はい。
大昔の路面電車を紹介する ひたすらに地味な記事です。
横浜市電保存館 なるところに行ってまいりました。
JR根岸駅から歩いて行って 15~20分くらいだったか?
蒸し暑い中 ちとつらかったので 帰りはバスで根岸駅まで戻りました。
受付の方がとても愛想良い いい雰囲気のところです。
僕の持つ、バカでかいカメラを見るなり
「ばんばん写真撮ってくださいね!」
ときた。
わたくし、博物館とか行くと、撮影可かどうかきくのがお決まりなのですが、
ここはその必要はありませんでした。
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言われた通り、ばんばん写真を撮ってしまったので、
何回かに分けて記事を書きます。
まずは 一番古い車輛 「523号車(500型)」をご紹介。
ご覧の通り ヨーロピアンな色使いです。
ポール・デルヴォーの絵に出てきそうな感じです。
新車当時(1928年)の色を再現した、とか。
↑↑正面から。
他の車輛だと窓にワイパーがくっついていたのですが、この車輛はないですね。
雨の日、困らないのか?
保存館の解説板を丸写しします。
車種(車号):500型(500~559)
車体構造:半鋼低床式単車
最大寸法㎜(高さ×幅×高さ):9144×2438×3640
定員:75人
集電様式:複。前後ポール(ビューゲル改造)
製造年/廃車年:昭和3年/昭和44年
昭和3年(1928年)に大量60両を購入した500型の1台。屋根はスッキリした曲面を採用。車内の大天井もアーチ型とし、内幕板の押縁、木座等は手彫り模様にする等、震災復興の完成期らしい華やかな電車といわれた。戦後、15両を600型に改造、昭和44年(1969年)廃車となった。
――とのことです。
↑↓ 建物のスロープが写り込んでおります。
↑↑この構図はいいな。
などと自画自賛。
「お別れですの」
などといって、手を振る1930年代の女学生を ドアのところに立たせたい感じです。
↑↑ビューゲル。
新車当時はポールだったのでしょう。
↑↑どの車両も こういう感じのレトロな広告がついていて 良かったです。
わたくしとしては1007号車の「キリンジュース」の広告が気に入ったのですが……(のちほどご紹介)
にしても、「キリンビール」 この施設の運営になにか係わりがあるのかな??
↑↑「洪福寺前」と「間門(まかど)」をつなぐ 5系統 ということのようです。
以下、内部のご紹介。
なんともいい雰囲気。
木の床がぎしぎし鳴ります。
今にも運転手が戻って来そうな感じです。
↓↓椅子
一見、背中の部分が痛そうなんですが……
けっこう座り心地よかったです。
↓↓ 窓の金具のディテール。
マイナスねじ使ってますね!!
なんでもかんでも+ねじの昨今から見ると……それだけで感動してしまう。
照明器具の形も特徴的。
というか、なにもかも凝ったデザインである。
↓↓「補」と書かれた白い板が謎だったのですが……
帰宅後、保存館で買った「横浜市電が走った街 今昔」を読んでわかった。
混雑する区間に「補充車」として運行するときに
系統板にこの「補」をくっつけるらしいのである。
↑↓この2枚 広角ズームで撮ったので 天井のカーブが写ってます。
はっきりいや必要のない部分ですが……デザインとしてはいいですねぇ。
なんとも優雅です。
さいごに「横浜市電が走った街 今昔」の記述を引用。
以下、市電保存館の記事。何回か続きます。
レトロ好きにはたまらん場所かとおもいます。