趣味の「マリみて」研究。
①今野緒雪はにょろにょろフェチなのではないか?
(長くてにょろにょろしたものに異様な執着がある)
②紅薔薇三姉妹(祥子・祐巳・瞳子)は、ヘビ三姉妹なのではないか?
この二つの疑問を解決しようとしております。
はじめに――
すみませんが、前回とりあげた 11巻目「パラソルをさして」を、もう一回とりあげます。
この巻のオープニングを褒めましたが、
褒め足りないことがわかりました。
まず。
吉野裕子先生の「蛇 日本の蛇信仰」を読みなおしておりましたところ――
・みそぎ=身殺ぎ(みそぎ)=蛇の脱皮のもどき
という構図が出てまいりまして……
『古事記』上巻に伊邪那岐命が阿波岐原でみそぎされるに際して身につけられたもの、杖・帯・ふくろ・衣・褌・冠などを次々に投げ捨てる描写がある。何故こうまで詳細に記す必要があるのだろう。それは身につけたものを身から外しとってゆくことが、「身殺ぎ(みそぎ)」つまり「みそぎ」だったことを示してるのではなかろうか。
(法政大学出版局、吉野裕子著「蛇 日本の蛇信仰」227ページより)
古代日本人の清浄観は、蛇における脱皮新生にあり、「身殺ぎ」こそ、生まれ清まる証しであった。前述のように脱皮はその生物一代の間における出産、出産は世代を単位とする脱皮、と私は考えるが、古代日本人はこの二つの現象を本質的には同質のものとして捉えていたと考える。そこで生命更新の呪術として、疑似母胎としての仮屋をつくっての出産の擬き、或いは水辺で身につけているものを脱ぎ、これを水平に捨てることなどが脱皮の擬き(もどき)として考えられ、それが新生への有効手段とされていたのではなかろうか。
(同書、229ページより)
どうゆうことかといいますと、
「パラソルをさして」のオープニング近く、
聖さまの同級生の部屋での 祐巳ちゃんの入浴シーン……
ここは風呂場であるわけだし、全身シャワーを浴びているわけだから、一応祐巳は今何も身につけていない。生れたままの姿、フルヌード、すっぽんぽん。いろいろな言い方はあるけれど、つまりは全裸なわけである。押し込められた脱衣所で、濡れて重くなった制服は比較的大胆に脱ぐことはできたのだが、下着姿で少し困ったのだった。
(コバルト文庫、今野緒雪著「マリア様がみてる パラソルをさして」23ページより)
やけに「はだか」を強調するな??
まさか、サービス?? と疑問に思ってはいたのですが、
なんとここ。
みそぎ=「身殺ぎ」=脱皮
ヘビ娘・祐巳の脱皮シーン
だったわけです!(断言)
ぜったいにそうだ!(笑)
とくに深い理由もなしに
天才・今野緒雪が「全裸」を強調するはずはない!
そう仮定してみると、
p27 少しの間、この温かくて甘い空間に浸っていたい。
というのは、なにやら母胎イメージを思わせますし、
p36 「時間が逆転したみたいだ」
という聖さまのセリフは 生まれ変わりを表現しているようにおもえます。
そして、その翌日のシーン、
p45 「祐巳さん、今朝はやけにパリッとしているじゃない」
という真美さんのセリフ。やっぱり「脱皮」としかおもえません(笑)
すごすぎる、今野緒雪。。。
「レイニーブルー」で、祥子さまとの関係が壊れる→「パラソルをさして」で、「みそぎ」(脱皮・生まれ変わり)
この流れがあるからこそ、
「パラソルをさして」のオープニングはたまらなく美しいのではないでしょうか?
ついでに書きますと、17巻目「チャオ・ソレッラ」にも祐巳ちゃんの入浴シーンはありますが、
ご存知の通り、由乃さんが具合が悪い、というのがメインの話題なので
裸になってどうこうという描写はありません。
□□□□□□□□
20,「イン・ライブラリー」
作中の時間:さまざま。
(寸評)
「チョコレートコート」が素晴らしい。
この短編以降、
短編――主要キャラクター(山百合会メンバー)が登場しない短編、においては
・姉妹(スール)制度なるシステムの矛盾点および問題点
を、今野緒雪は追求していくことになる、のだと思われます。
(けっきょく「システム」から、今野緒雪の発想ははじまるわけです。自分の生みだした「システム」を、ありとあらゆるケースにあてはめてみて、なにか問題点をあぶり出すかのようです)
換言すると、
祐巳・祥子物語→姉妹制度のポジ
「チョコレートコート」以降の短編→姉妹制度のネガ
が、描かれるのではないかと思います。
姉妹制度のネガ、というのを具体的に言うと、
祐巳・祥子みたいな幸せな姉妹ばかりではないだろう、とか。
姉妹とは別の、女の子同士の美しい関係というのもあり得るだろう、とか。
同級生同士だって姉妹みたいな関係になりうるのでは、とか。
というスール制度から生じる問題点を扱っております。
……また、
「チョコレートコート」の電車の中の出会い、とか、
「桜組伝説」の明治? 大正?あたりの設定の物語、とか、
吉屋信子先生リスペクト? みたいな作品があるのも「イン・ライブラリー」の特徴です。
また、少女小説の元祖とされる「若草物語」を扱った短編(瞳子が主人公)もあります。
p150
