趣味のマリみて研究。
あの――前回、
紅薔薇姉妹=ヘビ三姉妹
という仮説をたてたのですが、
決定的な証拠(?)をみつけてしまいました。
それは、作者のプロフィール――
今野緒雪
1965年6月2日、東京生まれ。
……
1965年って 巳年……ヘビ年なんですよね……
もう決定的じゃないでしょうか??
□□□□□□□□
まあ、いいや、
4巻目の「ロサ・カニーナ」です。
「ロサ・カニーナ」と「長き夜の」の2本立て。
カバーに書いてあるあらすじをみますと……
年が明けて三学期が始まったリリアン女学園では三年生の欠席が目立ち、祐巳たち下級生は大好きな先輩の卒業が近づいていることを実感していた。そんな中、来年度の生徒会役員選挙が行われることになる。祐巳はつぼみ(ブゥトン)の三人がそれぞれの薔薇を引き継ぐのだと思っていたが、二年生で「ロサ・カニーナ」と呼ばれる生徒も立候補することを知って…!?
大騒ぎのお正月を描いた番外編も同時収録。
――蟹名静さまが登場。生徒会役員選挙に立候補します。
まず、「ロサ・カニーナ」からみてまいります。
感想①構造の危機→儀礼による回復
「マリみて」の基本パターンはたいていいつも同じです。
ゲームは離接的である。それは対戦する個人競技者ないしチームの間に差別を作り出す。ゲームが始まるときには、両方ともまったく平等であったのに、終了するときには勝者と敗者にわかれる。これと対称的に儀礼は連接的である。なぜならそれは、もともと離れていた二つの集団のあいだに結合、ないしはいずれにしても何らかの有機的関係を設定するからである。
(中略)
……儀礼と神話は器用仕事(ブリコラージュ)(工業社会はこれをもはや「ホビー」もしくは暇つぶしとしてしか許容しない)と同様に、出来事の集合を(心的面、社会・歴史的面、工作面において)分解したり組み立てなおしたりし、また破壊し難い部品としてそれらを使用して、交互に目的となり手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。
(みすず書房、クロード・レヴィ・ストロース著「野生の思考」40~41ページより)
クロード・レヴィ・ストロースの分析する未開部族のように、
部族内に構造的な危機が生じると、それを「儀礼」によって回復しようとするのです。
まあ、つまり、「姉妹」(スール)の契りの儀礼によって秩序を回復するわけです。
(マリア像の前でそれをする、というのが いかにも「儀礼」なわけです)
「ロサ・カニーナ」で描かれる「危機」というのは、
将来的にやって来るであろう 三人の薔薇さまの卒業で――
「少し寂しいわね」
祥子さまが目を伏せてつぶやいた。
(……あ、そうか)
年が明ければ、どうしたって「卒業」の二文字を意識せずにはいられない。
(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」18ページより)
構造が↑↑こんな不安定になってしまうことです。
そのために「生徒会役員選挙」という「儀礼」が用意されているわけなんですが、
そこにロサ・カニーナこと 蟹名静さまが立候補することになった、というのがものすごく事態をややこしくさせています。
つまり、立候補するのが現「つぼみ」(ブゥトン)だけだとすると、
小笠原祥子、支倉令、藤堂志摩子、この三人だけだと 信任投票になるだけのことで――
それは「儀礼」となるのですが、
この「儀礼」に 蟹名静が加わることによって、
「勝者」と「敗者」という区別が生じてしまうわけです。
これはレヴィ・ストロースの分類によれば「ゲーム」になってしまうわけです。
志摩子さんが延々立候補をするのを悩んでしまったのは、
「儀礼」はいいのですけれど、「ゲーム」はわたし嫌ですの。
「勝者」と「敗者」を作るのはわたし嫌ですの。
というのが本音だったような気もします。
感想②「蟹名静」なる名前
「久保栞」だの「田沼ちさと」だの なんか脇役の名前をこしらえるのが天才的にうまい今野先生ですが……
蟹名静はすさまじいですね。
蟹名。
まあ、どなたでもわかるように――
この構造上の空隙にはいりこもう――
はっきりいうと 佐藤聖さまと藤堂志摩子ちゃんの間を切っちゃおうというから
「蟹」 ✂……
なわけです。
ただ、蟹名静が薔薇の館に乗り込んできて
祐巳ちゃんと志摩子さんの前で語るプランというのはイマイチよくわかりません。
最終的にこうしたいというのはわかるのですが↓↓
その途中の過程は……
つまり、
蟹名静嬢が当選した場合、
三薔薇さまが卒業するまでの数か月はどうなるのか? 何度か読んでみたのですが、
よくわかりません。
「もちろん、だからといってあなたを薔薇の館から追い出すような真似はしないわ。幸い、私には妹がいない。現在の白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が卒業なさった後、私はあなたを妹として迎えるつもりよ」
(同書98ページより)
静さまはいっているのですが、
フルメンバーになるのか?
