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今野緒雪「マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物」感想

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まず、

久しぶりのゆり坊の画像。元気にしております。

 

□□□□□□□□

ふたたび わたくしの中で「マリみて」ブームが起きてしまいました――

 

前回記事に書きましたように、

「少女革命ウテナ」をみてたら、「マリア様がみてる」を思い出しまして――

で、1巻目から読み出したら止まらなくなってしまった次第。

今「子羊たちの休暇」読んでおります。はい。

 

久しぶりに読んでみた「マリみて」はやはりすごかったです。

今読んでいる「子羊たちの休暇」に

今野緒雪先生の天才ぶり……というか、完全に頭がおかしいところがありましたので

まずはそこを見ていきたいとおもいます。

 

以下、ようするに

主人公・福沢祐巳ちゃんが「お姉さま」小笠原祥子さまに

「夏休みは小笠原家の別荘で過ごさないこと?」

と誘われる場面なのですが、

とんでもないことになっております。

 

 けれど祥子さまからは、想像していた言葉は発せられなかった。その代わり、主語のない述語のみが祐巳の耳に届いた。

「来る?」

「え?」

 来る、とは。動詞のカ行変格活用における「来る」の終止形または連体形で――。

 いや、そんなことはテストの終了とともに忘れてしまっていいこと。

 今問題なのは、「誰」が「どこ」に来るのかという話であって。

 省略されている主語が、仮に一人称である「私」、つまり祥子さま本人のことを指しているとしたらどうだろう。その場合、目的語は「ここ」とか「学校」とかが適当だと考えられる。だって「私はパリへ来る」とは普通言わない。「ここ」とは今いる場所を示すのが普通だ。ここがパリでない以上、パリへは「行く」ものだ。

 しかし、「私は学校(ここ)に来る」なんて、わざわざ言うことだろうか。

(コバルト文庫、今野緒雪著「マリア様がみてる 子羊たちの休暇」20ページより)

 

↑↑これがいかに異様な文章か、ということは、

仮に……

・吉屋信子が「マリみて」を書いてみたら? 

・氷室冴子が「マリみて」を書いてみたら?

を、仮定してみると明らかになるのではないかとおもいます。

 

まず、吉屋信子御大の文体模写。

 

・吉屋信子版「マリア様がみてる」

「祐巳」――

 祐巳の憧れの紅薔薇の君、祥子さまが問いかけた。

 光あふれる薔薇の館に仄かに浮かぶその神々しい姿、艶艶しくも柔らかく匂うがごとき黒髪、汚れひとつなき清らかなセエラアを身にまといし、祐巳の女神!

 その……薔薇の如き唇がほころび……

「来る?」

「え?」

 なんという果報者!

 おのれの唇をかみしめ、おもわず下にうつむく祐巳の姿――……

 

(笑)……

つづきまして 氷室冴子大先生。

 

・氷室冴子版「マリア様がみてる」

 なんてかわいそうなの私。えーん。

 今度こそ完全に打ちのめされた。祥子さまにふりまわされるのは金輪際おことわりだわ!

 あたしゃ死ぬよ。

 そうよ、私はマヌエラよ!

(最近ビデオでみた独逸映画「制服の処女」のヒロインなのよっ! みんな見てみるといいわっ)

 えーい、 

 飛び降り自殺してやるのだ!

 私は、薔薇の館の窓を開け放った。

 「祐巳」――

 ふりむくとそこに、ベルンブルク先生ならぬ、祥子さまのお姿が。

「来る?」

「え?」

 一体どうゆうこと、祥子さまっ!

 

――はい(笑) まあまあうまいのではないか(自画自賛)

 

吉屋信子大先生の場合、大げさな美文、美文の嵐で攻めるわけですね。

で、けっきょくなにを言ってるんだかわからないまま、文章が終わって行く。

ただ、我々の中に「なんだか美しいものをみた」という感慨だけを残して去っていく。

 

かたや、氷室冴子先生は、コメディですね。基本。

しかし流れるような文章で(どの程度再現できているかは疑問ですが)

主人公の心理を鮮やかに描き出します。

なんといっても明るいです。「ネアカ」というやつですかね。

 

そこへ来ると、今野緒雪は、意味不明。

これは「小説」というものなのだろうか?(たぶん、違う)

日本語の文法を語り始めるんですね。

トマス・ピンコのお気に入りの用語を使いますと「構造」ですね。

 

そうです。今野緒雪は「構造」にしか興味がないのです。

姉妹(スール)制度なる構造

日本語なる構造

システム、といってもいいですね。

 

そして 「バレンタインデー」とは一体何なのか?

