目下、「古川ロッパ昭和日記・戦前篇」を読んでいるのですが、
「全日記小津安二郎」と対照させて読んだところ、けっこうおもしろかったので
メモがわりに、この記事を書きます。
はじめに書いておきますと――
日記を読む限りでは 小津安二郎と古川ロッパ この二人が会ったことはなさそうです。
(あくまで戦前のはなし)
会ったことがないだけではなく、
「全日記小津安二郎」には古川ロッパの名前が出てこないし、
「古川ロッパ昭和日記」には小津安二郎の名前が出てこない。
お互いに関心ももっていなかったようです。
(繰り返すが、戦前のはなし、戦後は読んでないのでわからない)
つまり、まったく接点のなかった二人、なわけですが、
「映画監督」と「俳優」
業種はかなり近かった二人です。
まず……
〇1934年(昭和9)2月6日(火)・水久保澄子
小津・ロッパ両者ともに 水久保澄子のことを書いているのがおもしろい。
(小津)
二月六日(火)
大森の東月荘にて審議会
車で野田高梧と銀座に出てフレーデルマウスにてビール
いろいろ語る
水久保澄子 退社
(ロッパ)
二月六日(火曜)
医院へ寄って出る、大分いゝらしい。此の分なら安心。事務所で川口と話す、東宝との問題、東宝で引抜きはしたものゝ始末に弱っているらしい水久保澄子・逢初夢子の二人を、こっちへ借りようといふ話をすると大乗気。
フレーデルマウスはドイツ人経営のバーだったとおもいます。
かのスパイ・ゾルゲも入り浸っていた由。
ロッパは「逢初夢子」も 松竹を退社したように書いてますが、
これは誤りでしょう。
(この年、逢初夢子は 小津の「母を恋はずや」だの 島津保次郎の「隣の八重ちゃん」だのに出演している)
↑文藝春秋社・「ノーサイド 1995年9月号」
↓「非常線の女」
小津は「ミミ」に惚れていたから、いろいろおもうところはあったとおもうけど
「水久保澄子 退社」 と、それだけ。
ロッパは「ビジネスチャンス!」ととらえて、さっそく動いている。
〇1934年(昭和9)3月・マーカス・ショー来日
マーカス・ショーというアメリカのレヴュー団が来日し、話題になったようです。
久生十蘭の「魔都」を読まれた方は
「ああ、あのカーマス・ショオの元ネタか……」とお分かりいただけることでしょう。
(小津)
三月二十日(火)
赤坂の幸楽である審議会をやめて
日劇で
マーカス・ショウ
(ロッパ)
三月十日(土曜)
今日第一回を休演、川口・東と鏑木とで日本劇場へ、マーカス・ショオを見に行く。人数沢山で賑かではあるが同じようなものゝ繰返しばかりだ。感心するものなし。
マーカス・ショーに関しては 海野弘先生がこのように書いておられます。
十蘭が「カーマス・ショオ」と書いているのは、一九三四年に日劇で公演して大評判となった「マーカス・ショー」のことである。そして注目すべきなのは、これを招いたのが吉本興業であったことだ。旗一兵『喜劇人回り舞台』(学風書院 一九五八)がくわしく触れているので、読んでみよう。
「昭和九年三月、米国からマーカス・ショーが来日して日本劇場に出演した。これが日本のショーにあたえた影響は量り知れない。多芸を集めたバラエティーの構成、スピーディーな進行、タップ・チームの養成、照明の立体的駆使は、いずれもマーカスが残していった置土産で、殊にこれを招いた吉本興業はこれによって社格を上げ、浅草に花月劇場を新築すると同時に、トップ・モードの『吉本ショー』を出発させた。」
(右文書院・海野弘著「久生十蘭『魔都』『十字街』解読」98-99ページより)
……というのですが、
当時、第一線のコメディアンのロッパが「感心するものなし」と評価しているのは興味深いですし、
そもそも久生十蘭描く「カーマス・ショオ」のように
実際の「マーカス・ショー」も ちょっとインチキ臭いシロモノであったようではあります。
〇1934年(昭和9)3月21日(水)・嵐
5月・6月・ルゴール液
両者、東京の住んでいるので天気の記述が似ているのはあたりまえだが、
(小津)
三月二十一日(水)
彼岸の中日 まことに風がつよい
雨のなかを東京の山手の小学校をみてまわる
夕方貞雄来所 東京に出てひとり 勧進帳を立見する のち門にて薄茶をのむ
富士の里 野菜なべ
山中深川泊 長門の菓子
(ロッパ)
三月二十一日(水曜)
大変な風それに雨だ。ビュービューって音だ。でも祭日のことゝて、早く出かける。浅草も流石にあんまり人が出てゐない。
小津は、悪天候の中、ロケハンに行ってます。(「母を恋はずや」の学校のシーン)
親友の山中貞雄が上京、深川の小津邸に泊まってます。
(ロッパはこういう種類の「親友」みたいな人はいない気がする)
一方、ロッパは舞台俳優なので 天気はかなり気になるようで、記述が詳しいです。
当然、客の入りが左右されますので。
(小津)
六月一日(金)
床屋に柳井と行く
ルゴール氏液を買ふ
明日の旅の準備をいろいろとする
(ロッパ)
五月九日(水曜)
ひる済むと、ぐったり。熱とってみると七度三分程ある。咽喉からの熱である。ルゴールで治るから心配ない。
どういうわけか、近い時期に「ルゴール氏液」「ルゴール」という記述があるのが気になります。
流行ってたのか??
