが目にするのはほとんど 洋服姿の原節子です。

 

ゆったりしたワンピース。

妙にバカでかいバッグ。(←原節子が持つと妙にオシャレだから不思議)

 

ワンピースはボタンが見えないものですが、

最新の「デジタル修復版」で確認すると

金属のスナップボタンで留める構造のようです。

(電車のシーンで金属パーツがかすかにみえる。ホックかもしれないけど)

 

またDVDだと

左腕に光るものが、ブレスレットだか腕時計だかよくわからないのですが、

バッキバキ画質のブルーレイで見ますと

これは腕時計だとわかりました。

 

ということはつまり、初期作品の松井潤子、田中絹代同様で……

「小津作品のヒロインは腕時計をしている確率が高い」

という法則があるのかもしれません。

(つまり、中流・上流階級のお嬢さんであること)

 

これはS21 銀座のシーン

手前は笠智衆の親友という設定の三島雅夫。

ここも会話が服装関係。

「あたし、ミシンの針買いたいんだけど」

 

おなじシーン↓↓

うしろからみたところ。

サンダルを履いていることがわかります。

 

S28

宇佐美淳との自転車デートのシーン。

パフスリーブのセーター。

下着がうっすら透けてみえますが、下品ということはない(?)

この「透け透け」は、小津安っさんの好みらしく、

遺作「秋刀魚の味」の岩下志麻ちゃんも「透け透け」です。

 

ここは……改めて見まして……

「自転車」という小道具といい、原節ちゃんの胸のボインボインといい……

こんなにセクシャルなシーンだったっけ……

と、圧倒されました。

BGMが妙にかわいいんですけどね。

 

下はセーラーパンツでしょうか。

靴はよくわからない。

ブルーレイでみてもよくわかりません。

 

S34

この……S32~S37は、「カット」「カット」「カット」――完璧にデザインされた短いカットを完璧なタイミングでつなげて

完璧なシーンを作り出す……

本当に魔法のような時間が流れるんですが……

まあ、そのあたりは 何年か前、当ブログで「晩春のすべて」という記事を何回か書きましたので

それをご覧いただくとして……

 

服装ですね。

自転車デートと一緒のセーターですが、

スカートを履いています。

そしてエプロン。

まるで若奥様のような雰囲気。

 

これから、笠智衆の着替えがはじまりますから、もろに服装関係のシーンといえます。

笠智衆の

「帯……」

という服装関係のセリフもあります。

 

白ソックス。

ブルーレイで確認すると、三つ折りにして履いているようです。

なんでそんなことにこだわるかというと、

「晩春」全体に「3」「三」がやけに姿をみせるからです。

 

S9、電灯屋さんのいう「三キロ超過です」のセリフ。

S47 月丘夢路が口にする謎のセリフ「三河島第一班」

S100 月丘夢路は「これで三杯目よ」という。

S102 机の上の三つのリンゴ。

その他、やけに「三角形」が登場する作品です。

S62 能楽堂のシーンは「三角関係」を表現していますし、

そもそも「三」宅邦子の役名は「三」輪秋子です。

 

な、わけで、

ここは三つ折りソックスじゃないと困るわけです(笑)

 

S39

喫茶店のシーン。

S14で登場したゆったりしたワンピース。

 

自転車デートのシーンもそうでしたが、

宇佐美淳との会話は食べ物関係が多い。

もちろん「食べる」と「性」との関係を考えてよいでしょう。

 

原節子-宇佐美淳の関係は、はっきりとは描かれないわけですが、

こういう……

「有り得たかもしれない未来」

「失ってしまった未来」

というのは初期小津から一貫して登場しますね。

 

それは前回紹介した「落第はしたけれど」だと

「無事、卒業した未来」

にあたりますし、

「晩春」だと 「服部さん(宇佐美淳)と結婚した未来」ということになるでしょう。

 

S42

アンニュイな雰囲気のシーン。

例のバカでかいバッグを抱えています。

 

シナリオには「黄昏の丸の内の舗道」とあります。

セットともみえないので ロケ撮影でしょうか。

 

「晩春」前半はニコニコ歯を見せて笑っている原節子ばかり目にするので、

われわれはここではじめて 冷たい無表情な彼女を目にするわけです。

「晩春」後半は、ご存知のように 無表情なシーンが連続するので

その準備として、このS42は効いてますね。

 

S45 帰宅すると 親友のアヤちゃん(月丘夢路)がいます。

また、歯を見せて笑ってる。

S39からすっと同じ服装なので、表には書きませんでしたが、ここでは紹介します。

こういうゆったりめのデザインが流行っていたのか、単に小津の好みなのか?

 

で、S47 原節子の部屋で 月丘夢路との会話があるわけですが、

ここは「お腹すいちゃった」「あたしだけ食べる」等々、食べ物の会話と

誰が嫁に行った、妊娠した、子供が何人いる、という「性」の話題。

上述しましたように、「食べる」行為と「性」は親和性があるわけです。

 

S50

甥っ子のブーちゃんと。

ここも同じワンピース。

このあたり、ずっと同じ服装が続きます。

 

例の大きなバッグを持ってます。

 

で、叔母の杉村春子から、

父親の結婚の話題が出て――以降、

原節子はむっつり無表情が目立ち始めます。

 

S56

父親と顔を合わせたくないので外出。

例のバカでかいバッグではなく買い物かごを持っています。

 

S57

これは下駄? なのかな?

音からすると下駄のような感じ。

というと、ストッキングを自分の部屋で脱いだ、ということなのか?

 

なにを履いているのか、ブルーレイで確認しましたが、

2015年のデジタル修復版でもわかりませんでした。

 

もとい、

われわれがこのワンピースを目にするのはこれで最後。

 

まるで……

このワンピースと一緒に 曾宮紀子(原節子)の少女時代はどこかへ消えてしまったかのようです。

 

S62

で、能楽堂のシーン。新しい衣装の登場です。

かわいい……二重襟というんでしょうか?

スーツ。

モノクロなので、もちろん色はわかりませんが、

水色とかピンクとかパステルカラーでしょうかね??

 

わたくし、今まで

「ここでガラッと衣装が変わる」なんてことは意識してなかったですが、

無意識のうちには感じていたのかもしれない。

 

というか、小津の意図は必ず込められているでしょう。

この衣装には。

 

S63

帰り道。

バッグも靴も変わります。

 

まとめてみますと――

・ワンピース→ツーピース

・バカでかいバッグ→小さな革のバッグ

・サンダル→白い靴

という具合で、

繰り返しますが、S62を境に 原節ちゃんの衣装がガラッと変わるわけです。

 

そして――

こんな冷たい表情で、父(笠智衆)を見つめます。

ボタンが「3」つというあたりも注目していただきたい。

 

 

S67

笠智衆が「多喜川でご飯でも食べて帰ろうか」というのを冷たく断った原節ちゃん。

月丘夢路の家……豪邸へ向かいます。

スリッパをはいています。

 

(ちなみに、小津作品において 「食べる」行為は家族同士、もしくは将来結ばれる男女、だけが行なう聖なる行為です。

この「晩春」においても 親友同士である原節子-月丘夢路は 一緒に紅茶を「飲む」ことはあっても

ショートケーキを一緒に「食べる」ことはしません)

 

豪邸にはウェストミンスターチャイムの時計があるという法則。

このあとS68で 原節ちゃんがステノグラファーになる(つまり勤めに出る)とかなんとかいう話題が出ますが、

けっきょくアヤちゃん(月丘夢路)とは、ケンカして帰宅します。

 

S70

さきほどS63で登場した白い靴がまた登場します。

 

S71

で、お見合いの話が父の口から飛び出します。

 

またこんな顔。

着替えシーン……というか、超高速でこのセーター姿になります。

あと……これは前々から気になっていた白いスーツが……↓↓

 

↓↓これ。

ステノグラファー……勤めに出るために、彼女が作ったワンピースなのかな?

と以前は思っていたのですが、

(どうもオープニングのお茶会のシーンの会話から、彼女が洋裁が得意らしいとわかる)

 

これが、京都、清水寺のシーンにも出て来るんですよね。

それは今まで意識してなかった。

 

もとい、

例のパフスリーブのセーターで、

笠智衆に向って 「そのお話、お断り出来ないの?」

 

笠智衆の和服姿との対比。

それと小津の好きな「透け透け」

 

S75

ふたたび北川邸。

お見合いの後。

 

笠智衆が奥さん(三宅邦子)をもらうという話で、

号泣していた原節子が、

カラッと笑顔です。

 

相当に、お見合いの相手(佐竹熊太郎)はいい人だったらしい。

 

このS75・S76は――

原節子・月丘夢路の会話といい、笠智衆・杉村春子の会話といい、

まるで落語の世界みたいで楽しいのですが、

S75

紀子「叔母さんはゲーリー・クーパーに似てるって言うんだけど……」

アヤ「じゃ凄いじゃないの」

紀子「でも、あたしはうちにくる電気屋さんに似てると思うの」

アヤ「その電気屋さんクーパーに似てる?」

紀子「うん、とてもよく似てるわ」

アヤ「じゃその人とクーパーと似てるんじゃないの! 何さ!」

S76

まさ「あたし、なんて呼んだらいいの? 熊太郎さァんなんて、まるで山賊呼んでるみたいだし、熊さんて言や八さんみたいだし、だからって、熊ちゃんとも呼べないじゃないの?」

周吉「うむ。でも、なんとかいって呼ばなきゃ仕様がないだろう」

まさ「そうなのよ、だからあたし、クーちゃんて言おうと思ってるんだけど……」

周吉「クーちゃん?」

 

「クー」「クー」「クー」……この音の連続。

もちろん、「食う」なわけです。

今まで散々書いてきましたが、「食う」行為は性行為と密接な関係があるわけです。

これはもう、結婚するより他ないわけです。

 

S78

杉村春子が、お見合いの返事を訊きに来ます。

 

これも↓↓ 例の二重襟のスーツからセーターへ超高速で着替えたあと。

 

二重襟の右側にあるのは

前半よく登場していたバカでかいバッグ↓↓

これは見逃していた。

 

後半になってぱったり姿を見せなくなったアイテムがこんなところに姿をみせます。

 

あと……S71のあの白いスーツがありません。

これは 勤めに出るのはやめて例の「クーちゃん」の奥さんになることを決心したことを示している……

 

……のだろう、とはかつて思っていたのですが、

上述の通り、これが清水寺のシーンに登場するから、事態はそう簡単ではないのかもしれない。

 

原節子を追いかけまわす杉村春子。

原節子はスーツをブラッシングしてます。

 

で、S82

周吉「だけど、お前、あきらめて行くんじゃないだろうね?」

紀子(冷たく)「ええ……」

周吉「いやいや行くんじゃないんだね?」

紀子(腹立たしげに)「そうじゃないわ」

というくだり↓↓

 

「行く」は 「お嫁に行く」わけですが、

「性的絶頂」も意味しますし、

それは「死」をも意味しています。

 

S84

京都のシーン。

またまた打って変わってニコニコの原節子。

お父さんと仲良しの原節子。

後半は、この 「無表情」→「ニコニコ」→「無表情」→「ニコニコ」の運動がおもしろい。

 

白いブラウスに純白のスカート。

以下、このブラウス、白くみえないシーンもあるんですが、

このブラウスはたぶん、S93の白いブラウスを同じ物だとおもうんだよな……

デジタル修復版を見返してみましたが……

「たぶん、そうだ」としか言えない。

 

厚田雄春さんが 「小津安二郎物語」で

白いブラウスの撮影がすごい難しいというようなことを言ってたのは、このあたりの事情か?

 

三島雅夫に向ってニコニコしている原節ちゃん。

「鏡」という小道具が有効に使われています。

 

・鎌倉―京都

・笠智衆(東大教授の設定)―三島雅夫(京大教授の設定)

三島雅夫にもやはり美佐子さんというお嬢さんがいるわけで

この二組の 父―子 は鏡像関係にあるわけです。

 

当然、曾宮紀子(原節子)の二面性・葛藤もあらわしているでしょう。

 

微妙にカメラ位置を変える。

仕事が細かい。

 

背中で……やっぱりスナップボタンかなにかでとめるタイプなのかな、このブラウスは。

で、例の腕時計をしています。

 

S88

これが 例の白いスーツじゃないか、とおもうわけですよ。

 

だが、まあ、今まで

三島雅夫をはさんでの見事な鏡像関係にばかり目が行っていて↓↓

気づかなかったのは迂闊です。

 

左、美佐子さん(桂木洋子)

右、紀子(原節子)

……なわけですが、

 

美佐子さんが、ワンピース&サンダル、という 「晩春」前半の原節子によく似た服装というのはおもしろい。

原節子は、例の……能楽堂からの帰りのシーンから履き始めた 白い靴です。

 

繰り返しになるが、これね↓↓

んー、いろいろとおもしろい謎

おもしろいディテールを用意してくれております。

 

今まで何度書いてきたことですが、

小津安っさんは、どう考えても ビデオの時代を予測していたんじゃないか? としかおもえない。

自分の作品が「オタク」的に鑑賞される未来が来ることを予測していたんじゃないのか??

 

えー↓↓

これは本題とは関係ないですが、気になったところなので……

 

小津安二郎という人は、映画監督には珍しく、ロリコン趣味のない人ですが(笑)

(十代の少女のキャラクターは非常に印象が薄い)

少女の大群

というのは、たまに出て来るな。などとおもいました。

(「秋日和」の伊香保の旅館のシーンとか)

 

小津にとっては 十代の女の子というのは得体のしれないモンスターだったのかな?

などとふとおもったりしました。

S90

浴衣のシーン。

 

このカットの笠智衆は ハッとするほど小津安二郎その人に似て見えるのだが……

最新のデジタル修復版でみても、やっぱり似て見える。

 

で、例の「壺のショット」へ繋げます。

 

……し、「東京物語」の東山千栄子と一緒に寝るシーンへも繋がるでしょう。

S93

純白ブラウス。

京都の最後の夜。

S84と同じ服装、だと思うんですよね。

 

色が違って見えるのは照明のせいだ、としておきましょうか。

以下……キャメラの厚田さんが、「東京物語」のはなしをしているんですが、

 

厚田:部屋の明りの基準は、ロングに引いたときに決めとくわけです。そいで、バストぐらいに近づいたときの違いは、人物ライトで調整します。ものによりますが、ロングというと、うんと引くときは20フィートから40フィートぐらい、バスト・ショットで6フィートから7フィート。で、たとえば笠さんと東山さんだったら、まあいいわけです。ところが原さんは白いブラウス着ていますね。御承知のように、小津さんはいろいろ紋様があるものより、単純に白いブラウスのようなものがお好きだ。その白いやつが大変むつかしいんですよ。そっちに合わせたんじゃあ画調がこわれちゃいますから、顔本位でいくわけですが、それには照明を変えなきゃならないんです。だから、そのつど戸外のライティングと中の人物の顔のライティングとを調和させてゆく。そうじゃないと、編集でつないだときの二人のバスト・ショットの画調が狂っちゃうわけです。

(筑摩書房、厚田雄春/蓮實重彦「小津安二郎物語」214ページより)

 

その白いやつが大変むつかしいんですよ。

だそうです。

 

はじめはニコニコだった原節ちゃんが……

 

無表情に。

なんだかこの1シーンに 「晩春」のすべてが込められているかのようです。

 

このシークエンスの原節ちゃんは本当にキレイです。

「白」と「黒」の対比。

モノクロは美しい。

で、ようやく最後。

S97

花嫁衣裳です。

 

個人的には……このシーンは

チョウの羽化をみているかのような気がします。

 

さなぎからチョウへ。

 

で、一瞬 父―娘の手が触れ合う↓↓

 

原節子と笠智衆の 肉体的・物理的な接触というのは、

唯一、このカットだけではないかな??

 

違いますかね?

 

原節子編は以上です。

んーー……初期作品に比べて、ものすごく大変です。

とにかく情報量がものすごいのだな、ということだけはわかります。

小津安二郎作品の服装調査 その22b「晩春」(1949)笠智衆ほか

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「晩春」(1949)服装調査・後編です。

笠智衆

杉村春子

宇佐美淳

三宅邦子

月丘夢路

の服装を調査いたします。

 

表に関して、追加で説明しますと、

・笠智衆の服装の変化は多いです。

ただし初期作品の主人公(学生たち)のように 洋服(外の世界)→和服(普段着)の変化ばかりで

服のバリエーション自体は多くはありません。

また、表のS95 S101 S102 などはすべて結婚式用のモーニング姿です。

帽子をかぶったり、上衣を脱いだりという小さな変化だけです。

・同様に、杉村春子の S74 S76 S81も同じ着物で、

草履を脱いだり、風呂敷包みを抱えたりという小さな変化だけです。

 

以下、キャストごとにみていきたいとおもいます。

・笠智衆

S9

笠智衆は東大教授という設定。

自宅で原稿の清書をしています。

和服。

メガネをかけていますが、老眼鏡でしょうか。

(モノを読んだり書いたりする時にかけているので)

 

弟子の宇佐美淳のほうはスーツ姿です。

 

「晩春」以降、小津は 若い男性主人公をあまり描かなくなっていきますが、

和服(普段着)→洋服(外出時) というリズム自体は

初期作品の若い男性主人公と一緒です。

 

S14

出勤時の服装。

スーツにきちんと中折れ帽をかぶっています。

 

S26

自宅にいますので和服(普段着)

小料理屋「多喜川」で忘れた手袋が戻って来たところ。

 

やはり「手袋」はお気に入りの小道具のようです。

 

S31

東京にある妹の家を訪問。

洋服……スーツ姿です。

S14のスーツと同じかな??

