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ゆりたんのすべて。その56
サンタクロースなんかいない、とかいってる奴は大バカである。
皆さま、こんにちは。ご機嫌いかがですか。
なにがいいたいのかというと表題の通りである。
「サンタクロースなんかいない」
「そんなものいるはずがない」
「あれはホントはお父さんなんだ」
「だってプレゼントを隠してあるのをみたもん」
うんぬんかんぬん……
はっきりいうが
そんなこというヤツは大バカなのである。
せんせいにいいつけてやるもん。
せっかく12月だし、なにかと忙しく他に書くこともないので
この際だから、書いておいてやる。ありがたく思いたまえ。
①まず、余がこれからなにをしようとしているのか、はっきりさせておこう。
それは究極のところ…
「サンタクロース」=0(無)
この命題の矛盾を暴きだそうということである。
この命題が矛盾であれば、すなわち、
「あれ、ピンコっていくつまでサンタクロースのこと信じてた?」
とかいうバカ質問をする輩は、文句なしのど阿呆であることが
明らかになるであろう。
だってだってサンタクロースはぜったいいるんだもん。
②そもそもサンタクロースとは何者であろうか?
そこをはっきりさせねばならない。
余のこれまでの見聞をまとめてみると以下のようになる…
「クリスマスの夜に、なぜだか理由はよくわからないが、子どもたちにプレゼントを配ってまわるとされる一種の精霊的な存在」
――はい。
ここのところはいかに狂信的な「サンタクロースなんかいない教団」の信者であろうとも否定はなさるまいとおもう。
さらに付属データとして
「どうやら赤白の服を着ているらしい」
「どうしたわけだかコーカソイド系の男性老人、しかも髯をたくわえた人物に描かれることが多い」
「どうしたわけだか飛行可能なソリに乗ってあらわれる。ソリをひくのはトナカイで、中に一頭だけ赤く発光する鼻をした奇形のトナカイが混じっている」
「なぜか煙突から侵入してくる」
というようなものがあるが、ちと疑わしいものがあるので
(空飛ぶソリってなんだよ?)
この際、すべて無視することとする。
繰り返すが、サンタクロースとは
「クリスマスの夜に、なぜだか理由はよくわからないが、子どもたちにプレゼントを配ってまわるとされる一種の精霊的な存在」
コレである。
③で、あるからして、
サンタクロースというのはあるいはアジア人であるかもしれないし
黒人であるかもしれない。
老人であるとは限らず、また男性であるとも限らない。
紅白の服なんてものではなく、
バニーガール姿のお姉ちゃんである可能性も捨てきれないし、
キモノ姿のお婆ちゃんである可能性だってある。
さっき駅のホームでゲロを吐いてたおっさんである可能性もあるし、
背中一面に彫り物を入れたあんちゃんである可能性もある。
そもそも誰にも気づかれないで子供にプレゼントを配る点を
考慮するならば人間であるとは限らず、
地球人ではないエイリアンであることも考えられる。
不可視になるテクノロジーを持ったエイリアン…
さらにさらに…ここは多くの人に気づかれていない点であるが、
サンタクロースは複数である可能性も捨てきれない。
いや、その可能性は相当にあるだろう。
世界各国でこの伝説が受け入れられている点を考慮するならば、
サンタクロースは一種のチーム制、あるいは法人のような形で活動しているのかもしれない。
④が、けっきょく正体がさっぱりつかめないので
自分がもし「サンタクロース」であったら、と考えてみる。
ロールプレイングである。
子どもたちにプレゼントを配るのであれば、これは優しいヤツに違いない。
さらにいままで「サンタクロース目撃情報」というものが
各マスメディアに登場したことはないことを考えると
これは相当に奥ゆかしい性格であることは明らかである。
もし、③で考察したように、
「サンタクロース」というものが一種の団体であるならば、
その活動精神はおそろしく優しく、かつ奥ゆかしいものであることが明らかである。営利目的では、おそらくないであろう。
⑤で、…こっからが重要なんですが、
そんなサンタクロース…
「人間であるか、エイリアンであるか、わからない」
「性別も年齢も不詳」
「団体であるかもしれない」
「だが、とても優しい」「とても奥ゆかしい」
「あと、子供が好き」
「超高度なテクノロジーを使用しているのかもしれない」
こんな人(団体)がプレゼントをあげるのだとしたら一体誰だろう、と考えてみる。
⑥それは…あのー…はっきりいうね。
サンタクロースなんかいない、
とかいってるおまえ、
親がきちんといて
きちんとプレゼントをもらえる身分のおまえ、
おまえなんかのところに
サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれるわけないだろ。
サンタクロースってのはな、
まず、だれにもプレゼントがもらえない
不幸な子供を優先するんだよ。
オレがサンタクロースだったらそうするね。
両親のいない子、
今にも飢え死にしそうな子を優先するね。
このバカたれが。
世の中にはな、
子どもなのにまだ小さいのに
働きに出なけりゃいけない子どもだっている。
ひどいはなしだが
体を売らなきゃ生きていない子どもだっているんだよ。
銃を持って人を殺さなきゃいけない子どもだっているんだよ。
それがこの世界なんだよ。
あのな、
「あれ、何歳までサンタクロースのこと信じてた?」
ってのはな、
そのあたりに想像力がおよばない
能たりんの平和ボケの質問なんだよ。
このバカたれが。
⑦はい。皆さん、おわかりいただけましたか。
「サンタクロース」=0(無)
この命題は矛盾してますね。
そもそもプレゼント獲得資格のないバカたれなのですから、
そんなヤツのところにサンタクロースは来るわけがないのです。
そんなやつが「サンタクロースなんかいない」とかいったところで、
ブサイク童貞野郎が「女なんてものはよぉ…」とかいってるのと
同レベルの話なのです。
以上。
□□□□□□□□
あ。べつにイライラしてる、とかじゃないです。
あと、「血液型、何型?」
という質問も大キライです。
血液型占いとか、一体なに?