一体どういう「構造・システム」なのであろうか?

というのが 今回取り上げる「ウァレンティーヌスの贈り物」のテーマなわけです。

 

□□□□□□□□

はい。

前編・後編に分かれております。

 

前編の「びっくりチョコレート」で バレンタインデーをめぐるごたごたを描きます。

バレンタインデーの放課後に 新聞部主催で 「お宝探し大会」が開催されます。

商品は、つぼみ(ブゥトン)三人――小笠原祥子・支倉令・藤堂志摩子――

との「半日デート券」! というおはなし。

 

後編の「ファースト デート トライアングル」で、その「半日デート」の顛末が描かれます。

 

感想① けっきょく儀礼&ゲーム

 

けっきょく、「マリみて」はこれにつきるわけです。

一体何度引用しただろうか。

 

 ゲームは離接的である。それは対戦する個人競技者ないしチームの間に差別を作り出す。ゲームが始まるときには、両方ともまったく平等であったのに、終了するときには勝者と敗者にわかれる。これと対称的に儀礼は連接的である。なぜならそれは、もともと離れていた二つの集団のあいだに結合、ないしはいずれにしても何らかの有機的関係を設定するからである。

(中略)

 ……儀礼と神話は器用仕事(ブリコラージュ)(工業社会はこれをもはや「ホビー」もしくは暇つぶしとしてしか許容しない)と同様に、出来事の集合を(心的面、社会・歴史的面、工作面において)分解したり組み立てなおしたりし、また破壊し難い部品としてそれらを使用して、交互に目的となり手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。

(みすず書房、クロード・レヴィ・ストロース著「野生の思考」40~41ページより)

 

はい。

高校生活の「2月」なわけです。

そろそろ「3月」なんですよ。

……となると、高校3年生はそろそろ進路が決定。

3月には卒業式。という状態です。

 

となると、これまた毎度おなじみ、山百合会の構造をみますと、

以下のようになります。

 

状態A 1巻目(無印)のラストから成立した安定した状態です。

(白薔薇の項目にぽっかり空いたスペースをめぐって 「いばらの森」「ロサ・カニーナ」という作品が描かれるわけですが)

 

状態B 3年生の薔薇さまたちがあまり登校しなくなります。

 

状態C 薔薇さまたちが卒業した後、4月1日からの状態です。

小笠原祥子・支倉令・藤堂志摩子が 薔薇さまに繰り上がります。

 

また、福沢祐巳・島津由乃・藤堂志摩子の三人にはまだ妹(スール)がいませんので

山百合会のメンバーは一気に 3人減ることになります。

というような山百合会の構造の危機を 儀礼&ゲームによって救うというおはなしで、

「お宝探し大会」を 強引に推し進めるのが 三年生の薔薇さまたち……

引退間近の 水野蓉子・鳥居江利子・佐藤聖の三人というのは、そういうわけです。

 

自分たちがいなくなったあとの「構造」の危機を どうにか救わないといけない、ということなのでしょう。

 

んで、

ゲームによって 「半日デート券」をゲットするのは――

・紅薔薇のつぼみ(小笠原祥子)とのデート→なし

・黄薔薇のつぼみ(支倉令)とのデート→田沼ちさと

・白薔薇のつぼみ(藤堂志摩子)とのデート→ロサ・カニーナこと蟹名静

 

なのですが、それによって 姉妹のきずなは壊れることなく

逆に強化されました、めでたしめでたし。

というのが、「ファースト デート トライアングル」の中身です。

 

つまり、「ゲーム」ごときによって 「儀礼」で結ばれた姉妹の仲は引き裂かれませんよ、

ということなのでしょう。

 

感想② 民俗学者・今野緒雪

 

久しぶりに読んでみて、あらためて思ったのは

「マリみて」は小説ではない。

ということです。

 

さっき文体模写をして遊びましたが、吉屋信子大先生にしろ、氷室冴子大先生にしろ、

あれは「小説」というなにものか、なのだろうとおもいます。

 

しかし、今野緒雪は――

 