(考えてみると、乃梨子、瞳子の代が薔薇さまになっても
奈々は二年生である以上、薔薇の館はフルメンバーにはならないのであった。
どう考えても今野先生、意識的にそうしているのである)
数カ月間、志摩子さんのポジションは空白になるのか?
このあたりの曖昧さは 別に今野先生の文章の欠陥、というわけではなくて……
リリアン女学園の貴族主義、エリート主義的な制度があらわれている、とみていいのではないか?
たぶん、リリアン女学園は
その他大勢の庶民の通う学校のように「民主主義的」には動いていないのです。
身もふたもないことを書いてしまいますと――
◎「ロサ・カニーナ」
→民主主義が、
リリアンの姉妹(スール)制度なるエリート主義に敗北するおはなし。
といってしまっていいとおもいます。
あと……「蟹名静」なる名前に関しまして。
イニシャルの
K・S (Kanina Shizuka)
がとても気になる。
今野先生の「S」への執着
というのは前回見ましたが、
「K」もやっぱり異常な執着をみせていまして
・Kは今野のKである。
・なにかと登場する「K駅」という存在。(吉祥寺??)
・ウァレンティーヌスの贈り物(後編)のあとがき。
最後に、クイズ。
福沢祐巳にあって鵜沢美冬に足りない物は何でしょう。
答え。身長と髪の毛の長さ、それとアルファベットのKです。
(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」247ページより)
・佐藤聖と加東景。
「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。加東よ。加東景」
「……かとう、けい」
うわっ。誰かさんの名前とそっくり。――と、口に出さずに思った時。
「あっ!」
その、誰かさんが叫んだ。
(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる パラソルをさして」29~30ページより)
その他まだ「K」はあったかどうかわからんですが、
とにかく、ですね。
もう一人の重要なK・Sのことを思い出すわけですよ。
柏木優(K・S)
を。
どうも、魅力的な「悪役」(けっきょくいいやつ)に
K・Sという名前をつけたいようなのです。
さて、おつぎ。
「ロサ・カニーナ」に関して、聖―静のキスシーンとかいろいろあるわけですが、
書くときりがないので……
感想③なかきよ
なかきよ、こと 「長き夜の」ですが――
これもやっぱり 「構造の危機→儀礼による回復」です。
「なかきよ」がすごく興味深いのは
「山梨、行こうと思うんだけど」
事の始まりは、両親のその一言だった。
「やまなし?」
私と弟の祐麒は、彼らの子供として当然聞き返す。「いつ?」「何で?」――って。
(集英社コバルト文庫「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」138ページより)
なんと、祐巳ちゃんの「私」一人称で語られるおはなし、ということで……
で、この、今野緒雪にしては特異な文体がキーでして……
はっきりいっちゃうと、
福沢祐巳の性的な危機(構造)を「なかきよ」という儀礼で回復する。
というストーリーであるからこそ、「私」一人称が選ばれたのだと思います。
「性的な危機」というとなんか大げさですが、
ようは
「思春期の女の子が男の子とどうやってつき合っていくのか?」
というそれだけのことなんですけどね。
はじめに描かれる
白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)・佐藤聖さまとのデートは
限りなく男に近い女性とのデート
なのでしょう。はっきりいうと。
ちょっとだけ毛先を揃えたのかな、いつもより顔つきがシャープ。キャメルのロングコートから覗く足もとは焦げ茶色のブーツ。練乳みたいなやわらかい白の襟巻きを無造作に巻いて、何か大人の女性、というよりむしろ外国の紳士、って感じで格好いい。
(同書162ページより)
このデートの描写 そこここで