Aだの、Bだの、
ただ単に輸血の際に用いる符号でしょ?
なんなのアホなの?
「サンタクロースいない論」の次にムカつく。
……
…
…やっぱりイライラしてるのかしら??
東京国立博物館・庭園開放。その1
自由になる時間は1時間半しかなかったので、
なにはともあれトーハクへ。
そういや庭園開放をやっているとおもいだしたのである。
庭園開放。
ふだんはみれないトーハクの裏側がみれちゃう
非常に素晴らしい企画(?)である。
調べてみると、二年前の十一月に当ブログで
この「庭園開放」について取り上げている。
ので…
「庭園開放」ヴァージンではなかった
僕ちゃんは、じつは
たいして期待していなかった。
ただの暇つぶしにいったのである。
「トーハクの裏側?
――はぁ、もう見てますが、なにか?」
というような気持であったことをここに告白しておく。
ところが…ところが…
前回みたときって11月のはじめ…
だから、紅葉真っ盛りのトーハクを知らなかったのよね。
え?え?え?え?え?……
な、な、な、なに、この溢れる色彩??
初冬の午後の透明な光と
池の波の輝きの照り返しが織りなす
この、万華鏡的な色彩の渦が……
うう…
やばい……
なんかイッちゃいそう…
あー…これはすごい。
ウエノにこんなものがあるとは……
トーハクちゃんってば、あなた、
「日本文化死守」みたいな真面目くさった顔して、
裏ではこんなサイケデリックなぶっ飛んだことやらかしていたのね。
もぉー、ますます好きになっちゃった。
写真撮りまくってしまったので次回につづく。
あと、一時間半では足りなかったです。
これは三時間いても飽きないよ、きっと。
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東京国立博物館・庭園開放。その2
というようなわけで、
東博子さん
とトマス・ピンコの会話がとつぜんはじまるのであった。
トマス:…驚きました、東さん。貴女のそのお淑やかな外見の裏にそんな波乱万丈の物語が秘められていたなんて。
博子:おほほ。そうかしら?
トマス:おお、御覧なさい。池がまるで印象派絵画のようではありませんか。
博子:あ。そうそうこないだ貴方にいただいた1999年もののキャンティ、あれね、鴨のテリーヌと一緒に召し上がりましたわ。とてもおいしゅうございましたわ。
トマス:いえ、鴨のことはどうでもよいのです。池が…
トマス:池が貴女の輝きを反映して七色に輝いている。
博子:おほほ。貴方のおっしゃることはいちいち大げさですのね。
トマス:これは物書きとしての習性のようなものです。
博子:あら、おいしそうね。(鴨をみながら)
トマス:鴨のことなどどうでもよいのです。貴女の美しさについてです。
博子:おしりがかわいいのね(鴨をみながら)
トマス:「美」とは単純さの裏側にあるなにものかではないでしょうか。それはちょうど宋の青磁の単純な形態や色彩の裏側にこめられた、複雑極まりない美。そして小津映画の一シーン一シーンの裏側にこめられた計算されつくした美。
博子:そんなもの…
博子:主観にすぎないのではありませんか?妾はね、この池の輝きよりも、キャンティと鴨のテリーヌのおりなす、めくるめくマリアージュの方を選びたいと思いますわ。
トマス:でもなにかの法則はあるでしょう?「美」に関するなんらかの客観性とでもいうべきものが?
博子:そんなこといってるから、貴方はいつまでたってもダメなのよ。
トマス:でも自然界に秘められたなんらかの「法則」を感じることはありませんか?それはちょうど高等数学の難問がどれをとってもおそろしく単純なことに似ている。「双子素数」の問題なんて小学生でも理解ができる。「リーマン予想」にしたところで、リーマン・ゼータの零点をめぐるおそろしく単純なはなしです。それが一歩足を踏み入れると、この池のように…この紅葉のように…無限の輝きと謎に満ち溢れている。
博子:考え過ぎよ。
トマス:では、東さん。あなたの「美」の正体は一体なんなのです?
博子:愚問ね。愚問中の愚問だわ。ま。仮に妾が美しいのだとしても…
トマス:美しいです。
博子:簡単なはなし、ですわよ。単に「ひと手間加える」というだけのことですわ。これは日本文化の根本ですわ。
トマス:「ひと手間加える」?…それが日本文化の?
