軽井沢で撮った写真の整理がまったく終わらないので
読書感想文を書きます。
杉浦日向子先生の「大江戸観光」という本を読んでいると
やけに 教養文庫の「江戸の戯作絵本」というのを薦めていらっしゃるので
読んでみることにしました。
けっか、まだ一巻しか読んでいないのですが、
意外とおもしろいものでした。
けっしてグイグイひきこまれる、とかいうものではないです。
たぶん万人受けするようなものでもないです。
が、
ところどころ イカれた発想とか
完全に頭のおかしい部分とか
江戸人らしいオサレな部分とかがあって 物好きはたまらないものではないかとおもいます。
感想① やはり馬琴先生は偉大だ。
この本を読んだのは
杉浦先生が薦めていたから、と書きましたが、
やはり曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」の大ファンである、というのも大きいかな。
馬琴は黄表紙作家から出発した、というのはなんとなく知識としてあったので
それがどんなものか知りたかったというのはあります。
でも わかったのは
「南総里見八犬伝」は別格だな。ということ。
馬琴先生、ストーリーテラーとしても別格だし。
人物描写の腕も(とくに悪役ども)別格。
あのレベルを期待しちゃうと、完全にあてがはずれます。
具体的にいいますと……
この本…… 「江戸の戯作絵本(一)」 しょっぱなに
「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」という作品が掲載されております。
どうやら「黄表紙」というジャンルを成立させたものすごく偉大な作品であるらしいのだが、
正直、たいしておもしろくない。
金兵衛という田舎の青年が とつぜんお江戸の大商家の養子になり、
調子に乗って吉原等々の遊里で遊びまくる。
だがあまりの散財に呆れた養父に追い出される。
絶望して途方に暮れていると、
すべては夢であった……という夢オチ。
まあ、「高慢(ヒュブリス)」というのも世界的な、
やりつくされたテーマでしょう。
おはなしの展開がみえみえでおもしろくない。
じゃ、なんでこんな月並みな作品が偉大なのか?
というと、安永四年(1775)の江戸をリアルに描いたというのが斬新であったらしいです。
だが、「それを斬新といわれてもねえ?」というのが
現在の読者の正直な感想でしょう。
ちなみに曲亭馬琴と黄表紙とのかかわりを年表形式で確認しておくと――
・寛政二年(1790) 24歳の馬琴、山東京伝の食客となる。
・寛政三年(1791) 大栄山人名義 「尽用而(つかいはたして)二分狂言」で黄表紙デビュー。
・寛政五年(1793) はじめての馬琴名義の黄表紙本 「御茶漬十二因縁」刊行。
・寛政九年(1797) 「无筆節用似字尽(むひつせつようにたじづくし)」刊行。ベストセラーになる。
という感じ。
「南総里見八犬伝」の刊行は 文化十一年(1814)にはじまります。
1814年というと、ヨーロッパではナポレオンの終焉期ですかね。
感想②擬人化!
擬人化。
よく知らんのですが、
帝国海軍の軍艦を美少女にしてみたり
名刀を美少年にしてみたり、
最近そんなのがあるらしいじゃないですか? ねえ。
そういう「擬人化」が黄表紙の世界ではきわめてフツーであったことがわかりました。
「うどん/そば 化物大江山」
という作品は、当時大流行(だったらしい) そばを擬人化。
「そばこ」と、そばの薬味の「だいこん」」「かつおぶし」「ちんぴ」「とうがらし」が、
うどん童子という敵をやっつける、というお話。
「江戸のそば好き、上方のうどん好き」というのがこの頃からあったのでしょう。
最近では関東でもうどん優勢かもしれないですが。
ものすごい擬人化は 「辞闘戦新根(ことばたたかいあたらしいのね)」
これは
当時の流行語を擬人化する
というものすごいことをやってます。
登場人物は
・大木の切口太いの根→とんでもない。という意味らしい。一昔前の「じぇじぇじぇ」みたいなものかね。
・どら焼・さつまいも→おいしい。という意味。これは今でも使えそうね。
・天井みたか→降参したか。という意味。
・とんだ茶釜→驚いた。という意味。これも「じぇじぇじぇ」だな。
大木の切口太いの根はなんか切り株のお化けみたいなやつなので
「擬人化」というより 「擬妖怪化」みたいなものかね。
あらすじは
「大木の切口太いの根」が首領になって 出版業界に殴り込みをかけます。
(画工、彫師、版元などに襲いかかる)
だが、いにしえの出版業界のヒーローたち 牛若丸やら鉢かづき姫らに逆襲される、というおはなし。
感想③ メル・ブルックス的な……
黄表紙。名作のパロディが多いです。
「スターウォーズ」に対して「スペースボール」を作っちゃうメル・ブルックス的なやつです。
「桃太郎後日噺(ももたろうごにちばなし)」は
もちろん桃太郎のパロディで
桃太郎が鬼ヶ島からおとなしい白鬼を従者として連れて帰って来たというのが冒頭。
白鬼の角をとって、髷を結うと 色白の色男になって……というおはなし。
「時花兮鶸茶曾我(はやりやすひわちゃそが)」は 曽我兄弟の仇討ちのパロディ。
曽我兄弟が遊び人のどうしょうもない放蕩もので、という設定ですが……
桃太郎はよく知っているからパロディの意味もわかるのだが、
曽我兄弟となると 僕はよくわからない。
現代人はわからない方が多いのではないでしょうか??
感想④ マンガのルーツ。
これは……「マンガ」研究者はどういう見解か、わからんのですが。
マンガ文化の遠いルーツ=黄表紙
というのが、まあ、誰もが抱く感想なのではあるまいか??
絵:7~8割
文章:2~3割
という画面構成なんですわ。黄表紙というのは。
また、子供向けの草双紙というのから 大人向けの黄表紙ができてきた、というあたりなど、
マンガの歴史に似ているような気がする。
↑↑の画像は
「啌多雁取帳(うそしっかりがんとりちょう)」の一シーンなんですが。
主人公の金十郎というやつが「大人国」……巨人の国にまぎれこんでしまった、という
「ガリバー旅行記」的なところなんですけど……
宇田敏彦という先生の解説として
蛇足ながら、本書の絵題簽(下)や(十二)の絵に見られる画面一杯の大柄な美人画は、現代の読者たるわれわれに、のちに独特の大首絵を完成した歌麿の先駆的作品として興味深いが、当時の読者もこれを驚きと感嘆でもって迎えたに違いないことを付記しておきたい。
(教養文庫 「江戸の戯作絵本(一)初期黄表紙集」284ページより)
ということですので、
歌麿、写楽の「大首絵」のルーツでもあったかもしれないようです。
感想は以上です。
まあ、ちびちび読み進めていきたいと思います。