Quantcast
Channel: トトやんのすべて
Viewing all 593 articles
Browse latest View live

ゆりたんのすべて。その61

$
0
0

雪。

まったくひどいものです。

もう降らないでいただきたい。

トトやんのすべて

あたくし。通勤の為にクルマを買って、

5年だか6年だかたつのですが…


この雪で

はじめてチェーンを使いました。

1時間くらいかけて…装着。

職場の駐車場だったもんで

屋根のないところで…

雪と風の中、1時間…あれはつらかった。


なんつっても

チェーン初体験なものでチェーンヴァージンなもので

ヤリ方がわからず苦労致しました。


トトやんのすべて

なもので…


使用後のチェーンをベランダで乾かしました。


トトやんのすべて


で、

たまたま下に敷くのに使った新聞紙で、

山田洋次先生がかの「東京物語」をモチーフに

「東京家族」なる映画を作ったことを知りました。


なんでも1月19日(土)ロードショーだそうですよ。

トトやんのすべて


その紙面をざっとみてみたのだが…


・橋爪功&吉行和子

→が、笠智衆&東山千栄子の老夫婦。(尾道から東京へやってくる)

・西村雅彦&夏川結衣

→が、山村聰&三宅邦子の長男夫婦。(町医者)

・中嶋朋子&林家正蔵師匠

→が、杉村春子&中村伸郎の長女夫婦。(美容院経営)


ここまではわかったが、

平山昌次(妻夫木聡)&間宮紀子(蒼井優)

というのでなんだか一瞬わからなくなる。


あれ?…なんだ、こいつら??…

こんなのいたっけ?

トトやんのすべて


…と、おもったら、なんだ。

「東京物語」の平山昌次は戦死してるんだった。


だから蒼井優ちゃんが、原節子(未亡人)だね。

この二人、つまり妻夫木&蒼井ですが、

「福島のボランティアで出会った二人。舞台美術の仕事をする次男は、彼の将来の見通しを心配して小言を言う父を避けている」

とかいう設定だそうな。


うー…はっきりいうね。

なんと軟弱な(ため息)…


…ん、まあ、

これ以上文句は言わない。文句は言わないよ。

だが、まあ、あらためて、

小津の「東京物語」を支えている構造がよくわかります。

「東京物語」を支えているのは

「ゼロ」あるいは「死者たち」なのだなぁ…


まー誰もが思いつくことだろうとおもいますが、

ここらでロラン・バルトの「表徴の帝国」を引用するのも

悪くはなかろうと思います。


わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、《いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる。…(中略)…現代の最も強大な二大都市の一つであるこの首都は、城壁と濠水と屋根と樹木との不透明な環のまわりに造られているのだが、しかしその中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、年のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである。

(ロラン・バルト著、ちくま学芸文庫「表徴の帝国」54ページより)


ようするに

皇居という「ゼロ」「空虚」に支えられた都市、「東京」

そして、

死者、戦争という「ゼロ」「空虚」に支えられた「東京物語」


小津センセイにはこのあたりのパラレル関係がよくわかっていたのだろう、

となんとなく思わせるものがあります。


んで、その肝心の「ゼロ」が見当たらない「東京家族」

どうなんすかねぇ??

蒼井優ちゃんが、吉行和子を泣かせたりするのかな??

んー…想像もつかないっす。


「カウボーイビバップTVシリーズ」感想

$
0
0

とうとう吾輩が「テレビ漫画」の感想を書くことになつてしまつた。

でも好きになつてしまつたのだから仕方がない。

「カウボーイビバップ」の感想、まいります。


年末だったか年始だったか忘れたんだが

WOWWOWでやっていたのを録画して最近見始まった。

ほんとうはおなじWOWWOWでやっている

リーガ・エスパニョーラという西班牙のサッカーを

みるはずだったのだ。それがこっちの方にはまってしまった。

いやリーガも毎週毎週みているんですが。


えー、で、「カウボーイビバップ」

全部で26話あって、映画版というのもある。

目下、ぼくがみたのは1~22話なので

感想を書くのははやい気もするんだが

書いてしまうことにします。

関連書籍も色々買ってしまっている。

そのうちフィギュアだのなんだの買ってしまいそうな気がする。


↓これは「設定資料集」とかいうもの。

3800円+消費税。

キャラクター、乗物、建築等々の絵がのってます。

カラーページ無し、文字情報もあまりない。

でもみてるだけで楽しい…


…というからけっこうはまってます。

さいきん小津安二郎のDVDコンプリートしたばかりの

このオレちゃんが…ねえ…


トトやんのすべて

①どんなおはなしですか

…というと、かっこいい音楽とかっこいい登場人物

かっこいい世界設定のかっこいいSFアニメです。

以上です。


昨夜みた

Session#21「ブギ・ウギ・フンシェイ」というので

時代設定が西暦2071年であるということを知りました。

(つい最近死んだ人の墓石に2071年と刻んであった)


ま、こう云う風にタイトルからしてかっこつけているわけです。


なんでも本放送(というのかな?)は

1998年~1999年にテレ東でやっていたものであるらしいです。

20世紀ですな。

10年以上前のものなのだな。


②登場人物
主要キャラは4人です。

・スパイク・スピーゲル(声:山寺宏一)

主人公。背が高くて、やせ形。ひたすら強い、が

なんとなく抜けている。

賞金稼ぎ…ようするに悪者をつかまえて警察に引き渡すと

賞金がもらえる、それで生活をしている。


これはたぶんわかる人はものすごく少ないような気がするんだが、

山田風太郎の描く「柳生十兵衛」にすごく似ている気がする。

ま、エンターテインメント時代小説とSFアニメを比べても

どうにもならないのだが、わかる人も少ないとおもうんですが、


どちらもものすごくケンカに強いんだが

ギラギラしてなくて無気力。なにごとにも恬淡としている、そんなヤツ。


トトやんのすべて

・ジェット・ブラック(声:石塚運昇)

スパイクの相棒。ハゲでガタイのいいおっさん。

元警官である由。盆栽が趣味、というのがいいですね。

ひたすら渋い。やることなすこと渋い。


4人が生活している「ビバップ」号という宇宙船があるんだが

それはこの人の持ち物である。

4人のうち3人(スパイク、フェイ、エド)が…

完全に生活能力がない人たちなので

このおっさんが面倒をみている…という構図もある。


・フェイ・バレンタイン(声:林原めぐみ)

莫大な借金を返すため、いろいろ悪いことをやらかしている

セクシーなお姉さん。

はじめはただ単に滅茶苦茶な女という感じがあったのだが

そのうち…

「治療不可能な病気にかかったため冷凍睡眠をし、治療技術が開発されたら目覚めるということになっていた、だが目覚めると、睡眠以前の記憶をすべて失っていた」

「その冷凍睡眠やら病気の治療やらでとんでもない借金を抱えてしまった」

「…であるからして、実年齢はものすごい婆さんなんじゃないのか?」


などという設定が見えてくる。

全26話みれば真相がわかるのかもしれないが

彼女の過去は謎のまんまにしておいたほうがいいような気が僕にはする。


・エドワード・ウォン・ハウ・ペペル・チブルスキー4世

(声:多田葵)

子どもの天才ハッカー。

「エド」と呼ばれている。

男みたいな名前なんだが、実は女の子であるらしい。

――…んだが、僕は性別は特定する必要はなかった気がする。


「ネコ」がそのまんま人間になったような滅茶苦茶な性格&行動のガキ。


そのくせSession#17「マッシュルーム・サンバ」では

得体の知れないキノコを他のメンバーに食べさせて実験。

ラリってしまったスパイク、ジェット、フェイをみながら

「やっぱり食べられないね」といったりするお利口なところもみせる。

↓左に描いてある子。

右に描いてあるのは、コーギーのアイン。

トトやんのすべて


以上、おはなしの輪郭の紹介。

感想もそのうち書こうと思います。

その前に全部見とかなきゃ。



「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」感想

$
0
0

「カウボーイビバップ」、26話全部みた。

あと映画「天国の扉」もみた。


映画は…途中からダレる気がします。

後半は予定調和です。

「ビバップ」のいいところは、

「好きなヤツだけついてこい」

「わからねーヤツはあっちいけ」

というところだとおもうんだが…

映画は万人向けに「説明」しすぎだとおもう。

(見始まって1,2週間でよく言うよ、この人)


5点満点だと「☆☆☆」というところだろうか。

やっぱりあの4人は25分で再び暴れてほしいものです。

ま映画はともかく、

関連書籍を何冊か買っております。

太田出版「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」なる本。

↓↓

トトやんのすべて


アマゾンの評価にそんなことが書いてあったような気がするが、

けっこうお得な本ではなかろうか。

全26話のおはなしの解説。批評。

それから↓…のような、2071年の世界を彩る

小道具、武器、乗物等々の解説なんかもついている。

トトやんのすべて


ただ…――

この「批評」のところがかったるい気がする。

なんつってもわたくし、アニメにはあんまし縁がない生活を送ってきたもので

アニメ作品に対して通常どのような批評が行われているのか

よくわからないのだが…

あと…たまたま低レベルの批評にぶつかってしまっただけなのかもしれないのだが…


「カウボーイビバップ」ははっきりいって

こんな低レベルの批評家・ライターどもに任せておいてよいシロモノではない、

とおもうので、いちおう僕がやれるだけやってみようとおもう。


□□□□□□□□


おそらく「カウボーイビバップ」における最大の問題は

「なぜエドはビバップ号を降りてしまったのか?」

ここにつきる。


Session#24「ハード・ラック・ウーマン」で

エド、ことエドワード・ウォン・ハウ・ペペル・チブルスキー4世が、

BYE BYE とでっかくビバップ号の甲板に書き殴って

コーギー犬のアインと一緒にいなくなってしまう、そのことをいっている。

そしてこのエピソードのあと、

Session#25「ザ・リアル・フォーク・ブルース(前編)」

Session#26「ザ・リアル・フォーク・ブルース(後編)」

この2話で、「カウボーイビバップ」は終焉にむかう。

ようするにビシャスと斬りあって

主人公スパイク・スピーゲルは死んでいくのである。


物語全体のターニングポイントである

「なぜエドはビバップ号を降りてしまったのか?」

このことに関して、エド役の多田葵さんは以下のようなことをいっている。


エドは、みんなのことをお見通しなんです。あの4人の中で、誰よりも客観的に人を見ているのはエドなんですよ。フェイフェイがスパイクのことを好きなことも知っているし、ジェットも慕っているふりをして、実は自分で使っているじゃないかな。スパイクとはあまり絡まないけど、フェイフェイには賞金の話をすれば喜んでくれるのも全部わかってる。あの中では一番無垢だし、人のことを疑ったりしないじゃないですか。ただ、わからないふりをしてるんじゃないかと。映画でも言ってましたよね。ジェットが、スパイクとフェイから連絡がなくて、ふて腐れてるときに「電話待ってるんじゃないのー」っていうシーンがあって。ああいうことを言えるのはエドだけの特権なんですよね。だから、全部わかっていたからこそ、ビバップ号を降りたんだと思います。

(「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」299ページより)


あるいは…同じ本の中で

岡島正晃とかいう人はこう書いている。

(トマス注:フェイ・バレンタインとは反対に…)

反対に、エドはこの物語の中で自分本来の居場所――不器用な大人の集合体であるビバップ家族の一員ではなく、フェイが失った「実感を伴う過去の絆」の中へ戻って行く。もちろん彼女の中では「仲間」であるビバップ・ファミリーの存在は「本物の家族」と同じく大事だったに違いない。しかし、そこには未来に繋がる延長線はなかった。物語の構造から読み解けば、それは「前途ある」少女がもう一度本来の人生を生きはじめるコトで、過去に縛られたスパイクのドラマから脱出することを意味していたのではなかろうか?