博子:例えば日本酒。
トマス:また酒か。まったく貴女は…
博子:黙っておききなさい。日本酒は「一麹、二酛、三造り」といわれますね。米の糖化と発酵が同時に行われること、それと三段仕込みといわれる複雑な「造り」の課程。「ひと手間加える」こと――、これこそ日本人のもの造りの基本なのではありませんか?
トマス:でもそれは米という穀物の特性上…ブドウとは違って手間をかけなければ「発酵」が起きない、ということだから…
博子:では日本刀はどうです?あれはただの鋼鉄の棒切れとはわけがちがうでしょう?
トマス:そうです。あれは心鉄と皮鉄の二重構造を持つ、おそろしく複雑な殺人機械です。刀の中心部は柔らかく粘り強い心鉄で構成され、そのまわりを硬い皮鉄で覆う…
博子:もし妾が美しいのだとしたら、それはそういうことなのでしょう。
トマス:でも…でも…
博子:単に「ひと手間加える」ということですわ。1999年もののキャンティに鴨のテリーヌ…そして妾・東博子に師走の紅葉……
□□□□□□□□
そうそう、
東博子ちゃん…トーハクちゃん、
円空展やるんですね。
仏像あんましよくわからない僕も
このザクザク感は快感です。
楽しみです。
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トトやんのすべて。その68
ああ、おいしい。おいしい。
シーバはおいしい。
ぼくはおもう。
シーバよりおいしいものは、はたしてこの世に存在するのであろうか。
ん?……
何ものかの気配を感じた…
ま。いいや。
はい。今度はなんですか。
銀のスプーン七歳以上用ですか。
うん。これもなかなかいける。
うんうん。
そういや、去年の五月に死んでしまったジャックおばあちゃんは
マグロの刺身をよく食べていたっけ。
ぼくはシーバさまで充分ですよ。
そうそう
ジャックおばあちゃんは
小さかったけど、とてもケンカが強くておっかなかった。
で、
そのジャックおばあちゃんがいなくなって、
ちょっとこの家も落ち着いたとおもったら…
あの金髪突貫小僧がやってきたんだっけ。
おかげで、控えめな僕はいつだって
ナンバー2ですよ。
ナンバー2。
謙虚な人柄というのは損をするものなんですかね。
この世知辛い世の中では。
ところで今日はどこにいるんだろ、あの金髪くんは。
□□□□□□□□
棚の上のゆりに監視されているのに気づかぬまま
トトやんは外へ出て行きました。
おもうんですが、ネコって上下方向の感覚が
若干鈍い気がする。
それとも気づいていたのか。
トトやんが鈍いだけなのか?
徳大寺有恒「ぼくの日本自動車史」感想
ぼくなんぞはやはり、根っこは工学部の人間なので
自動車評論家ではやはり
福野礼一郎氏が好きであったりする。
「横方向のモーメントが~」とか
「低ミュー値の路面の場合は」とか
「FR車の重心はどうしても」とか
そういうインテリヤクザ的な記述にやられちまうわけである。
そこへ持ってくると、なんか徳大寺のおっさんの書くものは
今回紹介する本からさっそく引用してしまうが……
(トマス注:スカイラインに関して)
それはきわめて日本演歌的な義理人情的なムードを強く背負ったクルマである。「オレの目を見ろ、なんにもいうな」の世界なのだ。
(草思社文庫「ぼくの日本自動車史」351ページより)
こんな感じの小市民的印象批評であり、
それはそれですこぶるおもしろいのだけれど、
なんとなく床屋談義の域をでない感もして、
「徳大寺?ああ、あなたみたいなシロートにはいいんじゃないっすか?」
などという反応を示したくなってしまうものがあるにはあるのである。
うー…ようするに、ですね、
「あるにはあるのである」
…――などと口ごもってしまうあたりが、
徳大寺のおっさんの本領のような気がしますのよ、あたくしは。
つまり堂々と「徳大寺のおっさんが好き」ということはなんか恥ずかしいような
そんなところがある人なのだな。
例えば、だ。
今「マイケル・ジャクソンが好きです」とか言っているそこの君。
君はMJ氏が生きていた時代もやっぱり
「マイケル・ジャクソンが好きです」と堂々と主張していたのだろうか?
違うんじゃないのかい?
「エイミー・ワインハウスが」とか
「やっぱりあのブルージーなセンスが」とか
いってたんじゃないのかい?
だが、
MJ氏が死んで、レジェンドになって、それではじめて
堂々と「私はマイケル・ジャクソンのファンです」といえる状況になったのでは
あるまいか?
