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小津安二郎「東京暮色」のすべて その5

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ようやく出会ったカップル、

杉山明子(有馬稲子)と木村憲二(田浦正巳)との会話。


憲二「困ったなあ……(腕時計見ながら)……もう時間なんだけどなあ、じゃァね、僕、六時半迄に大塚先生んとこへ行かなきゃなんないんで、君、エトアールへ行って待っててよ、ねえ」


と行って、田浦正巳は逃げてしまいます。


S53

で、深夜喫茶「エトアール」


あやしげなマスクの男が登場。


照明が「2」……↓↓

――おまえ、深読みしすぎだろ、というところですが、



こうまで繰り返されると、やっぱり「暗号」としかおもえません↓↓

マスクの男は宮口精二。


本人談によると、初登場の「麦秋」のころは緊張しまくりだったようですが、

「早春」に引き続いての登場。


もう小津組常連のせいか、ゆったりとして迫力があります。



とつぜんマスクの男が目の前に座ったので驚くネコちゃん。


和田「大分おそいですね」

 明子、疑い深く見て顔をそらす。

和田「何してんの、こんなとこで」

明子「…………」

和田「何考えてんの、何か心配事でもあるの」


マスクの意味は――


目の強調でしょう。


そして……「2」の強調でもある。


つまり↓↓ コレの繰り返しです。


明子「あんた、誰よ」

  和田、黙って内ポケットから警察手帳を出して見せる、明子、息を呑んでみつめる。

和田「時々この辺で見かけるね」


マスクの宮口精二は刑事でした。


身分を偽って登場する刑事、というと

戦前のサイレント「その夜の妻」の山本冬郷を思い出します。


「その夜の妻」の刑事はタクシードライバーに変装していて……

で、「東京暮色」の刑事は深夜喫茶に出没する。

この深夜喫茶というのは当時最新の風俗であったようです。


ようするに最先端の場所に犯罪がおこる。

となると、警察官もそこにいる。

という構図でしょう。



小津安っさん、

「東京暮色」撮影中にも 深夜の新宿の喫茶街をロケハンしていたようです。


店内の壁の至るところにみだらな落書もご随意という、それが売物の一軒の喫茶店におさまった小津監督は

「だいたい想像通りで、わかったね。こんなところで恋を語る気持にはぼくらには到底なれないが、いまの若い人たちにはこれでなくてはいけないんだろうね。殺伐としていて、味けなくて、調和的でなくって、どだいつまらんよ。しかしこういう場所で恋が語れる若さはもう一度欲しい気がするね」

(田中眞澄編、フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」274ページより)


銀座の、服部時計店の時計がみえるオサレなカフェーで

緑のドレスのモダンガール

水久保澄子とおデートしていた安っさんにとって、

戦後風俗は品がないことおびただしいことでしょう。


あと、

「若さが欲しい」――


これ、本音でしょう。

でないと、「東京暮色」に戦前サイレントの引用が妙に多いのが、

説明がつかない気がする。

(ま。「東京の女」の引用ばかりですが。あ。言わずもがなですが、「東京の女」撮影の29歳の頃、1933年の「日記」には水久保澄子の記述がやけに多い)


で、なぜ「若さが欲しい」となるか、というと、

一番大きいのは

◎溝口健二の死


だとおもいます。

ミゾグチの死は1956年8月24日。

「東京暮色」のシナリオ執筆は同年9月から。


同世代のトップランナー、

才能を認め合い、仲もよかった溝さんが逝った。

となると当然、自分自身の「死」「老い」も意識せざるをえないでしょう。


山田五十鈴の起用、というのも、

初期溝口作品のアイコン(偶像)の起用、と考えるとおもしろい。


んん~、あとですね、

この作品の中心システム――「2」なんですが……


お分かりかと思いますが、溝口健「2」なんですな……


日本映画界の中心にいた、「2」人

溝口健「2」

小津安「2」郎

そのうちの1人が欠けてしまった。


ひょっとして、ひょっとして、

「東京暮色」の暗さの原因は、溝口の「死」に由来するのか??