(同書240ページより)


以上が「エドはなぜビバップ号を降りてしまったのか?」

という疑問に対する「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」の解答である。


多田葵さんのはなしは女性らしく鋭くて、僕、好きです。

一方の岡島とかいうのは多田さんのいってること

「集合体」とか「延長線」とかインテリ臭い用語で繰り返しただけの

悪文でしかない。


ま、どっちにしろエドの心理、内面を勝手に推測して

それで「エドはなぜビバップ号を降りてしまったのか?」

この問題に対する答えにしている。

それならばAさんにはAさんの答えがあり、

BさんにはBさんの答えがある…とそういうことになるだろう。


それはマジメな批評家としてとるべき態度ではない。

そもそも「エドはなぜビバップ号を降りてしまったのか?」

この問題は僕がおもうに

「物語とは何なのか?」という実に大きな問題にもかかわってくるのだが…

(ビバップ家族…「家族」というのもまた「物語」に過ぎない…)


ま、つづきは次回書いていこうと思います。

というか、「カウボーイビバップ」見てない人には

わけのわからん記事になってますね。

トトやんのすべて

「カウボーイビバップ」の構造 その1

$
0
0

目下カウボーイビバップの世界にひたっております。

抜け出せるものかどうかわからないです。

引き続き「カウボーイビバップ」見たことない人には

まるで意味をなさない記事を書き続けます。


川元利浩「カウボーイビバップ イラストレーションズ ~The Wind~」

なる本を買った。画集ですね。

以下の画像はその本から。

トトやんのすべて

しかし「かっこええかっこええ」いってるだけでは

何の収穫もないので、とりあえずこの世界を分析してみようとおもいます。

まあ、こないだ買った

「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」の批評が

なんともかったるいものであった、というのも理由の一つではあります。


しかし…まー…以下、

アニメもマンガもあんまし触れたことのない人間の批評なんで…

どうなのかな??


□□□□□□□□


①セック○なき世界


まずこれから分析しようという世界がどのような世界であるのか?

と考えた上で最初に出てくるのは、ですね、


「いかにもセック○してそうなカップルが一切登場しない世界」


ということになるかとおもいます。

その点でいうとSession#1「アステロイド・ブルース」

に登場するアシモフ&カテリーナというカップルは興味深い。

この二人が酒場にフラッとはいってくる登場シーン…

これが長髪のイケメン&妊婦さんという

「いかにもセック○してそうなカップル」

なんで、

おいおいトマス先生なにいってんの?という感じがするんだが

あにはからんや

我々観客は、このイケメンが完全なジャンキーであること、

妊婦さんとおもいきや、その膨らんだお腹の中身は

ドラッグであること、

それとこのカップルの関係は完全に破たんしていること等々を

おもいしらされるのである。


ようするに「カウボーイビバップ」という作品はそのしょっぱな第1話から

「セック○」は描きませんよ。

ということを宣言してしまっているわけであります。


そのことは主人公たちも同様で、

スパイク・スピーゲル&フェイ・バレンタイン

なんていうのは若いヤリたい盛りの年代の男女が

狭い宇宙船の中で年じゅう顔を突き合わせているわけで

これはどうにかなるより他ないとおもわれるのだが…

スパイクは「ジュリア」という過去の女のことしか考えてないし…

フェイは記憶喪失&莫大な借金かかえている、で

自分のことに手いっぱいな女であったりする。


で、けっきょく最終話Session#26で、

フェイはなんとなくスパイクが好きらしいな…という感じで終わっちゃう。

おそらくBoy meets Girl 物語にすることは非常に容易だったろうと

推測されるのではあるが

(たとえば…スパイクは最終的に死なずにビバップ号に戻り、いがみあっていたスパイク&フェイが結ばれる、ジュリアも死んだことだし…というような結末)

実際に我々の目の前に存在する「カウボーイビバップ」には

セック○のセの字もないわけである。


とにかくこの「カウボーイビバップ」は

「セック○」から逃げ続けるのである。

全26話の中でたった一度だけ

具体的な性行為が描かれるのは

Session#8「ワルツ・フォー・ヴィーナス」

の同性愛カップルの男臭いセック○であることは

興味深い。

(回想シーンでジュリア&ビシャス、ジュリア&スパイク、のなんかそれっぽいシーンがでてくることはでてきますが、それは「具体的」ではないでしょう)


…それとその男二人が裸で抱き合っている現場にふみこんだフェイの

あまりにそっけない態度…

(フェイは二人にピストルをつきつけて情報を求める、無感動に)


この第8話に登場するのは

ロコ・ボナーロというチンピラとその妹ステラであるのだが…

この二人を「兄妹」という関係にする必要性が僕にはまったく感じられない。

(これは見たことのない人に説明すると…チャップリンの「街の灯」みたいな盲目の少女をめぐるストーリーなんである)

ようするにこれは「兄妹」ということにしないと

ロコ&盲目の少女ステラは

「いかにもセック○してそうなカップル」でしかないからだと

おもう、というかそれ以外の理由はない。


さらにこのSession#8が金星=ヴィーナスという

セック○をつかさどる女神の惑星で行われていることを考えるのは

深読みしすぎなんでしょうか??

あと、ですね…

ここらでSession#18に登場するビデオマニアがみていた大昔のドラマがやっぱり「兄妹」モノであったことを思い出してもよいだろう。

(これだって普通のラブストーリーがでてきても良かったはずである)


「カウボーイビバップ」はとにかくディテールからして

セック○を注意深く排除しているのである。


トトやんのすべて

②流浪する王子=スパイク


主人公スパイクという人は、

かっこいいながら間の抜けた感じのほんわかしたヤツなんですが

昔の女の「ジュリア」のことになると…とたんにマジになる。

全26話中、Session#5,#12,#13,#25#26

この5話においてスパイクはマジになってしまう。

んで、ジュリアをめぐるライバル(であるらしい)

ビシャスと最後決闘になり、でスパイクは死んでいくのであります。


スパイク・ビシャス・ジュリア…この三角関係が

「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」のマヌケな批評家たちには

どうも分析不可能であったらしいのだが…

これはわかってみればホントに簡単なことである。

というか、我々観客はこの関係がわかっているからこそ

「カウボーイビバップ」に感動するのである。

中途半端なインテリ野郎はこのあたりの機微がつかめずに終わってしまう。


ま、ともかく答えあわせの前に

岡島正晃とかいう人の分析をみてみることにします。

(別にオカジマさんに恨みがあるわけじゃないんですが、ごめんね)


 なぜビシャスは、あそこまでスパイクを憎むのだろうか?

 二人の過去が明確に語られることはないが、断片的に挿入される回想シーンから推察することはできるだろう。それは、同じ臭いと実力を持つ者同士の共感と、ジュリアを巡るスパイクの裏切りに端を発しているように思える。

 ビシャスがジュリアに対してどれほどの想いを抱いていたのかは判らない。だが、彼女の存在は恐らくきっかけに過ぎなかったのだろう。ビシャスにとって本当に辛かったのは女を奪われたことではなく、レッドドラゴンの権力中枢――あるいはそこに至るための、ともに生きた闘争の日々という「天国」を捨て、スパイクが生きる道をほかに見いだしてしまったことだ。言うなればビシャスは、スパイクに「置いてきぼり」を食らった格好なのである。

(太田出版「トーク・アバウト・カウボーイビバップ」117ページより)


はい。三流批評家のいつものパターンです。

勝手に登場人物の心理を推測、描写して…

つまりありもしない「空中楼閣」からすべての結論を導き出すわけです。

「ジュリアを巡るスパイクの裏切り」

「ともに生きた闘争の日々」

まー…たしかに2,3秒それを示唆するシーンはありますが、ね…


あのね…

きちんとビシャス&スパイクの関係をとらえたいのなら…

二人の決闘がなぜ「儀式」めいた舞台で行われるのか?

それを考えないと、だめ。

Session#5のゴシック聖堂

そしてラストSession#26…レッドドラゴンの本部の「儀式の間」

のことを僕はいっている。


「儀式」…つまり、二人の関係は三角関係だの

「生きる道」がなんだのという…個人の心理とは関係がない。

これは「神話レベル」の闘争以外なにものでもない。


これは「王位継承」を巡る神話なのである。


フレイザー「金枝篇」

コッポラ「地獄の黙示録」

…そして「ハムレット」

あるいはギリシア神話をはじめとする世界中の神話群。


「まず王位の簒奪者があらわれる。

簒奪者は正統な王位継承者をあの手この手で虐待する。

だが最後、王位継承者は簒奪者を倒す。

(もしくは暗殺に失敗して死ぬ)」


この定型。

「地獄の黙示録」の

マーロン・ブランド(簒奪者)&マーティン・シーン(王子)

は、わかりやすいところだろう。

「ハムレット」は、

クローディアス(簒奪者)&ハムレット(王子)

この二人は共倒れになってフォーティンブラスというのが

王位をさらってしまうわけですが…

わが国の神話をみてもよろしい。

「古事記」にあらわれるスサノオ、オオクニヌシ…

どちらも流浪する王子、です。

ふたりが幾多の困難を背負わされることも同様。


歴史上の出来事だってこの定型がみえます。

源頼朝(簒奪者)&源義経(王子)

スターリン(簒奪者)&トロツキー(王子)


これは二つとも「簒奪者」が勝利するパターン。

義経にしろ、レフ・トロツキーにしろ、革命戦の主役、

気高くルックスのよい「王子」であったわけです。

それが「簒奪者」の…理解不能なほどの憎悪を浴びて

「王子」は逃走…

さいご殺されるわけです。


「なぜビシャスは、あそこまでスパイクを憎むのだろうか?」

それは…

――ビシャスは王位の簒奪者であり、

スパイクは正統な王位相続者であるからです。

それ以外に、ない。


スパイク・ビシャス・ジュリア――…

この三人の関係に「なんとなく」我々が納得させられてしまうのは、

この「王位継承神話」があるからです。


おそらく「ジュリア」という謎の女の正体は

「ハムレット」のガートルード王妃…


王妃であり、母であり、貞淑な妻であり、娼婦であり、

恋人であり、殺人者であり…


そんな女なのでしょう。


トトやんのすべて


はい。

以上…「セック○が存在しない」

「王位継承神話」

この二つについて語ってまいりました。


そうそう、前回…

「なぜエドはビバップ号を降りてしまったのか?」

この大問題を提示しましたが、

このことについては全然書けませんでしたので、次回書こうと思います。


というかこんな記事、誰か読んでくれるのかね?