 

ネクタイの柄、

このあとの能楽堂のシーンのネクタイと一緒です。

あまり服装にはこだわらない人物と描かれていますので、

普段はこれ一本なのか?

同じ柄が何本かあるのか?

 

で、帰宅。

S34

小津作品お決まりのお着替えシーン。

 

唐紙やら家具やらを使った鮮やかな着替えです。

 

何度見ても感心してしまう。

 

S37

で、着替え完了。

和服になります。

 

S43

老眼鏡をかけて新聞を読んでいる。

と、月丘夢路が原節子をたずねてくる。

 

S45

老眼鏡をとったところ。

 

月丘夢路との会話。

 

S55↓↓

これは、とくに服装がかわったわけではないので表には書いてないですが、

足の爪切り。

和挟での爪切り、相変わらずやってますね。

 

S62

能楽堂のシーン。

前回書きましたように、原節ちゃんの服装はガラッと変わります。

おそらくそれを引き立てるためもあってか、

笠智衆はいつものスーツ。

 

上述の通り、

S31とおなじ柄のネクタイです。

 

S63

中折れ帽にステッキ。

 

原節子とのカットバックのところ。

 

S71

和服。

とにかく スーツ→和服→スーツ→和服 の繰り返し。

能を見に行く、というような特別なイベントであっても、いつものスーツを着ていきます。

 

まあ、社会全体がまだまだ敗戦のダメージから回復していない状況ということもあるのでしょうが、

この曾宮周吉という人のキャラクターでもあるのでしょう。

 

・外出時はかならず洋服(スーツもしくはワイシャツ&カーディガン、帽子、ステッキ)

・自宅にいる時は和服を着て、端然と座っている。

という確固としたルールのある、明治生まれのインテリ、というキャラクター。

 

お見合いの話を切り出すところ。

原節ちゃんとの対比。

S74

鶴岡八幡宮のシーン。

外出時はとにかく洋服、というルール。

ステッキ、下駄という組み合わせがおもしろい。

 

あと小津安っさんは「カーディガン」が好きですね。

 

真正面からのバスト・ショット。

 

S76

で、帰宅すれば律儀に和服です。

 

 

 

で、京都旅行。

S84

S74と同じカーディガン。

スラックスも同じものか。

 

寝台列車で京都に朝到着したところ、という設定です。

電車の中で寝て、起きて

寝起きの歯磨きを、旅館でしている、というわけ。

このあたりは現代人にはわかりにくい。

 

ここも、まあ、メインは純白スカートの原節子ですから、

笠智衆はできるだけ目立たないような格好です↓↓

 

シャツは鶴岡八幡宮のシーンとは別のモノか?

 

S88

清水寺のシーン。

律儀にスーツを着て 中折れ帽&ステッキ。

 

左の和服姿の婦人は坪内美子。

坪内美子はスクリーン上では和服しか着ない人であるらしい。

当然、ここでも和服。

……そのくせ、この人は

お酒に酔うとまわりの人をつねったり引っぱたいたりするクセがあるとか(笑)

(「小津安二郎・人と仕事」に書いてあった)

 

S90

寝間着姿。

目を細めたところが小津その人にそっくり。

 

原節子とのカットバックのところ。

ヘビースモーカーですな。

S91

竜安寺のシーン。

スーツ姿。

かたわらに帽子を置いて。

 

S93

再びカーディガン姿。

 

ここは……原節ちゃんが

「このままお父さんといたいの……」

などといってゴネる、この作品のクライマックスですから……

 

笠智衆の衣装のザラっとしたテクスチャーと↑↑

原節子の純白ブラウスのツルっとしたテクスチャーの↓↓

 

対比。というのも非常に効いているでしょう。

こんなことは今まで気づきませんでした。

S95

結婚式の朝。

礼装。モーニングです。

バスト・ショット。

手持ちの本だと、モーニングの時のネクタイは

シルバー主体の縞柄にすべし、とありますが、

そのルール通りではない。

 

もちろん全体の画調を考えたうえで このネクタイなのでしょう↓↓

銀色のピカピカは、確かにこの作品のイメージではない。

カラー作品だったらありだったかもしれないが。

 

杉村春子も礼装。

S97

花嫁姿の原節ちゃんと。

S100

多喜川にて、えんえん同じ格好。

式が終わったんだから、

上衣など脱げばいいのに、とも思うが。

 

うしろからみたところ。

凝ったセットです。

 

S101

帽子をかぶっています。

いつもの帽子かな?

本来の西洋のルールに従うと モーニングの時の帽子は、黒のシルクハットである由。

 

S102

コートを壁にかける。

 

ようやくモーニングの上衣を脱ぐ。

 

で、リンゴのシーン。

これで笠智衆の調査は終了。

 

お次。

・杉村春子

S4

この人は、まるで初期小津作品のヒロインのように、えんえん和服です。

あまり和服を着ない原節子と好対照です。

(このことは三宅邦子にもあてはまる)

 

バスト・ショット

 

S31

普段着も和服。

 

こんな柄です。

和装に関しては説明能力なし。

 

S50

これは、S31と同じ格好だとおもうのだが、

バスト・ショットになると

なんとなく、半襟のところが違うような気もする。

あるいは照明の当たり具体によるのか?

S74

鶴岡八幡宮のシーン。

 

新しく見る縞の着物。

 

S76

草履を脱いで……

S81

また草履をはいて、

風呂敷包みをもって帰宅。

 

で、さいご

S96

礼装。

 

 

 

・宇佐美淳

S9

スーツ。

この人はえんえん洋服です。

「服部さん」は、

世代的に言うと、戦場を経験してきた世代……

当時。「アプレ・ゲール」などと言われていた世代でしょうか。

 

小津好みの 彫刻的な横顔ではないかな。

 

S28

自転車デートのシーン。

小津安っさんはやはりカーディガンが好き。

 

S39

喫茶店のシーン。

スーツです。

 

原節子とのカットバック。

ランプシェードというのも好きだね。

 

S60

スーツ姿。

S39と同じ格好なのかもしれないが、

ロングのショットしかないのでよくわからない。

 

この突き放したような表現というのも、

「服部さん」が結婚してしまった、というのをうまく表している。

 

S61

写真の中の宇佐美淳。

モーニング? でしょうか?

男性は洋装。女性(お嫁さん)は和装。

これを特に不自然におもわないのが日本文化。

 

「写真」になってしまう、ということは、小津作品において 一種「死」を意味しているようでもあります。

(「東京暮色」の有馬ネコちゃんがそうですし、「長屋紳士録」の写真館のシーンもそうです。「戸田家の兄妹」のオープニングもそうか)

 

S95

おもしろいのはここで……

ラストの宇佐美淳は、なんだかS61の写真から そのまんま抜け出てきたかのような印象です。

 

はい。お次。

・三宅邦子

S4

「晩春」の三宅邦子は登場回数は少ないし、

セリフはほとんどないし、

けれど、本当にキレイです。

 

この人も杉村春子同様、和服オンリーです。

 

S51

ここが唯一セリフがあるところかな。

女優さんとしては「おいしい役」ですね。

苦労してないのに、目立つ、という。

 

S62

能楽堂のシーン。

 

ここも、なんというか、大人の色気ムンムンといった感じで、

原節ちゃんの「紀子」が嫉妬するのもムリはない、という印象。

 

ようやく服装調査さいごです。

・月丘夢路

S45

この人は洋服しか着ない、というキャラクター。

初期小津作品のモダン・ガアル達の正当な後継者といったところか。

 

なにやらピカピカ華やかな生き物が降臨してきた、という印象。

小さな革のバッグ。

同時期の原節子は、例のバカでかいバッグを使ってました。

 

で、これは 明らかにミスなんですが……

こんなミスは今まで気づかなかった。

(たぶん有名なんだろうが)

 

S47

突然ブレスレットをしています↓↓

 

まあ、ミスではないとすると、階段をあがる途中に、

急に思いついて ブレスレットをはめた、ということになります。

S67

自宅にて。

エプロン。

 

エプロンを取ったところ。

女性でもやっぱりカーディガンを着せたがる。

 

ここらへんの、なんというか身のこなしは ザ・宝塚、という感じ。

舞台でも見てるかのように颯爽としている。

こういう月丘夢路の身のこなしは原節子には全然みられない部分。

(原節ちゃんがいいとか、悪いとかいう意味ではなく)

 

S68

表にはないですが、

このシーン……

東郷青児の絵をバックにした、このショットは好きなので載せておきます。

 

原節子の「紀子」と釣り合いをとることを考えると――

やっぱり月丘夢路、淡島千景あたりを持って来るしかなかったでしょう。

 

S75

別の柄のブラウスの登場。

水玉柄かな?

背中にボタンがあります。

女中のふみやに留めてもらうのかな。

 

前々回の……「落第はしたけれど」の分析で、

小津作品のヒロインは全知全能である、というようなことを書きましたが、

このシーンの月丘夢路が原節子に伝えるのも……

 

アヤ「平気よ。平気々々イ。とにかく行ってみるのよ。で、ニッコリ笑ってやンのよ。すると旦那様きっと惚れてくるから、そしたらチョコッとお尻の下に敷いてやンのよ」

と、いかに男性を支配するか? という内容です。

 

ここで気になるのは――

「晩春」でしきりに登場する聖なる数 「3」です。

 

あと――手の指がとんでもなくキレイ。

 

S100

多喜川のシーン。

ドレス姿です。

 

左手の薬指に指輪が見えるのが謎。

これもミスか?

月丘夢路に関してはミスが多い。なにか理由があるのかな。

 

 

こんな顔で笠智衆をみつめて

キス。

そして重要なセリフ。

アヤ「おしまい」(と盃を伏せる)

 

「晩春」という作品の「おしまい」を告げるのは月丘夢路なのです。

 

聖なる数「3」

笠智衆へのキス

「おしまい」というセリフ

 

どうみても月丘夢路は

笠智衆の亡くなった妻、原節子の亡くなった母

その女性によく似ている女性なんだろうとおもわざるをえません。

 

以上、「晩春」(1949)の服装調査でした。

小津安二郎作品の服装調査 その4「その夜の妻」(1930)岡田時彦・八雲恵美子

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「晩春」の調査終りまして、

再び 初期作品に戻ります。

 

小津の最盛期の……

あまりに精緻で、精密で、

あまりに繊細で、それでいて巨大な怪物的作品から、

こういう初期作品に戻ると、なんというか、落ち着くというか、

小津安っさんも若い頃があったのだな、とおもいます。

 

それにしたって、とても精緻に スタイリッシュに組まれた作品です――「その夜の妻」

(雑でもすごい作品、というのも当然ありえますが)

 

 

たった一晩の出来事を扱っているだけに

登場人物は基本、着替えません。

帽子を脱いだり、かぶったりという動作だけです。

特筆すべきは「ピストル」という小道具でしょうか。

しかも着物美女の八雲恵美子が 両手にピストルを構えたりします。

 

さて、人物ごとに見ていきます。

 

・岡田時彦

S12

えー

銀行強盗の格好です。

覆面してピストル持ってます。

 

岡田時彦は当時の大スタアです。

岡田茉莉子さんのお父さんです。

 

S16 別アングルから↓↓

こういうシチュエーションでも律儀に帽子をかぶります。

 

数年前にこの格好だと「ン!?」という感じでしょうが、

武漢肺炎パンデミックの今、「変わったマスクだね」で済んでしまいそうなのが怖い。

 

S18

覆面を外します。

 

えー、以下、

短い映画で 服装だけでは記事の内容が薄くなるため、

個人的に気になったディテールも見ていきます。

 

まず、電話機。

S48↓↓

医者役の斎藤達雄。

この人は脇役の方がいいな。

なんかクセが強いんだよな。

演技もワンパターンだし。

実際、この作品以降、小津作品の主人公は岡田時彦に移行していきます。

 

しかし、こういう卓上の電話機というのは高価なものだったのではないか。

S49

一方、「自動電話」で通話している岡田時彦です。

当時「公衆電話」とはいわず、「自動電話」といったようです。

(というか、なにが「自動」なんですか? 発電する必要がない、ということか?)

 

また、アップなのでネクタイの柄もよくわかります。

斜めストライプ、そういや「晩春」の笠智衆がモーニングにこんなネクタイでしたので、

小津安っさん、こういうのが好きなのかもしれません。

 

自動電話のボックス↓↓

ずいぶんおしゃれなシロモノです。

 

海野十三「深夜の市長」(1936)で

「公衆電話箱」とか「電話函」とか書いてあったのがこれだろう。

小津安二郎全集所収の「その夜の妻」のシナリオでは

「自動電話のボックス」と書いてある。

 

アップ↓↓

 

アールデコ好きにはたまらんデザインでしょう。

しかし、なぜここまで凝る必要があるのだろうか?

電話の上の額にはいった文章? は何なのか?

使用方法のマニュアルにしては長くないか?

いろいろ謎のディテールが多いです。

 

つづいて「円タク」です。

当時の文献にはよく出て来るシロモノですが、

 

S56↓↓

どうもこんなカードというかプレートというか、を フロントガラスのところにぶら下げていたらしい。

お客さんが乗ると、このプレートをはずす。

 

S58

円タクの中でタバコを吸う岡田時彦。

 

そのタバコの灰、および箱を 何食わぬ顔でクルマの床に捨てます。

これが当時一般的であったのか?

それとも 

こういうだらしないヤツだから強盗なんかするんだ

ということなのか?

(小津の登場人物は、かなりきちんとした生活習慣の人が多い)

 

あと、はいている靴がよくわかります。

 

S61

お客が降りて 運転手がまたプレートをつけます。

左側は「郡部メータ制」と書いてあるのかな?

 

この運転手(山本冬郷)が実は刑事だった、ということなんですけどね。

 

S66

やっと着替えシーン(笑)

ふたたび服装の話題です。

 

帽子を脱ぎ捨てる岡田時彦。

 

脱ぎ捨てられた帽子が机の上に。

ここらへんも 小津作品の一般的な標準からすると

だらしないんだよな……

 

ただ、この帽子を部屋にやって来た山本冬郷が見とがめる、という伏線があるので

こうせざるを得なかったという気もする。

 

「この作品はだらしない」とかいうことではなくて、

なぜ、岡田時彦のキャラクターがここまでだらしないのか?

という疑問を書いております。

 

帽子を脱いだところ。

 

S67

病気の娘をみつめる岡田時彦。

左、八雲恵美子。

 

今回改めて見ておもったのは、

八雲恵美子、かなり小柄だな、ということです。

もっとすらっと背の高いイメージを勝手に持ってましたが。

 

引き続きS67

ネクタイをほどく。

 

で、ほどきっぱなし。

で、以降、このまんま。

 

やっぱし、

この作品の岡田時彦はだらしないです。

(ただ、後述するように、これも深い理由はあるとおもう)

 

ジャケットを脱ぎます。

サスペンダーがなんかカッコいいんだよな。

当時の写真を見ると、小津安っさん自身もサスペンダーをしている。

 

八雲恵美子とのカットバック。

まあ、例の定石無視のカットバックですね。

 

手にしているのは大量の現金。

 

誰かに似てる、とおもったのだが、

戸次重幸さんに似てないか?

それとも、私が最近 CSで毎日のように「おにぎりあたためますか」を見ているせいですか??

シゲさん、こういう表情しません?↓↓

 

で、ジャケットからピストルを取りだすシゲちゃん……ではなくて、岡田時彦。

 

コルトのオートマチック? でしょうかね?

 

疑問なのは……

ピストルを売れば、娘の医療費は払えたのでは?

ということなんですが、

 

S67に

「おれ達の仲間はみんな貧乏人だ。何処へ行ったって貸してくれる奴はありゃしねえ」

などというセリフがあり、

この部屋の様子から判断するに、

岡田時彦はプロレタリアート美術の画家なんじゃなかろうか?