まあ、MJをエルヴィスあたりと置き換えても良い。
それと同じ状況が徳大寺のおっさんのまわりにはある気がするんだ。
いやいやまだ、おっさんは元気だし(だよね?)死んではいないんですけど。
あと、ぼくはべつにマイケル・ジャクソンファンではないし。
まー、そんな徳大寺のおっさんです。
そうそう水戸の人らしいので、その点も親近感をおぼえます。
ようするにぼくは徳大寺のおっさんが好きなのです。
□□□□□□□□
感想:トヨタという会社の凄まじさ。
「ぼくの日本自動車史」というタイトルであるが、
これはようするに
「トヨタ」
なる、外国嫌いのちょっと国粋主義感のある変わった会社が
どうして日本の自動車市場を支配し、
その勢いをかって世界に乗り出していくのか…
(後進工業国家であった日本にとって「外国嫌い」というのは、ま、どれだけ勇気がある態度・行動だったことか……)
徳大寺のおっさんが描くのはそこ…
つまり「トヨタ」のサクセスストーリーである。
…要するにトヨタというメーカーは何を作ってもクラウンなのだ。カローラしかり、コロナしかり、マークⅡしかり、トヨタのクルマはすべてクラウンがスタンダードなのである。
おそらくトヨタのクルマが好きなユーザーは、きっとそれが好きなのだろう。それが安心なのだろう。そして、それがまたトヨタのクルマがここまでシェアを広げてきた理由なのだろう。クラウンはついにトヨタというメーカーのアイデンティティたりえたクルマなのだ。
(同書102ページより)
カローラの最大の特徴は1100㏄エンジンを与えられたことである。もちろんサニーの1000㏄エンジンを意識してのことである。そしてこのあたりからトヨタのスペック主義が始まる。「ユーザーは乗ったところで、しょせんクルマのことなんかわかりゃしないんだ」とするトヨタの考え方が、このカローラから歴然とその姿を現すのである。
(同書270ページより)
ここ四十年近くを振り返れば、日本のユーザー大衆がトヨタ車に目をくらまされて、トヨタ車を買いつづけたのは、よくわかる。ジャグァーにしてもデイムラーのダブルシックスにしても、実際にそれらのクルマにしばらく乗ってみると、その安物的な部分が誰にも見えてくるはずだ。ところがトヨタのクルマはそれを許さない。トヨタのクルマを買った人は「いいね、いいね」で、八割近くが満足してしまう。トヨタというメーカーは、ユーザーを酔わせるツボを探り当てているのだ。対する日産は、とうとうそのツボを探り出せないまま今日に至ってしまった。そして「ウチのほうが、モノはいいんだけど……」と、涙にかきくれるというわけだ。
日産はクルマ作りにおける普遍性ということを、とことん考える必要があった。自動車メーカーにとって、自分独自のモノ作りのポリシーはたしかに何よりも大事だが、そのポリシーと普遍性をどうすりゃすり合わせるのかを考えていくことはもっと大事なのだ。
(同書306ページより)
と、まあ、引用してみるとこんな感じ。
「ユーザーは乗ったところで、しょせんクルマのことなんかわかりゃしないんだ」
――と、完全に大衆を侮蔑しきったトヨタ様。
見せ掛けだけのゴージャスさで、
実はいいものを作っていた競合他社(日産とか)を、蹴散らしていく。
ここでぼくは最近読んだアドルフ・ヒトラーに関する一文を
思い出したのでありました。
大衆を見下し、軽蔑するヒトラーの宣伝観は、民主主義の不倶戴天の敵とされてきた。だが、自ら大衆人であることを十分自覚しているヒトラーの大衆人に対する侮蔑は、読み手が大衆である場合、教養エリートが牛耳る名望家政治に対する憎悪に転化し、「大衆民主主義」を推進するスローガンとなる。政治に疎外されていると感じる大衆は、ヒトラーの罵声を浴びることで自分たちが政治の真っただ中にいると感じるのだ。
(学研・歴史群像シリーズ42「アドルフ・ヒトラー権力編」97ページより)
なんか、ちとわかりにくいが…
ようするに「大衆」そのものであるヒトラー、
貴族でもエリートでもないヒトラー、
その彼が「大衆」を、あのものすごい声で罵りまくるとき、
大衆は、彼にものすごい親近感をおぼえることになる。
それで投票しちゃうことになる。
…なんかそんな感じですかね。
うーん…なんかごめんなさい。
「トヨタ=ヒトラー」
なんてことをいおうとしているんじゃないのよ、あたくしは。
断じて、トヨタ関係者にケンカをうってるんじゃありません。
ようは、さ、
なにかこう、「ベストセラー作家の心得」みたいなものが
裏に隠れているんじゃないのか、と思うわけ、よ。
ぼくちゃんだってさぁ、成功したいもんね。
大金稼ぎたいもんね。
つまり…
大衆に受け入れるためには
自ら大衆になりきらねばならない。
(白いクラウン、のように、あるいは「我が闘争」のように)
だが、それでいて
大衆を完全に蔑視しつづける必要がある。
かつ、大衆が喜ぶツボを知っている必要がある。
そしてあきらめないこと…
トヨタはしぶといメーカーである。日産の歴史を振り返ると、手がけては放り出すのくりかえしだが、トヨタは一度手をつけたものはなかなかやめようとしない。それを好むか好まないかは別として、たしかにクラウンには、初代以来一貫してトヨタのある種の理念が流れている。クラウンはごくごくオーソドックスな、なんでもないクルマである。しかし、世界の自動車の歴史を見ると、この「なんでもない」ということは、きわめて大事なことなのだ。