定型ほど強いものはない。

トトやんのすべて。その69

$
0
0

トトやんです。

トトやんのすべて


さいきん

やけに動作が遅いです。

ニブイです。


静止画ではわからないとおもいますが、

やることなすこと

スローモーションです。

トトやんのすべて

なんか仙人みたいな貫禄が最近出てまいりました。

トトやんのすべて


ので、


仙人レベルではこんなガキ相手に遊んでいるわけにもいかず…↓↓

トトやんのすべて

もっぱら遊び相手は黒猫くんです。

トトやんのすべて


ま、「追いかけまわしている」

ともいうが。

トトやんのすべて


けっきょく…

トトやんのすべて

降りるに降りられなくなった黒猫くんです。

PR: なんとなく加入して、なんとなく支払っているあなたへ。

小っちゃんってば水久保澄子たんのことが好きだったのかも? その1

$
0
0

「全日記小津安二郎」を読んでいろいろと妄想している今日この頃。

やっぱり「巨匠」「大家」になってからのものよりも

悩める二十代三十代の頃のほうがおもしろい。


たとえば…

1933年夏…小津安二郎青年29歳の記述。

どうやら小っちゃんは恋をしているらしいのである。


8月7日(月)

▲暮方の夕照の空に高島屋のネオン・ランプを車の中からとても美しいものに見る

▲恋とは人生を極めて小さく区切るファインダーだ シャッターをさう簡単に切ることをやめたまへ

(フィルムアート社「全日記小津安二郎」49ページより)


9月。

15日間召集された兵舎の中でも小っちゃんは

憧れのあの子のことを思い浮かべるのであった。


9月20日(水)

昨夜 さむざむとした藁ぶとんの寝台で夢をみた

服部の大時計の見える銀座の二階で 僕がビールをのんで

グリーンのアフタヌンの下であの子はすんなりと脚を重ねてゐた夢だ

(同書50ページより)


短期の召集(…帝国陸軍のことはよくわからんのですが訓練みたいなものでしょう)

が、終ってからもぐずぐず「あの子」のことを考える小っちゃんであります。


10月28日(土)

▲女の中にも馴れる女と反対に馴れない女がゐる

惚れるのなら僕の趣味から云って馴れない女の方が好きだ

いたずらに親しまないで馴染もうとしない女の方がある程度までたしかにその欠点をかくしてくれて それだけに僕が善意に解釈する余地をのこしてくれる

結局はどちらも同じことになるのだらうけれど

(同書53ページより)


んで12月…満30歳の誕生日が近づくにつれてこんな記述が…


12月6日(水)

三十の誕生日の近けれバ

▲わが恋もしのぶるまゝに老ひにけり

わが恋

▲しのぶればしのぶるまゝに老ひにけり

(同書59ページより)


小っちゃん。

オッサン臭い五・七・五でうじうじと悩んでおります。

ちなみに小津安二郎青年、前年の1932年に

傑作「生まれてはみたけれど」を撮っちゃっております。

プライベートはなんかうじうじしてますが

キャリアは充実している松竹の若きエース、といったところ。


トトやんのすべて


…じゃ、この恋の相手は誰だったのか?

「服部の大時計の見える銀座の二階で」

すんなりと脚を重ねていた「あの子」とはいったい誰なのか?

ご存知のように(?)小っちゃん、

あまりといえばあまりなほどにシャイな男であったため、

その名前を記述してはおりません。


そこでこの謎をオレ様が解いてやろうというのが

今回の記事のテーマであるわけ。


①田中絹代説。


ご存知絹代たんである。

この頃「非常線の女」を撮っていることもあり

田中絹代に関する記述はけっこう多い。


2月18日(土)

▲絹代 逢初と大木に非常線の女のドレス注文に行く

(同書34ページより)

2月22日(水)

▲大木にdressの仮縫ひ

オリンピックにて絹代さんとコーヒーをのみ 東京屋に行く

(同書34ページより)

4月26日(水)

▲絹代さんが丸髷で綺麗だつた

(同書40ページより)


田中絹代説にとって決定的とおもわれるのは

翌年1934年の記述。


10月17日(水)

あけ方夢をみた 絹代さんとお茶をのんでゐるまことにつゝましい夢だ

(同書97ページより)


んー…どうなんすかね。

あやしいといえば限りなくあやしい。

すこぶるかわいいもんな、この頃の絹代たんは。


だが、ま、戦後の小津と田中絹代の

なんかしっくりこない関係を我々は知っているわけですよ。

ミゾグチ映画の田中絹代は輝いていたが

オヅ映画の田中絹代はなんかイマイチであった…


いや…昔惚れた女だからこそ?なの?

だからこそ逆にギクシャクしてた??


――んでも僕は「田中絹代説」は違う気がするね。

あの小っちゃんが本気で好きな人のことを名指しで

「綺麗だつた」

とか書くかね?


あと夢の記述だって…

「なんであの子じゃねえんだよ??」

という苛立ちがそこにあるんじゃないのかね?

はっきりいっちゃうと…

「なんで絹代なんだよ?」という…


んで浮かび上がってくるのが

「水久保澄子説」なのである。

というか、この記事のタイトルからしてそうなんですが…


その2につづくのであった。

水久保澄子といっても

$
0
0

とかなんとかいったところで分かる人もあんましいないだろうから
YouTubeの動画をはりつけてみます。



小っちゃんてば水久保澄子たんのことが好きだったのかも その2

$
0
0

というようなわけで…

小津安二郎青年が恋い焦がれる「あの人」とはいったい誰であったのか?

考察その2


②水久保澄子説


そもそも「みずくぼすみこ」とは何者なのか?

ウィキペディアをコピペしてみよう。



1916年 (大正5年)10月10日 東京府 荏原郡 目黒村(現在の東京都 目黒区 )に生まれる。洗足高等女学校 を家庭の事情で中退後、東京松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団 )に入団(第5期生)。同期に同じく女優となった逢初夢子 がいる。楽劇部に2年ほど在籍後、映画界入りを希望し松竹蒲田撮影所に採用される。なお、逢初は一足先に既に同所へ入社していた。

それから間もなく成瀬巳喜男 の「蝕める春」(1932年)に出演し三女役を演じ、次女を演じた逢初と共に評価を高めた。次いで出演した島津保次郎 の「嵐の中の処女」(1932年)でアイドル的な人気を獲得。以後も立て続けに「チョコレート・ガール」(成瀬・1932年)、「君と別れて」(成瀬・1933年)などに主演した。また「非常線の女」(小津安二郎 ・1933年)ではレコード店の店員・和子役を演じて、主演の田中絹代 にひけを取らない存在感を示した。

松竹で着実にキャリアを積み重ねていたが、突然自殺未遂事件を起こし、さらに1934年 6月 には日活に電撃移籍してしまう[1] 。この事件は当時マスコミ の格好の餌食となり、興味交じりのゴシップ として大々的に報道された。 スキャンダル にめげず「若夫婦試験別居」(阿部豊 ・1934年)に主演、さらに滝口新太郎 との共演「厳頭の処女」などハイペースで映画に出続けるが、「緑の地平線」(阿部豊・1935年)撮影中にフィリピン から留学してきた医学生を名乗る男と結婚、作品を途中降板し渡航してしまう。怒った日活は代役に星玲子 を立てて、水久保を解雇する。水久保とは松竹蒲田時代から知り合いだったこの男は、南洋の王子様で大邸宅に住んでいるようなことを言っていたが、その実フィリピンの実家は単なる掘っ建て小屋、水久保はこの婚家で日本人というより、当時差別のひどかった中国人 女中 とみなされこき使われた。騙されたことに気づいた水久保は一年ともたずに逃げ出したが、その際、一児を残してきたと伝えられている。

帰国を果たした水久保だったが、度重なるトラブルを引き起こした彼女を起用しようという映画人はもはやおらず、業界から完全に追放される。その後は各地のダンスホール 踊り子 をやったり、吉本興業 のショーに参加するなどしていた。神戸 でダンサーとして舞台に出ていたのを最後に消息不明となる。なお、映画評論家 筈見恒夫 は、戦時中満州 で彼女を見かけたという。

当時としては非常に現代的な顔つきで、アイドル女優の走りともいうべき存在であった。マキノ正博 片岡千恵蔵 が彼女のファンだったという。


…だそうです。

普段のぼくはこういう安易なウィキのコピペをやらんのですが、

(たぶんブログやりはじめて、これが最初?)

普通は、ですね、手持ちの本からシコシコ書き写すのが常なんですが、


なんつっても↑にみるように、映画界を短期間で干されてしまったお人。

しかも最後は行方不明。

もし大陸に渡ったという説が正しいのであれば、

動乱の中国大陸の中……

どこで、いつ死んだのかもわからない。

(ウィキにはそんなこと書いてないけど…終戦当時、強姦強盗の常習犯であるロシア兵が満州に跳梁跋扈していた事なんかも当然考えなければならない…中国の兵隊のレベルだって山賊の類とそう変わらない…)


んで、文献なんかほとんど残ってないんですね。

写真にしたところで…手持ちの文献をあさってみたところで

松竹の小津安二郎DVDボックス第4集のブックレットに小さく、

それと筑摩書房「小津安二郎物語」に成瀬巳喜男「君と別れて」のスチールが

ちょこっと載せられている。以上というようなわけで…これは困った困った。


トトやんのすべて


ま。考えれば考えるほど暗くなってくるので…

澄子たんご本人に関する情報はひとまずおきまして…

小っちゃんの日記を見てまいりましょう。


これが…小津作品への出演機会がたったの一本。

「非常線の女」だけであったのにもかかわらず、

けっこう水久保澄子の登場回数は多かったりする。


1933年2月20日(月)

▲水久保衣装しらべ

(フィルムアート社「全日記小津安二郎」34ページより)


はい。「非常線の女」を撮っております。

で、日記によると封切りは4月30日であったらしい。

であるからして…


6月6日(火)

▲高山 加賀と銀座に出て水久保 逢初と竹葉でめしを喰ふ

▲港屋 村の珈琲店

服部の大時計が八時を打つた 竹葉のよしの戸から銀座の夜の町が美しい 九時がなつて one hour with you だ

(同書45ページより)


銀座のおしゃれなカフェで

one hour with you…


どうみても前回紹介した夢…

服部の大時計の見える銀座の二階で 僕がビールをのんで

グリーンのアフタヌンの下であの子はすんなりと脚を重ねてゐた夢だ

は、どうしてもこの日の出来事のことなんじゃないかと

勘ぐりたくなる…というか絶対そうだよね?
ちなみに

この意味ありげな記述の頃は「非常線の女」はとっくに過去のことになっております。澄子たんと仕事上の関係はなかった。

さて続きまして…


6月29日(木)

▲野球をやつた 種痘をした

▲キャンデーでクリームソーダをのんで水久保に会ふ

(同書47-48ページより)


む、むむむ…「野球」「クリームソーダ」って

あんた小学生?とかおもわせておいて…

ヤルことはヤッテます。

これっておデートなんでございましょうか?