(若き日のクロサワみたいに)

という気がします。

で、ピストルも彼個人の所有物ではなく、グループの所有物なんじゃないか? という気がします。

 

ついでに言うと、

この作品の岡田時彦のだらしなさ、というのも

彼が社会主義だか共産主義だかにかぶれているという描写なのかもしれないな、

と僕は思っております。

 

えー

一気にシーンが飛びます。

 

S91

ふたたび帽子をとる岡田時彦。

 

ご覧になっていない方は何が何だかわからないでしょうが。

部屋にやって来た刑事(例の山本冬郷)が寝てしまったので

今のうちに逃げてしまおう、というところ。

 

S93

律儀に帽子をかぶる。

終始だらしないが、このあたりはさすが(?)戦前のニッポン人。

 

ジャケットも着ます。

八雲恵美子を見上げる。

 

見下ろす八雲恵美子。

ヘンな感傷的な演技をさせないあたり、さすが小津安っさん。

例によって、まったく視線は合わないし。

 

ん、だが、

逃げたと思ったら

まだいます、戸次重幸。

じゃなかった、岡田時彦。

 

S94↓↓ なんだかファッション雑誌の一カットのようです。

曰く

「おれはもう逃げるなんて言う

馬鹿な考えは捨てちまったよ」

 

S95

室内に入れば、律儀に帽子をとる。

 

娘を見つめる。

 

背景のキリル文字。

「絞首刑」を示すかのようなロープ。

(もちろん彼の犯罪はそんな重罪ではないだろうが、このまま逃亡して殺人など犯したら……ということ)

後年の小津作品からみると、あざとすぎるような背景ではあります。

 

「子供の眼が覚めない間にお伴をさせて頂きます」

 

で、再び帽子をかぶる。

あ、絵筆が見えますね。「テエブル」の上に。

 

S98

刑事の山本冬郷は タバコをきちんと「シガレツトケエス」に入れているんですよね。

金属製のしゃれたシガレットケースです。

「落第はしたけれど」の斎藤達雄もきちんと革のケースを使っていた。

 

それを紙の箱のままの岡田時彦はやっぱりだらしないのだ。

やはり 小津安っさんの 「アカ」に対するイメージというのがよくわかる。

つまり、

「アカ」=「だらしない」「スタイリッシュではない」

なのだろう。

(だらしなくても、岡田時彦はかっこいいんですけどね)

 

この二人の組み合わせ、いいな。

さいご。

この八雲恵美子&市村美津子のショットは美しすぎるから載せておきます。

S103 聖母子像ですね。

窓枠、という「額」におさまってますし。

 

つぎ。

ヒロインの服装調査です。

・八雲恵美子

S26

 

着物にエプロンというスタイル。

 

洋室ですので……

 

スリッパをはいています。

 

医者の斎藤達雄が娘の様子をみています。

 

ベッドのあたり、楕円形の額にはいった絵? らしきものがみえます。

楕円、というとどうしてもエルンスト・ルビッチを思い出すんですが。

 

八雲恵美子。本当にキレイです。

だが、キレイなだけでは大スタアにはなれないのですね。

田中絹代が持っているような、万人受けする愛嬌というか、

パッと明るいイメージはこの人にはないなあ。

でも……当時の松竹の女優陣では一番の美人でしょう。

 

あと、気になるのは……久生十蘭の「魔都」(1938)

 この婦人は村雲笑子(むらくもえみこ)といって四、五年前まではそうとうに鳴らした映画女優だったがあんがい眼先のきくところがあって、映画会社の重役をのっぴきならぬ関係に嵌め込み、人気のほかは収入(みいり)もない映画女優などは後足で砂をかけ、土橋に近い銀座裏のある町角に「巴里」という秘密めかしいバーを出させてその女将におさまり、この二、三年のうちにもう十万は溜めこんだろうという評判のある才色兼備の婦人。

(教養文庫、久生十蘭著「魔都」9ページより)

 

この「村雲笑子」は、八雲恵美子をモデルにしてるのでは?? とかおもってしまうのは……

「銀座細見」(1931)に、こんな記述があるからで。

 

名流カフェ

変な名のつけようだけれど、つまり他の事で世間的に有名になっている人が、カフエを経営して、その有名カフエの人気に転換しようと試みる店のことである。これには俳優が多い。まず沢正の先妻渡瀬淳子のジュンバー、水谷八重子のメーゾン・ヤエ、佐々木清野のバア・キヨノ、八雲恵美子のバア・スワロオ、花柳はるみのサンチャゴ、などの類である。

(中公文庫、安藤更生著「銀座細見」114-115ページより)

じっさいに「バア・スワロオ」なるものをやっていたらしいのです。

あと、引用はしませんが、

教養文庫「日本映画俳優全史 女優篇」では 本名は「笑子」である、とか

新橋で「八雲」というバーを経営していたが、戦後、なくなった、とか、書いてある。

(ただ、この本の情報は誤りが多い気がする)

 

なので……八雲恵美子も「魔都」の村雲笑子同様、なにやらダークサイドの連中とつながりがあったのだろうか??

などとおもうが、よくわからない。

(戦後、実業家として成功したらしい、というウィキペディア情報もあるし)

海野弘先生の「久生十蘭『魔都』『十字街』解読」で一番期待したのはそこなんですが、

「村雲笑子」については全く触れらていなかったとおもう。

 

もとい、

S31 ポットでコーヒーを入れるというシーン。

 

このポットは……

前作「落第はしたけれど」

田中絹代がもっていたポットと同じ物でしょう。

 

というか、前回「晩春」を調査した時

月丘夢路のこんなショットをみましたが↓↓

 

女性になにか液体を注がせるのがたまらなく好きなのでしょう、小津安っさんは。

 

S38

後姿はこんなです。

和装に詳しい方に解説願いたいものです。

 

S78

このシーンは 八雲恵美子の数少ない着替え(?)シーンであると同時に、

この作品 屈指の名シーンです。

 

まず、山本冬郷の刑事が、男物の帽子を見つける。

 

それを八雲恵美子にかぶせる。

「旦那の居場所を知っているんだろう」ということです。

 

たまらなくかわいい八雲恵美子。

 

蓮實重彦先生がこのショットについて ゴダールがなんだかんだ書いてたように思う。

「勝手にしやがれ」か?

(ゴダールには興味がないんです)

 

帽子を脱ぐ。

 

驚いたのが ここです。

 

こんなセクシャルなイメージをふりまいていたとは!

 

つまり、

帽子=男根

これは誰でも思いつきますが、

こうすると↓↓

帽子=女陰

になるわけです。

 

つまり、このシーンの八雲恵美子は

両性具有のスーパーウーマン

になっているわけです。

 

そのスーパーウーマンがピストルを

 

刑事の背中に押しつけます。

 

ロングショット。

カアテン=スクリインの向こう側から岡田時彦が現れるというあたりも憎いです。

 

 

 

二丁拳銃の八雲恵美子。

 

まあ、余計なアドバイスをすると、この姿勢で撃ったら弾丸はとんでもない方向に飛んでいきますがね。

腕はまっすぐ構えて、発射の衝撃を受け止めるようにしないといけません。

山本冬郷はなんとなくそのことが分かっているのかもしれない。

 

えー、

で、

岡田時彦がなぜだらしなくネクタイをほどいたままでいるのか?

この謎も解けるわけです。

 

つまり、八雲恵美子が「二丁拳銃」という

過剰な男根を持っている以上、

岡田時彦が

ネクタイ=男根

を持っていてはそれはバランスが悪いわけです。

 

岡田時彦は去勢されていなければならない。

ので、彼は終始 だらしなくネクタイをほどいているのです。

 

先ほど

「アカ」=「だらしない」「スタイリッシュではない」

などと書きましたが、

岡田時彦のだらしなさは「去勢」のしるしでもあるかとおもいます。

 

単に……

着物+エプロン+二丁拳銃

これがたまらん、という理由かもしれませんが。

別アングルからも撮りますよ。

で、

スーパーウーマン・八雲恵美子が 刑事を脅迫している間。

 

去勢された夫・岡田時彦が娘の看病をする、という構図です。

べつに……

「子供の看病は女の仕事だ」

などと言いたいわけではないです。

ただ、1930年当時は一般的にそうだったでしょう。

 

S81

ピストルを構えつつ あくびをします。

S84

寝てしまいます。

そうそう、伏線として、娘の看病でずっと寝てない、という描写があるわけです。

 

目が覚めると、

ピストルは山本冬郷の手の中に。

 

キーっ

悔しい。

 

こんな風に……

八雲恵美子は終始 着物+エプロンです。

帽子をかぶらされて、脱いで、

ピストルを両手にかまえて、とられて、

という……実に変わった、ヘンテコな着替え(?)をします。

そして最後に……

 

ピストルを握っていた両手で

愛する娘を抱っこする、というこのショットにつなげます。

島津保次郎「家族会議」(1936)感想 高杉早苗たんがエアフローで爆走の巻

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アナザー「ヤスジロー」……

島津保次郎の「家族会議」(1936)をみたのですが、

なんだか、わたくし・トマス・ピンコのために作られたかのような作品でした。

すなわち、

 

世界一イケてる自動車メーカー

モーパー……a.k.a. クライスラーの戦前の大傑作

「エアフロー」を、

1936年当時、おそらく世界で一番かわいかったであろう

高杉早苗たんが

運転、爆走する、という……

 

エアフロー&高杉早苗 それでお腹いっぱいのところに、

ツヤコお嬢さまこと、三宅艶子著「ハイカラ食いしんぼう記」で読んで以来、

気になって仕方がない

「銀座エスキーモ」

が登場するという……

 

とんでもない作品でした。

 

□□□□□□□□

もとい、はじめから見ていきます。

わたくしの気になったところだけ見ていきます。

 

キャストですが、

坂本武 斎藤達雄 飯田蝶子 日守新一……彼ら小津組でもおなじみの面々がクレジットされているのですが、

あれ? ヤツらが出てきた記憶がない(?)

どうも現在見ることのできるのは短縮バージョンであるらしいです。

 

初回みた感想では「ものすごくテンポ良くおはなしが進んでいくな」

と思ったのですが、いろいろなシーンがカットされたせいかもしれません。

ただ……カットされたことによる不自然さは感じませんね。

 

冒頭……

歌舞伎座でのお見合い(?)シーン。

 

小津の「お茶漬けの味」でもそんなはなしがでてきて、

これは「松竹」だからなんだろう、とおもってたのですが、

たしか谷崎潤一郎の「細雪」でも 歌舞伎座のお見合いというのはあった気がする。(たしか)

東京のブルジョワ家庭ではよくあったことなのかもしれない。

(「細雪」は東京の話ではないが……あれ? 「細雪」じゃなかったっけ??)

 

主人公は佐分利信なんですが、

なぜか佐野周二もいる(笑)↓↓

 

これはウケ狙いとしかおもえない。

このあと佐野周二の名前が言及されることも

佐野周二が登場することも一切ありません。

どうせなら、上原謙も登場させればよかったのに(笑)

 

で、佐分利信に見とれている桑野ミッチー。

「お見合い」とさっき書きましたが、

 

桑野通子と佐分利信をくっつけようと 二人の共通の友人が出会いを画策して……

みたいなことです。

 

ここ。

パッパッと短いカットでつないでいて、

なんか後年の市川崑みたいです。

 

佐分利信に熱い視線を送る つるつるお肌のお人形さんのような桑野ミッチー。

 

「家族会議」……前半は、桑野通子の映画だとおもいます。

後半は、完全に高杉早苗。

(というか、後半 桑野ミッチーはまったく出てこない)

 

「隣の八重ちやん」でもありました 車の後部座席のショット↓↓

島津保次郎の得意技なのだろうか?

というか、島津オヤジの写真は 「八重ちやん」しか見てないもので……

 

右側。この人が桑野ミッチーと佐分利信をくっつけようとしているわけです↓↓

立花泰子という女優さん、らしい。

いったいどういう人なのか? ググってみたんですが、

今、NHKの朝の連続テレビ小説で

上白石萌音ちゃんが演じている役名が

橘安子、というらしくて……

 

「立花泰子」でググると

上白石萌音ちゃんの画像ばかり

出てきます(笑)

なので、詳細不明です。

 

えー、一方 及川道子。

この作品が遺作である由。

 

「家族会議」 あらすじは……「ロミオとジュリエット」みたいなもので

佐分利信の家と 及川道子の家はお互い敵対していて

どうも、証券取引の世界で 及川ミッチーの父親は 佐分利信の父親を自殺に追い込んだ人らしい。

なんだけど、

過去のいきさつは知らんが、佐分利信と及川ミッチーは好き合っている、ようなのです。

 

――というか、清水宏の「港の日本娘」を見ただけなので、

喋る……トーキーの及川道子をはじめてみました。

 

ただ、2年後の1938年に結核で亡くなるということあって、

なんだかやつれて、気だるげな印象です。

(そういう、病弱そうな役柄ではあるのだが、それ以上に弱弱しい印象です)

 

とにかくかわいい高杉早苗、お着物で登場。

この人は初登場のシーンだけ和服で、あとはずっと洋服です。

 

二人のやりとりが楽しい。

高杉早苗:うち 引き受けてあげる。

及川道子:サンキュ。

二人とも「大阪のいとはん」という役柄なので 関西弁だが……

どの程度上手いんだろうか? イバラキの野蛮人にはわかりません。

 

斜め上方からのショット。「八重ちやん」でもやってた↓↓

なんか小津の逆をわざとやっているかのような(?)

というか、小津が島津オヤジの逆をやっているのか(?)

 

若い男性は、高田浩吉。

仁礼家(及川ミッチーの家)の番頭さん。

おじさんは、ご存知 河村黎吉で、

娘の桑野ミッチーに向って

 

「仁礼さんのシショ(秘書)で……」

と紹介している。

河村黎吉の「シショ」……たまらねえ(笑)

 

後年、渥美清の寅さんが「喫茶店」を「キッチャテン」というようなアレです。

ここはぜひ皆さん実物をみていただきたい。

 

ストーリーとしては、大阪の高田浩吉が 東京の経済界を牛耳ってやろうといろいろ画策している。

それで河村黎吉に手持ちの株券を売ってほしいと頼んでいる。

というところです。

 

以下、しばらく箱根の「レイクサイドホテル」が舞台になります。

具体的になにをモデルにしているのかわかりませんが、

どうも芦ノ湖畔の「山のホテル」のようなそんな感じです。

(自分が山のホテルが好きだからそうみえるのか)

 

たぶんセットなので↓↓

(けっこう立派)

いくぶん理想化されてはいるでしょうが。

当時のリゾートホテルのロビーの様子がうかがえて楽しいです。

右奥 ドアの向こうがフロントでしょうか?

画面左側にバーがあります。

 

例の立花泰子は、桑野ミッチーを佐分利信とくっつけようと画策。

一方の高杉早苗は、及川ミッチーを佐分利信とくっつけようと画策している、という構図。

 

だが……どうも、高杉早苗も実は佐分利信が好きらしいというあたりが複雑。

にしても、すごい衣装です↓↓

 

高杉早苗のドレス、後姿はこんな↓↓

若い男性はさっきも出てきた高田浩吉。

 

及川ミッチーの父親は、

(カネのためなら手段を択ばない男、という風に描かれる)

この子飼いの番頭・高田浩吉を娘の婿に迎えたいと考えている。

 

今度は佐分利信&高杉早苗。

 

高杉早苗はトリックスター的にあっちこっちを飛び回って策略を練っているかんじ。

映画の序盤は高杉早苗の動機が観客には全く分からないので……

「なぜ……この子は?」……

と物語に引き込まれていきます。。

 

桑野ミッチーたちと高杉早苗。

 

さしもの桑野通子も、

キャリアの絶頂期の高杉早苗と比べてしまうと、なんだか影が薄い印象。

 

まあ、シナリオが高杉早苗の「忍(しのぶ)」中心に書かれているせいもあるけど。

 

こんなカットがあるので↓↓

あれ? 高杉早苗は高田浩吉が好きなのか? などと一瞬おもうのですが、

 

この直後、高田浩吉が

「なぜ高之さん(佐分利信の役名)につきまとうんです?」などと聞くと、

図星を指されたかのように 高杉早苗はうろたえるので

観客はこの美しいトリックスターの心中をチラッと垣間見るわけです。

 

以下、「レイクサイドホテル」のロビーに

松竹のスタア大集合 というシーンです。

 

例の……市川崑みたいな短いカットをパッパッととつないで心理描写をしていきます。

市川崑はこれの真似なのか?

ハリウッドあたりにルーツがある技法なのか?

ご存知の方は教えていただきたい。

 

小津は……こういう恋愛ゲームというか 恋愛遊技というか

男女の微妙な心理の交錯みたいのはまったく描きませんね。

 

及川ミッチーは、こうやって他の俳優さんと比べると、

やっぱり病人という感じがして哀れです。

 

スタア大集合↓↓

左から

佐分利信 桑野通子 立花泰子(この人は居づらいんじゃなかろうか?) 高田浩吉 高杉早苗 及川道子

 

高杉早苗の衣装のイメージは「鳥」なんじゃなかろうか?