去年は、葉に毛虫がわく季節になるとご自分のお屋敷からお抱えの植木職人を連れてきて、その桜の木のみならず周囲の木にも殺虫剤を散布させたそうです。化学薬品は嫌いだから天然の材料で薬を作ってくれと、桜自身が言ったとか言わないとか。クラスメイトたちが、面白おかしく噂しておりました。
(「桜組伝説」より)
毛虫という「にょろにょろ」です。
というか、桜=毛虫 という連想は「マリみて」によく出てきますな。
p150-151
当時羽振りのよかった霞さんのお父さまは、日本中から名医と呼ばれるお医者さまを集めて霞さんを診せたそうです。けれど、誰一人として原因はおろか病名すら言い当てられる医師はおりませんでした。
次々と医師が娘を見限っていくと、霞さんのお父さまは今度は占い師や祈祷師などをお呼び寄せになりました。
こちらの方々は医師たちと違い、すぐにこれが原因だろうと断言し、祓うための儀式などを執りおこなったそうです。けれど、その効果はまったく現れませんでした。ですから、理屈では霞さんは、蛇、狐、猫などに取り憑かれたまま眠り続けていることになります。
(「桜組伝説」より)
蛇・狐・猫……どれも「マリみて」によく登場する動物。
「蛇」「狐」というと、トマス・ピンコがよく引用する吉野裕子先生の著書のタイトルでもあります。
あと、「マリみて」には、不思議なことに(?)犬はあまり出てこない気がする。
個人的な感想なのだろうが、
少女たちのホモソーシャルな関係を描く「マリみて」は、
少年たちのホモソーシャルな関係を描く「南総里見八犬伝」の遠い子孫のように感じているので
「犬」が出てこないのは不思議といや不思議。
(八犬伝には 犬も猫も狐・狸もよく出てくる。蛇はどうだったかな??)
ホモソーシャルなのかホモセクシュアルなのか、一瞬戸惑う部分があるあたりも
八犬伝に似ている、とおもっているのですがね。
まあ、両者に厳密な区別はないのでしょうね。
p184-185
「ごめんなさい。確か、どこかでお会いしたわよね。えっと……ホリベさん?」
「祝部(ほうりべ)です。祝部みき」
「ホウリベ? あの、祝、って書く? おめでたそうで良いお名前だこと。ご先祖は神主か何かなさっていた?」
「はい。大昔だそうですけれど」
苗字の音を聞いて、漢字を言い当てられたのが初めてなら、先祖の職業を推理されたのも初めて。お金持ちできれいだけじゃなく、さーこさまは博識でもあるようだ。
「じゃあ、みきは御神酒のみきかしら?」
「平仮名です。でも、御神酒からとったらしいです」
「素敵」
(清子(祥子さまのお母さま)&みき(祐巳ちゃんのお母さん)、「図書館の本」より)
祐巳ちゃんがどうもシャーマンの家系の末裔らしい、とわかる一瞬。
そして
みき―祐巳 と 「み」(巳)音が受け継がれていることがわかります。
p204
図書館の中。
祥子さまは一つ伸びをしてから、辺りを見回した。そして。
「あら、いったいどうしたの?」
祐巳の後ろにずらりと並んだ知った顔の数々を見つけると、小さく笑うのだった。
「まるで『大きなかぶ』みたいだわ」
と。
(祥子&祐巳。リリアン女学園・図書館にて)
ずらりと並んだ・大きなかぶ という「にょろにょろ」です。
あと思うのですが、リリアンは「図書室」じゃないんですかね。
さすがお嬢さま学校で 校舎とは別に独立した「図書館」があるのかね?
大きな大学みたいに。
なにかそれに関して記述ありましたっけ??
21,「妹オーディション」
作中の時間:某年11月。
(寸評)
いろいろと「だまし」の一冊。
いい意味でいろいろと読者を裏切ってくれます。
あまりといえばあまりに、反則的にかわいすぎる表紙をみて
祐巳&由乃ちゃんがメイドさんになって何かするのか、ワクワク。
と思いきや、全然そんなお話ではない。
「スール・オーディション」も行われない。
「だまし」の一冊ですから、トリックスター由乃さんメインのおはなしではあるわけですが、
(有馬菜々ちゃん登場)
しかし、「特別でないただの一日」で開始された祐巳-瞳子をめぐるヒリヒリするような心理戦がさらに盛り上がってきます。
当然この心理戦が、大傑作「未来の白地図」へと繋がっていくわけです。
p110
「そういえば、階下(した)に蔦子さんいた? 今のうちに、スコーンの写真を撮ってもらいたいんだけれど」
真美さんが尋ねると、由乃さんはパンと一つ手を叩いた。
「ああ、そうだ。蔦子さんよ、蔦子さん。蔦子さんさ、今し方茶話会の撮影は遠慮するって言いにきたけれど、もちろん聞いてないわよね」
(真美&由乃。薔薇の館にて)
蔦子さんよ、蔦子さん。蔦子さんさ、という「にょろにょろ」
あと、このあと笙子ちゃんと蔦子さんの出会いがあるという伏線でもありますな。
p118
どっちにしても、一年生と二年生に分かれてフォークダンスを踊るわけではないので、数が揃わなくても構わないわけだが。
(乃梨子の心理描写。薔薇の館にて)
とうぜん、レディ、GO!のあの輝かしきフォークダンスシーンを思い出すわけです。われわれは。
とうぜん「にょろにょろ」
p197-198
「リリアンの制服は目立つので、トレーナーを被って応援していたんですけれど。失敗しました。いつの間にかリボンがほどけていたのに、気づきませんでした」