ついでに書きますと、小津安二郎。ルゴール氏液の前々日はあの「ミミ」と会っております。
(小津)
五月三十日(水)
会社に行かず 八時筈見と帝劇に会ふ 水久保澄子と会ふ
フレーデルマウスにて一問一答 のちルパン
深夜帰る
あいかわらず意味深な感じ。
そして……
〇1934年(昭和9)6月5日(火)・東郷元帥国葬
↑アサヒグラフ・昭和9年6月6日號
東郷元帥薨去……「薨去」というコトバを使っています。
↓講談社「写真昭和50年史――影山光洋」39ページ
国葬は日比谷公園で行われたそうです。その様子。
(小津)
六月五日(火)
朝 帰京する
この日東郷元帥の国葬にて休日
一日家にてぶらぶら昼寝す
母 野田の山下に京土産をもつて行く
(ロッパ)
六月五日(火曜)
本日東郷さんの葬儀で市内大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい。午前は休み、二時開演、それも一・二をカットして三から始まるんだから、ナニちっともいつもと変りはない。
東郷元帥の葬儀……なにやら帝国海軍の「終わりのはじまり」
のような気がします。
そして輝かしき「明治」は、この日に終わったのか?
〇1934年(昭和9)5月・6月・「にんじん」(フランス映画)
フランス映画の「にんじん」がどうやら流行ったようです。
(小津)
五月二十九日(火)
久々に会社に行く
夜邦楽座にドンキホーテの試写
のち内田岐三雄 牛原虚彦 筈見恒夫と銀たこにのみ にんじんについて語る
(ロッパ)
六月十一日(月曜)
早く出て、大勝館へ「にんじん」を見に行く。評判だけあって中々いゝ。「誰も可愛がっちゃ呉れない!」と言ってにんじんが馬に鞭つところは、思はずワイワイ涙が出た、みっともないほど嗚咽といふ感じに泣けた。
小津はいいとか悪いとか感想を書いていないのですが、
「母を恋はずや」に「にんじん」のポスターを使ってますから……↓↓
なにかしらの感銘は受けたのでしょう。
わたくしは未見です。見ないとな。
〇1934年(昭和9)6月・東劇・六代目
6月23日(土)快晴
「六代目」というと、とうぜん六代目尾上菊五郎のことです。
(小津)
六月二十一日(木)
出社 所長に会ふ
池忠 東上と東劇に行く 楽屋に六代目を訪ねて
菊五郎芸談を聞く
鏡獅子 暗闇の丑松 紐を見る
のち富士の里にて 鮭茶漬
(ロッパ)
六月十日(日曜)
日曜だから早い。今夜は八時前に終るから、東劇へ六代目を見に行くことにし、渡辺と二人で円タクで東劇へかけつける。菊五郎の日本俳優学校第一回公演で、六代目は「鏡獅子」と長谷川伸の「暗闇の丑松」だけに出てゐる。丁度「鏡獅子」が終って、「丑松」があいたところ。脚本を読んでみないと六代目の演出について詳しいことは分らぬが、兎に角、写実以上の写実演出、やっぱり唸らせる。にくい。こんな芝居を見るのは、参考になるより、やっぱり楽しみだ。
ロッパの記述は丁寧で、いったいどういう舞台なのかがよくわかります。
小津の日記はメモ以上のものではなく、はっきりいって「読み物」としてはおもしろくはないです。(断言)
「菊五郎芸談」の中身はわからないですが、
この頃の小津の発言に 「こないだ六代目に聞いたんだけど……」みたいな話は出てきます。
つづいて……
(小津)
六月二十三日(土)
梅雨どきには珍らしいいいお天気の日で宏 忠 荒と野田のきのへねに出かける
工場を見てから清水公園でめしを食ふ
成田山にまわつて 九時頃帰宅する 兄 房州行
いいお天気の一日の日がへりの旅はみちみちそれ相当な風景のなかに陽がかげろひ
風物詩的な旅愁をのこして ちと 侘しい
(ロッパ)
六月二十三日(土曜)
今暁五時にねた、十一時起き。座へ出る。暑くてたまらん。今日も入ってゐる、随分今度のは当った。浅草まつりといふ催しが東日主催で行はれつゝある、そのためか女子供多く、ギャーギャー泣いたりして困る。
同じ日ですが 小津→「いいお天気」 ロッパ→「暑くてたまらん」と 対照的で笑えます。
やはり肥満体のロッパは暑さに弱いのか。
小津が暑さに不感症なのか?
小津の記述は、小津にしては珍しく きちんと感情を書いていますが……
水久保澄子のことでも考えているんでしょうか?
きのへね醤油、は、妹の嫁ぎ先です。
〇1934年(昭和9)6月・「隣りの八重ちやん」
島津保次郎監督・逢初夢子主演の「隣りの八重ちゃん」が上映されてます。
(小津)
六月三十日(土)
邦楽座にて めをと大学 八重ちやんを見る
(ロッパ)
六月二十九日(金曜)
帝国館へ入り、島津保次郎のトーキー「隣の八重ちゃん」を見る。中々いゝ。ストーリーらしきストーリーもなく、うまく纏めてゐる。トーキーの境地に入ってゐる。
逢初夢子主演。
で、逢初夢子とてもいいのですが……
(というか、今回はなにかというと逢初夢子の話題がでますな(笑))
脇役の高杉早苗が あまりに可愛らしすぎ……↓↓
熱演した逢初夢子にとっては皮肉なことですが
ここから高杉早苗時代が始まってしまいます。
なにやら長くなりそうなので
その2につづく……