という気がなんとなくする。

じっさい、あっちこっち飛び回って

かわいい関西弁でさえずって……

という役柄です。

 

で、冒頭ご紹介した クライスラー・エアフロ―……

 

佐分利信が株の売買の交渉で 大阪の高杉早苗の家に来る。

高杉早苗が佐分利信に 愛車のエアフロ―で宿まで送ろうか? というシーン。

 

引用します。

1934年クライスラー・エアフロー・エイト・セダン

(1934 Chrysler Airflow Eight Sedan)

流線型という言葉を一挙に広めた画期的なモデル。直8 4436㏄エンジンをWB123インチ・シャシーの最先端に置き、一方後席を後車軸より前方に送って、快適な乗り心地を実現したと宣伝していた。とにかく非常に目立つ存在で、子供の掌サイズの金属製モデルが発売になった時、三越で買ってもらった覚えがある。

(トヨタ博物館、小林彰太郎著「昭和の日本 自動車見聞録」98ページより)

 

 エアフローは華々しくデビューを飾り、見る者を驚かせると同時に、先進技術に敏感な他社のエンジニアに対して多大な影響を与えた。ところが予期せぬ問題がクライスラーを襲った。一部の新し物好きはともかく、大多数の一般ユーザーにとってエアフローのデザインは余りにもラジカルであり、事実上世間を驚かせただけでまったくウケなかったのである。

(中略)

 エアフローは技術的、そしてデザイン的に見る限り確かにエポックメイキングであり、技術史にその名を残す存在であることは疑いなかった。ただしその存在は、より良い工業技術製品が必ずしもより良い商品にはなり得ないという証明に他ならず、エアフローは商品としては明らかに失敗作だった。

(ネコ・パブリッシング「ワールド・カー・ガイド23クライスラー」42ページより)

 

今の目から見ると かわいくて仕方ないデザインですが、

1930年代においては あまりに尖端的すぎた可哀そうな子だったようです、エアフローちゃん。

 

美女二人とエアフロー。

チェック模様が似合う高杉早苗。

なんてかわいいんだ、香川照之のおばあ様は。

 

エアフローの直後、

桑野ミッチー&佐分利信の修羅場。

 

修羅場って、片思いの桑野ミッチーがフラれるということなんですが。

 

捕食動物の目をした桑野ミッチー。

ターゲット、ロックオン。

 

小津は……食べ物・飲み物描写はするけど、

こういう「飲んでます」という撮り方はしないなあ。

 

さっきの河村黎吉の「シショ」のところ……

高田浩吉と河村黎吉の取引のことを、

桑野ミッチーは佐分利信に教えてあげたので

佐分利は危機一髪のところを助かったという展開です。

 

で、かねて思いを寄せていた佐分利に「結婚して」と迫ってきます。

 

真上からのショット。

「八重ちやん」でもやってたね。

 

小津はやりません。

というか、セットに天井を張ってしまうから(笑)

できません。

 

んー、

ここが個人的には好きになれない……

というか、爆笑してしまうのですが……

 

フラれた桑野ミッチーが

ガーン……

と大げさな顔をする&大げさなBGMがジャーンと鳴る……

 

目をそらす佐分利信。

別に佐分利は思わせぶりな態度をとったり なにか約束したりはしてないので……

勝手に桑野ミッチーが片思いしてただけなので……

 

この大げさな描写は明らかにおかしいとおもう。

とても、あの繊細な「隣の八重ちやん」の作者とは思えない。

 

まあ、「トーキー」作品が作れるようになったばかりなので

この「トーキー」の可能性をいろいろ探っているというのもあるんだろうけど……

大袈裟なのよね。

ここは興ざめ。

 

この直後、ミッチーがコップを割って手に怪我をする。

そして

「あの……これ拭いてちょうだい」と佐分利信に命令口調でせまる↓↓

 

これが十分強烈なんだから、この出血シーンを丁寧に描写して

さっきの「ジャーン!」「ガーン!」はカットすれば、いい作品になったとおもうのだが。

 

で、フラれて茫然と大阪の街を歩く桑野ミッチー。

このロケ撮影は、大阪の方がみるとなにか発見があるかもしれない。

僕は土地勘がないのでさっぱりわからない。

 

偶然、高田浩吉に出会う。

桑野ミッチーを慰めます。

高田浩吉は前半はなんだか陰険なイヤな奴の印象を観客に残すのですが、

このあたりから 実はいいヤツかもしれないぞ、となってきます。

 

というか、この高田浩吉の登場シーンは この種類の「偶然」が多すぎるような気もする。

 

大阪の街のイルミネエション。

高田浩吉と桑野ミッチーが料亭で食事をして……その部屋からの光景。

 

真ん中、「バイエル」の看板がみえます。

 

で、最大のライバルの桑野ミッチーがいなくなった今、

いよいよ及川ミッチーを佐分利信とくっつけようと がんばる高杉早苗&エアフロー。

 

8気筒 4436ccエンジンですか……

たまんねえな……エアフローちゃん。

 

フォルクスワーゲン・ビートルは完全にこれのパクリですよね??

ちなみにこの当時の「ドイツ車」は

ドイツ留学経験のある医者とかが、ごくたまに乗っているというだけのマニアックな存在で、

品質・シェア共に アメリカ車が完全に優勢でした。

 

ついでのついでに申し上げると、

戦前の「クライスラー」は高級車メーカーで(近衛文麿の愛車はクライスラー・ロイヤルだった由)

戦後の「モーパー」のかっこいいんだけど、ちと安っぽいイメージとは異なります。

 

ゴルフウェアの高杉早苗たん。

ドライブ(クルマの運転)……

スイング(ゴルフ)……

と、モダンガアルのお手本のような彼女。

 

なんかイチャついてる 及川ミッチー&佐分利信を尻目に

ひたすらゴルフのスイング……

 

そうそう。こういう描写よ、欲しかったのは。

こういう抑制された心理描写が、なぜ さっきの桑野ミッチーのシーンで出来なかったのだろうか?

 

はい。

一方その頃。

 

佐分利信はしかし、終始グジグジしていて

結婚を申しこんだりしない。

そういうキャラクターです。

 

はい。

で、前半のヒロイン・桑野ミッチーは落ち着くところに落ち着きます。

この記事のはじめで紹介した 「エスキーモ」で

高田浩吉と待ち合わせ。

 

これは↓↓どうみてもロケでしょう。

だから、リアルの銀座エスキーモだろうとおもわれます。

 

店内の様子。

これも実際のエスキーモなのでしょう。

も、もしかして 名高い「新橋ビューテイ」がみれるかも??

とか期待したのですが、

画質が悪く なにがなんだかわかりません。

 

桑野ミッチーはここから洋服。

絵に描いたようなモダンガアル。

 

次のターゲット、ロックオン。

高杉早苗もそうだが、帽子は斜めにかぶってますな。

 

 

 

このカットを最後に桑野ミッチーは姿を消します。

最後の会話がなんとも間抜けでいい雰囲気……

 

高田浩吉:あれ、丹沢でっか?

桑野通子:そうでしょ。

 

横光利一の原作にあったセリフなのか?

それともシナリオの池田忠雄の仕事なのか? どっちなのか、わかりませんが。

 

えー、一方、

仁礼家の攻撃に、息も絶え絶えの佐分利信が、

また高杉早苗のうちにおカネを借りにくる。

 

今度のファッションはこんな↓↓

また、鳥みたいな雰囲気。

 

……のだが、仁礼家に負けてすってんてんになる佐分利信。

小料理屋で、仁礼家の番頭・高田浩吉に出会い、(また偶然!)

小競り合いになるが、

 

そのとばっちりを喰って怒り出す大男は

戦前の伊集院光こと、大山健二↓↓

 

すってんてんになった佐分利信。

佐分利信の邸宅も会社も 皆、高杉早苗のものになる。

 

今度はチェックのワンピースです。

 

佐分利信は、高杉早苗がジョークをいっているのだとおもって、

高杉早苗が「家賃は〇円にしてあげる」とか「お給料は〇円にしてあげる」とかいうのを

冗談半分に応対しているのだが、

 

母親(鈴木歌子)がでてきて、それがすべて本当のことだとわかる。

 

このシークエンスはよく出来ている。

なにより高杉早苗がかわいい。

(トマス・ピンコはそれしか言ってないことにお気づきだろうか?)

……にしても、

戦前の人なのに、早苗たんは何故こんな歯並びがいいのだろうか??

 

チェック模様のワンピースというと、

 

「雨」のジョーン・クロフォードとか、

「脱出」のローレン・バコール↓↓とかを思い出すんだが……

 

そう考えると、物質的にはすべてをゲットしてしまった高杉早苗は「悪女」といえなくもないか。

 

そして……

上司と部下の関係になった二人。

 

佐分利信:今度はいつお帰りです?

高杉早苗:すぐ帰ります。

 

↑↑

こういうスマートな描写がある一方……

 

あくどい、どぎつい……正直良いとはおもえない表現がいくつかあるのが

「家族会議」の特徴です。

 

ここもそうで↓↓

佐分利信の会社を潰したこともあって、

いよいよ 高田浩吉と結婚するように父親に命令された及川道子は、

家出をして 佐分利信のいる東京にやってきます。

 

↑↓そのシーンですが、はっきりいってやりすぎだとおもう。

 

まあ、以下、ラストシーンなんですけど。

結局、及川ミッチーのオヤジが、いろいろ悪いことをした報いで誰やらに殺されまして……

(じつに都合のいい展開)

二人は正々堂々結ばれることになります。

 

ふたたびエアフローで 高杉早苗の別荘へ。

またフワフワの……

鳥みたいな雰囲気の高杉早苗。

 

高杉早苗は佐分利信を「うちの番頭」と呼んでいる。

及川ミッチーにむかって「うちの番頭に紅茶でも入れてやって」といって、

 

みつめるのがこれ……↓↓

 

これって……小津??

島津保次郎が小津の引用??

 

どうみても、「非常線の女」の白いポット↓↓

田中絹代と岡田譲二の夢見る、幸せな家庭を象徴している「白いポット」……

 

そのあたりは知ってか知らずか、

幸せな二人を別荘に放っておいて、

エアフローでドライブに出かける高杉早苗。

 

庶民がマイカーを所有することなど 夢のまた夢、という時代です。

その時代に クライスラー(高級車メーカー)の最先端デザインの自動車を所有している……

 

現代に置き換えると、自家用ジェットとか、自家用クルーザーとか

そういうレベルのはなしかもしれません。

 

なので、今の感覚で

「ああ、きれいなお嬢さんがドライブをしているな」

と思ってしまうと、作り手の意図はまったくつかめない気がする。

 

うっすら涙を浮かべている……

ようにもみえる高杉早苗。

 

この抑制された表現こそ島津オヤジの真骨頂なのでしょう。

それだけに……

桑野ミッチー 及川ミッチーに

ジャジャーンと大げさな演技をさせてしまう、

あれは一体なぜ?? と残念な気もするのですが、

 

すべては高杉早苗のためにある映画なので、それもまた良し、なのでしょうか??

小津安二郎作品の服装調査 その5「淑女と髯」(1931)岡田時彦・川崎弘子・伊達里子

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服装調査のつづき。

前回取り上げたオシャレな「その夜の妻」(1930)のあと、

小津安二郎は――

・「エロ神の怨霊」(1930)→脚本、ネガ、プリント存在せず。作った本人すらストーリーをおぼえていない。

・「足に触った幸運」(1930)→脚本のみ現存。サラリイ・マン物。

・「お嬢さん」(1930)→脚本のみ現存。大スタア・栗島すみ子先生主演。

……と、

栗島すみ子主演の一大エンターテインメントを任せられるまでに、

周囲の評価があがってきます。

 

で、昭和6年、1931年第一作が、文句なしに楽しい「淑女と髯」です。

 

 

 

ざざっと服装面からみた「淑女と髯」をまとめますと……

・良い女→和装。悪い女→洋装。という初期のお決まりパターン。

・岡田時彦は、おはなしの前半は学生なのだが、学生服は着ない。(珍しいパターン)

・岡田時彦は、一見ハチャメチャなキャラクターであるのだが、

実は彼なりのルールに従った、かなりきちんとした人物である。

ということがわかります。

 

以下、それぞれの人物に関して、具体的にみていきます。

・岡田時彦

S1

しょっぱな、剣道着です。

 

腰にぶら下げた木のお札。

 

成田山のお札。

「成田山」というと、

個人的には 大友克洋のAKIRA……金田のバイクに成田山のステッカーが貼ってあったのを思い出すんですが。

 

この成田山のお札は、この作品で終始ギャグ的に出現しますし、

この「岡島」というキャラクターの 「実はかなりきちんとしている」性格描写にも役立っています。

 

そういや、AKIRAの金田君もハチャメチャにみえてけっこうきちんとしてるな。

 

試合に勝利して……

面をとる、

 

――と、あらわれるのが、こんな髯面。

 

友人、月田一郎とのカットバック。

 

月田一郎はのちに山田五十鈴と結婚します。(のち離婚)

その結婚で産まれた娘は嵯峨美智子……などという情報は、ついさっきウィキペディアで知りました(笑)

 

例によって 定石無視のカットバック。

(視線がかみあっているようには見えない)

 

剣道の会場をあとにする岡田時彦。

下駄をはいて外に出ます。

 

S3

岡田時彦が歩いているここは――

一体 どこなんだろうか?

 

羽織袴に学帽。

下駄……

そしてステッキ?

この杖はなんと表現すればいいのか?

 

杖、というより、完全に「武器」で、

このあと、伊達里子にカツアゲされていた川崎弘子を救うため、

この杖が活躍します。

 

というより、建築好きとしては、背景の建物の方が気になるのですが。

 

S5

月田一郎のうちへ訪問。

月田の家は華族、という設定。

妹の誕生日にあつまった令嬢たちに冷たい視線を浴びせられる岡田時彦。

 

左から2人目、月田の妹役の飯塚敏子(のちに時代劇の大女優となるそうな)

右から3人目、井上の雪ちゃん、こと井上雪子。

 

まあ、こんな格好だから、仕方がない。

 

最先端・昭和のモダンボオイ(オールバック・ポマードでテカテカ)と、

明治の生き残りみたいな蛮カラの対比がおもしろい。

シナリオ。

岡島、ていねいに、

「御誕生日をお祝い申します」

と言う。

 

なんのかのきちんとしている岡田時彦。

裸足。手づかみでケーキを喰う。

一見、メチャクチャにみえますが、

彼なりにルールがあって行動している。

 

フォーク・スプーンなどと言う西洋の道具は使いたくない。

和服なんだから、裸足で当然。ということか。

 

「踊れ」といわれて

日本舞踊(?)をはじめる岡田時彦。

 

それをみる令嬢たち。

 

ハチャメチャなのだが、

やはり彼なりのルールがあるわけです。

踊り、といえば、彼にとっては剣舞なわけです。

 

この表情がたまらん……↓↓

 

あ。服装調査でした。

羽織を脱ぎ、たすき掛け。

鉢巻。そして白刃を振り回します。

 

火の用心のお守り(?)

 

坂本武の家令が詩吟してます。(左端)

のちに喜八シリーズで主役になる坂本武は、

この頃は セクハラ社長とか、こういうしょぼくれた老人の役とかが多い。

 

S7

再び羽織を着て 学帽をかぶってます。

手には扇子。

あまりにすさまじい舞いに恐れをなして 令嬢たちは帰ってしまった、というシーン。

 

皆さん、よろしくって帰りましたよ。

 

誕生パーティーをメチャクチャにされて キレた飯塚敏子に

「あなたも お帰り下さい‼」と怒鳴られ、

すごすご帰る岡田時彦。

 

きちんと帽子を脱いで挨拶します。律儀。

S8

時間が飛びまして、

就職活動している岡田時彦。

 

川崎弘子の背後、笠智衆が(若い!)

 

川崎弘子に

「岡島さん! いらっしゃいませんか?」と呼ばれて、

トイレからでてくる岡田時彦。

 

スーツ。

ジャケットがイマイチ サイズがぴったりではない。

つるし(既製服)なのか? 中古品なのか?

 

さすがの「岡島喜一」も、サラリイ・マン(およびその候補)はスーツを着るというルールは知っている模様。

そしてその規則に律儀に従います。

成田山のお札、登場。

S9

面接の様子。

 

S10

自分のアパートの部屋にいる岡田時彦。

普段着は和服……これは「若き日」「落第はしたけれど」の学生連中と一緒。

 

ただ、このアパートは学生が一人で住むにしては豪華な印象。

(「若き日」だの「落第」だのに比較して)

 

この岡島喜一君、実はけっこう裕福な階級の出か?

キセル・火鉢といった小道具にも注目したい。

 

そこへ、川崎弘子が訪ねて来て

「あなたは そのお髯のせいで 不合格におなりに なったんです」

と教えてくれる。

 

S11

で、髯をそって、髪型を整えた岡田時彦。

そのイケてる姿を伊達里子がみて……というあたりは、伊達里子のところで触れる。

 

「床屋」というのは小津作品によく出てきますね。

ざっと思い出すのをあげると 「出来ごころ」「浮草物語」……戦後の「浮草」

あとなにかあったっけ?