(草思社文庫「ぼくの日本自動車史」103ページより)
そうそう、
ベストセラーって「なんでもない」んですよ。
とくにとんがってるわけもなく、
とくにお利口さんぶってるわけでもなく…
でも難しいね。そういうの。
ノーベル賞と狂気、あるいは嫌われものの私
「あんたはズケズケものを言いすぎる」
とか
「言い方がキツい」
とかいうことを、僕はたまに言われる。
各方面から言われる。
子どもの頃からそんな感じだったので
いつの間にかあんまり喋らない人間になった。
僕の家族は(僕をふくめ)テレビをみながら食事をする、という
悪習に染まっているのであるが、
そこでもやはり、僕は言わなくてもいいことをいって嫌われる。
大河ドラマを見れば
「直江兼続?…ああ、上杉景勝のボーイフレンドですね?」
「家光という人は、男にしか興味がなかったから」
「西郷どんと大久保利通のケンカの原因は、村田新八との三角関係」
などということを言い始めるし、
映画を見れば、
「オードリー・ヘップバーン?…あ、『ローマの休日』だけの一発屋ですよ、あんなもの。日本人以外誰もおぼえてません」
「チャップリンはロリコン、クリント・イーストウッドもやっぱり深刻なロリコン、映画界にはホモかロリコンしかいない」
などと本当のことしかいわないので、嫌われて、
とうとう食事の時間は、僕だけ別の時間帯に移されることにあいなった。
先日も、ノーベル賞に関連してやっぱり嫌われた。
山中教授である。
いや、別に山中教授に対して悪い感情を持っているわけじゃ
全然ないのですが。
それでもやはり
「やあやあ、めでたいめでたい」
「山中教授はスマートだから」
「山中教授は二人の娘さんがいて」
「山中教授は本当は東京の大学へ行けたけど、奥さんとつき合っていて、離れたくなかったから阪大へいったのだろう」
「いやそれにしてもめでたいめでたい」
「日本人はやはりすごい」
…などというような会話を耳にするとやはり茶々をいれたくなるものがある。
ので、
「ノーベル賞受賞者は近親に精神病患者のいる確率が高い」
「なんといっても天才と狂人というのは紙一重なのだ」
「一見はなやかにみえる世界かもしれないが、裏側はどうかわからない」
ということをいってやったら、
やはり嫌われた。
偉大な業績を収めた人物が分裂病であることは稀である。もっとも、一九九四年のノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュは例外だ。哲学者ウイトゲンシュタインも分裂病だった可能性があり、ニュートンやカントも人生のある時期において、容易に分裂病と診断をくだすことができたかもしれない。最近のノーベル賞受賞者の一人、専門外でも有名な人物だが、彼も分裂病である。
…(中略)…つまり、芸術、科学、音楽、実業、政治におけるきわめて創造的な業績がしばしば、分裂病の遺伝子の一部をうけついだ人々によって成し遂げられてきたのである。最近の例をみても、ノーベル医学生理学賞受賞者のうち少なくとも三人は分裂病の子供をもっている。
(デイヴィッド・ホロビン著・新潮社「天才と分裂病の進化論」20ページより)
分裂病あるいは分裂病型人格の患者のリストはきわめて長い。有名な名前を少数あげるだけでその内容が推測できるだろう。音楽家ではドニゼッティ、シューマン、ベートーベン、ベルリオーズ、シューベルト、ワグナー。作家ではボードレール、ストリンドベリ、スウィフト、シェリー、ヘルダーリン、コント、ポー、ジョイス、ゴーゴリ、ハイネ、テニソン、カフカ、プルースト、ハクスレイ。哲学者では、カント、ウイトゲンシュタイン、パスカル。科学者、発明家では、アインシュタイン、ニュートン、ファラデイ、コペルニクス、リンネ、アンペール、エジソン、メンデルダーウィン。人類に対してもっとも高度な貢献をしたにもかかわらず分裂病型人格を発現した人々のごく一部である。名前をあげればきりがない。
(同書182-183ページより)
くりかえしいうが、山中教授に悪感情を持っているわけではなんらない。
それから山中教授がそういう家系の出身だとかそんなこと知らないし。
ではようするになにがいいたいのかというと、
村上春樹センセイにはさっさと賞をとっていただきたい、ということです。
でないと、僕の番がくるのが遅れてしまうので。
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ゆりたんのすべて。その57
週に一度、
前の職場のお姉さま方に…
美魔女さま方に…
ゆりの写真をメールで送っております。
などと書くと、皆さま…
「やっほー、こんなに大きくなったよ♡」
的な、のどかなものを想像されることであろうが、違うのです。
実は――
「坊や、いいこと?…
あたしたちのゆりをちょっとでもイヤな目にあわせてみなさい。
あなたの○○に鎖で○○して、
ハイヒールのヒールでさんざん××して、
鞭や蠟燭であなたの△△を○○していじめてあげるからね。
覚悟なさい」
などとさんざん脅されているので、仕方なく画像を送信しているのであります。
ところが、先週送った画像に対する
美魔女さま方の反応がひどかった。
「段ボールなんとかしろよ」
「りんごってなんだよ」
とかいうのであります。
ヒドイでしょ?ヒドイとおもわない?
あのねー、たまたまいい箱があったから使ってるだけじゃない?