さてお次は一気に年末

11月26日(日)

▲女学生と与太者

歯をなほした水久保澄子はまことに淋しい

大に点を打つて犬になつた類か

(同書57ページより)

澄子たん主演の映画を見てなんかブツブツいってます。

もちろん小津安二郎作品ではないです。


んで、年が明けて1934年

2月6日(火)

水久保澄子退社

(同書72ページより)


↑ウィキペディアの記述の「自殺未遂」とかいうのは

一体いつなのか?この頃のことなのか?

ともかく小っちゃんが残したのはこの一行だけ。


…で水久保澄子に関する最後の記述は以下のとおりになります。


5月30日(水)

会社に行かず 八時筈見と帝劇に会ふ 水久保澄子と会ふ

フレーデルマウスにて一問一答 のちルパン

深夜帰る 信三この日修学旅行に出て母一人 加賀千代の〈起きて見つ寝てみつ蚊帳の広さかな〉を思ひ出してゐたと云ふ

(同書82ページより)


うーん…このあとの6月、日活への電撃移籍、

なんてことを考えるとさらに興味深い。

フレーデルマウス、ルパンってのは

銀座のバーの名前らしいっす。

あの大物スパイ、ゾルゲも通っていたとか。


「一問一答」ってのがなんかいいなぁー…

二人きりだったのかなぁ…

「小っちゃん、あたし、ね…」

なんて澄子たん言ってたのかな。

いいないいな。想像すると楽しいな。

深川の家に夜中帰ってきて、

(大きなお屋敷だったそうですよ)

お母さんがまだ起きているとかいうのも良い。

五・七・五も効いてます。

たった四行の記述なんだが…深いなぁ…


どうです?どうです?

「あの子」っていうのはやっぱ水久保澄子たんで決定なのでは?


前回紹介した

「惚れるのなら僕の趣味から云つて馴れない女の方が好きだ」

ってのも効いてくるわけですよ。

小っちゃんみたいな真面目でシャイな名家のお坊ちゃんに限って

こういう…ま、はっきりいって「ダメな女」

スキャンダルまみれのメンタル不安定の…

詐欺師に引っかかってみすみすキャリア棒にふっちゃうような…

ほんとアバズレダメ女に魅かれちゃうんだよな…

だからこそ好きなんだよな。


わかるよわかるよ、うんうん。よくわかるよ、その気持ち。

「カウボーイビバップ」の構造 その2

$
0
0

しつこく続けまする。その2、です。


その1で、みたのは…

・「カウボーイビバップ」の世界にはセック○が存在しないということ。

・スパイク・スピーゲルという人物は流浪の王子である、ということ。

この2点でございました。

さてその続き。


③これはユング的世界なんである。


「カウボーイビバップ」世界にはセック○が存在しないと同様、

社会学的な視線もまた存在しない。

換言するならば「パンの問題」が存在しないわけです。


などと書くと…たちまち以下のような反論がでてくることは

容易に予想がつきます。

「あのねー、ビバップ号のメンバーは常に腹を空かせているではないか」

「Session#17マッシュルーム・サンバをみなかったのかね、きみは?空腹に始まり空腹に終わるあの抱腹絶倒のエピソードを?」

などと…


ですが…彼らの空腹のいったいどこに社会学的問題が照射されているでしょうか?

彼らの空腹のいったいどこに深刻さがあるでしょうか?

本当に飢餓に苦しんでいるのであれば

「賞金稼ぎ」などという博打打ちめいたヤクザな商売からさっさと足を洗い、

カタギの商売をはじめればいいのです。

大の大人が…健康極まりない大人が三人そろって、

しかも子供のエドは天才ハッカー…

金儲けの種なんかいくらでもありそうです。

だがそれをやらない、ということは

この「空腹」はただのファッションにすぎん、ということになります。


「パンの問題」もそうですが、社会的な地位、権力をめぐる闘争も

「カウボーイビバップ」の世界には存在しないようです。

(とりあえずビシャスという厄介な人物の例は除外します)

ビバップ号の四人が権力には興味がないことはもちろん、

全26話、さまざまな不幸な人物が登場するわけですが…

どの人物にしたところで「社会の矛盾」におしつぶされたわけではなく、

いずれもおのれの愚かさが原因で

不幸な境遇に追いつめられるという点、共通しています。

(Session#20に登場する殺人マシーン・東風はある警察組織の犠牲となった人物ではありますが…それはいわゆる社会的な矛盾というものではないでしょう)


ここらで何が言いたいのか、まとめてみましょうか。

現実の…キリスト教暦2013年2月の世界に生きるわれわれは、

「ああ、あの女とセック○してえ」とか

「金欲しいカネ欲しいカネ欲しいっす」とか

「どうせオレは東大出じゃないよぉー」とか

「なんでぇ、あの野郎、偉そうにしやがってこのゴマすり野郎」とか

「ほんと日本は政治家・官僚が腐ってるどうしょうもなく腐ってる」とかいうことを…

つまりはセック○の問題やら社会学的な問題やらを

グジグジ考えて毎日を生きているわけなんですが…

(ですよね??)


「カウボーイビバップ」の世界はそうではない、ということです。

彼らにはセック○の問題、および社会学的な問題は存在しない。


そこで…僕は思い出したくなるのが

カール・グスタフ・ユングというけったいなスイス人のオッサンなわけです。


トトやんのすべて


④魔法の数、「4」


ユングというと「心理学者」ということになってはいますが、あれはウソです。

あんなのは心理学じゃないです。科学ではないです。

たぶんあのスイス人医師は

ルドルフ・シュタイナーとかマダム・ブラバツキーとか

いうのと同系列のオカルティストというのが正しいところなんでしょう。

宗教家ってやつですね。


じゃあ、科学の申し子トマス・ピンコ先生が

なんでそんなインチキ臭いのをもってきたかというと…

彼…カール・グスタフ・ユングが探求した世界が

まさしくビバップ号の世界…

セック○と社会学的問題が存在しない、そんな非現実の世界だったからです。


はっきりいうと、この世に存在しないおとぎ話の世界でしか

ユング理論というのは役には立たんわけ。

(じっさい童話などの分析にはけっこう役に立つ)

つまりですね、同じ構造を持つ「カウボーイビバップ」の分析にはけっこう役に立つのではあるまいか――ということでまず気になるのが「4」という数字。


ユングというおっさんによれば、「4」は完全な数であるという。

彼の「タイプ論」というけっこうおもしろい本があるんだが

(鶴見俊輔先生がたしか褒めていた)

これによると人間の性格は大きく「4」パターンに分けられることになっている。

それと…

マンダラをみよ。聖書の福音書の数をみよ。

とユングはいう。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ…「4」ではないか。

その他いろいろな例を挙げて「4」というのが、文化史的に完璧な数であることをユングのオッサンは主張するんだが、こまかいことは私わすれてしまいました。


ともかくその「4」…

スパイク・スピーゲル

ジェット・ブラック

フェイ・バレンタイン

エドワード・ウォン・ハウ・ペペル・チブルスキー4世


この4人。…さらに「4世」…


ユングのオッサンによると人間の内面というのもやっぱり「4」に分割されるそうで…これまたうろおぼえなんですが…

健康な成人男性の場合…


・自我

・アニマ

・老人

・子ども


この4要素に分けられるらしい(たしか)

アニマってのはなんつーか…その人の無意識に隠された女性的な側面…

とでもいうようなものですかね。

なので健康な成人女性の場合、アニマではなくアニムス…

隠された男性的な側面というのを内面に持っているんだそうな。

(このあたりでユングのいかにもイナカモノらしい素朴なセック○観念が暴露される。ホモだのレズだのオカマだのなんだのに囲まれて育った都会人であればこんな暴説は唱えなかったに違いない。ちなみにユングはスイスの田舎育ちである)


はい。

ここらでおわかりですね。

ビバップ号のメンバーの4人ってのは…

マンダラの「4」

自我・アニマ・老人・子ども…この「4」だったわけです。


トトやんのすべて


⑤なぜエドはビバップ号を降りてしまったのか?


はい。んでとうとうこの大問題に関する結論です。


完全な数「4」――この構造をもった「カウボーイビバップ」は

おそらく永遠に続けることのできる安定したフォーマットであったはずなのです。

じっさい、「この4人」「この世界」が与えられれば

いくらでもエピソードは書けるだろうとおもう。

新しい賞金首を考えて、

4人の間に巻き起こるいざこざを考えて、

魅力的なSFモチーフを放り込んで、

ハイ、いっちょあがり、といったところでしょう。

ある程度の腕のある脚本家チームがいさえすれば、

いつまでも続けられることでしょう。


ちょうど「ルパン3世」の基本構造がこの「4」であったのを

思い出す方も多いことでしょう。


ところが現実の「カウボーイビバップ」は

全26話+あんまし出来の良くない劇場版。

これで完結してしまった。

(いや、ハリウッド版とかいう噂があるらしいので、「今のところ完結してしまっている」…と書くべきか)


だいたいここまで読んでいただけたならば

なぜエドがビバップ号を降りてしまった理由、推測がつくんではないでしょうか。


その理由…

それは「家族」をめぐるエドの葛藤とか、なんとか

そういうかっこつけた心理学的理由ではない。

それは「カウボーイビバップ」の構造がもともと持っていた亀裂、に由来する。


その亀裂とはなんなのか?