しかし、こんな立派な床屋さんが出て来るのはこの作品だけでしょう↓↓

 

S13

さっぱりした岡田時彦。

月田一郎の豪邸へ。

 

きちんと帽子を預けます。

(というか、坂本武にかぶせる)

 

見とれる飯塚敏子。

 

背後の壁にボクシングのグローブ。

 

オールバック、テカテカ、というのがイケてたのだろう。

背後のカール・マルクスは、「髯」の象徴という以上に意味はないとおもう↓↓

(赤い貴族なんてのが流行ったのだろう。

後年のランボルギーニ・コミュニストみたいなものだ)

 

ボクシングのグローブと一緒で「マルクス」もモダン風俗の一部なんである。

(今、2022年だと韓流スターのポスターとかなんだろうか)

文学作品なんかだと、風俗描写としてグレタ・ガルボのブロマイドとかもよく出てくるのだが、

小津安っさんはガルボが好きではないので使わない。

 

あ。カール・マルクスがボケてるのは、レンズの性能もあるだろうけど、

検閲を恐れてのことか??↓↓

 

S19

同じ格好なので、表には書かなかったが……

岡田時彦が就職できたお礼に、川崎弘子の家を訪ねます。

先ほど、月田一郎の家では裸足で平気だったのだが、

今度はスーツ姿なので

裸足はおかしい、とおもったのだろう。

 

股引のばして靴下のようにする、というギャグ。

 

このあたりも……なんか汚ないが、

なんのかの彼の律儀さ・几帳面さが出ている。

 

今までは ただ単におもしろおかしい場面としてしか認識していなかったのだが、

「服装」中心にみてみると、

性格描写の役目も果たしていたことがわかりました。

 

成田山のお札がまた出てくる。

 

S22

ここは岡田時彦の服装とまったく関係ないのだが、

「時間」というテーマ

(小津が生涯追求し続けたテーマ)

を、うまく扱っていておもしろいので、とりあげます。

 

川崎弘子、岡田時彦と結婚したいと言い出しまして、

母親(飯田蝶子)に 岡田時彦の気持ちを聞いてきてくれ、と駄々をこねます。

 

で、暦をめくって、日取りを調べる。

縁談にいい日を調べているのでしょう。

 

小津は商家の出で……

商家は、なにかというと縁起を担ぐところがあるから、

こういう風景は見慣れていたのかもしれない。

 

わたしは以前、「晩春」のシナリオは

「九星」「気学」――一白水星とか五黄土星とかのアレ――に従って書いたのではないか?

という記事を書いたことがあります。

(自分でも内容を忘れていますが(笑))

 

S26

……で、飯田蝶子と岡田時彦の会見の直後、

カレンダアが登場します。

「時間」というテーマは、「結婚」「縁談」というテーマに繋がっている

のでしょう。

 

岡田時彦は、ホテルのフロント担当らしい。

このあたり個人的には軽井沢の三笠ホテルでみた、古いホテルのフロントを思い出す。

宿泊した万平ホテルもけっこう年季が入ってたな。

 

その……すっかりイケメンになった岡田時彦を

デートに誘う伊達里子。

 

振り子時計の針を7時にまわして

7時に会いましょう、というわけ。

 

ここらへん、あるいはハリウッド映画にこんなオサレなシーンがあったのかもしれない。

あ。伊達里子の腕の腕時計にも注目。

ラブレター↓↓

妙に達筆な文章と、キスマークの対照が笑えます(笑)

 

これはぱっと見、きちんと書道をやった人の字のような気がする。

全集のシナリオだと、「日比谷公園横に」 と待ち合わせ場所を指定しているのだが、

 

プリントは日比谷公園とは書いてない↓↓

なんだろう??

「明治」と書いてある。

このあとの展開をみると「明治工場」?? わかりませんが明治製菓関係のなにかです。

急遽タイアップが決まったのだろうか?

 

その直後

お客に時間を尋ねられて 自分の懐中時計をみせる岡田時彦。

 

まとめますと……

飯田蝶子の暦→フロントのカレンダー→伊達里子の腕時計→フロントの振り子時計

→ラブレターの「今晩七時」→岡田時彦の懐中時計

というように、

時間関係のモチーフが立て続けにあらわれ、

岡田時彦をめぐる三角関係も描かれる、という構造になっています。

 

さすが小津安っさんで、

若い頃から 作品の構造ががっちりと決まってます。

 

あ。

そういや 岡田時彦……岡田「時」彦だな……

 

S32

服装調査に戻ります。

 

「明治チョコレート」のポスターの脇でタクシーを停める伊達里子。

じっさいに明治製菓の建物のそばで撮ったのか?

 

すると ぬっと髯面の岡田時彦があらわれる。

 

こういう女性の脚をなめて撮るショットというのは珍しい。

ハリウッド映画にはありそうだが。

 

この当時のクルマのドアの構造がわかります。

 

ムリヤリに乗りこむ岡田時彦。

ストールを巻いてます。

以下2枚↓↓

このカットバックがおもしろい。

 

これは伊達里子をクルマから下ろして撮って↓↓

 

これは岡田時彦を下ろして撮っている↓↓

さらにカメラ位置はまったく違います。

当時のデカくて重い機材を考えると大変な手間です。

時間も労力もかかります。

 

まあ、手間が最小になるように、

あらかじめ計画を綿密に立てて撮るのでしょうが、

そうすると完成品(プリント)のイメージががっちり固まっていないといけないわけで……

とにかくすごい仕事をしてます。行き当たりばったりではないです。

 

前回の「家族会議」の記事で……

こういう後部座席の撮り方は、島津オヤジの得意技なのか? などと書きましたが、

この方法だと手間はかからないわけです↓↓

カットバックするにしてもカメラの方向を左右に振るだけで撮れてしまう。

 

カメラを左に振れば、桑野ミッチーが撮れ、

右に振れば、立花泰子が撮れます。

それで一丁上がり、なわけ。

(じっさい、「隣りの八重ちやん」はそういうシーンがある)

(ヒッチコック映画でもこういうショットはでてきますな)

 

「小津安二郎 人と仕事」で、木下恵介が 小津組の現場の過酷さを書いていますが……

(「非常線の女」のことを書いている)

このたった2カットからでも、その過酷さがうかがえます……

島津組の撮影の手間の……おそらく3,4倍はかかっているわけです。

 

S33

全身像はこんな。

アパートの廊下を歩いてます。

突如ノワールな雰囲気(笑)

 

お決まりの着替えシーン。

冒頭の剣道着に着替えます。

 

伊達里子が着替えを手伝おうとしますが、

それを拒否。

↑↓このカットバックもすさまじい。

結ばれない二人だから、こういう構図になるのか?

 

このドタバタの過程で

羽織だか半纏だかを破ってしまい、

 

繕おうとするが、

伊達里子は裁縫がうまくないのでできない、というギャグがあります。

 

S37

川崎弘子がやってきます。

 

防具をつけて寝ていた、というギャグ。

 

ふたたび着替えシーン。

普段着へ着替えます。

 

伊達里子には手伝わせないが、

将来の伴侶、川崎弘子には手伝ってもらう。

 

伊達里子にピントを合わせて……

背後のボケでは着替えをしているという……すさまじいショット。

 

こんなの他の作品であっただろうか??

 

電灯の笠の形もご注目。

これ、好きよね。UFOみたいなの。

 

シナリオ。

やがて、モガ、決然と二人の方へ、

「岡島さん! 私、帰るわ!」

と言う。

それで岡島と広子は、並んでモガの方を見る。

 

ここも「服装」「着替え」をうまく使っていて、上手い! というより他ない。

大げさな心理描写、大げさな演技などさせずに、こういう深い表現ができるのだ。

 

前回の「家族会議」の桑野ミッチーの

ジャーン! ガーン! という大げさなアレなどとても見ていられない。

 

S38

伊達里子を見送る二人。

モダンなアパートの壁に「お札」……↓↓

 

以上で岡田時彦の分析はおわり。

 

・川崎弘子

S4

後年、トーキー時代になりますと……

あの若干ハスキーな色っぽい声で

海千山千の芸者さんを演じることが多い川崎弘子ですが、

 

サイレント時代はとうぜん、セクシーボイスがばれることもなく……

伊達里子の不良モガにカツアゲされることになります。

 

ほぼほぼ焼け野原なのだが……↓↓

ロケ現場は、

東京?

横浜?

関東大震災の被害は横浜のほうが大きかったと聞きますが。

 

あ。「濱」という字が見えますね……(背後の工場)

横浜か??

 

先ほども紹介しましたカット↓↓

それをみている蛮カラ・岡田時彦。

 

ということはこの建物も横浜なのか?

(別に同じ場所で撮る必要はないですが)

 

何もしやしないよ!

ガマ口を落っことしたから、

少し借して呉れって言ってる

だけじゃないの

 

川崎弘子なので、当然和装です。

ショール・ハンドバッグを持っています。

 

S8

着物にスモック。

この頃のオフィス・ガアルのごく普通の格好はこれだった。

(と、さも見てきたかのようなことを書いておく(笑))

 

洋装のオフィス・ガアルなどというとちょっと不良じみた存在だったかもしれない。

じっさいに「朗らかに歩め」の伊達里子。「非常線の女」の田中絹代。

両者とも不良モガであります。

 

S10

彼女の……この「広子」なるキャラクターの盛装がこれなんだろう。

一番気合の入った格好。

 

なのだが、和服に関してまったく知識のない現代人には解説不能。

 

カツアゲから救ってくれたお礼と、

髯のせいで面接に落ちたんだと教えてくれる。

 

……というか、

概して、小津作品においては男性よりも女性の方が積極的ですね。。

S18

自宅にて。

普段着に割烹着ということなのでしょう。

 

中山の小父さんという老人が縁談をもってきたのだが、

川崎弘子は岡田時彦が好き、というシチュエーションです。

 

湯呑をいじっている→口の周りに跡がつく→髯……

ということなのだろうが、わかりにくい。

でもおもしろいショット。

 

これは先ほども紹介したショット。

飯田蝶子に、岡田時彦の気持ちを聞いてきてくれ、というところ。

 

端正な……小津らしいショットですが、

ポットが……

 

あのポットが。

 

前回「家族会議」でお目にかかった……

大金持ちの高杉早苗が持っていたこれ↓↓

 

「非常線の女」のポット↓↓

琺瑯加工してあるようですが、形は「淑女と髯」のものと同じ。

 

時代がバラバラですが、

「落第はしたけれど」のこれも同じ↓↓

 

なんだ、なんだ?

この頃の日本にはこの形のポットしかなかったのか?

それとも……松竹はこのポットの会社とタイアップ契約でも結んでいたのか??

 

もとい、

S34

朝です。

 

ふたたび岡田時彦のアパートを訪問する

積極的な川崎弘子。

 

戦前は、電話で事前に「訪問します」と伝えたりはしない、と

山本夏彦先生の本に書いてあった。

いきなり訪問するみたいです。

(戦前ではないが「晩春」の宇佐美淳が笠智衆の家を訪問すると、能を見に行って留守、というシーンがありますな)

レストラン・食堂も、電話予約などしないらしい。

(宴会とかはさすがに別だろうが)

 

今だと、朝っぱらからこの子は一体??

という感じがするが、

この頃は不思議ではなかった模様。

 

S36

だが、ドアをあけたのは伊達里子である。

 

あなたは

どなた?

(伊達里子のセリフ)

ここも↓↓

小津の凝りっぷりがうかがえるショットで――

 

川崎弘子が

私?

私……岡島さんの恋人です!

といったあとなんですが……

 

きちんとドンデンを返しているんですよね。

カメラ位置……視線を180度引っくり返してます。

それと同時に、川崎弘子が伊達里子に勝つわけです。

 

あのカツアゲシーンの逆転がここにあるわけです。

 

で、川崎弘子は裁縫ができます、というオチ。

和服を着て……

日本髪で……

裁縫ができて……

という女性でなければいけなかった。

 

起きる岡田時彦。

 

つづいて

・伊達里子

S4

伊達里子は一貫して洋装です。

 

ナイフを取り出してカツアゲ。

 

S11

愛車はリンカーン。

 

 

 

「144」という若いナンバーが只モノではない感じです。

(若いナンバーは珍重されて高額で取引されていた)

上流階級の自家用車を借りてきたのか?

松竹の関係者か?

 

引用

 この頃のリンカーンは日本フォードが完成車輸入で販売していたが、東京でもめったに見ることのできない珍車の部類に入る高級車であった。1935年の暮にゼファーが発売されるまでのKシリーズ・リンカーンは殆どがカスタムボディであったから、フォードの7~8倍の価格という超高級車で、日本に輸入すると関税100%が加えられて倍になったはずである。しかし当時の日本には関税のかからない特権階級もいると聞いたから、多分そんな超上流の人しかリンカーンを持とうなんて考えなかったのだと思う。

(二玄社、小林彰太郎責任編集「昭和の東京 カーウォッチング」25ページより)

 

……なんでそんなすごいクルマを乗り回す人が

ちんけなカツアゲなんかするのだろう??

「淑女と髯」のシナリオの欠点があるとすれば、ここか。

 

もっとも全集のシナリオにはリンカーン云々は登場しませんので、

突如、現場で

「髯」→「リンカーン(大統領の)」→「リンカーン(自動車)」

と思いついてしまったものか?

 

もとい、リンカーンのハンドルを握る伊達里子が、

岡田時彦に見とれています。

 

ヒョウ柄のムートンコート、くわえタバコです。

 

S25

ホテルにて。

デートに誘うところです。

 

S32

岡田時彦に拉致(?)されるところ。

(髯面なので、イケメン・ホテルマンとは別の悪者だと勘違いしている、というわけ)

 

上記のように、

丁寧にドンデンを返します。

 

S33

アパートの廊下にて

手をごにょごにょやるのは、小津作品において「恋愛感情」の象徴。

 

畳敷きの部屋なのだが靴をはいたまま。

まあ、拉致同然に連れてこられたので当然ではありますが、

 

こういうルール違反をするような人間だから犯罪に手を染めるのだ、ということでもあるんでしょう。

「その夜の妻」の岡田時彦は、

ネクタイをだらしなくほどいたままにしていましたが、

そういう彼だからこそ、銀行強盗などしたのだ、ということが言えそうです。

 

だんだん岡田時彦が好きになり……(例のイケメンだと気づいた?)

靴を脱ぐ伊達里子。

 

なんともセクシャルな表現であると同時に、

きちんと「和室では靴を脱ぐ」というルールに従ったという意味でもある。

 

……といいますか、

女性のストッキングをはいた足

が、小津安っさんは妙に好きなので……

それでこんなシチュエーションを用意したのだとも考えられます。

 

たとえば

「晩春」はここ以外にも、原節子のストッキングをはいた足のショットは出てきます↓↓

(杉村春子のうちのシーンとか)

 

もうすでにとりあげました、着替えシーン。

ムートンコートを脱いで、着替えを手伝おうとしますが、

 

拒否されます。

 

で、最後。

ふたたびムートンコートを着て、にっこり微笑んで去っていきます。

 

「朗らかに歩め」の伊達里子は

単に「悪い女」でしたが、

「淑女と髯」の伊達里子は

内面に矛盾を抱え込んだ「悪い女」で……

 

悪役の表現も、深みが増してきています。

以上。

「淑女と髯」の服装調査でした。

島津保次郎「男性対女性」(1936)感想① 眼鏡っ子・田中絹代が可愛すぎの巻

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アナザー・ヤスジローもおもしろい。ちと大味だけどね。

 

今回は「男性対女性」(1936)なのですが……

こないだとりあげました、「家族会議」(1936)の宣伝が

手持ちの「懐かしの復刻版 プログラム映画史 大正から戦中まで」に載ってたので

ちと、みてみます。

 

こんなです↓↓

色々おもしろいです。

 

おもしろいのは……

誰がどう見ても高杉早苗たんメインの映画

なのに↓↓

 

下賀茂スター!! 現代劇特別出演

高田浩吉

と、高田浩吉メインの宣伝をしている、ということか。

 

スチール写真も、及川道子&高田浩吉で、あくまで高田浩吉推し、なんである。

「熊本電気館」という、地方の映画館で作ったプログラムだからなのか?

(当時、プログラムは映画館各々で製作していたようである。

TBSラジオ・アフターシックスジャンクションでプログラム特集をしたときも、たしかそんなことを言ってた)

それとも、

全国的に 高田浩吉推しで宣伝したのか??