「りんご」の箱、いいじゃんか、別に。
念のためいっとくけどさー、
うちの数兆円からのある財産から考えれば、
べつにこの箱のまわり全部に一万円札を貼りつけたところで
痛くもかゆくもないし、
なんなら、これと同じサイズの黄金の箱を作ったところで、
べつにおしいともなんともおもわないのさっ!
とか思ったりしたわけですよ。あなた。
ところが…
よく考えてみたら、一緒に送信した写真が良くなかった。
「なんすか?見合い写真?」
「王妃募集ですか?」
とか言われちゃった。
言われてしまったので、ゆり王に
王冠を追加してみた。
そうだね。
一度この見合い写真見ちゃうと、
「りんご」の段ボールの写真…
ホームレスにまで落ちぶれた王子さまって感じだね……
ダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイクガイド」 感想
この本は、科学啓蒙書のたぐいをよむと
けっこう引用されていたりして、
であるから、理系のインテリにはけっこうウケのよい作品であるらしいな、
ということはわかっていたのだけれど、今まで読む機会がなかった。
読んでみたらとてもおもしろかった。
ダグラス・アダムスという人。英国人。
どうも一発屋であるらしい。
あんまり「銀河ヒッチハイクガイド」がすごすぎて
あとは何を書いても処女作と比較されてしまうという可哀そうなヒト。
二○○一年四十九歳で亡くなっている。
↓下の画像に写っている「宇宙の果てのレストラン」
というのは、「ヒッチハイク」の続編です。
なるほどすごくおもしろかったけど、
けっきょく「ヒッチハイク」以上にはならない点、
「ニューロマンサー」のウィリアム・ギブスンに似ている。
あの人も、書くもの書くものおもしろいが、けっきょく
「ニューロマンサー」が一番いいね、ってことになっちゃう。
おもいきって時代ものとか現代物とか書いてみればいい、とかおもうのだが、
「あの、消費者が先生に期待してるのってそこじゃない気がするんですけど」
とかいわれちゃったりして、
なかなかそうもいかないのだろう。
①あらすじ
…というほどのものもないので困る。
が説明すると、
ある日、地球が消滅する。
ヴォゴン人というきまじめな宇宙人が、
バイパスを建設するのに
なんか邪魔だとおもったので、
滅ぼしてしまったのである。
(だが、まあ宇宙航法の新技術が発明されて、地球が消えた直後に
やっぱりバイパスの必要はありませんでした、というオチがあったりする)
そこから先は文庫本のカバーを引用しよう。
「どこをとっても平凡な英国人アーサー・デントは、最後の生き残りとなる。アーサーは、たまたま地球に居た宇宙人フォードと、宇宙でヒッチハイクをするハメに。必要なのは、タオルと〈ガイド〉――。シュールでブラック、途方もなくばかばかしいSFコメディ大傑作!」
というのだが、「平凡な英国人」というのはどうなのでしょうね?
英国人に知り合いはいないのだが…
以下、地球が消滅したときの主人公アーサーの心理描写。
イギリスはもう存在しない。それはわかった――なぜだか実感できた。別のを試してみた。アメリカも消えた。これはうまく呑み込めなかった。もうちょっと小さいところから始めることにした。ニューヨークも消えた。反応なし。まあだいたい、彼にとってニューヨークは夢物語みたいなものだったし。ドルは二度と復活することはない。かすかにうずくものがあった。ボガードの映画は二度と見られないのだとつぶやいてみたら、したたかにぶん殴られたような衝撃があった。マクドナルドもだ。マクドナルドのハンバーガーなんてものは。もうどこにもないのだ。
気が遠くなった。すぐに我にかえったが、気がついたら母親を思ってすすり泣いていた。
(河出文庫「銀河ヒッチハイクガイド」83~84ページより)
こんな反応がフツーなのかね?英国人は。
ま、もちろんコメディなので、こうなのだが、
英国人ってばほんとにこんな反応をしそうだから、コワイ。
ピンク・フロイドの名盤中の名盤「狂気」で
かのロジャー・ウォーターズ御大もいっているではないか。
Hanging on in quiet desperation is the English way
(英国人らしくひそかな絶望に身をゆだねる…)
と。
②感想
これはもうキャラクター設定がすべて、
という感じがします。この本は。
オタクっぽい英国人アーサーを助けたのは
銀河ヒッチハイカーのフォードである。
フォード・プリーフェクトはかねがね、人類について不思議に思っていたことがある。自明も自明なことをたえず口にし、しつこくくりかえすというあの習性はなんなのだろうか。今日はいいお天気だねとか、きみはすごく背が高いねとか、わあ大変だ深さ十メートルの穴に落っこちたみたいだけど大丈夫かい?とか。この奇妙な行動を説明するためにまず考えたのは、しょっちゅう唇を動かしていないと口が動かなくなるのだろうという説だった。
(同書67ページより)
この人は「銀河ヒッチハイクガイド」という…
「地球の歩き方」の宇宙版みたいなガイドブックの会社の特派員である。
