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「東京の宿」(1935) 感想

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小津安二郎君。


お元気ですか。僕は元気です。

君の最新作を見たので感想を書くね。


「東京の宿」――

これは一言でいってしまうと、



◎「きわめて雄弁な安倍政権批判の映画」


ということになるとおもう。そうだろう?



過去の作品に漂う趣味の良さから、僕は君を上流の出の人ではないか?

と勝手に推測していたんだけど、

そんなセレブな坊ちゃんでも、安倍政権の推し進める諸政策

小泉純一郎以来自民党の推進する、アメリカ型資本主義のうさんくささに

異議申し立てをしたかったらしいね。

偉いよ。


それにしても、小津君
君はこの作品で、不況の昭和十年代を見事に描ききったようにおもう。

固定したキャメラは初期北野武の影響なのかな?

低いキャメラ位置は山中貞雄だろうか。

でも山中のキャメラは仰角ぎみだけど、小津君のは水平に近いようだ。

その他、ヒッチコックの影響かな、というシーンもあったけど、

それはあとで書くね。


そうそう、「その夜の妻」で八雲君が男ものの帽子をかぶるシーン、

あれはゴダールの「勝手にしやがれ」のパクリだといって蓮実重彦先生が怒ってらしたよ。

小津君、あとで謝っておいた方がいいよ。


もとい、

君はまだ31歳だというけれど、よく勉強して

昭和十年代をきわめてリアルに再現した。

ただ、僕は前作の「浮草物語」の方がずっといい作品だとおもうな。


まー以下感想を書くね。

わけあって、


④全体


から、書くね。

あとで「衣」「食」「住」をみていくね。


というかあらすじをざっと書いておこう。


喜八(坂本武)は宿無しの失業者。

息子の善公(突貫小僧)、正公(末松孝行)をつれて

職を求めて東京をさまよっている。

なかなか職が見つからない中、

木賃宿で、やはり同様に職を探している母子に出会い、交流をもつ。

おたか(岡田嘉子)、君子(小嶋和子)の母娘。


ある日、喜八親子が雨宿りをしていると偶然、

古い知り合いのおつね(飯田蝶子)に出会う。

おつねの世話で喜八はどうにか職にありつき、

浮浪者の生活から脱出する。

ある夜、

お金の出来た喜八が飲み屋で酒をのんでいると
そこに来た女中がおたかだった。

喜八はおたかを責める。

「俺はお前さんだけは地道に世の中を渡る女だと思ってたんだよ」

泣くおたかは、

「君子が病気になったんです」

と告白する。喜八は事情を知り、おたかに謝る。

喜八は金の工面は自分がする、といって君子を入院させる。

だが…借金のあてのない喜八は犯罪に手を染め、

入院費を工面し、さいご自首する。

子どもたちの世話をおつねに託して……


という具合。


君、「子どもの入院」ってパターン好きだよね。



↑まず、驚いたのはこの子。次男坊の末松孝行くん。

よくもまーこんなガリガリの子を見つけてきたね。

ナチのプロパガンダ映像にこういうユダヤ人の子がでてくるね。

ワルシャワゲットーの映像とか、さ。


安倍政権批判の良い武器だね。

貧富の差が拡大するとこうなるぞ、という。


安倍=ヒトラーか、

ちょっとあざといけどね。


小津君は、あれかしら? しゃがむ女性にムラムラしちゃうのかね?

しかも人物を横に配置して同じ方向をみつめさせるね。


岡田嘉子君はいい女優だと思う。

横顔が美しいね。


ただ僕はこの子は将来なにか国際的な大スキャンダルを起こすような、

そんな予感がするよ。

ほら、君がいぜん片思いしてた水久保澄子君もそうだったじゃないか。


↑小津君はたまにこういうとてもつもない非現実的なシーンを撮るね。


一体なんなんだい?

背景にあるのは「象の檻」かい?

日米軍事同盟の強化を揶揄しているのだろうか?


それともジャック・ラカンの「現実界」みたいのを表現したかったのだろうか?

たんにキリコ風の絵が撮りたかったのかしら?


飲み屋のシーンを見ていこうか。

坂本武が岡田嘉子を罵倒する。


このあたりは上野千鶴子とかフェミニストの先生方に怒られそうな気がするよ。


・男が、飲み屋に来ていることは当然のことだが、

・女が飲み屋で働くことは許されない。


フェミニズムの本は読んでいるかい?

こういうのはダブルスタンダードとかいって批判されるよ。

それとも昭和十年代を再現したくて

わざと男性中心主義を偽装したのだろうか?


いやいや、

つまりこれも

「弱いものいじめ」の安倍政権批判かもしれないね。


↓喜八が犯罪者に堕ちていくさまは……


どこか「めまい」のジミー・スチュアートに似てる気がしたよ。

となると、キム・ノヴァク=岡田嘉子、か??


