野村浩将監督作品 「女医絹代先生」の感想ですが……
ま。わたくしのことですので、
けっきょく小津作品の感想になっていく、とおもいます。
いえ、すみません。
「おもいます」とかじゃなくて、
以下、小津安二郎作品とはなんなのか? という考察です。
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そもそも
山内静夫著「松竹大船撮影所覚え書 小津安二郎監督との日々」
という本を読みまして、
(ちなみに 愚書。超愚書。役に立つ情報が何ひとつない。文章もド下手)
↓こんな可愛らしすぎる写真をみてしまったのが運のつきで、
(つくり笑顔とかじゃないのが逆にかわいすぎる……)
で、調べたらDVDが出ている、というので早速買ってしまった次第。
わたくしとしても絹代たん見たさに買っただけなので、
内容はたいして期待してはいなかったのですが、
これが――なんと、けっこうおもしろかった。
愛すべき逸品です。
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感想①小津が使わなくなったキャスト達
はい。
初期小津作品にはよく出てたのに
トーキー以降出てこなくなった役者さんが何人か出てきて、
おもしろいです。
↓あ。タイトルの下の「∞」のマークは
小津安っさんデザインの監督協会のマークです。
「土橋式松竹フォーン」
――小津安二郎は1936年、茂原式トーキーで「一人息子」を撮りますが、
1937年の(つまり、「女医絹代先生」と同じ年)
「淑女は何を忘れたか」以降、この土橋式、です。
えーキャスト、キャスト。
戦前の伊集院光、こと
(トマス・ピンコ勝手に命名)
大山健二が登場します。
この人、小津安っさんの学生ものには頻繁に登場していたのだが
とんと出演しなくなったので、
「あるいは……」「太ってるし、な……」
とかおもっていたのですが、
ちゃんとトーキー時代まで生きていた!!(失礼な!!)
役どころとしては、
絹代ちゃんが佐分利信と結ばれるんですけど、
その佐分利信の親友役。
んー、というか、トーキーになっても「学生役」なのね……
坂本武は絹代ちゃんのお父さん役。
ま。説明するまでもないですが、
一連の喜八ものの主役。
でも、トーキー時代では完全脇役になってしまって、
戦後は二作品のみ出演、という。
ちなみにこのシーンは↓↓
坂本武は漢方医なのですが、患者の病気の正体がわからず。
で、けっきょく娘の絹代ちゃんに教えてもらう、というあたり。
谷麗光が大活躍、というのもたまらなくうれしい。
「出来ごころ」の床屋さんといい、
「浮草物語」のとっつあんといい、
雰囲気ある役者だな~とおもっていたのだが、
トーキーでは「戸田家」の写真師、「父ありき」の教師役、
とちょい役でしか出てこない。
あ。
役どころは女医の絹代ちゃんに憧れる金持ちのボンボン。
でも絹代ちゃんが佐分利信が好きだ、と気付くと
あっさり身を引くいい奴。
で、肝心の田中絹代。
この人もやっぱし、「小津が使わなくなったキャスト」のひとりでしょう。
もちろんトーキーでは、
「風の中の牝雞」「宗方姉妹」「彼岸花」に登場します、が。
サイレント時代は
小津のヒロイン=田中絹代
といってもいいくらい、出演してたからなーー
んー、というか、お医者さんに……
このサテン地みたいなてらてらした生地の服というのは??……
えーここらであらすじをざざっと説明しますと……
絹代ちゃんと佐分利信は二人とも医者の家の出身で、
で、両家は代々いがみあっている、と。
だけど、絹代ちゃんと佐分利信は
やっぱりいがみあっているようで、
でも、おたがい惹かれあっていて、
という、ロミオとジュリエットパターンのおはなし。
ま、これだけ書けばあとは誰でも想像できますな。
で、わたくしが見初めました(?)
