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今野緒雪「マリア様がみてる」感想・その2

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えー、「マリみて」の感想、つづきます。

ポイントは、ですね。

◎「マリア様がみてる」はものすごく

おっさんくさい構造をしている。

これにつきるのですよ、はい。

 

↓↓こんな表紙をしていながら、じつは男くさいですよー というのをみていきます。

感想②「マリみて」は山田風太郎である。

 

おそらく、大部分の方にとっては意味不明かとおもうのですが、

山田風太郎の愛読者でなおかつ「マリみて」愛読者 という わたくしのようなヘンタイ人間がいたら

誰もが納得するだろうと思われます。

 

山田風太郎作品ってのはですね。

・ようするにゲーム

なのですわ。殺人遊戯とでもいいましょうか。

 

古代ローマの闘技場ってありましたね。

(リドリー・スコット/ラッセル・クロウの「グラディエーター」参照のこと)

あれにまあ似てるっちゃ似てます。

 

戦国時代末期~江戸時代初期を舞台に、あるゲームを設定し

その中で忍者だのお侍だの あるいは柳生十兵衛だの宮本武蔵なんぞが暴れまわるんですわ。

で、たいていみんな死んじゃうんですけどね。(十兵衛は生き残るな)

 

あと、風太郎の基本パターンとして、聖母というか聖女というか、

・清純無垢なヒロインを設定する

というのもあります。

たいてい「ゲーム」のルールに ヒロインの貞操がかかっていたりするのですが、

まあ、説明が面倒くさいので ご存知ない方はなにか風太郎作品お読みください。

 

で、

「マリみて」もゲーム小説なんですわ。はっきりいうと。

僕はまだ5冊しか読んでないんですけど…… 5冊全部 風太郎風ゲーム小説とみましたよ。

つまり。

・ようするにゲーム

・清純無垢なヒロインを設定する

「マリみて」のプロットの基本要素は 山田風太郎作品の2大要素と一致する、というわけです。

以下、具体的に見ていきましょう。

 

①「マリア様がみてる」

・ゲーム

小笠原祥子は学園祭前日までに 福沢祐巳を「妹」にすることができれば シンデレラを演じなくてよい。

小笠原祥子は学園祭前日までに 福沢祐巳を「妹」にすることができなければ シンデレラを演じなくてはならない。

(祥子さまは諸事情あって 学園祭の劇の主演を嫌がっていらっしゃるのです)

・清純無垢なヒロイン

小笠原祥子さま

 

1巻目の基本構造は以上。

具体的な個所を引用しますと……

「一度は断られたあなた。学園祭前日までにロザリオを受け取らせるのは至難の業よ? それができたのなら、その時点でシンデレラを降りていいことにしましょう。その代わり、それまでは主役としてちゃんと練習に参加するのよ」

「なるほど。花寺の生徒会長と手をつなぎたくなければ、一日でも早く祐巳を落としなさい、というわけですわね?」

「その通り。我々は何も手を出さないわ。勝敗はあなたの努力次第。条件的にも悪くはないんじゃないかしら?」

「やりがいがあること」

 祥子さまは勝ち気にほほえんだ。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」83~84ページより)

 

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)と祥子さまの会話で この本の「ゲーム」のルールを確認しているわけです。

このような単純明快な「ゲーム」の設定があるので、「マリみて」はおもしろいわけです。

 

2巻目以降もみていきますが……どれもこれも見事なまでに山田風太郎しています。

②「黄薔薇革命」

・ゲーム

一度破綻してしまった 黄薔薇のつぼみ(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン)の姉妹は

ふたたび姉妹に戻れるのか?

・清純無垢なヒロイン

島津由乃ちゃん

 

という感じ。

支倉令&島津由乃のカップルの行方というのがメインの「ゲーム」ですが、

これに

黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)は虫歯を治療するのか?

支倉令は剣道の試合に勝つことができるのか?

島津由乃の心臓の手術は無事に成功するのか?

といった各人のゲームがからみつくというプロットです。

心臓の手術を「ゲーム」というのは失礼ですが……

前回見た サイボーグっぽい由乃ちゃんの描写などみるとそう考えていいとおもいます。

 

えー以下、ざっとみますと、

③「いばらの森」

・ゲーム

少女小説「いばらの森」の作者は白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さま なのであろうか?

・清純無垢なヒロイン

佐藤聖さま

 

④「ロサ・カニーナ」

・ゲーム

薔薇のつぼみたち、小笠原祥子・支倉令・藤堂志摩子は生徒会役員選挙に当選するのか?

それとも、三人のうち誰かを押しのけて ロサ・カニーナこと蟹名静さまが当選するのか?

・清純無垢なヒロイン

蟹名静さま

 

⑤「ウァレンティーヌスの贈り物(前編)」

・ゲーム

2月14日。小笠原祥子が隠したカードを見つけ出して、

福沢祐巳は祥子さまとデートすることができるのか?

