Quantcast
Channel: トトやんのすべて
Viewing all articles
Browse latest Browse all 593

ザ・プリンス箱根芦ノ湖(村野藤吾・1978)その3 夜の様子・ロビーのディテール

$
0
0

その3です。

まずは

藤森照信先生の「日本の近代建築(下)」――

 

この本で 藤森先生、

〇村野藤吾=周回遅れのトップランナー

と、定義しておられます。

(↓↓引用長いので 興味ある方のみ 読んでみてください)

(↓↓まあ、はっきり断言しているんじゃないですけど、ほぼ9割9分そんな感じかな(笑))

 

 しかし、長い間、評価は限られていた。遅れて来た表現派と見なされやすく、また、先を行く初期モダニズムの影響も受けており、先陣争いを好む観客の目には、一周遅れのくせにトップの走りを真似る奇妙な走者としか映らなかったからである。

 たしかに一周遅れだが、しかしそれでよしと覚悟して選んだ遅れである。

 村野藤吾は、白い箱型の初期モダニズムに向けて次のような紙つぶてを投げつけた。

 「ちぇ! 馬鹿にしてらあ。あの薄っぺらな銀行に大切な金が預けられるけぇ」―『商業主義の限界』S6―

 モダニズムの正面の敵である歴史様式の銀行建築を擁護するため切ったタンカだが、村野が本当に守りたいと願っていたのは歴史主義ではなく、歴史様式から表現派へと伝わってきた仕上げの味わいと細部の豊かさ。

 歴史主義の定型化した造型は拒み、モダニズムに学んで建築というものを一つの塊まで還元しながら、しかし来た途を戻って、新しい感覚で歴史様式や表現派の仕上げと細部の深い味わいを再発見する。「遠目はモダニズム、近目は歴史様式」、このように村野は自分の設計方法を説明している。

 村野はじめ後期表現派は、モダニズムに刺激されつつも、モダニズムが主張する白い仕上げと直角の細部だけは認めるわけにはいかなかった。たとえ古いと思われようと、仕上げの味と細部の面白さが人間と建築をつなぐ回路である、と確信していた。

(藤森照信著、岩波新書「日本の近代建築(下)―大正・昭和篇―」203ページより)

 

「一周遅れ」

「仕上げの味と細部の面白さ」

……このキーワードを手掛かりに ザ・プリンス箱根芦ノ湖を見てみるとおもしろい。

 

↓↓これは宴会場へおりていく螺旋階段です。

んー 手すり凝りまくりですなーー

 

ロビー下の空間↓↓

この廊下をまっすぐ行くと売店です。

 

重厚さと軽やかさの対比が見事……

ざらざらとツルツルのテクスチャーの対比も。

 

↓↓その1で触れた 公衆電話があったとおもわれる場所(トマスの勝手な推測です)

 

↓↓ 美しすぎる螺旋階段。

その1 に載せましたが、また載せないと気が済まないもので……

 

 

 

 

別館(大浴場や レイクサイドグリルが入っている)

と、本館の間の空間↓↓

 

……なのですが、

これまた一体なんなんですかね?

 

あまりの美しさに見とれてたのは僕ひとりなのですが……

 

大浴場か食堂へむかうガイジンさんたちが

ニコンの一眼レフをかまえている東洋人のかたわらを

早足で通り過ぎていきます。

 

ヨーロッパの街角の風景が突然。

みたいな不思議な空間です。

 

そして これは↓↓

正直理解不能……

売店の奥にあったのですが……

どなたか説明してくださいませ。

 

陶器製の壁……

この陶器、というか、モザイクというか、は、

ル・トリアノンの壁面で登場するんですけど……

 

イスラム風のイメージ??

 

藤吾っちの戦前の傑作

「宇部市民館」(1937)は、

ソ連志向なのかナチス・ドイツ志向なのか 意味不明なディテールで有名ですが

(残念ながら、わたくしは見たことがない。というか、この箱根プリンスをみてしまったからには

宇部市民館も見に行くしかないだろう……)

 

ジジイになった藤吾っちは

「壁面全部意味不明」……というところまで悟りを開いてしまったのであろうか??