ほら、と、トレーナーをめくって見せる菜々。その時、由乃の目に映ったものは――。
「あ、あなた」
自分の着ている制服とほとんど同じだが、決定的に違う胸もと。
「中等部の生徒だったのっ!?」
由乃は指をさして叫んだ。セーラーカラーのラインからつながる黒くて細いリボンは、中等部の印だった。
「はい。三年生です」
「ああ」
(菜々&由乃。市民体育館にて)
「構造」上の特異点――つまり、リボンか、タイか、という違い――を描くという今野緒雪の得意技。
この描写がさらにすさまじいのは、
この「特異点」が将来的に山百合会における「特異点」になる、ということです。
わかりやすくいいますと、
この先 順調に 由乃と菜々が姉妹になったとしても、
黄薔薇姉妹は 島津由乃(三年生)-有馬菜々(一年生)と、
二年生が空白になってしまう、ということです。
(どうしても山百合会をフルメンバーの9人にはしたくないらしい)
とにかくすさまじいです。
p203
「じゃあ、田中有馬菜々って名前なの?」
「田中が苗字で、有馬菜々が名前? そりゃすごいね」
由乃さんは鼻で笑った。
「お祖父さんの苗字が有馬で、そのお祖父さんの養女になったから田中じゃないんだって。でも、三世代同居しているから、養女といっても名前だけの話で、生活は田中姉妹と何も変わらないのよ。違いといったら、お祖父さんのたっての希望でリリアンに入ったくらいなもので」
(由乃&祐巳。二年松組の教室にて)
田中有馬菜々という長い名前……「にょろにょろ」
さらに複雑な系図、というのも今野先生好きね。
p211
あるいは。
応募者 「特技は、鼻からおうどんをいただくことです」
審査員 「……みせてもらおうじゃないの」
(あとがき、より)
極めつけは「あとがき」にまでにょろにょろを登場させること。
そういえば この「妹オーディション」 「蛇」は出てこなかった気がする。
やっぱり由乃さんメインのおはなしだからか?
22,「薔薇のミルフィーユ」
作中の時間:某年12月。
(寸評)
「黄薔薇パニック」「白薔薇の物思い」「紅薔薇のため息」……
というのだから 「レイニーブルー」パート2 といっていいとおもいます。
あんなに陰気臭くなくて、どれも明るいのですが。
19巻目「特別でないただの一日」以降の展開は――
祐巳-瞳子が、あまりにピリピリ・ヒリヒリするような内容のため
間・間に 甘いクッションを挟んでいるかのようです。
例をあげますと
「鬼滅の刃」の 「血まみれの激戦」→「休憩・訓練」→「死者続出」→「休憩・訓練」……
緩→急→緩→急 の展開みたいなものです。
だが、まあ、プロの作家として当然のお作法なのでしょう。これは。
佐藤聖さまが「君は不感症か」 などという名場面があったりします。
p22
「ヨシノさま……ですね。あの、染井吉野の吉野ですか?」
本当にまったくと言っていいほど私のことを知らないんだ、この子。――と、由乃はちょっぴり感動した。
自意識過剰と言われようと、由乃が高等部の中で結構有名人の部類に入ることは間違いない。
でも、この子は知らない。脳天がしびれた。
「自由の由に、若乃花の乃」
(中略)
「ああ、乃木大将の乃……」
若乃花ではピンとこなかった菜々は、あまり相撲には詳しくないらしい。しかし、乃木大将ときたか。渋い中学生だ。
(菜々&由乃。リリアン女学園中等部昇降口にて)
「吉野」なんてファーストネームは、日本国にあまりいそうにないから、
ここは「蛇」「狐」の著者である「吉野裕子先生」の「吉野」という暗号なのではないか? と深読みしたいところ。
あと、
……というか、こっちのほうが重要ですが、
・なぜ主要キャラクターのうち二人が「乃」という字が名前に入っているのか?
という問題があります。
ようするに 島津由乃-二条乃梨子 という両極端な二人です。
おそらく二条乃梨子が先にあって、そのあと島津由乃が生れたのでしょうが、
これはどうみても 「乃」というにょろにょろした文字が好きだから。
としか考えられません!!
p46
「そういうことですね。諦めますか?」
「まさか」
「じゃ、できるところまでやりましょう」
「おうよ」
菜々に引きずられる形で、続行。負けず嫌いの由乃は、「できないの?」とか「無理でしょう」なんて言葉で挑発されたら最後、ノンストップのジェットコースターと化してしまう。
(菜々&由乃。都内某ホテルにて)
ジェットコースターというにょろにょろです。
というか、ジェットコースターがよくでてくる一冊です。
p105
「リコー」
リビングのソファで菫子さんが叫んでいる。
「電話ー出てー。爪やってるから出られないのー」
蛇口を締めると、確かに呼び出し音が聞こえてきた。
「はいはい」
菫子さんたら。マニキュアを塗っている最中でなくても、このところ乃梨子が側にいれば電話に出ない。大家さん対店子の力関係が、こういうところに現れる。
(菫子さん&乃梨子。菫子さんのマンションの部屋)
毎度おなじみの「蛇口」です。
……が、「蛇口」なのに重要な場面じゃないや。
いつも重要な場面に顔を出すはずなのに、へんなの??
