なんか、コバルト文庫について熱弁しております……
今回はレヴィ・ストロースとか引用しちゃいますよ。
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えー
前回。
〈マクガフィン〉〈対象a〉についてみていきましたので――
その3、その4で
◎福沢祐巳ちゃんの曲がったタイ=〈マクガフィン〉=〈対象a〉
この公式を確認していこうと思います。
なので、批評対象は 1巻目の「マリア様がみてる」が中心となります。
かっこいい表現で言いますと
「マリア様がみてる」のポストモダニズム的解釈
ということになりそうですが。
正確なことを言うと
一昔前の女子中学生みたいに
「マリみて」にはまってしまったトマス・ピンコ(昭和生まれ男子)が、
あまりの暑さにイカれて妄説を吐きだします。
ということになるのかもしれません。
①まずは冒頭のシーンの確認。そしてあらすじ。
「お待ちなさい」
とある月曜日。
銀杏並木の先にある二股の分かれ道で、祐巳は背後から呼び止められた。
マリア像の目の前であったから、一瞬マリア様に呼び止められたのかと思った。そんな錯覚を与えるほど、凛とした、よく通る声だった。
(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」8ページより)
これが輝かしい冒頭の文章。
月・マリア様・「2」という女性原理をあらわす数――
それに加えて「銀杏」という 雄雌のある木……
とか、天才・今野緒雪先生、いろいろ詰めこんでますが、
ようするに祐巳ちゃんはリリアン女学園のスター 小笠原祥子さまに呼び止められたわけです。
彼女は、手にしていた鞄を祐巳に差し出す。訳もわからず受け取ると、からになった両手を祐巳の首の後ろに回した。
(きゃー‼)
何が起こったのか一瞬わからず、祐巳は目を閉じて固く首をすくめた。
「タイが曲がっていてよ」
「えっ?」
目を開けると、そこには依然として美しいお顔があった。何と彼女は、祐巳のタイを直していたのだ。
「身だしなみは、いつもきちんとね。マリア様が見ていらっしゃるわよ」
そう言って、その人は祐巳から鞄を取り戻すと、「ごきげんよう」を残して先に校舎に向かって歩いていった。
(あれは……あのお姿は……)
後に残された祐巳は、状況がわかってくるに従って徐々に頭に血が上っていった。
間違いない。
二年松組、小笠原祥子さま。ちなみに出席番号は七番。通称『紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)』
(同書10~11ページより)
問題は、ですね。このシーンを写真部のエース、武嶋蔦子さんに撮られていたということ。
(というか、この人以外に写真部部員というのはいるのか??)
で、蔦子さん、
この写真が欲しかったら(祐巳は憧れの祥子さまとのツーショット写真が欲しい)
祥子さまに この写真を学園祭の写真部のコーナーで展示してよいか 許可をもらってきてくれ、といいます。
それが↑↑の挿絵のシーンになります。
で、蔦子&祐巳は 山百合会幹部の集う 薔薇の館へ。
そこで、「感想 その1」で触れました
メカニカルな文体による 祐巳ちゃん&祥子さまの衝突シーン、抱擁シーンとなりまして……
「今すぐ決めれば文句はないのでしょう? ですから私、この祐巳にします」
祥子さまは、祐巳の肩を抱いてどうだとばかりに前面に押し出した。まるで、買ってもらったばかりのおもちゃをひけらかすように。
「あの……」
問題の「さっきの話」の内容を知らない祐巳には、何のことだかさっぱりわからない。もしや、知らずにものすごいことに巻き込まれてしまったのではないだろうか。
蔦子さんや志摩子さんに目で助けを求めてみたものの、首を横に振られてしまった。彼女たちだって祐巳と一緒に来たわけだから、この事態を把握しきれるはずもなかった。
「それ、って。もしかしてドアを出る直前に叫いて(わめいて)いた捨て台詞?」
三人の薔薇さまたちは、探るように祥子さまを見た。
「もちろん」
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、祥子さまはそのまま流暢に、その場にいた全員の度肝を抜くような言葉を発した。
私は、今ここに福沢祐巳を妹(プティ・スール)とすることを宣言いたします、と。
(同書46~47ページより)
ですが、祐巳ちゃんは妹になることを拒否。
すると、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)から次のような「ゲーム」の提案がなされる、というわけです。
このあたりは「感想 その2」でみました。
・ゲーム
小笠原祥子は学園祭前日までに 福沢祐巳を「妹」にすることができれば シンデレラを演じなくてよい。
小笠原祥子は学園祭前日までに 福沢祐巳を「妹」にすることができなければ シンデレラを演じなくてはならない。
(祥子さまは諸事情あって 学園祭の劇の主演を嫌がっていらっしゃるのです)
