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塔の作家・小津安二郎 その3 「生れてはみたけれど」

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小津安二郎というひとは

「塔」――

(塔状の構造物……塔・ビルディング・電柱・巨大な像・巨樹等々)

を描きつづけた人なのではあるまいか?

 

という観点から、小津の全作品を見直してみようとやっております。

その3です。

 

今回は 大・大・大傑作「生れてはみたけれど」なんですけど。

これは正直 心が折れかけました――

というのは

電柱がひたすら出現する映画

だからで……

 

A.この電柱は意図的なのか?

B.それとも、たんに電柱の多い場所をロケ地に選んでしまっただけなのか?

 

この判断に迷うところでした。

が、しかし……まあ、以下、みてみます。

 

□□□□□□□□

7、「生れてはみたけれど」(1932)

 

S1 郊外の道

左の後輪をぬかるみに落したトラック

――タイヤが空廻りしている。

運転手、窓から首を出し、何とか脱出しようと、

懸命にエンジンをふかす。

助手席に乗っていた父親(吉井健之介)、

腐った顔で降り、トラックの前に廻ってみる。

 

S1から電柱だらけなのです。この作品は。

 

スタックしちゃってます。

 

最近、CSでやってた「水曜どうでしょう」のアフリカで

トヨタのランクルがスタックして大騒ぎというシーンを観ましたが――

 

ここはアフリカのサバンナではなくて トーキョーの郊外です。

戦前の日本の道がいかにひどかったか、というシーン。

 

まあ、ご覧のように電柱だらけです。はい。

 

↓↓ 左側:良一君(菅原秀雄) 右側:啓二君(突貫小僧)

 

ただ、シナリオに(小津安二郎全集)

 

やけに電柱ばかりが目立つ新興の郊外の道をトラック遠ざかる。

吉井、微苦笑で見送る。

 

というのがあり、

やっぱり 「電柱」(塔)の群れは

意図的なのだろうな、というのはわかります。

 

S10 原っぱ

 

太郎達、相撲を取ったりして遊んでいる。

良一、啓二と一緒にやってくる。

啓二「あいつ等だよ」と指さす。

太郎、亀吉、鉄坊、その他が近づいて来る。

 

ガキ大将の亀吉君たちの背後は「塔」だらけです。

 

この記事の主題は「塔」なんですけど――

 

履物の種類にどうしても注意がいってしまいます。

 

主人公たち(良一&啓二)は下駄

(この下駄は武器にもなります)

 

亀吉君たちは靴を履いてます。

(亀吉君は長靴!)

 

この違いがなんだか説明がつかず、おもしろい。

 

小津作品に登場する履物の分析もやってみたらおもしろいかもしれない。

 

ちなみに――「生れてはみたけれど」 ご覧になっていない方に説明すると

主人公たち一家は そこそこ大きな会社のサラリーマン家庭なので

 

「下駄」―「靴」 は、社会階層の違いを示しているモノではなさそうです。

 

で、引っ越してきた翌日の朝。

電柱のクロースアップなどあり、

やはり電柱(塔)へのこだわりがわかります。

 

この一連の朝の場面は

全集のシナリオには登場しません。

 

シナリオのS11 S12 あたりになるのでしょう。

 

斎藤達雄はなにをしているのかというと

エクスパンダ―で 体操しているのです。

 

ハリウッド製のホームドラマでこんなシーンがあったりしたのでしょうか?

ともかく

背後には「塔」だらけです。

 

ああ。そうそう、目の前に電車が走っているという設定。

 

踏切――これもお気に入りのモチーフですね。

後年の「麦秋」「東京暮色」……

 

踏切の背後に火の見櫓(塔)

 

これまでの説明で

「なんかこじつけだな……」

「電柱、電柱って 単に1930年代の東京の郊外が電柱だらけだったってことじゃ??」

と思われた方も多いかと思うのですが――

 

S51 で↓↓

主人公たち兄弟が 策略で亀吉君をやっつけるシーン――

 

この物語の展開点で、

実に印象的な送電塔が登場するあたり↓↓

 

もうこれは、確実な証拠と言ってよいのではないでしょうか?

やはり 小津安っさんは「塔の作家」なのです。

 

良一・啓二は 酒屋の小僧の新公に 亀吉君をやっつけてもらいます。

(兄弟のうちは酒屋さんのお得意さんである)

 

しかし……ブサイクな形の送電塔ですなーー

 

ここでも↓↓

「下駄」―「靴」の対比というか 対照というか……

 

なんなのでしょうね?

どなたか詳しい方、教えてください。

「下駄」「靴」問題。

 

えー はなしがわき道にそれました。

 

S59 夜の道

良一と啓二、考え込みながら帰って来る。

 

夜の道のシーンは 電柱の列があらわれます。

 

えー で、

物語もおわりに近づきまして――

ここでようやく……

主人公たち、上を見上げる……

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

この黄金パターンをようやく最後の最後になって出してくる小津安っさんであります。

 

「東京の合唱」では、なにかというと

岡田時彦が上を見上げていたのですが、

 

「生れてはみたけれど」では、

とっておきの場面にとっておいた感じがします。

 

S69 茶の間

英子、お皿にのせた五、六個のおむすびを持って、庭に降りてくる。

子供達、一瞬振り返るが、すぐ又背を向けてしまう。

 

「生れてはみたけれど」では

単に「見上げる」のではなく、

 

振返りつつ、見上げる と、なっているのがポイントで、

ただ単に 前作の繰り返しはしません、小津安二郎。

 

あと、

塔+母

塔+父

というのポイントでしょうねえ。

 

子どものみる「父」「母」は、ほんとに巨大な存在です。

まあ、斎藤達雄なので なおさらデカい。

 

「食べる」という――小津映画では家族同士でしかしない行為。

(学生仲間、軍隊の仲間は「家族」同然であるらしく 一緒に「食べる」シーンがある)

 

 


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