とおもったのですが、よくよく考えてみると、
この本が出版されたのは2005年なので 高校生は携帯電話を持っていても不思議はないわけです。
乃梨子ちゃんは親元から離れているわけですから、とくに。
なので、これは「今、失われつつある光景」を
民族学者・今野緒雪が描写していると考えると……
たまらなく重要な場面におもえてくるわけです。
ちなみにこの一冊。
p48 携帯電話は持っていない。
と、由乃&菜々の描写があり、
p177 「僕の携帯貸してもいいけれど?」
という柏木さんのセリフがあり、携帯電話に関する言及が多いです。
p124
ということは。
「期末試験が終わったら、遊園地へ行きましょう、ということですか」
祐巳は、恐る恐る確認した。すると、お姉さまはあきれ顔をしている。
「最初から、そう言っているじゃないの」
「はっ」
これは、ぬか喜びでも何でもなく、素直に喜んでいいことのようだ。
「ただし、ジェットコースターには乗らなくってよ」
(祥子&祐巳。薔薇の館にて)
ジェットコースターというにょろにょろ。
というか、蛇お嬢様・祥子さまには どういうわけか
「祐巳をジェットコースターに乗せたい」という異様な強迫観念があり、
それがなぜか? は一切説明されません。
まあ、正解は「祥子-祐巳は、ヘビだから」
というものになるわけですが。
p136
乗り換えの駅に着くまで結構ある。祥子さまが何かゲームをしながら行こうと提案したので、「あたまとり」をしながら電車に揺られることにした。
あたまとり、とは、しりとりの逆で、前の人が言った単語の頭の文字をおしりにつけた単語を言う、というものである。つまり、例を挙げると、「ラッコ」→「ゴリラ」→「リンゴ」→「くり」という風に進む。
では、スタート。先行は祐巳。
(祥子&祐巳。遊園地に向かう電車の中にて)
p151
「私、別にジェットコースターになんて――」
言ってない。一言も。いや、確かに連想ゲームならば「遊園地」ときたら「ジェットコースター」と答えるくらい、祐巳の中で二つのイメージは直結してはいるけれど。今日はお姉さまと一緒だから、最初からジェットコースターは抜きで考えていた。だから、「乗りたい」なんて物欲しそうな目でそれを眺めることさえなかったはずなのだ。
「私が見たいのよ、祐巳が乗る姿。いいでしょう?」
(祥子&祐巳。遊園地にて)
かわいすぎるおデート。スマホなんかまだ存在しません。
あたまとり・しりとり→にょろにょろ。
ジェットコースター→にょろにょろ。
当然ラストの 祐巳→ミルフィーユ→祐巳→ミルフィーユ につながります。
p183
「祐巳。家に電話しておいた。それから、祥子さんが部屋に来て欲しいって言っているらしいけど……どうしたの?」
「ううん、別に」
祐巳は立ち上がって、セーターの下に着ていたブラウスの前ボタンの胸の辺りを、セーターごとギュッと握った。
「祐巳?」
「何でもない。祥子さまの部屋に行ってくるね」
(祐麒&祐巳。小笠原邸にて)
これは――とくに説明されない……それゆえに非常に深い部分だと思います。
ここはわたくしが説明するのも野暮ですが
祐巳が握るのは不在の「タイ」→にょろにょろ→ヘビ同士である祥子さまとの絆
というような感じになるのでしょうが、
それ以上の、説明しきれない「なにか」が潜んでいます。
こういう説明不能だが、魅力的なディテールがこの一冊の魅力だといえます。
p195
窓の外の、外灯やらコンビニエンスストアの灯りなんかを目に映しながら、ぼんやり頭の中で単語を並べる。
ミルフィーユ。
ゆ、祐巳。
み、ミルフィーユ。
ゆ、祐巳。
一人でやるしりとりは、壊れたレコード盤のように同じところを何度も繰り返すだけ。
それが積み重なって層になって、いつしかため息でできた巨大なミルフィーユが出来上がってしまうのではないかと思われた。
(祐巳の心理描写。柏木さんの車の後部座席)
ここはものすごく深くて……トマス・ピンコレベルでは説明不能です。
たぶん「マリみて」世界の中心点はここにあるのだとおもいます。
たぶん……ジャック・ラカンのいう〈対象a〉というのが、この無限しりとりの正体なんじゃないかという気がします。
〈対象a〉は空間内に存在する実在物ではなく、究極的には、空間そのもののもつある種の歪みに他ならない。このゆがみのせいで、われわれは対象に到達しようとするとかならず曲がらなくてはならないのだ。
(筑摩書房、スラヴォイ・ジジェク著、鈴木晶訳「汝の症候を楽しめ」85ページより)
まあ、偉そうに引用していますが、
正直言うと ジャック・ラカンなんてよくわかっていません(笑)
ただ、聖さまの「君は不感症か」 は こうみてみると非常に深いセリフのような気がしてきました。
とにかく「マリみて」は奥が深いです。
23,「未来の白地図」
作中の時間:某年12月。
(寸評)
大・大・大傑作。
先ほど 祐巳→ミルフィーユ→祐巳→ミルフィーユは 「マリみて」世界の中心だ、などと書きましたが、
まさしく、この「未来の白地図」の冒頭が 前作「薔薇のミルフィーユ」のラストシーンをうけて、
p12
み、ミルフィーユ。
ゆ、祐巳。
み、ミルフィーユ。
ゆ、祐巳。
な、わけです。これはすごい一冊。