というわけです。
「一度は断られたあなた。学園祭前日までにロザリオを受け取らせるのは至難の業よ? それができたのなら、その時点でシンデレラを降りていいことにしましょう。その代わり、それまでは主役としてちゃんと練習に参加するのよ」
「なるほど。花寺の生徒会長と手をつなぎたくなければ、一日でも早く祐巳を落としなさい、というわけですわね?」
「その通り。我々は何も手を出さないわ。勝敗はあなたの努力次第。条件的にも悪くはないんじゃないかしら?」
「やりがいがあること」
祥子さまは勝ち気にほほえんだ。
(同書83~84ページより)
しかし、ですね。
小笠原祥子さまは「ゲーム」には敗れます。
(学園祭前日までに 祐巳を「妹」にはできなかった。というか、しなかった)
で、いやがっていた花寺学院の生徒会長
(じつは従兄で、かつ、婚約者。だが、祥子さまは婚約解消したがっている)
と、一緒に学園祭の劇の主役を演じ切ります。
しかし、しかぁーし……学園祭の後夜祭にて、
「これ、祐巳の首にかけてもいい?」
それはいつか見た、祥子さまのロザリオだった。
「だって、昨日はくれないって――」
祐巳が言いかけると、祥子さまは「当たり前でしょう?」と遮った。
「シンデレラを交代してくれようとしているあなたに、ロザリオを受け取ってもらっても嬉しくなんかないわ」
「え、それじゃ……」
「賭けとか同情とか、そんなものはなしよ。これは神聖な儀式なんだから」
(同書247ページより)
二人は互いに手を取り合った。
リード合奏に合わせて、生徒たちは歌い始めたようだった。やさしい天使の歌声をバックに、ワルツのステップを踏む。
冷たい空気がおいしくて、肌に気持ちいい。
月明りの中、いつまでも踊り続けられるような気がした。
祐巳が紅薔薇のつぼみの妹(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン プティ・スール)となった夜。
月と、マリア様だけが二人を見ていた。
(同書249ページより)
とまあ、涙涙のエンディングになるわけです。
徹底的に女性原理……月・マリア様 そして数字の「2」で構成されているあたりもポイント。
(祐巳の髪型がツインテールである理由もそこなのか?)
②ゲームと儀礼。山百合会の構造の危機。
どうも、「マリア様がみてる」の最小公約数は
「ゲーム」と「儀礼(儀式)」であるようなのです。
つまり、小笠原祥子さまは 例の山田風太郎風の「ゲーム」には敗れたのですが、
福沢祐巳を妹にする という「儀礼(儀式)」は成功させているわけです。
ゲームと儀礼に関して 泣く子も黙るクロード・レヴィ・ストロース先生はこのようなことを書いていらっしゃいます。
ちと長いですが……
ここでいう「ゲーム」は スポーツイベントとかと考えていただいてよいです。
サッカーのW杯とかオリンピックとかプロ野球とか。
「儀礼」は原始部族の儀礼とか
現代社会にも残る宗教的な儀式とかを考えればよいと思います。
……ゲームの場合、相称性は先定されている。したがってそれは構造的である。なぜなら、どちら側にとっても規則は同じだという原則から相称性が出ているからである。非相称性は作り出される。意図に発する出来事であれ、運に属する出来事であれ、才能にもとづく出来事であれ、いずれにしても出来事の偶然性から不可避的に生じるものである。儀礼の場合は逆になる。聖と俗、信者と祭儀執行者、死者と生者、イニシエーションを受けた者と受けない者などのあいだに非相称性があらかじめ設定されるか要請され、それから「演技」が出来事を用いて参加者全員を勝者の側に入れてしまう。それらの出来事の性質と配列はまことに構造的な性格をもっている。科学(ここでもまた、思惟的な面において、または実際的な面において)と同じく、ゲームは構造から出来事を作り出す。したがって競技が現在の工業社会において盛んであることは理解できる。それに対して儀礼と神話は器用仕事(ブリコラージュ)(工業社会はこれをもはや「ホビー」もしくは暇つぶしとしてしか許容しない)と同様に、出来事の集合を(心的面、社会・歴史的面、工作面において)分解したり組み立てなおしたりし、また破壊し難い部品としてそれらを使用して、交互に目的となり手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。
(みすず書房、クロード・レヴィ・ストロース「野生の思考」40~41ページより)
難しいですが、前回のジジェク/ラカンほどは意味不明ではないとおもいます。
整理すると
・ゲーム
相称的
構造的
構造から出来事へ 相称性から非相称性へ
・儀礼
非相称的
非構造的
出来事から構造へ 非相称性から相称性へ
ということになろうかとおもいます。
つまり 小笠原祥子さまは 祐巳を妹にするという「儀礼(儀式)」を通じて
ある、崩壊しようとしていた「構造」を回復しようと試みた。
――新たな「構造」を生み出そうとしていた、ということになります。
ではその「構造」とは何なのか?