それは…

「いつまでも終わらないはずの安定した物語を大人の事情によってムリヤリ終わらせなければならない」

この葛藤、亀裂です。


エドはビバップ号を降りなければならなかった。

「4」を「3」にして…つまり不安定な構造にして、

それで完璧な物語を崩して、

んで、Session#25,#26「ザ・リアル・フォーク・ブルース」

で、この無限につづくはずだった物語を終わらせなければならなかったのです。

トトやんのすべて

「身の上話なんかしたことないくせに、いまそんな話しないでよ!」


死ににいくスパイクに対してフェイ・バレンタインがこう叫びます。

なぜこの叫びがこれほどまでに感動的なのかというと…


彼女が…

「ストーリー」…「物語」に関することを叫んでいるからです。

それはちょうど最終話「ザ・リアル・フォーク・ブルース」の

中心テーマ、「物語は終わらせるべきなのか続けるべきなのか」

を、実に感動的なやり方で暴露しているからなのです。

美女図鑑(ケネス・クラーク「フェミニン・ビューティ」)

$
0
0

ケネス・クラーク卿の「フェミニン・ビューティ」

を紹介いたします。

つまり、ですな。

「西洋美術は『女性美』なるものをどのように表現してきたのであろうか?」

という本。


まー、ようするに「美女図鑑」です。

これは飽きないです。

表紙がティエポロというあたりも通好みな気がするね。

トトやんのすべて

序文がすこぶるよいのです。

やがて私は、昔も今も、美には、古典美と性格美という二種類のものがあることに気づいた。古典美は、古代ギリシアにおいて頂点に達したもので、シンメトリーと、ある一定の人体比例と、整った目鼻立ちを基礎としている。性格美の方は、目鼻立ちに関してもっとずっと自由で、上向きに反りかえった鼻や小さな輝く眼でも、それが容貌全体に生気を与えるものであるなら、喜んで認めようとするものである。

(メルヘン社「フェミニン・ビューティ」7ページより)


ようするに「美」には二種類あるんだって。

「古典美」

「性格美」ですって。

トトやんのすべて

まあ、このように、古代ギリシア…から、

(古典美の世界ですな)

トトやんのすべて


色気のないゴシックを経て…

(膨らんだおなか、とか小さな目、とか「性格美」ですな…)


トトやんのすべて

輝かしきルネッサンス絵画の登場。

左、レオナルドの「棒尺の聖母」

右、ポライウォーロの「若い婦人の肖像」


女性美の観念は、イタリア・ルネッサンスにおいてその最も完璧な勝利を示した。それは18世紀においていっそうの広がりを見せたとは言えるかもしれないが、しかし、ルネッサンス期におけるほどの偉大さに達することは遂になかった。

(同書14ページより)


ただし、帝王レオナルド&ミケランジェロ

この二人はガチガチのホモなので、この本では当然扱いが少ない。


じっさい、上の「棒尺の聖母」みてみるとよくわかるが、

ほんと女にキョーミなかったんだろうな。

(モナリザなんかもそうだよね)


対する右ページのポライウォーロ…

なんとまあ生き生きした描写。美容院帰りの生意気そうなお嬢様、という感じ。

ぜったい将来の旦那は尻の下に敷かれるな。

クラーク卿のいう「古典美」と「性格美」のバランスの良い融合・・・


トトやんのすべて

トマス・ピンコが個人的に一番好きなのは、彼女↑


わかってますわかってます。

美術的な価値とかはそれほどある絵じゃないっす。

「モデル勝負」みたいな絵。でも好き。というかこのモデルが好き。

上野の都立美術館で…テート・ギャラリー展とかなんとかで

実物を一度みた、ということもあるんだが…

もう、かわいいよね。ぽってりした唇とか。


ジョージ・ロムニー《キルケーに扮したハミルトン卿夫人》

ロムニーは、1781年、魅惑的な美しさに溢れるエンマ・ハミルトンと出会い、その美貌の虜となって、繰り返し彼女を描いた。彼はしばしば、この絵の魔女キルケ―の場合のように、神話の人物や歴史的人物に扮した彼女を描いている。

(同書131ページより)


ロムニー君、コスプレ好きだったのね。

もし現代人だったら、セーラー服着せたり、メイド服着せたり色々やったことでしょう。オホホホホホ…


ちなみにモデルのエンマたん…

あのネルソン提督の愛人だったことで有名。セレブ好き美女ですね。

(ネルソン提督…ナポレオンの艦隊をやっつけた偉い人)


トトやんのすべて

左、ブロンツィーノ「ヴィーナス、キューピッド、時、狂気」

なんかタイトルがマニエリスムしてます。

ていうか、キューピッド君、こら!

その右手!その卓越したエロテクニック!

もーう、指の股で乳首つまんじゃって!なにやってんすか!


右、ミケランジェロ「神々しい顔」

いったでしょ、色気ゼロなのよね。

トトやんのすべて

19世紀、おフランスにまいります。


左、テオドール・シャッセリオー「エステル」

右、アングル「ドーソンヴィル伯爵夫人」


大学の美学の授業で…

アングルってのは「タマゴ」なのだ、と教わった。

なるほど、顔がタマゴ、腕も、ふっくらした手も、体型もタマゴ…

ご丁寧に、背景の壺もタマゴなんだよな…

トトやんのすべて


20世紀に入ると写真が出てまいります。


左、ご存知、グレタ・ガルボ…

右、マレーネ・ディートリッヒ…


偶然(?)レズ疑惑のある二人なんですが…

(真偽のほどは知りません、いや二人がつきあってたとかじゃなく…)

トトやんのすべて


写真部門だと、個人的に一番好きなのは…↑

ヴァージニア・ウルフなんだよな。

「燈台へ」とかめちゃくちゃ好きなんだけど…


あのね「燈台へ」ってのは彼女の小説です。

女優さんとかじゃなくてこの子、小説家センセイですよ。


クラーク卿の解説。

後にレオナード・ウルフの妻となったヴァージニア・スティーフェンスは、きわめて個性的な美貌の持主であった。その美しさは、古典的とは言えないにしても、彼女の感受性と創造的知性とを完全に表現している。

(同書185ページより)


ですと。

「性格美」の極致、でしょうか。

あ、そうそう、ヴァージニア・ウルフもレズだったっけ。

不毛な片思いだなぁ…人妻だし…


というわけで…結論。

エンマ・ハミルトン、ヴァージニア・ウルフ…

僕は英国美人が好きらしいっす。

会田誠展:天才でごめんなさい 感想その1

$
0
0

日比谷線の六本木駅を降りると…
こんな信じられぬような光景に出くわしたのであった。↓↓

トトやんのすべて


ぬぬぬ…

スクール水着…女子中学生…

セーラー服…濡れた肢体…

膨らみ始めた乳房…すんなりのびた手足…

ヴァージン臭がむんむん立ち上ってくるようなこの画面…

けしからぬ、けしからぬ。

嘆かわしいことこの上なし。

嗚呼、こんなロリコン野郎のマスかき妄想みたいな絵を

このオシャレシティーに放置しておいてよいのだろうか?


むむむ。

六本木ヒルズの柱(?)も目下こんな嘆かわしいありさまですぞ↓

トトやんのすべて


怒っている。僕は猛烈に怒っているのである。

こんなけしからん画家がこの世に存在してよいものであろうか。


じっさい、どこやらのおせっかいな…

いや失礼、立派な市民団体とやらが

「こ、こ、これは児童ポルノざますっ!!」

などとおもわず苦笑してしまう他ない抗議を…


あ。

失礼。たいへん真面目な抗議をなすった、とかいう話をきいたりもしたんだが、

(むろん誰もまともに相手をしていない)

ようするにですね、

本当にけしからん画家なのですよ。会田誠という人は。


□□□□□□□□


ん、さて、

はじめてわたくしが

このワイセツな絵描きを知ったのは、

キリスト教暦2000年のことでありました。

場所は水戸芸術館。


ぼくちゃんね、

パンフレット類を大切に仕舞いこむ癖があるもんで…

捜してみたら、あった、あった。

しかもすごくきれい…

トトやんのすべて


「日本ゼロ年」展…

Ground Zero Japan…Ground Zeroにゾッとしてしまうのははたして

僕だけでしょうか?

そうです。9・11のテロはまだ発生していないですね…


まーそんなことはおいといて会田誠。

この、日本の現代美術の全貌をみてみようという楽しい企画。

(じっさいかなり良かった記憶がある)

横尾忠則やら村上隆やら、そうそうたるメンバーと一緒に

登場した彼は…

上の画像にちらっと写ったパンフレットによると…


「平成の戦争画家!?」


という紹介のされ方をしていた。


時はあたかも…小林よしのり「戦争論」の時代。

それに呼応して?か??

藤田嗣治あたりの「戦争画」も…


「あれってなんか、なかったことにしてたけど、さ…」

「うん」

「よくみてみると…」

「うんうん」

「けっこういいよね、戦争画」

「あたしもそう思う」


みたいな感じで、戦争画が見直されていた時期なのであった。

その流れで会田誠の「戦争画RETURNS」は登場し、

そのような文脈で解釈されていたのであった。


そうそう、なんか思い出して来たぞ、あの頃を。

トトやんのすべて


で、当時紅顔の美少年であったトマス・ピンコの野郎は、

この「平成の戦争画家」にえらく感銘をうけ…

なんといっても予習復習をきちんとするよい子であったので…


同水戸芸術館の売店で

会田誠関連のテキスト…

つまりは、

会田誠作品集「孤独な惑星」…と、

トトやんのすべて


会田誠センセイ作のマンガ

「ミュータント花子」

を購入したことでありました。


帯の文章を引用してみましょうか…

SF+戦争+エロ+アクション+純愛+グロ+ファンタジー+ユーモアand more!

天才!会田誠

ファンの熱烈な期待に応え、瞠目のパワーを注いで

漫画界デビュー!