このアーサー、フォードの「仲間」?として、
ウツ病ロボットのマーヴィン、というのと
元銀河帝国大統領のゼイフォードという
詐欺師めいた野郎が登場します。
(大統領というのはホントらしい)
先ほどの片隅でロボットはぱっと顔をあげたが、やがてその首をほとんどわからないぐらいにふった。のろのろと立ちあがるさまは、実際より二キロほど身体が重いかのようだ。それを見ていると、ただこちらに近づいてくるだけなのに、途方もない難事に雄々しく立ち向かっているのかと錯覚しそうになる。トリリアンの前で立ち止まったが、まるで彼女の左肩を透かして向うを見ているようだ。
「先にお断りしておきますが、わたしはとても気が滅入っています」ロボットはぼそぼそと暗い声で言った。
「やれやれ」ゼイフォードはうめいて座席に沈みこんだ。
(同書123ページより)
ゼイフォードとつきあうのは楽ではなかった。とくに厄介なのは見分けがつかないことだ――他人を油断させるために馬鹿のふりをしているのか、自分で考えるのがめんどくさいので人に考えさせるために馬鹿のふりをしているのか、なにがどうなっているのかほんとうにわからないので、それを隠すためにとんでもない馬鹿のふりをしているのか、あるいはほんとうに馬鹿なので馬鹿をやっているのか。ゼイフォードは感動的に頭が切れると言われているし、それは事実そのとおりだ――が、そうでないときもある。彼は明らかにそれを気に病んでいて、演技をするのはそのせいだ。見下されるよりは煙に巻くほうがいいと思っているのだ。それこそきわめつきに馬鹿なまねだとトリリアンは思うが、もうそのことで議論する気にはなれなかった。
(同書135ページより)
あとはこの四人を勝手に泳がせておけば
自然に物語は出来上がる…そんな気がする。
(いや、その段階までもっていくのがすごい仕事なんだよね)
…四人に加えて、↑に引用した文章でちょこちょこ登場する
トリリアン、という女の子キャラも出てくるんだが、
彼女はいまいち性格がはっきりしない。(気がする)
やはりコメディの基本というのは、うだつの上がらない野郎どもが
「モテてぇなぁ~」「カネ欲しいなぁ~」「一発ヤリてぇなぁ~」
なんてウダウダやってるところにあるのであって、
そこに女子が混ざったりすると
ラブストーリーか英雄物語に変容してしまうおそれがあるわけです。
作者ダグラス・アダムスはそのあたりの微妙なバランスがよくわかっている。
だが、まあ…
「一発屋」である所以もそのあたりなのかもしれません……
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ゆりたんのすべて。その58
去年の伴天連冬至の頃は…
(バテレン冬至:クリスマスのことね、クリスマス)
こんなに可憐であった先君のご遺子ゆり坊さまも…
いまでは、すっかり眼光鋭い
先君御同様の暴君におなりあそばされた。
狩猟、殺生を好み、
領国の政治は悪商、腐敗しきった官僚どもに任せきり、
おかげで領民の苦しみは、耐え難く…
他国へ逃散する者たちは後を絶たず、
各所で一揆その他の不穏な動きの噂が生まれては消えていくのであった。
そしてこの冬、不作にお上の暴政が重なり、
かつてない飢饉が、この国に襲いかかるのであった。
ジャジャーン…そこにある一人の若者がたちあがった…
…とかいうことは全然ないんですけど、
あと久しぶりに「カムイ伝」が読みたくなってきたんですけど、
ほんと偉そうね、あんた。
こうやって下々の生活を監視しているんですよ。
壁の角を噛むのはやめてくださいね。新築なんですから。
アマゾンで
「ネコが嫌がるにおい」みたいのを買ってつけてみたけど、
効果なし。
ま、保護マットだのテープだので補強してますが…
すごい歯してますからねえ、この子は。
とかなんとか偉そうにしてるくせに、
あいかわらず「クンク」と一緒じゃなきゃ眠れない。
あんまり悪さをすると、取りあげちゃうぞ。クンク。
ゆりたんのすべて。その59
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ゆりたんのすべて。その60
小津安二郎監督「宗方姉妹」感想
この際だから小津作品のDVDをコンプリートしてみようということになった。
「この際」というのが一体なんなのだか、自分でもよくわからないのだが、
ともかく…
松竹からでているBOXセットは全部持っていたし、
それに大映からでている「浮草」は去年購入済みであったので、
残りは東宝から出ている「宗方姉妹」と「小早川家の秋」
この二作品だけとなった。
で、昨年暮にアマゾンにて購入。このお正月にこの二作品を見た。
今現在見ることの出来る小津作品はいちおう全部見た、
ということになる。
中学生の頃「東京物語」を
「なんだかよくわかんないなぁ~」と思いながらはじめて見た頃から考えると、
まあ、けっこう時間がかかったものである。
で、「宗方姉妹」の感想を書きます。
1950年作品。松竹の監督であった小津が
他社で撮ったはじめての作品。
ちなみに前作は「晩春」(1949)そして次作は「麦秋」(1951)
