「出来ごころ」(1933)のあと、安っさんは
「母を恋はずや」(1934)を撮っていますが、
感想は省略します。
はじめと最後が失われている作品なので、
なんか「映画をみた」という感じがしない。
で、「浮草物語」、旅芸人の一座のおはなし。
おなじみドンゴロスのタイトルバックはこの作品から↓↓
感想、例によって衣食住でみていきます。
①衣
↓谷麗光が妙に目立っていて、かっこいいです。
(そういや笠智衆はでてなかった)
この人、「出来ごころ」の床屋さん役も目立ってました。
「浮草物語」では突貫小僧の父親役。一座の古株の役者です。
男性ファッションという点では、
三井秀男が「うわ。ブーツ履いてる」「エンジニアブーツ?」……
とか「ブーツ欲しい欲しい病」のトマス・ピンコは反応してしまったのですが、
画像が粗いのでそうみえただけのはなしで、
じつはゲートル……この画面の直後、ゲートルをほどくシーンがあります。
女性陣は坪内美子…(あとで三井秀男と結ばれます)
この人のなんかおっとりした雰囲気が好き。
一座の若手ヒロインが座長坂本武にお灸をすえているんですが……
なんかエロい……
日本人だと「お灸」だとわかるが、
異国の人がみたら、なんだとおもうんだろ??
SMチックで…エロい…
「彼女のキモノのひょうたん柄は男根を象徴おり、うんぬん」
とか分析するヤツいそうだわな。
↓これもなんかエロい。
お茶を汲むのに、わざわざこんな姿勢をとる必要はない。
おキモノの女性というとしゃがませたくなるんでしょうか、
小津安っさん。
有名なのは戦後の「小早川家の秋」
原節子&司葉子でしょうが、(あれもなんかエロいね~)
そのルーツかしら??
左下にご注目。
スイカの置き場所とかも気合入れて決めたんだろうな……
ばっちりきまってます。
とにかく坪内美子たんがエロいのですが……
(↓裸足のエロさにご注目)
八雲理恵子姐さんがエロ過ぎて……
もう安っさんに感謝するより他ない。
このお方、単純に「戦闘力」からいったら小津映画ヒロイン最強でしょう。
「その夜の妻」ではピストル装備
「東京の合唱」では完全にダンナを支配下におく鬼嫁。
あ。「その夜の妻」「東京の合唱」の頃は「八雲恵美子」と名のってらした。
名前を変えたのはなぜでしょうか。
この↓↓
口角を、ちょっと下品に「ニッ」とやるのが、
「浮草物語」の八雲理恵子です。
やっぱしコワイ役なのね……
「その夜の妻」「東京の合唱」では、ま、カタギの奥さん役ですんで、
こんな「ニッ」はやりませんでした。
②食
小津の法則。
やっぱし「食」=「家庭」ですんで、
谷麗光、突貫小僧の父子関係を描くのに
安っさんは「食」を使うわけです。
ムダな字幕・セリフを使わず、
オヤジのそばでガキがすいかを喰ってる、というただそれだけで
父子の関係を完璧に描き切ります。
座長の坂本武とかあやん、飯田蝶子の関係も「食」で描く。
二流、三流は回想シーンだのぐじぐじした字幕だので
二人の関係を描くでしょうが…
小津は数秒ですべてを描きます。
っていうか、あらすじ書いてませんでしたね。
喜八さん(坂本武)が率いる旅芸人一座が山奥の村に汽車でやってきます。
じつはこの村には
喜八さんが息子(三井秀男)までもうけた女性、おつね(飯田蝶子)が住んでいる。
なので、公演のあいまあいまに坂本武は
飯田蝶子・三井秀男親子の家に遊びに行っている。
が、あることから、現在の喜八の女房おたか(八雲理恵子)に
おつねの存在を知られてしまいます。
おたかは妹分のおとき(坪内美子)を連れておつねの家に来て、
まーちょっとした修羅場になります。
それから、ですね、
カッときた八雲理恵子は坪内美子をたきつけて三井秀男を誘惑させようとする。ウブな三井秀男はまんまとひっかかりますが、美子たんは美子たんで逆に純粋な三井秀男にひかれていくようになります。
終盤、天候不順に加えて、劇場の雨漏りがあり、
不入りで一座は解散に追い込まれます。
くわえて、三井秀男&坪内美子の駆け落ち騒動などあり……
という具合。ちょっと語り過ぎたようです。
ラスト。
一座を解散した坂本武は飯田蝶子の家に落ち着く決心をするんですが…
まーいろいろありまして…