…ですって。


えーと、中身はシロートの描いた

見るに堪えないエロ漫画です。

まー太平洋戦争を題材にしてまして…


アメリカ兵(鬼)が

可憐な大和撫子(セーラー服・三つ折りソックスあるいはスクール水着の美少女)をさんざんに強姦する。

その中のひとり、主人公の花子が

原爆の影響で「ミュータント花子」というセーラームーンみたいのに変身。

憎きアメリカ軍(強姦魔の鬼です)を全滅させるというおはなし。

ついでにいうと「天皇陛下」ってのがでてくるんだが、

メガネをかけたこのお方は…誰がどう見ても

小林よしのり激似であったりする。(なぜかそのことを誰も指摘したがらない…)


□□□□□□□□


あーそうそう。いろいろ思い出してきたぞ。

会田誠のことになると…ほんといろんな記憶があふれ出てくるな…


僕が

アヤちゃん(仮名)とセック○できなかったのは

この最悪のワイセツ画家会田誠のせいなのだった。

クソーッ…もう許せないっす。


アヤちゃんという人は、群馬出身のぽっちゃり美人。

白いブラウスからいつも黒のランジェリーが透けてみえていたっけ。

くわえて、「あたし、今まで彼氏がいなかったことがない」

なんてこと豪語している、ときたらなんとイヤミな女か、と

あなたは思われることだろうが、

ぜんぜんそういうことにならなかったのは不思議。

野郎どもにはもちろん女の子たちにも人気があったんだよね。

たぶんあのいくぶんぽっちゃりした体型と

ちょっと抜けたところのある性格がみんなに愛された原因であろう。


えーさて…時は…あの「日本ゼロ年」展の数年後ですよ。

21世紀ですよ。

はい。こまかいことはすっ飛ばして

気付くとアヤちゃんと二人きり。

みんなの憧れアヤちゃん(仮名)が、

僕の部屋の洗面所をまさぐって

「あれれ。なぜ歯ブラシが3本もあるのだ?」とか…

冷蔵庫をいじくりまわして、ワインの瓶片手に

「えートマスくん、お酒のめないよね?」

などとアヤちゃんがなんかハスキーがかったエロ声で

呟いていたと思いたまえ。

(そうそうあの子けっこうヘビースモーカーだった…)

気づくとアヤちゃんは僕の机の前になんの断りもなく座って

なんの断りもなく本棚の本をまさぐっている。調査している。

といっても後ろめたいような本はそこには置いていないので

僕はアヤちゃんの裸足の足を…形のいい小指なんかを

ぼんやりとみつめている。

(ということは、夏だったんだな。あれ?あの…みょうちきりんな冷やし中華をつくってくれたのはアヤちゃんだったっけ?たぶん違うたぶん違う)

今からおもうと

この裸足、というのがクセモノだったとおもう。

はじめて目にしたアヤちゃんの裸の足の指を見ながら、

色々と僕はあんなことこんなことを妄想してしまったのであった。

なので…

「あ。。」

と絶句したアヤちゃんが一体何の本を目の前に広げているのか…

気づくのに一瞬遅れてしまったのでありました。


はい。わかりますね。

「ミュータント花子」の登場です。

憎き会田誠です。


アヤ:「あー、エロ本発見!」

トマス:「違いますよ、それ」

ア:「『ミュータント花子』…」

ト:「あの、会田誠っていう画家がおりまして…」

ア:「む。なになに『おじょうちゃん いいコだから お兄さんにスカートの中を見せてくれないかな』ほほーっ…」

ト:「アートです、アートです、それ。現代アート」

ア:「『え そ、そんな はずかしいこと』『ぐずぐず言わずに見せんだよ!』」

ト:「あのー、そういう読み方やめてくださいます?ゲージュツ作品なんで」

ア:「『おや、もうウブ毛が生えてるぞ』…」

ト:「あのなーやめろやめろやめろやめろ…」

ア:「『分かりました スクール水着に着替えます♡』…」

ト:「ちげーよ!アートなんだよ!現代美術なんだよ!このバカ女!」

エロ漫画『ミュータント花子』の奪い合いをはじめる二人であった。

ア:「あ。触った。エロっ!痴漢っ!」

ト:「ちげーよ、返せ!」

ア:「『初めは痛がるばかりだったが、ようやく歓びを覚えたようだ』…」

ト:「返せ!返せよ!ああ、もうっ!」

ア:「『さあ この日本の純情な青年の前で イってごらん 花子』…」

ト:「返せ!エロ漫画なんかじゃねーよ!」

ア:「『あん こんな感じ初めて がまんできない』…」


けっきょく『ミュータント花子』を最初から最後まで

まるまる読破してしまったアヤちゃん(仮名)の頬は

なんかうっすら紅潮してしまっていて

なんか、こう一戦終えた後のようななんともいえない

感じをすら漂わせているのでありました。

そんな七月のある日の夕暮れ…

あのかわいかったアヤちゃんとどうにもならなかったのは

あの日、エッ○できなかったのは、

ぜったいに『ミュータント花子』のせいに違いないのです。

会田誠のせいに違いないのです!

許すまじ、会田誠!


…なんか長くなっちゃったので「その1」おわり。

というか、展覧会の感想に全然いけてないんですが…

会田誠展:天才でごめんなさい 感想その2

$
0
0

―承前―…


というようなわけで、憎っくきワイセツ絵描き会田誠とわたくしの関係を振り返りますと…

・西暦2000年

トマス・ピンコ、水戸芸術館「日本ゼロ年」展において会田誠の作品と出会う。

トマス・ピンコ、同所にて会田誠著「ミュータント花子」を購入する。

・西暦2003~4年

トマス・ピンコ、「ミュータント花子」のおかげでアヤちゃん(仮名)とエッ○をし損なう。

に続きまして、

・西暦2007年

トマス・ピンコ、上野の森美術館「アートで候」展において、ナマ会田誠を目撃する。

という事件が起こります。


「アートで候」ってのは

会田誠・山口晃二人まとめての展示…

同世代ではあるが、なんか方向性はまるで逆。

でもテクニック重視なところ、具象的なところは似ている。

そんな二人が同じ展覧会に同居しているという、

なかなか贅沢な企画でありました。


今、調べてみたら…

会期は2007年5月20日~6月19日。

もう6年近く前になるかぁーーー………

上野という場所柄からか、美術系の学生みたいのが

けっこうウジャウジャしていた記憶があります。

トトやんのすべて


ここで…展覧会の主役、

会田誠、山口晃両氏の講演ってのがあって、

美大の学生でもなんでもないのに、トマス・ピンコは両方とも律儀に聴きにいっております。なんつっても…


「ヤロー、会田誠!

テメーのおかげでオレは…オレは、あの子と…」

という純情極まりない憤りのためです。

山口晃先生は、会田誠みたんだからついでに見ておこう、という感じです。


トトやんのすべて


はい。会田誠の講演は…

↑↑上の…有名な(?)…「滝の絵」のかたわらで行われました。


この絵…439×272cm…ものすごくデカいです。

あと、2010年完成だそうなので、

上野の森のときは未完成でところどころ

色が塗ってないところがありました。


あらわれた憎っくき会田誠はひどくシャイそうで、

うつむき加減で、「おいおい、コイツだいじょぶか?」という感じでしたが、

話しはじめるとやはりグダグダで、

やっぱりだいじょぶじゃなかった印象があります。

とにかくイメージ通りのダメなヤツでした。


具体的な内容は…ほとんど忘れました。

ただ「滝の絵」に関して…

「まともじゃないですね…」みたいなことを開口一番にいっていた気がします。

(↑ただ、このセリフが正確かどうか自信はない)

あと「南アルプス天然水のCM、あれのイメージです」

といってました。(↑これは確実です)


あと…なにいってたかな…忘れました。

カーゴパンツにTシャツっていういかにもガテン系なカッコしてました。

これは対する山口晃先生がハンサムでおしゃれで

講演もうまくて、サービス精神旺盛なのに比べると…

(お侍となにかの人物がスケートをしている絵を即興で描いてくれた)

好対照を示しておりました。

トトやんのすべて


□□□□□□□□


はい。

というようなわけで、ようやく西暦2013年がやってまいりました。

以下、まじめな批評をちょっとだけ書きます。


あー…「憎っくき」とかもちろんウソです。

大好きです。

ダメなところとかも大好きです。


あ、アヤちゃん(仮名)エピソードはホントです…………

トトやんのすべて

会田誠ってのは

「あえてメジャーであることを選んでしまった」

そんな画家なんじゃなかろうか。


だから↓

このふざけた

「わだばバルチュスになる」

は、実はホンキの宣言のような気がしてならないわけです。


トトやんのすべて


会田誠がバルテュスに関して、

「スイスの山奥で、13,14歳の美少女がモデルに毎日通ってくるなんて生活、超うらやましいっす」みたいなことをいってたのを読んだのは、あれはどこだろう?

「芸術新潮」のような記憶があるので、

いろいろ手持ちの雑誌類をひっくり返してみたのだが、見当たらなかった。

あるいは2007年の上野の森美術館で

直接彼の口から聞いたのかもしれない。


バルテュス…表面上の見かけから彼に対して

「耽美」とか「退廃」「デカダンス」なんてレッテルを貼りたがる人がいるが、

このポーランド貴族の末裔の中心、根っこにあるのは

そんなことじゃない。

彼の根っこはあくまで…

「ピエロ・デッラ・フランチェスカ直系のクラシックな画家である」

ここである。


ロリータがどうこういうのは、それは見かけにすぎない。

それは有名な「テレーズ」(1938)を一目見ればわかることだろう。

彼は確かにロリコンなのだろうが、

露わになった少女の両脚は、椅子や背後のテーブル、スカートの襞と

同価である。だいじなのは「ピエロ直系の冷たいヨーロッパ美術の目」

――ここである。

トトやんのすべて


はいはい。会田誠のはなしでした。


上野の森ではまだ未完成だった「滝の絵」が

この展覧会では完成していた。

完成していて一番驚いたのは…

額に刻まれた

「奉納」

…このコトバである。


「わだばバルチュスになる」

にしろ、この

「奉納」

にしろ…


たぶんジョークとして受け取るのが一番クールなやり方なのだろう。

だが、あえてカッコ悪く生真面目にホットに僕は受け取ることにする。

会田誠は本気なのだ、と。
日本美術の王道を彼は歩む気なのだ、と。


トトやんのすべて

「メジャーであること」――…


20世紀のはじめ、

バルテュスの時代からしてすでにそうだったのだが、

21世紀でこんなことを考えるのは、それだけで狂気に近い。


なんつっても、サブカルがかっこよく、

サブカル的なテーマ、モチーフがかっこよい…

そういうことになっているんだな。

「本気で王道を歩む」

というと、

「王道ってなによ?」

「そんなもん、とっくの昔に消えてるぜ」

こういう反応が返ってくることになっている。


「クラシックであること」

この行為自体が帝国主義的だのファシズムだのと安易に結び付けられ

弾劾される世の中なんだね、いやいや、この国だけじゃなくって、

どこへ行ったところでそうなんだろうなぁ。


「わだばバルチュスになる」

この棟方志功のパロディ&落書きじみた美少女の絵でしか本音を語れない事。

「奉納」…ま、実際に見ていただきたいんですが…

ふざけたフォントでしか書けない本音…

トトやんのすべて

こういうことを書くと…

「つまりあれだな、ロリータとか、オタクとか、サブカル的なモチーフというのは彼の仮の姿であって、ただのエサにすぎないのだな」

「おまえのいいたいことはつまり…全部会田誠の戦略ってこと?」


ということになるんだろうが、そういうことでも、また、ない。


バルテュスが本気の本気で

10~14歳の女の子が一番美しいとおもっていたように、また、

会田誠その人も

おのれが「ロリータとか、オタクとか、サブカル的なモチーフ」

これしか描けないという、妙な哀しみを…

…つまりクラシックな技法と方法論を徹底的に学び取りながら、

そこから逸脱したテーマにしか共感を抱けないという矛盾を抱え込んでいる。


たぶん…

この「哀しみ」「矛盾」を感じとりに行くのが

彼に対して一番礼儀正しいやり方なんじゃなかろうか…


…などと僕は思うわけです。


トトやんのすべて


トトやんのすべて

↓はい。こんなカタログでした。


会期は3月31日(日)まで。

これはあなた、見とくべきでしょう


トトやんのすべて


ゆりたんのすべて。その62

$
0
0

やはり育ちの良さというのは争われないものです。


トトやんのすべて

うちにお客さんなどがきても、ゆりは全く人見知りをしないようです。

とくに女性のお客さんなどくると、べたべたスキンシップをはかりたがります。

「かわいいかわいい」などと

撫でられていい気になっております。

トトやんのすべて


常に物おじせず、堂々としております。

このあたり、生まれてこのかた

甘やかされて育った当然の結果でありましょう。


そんなゆり王子は、

土管に入って遊ぶのがかなり好き……


土管ですよ、土管。


トトやんのすべて


やはり王侯貴族としては…

将来の国家のエリートとしては…


下層の人びとの生活を知っておく必要があるようです。

トトやんのすべて


ま…

トトやんのすべて


ホンモノの土管ではないので…

お風呂の保温シートなので…

トトやんのすべて


暴れるとすぐにバラけますが…

トトやんのすべて

「ゾルゲ 引き裂かれたスパイ」感想

$
0
0

ここ最近のわたくしの読書のテーマは…

『「全日記小津安二郎」を解読する』


ということになっております。

ようするに昭和はじめ頃…戦前の日本を扱った本ばっか読んでます。


トトやんのすべて


「全日記小津安二郎」に

「フレーデルマウス」

…という銀座の飲み屋だかバーだかが

よくでてくる。


ちょっと前、小津安二郎は水久保澄子に惚れてたんじゃねえの?