かすかに「セック〇」を示唆するような文章があるのが興味深いです。
むろん「マリみて」流のソフトな描写ですが。
「しっかし祐巳ちゃんのバッグ、パンパンだね。その中に、もしかしてパジャマとか替えパンツとか入っているのかなー」
(同書163~164ページより)
せっかく見直しているっていうのに、美人の巫女さんに色目つかわないで欲しいんですけど。
(同書172ページより)
引っ越しはともかく、十六歳の女子高生に「結婚」だの「子宝」だのっていうのは、あまり関係ない気がするんですけど。
(同書174ページより)
もちろん、聖ー祐巳のイチャイチャシーンが多数あるわけですが。
で、疑似男性・聖さまのクルマで連れられて行った先は
憧れのお姉さまの住むお屋敷だったわけですが、
そこにホンモノの異性が、男が、
二人待ち構えているわけです。
福沢祐麒(弟)
柏木優(祥子さまの従兄)
ただこの二人が……
――私の弟の肩に手を掛けて。
(同書194ページより)
と、同性愛を示唆するようなかたちで登場するので
「異性」
であることを弱められている、というわけです。
なおかつ「近親相姦の禁忌」というのもあって、
「ものすごく薄味の異性」
といってよいでしょう。
小笠原邸でもやっぱり 「マリみて」流の
お行儀のよいセッ〇スほのめかしがありまして……
「今日ね、小笠原家の男ども、外に囲っている女のところへ行っているのよ」
(同書207ページより)
(祥子さまは男嫌いだったんじゃなかったの? 柏木さんを嫌っていたんじゃなかったの? それなのに、柏木さんのお箸でつままれたお寿司を、どうして口に入れられるわけ?)
(同書220ページより)
(うーん、このお寿司のシーンとか天才としかいいようがないよな。こんなふうに「性」を描くか? フツー……
「生」の食べ物というあたりも効いているよな……スゲースゲー)
で、決定的な「構造」の危機――
いいかえると、「貞操の危機」は――
弟の祐麒君の侵入シーンなわけです。
大げさかもしれませんが、
大げさなんですが、そうなんです。
で、祐麒がふすまを開けて和室になだれ込んできたのは、さあどこに誰が寝ようかなんて決めようとしている時だった。私たちは「何事!?」って身構えて、祥子さまなんかあわててネグリジェの上からガウンを羽織った。
(同書222ページより)
考えてみると、
一番危険な異性は祐麒くんなわけです。
そのことを同性愛者の柏木さんが主張します。
「隣の部屋とはいえ、襖一枚。健康な少年であるユキチがだよ、祐巳ちゃんはともかく、さっちゃんや君を襲ったらどうするんだ。そうならないためのお目付役だよ」
あんたの方が危ないよ、って思ったけど、柏木さんは女に興味ないんだっけ。
(同書227ページより)
で、この直後……つまり
最大の危機の直後、祥子さまのお母さま 清子小母さまが登場。
そして「なかきよ」なる儀礼ですべてまるくおさまるという流れです。
まるくおさまる、というのは、
(それにしても、夢みたい)
茶色く染まった部屋の中、手を伸ばせばすぐ届きそうなくらい近くに祥子さまの寝顔が見える。この姿を、この瞬間に感じていられるのは私だけだった。
従兄でも婚約者でも、男である柏木さんには許されない。
私は、祥子さまの妹になることができる女に生まれて、そして祥子さまと同じ時代にリリアンの生徒となれて本当によかったと思う。マリア様に、心から感謝するのだった。
(同書243~244ページより)
この文章がめちゃくちゃうまいのは――
ほんと今野先生、すさまじいのは
「茶色」で……
これは祐巳ちゃんの用語で
部屋を完全に真っ暗にするのではなく 電球一つだけにすることをいっているのですが……
茶色→
異性愛ではなく
といって同性愛でもない、
祥子さまとの姉妹関係
と、うまくパラレルになっています。
ほんと今野緒雪はディテールがすさまじいです。
あとまあ、
◎「長き夜の」
→民俗学者・今野緒雪の本領発揮!
だとおもっているのですが、
「日本のお正月」をここまで精細に描いた文学作品は他にない、とおもうのですが、
きりがなくなるのでやめます。