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島津保次郎「隣の八重ちゃん」(1934)感想 その3

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感想その3

更新間隔があいてしまったので、

いまいちリズムがつかめませんが……


まず、

前回 最後に紹介したこのすさまじいショットから↓↓

島津ヤスジロー、この1ショットに

「隣の八重ちゃん」のすべてを凝縮させています。


作品を支配する数字「2」の提示。

・八重ちゃん(逢初夢子)&恵太郎(大日方伝)

・京子(岡田嘉子)&精二(磯野秋雄)


この2ペアの提示です。

八重ちゃん達カップルはわかるんですが、

京子&精二はいまいちわからない。

二人は結ばれそうにない、ですからね~


――とおもったのですが、この2人。

「遠くへ行ってしまう人」

という意味では共通点がある。


京子の家出・失踪。

精二は甲子園出場。


精二が甲子園出場を決めると同時に

京子失踪事件が起こる、というのは

ある意味、このショットで予言されちゃっているわけ。


ま。岡田嘉子はほんとに遠くへ(ソ連へ)行っちゃう人ですけど……


んー、すさまじい。島津ヤスジロー……

1930年代松竹には凄腕がゾロゾロいたってことなんでしょう。


そういう世界で小津ヤスジローは育ったわけです。



あと「フレーム」についてはおもしろい証言が

「小津安二郎戦後語録集成」に収録されています。

田中眞澄が書いているんですが


吉村公三郎が折に触れて書いている有名な話だが、<東宝へ行くときまったある日、島津オヤジさんは私に「永い間君にも苦労をかけたから監督の奥許しの秘訣をおしえてやろう。監督部屋へ来給え」と云う。ついて行くと部屋へ入って島津監督は急にまじめな顔になって、唯一こと小さい声で云った。「君、映画はワクだよ」>

(田中眞澄編、フィルムアート社「小津安二郎戦後語録集成」450ページより)


◎「君、映画はワクだよ」(島津保次郎)


ついでに同書の小津安っさんの証言も引用しておこう。

これが実によく似ている。


映画にはワクがありますね。ワンカットの構図はそのフレームの中にきまってくるんですが、映画は動くもんなんだからフレームは意識しないほうがいい、カメラを自由に使ってやったほうがいいという人と、せっかくあのフレームがあるんだから、あのフレームを活かしたほうがいいという考えの人と、両方ありますね。僕なんかは後者のほうだけど……。フレームは意識しなくていいといったって、やはり、目で見るものだから多少構図になっていないと困ると思うんです。実際また映画のフレームの縦と横との割合は実によくできているんですよ。

(同書215ページより)


つまり、

◎「映画にはワクがある」(小津安二郎)


……うむ、いよいよ、

島津ヤスジローは小津ヤスジローのお師匠だった、

とおもわざるをえない。


で……

引き続きお食事シーン。


↓こんなショット……


結ばれる(であろう)二人を並べてとらえるショットもありまして。



一方その頃、飯田蝶子(八重ちゃんのお母さん)


すさまじい構図。当時、斬新だったのでは?


さきほどの「映画はワクだよ」発言を考えますと――

畳がみごとに「フレーム」になっている、という……


うめえなあ……



はい。で、さんざんお酒をのんで、よっぱらった岡田嘉子さん。

タクシーでの酔態。


そうねー、酒飲みの女性とのおデートは

まあ、こうなりますわなー


というところなんですが、

「フレーム」に目がいってしまうわけです。


クルマのリアウィンドウが「フレーム」


八重ちゃん「ごめんなさい。姉さん、ずいぶん酔ってるんですもの」

恵太郎「僕はかまわないんだから、楽にしていらっしゃい」


京子「でも好きになられると困るもの」

「恵太郎さん、もっとしっかり腰かけてなきゃ頼りないじゃないの」



今の目から見ると、大日方伝の学生服姿はどうか? という感じですが、


当時からすると「エリート!!」という格好だったのでしょうねえ。


ハリウッド映画における、海軍士官の白い制服みたいな??

(リチャード・ギア、トム・クルーズ等々)


なので、将来のエリートを姉妹で争っている、という構図になります。

下世話な目でみると。




で翌日。


八重ちゃん、お花を持って、新井家を訪問。(かわいい!)

もちろんお目当ては恵太郎なのですが、


「お留守ね」

「ええ、なんだか散歩にいくって出てったのよ」



京子のあからさまなアプローチに比べて、

八重ちゃんの純粋さが強調されておるわけですが、

(なんつったって一輪の花!)


