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平沼駅ホーム あるいは 小津先生のお墓参り

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鎌倉・横浜方面へ出かけたので、

前から気になっていた

平沼駅ホームを見にいった。

撮ってきた。


横浜住まいの方にこういう話をすると、おそらく

「え? 平沼橋でしょ? 相鉄の」

という反応をされる気がするが、

違うんです。


平沼駅です。京急なんです。



それは…

京急の横浜駅と戸部駅の間にある。


上から四枚。下りの…運転手さんの真後ろから撮りました。


左側に見えてる、空っぽのホーム。

これです。




たしかに、「あそこに妙なモノがある」

ということには前から気づいていた。


横浜住まい当時、図書館近くの日ノ出町駅はよく利用していて、

で、ある日、

信号トラブルかなにかで、電車が停止したことがあった。

場所がちょうどこのあたり。


なんだ、この廃墟は?

とおもったのをおぼえている。


ちと不気味だったな~


その正体がわかったのはごく最近で…


草思社「東京の戦前 昔恋しい散歩地図②」を読んで、わかりました。


平沼

昭和6年12月、京浜電気鉄道(現京浜急行)の横浜・日ノ出町間の開通に伴い設けられた。しかし横浜駅との距離が近すぎることから昭和18年に休止、翌年廃止となる。昭和20年5月29日の横浜大空襲で焼け落ちたが、現在もプラットホームなどは、そのまま残されている。

(草思社「東京の戦前 昔恋しい散歩地図②」99ページより)




なんとまあ、戦争の遺跡だったんだね。

空襲の爪痕のすぐ脇を、現代の通勤・通学客達は通っているわけだね。


□□□□□□□□


今度はのぼりで撮ってみた。


まわりからみると、

僕ちゃん、もろに「撮り鉄」だな~


汽車ぽっぽには興味ゼロなんですけどね~


ほんとは女の子とニャンコ撮るのが大好きなんですけどね~


みえてきたみえてきた。


のぼりの方がわかりやすい。




駅として使われたのは12年間かそこらだったわけだが、

その階段の入口がそのまんま残っているのだね。

(階段自体はどうも焼け落ちてしまっているらしいのだが)







↓↓トリミングしてみた。


柱のデザインとか、タイル貼り貼りとか、

もろに戦前アールデコである。


国立科学博物館とか、山の上ホテルとか、あれ系のセンスね。


うわ~、降りてみたいな。

タイムスリップできそうじゃん。



京急は横浜大空襲の日(5/29)にこの駅跡で慰霊祭を行っている由。


大空襲の時はもう廃駅だったはずだが、犠牲者がおられたのだろうか、

そのあたり僕にはよくわからない。


けれどそういう律義さ、京急は信用できる気がするね。


□□□□□□□□


えー…


ほんとの目的は、小津安二郎先生のお墓参りであった。


北鎌倉、円覚寺。


何度目? 三度目か四度目。…




命日は12月12日なんで……


まったく関係ない。

だが、なぜか毎年、夏に行きたくなってしまうのは……


小津が「夏」の作家だからだろう。

(……ということにしておく)


小津映画はいつでもピカピカに晴れていて、

雨の日は存在しない。(例外もあるけど…)



お花をお供えした。

いつもお酒を持ってこようとおもって、忘れる。


お寺のネコちゃん。

売店のオバサンに「○○ちゃん、そんなとこに寝ないで」

といわれていた。


…………

はるばるイバラキの自宅に帰宅すると、


自分のうちの墓参りに行かないで、と笑われた。


海軍軍人の曾祖父が戦死したのが7月28日だった。


んー…


夏はどうしても死者たちのことばかり考えてしまう。


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