山百合会の「構造」という視点からいうと、
・由乃-菜々→菜々が山百合会の面々にはじめて紹介される。
・祐巳-瞳子→祐巳の瞳子への「私の妹にならない?」という問いかけは断られる。
この2本のプロットが中心となるわけですが、
クリスマスパーティの出席者10人が10人
それぞれいろいろなことを考え、行動する――
多人数それぞれの人物の思い・行動が破綻なく語られる超絶テクニックが見ものです。
ポイントとしては、「微妙なバランスで崩れるもの」が頻出するあたりでしょうか。
「ジェンガ」「ツイスターゲーム」というゲームはわかりやすい。
主要人物以外のキャラクターも「微妙なバランス」に悩んでいて、
瞳子の家出問題をできるだけ大ごとにしないように悩む柏木さん、
そしてp39
「このご飯は……玄米ですか」
「玄米と麦と白米をブレンドして炊いたの。カレーの時だけね」
お母さんは、ブレンドの割合は毎回変えているんだけど未だ「これぞ」という比率が決まらないのだ、ということをしゃべった。
祐巳ちゃんのお母さんまで「微妙なバランス」に悩んでいる、というあたりがすさまじいです。
とうぜん、由乃さんが菜々ちゃんをつれてくるための算段も、そうです。
個人的に――
今野緒雪「未来の白地図」の完成度に比肩し得るのは 小津安二郎「麦秋」なんじゃなかろうかとおもいます。
ジャンルはまったく違いますが、「基本構造」はそっくりです。
「麦秋」の紀子(原節子)が結婚を決めるのは突然だし、
「未来の白地図」で祐巳が瞳子に「妹にならない?」というのも突然なのだが、
突然の決定的なセリフに至る過程が、控えめだが実に丁寧、繊細に形作られていて……
その「突然」が「必然」に思えてくるわけです。
p12-13
み、ミルフィーユ。
ゆ、祐巳。
み、ミルフィーユ。
ゆ、祐巳。
(ああ、だめだ)
また、心の中でつぶやいている。
小笠原邸からの帰り道、柏木さんの車の中で始めた、エンドレスの一人しりとり。
しりとり自体は、無意味なことさえ除けば、これといって問題はない。問題なのは、それを行っている時の祐巳の精神状態なのである。
気がつくと、頭の中でいろいろな、どちらかというとあまり楽しくないことを考えている。
それを追い出すために、無意識のうちにエンドレス一人しりとりがスタートする。
そうすると、ついついそのリズムに乱されて、持っている編み棒が暴走して、毛糸が一目滑り落ちたことに気づかず次の段まで編み続けてしまう、なんていう失敗に陥るわけだ。これで何回目だろう。
だめ、なのは、目下そのこと。
せめてもの救いは、ここ自室には自分以外の人間がいないことだろう。要所要所にため息を挟みながら、編んではほどき、編んではほどき、をやっている図を誰かが見たら、何のパフォーマンスかと思うだろう。
「ふう」
祐巳は編み目から編み棒を抜いて、一段分の目をほどいた。できたてのインスタントラーメンのようにうねった毛糸が、膝から下、足もとへと落ちていく。
(祐巳の心理描写。福沢家、祐巳ちゃんの自室にて)
上記(寸評)で 「微妙なバランスで崩れるもの」が頻出する、と書きましたが、
まず最初に登場するのが、祐巳ちゃんの編み物です。
とうぜん「にょろにょろ」です。
ラーメンは、当然、あの輝かしき麺食堂シーンにでてきましたっけ。
p91
テーブルよし、お湯よし、カップよし、ケーキ現在進行形。さてそうなると、
「今年、七夕飾りどうする?」
祐巳と由乃さんは顔を見合わせた。
「ねえ?」
p94
祐巳は段ボール箱の蓋を開いて、中から厚紙の王冠とかイカリングのような鎖とかを出し始めた。
しかし、まさかこれを大事に保存していたとは。それを覚えていて、いつの間にか探し出しておいたとは。
恐るべし、祥子さま。そして、そんなことをさせちゃう蓉子さま。
(クリスマスパーティの準備の描写。薔薇の館にて)
お嬢さまたちのクリスマスパーティの準備の描写がかわいすぎる件。
飾りつけは「にょろにょろ」しております。
p122
「島津由乃。シマは日本列島の島、ヅは甘栗で有名な天津の津、ヨシは自由の由、ノは乃木大将の乃。染井吉野のヨシノではありません」
(由乃さんの自己紹介。薔薇の館にて)
はい。
何度でもやります。「乃」そして「吉野」
p129
「それじゃ、乃梨子ちゃんと由乃ちゃんで決勝戦ね」
ジェンガーが片づけられ、模造紙で即席に作られたツイスターゲームが広げられる。真のゲーム王には、麵食堂の食券四枚が贈呈される。
(クリスマスパーティの描写。薔薇の館にて)
この短い一節に 今野緒雪のすべてが放り込まれているような気がしてしまう。
・「ゲーム」
・「ツイスト」→よりあわせる→聖&栞の三つ編みシーン。
・「にょろにょろ」→「乃」の字、麺食堂。
この一冊。由乃-乃梨子の今までなかった絡みが多いんですよね。
あまりに正反対すぎて接触がなかった「乃」コンビがやけにからみ合います。
p170
ゴージャスなレースで縁取りされているのは、去年と変らない。けれどイニシャルのSの部分には、上からピンクの糸でYの文字が刺繍してある。Sを消すようにではなく、どちらも見えるようにうまく重ねて。まるで、何かのロゴマークみたいに見えた。
(祥子&祐巳。祥子さまのクリスマスプレゼントの描写。薔薇の館の扉の前にて)