えーと小津君。

以下、

批判的なこと書くね。覚悟してね。

僕はこの作品があまり好きではない。


「昭和十年代ルンペンプロレタリアートを描く」

という基本コンセプトから誰でもが思いつくのは

ヴィットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」なんだけど、

つまりラテン的なカラッとしたリアリズムなんだけど、


君がやったのはヒッチコックみたいに詩情あふれる表現だった。

でも、それなら

前作の、あのロマンチックな

「浮草物語」には勝てない。勝てるはずがない。


安倍政権批判という君の気高い目標は買う。

でもね、

正義の味方ほど退屈なものはないよ。


なるほど以上はイデオロギー批判だ。


じゃ、技術的に見て、どうして「東京の宿」はダメなのか?

以下具体的にみていくことにするね。


結論を先に言ってしまうと、

小津君、君は僕の「衣」「食」「住」批評をあまりに意識しすぎたんだよ。


トマス・ピンコの裏をかこうとおもって、

小津君、君は失敗作を撮ってしまったのだとおもう。


①衣


衣、というと冒頭に出てくる帽子でしょう。


突貫小僧、末松孝行(例のガリガリの子)は

木賃宿でみかけた軍人の(?)帽子にあこがれます。


「明日 犬つかまへて 買っちやはうか?」


当時、野犬狩りだかなんだかで、犬を警察に連れていくとお金をもらえたらしい。

小津君、どこでそんなことを知ったのだろうか?

ホントのことなの?君の創作??


「犬はめしだよ」


整理してみましょう。


×「犬」=「カネ」=「衣」(帽子)

もしくは

○「犬」=「カネ」=「食」(めし)


ということです。


なるほど、浮浪者親子ですから、帽子なんかよりめしが優先です。


ところが…


首尾よく犬をつかまえた突貫小僧は……


帽子を買ってしまいます。

「食」ではなく「衣」を選ぶのです。

「×」です。


通常の構図(「食」は「衣」に優先する)

をひっくりかえして、「食」「衣」といった一般的な見方を無効化してしまうのです。

これは明らかに小津君、

トマス・ピンコの批評をからかっているね。


②食


君がどれほどトマス・ピンコを意識しているか??

それが「食」でいよいよ明らかになってくるとおもう。


喜八さん親子のエア食事のシーン。

エアめしです。

エア酒です。


喰うものがない、むろん金がない、

親子はとうとう空気を喰うより他なくなる。


あきらかに「食」=「家族」とかいっている

トマス・ピンコをからかっているね。


正直、君は天才だとおもう。

「食」=「ゼロ」

おそるべし、小津安二郎君。


なんか歌舞伎の「勧進帳」を意識しているのかな?

それとも

アナログ好きの君は

巨匠黒澤明の「虎の尾を踏む男たち」が好きかもしれないね。


↑この作品では

終始しかめっ面の坂本武が、唯一笑顔をみせる…

そんなエア食事。


③住


さて、

「食」を捨て、「衣」(帽子)を選んだ喜八親子。

彼等は空気(空虚)を喰うより他なくなる。


そんな彼らが「衣」を捨てるシーンがあります。↓↓


突貫小僧が親父から預けられた荷物(衣類でしょう)を

めんどくさがって弟に押しつける。

弟は、重いので荷物を道に棄てる。

どちらもめんどうがって荷物を放っておいたところ、


(盗まれたのか??)

いつのまにか荷物はなくなっている。


「衣」を捨てた喜八親子。

最後に残ったカネを「食」に使います。


「宿泊代」(住)を捨て、「めし」(食)をとるわけです。


が、その直後……


大雨。

「宿泊代」(住)をケチったことを大いに悔やみます。


これでわかった。

僕はこの作品の構造すべてを見抜いたよ。


喜八親子は「衣」「食」「住」をめぐる問題。

そのすべてで間違えるのです。

悪い解答、「×」、零点の答えしかしないわけです。


×衣

×食

×住


換言するならば、小津安二郎君、

君はトマス・ピンコの「衣」「食」「住」批評に対し、

あえて、白紙解答をつきつけるわけです。


とんでもなく悪いやつだね。君。


えー……

もとい、


すべての問題に×をつけられた喜八親子ですが、

雨宿り先の床屋で、旧知のおつねさんに出会います。


…で、あらすじに書きました通り、

喜八さんの生活は上向き……


エア、ではない、

「衣」「食」「住」のすべてを貧しいながら手に入れるのですが……


岡田嘉子のためにそのすべてを捨ててしまいます。


×××


また零点の解答が提出されます。


小津君、

わかっただろうか?

君は僕の「衣」「食」「住」批評をどうやって崩そうか??

それを意識しすぎて、作品を「○」「×」の論理ゲームにしてしまったのだよ。

数学の教科書にしてしまったんだよ。

だからこの作品はおもしろくないんだ。


でもムリはないとおもう。

「浮草物語」みたいな傑作を撮ってしまったんだもの。

こういう実験作も必要だとおもうよ。


がんばってくれたまえ、小津安二郎君。


□□□□□□□□


………


えーだいじょぶです。

ぼくは元気です。


また、長くなりましたが、

いよいよ読んで下さる方なんかいないでしょうが……


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