という推測を繰り広げた際、引用したところだが…


一九三四年五月三十日(水)

会社に行かず 八時筈見と帝劇に会ふ 水久保澄子と会ふ

フレーデルマウスにて一問一答 のちルパン

(フィルムアート社「全日記小津安二郎」82ページより)


この他、山中貞雄だったり江川ウレオあたりだったりと

一緒にこの「フレーデルマウス」に飲みに行っている。


さあ、そこで…

「フレーデルマウス」というのは一体どういう場所であったのか?

それが知りたくてロバート・ワイマント著「ゾルゲ 引き裂かれたスパイ」

文庫本で上下巻読んでみました。


…ま、ゾルゲその人にも興味はあったわけだが。


トトやんのすべて


これはとてもおもしろかった。

オープニングがこんな。


昭和十三年(一九三八年)五月十三日(金)の午前三時近く、東京の中心街虎の門一帯を包む静寂は、雷鳴のような轟音に打ち破られた。一台の大型オートバイが、南満州鉄道ビルの角を曲り駐日アメリカ大使館へ向かう道路を、唸りをあげて疾走してきたのだ。突き当りは高台になっており、そこで道路は左右に分かれている。エンジン音をいっそう高め、オートバイはまっ暗な小道を左へ折れた。小道は大使館南側の石垣に沿って急坂をなしていた。

(新潮文庫「ゾルゲ 引き裂かれたスパイ」上巻11ページより)


うーん…好きですね、この雰囲気。

着々と大陸進出をすすめつつある大日本帝国の中心地で

ナチス党員リヒャルト・ゾルゲ(じつはボルシェビキのスパイ)が、

でかいバイクで疾走している。

BMWの750ccかな、それともアメリカ製かな…とか色々想像させます。

なんかSFっぽい雰囲気すら漂わせます。


えーこの本に何か所か「フレーデルマウス」が登場します。

ゾルゲは才気煥発な座談家であり、胸のすく毒舌家だった。こういう人間は、この種のパーティでは人気者となる。祖国を離れたドイツ人の間で、彼は、変わり者、大酒飲み、女に目がない好き者として知られていた。また銀座の歓楽街の常連でもあった。その一つにフロリダ・ダンスホールがある。そこで、粋な夜会服を着た女の子とタンゴを踊った。さらに、シルバー・スリッパ―、ラインゴールド、フリーダーマウスといったバーにもよく顔を出した。大酒飲みは、ジャーナリストの習性である。だが、ゾルゲの場合は度を越していた。

(同書136ページより)


この「フリーダーマウス」ってのが、そうでしょう。

「ラインゴールド」はドイツ語読みだと「ラインゴルト」かな?

スパイ・ゾルゲがナチの将校だのと一緒にガァガァ騒ぎまくってるその姿を…

若き小津安二郎青年は、不良仲間の江川ウレオあたりと一緒に

ドイツビールのジョッキ片手に見たことがあるかもしれません。

ゾルゲと小っちゃん…

お互いにぎこちない英語で会話をしたことだってあるかもしれぬ。

そう考えるとなんかゾクゾクしてくるな。


さて、ゾルゲは、同僚のソ連の女スパイをこの「フレーデルマウス」に

案内したことがあったようです。


彼女はこれにひどく憤慨した。こんなドイツ風の最低のパブは、レディを招待する場所ではない。だがゾルゲは、そんな文句は気にもしなかった。

(同書152ページより)


「ドイツ風の最低のパブ」…

これに関しては「ラインゴールド」の詳しい描写があるので

それを参考にしてみたいところ…


ラインゴールドの持ち味は、気のおけない(ゲミュートリヒカイト)ことだった。そこにいると、何千マイルも離れた日本とドイツが、たちまち一つの音と香りの中に溶け合ってしまう。そして店内には、客を迎えるやり手の主人の快活な声が響き渡る。この店は、ハンブルクやブレーメンの居酒屋仕立てとなっていたが、大きく異なっているのは、ここには日本人ウェイトレスがいたことだ。彼女たちはディアンドルやピナフォアドレスに身を包み、祖国を遠く離れた男たちを、笑顔をあやしげな発音の片言ドイツ語で慰めた。

(同書172~173ページより)


どうやら「フレーデルマウス」は、

この「ラインゴールド」よりさらにレベルの低い店だったらしい。


レストラン兼バーのラインゴールドには、かなりいかがわしい店ではあるが、ライバル店があった。フリーダーマウスという狭くて陰気なドイツ風バーで、ゾルゲはときどきそこへ顔を出した。彼の友人の記者フリードリッヒ・シーブルクは、ゾルゲに付き合ってそこへ行ったことがあるが、あまりよい印象は受けなかった。

(トマス注:以下シーブルクの証言)

そこには、日本らしさのかけらもなかった。ただ、下層階級の出と思われる日本人ウェイトレスが一人か二人いて、客が来ると横に坐り、腕を首にまわして下品に笑いかけるのだった。

(同書224~225ページより)


もう、さんざんです。

「かなりいかがわしい」「狭くて陰気」「あまりよい印象は受けなかった」

「下品に笑いかけるのだった」…

こんなひどい場所に愛しの澄子たんを連れていったのだな、小っちゃん。


□□□□□□□□


いやいや…「フレーデルマウス」関連しか紹介しませんでしたが、

おもしろい本でした。

ゾルゲだの戦前の日本だのに関心なくても、

ふつーにサスペンスものとして楽しめるかもしれないです。


PR: So-netのフレッツ S モバイルセット

$
0
0
【最大2万円キャッシュバック】フレッツ光と同時入会でWiMAXがこんなにおトク!

ゆりたんのすべて。その63

$
0
0

以下、ネコ用おもちゃの批評です。


①ペティオ・マリンパーク・走るじゃらしカメ


カメさんです。

なんか相当に凝ったシロモノです。

いい仕事してますね、という感じです。


ぼくなんか、もう、ネコじゃらしに関しては

いままでいろいろ見てますので、自慢じゃないですが

相当に目が肥えてますんで、これはもうスゴイな、とおもったわけです。はい。


トトやんのすべて


↑こんなです。けっこうかわいいです。

甲羅からでているリボンをひっぱるとカメが走ります。

なんで走るか、というと…

トトやんのすべて


↑車輪にゴムがくっついてあるから、です。

「すごいや、すごいや」

と、猫じゃらし専門家のトマス・ピンコの高評価を得たこの作品。


はたしてゆり坊の評価は如何??

トトやんのすべて


無視…


トトやんのすべて


無視…


トトやんのすべて


あくまで無視…


えー…たぶん、ですね。

このカメさん、のろいんですね。

リオネル・メッシなみのスピードで廊下を駆け回るゆり坊には

ちと退屈だったか、と…


おそらく、奥さま。(誰だよ)

お宅のお上品でお淑やかなお嬢ちゃん、お坊ちゃんには

これはおすすめか、と。


つづいて

②ペティオ・マリンパーク・アザラシ


はい。アザラシです。

「ゴマちゃん」とか「しろたん」とかあの系統です。

ただゴムがくっついたぬいぐるみ、です。

カメさんみたいに走りません。


これが…


トトやんのすべて

もふもふ…

ふがふが…

トトやんのすべて


ぺしっ…


トトやんのすべて


おりゃ…


トトやんのすべて


白いボールみたいのがアザラシです。

他にペンギンとかセイウチとかいるらしいです、たしか。

やはり単純なものがよかったようです。

ただ、個人的にはもうちょっとゴムひもの長さが長いほうが

使いやすいようにおもいます。

ディズニーけっこう好き… その1

$
0
0

さいきん、

ディズニー映画の内容をほとんど知らない女性に

ディズニー映画の内容を説明する…


というヘンテコな体験をしていろいろ考えさせられたので

わすれないうちに書いておこうとおもいます。

ちなみに相手の女性は20代の、かなり聡明な日本人女性で、

(外国人じゃないです)

以前、その人の口から「F-22ラプター」だの「A-10サンダーボルトⅡ」だの…

アメリカの軍用機の名称がポンポン飛び出して来たのをみたことがあったので

仮に「らぷたん」という名前で呼んでおきます。


だいだいこのらぷたんがどれだけディズニー知識がないか、というと…


トマス:つまり「ピーターパン」の中心部分はですね…ピーターパンとウェンディとティンカーベルの三角関係にありまして…あの…ティンカーベルくらいは知ってるでしょ?

らぷたん:??…えー…なんですか、それ?

:妖精ですよ。妖精。

:はぁ…

:えーと…彼女はこれくらいの大きさで…(と、指で大きさを示す)

:え?…じゃ、そんな子とセック○できないじゃないっすか???


…という感じです。

(たしかにピーターパンとティンカーベルはセック○できないなぁ…)

他にも「白雪姫」の毒リンゴを

「え?毒リンゴ??…」

「シンデレラ」のガラスの靴を

「は?ガラスの靴?????…」

ときょとんとしてしまうようなヘンな人です。


ま、以下、考えさせられたことを箇条書きで書いていきます。


これは「物語」というものの本質に触れるのではないか、などと

まじめに考えております。


トトやんのすべて


①ぼくはディズニー映画がけっこう好きであるらしい。


…のです。

自分の知っているディズニー映画の内容をらぷたん嬢相手に熱心に

語りだしたところをみると相当に好きらしいです。


②ディズニー映画の中心テーマは大きく分けて二つである。


a.思春期などというめんどくさい時代はさっさと飛び越えてさっさと白馬に乗った王子さまがあらわれてくれればよい、というお姫さま物語。

(白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女)

b.大人にはなりたくない。一生お母さんと一緒にいる。という男の子向けの物語。

(ダンボ、ピーターパン)


ちなみにらぷたん嬢に対して、

「貴女は『テーマa』に対する反発…つまり、女の子向けのあたりさわりのないメッセージがイヤで、ディズニー映画にたいして無意識に反発していたのではないか?」などと精神分析医みたいなことをいったところ…

「それはないです」

と一蹴されました。どうなんでしょうね?