刺繍という「にょろにょろ」ですが、
「S」はスネークの「S」
そして「Y」の字は 3つの直線の集合体とみれば興味深いです。
24,「くもりガラスの向こう側」
作中の時間:某年1月。
(寸評)
ハードな心理戦の後のお正月休みの一巻。
「長き夜の」パート2といってよいでしょう。
わたくしとしましては――
「マリア様がみてる」はヨーロッパ近代小説の系譜にあるのではなく、
江戸文学の系譜上に位置しているということがわかったのが この一冊、ということになります。
それまでは、文章の視点がコロコロと変ることに非常に違和感を感じていたのですが、
(祐巳中心の視点が、急に 由乃視点・乃梨子視点になったりする)
そのことが「マリみて」の欠点のようにおもっていたのですが、
そんな固定された視点、などというものはヨーロッパ文学のドグマにすぎないわけで、
「マリみて」は江戸文学の子孫なのだ、と考えて見れば、まったく問題はないわけです。
ころころと視点が変わるという点は。
で、なんで急に 江戸文学の子孫なのだ、などと気づいてしまったか、というと、
この本の表紙の 祥子さまの描写で↑↑
(ご存知ない方のために書くと 左側に立っている着物姿のお姉さんです)
これは見事に――
p69
「おめでとう」
祥子さまは、水色の飛び石柄の小紋を着ていた。葡萄茶(えびちゃ)の羽織は去年と同じ物だ。長い髪は、緩い三つ編みにして簪でアップしていた。
この祥子さまの様子を「絵」で説明しているわけで……
これはまさしく 馬琴の「南総里見八犬伝」
挿絵もまた、表現の一手段であった江戸文学そのものなわけです。
p42
「油揚げ……」
「だって、ここはお稲荷さんだから」
「本当だ」
よくよく見れば、左右に二匹でお社を守っているのはキツネだった。
「ねえ、祐麒。今度、この場所までの地図を描いて」
「えっ。今歩いてきたのに、わかんなかった?」
「だって暗いし」
「家から十分もないぜ」
(祐麒&祐巳。福沢家近くのお稲荷さんにて)
この巻あたりから「キツネ」が登場するような気がするんですよね。
「にょろにょろ」「ヘビ」と関係ありませんが、
気になるので書き写しておきます。
「キツネ」なるコトバは、
あとあと由乃さんと一緒に登場することが多くなるような気がしますが――
キツネ→トリックスター→由乃
と、トマス・ピンコがそう思いこんでいるだけなのかもしれません。
p92
「駒の代わりに自分自身で動くの」
小母さまは手にしていた模造紙を、みんなの前に広げた。そこには昔子供向け雑誌の新年号には必ず付録でついていたような双六のマスが描かれていた。「ふりだし」から「あがり」まで、マスをつなげたくねくねした道でつながっている。ただし、マスの中には「一回休み」とか「サイコロで2が出たらニマス進む」とかいう文章は一切書いていない。代わりに書いてあるのは「カバの間」とか「クラゲの間」とかいう意味不明の言葉だった。
(清子小母さま発案の双六の解説)
祥子さまの母上・清子小母さまが、
自分の家(大邸宅)を使って双六をしようといいだすシーン。
30巻目「フレーム オブ マインド」所収の「ドッペルかいだん」
漫研の涼子さまというキャラクターが肝試しをしようと言い出しますが、
今野緒雪にとって「お姉さま」とは「ゲーム」を発案する人物のことをいうのかもしれません。
そう考えてみれば、すでに1巻目「無印」からそうだったわけですし、
(祥子さまが、祐巳ちゃんを妹に出来るかどうか? というゲームを強制させられる)
27巻目「大きな扉 小さな鍵」
感情が異様に高まってしまった瞳子に対して 祐巳が「その場で百数えなさい」といいますが、
あの時点ですでに ロザリオうんぬんは関係なく、祐巳は瞳子の「お姉さま」なのだ、と言っていいのかもしれません。
p100
「祐巳。服を脱ぎなさい」
「ええっ!?」
「どう考えても、これはここにある着物を着なさいという指令だわ。ほら」
祐巳の驚きを無視して、籠の一番下から着付け指南の実用書を見つけて掲げる祥子さま。
「令たちでも困らないようにフォローしてある」
「で、でもっ」
「時間がないのよ。早くお脱ぎなさい」
早くも妹のセーターの裾に指をかける祥子さまではあったが、祐巳は必死で抵抗した。
(祥子&祐巳。小笠原邸にて)
「ウァレンティーヌスの贈り物」の ジーンズショップ試着シーンの輝かしいパロディなのでしょう。
祐巳ちゃんが着るのは着物、そして舞台は大邸宅の一室。
ジーンズショップのシーンと正反対のシチュエーションです。
また、ヘビ娘・祐巳ちゃんが服を脱ぐ――というと、「脱皮」なのかな? ともおもえます。
(ジーンズショップの祥子さまがもろに「脱皮」だったように)
このシーンの直後に起こる出来事……融小父さま(祥子さまのお父さま)に清子小母さまと間違われる件
を考えるとなにやら意味深です。
p121-122
抹茶が畳の目に入り込んでは大変です。大急ぎで掃除機を取ってきて、吸い取りました。
ちょうどスイッチを切った時でしたね、祐巳ちゃんの悲鳴を聞いたのは。それで取るものも取りあえず二階へ駆けつけたのですが、その時思わず掃除機の柄を――あ、チューブとかパイプとか言うんでしょうか、つまり吸い込み口につなげて使うプラスティックの細長い筒を、力任せに引き抜いてもってきてしまった、と。