 

それと……

疑問だった「立花泰子」さん、

ググると 上白石萌音ちゃんの画像ばかりでてくる、謎の俳優さんが……

 

俳優募集主席当選 名花

立花泰子

と紹介されていることで……なにかのコンテストめいたもので当選した人らしい。

 

一体なんで、無名の俳優が 松竹のスタア大集合映像の、ど真ん中にいるのか、

疑問だったのですが↓↓

松竹としては、このコンテストのチャンピオンを売り出したかったのでしょう、おそらく。

 

□□□□□□□□

で、「男性対女性」です。

ウィキペディア情報によると、「松竹大船撮影所の建設記念映画」なんだそうで、

キャストからして、気合入りまくりな感じ。

 

ただ↑↑のチラシによると 「家族会議」は「大船撮影所第一回作品!」なんだそうで、ややこしい。

「家族会議」→1936年1月公開

「男性対女性」→1936年8月公開

のようです。

 

冒頭、上海……

ブロードウェイマンションが バァァーーン!! と登場するショットからして、

もうただ事ではない。

小津映画では絶対にあり得ないオープニング。

 

ブロードウェイマンションをみながら(……どうみても合成だけど↓↓)

上原謙(左) 岩田祐吉(右)

 

上原謙は 某商社の社長の次男坊。

フランス留学からの帰国途中。

(飛行機ではなく、汽船の旅です)

 

岩田は その商社の上海支店・支店長。

岩田は横浜支店に栄転になるので、上原と一緒に帰ることになります。

 

んで、送別会とかで 上海のキャバレーに行くんだが……

ちらっと出てきたチャイナドレスの美少女は……

あんた、デコちゃん??↓↓

高峰秀子は1924年生まれらしいので

この頃、11歳、12歳というところか。

 

中国美女に膝の上に乗っかられて デレデレの上原謙……

 

上原謙は、お仏蘭西で演劇の勉強をしてきて、

これからレヴューの演出家になる、という設定なので、

キャバレーのレヴューをみて「大いに参考になります」とか真面目なことを言ってます。

 

さて、このちうごく美女は、本当にアチラの方なのか?

それはよくわからない。

(いちおう中国語みたいなものを喋ってはいる)

(デコちゃんが出てくるんだから 大船で撮ってるのか? それともロケ撮影か?)

 

んで、帰国のフネで、嵐……

 

「男性対女性」なるタイトルでまず思い出すのは、

セシル・B・デミルの「男性と女性」(1919) 原題:Male and Female なんですが、

当時の観客もやっぱり、この大傑作を……

淀川長治先生が子供のころ見て感動した大傑作を……

 

思い出すんじゃないでしょうか。

で、デミルの「男性と女性」 イギリスの貴族一家が、嵐で難破して無人島へ……

というお話なんですよね。

 

だが、上原謙のフネは難破はしない。

 

でもお金持ちの一家の運命の流転を描いているから……

まあ、デミルの「男性と女性」を意識して シナリオを書いてはいるんだろう。

 

帰国しました。

上原謙の兄さんは佐分利信。

佐分利信は生真面目な人類学者。

 

おつぎ、レヴューのはなし。

 

上原謙は「俺は演劇の勉強をしてきたんだぜ」とかいって嫌がっていたのですが、

親父(藤野秀夫)が、レヴューの劇場に出資していることもあり、

なんのかの レヴューの演出家になります。

 

その初演出作品をみている眼鏡っ子・絹代たん……

最初に言っておくと

「男性対女性」は田中絹代のためにある映画

です。

シナリオはトップスタア絹代様中心に書かれております。

 

んだが、我々の視線は……

前ボケして写りこんでいる少女の顔に……↓↓

 

やっぱりデコちゃん……↑↓

ついさっき上海のキャバレーにいた売り子が

今帝都のレヴューを観劇中。

ローティーン高峰秀子、光速移動おそるべし。

……というか、大船撮影所建設記念と銘打ったからには 人気子役・デコちゃんも出演しない訳にはいかないのでしょう。

 

えー、ストーリーは、

斎藤達雄(左)は、岡倉男爵(上山草人)という政財界の実力者みたいな奴の道楽息子。

で、眼鏡っ子・絹代ちゃんに惚れてます。

だが、絹代ちゃんは佐分利信が好き。

 

間抜け面で舞台を見ている磯野秋雄は、絹代ちゃんの弟役。

ああ、そうそう、田中絹代・磯野秋雄姉弟の父(水島亮太郎)は劇場のオーナー。

 

えー、で、前回の「家族会議」では無表情な(ちと気味の悪い)ブルジョワ娘を演じていた桑野ミッチーが

劇場の配光主任、とやらで

照明さんをやってます。

 

ワークウェア姿が――軍手!!――ひたすらかわいい。

もっと高画質でみたいな……

 

鬼演出家役がしっくりはまる上原謙。

口癖は「ボヤボヤするなよ!」

 

右側のメガネ君はおなじみ(?) 小林十九二。

さっきの斎藤達雄といい、大船撮影所総出演なわけです。

 

舞台。

この頃の文学作品をみると 女の子たちはとにかく「レヴュー」なるものに熱中していたようなのですが、

当時の実際のレヴューの映像がみれるというのは、貴重な機会だとおもいます。

 

ただ……踊りのクオリティは驚くほど低い気がする……

今のダンサーさんはおおかた、子供のころから鍛えているんだろうが、

この頃はたぶん、そういうシステムじゃないからだろう。たぶん。

 

男装の麗人は

ターキー、こと水の江滝子、なのだろう、とおもいます。

 

とにかく動員できるものは全部動員する松竹です。

ただ……その結果、誰でも予想がつくように、

かなり大味な作品ではあります。

 

レヴューのシーンは長すぎます。

「映像作品」として考えると明らかに欠点。

しかし、わたしのような戦前日本好きにはたまらんところですが。

 

もとい、まとわりつく斎藤達雄から逃げた絹代ちゃん、

配光係の桑野ミッチーのところへ。

 

おしゃべりしていると、上原謙がミッチーを叱る。

絹代ちゃん曰く。「あんまり叱らないで。美代子さん、わたしの妹なんですもの」

「女学校、一年下の後輩で、とっても仲よくしていたの」

 

妹なんですもの。

に感動。「お姉さま」―「妹」のエス関係は、吉屋信子先生の少女小説で山ほどお目にかかっているわけだが

エス関係が、映像作品に出てきたのははじめたみた。

 

まあ、あらすじをさきまわりしちゃうと、絹代―ミッチーは

佐分利信―上原謙の兄弟と結ばれるので、

実際に「お姉さま」―「妹」の関係になってしまうわけですが。

 

上演の後、彼氏……佐分利の部屋へ。

佐分利は研究一筋というキャラクター。

 

弟(上原謙)の晴れ舞台を見に来なかったことを責めます。

 

一方、磯野秋雄君、

女中さんの大塚君代に

ターキーの写真もらってきてやったぜ。

サイン付きだぜ。

ターキーのブロマイド。

 

えー、この磯野秋雄―大塚君代の身分違いカップルも登場して、

いよいよ話がごちゃごちゃになってきます。

 

リハーサル風景↓↓

なんか「コーラスライン」みたいな。

 

先ほどレヴューの踊りが下手くそと書いたが……

途中出てくるタップのおじさんはうまかった↓↓

しかし、名前等わからず。

えんえんこのおじさんのタップシーンは続くから、たぶん高名な人なのだろうとおもうのだが。

 

絹代ちゃんは 両親(水島亮太郎・吉川満子)から 男爵の跡取り斎藤達雄のところへお嫁へ行け、と迫られています。

それで……

付き合っている(?)佐分利信に縁談があることを伝えるのですが……↓↓

相手は岡倉さんの息子さん。

意味ない金持ちよ。

佐分利はグジグジしてはっきりしません。(佐分利信はこんな役ばかりだな)

 

えー↓↓

水島亮太郎(絹代の父)&藤野秀夫(佐分利・上原の父)の会談ですが、

 

ビリヤード場です。

例の政財界の大物・岡倉男爵(上山草人)がここに入り浸っているという設定。

 

モダン建築&鋼管パイプの椅子 というのが気に入ったので載せました。

藤森照信先生によると、戦前日本の冶金技術では 鋼管パイプの椅子とかまともなものは作れなかったようですが。

 

↑↓これは……セットじゃないよなぁ??

 

以下三枚、ひたすらにかわいい絹代ちゃん。

この映画では洋装が多いのだが、このシーンは着物。

 

母親(吉川満子)に 斎藤達雄に会いに行け、と言われているが

行きたくない。

 

ベビーフェイスに丸い眼鏡なのでさらに幼く見える。

だが、ご存知のように声はやけに低くてセクシーという……

かわいいぜ、絹代ちゃん。

 

これは磯野秋雄が眺めている新聞かな↓↓

 

上原謙のことを「美貌のフランス帰り演出家」と紹介している。

今、男の人に対しては「美貌」とあまり使わないが、この頃は使ったのだろう。

 

その「美貌」の上原謙が

桑野ミッチーに もっと自分なりに工夫してやってみろ、とか言っている。

 

この……

 

すねる顔がたまらん……↓↓

つくづく高画質でみたい……

 

だが、こんなくだらん大味な作品は デジタルリマスターとかしてくれないよな。

 

上演後……出待ちの集団が劇場を囲んでいます。

「サインしてちょうだい」「サインしてちょうだい」

「違いますのよ」

「なんだスタアじゃないんだわ」

 

天下の桑野通子に対して

「なんだスタアじゃないんだわ」

がおもしろい。

 

当時のアサヒグラフ

1936年11月4日號

 

スタアに群がる娘さん達の様子は、真新しい光景だったのだろう。

 

一目見たさにこの苦労

娘さんはレヴューがお好き

 

小夜福子

津坂オリエ

といったスタアの名前が見えます↓↓

 

出待ちの群れから抜け出たところで

上原謙に出会い、一緒に夕食。

 

上原謙はさっき 桑野ミッチーの仕事ぶりを

「まあ、いいだろう」などと冷たく評価したのをフォローしようとしているのか。

 

佐分利―絹代の二人は、なんだか高そうなレストランでしたが、

この二人は大衆食堂で

上原謙のキャラクターが案外庶民的であることを表現します。
 

ガツガツしていらっしゃるのね。

この際、じっとしていられるかい。

 

女性に対して消極的な佐分利信(兄)に対して、

気楽に食事に誘う上原謙(弟)

上原謙になにか下心がある、とかいう描写ではないですが……

 

ゴージャスな組み合わせ。

 

後から。

小津みたいに(笑)丁寧に撮ってますな。

小津だともっと構図に凝りますが。

 

飯田蝶子が桑野ミッチーのお母さん役。

1シーンだけの

ちょい役だが目立ってる。

 

飯田蝶子が「こんな遅くまであんたを働かせて……」とか嘆いている。

 

また、お父さんのことなんか思い出してさ。

 

えー

ここは田中絹代がダンスホール(?)に遊びに来ているというシーン。

 

なんかグッゲンハイム美術館みたい。

もちろんライトのグッゲンハイムはもっと後年の建築ですが。

 

螺旋階段の上からホールをみつめる絹代ちゃん。

……というか、

 

ここは高杉早苗を登場させたいために用意されたシーン。

ただ高杉早苗、ロングショットのみ。

 

高杉早苗のアップなんかあったら、それだけで「高杉早苗の映画」になっちゃうからではあるまいか(笑)

トップスタア・田中絹代のために、ここはロングショットだけなのではあるまいか。

 

なにしろ「隣りの八重ちやん」、ほんの数シーンだけですべてを持って行ってしまった前科(笑)があります。

 

帰宅しますと、

大塚君代が追い出されるところに出くわします。

 

磯野秋雄との関係がバレました……

 

↑↓まるで小津みたいな定石無視のカットバック。

 

絹代ちゃんの花柄の衣装。

かわいいが……モノクロ向きではないな。

なんかごちゃごちゃした印象。

 

絹代・父の水島亮太郎は、

自分の事業のため、

どうしても絹代ちゃんと斎藤達雄をくっつけたいので……

 

河村黎吉(悪いヤツ)に依頼して

佐分利―絹代の仲を裂いてもらうことにします。

 

河村黎吉、絹代ちゃんがお嫁に行くから、とかいってだまして

馬鹿正直の佐分利から絹代ちゃんの手紙を受け取ります。

 

で、その手紙を絹代ちゃんに渡します。

 

というか、オシャレなカップですね↓↓

あなたから遠ざかりたいんでしょうなあ。

ああ、悪いやつだ。

 

これもゴージャスなカットバックだね。

河村黎吉先生の「ウソついてます」って顔がたまらんね。

 

ここはあれです。

前回の「家族会議」の桑野ミッチーの ジャーン! ガーン!

ああいうどぎつい表現はないです。

 

というか、全体的に「家族会議」のあくどい表現は鳴りを潜めております。

たぶん、評判悪かったんじゃなかろうか??

 

そのかわり酔っぱらって……

で、めちゃくちゃにピアノを弾く……

というブルジョワ娘らしい表現があるんですが……

 

ここは眼鏡っ子・絹代ちゃんが、この作品でただ1シーン 眼鏡をはずすところなので……

これをうまく使えなかっただろうか?

などと個人的には思います。

 

「男性対女性」――

さすが、うめえなあ、という表現は……ちょっと見あたりませんね。

どの感情の表現も月並みな印象。

 

一方、弟の磯野秋雄。

姉・絹代を気づかって 佐分利信の研究室へ行く。

 

これ↓↓ ずいぶん立派な部屋なので気になります。

どこで撮ったのかね?

 

なんか長くなりそうなので、今回はここまで。

 


島津保次郎「男性対女性」(1936)感想② 眼鏡っ子・絹代ちゃんモンゴルへの巻

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つづきです。

まず前回のおさらいなのですが……

 

・絹代―桑野ミッチーのエス関係が描かれる。

(「美代子さん、わたしの妹なんですもの」なるセリフ)

・レヴューの場面が長すぎる。

ということを書いたのですが……

 

これは

女学生を観客に取り込もうという松竹の戦略なのではあるまいか?

などということを急におもったりしました。

 

アサヒグラフの1936年の記事を紹介しましたが↓↓

こういうスタアの「出待ち」の報道をみて……

「この子たちをまるごと映画館に連れて行けば大儲けできるわい、ぐふふ」

と思ったのかもしれない(笑)

 

さらに……ホンモノの……水の江滝子やら小夜福子やらが出てくるようなレヴューは

大都市圏に住む、ある程度裕福な階級の少女しか見ることができなかったでしょうが、

映画であれば、地方在住の少女、あるいはそれほど裕福ではない少女たちにも

見てもらえるのではないか??

逆に……少女たちの側にも

「スクリーン上でもいいから、ターキーの舞台がみたい」

という希望もあったのではないか?

とうぜん1936年、テレビ放送なんてものは存在しないわけですから。

 

□□□□□□□□

もとい、つづきです。

河村黎吉にだまされて 佐分利信にフラれたと思いこんだ絹代ちゃん。

今度は競馬場にやってきます。

アルコールの次はギャンブルですか。

 

府中競馬場でしょうか。

島津オヤジは競馬マニアだった由。

 

だが、今までに見た島津作品を振り返ってみると……

「隣りの八重ちやん」→野球場

「家族会議」→証券取引所

「男性対女性」→競馬場

と、人が大勢集まり、かつ大金が動く場所、というのが好きなんでしょうかね。

いや、きっと好きなんでしょう。

 

そこで芸者さん(おそらく)かなにかを連れて遊びにきていた斎藤達雄に出会いまして……

やけになった絹代ちゃん、

一緒に出かけることになります。

 

斎藤達雄曰く

行きましょう。

スピードですね? そうでしょ?

 

斎藤達雄。「スピード」を今現在の日本語英語のアクセントではなく、

英語のアクセントで発音している。

当時はそうだったのかな。

 

ドライブシーン。

車種等わかりません。

 

戦前のクルマは「家族会議」のエアフロー(流線型) 「女医絹代先生」のダットサン(小さい)みたいに

わかりやすい特徴がないと、なにがなんだかわかりません。

たぶん、慣れれば各車各メーカー特徴があるんでしょうが……

その段階まで至っていません。

 

楽しそうな二人……

なのですが、このあと、斎藤達雄が湖畔の別荘で絹代ちゃんに無理やりキスをしようとして引っぱたかれて

二人の仲は終わります。

 

斎藤達雄は早々とお役御免。

あ。右ハンドルですね↓↓

 

高杉早苗のクライスラー・エアフローは左ハンドルだったな。

 

このあと、磯野秋雄(絹代ちゃんの弟役)家出事件が起きまして……

絹代ちゃん、「妹」の桑野ミッチーのところへ。

 

劇場のレストランで……

上原謙・桑野通子・田中絹代

という、ため息が出るより他ないゴージャスな会合です。

 

いいなあ。個人的には日本映画の黄金時代は1930年代のような気がするんだが……

はたして50年代で、こうゴージャスな雰囲気は出るかな??

 

このシーンは妙な多幸感が漂う。

磯野秋雄は、大塚君代の実家の東北の牧場に行ったぽいので

別に誰も心配していない(笑)

 

上原謙は 俺が停学食ったとき兄貴は……なんて調子だし、

桑野ミッチーは「牧場、素敵だわ!」なんて調子。

 

トップスタア絹代様だけ逆光気味なのは、わざとなんでしょう。

彼女が沈んでいます、ということを示しているのか。

 

そのあとの絹代ちゃんの散歩シーンも美しい。

どっからどう見ても東京のど真ん中でロケ撮影。

しかし、あまり人影が見あたらないので

早朝撮ったのだろうか??

