その2です。
さすがに1942年の映画ですんで、
息子・佐野周二はグレたりせず順調に育ちます。
東北の帝大を出て、秋田の工業高校に勤めているとのこと。
で、
⑤父子の再会
温泉旅行に一緒に行ったようです。
釣りといい温泉といい、しきりに「水」イメージがあらわれます。
温泉につかりながら、
「まだお母さんのいた時分…お前はまだ生まれてなかったかな」
などというセリフがありまして……
川、水流=「母」をどうしても考えたくなります。
釣りシーンも温泉シーンも
「2」+死者=「3」です。
…なんですが、親子の語らいの時間に、
「2」と「3」の相克が表面化します。
息子は
・「2」+死者=「3」を指向しますが、
父は
・「1」+「1」=「2」を指向します。
あいかわらず、たまに会えばいいじゃないか?
…です。
とか数字書いてばかりいてなんのことだかわかりませんので、
具体的に佐野周二のセリフを追っていきます。
「僕はもうお父さんとわかれて暮らすのがとてもたまらなくなったんです」
「この際、東京へ出て、お父さんのそばで仕事をみつけたいとおもってるんですが、ねえ、お父さん、どうでしょう」
…なのですが、父はこの考えを否定します。
仕事を途中で投げ棄てることはよくない。うんぬん、かんぬん。
息子は(あんがい)素直に納得します。
「父ありき」=「2」の映画である、という法則を知っているかのようです。
で、旅の終わりの親子の会話。
佐野周二がふところから紙包みを出して、
お父さん、おこづかいをあげましょう。といいます。
笠智衆はよろこんで、
「仏壇におそなえして、お母さんにおみせしよう」
といいます。
「母」の登場。
つづいて佐野周二のセリフ。
「ねえ、お父さん、ゆうべはすみませんでした」
「どうもわがままいいまして」
ふーん……
このパターン……
なんか聞き覚えが……
とおもったあなたは正解です。
「晩春」(1949)の原節ちゃんそっくりです。
原節ちゃんもやっぱり「2」+死者=「3」にこだわります。
「あたし、このままお父さんといたいの」
(う、うつくしすぎる……)
ですが、笠智衆は7年後の「晩春」でも「3」嫌いらしく……
原節子を拒絶します。
それまで「晩春」では話題に上らなかった「母」が登場するのはこの瞬間です。
あとあんまり説得力ない説得も「父ありき」に似てます。
なんですが、(それだからこそ?)
原節ちゃんは佐野周二同様、あっさり納得します。
さすが原節子、小津作品の数学をよくわかっているようです。
「わがままいってすみませんでした」
ついでだから原節子の花嫁姿を見ていきたいような気もしますが……
「父ありき」に戻ります。
⑥徴兵検査
ここらへんの感覚は、現代人にはさっぱりわかりませんが、
男のイニシエーション的なものであったようです。
ま、1942年だしね。
甲種合格。
「お母さんにご報告しなさい」と笠智衆がいいます。
すると
それまでワイシャツ一枚だった佐野周二が、きちんと正装をして
仏壇に向かいます。
「2」+死者=「3」です。
⑦3人の方は?
金沢時代の生徒が、笠智衆と坂本武をまねいて同窓会を開きます。
このシーンの凄みは……
例の「2」と「3」の葛藤を理解しないことにはわかりません。
見逃されがちなのですが、じつにものすごいシーンなのです。
はじめに坂本武が
「みなさん、奥さんをお持ちの方は手をあげて」
といいます。
すると場の全員が手をあげる。
「ひとりものはあなたとわたしだけですな」
と笠智衆と二人笑います。
つづいて坂本武、生徒の家庭の子供の数をきいていく
「1人の方は」……大勢挙手
「2人の方は」……挙手する人が少なくなる。
「3人の方は?」
ここで挙手する人がいなくなります。
「さすがにまだ3人の方はありませんな」
すると……
「先生!」「4人!」という叫び声が起る。
わたくし、最初みたときはこのシーン……
「ははぁ~ん、産めよ、増やせよ、か、やだね~」
「小津安っさんとはいえ、国策からは逃げられなかったか…」
などとため息をついたのですが……
違う。
「3人の方は?」で挙手がいなくなる。
「3」の否定なのです。「3」の破壊なのです。
おそるべし、小津安二郎。
⑧父の死。
佐野周二と水戸光子の縁談が進んでいます。
で、
「今日は帰りに平田先生(坂本武)をお連れするからおまえもなるべくはやく帰ってきなさい」
わくわく顔の佐野周二は口笛なんか吹いてしまいますが、
畳の上に寝転がっていると、
父の体調が突然悪化します。
「2」+死者=「3」だったものが
「2」+お嫁さん=「3」に変ろうとしていた、ちょうどその時です。
ホンモノの「3」に、
「戸田家の兄妹」同様の△に変化しようとしていたその時です。
あたかも「母」=「死者」がこの変化を認めなかったかのように……
父はなくなります。
けっきょく、佐野周二は
嫁(水戸光子)+骨壺と一緒に、
汽車で秋田へ帰ることになります。
「僕は子供のときからいつも親父といっしょに暮らすのを楽しみにしてきたんだ」
「それがとうとう一緒になれず、親父に死なれてしまって」
「でもよかったよ。たった一週間でも一緒に暮らせて。その一週間が今までで一番楽しい時だった」
「2」+死者(母)=「3」
が、
「2」+死者(父)=「3」に……
公開当時、「骨壺を網棚に置くとは何事か!」
というクレームがあったらしいですが……
そういう馬鹿者は、
「父ありき」=「2」+死者の映画だ、なんてこと
わかるわけもないわけで…………
さて、小津安っさんは「父ありき」のあと、
戦時下のシンガポールへ向かいます。