水戸芸術館、山口晃展、
会期がそろそろ終わってしまうので
も一度見に行くことにしました。
ついでに…水戸ってあんまり行く機会がないので、
水戸芸術館周辺の気になる建築を巡ってみることにしました。
あ。ところどころヘンテコな色に加工した画像がはさまりますが、
わたくしの趣味ですので、お気になさらぬよう。
・泉町会館
設計者不詳。いつできたものかもよくわからん。
昭和初期のモノらしいのだが、
さっきネットで調べてみたら、
「昭和30年に戦災復興のシンボルとして再建された泉町会館…」
うんぬん書かれていて…
ようは
オリジナルは昭和初期に竣工したのだが、
空襲かなにかで焼けてしまって、
その後、昭和30年に復活した、というものだそうな。
水戸のメインストリート 国道50号沿いにあります。
水戸芸術館から、歩いて、さあ…5分か10分そこらだったような。
じつによくないことで…
わたくしのように
アカデミックな建築教育を受けた人間というのは、
「建築家○○先生の作品」
というのをむやみやたらにありがたがる傾向にあって…
なので、こういう「作者不詳」の作品なんか、
視界にはいってこないわけで…
なので、この建築の存在。
先月の水戸訪問ではじめて知った。
たまたま知った。
帰り道、クルマの窓から一瞬とおりすぎる
なにやら不気味な建物……
昭和モダンの怪物。
入口のタイルにご注目。
ツルツルのタイル。
ざらざらのスクラッチタイルとかだと、「アールデコ」してますね~
ということになるわけですが、
この外観のツルツル感、とか開口(窓)を大きくとるやりかたとかみると、
「モダン!」
「アールデコ、そんなの古いっす」
という時代の産物であることがわかります。
しかし…東京ならわかりますが、
イバラキでこんな ザ・モダンの建築が存在するとはねーー
船、とか機関車、とかのイメージ。
じっさいみていると、
ウゴゴゴゴ…
とかいって動きそうな気がします。
軽やか。
抽象画みたいな小気味よさがあります。
リズム感、といいますか。
あ。角の窓が気になるぅーー
曲面ですよね??
カネかかるぞ。窓枠も作るのめんどくさいぞ。
ただ、小うるさいことを言うと、
側面のおもしろさに対して、
入口はデザインが弱い。
コンクリートブロック、タイル、レンガ…
なんかつぎはぎ細工みたいで、
やっつけ仕事な気がする。
んー…ドアの下の部分の
ぬべーっとしたかったるさ。
もともと階段だったのを
ぬべーっと塗り固めてしまったのかもしれない。
ただ、書きながらおもったのは
震災でダメージをうけて、
仕方なく
このかったるい状態に修復したのかもしれない。
よくわかりません。
だったらごめんね。泉町会館くん。
ちょうど店じまいの時だったので(ふだん野菜とか売ってるらしい)
中には入れなかった。
今度は中をみせてね。
つづいて…
・水戸地方気象台。
竣工1935年。
設計は…ビッグネーム中のビッグネーム
堀口捨己(ほりぐちすてみ)
堀口先生というと、
僕のような不勉強な人間でも
大島測候所(1938) という名作を知ってゐるわけで、
↑は、デルファイ研究所「建築の20世紀 終わりから始まりへ」
34ページを撮りました。
でも大島測候所がない今、
あの名作の雰囲気を味わうためには
水戸へ行くしかないわけで。
これも水戸芸術館から歩いてすぐ。5分? 10分?
うぉぉーーー
あった。あるんだね~
事前に、あんまり情報を入れないで行ったもので。
驚きました。
往年の大スターに町中で急に出くわしたかのような…
あ。生きてるんだ、みたいな。
実在の人物だったんだ、みたいな。
バリバリのモダンです。
堀口先生というと、デ・スティル的なでこぼこした時代もあるんですが、
これはシンプルな四角。
バウハウスっぽい、かしら?
堀口先生のあとの世代、
たとえば こないだ自邸を紹介した前川國男先生とか
丹下健三とかだと、
ル・コルビュジエにかぶれるんですが…
コルビュジエ臭はない。
そうそう。↑↑
これ。
このきっちり感が欲しかったの。あたし。
泉町会館になかったのはこの几帳面さです。
さすがビッグネーム。巨匠。スキがない。
凝りに凝ったディテール。
ドアノブも金ぴかに光ってます。
いいなー
階段のデザインもいいなー
うう。こっちの階段も凝ってる。
いいねーーーかわいいーー
ミースのファンズワース邸みたいなーー
ってあれは超高級大理石ですけどーーー
コンクリートでもかっこいいよーーー
あと、この開口もステキ。
なんかメカっぽくて良いな。
えー色々もりあがってしまいましたが…
あとで調べてみると
申し込めば内部も見せてくれることがわかった。
見学させてくれるんですって。
いつかお願いしましょう。
あと、ですね。
震災でやっぱりダメージを受けたらしい。
それをきっちり修復した際に、もともとの色、この薄緑色に戻したのだそうな。
(それまでは白だったそうな)
というか、堀口先生の傑作。
壊さないでいてくれて感謝、です。
えーホメてばかりいるのもなんなので、欠点も指摘しておく。
ウェルカムな雰囲気の建築ではない。
正直、ミリタリー臭を感じた。
威圧感。
たぶん――大島測候所なんてもろにそうだが、
昭和初期における気象情報って
軍事情報、軍事機密に類するものであったに違いない。
「天気晴朗なれども波高し」
戦にゃ天気が重要なのだ。
その時代の産物。という気がする。
あ。
勘違いされる方がいると困るので書き添えますと…
今現在の水戸気象台さんが無愛想、だとかそういう意味では全くないです。
もともと昭和初期における堀口捨己の設計がもっていた意味を
僕はいっております。
んーしかし、中身をみたいな。
見学したいな。
建築成分、満腹して、
水戸芸術館へ
磯崎新は
水戸気象台の存在は絶対に知っていたはずだから…
この▲▽▲▽の塔は
あの堀口捨己の「軍」っぽい塔を意識してたんだろうか??
深読みでしょうか?
しかし、すごい街ですよ、水戸。
もろにSFじゃないっすか。