(ついでに申し上げておきますと…ヒッチコックの諸作品にもこのテーマは頻出しますね…『テーマa』→ボーイミーツガール物のヒロインたち、つまり「39ステップす」「バルカン超特急」等々「レベッカ」もなんかそんな雰囲気がある…『テーマb』→もちろん「サイコ」を参照。「北北西」の主人公もマザコンである)


③「白雪姫」はどうしても小人目線でみてしまう。


らぷたん嬢はそもそも

「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのは誰?」

というのからして知らないので…一部始終を説明しなければならないわけです。

白雪姫が森に捨てられる過程を説明すれば…

「ずいぶんひどい母親ですね」

などという始末です。


そんな人相手に「白雪姫」のお話を語ってわかったのは、

僕は「白雪姫」を小人目線でみている、ということです。

つまり…ですね。語り始めるうちにこうなってしまったわけです。


トマス:毎日毎日のきつい労働。鉱山で働くのは実にツライ。うちに帰れば帰ったで…野郎どもばかり七人の生活。そんなオレらのむさ苦しい人生。喰いっぱぐれることはないが、煤けた灰色の日々だった。そこへあの子がやってきたんだ。かわいいあの子。スラリとして背の高い彼女。白雪姫。あの日の夕方、うちへ帰ってくるとあの子がベッドで眠っていたんだ。かわいい寝顔で。それからの美しい日々。晴れやかな日々。朝、あの子は俺達の煤けた頬にキスをしてくれたっけ。帰れば、あの輝かしい笑顔と手料理が待っている。いやいや…俺にはわかっていたんだ。こんな日々がそう長くつづくはずはない、って。高望みなどはしない。わかっている。俺なんかがあの子と結ばれるなんて、そんなこと思ってもみなかった。ただ幸せだったんだ。あの子が微笑みかけてくれるだけで。ただそばにいてくれるだけで。ところがある日、あの良く晴れた輝かしい朝、彼女は行っちまった。背の高い、イケメンのアイツと…手に手を取り合って、白馬に乗って行っちまったんだ。「ありがとう」のひとこともなく…

らぷたん:はぁ…白雪姫って死んだんですよね?毒リンゴで。

:そうです。

:なんで生き返ったんです?

:それは王子さまがキスして…

:死んだんでしょ?え?なんで?

:いや…あれ?……理屈はよくわからないです。


ようするに小人目線でずっとみているので…

「なんで王子さまのキスなんぞで蘇るのか?」

そのあたりの理屈を僕は把握していないことが明らかになりました。


…あの、教えてください。なんでですか??


トトやんのすべて


まあ、「その2」というのも書きます。

どうもディズニー映画の構造ってものが

僕の思考構造の中心にあるような気がなんとなくしてきたので…



ディズニーけっこう好き… その2

$
0
0

ようするにらぷたん嬢相手に

ディズニーのお姫さまものの解説をしていて

わかったことはただ単に…


④「物語る」という行為の快感。

――ということだけの
ことなんだろう、とおもいます。


「小説」などというヤクザなもんに手を出してしまって以降…

つまり…

不特定多数の読者を対象にするメディアにずぶずぶと

はまりこんでしまって、抜け出せなくなって…


んで、そのことで逆に、特定の…

今、目の前にゐる人相手に「物語る」ことをすっかり忘れてしまっていた。

そうだ。

オレはこの行為がけっこう好きだったんだっけ、と思い出したわけです。


トトやんのすべて


⑤…とかなんとかいって「物語る」行為がちゃんとできない。


わけです。これも「小説」のせいだとおもいます。

こないだ書いた「白雪姫」ですが…

僕は小人目線でしか、もはや「白雪姫」を語れなくなっているわけです。


「あの子と一緒にいた至福の日々。でもある日帰ってくるとあの子はいなくなっていた」

みたいな…失恋した男の心象風景みたいのしか語れなくなっているわけです。



トトやんのすべて



⑥「眠れる森の美女」はほとんどおぼえていない。


つづいてらぷたん嬢相手に「眠れる森の美女」を解説したのですが、

これはほとんど記憶に残っていないことが明らかになりました。


トマス:これは…つまり…オーロラ姫がなんで眠ってしまったかというと、つまり…えーと…なんだっけ…

らぷたん:大丈夫ですか?

:あんましおぼえてない…えーと、たしか、針を指に刺したのが原因で魔法が発動すると、そんな感じであった、と…

:????…

:ごめんなさい。僕、ですね。「はは~ん、これは破瓜のイメージだな」なんてインテリくさいことを考えていたもので…

:??…はか?

:破瓜ですよ、破瓜。針で指を刺すという、ロストバージンの象徴だな、という…

:はぁ?ちょっと、それってインテリなんすか…わけわかんねー…


えー…そんなわけで、僕にとっての「眠れる森の美女」は、

「なんだか理由はわからないが、オーロラ姫の『ロストバージン』っぽい出来事でお城中が眠りに落ちるんだが、やっぱり王子さまのキスかなにかでみんな目が覚める」

…という大雑把なおはなし、になりました。


あとラストシーン…魔法使いの三人のかわいいおばあちゃんがでてきて

そいつらがケンカをして魔法合戦みたいのになって

んで、華麗にダンスをしているオーロラ姫のドレスの色が

カラフルに変わる、そこが見どころである。

というところあたりも説明してやりました。


「ようするにビジュアル勝負の映画であるから、あらすじなどはどうでもいいのだ」と苦しい言い訳をしました。

たしかワイドスクリーンになったはじめてのディズニー作品、

のような記憶があるんですが…どうだろう?違うかもしれません…


トトやんのすべて

⑦「シンデレラ」は変態SM血まみれ物語である。


そんなわけで「物語る行為の快感」とかなんとか

かっこつけたことをいったくせに「物語」をほとんどおぼえていないことが

明らかになりました。

そんなインチキ語り部トマス・ピンコによると…

「シンデレラ」は…

トマス:これは実は中国起源のおはなしなので、ずばり足フェチものです。

らぷたん:はあはあ、先生がお好きな…

:はい。まあ、纏足ですね。小さいあんよ大好きという信仰がつまり、あのガラスの靴エピソードに…え?え?ひょっとして?あなた?…

:わかんないっす。

:ガラスの靴、知らない?……

:うー…「シンデレラ」というとディズニーランドのお城のイメージ…以上。

ト:ディズニーランド?いったことあんの?

ら:一度だけ友達と行きました。でも着ぐるみ歩いてんじゃないっすか。なにがなんのキャラクターだか全然わかんなくて、すげーつまらなかった…

:えー…あの~…12時になると魔法が解ける、とか?…知らない?

:知らない…

:かぼちゃの馬車も?…

:うー…


こんな人相手なので…


つまり…「足フェチ要素」に食いついたり

前回紹介したように、「ピーターパンとティンカーベルはセック○できない」

とかいう発想をする人なので、

より変態度の高いグリムバージョンの「シンデレラ」を紹介することにしました。


トマス:…でシンデレラのお姉さんは、ガラスの靴に足が入らないので、指を切るんです。足の指を。

らぷたん:ククククククク…

:で、めでたくガラスの靴に足が入るんですけど、でも、「あれお前、血がでてんじゃん」ってことになって、バレちゃう。

:クククク…グロい…

:そこへシンデレラがあらわれると、すんなり、ガラスの靴が足に入る。

:ははぁーん、めでたしめでたし。

:ま、まだ、続きがありまして、シンデレラと王子さまの結婚式。お姉さんたちと継母が呼ばれまして…

:ふんふん。

:そこで、焼けた鉄板が用意されまして…ギンギンに焼けた鉄板。

:ふんふん。

:その上を…踊らされるんです。継母と姉さんたちが…

:ククククク…

:死ぬまで踊らされる。それをシンデレラと王子さまが笑ってみている、という。

:きゃー…グロい。グロい…


でも…うちに帰ってきてから、

岩波文庫版グリム童話にあたってみると…

鉄板の拷問は「雪白姫」の方だということがわかりました。

(ナルシストのお妃はそうやって殺されます)

ちなみに正しいシンデレラでは…


花むこ花よめが教会へ行く段どりになると、姉は右に、妹は左につきそいました。すると、二羽の鳩が、めいめいから、目だまを一つずつ啄きだしました。お式がすんで、教会から出てきたときには、姉は左に、いもうとは右につきそっていました。すると、二羽の鳩が、めいめいからもう一つの目だまをつつきだしました。こんなわけで、ふたりの姉妹は、じぶんたちが意地わるをしたばかりに、かえだまなんぞになったばかりに、ばちがあたって、一しょうがい目くらでいることになりました。

(岩波文庫「グリム童話集(一)」241~242ページより)


てなわけで、眼をくりぬかれるんですね…



トトやんのすべて


こんなわけで…



⑧不特定多数を相手にする「小説」では語り口の改変はできないが、特定の相手に「物語る」場合、相手の反応に応じて、語り口、モチーフ、プロットの改変が容易に可能である。


などということを理解したわけです。

ま、あたりまえすぎることですが…


逆にいうと…「小説」ってものすごく不自由だな、と…


ま。こんな風に色々と考えさせられたわけです。

ゆりたんのすべて。その64

$
0
0

そうそう、加湿空気清浄器というものを買ったわけです。


が、これもまたゆりのおもちゃになっております。


トトやんのすべて


な、な、なんですか?これは?


トトやんのすべて


不思議、ふしぎ。

水がたまっておる。


トトやんのすべて


ふんふん…ここがこうなって、ああなって…

トトやんのすべて


ははぁ~ん。気化式の加湿器ですな。

トトやんのすべて

なんか妙に気に入っています。

加湿器のまわりでくつろいでおります。


というか、この子「湿気好き」のような気がするんですが…

トトやんのすべて

お風呂とか妙に好きだし…


でも…



トトやんのすべて


「ネコ」って生き物はエジプト発祥だとどこかで読んだ記憶があるんですが…


トトやんのすべて


エジプト…

ピラミッド…

スフィンクス…

沙漠…


乾燥…

乾燥…


トトやんのすべて


なんで

湿気好きなのよぉ???


トトやんのすべて

Viewing all 593 articles
Browse latest View live