・清純無垢なヒロイン

小笠原祥子さま

 

――と、みごとに風太郎しているわけです。

山田風太郎が少女小説を書くと、「マリア様がみてる」になる。

とそう断言してもよさそうです。

 

□□□□□□□□

 

感想③「マリみて」は文化人類学である。

 

んー、なんか人類学とか民俗学みたいなんですよね。「マリみて」

つまり姉妹(スール)制度とはなにか、という分析的な視線ですな。

1巻目をみてみましょう。

 

 そもそもリリアン女学園高等部に存在する姉妹(スール)というシステムは、生徒の自主性を尊重する学校側の姿勢によって生まれたといえる。義務教育中は教師及びシスターの管理下におかれていた学園生活が、生徒自らの手に委ねられ、自分たちの力で秩序ある生活を送らなければならなくなった時、姉が妹を導くごとく先輩が後輩を指導するという方法が採用された。以来それを徹底することにより、特別厳しい校則がなくとも、リリアンの清く正しい学園生活は代々受け継がれてきたのだ。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」16ページより)

 

制度・システムがあれば 禁忌・タブーがあります。

このあたりも人類学してます。

 

 高等部に入学して約半年。祐巳の中で薔薇の館は、シスターの居住区と同率一位とも思える禁忌の空間であった。

(同書36ページより)

 

つづいて2巻目。祐巳ちゃんの心理描写。

 何だか、とんでもないことになってきた。令さまと由乃さんの一件だけだって、どうしようって感じの話なのに。蔦子さんのいうように別の生徒たちに伝染していったとしたら、どんどん姉妹がいなくなって、リリアン独自の規律みたいなものさえ崩壊してしまうかもしれない。

(どうしたらいいんだろう……)

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる 黄薔薇革命」120ページより)

 

↑↑これは、ですね。

支倉令&島津由乃という姉妹がいるのですが、

由乃ちゃんという「妹」のほうが 「姉」にロザリオを返してしまった……

姉妹関係を解消してしまった、その結果の文章。

祐巳ちゃんは姉妹システムの崩壊をおそれています。

あくまで作者の視点は 「システム」の描写にあるらしいのです。

 

個人個人の心理描写なんぞよりも システム描写が優先されるわけです。

 

今野先生のシステム好き。これは姉妹(スール)制度だけに止まりません。

おなじく2巻目。祐巳ちゃんが 入院している由乃ちゃんのお見舞いに行きますが……

 

 乗り場とバスのおでこに書いてある行き先を確認して乗ったバスは、発車時間にはギュウギュウ詰めになった。病院は閑静な住宅地の真ん中にあって、ちょうど通勤通学時間に重なってしまったようだ。

 病院前の停留所まで来るころには、ずいぶんとバスはすいてきて、ちゃんと下車することができた。

 木曜は夜間診療のない日です、って書いてあるボードを見ながら正面玄関から入る。

 外来が終了しているから、会計や薬局のカーテンが閉まっていて、待合室にも人気がなかった。そのせいか、何だか妙に消毒薬の匂いが鼻につく。夜の病院って、こんなにひんやりした雰囲気なんだ、ってちょっと背中が寒くなった。

(同書164~165ページより)

 

この部分 人によっては「削った方がいい」

というところだとおもいます。

祐巳ちゃんが病院に到着しました、というところから書いても別にいいわけ。

バスがどうこうとか 正直いらない。

のですが、今野先生はそうもいかなかったのでしょう。

今野緒雪は

90年代日本の交通機関(システム)の描写がしたかった。

そうとしかおもえません。

この部分以外にも、4巻目「ロサ・カニーナ」所収「長き夜の」で

白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の軽自動車に祐巳が乗せてもらうところ。

6巻目「ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」で

祐巳と祥子さまの初デートのところ 妙にJR線K駅の描写がこまかいところ。等々、

今野先生のシステム描写はちょっと病的に細かいです。

 

ここでいう「病的なシステム描写」というのは

前回の感想で見た

メカニカルな文体・男っぽい文体・理系文体

と重なってくるわけでして……

 

同6巻目 祐巳ちゃんと祥子さま デートでジーンズをお買い上げになるのですが

(注:超お嬢様の祥子さまは 労働着であるジーンズなど今までにお召しになったことがないのである)

ドタバタの試着シーン……これは完全ビョーキです……

(注:ビョーキ、トマス・ピンコ最大の褒めことば)

 

以下、涙なしには読めません……

 

「説明不足でごめんなさい、お姉さま。これは折るんです」

 言いながら祐巳は、祥子さまの足もとにしゃがんだ。

「踏んづけているかかとを、一旦上げてください」

「ええ……こう?」

 ぐらり。

「あっ!」

 大きく傾ぐ祥子さまの身体を、祐巳はあわてて支えた。

「お姉さま、私の肩に手を置いてください。それで、かかとを上げるのは片方ずつにしましょう」

「……そうね。わかったわ」

 やがて祐巳の両肩に、重みがかかった。こんな時なのに、こんなことが不思議に嬉しい。今、お姉さまの身体を支えているんだ、っていう実感と、それからお姉さまが信頼して体重を預けてくれていることと。

(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」99ページより)

 

ここのすさまじさ、おわかりいただけるかな~??

まず、「姉妹」の愛をですね、ニュートン力学的に、例のメカニカルな文体で処理しちゃってるわけです。はい。

「傾ぐ」ってワードがポイントですね。

これは前回の感想で引用した 祐巳ちゃんと祥子さまの衝突の場面でも出てきました。

つまり、あの衝突のシーンと対になってる場面なわけですね、これは。

さらに、ですね。

ここは90年代の女の子の買い物とはどのようなものであったのか?

という文化人類学的視線でもあるわけです。

 

まー「こんなの当たり前」とおもわれる方も多いかと思いますが……

今から50年後の読者を想像するとおもしろい。

「ははーん、20世紀末の女の子はこうやって買い物をしていたのか」

などという絶好の資料になるのではないでしょうか??

 

□□□□□□□□

えー、以上 感想でした。

ポイントは……

①メカニカルな文体

②「マリみて」は山田風太郎である。

③「マリみて」は文化人類学である。

 

で、結論は、

◎「マリア様がみてる」はものすごく

おっさんくさい構造をしている。

というわけです。


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