 

向うに見える数寄屋橋も人影が無いように見える。

というか、電車(市電)の姿もみえない。

 

右側は銀座 左側は日比谷 賑やかな界隈だとおもうのですが。

 

↑↑左側のビルヂングは、おなじみ朝日新聞本社だと思われますので……

絹代ちゃんが歩いているのは……

外濠、山下橋なのではあるまいか?

 

草思社・アイランズ編著「東京の戦前 昔恋しい散歩地図」

27ページ掲載の1931年の地図です。

 

赤丸をつけた橋を↓↓ 帝国ホテル方面に歩いているのでしょう。

今は埋め立てられてますね。

 

右奥に見えるビルヂングもなかなかいい感じ↓↓

一体なんのビルでしょうか?

 

つくづくデジタルリマスターしていただきたいものです。

 

ここはモダン建築づくしのシークエンスなのですが……

この建物が一体なんなのか?↓↓

 

上原謙・桑野ミッチーがいる劇場、ということなのだろうが、

何の建築なのか、わからない。

 

見たことのある建築だと……

東京宝塚劇場、に雰囲気は似てる。

 

二玄社「オールドカーのある風景 師岡宏次写真集」144ページ↓↓

1945年 「アーニー・パイル劇場」といって進駐軍専用で、日本人は入場できなかった頃の写真になりますが。

 

ただ……

松竹の映画に、宝塚劇場は出てこないだろう。

この建物は何なのか、ご存知の方は教えていただきたい。

 

悪者・河村黎吉(左)が劇場の支配人に納まりまして

偉そうに経費の削減を始めます。

(真ん中は 絹代・父役の水島亮太郎。劇場のオーナー)

 

上原謙、大激怒。あっさり劇場を辞めます。

 

その様子をみつめる桑野ミッチー。

舞台の様子。

舞台上にクルマを何台か載せてます。

 

ミッチーも舞台の照明を全部落してサボタージュ。

自分も辞職します。

 

劇場の裏側がかっこいいんだよな。

これは一体どこの何という建築なのか?

 

よしてどうするの?

どうにかなるわ。生きてくぐらい。

しかし、僕のために……

 

この映画は気になる建築が多い。

前回もチラッと紹介したが、上山草人(岡倉男爵)の入り浸っているビリヤード場。

やけにかっこいい。

 

水島亮太郎、電鉄事業だかなんだかに男爵の出資を頼んでいたのですが、

例のドラ息子・斎藤達雄と絹代ちゃんの結婚がコケましたので

出資をあっさり断られます。

 

絹代ちゃんも家出します。

客車から沿線の火事を見つめる絹代ちゃん。

 

この火事。

藤野秀夫(佐分利信・上原謙の父)の会社の工場の火事で(偶然!)(笑)

佐分利・上原の家も没落していきます。

 

家出した先は

弟・磯野秋雄のいる牧場。

 

迎えに来たの?

ううん。あたしも来ちゃったの。

 

佐分利信がああいう……研究一筋のキャラクターなせいか(?)

なんか 田中絹代―磯野秋雄姉弟の描写は 疑似・恋人同士のような感じがしてならない。

佐分利信とのイチャイチャ場面はラストシーンしかないんですが、

磯野秋雄とは何度かイチャイチャ場面があります。

 

ここのセリフも「来ちゃった」なんて もろに恋人同士です。

英語でcome は、……あ、まあキリがないのでいいです(笑)

 

子供二人が家出しちゃった水島亮太郎。

泣きっ面に蜂で、

電鉄事業のためにバラまいたカネをめぐって

検事局が動きはじめ……逃亡。

 

というか、河村黎吉が悪の根源なんですがね。

 

ネオン……イルミネエション、好きね。島津保次郎。

 

牧場の様子。

椅子・テーブルでの食事。

「東北の農村」というよりハリウッド映画にでてくる農村のイメージ。

 

おなじみ坂本武が登場。

さすが(?)絹代ちゃんの隣りというベストポジション。

一方の水島亮太郎。

子供達のいる牧場へ。

しかし……なぜ皆が皆、この場所に吸い寄せられるのか??

 

男たちが

このあたりでは見慣れない立派な男をみかけた、と話している。

 

もしや? とおもう絹代ちゃん。

東北の農村には似合わぬモダンなブラウス姿である。

 

銃声がする。

 

水島亮太郎、ピストル自殺。

というか、子供たちのいるすぐ近くで死ぬという……

嫌がらせみたいな死に方である(笑)

ここは、まあ、「お前たちに負けたよ」とかなんとかお涙ちょうだいのセリフがあったりします。

 

ま。色々と大味なんですわ、この映画。

 

一方、母・吉川満子。

旦那が自殺した悲しみとかなんとかより

住んでいた豪邸が5000円にしかならないという話に、怒るやら悲しむやら。

(たぶん河村黎吉が袖の下をいくばくか抜いてしまっているようだが)

 

河村黎吉先生の例の江戸弁がたまらないところです。

一週間以内に

おしきはらい(お引き払い)

を願いたいんですが……

 

前回「家族会議」では 「秘書」を「ししょ」と発音していたっけ。

母・吉川満子に

生活を立て直しましょう、とかいう絹代ちゃん。

 

ん、だが……とくにそういう話にはならず

吉川満子は例の東北の牧場へ。長男の磯野秋雄が養っていくようである。

で、

絹代ちゃんは実家とは関係なく、佐分利のいるモンゴルへ行くんである。

このあたりもグダグダである(笑)

 

んだが、絹代ちゃんがひたすら可愛いので、許す。

 

一方、

水島亮太郎が死んで、劇場は例の上山草人が手に入れたようです。

で、上原謙はまたレヴューの演出に復帰します。

 

復帰にあたり、

とうぜん

桑野ミッチーを誘います。

ミッチーは喫茶店で働いています。

チェック模様のワンピース、白い襟、バカでかいボタン、なにもかもかわいいです。

 

また、レビューだよ。

もち、OKよ!

 

んだが、

山城のやつ(河村黎吉)、まだいるんだ。

 

というわけで、さっさと劇場オーナー・上山草人との会見を打ち切って帰ってしまった上原謙。

 

追いかけて来た劇場支配人・河村黎吉先生をぶん殴る、上原謙。

 

というか、島津保次郎。

ガラス割れるの好きね。

「隣りの八重ちやん」→磯野秋雄がキャッチボールで窓ガラスを割る。

「家族会議」→桑野ミッチーがガラスのコップを握りしめて割る。

「男性対女性」→上原謙が河村黎吉をぶん殴ってガラスを割る。

 

上山草人に

殴らせておけばいいの。

というミッチー。

 

衣装なんですが、ピンク系かな?

ピンク系だとかわいいですね。

 

殴って、そのまま劇場を飛び出した上原謙を諭す桑野ミッチー。

 

けっきょく、河村黎吉はクビ。

上原謙は演出家復帰。

で、予定調和。めでたしめでたし、となります。

んで、

たぶん聖橋からの光景、だとおもう。

 

(おそらく)聖橋を歩く、佐分利信・上原謙の兄弟。

佐分利は人類学の調査で、モンゴルへ行くことになったようです。

 

上原謙は気を利かせて「時子さん(絹代ちゃん)はどうするの?」とか聞きますが、

あくまでグジグジしている佐分利です。

というか、この映画、佐分利信は終始グジグジです。

 

株式会社ベストセラーズ「東京・昔と今 思い出の写真集」

157ページ↓↓

 

昭和6年(1931)と「現在」の聖橋の対比なのだが……

1971年の本なので、かれこれ50年前です。

 

昭和6年頃の聖橋。ニコライ堂と湯島聖堂と二つの聖堂間に橋を架けたのは、震災後である。まだ総武線は開通せず、橋下は空いている。神田川にはまだ魚が棲んでいた。

 

そうか、地下鉄・総武線の鉄橋がないから、ヘンな感じなのか。

 

はい。

1936年の聖橋です。

このあたり、お茶の水駅もけっこうモダンな建物だったようです。

 

で、ニコライ堂。

小津の「麦秋」にも出てきますね。

 

ニコライ堂の鐘が鳴って、

で、その鐘の音が……そのまま、

服部時計店の鐘の音に。

 

鐘の音でシーンを繋げますが、

うまい! というほどではない。

 

銀座の立派な喫茶店だかレストランだか、です。

ずいぶん天井が高い。

上原謙を諭した桑野ミッチー、

今度は「お姉さま」の絹代ちゃんを諭します。

 

「家族会議」は高杉早苗たんがトリックスター的に暴れまわって事態を解決しましたが、

「男性対女性」は桑野通子が天使的に事態を解決します。

そういえばミッチーは 配光主任……照明さんなわけです。

光りを与える=天使=桑野ミッチー

という構図は、なるほどいいですね。

この作品の唯一「すげえ」という点かもしれません。

 

ちなみに、

桑野通子はあくまで洋装。

絹代ちゃんはここでは和装です。

 

でも、行雄さん(佐分利信)と結婚しちゃいなさいよ。

 

生活の方便に結婚なんかしたくないわ。

言うことだけは一人前ね。好きなくせに。

 

劇場に復帰した桑野ミッチー。

 

そして上原謙。

なんとなく、二人が結ばれるんであろう、という雰囲気の描写。

 

で、絹代ちゃん。

モンゴルへ(笑)

 

こういう男くさい格好が似合うな。佐分利は。

 

驚いて?

乱暴だな。

 

佐分利、横顔がかっこいいんだが……

どこで撮ってるんだか、案外大船の近くだったりして。

丹沢?

 

一緒についていきたいの。

 

ついていきますわ。

 

――と、感動のラストなわけですが……

いくらなんでも唐突すぎるわな。

 

んだが、アサヒグラフ 1936年3月4日號↓↓

 

大興安嶺征服

京大遠征隊の壮挙

という記事。

 

京大隊のモンゴル調査というのがあったらしく、

当時の観客にはタイムリーな内容だったのでしょう。

馬に乗っているのは

ブリヤート人の若者らしいです↓↓

 

このあたりのファッションが佐分利信の格好に影響を与えているのか?

にしても、佐分利の重装備に比較して、絹代ちゃん、あまりに軽装すぎないか(笑)

……と、いろいろツッコミどころはありますが、

田中絹代→眼鏡っ子・かわいい。

桑野通子→ワークウェア姿・ひたすらかわいい。

上原謙→終始かっこいい。

佐分利信→ラストだけ(笑)かっこいい。

と、見どころはたくさんの作品だとおもいます。

さよなら、中銀カプセルタワービル。六義園のシダレザクラ、トーハクの桜。

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3月おわり。

黒川紀章先生の 中銀カプセルタワービルが近々解体されてしまうそうなので、

会いに行きました。

 

いつか中に入って見学できるかな? とかおもってたが――

永遠にかなわぬ夢になってしまった。

 

1972年4月竣工、ということなので ちょうど50周年か……

この年代の名建築は、保存されることなくどんどん壊されているというのが現状。

 

「明治」「大正」の建築、というと、「保存しましょう」となるんだが、

昭和40年代とかいうと、そうはならないらしい。

 

新橋駅から歩いていきました。

以下、カプセルタワーの写真はディスタゴン25㎜で撮影。

 

上の画像をトリミングしたもの。

 

手持ちの資料によると、

2.3m×3.8m×2.1mの住居カプセルを 2本の鉄骨鉄筋コンクリートのシャフトにボルト接続させている、とのこと。

 

入口の柱に……

 

「解体工事のお知らせ」

4/12から解体始めるらしい……

 

入口。

 

この日、六義園とトーハクの桜を見に行く、というのがメインイベント。

で、時間に余裕があったので

急遽、カプセルタワーを見に行くことにしたのだが……

 

同行のT子さんは 駅からまあまあ歩かされたし、

結果、ついた所がこんな意味不明な廃ビルだし――で、ものすごく不機嫌になった……

 

やはり、このカッコよさは女性には伝わりづらいのか?

あるいは性差別的な発言かも知れんが……

 

「メタボリズム」とかなんとか一括りでいえばそうなるんだろうけど……

 

「理屈」「理論」で、全部物事をコントロールしようとする、

まあ、はっきりいって乱暴な思想の

夢破れたあとの残り滓――のようなものか?

 

またひとつおもしろい建築が消えていきます。

 

輝いていたころのニッポンだなぁ……

今や完全に老害大国だもんなぁ……

 

□□□□□□□□

えー、時系列でいえば、まず最初に六義園に行ったわけです。

しかし……

コロナ前の混雑からすると、ほんと寂しい人出。

 

事前予約制だから、なのでしょうが。

 

マクロプラナー50㎜↓↓

以下、ニッコールの70-200㎜ズームを取りだしてガシャガシャ撮ってます。↓↓

 

 

 

 

 

 

満開のシダレザクラ。

コロナ前は身動きとれないくらいの人出だったような記憶がある。

それがこんなである↓↓

 

あと、異国の方がたくさんいたっけ。

 

カラスがいた。

なんだか寂しい六義園を出まして

駒込駅近くの満開のソメイヨシノ↓↓

 

で、上野へ。

みはしの本店へ行ったところ、すさまじい行列ができていて……

ダメ元で上野駅の支店へ行くか……

 

と、上野駅へ行ったところ。こっちはさっきの混雑がウソのように空いている。

本店は遠方の観光客の方が押し寄せていたのか?

 

もとい、

まず……わたくしの頼んだ

「苺と白玉の金粉クリームあんみつ」↓↓

 

うむ、絶品みはしクオリティ。

 

これは国立科学博物館の宝石展コラボあんみつ、とかいうもので

3月いっぱいで終ってしまったらしいです。

 

T子さんの白玉クリームあんみつ↓↓

 

トーハクへ。

こっちも事前予約制だったが、

六義園よりは流行ってた。

 

 

 

大好きな法隆寺宝物館。

 

 

 

裏庭へ。

裏庭入口の桜はこんなに白かったか。

 

ミカドヨシノという桜らしい。

 

ミカドヨシノ&渡辺仁建築

 

ミカドヨシノ&東洋館↓↓

 

ミカドヨシノの解説。

 

池のそばのシダレザクラ。

 

この時期のトーハク裏庭は、

いろんな桜が植わっていて楽しいのだが……

 

ここはコロナだろうがなんだろうが、いつも空いているのが不思議。

 

えー、以下、写真をべたべた貼ります。

六義園より楽しかったですね。

というか、トーハクの庭はいつ来てもいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本館の時計。

仁ちゃん……渡辺仁デザインなのかな??

 

動いているのか? と自分の腕時計を見たら

やはり3時15分だった。

 

夕食まで、まだ間があるので

どこかで時間を潰したいが……

しかし、上野はどこも事前予約制っぽく、たいへんにおもしろくない。

 

国立科学博物館の「ポケモン化石博物館」なんて、

めちゃくちゃおもしろそうだが……

見れないんだからバカみたいな世の中である。

 

科学博物館のマンホール蓋……

すごい。

 

博物館も動物園も事前予約が必要……

というので

解体前のカプセルタワービルを見に行ったわけです。

 

しかし、上野駅もさっぱりキレイになっている……

 

で、

意味不明な不気味な廃ビルなんぞを見せられて

たいへんに機嫌が悪くなったT子さんをなだめるために……

 

丸ビルのクア・アイナへ。

 

手前。

BBQコルビージャックチーズのセット。

 

JAFのカードを見せるとチーズのトッピングをしてくれるとかいうので、

なにか追加でかけてもらったとおもう。

 

奥は、なんとかアボカドバーガー(忘れた)のセット。

 

丸ビルからみた

トーキョー・ステーション。

 

 

 

昭和40年代の黒川紀章のカッコいいビルは壊されるが、

辰野金吾のもっさりした赤レンガ建築はピカピカ現役です。

 

魚眼レンズを持ってきたことを思い出したトマス・ピンコであった。

以下、ひたすら魚眼です。

 

 

こんなところから撮りました。

ガラスの床はなんとなく怖いです。

 

これも丸ビル。

 

このあと千疋屋総本店のストロベリー杏仁を買って

特急ときわでイバラキに帰りましたとさ。

アサヒグラフ 昭和3年(1928)1月1日號 原光代・崔承喜・空母サラトガなど

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4月、前回書いた記事の直後あたりから 目を痛めまして

しばらくブログから遠ざかっておりました。。

 

が、何事もなかったかのように再開します。

 

ゆり坊、とても元気です。

今月末で 11歳になります。

はやいものです。

 

□□□□□□□□

去年あたりから

アサヒグラフの縮刷・ダイジェスト版の

「アサヒグラフに見る昭和の世相」や「アサヒグラフに見る昭和前史」にはまっていたのですが、

 

どうにもがまんできなくなり、ホンモノに手を出し始めました。

 

アサヒグラフ 昭和三年一月一日 第十巻 第一號

を、勝手に紹介いたします。

 

表紙は 高橋是福氏令孃元子さん(十九)

とあるので シロートのお孃さんです。

(今の感覺だと 雜誌の表紙を飾るのは藝能人、というのが普通だが、

この頃は そういう習慣はなかったようだ)

是福は 高橋是清の次男 寫眞の元子さんは 伊藤博文の孫に嫁いだようです。

 

「空中戰將棋」という附録が氣になりますが、

殘念ながらそれは付いていませんでした。

(軍人將棋みたいなものか)

 

「よびもの」として加藤武雄の連載小説が書いてありますが、

これはとてもつまらなかったです。

ちなみに 加藤武雄は 建築家・丹下健三先生の義父(奥さんのお父さん)にあたるようです。

 

2ページ

「エムゼービー」コーヒーの廣告です。

MJBというと 今の感覺だと安物(失礼……)という印象だが、

この當時はどうだったのか??