超絶傑作の合間、巨匠の手抜き作品と申しあげてよろしいでしょう。
感想①つまらない。
あんまし評判のよろしくない作品であることは知っていたんですが…
まさかこれほどつまらんとは思いもよりませんでした。
田中絹代、高峰秀子、上原謙…とくりゃ、ま、
そこそこ興行収入はあったんじゃなかろうかと推測されますが…
弘法も筆のあやまり、モンキーもツリーから落ちる、で
小津センセイだって数々の失敗作を撮っているわけですが…
「東京暮色」「風の中の牝雞」が終始暗かったのと比べると
この「宗方姉妹」は高峰秀子が妙に明るい点――…
痛々しさが増大する気がします。ほんと見るに堪えないです。
デコちゃんのコメディエンヌぶりが輝いているんですが…
いかんせん他のキャストと噛み合っていない。
ほんと痛々しい。
感想②田中絹代投げキス事件。
このつまらなさの主犯は田中絹代たんなのではあるまいかと
推測したくなってしまうその理由は、ですね、
この映画の前年にですね、大スター田中絹代はアメリカに訪問。
飛行機で帰ってくるなり、「ハローハロー」と報道陣に向って挨拶。
のみならず投げキスをしたりして、周囲を顰蹙させた…
そんな事件があったわけですね。
こんなつまらん事件が大スキャンダルになってしまう…
ここらへんの感覚は今じゃすっかりわからんのですが、
まだ戦後四五年しかたっていない。
アメリカへの旅行なんぞ夢の又夢。
憧れの国であると同時にかつて敵国。
わが国の国土を焼き払った敵国でもある…
ここらへんの敵意と嫉妬と羨望とがごちゃごちゃに混じった感情が
能天気に「ハローハロー」とやらかしてしまった
浮かれてしまった田中絹代に向って噴出した…そんなところでしょうね。
「このアメリカかぶれがっ!!」
と顰蹙買ってしまったわけですね。
で、翌年の「宗方姉妹」…これは
「このアメリカかぶれがっ!!」
に対する解答。はっきりいって言いわけ。
それ以上でも以下でもないんじゃなかろうか、と。
ま、セリフを書きだしてみますと…
宗方節子(田中絹代)
宗方満里子(高峰秀子)
節子:満里ちゃん…あたし、そんなに古い?
満里子:(見返したまま)…
節子:ねえ、あんたの新しいってこと、どういうこと?――どういうことなの?
満里子:お姉さん、自分では古くないと思ってらっしゃるの?
節子:だからあんたに聞いているのよ
満里子:お姉さん京都行ったって、お庭見て歩いたり、お寺廻ったり…
節子:それが古いことなの?それがそんなにいけないこと?――あたしは古くならないことが新しいことだと思うのよ。ほんとに新しいことは、いつまでたっても古くならないことだと思ってるのよ。そうじゃない?
…というように、モダン志向の妹と和風志向の姉との対比を通して、
「投げキス事件」に対する謝罪というのか、言い訳をしているわけですな。
ま、たしかに
「あたしは古くならないことが新しいことだと思うのよ。ほんとに新しいことは、いつまでたっても古くならないことだと思ってるのよ。そうじゃない?」
このあたりは小津美学の真髄に触れているといや、いえますが、
けっきょく出来上がった「宗方姉妹」は
しょせん、
「投げキスへの言い訳映画」にしかならなかった、そんな気がしてしまいます。
へびモンチッチに関する知的極まりない考察
月に一度のトーキョー訪問。
だが今回は、美術館も博物館も行く時間がなかった。
他のおのぼりさんにまじって
改装された東京駅が撮ってやった。
なんかこう…ネズミ王国っぽいかんじがするのは
僕だけでしょうか?
ミッキーマウス、なんか出てきそうな気がするんだが…
インテリっぽいところをひけらかしますと…
設計者は辰野金吾。
お雇い建築家コンドル先生の、ま、一番弟子みたいな人。
明治建築界の大ボスですな。
ただし…ゲージュツセンスはあんましない。
ま、コンドル先生ご自身も…鹿鳴館あたりをみりゃわかるが
たいしてセンスのあるお方ではなかった。
そこらへん、国家の欲望とおのれの野望をうまく中和させることの出来た
昭和の大ボス丹下健三とは異なる。
ま。優等生建築、ってとこですね。
さて…初詣とかなんとかやる時間もなかったので(????)
上野のヤマシロヤ(おもちゃ屋さん)でなんかめでたそうなものを買った。
へびモンチッチ。
家族が爆笑してくれたのでまずは良かった。
ただしすこぶる安定が悪い。
足がついているからです。
足は必要なかったのではあるまいか?
だがこの足がないと
「へびの着ぐるみを着たモンチッチ」という設定が崩れ去り…
「大蛇にのみこまれつつあるかわいそうなサル」
ということになってしまうので、やっぱり足が必要。となったのであろう。
ここらへんの企画会議を想像するとすこぶるおもしろい。
うしろ姿。シュールなものがあります。
上から。
へびの生地、けっこうゴージャスな雰囲気をたたえております。
この黄色だか金色だかはなかなか良い選択。
「鏡餅はへびのとぐろを巻いた姿のお餅だって言われているんだよ」
という解説が書いてあります。
なるほどすこぶるめでたいものがあります。
ま、けっきょくのところ…
この子のおもちゃになってしまうわけですが…