「デューン」熱はまだまだ冷めませんで――
サントラを買いました。
Hans Zimmer /DUNE original motion picture soundtrack
今日日、CDで買う意味はあまりないのですが、
やはりモノとして持っておきたいので CDで購入。
↓↓と、じつに美しいモノで買って正解でした。
毎日 聞いております。
6曲目の Leaving Caladan という曲が好きです。
シャラメ――ポール・アトレイデスが、生まれ故郷の惑星カラダンを出発する背景で流れる曲。
ハンス・ジマーでいうと、僕は 「レインマン」の Las Vegas なる曲がとても好きでして、
これはトム・クルーズ&ダスティン・ホフマンの兄弟が カジノに乗りこんでいくぞ! という曲で……
どちらも「出発」「出撃」みたいな雰囲気が似ているのがおもしろい。
↓↓これは 公式の宣伝動画からひっぱってきた画像ですが
ここのあたりに Leaving Caladan が流れます。たしか。
ノルウェーのフィヨルドで撮ったらしく……
僕はどうしても
水曜どうでしょうの「フィヨルドの恋人」
を思い出してしまう(笑)
そういうと、ティモシー・シャラメとミスターどうでしょう・鈴井貴之は
「細身」「黒服が似合う」というくくりでは似ています(笑)
あと、軍事マニアの方だと 「戦艦」「フィヨルド」とくると
戦艦ティルピッツ
ですかね。 とにかく色々思いだして 大変いいシーンでございました。
あと――
ワーナーの宣伝動画なんですが……
シャラメっちの着てるシャツがたいへん気になります↓↓
どこの、なんというブランドのモノなんでしょうね?
ま、まさか、このクラスの人だと、オーダーなのか?
既製服なんぞではないのか?
おわかりの方は教えていただきたい。
ボタンをきっちり上までとめるのがシャラメ流です(笑)
そのくせ襟のボタンはとめないのね。
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180度 方向転換しまして
銀座エスキモー問題です。
というか、
◎銀座エスキモーは、やはり「エスキーモ」である。
ということが分かりましたので以下説明いたします。
(世界中の誰も気になっていないだろうが)
まず、ですね。
最近読んでおります 「古川ロッパ昭和日記 戦前篇」にも エスキモーが登場したわけです。
以下、エスキモーの出てくるところだけ抜きだします。
(まだ半分くらいしか読んでないので これ以外にも出てくるかもしれないが)
1937年
3月12日(金)
……僕は一旦別れて、千疋屋でPCLの荻原と阪田英一に逢ふ。そこで又中野と一緒になり、エスキーモでライスカレーを食って、橘のとこへ麻雀しに行く。……
6月3日(木)
……AKから迎への自動車来り、山へ行く。(トマス注:AKはJOAK、今のNHKである。山は愛宕山のこと)
八時二十五分より「カンカン帽物語」を放送。終ると菊田と銀座へ出て、カンカン帽を求め、エスキモでビュティ―のんで、東京駅へ。……
うう。
古川ロッパ、こちらをさらに混乱させるかのように
「エスキーモ」「エスキモ」とばらばらな書き方です。
さらに「ビュティ―」ときた!
これはもちろん エスキモー名物の「新橋ビューティ」のことでしょう。
この人はなんでしょう。情報かく乱をしたいのでしょうか??
ここらで 「エスキモー」がどのように表記されてきたのか?
もう一回整理しておく必要がありそうです。
・時事新報社家庭部編「東京名物 食べある記」(1929)
→エスキーモ
……此の店の呼物では新橋ビューティー(三十五銭)がアイスクリームと果物の使いわけで傑作、エスキモープディング(二十五銭)、甘納豆を使ったみつ豆、銀座の悪趣味を独りで背負って立ったような代物である。(中略)アイスクリームが凡そ銀座街第一のよきクリームたるとともに、ビフテキのうまいこと断然光っている。
(教育評論社「東京名物 食べある記〈復刊〉」25ページより)
・今和次郎編纂「新版大東京案内」(1929)
→エスキーモ
……果物の総本家ともいふべき銀座千匹屋(ママ)、ウインドーには世界中の珍果がごろごろころがつて味覚を刺戟する。エスキーモは少し先のモナミと共に近年出来て、邦楽座帰りの若い酒をのまない一対の人気を集めてゐる甘いお菓子と甘い珈琲の店。資生堂も同じく珈琲、ソーダ、ランチ、などの店。
(ちくま学芸文庫、今和次郎編纂「新版大東京案内 上」194ページより)
・安藤更生著「銀座細見」(1931)
→エスキーモ
エスキーモ 僕はここの看板を読んで、はじめてわれわれがエスキモーとばかり呼びなれてきた北極の矮人の名の正しい発音を覚えた。ここは酒も少しはある。コーヒーはここが一番うまいと思う。店の感じはメタリックで冷い。床が坂のようになっている。ここの名物はアイスクリーム、新橋ビューテイなどだ。ここのアイスクリームはきめが細かくって好きだ。
(中公文庫、安藤更生著「銀座細見」112ページより)
・「全日記小津安二郎」
→ヱスキモ
1933年
11月7日(火)
▲ヱスキモで東洋の母のストリーの相談
12月29日(金)
皇太子 継宮明仁親王と御命名
夕方清水から電話でヱスキモで会ふ それから提灯行列を見に宮城前に行つて 松しま 千疋屋によつてかへる
・三宅艶子著「ハイカラ食いしんぼう記」(1980)
→エスキモー
新橋ビューティーは、ヴァニラとストロベリーとチョコレートと、そして挽き茶との四種のアイスクリームが、縞のように色をグラスの外に見せてはいっている。それだけのことなのだが、一つ一つのアイスクリームがおいしいし、そのとりあわせが微妙で、ほんとうに「こんなおいしいもの生れて初めて」と思ったくらいだった。銀座に来ると、何かと言えば新橋ビューティーのためにエスキモーに寄らないと気が済まない。
(中公文庫、三宅艶子著「ハイカラ食いしんぼう記」154ページより)
ここに先ほど紹介した 古川ロッパの
「エスキーモ」「エスキモ」
ばらばらな表記が加わる訳なのですが――
わたくし、最近、この世紀の問題(笑)に決着をつける
決定的な証拠をみつけましたので
以下紹介いたします。
日本カメラ社・師岡宏次編・著「写真集 銀座残像」
です。(右側の本な↓↓)
師岡宏次……
この時代を代表する 木村伊兵衛、濱谷浩とかの作品を見ちゃうと……
たまらなく下手くそなんですけど……
資料としてはとても役に立ちそう。
もとい、51ページにその写真はあります↓↓
解説は
銀座八丁目西側の歩道、お正月の銀座は賑やかである。(昭和12年)
とあります。
真ん中あたり↓↓
資
生
堂
の看板がありますが、すぐ右横にみえるのが
「エスキモー」なのではあるまいか??
赤丸で囲んだところ。
トリミングしてみます。
手前の看板に隠れてしまってますが……
「エスキーモ」が正解!
なのではあるまいか↓↓
100%確信はできませんが、
「エスキモー」だとこのようにはならないようにおもえる。
安藤更生が見上げた看板、というのはコレなのでしょう。きっと。
さいごに……
どうやら 古川ロッパ「ロッパの悲食記」とやらいう本に
「エスキーモ」「新橋ビューティ」の記述があるらしいです。
読んでみようかとおもいます。