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「戸田家の兄妹」(1941)感想 その2

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感想 その2です。


これまでの作品では

「衣」「食」「住」それぞれのテーマで感想を書いていきましたが、

「戸田家の兄妹」ではそれが不可能な理由。


それは その1 で書いたように、

「衣」「食」「住」テーマを

同シーンに複雑かつ効果的に放り込んでいるからで……



⑦鵠沼の別荘


も、もちろん同様です。

というか、このシーンでは「衣」「食」「住」全部放り込みます。

欲張りな小津安っさんです。



母、妹は

長男夫婦の家、長女の家、を渡り歩くんですが、

いろいろうまくいきませんで

(おもしろいシーンが多数ありますが、きりがないので省略します)

けっきょく東京をはなれ、鵠沼の別荘で住むことになります。


↑↓は、長女(吉川満子)のお屋敷での一コマ。

母、妹、が移動するごとに

「九官鳥」「オモト」が移動するというのがさりげなく効いてます。


で、プチ都落ちしまして、鵠沼へ。

麹町(戸田家の本宅)→田園調布(長男)→赤坂(長女)→千駄ヶ谷(次女)はパスして→鵠沼(別荘)。というルートです。


その他、桑野通子、高峰三枝子のランチシーンは銀座。

あと、日比谷公園、上野、とか地名がいろいろ出てくる映画です。

佐分利信が口にする地名も大阪、和歌山、京都、天津、といった具合。

考えてみると、こんなに地名が出てくる映画というのは

これまで作ったことがなかったのではあるまいか??


ここらへん中国大陸の地図と毎日にらめっこしていた

小津安二郎軍曹の体験の反映なのか??

それとも

「トーキー」のせいでしょうかね。

「サイレント」で地名を出すと、なんかごちゃごちゃする。

もとい、

観客が驚くのは

「住むに堪えない」とかいわれていた鵠沼の別荘が

あんがい立派なことです。


「住」テーマの登場。



なんですが、

飯田蝶子(女中きよ)は「衣」テーマを語り始めます。


わたしがお屋敷にご奉公して最初の仕事は節子さま(妹)の産着を縫ったことだ。それが、今ではこんなに大きくなって。

という具合です。


住む場所が変わり、

着る物が変わる。


小津安っさんのやり方は常に唯物論です。


ああ、そうそう、婆さんたちの縫い物シーンの前は

洋服を着た節子さまが洗濯ものを干しているシーンだったっけ。


観客の心理としては

「あ。三枝子たん洋服きてる」(衣)

「洗濯物干してる」(衣)

「なんだここは。鵠沼?」(住)

「案外りっぱ。はぁぁー金持ちってやつは……」(住)

という具合。


三枝子たん登場。

「ねえ、お母さまなんかありません?」


「食」テーマを放り込んできます。

おなかすいちゃったわ。

ほら、時子さんからいただいた懐中しるこがあったじゃない。


労働をすれば腹がへる。

唯物論者小津安二郎。




あーていうか、ごめんなさい。

豊満なバストに目が……


どうしても……

高峰三枝子だもん、ねえ……



「衣」「食」「住」すべてを放り込み

地名を放り込み

そしておっぱい要素も放り込む、という…


小津安二郎―おっぱい、というと、

原節ちゃんの白ブラウス姿を思い出しますが、

戦前からこんなことやっておったわけです。

あの、わたくし大真面目ですが。


――んだが、観客(男性)がおっぱいに見惚れている間に(?)

小津安っさんはものすごい離れ業をやってのけます。




「ねえ、お母さま、あてっこしましょうか。今度時子さんがいらっしゃるとき、着物か、お洋服か」

「さあねえ」

「どっち」

「お洋服かしら」

「ううん、きっと着物よ」



大スタア桑野通子が次のシーン、一体どのようなファッションで登場するか?

観客の欲望を、先回りして語ってしまいます。

これほど大胆な「衣」テーマの提示というのは…

ちょっと想像がつかない。


なんと邪悪なヤツ、オヅヤスジロウ。

「お前らがなにを欲しがっているか。俺には全部お見通しだぜ」

といわんばかりです。


んだが、小津安っさんの異常天才ぶりはこれに止まらない……



母子の会話は、父の一周忌のはなしに移りますが。


「ねえ、お母さま。昌兄さま、いらっしゃらないのかしら、一周忌」

といいながら、

糸をぽんぽん手のひらの上でほうりなげるんですが……


ボイン、ボイン、と糸が上下するんですが……↓↓


安っさん、オメー……




どうみても三枝子たんのバストの運動を模倣してるぅぅぅ!!……

ボインボイン。


んーというか、「淑女と髯」の伊達里子。「出来ごころ」の伏見信子でみたように、

手をゴニョゴニョする運動は、小津作品において「恋」なのですが、

このボインボインはその究極の発展形と申せましょう。


そして、案の定、愛しの昌兄さまのことを語らせるという……

そういや「妹萌え映画だったっけ」と我々は思い出すのであります。


こうなると、どう考えても佐分利信は法事にあらわれるわけで。




⑧一周忌。


佐分利信は遅れてお寺の法事に駆けつけます。


佐分利信は……

・冒頭、記念撮影に遅れ……

・父親の臨終に遅れ……

・一周忌の席に遅れ……


常に「遅れてくる男」として描かれます。

そして妹・高峰三枝子に「はやくはやく」とせっつかれる、という。


どうみても「遅れてくる男―小津安二郎」のパロディです。

・トーキーへの移行が遅れ……

・戦争から帰ってきたが、次回作の撮影に遅れ……

(「お茶漬けの味」が検閲にひっかかったとか色々あったにしろ、けっこうのんびりしてた。戦地帰りだからムリもないが)