「いいですか、ハンバーガーとウーロン茶二つずつ、それにポテトのMを一つですよ」

祐巳が軍資金の入った封筒を手渡すと、祥子さまはうるさそうに受け取った。

「何度も言わなくたってわかっているわよ。勧められても追加注文はなし、でしょ」

「そうです。予定外の散財は、後々の予定に響きますからね」

「はいはい」

 いつもと立場が逆転だ。居心地悪いけど、何だかちょっぴり楽しかった。

 祥子さまはナゲットやアップルパイに迷うことなく、完璧に注文をやり遂げた。会計も完璧。しかし、最後の最後でしくじった。店員の差し出したトレーを受け取ることなく、席に向って歩いてしまったのだ。

(コバルト文庫、今野緒雪著「マリア様がみてる ウァレンティーヌスの贈り物(後編)」84ページより)

 

超絶お嬢さまの祥子さまのファーストフード初体験を描く、実に興味深いシーンなのですが、

今野緒雪の視線は、ですね、

ファーストフードの注文のルールが主体なのですね。

そしてこのあとハンバーガーの食べ方、というはなしにつなげます。

(祥子さまはハンバーガーの食べ方がよくわからない。一度は食べたことがあるらしい)

 

あり得ない仮定ですけど、このシーンを吉屋信子が書くとすれば、

人物の心情が主体になるわけです。

祥子さまはおそらく涙をこぼして自分の世間知らずさを嘆き、

祐巳はそんな祥子さまをたまらなくいとおしく思う、

その心情を 薔薇だの百合だの振りまいて書くわけで、

ウーロン茶がなんだ、とか アップルパイがなんだ、とかは書かないわけです。きっと。

 

片や氷室冴子だったら、こんなシーンは 「げ。な、なんと祥子さまはファーストフード初体験なのだった!」

の一文ですませてしまって

そのあとなにかしら「小説的な」ドタバタ劇を構成するだろうとおもう。

 

ファーストフードの注文の細かい描写。

こんなものは、はっきりいって「民俗学」なのであって 「小説」ではないとおもいます。

 

その他、「ファースト デート トライアングル」で描かれるのは

・高校生の女の子が休日出かけるとしたらどこへ出かけて、何をするのか?

・駅ビルのそれぞれの階にはどのような店があって、どのような売り場構成なのか?

というようなひたすら「民俗学」的描写。

 

(ついでにいうと 「びっくりチョコレート」も バレンタインデーとは何か? という民俗学であるとおもいます)

 

で――あの輝かしきジーンズ試着シーンへとつながるわけです。

 

「ちょっと失礼」

 祐巳は再度断ってから、今度は全身を滑り込ませた。もちろん、靴は脱いでから。

「説明不足でごめんなさい、お姉さま。これは折るんです」

 言いながら祐巳は、祥子さまの足もとにしゃがんだ。

「踏んづけているかかとを、一旦上げてください」

「ええ……こう?」

 ぐらり。

「あっ!」

 大きく傾ぐ祥子さまの身体を、祐巳はあわてて支えた。

「お姉さま、私の肩に手を置いてください。それで、かかとを上げるのは片方ずつにしましょう」

「……そうね、わかったわ」

 やがて祐巳の両肩に、重みがかかった。こんな時なのに、こんなことが不思議に嬉しい。今、お姉さまの身体を支えているんだ、っていう実感と、それからお姉さまが信頼して体重を預けてくれていること。

(同書98~99ページより)

 

今野緒雪が絶好調になるのは、民俗学描写(この場合、ジーンズショップでの買い物の仕方)とラブシーンの融合です。

どうも 今野緒雪にとっては「重力」というのがラブシーンに不可欠っぽい気がします。

キーワードは「傾ぐ」で、

これは「マリみて」の要所要所に登場するワードなのですが――

 

「あっ!」

「うわっ!」

人が飛び出してきたと思った瞬間、祐巳は身体の前面に軽い衝撃を受けた。次いで視界が傾ぎ天井が回って、その後すぐにお尻に激痛が走った。

(コバルト文庫、今野緒雪著「マリア様がみてる」39ページより)

 

1巻目(無印)の 祐巳と祥子さまの激突シーンにすでに登場したりしております。

―――というか、この「傾ぐ」分析は 前にどこかで書いてましたね。

 

んで――

「ウァレンティーヌスの贈り物」につづく 「いとしき歳月」があまりおもしろくないのは、

 

「卒業式」とは何なのか?

――という民俗学的な追求があまりなされないから、なのではなかろうか、と思われます。

 

あとは、「三年生の薔薇さまたちがいなくなる」という構造の危機は

「ウァレンティーヌスの贈り物」の儀式&ゲームにおいて解決してしまっているわけです。

 

「いとしき歳月」はまったく余計な存在だといえます。

(「黄薔薇まっしぐら」は好きですが)


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