小津安っさん、シンガポールからの帰還後第一作。
あらすじ。
かあやん(飯田蝶子)が孤児(青木放屁)をおしつけられる。
はじめは嫌がって、いじわるしたり、捨ててしまおうとしたりするんだが、
そのうち情がうつって、
「おばちゃんちの子になるかい?」
なんてラブラブになる。
のだが、その子の父親があらわれて、おはなしはおしまい。
まあ、どこかで聞いたことあるような話。
戦災孤児がたくさんいた時代の話、なわけだが……
どうしたって「天皇の人間宣言」というのを考えてしまいます。
たぶん誰もが考えることで、
読んだことはないが、
佐藤忠男あたりはゼッタイそんなこと書いてそうな気がする。
いわく
「父からはぐれた子どもは日本国民であり、父は天皇である」
「父は子供を捨てたとまわりから誤解されるが、さいごは子供の下に帰ってくる」
んー……
月並み。
なんかわたくし的にはこういう社会学的解釈というの
すごくいやなんだが、
「戸田家の兄妹」みたいに
『これは「3」「△」の映画である』とかエラそう書くのが好きなのだが……
でも……
どうしても……父=天皇、としか頭に思い浮かばない。
冒頭、河村黎吉がお芝居の声色をやっているすさまじいシーンから入るのだが、
……それで青木放屁と、笠智衆はギョッとするんだが、
「うしろから、だまし打ちにするようなこの身をくだかれような思いがして、よくせきの事とあきらめて……切れると承知してくんな、なあ死ぬより辛いことなんだ」
どうも泉鏡花「婦系図」のワンシーンらしいのだが、
ようは別れ話のシーンらしい。
「別れ」
……それと笠智衆が子供にまとわりつかれてしまったのが「九段」
というから、やっぱり
父=天皇 子=日本国民
としか考えられない。
う~ん、小津映画っぽくないなぁ……
安っさん、もっとかっこいい構造の作品を作ってくれよ。
数式で書けるような、さ。
ま、いいや、衣食住でみていきます。
①衣
衣が重要である点、なんか二十代の作品に似てます。
というか、「退化」??
かもしれませんね、これは??
ようは「敗戦」だの「孤児」だのというのを無視すると、
青木放屁が――ガキが
新しい「帽子」を手に入れる、という映画なのです。
「帽子」……といいますと。
「その夜の妻」の八雲恵美子たん
(かわいい~)
「浮草物語」では親子のかぶりもの交換
(「青春の夢いまいづこ」でもあった)
「東京の宿」 食うものも住むところもないのに買っちゃった帽子。
「戸田家の兄妹」のお葬式シーン。
等々……
小津安っさんの世界の中では
完全に主役級の服飾品であるわけですが、
とつぜん、どうしたわけか、
「帽子映画をつくろう」
などと安っさんは決心してしまったかのようです。
青木放屁は作品中大部分の時間を
↓↓この帽子で過ごすんですが……
「おばちゃんちの子になった」と同時に新しい帽子を買い与えられます。
これがサイズが大きいので、
記念撮影中、飯田蝶子が手で持っていないとずり落ちちゃう……↓↓
で、カシャッとシャッターが切られまして。
↓わたしのミスではありませんで、
上下ひっくり返って写る。
で、画面は暗転。
これまたわたしのミスではないです。
現像のプロセスを忠実にたどっているのか?
暗い画面で、飯田蝶子、吉川満子の会話がくりひろげられます。
で、うちに帰ってきて、
おばちゃんの肩たたき。
ラブラブな二人ですが、この直後にホンモノの父親があらわれます。
飯田蝶子は「記念撮影」=別れ、の法則を知らなかったのでしょう。
「戸田家の兄妹」、記念撮影の直後に父が死に、
「父ありき」、記念撮影の直後に生徒が死ぬ。
もちろん「麦秋」では家族がバラバラになる。
こんなに不勉強だから、
飯田蝶子、吉川満子ペアは小津作品にもう出演できなくなってしまうのだ。
…というのはむろん冗談ですけど。
②食
というと、干し柿を黙って食べて、
で、「食べていない」とウソをついた。
などと青木放屁が飯田蝶子に怒られる冤罪シーンがありますが、
(真犯人はお隣のおっさん、河村黎吉だった)
……これだってどうしても「戦犯」裁判を思い出すんだよな~
無実の罪を着せられて死刑にされる人もいれば、
とんでもない悪人が、のうのうと戦後議員になったりしてますね~
(辻なんとか、とか。あまり深くはいいませんが)
戦地の経験があった小津安っさんにとって、
シンガポールで捕虜の体験もあったわけだし、
戦犯裁判は無視できなかったことでしょう。
んーでも、でも……
繰り返しになりますが、
小津作品に対してこういう社会学的解釈はやりたくない。
でも、それしか思い浮かばないんですもの。この作品。
えー「食」テーマが人と人とを結びつける。
というのは今までの作品同様。
ただ、新鮮味はない。
進化も変化も、ない。
③住
かあやんはニャンコを飼っているらしいが、
この1シーンしか登場しない。
二流三流の作家だと、
人間の孤児より、ニャンコを大事にしている、
とかあくどい表現をしそうですが……
さすがに安っさんそんなことはしません。
伊東忠太先生の築地本願寺が何度も登場する。
かあやんはすぐ近くに住んでいるわけ。
安っさん自身のお葬式はたしかここでやったはず。
焼け跡の東京。
自動車、というのが一台も通らない。
喜八さんが働いているシーンだが↓↓
ところどころ焼け残った(たぶん?)モダン建築がおもしろい。
↓このビル、とか。
安っさん特有の量感(マッス)を感じさせる描写。
しかし、戦前のモダン東京をあれだけ美しく描いた男が……
そう簡単に気持ちを切り替えて焼け跡風景を描けるとは思えない。
このあたり彼の哀しみをみるべきであろうか。
それとも安っさんには感傷などなかったか??
④全体
笠智衆が彼の母語である「九州弁」で喋っているせいか、
生き生きしている。
つーか、笠智衆ののぞきカラクリシーン。
これがこの映画唯一にして最大の見ものかも??
このアクションはついついマネしたくなっちゃう。
飯田蝶子も楽しそう。
……なのだが、
河村黎吉の声色といい、
笠智衆ののぞきカラクリといい、
俳優のアクション頼み、とはやっぱり小津安っさんらしくない。
このシーンだって、それほど深い意味があるとは、おもえない……
他のシーンとの有機的なつながりとか、たぶん、ない。
どうしても例の
父=天皇 子=日本国民
しか思い浮かびません。
以下のエピソードなども……
坂本武の息子がくじで2000円あたった。
河村黎吉は、無欲だからあたったのだ、などという。
飯田蝶子はそれを思い出して、
青木放屁に100円全部くじを買え、という。
(吉川満子に100円もらったのだ)
だが、くじはひとつも当らず、100円が無駄になり、
飯田蝶子は青木放屁を怒る。
勝手に「くじをひけ」と命令しておいて、
当らなかった怒る、という。
このあたりも「王道楽土」やらなにやら
意味不明のイデオロギーで戦争にひっぱりこまれて
で、けっきょく敗戦でなにもかも失った日本国民をみているかのようで……
だが、ま、こんな平凡な構造しかみえてこない、という時点で、
これは平凡な作品なのです。