・婚期に遅れ……

(けっきょく遅れたまんま死んでしまった)


さらに「安二郎」―「昌二郎」という……

なんでしょうね、このヤリすぎ感は。

ついでにいっておくと「麦秋」、原節ちゃん(紀子)の

戦死した兄の名は「省二」……



↑料亭のお座敷。佐分利信は右端。

おねえさん達のかげになって写りません。



↑ここも斎藤達雄にピントが合って、奥の佐分利信はボヤけてる。


ま。ご覧になってわかりますように、中心は「食」テーマ。




ちょっと家族で話があるから、と料亭のおねえさんたちを下がらせる。

ここではじめて佐分利信が鮮明に画面に登場。


今まで写らなかった男が、ここで場面の中心になります。

なんていうんですか?この服は?

ひとりだけドレスコードからちょっとはずれているあたりも効果的。

「衣」テーマ、とみてよいでしょう。


佐分利信は兄、姉、妹を責めます。


「実は帰ってみて驚いたんたが、お母さんと節子があんなところへやられてるなんて、これだけ立派な兄弟がそろっているんだから、僕はお母さんには何不自由なく暮らしてもらっていると思ってたんだ」

「それは昌さん。いろんな事情があったのよ」

「どんな事情です?」

「そんなこといったって。あんたこっちにいないんですもの」


ふたたび空間論です。「住」です。


そして戦後カットされちゃったらしいのですが、

次女の夫、次女をぶん殴ります。↓↓



↓次女夫婦、退場。


↓長男夫婦退場。



↓長女退場。


この料亭シーンのすさまじさは……


「衣」「食」「住」がすべて目に見える形で提示されている点です。


もちろん「食」が家族と結びついている点はいうまでもありません。


△……

佐分利信はおなじみの三角形を形作ります。

あのパッキングシーンを我々は思い出します。



⑨ラスト


は……、母、妹、そして女中きよが

佐分利信にくっついて天津へ行く決意をする、というのですが、


そんなあらすじはどうでもよろしい。

ここで描かれるのは一種の数学です。幾何学の問題です。


料亭シーンで完成した「妹萌え」三角形が崩れる様が描かれるわけです。

と、いうのは、時子さん、桑野通子のせいです。


桑野通子登場。


↓そして母 妹と座る。


「△」を形作ってしまいます。


おもったのですが、

「一人息子」の日守新一は夜学の教室で

円に内接した三角形の問題を出し、


「父ありき」の笠智衆もやっぱり

円に内接した三角形の問題を出す……



↓「一人息子」(1936)です。


↓こっちが「父ありき」(1942)


○と△の組み合わせになぜか小津安っさんは凝るんです。

さらにいうと「一人息子」ではこの黒板の前のシーンが「赤ちゃん」だったりする。日守新一と坪内美子の赤ちゃん。

○=赤ちゃん??


考えすぎ??

「父ありき」では生徒の「死」が語られますし……

生と死??



まあいいや。

お着物の桑野通子が侵入してきて


「妹萌え」△を破壊し、佐分利信はさて、どうするか?


もちろん、誰もが期待するのは、

世間様の期待、というのは……


「妹萌え」△を終わらせ、

「健全な夫婦」□を作ることです。

母、妹、オレ、嫁、の四角形の形成です。


えー、桑野通子のお手手にご注目。

くりかえしになりますが、手をごにょごにょは「恋」です。



お兄さま、時子さんがいらっしゃったわよ~


と、自分の分身と兄を結び付けたい妹は
兄を呼びに来ますが、


また、安っさんは……

驚天動地のテクニックを……



なんと……


カメラが移動する……


小津映画においてこれほど驚天動地な出来事は…

あんまり……ない……



高峰三枝子たんが兄を探し回るのですが……


そんなことはどうでもよろしい。

カメラが動いているのだから。


カメラが後ずさっているのだから。


カメラは後ずさる。


カメラは逃げる。


そう。そして佐分利信も逃げる。


彼はまだ△の世界に居続けたいのでした。


□の世界にはまだ飛びこめないのでした。


ここで

銀座のカフェのシーンをもう一度思い出してみたいところ。

勤めに出たいという節子を

それとなく時子が止めるという会話。


時子「その元気ある? ずいぶんいることよ、勇気が」

節子「あるのよ。勇気は」

時子「とびこめる?」

節子「ええ」


うーん……

見れば見るほど奥深い作品です。





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