それは「山百合会」(リリアン女学園高等部の生徒会)の「構造」なのです。
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「山百合会」の構造、ですが……
冒頭の「曲がったタイ」のエピソードの次に語られるのは
祐巳と同級生の桂さんの会話。
同じクラスの 「超美人」藤堂志摩子さんが白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の妹……
白薔薇のつぼみ(ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン)になったという話題。
しかも志摩子さんは 祥子さまの申し込みを断って 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の妹になったという。
このあたり、エクセルでちゃっちゃと表を作って整理しますと、ね。
もともとは山百合会はこういう「構造」だったんですわ。
(白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が志摩子さんを妹にする前。1巻目冒頭より前)
こうみると、リリアン女学園高等部の「山百合会」って結構不安定な構造をしていることが一目瞭然です。
状態1
ね? フルメンバーだと9人なので、
33%欠員しているわけです。不安定な「構造」
それが 1年生の志摩子さんが加わって
状態2
これが「マリア様がみてる」冒頭の状況、といえるでしょう。
これで22%欠員。まだ「不安定」
一番プライドの高い 2年生小笠原祥子さまに「妹」がいない、という状況。
で、これに新たな1年生祐巳ちゃんが加わります。
状態3
これが1巻目終了時の状態。
で、この状態が3年生の薔薇さまがたの卒業まで続きます。
(まあ、途中「黄薔薇革命」で一瞬 令-由乃のカップルが崩壊するのですが)
えーと、なんの話でしたっけ。
そうそう、
◎祥子さまが祐巳ちゃんの首にロザリオをかけるのは
山百合会の構造崩壊を防ぐための儀礼・儀式である。
ということです。
小笠原祥子は福沢祐巳を妹にすることで、山百合会の構造の危機を救ったわけ、です。
(当然、妹がいない、という自らの危機も救う)
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このあたり、「こじつけじゃないの?」とおもわれるといけないので――
二点補足しておきます。
今野緒雪先生はもちろん、作中の登場人物たちも 山百合会の「構造」にはきわめて意識的なのです。
一点目。
リリアンの学園祭で 二年桜組はカレー屋さんをするそうで……
で、そのカレーを薔薇の館に差し入れにくる場面があります。
「どうぞ」
桜亭と書かれたピンクのエプロンドレスを着た生徒三人が、ラーメン屋さんの出前で使うみたいな箱からそれぞれ三つずつお皿を取りだしてテーブルに置いた。
「あれ。一つ多い」
彼女たちは首を傾げた。八人に対してお皿は九つ。
「誰よ。三かける三なんて言ったの」
「あ、そうか白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)のところは二年生がいないんだ」
コソコソと話しているけれど丸聞こえだった。すでに当たり前のように、祐巳は数に含まれているらしい。
(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」163~164ページより)
はい。9人というフルメンバーだと思ったのですが、じっさいは8人。
というか、正確にいうとまだ祐巳はメンバーではないので 山百合会のメンバーは7人。 というわけのわからん状況を示しています。
「構造」の混乱を描写しております。
二点目。
白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さまと 藤堂志摩子さんのカップルなんですけど――
もし、ですよ。
志摩子さんが祥子さまとくっついていたら、こうなります。
みんな大好き 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がひとりぼっちという状況。
だが、じっさいは上にみました――
こうなったわけです。
なぜ、志摩子さんは白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の妹になったのか?
志摩子さんにしろ聖さまにしろ、いろいろそのあたりの事情を語っているんですけど。
祐巳ちゃんと白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の会話……
「志摩子さんは、相手に求めているものが近いからって言ってました」
「うん、そうね。それも一つあるかな。私たちはどこか似ていて、相手との距離の取り方がよくわかるからね。一緒にいて楽なのよ」
(同書141ページより)
それから、「いとしき歳月(後編)」で語られる 二人の出会い。
「あ……」
その時、二人とも初めて認知したのだ。
髪といわず制服といわず、白い花びらをまとった少女がこちらを不思議そうに見つめているのを。
しかし、それにしても何ということだろう。
白い少女は、まるで鏡に映った自分のようではないか。
風の収まった桜の木々の中で、チラチラと染井吉野の花びらが小雨のように降る中。しばらく、二人は無言で向かい合っていた。
それが、佐藤聖と藤堂志摩子の出会いだった。
(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる いとしき歳月(後編)」146~147ページより)
ようは……白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)と小笠原祥子さま、二人に同時に誘われてしまったとき、
志摩子さんが考えたのは
「距離」そして「鏡」だったのでしょう。
つまり表でいうところの……
この赤丸の空隙が欲しかったのです。
祥子さまの妹になってしまうとこの「空隙」がなくなってしまいます。
志摩子さんが 祥子さまとの仲について どこかパズルみたいなことをいうのは……
「私の時は、何となく予感があったと思うの。祥子さまだって、私を妹と仮定してみたことがあったでしょうから、しっくりはまらないことくらいわかっていたのよ」
(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる」97ページより)
しっくりはまらない――
ようは志摩子さんは 上の表の空欄のどこにはまるのか? どこにははまらないのか?
そのことをいっているようです。
あくまで「構造」をメインに思考しているようなのです。
んー長くなったので今回はここまで。
ようは
山百合会の不安定構造=祐巳ちゃんの曲がったタイ=〈対象a〉
ということをいいたいわけですが……
つづく。