もとい、


S54

警察署内。


この「自転車」→「谷崎純」(下着ドロ)

のシークエンスは、反「晩春」である。


と「その1」で解説いたしました。




とそこへ曾宮紀子、じゃなくて、沼田孝子登場。


原節ちゃんのマスクはもちろん、「2」、「目」の強調です。



で、「信号を守ろう」なる皮肉なポスターが……


和田「いや別に犯罪に関係がある訳じゃないんですが、近頃の若い者は、えてしてつまらん事から間違いを起し易いもんですからね、お宅でも充分注意して頂かんと」

孝子「はァ」


原節ちゃんの背後にボンヤリと谷崎純。


「晩春」の亡霊がそこに……


で姉妹は帰宅します。

すると、父、笠智衆は寝ないで二人を待っている。

しかも、有馬稲子が補導されていたのも知っている様子。


S57


父・笠智衆はメガネをかけている。

メガネ姿の笠智衆って……ありましたっけ?

あったような気もするが……

はじめて見たような気もする。

ま、いいや、

とにかく「2」の強調。


んーーあと……

以下、書きますことは、どれだけ説得力があるかどうか、

わからんのですが、


こうまで「目」を強調するってのは――



すごくユダヤ-キリスト教っぽいセンスのような気がしてならんのです。はい。

いつも優しい笠智衆の父親が、「東京暮色」に限って、

冷たく、厳しい。


この「恐ろしい父」&「目」という組み合わせ。

どうもユダヤ-キリスト教のニオイがぷんぷんします。


深読みのしすぎなのか?


はい。「ブレードランナー」の謎めいたオープニングですがね↓↓


「ブレードランナー」を

ヤーウェ(唯一神)によるアダムとエバの創造の物語の焼き直し、

と見るのも可能、だということは言うまでもありません。

アダム→ハリソン・フォード

エバ→ショーン・ヤング


そしてアダムとエバの創造を物語る「創世記」のオープニングが

「視覚」イメージに満ち溢れていること……


神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

(「創世記」一章三-四節)


読まれた方ならご存知の通り、以下「神は見て、良しとされた」の繰り返し。

ようするに神は一個の「目」「視覚」として機能しているわけです。

これが、


「恐ろしい父」&「目」という組み合わせのルーツです。


意識的にか、無意識的にか

わかりませんが……

「目」というイメージをリドリー・スコット版の「創世記」のオープニングに使ったというのは、こういうわけです。


んで、やっぱり「恐ろしい父」&「目」の映画、

「東京暮色」のシナリオをみますが、



周吉「お前どこ行ったんだ」

孝子「……」

周吉「お前が出掛けると間もなく、電話があった、沼田からと思ったら警察からだった、何故云わなかったんだ」

孝子「……」

周吉「なぜ隠してたんだ」

孝子「……」

周吉「明子、どうして警察なんかへ呼ばれたんだ」

明子「……」

周吉「お坐り」

 明子、上目づかいに周吉を見てその場に坐る。

孝子「ねえ、お父さん、もうおそいですから明日にして」

周吉「明子、どうしたんだ……どうしてそんな所へ呼ばれたんだ……何をしたんだ、おい、なぜ黙ってるんだ、一体、なんで呼ばれたんだ」

明子「……」


この「逃げ隠れする子供たち」&「尋問する父」という組み合わせも……


彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」

(「創世記」第三章八-九節)


創世記の香りがする。


以上、こじつけめいていますが、

「恐ろしい父」&「目」

「逃げ隠れする子供たち」&「尋問する父」

こういうイメージってなんかユダヤ-キリスト教のニオイがぷんぷんする。


あれ――しませんか?……


少なくとも、「東京暮色」の異常さだけは感じとっていただけたのではあるまいか、と。


はい。あくまで「2」↓↓


そして

「父ありき」「晩春」「東京物語」……

「理想の父」を演じ続けてきた笠智衆の口から……


周吉「云えないのか、そんな奴は、お父さんの子じゃないぞ」


というセリフまで飛び出します。


あきらかに杉山周吉は小津作品一般の父親像とは異質な人物なのです。


S58


明子「あたし余計な子ねえ……」

孝子(じっと見て)「……どうしてそんなこと云うの?」

明子「……お母さんがあんなんだったんだもの……」

  孝子、ハッとしたように見る。

明子「……あたし、生れて来ない方がよかった……」

  孝子、じっと見つめている。



ユダヤ-キリスト教につづいて……

なんか実存主義哲学みたいなテーマが出てくる……


一体どうしたんだ!? 小津安っさん!!


というところで その6につづく。



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