(令さまの証言。小笠原邸にて)
チューブ・パイプ・細長い筒……「にょろにょろ」です。
フロイト的な解釈も可能でしょう。
p123
「信じます」
祐巳は言った。すると。
「祐巳!」
「祐巳さん!」
「祐巳ちゃん!」
「祐巳さま!」
今まで融小父さまに集中していた視線が、一瞬にして祐巳へと移動した。
「祐巳。父を庇ってくれているの?」
(中略)
「庇う、とかじゃなくて」
祐巳は告げた。このままじゃグチャグチャに絡まった糸みたいに収拾がつかないから、ほぐせるところはほぐそうと思ったまでだ。
(小笠原邸にて)
融小父様にチカン疑惑が! というシーン。
巳……巳……巳……ときて「グチャグチャに絡まった糸」
どこからどうみても「にょろにょろ」フェチの今野緒雪です。
p153
なかきよの
とおのねふりの みなめさめ
なみのりふねの
おとのよきかな
「いいですか。このように、上から読んでも下から読んでも同じ文になっていなければいけません」
ちょっとだけ先に知った者として祐巳は、ちょっとだけ先輩風を吹かせてみた。
「なるほど。トマトの長いバージョンか」
「しんぶんし」
「こいけけいこ、さん」
「あ、いたいた。同学年に一人」
どこかで聞いたような会話の流れ。考えることは皆、一緒のようである。
(小笠原邸にて)
はい。これもコトバの「にょろにょろ」
25,「仮面のアクトレス」
作中の時間:某年1月
(寸評)
23巻目「未来の白地図」を 大・大・大傑作などと書きましたが、
それは多人数の女の子たちがそれぞれワチャワチャ動き回るシチュエーションを
破綻なく描き切っているからで……
と、なると、生徒会役員選挙を描いた 静的で比較的地味なこの1冊は傑作ではないのか?
というと、そういうわけでもないでしょう。
複数のプロットが絡み合うわけでもないし、
けっきょく何が起こるわけでもないし(選挙はあるが、けっきょくいつもの信任投票)
祐巳と瞳子の関係になにか進展があるわけでもない。
ムリヤリ解釈をすると――
姉妹(スール)制度を根本に据えた山百合会(貴族主義)
と――――、
生徒会役員選挙(民主主義)
との対決がおもしろいのだろう、という気がしますが、
それだけでは説明しきれない魅力がこの1冊にはあるようです。
タイトルのとおり、「面」「仮面」がひとつのテーマになっているせいか?
いつもより「にょろにょろ」「ヘビ」要素は少ないようにおもえます。
p74
「ごきげんよう、瞳子ちゃん」
祐巳は、それだけ言うのがやっとだった。それだけ言えば、十分がんばったと評価していい。
「私たち薔薇の館に行くから、またね」
志摩子さんが、そう言ってその場を離れてくれたので、内心助かった。腕を絡めていた志摩子さんが支えていてくれたからどうにか切り抜けられたけれど、あと一分とかあの場にいたらしゃがみ込んでいたかもしれない。それくらい、足ががくがくと震えていた。
祐巳は、瞳子ちゃんに負けていた。何も悪いことはしてないと思いつつ、完全に立場は弱かった。
(瞳子、志摩子&祐巳。校舎内、廊下にて)
志摩子さんに絡みつくヘビ娘・祐巳。という描写です。
そういや、志摩子-乃梨子の、白薔薇姉妹が妙にめだっていますね、「仮面のアクトレス」は。
p134
水場に着いたので、バケツの水を排水溝に向けてそろそろと流す。
「うん。そんなことだけれど、由乃さんには、かなり気になるところなんじゃない」
銀色の蛇口が、ピカピカに光っていた。ここの掃除を担当した生徒は、丁寧な仕事をする。
(蔦子&祐巳。掃除の描写)
毎度おなじみ「蛇口」
今回も重要なシーンに顔を見せます。
(水・掃除・蛇口、そして丁寧な仕事……今野先生の好きなものを全部ぶっこんでる感じ)
重要という意味は――この蛇口の直後に、
p136
「私だって、あの子のことはわからない。だって、大体いつでも仮面を被っているでしょ」
「仮面……」
「感じる時ない?」
「ある」
すごく、ある。
――という、蔦子&祐巳のすごく大事な会話がはじまるからです。
26,「イラストコレクション」
タイトルの通り、
ひびき玲音さんのイラストコレクションです。
「ヘビ」も「にょろにょろ」も発見できませんでした。
どうでもいいが チャイナ服の祐巳ちゃんはかわいすぎる↓↓
27,「大きな扉 小さな鍵」
作中の時間:某年1月おわり~2月。
(寸評)
あとがきで今野先生ご自身が触れているが、祐巳ちゃん視点がまったくない珍しい一冊。
後半の「ハートの鍵穴」は、今まであまりなかった瞳子視点があらわれます。
短編では瞳子視点はあったけど、それ以外……メインの祥子―祐巳物語でははじめてではないか?
どこかにあったっけ?
つまり、今まで「われらが祐巳ちゃん」にひどいことばかりしていた瞳子の内面をはじめてうかがい知ることになるわけです。
んーだが、祐巳-瞳子の心理戦、ひっぱりすぎのような気もするなぁ……
瞳子ちゃんの心理描写をしたのは正解だったのだろうか? よくわからない。
謎の生物のままにしておいてほしかった気もする。
せっかくバレンタイン企画の準備という話題があるんだから、それをいかして何かできなかったか?