 

小津作品のなにかにMJBの缶でてきたよな・・・

「浮草」のオープニングだっけ??

 

5ページ

秩父宮殿下の新御殿の紹介。

 

この頃のアサヒグラフを何冊かみた印象だが、

毎號のように 秩父宮樣は登場している。

 

えー 6ページ 流行のヘアスタイルの紹介。

 

銀座ハリウツド美容室 メエイ・ウシヤマさん考案の「ヴアレンシア結び」なるもの。

「マーセルを應用して結び上げた斷髪巻で・・」とか書いてあります。

 

モデルさんは、モダンな美女ですがお名前が書いてない……

「ち。何だよ……」

というトマスの聲にこたえてなのか?(なわけねえよ)

 

何號かあと、1月25日號で

「原光代」さん

と紹介されていました。

ネットで調べてみたが

日活の女優さんで ジャッキー・阿部とか溝口健二とかの作品でいくつか出ていたようだ、

という以上のことはわからない。

 

12・13ページ

今號のメインディッシュという感じがします。

「いやさかの新春を迎へられた 歐洲各國の皇女さま方」

 

毛唐のセレブが「いやさかの新春」もないだろう……

ともおもいますが、美女揃いで華やかです。

 

13ページ 眞ん中 イタリー皇帝エマヌエル陛下の第四皇女マリア女王。

ネットで調べてみたが、

調べ方が惡いのか何なのか、どういう方なのかよくわからない。

 

よくわからないが、とてもかわいい姫君です。

アサヒグラフの編集部もそう思って まん眞ん中に据えたのでしょう。

 

ちなみにさっき「ヴアレンシア結び」のところででてきた

「マーセル」

というのが このマリア殿下みたいな うねうねの髪なのですよね? たぶん。

 

23ページ

米國海軍・新鋭航空母艦サラトガ號の砲塔……

というのですが、

航空母艦のメインの機能は「大砲」なんかじゃないわけで……

なんかピントのずれを感じます。

 

この種のピントのずれは 他の號でもあって

アメフトの選手を紹介するのに よりによって「キッカー」の寫眞が載っていたりします。

アメフトにおいて「キッカー」はメインの選手ではないんですがね。

 

p26 

ダンサーの崔承喜が小さく紹介されております。

【寫眞】朝鮮少女の崔承喜

 

「あの崔承喜!」

という扱いではまったくないので

期待の新人ダンサー現る! みたいな感じですかね、この頃は。

 

ちと寫眞がわかりづらいですが……

29ページ

上野驛を賑はしてゐるスキー團

 

あのぉ……

この記事……なんの斷り(断り)もなく 舊字(旧字)で書いてますが……

わかりますかね?

「上野駅を賑わしているスキー団」です。

あと「寫眞」は「写真」よ。

 

スキーはとにかく流行っていたらしく、

この頃のアサヒグラフはスキーの記事ばっかりです。

 

カールツァイス 「ガラン」というオペラグラスの廣告。

カールツァイスは毎號廣告を載せております。

ちなみに「ガラン」は ¥30 だそうです。

オサレな革のケースが付いてきます。

 

ちなみにちなみに、この記事の寫眞は カールツァイスのマクロプラナー50㎜で撮ってます。

好きだぜ、カールツァイス。

 

連載漫畫

「おやぢ教育」

アメリカの漫畫家 ジョージ・マクマナスの作品の翻訳。

 

これもほぼ毎號のってます。

今なら 「〇〇先生の!」と作者名がドカンと出るのが普通ですが、

「ジョージ・マクマナス」という名前は見當たらない。

 

よくみると最後のコマに小さく署名してあるだけ……

 

この漫畫、手塚治虫が影響を受けたらしい。

 

裏表紙。

「ニッポノホン ワシ印レコード」の廣告。

 

この頃の人は「歌謡曲」ではなくて

歌舞伎だったり民謡のようなものだったり

浪花節みたいのを聴いていたのだな、とわかる。

(クラシックやジャズでは ヴィクターなど海外のブランドに勝てないというのも大きいでしょうが)

 

あと映畫説明というのもあります。いわゆる活辯の録音でしょう。

 

 

アサヒグラフ 昭和3年(1928)1月4日號・田中絹代ブロマイドの謎 ・「おやぢ教育」の謎

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前囘(前回)の記事で アニトラの踊りの畫像(画像)をみたい、とのコメントをいただきましたので、

載せます。

(あいかわらず舊字(旧字)で攻めます(笑))

 

前囘の記事の繰り返しになりますが、

アニトラの踊りの右側の美少女が崔承喜さんで、

これから大スタアになっていく人です。

(のちのち金日成の北朝鮮に帰って行き、消息不明になるわけですが)

 

姐さん、こんな感じですよ↓↓

 

顔の横に布がぶら下がって踊りにくいのではないか? などと心配してしまいます。

 

話は逸れますが、

アサヒグラフを買うついでに

「田中絹代ブロマイド」なるものも某古書店で買ってしまったのですが……

いろいろ疑問が生じまして……

 

・これって何かの映畫のスチールなのかな? (ブロマイドでこんな背景にする必要はあるだろうか?)

・絹代ちゃんの年齢を考えると、撮影は戰前だろうが、プリントされたのはいつなんだろう?

 

なにかお分かりの方、ご教授願います。

戰前のプリントか 戰後のプリントか見分ける方法はあるのか??

 

にしても……

かわいいぜ、絹代たん……

 

□□□□□□□□

もとい、誰に頼まれたわけでもないのに

アサヒグラフ 第十巻 第二號 昭和三年一月四日

をご紹介いたします。

 

表紙は華やかです。一瞬どこぞの女優さんか? と思うのですが、

この頃のアサヒグラフの表紙、藝能人が飾ることはまずない。

讀んでみますと

 

春をことほぐ富士の盆景

イギリス實業家ハリスン氏夫人の純日本藝術

 

なるほど。

日本大好きガイジンはチヤホヤされる、の法則。

この頃からそれはあったわけですね。

それが美人ならば、なお良し、ということか。

 

p4

とても美しい寫眞。

 

今樣雪女郎

アルプスの山は美はし、雪すがたかゞやくばかり、雪をけり雪をしだきてはせゆくやスキーのおとめ

木の間もる陽のサフアイアを、うちくだきうちつくろいて、はしるはしる。

 

と、まあ、ポエムしてます。

今だとアイドルのグラビアにこんなポエムが付きますね。

 

ようするにスイスの女の子がスキーしているところ。

黨時のスキーヤーのファッション、なんとも可愛らしい。

 

p5

見開き、隣りの写真も美しい。

畫面の明暗がビビッドで、木の枝が額のようになっているあたりが素睛らしいです。

凍った湖の上のアイス・ボートの樣子です。

 

……と、表紙・p4・p5のように この雜誌。

ジャーナリスティックな興味よりも 寫眞の美しさを重視する傾向があるようです。

 

それが……へんなことになってしまっているのが

p7

フツトボールの猛選手 アル・マースター君

【寫眞】マースター君の見事なキツク

 

前囘も「ピントがずれている」などと書きましたが、

アメフトにおいて「キッカー」はメインの選手じゃないんですよね。

ほとんど試合に登場しません。

(ほぼほぼフィールドの外にいて、キックのタイミングだけ登場する)

 

花形選手はやはり「クォーターバック」です。

でも、この寫眞が選ばれてしまう、というのは、

「實際のアメリカン・フットボールを良く知らない」ということもあるでしょうが、

 

「寫眞の美しさ」……ようするに

「映え」を重視したから

なのでしょう。

 

p9

ゴヤの「少女肖像」を紹介しています。

このページのように東西の名畫を紹介するページが毎號あります。

 

p19 「コドモグラフ」というお子樣向けページ(これも毎號ある)

獨逸のおもちゃ工場を紹介しているんですが……

 

いくさには まけても おもちやまで こんなものが できるやうになり

いまに むかしの ドイツに かへるでせう。

 

と、この頃の獨逸關聯(ドイツ関連)の記事は、

戰争に負けた可哀想な國……

というトーンで語られることが多いです。

 

p22-23

絹代ちゃんですよ、絹代ちゃん

 

松竹「近代武者修行」

【寫眞】鈴木傳明と田中絹代

 

日活「結婚二重奏」

【寫眞】主演者岡田時彦と夏川静江

 

「近代武者修行」は牛原虚彦監督

「結婚二重奏」は田坂具隆監督

 

p23

そしてクララ・バウ(クララ・ボウ)です。

この子はたいてい、しどけない……ほとんどハダカみたいな恰好でアサヒグラフに登場します。

 

クララ・バウのこのエロテイクな香氣の前に、

このモダンな振舞の前に屈伏しない「男性」が、

と言はうよりは「近代人」が一人でもあつたら偉いもんだ。

 

……だそうです。

 

p30

これも毎號おなじみ カールツァイスの廣告。

プンクタール鏡玉(レンズ)

という眼鏡レンズです。

 

p31 おしまいは

マクマナスの「おやぢ教育」

 

ジグスとマギーのブルジョワ・中年夫婦が主人公の漫畫なのですが……

ジグス&マギーは マンガマンガした丸っこい顔なのに、

なぜか娘がやけに美人↓↓

という設定がおもしろい。

 

セリフも興味深いものがあります。

ひらがな・カタカナの使い方が今の感覺からするとかなりヘンテコです。

 

まあーお母さん、素睛らしいのネー、何處でお買ひになつて……

ちよッと買って見たのサー ドゥーいゝだろうー

 

この美人の娘、名前はついているんだろうか?

一人娘なんだろうか?

あまり登場しないキャラなので疑問が深まります。

アサヒグラフ 昭和3年(1928)1月11日號 「ニノチカ」の元ネタ?・日本婦人の足

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昭和3年(1928)にひたっております。

いい時代です。

関東大震災から4年5年後の復興の時代。

明るく前向きな大正の香りがあちこちに殘っていて 戰争の影はまだどこにもない。

この頃のアサヒグラフが何かというと話題にするのは

普選(普通選挙)

で、ようやく日本も一人前の民主主義國家になるんだ、という希望に滿ちている。

 

世界に目を向けても 世界恐慌はまだ起こっていないし、

ヒトラーはまだ政權をにぎっていない。

のどかです。

 

まあ、表紙も明るいです↓↓

アサヒグラフ 第十巻第三號 昭和三年一月十一日

の紹介です。

 

美しい雪人形

赤倉でスキー練習中の東京府立第六高女生

とのこと。

 

黨時のスキーヤーのファッション……

トップスは――セーターで着ぶくれして、マフラーして

ボトムスは――キュロットにタイツですかね。スカートじゃないよな??

 

約十年後、1937年の「女醫絹代先生」の田中絹代は、

ミリタリー風の気合の入ったスキーウェアを着ますが、

この頃はまだ 日常着の延長のようです。

 

p6

ルビッチの「ニノチカ」(1939)みたいな話。

というか、「ニノチカ」の元ネタかね?

 

ロンドン市場に出た舊露國皇室の重寶

最近ロンドンの貴金屬商、ワーツキー氏が、久しい間ソビエート政府と折衝の末、遂に手に入れた舊露皇帝、皇后、皇女などの御所藏品、凡そ八十點……

 

共産党・共産主義者というのは偉そうなことをいって、こういうことをします。

 

p12

米國の飛行機工場の樣子。

これまた手作業で作っていて――「紅の豚」みたいな世界です。

のどかです。

 

p17

昭和三年は辰年だそうで、龍の繪の特集なんですが……

雪村の繪が載ってる。

 

雪村って評価されたのは戰後からなのか、と勝手におもってたが、

そうでもないのだな。

 

今は大和文華館にあるこの作品も、

この頃は 個人所藏だったことがわかります。

 

p22

今でいう クルマの「ウィンカー」のはなしなんだが……

のどかです……

はやい話、この頃、ウィンカーは大して必要ではなかった、ということなんでしょう。

 

交通信號標識

最近ロンドン街頭にあらはれた自動車の交通信號で、信號標の末端に、電燈のつく丸い輪があり、ボタン一つ押せば自由に上げ下ろし出來、その光力も晝夜共十分識別出來るくらゐ強いもので、後方から來る自動車の運轉手の注意を喚び起すに足りる。車の兩側にあるからどちらへ曲るにでも都合がよろしい。

 

……今の感覺だと当たり前の装置なのだが、

技術の發展というのはこういう風になされていくものなのでしょう。

 

ちなみに……戰前 日本を走る自動車にくっついていた方向指示器は「アポロ」というもので

(アポロなるメーカーが作っていたのでそう呼ばれていた)

この寫眞みたいに フロントガラスの脇にくっついておりました。

寫眞のモノのように「電燈」は付いていなかったとおもいます。

 

p27

折りたたみ傘のはなしなんだが……

現代の眼からみると――

あ。その手があったか!

という、噴飯ものというか、落語というか、コントというか……

そんな話。

 

ジョーン・クロフォード似のモデルさんが持っている傘……

「柄」がパカッと取り外せまして……

んで、バッグの中にしまえます、という……↓↓

 

今、我々が知っている折りたたみ傘、あれはいつ發明されたのだろうか??

 

p28

いよいよ動き出した 地下鐵道

日本に於ける最初の地下鐵道上野淺草間はいよいよ完成し、十二月三十日から開通することになつた

【寫眞】は上野驛

 

そうか。銀座線の開業は 1927年(昭和2年)ですか。

年末も年末 12月30日開業というのはすごい。

 

しかし……殺風景な寫眞である↓↓

「開通式」みたいのはやらないのかね?

綺麗なお姉さんだの可愛い子供達だの出て來て テープカットやったりはしないんだね。

 

p30

おなじみ カールツァイス。

ウムブラール鏡玉(レンズ)……どうもサングラス的なものらしい。

 

おなじく p30

朝日新聞の飛行機の格納庫らしい。

 

堅牢な組立式格納庫

というから、今でいうプレハブ式なんでしょう。おそらく。

これも獨逸製らしい。

 

今號で一番氣になった記事はこちらです。

引用長くなりますが……

ちうごく人の足フェチぶりがよくわかる……

というか、若干氣持ち惡くなるような……

そんな記事。

 

紙上漫歩

日本婦人の足

(大連)多生

 

……其若者は暫くしてから日本人の家にボーイとして住込んだ、すると半月程して暇をくれと申出た。そこの家では日本語は話せないが、よく働くボーイなので給料を增すからと言ったが、無理に出て行つて了つた。そのボーイをつれて來た支那人の肴屋に話をすると、お宅の奥さんは何時も足袋を脱がないからですよと笑つてゐる。

 要するに女の素足を朝夕見られるのが樂しみで、厭な日本人の家に住込んだのだつた。

 尤も〇〇人のある階級の細君連が、市場へ行つて支那人から物を買ふとき、素足で行つてそれをさすらせ、たくみに値切るといふことを聽いてゐたので、そこの主人は妻君に對して、絶對に支那人には素足を見せるなと禁じていたからだ。

 

滿洲の田舎の若者が「女の素足が見られる」という理由で

日本人の家に雇われたが、その家の奥さんはいつも足袋を履いていたのでやめた……

というはなしなのですが……

 

逆に言うと、日本にいた時同樣、家で裸足で過ごす日本人の奥さんもたくさんいた、ということでしょう。

そしてそれを

「た……たまらねえ……」

とよだれをたらして見ていたちうごく人のボーイもいたんでしょう。

 

今のちうごく人はこういうことはないでしょうが……

しかし、大陸の人たちと付き合うことの難しさを感じます。

というか、日本人というのが若干ズレているのか??

 

文中の「〇〇人」というのは何でしょうね?

亡命ロシア人なのか、朝鮮人なのか??

 

裏表紙は 

おなじみ日蓄……株式會社・日本蓄音器商會の ニッポノホン・ワシ印レコード

 

さっきネットで調べて知ったのですが、

今の「日本コロムビア」なんですね。

 

昭和2年(1927)5月 英コロムビアに買収されて傘下になり、云々と

「78MUSIC」というサイトに書いてありましたので……

 

この頃(1928)外資系企業じゃないですか。

 

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