 

えー

ロビーから階段を降りたところにあった平面図だと思います。

右側にいくと西棟(ル・トリアノンがはいっている)

左側にいくと東棟(なだ万がはいっている。トマスが宿泊したのはこっち)

 

ホテルのスタッフさんが宿泊客を案内している様子をみていると

「当ホテルは少々構造が複雑でして……」

「え! 複雑なの!」

という会話が耳にはいってきて おもしろかった。

 

じっさい。一緒に行ったT子さんは さいごまでこのホテルの構造が理解できなかったようです。

 

魚眼じゃなくて

ディスタゴン25㎜で、ロビーを撮ってみる。↓↓

 

 

 

 

また藤森照信先生の引用。

 

 村野は、北九州の製鉄の街の工業労働者の子として貧しい環境の中で生れ育ち、自らも油煙まみれの労働を経てから、一念発起して早稲田の建築に入り、名を藤吉から藤吾に変えているが、こうした体験から社会の矛盾には深く思い悩み、個人的にはキリスト教に、社会的にはマルクス主義に救済を求めるようになる。具体的な宗教活動にも社会主義運動にも加わっていないが、キリストとマルクスは生涯の支えだった。

(同書、242~243ページより)

 

この壮麗なロビーに どうしてもカトリック教会のイメージを持ってしまうのは

そのせいなのか?

 

天井。

 

目が悪いせいなのか……

一番てっぺんの部分は サメ革(日本刀にまいてあるやつ)みたいにざらざらしてるのかとおもったのだが、

こうして 写真を見てみると花柄模様ですね。

 

なんの模様?

ポピーかなにかですか?

 

スワンチェア。

 

 

ところどころ飾ってあるのは

古代ギリシャの……メダル(?)

貨幣ではないよな(??)

 

このディテールはすさまじかった。

 

もし貨幣だったら

藤吾っちの愛読書はマルクスの「資本論」――

 

……これは壮大な皮肉なのか?? とかおもっちゃうのですけど。

 

美術館みたい、でもある。

いや、美術館ですね。立派な。

 

 

 

ポール・デルヴォーにこんなところで出会えるとは。

 

床の空調のダクト。

 

これを真剣に撮っているトマス・ピンコに、

T子さんは心底あきれた様子でした。

 

しかし……なにもかもピシッときまっていて 美しかったです。

 

 

 

 

しかし。

なんというか、マルクシズムとは真逆の位置にいますな~

 

ブルジョワ。贅沢のきわみ。

 

建築になんの興味もない人からみると

「バカでかいバブルの遺産」

というところかもしれません。

 

いや、別に

藤吾っちを 「おまえ矛盾してるぞ」とか責めているのではなく……

 

自分の中でどう折り合いをつけていたのかな?

とかおもったりするわけです。

 

ブルジョワ資本の商業施設の設計ばかりやっていたわけですよね。

村野藤吾。

 

こうやって撮ると

なんとなく宇宙船みたいだな とかおもったりしました。

 

えー

まだ夕食まで時間があったので

あと、夕立がひと段落落ち着いたので

 

庭へ出て撮影。

 

床のダクトの撮影であきれ返ったT子さんは

部屋でテレビをみてます。

 

 

 

まんまるが二つ。

藤森先生のコトバを借りると……

 

「モダニズムが主張する白い仕上げと直角の細部だけは認めるわけにはいかなかった」

というわけですかね。

 

なんか ギリシア・ローマの神殿みたいでもある。

 

夕食なんですが、

ビュッフェ形式だったので

撮ったのはこれだけ↓↓

 

そのかわり朝食はしっかり撮りましたので(笑)

 

その4につづく。

ル・トリアノンをとりあげようとおもいます。

 

またまた藤吾っちお得意の意味不明のディテールがありました。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 593

Trending Articles