という気もする。
んだが、次回「クリスクロス」のあの「なまはげシーン」の準備なのでしょう、これは。
p58-59
この古狸たちめ、と由乃は心の中でつぶやく。三年生の二人は、このところとみに先代たちに似てきて困る。
「あら由乃ちゃん、どうしたの? 真美さんに椅子を勧めて差し上げて」
お姫さまみたいなお面を被った『古狸その一』が、すました顔で言った。
「まあ、そうでしたわ。どうぞ、真美さん、こちらの席に」
そっちがその気なら、こっちは狐にでも何でもなってやる。
(祥子&由乃。薔薇の館にて)
由乃=キツネが明確にでてきた!
その気になってみると、ひびき玲音さんの描く由乃さんは、
キツネが化けた美少女のようにもみえなくもない↓↓
p73
「お手もとの資料をご覧下さい」
言われて、由乃も冷めた紅茶のカップと資料の場所を交換した。まずは『バレンタインイベント企画書』と書かれた表紙をペラリとめくる。左上をステープラーで留められたA4コピー用紙の、二ページ目の最初に書かれた文字はと言うと。
(由乃さん視点。バレンタインイベントの会議。薔薇の館にて)
ここね。
ステープラーって、いわゆる「ホッチキス」のことです。
確かに「ホッチキス」は会社名ですので
(ミリオタなら皆知っているが機関銃とかも作っていたフランスのメーカーである)
ステープラーというのが正しい。
が、「ホッチキス」でないと通じないよね。
「ちょっと、そこのステープラーとって!」っていいます? 言いませんよ。
で、なぜ 「ステープラー」と書いたかというと、
これは今野緒雪の「S」好きのせいだろうとおもうわけです、はい。
p113
一度、家族のバランスを壊したのは自分。それを表面的につなぎ止めるためだけの、セロファンでできたテープのような嘘はつきたくない。
繕ったところで、もう二度と壊れる前の形には戻らないのだ。壊したことが無駄になるだけの修復なら、いらない。
(瞳子の心理描写。松平家にて)
ここも文房具関係のヘンなディテール。
セロファンテープっていえばいい。
そこを「セロファンでできたテープ」
ここはつまり「S」と 「テープ」(にょろにょろ)
この二つを放り込みたかったんだとおもいます。きっと。
それを語るのが、ヘビ三姉妹の末っ子・瞳子ですし。
p129
祐巳さまは悪くない。瞳子は、護身のために持っている凶器を過剰に振り回して、自分を斬りつけ、血を流しているのだ。そして時には、相手のことも傷つけてきた。
「きっと、私に問題があるのでしょう」
(瞳子の心理描写。演劇部の部室にて)
瞳子はなんとなく毒ヘビなんじゃないか? という気がする。
p143
お店の人にお手洗いの場所を聞いて、手だけ洗った。気づかなかったけれど、手にびっしょりと汗をかいていた。
冷たい水が気持ちいい。
(瞳子の心理描写。ファーストフード店にて)
お得意の「水」描写です。
「マリみて」の少女たちはなにかというと水分摂取をしています。
(飲み物の描写は異常に多い。たとえば、このシーンの直後、瞳子と柏木さんはコーラを飲みます)
そして要所要所で「水」の描写があります。
(この記事で最初に触れました「パラソルをさして」のみそぎシーン)
ヘビと水の親和性も当然考えたいところです。
p148-149
会話がなくなったことで、瞳子の思考は内へ内へと向かっていった。話が途切れる前にお兄さまが発した「祐巳ちゃん」という言葉が、頭の中でリフレインされる。
祐巳ちゃんのことにしたって、
祐巳ちゃんのことにしたって、
祐巳ちゃんのことにしたって――。
耐えきれなくなって、瞳子は口を開いた。
「じゃああの時、ロザリオを受け取っていればよかったとでも言うの? そんなこと、できるわけがない」
(柏木優&瞳子。柏木さんの車の中にて)
祐巳祐巳祐巳
巳……巳……巳……
そしてわれわれは 祐巳-ミルフィーユ-祐巳-ミルフィーユも思いだします。
「ヘビ」「にょろにょろ」イメージを読者に植え付けて
最後、どかんと 「ロザリオ」というワード!
今野緒雪でしか書けない天才的な文章です。
すさまじいです。
p156
これは何だろう。
しばしちり取りの中を眺めて、やっとそれらカラフルの正体がわかった。
(ああ)
休み時間にクラスメイトたちが編んでいる、毛糸の繊維だ。
とはいえ、ただ編んでいるだけでこんなに綿埃になるものなのか。いや、あり得ないことではない。何度も編んだりほどいたりを繰り返している人もいれば、毛羽だったモヘア糸を使っている人もいる。バレンタインデーを約二週間後に控え、クラスの三分の一くらいが休み時間のたびに編み物をしていれば、これくらいの量になるのだろう。
(瞳子の心理描写。一年椿組の教室にて)
「毛糸」という「にょろにょろ」
しかし、まあ、すごいディテールです。女子校あるある、だったりするんでしょうか?
そしてこの「にょろにょろ」から、
→p155
学校生活というものは、行事と行事をつなぎ合わせてできているようなものだ。
と、もうひとつの「にょろにょろ」につなげます。