八雲理恵子とくっつきます。
ふたりを結びつけるのはやっぱし「食」なわけです。↓↓
③住
かあやん(飯田蝶子)の存在がバレて
八雲理恵子が坪内美子をひきつれて
かあやんの家にやってくる。
この修羅場シークエンスは、「衣」「食」「住」モチーフがすべて放り込んであって
ものすごい充実しています。
「住」という点でいうと
・二階、という親密な空間(戦後の紀子ものを思い出しましょう)
・男女の空間移動=恋愛感情
(「若き日」以来の伝統、「出来ごころ」で、大日方伝の部屋にやってくる伏見信子を思い出しましょう)
・雨漏りする空間と雨漏りしない空間の対比。
これだけですごいんですが↓↓
修羅場シークエンスの冒頭を飾る
二階で父子が将棋を指しているシーン。
「食」…二人でとうもろこしを食べてる。むろん家族。愛情モチーフ。
「衣」…衣装交換というモチーフ。親父が学生帽を、息子がてぬぐいをかぶる。
等々放り込んであって目が回りそうです。
安っさん、テクニックのすべてを放り込みます。
くわえて、字幕までもが完璧。
「をぢさん これで詰みだよ」
(そうそう。三井秀男は坂本武が実の父だとは知らない)
むろん、将棋のことをいってるんですが、
この直後、今の女房のおたかに詰まれてしまうわけです。
「アンタ、なんなのこの女?」
「この子はアンタのなに?」
と追いつめられてしまうわけです。
以下、修羅場……
八雲理恵子姐さんの…
結っていない髪が、ちと妖怪じみている。
美子たんのくわえタバコもポイント。
戦後の「浮草」(1959)では
中村雁治郎、京マチ子が演じるシーンです。
四半世紀後の作品。
「浮草」の……巨匠・宮川一夫撮影の豪華絢爛シーンに比べりゃ、
そりゃしょぼいですよ……
フィルムの質だって悪いし…
でも見劣りしないのは計算されつくしているからです。
④全体
やっと「全体」か…
こんな長ったらしい記事、誰が読んでくれるんでしょうか??
ひとことでいって
「完璧な作品」です。
ブンガクでいうと、
久生十蘭とか石川淳とか、あの感じ。
オシャレで、ムダひとつなくて、スピード感あって、
それでいて満腹しちゃう、という。
でも、なぜなのか?
――……
前回「出来ごころ」=「死者の世界」
と、見事に(?)喝破した(?)トマス・ピンコがまず考えたのは
「浮草物語」=「動物の世界」
という構図。
なんか動物要素多いんですよねーー
↑坪内美子が三井秀男を誘惑するシーン……
この、なんだろう?
昔話のキツネが女に化けて、というのを思い出させるのはなぜなのか?
この子がキツネ顔のせいなのか?
あるいは、
突貫小僧は舞台上で犬になります。
そして突貫小僧がだいじにしているネコの貯金箱。
ペットのようにかわいがっています。
「浮草物語」=「動物の世界」
…これで「浮草物語」の、なんかファンタジーっぽさも説明できる。
とかおもったんですが、
ラスト近く、八雲理恵子姐さんが坂本武にこう、啖呵を切ります。
「世の中は廻り持ちなんだよ。骨身にしみて覚えとくがいヽや」
ふーん…
さすが、姐さん……
…な、なるほど。ここ大事。テストに出ます。
わたくし、
思い出しましたのは以下の一節。
蓮実重彦先生はこんなことをいっておりますです。
(映画の本じゃなくて、石川淳を批評してるんですが)
世界とは、異性であり、金銭であり、言語にほかならぬからである。そしていうまでもなく、女と金と言葉とは、交換され循環する限りにおいて最も具体的な相貌を帯びるものなのだ。
(河出文庫「文学批判序説 小説論=批評論」82ページより)
んー「浮草物語」=「動物の世界」は間違いですねー
「浮草物語」=「人間の世界」ですね。
・「異性」……喜八―おたか、おつねの関係。おとき―信吉の関係。
・「金銭」……突貫小僧の貯金箱。おたかがおときに金を渡す。解散した一座の小道具が金に化ける。
・「言葉」……おつねが信吉に「この人はお前のお父さんなんだよ」と真実を伝える。(スターウォーズのダースベイダーではないが、これほど重いコトバはこの世に存在しない……)
ラスト。
「東京の合唱」の岡田時彦―八雲恵美子同様。
二人は同じ方向をむいてうなだれます。
とにかく完璧です。
以上、感想はようやく終わりです。