クルマのシーン。
クルマはダットサン、ですね。
絹代ちゃんは開業医としてバリバリ稼いでいて、
で自家用車も持っているのですが、
佐分利信は大学病院勤務かなにかで、うだつがあがらない。
ここらへんの対照もおもしろいところです。
両家のいがみあいのせいで、
お互いに好意を持っているのですが、うまく伝えられず、
素直にもなれず。
で、絹代ちゃんも佐分利信も恋煩いに苦しむ。
で、気分転換にスキーに出かける。
で、まことに都合よく、ゲレンデで出会う、という展開なわけですが。
田中絹代の親友役、東山光子。
小津の「若き日」の感想でも書いたが、
この頃のスキーウェアかっこよすぎる。
大山健二の格好もオサレだぞ、おい。
なんかこのままバイクにでも乗れそうな感じ。
絹代たんのスキーウェアもかっこいいのであった。
独逸の戦車兵の制服のルーツは
スキーウェアであった、
というのもいつだったか当ブログで書きました。
胸のポケットがなんとなくミリタリーっぽい。
ま、タイトルでもお分かりの通り、
大スタア田中絹代ありき、な映画ですので、
衣装がくるくる変わります。
んー、というか、
もし、もしですよ。
自分の家族の容態が急変して、
で駆けつけてきた女医さんがこんなヒラヒラした格好だったら↓↓
……僕ならぶん殴りたくなりますけど、ね……
感想②小津が使わないテクニックの数々。
小津安っさんが使わないテクニックがたくさん出てくるなー
とおもいました。
ちなみに野村浩将ですが、
大ヒット作「愛染かつら」の監督。
1905年生まれ、1924年松竹入社。ですから、
1903年生まれ、1923年松竹入社の小津安二郎のちと後輩。
脚色の池田忠雄は、もちろん小津安っさんの親友。
日記を見ると、「池忠」の名前は頻繁すぎるほど出てくるし、
「浩将」の名前もちょこちょこ出てきます。
二人セットでの登場もある。
1935年3月5日(火)
夕方 池田忠雄 野村浩将 斎藤良輔と日本橋つるやにいたり お狩場やきを喰ふ
1935年3月21日(木)
清水 野田 浩将 池忠 荒田 良輔と小田原清風に行く
とかいった具合。
というように野村浩将は小津安二郎の周辺にいた人ですが、
あるいは「だからこそ」なのか?
小津っぽいことはまったくやっていません。
んー、というか、小津のやらないテクニックをひたすら詰めこんでいる気が……
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「女医絹代先生」
まずしょっぱな あからさまなタイアップ。
この映画、ダットサンのCMなのですな。
絹代ちゃんの乗るダットサンがしきりに写ります。
で、とうぜん、日産からスポンサー収入がはいります、と。
小津安っさん
戦後作品では「月桂冠」とか「サッポロ」「キリン」等々
広告塔 ポスターが良く写りますが、
厚田雄春さんによると、タイアップではなかった、とのこと。
冒頭は移動撮影です。
桜並木の下、学生服姿の絹代ちゃん。
背中をカメラが追います。
オープニングショットが移動とか、小津作品では存在しない気がする。
たぶん、ないよな。
あと、こういう「桜並木」みたいな
わかりやすい季節描写も、あんまりない。
絹代ちゃんのお着替えシーンはパン。
小津安二郎が大嫌いな「パン」
カメラが右を向くので、→→→
絹代ちゃんがブラウスを脱ぐところはみえない、という……
建物のわかりやすい全景を写す、というのも
小津安二郎はやらない。
「戸田家の兄妹」の戸田家は断片しか写らないし、
「晩春」の曾宮家、「麦秋」の間宮家は
外観がまったく写らない。
↓これは絹代ちゃんの家、漢方山岡医院。
わかりやすすぎる全景。
「俯瞰ショット」でもある。
佐分利信が勤務する病院。
めちゃくちゃかっこいいモダン建築。
んーー堀口捨己先生あたりか??……
はい、全景。
雪国の宿。これまた全景。
高田屋って 茂原英雄の実家じゃなかったっけ?
「若き日」を撮った??
えーまたまた小津安っさんのやらないこと。
佐分利信の死んでしまった父親なのですが……
死者の肖像がはっきり出てくる、というのは小津作品にないこと。
「戸田家の兄妹」「東京暮色」でははっきり出てきますが、
どっちの作品もわれわれは
生前の藤野秀夫、有馬稲子の姿をみているわけです。
で、俯瞰ショット。
これまた小津作品ではめったにお目にかからない。
佐分利信と母親の吉川満子の会話。
カメラは二人を見下ろしています。
これは……なんか凝った構図。好きです。
これも見下ろしています。俯瞰。
望遠レンズで見下ろしたのではあるまいか?
この遠近感のなさは。
小津作品の「寝姿」ショットが異常なのです。
寝姿を撮るときは必然的に「俯瞰」にならざるを得ないのですが、
それをどうにか回避しようとする。
意地でも回避しようとする。
その努力の結晶が――
「晩春」の原節子であり、
「東京物語」の原節子、であるわけです。
つまり、床面ぎりぎりの視点で、寝ている原節子をとらえる。
これも真横から。
なんかよく考えると異常なショット。
いままでまったく考えなかったが、
どうやって撮ったのか?
セットの床を取っ払って撮るのか????