そこがたまらんわけですが、


「額縁」「格子戸」「照明のスイッチ」等々

「フレーム」だらけです。


八重ちゃんのモダンな柄のセーターもそれを強調するかのよう。



一方その頃。


土手にて。


かっこいいショット。


ん、戦後小津組が使っていた撮影機材ならもっときれいに背景がボケますが、

それはいわないことにしましょう。


30年代松竹作品。

容赦なく素晴らしいんですが、


やっぱり、撮影機材は相当にチープだな……

という点は多々あります。


↓↓明らかにロケ撮影なんですが、


セットみたいに撮れてる気がする。

機材の問題でしょう。


「背景、大道具さんの描いた絵ですか?」

みたいな。


小津安っさんがセット一本槍というのも、

このあたりが原因かもしれません。

「外へ出たってうまく撮れねえんじゃ仕方あんめえ」

というところか。


それだけにシンガポール時代にみた、

グレッグ・トーランド(カメラマン)のパンフォーカスなんか、

感動したことでしょうねえ。



でもこの鉄橋はかわいいな。

どこだろう?


鉄橋も「フレーム」ですわな。


そうそう、二人の会話に

汽車の音を重ねる、というトーキーならではの取り組みをしています。


「こっちへ来て」「はなしが遠いわ」


「恵ちゃん。あたしを愛してくれない?」

「恵ちゃん。あたしの苦しさを救ってくれない?」

「あたしさみしいのよ」



大日方伝ははっきり答えません。


「僕は帰る」


で翌日。


精二の野球の試合の観戦。

どうも甲子園出場がかかっているらしい。




試合に勝ちました。


でタクシーで帰宅しますと、


新井家の△がお出迎え。


クルマのタイヤは○だな。



葛城文子を囲んで、「お母さん、勝ったよ」とわいわいいいますが、


お母さんは深刻な顔をしてます。

原因は……



「八重ちゃん。お姉さんが家出したのよ」


「八重子。母さんはどうしたらいいのかわからない」


で、例の引手やってます。



「大丈夫だよ。きっと帰ってくるよ」


で、恵太郎が加わると、引手が「3」


お姉さんを探しに行く八重ちゃん。


注目したいのはこの門。


しきりに強調されます。


この門が「向かい合ったカップル」を示している。

つまり、

八重子―恵太郎

京子―恵太郎

この2組を象徴している、と前回書きました。↓↓

それが↓↓



片方なくなったわけです。

つまり、「京子―恵太郎」はなくなったわけ。


ついでにいえば、飯田蝶子の下駄が「片ちんばだ」

というのはこれを予告していたわけで……


うーん、うめえ。



で、家出とお父さんの栄転が重なるなんて、

とかいうセリフがありまして、


パッキングシーン。


小津作品におけるパッキングシーンほどの重要度はない、です。



服部家のお引越し。


というか、京子の事件の後ろめたさから逃げる、という気もするが。



で、

「恵太郎さん、精二さんもいろいろありがとう」


と八重ちゃんがずいぶんあっさりいなくなるので

観客は驚きます。


そうそう、フレーム↓↓



が、


兄弟、おなじみのキャッチボールをしてますと……



八重ちゃん、なにごともなかったかのように

徒歩で帰宅。


??……


ん?……ん?……


引越しは??



「停車場でお母さんに泣かれて困っちゃったわ」


空っぽの家をみて、

姉さんの失踪を思い出すのか、


憂鬱そうな八重ちゃんであります。




このシーン。

しきりに雲のショットがあらわれる。


それとティンパニかなにかだとおもうが、

雷が遠くで鳴っている、

というシチュエーション。



ラストは素晴らしいです。


「情緒」「雰囲気」でおはなしを組み立てているのではなく、


「幾何学」「数学」でおはなしを組んでいる感じがする。

モダン感覚とでもいいましょうか。


このあたりも「映画はワクだよ」ということなのか。


「八重ちゃん、きみの本箱と机。ちゃんとうちに運んであるよ」


「女学校を出るまで、八重ちゃんもうちの人になるんだね」



「ええ。今日からもう、隣りの八重ちゃんじゃないわ。アハハ!」


逢初夢子すばらしすぎる。

こういうタイプのヒロイン、ほんと新しかったはず。


今みてもいいもんな。



で、ゴロゴロ ゴロゴロ……

雷が……


このちょいと不穏なラスト。

佐藤忠男先生がスケベ親父っぽい解釈をしてて笑わせてくれます。


もう隣の八重ちゃんではないわけだと、恵太郎と精二と八重子がまるで子どものように喜んでいる背景に、見事な入道雲があり、間近に迫った成熟と情熱を暗示しているかのようである。

(佐藤忠男著、岩波書店「日本映画史Ⅰ増補版」374ページより)


どうかね??


僕はさっき書いたように、

「幾何学」的な楽しみをみるべきところだとおもいますので――


なんかフロイトっぽい解釈は??

どうなんでしょう??


ここでこの「ゴロゴロ」がなく、

ただ喜んでいる、というだけだと、


「京子の失踪」「家族が別れ別れに暮らす」

という人生のダークサイドが

なかったことになってしまうわけで。



なので、数学的帰結として、この入道雲はあるんだとおもいます。


ま、どっちにしても謎めいていて、すてきです。このラスト。


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