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小津安二郎「麦秋」間宮家の平面図をこしらえる。

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毎度おなじみ(?)


……まずはセットの平面図作成です。


「麦秋」(1951)の間宮家。北鎌倉にあるという設定。


「晩春」(1949)と違って、

参考文献がないので、

映像をみながら、エクセルでこしらえました。


はじめに曾宮家との違いをみていきたいとおもいます。

というか、1階はめちゃくちゃよく似ています。


・曾宮家1階。





・曾宮家2階



・間宮家1階






・間宮家2階




間宮家1階は……

曾宮家1階がみごとに180度ひっくり返った形です。


曾宮家では東側にあった「玄関」「台所」「階段」

――これが間宮家では西側に。


曾宮家では西側にあった「洗面所」

――これが間宮家では東側に。


それにプラスして間宮家には子供部屋が付属します。

(玄関わき・平面図上の左下の部屋です)


あと、曾宮家では明示されなかった

「風呂」「トイレ」の位置がはっきりと示されます。

それに、

「電話」という文明の利器も間宮家には装備されています。

ただ……

間宮家2階は、なんだかよくわからない点が多々あります。

謎だらけです。


曾宮家2階は、紀子(原節子)が占有していたのでわかりやすかったのですが、

間宮家2階は、

周吉(菅井一郎)&志げ(東山千栄子)の老夫婦と紀子が共有しており、

さらに……

あとあと触れていきますが、

謎の空間使用の仕方をしているので、

とにかくよくわからない空間です。


□□□□□□□□


今回は、「麦秋」以前の作品が――(「戸田家の兄妹」「晩春」「宗方姉妹」)

どのように間宮家のデザインに影響しているのか??


みていこうとおもいます。


まず……


①電話&家紋


です。


↓↓「戸田家の兄妹」(1941)



↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の①)


戸田家のバカデカさがよくわかります……

スケール感が庶民の倍、です……

いいな……

あとセットなのにきっちり「天井」まで作っているあたり

1941年なのにおっそろしく贅沢してます。

(ローポジションだから「天井」写ってしまうわけで、普通はありえない)


不気味なのは……

なぜか…「家紋」と「電話」を一緒にしたがるという謎の癖……

安っさんの妙なこだわりです。というか病気ね。


戸田家の家紋は六角形が「3」つ。

間宮家の家紋は●が「8」つ。

ちなみに「戸田家」の「3」は戸田家を支配する数字。

「麦秋」の「8」もまた……間宮家を支配しています。

ここらへんもこわい。


間宮家のメンバーの数は

・周吉(菅井一郎)

・志げ(東山千栄子)

・康一(笠智衆)

・史子(三宅邦子)

・紀子(原節子)

・実(村瀬禅)

・勇(城沢勇)


この7人+生きているのかどうかわからない省二=「8」人、です。

たぶん……中央の一番デカい●が省二……


そうとしかおもえません。

安っさんあいかわらずヤバイです。

(S75 老夫婦が博物館でみた風船……●をおもいだしましょう……)




②電気スタンド


↓「戸田家の兄妹」(1941)


↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の②)



んー…

なんか似てます。

「戸田家」は丸みがあって「麦秋」はとがってますが、

「傘」形というのは同じ。


謎なのは……平面図上の②をみていただければわかりますが、

これが北側の隅にあること。


絵描きなら北向きのアトリエで仕事をするのはわかりますが

植物学者の書斎が北向きというのがいまいちわからない。


カナリアをたくさん飼ってますから…

それで北側がいいのかな??


ただそれで納得しかけると――……

新たな謎が……


原節ちゃんの部屋は2階南側にあるらしいのですが

淡島千景のアヤちゃんが遊びに来たとき……

(なんという豪華キャストか…………)

↓↓



なぜかこの②の位置でおもてなしする。

(「晩春」の紀子―アヤ同様、「食べる」はなく「飲む」だけです)


この日は日曜日で、両親はトーハク(上野)に行ってますので留守。

だからといって両親の部屋で??

なぜ、南向きの自分の部屋でやらない??


アヤちゃんが北側の窓から外を見て

「いいわねえ、綺麗な空!」(S72)

といいますから、

この家は北側の方が眺めがいいのだろう…


そう一瞬考えたのですが、

ご覧のように北側は家が建っていて見晴らしがよさそうではない。


――というか、紀子の部屋は「麦秋」でははっきり示されません。

両親の部屋から垣間見えるだけ、です。

とにかく間宮家の2階は謎だらけです。


③やかん


↓↓「晩春」(1949)


↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の③)


同じやかん……ですよね。


しかも「晩春」「麦秋」ともに「食べる」シーン。


食べるシーンにやかんはあたりまえだろ??


という感じもしますが……

小津安二郎作品における「食べる」の重要性を考えると……


なんでしょうねぇ??


④紀子の椅子


↓↓「晩春」(1949)


↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の④)


誰もが気付くとおもいますが……

あの椅子がまたでてきます。


椅子と言えば……


⑤康一の椅子


↓↓「宗方姉妹」(1950)




↓↓「麦秋」(1951)(平面図上の⑤)



山村聰が使っていた椅子が、間宮家にあります。


キャラクター的に

「宗方」の山村聰と、「麦秋」の笠智衆はあんまり似ていませんが……

二人とも

自分より弱いものをぶん殴る、という点は似ています。


ま、「麦秋」の実くんはぶん殴られて仕方ない感じだし、

(食パンを乱暴に扱った)

笠智衆の殴り方もなんか「スカッ……」って感じなので、

「宗方」の田中絹代と違って

痛々しくないですが。


あと…「麦秋」のこの椅子は、大和のおじいさま(高堂国典)も腰かけるし、

電車遊びのシーンで、近所のガキが座ったりもします。

色んな人が使用します。


注意したい点は…


・「晩春」の笠智衆は56歳の東大教授で……紀子の父。

家の西南の隅に座っていた。


・「麦秋」の笠智衆は38歳の医者で……紀子の兄。

家の東南の隅に座ります。(しつこいようですが、平面図上の⑤)


これまた180度ひっくり返ることになります。


□□□□□□□□


どの程度お伝えできたかわかりませんが、

「麦秋」の間宮家、


これは小津安二郎のそれまでの作品の流れを受けつつ、

かつ、「晩春」の曾宮家を180度ひっくり返す、


そんな構造になっています。


この「180度ひっくり返す」はもちろん、平面図上のはなしだけでなく

シナリオの全体にわたって展開されているわけで……


なんだかすさまじいことをやっています。


ま、次回から『「麦秋」のすべて』

と――

また偉そうなタイトルつけて感想をちびちび書いていきたいとおもいます。



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