「女医絹代先生」に戻ります。
力仕事を「うんうん」うなってがんばる、というシーン。
小津作品にはないなーー
小津作品の女性たちは 手ぬぐいを干す、とか、
ケーキを切る、とか、
せいぜいアイロンをかける、とか。
男どもも書類仕事をするくらいです。
で、ダットサンのタイヤは
通りかかった佐分利信が交換してくれたのですが……
夜、絹代ちゃんは昼間の佐分利信を回想して
うっとりしています。
はい。
小津作品には回想シーンは存在しません。
↓「自動車」「かばん」「歯を食いしばってがんばる男」
なんとなくフロイトっぽい感じがします。
それと、わかりやすい部屋のディテール。
これも小津作品にはない気がする。
なにがいいたいかというと、
↓↓このショット。
棚にたくさんのぬいぐるみ。
ようするに田中絹代は小児科メインでやっていきたかったのですが、
じっさいに病院に押しよせたのは
絹代ちゃんの美貌目当ての男性患者だったわけです。
ぬいぐるみは、
そこらへんの皮肉を問わず語りに語っている小物、部屋のディテールなわけ。
こういうの、小津作品にはない、気がします。
「晩春」の曾宮家の仏像、仏像の写真。
「麦秋」の間宮家のカナリア。
「東京物語」の平山家のひょうたん。等々……
どれも謎めいたディテールです。
あと……
こういう↓↓
肩をなめるショット、というのも小津安っさんはほとんどやらない。
記憶にあるのは――
「晩春」の原節子と三宅邦子が会うショット
「早春」の淡島千景と岸恵子が会うショット
どっちも三角関係をあらわすショットで、
なんでもない会話の場合はぜったいに使わない。
なので……
あの視線の噛み合わない異様な会話が生まれてくる、と。
えー、で、銀ブラシーン。
モダンガール二人。市電。ウィンドウショッピング……
と、まあ、戦前の帝都東京に憧れている
トマス・ピンコみたいなやつには、まあたまらんショットですが、
考えてみると小津安二郎。
こういう、雑誌の一ページみたいなわかりやすいショットは撮らないな。
まとめ。
小津安二郎と当時の売れっ子監督野村浩将
彼らのテクニックの違いをみまして――
マーシャル・マクルーハンの「熱いメディア」と「冷たいメディア」
の比較を思い出してしまったので、まず引用します。
熱いメディアとは単一の感覚を「高精細度」で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。電話が冷たいメディア、すなわち「低精細度」のメディアの一つであるのは、与えられる情報量が少なく、聞き手がたくさん補わなければならないからだ。一方、熱いメディアは受容者によって補充ないし補完されるところがあまりない。したがって、熱いメディアは受容者による参与性が低く、冷たいメディアは参与性あるいは補完性が高い。だからこそ、当然のことであるが、ラジオはたとえば電話のような冷たいメディアと違った効果を利用者に与える。
(マーシャル・マクルーハン著 みすず書房「メディア論」23ページより)
勘違いしないでいただきたいのは「熱い」「冷たい」
どっちが優れている、というわけではないことです。
たんに……
「熱いメディア」→情報量が多く、利用者の参与性が低い。
「冷たいメディア」→情報量が少なく、利用者は情報をおぎなわないといけない。
……この区別を野村浩将と小津安二郎にあてはめると、
野村浩将
・移動、パン、俯瞰撮影→情報量が多い。
・建物の全景→情報量が多い。
・はっきりとした肖像写真→情報量が多い。
・回想シーン→情報量が多い。
・部屋のディテール→情報量が多い。
小津安二郎
・固定キャメラ→情報量が少ない。
・建物の断片→情報量が少ない。
・死者の肖像は不明、もしくは不分明→情報量が少ない。
・回想シーン無し→情報量が少ない。
・意味不明の部屋のディテール→情報量が少ない。
――ということになり、
野村浩将→「熱い」
小津安二郎→「冷たい」
となります。
言い換えると、
「熱い」「女医絹代先生」は、
いろいろな撮影方法を見ることが出来、
いろいろな表情のスタア絹代ちゃんの表情が見られる。
逆にいうと、
有り余るほどの情報がわれわれに与えられるため、
われわれ観客は想像力を働かせる余地がない。
「冷たい」小津作品は、
固定キャメラ一本槍で、
意味不明なショット、意味不明なディテールが多い。
逆にいうと、
情報量が少ないため、われわれ観客は創造力を働かせて、
情報を補完することができる。
観客が作品に参加することが出来る。
という感じ、です。
どうもこの問題は語り始めると、きりがないような気がするので、
さいごにひとつだけ指摘しておきますと……
小津のローポジションの固定キャメラ、ですが、
これに関しては
「子供の視点」だとか「畳の線が邪魔だった」とか
「床の配線を消すため」だとか
いろいろな指摘がなされていて、
で、どれも「正解」だとはおもうのですが、
「熱いメディア」「冷たいメディア」の視点からみれるのではないか?
つまり、
俯瞰、という上から見下ろすショットは
小津にとっては「熱すぎた」のではないでしょうか?
もちろん「移動」も「パン」も同様に「熱すぎる」
徹底的に冷たさを追求した結果が、ローポジション固定キャメラだったのではないか?
けっか、われわれは
謎めいた、情報量の少ない冷たい画像に「参加」できる。
小津作品の奇妙なほどのリアリティはそこらへんに由来しているのではないか???
えーけっきょく、小津作品の感想になってしまいましたが、
おもしろかったです。「女医絹代先生」
戦前日本映画、いろいろ見てみたいところです。